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「崖の上のポニョ」の心理学 ~生と死、グレートマザー、 ウロボロス、そして

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「崖の上のポニョ」の心理学 ~生と死、グレートマザー、 ウロボロス、そして
「崖の上のポニョ」の心理学
~生と死、グレートマザー、
ウロボロス、そして自立
著者 (株)樺沢心理学研究所 樺沢紫苑 (本名 佐々木信幸)
連絡先 [email protected]
当レポートの著作権は、(株)樺沢心理学研究所に属します。
コピー、転載、再頒布を禁止します。
この無料レポートは、「映画の心理学プレミアム」(旧「映画の心理学」) 第
9号(2008 年 7 月 25 日号)を、加筆、修正したものです。
【
目次
】
■1 はじめに
■2 せっかくの夏休みに、家族で一つの体験を共有しよう
■3 「崖の上のポニョ」のあらすじ・作品情報
■4 「生まれてきてよかった。」
■5 生きる目標と父性
■6 子供から尊敬される最も簡単な方法
■7 「ポニョ」から学ぶ、理想の父親像とは?
■8 仕事で忙しくても子供にシカトされないちょっとした秘訣
■9 「生」と「死」
■10 アンデルセンの「人魚姫」
■11 「ポニョ」とキリスト教イメージ
■12 「ニーベルングの指環」とポニョ
■13 グランマンマーレの正体とは?
■14 ウロボロスと自我のめざめ
■15 初源に属するものとは何か?
■16 拍子抜けのラスト ~ あるいは新世界の創造 (ネタバレ)
■17 参考文献、参考サイト
■1
はじめに
「崖の上のポニョ」(以下、「ポニョ」と略す)を見ました。絵本のような柔ら
かいタッチのホンワカした作品でした。ほのぼのとした情感に酔いながらも、
主人公宗介のポニョを思うストレートな感情にノックアウトされます。
「子供たちに伝えたいことがある」という宮崎駿監督の言葉の通り、第一の
観客として「子供たち」、おそらくは宗介と同年齢(5歳)くらいの子供が見て
も、物語を理解し、テーマを感じ取れるように、分かりやすく描かれています。
この作品を見て物足りなさを感じる人も多いかもしれません。
あまりに単純明快なストーリーにガッカリした人も・・・。
しかし、「ポニョ」を見て、「ひねりのない単純明快なストーリーにガッカリ
した」という人がいたら、それは「ポニョ」という作品を半分も理解していな
いということになるでしょう。表面的には、シンプルなストーリーを装いなが
らに、その深部には大人向けの硬派で壮大で骨太なテーマが間違いなく存在し
ます。
「ポニョ」を見てから、この原稿を仕上げるまでにわずか3日しかありませ
んでした。できれば、もう一度見て、細部を確認したいところですが、一応、
「宮
崎ファン」を自称する私ですから、宮崎監督の作品意図は、一度見ただけでも、
かなり理解できたつもりです。
以下の原稿は、映画を見てから読んでいただくのがベストではありますが、
物語を深く分析しながらも、まだ作品を見ていない人にとって興を削ぐ表現は
できるだけ避けてありますので、どうぞお読みになっていただきたいと思いま
す。 (ネタバレが全くないわけではありません)
「ポニョ」というのは、「絵本」のような作品です。「絵本」というのは、何
度も何度も読みすよね。そして、読むたびに、見るたびに、少しずつ印象が変
わっていきます。
「ポニョ」は、極めて単純でありながら、実に奥の深い描写を
たくさん含んでいて、見るたびにその姿を変えていく作品だと思います。
■2
せっかくの夏休みに、家族で一つの体験を共有しよう
平日の 12 時 50 分の回。母親や父親たちが、小さな子供たちを連れて、映画
館に「崖の上のポニョ」を見に来ていました。なんと、ほほえましいというか、
うらやましい風景です。
家族で一緒に映画を見る。心理学的にも、非常に大切なことです。
これは言い換えれば、「家族で共有体験をする」ということです。
別に映画でなくても構いません。
家族で、キャンプに行く。
家族で、旅行に行く。
家族で、ディズニーランドに行く。
家族で何か大きなイベントを一緒に体験できれば、同じことです。
これらの家族の共有体験は、俗に「思い出作り」と呼ばれますが、私はこの
言葉はあまり好きではありません。思い出を作るためだけに、旅行に出かける、
というのは実に意味がないと思います。
家族旅行に出かければ、家族間の結びつきが密接なものになります。子供に
我慢を教えるチャンスとなります。子供の世界観が大きく広がります。
など、
「子育て」
「教育」という意味合いから考えて、
「家族旅行」を一つとり
あげても、山ほどのメリットがあるわけで、大人になった時の良い思い出にな
るというのは、そうしたメリットの一つにすぎないのです。
ただ、忙しいお父さんとっても「家族旅行」はなかなか難しいでしょう。
休みも一日しかとれない・・・という場合は、
「家族で映画を観る」というの
も、良いでしょう。ひょっとすると、映画くらいでは、
「家族の共有体験にはな
らない」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。
普段、家で、家族でDVDの映画を見ているかも知れませんが、子供にとっ
て「映画館の大スクリーンで映画を見る」という体験は、非常にエキサイティ
ングなものです。
中学1年の時、父親と二人で「スター・ウォーズ」を見に行きました。今か
ら、ちょうど30年も前のことですが、その時のことを今でもありあと記憶し
ています。
超満員の映画館。かろうじて、最前列に座ることができました。
そして、映画を見終わり、興奮して父親に尋ねます。
「理力って何?」
私の父は答えました。
「超能力みたいなものだな・・・」
ちなみに、「理力」というのは、当時の字幕での「フォース」の訳語です。
父親の説明を聞いて、
「なるほど、ジェダイというのは、そういう超能力のよ
うな、不思議な力を持つ人のことか・・・」とようやく腑に落ちました。
「フォースとは何か?」
誰もが疑問に持つでしょう。
それに対する父親の回答も、実に適切なものだったと思います。
この「スター・ウォーズ」を映画館で見たというエキサイティングな体験。
間違いなく、映画評論を書いている、今の自分につながってきます。
このとき、父親が私を「スター・ウォーズ」に連れて行ってくれなかったら・・・
今日の私はなかったかもしれません。
当時の同級生たちと同様に、
「ガンダム」ファンになっていたかもしれません(笑)。
「一本の映画」ではありますが、極端な話、子供の人生、子供の考え方に大
きな影響を与える可能性があります。
でも、ただ見るだけではダメで、理解不能な部分を親がフォローしてあげる
べきで、それによって映画のテーマが子供たちの心に深く刻まれるのです。
子供は非常に感受性豊かです。映画というのは、子供にとって、非常にスペ
シャルな体験と言えるのです。その素晴らしい体験を、言葉にする、これがま
た重要です。
カウンセリングの用語では、「言語化」といいますが、「言語化」することで
頭の中が整理されて、記憶としてもきちんと定着するようになります。
体験が「貴重な経験の一つ」として蓄えられるということです。
また、抽象思考、複雑な感情を言葉で表現する訓練の場として、
「映画につい
て語る」ということは、非常に重要なことなのです。
子供と一緒に映画を見る、という体験。いつでもできそうですが、実はそう
ではありません。子供が中学生くらいになると、もう友達と映画を見に行くよ
うになります。子供はすぐに成長して、お父さんやお母さんと一緒に映画を見
に行かなくなってしまうのです。
ということは、子供が幼稚園とか、小学生くらいのうちに一緒に映画に行か
ないと、一生、一緒に映画館で同じ映画を見る、という「スペシャルな体験」
を共有できなくなってしまう・・・ということにもなりかねません。
せっかくの夏休みですから、是非、お子さんと一緒に映画を見に行って欲し
いと思います。そして、映画について語り合っていただきたい。
そんな親子で見る映画として、
「崖の上のポニョ」は格好な作品だと思います。
以下、
「崖の上のポニョ」の解読、解説を書いていきますが、そうした子供と
映画について語り合う時には、若干の予備知識があった方がいいでしょう。
そういう意味でも、今回のメルマガを大いに参考にしていただきたいと思い
ます。
■3
「崖の上のポニョ」のあらすじ・作品情報
【基本情報】
公開
2008 年 7 月 19 日
上映時間 101 分
配給
東宝
スタッフ :
監督
宮崎駿
製作総指揮 鈴木敏夫
製作
星野康二
脚本
宮崎駿
音楽
久石譲
キャスト :
奈良柚莉愛(ポニョ)
土井洋輝(宗介)
山口智子(リサ)
長嶋一茂(耕一)
天海祐希(グランマンマーレ)
所ジョージ(フジモト)
矢野顕子(ポニョの妹達)
柊瑠美(婦人)
【あらすじ】
海辺の町で暮らす 5 歳の少年・宗介は、クラゲに乗って家出した魚の子ども
ポニョに出会う。すぐに仲良くなる彼らだったが、ポニョはかつて人間だった
父・フジモトによって海に連れ戻されてしまう。
ポニョは父の魔法を盗んで再び宗介のもとを目指すが・・・。
【概要】
宮崎駿監督が「ハウルの動く城」以来 4 年ぶりに手掛けた長編アニメーショ
ン。アンデルセン童話「人魚姫」をモチーフに、人間になりたい魚と
少年の心温まる交流を描いたファンタジー。
■4
「生まれてきてよかった。」
「生まれてきてよかった。」は、「崖の上のポニョ」につけられた宣伝用のコ
ピーです。劇中にそういうセリフはありませんが、映画のテーマをよく表して
いる言葉だと思います。
宮崎監督は、このコピーを最初に見たとき、
「そんなに立派な映画じゃないよ」
と照れて、
「出会えてよかった」くらいでいいんじゃないか、と言ったといいま
す。
「ポニョ」には、いくつものテーマが込められていますが、そのメインとな
るものが「生」「生命」と言えるでしょう。
そういえば、「千と千尋の神隠し」のキーワードは「生きる力」でした。
その意味で、「千と千尋」とテーマ的な連続性が見られます。
「海」は、生命が誕生した場所です。そして、今もたくさんの生命が海から
誕生しています。映画の冒頭は、クラゲが幼虫から成虫へと姿を変えます。そ
して、その他の海の生物たちもたくさん登場していて、
「生命力」が見事な映像
で表現されています。
しかしながら、最初の頃のポニョの表情は、
「生」のエネルギーにあふれてい
るわけではありません。無目的というか、成り行き任せというか。
家出したのは、外界への好奇心であり、自分の意思は感じられるものの、人
間の世界に来たのはクラゲの背中に乗っかって、たまたま偶然に来てしまっ
た・・・という感じです。
ポニョに生気があふれてくるのは、宗介と出会い、そして別れてからです。
「宗介に会いたい」という想い。そこから、
「人間になりたい」
(生きる目的)
が生まれ、宗介と再会するために、ポニョの生きるエネルギーは爆発します。
荒れ狂う波の上を猛烈な勢いで駆け続けるポニョの姿は、躍動する「生」で
輝き、そして「生」のエネルギーに充ち溢れています。
最近、
「生きる実感がない」
「生きていて楽しくない」
「生きる目的が見いだせ
ない」という若者が多いといいます。その原因には「目的喪失」
「目標喪失」が
存在します。
日本経済の先行きは暗い。サラリーマンとして就職しても、いつリストラさ
れるかわからないし、安定した将来など全く保障されません。目標や目的が持
てなければ、人間は目標や目的に向かって頑張ることができません。成り行き
まかせになり、「無気力」に支配されるのも当然です。
■5
生きる目標と父性
では、子供が「目標」や「目的」を持つために必要なことは、何でしょう?
それは「父性」です。第一には、
「父親」の役割が重要になります。ただ、
「父
性」を担うのは、「父親」だけの責任ではありません。「父親的な力強さ」を
持っていれば、それは父親でなくても「父性」的な役割を果たすことができ
ます。
兄であり、近所のおにいちゃんやおじさん。あるいは、学校の先生でもいい
わけです。さらに、芸能人やスポーツマン、政治家など、テレビでその姿を見
る人でも構いません。
「父親のようになりたい」とか「母親のようになりたい」。
父親や母親をモデルにしたいという気持ちがあれば、それが自然に、将来の
「目標」や「目的」につながり、目的に向かって頑張ろうという意欲やエネル
ギーが湧いてくるのです。
「父親のようになりたい」とか「母親のようになりたい」という気持ちは、
どうしたらわいてくるのか、というとそれは、
「尊敬の念」や「畏敬の念」に基
づきます。
「お父さんってすごいなあ」
「お父さんってかっこいいなあ」という気持ちが、
「尊敬の念」や「畏敬の念」そのものです。
■6
子供から尊敬される最も簡単な方法
最近、子供が親を殺すという悲惨な事件が起きています。
「なぜ、こんな事件
が起きるのでしょうか?」とテレビのコメンテイターは沈痛な表情で問題提起
しますが、その理由は実に明快です。子供の親に対する「畏敬の念」
「尊敬の念」
が消失しているからです。
親に対して、
「畏敬の念」や「尊敬の念」を持っていれば、"親を殺す"という
行動が起きるはずがありません。
「敬意」や「尊敬」の気持ち、つまり「人をう
やまう気持ち」を持っていれば、殺人といった暴挙には出ないのです。
親から抑えつけられた。親から自由を束縛された。やりたいことをやらせて
もらえなかった。そんな気持ちを持っているから、それが反感となり「攻撃性」
となって、親に向かっていくのです。
「子供から尊敬される親になろう。」
言葉で言うのは、簡単ですが、実際には非常に難しく思えます。
でも、そんなに難しく考えることはありません。
例えば、子供がお父さんにとって、「敬意」を抱く瞬間というのは単純です。
それは、「お父さんって、すっご~~い」と思った瞬間です。
「父親に対する敬意」といえば難しいですが、
"「お父さんって、すっご~~い」と思われるようになろう"
と言い換えれば、そう難しいことではないでしょう。
山に昆虫採集に行って、子供が全然昆虫を捕まえられないとき、お父さんが
クワガタを捕まえたら、「お父さんって、すっご~~い」と思われるでしょう。
キャンプに行ってバーベキューをする。お父さんが、炭から火を起こして、
おいしい焼肉を食べさせる。
「お父さんって、すっご~~い」と思われるでしょ
う。こうした出来事を通して、子供の父親に対する「畏敬の念」は生まれてく
るのです。
別に「父親がすばらしい人格者である」ことを知らしめる必要はありません。
子供は自分の知らないことをたくさん知っている。自分のできないことをい
ろいろとできる父親、そして母親に対して、自然と「敬意」を抱くようになる
のです。
夏休みというのは、このように子供に「お父さんって、すっご~~い」と思
わせる絶好のチャンスでもあります。もし、あなたが猛烈に仕事が忙しくて、
キャンプにも旅行にも行けないとしたら・・・職場に子供を連れていく、とい
うのもいいかもしれません。
平日は無理だとしても、休日出勤の短い時間なら、子供連れでも文句が言わ
れない職場もあるはずです。
「お父さんって、こんな大きな会社で働いていたんだ、すごいな~」
「お父さんの机が一番前にあるよ。お父さんって偉いんだなあ~」
何も説明しなくても、子供はこんな気持ちを持つに違いありません。
■7
「ポニョ」から学ぶ、理想の父親像とは?
では、
「ポニョ」の主人公、宗介と父親の関係はどうでしょうか? 宗介の父
親耕一は、内航貨物船「小金井丸」の船長です。(スタジオ・ジブリの本社は、
東京・小金井市にありますから、おそらくそこからのネーミングでしょう)
父親は、仕事が忙しく、なかなか家に帰って来ません。少なくとも、この作
品の間では、父親は一度も陸に上がることはありませんでした。しかし、宗介
と父親の関係性は、良好のようです。
宗介は、お気に入りの船のオモチャをいつも持ち歩いています。後半ではこ
の船のオモチャが意外な活躍を見せます。そして、時々かぶる船長の帽子。宗
介は、船乗りにあこがれています。つまり、「父親のようになりたい」「父親の
ような船乗りになりたい」と思っているはずです。
父親に対して、「尊敬の念」や「畏敬の念」を抱いており、「父親のようにな
りたい」という目標、目的を持っています。
帰宅予定の日に帰宅できなくなった夫に対して憤りを感じて、ビールを飲ん
でふて寝するリサとは対照的に、宗介は信号灯を使った父親とのつかのまの会
話を楽しむのです。
このように、子供から尊敬され、
「父親のようになりたい」と思わせる父親が、
「理想の父親像」と言えるのではないでしょうか?
宗介は、わずかに5歳ではありますが、父親不在の家庭において、自ら「父
親」の役割を果たそうとします。例えば、暴風の中、
「ひまわりの家」に行った
まま帰ってこない母親を探しに(助けに)行くシーンがそうです。このシーン
で、宗介は子供から大人になろうとしています。
そして、
「ぼくが守ってあげるからね」という、宗介のポニョとの約束。この
約束も非常に重要です。
子供は、守られる存在。親の庇護のもと、生きていくのが子供です。
大人は「守る」存在です。子供を庇護するのが、「大人」です。
守られる側から、守る側にチェンジした宗介は、
子供 → 大人 という、成長の一歩を踏み出したと言えるでしょう。
■8
仕事で忙しくても子供にシカトされないちょっとした秘訣
宗介の父耕一は、仕事に忙しくて、なかなか家に帰ることもありません。通
常、こうした仕事人間の父親は、だんだんと子供から相手にされなくなってし
まう危険性があります。
しかし、宗介は父親が大好きな様子です。父親の分身とも言える船のオモチ
ャと船長の帽子は、宗介にとっては宝物です。
ある日、耕一が帰ってくる予定の日に、耕一は帰って来られなくなります。
ふてくされてビールでやけ酒して、ふて寝するリサに対して、宗介は信号灯を
使って父親と連絡をとり、さらに母親と父親の仲をとりもとうとします。
この宗介の行動から、
「仕事で忙しくても、子供にシカトされない、ちょっと
した秘訣」を学ぶことができるでしょう。
父親は忙しいながらも、沖を通るときは、
「息子に連絡する」というコミュニ
ケーションの手段を持っていました。数分間という短い時間ではありますが、
2人は大切な時間を共有するのです。
信号灯を使ったコミュニケーションですから、言葉の数でいうならば、わず
か数言ずつのやりとりとなります。しかし、そのコミュニケーションは、実に
濃密です。つまり、コミュニケーションは、「量」ではなくて、「質」が重要で
あるということです。
現代人は、コミュニケーションの「量」がなければ、不安になる傾向があり
ます。例えば、恋人同士で交わされる携帯メール。1 日に何通も送り合うのが当
たり前のようになっています。場合によっては、1時間に何通もメールを送り
合う人もいるでしょう。
でも、それほどメールをたくさん送ったからといって、親密度が増すことは
ないと思います。単にコミュニケーションをとっていないと安心できないとい
う不安感が、メールを送らざるを得ない気持ちにさせるのです。
短い時間でも、
「質」の濃いコミュニケーションがとれれば、人間関係は十分
につながります。毎日仕事で忙しく子供と顔を合わす暇がないのなら、せめて
日曜日くらいは、子供と濃密な時間を共有する努力をすべきです。
■9
「生」と「死」
「海」を舞台に、
「生」、
「生命力」のテーマが描かれていますが、同時に「生」
の反対・・・「死」というものが、映画のあちらこちらで姿を見せます。
ジャムの瓶から出られなくなったポニョ。トンネルを抜けて衰弱してしまっ
たポニョ。
「生」の象徴的な存在であるポニョですが、何度も、衰弱して死にそ
うな状態になります。
また、
「子供」対「老人」という対比があります。リサが勤める「ひまわりの
家」の老人たち。宗介は、お年寄りの人気者でありますが、車椅子に乗り自分
の力では歩くこともできないお年寄りと生き生きとして闊達な宗介は、実に対
称的です。
この足腰が弱って歩けなくなっていたお年寄りですが、
「海」から「生」のエ
ネルギーを得て、普通に歩けるようになります。「復活」「再生」です。
このシーンを見て、私は、映画「コクーン」(1985 年)を思い出しました。
養老院に住む老人たちが宇宙から来たマユのパワーによって、元気を取り戻
し、若返るのです。
「異世界」のパワーによって若返りを果たすという点で、共
通性が見られます。
「小金井丸」が、船の墓場にのみ込まれそうになるシーンでも、
「死」の臭い
が漂います。「巨大な満月」のイメージも、「死」であり「冥界」のイメージで
す。
「海底」の世界は、
「生」が生まれる場所でありながら、光がない薄暗い世界
として描かれ、「冥界」(あの世)的な雰囲気を持っています。この「冥界」で
生まれる生物たちは、生まれ変わり。輪廻転生的なものを暗示しているように
も見えます。
フジモトが手下のように使う、黒いドロッとした塊のような生物は、
悪魔的な雰囲気が漂います。
洪水後の世界。これほどの大災害が起きても、悲惨な「死者」は描かれませ
ん。子供向けの絵本的な映画だから・・・ということもありますが、
「洪水後の
世界」は、「冥界」、つまり「死後の世界」であるという解釈もあるでしょう。
こうした「死」や「冥界」のイメージが随所に登場しているからこそ、ポニ
ョや宗介の輝かしいばかりの「生」のイメージが、コントラストとして強調さ
れるのでしょう。
■10
アンデルセンの「人魚姫」
チラシやパンフレットに載っている、「ポニョ」の
「宮崎駿監督企画意図」には、次のように書かれています。
>アンデルセンの「人魚姫」 を今日の日本に舞台を移し、
>キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。
とあります。
これは、宮崎駿監督自身の言葉です。
アンデルセンの「人魚姫」ですが、子供の頃に一度は読んだことがある。
あるいは、話くらいは聞いたことはあると思いますが、その細部に関しては、
覚えていない人も多いでしょう。
ということで、アンデルセンの「人魚姫」のあらすじを
採録しておきます。
□「人魚姫」あらすじ
人魚の王の 6 人の娘たちの内、末の姫は 15 歳の誕生日に昇っていった海の上
で、船の上にいる美しい人間の王子を目にする。嵐に遭い難破した船から王子
を救い出した人魚姫は、王子に恋をする。人魚姫は海の魔女の家を訪れ、声と
引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。
その時に、
「もし王子が他の娘と結婚するような事になれば、姫は海の泡とな
って消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉ら
れるような痛みを感じる事になるとも・・・。
王子と一緒に御殿で暮らせるようになった人魚姫であったが、声を失った人
魚姫は王子を救った出来事を話す事が出来ず、王子は人魚姫が命の恩人である
事に気付かない。
そのうちに事実は捻じ曲がり、王子は偶然浜を通りかかった娘が命の恩人と
勘違いしてしまう。
やがて王子と娘との結婚が決まる。悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた姫の姉
たちが、髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、王子の流した血で
人魚の姿に戻れる事を教える。
愛する王子を殺す事の出来ない人魚姫は死を選び、海に身を投げて泡に姿を
変え、空気の精となって天国へ昇っていく。
「ウィキペディア」「人魚姫」より引用
http://01.futako.info/a/marmaid.html
>アンデルセンの「人魚姫」 を今日の日本に舞台を移し、
>キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。
この「人魚姫」の物語のどの辺がキリスト教的なのかというとやはり、
「自己
犠牲」の部分ではないでしょうか。人魚は、人間の姿になるために「声」を失
い、さらに歩くたびに「痛み」を受けます。
そして、王子への愛を貫くために、自ら泡となって消えてしまうという究極
的な「自己犠牲」。愛のためには、自己を犠牲にするという部分が、非常にキリ
スト教的な物語に思えます。
一方で、ポニョが宗介の血をなめてしまうのは偶然であり、ポニョは犠牲を
払うこうとなく、手足が生えてきます。映画の結末にしても、
「人魚姫」とは大
きく異なり、確かに「自己犠牲」というキリスト教的な精神は払しょくされて
いるように見えます。
■11
「ポニョ」とキリスト教イメージ
宮崎駿監督は、「ポニョ」は、「キリスト教色を払拭した作品」と言っていま
すが、本当にそうなのでしょうか?
アンデルセンの「人魚姫」との比較においては、キリスト教色が払拭されて
いると言えるかもしれませんが、
「ポニョ」という作品全体には、無数のキリス
ト教的なシンボルがちりばめられているように思いました。
具体的に根拠を挙げて説明していきましょう。
●根拠1
「大洪水」
島を襲った暴風雨。そして、月の異常接近による潮位の上昇。島の大部分は
水没してしまいます。宗介の崖の上の家まで水が来ていますから、水位が 20 メ
ートル以上は高くなっていたようです。これは、暴風雨とか津波というよりも、
「洪水」のようにも思えます。
「洪水」という言葉を使った瞬間に、旧約聖書の「ノアの方舟」のエピソー
ドを思い出します。神は地上の人々が悪を行っているのを見て、人を創造した
ことを後悔し、これを滅ぼそうと考えます。しかし、
「神に従う無垢な人」であ
ったノアとその家族は生き延びさせようと考え、ノアに箱舟の建設を命じます。
箱舟に乗ったノアの家族と一つがいの動物たちが、洪水の難を逃れて生き残
ります。
「ポニョ」の大洪水も、人間に対する天罰的な意味合いが込められています。
海をゴミだらけにして、環境を汚染し続けている人類に対する天罰です。
海面の水位上昇といえば、
「地球温暖化」をすぐに連想するわけで、この大洪
水は、「環境問題」と切り離しては考えられません。
神の天罰としての洪水。そして、そこからの再生。復活。
そこに、聖書的なイメージを感じます。
●根拠2
アガペーを宣言する宗介
「ポニョ」において非常に重要なセリフがあります。
映画の一番最後の部分の宗介のセリフです。
「魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポニョも好きだよ」
人間になったポニョを完全に受け入れるという表明です。
このセリフを聞いて、私は「アレっ」と思いました。
「ポニョ」という映画は、「ボーイ・ミーツ・ガール」。
少年が少女と出会い、
「愛」を貫く映画、と思って見ていましたが、どうやら
そうではない、ということが示された瞬間です。
「魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポニョも好きだよ」
条件なしで、全てを受け入れる、無条件の愛情。無限にして無償の愛。
これは、アガペー(神の愛)ではないのか? と思いました。
アガペー(神の愛)とは、神の人間に対する「愛」であり、無限、無償の愛
の形です。
男性と女性の愛情というのは、
「アガペー」に対する言葉、ギリシャ語で言え
ば、「エロース」に当たります。「エロース」というのは、愛し愛される関係で
あり、その意味で代償を求める愛です。
「私がこれだけ愛しているのだから、あなたも愛して欲しい」というのが、
「エ
ロース」であって、男女の愛情です。
「魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポニョも好きだよ」
宗介のこの言葉は、
「ポニョへの愛情を強く表現した」というものではなくて、
「アガペー(神の愛)の重要性を高らかに表現した」ように思えるのです。
この宗介のアガペーの宣言ですが、ある意味、意外性がありながらも、やっ
ぱりそうかという、予定調和的なものを同時に感じました。
●根拠3
水面を歩くポニョ
その意味は?
暴風雨のさなか、黒い大波、怒涛の上を、宗介と会いたいがために、ポニョ
が全力で走るシーンは、非常に印象的です。しかし、これだけではなく、暴風
が収まった後も、ポニョは何度か水面を歩きます。
魔法が使えるポニョですから水面を歩いても不思議はないのですが、これを
聖書的に見ると、それが意味することは、たった一つです。
「水面を歩くことができる人」といえば、それは、イエス・キリストです。
イエスが水面を歩いたというエピソードは、水をワインに変えた、2匹の魚
と5つのパンで5千人の人々を満腹にした、病者に触れただけで治したことと
ならび、イエスが起こした奇跡の一つとして知られています。
「ポニョ」は、今までの宮崎作品と同様に、アメリカやヨーロッパでも公開
されるでしょうが、
「水面を歩くポニョ」を見た欧米人のほとんどは、確実にポ
ニョに救世主のイメージを重ね合わせるに違いありません。
●根拠4
「魚」の聖書的イメージ
ポニョ、ポニョ、ポニョ、魚のポニョ♪
「崖の上のポニョ」のテーマ曲を聞くまでもなく、ポニョは「魚の子」とし
て登場しています。では、キリスト教では、
「魚」は何のシンボルか、ご存知で
しょうか?
「魚」は、キリスト教のシンボルであり、
「救世主」を示します。
ギリシャ語で、「魚」は「イクトゥス(ΙΧΘΥΣ)」といいますが、
これは、ギリシャ語でΙΗΣΟΥΣ(イエス)、ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)、
ΘΕΟΥ(神の) ΥΙΟΣ(子) ΣΩΤΗΡ(救世主)の頭文字を
並べたものです。
つまり、
「魚」=「イエス・キリス、神の子、救世主」という意味を持つので
す。
「魚」は、迫害されていた初代のキリスト者達が、自分達がキリスト者であ
ることを知らせるための秘密のシンボルとして使われていました。
「魚=救世主」。偶然といえば、偶然のようにも思えますが、魚のポニョが水
面を歩いた瞬間に、それは偶然ではなくなるのです。
●根拠5
「ロウソク」の聖書的イメージ
ポニョは、宗介のオモチャの船を魔法の力で大きくします。その船に乗って、
ポニョと宗介は、リサを捜しに行きますが、その船の動力は、なんと「ロウソ
ク」でした。
「動力がロウソクとは、かなり珍しいなあ」と私は思いました。別
に「ロウソク」が原動力でなければいけない必然性はありません。オモチャの
船といえば、普通は電気によるモーター式だと思いますが、
「ポニョ」ではエコ
のテーマが根底に流れていますから、最初はそのせいかと思いました。
しかし、スープを飲ませようとした赤ちゃんの父親から、ロウソクをもらう
シーンで、ロウソクがまた強調されます。映画の中で 1 回しか出てこないもの
は「偶然」ということもありえますが、2 回出てくるということは、
「そこに重
要な意味が隠されていますよ」というサインなのです。
つまり、
「ロウソク」に、何か重要な意味が込められていることは間違いあり
ません。ロウソクは、キリスト教においては、ミサに欠かせないものです。
教会の祭壇でも、常にロウソクが灯されています。キリスト教におけるロウ
ソクは、「神の光」
「救世主の光」というシンボル的な意味を持ちます。
「すべての人を照らすまことの光であって、世にきた」
(ヨハネ福音書 1 章 9 節)
ロウソクの光は、
「神の光」の象徴であり、それは同時に「神の力」を象徴し
ています。
●根拠6
「復活」と救世主イメージ
さて、これまでの描写を重ね合わせると、不思議な魔法を使う「ポニョ」が
「救世主」のイメージとして描かれていることが、限りなく疑われます。しか
し、これだけ証拠を出しても「偶然だ」という人もいるかもしれません。
「ポニョ」が「救世主」として描かれていたかどうか?
これを確認することは、簡単です。
「救世主」かどうかを証明するためには、重要な「要件」があります。救世
主のための条件といってもいいでしょう。それは、「復活」です。
一旦、死んだあとに、
「復活」する。これは、救世主以外にはありえないこと
です。
映画の主人公を救世主に見立てる、という描写はハリウッド映画にはよくあ
ることです。一番典型的な例でいえば、
「マトリックス」でしょう。キアヌ・リ
ーブス演じる主人公の名前は、ネオ(NEO)です。
NEO は、
「ONE」のアナグラム(文字の並びかえで別な言葉の意味を示す)にな
っています。「The One」の意味は、唯一無二のそのお方。ズバリ、「救世主」を
示します。
予言された救世主とおぼしき男ネオ。モーフィアスやトリニティ、そしてそ
の他の人々は彼を救世主と信じながら、半信半疑の部分を捨てきれません。そ
して、ネオ本人も、自らが救世主かどうかと悩みます。まさに、イエス・キリ
ストの物語、そのものです。
「マトリックス」に流れる思想、それは「信ずることが現実化する」であり、
信ずる者は救われるキリスト教思想の色彩が強くみられます。
ネオは自己の犠牲を怖れず、命をかけてモーフィアス救出に向かいます。
しかし、エージェントの銃撃を受けて、ネオの心臓は止まります。しかし、
次の瞬間、死んだと思われたネオは、見事に復活を果たします。
「復活」は救世主の必須用件です。ネオの「復活」が示すもの。それは、ネ
オが「本物の救世主であった」ということを示しています。復活した後のネオ
が無敵になったのも当然です。
さて、
「ポニョ」の場合はどうでしょうか? リサを探すためにオモチャの船
で冒険に出かけた、宗介とポニョ。トンネルを抜けて海に出ようとしますが、
乾燥に弱い魚のポニョはトンネルを抜ける頃には、グッタリとして死んでしま
ったかのように動かなくなります。
ポニョが死んでしまったかと思い、悲しむ宗介。しかし、ポニョは生きてい
いました!! 物語的に、これは「復活」を意味します。つまり、「ポニョは、
救世主だった」ということが、映画的に明確に示されている、ということです。
あるいは、「魚/半魚人」だったポニョが、ラストで本当に「●●」になった
ということ自体が、生まれ変わりであり、真の「復活」を示すと考えることも
できます。
他にも、キリスト教を連想させる描写はいくつもあります。宗介の血をなめ
たポニョの DNA に異変がおきて人間化するという描写もありますが、
「血」が「聖
なる力」を持つというのも、キリスト教的な発想です。
実は、このように「ポニョ」は、「キリスト教色を払拭した」と言いながら、
実は全くそうではなくて、ポニョが世界の救済者、
「救世主」のイメージとして
描かれていることは、間違いないでしょう。
■12
「ニーベルングの指環」とポニョ
ポニョの本名が劇中に登場します。ブリュンヒルデ。
何だ? この不思議な響きの名前は?
オペラ・ファンであれば、すぐに気付くでしょうが、
「ブリュンヒルデ」には、
重要な意味が隠されています。
宮崎監督が、
「ポニョ」の作品の構想を練っている最中にワーグナーの楽劇「ワ
ルキューレ」をBGMとして良く聴いていたといいます。宮崎監督は、
「この音
楽を聴くとアドレナリンがでる」とスタッフに話していたそうです。
「ワルキューレの騎行」は、フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄
の黙示録」のヘリコプターで出撃するシーンでも使われています。ワーグナー
の楽曲は、ヒトラーが第二次世界大戦のドイツのプロパガンダに使用したよう
に、人間の精神を高揚させる力があるのでしょう。
ワーグナーの「ワルキューレ」は、ワーグナーの歌劇「ニーベルングの指環」
全4部作の第2作です。
「ブリュンヒルデ」は、この「ニーベルングの指環」に
登場する、ワルキューレという空駆ける 9 人の乙女たちの長女の名前です。
実は、「ブリュンヒルデ」という名前のみならず、「崖の上のポニョ」と「ニ
ーベルングの指環」にはたくさんの物語的な共通点があります。
まず、
「ニーベルングの指環」の第一作「ラインの黄金」は、ライン川の川底
から物語が始まります。「ポニョ」は、海底から始まります。
ブリュンヒルデの父であり、神々の長であるヴォータンは、世界の終焉を回
避しようとあれこれ奔走します。ポニョの父であるフジモトも、たった一人で
世界の終焉を危惧しあれこれと奔走します。
ブリュンヒルデに思いを寄せるジークフリートは、ブリュンヒルデが眠って
いる岩山に向い、炎を乗り越え、ついにブリュンヒルデを接吻により目覚めさ
せます。そして、二人は永遠の愛を誓い合うのです。宗介の接吻によって、ポ
ニョは人間となります。そして、
「魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポ
ニョも好きだよ」と宗介は高らかに愛の宣言をします。
「神々の黄昏」の最後では、ライン川の水かさが増えて、ライン川が大洪水
になります。そして、
「水」が全てを流し去ってしまいます。世界の終局と破滅。
しかし、そこに新たな世界の始まりが暗示されます。
「ポニョ」も全く同じです。
このようにストーリーを追っていくと、まんま「ポニョ」という感じです。
「ポニョ」では、ほぼ全編で音楽が流れており、歌劇風に楽曲が使われてい
るのも興味深いです。
■13
グランマンマーレの正体とは?
「ポニョ」についての感想を書いたブログを読んでいると、「ポニョの母親・
グランマンマーレの正体がよくわからない」という書き込みがありました。
「ポニョ」では、いろいろなことが説明されていないようで、実は説明され
ています。言葉での直接的な説明はありませんが、映像、視覚。シンボルとか
象徴といったことで間接的に説明されているのです。
グランマンマーレの正体は、その名前がすでに全てを説明していると言える
でしょう。
グランマンマーレ。これは、心理学者ユングの言う、「Great Mother」 (グレ
ートマザー、太母)をフランス語風にしたものと思われます。
「グレートマザー」とは、絶対的な優しさと安全感を与えてくれる、
「母なる
もの」のイメージです。すべてを受容し包容する大地の母としての生命的原理
を表します。
このイメージは実際の母親に投影される場合もありますが、むしろそれを越
えて、「大地の女神」や「母なる大地」として表現されることが多いでしょう。
「ポニョ」では、「大地」ではなく、「海の母」として表現されています。
「グレートマザー」には二つの側面があります。一つは生命や出産という明
るい側面であり、もう一つは呑み込むものとしてのイメージから、死や冥界に
例えられる、暗い側面です。
映画で例を挙げるならば、
「ベオウルフ」でアンジェリーナ・ジョリーが演じ
たモンスターが「グレートマザー」と言えるでしょう。これは、全てを包み込
み、呑み込んでしまう「悪母」のイメージです。
「ヘンゼルとグレーテル」の魔
女や日本の山姥が、悪母としての「グレートマザー」の代表例として挙げられ
ます。
このように、「グレートマザー」は、「生」と「死」のイメージを合わせ持つ
存在と言えるのです。
「ポニョ」において、「海」は、「生命の源」「生命が生まれる場所」であり、
ポニョの生みの親でもある「グランマンマーレ」は、生命・生みのイメージと
しての「グレートマザー」であります。
「ポニョ」の解釈の一つとして、「海」は冥界、あるいは幽界といった、「死
の世界」を象徴しているという見方があります。その場合、
「グランマンマーレ」
は、冥界の主という「悪母」としての「グレートマザー」のイメージを担うこ
とになります。
「グランマンマーレ」=「クレートマザー」であることが分かれば、その正
体は、おのずとわかってきます。すべてを受容し包容する太母たるグランマン
マーレ。
グランマンマーレは人間の姿として描かれますが、「命の源である海」「母な
る海」そのものイメージであり、「グレートマザー」そのものなのです。
■14
ウロボロスと自我のめざめ
「ポニョ」における「命の源である海」は、
「グレートマザー」そのものです。
この全ての始源を表すイメージとして、「ウロボロス」というのがあります。
ウロボロスとは原初を宇宙論的・人類史的・系統発生的にシンボル化したも
のです。
「己の尾を噛んで環となったヘビ」、「尾を飲み込むヘビ」として図案化され
る場合もあります。この「尾を飲み込むヘビ」は、今日の無限大の記号「∞」
のモデルとなっています。
「ポニョ」における「海」。
「海」自体が命と意識をもってうごめく、この「海」
は「ウロボロス」として描かれているのではないか・・・というのが私の仮説
です。
ユングの弟子であるエーリッヒ・ノイマンは、その著書「意識の起源史」の
中で、世界の神話を研究した結果、母子未分化のカオスの状態から、意識が広
大な無意識の海に出現し、さまざまな危険と試練を経て無意識を統合する過程
が、創造・英雄神話に見事に表現されていることを明らかにしました。
実は、「崖の上のポニョ」は、多くの神話と同様に、「個人の自我意識の発達
の過程」を、その作品内に内包しているのではないでしょうか。そして、その
壮大な「神話の構築」を宮崎駿は意識的にやってのけたのではないのか? と
いうことです。
自我が自らウロボロスとの同一状態から切り離し始め、母胎内での胎児状態
である原結合でなくなると、世界に対する自我の新しい構えが生じてきます。
ポニョが、
「魚」 → 「人間」 へと変身し、
「海」
(ウロボロス)から逃れ
て陸に上がる過程に、
「ウロボロス」から切り離された「自我」。
「自我のめざめ」
が象徴されているのです。
暴風雨で大洪水となった状態は「カオスの状態」であり、危険と試練を乗り
越えたポニョは、魚から人間になる、つまり母「グランマンマーレ」の庇護か
ら一人立ちするわけですが、それこそが「個人の自我意識のめざめ」と言える
のです。
つまり、「崖の上のポニョ」は、「個人の自我意識のめざめ」という映像化困
難な抽象概念を見事に映像化してしまったどえらい作品。ある意味、
「一つの神
話」を作り上げた、ということになります。
●「意識の起源史」関連サイトより、一部引用
http://01.futako.info/a/kigen.html
■15
初源に属するものとは何か?
これだけでは証拠不十分だという人もいるでしょうから、宮崎が意識的に「ウ
ロボロス」と意識の問題を描いていたという証拠を挙げておきましょう。チラ
シやパンフレットに載っている、「宮崎駿監督企画意図」からの引用です。
「少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに
描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。」
ここで、宮崎は「初源に属するもの」という言葉を用いています。この「初
源に属するもの」の意味が、よくわかりません。
「初源に属するもの」とは、一
体何なのでしょうか?
「ウロボロス」を説明するのに、
「源始」または「始源」という日本語がよく
使われます。「ウロボロス」は、全ての源であり、始まりであるからです。
つまり、
「初源に属するもの」とは、
「源始に属するもの」、つまり「ウロボロ
ス」を指しているのではないでしょうか?
さて、
>これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
>神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。
という宮崎監督の言葉ですが、
「初源に属するものをためらわずに描く」ことと、
「神経症と不安の時代に立ち
向かう」ことの関連性がよくわかりません。正直、日本語としてうまく通じて
いないのです。しかし、宮崎監督が描きたかったものを、きちんと踏まえて彼
の言葉を読めば、全てを完全に理解することができます。
なぜ、「初源に属するものを描く」と、「神経症と不安の時代に立ち向かう」
ことができるのでしょうか? 「神経症」と「不安」で連想されるのは、無意
識という概念を初めて提唱し、精神分析の創始者でもあるシグムント・フロイ
トです。
フロイトは 1894 年に、「神経衰弱症から、ある極立ったまとまりを持つ症候
群を分離する根拠―――不安神経症」という論文の中で、世界で初めて「不安
(Anxiety)」と「神経症(Neurosis)」という概念を提唱します。
フロイトは、無意識の中で抑圧された願望が不安を惹起し、神経症という病
気の原因となる。そして、無意識のなかの観念を意識化することが、神経症の
治療に効果があるとして、精神分析を行っていきます。
「神経症と不安の時代に立ち向かう」ためには、我々は意識と無意識、そして
自我の問題と直面しなくてはいけません。そのために、太母(ウロボロスの支
配下)からの自我の自立を描くことに、重要な意味が出てくるのです。
自我のめざめ。
あるいは、自立。個性化。
これを現実社会に照らすならば、母親の庇護からの自立です。 ちなみに、
母親の庇護から自立できない状態。母性愛に依存してしまい、社会に出立でき
ない状態は、
「不登校」であり「引きこもり」であり「ニート」であるわけです。
家庭の庇護から、現実社会に引き戻す役割を担うのは、「父性」であり、「父
親」です。
しかし、ポニョの父親であるフジモトは、実に頼りない存在。宗介の父、耕
一も、また頼りなく描かれていますが、これは意識的にそのように描いていま
す。
ポニョを現実社会(人間の社会)に引き入れる役割は、この映画の中では、
間違いなく「宗介」が担っています。
「僕が守ってあげるからね」。
「ポニョ」の中でも最も重要なセリフの一つでありますが、
「僕が守ってあげ
るからね」という言葉に象徴されるのは、ズバリ「父性」です。
宗介の行動力もまた、「父性」そのものです。
「崖の下のポニョ」の中で、しっかりとした父性を発揮するのは、フジモト
でもなく、耕一でもなく、「宗介」その人です。
これは、一言で言えば、「父性の復権」ということになります。
誰の力も借りずに、自らが「父性」的な役割を担って立つ。
一言で言えば、「自立」。
しかし、今の子供たちは、
「自立」できないから、
「不登校」
「引きこもり」
「ニ
ート」といった諸問題が起きてきます。
精神的に自立していない状態で社会に出なくてはいけなくなると、今度は、
「コミュニケーション不足」や「孤独」といった問題に直面し、それを適切に
処理できないと、
「秋葉事件」とか「親殺し事件」とか、おかしな事件に結びつ
いてくるわけです。
「宮崎駿監督企画意図」に次のような一節も書かれています。
>誰もが意識化深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう
これは、「母性の庇護化にあるに家庭」から、「波立つ外なる海洋(=社会の
荒波)へ船出しよう、ということを意味しているのでしょう。
「生まれてきてよかった。」
言い換えるならば、ウロボロスに属する未分化から自立できて良かった、と
いう喜び。
魚から人間になったポニョは、
「人間として生まれた」。つまり、
「自我のめざ
め」。個体としての誕生を象徴しているように思えます。
「生まれてきてよかった。」
これは誕生してよかったということでもあるし、ポニョが「人間になれてよ
かった」ということでもあるでしょう。二本の足を持った人間として生まれる。
二本の足を持った人間として、「自立できてよかった」と。
■16
拍子抜けのラスト
~
あるいは新世界の創造(ネタバレ)
(核心部分ですが、ラスト・シーンについて、ネタバレしていますので、
ご注意ください)
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
ポニョが人間になった。
そして、宗介と結ばれるポニョ。
ハッピーエンド。
アッサリとしたラストだなあ・・・。
そう思った人も多いでしょう。
実は、私も、エンド・クレジットが出た瞬間は、そう思いました。
しかし、このラスト・シーンは、一筋縄では理解できない複雑さを持ってい
るのです。子供たちに向けた第一義的な意味としては、
「ポニョが人間になって、
宗介と結ばれてよかったね」ということでいいでしょう。
しかし、大人である我々は、このラストに隠された宮崎監督の海のように深
いテーマを読みとらなくてはいけません。
大洪水によって、世界は破壊されました。
しかし、そこに生まれたのは、デボン期の生物たち。これは、「生命の誕生」
という意味で、第二の「天地創造」、あるいは第二の「ビッグバン」と言っても
いいでしょう。
世界の破壊、破滅と同時に、新しい世界が誕生したのだと。
「世界の破滅」=「世界の始まり」
これは、世界中の神話に、繰り返し描かれていることです。
映画で例を挙げるのなら、「マトリックス」3部作。
「マトリックス・レボリューションズ」のラストです。
終末的な破壊シーンの後の、ほのぼのとした夜明けのシーン。旧世界、古い
秩序が完全に破壊され、新しい秩序、新しい世界の始まりが示唆されます。
ここで「ウロポロス」の円環構造を思いだしてください。原初の完全性を表
すシンボルの一つとして、
「円」があります。それを図象化したのが、ウロボロ
スの「尾をくわえる蛇」です。
円は、自己完結的なものであり、始まりも終わりもありません。円は対立物
を包含している完全なるものであり、始源であり終末であるのです。
つまり、ウロボロス的に言っても、
「世界の破滅」は、すなわち「世界の始ま
り」を意味するのです。
大洪水による世界の破滅。それは、新しい世界の創造であり、
「世界の始まり」
となります。まさに、「ポニョ」のラスト・シーン、そのものです。
大洪水、第二のビッグバンを乗り越えて生き残った宗介とポニョは、新世界
のアダムとイブと言えるでしょう。
実は、これと非常に似たエンディングの有名な映画があります。
「新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 「THE END OF EVANGELION Air/まごころを、
君に」です。
この作品のエンディング、かなりの物議をかもしました。世界が破滅して、
シンジとアスカだけ生き残るという破滅的ラスト。しかし、これは「破滅」で
あり、
「救済」なのです。シンジとアスカは、新世界のアダムとイブになったこ
とが暗示されます。
新世界の担い手である宗介とポニョは、アダムとイブのイメージです。しか
し、真のアダムとイブが、他にいます。
それは、最後に、ポニョが5歳の人間の女の子になった、と説明されるよう
に、アダムとイブは、現代に生きる「全ての子供たち」ではないでしょうか?
「子供たちに伝えたいことがある」という宮崎監督の言葉。
環境破壊で滅びゆく現実の地球。
その世界を救う救世主は、実は子供たちしかいないのだ・・・と。
「ポニョ=救世主」
「ポニョ=5歳の人間の子供」
この方程式を解けば、
「真の救世主は、人間の子供たちである」
という答えが容易に導き出されます。
世界は破滅に向かっているのではなく、これから新しい世界が創造されるの
だ・・・と。これこそが、宮崎監督が子供たちに伝えたかったメッセージなの
ではないでしょうか?
「生まれてきてよかった。」
このキャッチフレーズのように、
「生まれてきてよかった。」と思える世界を作っていくのは、「子供たち」本人
でなくてはいけないのです。
宗介とポニョが大人の力を全く借りなかったように、子供たちは大人の力に
依存するのではなく、
「自立」して、自分の力で生きていかなければいけないの
だ・・・と。
私は、そのようなメッセージを宮崎監督から受け取りました。
■17
参考文献、参考サイト
・「崖の上のポニョ」公式サイト
http://www.ghibli.jp/ponyo/
・ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/
の各項目
「ニーベルングの指輪」「人魚姫」「ウロボロス」
「地母神」「元型」「フロイト」「崖の上のポニョ」
・「意識の起源史」
エーリッヒ・ノイマン
紀伊國屋書店
・「意識の起源史」関連サイト
http://01.futako.info/a/kigen.html
・ミレイの「オフィーリア」についての解説サイト
http://lapis.blog.so-net.ne.jp/2005-11-15
・「ニーベルングの指輪」と水についての解説サイト
http://ring.poco-a-poco.chu.jp/?eid=73853
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第2号
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第6号
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