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オーストラリアにおける競争中立性規律 ―TPP国有企業規律交渉への示唆

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オーストラリアにおける競争中立性規律 ―TPP国有企業規律交渉への示唆
DP
RIETI Discussion Paper Series 15-J-026
オーストラリアにおける競争中立性規律
―TPP国有企業規律交渉への示唆―
川島 富士雄
名古屋大学
独立行政法人経済産業研究所
http://www.rieti.go.jp/jp/
RIETI Discussion Paper Series 15-J-026
2015 年 6 月
オーストラリアにおける競争中立性規律
―TPP 国有企業規律交渉への示唆―*
川島富士雄(名古屋大学)**
要
旨
2015 年に入り環太平洋経済連携協定交渉(以下「TPP 交渉」という。
)が大きな進展を見せ
ている。これまで同交渉を長らく難航させてきた要因として知的財産、投資といったテーマが指
摘されるが、それらと並んで「国有企業に対する規律」が大きな争点となっている。同規律案は
米国国内産業からの国有企業等に対する優遇策が競争歪曲をもたらしているとの強い懸念を受
けたものだが、同交渉の厳格な情報統制のため、その正確な内容はいまだ公表されていない。
本稿は、TPP 交渉における「国有企業に対する規律」交渉過程を、公となっている情報に基
づき、たどった上で、国有企業等に対する優遇措置がもたらす競争歪曲を除去するための規律、
いわゆる「競争中立性規律」に関する先進国であるオーストラリアの経験を紹介する。同国が「競
争中立性規律」を導入するに至った経緯、同規律の内容及び具体的事例の検討を通じて、TPP
交渉における「国有企業に対する規律」案の意義と背景、その成立可能性、規律導入に際し考慮
すべき要素及び成立した場合の国内実施のあるべき姿について幅広く示唆を得るよう努める。あ
わせてオーストラリア型の規律を関連する「競争中立性規律」と比較対照しながら、国際経済法
における「競争中立性規律」の必要性と発展可能性について検討し、展望する。
キーワード:TPP、国有企業、優遇措置、競争歪曲、競争中立性、オーストラリア
JEL classification: F13、H25、L32、L44
RIETI ディスカッション・ペーパーは、専門論文の形式でまとめられた研究成果を公開し、
活発な議論を喚起することを目的としています。論文に述べられている見解は執筆者個人の
責任で発表するものであり、所属する組織及び(独)経済産業研究所としての見解を示すも
のではありません。
*
本稿は〔独〕経済産業研究所「現代国際通商・投資システムの総合的研究(第Ⅱ期)」プロジェクト(代表:
川瀬剛志ファカルティフェロー)の成果の一環である。なお、本稿は、科学研究費補助金・基盤研究(B)「東
アジアにおける市場と政府をめぐる法的規律に関する総合研究」(課題番号 24330013、研究代表者:川島富
士雄)の成果の一部でもある。
** 名古屋大学大学院国際開発研究科教授/e-mail:[email protected]
1
第1章
背景と課題設定
2008 年 9 月のリーマンショックにより顕在化した世界金融経済危機後、先進各国政府が
破綻企業の国有化又は資本注入といった救済策を展開した一方で、中国政府は緊急の景気
刺激策として 2 年間で 4 兆元(当時の為替レートで約 57 兆円)の財政出動を行い、いわゆ
る「国進民退(国有部門が躍進し、民営部門が後退する)」現象が生じた等1、世界的に「市
場と国家」のうち、国家の役割が相対的に高まる結果となった。それにともない世界的に
自由市場主義への懐疑論が急速に広がり、その自信喪失を反映するかのように、
「北京コン
センサス」や「中国モデル」という標語の下、自由市場主義に挑戦する考え方が急速に蔓
延しつつあるのではないかとの懸念が表だって提起されることとなる2。この一環として、
欧米を中心に、21 世紀は自由市場国対国家資本主義(state capitalism)国の対立の時代で
あるとして、後者に対する警戒を求める議論が、活発に展開されつつある3。
上記の論調を受けるように、昨今、「自由市場国対国家資本主義国」という対立図式で
とらえることのできる国際経済法上の法現象が頻繁に見られるようになった4。その中でも
特に先鋭的な動きの 1 つとして、米国政府は、環太平洋経済連携協定交渉(以下「TPP 交
渉」という。)において、国有企業等と民間企業の間の競争上の中立性(Competitive
Neutrality)を確保する必要性を訴え、2011 年 10 月、TPP 第 10 回ラウンド(ペルー・リ
マ)において、具体的な提案(以下、文脈により「国有企業規律案」又は「米国案」とい
う。)を行うに至った5。TPP 交渉における争点の中でも米国が最優先項目の 1 つとして掲
げている国有企業規律に関する交渉(以下「TPP 国有企業規律交渉」という。)は、マレ
ーシア、ベトナムといった国有企業の経済に占める比重の大きい参加国からの根強い反発
もあり、当初の交渉妥結目標とされた 2013 年末時点になっても、十分な進展が得られなか
1「国進民退」
現象に関する邦文文献における認識の代表例として、加藤弘之「社会主義の模索と市場移行」
加藤弘之・上原一慶編著『現代中国経済論』(ミネルヴァ書房、2011 年)55 頁、中兼和津次編『改革開放
以後の経済制度・政策の変遷とその評価』(早稲田大学現代中国研究所、2011 年)3 頁、田中修『2011~
2015 年の中国経済』
(蒼蒼社、2011 年)215 頁、津上俊哉『岐路に立つ中国』
(日本経済新聞出版社、2011
年)97 頁、加藤弘之・渡邉真理子・大橋英夫『21 世紀の中国 経済篇―国家資本主義の光と影』(朝日新
聞出版、2013 年)。
2 See e.g., Stefan Halper, The Beijing Consensus: How China’s Authoritarian Model Will Dominate the
Twenty-First Century (Basic Book, 2010)(ステファン・ハルパー(園田茂人・加茂具樹訳)『北京コンセ
ンサス―中国流が世界を動かす? 』(岩波書店、2011 年)).
3 Ian Bremmer, The End of Free Market (Portfolio, 2010)(イアン・ブレマー(有賀裕子訳)
『自由市場の
終焉―国家資本主義とどう闘うか』
(日本経済新聞社、2011 年). ブレマーは、国家資本主義国を、
「政府が
主として政治上の利益を得るために市場で主導的な役割を果たすシステム」と定義し(Ibid., p.43)、資本
主義を受け入れ、市場を廃止しようとしてはいないが、それを自分たちの目的に沿って利用しようとし
(Ibid., p.53)、国有企業、民間の旗艦企業及び政府系ファンドを主な手段として用いる国家と性格づけて
いる(Ibid., p.54)。See also “The Rise of State Capitalism” and “Special Report: State Capitalism”, The
Economist, January 21, 2012, pp.11-12, S1-S18.
4 川島富士雄「中国における市場と政府をめぐる国際経済法上の法現象と課題―自由市場国と国家資本主義
国の対立?―」
『日本国際経済法学会年報』21 号(2012 年)124-146 頁。
5 同上、134-135 頁。
2
った。特に、マレーシア及びベトナムが強硬に反対しており、前者は一時、TPP 交渉全体
からの脱退も辞さない姿勢すら示した一方、後者は原則については受け入れるものの、そ
の適用除外を受ける多数の国有企業を列挙した例外リストを提出したと言われる。つまり、
国有企業規律案は、関税、投資、知的財産といった特に難航してきた議題と並び、いわば
TPP 交渉の潜在的な「ディール・ブレイカー(交渉決裂要因)」として関心を集めるに至
っている6。
国有企業規律案は米国国内産業からの国有企業等に対する各種の優遇措置が市場におい
て競争歪曲をもたらしているとの強い懸念を受け米国政府が提案したものだが、同交渉の
厳格な情報統制のため、その正確な内容はいまだ公表されていない。各種報道によれば、
米国が提案した国有企業規律案は、国有企業等に対する優遇措置の結果、民間企業との競
争において競争歪曲を生じさせないことを TPP 加盟国に義務付けるものである。この米国
案は、経済開発協力機構(以下「OECD」という。)等で提唱されている「国有企業に対す
る競争中立性規律」を参照したとも言われている。その OECD の競争中立性規律に関する
多くの報告書、勧告及びガイドラインは、第 2 章で見るように、1990 年後半以降、オース
トラリアにおいて発展してきた国有企業等に対する優遇措置がもたらす競争歪曲を除去す
るための規律、いわゆる「競争中立性規律(Competitive Neutrality Principles)」を先進
モデル事例として多く引用している。他方、TPP の国有企業規律交渉においてオーストラ
リアは必ずしも積極的な役割を果たしておらず、かつ現時点での規律案にはオーストラリ
アの競争中立性規律を直接反映する要素が必ずしも盛り込まれていない模様である。しか
しながら、OECD の報告書類が指摘するように、国有企業と民間企業の間の競争中立性の
問題に先進的に取り組んだオーストラリアの経験は、TPP 国有企業規律交渉の意義や背景
を探る上でも、また、TPP 国有企業規律が成立した暁には TPP 加盟国がいかに国内的に実
施すべきか展望する上でも、きわめて重要な検討素材であるということができる。後者の
国内実施の観点は、2015 年に入り TPP 交渉が大きな進展を見せており、同年中の交渉妥結
も視野に入っていることからも、特に重要となろう。
そこで、本稿は、第 2 章において、TPP 交渉における国有企業規律交渉過程を、公とな
っている情報に基づき、たどった上で、第 3 章において、
「競争中立性規律」に関する先進
国であるオーストラリアの経験を紹介する。同国が「競争中立性規律」を導入するに至っ
た経緯、同規律の内容及び具体的事例の検討を通じて、TPP 交渉における国有企業規律導
入の意義とそれが必要となった背景、その成立可能性、規律導入に際し考慮すべき要素及
び成立した場合の国内実施のあるべき姿について幅広く示唆を得るよう努める。さらに第 4
6
「TPP 交渉
越年濃厚に」日本経済新聞 2013 年 12 月 10 日朝刊 3 面。
3
章において、第 3 章で得られた示唆を整理した上で、オーストラリア型の規律を関連する
「競争中立性規律」と比較対照しながら、国際経済法における「競争中立性規律」の必要
性と発展可能性について検討し、展望する。
第2章
TPP 交渉における国有企業規律交渉
第1節
競争中立性規律の生成背景
ここでは、TPP 国有企業規律交渉過程をたどる前提として、どのような背景の下で競争
中立性規律が必要であるとの認識が生まれてきたのか紹介する。
(1) 政府系ファンドの躍進とサンチャゴ原則
2008 年頃、政府系ファンド(Sovereign Wealth Funds, SWFs)に対する国際的な投資
行動規律が導入された。この規律導入に至った背景として、アラブ諸国を中心とするオイ
ルダラー運用機関である政府系ファンドの躍進と米国を中心とする外国投資に関する国家
安全保障審査の存在の 2 点を指摘できる。その後者の具体例として、中国国有(70%)企
業である中国海洋石油集団資源公司(CNOOC)による UNOCAL 買収が、対米外国投資委
員会(CFIUS)の審査手続中に、米国議会から安全保障上の懸念が提起されたことを受け、
中止に追い込まれた事件(2005 年)
、ドバイ・ポート・ワールドがイギリスのペニンシュラ・
アンド・オリエンタル・蒸気船会社(P&O)を買収した際に、米国港湾がアラブ諸国のコ
ントロール下に置かれることに対する懸念が米国議会より表明され、同社がアメリカ 6 港
湾等を売却するに至った事件(2006 年)等を挙げることができる7。これらの事件の後、米
国のエクソン・フロリオ修正法は、2007 年外国投資国家安全保障法による改正を受け、国
防産品法に組み入れられている8。
こうした外国投資に関する国家安全保障審査のリスクの高まりを受け、政府系ファンド
側の保護主義を回避したいという利益と投資受入国側の政府系ファンドによる投資にとも
なう懸念を解消しつつ、それらによる投資を維持したいという利益のバランスを図るため、
国際通貨基金(IMF)の傘下に政府系ファンド国際作業部会が設置された。その結果、特
にアラブ諸国のオイルマネー等の運用を担当する政府系ファンドが、2008 年、投資行動に
関する透明性確保、政治的考慮の排除 9 、民間企業との競争上の中立性(competitive
7 これらの事例の紹介として、柏木昇「国家安全保障と国際投資―国家安全保障概念の不確実性」
『日本国
際経済法学会年報』18 号(2009 年)59-63 頁。より最近の中国関連の事例として、CFIUS による異議を
受け、ファーウェイ(Huawei)が 3COM 買収を断念した事例(2008 年)及び同社が 3Leaf Systems の
売却を決定した事例(2011 年)を挙げることができる。
8 同上、67-70 頁。
9 政府系ファンドによる政治的考慮に基づく投資の具体例として、
中国の政府系ファンド中国投資有限責任
公司(CIC)及び国家外国為替管理局(SAFE)が、台湾との外交関係断絶の見返りとしてコスタリカ国債
4
neutrality)の確保等を遵守することを柱とする自主行動基準、いわゆる「サンチャゴ原則」
が策定公表された10。これと並行するように、同年、米国財務省がシンガポール及びアブダ
ビとの間で類似の政府系ファンド投資原則に関する合意を取り交わしている11。
(2) OECD における国有企業規律に向けた動き
ア 検討作業の経緯
OECD において競争中立性に関連する問題が検討対象として取り上げられたのは、国有
資産の民営化及びコーポレート・ガバナンスに関するワーキンググループ(OECD Working
Group on Privatisation and Corporate Governance of State-Owned Assets)が、主として
国有企業の民営化後のコーポレート・ガバナンスの確保という観点から、2005 年、
「国有企
業のコーポレート・ガバナンスに関するガイドライン」を公表し、その第 1 章で、
「国有企
業に関する法的及び規制上の枠組みは、国有企業と民間部門の会社の競争する市場におい
て、市場歪曲を避けるよう、公平な競技場(a level-playing field)を確保すべきである」
等とする原則を謳ったのが最初であると考えられる12。しかし、同ガイドラインは、あくま
でも「公平な競技場(level-playing field)」の確保の必要性を指摘しているだけで、競争中
立性(competitive neutrality)という概念は用いていない。同取り組みは、主に国有企業
の民営化をどう進めるかという、OECD の従来からの関心の延長線上にあったものと理解
可能である。
OECD において、明示的に競争中立性という用語を用いたのは、同競争委員会が公表し
た 2009 年の「国有企業及び競争中立性原理」と題する報告書が初めてである13。しかし、
同取り組みは、公共企業に関する検討の延長線上という位置付けがされており、たまたま
上記の 2005 年ガイドラインと接点が生じただけに過ぎないと理解することも可能である14。
なお、同報告書では、競争中立性枠組みの問題のすべてを扱うのに競争法は適していない
との言及がある15。
3 億ドル分を購入した事例(2008 年)が挙げられる。Bremmer, supra note 3, p.138. 中谷和弘「政府系フ
ァンドと国際法」秋月弘子・中谷和弘・西海真樹編『人類の道しるべとしての国際法(横田洋三先生古稀
記念論文集)』(国際書院、2011 年)(注 38)628 頁。
10 International Working Group for Sovereign Wealth Fund, Generally Accepted Principles and
Practices (GAPP) ―Santiago Principles, October 11, 2008. 本原則には、中国を含む 23 カ国が参加署名し
ている。中国に関しては、中国投資有限責任公司が、その規律対象とされている。Ibid., Appendix II.
11 Treasury Reaches Agreement on Principles for Sovereign Wealth Fund Investment with Singapore
and Abu Dhabi, March 20, 2008.
12 OECD, OECD Guidelines on Corporate Governance of State-owned Enterprises (2005).
13 OECD, State Owned Enterprises and the Principle of Competitive Neutrality, DAF/COMP (2009) 37.
14 競争委員会は、各加盟国の競争当局の代表者が参加し、競争法・政策に関する専門的な問題を扱うフォ
ーラムであり、例えば通商当局の代表者などは原則として参加しない。
15 OECD (2009), supra note 13, p.326.
5
2011 年以降、OECD における競争中立性枠組みに関する検討は、以下のように頻繁に報
告書、各国のプラクティスの取りまとめ及び勧告を公表するなど活発化しているように見
える。その大半は、2005 年ガイドラインの実施状況を確認する作業だが、さらに、勧告・
ガイドラインの策定にまで至っている。ただし、その中心的なフォーラムは、競争委員会
でなく、コーポレート・ガバナンス委員会の国有企業の民営化及び慣行に関する作業部会
(WG SOPP)に移動したように見える。
① OECD (2011a), Competitive Neutrality in the Presence of State Owned Enterprises:
Practices in Selected OECD Countries.
② OECD (2011b), Competitive Neutrality and State-Owned Enterprises: Challenges
and Policy Options.
③ OECD (2011c), Corporate Governance of State-Owned Enterprises: Change and
Reform in OECD Countries since 2005.
④ OECD (2012a), Competitive Neutrality: Maintaining a Level Playing Field between
Public and Private Business.
⑤ OECD (2012b), Competitive Neutrality: A Compendium of OECD Recommendations,
Guidelines and Best Practices.
⑥ OECD (2012c), Competitive Neutrality: National Practices.
しかし、2013 年には、WG SOPP でなく、貿易委員会作業部会名義で、国有企業に関す
る報告書が公表され、その内容は国有企業の貿易上の効果に焦点を当てている16。以上から、
OECD 内の各部門で異なる関心から国有企業の問題にアプローチしている現状が見て取れ
る。
イ
OECD ガイドライン及び報告書
上記の通り、2005 年、OECD は「国有企業のコーポレート・ガバナンスに関するガイド
ライン」を公表し、その第 1 章では、
「国有企業に関する法的及び規制上の枠組みは、国有
企業と民間部門の会社の競争する市場において、市場歪曲を避けるよう、公平な競技場(a
level-playing field)を確保すべきである」等とする原則を謳っていた17。さらに、これら
の原則を具体化するように、2011 年、
「競争上の中立性と国有企業」と題する報告書を公表
OECD, State-Owned Enterprises: Trade Effects and Policy Implications, OECD Trade Policy Paper
No. 147, TAD/TC/WP (2012)10/FINAL, March 22, 2013.
17 OECD (2005), supra note 12.
16
6
し、例えば、競争法ほかの法律の規制からの適用除外も競争上の中立性を損なう利益享受
の一パターンを構成する等と指摘している18。
さらに、2012 年に公表された本節(2)ア⑤の勧告内容を参照すると、オーストラリアが先
進的なモデルとして紹介されており、その中立性確保を求める分野も第 3 章で紹介するオ
ーストラリアのそれと酷似している。
① 商業的な収益率の達成(Achieving a commercial rate of return)
② 税制上の中立性(Tax neutrality)
③ 規制上の中立性(Regulatory neutrality)
④ 債務上の中立性及びあからさまな補助金(Debt neutrality and outright subsidies)
⑤ 政府調達(Public procurement)
ウ
OECD での検討作業と他の動きとの関係
OECD における国有企業と民間企業の間の競争中立性に関する取り組みは、上記のよう
に、国有企業の民営化を推進してきた延長線上にある作業である。しかし、米国等 TPP 交
渉で競争中立性の確保に向けた規律の導入に関心のある国から、当該 OECD における取り
組みに関心が集まったこともあり、OECD の報告書でも、非 OECD 諸国、新興国の国有企
業に対する懸念への言及が見られるようになり(本節(2)ア②報告の 31 頁)、貿易政策等の
観点から国有企業の問題にアプローチする動きも始まっている。
第 3 章で紹介するオーストラリアの取り組みと本節で紹介した OECD の取り組みは、後
者が前者を 1 つの先進的モデルとして紹介するという関係に立っている。しかし、OECD
の取り組みが、どの程度、TPP 等の貿易交渉を意識して進められているのか、今後、どの
ような影響を与えうるのかは OECD の文書それ自体からは明らかではない。
第2節
TPP 国有企業規律案の交渉過程
ここでは TPP 国有企業規律交渉において米国政府が国有企業規律案を提案するに至る経
緯と同交渉の現状について紹介する。
(1) 米国国内産業からの提案
TPP 交渉に向け、2011 年 2 月、全米サービス産業連盟(CSI)及び米国商工会議所が、
OECD, Competitive Neutrality and State-Owned Enterprises: Challenges and Policy Options, OECD
Corporate Governance Working Papers, No.1 (2011). See also OECD, Competitive Neutrality:
Maintaining a Level Playing Field between Public and Private Business (2012).
18
7
上記第 1 節(2)で紹介した OECD における国有企業に関する競争上の中立性枠組み等を土台
とする規律を提案した19。その背景には、国有企業が本国政府による優遇措置がもたらす競
争上の優位を利用して、本国市場だけでなく、第三国市場や米国市場においても成長しつ
つある一方で、こうした競争歪曲の問題に既存の国際経済法が実効的な規律を設けていな
いとの認識がある。本提案は具体的には、国有企業及び国家支援企業(State-Sponsored
Enterprises)に関する透明性確保、民間企業との競争上の中立性確保、競争法制定・執行
義務、適用除外禁止、独占的資産又は市場地位の濫用行為の禁止等の義務付けを盛り込ん
でいる。
(2) 米国政府の提案
この国内からの提案を受け、米国政府は、2011 年 10 月、TPP 第 10 回ラウンド(ペルー・
リマ)において国有企業等に対する規律の強化を求める提案を行った20。米国案はいまだ公
表もリークもされていないため詳細は明らかではない。しかし、各種報道を総合すれば、
本提案は、2011 年 2 月の国内産業からの上記提案を土台に、国有企業に対する透明性義務
及び国有企業等が、TPP によって与えられた市場アクセスを無効化又は侵害するような優
位を持たないよう確保する拘束的な義務を盛り込んでいる一方で、国有企業の民営化義務
は含んでいない21。また、連邦レベルの国有企業のみを対象としており、地方レベルの国有
企業を規律対象外とする22。
よって、米国案は、関税及び貿易に関する一般協定(以下「GATT」という。)23 条 1
項の「無効化又は侵害」を理由とする非違反申立事案(non-violation case)や補助金協定
第 3 部(対抗可能補助金に対する規律)を規律モデルとして参照していると考えられる。
2012 年 5 月の TPP 第 12 回ラウンド(米国・ダラス)の前に、米国は損害テスト(harm test.
政府からの資金面での貢献がどの程度の損害を民間部門に引き起こせば、TPP 規律の適用
があるかに関するベンチマークを設定)について従来の提案の欠缺を埋める提案を行った。
同損害テストを満たせば、問題の政府は資金面での貢献を停止し、国有企業等は既払いの
資金面での貢献を返却することが、それぞれ義務付けられるとされる23。
しかし、2011 年 8 月の内示段階で、すでにベトナム等が米国案に対し強く反発している
19 Coalition of Services Industries & U.S. Chamber of Commerce’s Global Regulatory Cooperation
Project, State-Owned Enterprises: Correcting a 21st Century Market Distortion, February 22, 2011.
20 「TPP 参加判断
『早期に』」日本経済新聞 2011 年 10 月 27 日夕刊 2 面。
21 U.S. Hopeful TPP Countries Will Begin Real SOE Negotiations at Next Round, Inside U.S. Trade,
March 28, 2013, pp.1, 8.
22 Australia Eyes Enforceable SOE Rules that Extend to Sub-Central Level, Inside U.S. Trade, March
15, 2013, p.8.
23 U.S. SOE Proposal Raises Ire of Singapore State-Owned Investment Firm, Inside US-China Trade,
May 16, 2012, p.6.
8
と報道され24、難航が予想されていたところ、2012 年 5 月、シンガポール政府系ファンド
であるテマセック(Temasek)もこの提案に警戒感を示した25。しかし、同月段階では、同
交渉はいまだ予備的段階にあり、提案を各国により理解してもらえるよう米国が質問に回
答する形で努力中であると報道された26。
2012 年中は、米国案をめぐって実質的な交渉が行われなかった模様であり、2012 年 12
月オークランド・ラウンドにおいて、オーストラリアから代替案の提出があったとの報道
があったのみである。2013 年に入ると、米国が TPP 交渉における参加各国からの強い抵抗
に直面して多正面戦略に移行したことを示唆する報道が見られるようになった。
(3) オーストラリア政府の提案
米国案に対し、オーストラリアはしばらく積極的な姿勢を示してこなかったが、2012 年
12 月のオークランド・ラウンドにおいて初めて国有企業規律に関する提案を行ったとされ
る。その詳細は不明も国有企業に関する非拘束的原則を提案したと報道されている27。しか
し、翌 2013 年 3 月のシンガポール・ラウンドにおいて同国の首席交渉官は、一転、「地方
レベルもカバーし拘束的な規律」を想定しているとの立場を明らかとした28。オーストラリ
アは、同年 5 月のリマ・ラウンド前になり、国内の競争中立性規律の国際化を内々に示唆
したと報道される29。これは、国内苦情処理を完了後に初めて国際紛争手続の開始を可能と
する案であったとされ30、実際にリマ・ラウンドにおいて、同国から正式な提案がなされた
31。オーストラリアは、2012
年末から 2013 年前半にかけて国有企業規律に対し従来よりも
積極的な姿勢を示すに至ったが、従来、消極的な姿勢を維持してきたのは、同国にとって
の重要関心事項である農産品の輸出補助金ルールをめぐって、国有企業規律を米国に対す
る交渉材料として意識していたためであるとされる32。
オーストラリア案に対し、米国国内産業は「同案は機能しない」と強い反発をもって反
応した。その理由として、以下のようないくつかの点が指摘されている。
24 USTR: U.S. Facing Resistance on TPP SOE Proposal from Other Countries, Inside U.S. Trade,
August 26, 2011, p.3.
25 U.S. SOE Proposal, supra note 23, pp.1, 5-6.
26 Ibid., p.6.
27 TPP Countries Signal New Proposals to Counter U.S. SOE, IPR Demands, Inside U.S. Trade, Special
Report: The Auckland TPP Negotiations, December 12, 2012, p.1.
28 Australia Eyes Enforceable SOE Rules that Extend to Sub-Central Level, supra note 22, p.8.
29 Business Groups Wary of Australian Approach on SOE Disciplines in TPP, Inside U.S. Trade, May 24,
2013, pp.1, 20-21.
30 Ibid., p.20.
31 Australia Tables Alternative SOE Proposal at Peru TPP Negotiating Round, Inside U.S. Trade, June
7, 2013, p.11.
32 TPP Countries Signal New Proposals to Counter U.S. SOE, IPR Demands, supra note 27, p.1.
9
・金銭的補償を政府に支払うだけで、反競争的行為の問題に対処がなされない。
・支払われた金銭が政府から国有企業に戻るだけのシステムである。
・市場アクセス優遇や規制上の優遇をどう金銭化することができるのか疑問が残る。
・苦情申立者に何らの補償もないため根本的解決にならない。
・オーストラリア国内でも競争問題の処理に有効でなかった。
・便益がコストを下回る場合は適用しないとの基準が存在する。
・NBN 事件(第 3 章で後述)において地域ネットワーク敷設義務を重視し制裁が回避さ
れた33。
以上の批判論を総括するように、米国ヘリテージ財団において国有企業規律の問題を長
らく研究してきているデレク・シザーズ(Derek Scissors)は、オーストラリア型や OECD
型の規律を挙げて、「古い競争中立性規律は受け入れ不可能である」と結論付けている34。
2013 年 7 月、オーストラリア会合で一旦、米国案とオーストラリア案が併記される形の
統合テキストが作成された模様だが35、同年 7 月のコタキナバル・ラウンドにおいては、同
統合テキストに基づき交渉が行われた。そこでは、米豪が歩み寄りを見せ、結果として、
オーストラリアは自国の提案を取り下げる形に落ち着いたとされる36。
(4) 他の TPP 交渉参加各国の反応
以下では米豪以外の TPP 交渉参加国の立場を見てみよう。まず、政府系巨大ファンドテ
マセックを抱えるシンガポールは、国有か否かで規律を加えるのでなく反競争的行為があ
るか否かで規律を加えるべきとの立場であり、国有か否かという所有の観点でなく会社決
定に対する政府の影響力、取締役会に対する政府コントロールを基準とすべきとの考えを
示した一方で37、同国は地方レベルの政府がないため、地方政府保有企業に対する規律の適
用については前向きな姿勢であるとされる38。他方、国有企業に対する透明性確保の義務付
けについては反対の立場であるとされる39。
Business Groups, supra note 29, p.21.
Derek Scissors, “Why the Trans-Pacific Partnership Must Enhance Competitive Neutrality,” The
Heritage Foundation Backgrounder, No.2809, June 6, 2013.
35 TPP SOE Talks Move Forward with Tabling of Consolidated Text, Inside U.S. Trade, July 26, 2013,
pp.8-9.
36 U.S., Australia Narrow Differences on SOEs, But Challenges Still Remain, Inside U.S. Trade,
August 9, 2013, pp.3-4.
37 TPP Countries Face Challenges on SOEs, Including Focus on Ownership, Inside U.S. Trade, March
15, 2013, p.7; Australia Eyes Enforceable SOE Rules that Extend to Sub-Central Level, supra note 22,
p.8.
38 Australia Eyes Enforceable SOE Rules that Extend to Sub-Central Level, supra note 22, p.8.
39 U.S., Australia Narrow Differences on SOEs, But Challenges Still Remain, supra note 36, p.4.
33
34
10
ベトナムは、2013 年 6 月段階で、繊維市場開放と引き換えに、かつ長期の経過期間の設
定と技術支援等を条件に米国案を受け入れたとの報道もあったが40、後日、大使館から上記
の立場は「個人的意見」にすぎないとの訂正が行われた一幕があった。同年 7 月のベトナ
ム大統領の訪米時に国有企業規律案を受け入れたといった観測が、同年 8 月段階でもなさ
れた。同国は国有企業改革の必要性を認識しているとされる41。しかし、2014 年以降の同
国の交渉姿勢(後述第 3 節)は、繊維市場開放と引き換えの交渉材料との理解を超えた強
い抵抗を示している。
マレーシアは国有企業規律案に対し一貫して強硬姿勢を崩さず、2013 年末段階で、TPP
交渉全体の「ディール・ブレイカー」として注目を集めるようになった。たとえば、同時
期の報道を見ると、「マレーシアでは、この問題に絡み TPP 離脱論まで浮上。ナジブ首相
の後ろ盾であるマハティール元首相も公然と反対論を展開しており、改革案をそのままの
むのは難しい。同国の高官は『米国の主張との隔たりは大きく、近く溝が埋まるとは考え
ていない』と話す。」42、「マレーシアなどは米が強く求める国有企業改革に反発。交渉離
脱も辞さない強硬姿勢だ。米産業界からはマレーシアの脱退容認論まで出ている。」43とい
ったものが多く見られた。その強硬姿勢の背景事情として、上場企業の 68%が国有企業で
あり、政治家の利権に深くかかわっているとの説明がなされる44。同時に、同国の国有企業
はマレー系国民を雇用などの面で優遇する、いわゆるブミプトラ政策の実施の上でも重要
な存在であり、同国の政治経済上、極めてセンシティブな領域であるとも指摘される45。し
かし、2013 年 12 月中旬には、ペルーとならんでマレーシアも交渉に参加したと報道され、
若干の姿勢の軟化も見られた46。
最後に日本は、2013 年 8 月段階では交渉ポジションが未定であると認識されていた。し
かし、日本の抱える最大の国有企業である日本郵政の保険サービスをめぐる問題が日米間
の合意によってクリアになったことを受け47、その交渉姿勢が積極化したと報道される48。
40 Official: Vietnam Ready to Accept All TPP Chapters Except Market Access, Inside U.S. Trade, June
20, 2013, p.5 and Clarification to this article.
41 U.S., Australia Narrow Differences on SOEs, But Challenges Still Remain, supra note 36, p.4.
42 「TPP 年内合意なお薄氷」日本経済新聞 2013 年 12 月 8 日朝刊 3 面。
43 「TPP 交渉
越年濃厚に」日本経済新聞 2013 年 12 月 10 日朝刊 3 面。
44 Malaysia Softens Its Position on SOEs, Tobacco Carveout Language, Inside U.S. Trade, December 13,
2013, pp.10-11.
45 筆者によるマレーシア人研究者、日本人ジャーナリストらに対する聞き取り調査(2015 年 3 月)
。この
点は、「国営企業改革応じず TPP 巡りマレーシア貿易産業相」日本経済新聞 2015 年 1 月 23 日朝刊 7 面
の「国営企業が・・・格差の縮小にも必要だ」との発言にもにじみ出ている。
46 Leaked Documents Claim to Reveal Details of TPP Talks, Country Positions, Inside U.S. Trade,
December 13, 2013, pp.11-12.
47 「TPP 事前協議
最終合意」日本経済新聞 2013 年 4 月 12 日夕刊 1 頁。日米政府間では、日本郵政傘
下のかんぽ保険による新商品の申請に係る認可を凍結することが合意されたと報じられているほか、同年
7 月、日本郵政と米アフラック間でがん保険を共同開発する旨合意された。
「郵政アフラック提携」日本経
済新聞 2013 年 7 月 25 日朝刊 1 面。
11
第3節
国有企業規律の成立見込み
2013 年 12 月 9 日にリークされた「TPP ソルト・レイク・シティ交渉後の交渉の現状」
文書によれば49、交渉があまりにも熟しておらず、12 月シンガポール・ラウンドでの合意
は困難との見通しが得られたが、実際にもその通りとなった。そこでは各交渉参加国に対
する 3 つの質問事項として、地方レベル、補助金又は競争上の優位、及び例外又は適用範
囲の制限の取り扱いが挙げられている。同日にリークされた別の文書によれば、第 1 点は、
地方レベルを規律の対象に含めるかどうかについてであり、ニュージーランド、チリ、シ
ンガポール、ブルネイ、日本の 5 ヶ国が受諾、豪米墨加の 4 ヵ国が拒絶、ペルー、マレー
シア、ベトナムの 3 ヶ国が留保との立場である50。
交渉参加国全体を見渡すと、国有企業規律を支持する国として、ニュージーランド、カ
ナダ、メキシコが挙げられ、他方、同規律に抵抗を示している国として、シンガポール、
マレーシア、ベトナムを挙げることができる。なお、同交渉にほとんど関与していない国
として、ペルー、チリがある51。
2013 年末に TPP 交渉全体のディール・ブレイカーとして注目を浴びた国有企業規律交渉
は、2014 年に入り慌ただしい動きを見せた。まず、TPP 交渉全体の動きとして、2014 年 2
月 20 日段階で、29 ある TPP 章のうち、8 章について最終文案化が済んだとされる。その 8
章とは、開発、規制の一貫性、競争力とビジネス円滑化、中小企業、一時的入国、協力と
キャパシティビルディング、行政上及び組織上の取決め及び国有企業関連を除く競争章で
ある52。よって、2014 年 2 月段階で、国有企業規律は最終合意が得られておらず、いまだ
交渉中のテーマの 1 つとして残された。
しかし、同じ 2014 年 2 月段階で、TPP 交渉参加国間で国有企業規律案について重要な合
意が形成された模様である。それは、国有企業が各国の国内市場においてサービス提供を
行う場合は、各国は補助を与えてもよいという合意である(以下「国内サービス適用除外」
という。)。これは国有企業規律の対象から、国内市場におけるサービス提供に関する補助
U.S., Australia Narrow Differences on SOEs, But Challenges Still Remain, supra note 36, p.4.
TPP State of Play after Salt Lake City 19-24 November 2013 Round of Negotiations, p.3, available at:
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/11/tpp-secret_n_4423221.html.
50 TPP: Country Positions (November 6, 2013), available at World Trade Online.
51 U.S., Australia Narrow Differences on SOEs, But Challenges Still Remain, supra note 36, p.4.
52 Malaysia Flags Major TPP Outstanding Issues, Says U.S. Needs TPA To Close, Inside U.S. Trade,
February 28, 2014, p.12. 2015 年 4 月 2 日時点でのマレーシア通商産業省の資料によれば、
同 8 章に加え、
電気通信と税関行政の2つの章についても最終文案化がなされただけでなく、貿易救済、紛争解決を含む
10 章においてほぼ交渉が終了したが、知的財産、環境、国有企業、物品、繊維、原産地規則、金融サービ
ス及び例外の 8 章について、さらなる作業が必要であると分類されている。Ministry of International
Trade and Industry, Malaysian, TPP Town Hall, April 2, 2015, pp.9-11, available at:
http://www.miti.gov.my/storage/documents/065/com.tms.cms.document.Document_9bb0617c-c0a8156f
-34330fb9-37a3988d/1/TPPA%20Workshop%20-%20For%20MITI%20Portal.pdf.
48
49
12
及び優遇措置を除外することになるが、それは逆に、国内市場における物の提供に関する
補助及び優遇措置並びに TPP 加盟国及び第三国の市場におけるサービス提供に関する補助
及び優遇措置に対しては、国有企業規律が及ぶことを意味する53。国内サービス適用除外に
は、例えば、金融、電気通信、保健、教育、宅配及び流通の各サービスが含まれる54。
上記の国内サービス適用除外に関する原則合意とどのような関係に立つのか必ずしも明
らかではないが、2014 年 7 月以降、
国有企業規律に対し強い抵抗を示してきたマレーシア、
ブルネイ及びベトナムからカーブアウトリスト(適用除外を受ける国有企業のリスト)が
相次いで提出されている。まず 7 月のオタワ・ラウンドにおいてマレーシア及びブルネイ
から適用除外国有企業リストが提出され、9 月のハノイ・ラウンドではベトナムから膨大な
数の適用除外国有企業リストの提出があったとされる55。10 月のオタワ・ラウンドでは、
国有企業を適用対象から除外する例外を規律するルールについて検討がなされた。そこで
の争点として、以下の 3 つが挙げられている56。
① ネガティブ・リストか、ポジティブ・リストか
② 国有企業を会社ごとに特定するのか、分野ごとに特定するのか
③ 他の TPP 加盟国の民間企業に対する悪影響を及ぼすような利益を国有企業に供与し
ないとの中核的な義務からの適用除外か、透明性確保義務等の複数の義務からの適用
除外か
上記の経緯によれば、2014 年に入り、国内サービス適用除外が合意されただけでなく、
適用除外したい国有企業のリストを提出する作業を進めることが合意されたことが分かる。
適用除外したい国有企業のリストを提出する手順は、国有企業規律案に対しベトナムやマ
レーシアなどが反発し議論が紛糾している事態を打開するために導入されたといわれてい
る57。しかし、その適用除外の方式や法的効果といった詳細については、2014 年中には合
意が得られていない模様である。また、適用除外国有企業リストが、国内サービス適用除
外を受ける企業のリストを意味するのか、国内サービス提供時以外も含めすべての場面に
おいて適用除外を受けることを意味するのかも上記経緯からはいまだ不明である。しかし、
U.S., Other TPP Countries Agree To Narrow Scope Of SOE Chapter, Inside U.S. Trade, February 28,
2014, p.1.
54 Ibid., p.2.
55 TPP Countries Face Vietnamese Demand For Extensive SOE Exceptions, Inside U.S. Trade,
September 12, 2014, pp.1-2.
56 TPP Ministers Give Guidance On SOE Exceptions, Discuss Other Rules Issues, Inside U.S. Trade,
October 31, 2014, p.10.
57 「例外リストを提出 TPP 国有企業改革で新興国」日本経済新聞 2014 年 7 月 10 日朝刊 4 頁。
53
13
こうした適用除外に関する議論が進められている現状は、すでに米国がベトナム、マレー
シアなどからの強い抵抗を受け、すべての国有企業に対し原則を貫徹することを諦め、適
用除外を許容する柔軟な姿勢に転換し、いわば「実を捨て、名を残す」戦略に変わったこ
とを示唆する。しかし、そうした戦略転換がはたして、国有企業規律の導入を当初推進し
た米国国内産業ら利害関係者からすでに承認を得たものなのかどうかは報道から明らかで
はない。
こうした国有企業規律交渉をめぐる動きと呼応するように、2015 年に入り、TPP 交渉の
早期妥結に向けた動きが、例えば日米の二国間交渉、TPP 交渉全体及び米国議会における
いわゆる貿易促進権限(TPA)法案審議のいずれにおいても活発化している。あるいは 2015
年中に合意が成立する可能性もある。
第3章
オーストラリアにおける競争中立性規律の発展
第1節
成立の背景
オーストラリアは、歴史的にも、また憲法上も各州及び特別地域(states and territories)
の独自性の強い連邦国家である。そのことを示す 1 つの象徴的なエピソードとして、列車
のゲージに関し、いわゆる標準化(standardization)がされてこなかったため、ゲージが
州毎に異なり、3 つのゲージが共存するため、州と州の間で列車輸送する際には、州境で積
み荷の積み替えを行わなければならない時期が長く続いた58。連邦政府レベルにおいて、こ
れが問題視され、1921 年にようやく統一的なゲージが採択されたものの、それが実際に採
用され始めたのが 1930 年代に入ってからであり、メルボルンとシドニーの属するニューサ
ウスウェールズ州が統一ゲージで連結されたのは 1962 年、メルボルン・アデレイド間が統
一ゲージで連結されたのは、さらに遅れて 1995 年である、という歴史がある。この列車ゲ
ージの標準化のエピソード以外にも、各州及び特別地域それぞれが公益事業会社を運営し
ていたために統一的な全国市場の形成を妨げる結果となっていたという事例は多数に及ぶ。
経済活動に関する規制についても、憲法上、連邦議会の立法権限は特定の分野に限定さ
れ、残余の権限は州議会に与えられている。現行のオーストラリア競争・消費者法
(Competition and Consumer Act 2010)の前身である 1974 年取引慣行法(Trade
Practices Act 1974)についても、その立法は会社及び商取引に関する連邦政府の立法権限
に基づいており、結果として、会社ではない組織、例えば、政府機関、パートナーシップ、
組合、個人等、商取引に従事しない者は、取引慣行法の規制対象から外れていた59。さらに、
History of Rail in Australia, available at: http://www.infrastructure.gov.au/rail/trains/history.aspx.
Deborah Healey, Competition Law in Australia: Implementing Competitive Neutrality to
Government Businesses, Presented to Intergovernmental Group of Experts on Competition Law and
58
59
14
各州及び特別地域は、自己の管轄内で、特定の行為及び団体を取引慣行法の適用除外とす
る立法を行うことが認められていた。その結果、各州及び特別地域は、域内の産業及び企
業を優遇するという反競争的又は保護主義的な目的で、そうした立法を行ってきた60。最後
に、コモン・ロー上の法理論である国家免除理論(The doctrine of the Shield of the Crown)
が行政府の一部である各州及び特別地域の機関に対し、取引慣行法からの適用除外を与え
ており、これが同法の適用範囲を著しく限定していた61。
このような状況に対する反省に基づき、真の意味での全国市場の創設とより広範な競争
政策枠組みの実施を目的に、キーティング労働党政権下の 1992 年62、連邦政府及び各州・
特別地域の合意の下、オーストラリア競争政策の大規模な見直しが行われた。このような
見直しが行われた背景には、効率性の改善、生産性の向上及び技術革新の促進のため、資
源の最大利用が必要であるという強い認識があった63。当該見直しの成果として、1993 年
に公表された「全豪競争政策に関する独立調査委員会報告書」、通称「ヒルマー報告書
(Hilmer Report)」は64、競争政策は取引慣行のみならず、多くの法律を包摂しなければ
ならないことを強調し、必要な競争政策の改革は、以下の 6 つの懸念に対処しなければな
らないと指摘した。
① 企業による反競争的慣行
② 規制による不当な競争制限
③ 公的独占による不適切な構造
④ 実効的な競争のために不可欠な施設へのアクセス拒否
⑤ 独占的価格設定
⑥ 政府企業が民間企業と競争する際の競争中立性(competitive neutrality)
Policy, UNCTAD, Geneva, July 7-9, 2009, pp.2-3.
60 Ibid., p.3.
61 Ibid. See also Alex Bruce, Australian Competition Law, 2nd Ed. (LexisNexisButterworths, 2013),
pp.93-95.
62 当時、オーストラリアは労働党キーティング首相が率いる政権であったが、競争政策の見直しは、必ず
しも彼一人のリーダーシップによるものとはいえず、同党のホーク前首相から引き継いだものであるとの
ことである。筆者による Deborah Healey 氏(ニューサウスウェールズ大学上級講師)に対する聞き取り
調査(2013 年 2 月 21 日)。
63 このような見直しに対しては、当然、各州及び特別地域からの抵抗が予想されるが、当時の各州の政治
的指導者の間には、各州市場が分断された現状では効率性の改善及び生産性の向上にマイナスであるとの
強い危機意識が共有されていたとされる。筆者による Deborah Healey 氏(ニューサウスウェールズ大学
上級講師)に対する聞き取り調査(2013 年 2 月 21 日)。
64 Report by the Independent Committee of Inquiry into National Competition Policy, 1993, AGPS,
Canberra (hereinafter referred to as the “Hilmer Report”). 同委員会委員長を務め同報告書の名前の由来
となっているフレッド・ヒルマー氏は、オーストラリアにおける著名な経済学者であり、現在、ニューサ
ウスウェールズ大学学長を務めている。
15
当該勧告を受け、1995 年、全豪競争政策(National Competition Policy)に関する連邦
政府及び 6 州・2 特別地域間の協定が合意され65、同政策の実施を補助する機関として、全
豪競争理事会(National Competition Council)が設置されたと同時に、かつ各政府レベル
で同政策が実施に移された。具体的には、上記①の問題に対処するために、取引慣行法の
改正が行われ、取引慣行委員会のオーストラリア競争・消費者委員会(Australian
Competition and Consumer Commission)への改組が行われたほか、②の問題に対処する
ため、大規模かつ詳細な規制の競争評価が開始され、結果として合計 1,800 本以上の規制影
響分析(Regulatory Impact Analysis)が実施され、1997 年には規制影響分析報告書
(Regulatory Impact Statement: RIS)の制度として確立された66。さらに、⑥の問題に対
処するため、以下で詳述する競争中立性枠組み(Competitive Neutrality Frameworks)が
導入された。③、④及び⑤のその後は、主に取引慣行法の改正という形で対処された。
ヒルマー報告書は、⑥の競争中立性の問題をめぐって、連邦議会において、政府機関に
対してコモン・ロー上の国家免除理論(The doctrine of the Shield of the Crown)の適用
を継続すべきか疑問が提起されている事実を紹介し67、とりわけ多くの政府所有企業が商業
志向を強めていることに照らすと、政府及び同機関に対し取引慣行法の適用除外を認めて
きた上述の国家免除理論に明白な公益上の正当理由を見出すことは困難であると結論し68、
同理論の適用の廃止、つまりは政府企業の反競争的慣行に対する取引慣行法による事後的
規制の導入を勧告した69。これを受け、1995 年競争政策改革法(Competition Policy Reform
Act 1995)は、取引慣行法 2 条 B を追加することで、州政府及びその機関が「事業に従事
する限り(so far as the Crown carries on a business)」同法の適用を受けることを明記し
た70。
しかし、同報告書は、上記の改革だけでは政府事業(Government businesses)にともな
う潜在的な競争歪曲の問題の対処として十分ではないとして、政府企業が政府所有故にし
ばしば享受している優位の例として、各種税負担の免除、各種規制の免除、政府からの暗
65 See e.g., Competition Principles Agreement; Conduct Code Agreement; Agreement to Implement
National Competition Policy and Related Reforms.
66 総務省行政評価局(委託先:三菱 UFJ リサーチ&コンサルティング株式会社)
「OECD 及び諸外国にお
ける競争評価に関する調査研究 ―報告書―」(2009 年)1 及び 48 頁、available at:
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/seisaku_n/pdf/0803_1.pdf。
67 Hilmer Report, supra note 64, pp.295-296.
68 Ibid., p.116.
69 Ibid., p.117.
70 John Duns and Arlen Duke, Competition Law: Cases & Materials, 3rd Ed. (LexisNexis Butterworths,
2011), p.3. なお、連邦政府については、1977 年の取引慣行法改正により 2 条 A が追加され、「事業に従事
する限り」同法の適用を受ける旨、既に規定されていた。Bruce, supra note 61, pp.92-93. 他方、各州及
び特別地域の地方政府法によって設立された地方政府(郡政府等)については、2006 年取引慣行改正法に
よって、同様な条件の下、同法の適用を受ける旨規定された(同法 2 条 BA)。Bruce, supra note 61, p.100.
16
黙の債務保証、優遇的な金利での融資、資産に対し商業的収益率を達成する義務の免除及
び破産からの実質的免除を挙げている71。これらが政府企業に競争上の純優位(net
competitive advantages)を与えている場合、より効率性の高い又は同等に効率的な民間企
業よりも低い価格を設定することが可能となり、これは資源配分を歪曲し、経済効率と社
会厚生を損なうこととなると指摘した72。その際、同報告書は、民間企業等からの意見書の
多くにおいて、政府企業による競争市場への参加から生じる競争中立性に関する懸念が提
起されたことも紹介している73。そうした懸念を惹起する 1 つのシナリオは、伝統的に政府
企業等の独占とされていた市場が民間企業に開放された場合である。例えば、道路等建設
サービス、プロジェクト設計サービス等の独占市場の自由化にともなう競争中立性確保が
不十分であると指摘された74。もう 1 つのシナリオは、政府企業等が伝統的な独占市場以外
の市場に新規参入する場合である。例えば、判例紹介サービス、印刷業、オーディオビジ
ュアル製品製作、債務登録サービスが具体例として挙げられている75。
同報告書は、競争中立性に関する懸念に対処する方法として、民営化(privatisation)又
は会社化(corporatisation)の選択肢に加え、政府企業に対する税の適用や全コストを反
映した価格設定を求めるルールが、民営化が実務的に不可能である場合に代替策として有
効であると指摘し、こうした対策を全豪で整合的かつ協調的に、全豪競争政策の一部とし
て実施する必要性を強調した76。
政府事業が、民間企業との比較において、その所有関係から競争上の優位を享受すると
いう歪曲に対処する政策を「競争中立性」の措置と名付けたのは、世界的に見ても、おそ
らくヒルマー報告書が初めてであると思われる。同報告書は、興味深いことに、競争中立
性に関する国際的な先行事例として、EC における国家補助(State Aid)規律並びに GATT16
条及び同コードによる補助金規律を挙げている77。しかしながら、同報告書では、これらの
規律の内容を詳しく紹介しているわけではなく、かつ、その勧告の内容に照らせば、それ
らのいずれかを全面的に参照したという経緯は必ずしも窺われない。むしろ、オーストラ
リアの連邦制度を前提とした独自の規律を提言したと見た方が妥当であろう。
第2節
実施規定
Hilmer Report, supra note 64, p.296.
Ibid., p.297.
73 Ibid., pp.297-298.
74 Ibid., p.298.
75 Ibid., p.299.
76 Ibid., pp.299-303.
77 Ibid., p.294, note 3.
71
72
17
競争中立性に関するヒルマー報告書を受け、前節で紹介した 1995 年の連邦及び 6 州・2
特別地域間の協定のうち、「競争原則に関する協定」は、競争中立性に関する基本原則を
規定した。同協定 3 条 1 項は、「競争中立性政策の目的は、重要な事業活動に従事する機
関の公的所有から発生する資源配分の歪曲の除去である。政府事業(Government
businesses)は、公的所有であるとの帰結のみから、いかなる競争上の純優位も享受しては
ならない。」と規定している。同条 4 項は、より具体的に、当事者は、政府事業を、適切
な場合は会社化(corporatisation)し、かつ、それに対し、①完全なる税、②政府保証に
より与えられる競争優位を相殺するための債務保証手数料、及び③民間部門の事業者が通
常適用される環境保護、計画承認手続等の規制を課する、と規定する。ただし、同条 6 項
は、この原則は、実施により実現される便益がそのコストを上回る範囲で実施が求められ
「協
ると規定しており、各政府には大きな柔軟性が与えられている78。同様に、同条 2 項は、
定の各当事者は、競争中立性原則の実施のため、自分自身の計画を決定することができる。」
と実施における自主性・独立性を強調している。しかし、その一方で、同条 7 項は、「各
当事者は 1996 年 6 月までに競争中立性に関する政策ステートメントを公表する。そこには
実施に向けた工程表と苦情処理メカニズムを含める。」とも規定し、同条 10 項は、同原則
の実地状況に関する年次報告の公表を要求している。さらに、同時に締結された「全豪競
争政策の実施及び関連改革に関する協定」において、競争中立性を含む全豪競争政策の各
地方政府における実施を条件に連邦政府から地方政府に対する財政移転(Competition
Payments)が確約された7980。
これらの政府間協定を受け、連邦政府レベルでは、1996 年に競争中立性政策ステートメ
ント(Competitive Neutrality Policy Statement)が制定公表され81、これをより具体化す
る形で、政府企業経営者向けの競争中立性ガイドライン(CN Guidelines for managers. た
78 ただし、連邦レベルでは通常、便益がコストを上回ると推定されている。Australian Government
Treasury and Department of Finance and Administration, Australian Government Competitive
Neutrality Guidelines for Managers, Financial Management Guidelines No. 9, February 2004
(hereinafter referred to as CN Guidelines), p.14.
79 1997~2006 年の期間で、総額 57 億豪ドルの財政移転が行われた。Productivity Commission, Review of
National Competition Policy Reforms, Report No. 33, 2005, p.29. 違反行為に対する制裁として、実際に
支払が延期等された例がある。Ibid., pp.30-33.
80 全国競争政策の実施は、各地方政府の権限の縮小や地方保護主義的措置の採用に対する制約をともなう
ものであり、それに対しては、当然、各州及び特別地域からの抵抗が予想される。しかし、注 63 で紹介し
た、当時の各地方の政治的指導者の間で共有されていた生産性にとってマイナスという強い危機意識に加
え、本文で紹介した連邦政府から地方政府に対する財政的インセンティブの供与が連邦及び地方政府間に
おける合意を形成する上で、大きな要因となっていたと考えられる。筆者による Deborah Healey 氏(ニ
ューサウスウェールズ大学上級講師)、財務省・財務規制緩和省担当官及び Daniel Moulis 弁護士に対する
聞き取り調査(2013 年 2 月 21 日、25 日及び 26 日)。この点は、全豪競争理事会の報告書も当該インセン
ティブ(及び制裁の可能性)が全豪競争政策の成功の重要な貢献要因であると認めている。Productivity
Commission, supra note 79, p.30.
81 Commonwealth Competitive Neutrality Policy Statement, June 1996.
18
だし現行は 2004 年改訂版)が制定公表されている82。各地方政府レベルでも、対応する政
策ステートメント及びガイドラインが導入及び制定されている83。さらに、競争中立性規律
の実施における細かい論点について、苦情処理室によるリサーチ・ペーパーがいくつか公
表されている84。
このように競争中立性規律の実施のための規定は、政府間協定、政策ステートメントと
いった形で作成されており、法令という形を採用していない。しかし、その実施は次節及
び第 4 節に見るようにきわめて厳格かつ制度化されている。
第3節
実施体制
連邦政府レベルの実施体制の中心は、財務省(Treasury)及び財務・規制緩和省
(Department of Finance and Deregulation. DFD)である(写真 1 及び 2 参照)。オース
トラリアにおいては、前者は主に歳入管理を所管するのに対し、後者は歳出管理を所管す
るという分業がされている85。しかし、競争中立性枠組みにおける両省の分業は必ずしも明
瞭ではなく、協働体制で実施されているようである。財務省では市場グループ競争政策ユ
ニットが、財務・規制緩和省では資源管理部門がそれぞれ競争中立性枠組みの実施を担当
している。しかし、両省は政府企業を管理する政府各部門に対し指針を提示し、その実施
を監督する立場であり、その意味では競争中立性枠組みの実施は連邦政府全体の責任と考
えることができる。
写真 1 オーストラリア財務省
写真 2 オーストラリア財務・規制緩和省
CN Guidelines, supra note 78.
See e.g., Government of Western Australia, Policy Statement of Competitive Neutrality, June 1996.
84 See e.g., Commonwealth Competitive Neutrality Complaints Office, Rate of Return Issues, CCNCO
82
83
Research Paper, December 1998, available at:
http://www.pc.gov.au/research/completed/rate-of-return/cnror.pdf,
and Cost Allocation and Pricing, CCNCO Research Paper, October 1998, available at:
http://www.pc.gov.au/research/completed/cost-allocation-pricing/costallo.pdf.
85 筆者による両省担当官に対する聞き取り調査(2013 年 2 月 25 日)
。
19
地方政府レベルでも、各州等の財務省等が中心となって実施体制を構築している。例え
ば、ビクトリア州においては、財務省(Department of Treasury and Finance)が実施の
監督をするとともに、その補助機関としてビクトリア競争及び効率性委員会(Victorian
Competition and Efficiency Commission)が州内の地方政府に対するアドバス等を行って
いる。
これら連邦及び地方レベルの競争中立性規律を含む全豪競争政策の実施を監視する枠組
みとして、独立理事会である全豪競争理事会(National Competition Council)が設置され、
10 年間にわたり実施状況に関する報告書を作成公表するとともに86、実施に問題がある場
合には経済制裁を勧告する権限が与えられている87。さらに、競争原則協定 3 条 7 項及びそ
れを実施するための競争中立性政策ステートメントを受け、独立委員会である生産性委員
会(Productivity Commission. 写真 3)に、連邦レベルの競争中立性規律違反などに関す
る苦情処理組織が置かれている88。各州及び地方政府にも、これと同様の苦情処理組織が設
置されている89。オーストラリア政府競争中立性苦情処理室は、生産性委員会における独立
組織と位置付けられており、通常時は苦情の受付を担当する担当官が 2 名配置されている
だけであり90、実際に苦情が提起された場合は、アドホックの調査チームを設置し、当該苦
情を調査処理する体制である91。同苦情処理室は、苦情受理後、90 日以内に政府に対し調
査報告を提出し、政府はこれに対し 90 日以内に回答することとされている92。調査報告書
は、まず政府に対し提出された後、一般に公開される(後述第 5 節、表 1 参照)。同報告
書は、政府に対し競争中立性枠組みの変更を勧告することもありうるが、政府はそれを受
け入れることを義務付けられていない93。しかし、第 5 節で後述するように、変更勧告を受
け、政府規制が実際に変更された事例も存在する。
86 See e.g., National Competition Council, Assessment of Governments’ Progress in Implementing the
National Competition Policy and Related Reforms, 2005, available at:
http://ncp.ncc.gov.au/docs/2005%20assessment.pdf.
and National Competition Council, Annual Report 2012-13, 2013, available at:
http://www.ncc.gov.au/images/uploads/AR1213-001.pdf.
87 前掲注 80 参照。
88 従来、苦情処理組織(Complaints Unit)と呼称されてきたが、 現在はオーストラリア政府競争中立性
苦情処理室(Australian Government Competitive Neutrality Complaints Office; AGCNCO)と呼称さ
れている。同処理室のウェブサイトとして、次を参照のこと。
http://www.pc.gov.au/about/core-functions/competitive-neutrality.
89 National Competition Council, supra note 86, pp.2.3-2.7.
90 筆者による生産性委員会担当官に対する聞き取り調査(2013 年 2 月 25 日)
。
91 筆者による財務省及び財務・規制緩和省担当官に対する聞き取り調査(2013 年 2 月 25 日)
。
92 The Australian Government Competitive Neutrality Complaints Office, How Complaints Are
Investigated, available at: http://www.pc.gov.au/about/core-functions/competitive-neutrality/complaint.
93 Ibid.
20
写真 3 オーストラリア政府の競争中立性苦情処理室として機能する生産性委員会
以上見てきたように、オーストラリアの競争中立性規律は、多くの関連政府部門の協働
により実施されている。その実施体制は、競争法統合型を採用し、競争当局により運用さ
れる EU の国家補助規制とは大きく異なり、競争当局である競争・消費者委員会(Australian
Commission for Competition and Consumer. ACCC)がまったく関与しないものである。
第4節
実施方法
(1) 対象企業
第 2 節で紹介した競争原則協定 3 条 4 項によれば、競争中立性規律を受ける主な対象は、
オーストラリア統計局により、「公的取引企業(public trading enterprises)」及び「公
的金融企業(public financial enterprises)」に分類される、連邦、各州及び特別地域の重
要な政府事業企業(significant Government business enterprises)である94。事業企業で
あるためには、①物又はサービスの対価を得ている、②現実又は潜在的な競争者が存在す
る、及び③経営者が事業について一定の独立性を有するという 3 つの要件を満たす必要が
ある95。重要性については、連邦では年間 1000 万豪ドル以上の売上高という基準が適用さ
れているが、各州・特別地域によって異なる基準が採用されている。例えば、連邦政府レ
ベルでは、1996 年段階で、17 の政府事業企業(Government Business Enterprises)、12
のそれ以外の事業企業(政府が株主等の企業)及び 19 の政府事業部門が、競争中立性規律
の対象として列挙され96、規律の実施に向けた計画が策定された。
同条 5 項により、政府部門が事業に従事している場合、これに準じた形で競争中立性規律の適用を受け
るが、ここでは詳述しない。
95 Commonwealth Competitive Neutrality Policy Statement, supra note 81, p.7.
96 Ibid., pp.23-39, Appendix: Government Business Activities subject to Competitive Neutrality:
Implementation Schedule.
94
21
(2) 対象分野と競争中立性確保方法
連邦レベルの競争中立性政策ステートメント及び同ガイドラインによると、競争中立性
の確保が要求される分野は以下の通りである。
① 税制上の中立性(Taxation Neutrality)
② 債務上の中立性(Debt Neutrality)
③ 規制上の中立性(Regulatory Neutrality)
④ 資産収益率(Rate of Return)
⑤ コスト配分(Cost Allocation)
⑥ その他の調整(Other Possible Adjustments)
①の税制上の中立性は、第一義的には、政府が対象企業に対し税免除等の税制上の差別
をしないことによって確保される。しかし、オーストラリアでは、政府事業企業は連邦そ
の他の政府によって課税されないという原則があるため、或いは特別な設立法により税免
除が与えられているため、民間企業には適用される税が、対象企業に適用されないという
場合が起こりうる97。その場合の代替策としては、税免除を維持しつつ、当該税負担に見合
う調整金を連邦政府勘定に支払うといった税同等制度(tax equivalent regimes)や実際に
は支払わないものの競争者と同等の方法で税負担を計算し、名目上コストべースに組み入
れ、価格設定に反映する、税制中立性調整(tax neutrality adjustment)が採用される98。
②の債務上の中立性とは、対象企業が当該事業活動の信用リスクを反映したものでなく、
デフォルトのリスクの低い借り手としてのオーストラリア政府全体の信用リスクを反映し
た利率で融資を受けている場合、政府企業でないと仮定して得られる利率に基づいてコス
ト計算及び価格設定することを求める。政府予算から融資を受けている場合、市場から融
資を受けている場合のいずれにも、この債務上の中立性のための調整が義務付けられる99。
③の規制上の中立性とは、政府企業が、地域計画、建築及び環境法からの適用除外、信
用規制(prudential requirement)からの適用除外、報告又は許可制度での異なる取り扱い
等を受けている場合、その優位を相殺するために、競争者と同じように地方政府などに一
定の支払いを行うか、又は連邦政府勘定に同等の支払いを行うかが義務付けられる。実際
97
CN Guidelines, supra note 78, p.17.
Ibid., pp.18-19.
99 Ibid., pp.21-23.
98
22
に同等に法規制を遵守することが不可能である場合は、名目上、当該規制上の支払を計上
し、コスト計算及び価格設定することが義務付けられる100。
④の資産収益率についての中立性とは、政府企業が、少なくとも事業活動に使用される
資産から合理的な期間内に商業的な率の収益を生むのに十分な価格設定を行い、この収益
から連邦予算に対し商業的な配当を支払うことを求める。収益率は、長期的には、少なく
とも 10 年物のオーストラリア国債の利率にリスクマージンを加えたものと同等であるべき
であるとされる101。
⑤のコスト配分は、完全なコスト配分を反映した価格を設定することを求めるルールで
あり102、⑥のその他の調整には、保険コストや政府企業であるが故に競争上不利となる要
因を考慮することが含まれる。例えば、法令上、政府企業がコスト以下の価格設定を求め
られるといったコミュニティ・サービス義務にともなうコストは、政府予算から資金を得
ることが推奨される。それができない場合には、それを義務付ける関連政府部門がコミュ
ニティ・サービスを「購入した」形を取り、名目上、関連政府部門の予算に計上し、収益
率計算を行うといった調整が行われる103。
このうち①の税制上の優遇及び②の債務上の優遇は、WTO 補助金及び相殺措置に関する
協定(以下「WTO 補助金協定」という。)が定義する補助金に該当するため、これらを相
殺する形で調整する中立性規律は、いわば WTO 補助金規律と機能において類似性がある。
ただし、WTO 補助金規律が、補助金が供与された後に、それが他の加盟国に何らかの損害
を与えることを問題とする事後規制であるのに対し、競争中立性規律が、競争行動を取る
前に、競争者に対し競争上の優位を相殺する形で調整を行うことを求める事前規制である
ことには注意が必要である。他方、③の規制上の優遇は、WTO 上、補助金とは性格づける
ことはできないものの、少なくとも措置国国内市場においては内国民待遇原則の規律対象
とすることは可能であろう。④の商業的な配当を求める資産収益率の中立性規律は、WTO
補助金規律の関係で、どのような関係に立つか議論の余地がある。むしろ、WTO アンチダ
ンピング協定 2.2 条が、「正常価額」の 1 つの計算方法である構成価額に「利潤としての妥
当な額」を含め、同 2.2.2 条が、その妥当な額を「同種の産品の通常の商取引における生産
及び販売に関する実際の情報を基礎」にして算出することを求めるのと、類似した規律と
見ることできる。
100
101
Ibid., pp.27-28.
Ibid., pp.29-30. この問題については、苦情処理室が、特にリサーチ・ペーパーを公表している。前掲注
84 参照。
CN Guidelines, supra note 78, p.37.
103 Ibid., pp.40-41.
102
23
(3) 公共の利益の例外
競争原則協定 1 条 3 項は、公共の利益として、以下の 7 つの項目を挙げ、当該協定の義
務の実施に際し考慮されなければならないと規定する。
① 生態系上、持続可能な開発に関する政府法令及び政策
② 社会福祉及び社会公平上の配慮(コミュニティ・サービス義務を含む。)
③ 職業上の健康及び安全、労使関係及びアクセス・公平性などの事項に関する政府法
令及び政策
④ 経済及び地域開発(雇用及び投資成長を含む)
⑤ 消費者一般又は一定の消費者の利益
⑥ オーストラリア企業の競争力、又は
⑦ 資源の効率的配分
上記の要因を考慮する必要のある場合は、競争中立性規律の例外が認められるという趣
旨であると解することができる。
(4) まとめ
以上、本節で確認したように、オーストラリアの競争中立性規制は、競争行動が取られ
た結果、発生する競争制限効果を問題とする競争法規制や補助金が供与された後に、それ
が他の加盟国に何らかの損害を与えることを問題とする WTO 補助金規律の事後規制とは
異なり、政府事業が競争行動を取る前に、競争優位を相殺する形で調整を求める事前規制
であると理解することができる。
第5節
苦情申立事例
第 3 節で紹介したオーストラリア政府競争中立性苦情処理室に対し実際に苦情が申立て
104。
事例 15(PETNET Australia)
られた事例は、これまでのところ 15 件存在する(表 1 参照)
105以外は、いずれもサービス分野での苦情申立である。15
件のうち競争中立性原則に反す
る、又は潜在的な違反がある等の結論が下され、連邦政府に対し何らかの勧告がなされた
1996~2012 年の間で、連邦レベル、各州及び自治区における苦情申立事例の総数は 112 件との統計が
ある。Victorian Competition and Efficiency Commission, Competitive Neutrality Policy
Inter-jurisdictional Comparison Paper, 2013, p.9, available at:
http://www.vcec.vic.gov.au/files/a7f27203-3e7c-4190-8a20-a3af00fba820/Competitive-neutrality-inter-j
urisdictional-comparison-paper-February-2013.pdf.
105 本件で問題となったのは、PET(ポジトロン断層法)検査において放射性トレーサーとして用いられる
フルオロデオキシグルコースの製造販売市場である。
104
24
事例は 5 件存在する(表 1 の事例 5、事例 7、事例 11、事例 14 及び事例 15)。また、潜
在的な問題を指摘し、問題の企業が商業的収益率を継続して下回ることで違反につながる
おそれがあるとして警告を発した事例も 1 件ある(事例 6)。
表 1 オーストラリア政府競争中立性苦情処理室に対する苦情申立
事件名
苦情申立人
1
Australian Protective Service
BARA, AAA
2
3
Australian Institute of Sport
Swim School
National Rail Corporation
Kippax Pool and
Fitness Centre et al.
Capricorn Capital
4
ABC Production Facilities
Global Television
5
Australia Post
6
ARRB Transport Research
Conference of Asia
Pacific Express
Carriers
Capricorn Capital
7
Metra Information
8
Meteorological Services to
Aviation
Sydney and Camden Airports
9
Docimage Business Services
10
OzJobs
Legal Services
Association Australia
Mr Martin Buzza
11
Australian Valuation Office
Herron Todd White
12
EDI Post
Chandler Enterprises
13
Defence Housing Authority
14
NBN
Real Estate Institute
of Australia
OPENetworks et al.
15
PETNET Australia
Cyclopharm
City of Rockdale et al.
報告書年月
1998/12
1999/11
結果
違反なし
違反なし
2000/1
2000/5
2000/7
違反なし
違反なし
税関審査基準差、勧告
2001/9
2001/12
違反なし(潜在的問題)
見直し作業継続を勧告
2001/12
2001/12
違反なし
違反なし
2002/6
2004/5
2005/6
2008/5
違反なし
保険支払優遇、勧告
違反なし
違反なし
2011/11
2012/3
収益率潜在違反、勧告
低収益率、勧告
その中でも、連邦レベルで苦情が受け入れられ具体的な成果を得た事例として、オース
トラリア・ポストに対する苦情処理(一覧表の事例 5)、他の事例ではあまり申立ての対象
とされていない情報の非対称性の問題も扱った ARRB Transport Research に対する苦情処
理(同事例 6)及び報告書の勧告がブロードバンド・通信・デジタルエコノミー大臣により
拒絶される結果となり、オーストラリアの TPP 交渉での競争中立性提案を批判する際に米
国国内企業や米国研究者による批判の対象(第 2 章第 2 節(3))となった NBN に対する苦
情処理(同事例 14)を紹介する。
(1) オーストラリア・ポストに対する苦情処理(事例 5)106
106
Commonwealth Competitive Neutrality Complaints Office 2000, Customs Treatment of Australian
Post, Investigation No. 5, AusInfo, Canberra, available at:
http://www.pc.gov.au/inquiries/completed/customs-australia-post/report5.pdf.
25
写真 4 キャンベラ中心街のオーストラリア・ポストの店舗
2000 年、オーストラリアで事業活動する、民間の 4 大エクスプレス・クーリエ・サービ
ス事業者を代表する団体(Conference of Asia Pacific Express Carriers)は、民間事業者
が輸入時に適用される強制税関審査基準は 250 豪ドルであるのに対し、オーストラリア・
ポストに適用される同基準が 1000 豪ドルと 4 倍高く設定されているため、民間事業者は税
関審査のために、より多くの時間と費用を費やさざるを得ず、これは競争中立性原則に反
しているとの苦情を申し立てた。オーストラリア政府競争中立性苦情処理室が、本件処理
チームを発足し、調査を行った結果、本件調査報告書は、問題の基準差は重大な費用負担
とクーリエ・サービスの遅延をもたらしており、規制上の中立性の欠如のために、オース
トラリア・ポストが政府所有ゆえの競争優位を有していると結論づけ、基準の統一を勧告
した。本調査結果を受け、連邦政府は郵送輸入品の強制税関審査基準をすべて 1000 豪ドル
に統一する改革を行っている。
本件苦情は、政府事業企業の競争中立性原則遵守を求めたのではなく、むしろ政府規制
が政府事業と民間事業を差別していること自体を問題としていると理解できる107。なお、
苦情申立団体の構成メンバーは、DHL International, TNT Australia, Federal Express 及
び UPS であり、4 社のうち 3 社がアメリカ系企業である。このように競争中立性苦情処理
手続は、外資系の企業に開かれた手続となっている108。
(2) ARRB Transport Research に対する苦情処理(事例 6)109
107
この事件は、オーストラリアのクーリエ・サービスに関する約束状況によるものの、GATS17 条の内国
民待遇原則違反として WTO 紛争解決手続に持ち込むことも可能な事案であった可能性がある。
108 同様に事例 7(Meteorological Services to Aviation)の苦情申立人は、ニュージーランド政府所有の
Meteorological Services of New Zealand の子会社 Metra Information である。
109 Commonwealth Competitive Neutrality Complaints Office 2001, ARRB Transport Research Limited,
26
ARRB Transport Research は 1965 年設立の株式資本を持たない公企業であり、その構
成員である各州及び特別地域の道路管理部門、連邦運輸・地域サービス省及びオーストラ
リア地方政府協会からの会費によって、道路調査機関として活動してきた。現在、Austroads
(オーストラリア及びニュージーランドの道路・運輸部門の協会)を通じた調査の 3 分の 2
を同社が担当しているが、Austroads の発注する調査全体の収入の低下を受け、より商業的
な事業の展開を求められており、国際市場にも進出しつつある。
本件の苦情申立人である Capricorn Capital は、民間の運輸サービス事業等に投資してい
る会社である。なお、事例 3 の National Rail Corporation に対する事例においても苦情を
申し立てている。同社は、ARRB が①税制上の優遇、②随意契約により得た調査事業から、
競争入札の対象となる調査事業への内部相互補助、③資産に対する低収益率、④政府資産
(物理的資産、知的財産等)への有利なアクセス、⑤商業上、有益な情報へのアクセス及
び⑥政府による暗黙の保証によって、その政府所有によって競争上の優位を得ており、競
争中立性政策に反するとの苦情を申立てた。本件調査報告書は、③の低収益率が長期にわ
たって継続する場合には、競争中立性原則違反を構成しうると釘を刺したものの、他の 5
つの申立てのいずれについても、税優遇は既に消滅した、証拠がない等として斥けている。
このうち⑤は、他の事例ではあまり苦情申立ての対象とされていない情報の非対称性
(Information Asymmetry)の問題にかかわる110。Capricorn Capital は、政府所有及びそ
の結果としての政府道路管理部門等との密接な関係から、ARRB は競争者が入手できない
情報へのアクセスを得ており、それが競争優位をもたらしていると主張したが、本件調査
報告書はこれを実証する証拠がないとしている。なお、調査報告書は、ARRB の代表が、
Austroads 理事会に投票権のないオブザーバーとしての資格で出席しており、Austroads
の将来の調査事業計画を知ることができる事実を紹介しているが、同報告書は、Austroads
による、同計画は最終的な詳しい入札要件及び仕様を含まないため、競争優位があったと
しても、ごくわずかに過ぎないとの説明を受け入れている。
(3) NBN に対する苦情処理(事例 14)111
Investigation No. 6, AusInfo, Canberra, available at:
http://www.pc.gov.au/inquiries/completed/arrb-transport-research/report6.pdf.
110 本件以外に情報の非対称性の問題を扱ったものとして、EDI Post に対する苦情申立(事例 12)がある。
そこでは Australia Post の子会社である EDI Post が、大規模でより収益性の高いユーザーをつまみ食い
(cherry pick)するために、親会社に寄せられた大量の郵便物の情報を活用しているとの苦情が申し立て
られたが、Australia Post からの有力な反論があった一方、苦情申立人から十分な立証がなかったとして、
当該苦情は斥けられている。Australian Government Competitive Neutrality Complaints Office 2005,
EDI Post, Investigation No. 12, p.6, Canberra, available at:
http://www.pc.gov.au/inquiries/completed/edi-post/report12.pdf.
111 Australian Government Competitive Neutrality Complaints Office 2011, NBN, Investigation No. 14,
27
本件調査報告書は、コミュニティ・サービス義務にともなうコストが不明であり、NBN
が目標としている 7%の収益率が妥当か判断できない、潜在的に収益率が商業的ではない違
反があるおそれがあるとして、連邦政府にコミュニティ・サービス義務にともなうコスト
の明確化や同義務のコスト負担を提案した。
しかしながら、通信大臣は「NBN 社は、民間部門ではできない、全豪ブロードバンドネ
ットワークを作るために設立したのであって、民間部門の収益率を期待することはできな
い」と述べ、本件報告書の勧告を拒絶した112。
第4章
考察―示唆と展望―
第1節
オーストラリアの経験からの示唆
(1) 競争中立性規律の意義
オーストラリアにおいて競争中立性規律が導入されることとなった背景には、同国にお
いて政府事業により独占されていた市場への民間企業の参入が進んだと同時に、政府事業
が従来、民間企業だけが参加していた市場に対して進出するようになったため、政府事業
と民間企業が同一の市場において競争する場面が増え、前者に対する各種の優遇措置が両
者間の競争を歪曲する事態への懸念が広がったことがある(第 3 章第 1 節)。他方、TPP 交
渉において国有企業規律案が提案された背景には、「国家資本主義国」とも呼ばれる国々の
国有企業がそれらの国内市場のみならず、国際的な市場においても存在感を高め、民間企
業と同一の市場において競争する場面が増え、前者に対する各種の優遇措置が両者間の競
争を歪曲する事態への懸念が広がったことがある(第 2 章第 1 節及び第 2 節(1))。国内市場
での問題意識か国際市場での問題意識かという違いはあるものの、国有企業と民間企業が
同一市場で競争することとなり、前者に供与される優遇措置の競争歪曲効果に対する対応
策の必要性が意識されたという意味では大きな共通点を見出すことができる。そうした両
者の意義や期待される機能の共通性に照らせば、本稿のようにオーストラリアの経験から
TPP 国有企業規律案に対する示唆を読み取ろうとする試みは正当化されよう。
このような意味での競争中立性規律は、必ずしも国有企業が関係する場面に限られない。
民間企業間で競争が行われる場面も含め、一方当事国の企業のみが優遇措置を受けている
ことから生じる競争歪曲効果に対処する必要性は従来から認識されており、実際に WTO 補
助金協定による規律として結実している。その意味で、WTO 補助金協定による規律も広義
Canberra, 2011, available at: http://www.pc.gov.au/inquiries/completed/nbnco/report14-nbnco.pdf.
112 Lucy Battersby, “Conroy rejects NBN Co findings,” Sydney Morning Herald, December 9, 2011,
http://www.smh.com.au/business/conroy-rejects-nbn-co-findings-20111208-1ol8w.html; Josh Taylor,
“NBN Flirting with Competition Breach: Report,” ZDNet, December 9, 2011, available at:
http://www.zdnet.com/nbn-flirting-with-competition-breach-report-1339327658/.
28
の「競争中立性規律」と性格付けることができる。しかし、WTO 補助金規律はあくまで物
の貿易の場面に適用範囲が限定されるところ、オーストラリアの競争中立性規律も TPP 国
有企業規律案も物の貿易かサービスの貿易かの区別なく適用されることが大きな特徴であ
る。
(2) 成立過程(連邦及び各州間のコンセンサスと財政インセンティブ)
オーストラリアにおいて連邦政府及び各地方政府間で、競争中立性枠組みも含む全豪競
争政策の実施に関する協定が合意できた背景には、地方におけるリーダーも含め全国市場
の未統合に起因する経済効率の低さに関する危機意識が共有されていたこと、及び財政上
のインセンティブ制度の導入がある。これら 2 つの要因が、同時にその後の良好な実施状
況をももたらす主要因になっていると考えられる。
このオーストラリアの経験に照らすと、果たして TPP 交渉参加国、或いは世界各国の間
で、これと同じレベルの危機意識が共有されているか疑問がある。一方で国有企業の躍進
に神経をとがらせている先進国と他方で国有企業の経済に占める比率の高い国々の間では、
その危機意識に大きな差があることは容易に予測できる。後者のグループに含まれるが、
国有企業のパフォーマンスの悪さからその改革に力を入れるベトナムのような国との間で
は、或いは一定のコンセンサスを形成する余地もあろうが、マレーシアのように国有企業
がその国の政治経済上、不可触な領域と位置付けられている国との間でコンセンサスを得
ることは到底困難である。また、オーストラリアの経験に見られた財政上のインセンティ
ブを国際経済法上、どのように設計するか(例
技術支援等政府開発援助の確約)は大き
な課題と言える。必ずしも財政上のインセンティブではないものの、ウルグアイ・ラウン
ドにおけるいわゆるグランド・バーゲンに見られたような分野を越える相互主義的な取引
(例
国有企業規律を受け入れる代わりに繊維製品の大幅開放を獲得)も113、合意に導く
大きなインセンティブとして評価することもできる。しかし、こうした経済的インセンテ
ィブに基づく説得は、上記のうちベトナムのような国家に対しては有効であっても、政治
経済上、受け入れ不可能なマレーシアのような国家を説得する上で効果があるか疑問があ
る。
(3) 実施体制及び実施方法
113
ウルグアイ・ラウンドにおける先進国と途上国の間の分野を超えた相互主義的な取引をグランド・バー
ゲン(Grand Bargain)と呼んで分析した論考として、下記参照。Sylvia Ostry, “The Uruguay Round
North-South Grand Bargain, Implications for Future Negotiations,” in Daniel L.M. Kennedy and
James D. Southwick (ed.), The Political Economy of International Trade Law (Cambridge University
Press, 2002), pp.285-300.
29
オーストラリアにおける競争中立性規律は、連邦政府及び各州政府の両レベルにおいて、
財務当局が政策文書を公表し、かつ国有企業経営者向けのガイドラインを提示するという
形で実施される一方、全豪競争理事会によって年次報告が公表され、違反時には財政上の
経済制裁が課されるという方法でその実施が監督される。さらに優遇措置等により影響を
受ける競争者による苦情申立制度が用意されており、全体として、その実施体制は十分に
完備されている。
その実施方法は、上記の政策文書の公表、ガイドライン提示を通じ、国有企業の競争行
動(特に価格設定)を市場に影響を与える事前に規律しようとするものである。これは、
企業の競争行動が市場に影響を与えた後に事後的に規律を加える通常の競争法規制とは異
なるアプローチをとっており、両者はいわば分業体制にあるとも言える。
こうした実施体制及び実施方法を見る限り、第 2 章第 2 節(3)で紹介したような、 米国の
国内産業や研究者からの実効性がないという批判は必ずしも当たらない114。ただし、オー
ストラリア型の競争中立性規律を TPP 等、国際レベルでの競争中立性確保のためのルール
として、そのまま採用できるか否かについては、若干の疑問が残る。第 1 に、オーストラ
リアの競争中立性規律は連邦レベルのみならず、各州レベルの実施も視野に入れたものだ
が、TPP 国有企業規律案の主たる提案国である米国でさえ、地方政府レベルに対し同規律
を適用することが困難であると考えており(第 2 章第 2 節(2))、交渉参加国間でも地方レベ
ルへの適用の是非について大きく立場が分かれている(同章第 3 節)
。第 2 に、上記とも関
係するが、オーストラリアの競争中立性規律の実施体制及び実施方法は、オーストラリア
の独自の統治システムや法原則に適合的に設計されており(第 3 章第 1 節、第 3 節及び第 4
節)、それを統治システムや法原則の異なる国に直ちに適用することは現実的ではない。第
3 に、オーストラリアの競争中立性規律で導入されている苦情処理手続は、米国からの批判
的見解とは異なり、筆者の見るところ一定の成果を上げており、積極的に評価することが
できる。しかし、この国内の苦情処理手続がすでに尽くされていることを国際レベルでの
紛争解決手続開始の要件とするような制度設計は、米国国内産業のような積極論者の立場
からは受け入れがたいであろう。
以上に照らすと、オーストラリアの競争中立性規律は、それ自体を TPP 等の国有企業規
1996~2012 年の間の苦情申立事例件数(連邦、各州及び自治区合計)は 112 件である一方、直近の
2011~12 年は 5 件と、申立件数は減少傾向にある。Victorian Competition and Efficiency Commission,
supra note 104, p.9. この傾向が、政府事業が競争中立性の責任に精通し、違反が発生しないよう確保して
いることを反映しており、競争中立性がすでに文化の一部となっているという評価として、以下を参照。
Competition Policy Review, Final Report, 2015, p.261, available at:
http://competitionpolicyreview.gov.au/files/2015/03/Competition-policy-review-report_online.pdf. 2015
年 3 月に公表された同報告書は、透明性確保等、競争中立性規律の細部に関する改善点を提言しているが
(Ibid., p.268)、競争中立性規律に割かれている紙幅は 500 頁を超える報告書の 14 ページに過ぎず、その
主たる検討対象は競争法である。
114
30
律の内容として直接採用することは難しい。現実の TPP 国有企業交渉においても、オース
トラリア自身、自国の規律を国際規律化する提案を早々に撤回している(第 2 章第 2 節(3))。
むしろ、同規律は、TPP 等、国際レベルで競争中立性確保の義務が導入された場合に、そ
の義務を国内実施する際に参照する価値の高い、1 つのモデル又は選択肢を提示していると
とらえるのが妥当であろう。
(4) 対象企業
オーストラリアにおける競争中立性規律は、あくまでも国有企業であるか否かを基準と
して、その適用範囲が画定されており、国有ゆえの競争上の優位の相殺を目的とする規律
である。所有如何で国有企業規律の適用範囲を決めようとする米国案に対し、シンガポー
ルのように競争歪曲効果の有無を基準に規律の適用範囲を定めようとの意見もあるが、オ
ーストラリアの同規律はそうした米国案に対する代替案として機能しえない。
(5) 他の公共利益への配慮
第 3 章第 4 節(2)で紹介したコニュミティ・サービス義務にともなうコストの考慮、同(3)
で紹介した「社会福祉及び社会公平上の配慮(コミュニティ・サービス義務を含む。)」を
考慮する義務及び同第 5 節(3)で紹介した NBN に対する苦情処理(事例 14)から、コミュ
ニティ・サービス或いはユニバーサル・サービス義務を負う政府事業に対しては、そうし
た義務に支障が出ないよう特に配慮が払われており、競争中立性規律が必ずしも他の公共
利益の要請に優位しないことが分かる。この問題は、国際的レベルで競争中立性規律のあ
り方を議論する際にも考慮すべき重要な論点たりうる。
第 1 に、米国国内産業や同研究者が、NBN の事例を引き合いに出して、オーストラリア
における競争中立性規律に関し実効性を欠くと批判した点は、競争中立性規律導入に当た
っての重要な論点を看過するもので妥当とは言えない。この事例において調査報告書は、
コミュニティ・サービス義務にともなうコストが不明であり、連邦政府にコミュニティ・
サービス義務にともなうコストの明確化や同義務のコスト負担を提案している。国有企業
がコミュニティ・サービス又はユニバーサル・サービス義務を負うため、そのコスト算定
において困難が生じる場面は、オーストラリアに限らず、日本においても見受けられ115、
ヤマト運輸対日本郵政公社不当廉売等差止請求事件控訴審・東京高等裁判所平成 19 年 11 月 28 日判決
(金融・商事判例 1282 号 44 頁)は、「Yが、X主張のような優遇措置を受ける一方で、法律上、このよ
うな郵便料金についての認可制等の負担や郵便局をあまねく全国に設置する義務を課されていることから
すると、Yの一般小包郵便物(ゆうパック)の一般指定6項前段の「供給に要する費用」の算定に当たり、
所得税等を除いた優遇措置による影響を経済的に考慮するとした場合には、これらの負担や義務がYの事
業に与える経済的な影響も併せて検討する必要」と判示し、不当廉売該当性を判断する前提としてのコス
ト算定において、規制上の優遇とユニバーサル・サービス義務の負担を総合考慮する必要性を指摘したが、
115
31
一般的な問題である。TPP 国有企業規律案等の交渉に当たっては、この問題に対し留意し、
一定の原則又は解決策について合意を得ておく必要がある。
第 2 に、上記の第 1 の点を第 2 章で検討した TPP 国有企業規律交渉に照らして改めて考
察してみると、2014 年 2 月段階で見られた国内サービス適用除外に関する合意(同第 3 節)
は、ある意味で上記のようなユニバーサル・サービス義務等の公共利益に大きくかかわる
国内市場では優遇禁止の原則を貫徹できないという認識を反映した動きと見ることもでき
ないことはない。他方で、国内においてユニバーサル・サービス義務が課されている国有
企業が、それに対応する形で一定の優遇措置を受けている場合、導入された TPP 国有企業
規律を本国国内市場以外の海外市場における競争歪曲効果に関し適用する場面において、
ユニバーサル・サービス義務等の特別負担に配慮した優遇算定が果たして可能なのか疑問
の余地がある。
以上のように、この他の公共利益への配慮は、国有企業規律の導入に当たって、極めて
重要な論点であると考えられる。しかしながら、TPP 交渉において、上記の国内サービス
適用除外の導入以外に、この点について突っ込んだ議論がなされた形跡はない。このこと
からも、TPP 国有企業規律交渉は、交渉全体の合意に向けた機運が高まり出した 2015 年時
点においても、なお議論が十分に尽くされたとはいえないように見える。このことは同規
律の成立の見通しが、必ずしも明るいものではないことを示唆する。
第2節
国際経済法における競争中立性規律の位置づけ
本稿では、オーストラリアにおける競争中立性規律と TPP 国有企業規律案を比較する形
で検討を行った。両規律を国際経済法上の既存の関連規律と比較分析すれば、以下のとお
りである。
(1) 適用分野
オーストラリアにおける競争中立性規律は、その適用分野に関し特に限定を加えていな
いが、第 3 章第 5 節でみたように、苦情処理事例の対象となった分野はサービス分野に集
中している。TPP 国有企業規律案も特に対象分野に限定を加えていない模様であり、国内
サービス適用除外が合意された経緯から、逆に原則としてサービス分野にも規律を及ぼそ
うとするものであることが分かる。さらに、TPP 交渉によって与えられた「利益」に投資
分野の利益も含まれる可能性があることから、投資分野も適用対象に含む可能性も指摘で
きる。
「本件においては、Yにこれらの負担や義務が課されていることがYの事業に与える経済的な影響などに
ついては、何らの主張、立証もない」等として、原告の請求を棄却した。
32
他方、第 1 節(1)で見たように、一方当事国の企業のみが優遇措置を受けていることから
生じる競争歪曲効果に対処する既存の国際経済法上の規律として、WTO 補助金協定による
規律(いわゆる禁止補助金及び対抗可能な補助金に対する規律)を指摘できる。WTO 補助
金協定による規律も、優遇措置による競争歪曲効果に対処するとの意味で、広義の「競争
中立性規律」と性格付けることができる。しかし、WTO 補助金規律はあくまで物の貿易の
場面に適用範囲が限定される。さらに、サービスの貿易に関する一般協定(GATS)15 条 1
項は、WTO 加盟国に対しサービス分野における補助金に関する規律に関する検討を指示し
ているが、WTO 発足後、20 年間、同検討は大きな進展を見せずに終始している。サービ
ス分野においても、供与された補助金が本国市場において効果を有する場合、GATS17 条
の内国民待遇の規律が及ぶが、それも同国が問題のサービス分野において内国民待遇原則
に関する約束を提出している場合に限られる(表2の黄色網掛け部分)。
これに対し、オーストラリアの競争中立性規律と TPP 国有企業規律案のいずれにおいて
も、物の貿易か、サービスの貿易か区別なく適用されることが大きな特徴である。TPP 国
有企業規律案は、従来の WTO の規律がカバーしていなかったサービス分野(表 2 の白の部
分)をその適用対象に含めようとする試みであり、その点に大きな意義を見出すことがで
きる116。
表2
既存の国際経済法における規律範囲
本国市場(A 国)
輸入国市場(B 国)
第三国市場(C 国)
物
SCM 禁止・対抗可能
SCM 禁止・相殺関税
SCM 禁止・対抗可能
サービス
GATS17 内国民待遇
(約束済セクターのみ)
GATS15.1 ルール交渉頓挫
GATS15.2 協議(相殺関税なし)
GATS 15.2 協議
注 1 SCM=WTO 補助金協定、GATS=WTO サービスの貿易に関する一般協定
注 2 A 国が補助金など優遇措置の供与国。本国市場、輸入国市場及び第三国市場とは
B 国企業が補助金などを受けた A 国企業との競争に直面する市場を意味する。
注 3 青網掛けは、すでに実効的な規律が存在すること、黄色網掛けは条件付きで規律が
存在すること、白は実効的な規律が存在しないことを、それぞれ意味する。
(2) 規律対象措置
第 3 章第 4 節(2)で前述したように、オーストラリアにおける競争中立性規律が対象とす
116
TPP 国有企業規律案は、当初、表 2 の黄色網掛け部分も適用対象に含めようとするものであったよう
だが、2014 年 2 月段階の国内サービス適用除外により、同部分は適用範囲から外されたと考えられる。第
2 章第 3 節参照。
33
る優遇措置の範囲は、既存の WTO の補助金協定の規律が対象とする「補助金」と比べると、
その対象範囲はより幅広い(表 3 参照)。
①の税制上の優遇及び②の債務上の優遇は、WTO 補助金協定の定義する補助金に該当す
るため、これらを相殺する形で調整する競争中立性規律は、いわば WTO 補助金規律と機能
において類似性がある。他方、③の規制上の優遇は、WTO 上、補助金とは性格づけること
はできないものの、少なくとも優遇措置の効果が措置国の国内市場において生じる範囲で
は内国民待遇原則の規律対象とすることは可能であろう。④の商業的な配当を求める資産
収益率の中立性規律は、WTO 補助金規律の関係で、どのような関係に立つか議論の余地が
ある。むしろ、WTO アンチダンピング協定 2.2 条が、「正常価額」の 1 つの計算方法であ
る構成価額に「利潤としての妥当な額」を含め、同 2.2.2 条が、その妥当な額を「同種の産
品の通常の商取引における生産及び販売に関する実際の情報を基礎」にして算出すること
を求めるのと、類似した規律と見ることできる。⑤の情報の非対称性は、オーストラリア
の競争中立性規律が独自の規律を設けている領域である117。これに正確に対応する規律は、
WTO には見当たらないが、或いは上記の内国民待遇を活用して規律を及ぼす可能性がある
かもしれない。最後に⑥のコミュニティ・サービス又はユニバーサル・サービス義務等の
特別負担を考慮して調整を行う点は、従来の WTO 補助金協定においてはいまだ発展してき
ていない点である。
このうち、TPP の国有企業規律案がいずれを規律対象とするものなのか、規律案のテキ
ストが公開されていない現状では判断がつかない。しかし、表 3 に示したように、WTO の
既存規律でも対象となっている①税制上の優遇及び②債務保証・補助金は当然対象に含み、
かつ米国提案が規制対象措置を「優遇措置」と幅広くとらえていることを考慮に入れれば、
③規制上の優遇も対象としている可能性は高い。他方、情報の非対称性は③の範囲に含ま
れるかどうか明らかでなく、④の商業的収益率や⑥のその他の調整は規律対象に含まれて
いない可能性が高い。
117
⑤は第 3 章第 4 節(2)の項目と異なるが、同第 5 節(2)の事例等に基づき、表3に追加した。
34
表 3 規律対象措置の比較
規律分野
①税制
(社会保障費含)
②債務保証・
補助金
③規制
④収益率
豪競争中立性
○
TPP 国有企業規律案
○
○
○
○
○
○?
?
⑤情報
⑥その他調整
○
○
△?
?(交渉不十分か)
注
WTO
○補助金ルール(物)
○GATS 内国民待遇(サ)
○補助金ルール(物)
○GATS 内国民待遇(サ)
○内国民待遇(物、サ)
○アンチダンピング
(物)?
×GATS ルールなし
△?内国民待遇(物、サ)
×(物、サ)
物=物の貿易に関するルール、サ=サービスの貿易に関するルール
(3) 規律の客体と性格
オーストラリアにおける競争中立性規律は、優遇措置の存在を前提に、国有企業に対し、
その価格設定の時点で、競争者に対する優位を相殺する形で調整を行うことを求める事前
規律であるのに対し、WTO 補助金規律は、補助金が供与された後に、それが他の加盟国に
何らかの損害を与えることを問題とする事後規制である点で性格に大きな違いがある。こ
の点、TPP 国有企業規律案は、国家が競争歪曲効果をもたらすような形で国有企業に対し
優遇措置を与えることそれ自体を禁止し、競争歪曲効果が生じた場合に、事後的な紛争解
決を用意するものであり、どちらかと言えば WTO 補助金規律に近く、オーストラリアにお
ける競争中立性規律とは、その規律の客体や性格が異なる。
以上のように、オーストラリアにおける競争中立性規律と TPP 国有企業規律案は、WTO
補助金協定における規律と比べれば、物の貿易分野だけでなく、サービスの貿易の分野も
適用対象に含める、従来の「補助金」の定義を超える優遇措置を規律対象とするなどの共
通点がある一方で、前者が優遇措置の存在を前提に、国有企業に対し、その価格設定の時
点で、競争上の優位を相殺する形で調整を行うことを求める事前規律であるの対し、後者
は国家が競争歪曲効果をもたらすような形で国有企業に対し優遇措置を与えることそれ自
体を禁止し、競争歪曲効果が生じた場合に、事後的な紛争解決を用意するものであり、や
や性格が異なる。TPP 国有企業規律案は、サービスの貿易も適用対象に含めることから、
既存の WTO 補助金協定の規律等、広義の「競争中立性規律」の欠缺を埋めようとする試み
である一方で、オーストラリアの経験に照らせば、その性格上、従来以上に「他の公共利
益」とのバランス確保が重要となる。同交渉の今後の行方が注目される。
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以上
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