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『キングダム・オブ・ヘブン』を観て
『キングダム・オブ・ヘブン』を観て 第二回十字軍を扱ったこの映画は、キリスト教徒とイスラム教徒の双方に対して公平で、 客観的かつ中立的な立場から作られているが、どちらかと言えばキリスト教徒に対してより 手厳しいと言えるかもしれない。と言うのは、イスラム教徒の悪いところがほとんど出て来 ないからである。史実では、地中海沿岸のキリスト教徒の村を襲ったり、人々をアフリカへ 拉致したりして、サラセン人=海賊の印象があるのだが・・・。しかし、映画ではかなりよ く描かれている。イマッドはバリアンに対してとても紳士的であるし、サラディーンも、癩 病を患っているボードワン4世に対して「私の医者を遣わそう」と言う。また、バリアンが エルサレムを引き渡す時、キリスト教徒がこの街を奪還したときは、大勢のイスラム教徒を 殺したから・・・と心配すると、 「私はそんな連中とは違う」と言って、安全な帰国を保証す るのである。 これに対して、エルサレムのキリスト教徒側は穏健派と戦争推進派が対立しており、過激 なルノー・シャティヨン(エルサレムのカラクの領主)やテンプル騎士団にエルサレム王(ボ ードワン4世)も手を焼いている。彼らは和平協定を無視してイスラム教徒のキャラヴァン (隊商)を襲ったり、平和な村を襲撃したりして、サラディーンの妹まで殺すのである。こ れに対して協定を守ろうとするのが主人公のバリアンやティベリウス卿(トリポリ伯)たち である。ついに業を煮やしたサラディーンは20万の軍勢を率いてエルサレムに迫る。エル サレム王は病身を押してサラディーンと会見し、ルノーを処分することを誓って軍を引いて もらう。 まもなくエルサレム王の死期が近づく。王は妹のシビラがバリアンを愛していることを知 り、バリアンに妹と結婚してくれと頼む。が、バリアンはこれを辞退する。なぜ辞退したか と言うと、シビラにはギー・ド・リュジニャンという夫がいたからである。ただ、王はギー を処刑しようと考えていたのである。しかし、バリアンが断ったため、王の死後、シビラは ギーをエルサレム王に選ぶ。そしてギーはルノーを牢屋から出してやり、サラディーンとの 戦争に踏み切る。バリアンは刺客(恐らくテンプル騎士団の騎士たち)に襲われるが、辛く も生き延びる。そして戦いの直前にギーの前に現れ、エルサレムでの籠城戦を進言するが、 ギーはそれを聞き入れず、水のない砂漠へと進軍する。 案の定、ギーの軍勢は敗れる。ルノーとギーはサラディーンの前に立たされ、ルノーはサ ラディーンに喉を掻き切られる(妹の仇討)。ギーも死を覚悟するが、サラディーンの言った 言葉は「王は王を殺さない」であった。それから、サラディーンの軍勢がエルサレムを包囲 する。巨大な投石器から次々に火の玉が撃ち込まれ、城壁と同じ高さの移動式やぐらがいく つも近づいて来る。バリアンは市民たちを鼓舞し、彼らを指揮し、イスラム軍に多大な損害 を与える。ついにサラディーンも停戦に応じ、エルサレムを引き渡すなら、市民たちの安全 な帰郷を保障するという。ここに第一回十字軍によって奪還したエルサレムは再びイスラム の勢力下に入った。 最後に、イベリンのバリアンについて。実在の人物であるが、史実と異なるところも多い。 映画の終わりのところで、第三回十字軍に向かうリチャード1世がフランスに帰ったバリア ンに会いに来て「君がエルサレムを守ったバリアンか。一緒に来ないか」と言って誘う。が、 バリアンは「私は鍛冶屋ですから」と答えて断る。しかし、実際には「ヤッファ戦ではリチ ャードの後衛を預かっている」らしい。それと、バリアンの言うことを聞いていて、この人 物は21世紀の人間ではないのか、という錯覚を覚えたことである。恐らく映画監督(ある いは原作者)の言葉を反映しているのであろう。一例を挙げると、エルサレムの住民たちを 鼓舞するところで、彼は「エルサレムとは? 諸君の聖地はローマ人が破壊した寺院の上にあ り、イスラムの礼拝場ともなった。最も聖なるものとは? 城壁か? モスクか? 聖墓か? そ れは誰のものだ? 誰のものでもない。君ら、皆のものだ! 我々が戦っているのは聖地では ない。ここにいる民の命だ」と言えるのである。