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昭和59年5 月ー0日 第ー7ー号
第171号 昭 和59年5月10日 増 田 、牛 山 両 氏 が 受 賞 本 年 度 ク ラブ 賞決 ま る 四 月 二 十 三 日 に開 か れ た 当 ク ラブ 理 事 会 は 、 昭 和 五 十 九 年 度 の 日 本 記 者 ク し て の 評 価 も 高 い。 な お 女 性 の受 賞 ラブ 賞 を 増 田 れ い子 、 牛 山 純 一の両 氏 に 授 賞 す る こと を 決 め た 。 増 田氏 は の し ん ぶ ん ﹂ の編 集 長 と と も に 、 婦 め、 本 年 一月 定 年 後 も 引 き 続 き ﹁女 集 長 、 五 十 八年 から 論 説 委 員 を 務 和 五 十 七 年 か ら ﹁女 の し ん ぶ ん ﹂ 編 集 、 毎 日 グ ラ フ、 学 弾 云部 を 経 て 、 昭 来 、 社 会 部 、 サ ンデ ー 毎 日 、 図 書 編 卒 、 同 年 毎 日新 聞 東 京 本 社 に 入 社 以 十 八年 東大 で 、 昭和 二 室 特 別 嘱託 京 木社 論説 映 像 記 録 セ ンタ ーを 設 立 し て 日 本 テ 品 を 放映 した。 昭和 四 十 六 年 に日本 の 企 画 制 作 にあ た り 、 数 々 の話 題 作 し て テ レビ ・ド キ ュ メ ソ タ リ ー 番 組 日 本 テ レビ 放 送 網 に 入 社 以 来 、 一貫 ー セ ン タ ー常 務 理 事 。 昭 和 二 十 八 年 像 カ ルチ ャ 役 、 日本映 代 表 取 締 録 セソター 日本映 像記 牛 山氏 は 者 は増 田氏が はじ め て であ る。 人問 題を 中 心とする論 説 を 担 当 して レ ビ を 退 社 、 五 十 四 年 に は 日本 映 像 毎 日新 聞東 いる 。 薯 書 も 多 く 、 エ ッ セ イ ス ト と ⑰㎜ 引 き 続 い て午 後 五 時 か ら 清 水 幾 太 を 決 め る。 授 賞 と 受 賞 者 を 名 誉 会 員 に推 す こ と と 決 算 案 を審 議 し た あ と 、 ク ラブ 賞 で 開 か れ、 昭 和 五 十 八 年 度 事 業 報 告 二 十 二 日 (火 ) 午 後 四 時 か ら会 見 室 昭 和 五十 九 年 度 の 通 常 総 会 は 五 月 五月 二十 二 日 に総 会 で 清水 幾太郎氏 が 記 念講演 会 員証 が手 渡さ れ るo 円 と記念 品)が 贈 ら れ る ほか、名 誉 れ 、 受 賞 者 に は賞 状 と 副 賞 (五 十 万 開 催 さ れ る ク ラ ブ 総 会 の 席 上 で行 わ 両 氏 への授 賞 は 、 五 月 二 十 二 日 に し て評価 され た。 リ ズ ムの信用 と権 威 を 高 めるも のと こう した両氏 の業 績 が 、 ジ ャ ーナ 保 存 、 公 開 にあ た っ て い る。 け る と と も に、 内 外 の作 品 の収 集 、 ・ド キ ュメ ンタ リ ー 番 組 の制 作 を 続 カ ル チ ャ ー セ ン タ ー も 設 立 、 テ レビ 電 話 五 〇 三 - 二 七 一二 ︹ 代) ◎ 社 団 法 人 日 本 記 者 ク ラブ プ レスセソタ ービ ル9 F 東 京都千代 田 区内 幸 町 ニノニ ノ 一 発行 5月10日 郎 氏 を 講 師 と し て招 き 、 約 一時 間 の 記 念 講 演 を ぎ く こ と と な った 。 演 題 は ﹁新 聞 紙 ﹂。 ま た 同 日 午 後 六 時 か ら は宴 会 場 で 会 員懇親 会 が 開 かれ、参 加会 員 にク ラブ賞受 賞 者 を紹 介す ると とも に、 こ の総 会 で 退 任 す る笠 置 正 明 氏 に か わ って、 あ ら た に事 務 局 長 に 就 任 す る中 村 貢 氏 も 紹 介 さ れ る。 委 員 長 に 渡 辺 恒 雄氏 会 員 資格 委 員 会 新 井 理 事 長 は こ の ほど 、 会 員 資 格 委員会 委 員 長 を渡 辺恒雄氏 ( 読売新 聞 社 専 務 取 締 役 論 説 委 員 長 ) に委 嘱 し た。 これは 、 これ ま で委段長 を務 め て い た 水 上 健 也 氏 か ら 渡 辺 氏 に読 売 新 聞 社 の理 事 が 交 代 し た こと に伴 っ て と ら れ た 措 置 であ る 。 な お 、 渡 辺 氏 は総 務 委 員 会 委 員 も 兼 ね る o 五 月 一日 現 在 の 会 員 状 況 法 人 会 員 一四 六社 基 本 会 員 六 二九人 個 人 会 員 一、 一五 七人 法人 ・個 人賛 助 会 員 六四社 一九〇 人 特 別 賛 助 会員 七 一人 名 誉 会 員 一四人 二 [○ 社 二、〇 六 一人 計 (1) 第171号 1984隼 ア ン ロ ック で 戦 死 し ベ ト ナ ム の 渤⋮ 戦地 ス て、 佐藤 武 さ ん が 南 う気 持 ちが 支 配 し ていたo も っと 整 った 原 稿 に し た い、 と い し て、東 京 で まと めても ら う か 、 戦 線 の 日 系 米 人 の状 況 な ど も 取 材 事 実 、 そ の とき も ペ ン タ ゴ ン か た事実 を認 め、 そ の 日 付 や遺 族 の 所 在 ま ら 膨 大 な 戦 死 者 リ スト 三 冊 を も ら い、 日 系 人 ら し い人 物 の身 元 を 、 で教 えてく れ た。 だ から カリ フ ォ ル か た っぽ し か ら 洗 い出 し に か か っ 一 ニア在 住 の姉 、 千 恵 健 た も の だ 。と ころ が 、私 の 送 っ た デ 田 子 さ ん の電 話 を 調 べ ータは、 ほと んどそ のまま 原 稿 の 上 る のも 、 全 く 手 間 は か か ら な か っ 形 にな っ て ﹁ワ シ ソ ト ン上 田 特 派 ソ ト ソ特 派 員 宅 の テ レ ック ス に 、 け 、自 家 用 車 の 二 台 目が 、安︹ く て燃 代 用 教 員 な ど の ア ルバ イ ト に 出 か が 昂 進 し 、隣 り 近 所 の奥 さ ん 方 は 、 ト のさ な か 。 戦 費 のた め イ ン フ レ 原 則 と し て 、 当 時 は兵 役 義 務 が 生 六か 月 以 上滞 米 した外 国 男 子 は た。 は 、 嫁 い だ 姉 を 頼 って 米 国 に渡 っ 神奈 川県 庁 に勤 め て い た 武 さ ん 本 意 で な い。 ナ マ惰 報 の 取 材 記 者 発 ﹂ と麗 々しく活 字が 躍 る の は、 な か った 。 第 一に、 ﹁上 田 特 派 員 し た と き は 、 正直 、 不 満 を 禁 じ 得 通知 を 、支 局 の テレ ック スで 目 に ﹁朝 刊 一面 ト ップ ﹂ と い う 掲 載 K A KU NIN WO 東 京 本 社 か ら ロ ー マ字 電 報 が 打 ち 費 効 率 の良 い 日 本 の小 型 車 に 切 り ず る こと に な っていた。観 光 ビ ザ が 、 ほ か に い る はず な のだ か ら 。 OK か ら いか ら だ ろ う 。 た 。 ﹁な ぜ 日 本 人 が ベ ト ナ ム で 、 員 発﹂ に活 字 化 され てしま った。 こ の種 の話 は 、 特 ダ ネ 白 慢 話 の 戦 死 しな け れば ならな いの で し ょ こ ま れ てき た 。 深 夜 だ った 。 内 容 か わ って い った 時 代 であ る 。 ﹁日 で訪 ね た 佐 藤 さ ん が 、 や が て永 住 第 二 に 、 情 報 の確 度 に 不 安 は な い I S O G U と 打 ち 返 し た私 は 翌 朝 、 う﹂ と涙 声 で訴 えた千 恵 子 さ ん の よ う に聞 こえ て 、 耳 ざ わ り な も の になりが ちだ。 私 のは、逆 の面 映 ペ ソ タ ゴ ン に車 を 飛 ば し た 。 な に 声 が 、 ま だ 耳 に 残 って い る 。 も と は 、 ア メリ カ に 住 ん で いた サ ト ウ 本 青 年 が ベ ト ナ ムで戦 死 ﹂ は 、 日 権 に切 り か え た と き 、 そ の 義 務 を が 、 ま だ キ チ ンと し た 記 事 の体 裁 ◇ ゆ いザ ンゲ と 、 お聞 ぎ 頂 き た い 。 し ろ ベ ト ナ ム戦 争 は、 エ ス カ レ ー ・タ ケ シと いう 日 本 の青 年 が 、ベ ト 本 の新 聞 な ら 捨 て おけ ぬ 最 大 級 の 負 う こと にな る。それ ら の経 緯 を ◇ ナ ム戦 争 に か り 出 さ れ 、戦 死 し て 話 題 にち が い な いと思 いな が ら 、 メ モし 、 と り あ え ず 確 認 で き た デ で はあ る が 固 有 名 詞 も 記 さ れ て い な か った 。 ブ レ ス担 当 官 の マ ー 口 そ の確 認 に は 、 ほ と ん ど 苦 労 し て関連 記 事 も 、 たとえば べ ト ナ ム 日 の深 夜 だ った。 も っと 掘 り 下 げ ータを本 社 に打 電し た のは、 そ の 一九 七 〇 年 六 月 のあ る 日 、 ワ シ い た と の情 報 を 確 か め て ほ し い、 ア ク セ ルを 踏 み つづ け た o る。 これだ け の文 面 にとどめ た の !大 佐 は 、 す ぐ に資 料 を 取 り 寄 せ は 、 六 月 七 日 (日)の項 に 、 ﹃毎 日﹄ ﹃デ ス ク M E M O﹄ (新 村 正 史 氏 ) 不本 意 にも 、翌年 発 刊 さ れ た を な し て いな い はず な の だ 。 と い う も の だ った 。 短 く 、 抽 象 的 は 、 取 材 源 の秘 匿 を 第 一と す る は (2) 第171号 昭 和59年5月10日 第171号 昭 和59年5月10日 用 し たう え、 次 の よ う に 記 し て い プ に載 せ て いる 、 と そ の要 旨 を 引 う 大 ス ク ープ を 、 朝 刊 の 一両 ト ッ 日 本 の若 者 が 戦 死 し て いた ﹂ と い が 上 田健 一特 派 員 の ﹁ベ ト ナ ム で の記算 を本当 に スク ー プ し た の で 、 あ り て い に 中 し あ げ た 。 ﹁こ 集 で イ ソ タ ビ ュ ー を 受 け る に及 ん 者 か ら ﹁わが ス ク ープ の内 幕 ﹂ 仙 特 ま う 。 そ の後 、 雑 誌 ﹃潮 ﹄ の編 集 申 し わ け な い気 持 ち で滅 入 っ て し ら れ た気 が し て 、 有 難 く も 思 う 。 君 と読 者 に対 す る 照 罪 の 場 を 与 え っ てお き の話 ﹂ を 書 く こと で 、 Q せ られ た。 い ま 改 め て、 こ の ﹁と ってく れ て 、 そ の取 材力 に驚 嘆 さ な 日米 関 係 の 証 言 を し た こ と が あ 意 した 原 稿 を も と に、 か な り 重 要 大 使 が 、 連 邦 議 会 の公 聴 会 で 、 用 も う 一 つo ラ イ シ ャ ワ ー 元 駐 日 象徴 を 、 そ こ に見 る思 い だ っ た 。 る。 そ の 全 文 を 本 紙 に掲 載 し た い る 。 ﹁日本 の 若 者 が 米 兵 と し て ベ ら か にな った 例 と し て は 初 め て な く て、 そ の だ れ と は 分 か ら ぬ 一 な い。 ほ め ら れ る べ き は 、 私 で は て い る と は い え 、 当 時 の米 政 府 、 き 頂 ぎ た い 。 そ れ は 、戦 争 を 抱 え こと の つ い で に 、 も う 少 し お 聞 上院 外 交 委 員 会 事 務 局 の 若 い女 性 も っと も な 疑 問 と思 っ た 私 は 、 のだ が 、 ラ イ シ ャ ワー氏 に 、 い く だ 。 これ は 各 紙 と も 明 日 の朝 刊 で 記 者 な の です ﹂ と 、 恥 ず か し な が 議 会 関 係 者 な ど の報 道 機 関 に 対 す スタ ッ フ に た ず ね た。 彼 女 は 、 あ. ◇ 追 いか けざ る を 得 ま い﹂ ﹁上 田特 ら 告 白 し た記 事 が 一ペ ー ジ を 費 や る姿 勢 が 明 確 で 、 末 端 ま で 浸 透 し き れ た よ う に 笑 いな が ら 、 明 快 に は 、 だ れ な の か 、 い ま だ に分 か ら 派 員 が 、 こ の ス ク ープ を し な け れ し て載 っ て い る 。 (﹃潮 ﹄一九 七 五 て いた 点 で あ る 。 軍 事 情 報 な ど は ト ナ ム で戦 死 し た と いう の は 、 明 ば 、 そ の事 実 は つ い に、 ほ と ん ど 年 六月 号) し か し、 気 が か り だ った 。 そ の ﹁出 身 地 、 日 付 入 り の ベ ト ナ ム 戦 別 と し て、 た と え ば さ き に 挙 げ た こう 答 え た 。 ろ、 Q君が 原情 報 の 入手者と分 か 間 に、 こ の話 題 を 持 ち 出 し た と こ は シ ャ イな Q 編 集 委 員 と呑 む 合 い の 気 安 さ も 手 伝 った の か、 い つ も 月 は、 十 年 近 く 経 過 し て いた Q そ 任 し て 間 も な く の こ ろ であ る o 歳 は、 私が大阪 の編 集 局 長とし て赴 て、 当 然 の こ と の よ う に、 気 前 よ の よう な 大 部 の資 料 を 見 つけ て き ず 、 ど こ か ら か 、 イ エ ロー ペ ー ジ た いと い う と 、 だ れ に も 相 談 せ った 。 彼 は 全 戦 死 者 の リ スト を 見 た の は、 広 報 部 門 担 当 の 一等 兵 だ 死 者 名 簿 ﹂ を 即 座 に手渡 し て く れ さ に敬 意 を 表 さ ざ る を 得 な か っ つ、 ア メ リ カ 民 主 主義 の底 辺 の 広 役 人 の小 憎 ら し い応 対 を 連 想 し っ 私 は赤 面 し な が ら も 、 日 本 の お なるのです か らね﹂ 発 言内 容 は 、 米 国 民 共 有 の 財 産 に そ の瞬 間 か ら 、 だ れ に せ よ 、 そ の 要 はあ り ま せ ん。 議 会 で 証 言 し た 百 ペ ージ のも の で も 、 必ず 翌 朝 、 た。 く タダ で く れ た o サ イ ゴ ン に在 勤 し て い た彼 は 、 外 国報 道 機 関 の 各 支 局 に ま で 届 け ま た 、 連 邦 議 会 の速 記録 は 、 何 ほ か にも 書 け ず じ ま い に終 わ った ら れ る 。 成 熟 し た デ モク ラ シ ー の 卍 だ った 。 秘 話 を 、 酔 う ほ ど に、 いく つか 語 ”ご 対 面 っ た の であ る 。 意 外 に淡 々と し た ﹁だ れ に も 、 一セ ント も 払 う 必 記 者 を 突 き と め る こ と が でき た の 東 京 か ら 問 いA口わ せ てき た 。 ら謝 礼 を 払 え ば い いの だ ろ う 、 と の 日 本 人 が 知 ら ぬ ま ま 、 永 遠 に葬 り 去 ら れ る と こ ろ だ った ﹂。 汗 顔 の至 り 、 と は こ の こと だ ろ う o な によ り も 、 原 情 報 提 供 若 に う え だ けん いち 氏 略 歴 昭和 . 年 束京 都 出 身 9 五七 歳。 〒稲 踊ぺ 学 政 治 縫済 学 那 皐。 一.十 六 年 毎 日新 聞 入 祉 。 ワ シ ソ ト ン特 派員 、 同 支 局 長 、 政治 部 長 な ど を 経 て 、 五 十 二 年 論 設 委 員 畏 。 五 十 四年 大阪 本 社 副 代 疫 ・編 集 局 畏 、五 卜 五 年 東 京本 社 取締 役 主 笹 ・糊 集 局 長 、π 十 八年 顕 間 に。 同年 四 月 から 、 T B S ﹁二 晶ー ス コー プ ﹂ の キ ャ スタ : を 務 め て いた が 、 今 年 四月 から ﹁これ が 世界だ﹂のア ソカー マソ に。 五十 六 年 か ら 二年 間 当 ク ラブ の理 亭 を 務 める 。 (3) ぞ れ の 国 内 の生 産 者 を 納 得 さ せ る が 多 い。 最 初 から 日 米 双 方 が そ れ で き た の か は 今 も って な ぞ の部 分 度 決 裂 し た 交 渉 が 、 な ぜ 一転 合 意 物 交 渉 は土壇場 で急 展 開 し た。 一 ソ ト ソ で開 か れ た さ き の 日 米 農 産 グ レ ッグ 氏 にも 会 い ﹁日 本 側 の意 ブ ッ シ ュ副 大 統 領 の特 別 補 佐 官 、 け て は いけ な い﹂ と 電 話 で 説 得 。 グ ー ル昴 儒佐 官回 に ﹁日 米 関 係 を 傷 つ 国 家 安 全 保障会議 アジ ア担 当 の シ レ ー ガ ソ大 統 領 側 近 の 一人 で あ る 同 党 農産 物 自山化問 題 小 委 員 長が や は り農 相 に同 行 し た 羽 田 孜 ・ の 政 治 判 断 が働 い た の で は な い た こ と は事 実 だ が 、 ﹁さ ら に高 度 議 員 団 や 大 河 原 大 使 の努 力 が あ っ 決 断 を 促 し た の か 。 も ち ろ ん同 行 か ら だ 。 だ れが ホ ワ イ ト ハウ スの 譲 歩 を 指 示 し た こ と は 間 違 いな い は ホ ワ イ ト ハウ スが 米 側 代 表 団 に 落 ち な い面 も あ る 。 妥 結 の背 景 に し か し、 こ の説 明 だ け で は ふ に 山 村 農 相 の言 う 通 り 現 地 が 処 理 し 農 相 にどんな指 示 を与 えた のか。 裂 の報 告 を 受 け た 中 曽 根 首 相 が 、 いず れ にし て も 農 荘 か ら 交 渉 決 拾 に走 り 回 った と い う の であ る。 っ た た め、 日米 双 方 が あ わ て て収 れ と 知 らず 六 日 の 午 前 中 で席 を 立 て いたと いう のであ る。農 相がそ も の で、中曽根 首 相 も これを知 っ て 折 れ る こ と にな って い た と い う 。 ワシ た め に、 大 が か り な 芝 居 を 演 じ た 向 を 副 大 統 領 に伝 え 、 高 度 の政 治 か ﹂ と 中 曽 根 首 相 や 安 倍 外 相 の働 決 裂 か ら急 転 妥. 結 ヘー と いう説 、当初 か ら シナ リ オはな 判 断 を 求 め る﹂ と頼 み 、 グ レ ッグ り妥 結 し な い﹂ と し て ホ ト ハウ ス の 指 示 が な い限 ﹁(今 回 の交 渉 は)ホ ワイ た の か は 、 こ の時 の言 葉 が カギ を た の か 、 首 相 ら の 裏 面 工作 が あ っ 道 実、交 渉 が 始 ま る前 から き か け を 指 摘 す る 人 は 多 い。事 弘 握 っ て いる よ う だ 。 氏 も ﹁必 ず 伝 え る﹂ と 答 え た 。 子 ワイ ト ハウ ス へ何 ら か の 悲 壮 な 面 持 ち で打 ち 明 け た 。 こ れ 中 賄晶 恢首 相 に辞 表 を 提 出 す る﹂ と に 交 渉 の経 過 を 報 止口、 ﹁帰 国 後 は に 戻 った 山 村 農 相 は 日 本 側 代 表 団 交 渉 打 ち切 り後 、 宿 舎 の ホ テ ル 転 合 意 に こぎ つけ た の は 日 本 側 代 よ う 頼 み込 んだ 。 山 村 農 相 が コ イ ト ハウ スと 再 度 調 整 し てく れ る を し て い た ブ ロッ ク 代 表 に、 ホ ワ を 自 宅 に訪 ね 、庭 で バ ラ の 手 入 れ ク U S T R (米 通 商 代 表 部 ) 代 表 説 。 交渉 のかけ引 き 上 、米 ず が と と の って い た と い う 渉 は 当 初 か ら合 意 す る 手 は て い る のが 、 今 回 の 日 米 交 こ う し た中 で さ さ や か れ ら ず 、時 間切 れ寸 前 にな っ 山村 ・プ ロ 7ク第 一回会 談 (四 月 四 日) あ る日本 側 代 表 団 員 は く 決 裂 に驚 いた 両 国 の関 係 者 が 水 金 な ぜ 一転 合 意 で き た の か 面 下 で 工作 し て合 意 に こぎ つけ た と い う 説 など さ ま ざ ま な 憶 測 が 飛 ん で いる。 ま ず 問 題 の 四 月 六 日 午 後 (日 本 時 間 七 日 早・ 朝 ) を 関 係 者 の証 言 を も と に 再 現 し て み よう 。 (日 本経 済 新 聞 社 雛 済 部 ) 働 き かけ をし て いる こ とを を 押 し と ど め た のが 農 相 に同 行 し 表 団 員 の努 力 のた ま も のL と 、 中 一方 、 大 河 原駐 米 大 使 は ブ ロッ た 玉 沢 徳 一郎 ・自 民 党 農 林 部 会 曽 根 首 相 の介 入 や 日 米 双 方 の 芝 居 側 は ギ リ ギ リ の段 階 ま で譲 ◇ 長 。 ﹁政 治 決 着 を つ け にき た の に 説 を 否 定 す る の は、 こ う し た動 き 示 唆 し て いた 。 こ れ で は仕 方 が な い 。 最 後 の努 力 が 背 景 に あ る。 ◇ を し て み よ う﹂ と も ち か け た 。 (4) 第171号 昭 和59年5月10日 第171号 昭 和59年5月10日 族 の応援 団 を繰 り出 した多 数派 工 五 十 日 に及 ぶ 論 争 。 逓 信 、 商 工 所 の 覇 権 争 い であ った 。 改 革 のも と で の 21 世 紀 に向 け た役 のあ り方 を めぐ る論争 と、 行財政 は わ が 国 電 気 通 信 政 策 の開 放 体 制 れ た今 回 のVA N戦争 1 。そ れ 自 民 党 執 行 部 を 巻 き 込 ん で演 じ ら 郵 政、 通産 両省 が激 しく対 立、 規 制 (第 [種 以 外 )を 廃 止 、 民 間 活 情 報 化 社 会 を 構 築 す る に は 一切 の 郵 政 の見 解 。 こ れ に 対 し 、 健 全 な た 自 由 化 が 適 当 で あ る と す る のが 保 持 の立 場 から 一定 の 規 制 を 加 え 放 す るが、 通信 主権 の確 保や秘 密 運 営 さ れ てき た。 これ を 民 間 に開 電 気 通 信 は 一貫 し て 国 の 手 で独 占 設 備 がわが 国電気 通 信 の始ま り。 1 裁 判 所 ) に設 け ら れ た 有 線 電 信 し か も改 善 命 令 、 技 術 基 準 な ど 政 き 返 し の成 果 を 示 す も の であ る 。 と の規制緩和 の裁定 案 は通産 の巻 後 を 目 途 に制 度 の 見 直 し を 図 るー 出 )、二種 は 外 資 規 制 の撤 廃 、一 二年 ど 特 種 二 種 (登 録 ) 一般 二 種 (届 け ん だ も のと な った 。 大 型 V A N な 顔 を 立 て つ つ通 産 の 主 張 を 盛 り 込 自 民党裁定 は、 主 務官 庁郵 政 の こ と は 確 か。 官 庁 と し て の意 地 が 底 流 にあ った 許 認 可 権 を 持 つ運 輸 、 郵 政 、 予 算 的な 地盤沈 下 を導 ぎ出 し て い る。 グ予 算 の執 行 は、 政策官 庁 の相 対 示 し た 。 行 革 に よ る ゼ ロシ ー リ ン 守 備 範 囲 が 変 化 し つ つあ る こ と を のも と で 、 中 央 官 庁 の役 割 と そ の そ れ に 新 し い 産 業 社 会 に向 け た 苫 し い。 政 策 を推 進 す る わけだが 、 台 所 は ルギ i対 策 に使 わ れ る 。 残 り で 新 か 持 た な い 通 苑 。 そ の半 分 は エネ き たと いわ れ る。 八千億 の予 算 し は 辛 い。 経 団 連 と の関 係 が 冷 え て 国産 業界 を り ;ドする通 産 の立 場 ま だ し も 、 知 恵 と ア イデ ア で わ が 執 行 型 の建 設 、 農 水 な ど の官 庁 は 作 、自 民党 四役 によ る裁定 。 まさ 力 を フ ル に導 入す る こ と が 必 要 だ 令 は事 前 協 議 と な っ た こ に 異 様 な 戦 い であ った 。 そ の熾 烈 さ は ﹁川 中 島 の戦 とは、 通 産 が名 を捨 て実 決 定 であ った は ず だ が 、 事 の 本 質 リ テ ィ ! や ア イ デ アと いう 点 で は 価 が 問 わ れ て い る。 確 か に バ イ タ 向 け て 一流 官 庁 と し て の 役 割 の 真 業 を 育 て て き た 通 産 省 。 21 世 紀 に 自 動 車、 家 電、 鉄鋼 など 基 幹 産 て いる。 な ど の 各 省 で 主 導 権 争 いが 始 ま っ 技 術 分 野 で は 、 通 産 、農 水 、 厚 生 役 所 の所 管 争 い は激 烈 。 新 素 材 、 と し 通 産 は完 全 自 由 化 を 求 め た 。 論 が 陰 にか く れ 両 省 の 縄 張 り 争 い 電 気 通 信 制 度 の新 し い 枠 を と った 表 れ で も あ る 。 克 い のご と く 堂 々 の戦 (いく さ ) 各 省 の所 管 争 い が 激 化 村 で な か った。 博 多 湾 に 攻 め 入 岡 し かし な が ら、 わが 国 首 脳 の骨 、 ロ葉 が 、 そ れ を 如 実 に 論 争 の最 大 の 焦 点 と な った の 通 産 の 主 張 の根 底 に は ① V A N に 終 止 し た こ と は 残 念 であ る 。 電 バ イ オな ど 明 日 の産 業 を 開 く 先 端 が 、付 加価値 通 信網 と呼ば れ るV は情 報処理 サービ スの ひと つの メ 電 公 社 の株 式 会 社 移 行 に伴 う 電 話 組 みを定 め る重 要 な政策 った 元 冠 だ﹂ と 語 っ た 通 産 省 信 。) A N の 取 り扱 い。 異 機 種 コ ンピ ュ ニ ュ ー にす ぎ な い② こ の ナ ソ ラ イ 料 金 のあ り 方 、 そ の 経 営 動 向 、 I ヘロ 刊 工馳 断 聞 吐 闘 奥 司 窮 ﹁並 纏箔 ー タ ー を 通 信 で結 び 各 種 情 報 を提 ソ処 理 は現 在 全 く 自 由 ③ 米 F C C 物 語 って いる o 供 す るも ので、高 度 情 報 化社会 の B M 、A T T な ど 外 資 上 陸 の影 響 、 電 気 通信事業 の民 間 開 放 による情 (連 邦 通 信 委 員 会 ) 第 二 次 決 定 に み ら れるご とく完 全 自 由 化が世 界 報 化 社 会 への イ ン パ ク ト等 々、 論 中 枢 機 能 となる も の。 V A Nを含 む 第 二種 電 気 通 信 事 業 (新 電 電 会 の 流 れー と の判 断 が あ った 。 こ う し た建 前 と は 別 に ﹁コソピ 今 回 のVA N戦 争 は、行 財政 改 か。 一ラ ウ ンド と み て良 いの で は な い 他 の官 庁 よ り 群 を 抜 い て い る 。 今 社 な ど 第 一種 か ら 回 線 を 借 り て 行 う サ ー ビ ス) の自 由 化 の度 合 いを ュー タ ーを 含 め わ が 国 情 報 産 業 を 革 の 推 進 と わ が 国 産 業 構 造 の変 化 回 の V A N戦 争 は 通 産 省 復 権 の 第 め ぐ っ て両 省 が 論 戦 し た も のだ 。 育 て て き た﹂ と す る 、 通 産 の政 策 議 す る べき 課 題 が. 多 い。 明 治 二 年 八 月 、 横 浜 (燈 台 役 所 (5) あ った 。 深 夜 の 呼 び 出 し は な れ っ ルを 奪 わ れ た こ と を ぼ や く 余 裕 も た。そ の時 は 、 ふろ上が り のビ ー デ ス クが 電 話 で 出 動 を 命 じ て き れ﹂1 。 三 月 十 八 日夜、泊 まり の 長 が ら 致 さ れ た 。 現 場 へ行 っ て く ﹁え ら い こ っち ゃ 、 グ リ コの 社 し て 在 阪 の報 道 機 関 二 社 に警 察 を す る脅 迫 状 が 舞 い込 ん だ の だ 。 そ 崎 社 長 宅 に今 度 は 六 千 万 円 を 要 求 さら に不気 味 な動 きを み せる 。江 よ う に、 四 月 初 め にな って犯 人 は 始 ま った 取 材 合 戦 。 火 に油 を 注 ぐ 保 護 さ れ た 。 せ き を 切 った よ う に 幸 い、 江 崎 社 長 は 三 日 後 に 無 事 県 警 記 者 ク ラブ で は ﹁各 あ お る 結 果 と な った よ う だ 。 兵 庫 た だ し こ の ク レ ー ムは 逆 に 各 社 を こ れ ま た 異 例 の要 請 を し て き た 。 長 に夜 討 ち を し て も 無 駄 で す ﹂ と を か け る の は や め て ほ し い ﹂﹁本 部 れ て い る 捜 査 員 に夜 討 ち 、 朝 駆 け す る ば か り 。 兵 庫 県 警 は 遂 に ﹁疲 む 取 材 、 報 道 合 戦 も エ スカ レ ー ト 暴 走族 、 過 激 派 ⋮⋮。週 刊 誌 を 含 犯 人 像 が 浮 か ぶ 。 暴 力 団 、総 会 屋 、 異 例 ず く め の事 件 に さ ま ざ ま な は、 捜 査 本 部が抱 え る確 執 も 知 っ し か し 犯 人 グ ループ の 不 敵 な 挑 戦 事 件 の 解 決 に つな が る な ら い い。 を 披 露 し た 。 こ の ラ イ バ ル意 識 が が 挙 げ る ﹂ と な みな み な ら ぬ 決 意 両 府 県 警 の幹 部 ら は ﹁絶 対 、 う ち 広 域 重 要 事 件 に指 定 さ れ た あ と 、 厳 し い表 情 で 事 件 を追 って い る 。 か ら あ ざ 笑 わ れ た捜 査 陣 は 一様 に と な り ﹁あ ほ ど も ﹂と犯 人 グ ル ー プ は続 発 す る 誘 拐 事 件 の ”代 表 格 ” 江 崎 グ リ コを めぐ る 一連 の事 件 な展 開を み せ る。 十 億円 と金塊 百 ﹁ 夜 討 ち 、朝 駆 け ﹂自 粛 要 請 キ ロと い う 法 外 な 身 代 金 の要 求 。 当初 、強 盗 か 、 ら致 事件 と み ら れ て い た が 、 十 九 日未 明 に 義 の 監 視 の中 で の 捜 査 で は 犯 人 が 人 刊 誌 は﹂ ⋮ ⋮ 。 し か し ﹁報 道 機 関 の株 価 の動 き は ど う 扱 う の か ﹂﹁週 て効 果 が あ る の か ﹂ ﹁江 崎 グ リ コ 定 を 結 ん で も 、 人 質 の安 全 に つ い だ け に論 議 を 呼 ん だ 。 ﹁今 さ ら 協 さ せ た 。警 察 庁 は 広 域 重 要 事 件 ﹁1 は思 え ぬ 、 複 雑 な 犯 行 動 機 を 感 じ 攻撃 はた ん なる身 代金 目的 だ け と コ本 社 な ど に 連 続 放 火 、 執 よ う な き た 。 犯 人 グ ル ープ は 大 阪 の グ リ が 一転 、 日 本 的 な 陰 湿 さ を お び て 米型 犯罪 ﹂と 分析 され て いた 事 件 ﹁大 阪 さ ん が や っと る か ら よ う わ い、 放 火 事 件 にな る と 県 警 幹 部 は 部 内 で は、 両 府県警 が腹 を探 り 合 警 西淀 川 署 捜 査本 部。合 同 捜 査 本 同捜 査 本 部 と、放火 事件 の大 阪府 事 件を 調 べ る兵庫、 大阪 府 県警 合 も 取材 陣 を戸 惑 わせ てい る。 誘 拐 が 同 じ 事 件 を 追 う と いう パ タ ー ソ 兵 庫 、大 阪 の両 府 県警 を 生 み か ね な い。 す れ ば 、 ひ だ はな お、 新 た な 犯 罪 の中 で な お う ご め い て い る 。 放 置 犯 人 グ ル!プ は世 相 の 暗 い ひ だ で増 幅 さ れ て い る か ら で あ る 。 を 装 っ た い たず ら の続 発 と いう 形 件 に便 乗 し た反 警 察 感 情 が 、 犯 人 な ら な い。 そ う痛感す る の は、事 事 件 は 一刻 も 早 く 解 決 さ れ ね ば わざ 確 認 さ れ る のも 変 な 話 だ 。 こであ る。 あ ざ 笑 う 犯 人 か ら の挑 戦 状 が 届 け 社 が そ んな に頑 張 っ て い たう え で と いう節もあ る。 と こ ろが 事 件 は 予 想 を 覆 す 異 常 られ た。 る な らう ちも 負 け ら れ ﹁一流 企 業 の ト ップ を 狙 った 欧 な っ て身 代 金 目 的 誘 拐 事 件 と 日 質 に危 害 を 及 ぼ す 可 能 性 が あ る ﹂ 1 4 号 ﹂ に指 定 す るが 、 グ リ コ本 か ら ん ﹂ と い った調 子 。 警 察 庁 捜 れ た。 ん ﹂ と いう 会 話 が 交 わ さ 朝 治 判 明 。 そ し て兵 庫 県 警 か ら の 報 道 協 定 の申 し 入 れ と な る 。 と いう 丘ハ 庫 県 警 の要請を受 け 、各 社 あ て の 塩 酸 入 り ポ リ容 器 の こ れ 査 一課 長 ら を 交 じ え た捜 査 会 議 で (神 戸 新 圏 社 社 会 部 県 警 キ ャ 7プ ) 社 と も 、取 材 、報 道 の 自 粛 が 人 質 の み よ が し の放 置 な ど 、 犯 人 グ ル ー す で に 第 一報 が 流 れ て い る 安 全確 保 に つなが る可能性 が 残 っ プ の挑 戦 は 止 ま ら な いo ﹁緊 密 な 連 絡 、 情 報 交 換 ﹂ が わ ざ て いる 、 と し て 協 定 に同 意 し た 。 (6) 第171号 昭和59年5月 面 日 昼 ニュー ス に ワ シ ソ ト ソか ら 生 中 ニ ュー スで や り 出 し た 。 T B S は ジ テ レビ も N T V も 夕 方 の メイ ン ジ オと 結 ぶ 掛 け 合 い生 中 継 を 、 フ で や っ て い た ニ ュ ー ヨー ク の ス タ だ ろ う。 こ れ ま で N H Kが N C 9 が や け に増 え た と 感 じ た方 も 多 い に ア メリ カ か ら の 衛 星 中 継 の映 像 四 月 にな っ て 、 テ レビ ニ ュー ス の ト ラ ン ス ポ ン ダ ーを リ ー ス し て で は無 理 と な る 。 そ こで 予 備 衛 星 お茶 の 間 へ届 け る には 、 通 常 回 線 ツ の祭 典 だ 。 そ の映 像 を た っぷ り ぶ り に日 本 選 手 が 登 場 す る ス ポ ー な る 。 そ こ ヘ オ リ ンピ ッ ク。 八 年 のが 加 わ る と 、 回 線 事 情 は 苦 し く 急 ニュー ス、 ス ポ ! ツ の長 時 間 も る ニュー ス の 定 時 伝 送 の他 に 、 緊 の テ レビ 用 回 線 は 二本 、 一年 中 あ 日から は石 橋 社 会 党委員 長 初 の ア が 大詰 め で 山 村 農 相 が 訪 米 し 、 七 広 げ て い る 。 た ま た ま農 産 物 交 渉 ら し た特 派 員 レ ポ ー トA口戦 を く り ジ テ レビ を は じ め、 各 局 意 匠 を こ 日 メイ ン ニ ュー スに 登 場 さ せ た フ スタ ー に転 進 し た 山 川 千 秋 氏 を 連 二〇 〇 件 を 軽 く 超 え る 。 国 際 キ ャ 回数 は、定 時 伝 送 九〇件 を含 め て 昭 合 い で 少 しず ら す こ と が 競 合 し た 場合 で も 、 話 し 空 き が 分 かるし、 時 間が 易 い 。 電 話 一本 で 回 線 の が あ ふ れ た 。何 し ろ 使 い に は同 行 記 者 団 の顔 出 し レ ポ ー ト メリ カ行 き と つづ い て、 ト ラ ポ ン 継 を 入 れ る と い った 具 合 。 こ の 各 専 用回 線 に と い う 話 が 浮 か ん で き (国 際 衛 星 社 の ハッ ス ルぶ り の引 き が ね と な った のが J I S O 共同 利用機構 ) の専 用回線闇 本 衛 星中 継 新 時 代 へ始 動 梅 ー ク か ら東 京 ま で 、 日本 だ け の専 (中 継 器 )を リ ー ス し て 、 ニ ュ ー ヨ が 、 呉 越 同 舟 い や 同 星 で 一つ の プ イ バ ル意 識 の 成皿ん な テ レ ビ 各 社 利 用構 想 が ま と ま る。 い つも は ラ た 。 テ レ ビ 界 の ト ップ 会 談 で 共 同 の情 報 過 多 に な り は し な い か と 心 トラ ポ ン の登 場 でアメリ カ か ら 間 の評 判 は よ ろ し い よう だ 。 簡単 に でき る 。 衛 星中継関 係 者 の か ら 、 時 間 の 変 更 や キ ャ ン セ ルも 可 能 だ。 仲間内 の回線 だ 用 回線 を確 保 し 、 質 量 と も に テ レ ロジ ェク ト に 取 り 組 む こと に な っ 配 す る向 き も あ る が 、何 も ア メ リ (悶際衛屋共同利 用 機栂事 務局次長V ビ の 衛 星 中 継 を パ ワ ー ア ップ し よ た 。 二年 前 の こ と であ る。 以 来 、 カのテ レビ の映 像 が そのま ま 口本 と ころ で ス タ ー ト し た ば か り の に は 工 夫 を こ ら し て いる ら し い 。 様 に ト ラ ポ ン で 送 る ソ フト の 内 容 そ れ に し ても時 差 の壁 を 乗 り 越 え 、昼 は 取 材 、 夜 は レポ ー ト に励 む 各社 の特 派 員 諸 氏 にと っては、受 難 時 代 の幕 あ け と も い え そ う だ 。 さ て ト ラ ポ ンの 利 用 は ニ ュー ス や ス ポ ー ツ に 限 ら な い 。 いわ ゆ る 情 報 番 組 も ロス を舞 台 に 、 大 い に 利 用 し よ う と いう 兆 し を み せ て い る。 安 く て 手 軽 な ト ラ ポ ソ と し て、 お 客 の増 加 は 歓 迎 だ が 、 た だ 声 ば か り 高 く て中 味 の薄 い情 報 の 氾濫 とな ら な いよう、 関係 者 と し て念 じ て いる。 凹 n (7) 通 であ. る。 J I S O と は 、 N H K を含 めた在山 兄 テ レ ビ 山ハ社 が 、 共 同 で 太 平 洋 通 信 衛 星 と ア メリ カ う と つく り 上 げ た 組 織 、 ま た の 名 四 月 一日 の 開 通 ま で 、 曲 折 の 末 に に流 れ 込 む わ け で はな い。 各 社 各 中 継 の急 激 な 増 加 と いう テ レ ビ 界 ト ラポ ン回 線 、 な か な か の繁 昌 ぶ ま こ と に望 ま し い競 争 で は あ る 。 の 民 放5祉 日米 問 の24時 間 列 用 テ レ ビ回線 開 通 を 祝 うNIIKと 国 内 通 信 衛 星 の ト ラ ソ スポ ン ダ ー を ト ラ ポ ン機 構 と も いう 。 たどり つい た わ け だ。 の す う 勢 と 、こ の 夏 の ロ ス ・オ リ ン り であ る 。 開 始 し て半 月 間 の伝 送 ト ラ ポ ン誕 生 の背 景 に は、 衛 星 ピ ックが あ る 。 現 用 の太 平 洋 衛 星 ン七 ンタ ー) 京 言 ベ レー 海 関5賭(4月1口,束 桀171号 昭 和59年5月10日 ュ ー ス CNNニ (月 ∼ 金 朝 六 時 半 ∼ 七 時 ) と 、 ﹁C の共 同 制 作 で、 ﹁お は よ う C N N ﹂ ブ ル テ レビ ジ ョ ン (J C T V ) と Z窒 頓Z。ヨ 。﹁ 犀) と提 携 、日 本 ケ ー 時 間 ニ ュー スを 流 す C N N (9 匡① ア ト ラ ン タ に本 拠 を 置 き 、 二 十 四 適 切 な 解 説 は好 評だ (写 真 )。 さ ん の知 的 なさ わやかさと 、 伊 藤 さん の イ ブ ニ ュ ー スウ も 、 こな し て いく 。 渡 辺 で 、本 番 中 に 入 ってく る C N N か ら の“ラ み な み さ ん (元 同時 通 訳 者 )o こ の コ ソビ (元 外 務 省 東 南 アジ ア第 一課 長 ) と 渡 辺 キ ャ ス タ ー は 外 交評 論 家 の 伊 藤 憲 一氏 ュー ス が な い時 だ が 、 そ う し た る 。最 大 の悩 み は 、日 本 向 き の ニ 中 番 組 準 備 のた め フ ル 回 転 す J C T V の スタ ジ オ は 、 一日 さ せた。 な る ) を 、 四 月 二日 か ら ス タ ー ト 時 間 、 曜 日 によ って 開 始 時 刻 が 異 わ せ て い く 番 組 ス タイ ル は 、 非 常 に新 鮮 を つけ 、 ニ ュー スと 一 一ユー ス を つな ぎ 合 て 刻 々 入 る 生 の ニ ュー ス に 日 本 語 の解 説 ニ ュー ス (テ ロップ で 日 本 語 訳 )、 そ し 迫 力 のあ . る画 像 と ア ップ テ ソ ポ な 英 語 うだ 。 を 生 のま ま 流 し て いく 方 針 の よ り 加 工 せず 、 ウC N N ニ ュー スウ に 、 そ んな 時 は特 に東 京 で あ ま 一日 も 、 ま た ひ と つ の 現 実 。 逆 る。 常 時 、通訳者が待 機 し て い 豊 窒 な材 料が強 味 N N デ イ ウ オ ッチ﹂ ( 連 口深夜 一 C N N か ら の ニ ュー ス は 、 J C ﹁デ イ ウ オ ッチ﹂ は 深 夜 と いう こと も の ラ イ ブ を オ ソ エア し て い て、 も 気 さ く に話 す 。 ﹁C N N から ﹁実 は ⋮ ﹂ と 長 さ ん は 失 敗 談 あ り 、 視 聴 対 象 は十 代 か ら 二 十 代 のヤ ン の協 力 で、 ト ラ ン ス ポ ンダ ー の利 用 も 四 月 から 、 N H K と 民 放 キ ⋮局 五 社 っ た こ と も あ り ま し た ﹂。 ア メ リ カ の C Mを そ の ま ま 漉 し て し ま メイ ソ キ ヤ スター は 武 見 敬 三 氏 ( 東海 見 な ど の ホ ットな ニ ュー スも と び 込 む 。 と し て 高 額 な費 用 が か か る 。 各 局 が 中 始 ま っ た。 し か し 衛 星 中 継 に は、 依 然 (元 共 同 通 信 編 集 委 員 ・水 、木 、金 担 当 )。 大 学 講 師 ・日 、月、火 担 当 ) と 倉 田 保 雄 氏 ー ク は 正 午 頃 。 ホ ワイ ト ハウ ス の記 者 会 グ が 中 心 。ち ょう ど ワ シ ン ト ソ、ニ ュー ヨ であ . るQ T V の ス タジ ナで 二十 四 時 間 態 勢 で 受 信 さ れ る。 そ れ を 、 デ ィ レ ク タ ー が 交 代 で見 張 り、 番 組 に 使 用 で き そ う な も のを そ の都 度 選 ん で オ ソ エ アす る V T R は 各 々 の キ ャ 録 画 し て おく 。 そ の 中 か ら 実 際 に ス タ ; が 選 択 す る。 ﹁正 直 い っ て、 日 本向 き の ニ ュー スが ﹁番 組 が ス タ ー ト し て 二 週 間 余 り 、キ ャ ス タ ー も ス タ ッ フ も 、や つ なく て 、 本 番 直 前 ま で 埋 ま ら な い こ と も おさ 継 を た め ら って い る よ う な 場 合 でも 、 (久 和 ひと み 、 奥 村 裕 美 、 川 瀬 女 性 三人 C N N か ら は 間 断 な く ニ ェー スが 流 れ 今 年・ は 特 に、 ロサ ン ゼ ル スオ リ ソピ 朗 子 ) が 交 代 で相 手 役 と な る 。土 曜 口 は、 ﹁お は よ う ⋮ ﹂ の放 送 時 間 は 、 ア メリ 夜 は 、 米 国 の ロー カ ル ニ ュー ス にも 焦 ッ ク と 米 大 統 領 選 の年 、 二 十 四時 間 態 新 し い スタイ ル生む あ りまし た﹂ と長 さんは述懐 す る 。 と 地 に 足 が つ いて ぎ た 感 じ で す ﹂ と 、長 英 太 郎 プ ロデ ュ ー サ ー (テ レ ビ 朝 口 外 報 部 副 部 長 )o と い カ で は 夕 刻 。 ア メ リ カを 中 心 に し た 一日 点 を あ て 、 〃ア メリ カ の 素 顔 ウを 伝 え る。 勢 で 受 信 す る機 能 を 最 大 限 に活 用 で ぎ て く る 。 ﹁ニ ュー ス に 厚 み が で る こ と ー スが ア メ リ カ か ら 人 っ て く る の の ま と ま った ニ ュー スを 、 同 番 組 は 豊 冨 ア メ リ カ で 社 会 問 題化 し つ つあ る家 庭 内 る と いう わけ だ 。 女 性 キ ャ ス タ ー川 瀬 さ ん が 毎 回 ゲ ス トを か、 当 初 見 当 が つか な か った 。 放 に 伝 え る 。ま た 株 式 、穀 物 市 場 の終 値 な ど セ ッ ク ス 暴 力 (父 が 娘 に 、 兄 が 妹 に い た う のも 、 い つ、 ど ん な 内 容 の ニ ュ 送 終 ∼ ま でど ん な 番 組 に な る か わ 経済情 報を いち早く流す こと が でき る の ず ら す る ) の ニ ュー ス な ど も 放 映 し た。 が 、 我 々 の強 み です ﹂ と 長 さ ん。 か ら な い と い った 、 胃 の いた く な も自慢 だ。 だ から番組 のタ ーゲ ットは、 迎 え て 行 って いる。 る ような緊 張と、試 行錯 誤 の毎 日 ヨ 勤 前 のビ ジ ネ ス マ ンと な る o (四 月 二 十 日 ・長 谷 川 ) だ った と いう 。 テ レ ビ 朝 日 は 、 米 ジ ョ ー ジ ア州 (8) 第171号 昭 和59年5月10日 第171号 昭 和59年5月10目 新谷 正 締役 三菱 信託銀行 専 務 取 ウ で、 ﹁年 金 信 託 の “生 み の親 信 託 業 界 の代 表 的 論客﹂と 司会 者 が 紹介。外 銀 の信 託 参 入、 国 内 の 垣 根 自 由 化 論 議 等 に つ ﹁双 方 に 相 当 類 似 い て話 を 聞 く 。 米 側 が 主 張 す る 相 互 主義 に つ い て は 、 の環 撹 や 条 件 が な け れ ば 、 国 際 化 の シリ ーく研究金 、金融 ,資本 巾 前 提 と し て の 意 味 を 持 ち 得 な い ﹂o ︻. U (火) 哨の臼由化-﹁皿 ぜ 吋ヘム 鈴太卓﹂ κ色画 委員 五六人︼ 出密 外相 ア リ ・ア ク バ ル ・ベ ラ ヤ チ イ ラ ン外 相 安 倍晋 太 郎 安 倍 外 相 の招 待 で 四 月 十 口 来 日 の 、 . ヘラ ヤ チ 外昌 相 〇 七 日 に、 十 二 日 午 濫 則 一口 午 後 七 時 に 変 . .史 さ れ た 。 九 時 か ら の 両 大 臣 の合 同 会 見 が 決 ま っ た が 、そ の 後 十 藤 村邦 菰企画 E S CA = 八人 ︼ 司会 キブ リ ア 長 井鞠千 出帝 合同 記者会見 通訳 ︻一一日 (水) 嬰員民 S ・A ・M ・S P事務 局 長 国連 アジ ア太 平洋 経 (E S C (四 月 十 七 済社 会委員 会 A P)総 会 日 ∼ 二十 七 日 ) 前 日 の 会 見 。外 務 省 招 待 のネ パ ー ル 、 パ ソ グ ラ デ シ 議、 パ プ ア ニ ュ ー ギ ニア、 フ ィ ジ ー、 バ ヌ ア ツ、 ソ ロ モ ン マ レ ー シ ア、 イ ン ド 、 イ ソド ネ 諸 島 の記 者 、 E SC AP プ pグ ラ ム参 加 の タイ 、 通訳 横m謙 出席 司会 八〇人 ︼ ︻ 六 H (月 ) 記 暫 会 見 シ ア 、 パ キ ス タ ン、 べ ー ・ナ ム の 記 者 十 二 人 も 参 加 し た 。 石 丸和 人 ' m画 .委 員 B MW社 0 ・G 経済相 西 ド イツ (四 月 二 十 三 日 ラ ム スド ル 7 ま る で ﹁ド イ ツ 博 84 ﹂ ∼ 五 月 六 日 ) の o出 陣 式 ”の よ う な 会 見 と な った O ロー デ ソ シ ュト ヅ ク産 業 連 盟 会 畏 も 成 田 空 港 から 直 行 で か け つけ る 。 ド イ ツ 側 関 係 者 だ け で 約 四 十 人 。終 ∼ 時 に 、 立 花 正照 軍事 問 題評 論 家 米 ソ電 六七人︼ 国 民経 済 研 究 協会理 事 長 司 ムA 武 藤慧 企 剛 委 凸︻ 出 席 ︻シ リ ー ズ 研 究 奏( ﹁縦﹁ 事 技 術 ﹂ (田 ) テ ー マ 叶芳 和 全 国農 協 中央 会 専務 理事 子 憎轍戦 山 口巌 平 川 真 己 企 凱. 委員 出席 四九人 ︻二 三 日 ハ . 月 ) 研 死 会 ﹁牛 肉 、 オ レ ンジ の これ から ﹂ 四 二人 (π 晶 (1 ) ︹π ) 4`会 (1 ) 出席 記滑会姑 司会 通訳 丑 一 へ︼ 出席 松木 佐藤敬 司会 七一 .一 人︼ E ミ 帆、 4 メ 憂 ジ ェ フ リ ー ・ハ ウ (木 ) 疑掲 鞠子 通 ・カ ワ リ 本 島宏企麟委負 英 国外相 ・7 ル イ ー サ 訳 ︻.エハ臼 子 寛 企面委蹟 ス マ ソと し て ハリ ー ノ ア首 ﹁Xの スポ ー ク ︻ 一四 ” (火 ) ・ガ ー ニ ム 伊 藤光 彦亜. 画委員 力 タ ー ル惰 報相兼 首 畏府 官房 長 G M会 長 一Q歯 ハ人︼ ド イ ツ 博 の プ レ ス パ ッジ も く ば ら れ る 。 記者会 姑 司 会 スミス シ ュ 〃テ 一等舞記官 出 席 ︻一九 H (木 ) 通訳 R ・B 記 者 会 見 は質 問 に答 え る た め と し て、 決山 化o す ぐ に セ ー ル ス ﹁ド イ ツ博 は 政 治 的 7 オ ン ・ク ー ン ハ イ ム 会長 一 に結 び つ く も の で は な 胃・ 頭 発 冒 は通 訳 時 間 を 入 れ 十 分 た ら ず 。 残 り 一時 間 二 十 分 を 質 疑 応 答 に g ど の質 い。 わ が 社 に と っ て の 贈 真 の “展 示 ク は B M W 聯 (金) 記者会見 司会 水野兜企幽委員 通訳 村 松増美 出席 九七人︼ 問 に も 真 正 面 か ら 明 解 に答 え る 。 ︻二〇U 通訳 車 が 日 本 の 道 路 を 走 る こ と ﹂ ︻一九日 へ 木) 広 瀬 一照企画喬員 佐藤敬 干 司会 五七人 ︼ 記者☆見 出席 (9) 発 表 の場 として のク ラブ ゥ女 闘 士 ク か ら 〃コア ラ ” ま で 豪 州 内 務 ・環 シ ョ ン ・ケ リ ソ豪 州 キ ュー ・サ ソ ・ 表 部 代 理 会 見 (リビ ア人 民 代 表 部 ) ク ラブ 主 催 で な い会 見 の 場 合 、 ク ラブ ○ 程 度 。 ほ と ん ど が 埋 ま って いた の で 、 に 施 設 利 用 を有 料 で 認 め た 形 で行 わ れ る ぎ はぎ で、 論 理 展 開 も 単 純 に 過ぎ 、 な ぜ 映 画 の大 半 は 西 側 テ レ ピ フ ィ ル ム の つ いたも のと思わ れ るo 申 し 込 み の 二〇 三 人 が ほ ぼ全 員 出 席 し て も の と に分 類 で き る 。 四 月 の 場 合 、 三 外 務 省 が 大 使 館 外 上 映 を 渋 った の か 、 首 会 員 が 主 催 す る も のと 、 非 会 員 に臨 時 的 日 、 九 日、 一三 日 のも の が 前 者 で、 他 は 両 武 官 と の、 ま っ た く 白 由 な た っ ぷ り 一 を か しげ たく な る 程 度 の も の。 し か し 、 オ ー スト ラリ ア両 大 臣 の会 見 の う ち 、 時 間 の質 疑 応 答 は 興 味 深 いも の だ った o 後 者 に属 する。 環 境 相 の方 は 例 の 〃コ ア ラ 問 題 ” 、 ま た 質 問 を と ば し た が ま った く 動 じず 、 ユー 会 場 から 七 人 の記 者 が 、 いず れ も 強 烈 な け た 第 一次 産業 相 は 〃牛 肉 輸 入枠 ク が 焦 モ アを 混 え た そ つ のな い見 事 な答 弁 に 終 ワ シ ン ト ンか ら 帰 国 の 山 村 農 相 を待 ち 受 点 。 急 に決 ま った こと と 、 週 刊 誌 、 専 門 止 し た。 と に 対 し て、 両 武 官 に お 礼 を 述 べ、 ﹁今 十 分 な 質 疑 応 答 の 時 聞 を と ってく れ た こ 最 後 に本 島 委 員 が 、 何 の条 件 も 示 さ ず 紙 の記 者 も 一緒 に と い う こ と も あ って 、 大 使 館 主 催 と な った よ う だ 。 ﹁平 和 を 脅 か す も の ﹂ 試 写 会 ち の熱 演 に 巻 き 込 ま れ 、 受 講 者 一五 名 気 ストす る ホ ンダ 安 全 運 転 普 及 本 部 の人 た 説明す る。説 得 力あ る講師 とそ れ を ア シ 者 を つ つみ 込 む よ う に平 易 に ポ イ ソ ト を ど と身 近 な ケ ー スを 想 定 し な が ら 、 出 席 モチ を つ か え さ せ た 時 はど う し ま す ﹂ な 奈 川 衛 生 短 大 教 授 )。﹁正 月 、お じ い さ ん が イ 7 ワー ク と し て い る岡 村 正 明 さ ん (神 ケ ー スを 見 てき て 、 今 は救 急 法 普 及 を ラ 消 防庁 救 急 本 部 長 時 代 、 多 く の 残 念 な 呼 ぶ な り 医 者 に連 絡 す るo が あ れ ば 指 で と って や る③ 次 に 救 急 車 を 道 を 確 保 す る 。 口内 に のど を ふ さ ぐ も の 認 し て、 頭 を 後 方 に そ ら す よ う に し て気 の腕 の内 側 を 強 く つね る。 呼 吸 、 脈 を 確 に 触 れ て声 を か け る② 意識 が な け れ ば 二 気 道 確 保 の 講 習 を 受 け る木 多 当一 郎 会 員 (頃会 石山四郎企画婁員 四月五H 宴会嚇) 持 ち の よ い汗 を か い た 。 (日 本 テ レ ビ ・手 前 右) 四 月 は ク ラ ブ の行 事 だ け で 、 十 三回 を 数 え た が 、 こ の ほ か にも ク ラ ブ 主 催 で は な い が 、 ク ラ ブ 施 設 を 利 用 し て次 の よう ド 84 世 界 耐 久選 手 権 レ ー ス記 者 発 表 な 会 見 が 行 わ れ た。 三日 五日 ニカ ラ グ ア革 命 軍 (スポ ー ツ ニ ッポ ソ新 聞 社 ) リ ス .テ ィ ヘリ ー ノ 一三 日 パ リ ー ・コー エン 女 性 司 令 官 会 見 (ニカ ラグ ア 大 使 館 ) 九日 境相 会 見 一九 日 大 事 にし て ほ し い 。 そ の た め に、 〃日 本 後 と も 口 本 の ブ レ スと の意 見 交 換 の場 を ソ遮 国 防 省 製 作 の ﹁平 和 を 脅 か す も 記 者 ク ラブ ” と い う 場 を も っと 使 っ て は 二〇 三人 が申 し込 み の ﹂ の試 写 会 が、 四 月 十 日 午 後 二時 三 十 ど う か﹂ と ソ連 側 一 = ー スソ ー スが 当 ク 家 庭 で、 職 場 で 、 飲 み 屋 で 、 家 人 や 同 救 急法購習 会 から し た。 ラ ブ 会 見 等 に積 極 的 に 出 席 す る よう 要 講 分 か ら 、 ソ連 大 使 館 で行 わ れ た。 映 画 の上 映 は大 使 館 内 で し か許 可 さ れ て い な いが 、 ダ ニー ロ フ陸 軍 大 佐 、 ウ ー ソ フ海 軍 大 佐 の両 武 宮 が 、 関 連 な ら び に 一般 的 質 問 にも 答 え る と いう の で、 本 島 宏 企 画 委 員 を 司 会 役 に 立 て 、 ク ラブ 主 催 と い う こと で実 施 し た o 僚 が 突 然 倒れ た 。 さ あ 、 ど う す る 。 そ んな に難 し い こと で は な い。 ま ず 落 会 場 は 大 使 館 内 の ク ラ ブ の 二階 、 舞 台 中 央 に古 い ソ フ ァ ーが 四 つ ( 司会 、両武 ち 着 い て 恐怖 の ト リ コに な ら ぬ こと 。 そ し て、① と に か く ゆ大 丈 夫 か ”と 相 手 の体 官 、 通 訳 )、 低 い テ ー ブ ル に 花 が 盛 ら れ て お り、背後 に スクリ ー ソ、席数 は 二五 (10) 第 一次 産 業 相 会 見 (いず れ も オ ー スト ラ リ ア大 使 館 ) サー レ フ ァ ソ民 主 カ ンボ ジ ア副 大 統 領 会 見 (岡 二〇 日 リ ビ ア人 民 代 オ ー ス トラ リ ァ琢 魔大 臣) 田春 夫 祉 会 党 代 議 士 ) ム ・ エム ・ズ ベ イデ ィー 児 島 ヘ コア ヲ を 送 り 古 置,鹿 京,名 「今 秋p東 ーエγ ます 」(コ 第171号 昭 和59年5月10日 第171号 昭 和59年5月10日 岡進 会員) 講 師 ・余 菅谷定 気 賀 沢洋文 会 員 ) 23 日 ▽ 電 子 情 報 戦 略 日 米 歓⋮ 迎 レ セプ シ ョ ソ ( 協 会 阪 田秀会 2日 ▽ 入社式 ( 時事 セ ミ ナ ー (サ ン ケ イ 彦 会員) ▽日中講 演 交流 会 % 日 ▽新 素 材 展 幹 事 会 (日経 員 ) ▽ ﹁梅 と桜 ﹂ 出 版 記 念 パ ー テ ィ ー 12 日 ▽ 山 嶺 会 i 地 方 紙 東 京 支 祉 長 の集 ま り ( 奈良 (藤 田 義 郎 会員 ) 大 畑忠 義 会 員) ▽字 都 宮徳 馬 氏 の訪米報 告 を聞 く 会 ( 米谷健 仁泉 参事官 、劉昭 東 中 国科学技 術情 報 中川 雅 裕会 員) 研究 所副所 長 ( 毎 口放 13 日 ▽ 外 信 部 長 会 宝 子 山 幸 充 会 員 )▽ シ ョ ン ・ケ 3 日▽ 一郎会 員 ) (協 会 ▽ 青 森 県 ジ ャ ー ナ リ スト の会 ( 東奥 日 下村澄 会員 ) 今村 武 雄 さ ん の出版 オ ー ス ト ラ リ ア 第 一次 産 業 相 記 山田 25 日 ▽ 在 日 報 道 報 和 田満 郎 会 員 ) 者 会見 16 日 ▽ 後 藤 基 聞 協議 会 26 日 ▽ 中 村 慶 一郎 南 東大新 ( 東奥 27 日 ▽ 東 京 講 師 ・三 鬼 陽 之 助 氏 研 O B の集 ま り ( 相 川 誠 一会 員 ) ▽ 新 丘 喜 八郎会員) ▽ しも く会ー 君 の 再 出 発 を祝 う 会 (ラ ジ ナ 日 本 田代 昌 史 会 員 ) 年 栄 会 員 ) ▽関 東 U 四 局 会 議 (T V K 関 係 者 招 待 レ セプ シ ョ ン (協 会 会 一柳 東 一郎 会 仔 日 ▽民 放 各 社 資 料 斉ハ 仔 仕者 会 議 18 講師 佐 久 間寛 夫会員 ) 目 ▽読 売 国際経済 懇話 会講 演会 ロー マ 日報 堀定 省会員 ) 会 員 が ク ラブ 施 設 を 利 用 し て 行 っ た 会 合 の主 な も の です 。 四 月 の総 回 数 は 一〇 五 回 でし た 。 カ ッ コ内 は 申 し 込 み会 員 名 。 ノ♂ ノ塁 柿 木原政 則会 員 ) ク ラ ブ 会 長 (読 売 羽 原 清 雅 会 員 )▽ 十 七 社 会 (四 藤 ( 愛 媛 クラブ例会 (朝 日 三 好 義 人 会 員 ﹀ ▽ スポ ー ツ 六社 薄井猛 会員 ) 1 9 日 ▽版 売 ・ 深沢 (土 肥 良 造 会 員 ) 20 口 ▽ 新 藤 健 一共 同 写 真 部 記 者 の出版 を祝う会 小 林正雄 会員) 堀 定省 会員) ▽ 時 事 懇 談 会 (時 事 21 日 ▽金 森 久 雄 氏 の還 暦 祝 (日 経 梶 ▽ 21 世 紀 会 議 (愛 媛 亘 会員 ) 新 聞 公 正 取 引 協 議 委 員 会 (協 会 会 (協 会 国新 ▽ 悠 々会 - 各 社 政 治 部 記 者 の 勉 強 会 木 庵 野正勝 会員) ・ア ウ レデ ィ オ 。ペ ヅ チ ェイ (ニ ッポ ン放 ロ 貝) 夫 さ んを偲 ぷ会 ( 朝日 宝 子 山幸充会 員) 吉 朗 会 員 ) ▽在 京 九 社 編 集 局 長 会 (協 武田 リソ 荒 弁良 徳会 員) 講 師 ・金 田 一 中川雅裕 △孟ル甫属一会 回 貝) (オ ー スト ラ リ ア大 使 館 阪 を 祝う 会 ( 口経 (スポ ニチ 口 昭 会 員 ) ▽ 84 世 界 耐 久 選 手 権 レー ス 記 者発 表 4日 ▽政 経文 化 クラブ (奈 良 国 正武 重 会員) 5 日 ▽犬 塚 発 氏 現 代 詩 人 賞 受 春 彦上 智 大 学 教 授 会 員) 賞 を祝 う 会 ( 朝日 (テ レビ 朝 日 6 日 ▽ ﹁親 の 目子 の 目 ﹂ デ ィ レ ク タ ー ム酉議 角 倉 二朗 会 員 ) ▽ 都 市 問 題 研 7 日 ▽ 福 田 歓 一先 生 を お 祝 い す る 会 (朝 日 9 日 ▽ カメラ ( 本 原啓 吉会員 ) 究会 井 上 巌会員) 木村 鈴 記 者 クラブ懇 話会 ( 朝日 (日 本 農 業 ナー ス 1 0 日 ▽ 日 経 テ レ コム説 明 会 (日 経 木 隆 会 員 ) ▽ 二火 会 睦 会 員 ) ▽ パ リ ー ・コー エ ン ﹁東 京 大 ジ ェ フ ・ヒ ス コ ト ラ リ ア 内 務 ・環 境 大 臣 記 者 会 見 (オ ー ス ト ラ リ ア大 使 館 ック 会 員 ) ▽ 銀 杏 ク ラ ブ ー 学新 聞 ﹂編 集部 OB の集 ま り ( 殿木圭 田 進 会 員 ) ▽ 座 談 会 ﹃新 日 本 人 諭 (M ) 11 日▽放送 番 組 向上委 員会 一会 員 ) ー 広中平祐、 樋 口恵子 の各氏 ( 山陽 新 明 日 の教 育 を 求 め て﹄ 山 本 七 平 、 ( 矢 野 輝雄 会員)▽ 日本 ペ ンクラブ幹 事会 (三好 徹会員) ▽訪 日 中国 記者団 彰ゴ ル フ の 会 脅 第 39 回 ゴ ル フ会 は 四 月 六 日 、 梅 が 盛 り の小 金 井 C C に 会 員 二 十 二人が参 加 し て行われ た。 電 通田丸 会 員 のお世話 で実現 し た名 門 o コー ス で の コ ソ ペ は 、 う記 録 ” づ く め の 大 会 と な っ た o そ の 一部 を ご 披 露 l 記 録 ① グ p ス で ㎜ を 切 った の も 、 両 ハ ー フ と も に 50 を 切 った のも 優 勝 者 だ け 。 ② 一ホ ー ル の最 高 打 数 28 。 そ の う ち 1 8打 は、 パ ソ カ ー で (正 確 な カ ウ ン ト に 感 嘆 符 !)。 ③ 一ホ ! ル のグ リ ー ン 周 り にあ る 五個 の ガ ー ド 。 ハソカ ー す べ て で 、 入 念 に プ レ ー し た 方 あ り。 ④ ハー フ九 ホ ー ル のす べ て で 3 パ ット以 上 の記 録 を 達 成 し た 方 も 。 n9 一ラ ウ ソド の最 高 打 数 4 20 参 加 者 二十 二人 の平 均 打 数 は 慨 。 高 額 の プ レ ー代 も 、 こ れ だ け 縦 横 に コ ー ス内 を 散 策 す れ ば 、 一打 当 た り の単 価 換 算 で 極 め て安 い も の に つ い た 一日 で あ り ました。 優 勝 ・藤 吉 保 徳 (西 日 本 ) N E T 75、 二位 ・太 田 博 夫 (D)83 、 三位 ・小 林 夫 人 (山 梨 R 日 ) 泓 、 B B ・前 田 雄 二 (プ レ ス セ ンタ ー)、 B G ・藤 吉 、 N P ・下 村 利 昭( 中 国 )、 藤 吉 。 特 別 賞 ・前 記 ② と ③ の 怪記録 を樹立 し た両 某賃。 な お 、 同 時 に行 わ れ た第 三 回 の優 勝 杯 取 り 切 り 戦 は 、 本 田路 威 会 員 が 他 を 寄 せ っけ ず 快 勝 、 七 宝 焼 のず し り と 重 い賞 杯 を永遠 に手申 にした。 (11) 五 月 一日付 入会 の個 人 D 会 員 、 法 人 ・個 人 賛 助 会 員 、特 別 賛 跡 会 員 の方 が た で す 。 (12) 第171与 昭 和59年5月10日 第171号 昭 和59年5月10日 ワ イ ン の賦 飲 と 即 売 五 月 二十 一日 ( 月 ) か ら 二 十 五 日 (金 ) ま で 、 お 昼 の ク ラ ブ レ ス ト ラ ソ で、 ワイ ソ のグ ラ ス サ ー ビ ス ( 無 料 )を 行 い ま す。 ま た 、 二十 四 口 、 二十 五 日 の両 日 の午 後 に は 、 ク ラ ブ ラウ ンジ で ド イ ツ、 イ タ リ ア ワ イ ン の特 別 即 売 も 行 いま す 。 市価 の 二 ∼ 三 割 引 程 度 の値 段 で す 。 霧 囲 碁 の会彰 四 月 二 十 八 日 の例 会 は 参 加 十 π人 、総 対 局 数 三 十 一局 。成 績 優 秀 者 は 次 の通 り o 吉 沢 正 也 五 段 (D)、斎 藤 吉 史 二段 (D )、 中 俣 冨 三 郎 二投 (D)、 小 林 淳 宏 4 級 (時 事 )、 村 上 亜 美 =. 段 (事 務 局 )。 こ の 結 果 、 吉 沢 、 斎 藤 、 村 上 の三 氏 が (至 ) 午 後 ﹁時 か それぞ れ 昇 段しました。 次 回 は 五 月 二十 六 口 ら です 。 会 員 の 著 書 (ご患贈いただきま﹂ε 書 田村 山内 信介 祐造 雅夫 占 墨 術 指 南 / 世 界 の大 秘 術 講 話 贈 戦 後 社 会 党 の 担 い手 た ち 寄 岸 岩 波 健 一会員 (常 陽 新 聞 社 ) が、 岸 信介 回顧 録 計報 四 月 二 十 七 日 心 筋 こう そ く の た め逝 去 さ れ ま し た 。 ご 冥 福 を お 祈 り い た し ま す。 (13) 遠 来 の同 僚 たち ト イ ンビ ー博 士のお 孫 さ んも 誰 に き い ても 同 行 取 材 と い う の は大 変 だ と い う。 特 に 香 港 問 題 の よ う な 重 要 外 交 課 題 が テ ー マと あ って は ⋮ ⋮ 。 そ こ へ、 降 っ て 湧 い た よ う な リ ビ ア大 使 館 乱 射 事 件 も 箪 11 回 企 画 委 員 会 1 ⋮ ⋮昭 和 59年 4 月 10 日 ( 火) ∴日本記者 クラブ 大 会議室 委 員 長 が読 売新聞社 ( 森 本 良 男 氏← 阿 部 義 正 氏 ) と 日 本 新 聞 協 会 (永 町 敏 昭 氏 ← 浅 野 修 氏 ) の委 員 交 替 を 報 告 後 、 司 会 を し た 各 委 員 か ら先 月 の 行 事 報 告 が 行 わ れ た。 深 谷 委 員 長 。 桂 、 井 出 、 斎 藤 の各 し 、 桂 、 井 出 両 氏 を 担 当 委 員 に決 め た。 出席 委 員。 第8 1回 会員資 格委 員 会 ⋮ 一昭 和 59 年 4 月 12 日 ( 木) ⋮口本記 者 クラブ 小会議室 五 月 一日付 の入 退 会 を 審 議 し、 理 事 会 へ答 申 し た。 討 し た 結 果 、 ﹁牛 肉 、 オ レ ンジ の こ れ か 長 竹 の各 委 員 。 山 崎、亀 山、内 藤 、 上 野、埜邑、 渡 辺委 員長。中 川 、赤 松 、加藤、 ハウ 英 国 外 相 昼 食 会 (4 / 26 ) ら ﹂ の テ ー マで、 農 産 物 自 由 化 聞 題 と 日 出席 の席 上 、司 会 の本 島 宏 企 画 委 員 は 、 本 農 業 の将 来 に つい て研 究 会 を 行 う こ と 四 月 下 句 か ら 五 月 に か け て の行 事 を 検 中 国、 香 港 、韓国 、 日本 と長 期 取 を 決 めた 。 また、昼食 会ゲ ストと しては 加 わ った。 材 に当 た った イ ギ リ ス か ら の 同 行 ト ル ソ E C 委 員 長 、 宮 沢 喜 一衆 院 議 員 、 谷 田 、 日下 部 の各 監 事 。 昭 和 59 年 度 出席 案 を 承 認 したo 月 三 十 一口 ま で の会 計 監 査 を 行 い、 決 算 昭 和 五 十 八 年 四月 一日 か ら 五 十 九 年 三 ; 昭 和 59 年 4 月 17 日 ( 火) 一日本 記者 ク ラブ大会議室 第 11 回 監 事 会 記 者 団 に起 立 をもと め、 出 席 者 の 藤 尾 正行 自 民党政務調 査会 長 ら を招 くよ 藤 村 委 員 長 。 本 島 、 伊 藤 、 一木 、 友 田、広瀬、平 田、有 賀 、 石丸、 高 野 、水野、藤 川、松 本 、武藤 、 鈴 木 、 浅 野 、石 山 、中 沢 の 各 委 員 。 ⋮ 昭 和 59 年 4 月 23 日 ( 月) ⋮ ⋮日 本 記 者 ク ラ ブ 小 会 識 室 日本 記者 クラブ 賞 選考 委 員会 ⋮ ﹁昭 和 田年 4 月 11 日 (水 ) ⋮ ⋮日本 記 者 ク ラ ブ 宴 会 場 去 る 三 月 一日 に行 わ れ た 日 本 記 者 ク ラ (毎 日 新 聞 ) と 牛 山 純 一氏 (日 本 映 籐 記 渡 辺 (嚢 )委 員 長 。 渡 辺 (恒 )、 酒 録 セ ソ タ ー) に 贈 る こ と を 決 め たo 出席 井、若松 、東 、 山 田、泉、新 井 、 中 江 、 常 盤 の各 委 員 。 第 75 回 理 事 会 一⋮昭 和 59 年 4月 % 口 (月 ) ⋮ 冨 本 記 者 クラブ大会 議室 一、 昭 和 五十 八 年 度 事 業 報 告 な ら び に 同 の 上 程 を決 め た 。 収 支 決 算 案 を 承 認 、 第 二十 四 回 総 会 へ 一、 昭 和 五 十 九 年 度 日 本 記 者 ク ラ ブ 賞 受 (毎 日 新 聞 ) と 牛 山 賞 者を、 クラブ賞 選考 委員会答申 ど お り 、 増 田 れ い子 氏 純 一氏 (日 本 映 像 記 録 セ ソ ター ) に 決 定 、 第 二十 四 回 総 会 に、 両氏 を 名 誉 会 員 と し て推 挙 す る こ と を 承認 し た 。 渡 辺 (裏 )、 渡 辺 (恒 )、 酒 井 、小 林 、 新 井 理 事 長 。 中 江 、常 盤 副 理事 長 。 会 員資格 委員会 上 申 ど おり承認し た。 一、 五 月 [日付 の 会 員 入 退 会 に つい て 、 出席 深谷、山 田、 泉 、晶 剛田 の各 理 事 O 太 田 、若 松 、 南 里 、 東 、渡 辺 ( 修 )、 第 8回施 設運 営 委 員 会 ⋮ ⋮昭 和 59 年 4 月 27 日 ( 金) ⋮ 臆日 本 記 者 ク ラブ 小 会 議 室 同 委 員 会 の殿 木 圭 一委 員 長 か ら 報 告 を き 出席 いて協議 した。 酒 税 値 上げ に伴 う 酒 類 の 価 格 改 定 に つ ま た、 クラブ創立十 五周年 記 念 行事 の い た 後 、 候 補 十 二件 に つ い て 慎 重 審 議 の ブ 賞 推 薦 委 員 会 で の協 議 内 容 に つ い て、 一つ と し て、 ク ラブ 会 報 既 載 の ﹃と って 結 果 、 本 年 度 ク ラブ 賞 を 増 田 れ い 子 氏 山 崎 の各 委 員 。 小林 委員長 。 梅 本、 庭植、広 渕 、 おき の話 ﹄ を小冊子. にまと め る こ と と の編 集 方 針 に つい て協 議 し た 。 四 月 号 の 反 省 と意 見 交 換 の後 、 五 月 号 第 50 回 会 報 委 員 会 出席 う 折 衝 す る こと に し た。 拍 手 で 労 を ね ぎ ら った 。 昼 食 会 に は 同 行 十 人 を 含 め十 五 人 の イ ギ リ ス人 記 者 が 出 席 し た が 、 そ の中 にたま たま東 京 滞 在 中 だ った 、 故 ト イ ンピ i博 士 の孫 娘 で コラ ム ニス ト の ポ ー リ ー ・ト イ ンビ ー さ ん と 夫 の ピ ー タ ー ・ジ ェ ソキ ソ ズ 氏 (ガ ーデ ィ ア ソ紙 論 説 委員 ) も 飛 び 入り参加 を し て い た。 五 月 二 日 に つ いた 礼 状 の 中 で も 、 外 相 はあ ら た め て 本 島 委 員 の 司会 ぶり に謝意 を示 し て いる。 (14) 第171号 昭 和59年5月10日 第171号 昭 和59年5月10日 題名 ﹃原 動 ﹄ ー ブ ロ ン ズ 立 像 、 一九 八 四 年 作 ⋮ ⋮ そ ん な 印 象 が 真 っ先 に き た 。 作 者 の 目 と 冷 透 な レ ソ ズが 光 と 影 だ け で磨 ぎあげ た立体 像 。 原人 から受 け 継 が れ て き た 人 問 の淵 源 を 明 快 に象 微 し た オ ブ ジ ェの よ う で も あ る り 上 方 か ら 硬 質 の 光 で浮 ぎ 出 さ せ た 頭 部 と 両 ﹁中 ﹂ 部 腕 と 胸 部 り そ れ は 切 り 立 っ た ﹁山 ﹂ の 象 形 文 字 ともと れ、 ま た 部首 ﹁も と ﹂ を 意 味 し 、 地 上 に 向 か っ て を か た ど って い る よ う にも 見 え る 。 ψ は 芽 の こ ぶ し を突 き 上 げ る 相 を 示 す 。 作 者 が そ の こ と を 意 図 し た と 一﹃ . 口っ て い る の で は な い。 政 治 、 経 済 、 軍 4 7と い っ た 硬 派 も の、 心 の 肌 を さ さ く れ だ た せ る 礼 会 も のが 多 い 中 で 、 作 者 は せ め て や わ ら か い フ ィ ー チ ャ ー も のを と 願 い 、 そ こ か ら 選 ん だ 題 材 の 一つ、 ヌ ー ド ・ボ デ ィ ー ビ ル ⋮ ⋮ 女 人 の裸 と い う こ と で .い か に 品 よ く 見 せ る か ” に 苦 労 し た 、 と いう 。 作 品 は み ご と に性 を 越 え 、 む し ろ雄 渾 な も の に な った 。 ヨ ー ロ ッ パ かど こ か の 公 園 に、 こ の ま ま の 像 が 立 って い る 姿 ` を、 なぜ か私 は想 像 す る。 それ は、 さ んさ んと した 陽 光 を 浴 び て輝 い て い る だ ろう Q こ の (文 二 二樹 精 吉 会 員 ) 立 像 は 、 し か し 、 つ い に 紙 面 で の光 は 受 け な か った。 (15) 二 でAP就 ・D 浩 原 笹 写真 ため 厚 羅 て の パ ア 可 一 マ ンX(4月)の 才一 レ ・ ミ ュ ー 一 ジ7ム フ 全 米1・ 女 性 ボ デ ィ ー ヒ'ル;憩1三薪'優 勝.若 の リ サ ・ ラ イ オ ン が,ラ 来 口 し た。 実像 越 え る作品 像 動(昭 細 年胡 ∼5g鯛 月) 異 員 会 テ レビ 西日本 が 入 会 五 月 一日 付 で テ レ ビ 西 日 本 が 法 人 会 員 と し て 入 会 し ( 基 本 会員) 久野 愛人 昌輝 代 表取締役副 社 長 代 表取締役社 長 ま し た 。 会 員 は左 記 の方 が た で す 。 古賀 三法 東 京支社 長 聖 一 専 務取締役 ( 東 京駐 在 ) 取締 役報道制 作局 長 (A 会 員 )村井 達巳 報道 制作局次 長兼 報 道部 長 神崎 (B 会 員 ) 尾山 弘章 東 京 都 中 央 区銀 座 五 - 一五 - 一 電 話 〇 九 ニー 五 二五 ー 二 二 二 二 福 岡 市 南 区 高 宮 四- 二〇 ー 二 三 荻原 住 所 (本 社 ) ⑰晒 (東 京 支 社 ) ⑮ 脳 南 海東 京 ビ ル 電 話 〇 三ー 五 四 ニ ー 五 七 五 一 な お 、ラ ジ ナ 関 西 が 五 月 一日 付 で退 会 と な り ま し た。 (奥 ウ ー ル 紙 編 集 4 月 11 日 / ジ ャ ン ・ マ リ ー ・ヴ オ ド ヴ オド (24 長 ・国 際 仏 語 ジ ャ ー ナ リ ス ト 協 会 会 長 ) 4 月 26 日 / 萢 淑 琴 (中 国 大 使 館 広 報 担 当 ) ジ ャ γ ・マ リ ! ウ ー ル紙 編 集 長 、 ス イ ス) (ド ー ソ紙 、 パ キ ス タ ン ) / S (ナ シ ョ ナ ル ・ブ レ ス ・ ク ラ ブ ・ / ガ ジ ・サ ラ フ デ ィ ン ・M ・ア ソ ダ ー ソ ソ キ ャ ン ペ ラ) 東 儒夫会員に藍 綬衰 章 ﹁春 の褒章 ﹂で東信 夫 会 員 ( AP通信社 ) が 藍綬 褒 章 を受章 さ れましたo 目﹂ ﹁江 戸 の遊 び 絵 展 ﹂ ﹁奥 谷 博 展 ﹂ の招 待 券 (展 覧 会 の 招 待券 ︾ 朝 日 新 聞 祉 から ﹁遊 び の 博 物 館 ℃﹀菊目 ≡ ===三=冨=■=■===軍≡ ==■=h=======■==一 を い た だ き ま し た。 五 月 の 行 事 ト ル ンE c ウ ン ベ ル ト ・7 ク ラブ 記 者 会 見 室 11 日 (金 ) 午 後 o時 30 分 ∼ 2 時 30 分 委員畏 昼食 会 17 日 (木 ) 午後 2時 ∼ 3 時 30 分 7 イ ア ット 自 動 車 会 長 記 者 全 講蜥 ク シリ ー ズ 研 究 会 ﹃ソ ク ラ ブ 記 者 ムム見 室 二 エリ 見 18 日 ( 金 ) 午 後 2時 ∼ 4 時 連 ﹄ (班 ) 岩 田 昌 征 千葉 大 学 教 授 ラブ 記 者 会 見 室 総会記念 講 演 ク ラブ 記 者 会 見 室 笈 日 (火 ) 午 後 5時 ∼ 6 時 “清 水 幾 太 郎 氏 会員懇 親会 〃 シリ ーズ研 究 A ク ラブ 午 後 6時 ∼ 8 時 宴 会場 23 日 (水 ) 午 後 2時 ∼ 3 時 30分 ﹃軍 事 技 術 ﹄ (田 ) テ ー マ ﹁弾 頭 ﹂ 安 延 久夫 上 原 祥 雄 防 衛 庁 装 備 局開 発 計 画 官 ラブ 記 者 会 見 室 会 報 委 員長 11深谷憲 一 斎藤 吉史 河野 ( 事 務 局)五〇 三- 二七 一= 委 員 11桂敬 一 井 出新 六 遅 絡 “長谷 川 (16) 第 ¶71号 昭 和59年5月10日