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中世末期フランス王の文書管理

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中世末期フランス王の文書管理
中世末期 フランス王の文書管理
- 「
文書の宝物庫」 をめ ぐって岡 崎
敦
序
2
0
世紀末以来、「
記憶 の管理」が歴史学の中心的テーマ として浮上 してきた こ
とは、その こと自体興味深 い現象である。 ここでは、「
過去」の認識 とは「
記憶」
とい う行為 を通 して積極的につむがれ るものであるという事実が確認 され る上
に、「
過去 を処理する過去」自体 を研究す るとい う、いわばメタレヴェルの関心
も見 られ るか らである。とりわ け、
特定「
場」における法 -社会関係のルーテ ィー
ンを記録 した と見 なされ、「
客観的な」
性格 をともか くも認 め られて きた文書史
料 について も、同様 の観点か らの研究が現われていることは重要であろう(
1
)
0
本稿 は、中世末期 のフランス王権 を対象 に、そ こで実施 されていた文書管理
の具体相 を検討す ることを目的 とす る。検討 に先立 って、基本的な論点 を整理
してお きたい。
文書管理 について最初 に捷起 され る問題 は、関係文書 を作成 あるいは受領 し、
利用 していた機関・
部局 との関係であろう。文書管理が、文書の現用利用か ら、
制度 ・場所 ・スタ ッフ等の諸面で、そ もそ も分離 していたのか どうかがすでに
問題 となる。本稿で検討す るように、 フランス王権 は中世末期の段階で、少な
くとも一部の文書 に関 して、その管理 を、文書の作成 ・利用部局か ら独立 させ
たが、洋の東西 を問わず、資料が利用部局の内側だけでその生涯 をまっ とうす
ることは、 きわめて広範 にみ られ る現象である。第二 に、文書管理技術 の問題
がある。文書管理 は、基本的に、個別資料の管理、個別資料情報 の管理、管理
情報 の管理の三つの層か らなる。具体的には、一葉か らなる資料 を起点 として、
-4
3-
その集合化 と目録化、 さらには目録 の目録化や索引の作成 に至 る諸段階が想定
され る。 最後 に、純粋 な整理技術 とい うレヴェルがある。具体的には、整理の
物理的な問題 (
棚や箱への収納や配架 な ど)、
構成 される集合 を表現する様態 (
文
章か ら抽象的分類記号 まで)、さらには目録 の編纂形式がそうである。現代 の文
r
c
hi
vi
s
t
i
q
ueが理論化す るこのような営みは(2)、すでに中世 に確認 さ
書管理学 a
れ るので\
ある。
西欧中世 における文書管理 に歴史 について も、
最初 に簡単 にまとめてお こう。
ボチエの整理 によると、西欧の 「
国家機関」 におけるなん らかの独立 した文書
管理の歴史 は、おお よそ以下のような段階 をた どった(
3
)
。古代か ら中世半 ばまで
の時期、文書管理 は基本的に 「
宮廷」を核 としていた。「
重要な資料 は君主のそ
ばに」とい う原則である。 ところが、1
2
世紀か ら1
6
世紀 にか けて、西欧では「
文
書の宝物庫 Tr
芭
s
o
rd
e
sc
ha
r
t
e
s
」 とい う段階 を経験す る。 特 に重要 と見 なされ
た資料 を、その利用部局か ら切 り離 し、独立 した組織 を設 けて管理 したのであ
る。 本稿 の対象 もこの時期 に置かれ る。 第 3段階 は、おお よそ1
6
世紀か ら1
9
世
紀初 めの時期で、文書資料が、 とりわ け国家間の権力闘争の道具 として利用 さ
れ、それがゆえに国家的集中管理への努力が本格化する。最後 は、1
9
世紀半 ば
以降現在 まで続 く、公的文書館 における管理である。秘密主義 を旨 とした以前
と異 な り、国民国家の記憶 の場 としての文書管理 は、公開をその基本原則 とす
る。他方、文書管理 の具体相 は、時期 ・地域 ・場 を通 じて、極 めて多様であっ
た。整理分葦 に関 しては、大 き く、地域や業務 ごとのまとまりを保存継承する
のか、あるいは管理者が事後的に人為的な要件 にしたがって新たな再編成 を実
施す るのかに分 けられ るであろう。いわゆるフォンの維持原則 (
出所および現
秩序維持原則) は、1
9
世紀半 ばのフランスで制度化 された文書管理学の根本原
則であるが、理論的な主張のレヴェルで さえ、1
8
世紀以前 には遡 りえない(
4
)
0
研究史 について も一言する。文書管理の歴史 は、一般 の歴史家の熱い注 目を
浴び続 けて きた とは言 えないであろう。文書形式学 自体 も、長 らく文書の様式
あるいは生成研究 に全勢力 を注 ぎ込 んで きた。他方、2
0
世紀の最後 の3
0年 ほ ど
に至 って、資料の生成のみではな く、その後世 における利用や管理 に対す る関
-4
4-
心が高 まってきた。クランチの書物 はその もっ とも通俗的な現われの一つであ
るが(5)、近年 この間題 をテーマに掲 げる研究集会 もい くつか開催 され るに至 っ
ている(6)0
フランス王権 について、革命の際、その独立 した文書庫であった 「
文書の宝
物庫」と呼ばれる資料群 は、そのまま国立文書館の J系列へ と移行 したが、そ
の後、冊子 を二重アルファベ ッ トで表記する統一措置 を受けた結果、 Jおよび
J
J系列 として今 日に至っている。この史料群 については、史料整理 と刊行 との
9
世紀か ら2
0
世紀 にかけて一定の研究蓄積が積上 げられて
関わ りか ら、すでに1
いた。具体的には、デサルにはじまり、 トウレを経て、 ドゥラボル ドによって
一定の完成 を迎 えた、 フランス王の「
文書の宝物庫」基礎研究である(
7
)
。 これ ら
の諸研究 は、なによりこの史料群の中味の特定 と目録づ くりを目標 としていた
が、同時に、中世以来積み重ね られていた文書管理事業の検討 と、現在 まで及
んでいるそれ らの影響 を吟味するものであった。その後長 らくやや無関心状態
のままに放置 されていた この史料群 について、近年再び再検討 を始めているの
が、古文書学校の現中世文書形式学および文書管理学担当教授のギヨジャナン
である。本稿 も、彼の研究 に負 うところが大 きい(
8
)
。
他方、王権の文書管理 との密接な関連が予想 され る王文書局や会計院、高等
法院については、個別の研究蓄積が一定度存在す るが(
9
)
、こと文書管理 について
は関心 を寄せ ることはほとん どなかった ように思 える(10)。これ らの機関は独 自
の文書管理 を実施 していた一方で、「
文書の宝物庫」とも一定の関係 を有 したの
で、 この観点か らの総合的な研究が今後望 まれるところである。
最後 に指摘 しておかねばならないのは、近年の中世末期国制史研究の刷新状
況である。た とえば、従来等閑視 されてきた領邦研究が この ところにわかに活
1
2
)
。王権 と領邦 との
況 を呈 しているが(ll)、その中には文書管理研究が存在する(
間には、さまざまな点で並行現象が確認 され るが、文書管理 についての比較研
究 は、今後興味深い課題 となろう。
本稿の目的は、中世末期 フランス王権 の 「
文書の宝物庫」と呼ばれる文書管
理部局 における文書管理の具体相 を検討 し、い くつかの論点 を整理することに
-4
5-
ある。研究の観点 は、「
国家の記憶」
管理 を例 にとった、統治のテクノロジーの
)
。具体的には、 まず第- に、文書管理 と国家統治 との関係、
展開過程である(13
すなわち、文書管理の重要性の認識 それ自体の問題がある。 第二 に、文書管理
の実質的担当者 と彼 らの存在のあ り方、最後 に、文書管理の具体相研究 として、
どのような整理 と目録づ くりが行われていたのかを、それぞれ検討 したい。
以下、 まずはじめに、国家 による文書管理の性格 を吟味する前提 として、教
会 における管理の様子 を瞥見 したあ と、 フランス王権の 「
文書の宝物庫」を概
観 し、最後 に、い くつかの時期 に分 けて、文書管理の具体相の展開を跡付 けた
い。
1.教会における文書管理-サ ン- ドニ修道院の例-
「
文書管理」というとき、通常念頭 に置かれるのは、発給者 あるいは受益者 と
しての管理の区別であろう。前者 においては、「自らが作成 した文書の控 え」、
後者の場合 には、「
受給 した文書の整理」が主 として問題 となる。周知のように、
中世 を通 じて、発給者が控 えをとる習慣 は、一部の王権や教皇庁、 さらには文
脈 は異なるが公証人文書 に見 られるだけであった し、前者 において これは、網
)
。こ
羅的 ・体系的な登録などではなかった ことが、 しばしば強調 されている(14
れに対 して、
受益者 としての教会 はさまざまな文書管理の経験 を積上げてお り、
言わばその典塑像 を提供 していると見なされる。
受益者 としての教会 における文書管理 は、オ リジナル文書の管理 と、 コピー
作業およびその管理の二つに分 けられ る。前者 についての情報 は、現在の分類
保管 に至 る伝来状況 に関わる情報のほかには、文書の とりわけ裏側 にときた ま
付加 されるさまざまな整理記号や文句 な どにほぼ限 られ、研究 自体 も未開拓で
)
。 これに対 して、同時代や後世 における、冊子や巻物
あるのが実情であろう(15
への転写 は、さまざまな形式で膨大な量 として伝来 している。この点に関 して、
文書形式学の教科書では、中世初期の寄進帳 l
i
be
rt
r
adi
t
i
o
num、中世盛期か ら
末期の文書集 C
a
r
t
ul
ai
r
e
、同時期か ら近世 に至 る目録 i
nve
nt
ai
r
eの三つが提示
-4
6-
されて きた(16)。 この うち、年代や地域、作成の場 のいずれ において も他 と断絶
を示 している寄進帳 は別 として(17)、残 りの二者 については、おお よそ以下のよ
うな図式で説明 されて きた。基本的 に文書 「
全文」の転写である文書集 は、l
l
世紀 に出現 し、1
3
世紀 に最盛期 を迎 えるが、同時期、文書の 「
要約」である目
録が、 ときにこれに競合す るように出現 し、最終的には近世 を通 じて文書集 を
駆逐 してい く。
以下、ギヨジャナンの研究 に拠 りつつ、サ ン- ドニ修道院 を対象 に、教会 に
おける文書管理の具体相 を概観 したい(18
)
0
サ ン- ドニの文書庫 において も、オ リジナル文書の裏面 に要約や記号 を付す
一方で、文書集や 目録の作成が継続 された。文書集 については、1
0
6
0
年代 の一
件書類 -文書集の作成 を例外 として、本格化す るのは1
3
世紀か らである。1
2
7
8
年以前の 「
特権 の書」、1
2
2
0
/7
0
年頃の 「
布施係の文書集」
、 さらには1
2
7
8
/1
3
0
0
年頃の 「白文書集」な ど、1
4
世紀 に至 るまで種々 (
部局別、所領別)の ものが
作成 され、断片 も含 めると相当数が伝来 している。 文書集の分類秩序 は、基本
的には、オ リジナル文書保管の秩序 をなん らかの形で反映 していた ことが推測
される。他方、1
3
2
0
/
3
0年代の諸文書集 と同時代 に、「
古い黄 目録 」が作成 され
るが、文書集 とは異なる分類が とられ、 目録が別個の道 を歩 み始 めた ことが分
かる。 さらに、1
5
世紀末の目録 は、文書集 とはまった く無関係 に、直接個別文
書 を参照 してお り、近世 の 目録 を準備す るもの と見 なしうる。最後 に、歴史編
纂 と関係では、
1
2
7
4
年以後 のプ リマによる年代記執筆開始 と「自文書集」、ギ ョム ・ド・ナンジ と 「
古い黒 目録」 との関係 な どが想定 されないわけではないが、
王国の公式年代記 を修道院 と運命 と一体化 させたサ ン- ドニ修道院修史事業
は、本質的には文書管理 とは無関係であった と考 えられる。
具体的に見てみよう。
付録 1は、 フィリップ 2世 の王文書管理 について関係資料 を例示 した もので
ある。対象 とす る文書 は、1
21
5
年 に、 フランス王 フィリップ 2世が、修道院が
管理 しているランディの市 をめ ぐる、修道院 とパ リ市民 との間の協定 を告示 し
た文書である。オ リジナル は、現在パ リの中央文書館のK系列 に保存 されてい
- 47-
るが (
資料 1)
、革命前 は確実 にサ ン- ドニの文書庫 にあった もの と思われ る
。
この文書 は、 どの ような管理の痕跡 を残 しているだろうか。
資料 2は、サ ン- ドニの もっ とも重要な文書集 と見 なされている「白文書集」
の当該箇所である。 この文書 は、「ランディの市」とい う項 目の 3番 目に記載 さ
れている。 モノグランマの形態復元 を含む全文 テクス トの筆写である。 これに
対応す るのが、1
3
世紀末 に作成 された 「
古い黒 目録」である (
資料 3)
。
ここで
は、前記 の文書集 と同 じく 「ランディの市」とい う項 目がたて られ、当該文書
はその 3番 目に記載 されている。要約の文章 も、かな り長大であ り、明 らかに
オ リジナルの文書 を参照 しなが ら、部分的にはテクス トを引用 している。 これ
に対 して、1
4
世紀 に作成 された 「
古い黄 目録」では、要約が より簡単 になって
いる(
資料 4)
。 しか しなが ら、 ここで重要なのは、 この目録では、項 目も前後
の文書の配置 もまった く異 なっているとい う点で、要約の最後 に付 された記号
は、 この時点でのオ リジナル文書の分類配置記号 と考 えられ る。すなわち、サ
ン- ドニでは、1
4
世紀のいつかの時点で、かな り大規模 なオ リジナル文書資料
の再整理が行われ、従来 とはまった く異なる分類が採用 され、 これ に対応する
目録が新たに作成 されたのである。 ここでは、分類記号 として、単語や文章、
ローマ数字、 さらにはアル ファベ ッ トや特殊記号が、時 によって組 み合わされ
なが ら使用 されている点 に も注意 したい。
総 じて、教会 における文書管理 においては、テクス トの全文転写 を基本 とす
る文書集が、オ リジナル文書の配置 を念頭 において まず作成 され、ついで中世
末期 を通 じて、要約記載の目録へ と変容 し、ついには目録のみが作成 されるよ
うになる。オ リジナル文書の整理や配置の変更 は、今 日想像 され る以上 に頻繁
に行われた可能性があ り、文書集や、 とりわけ目録の作成 は、 この ことと関連
があることが推測 され る。
以上 を念頭 において、以下、王権 の文書管理 について検討 しよう。
-4
8-
2.フランス王の 「
文書の宝物庫 」
フランス王の 「
文書の宝物庫 」と呼ばれる史料群 は、革命のさ中1
7
9
2
年 8月
に一括没収 され、その後奇跡的に大 きな損害 を受 けることな く、1
8
0
8
年、現在
に至 るまでパ リの国立中央文書館 として機能 しているス ビズ館 に収蔵 された も
J系列 として分類 されているが、その内部分類 は、
のである(
1
9
)
。現在 、Jお よび J
1
7
世紀 はじめに行われた分類 を基本的には踏襲 している(20
)
。 ここでは、まず こ
の組織の歴史 と性格 を概観 したい。
2
世紀末以前 には事実上皆無 に等
フランス王の文書管理 についての情報 は、1
しい。王 はなん らかの権利証書 その他 を受領 し、保管 していたはずであるが、
これ らは、一般 には、王の周囲で唯一文字の取 り扱い業務 を担いえた文書局、
あるいは宮廷礼拝堂所属の聖職者側近集団が、王 に随行 しなが ら管理 していた
と推測 される。文書が王 にしたがって動いていた ことは、 フランス王権 におけ
る文書管理態勢の刷新 を要求 したある事件が、間接的に示 している。 フィリッ
1
9
6
年 7月
プ ・オーギュス トの伝記作者であったギ ヨーム ・ル ・ブル トンは、 1
5日のフレ トヴァルの闘いのさなか、王が文書類 を奪われた と述べているので
)
。 この事件が きっか けとなって、王の文書類 は王宮に定着 し、後 に述べ
ある(21
2
3
1
年に
るように直 ちに再整理の努力が開始 されることとなった(
2
2
)
。その後 、1
8
世紀末 まで利用 され続 ける。 担当者
聖王ルイが、独立 した建物 をあてがい、1
3
0
7
年 4月2
7日、 フィリップ 4世が、 ピエール ・デタンプをこの仕
としては、1
事のために指名 し、決定的な一歩が しるされた(
2
3
)
。しか しなが ら、この職 は(
2
4
)
、
1
5
8
2
年、高等法院の主任検察官職 に合体 され、機能が縮小する。移送 され る資
料 自体が減少 していった果てに、王宮の大火後の復興 に際 しては、独立の建物
も破壊 され、事実上混乱状態のまま革命 を迎 えた。
文書庫組織で行われていた文書管理の具体相 については、のちに本格的に検
討す るとして、 ここでは、収納文書、スタッフ、場所 について、概観 してお き
たい。
「
文書の宝物庫」は、基本的に、王 に属す る諸権利 を証明す る資料か らなるが、
-4
9-
これに種々の調査記録、外交文書等の重要資料が加わる。 さらに、 さまざまな
理由か ら王権が掌握する資料のかた まりが一括 して収 められることがある。 た
とえば、1
3
世紀 にはアルフオンス ・ド・ポワチエの死 にともなって、南 フラン
ス関係の一大資料群が まとめて「
文書の宝物庫」に移送 された。 また、フィリッ
プ 4世 とボニフアチウス 8世 との闘争やテンプル騎士団関係の資料 も、一括 し
て収 められている。他方、高等法院や会計院は、独 自の文書管理 を維持 させて
お り、関係の資料が ここへ と移送 されることはなかった。 また、王権の周囲で
実質的に政治 に関わった人物たちの文書類 は、それぞれの個人 あるいは家文書
として扱われ、制度的にも王の文書庫 とは無関係である 王の文書庫 を構成す
。
J系列 として一括 されている 「冊子」であるが、 これ
るいま一つの柱 は、現在 J
は、以下の二種類か らなる。第一 は、いわゆる 「
文書局登記簿」であ り、文書
局が発給す る王文書の控 えの冊子が、1
302
年以降、膨大な系 を構成 している。
第二 は、本稿でその一端 を紹介する文書管理のための目録である
。
スタッフについては、フレ トヴァル以後、 フィリップ 2世が文書庫の再建 を
委ねたのは、ルイ 7世治世期か ら親子 2代 にわたって侍従 を務 めたゴーチエ (
息
千)であった。彼 は、当時長官が空席であった文書局 にも関わっていた と推測
20
4年頃 までには一段落 させた らしい。他方、 フィ
され る. 彼 はこの業務 を、1
リップ 2世か ら聖王ルイの治世期 にかけて、 この業務 に携わっていた らしいの
は、王の館の管理人であったアダムであった(25
)
。ついで、文書管理 に携わった
痕跡があるのは、フィリップ 2世の側近中の側近であ り、文書局長不在のなか、
事実上王の文書行政 を取 り仕切 った「
玉璽尚書」ゲラン、およびその下役であっ
たエチエンヌ ・ド ・ガラル ドンである。 彼 らこそ、のちに 「
ゲランの目録」 と
呼ばれる文書管理 目録の作者であった。王の文書庫 は、王の極 めて近い側近の
3
世紀前半 には、そのほか数名
配慮 に委ね られることか ら誕生 したのである。 1
の名があがるが、いずれ も立場が明確ではないなが ら、恐 らく文書局関係者で
あると推測 される(
2
6
)
。状況が より明確 になるのは、1
3
世紀後半であ り、ギヨー
ム ・ド・クレピ (
文書局員)、ジャン ・ド・コ- (
恐 らく文書局員)、こコラ ・
ド・シャル トルやロベール ・ド・ラ ・マル シュ (
高等法院書記)、そして事実上
-5
0-
の文書庫責任者の役割 を果た していた と見なされるピエール・ド・ブルジュ (
文
書局員) らの名前 を確認す ることができる(27
)
0
1
3
0
7
年に文書庫責任者 に就任 したピエール ・デタンプは、サ ンス大司教座教
会参事会員 を兼職する「
王の聖職者」、すなわち王文書局書記であった。付録 2
の表 1および 2は、諸研究が現在 までに明 らかにしている情報 をもとに、1
5
8
2
年にこの職が消滅するまでの文書庫責任者 をリス ト化 した ものであるが(
2
8
)
、こ
こか らは、以下の諸点 を指摘することがで きる。第- に、 ピエール ・デタンプ
以前 を含めて、少な くともピエール ・ジュリアンまでの文書庫関係者の圧倒的
4
世紀半ばか ら1
5
世紀
多数は文書局関係者であるとい う事実である 第二 は、1
。
にかけて、会計院書記が しばしば現われる点である。後 に見 るように、 この時
期 こそ、王権 の文書管理事業が もっ とも活発 に行われた時期である。 その後、
文書局関係者のビュデ一族が しばらくこの職 を独 占するが、1
4
8
2
年 には一時的
に恐 らくは会計院のイニシアテイヴが垣間見 られる。その後 は、機能の低下 を
現すように、人事の一貫性が失われてい くように見 える。組織全体 として眺め
れば、独 自の特徴が一貫せず、むしろ外部の権力、組織の影響 を蒙 りやすかっ
たようにも思える。 とりわけ、文書局 との密接な関係 については、ある意味当
然 として も、会計院役人 を通 じて、事実上 その従属下 に置かれたように見 える
事実は、この文書管理組織の性格 を考 えるためには、意味深長である。さらに、
少な くとも1
3
世紀初 めをのぞけば、王の文書庫関係者 には、「
政治的重要人物」
が確認 されない という点 も指摘す るに値する事実であろう。
資料の保管場所 についてはどうであろうか。1
2
4
7
年に建築が完了 し、1
7
8
2
年
に破壊 されたサ ン ト-シャベル付属の建物 こそ、数百年 にわたる王の文書管理
の舞台であった(
2
9
)
。 これ以前の情報 は事実上皆無に等 しい。 ピエール ・ド・モ
ンルイユによって、
王宮礼拝堂の聖具室 として建て られた この建物 については、
ドゥラボル ド自身 による個別研究がある(
3
0
)
。この建物 は、礼拝堂の後陣北側 に、
本堂 と同じ様式 による独立 した小建築物 として建築 された。 3層構造で、その
最上階が「
文書の宝物庫 」(31
)
にあて られた。近世の叙述 によれば、 2梁間 と祭室
部か らなる部屋 は、高窓 によって採光 され、下部 は棚で覆われていた。棚 には
- 51-
箱が配置 され、各資料 はそのなかに収 め られていた。冊子 については、特 に二
つの棚 にまとめて配架 された。王の文書庫 は、1
6
世紀末 に、破損 していた屋根
の補修、および部屋の二層への分割 の措置 を受 けたのち、 さらに1
7
世紀 はじめ
に、デュピュイ とゴ ドフロワによる再整理の対象 となった。 この とき行われた
分類 が、現在 まで基本 的 に保存 されてい る。 その大分類 は、「
箱 Co
f
f
r
e
se
t
l
aye
t
t
e
s
」、「
袋 Sa
c
s
」、 そして 「
冊子 Re
gi
s
t
r
e
s
」である。 ここで確認 してお き
たいのは、王の文書庫 は、 ほぼ一貫 して 「
棚 」あるいは 「
箱 」 の集合体 として
認識 されていた らしい点である。
以上 を念頭 に置いて、以下、 フランス王の文書庫 における文書管理の具体相
を検討 したい。前述の ように、文書管理 は、大 き く、個別資料の管理 (
整理、
配架) と整理情報の管理 (
目録づ くり)の二種 に分 けられ る。 この うち、研究
が蓄積 されているのは後者のみで、前者 については、後者 を通 じてその様子が
推測 されているのが実情である。 ここで も、検討の対象 は、主 として文書庫で
継続 されていた目録づ くりの具体相 となる。
3.文書管理の具体相 - 1:1
3
世紀の諸努力
前述 の ように、 フランス王の文書庫 はフィリップ 2世期 に姿 を現 し、同時 に
e
gi
s
最初 の文書管理 の痕跡 を残 している。 フィリップ ・オーギュス トの冊子 r
t
r
e
sと呼ばれ る一群 の資料がそうである。 これ らは、多 くは王が受給 した文書
のコピーの集成であ り、ただ しく文書集 なのであって、王文書登記簿 とはまっ
た く内容 を異 にしている
。
この史料群 については、 ドゥリールの著名 な研究が
あ り、 ドゥラボル ド以降の研究 はすべて これ を基本的には踏襲 している(32)。順
に見てい こう。
gi
s
t
r
um v
e
t
e
r
i
u
sと呼ばれている冊子 A は、1
2
04年頃か
のちの目録では、Re
ら1
21
2年 までの間に編纂 された と考 えられている(33)。その最初 の部分 は、伝来
しない前述 した侍従 ゴーチエの帳簿 を採録 した とも推測 され る。 分類の形跡が
ほ とん ど感 じられない、まった く雑多な構成 をなしている。これに対 して、1
21
2
-5
2-
年頃 に編纂 された冊子 Cは、順 に、「
封」、「
寄進」、「
封が負 う奉仕」、「ノルマ ン
ディの騎士奉仕」と続 く、諸権利別 と見 なし得 る構成 を持つが、 これがオ リジ
ナル文書の配架 に関係 していた とは思 えない(34)。さらに重要 な冊子 は、「
ゲラン
の冊子」と呼ばれ る冊子 Eである 玉璽尚書ゲランの指揮下、文書局書記のエ
。
チエ ンヌ ・ド・ガラル ドンが編集 した この目録 は、 順 に、「
封、「
司教座都市」、
「
城都市」、「
教皇お よび王」、「
大司教」、「
司教」と続 き、「
調査」、「
寄進」、「
規
定」、「
サ ンス」、「
大司教管 区」で終わ る、内容、発給者、業務 を機軸 とす る分
類 を持 ち、 さらに序文 と目次 を有す るとい う整然 とした構成 を有 している。 こ
の目録 は、1
2
62年頃 までさらに付加が加 えられ続 けた(
3
5
)
。以上の文書集 -冊子
は、いずれ も、王文書、受領文書、会計簿、 目録、 さらには歴史諸著作 な ど雑
多の性格 の資料 を収録 してお り、恐 らくは文書局 を中心 とす る文書行政役人の
総括的備忘録、あるいは業務 のマニ ュエル として機能 していた ことが推測 され
る。
聖王ルイは、前述 のように、王の文書庫 に恒常的な場所 を与 えた人物である
が、同時 に文書管理 について もなん らかの革新 をもた らした と見 なしうる。す
でに、長い滞在が予想 された十字軍遠征 に際 して、「
ゲランの冊子」のコピーを
携帯 し、そこに旅行 中に発給 ・受給 した文書 を書 き込 ませていたが(
3
6
)
、重要な
変化 は、統治全般 と同 じく、十字軍か らの帰還後 に現れ る。1
2
64年、恐 らくは
「
ゲランの文書集」の引 き継 ぎを企図 した と思われ る新 しい文書集 -冊子の編
纂が開始 された らしい。現在 目次のみが伝来す るこの資料 においては、前半 は
発給者別、後半 は業務別 とい う整然 とした分類が印象的である(37
)
。 しか しなが
ら、 より重要なのは、1
26
8/9年頃 に編集 された新 しい文書集 -冊子 と、 これに
対応す る文書 目録断片である(38)。ここで重要なのは以下の二点である。第一 に、
ここでは、 目録 (
文書の要約のみの提示)と文書集 (
基本的 に全文 に近い転写)
の作成がセ ッ トで行われた ことになる。文書 目録 は資料現物 の配架 と関係づ け
られなければ存在 の意味がない とす ると、 この事業 は、個別資料 の整理 につい
て もなん らかの変更が加 えられた ことを示唆する。第二 に、 ここで採用 されて
い る分類 に関 して、一部 1
264年 目次 を引 き継 ぎなが らも、地理 ご との 「
業務
-5
3-
ne
got
i
a」篇が新たに登場 していることが重要である(
3
9
)
。他方で、1
26
9
年、ラン
グ ドックの王領編入 に際 して、関係 の文書の大規模 な再整理 と目録づ くりが企
て られた。パルテル ミ ・ド ・ペ ノチエ をリーダー とす るこの事業の成果 は、断
片や後世 の転写 によって しか伝わ らないが(
4
0
)
、現在 までの研究 によ り、おお よ
そ以下の ような ものであった ことが推測 されている。関係の史料 は、 Aか らF
までのアル ファベ ッ トを付 されて区別 された 6つの箱 に整理 された、
3
8
0
通ほど
の資料であった。これ ら個別資料の裏側 には、その要約が書かれたが、これ は、
文書集 における資料表題 に対応 していた。
3
世紀後半の王の文書管理 の刷新 を示唆す るもの として、1
2
8
4
年以
最後 に、1
gi
s
t
r
um t
e
nueと呼 ばれ る冊子
降 に編纂 された未完成 の目録ががある。 現在 Re
の一部分 を構成す るこの目録 は、不完全かつ断片的な性格が強いが、王権 の文
書管理の歴史 において大 きな革新が当時進行 していた ことを垣間見 させて くれ
2)の棚 ar
mar
i
ol
um に酉己置 され る箱
る。 この 目録 は、全部 で11 (
あ るい は1
s
c
r
i
ni
um ごとに、そ こに保管 されている個別史料 の概容 と資料数 を提示 してい
)
。おそらくは、1
2
6
0
年代か ら継承 されて きた資料管理分類が この
るのである(41
時期 なん らかの理 由で一新 されたのを受 けての事業であった と推測 され るが、
4
世紀 を予告 していると言 える。
この ような目録の形式 自体 、1
1
3
世紀後半 には、 したがって、つ ぎの時代 を予告するような状況がすでに醸
成 されていた と思われ る。 まず第一 に、文書の全文採録 を旨とす る文書集 にか
わって、要約の集成か ら成 る厳密な意味での目録が優位 にたち始 めている。 目
録 はその本来的意義か らみて、オ リジナル文書の整理 ・配架 と関連 するはずで
あるが、事実、個別史料 の箱 による管理が本格化 しはじめた痕跡 も、伝来す る
目録か ら確認 され る。 第二 に、少な くともこの時期、文書管理 に関与 していた
と見 なされ る文書局書記の業務が、すでに分化 していた可能性がある。すなわ
ち、王文書の作成 と文書群 の管理 とい う業務の区別である。 伝来す る限 りで も
相当数の目録編纂が行われた痕跡がある一方で、王文書の転写 にやや特化 した
目録 も確認 され ることか ら、直接の証拠 はない ものの、すでに王文書登記が事
実上開始 されていたのか もしれない(
4
2
)
0
-5
4-
以上か ら、1
4
世紀 はじめに文書管理専門職の創設 に至 った状況 を整理するな
ら、以下の論点にまとめることができるであろう。
すなわち、管理すべ き文書の爆発的増加 と資料の形式 ・内容両面 にわたる多
様化の結果、主 として教会で行われてきた文書管理 システムの限界が明 らかに
なった。具体的には、個別資料の配架 を指示する技術や、要約 を構成する文体
と語嚢の洗練の必要に加 えて、文書 目録の多様 な作成が本格化 したため、文書
情報の管理 とい う次元 自体が独立 し、専門化 した役人 の存在が求 め られ るに
至 った。事実、 これ以降の文書 目録 は、単 に文書の単なる配架 リス ト以上 に、
財産 ・諸権利の リス ト、さらにはその検索の道具 という性格 を強めてい くので
ある。
4.文書管理の具体相 - 2 :ピエール ・デンタブ とその後継者たち
1
3
0
7
年にピエール ・デタンプが、恐 らくは個人的な業務 として命 じられた仕
事 とは、「
文書の状態 を認識、監査 し、適正な保存 と調査の便宜 に有用なや り方
で箱 に配置 し、その要約 を作成 し、必要な際には、す ぐさま取 り出せ るように
する」ことであった(43)。すでに実質的な担当者が存在 していた と思われる業務
に、一人の人間を公式 に割 り当てた背景 には、当該時期進行 していた王権の「
近
代化 -行政機関化」が当然想定 されるが(
4
4
)
、 ピエール ・デンタブは、当時文書
管理が直面 していた と思われる課題 に対 して、す ぐさま具体的な成果 を提示す
ることになった。
任命文書が示 しているように、彼 に求められた最大の課題 は、文書庫 に収め
られている資料の認識 と整理であ り、事実、今 日彼 にその作成が帰 されている
目録 は断片 を含めて相当数伝来 している(
4
5
)
。 しか しなが ら、彼 をとりわけ著名
としているのは、つぎの二種類の目録であろう
。
まず第一 は、1
3
1
8
年 に編纂が企図された目録である。 目次の前 には、簡潔で
はあるが 自らの名 を記 した序文が付 されてお り、編 纂者 の 自負 が感 じられ
る(46)。注 目すべ きは、 この中には 「目録の目録」が存在することである。 この
-5
5-
時期 まで にすでに、文書庫 には多数の文書集や 目録冊子が蓄積 されていたが、
彼 は、 それ ら先行 して作成 された諸冊子の 目次 を集成 して、 これ を目録化 しよ
うとしたのである。 この事業 に際 して、彼 は二回にわたって校訂 を繰 り返 した
らし く、
㌧その各段階が 目次あるいは不完全 なかたちで伝来 してお り(47)、最初 の
7
部、最後 の版では1
6部 に分類 され る目録が提示 されている
二つの版では計 1
。
第 1版 によると、最初 の 8部 はすでに見た文書集 -目録、第 9お よび1
0
部 は特
1か ら1
5
部 までは地域
定文書局長 の名 を付 された恐 らくは「
王文書登記簿」、第 1
6
部 は教皇 ほかの リス ト、第 1
7
部 は規定 その
お よび業務別 の個別文書 目録、第 1
他か らなる(48)。
ここで指摘せねばな らないのは以下の諸点である。 第- に、 この目録で は、
「
管理情報 の管理 」とい うメタレヴェルの管理が企図 されている。 この背景 に
0
0年 を越 えて蓄積 されていた王文書庫管理の努力であ り、そ
あるのは、すでに1
の結果 としてのかな り膨大 な文書集、 目録冊子の存在であった。第二 に、彼 は
この事業 に関 して、数度 にわた り手直 しを繰 り返 している。 さらに、 どの段階
の目録 について も、現在伝来す る限 りでは不完全 な状態 にある上、校訂の過程
で一部削除が行われていることを念頭 におけば、 この目録 は当時文書庫 に存在
した資料 のすべてを包含 していない ことが推測 される。第三 に、この目録 には、
文書 とい うよ りは、情報の参照道具 と見 な し得 る要素が見 られ る。以上か ら考
えられ るのは、王の名 による公式の編纂 とい う掛 け声 にもかかわ らず、 この目
dhocな内部資料 と見 な し得 ることである。
録 はむ しろ、文書庫管理 に関わ る a
31
8年の目録 において、 目録 の把握 と同時
第二 は、個別資料の把握である。1
に試み られていたいま一つの努力 は、なん らかの共通す る内容項 目の もとに、
32
0年のある巻物がその概
関係す る資料 を列挙 しようとす るものであったが、1
a
t
e
r
nid
ep
a
pi
r
oと呼 ばれ る目録が、この巨大 な成果であった と考
容 を示す Qu
00
えられ る(
4
9
)
。 ドゥラボル ドによって発見、同定 された この目録 は、全体で30
通 にものぼる個別史料のカタログであ り、6
2の項 目に分類 されているが、 これ
は個別文書 を収納す る 「
箱」 に対応 していると考 えられ る。項 目-箱 は、内容
を示す文章表現で しか区別 されず、その配列 にも体系性 は感 じられない。大 ま
-5
6-
か に見れ ば、王 に関係 す る ものが 11
項 目-箱 、「
封」な どの業務 に関す る ものが
9箱 な どの ま とま りが確認 で きるが、 なん らかのかた ちで地名が関係 してい る
ものは6
1に及ぶ。一 つの項 目-箱 に収 め られ る文書数 は、1通 か ら3
6
0
通 まで不
均等だが、 それ ぞれの項 目の内部 での個別文書 の配置 は基本 的 に年代順 が採用
(
5
0
)
0
され、年代 の表記 も右端 に統一 された書式 で ま とめ られてい る (
資料 5)
この史料 が きわ めて重要 なのは、以下 の諸点で、事実上以 降の文書管理 の伝
統 を決定づ けた とみな され るためで ある。 第一 に、史料 を 「
箱 」で管理 す る発
想 の出現 である。第二 は、箱 で把握 された個別文書 について、 これ を要約 と発
給年代 によって指示す る形式である。第三 に、基本 的 には 1行 1文書 を提示 し、
年代 を右 に揃 えて提示す る形式が示 してい るように (
会計簿 の影響 も指摘 され
る)、 この資料 は、全体 を一 目で総覧で きる ことが企 図 され てい る。
ピエールや彼 の後継者 たちの もとで は、他 に も多 くの作業 が企 て られたが、
重要 な革新 とい う意味で は、以下 の二 つ を挙 げね ばな らない。
1
3
4
0
5
0
年頃 にジャン ・ド ・クーヴルが作成 した と考 えられ る目録 Ge
ne
y
l
al
i
s
i
nt
i
t
ul
at
i
oは、文書群 の項 目 と収納文書 の数、な らびにそれ らの簡単 な叙述 か ら
な るが、各項 目にはアル ファベ ッ ト、十字架、 テ ィロー記号 の 9、 さ らには二
重 アル ファベ ッ トが付 されてい る。当初 D+で終 わ っていた この 目録 の項 目は、
4
6に及 んだ(
戸
1
)
。 この現象、
その後補遺が繰 り返 され、最終 的 には EX までの計 1
3
3
0
年
すなわち項 目- 「
箱」 に一連 的性格 を有 す る記号 を付す ことは、すで に1
代 はじめに、 ピエール ・ジュ リア ンによって試 み られていた と思われ る。前述
at
e
midep
a
pi
r
oの最初 の フォ リオへ の書 き込 みが その痕跡 を留 めてい
の Qu
るが、同様 に記号 によって項 目を区別 してい るある目録 が (
不完全 なかた ちで
伝来)、 ピエール ・デタ ンプの項 目 と対応 関係 を示 してお り、 この事業が 「
箱」
の再整理 と関係 していた ことを垣 間みせ てい るので ある(
5
2
)
。個別文書 を収納す
る箱 に、一連性 を有す る記号 を付す とい う革新 は、 目録記載 に際 して も一定 の
基準 を与 えるが、 なによ り、棚 への箱 の配架 に規則性 を確保 す る ことが念頭 に
あった と思われ る。
-5
7-
一連性確保 のためのアル ファベ ッ トの採用 は、同時代現象 として比較 と議論
の対象 となって きた。1
3
2
3
年のイ ングラン ド財務府 目録 については1
9
世紀 にす
で にこの点が特 に言及 されていたが、ギ ヨジャナ ンはさらに、 フランスでの先
例 をい くつか指摘 してい る(
5
3
)
。 しか しなが ら、 この間題 は単 なる技術 に とどま
らない射程 を有 してい る とも考 えられ る。 目次や索引の生成、一連 的性格 の確
保 な どは、 ある種、「
世界」理解 の様式 とも考 えられ、知的な操作であるか らに
は、当然 その歴史的性格が問われね ばな らないか らである。 グネによる と、論
理的索引 に替 わ るアル ファベ ッ ト順索引の展開 に重要な役割 を担 ったのは、 と
りわ け大学人 の世界 であった(
5
4
)
0
第二 は、同 じ くジャン ・ド・クーヴルが1
3
4
8
5
0
年 に編纂 した と考 えられてい
る目録 であ り、当時文書庫 に収納 されていたすべての 「
冊子」が総覧 されてい
る。 ここで は、従来多様 なや り方で表現 されて きた種々の 目録が、統一 した叙
述基準 の もとに記載 されてい る。 さ らに注 目すべ きは、全 7
1
冊 の うち、文書局
登記簿 を構成す る後半2
9
冊 が、管理 目録 ほかか らなる前半4
2
冊 と区別 されてい
ることである (
前半 は、 さらにこ っに分類 されてい る)
(
5
5
)
。 ピエール・デ ンタブ
の 目録 においては雑然 と同居 していた種々の冊子 は、 こののち明確 に区別 され
てい くことになろう。
5.文書管理 の具体相 -3 :ジ ェラール ・ド・モ ンテギ ュとその後
3
7
0
年1
2月31日会計院 において この職 についた
自身 の言 うところに従 えば、1
ジェラール ・ド・モ ンテギュこそ、「
文書の宝物庫」 の歴史 のなかで も特別 な注
意 に値 す る存在 とみなされている。 ジェラール は、1
3
7
0
年代 を通 して継続 され
た作業 を通 じて、伝来 しているか ぎ りで は 5種類 の 目録 を作成 しているが(57)、
これ に関連 してみずか ら 2種類 の序文 を書 いている。 この こと自体、文書管理
人 としての強固な自意識 の現れであるが、何段階 に もわたって修正が繰 り返 さ
れた彼 の努力 について、ここでは、
業務 の性格 について主 として論 じている1
37
2
年 の序文 を見 よう(
5
8
)
0
- 58-
まず彼 は、文書庫 に存在す る計 3
1
0
個の箱 の指示 を、従来のアル ファベ ッ トに
かえて数字の一連番号 によって置 き換 えた。他方、 目録 自体 は、項 目名 のアル
ファベ ッ ト順 になっていて、た とえばオル レアン公 d
uxAur
e
l
i
ane
ns
i
sについ
当該項 目が見つか り)
、関係
ての文書 を探 したい場合 には、 目録 のA を探せば(
の文書が第2
7
0
箱 に収納 されていることが分か る。ついで同 じ く混乱状態 にあっ
た冊子 について も、数字 の一連番号 によって表示 した。冊子 は、「
有益 な冊子
l
i
br
iut
i
l
e
s
」、「
無用の冊子 l
i
br
ii
nut
i
l
e
s
」、「まった く無用の冊子 1
i
br
ipe
ni
t
us
5
9
)
0
i
nut
i
l
e
s
」の三種 に分 けて、配架 を区別 した(
自身の言 にも関わ らず、先任者の努力 に負 うところも大 きい彼の事業 につい
て、以下の諸点が重要である。
第一 に、彼 はすべての資料 を、数字 による一連番号 によって把握 しようと試
みた。1
3
7
9
年の最終版で も、列挙 され る項 目-箱 は全部で3
1
0に及んでいる。ア
ル ファベ ッ トで表記 されていた以前の目録 との対応関係 を調べ ると、項 目自体
が細分化 されているほか、一致す るものについて も順番が相 当ずれていること
が確認 され る(
6
0
)
。冊子 については、同 じく最終版 は、1
1
5
冊 を一連番号順 に列挙
している(61)o一連番号 による管理が要請 された理 由は、なによ り一連性 の一貫
した確保であ り、文書庫 における箱や冊子の配架の問題である。恐 らくは、 こ
れ らが配架 され る棚 には区画が定 まっていなかった ことが、頻繁な出 し入れに
ともなって混乱 を生 じさせた理 由であろう(62)0
第二の革新 は、アルファベ ッ ト順索引の作成 それ 自体である。 最終版では、
全部で3
8
4にお よぶ索引語が設 けられてお り(63)、それぞれの項 目は、番号で示 さ
れた箱 を指示 している。 たて られている項 目として もっ とも多いのが、なん ら
0
1に達す る。逆 に、組織や機関は 3つにす ぎない。人
かの地名 に関わるもので2
間に関係す る項 目は3
7あるが、当然 なが ら王 あるいは王権関係者が多い。王国
の諸身分 ほかに関わ るものは1
4である。 他方、文書や法行為 に関係す る項 目は
6
6、王の財産 ・諸権利の諸類型 は42ある。項 目によっては、当然 なが ら、複数
の箱が指示 されているが、総 じて、地理 と法行為の性格が優越 していることが
うかがえる。オ リジナルにおいては、左端 にイニシアルが強調 された索引語、
-5
9-
中央 に内容説明がおかれ、 ここで も右端 に数字が揃 えられ るとい う整然 とした
数字 は、
2
0
進法 による体系的な表記 によっ
レイアウ トが印象的である(
資料 6)。
て示 されてお り、 ここに も会計院の影響がみ られ るのか もしれない。
最後 に、 ジェラールの目録 を特徴づ ける要素 として、種々雑多 とも見 える情
2
葉以下 には、関係す る箱や冊子への参照 を含むさ
報 の記載がある。 第 4版 の5
まざまな情報が雑然 と並んでお り、そのなかには、教皇 とフランス王の年代順
リス トは別 として も、珍 しい文書形式や印章の特徴、 さらにはパ リの通 りの名
前 に至 る関心が見 られ る(64)。 これ らの情報 は、一方で文書管理者 に必要な基本
的な知識 で もあるが、他方ではジェラールの個人的関心 を示 しているように見
える。 ジェラールの 目録 は、 自身の高遠 な意識 にもかかわ らず、む しろ文書庫
業務 の内部 マニュアル として、 しか も彼 自身の個人的噂好 に合わせて作成 され
たのであろうか。
0
0
頁以上 にわ
ジェラール以後、王の文書庫 の活動 は停滞 し、ドゥラボル ドの2
5
8
2
年 に至 るまでの時期 は、わずか1
0
貢
た る叙述 において も、職が廃止 された1
た らずがカバーす るにす ぎない。 ここでは、ギヨジャナンがあ らた に検討 した
資料 を、一点だけ紹介 して、本論 を終 えることとしたい。
ジェラールの業績 の核心 は、なにより分類 の確立 と多様 な資料検索手段の開
発 にあったが、後継者たちの努力 もこの方向の継続へ向けられた。後者 に関 し
1
4
2
0
年の目録」 と呼ばれてきた 目録である。 継続
て興味深 いのが、近世以来 「
5
c
m にお よぶ巨大 な紙の冊子 と
した フォリオ建 ての 3巻本か らな り、高 さが4
して当初か ら準備 された。空 自がかな り大 き く残 されていることか ら、後世の
付加 を前提 として作成 され、事実付加 され続 けた(
6
5
)
。この目録 は、アルファベ ッ
ト順項 目索引であ り、 ジェラールの目録の延長だが、以下の ような新機軸が試
されている。第- には、大項 目に関す る個別資料が選択的に列挙、要約 されて
いる。ページ建 て として も、左側 に地名や法行為の性格 を主 とす る見出 しが別
個置かれ、真 ん中に要約 と箱 ほかの参照、そして右端 に恐 らくは個別文書番号
と思われ る数字が配置 されてお り、個別文書への注 目が さらに進 んでいる (
資
-6
0-
料 7)
。第二 に、これに関連 して、大項 目、小見出 し、要約か ら構成 される整然
たる階層構造が印象的である 索引項 目自体 は、地名がほ とん どで、一部 に諸
O
制度が見 られる。 要約 には、一部先行す る資料 の採録が見 られ、オ リジナル を
見ていれば避 けられたはずの誤 りが散見 され る。第三 に、番号 を付 して参照 を
命 じられているもの として、文書庫の箱、王文書登記簿 にとどまらず、会計院
記録が挙 げられている。後者 は明 らかに、「
文書の宝物庫」には収納 されていな
かった資料 と考 えられ る。
この目録作成の背景 としては、以下のような状況が推測 され る。 第一 に想起
されねばな らないのは、1
4
20
年の トロワ条約、1
4
22年のシャルル 6世 の死、 こ
れに続 くへ ンリ 6世 とベ ッドフォー ド公 によるパ リ政権樹立 とい う政治的激動
であろう。 さらに、 この目録が、結果的には巨大 な項 目 ・見出 し索引 リス トの
観 を呈 していることは、会計院の影響 と考 え合わせ、 これが文書資料の管理で
あるよりはむしろ、王領 をはじめ とする諸権利 の管理 (
情報の管理) に関心が
あることを垣間見せている。
おわ りに
最後 に、序論で提起 した課題 について、以下の諸点 を指摘す ることで こたえ
たい。
第一 は、国家の統治 と文書管理の関係 についてである。少 な くとも本稿で取
り上 げたフランス王の文書庫 においては、制度的な自立 は計 られなが らも、ス
タッフや作業の面では、文書局や会計院等 に対す る、やや従属的な関係が看取
される。文書保持 を利用 した文書管理者たちの 「
政治的活動」や歴史編纂活動
な ども見 られない。彼 らの活動 は、基本的には、文書資料の整理や情報の検索
のための努力 に限定 されているようにも見 える。多 くの努力が積 み重ね られて
いたにもかかわ らず、組織 としての首尾一貫性 にも欠 け、現状 の混乱 を理 由に
新たな再整理がその都度繰 り返 された集積 とも見な し得 る。
他方、管理のテクノロジーの進展 とい う観点か らは、 どの ような指摘が可能
-6
1-
であろうか。
基本的特徴 として、個別資料ではな く、それ を一定数収納す る箱単位の把握
と管理がかなめ となっていた ようにも思われ る
。
また、多様 な目録が作成 され
たが、基本的には、箱 の配架整理秩序 と、情報の索引機能が もっ とも大 きな関
心事であった。 これ らは、文書管理学の立場か ら見れば、人為的な整理分類 の
規格化 と、階層 をなす多様 な目録づ くりの努力である。後者 については、今 日
言 うところの分類総覧 Et
a
tde
sf
o
nds
、一連番号 目録 Re
pe
r
t
oi
r
enume
r
i
q
ueか
ら個別文書要約 目録 Ⅰ
nve
nt
ai
r
ea
nal
yt
i
que
、さらには索引に至 る各種文書 目録
がすでに作成 されていたのである。 俗語ではな くラテン語の使用が優越 してい
るのは、 この業務 の本質が、同 じ特徴 を持つ文書局や高等法院 と同様 に、権利
証書や証拠の管理 にあるか らであろうが、同時 に、
会計院の影響 を強 くこうむっ
た ことも、
数字の扱いや諸権利 の索引機能 の重視か らうかが える。「
情報の管理」
とい う点か らは、同時期 に進行 していた他領域 との直接 ・間接の関係の究明が
(
大学等の知的場、他の 「
官僚」組織 な ど)
、今後求 め られ るであろう。
逆 に、組織 としての一貫性の欠如か らは、衰退期 をのぞけば、 目録の編纂基
準や方法が定 まらず、一定方向への進化の動 きが見 えに くい とい う状況が生み
出された。分類記号 も多様で、異なる記号が、やや長期 にわたって共存 してい
た とす ら見 える痕跡す らある。特殊専門用語の出現や定着の遅れ も、継承 され
る明確 なモデルの規格化の遅れ と関係づ けられ る。すなわち、本稿で見た よう
な文書管理の努力 とは、端的には、個人的あるいは a
dhocなイニ シアテイヴの
やや雑然 とした積 み重な りであ り、 そのなかか ら上記の ようない くつかの管理
概念が経験的 に生 み出されて きた と考 えられ る。
最後 に、比較 の観点か ら、やや大 きめの問題 をい くつか提示 して、本稿 を閉
じたい。
た とえば前近代 日本 においては、文書の管理 とはその 「
生成 ・利用部局」が
基本であった と説かれている。た とえば、江戸幕府 には、将軍の諸権利や活動
を一 ヶ所 で総 覧す るよ うな文 書 資料 管理 は、組 織 として は存在 しない とい
う(
6
6
)
。 この意味では、西欧 において、なぜ文書管理の独立が生 じたのかそれ 自
-6
2-
体が、問われねばな らない。
第二 は、文書管理の意義 についてである。文書管理 は通常、「
現用文書」と「
非
現用文書」の区別 を前提 として、後者の うち永久保存の ものについての処置 と
して把握 されている。 しか しなが ら、 この状況の もとでは、「
非現用文書」の絶
えざる廃棄の危険 と、逆 に特殊 な取 り扱いを受 けた保存文書の現実か らの遊離
や、ある種 の神話化が導 き出されやすい。 ここで問題 となるのは、文書の後世
における機能の問題であ り、文書 を事後的に利用す る諸力 との関係である。 こ
の意味で、 フランス王の文書庫 における文書管理 は、 自己 目的的性格が顕著で
あると言わねばな らない(67)0
最後 に、近代的文書管理の大原則である、いわゆる出所お よび現秩序維持原
則 についてである。「
文書の宝物庫」において、地理別、業務別の分類が次第 に
優越する傾向が、次第 にこれに類似 の性格 を帯びた として も、 これはあ くまで
も結果 にすぎない。本稿で見た ように、む しろ文書管理が 自己 目的化すればす
るほど、個別文書の悪意的な再整理が繰 り返 された とも思われ る 箱や冊子秩
。
序の規律化が比較的早 く定着す るの も、資料発見のためには配架秩序の維持が
不可避であった とい う、実務的な理 由が大 きい。多様 な目録編纂 に現れている
ように、管理 とは 「
人為的な再編成」であるとい う意識がそ こでは濃厚 に感 じ
られ るのである。
本稿 は、提起 した課題 に対 して、極 めてわずかの材料 を通 して検討 したにす
ぎない。問題の射程 は大 き く、検討対象 も多様であることが予想 され る。 多 く
の類似の研究の端緒 となると同時 に、比較の素材 も提供で きた とすれば、本稿
は、その目的の大半 を果た した ことになろう。
注
(1) Cf
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4.
(2) 現代の文書管理学 に関 して、本稿 との関係か ら、フランス文書管理総局が総力 をあげて
刊行 したマニュアルを二種類 あげておきたい。Ma
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3-
réédition, 1991; La pratique archivistique française, Paris, 1993.
(3)
BAUTIER, R.-H., La phase cruciale de l'histoire des archives: la constitution des
dépôts d'archives et la naissance de l'archivistique, XVIe - début XIXe siècles, dans
A rchivum , 18, 1968, pp.139-150. cf. BAUTIER, R.-H., Les Archives, dans L'histoire
et ses méthodes, éd. par Ch. SAMARAN, Paris, 1961, pp.1120-1166.
( 4)
2::. O)rQ5:j~IÜ::
-=:)\,) l
f;t~
DUCHEIN, M., Le respect des fonds en archivistique. Prin-
cipes théoriques et problèmes pratiques, dans La Gazette des archives, 97, 1977, pp.
71-96~~~o
( 5)
CLANCHY, M. T., From Memory to Written Record, England 1066-1307,
Oxford/Cambridge, Mass., 1979; 2e ed., 1993.
(6)
GUYOTjEANNIN, O., MORELLE, L. et PARISSE, M., éd., Les cartulaires. Actes
de la Table ronde organisée par l'Ecole nationale des chartes et le G.D.R. 121 du C.
N.R.S., Paris, 5-7 décembre 1991, Paris, 1993; La conservation des manuscrits et des
archives au Moyen Age, Actes du XIe Colloque du comité international de paléographie
latine, Brnxelles, Bibiliothèque royale Albert fer, 19-21 octobre, 1995, dans Scriptorium, 50, 1996; HEIDECKER, K., ed., Charters and the Use of the Written Word in
Medieval Society, Turnhout, 2000; KOSTO, A. ]. and WIN ROTH, A., ed., Charters,
Cartularies, and Archives: The Preservation and Transmission of Documents in the
Medieval West. Proceedings of a Colloquium of the Commission Internationale de
Diplomatique (Princeton and New York, 16-18 September 1999), Toronto, 2002.
( 7)
DESSALES, L., Le Trésor des chartes, sa création, ses gardes et leurs travaux,
depuis l'origine jusqu'en 1582, dans Mémoires présentés par divers savants à
l'Académie royale des inscriptions et Belles-Lettres, t. l, 1844, pp.365-466; TEULET,
A., Notice préliminaire, dans Layettes du Trésor des chartes, t. l, Paris, 1863, pp.
v-lxvii; DELABORDE, H.-F., Etude sur la constitution du Trésor des chartes, dans
Layettes du Trésor des chartes, t. V, Paris, 1909, pp.i-ccxxiv. F
f~5jU~Jt ~::kil:~z:~~ 0 l P Q il~~
( 8)
'7 '7 ~}V F ~;t~ ~1~0)
f: hi? O)gjG*f;t 2::. 0) t;tip fZ:~gjG ~ h l v) Q
0
GUYOTjEANNIN, O., Les méthodes de travail des archivistes du roi de France
(XIIIe - début XVIe siècle), dans Archiv für Diplomatik, 42, 1996, pp.295-373;
GUYOTjEANNIN, O., Super omnes thesauros rernm temporalium: les fonctions du
Trésor des chartes du roi de France (XIVe-XVe siècles), dans Ecrit et pouvoir dans
les chancelleries médiévales: espace français, espace anglais. Actes du colloque international de Montréal, 7-9 septembre 1995, éd. par K. FIANU et D. ]. GUTH, Louvainla-Neuve, 1997, pp.109-132.
(9)
7'7/Â.3::.O)Jt.rnHZ:--=:>Plf;t~MOREL,
O., La grande chancellerie royale et
-64-
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年 に開かれた中世文書局 についての研
究集会録 にも、関係の論文が複数収録 されている。会計院 については、堀越宏一 「
1
4
世紀
フランスにおける会計院 と王国財政」
、高山博/池上俊一編 『
宮廷 と広場』
所収、刀水書房、
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頁、高等法院 については、AUTRAND,F.
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世紀 を一つの時代 ととらえた上で、 この期間 に、他の諸地
研究プロジェク ト」は、1
域 とは異 なった特殊 ヨーロッパ的な 「
近代政治社会」が生成 した様子 を多面か ら検討す る
ものであったが、 その際のキーワー ドが、「
統治テクノロジー強化」 と 「
社会的同意取 り
付 け」の構造的連関であった。アモル フ状態の研究動向のなかで も、終始一貫 して このプ
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ロジェク トを推進 した ジュネ の見解 は、本格 的 な検 討 に値 す る よ うに思 わ れ る。c
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世紀 の ドイツの一部 にのみ存在す る寄進帳 は、 したが って、文書集 の 「
起源」では
な く、文書 あるいは法行為 の集合 コピーに関す る多様 な努力の一つであるにす ぎない。他
方、最近の史料論的議論 においては、同時代 の比較か ら、所領明細帳 を生 み出す状況 と、
寄進帳 の作成 を導 く状況 とが対比 されている。DECLERCQ,G.
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可能 とす る。
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修道院 について も、い くつか個別
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) フレ トヴァル以前の年代 を持つ収蔵文書 は全部で4
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通 を数 えるが、 この うち、明 らか
に後世加わった と考 えるられ るものを除 くと、1
2
世紀以前のオ リジナルは2
1
通 しか「
文書
の宝物庫」には伝来 していない。 この うち1
0
通 はフランス王文書であ り、 これ らは、意義
を失った文書 を後の王が回収 した もの と推測 され る。他方、フィリップ・
オーギュス トの
残 りの治世2
9
年だけで、1
2
0
0
通の文書が保管 されている。これ らの状況 は、フレ トヴァル
を契機 として、文書管理 についての認識が急速 に高 まった ことを示 している。
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ベル とその近辺 はこれを免れた。しか しなが ら、王宮の再建 にあたって、シンメ トリーに
こだわった関係者 は、聖具室建物の破壊 を決定 した。
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)中のようなや り方で表現 されていた。
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の目録が作成 されているが、 ここには1
2
6
4
年 目録 に掲 げ られた3
0の項 目の うち1
7
が現れ
ている。ただ し、ここに転写 されているのは もっぱら王が発給 したか、あるいは王 に直接
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) 目録 は失われた。パルテル ミの目録の コピー断片 として、Ar
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(
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2
) 王文書登記簿への体系的な転写は、1
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年から始まるが、これに先立 って、類似の努力
が見 られ る。Cf
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96
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(
4
3) 注2
3
参照。事実、文書庫への移送 と並んで、文書の閲覧 と貸出の痕跡が、すでにこの時
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) フィリップ 4世 については、とりあえずフアヴイエの総合的叙述 を見 よ。FAVI
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5.日本語では、樺 山紘一
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パ リとアヴィニ ョン』、人文書院、1
9
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貢。
(
4
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) た とえば、ボニ フアチ ウス 8世 間題 に関す る 2巻本 として、Ar
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、等
が挙 げられ る。
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) 第 1版 は恐 らく草稿であ り、 2版、 3版が同 じ年 に修正 を加 えられなが ら作成 された。
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) 第 1版序文 に見 られる構成 は以下の通 りである。1.Re
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.第 2版で は、第 1版の第
9部が削除 されたが、かわ りに第 1
2
部 の一部 であったモンプリエ部分が独立 し、結果的に
-7
0-
1
7
部が保存 された。第 3版で は、第 2版か らその第 7部 を削除 し、全部で1
6
部構成 となっ
た。ピエールの 目録 の構成 と関連資料 は、ドゥラボル ドが表 にまとめている.DELABOR-
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.no4.以下の よ
2の項 目を提 示 してい る0 "
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nうな序文 に始 まる この史料 は、全体 で6
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iに採録 されている。
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um,n07の清書版)
ブシェに帰 している)e
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ⅩⅩvi
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iに、A か ら BF
に至 る5
8の項 目 リス トと Qu
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e
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niとの対応関係 が示 されてい る。 さ らに これ に先立 っ
て、 ピエール ・デ タ ンプが箱 を記 号 に よって標 しづ け よ う とした痕 跡 が見 られ る。
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um と呼ばれ る目録 は、Qu
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miに先行す る努力の一つ と考 え
られ るが、 9つの項 目-箱 について二重長三角形や花 び らな どの記号 を付 されてい るの
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年 に整理 の対象
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3
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3.前述 の ように、1
となったラング ドックの 6つの史料箱 は、Aか ら Fまでのアル ファベ ッ トで区別 されて
3
2
8
年 に王位 を襲 うフィリップ ・ド・ヴ ァロワの文書 は、同様 に区別 された箱
いた。 また1
3
3
0
年頃のブル ゴーニ ュ公 の文書庫が興味深 い。ここで
に収納 されていた。王以外で は、1
CHARD, Le
s Ar
は,行政地理 に対応 した箱がアル ファベ ッ トで区別 されていた。RI
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読書行為 の歴史」研究 は、同時期 の大学人 を中心 とす る場 において、読書がある
種 「
情報処理行為」へ と変容 した様子 を、書物 の物理的体裁 ・
形態研究 によって明 らかに
しているのである。c
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田中毅他訳 『
読 む ことの歴史』大修館
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年の第 4版 お よび1
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年最終版 のそれぞれ 目録序文が伝来 し
容 としては大差 ない、1
てい るが、みずか らの功績 を顕彰す る意図が強 く、作業 の内実の叙述 は簡素化 している。
1
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7
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年版序文 については、 トゥレが刊行 している。La
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) 彼 は、アル ファベ ッ トによる箱分類 を継承す ることか らはじめ、ついで三重 アル ファ
ベ ッ トの採用 によって項 目-箱の増加 を目論 んだ らしい。その後、一部 に数字 による一連
3
7
3
年頃にこのや り方 に移行 した。1
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7
9
年の最終版では、さら
番号 を付加 し、最終的には1
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、 ドゥラボル ドが、細部の誤 りを
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ただ した再整理 を行い、 さらに現分類 との対応関係 も提示 している。DELABORDE,
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.基本的にはジャン ・ド ・クーヴルの配置 を受 け継い
だ この分類番号 は、ジェラールの吉によれば 「
年代順」だが、事実上 そのままのかたちで
現在 に受 け継がれている。他方、1
3
7
2年序文、第 3版および第 4版 目録 に現れ、最終版 に
は見 られない、Li
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本稿では詳細 には立ち入 らない。ドゥラボル ドの解説 を参照の こと。
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) さらに、奇妙なことに、目録か ら箱の一連番号 を復元す ると、内容への言及がない番号
が見受 けられ る。当時なかが空であった箱 にも数字 を振 り当てた としか考 えられないが、
これ も将来文書で埋 まるべ き箱のスペースをあらか じめ確保するためなのであろうか。
(
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5 にリス ト化 されている。
目録の作成年代 は、1
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年が想定 されている。
(
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6
) 大友一雄 「幕府寺社奉行 と文書管理」、高木俊輔他編 『日本近世史科学研究』所収、北
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年、1
6
1
9
4
頁.国文学研究資料館編 『
アーカイブズの科学』、
海道大学図書刊行会 、2
0
0
3
年、所収の関係論文で も、文書管理が生成 ・
利用の組織体 との関連で行われ
柏書房、2
ることは自明 として取 り扱われている。
(
6
7
) 文書史料の政治的利用 とい う観点か らは、むしろ中世 の教会組織 における努力が興味
深い。 この点 については、 とりあえず、 GEARY,P.JリPh
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4参照。 日本学界 で も近年関心 を同 じ くす る業績 が現れてい る。松尾佳代子 「カル
テ ュレール を読 む-1
2
世紀初 におけ るサ ン ・メクサ ン修道院 とリュ- ジニ ヤン城 主-」
『
史林 』8
8
2、2
0
0
5
年 、1
1
5
1
3
7
頁。
5
-1
7
年度科学研究費補助金基盤研究 (
B2)「西欧中・
近世 にお ける国家 の統
※本編 は、平成 1
治構造 と機能」(
研究代表者 :九州大学大学院人文科学研究院 神賛秀夫)、お よび平成 1
7
1
9
年度 同基盤研究
(
B)「西欧 中世比較史料論研究」 (
研究代表者 :岡崎 敦)による研究成果
の一部 で ある。
-7
4-
付録 1:1
21
5年 フランス王 フィリップ 2世文書
資料 1 :オ リジナル文書 :
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資料 2 :1
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墓
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6-
朗 痕
資料 3・
・1
3
世紀末 「
古い異 目録」An
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付録 2ニフランス王文書庫担当者 リス ト
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-1458-74: Dreux l Budé, audiencier de Chancellerie (1440-74)
-1471-82 (-1502): Jean III Budé, audiencier de Chancellerie (1497)
-1482: Jacques Louet, assisté de Pierre Aymer et de Guillaume de Sailly,
clercs des Comptes
-1502-24: Dreux II Budé, audiencier de Chancellerie
-1524-: Jean IV Budé, audiencier de Chancellerie
-1538-59: Sébastien Le Roullyé, sieur de Génitoy
-.1559-69: Christophe de Thou, parlementaire
-1569-74: Jean de Thou, parlementaire
-1574-81: Hugues Fromaget, greffier des requêtes du Palais
-1581-82: Henri de Mesmes, seigneur de Roissy, chancelier de la reine
-1582: union au Procueur général de Parlement
-80-
付録 3:フランス王の 「
文書の宝物庫 」文書管理 目録
資料 5 :ピエール ・デタンプの Qu
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資料 6:ジェラール ・ド ・モ ンテギュのアル ファベ ッ ト順索引 目録 :
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