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ヨーロッパらしい,ベルギーらしい,私らしい「留学(食)紀行」
ヨーロッパらしい,ベルギーらしい,私らしい「留学(食)紀行」 ○ベルギーへ 私は2004年~2005年度、ベルギーのレウヴェン大学に一年間の交換留学をさせて いただいた。みなさんはベルギーというとどんなイメージを思い浮かべるであろうか?チ ョコレート、ワッフル、ビールという食についてのイメージから EU の本部があるブリュ ッセルが首都であることなど政治的な分野まで、遠いようで、しかしながらふとしたとこ ろにベルギーとの接点があったりするのである。 ○Leuven 大学について 私が留学したベルギーのレウヴェン大学は、1425年に始まるヨーロッパ屈指の歴史 を持つ大学であった。名前に「カトリック」と付いているが、決して宗教色が強いという わけではない。しかし、やはりヨーロッパの歴史を語る上ではその影響抜きには語れず、 留学生活の中でそれらの一端を垣間見ることもできたし、私が受講した講義にもヨーロッ パ的な考え方を多くくみ取ることができ,それがとても興味深かった。また、この大学の もう一つの特徴としては,毎年3000人以上の留学生が世界102カ国から集うという 国際色豊かなことがあげられる。そこで、ヨーロッパ的思想を含んだ授業を留学生の友達 と受けることで、そこで「食」を通した交流もした私の留学記録を紹介したいと思う。 ○ Pastoral Ministry with the Deaf and the Partially Hearing この大学は、神学・宗教学・哲学・倫理学ではヨーロッパの大学の総本山的な存在で あり、その権威はこの大学の名に恥じないものである。ベルギー人の学生は一年に一 つの神学や宗教の要素を含む授業を受けることになっている。実際、ベルギー人の学 生にこのことについて尋ねたところ、現在の若者はそこまで宗教心が強くなく、キリ スト教についてもしっかり勉強したことがない学生が多いので、このシステムはキリ スト教を学ぶいいきっかけになっているとも話していた。私は神学部でこの授業を受 け、「Kenosis」(自分の利己的な自己を空にして、相手を受け入れるという考え)を 用い,ろう者や難聴者が教会でどのようにその宗教心を高めていくことができるかと いう牧師の取り組みについて学んだ。この授業では、中国・インド・スリランカから の留学生が多く、彼らは自国ではシスターや神父をしていた。キリスト教の知識が全 然ない私に、彼らはいつもその深い愛で勉強だけではなく、人生についても多くのア ドバイスを与えてくれた。彼らの国の主食であるカレーをスパイスからつぶし、手間 ひまかけて作り、そこで共有した神聖で温かな「語らい」は私の精神の支えとなって いる。 ○ Culture and Disability 「障害学」という学問を、私はろう者の「ろうは障害ではない、文化的マイノリティ ーである」ということを唱えている活動で初めて知った。日本では、1990年代か らやっと研究がなされるようになった新しい学問分野である。障害を単純なマイナス イメージととらえるのではなく、自分を形成する一つのアイデンティティとして見て いこうというこの志向は、これからの時代の,個の相違を尊重した形での社会的「共 生」に大きな貢献をしてくれるものだと考えられる。レウヴェン大学では、障害を持 つ学生への支援が充実している。その一つとして「ロメオ・ハウス」という、様々な 身体的障害を持ち日常生活に多くの支援が必要な学生と彼らを24時間の交代制で支 える学生が一緒に住む寮がある。この大学では障害を持つ学生も、他の学生と同じ学 業レベルが求められる。しかし,それを個人の努力で可能にできる支援体制が確立し ているのである.学業だけに関わらず、社交面や文化面でも,支援体制の充実が障害 を持つ学生の「学生らしい」生活を可能にしている。この授業では中国人の友達と出 会い、そこから彼らの持つ強力なアジアのネットワークで台湾、韓国のコミュニティ とも関わるきっかけをもらった。「食」を重視するアジアらしく、旧正月のパーティ には数限りない豪華な料理とデザートを囲んで郷里を懐かしみながらも、その時、ベ ルギーで出会えた喜びを一口ずつかみ締めながら大切に飲み込んだ。 ○ Ethics of Care 哲学部で開講されたこの授業では,医学倫理の観点から「ケアの倫理」の重要性を勉 強した。レウヴェン大学は倫理分野においてもヨーロッパの中で大きな影響力を持ち、著 名な先生方によって最先端をゆく議論が活発に行われている。「ケア」を通した人間関係 のあり様は決して医療現場に限ったことではなく、それは私たちが人間の中で生きている 限り人と人の間で生まれるものである。個人的な経験から、障害を持つ方との関係性をど う築いたらいいのかを考えてきた私に、この授業は多くの示唆を与えてくれた。また、こ の授業をきっかけにしてヨーロッパのバイオエシックスを知る機会を得た。アメリカ型の バイオエシックスとは異なり、ヨーロッパのバイオエシックスの観点には人間を、その存 在の傷つきやすさ、価値観の多様さを含む「全体としての人間像」としてとらえる見方が 強く感じられる。それは、人間性への最高の敬意である。「人間を人間として扱う」のが バイオエシックスの信念であるので、このヨーロッパ型のバイオエシックスの観点はまさ にそれを具現化したものである。この授業では、チェコ共和国の友達とともに勉強した。 東欧の、どこまでも優しく落ち着いた雰囲気の歌を彼らの料理の隠し味にしながら、彼ら の家族が手作りしたスモークハムや野菜を大切に私たちと分け合ってくれた。彼らのキッ チンの暖炉兼オーブンに灯された火は、私たちの笑い声のように途絶えることなく私たち の友情を暖めてくれている。 ○演劇:Janus International Theater 課外活動として、私は留学生とベルギーの学生で作る演劇部に所属した。レバノン、 トルコ、ポーランド、スペイン、ハンガリー、チェコ、アメリカ、ロシア、ギリシャ 等「身体表現」と「精神表現」である演劇において、お国柄を感じることも楽しみの 一つであった。また、一つの劇を共に創り上げる苦労と喜びを同志として分かち合え たことは、それぞれの色の個性を残しながらも、一つになってその美しさと存在感を 増す虹のように私たちの中に「一生の輝き」として残っている。年に二度の公演を終 えた後は、みんなでそれぞれの国のお酒と料理を持ち寄り、「食」のオリンピックを 開催して、お互いの肩と胃を寄せ合いながらそこに流れる「同志の輪」をしっかりと 確認し合った。世界各国にいる仲間のことを想う時,私はその距離を越えて彼らと手 を結び合っている感覚になる.そして,私たちは「私たちの世界」という一つの地球 を大切に抱きしめているという実感が,どこの国の問題にも「無関心」でいられない という使命感をもたらす.この感覚こそが,これからどんどん国際化していく社会の 中で私たちがコモンセンスとして持つべきものであると思う. ○ ベルギーでの「ベルギーらしい」生活 Leuven 大学では留学生の数がかなり多いことから国ごとにグループを作ってしまった り、また、現地で話される言語が「フレミッシュ」というオランダ語の方言のような ものであり、それを話せなかった私は,現地のベルギー人と多く交際する機会はなか った。しかし、演劇部や地元の乗馬クラブに通ったり、またこの大学の日本語学科の 学生と知り合うことができたことで、「ベルギー」の生活を伺い知ることができた。 彼らは、一見愛想がないように思えるが、一度心を通わせると、本当に親密で信頼の おける関係が築ける。実際、私もベルギー人と「親友」になれるのに半年以上かかっ た。そこで築いた信頼関係は、ベルギーでの暗く冷たい冬に揉まれて、消えることの ない確かなあたたかさを保ち続けている。私のベルギー人の友達は料理上手であった のだが、一般的にベルギー料理(きちんとしたレストラン等は省く)は、肉とフリッ ツ(フライド・ポテト)やパン、そして肉や魚に甘いソースを付けて食べる!という シンプルなものであると思う。しかしながら,パン屋さんと肉屋さんの数には圧倒さ れる。また、ここはデザート大国!少し歩けばパン屋さんに並ぶ数え切れないくらい の甘いお菓子がどんどん目に入ってくる。私の友達はクリスマスに時間をかけてベル ギーの伝統的な料理とお菓子を作ってくれた。甘いお菓子でしめくくるベルギーの食 卓は、語らう時間をたっぷりとそのお菓子に含ませて、最後の最後まで「豊かな」時 間を楽しみながら味わうことをよく知っているのである。きちんと美味しいものを満 喫した後は「運動!」ということで,のどかなベルギーの田舎の風景を観賞しながら ジョギングをしていた.穏やかで,そこにそのまま息づく森の中でのジョギングは, 時に小鹿やリスの遭遇という楽しいおまけつきの私の大好きな気晴らしであった. ○ 英語クラブ 現地の言葉である「フレミッシュ」が話せない私にとって、英語だけが唯一コミュニ ケーションを図れる言語であった。しかしながら、私の英語のレベルは学術的にも会 話的にも不十分であったので、留学生会館で開かれていた英会話レッスンを受けた。 そこで、私と同じように英語にコンプレックスを持つイタリア人、スペイン人の友人 と共にイギリス人の先生の指導を受けた。先生は多言語に深い教養を持つ方だったの で、受講生それぞれに抱える問題点をクリアにしながら、また、ベルギーの風土、文 化を他国と比較しながら授業を進めていかれた。各国が持つ「英語」の特徴に面白さ を感じた。 最後のクラスでは、イタリア人の友達がティラミス、ピザ、スペイン人の友達がパエ リア、トルティーヤ(スパニッシュ・オムレツ)、私が巻き寿司を作りお別れパーテ ィをした。私たちは「英語」がある程度話せたから、お互いを、またお互いの国、文 化を知ることができた。「英語」を使う私たちが、「英語」で自分を表現できること が、私たちの独自性を大切にすることだと思った。「英語」をコミュニケーションの 手段として使う時の態度は、イタリア人やスペイン人の「積極的でおおらかな態度」 であるべきだと思う。伝えたいものは「英語」を越えた向こう側にある「私たち」な のだから。 ○ 寮 私が住んだ寮は、北米の大学からの留学生用のものだったが、それでもキプロス、ハ ンガリー、ポーランド、スペイン、そしてベルギー人学生も一緒に住んでいた。この 寮で何度寿司と天ぷらを作ったのか覚えていないくらい、みんなからリクエストされ る度に作っていた。地下にある、広いキッチンとリビングで、リラックスする時間を 共有しながら、お互いに作りあった食事を交換する。それはまさに「交歓」であった。 寮には、かわいい庭があり、そこで飼っている鶏から生まれる新鮮な卵を食すること もできた。また、変わりやすいベルギーの気候の中で天気の日に恵まれた時には、み んなでテーブルとイスを庭に持ち出し、木漏れ日を揺らす爽やかな風の中で、透ける くらいに明るい「今」という若い時を深呼吸しながら焦ることなく享受した。テーブ ルの上にはいつも、お互いが相手のことを考えながら作った「料理」という時間のプ レゼントが花咲いていた。 ○終わりに ここに書ききれないくらいの溢れる経験をして、しかしそこにはいつも「時間の共有」の ための橋渡しをしてくれる「食」の「交歓」があった。私にとって相手を思う時間や気持 ちを体現してくれるのが「料理」している時間であり、彼らとその「料理」を食すること が互いの想いやりの交換であり、それを解きほぐして消化することで「信頼関係」を築く ことができたと思っている。交換したい気持ち、共有したい時間があるから、それをつな ぐきっかけとして「食」は私の一番側にあった。「食」紀行の留学のように思われるかも しれないという不安もあるが、留学生活を通して最も重要だと感じた「個」、そして 「異」への尊重の態度は「食」の場でも大いに実践されていたのである。「食」の場は人 の温かさに触れることの出来る場所,そして,その温かさを私たちの笑顔で「世界共通の 体温」としてそれぞれの心に生きる力を根付かせてくれた「共有の場」であった.