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後始末型金融政策は万能か~金融安定性に対する金融政策の役割を
みずほインサイト 米 州 2014 年 7 月 9 日 後始末型金融政策は万能か 欧米調査部主席研究員 金融安定性に対する金融政策の役割を巡る一考察 03-3591-1219 小野 亮 [email protected] ○ バブル防止のために金融引き締めを行うべきか、バブル崩壊後に金融緩和によって後始末すればい いのか。本稿で考察対象としたのは、後者の後始末型金融政策を支持する分析である ○ 「予防的引き締めのコストと後始末型金融政策を採った場合のコストを比べると前者の方がはる かに大きい」というのが後始末型金融政策を支持する論者の根拠である ○ しかし上述したコストは金融危機の確率や危機がもたらす経済状況をどう考えるかによって大き く左右される 1.金融安定のための予防的引き締めに向けられる疑問の眼 「金融安定性を脅かすリスクには予防的な金融引き締めによって対処すべき」という考え方に、疑 問の眼が向けられている。 金融安定性に対する金融政策の役割については、古くから2つの相対立する考え方がある。白川・前 日銀総裁の言葉を借りれば「金融政策は、バブルの発生を未然に防ぐために流れに立ち向かう(lean against the wind)べきか、それとも単に、バブルが崩壊した後に後始末(clean up the mess after the bubble has burst)をすることで十分なのか」(白川(2010)1)という対立である。 「バブルの発生を未然に防ぐために流れに立ち向かう」とは予防的な金融引き締めによってバブル 潰しを試みるアプローチを指す。一方、「バブルが崩壊した後に後始末をする」とは、バブルが膨張 している間は傍観し、バブル崩壊後に金融緩和で対処するアプローチを指す。以下では、前者を予防 的引き締め、後者を後始末型金融政策と呼ぶことにしよう。 次節で紹介するのは、「予防的引き締めにはメリットがない」という2つの分析である。 コチャラコタ・ミネアポリス連銀総裁は、金融危機の結果として失業率が9%以上となるような事態 を想定しても、その発生確率を考慮に入れると予防的引き締めのメリットはほとんどないと主張した (Kocherlakota(2014a、2014b)2)。 またスヴェンソン前スウェーデン中央銀行(リクスバンク)副総裁も、スウェーデンの経験を引き 合いに出し、予防的引き締めによるコストは、それによって危機を回避するメリットよりも大きいこ とを示した(Svensson(2014)3)。 1 2.予防的引き締めが正当化されるための必要条件 予防的引き締めが正当化されるためには、そのコストが、後始末型金融政策を採った場合のコスト よりも十分に小さいことが必要である。Kocherlakota(2014a、2014b)とSvensson(2014)は、この 条件が満たされないという。 本節では、はじめにこの必要条件について解説し、次に具体的な数値を当てはめることで、 Kocherlakota(2014a、2014b)とSvensson(2014)の主張を確認しよう。 上記の必要条件に現れる「コスト」とは何を指すのか。通常、金融政策の議論でコストといった場 合、それは金融政策の目標と現実とのギャップによって決まる。具体的にはインフレ目標と実際のイ ンフレ率とのギャップ、完全雇用時の失業率(自然失業率)と実際の失業率とのギャップ(失業ギャ ップ)、潜在GDPと実際のGDPとのギャップ(需給ギャップ)などである。これらのギャップをxで表す と、xについて予想されるバラつきが上述したコストになる。 を期待値をとるためのオペレーターと すると、コストは x (1) と書くことができ、中央銀行は(1)式を最小化するように金融政策を運営する。 以下では議論を進め易くするため、xは失業ギャップを表すとしよう。自然失業率を 、実際の失 業率を とすると x≡ (2) である。予防的引き締め下の失業ギャップをx ∗、後始末型金融政策が採られた場合の失業ギャップを x ∗∗と置くと、予防的引き締めが正当化されるには次式が満たされる必要がある。 x∗ 分散の定義を使うと、 x はxの期待値の二乗 x x ∗∗ (3) x と、xの分散 x x の和として表すことができる。 x (4) x は実体経済に対するショックの分散に他ならない。通常、このショックは金融政策と無関係と みなされており、 x を最小化するということは x すなわち x の最小化と同義である。しかし、 金融政策が金融安定性に影響を与え、実体経済に対してショックを与える場合、 はできない。(4)式を(3)式の両辺に適用すると 2 x を無視すること x∗ x∗ x ∗∗ x∗ x ∗∗ x ∗∗ (5) x∗ (6) x ∗∗ 後始末型金融政策では x ∗∗ 0 (7) となるように金融政策が運営されると考えるため、(6)式は次のように書き替えられる。 x∗ x ∗∗ x∗ (8) Kocherlakota(2014a)は、金融危機による失業ギャップの悪化度合い(∆ って左右される金融危機の発生確率 0)と、金融政策によ M を使って(8)式の右辺を次のように近似している( は金 融緩和度合いを表す)。 x ∗∗ x∗ ∗ ∆ ∗∗ (9) その結果、(8)式は次のように書き替えられる。 x∗ ∗∗ ∗ ∆ (10) 予防的引き締めが金融安定性を確保する上で極めて効果的であり、危機の発生確率をほぼゼロにで きると仮定した場合、 ∗ 0 (11) と置くことができるため、(10)式は次のように書き替えられる。 x∗ ∗∗ ∆ x∗ ∗∗ ∆ (12) (13) (13)式は次のことを意味している。すなわち、予防的引き締めが正当化されるためには、(11) 3 式が成り立つとした上で、さらに、予防的引き締めによって犠牲になると見込まれる失業ギャップの 悪化度合い x ∗ が後始末型金融政策下で予想される失業ギャップ ∗∗ ∆よりも小さくなければ ならない。 一方、Svensson(2014)は予防的引き締めが正当化されるための必要条件を x∗ ∗∗ ∗ ∆ (14) とした。しかし本稿でのこれまでの議論に従えば(10)式より x∗ ∗∗ ∗ ∆ (15) が適切な必要条件になる。 次に(13)式と(14)式に具体的な数値を当てはめてみよう。 x∗ x∗ ∗∗ ∆ ∗∗ (13)再掲 ∗ ∆ (14)再掲 Kocherlakota(2014b)は、 (13)式の右辺について、フィラデルフィア連銀によるサーベイ調査(Survey of Professional Forecasters、以下SPF調査)の結果を用いて ∗∗ ∆の大きさを求めた。なお以 下では、SPF調査の2014年第2四半期分から数値を引用するが、Kocherlakota(2014b)と結論は変わら ない。 Kocherlakota(2014b)は、今後金融危機が再発した場合には失業率が9%以上に上昇すると仮定し、 そのタイミングを2017年と置いた。SPF調査によれば「2017年に失業率が9%以上」となる確率は0.3% と見込まれている。Kocherlakota(2014b)はこの確率を後始末型金融政策下で発生する金融危機の確 率とみなし、 ∗∗ 0.003 0.3% (16) とした。さらに2017年の自然失業率を5%と仮定することで、金融危機発生時の失業ギャップを ∆ 0.04 4% とした。(13)式に当てはめると、 4 (17) x∗ ∗∗ ∆ √0.003 0.04 0.002 つまり、予防的引き締めによって悪化が許される失業ギャップ 0.2% (18) x ∗ の上限は0.2%となる。言い換 えると、許される失業率の上限は5.2%ということである。この試算値を元に、Kocherlakota(2014b) は「予防的引き締めにはほとんどメリットがないことが示唆される」と結論づけた。Kocherlakota (2014b)は、予防的引き締めを行えば失業ギャップが0.2%以上悪化すると考えたのかも知れないが、 詳細は不明である。 一方、Svensson(2014)は、「1%の利上げは5年後に0.5%の失業率の上昇をもたらす」というリク スバンクのシミュレーション結果を用いて(14)式の左辺を x∗ 0.005 0.5% (19) と置いた。一方、(14)式の右辺については、金融危機によって発生する失業ギャップを ∆ 0.05 5% (20) と仮定した上で、予防的引き締めによる金融危機の発生確率の低下度合い ∗∗ ∗ を次のよ うに求めている。 Svensson(2014)が援用したのが「家計の実質債務の大きさが金融危機の確率を左右する」という Schularick and Taylor(2012)4の結果である。具体的には「実質債務が5%低下すると、5年後に金 融危機が発生する確率が0.4%Pt低下する」という結果である。 これに「1%の利上げが5年後の実質債務を0.25%引き下げる」とのシミュレーション結果を合わせ る こ と に よ り 、 Svensson ( 2014 ) は 、 1 % の 利 上 げ が も た ら す 金 融 危 機 の 発 生 確 率 の 低 下 幅 ∗∗ ∗ を次のように求めている。 ∗∗ ∗ 0.0025 0.004⁄0.05 0.0002 0.02% (21) (20)式と(21)式を(14)式の右辺に当てはめると ∗∗ ∗ ∆ 0.0002 0.05 0.00001 0.001% (22) (19)式と(22)式は、(14)式が満たされないことを示している。予防的引き締めによって犠牲 になる失業ギャップ ∗∗ ∗ ∆ x∗ 0.5%は、予防的引き締めによって金融安定性が図られることのメリット 0.001%をはるかに上回るためだ。 (14)式ではなく(15)式の両辺に数値を代入した場合も同じ結論が得られる。(15)式の右辺に 5 数値を当てはめると ∗∗ ∗ ∆ 0.05 √0.0002 0.0007 0.07% (23) となり(19)式より小さいため、(15)式は満たされない。 3.「100 年に 1 度」の金融危機が今後 10 年間で再発する場合 予防的引き締めが有効か、後始末型金融政策が有効かは、金融政策のコストとして具体的にどんな 指標や数字を用いるかによって決まる。本節では、金融危機後の米国の経験を踏まえながら、「100 年に1度」の危機が再発するケースを取り上げ、予防的引き締めが一転して有効な政策になり得るケー スを示す。 前節で紹介した金融政策のコスト分析は、2つの変数を使って展開されている。金融危機が起きた場 合のショックの大きさ(x)と、金融危機が起きる確率( )である。 まず金融危機が起きた場合のショックの大きさ(x)については、どの指標を用いるのか、ショック の持続的影響をどう考えるか、という2つの問題がある。 指標選択の問題では、Kocherlakota(2014a、2014b)とSvensson(2014)は、ともにxとして失業ギ ャップを用いた。しかし、金融危機が発生した場合のショックは、失業ギャップが示す大きさに留ま らない。米国の場合を例にとると、ディスカレッジド・ワーカーなど潜在的には失業者となり得る労 働者(これは「影の失業」と呼ばれる)の問題や長期失業者の問題が深刻であり、それは失業ギャッ プの大きさには現れない。また、フルタイムを希望しながらも仕事が見つからずにパートタイム就労 している労働者は多いなど、金融危機によって「雇用の質」が悪化したことがよく知られているが、 その問題も失業ギャップには現れない。 雇用以外に目を向けると、物価面では、金融危機後は中央銀行の長期目標をインフレ率が下回り続 けている。さらには、様々な報道を通じて、 金融危機後、家を失い、それまでの生活が全 く変わってしまった経験を持つ人々が大勢 いることが伝えられている。金融危機は様々 な形で社会に深い傷を残した。 図表 1 米国の失業率 (%) (%) 11 30 10 25 金融危機のショックが持続的である問題 9 は、上掲(3)式の右辺に示した後始末型金 8 融政策のコストを考える場合に、金融危機が 7 発生したときのxだけではなく、金融危機以 6 降に予想されるxの推移を考慮する必要があ 5 ることを示している。つまり、予防的引き締 4 めと後始末型金融政策のどちらが有効なの 2008 09 (資料)米国労働省 6 20 15 10 1929年10⽉に起きた 世界恐慌当時の失業率 (右⽬盛) 10 11 12 13 14 5 0 かは、金融危機に伴って生じる{x ,x ,x ,…}という持続的なショックがもたらすコストの割引 現在価値によって判断すべきと考えられる(図表1)。 次に金融危機の発生確率( )についてKocherlakota(2014a、2014b)は、民間エコノミストの失業 率予想の分布から「0.3%」という数字を用いた。果たして「0.3%」は妥当な水準と言えるのか。 かつてグリーンスパン元連邦準備制度理事会(FRB)議長が議会で証言したように5、2008年の金融 危機は「100年の一度の危機」と言われている。さらに、金融危機をあたかも金融政策に依存しないラ ンダムなショックとみなすことができるなら(つまり後始末型金融政策を支持する立場に立てば)、 金融危機の発生確率(後述する確率 )はおよそ1%になる。金融危機の発生確率は、一般に発生 頻度が低いイベントの間隔の分布を表す指数分布を用いて示すことができるためだ。 指数分布を用いると、 危機が発生する確率 年に1度のイベントが今後 年以内に発生する確率Ω と、T年目に金融 は次のように書くことができる。 Ω 1 exp Ω ⁄ Ω (24) 1 (25) 以上の考察を元に、改めて上掲(3)式の右辺、すなわち後始末型金融政策で想定すべきコスト x ∗∗ を再考してみよう。 金融危機がT年目に再発した場合の失業率の推移を次のように仮定する。なお平時の失業率(自然失 業率)を5%としている。 T T+1 T+2 T+3 T+4 T+5 10% 10% 9% 8% 7% 6% Tより前と T+6以降 5% 失業ギャップ(失業率-自然失業率、x)は次のようになる。 T T+1 T+2 T+3 T+4 T+5 5% 5% 4% 3% 2% 1% 後始末型金融政策が採られた場合のコスト 合の 年目の失業ギャップを , T+6以降 0% x ∗∗ は次のようになる。 年目に金融危機が起きる場 10、1 と表すと(1 x ∗∗ Tより前と ∑ ∑ 7 10)、 , (26) (26)式の∑ , は、 年目に金融危機が起きる場合のコストであり、各年の失業ギャップ の二乗を計算し、その現在割引価値を合計したものである。 は中央銀行の主観的割引率であり、 0 1の値をとる。中央銀行が長期的視野に立つほど は大きく、近視眼的であるほど は小さい。 さらに、 年目に金融危機が起きる確率 を使って、このコストを加重平均したものが x ∗∗ と なる。金融危機は「100年に1回」の頻度で指数分布に従って発生すると仮定して、(24)(25)式か ら確率 を求めた。 一方、予防的引き締めを行う場合のコスト x ∗ を次のように置く。 ∑ x∗ ∗ (27) ∗は、予防的引き締めを続けることで今後10年にわたって犠牲にする毎年の失業ギャップを表す ( ∗ 0)。 中央銀行は長期的視野に立っていると考え、主観的割引率を 0.95 とおき、 , (28) に上述した失業ギャップを当てはめて(26)式を計算すると x ∗∗ 0.00049 (29) という結果が得られる。(27)式と(29)式を(3)式に適用すると ∑ ∗ ∗ 0.008 0.00049 (30) 0.8% (31) となる。 (31)式は、毎年の失業ギャップを0.8%以上悪化させない限り、予防的引き締めが正当化されること を示している。近視眼的な中央銀行を仮定して主観的割引率をβ 0.7と置いた場合には、 ∗ 0.007 0.7%である。 Kocherlakota(2014b)と比べると、本節の結果の方が予防的引き締めを正当化できる余地が大きい。 またSvensson(2014)が予防的引き締めによって犠牲になる失業ギャップとした x∗ 0.005 0.5% という値も、(31)式で示される上限に収まっており、後始末型金融政策よりも予防的引き締めが有 効であることを示している。 8 4.マクロプルーデンス政策の限界 前節の結果は「今、予防的引き締めに転じるべきだ」という主張に必ずしも直結しない。需給ギャ ップが残り、インフレ率が低位に留まるタイミングでの引き締めは、日本やスウェーデンのようにデ フレを発生させてしまう可能性が高い。 さらに、2008年の金融危機の原因分析により、厳しいマクロプルーデンス政策が採られるようにな った点も重要である。マクロプルーデンス政策が有効であるほど、すなわち金融危機の再発確率や金 融危機が発生してしまった場合のショックの大きさを抑えられるほど、予防的引き締めの必要性は低 下する。 しかし、厳しいマクロプルーデンス政策は、次の金融危機の芽を規制の枠外(シャドーバンキング) へと押しやるだけかも知れない。イエレンFRB議長はラガルド国際金融基金(IMF)専務理事とのディ スカッションで次のように述べている6。 「我々は様々な金融規制がどのように機能するのか、いつ効果をみせるのか、どのように活用すべ きかなどについて、まだ分かっていない。(中略)重要なポイントは、金融的な行き過ぎに対処する 手段として、我々が金融政策を完全に除外しているわけではないということだ。我々は、マクロプル ーデンス政策には限界があることを認識しておかなければならない。流れに立ち向かう(lean against the wind)ために、金融政策の修正が必要なときがあるかも知れない。私見では、金融政策はバブル 防止のための第1の防衛線ではない。しかし、マクロプルーデンス政策と合わせて使うべき類のものだ。」 1 白川方明(2010) 「金融政策再考」IMF・ECB・FRB 共催ハイレベルコンファランスにおける講演、日本銀行、10 月 10 日。本稿では本講演の邦訳から引用した。 2 Kocherlakota, Narayana(2014a)“Discussion of 2014 USMPF Monetary Policy Report,”Speech at U.S. Monetary Policy Forum, University of Chicago Booth School of Business, New York, New York, Federal Reserve Bank of Minneapolis, February 28.;― (2014b) Speech at 2014 International Research Forum on Monetary Policy, Washington, D.C., Federal Reserve Bank of Minneapolis, March 21 3 Svensson, Lars E. O.(2014) “Monetary Policy, financial stability, and “leaning against the wind”,”Lecture at Tokyo University, June 19.本講義は「みずほ寄付講座特別講義」として実施されたものである。 4 Schularick, Moritz and Alan M. Taylor(2012)“Credit Booms Gone Bust: Monetary Policy, Leverage Cycles, and Financial Crises, 1870–2008,”American Economic Review,102(2):1029–61. 5 Greenspan, Alan(2010)Testimony before the Financial Crisis Inquiry Commission, April 7. 6 Wall Street Journal(2014)“Transcript of Yellen and Lagarde Comments ad IMF Event”, July 2. ●当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに 基づき作成されておりますが、その正確性、確実性を保証するものではありません。また、本資料に記載された内容は予告なしに変更されることもあります。 9