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創立40周年 - 宮崎西ロータリークラブ

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創立40周年 - 宮崎西ロータリークラブ
創立40周 年
記
念
誌
2000年
宮崎西 ロ ータ リー ク ラブ
□―タ リー創始者
ポ ール P.ハ リス
□―タ リーの綱領
ロータ リーの綱領は 、有益な事業の基礎 として奉仕の理想 を鼓吹 し 、これ を育成 し 、
特に次の各項 を鼓吹育成することにある
;
1.奉 仕の機会 として知 り合いを広めること
;
2.事 業および専 門職務の道徳的水準 を高 めること :あ らゆる有用な業務は尊重 される
べ きである という認 識 を深めること ;そ して □一タ リアン各 自が業務 を通 じて社会 に
奉仕するためにその業務 を品位あらしめること
;
3.□ ― タ リアンす べ てがその個 人生活 、事 業生活 お よび社会生活 に常 に奉仕の理 想 を
適用 する こ と
;
4.奉 仕 の 理 想 に 結 ば れ た 、事 業 と 専 門 職 務 に 携 わ る 人 の 世 界 的 親 交 に よ っ て 国 際 間 の
理 解 と親 善 と平 和 を推 進 す る こ と
2
;
四つのテス ト
言 行 は これ らに照 らして か ら
1.真 実 か ど う か
2.み ん な に公 平 か
3.好 意 と友 情 を深 め る か
4。
み んな の た め にな る か
どうか
□ ― タ リー の誕生 とその成長
1905年 、そ の こ ろ 経 済 恐 慌 で 人 心 の 荒 れ す さ ん で い た ア メ リカ社 会 、
特 に シ カ ゴ の 状 態 を 憂 え た 、青 年 弁 護 士 ポ ー ル P.ハ リ ス が 3人 の 友 人 と語 ら っ て 2月
今 か ら85年 前 の
23日 、第 1回 の 会 合 を 開 い た の が 、 □ 一 タ リー ク ラ ブ の 誕 生 で あ り ま す 。 □ 一 タ リー と
は 、会 員 が 持 ち 回 りで 順 番 に 、集 会 を各 自の 事 務 所 で 開 い た こ と か ら名 付 け られ ま した 。
こ の ク ラ ブ は 着 実 に 成 長 し 、現 在
172の 国 家 お よ び 地 域 に 広 め られ 、ク ラ ブ 数 25,244、
会 員 総 数 は 1,110,576人 に 達 し て い ま す 。 こ れ ら ク ラ プ を メ ン バ ー と し て 国 際 □ 一 タ リ
ー が構 成 され て い ます 。
国 際 □ 一 タ リー の 最 近 の 主 要 事 業 と し て は 、地 球 上 か らポ リオ そ の 他 の 伝 染 病 を な く
す た め 、約
2億 1,700万
ドル を 拠 金 、全 世 界 の 児 童 の 予 防 接 種 を 勧 め て い る こ と が あ げ
られ ます 。 また □ ― タ リー 財 団 を設 け て 、世 界 有 数 の 国 際 奨 学 金 事 業 を実 施 し て い ます 。
日本 の □ ― タ リー
わ が 国 の □ 一 タ リー ク ラ ブ は
1920年
(大 正
9年 )10月 20日
、当 時 三 井 銀 行 の 重 役 で
立 し 、翌 10年 4月 1日 、世 界 で 855番 目 の
あ った 米 山 梅 吉 氏 が 、初 め て 東 京 に こ れ を 倉」
ク ラ ブ と し て 加 盟 承 認 さ れ ま し た 。 そ の 後 第 二 次 世 界 大 戦 の 結 果 、― 時 国 際 □ ― タ リー
か ら脱 退 す る の や む な き に 至 った こ と も あ り ま し た が 、そ の 間 も よ く □ 一 タ リー の 精 神
を 堅 持 し て 会 合 に 務 め 、そ の 神 髄 と組 織 を 維 持 し 、戦 後 国 際 □一 タ リー に 復 帰 す る や 、
ま す ま す 発 展 、現 在 で は 北 は 北 海 道 、南 は 沖 縄 ま で 、ク ラ ブ 数 1,928会 員 数
115,943人
に 達 し 、な お す べ て の 都 市 、す べ て の 町 に そ の 理 想 の 翼 を広 げ る 努 力 を続 け て お り ます 。
会 員 は 地 域 内 の 理 想 に も え る 堅 実 な 実 業 家 、専 門 職 業 人 の 中 か ら定 款 に よ り 、
1業 種
1
人 を 選 び 、週 1回 の ク ラ ブ 例 会 出 席 に よ っ て 、各 種 職 域 人 の 交 友 を 通 じ て 地 域 社 会 へ の
よ り多 <の 奉 仕 の 機 会 を得 よ う とは か って お りま す 。
目
・小林
発刊のことば
チ ャーターメンバー ・… … .… … .…
歴
代
会
次
貞雄 ・
.
長 … … … … … … … …・
10年 間の物故会員 ― ・ … … ・ ― ・・ … ・
創立40周 年記念式典 ・祝賀会プ ログ ラム …
5
。 6
・ 6
・
・ 11
・ 12
会長挨拶 … ・… … … … ・ … … … 小林 貞雄 ・・
来賓祝辞 … ・ ― ・ … ・ … … … ・… 井 ノ上 繁 …
・ 13
出席者名 簿 … … … … ・・ … Ⅲ…
・ 16
記念事業について … … … … … ・… 大江 幸政 ・・
表
彰 ・… … … … … … … … … … … … ・
・ 18
… … … ・竹内 二郎 ・
記念 ゴルフ大会 ― ・ … … … ・・ … … … ・・ … ・
10年 間の歴代会長時代 ・主な出来 事 … … … … … ・・
祝賀会
記念大会会長挨拶
。14
・ 17
・ 19
。25
・ 26
10年 間のクラブ概況の推移 ・・… … … ・・ … … … ・・
米山功労者 ・□― タ リー財団寄付者 一覧表 … … … … ・
・ 36
ダ リヤ賞の制定 … … … … … … ・・ …
・ 40
ダ リヤ賞受賞者 一覧 … ・ … … … … …
・ 41
ダ リヤ賞表彰事由 ・ … … … ・・… ・・ …
・ 41
社会奉仕基金運営委 員会規程 … … … …
・ 46
。37
10年 間の主立 った出来 事 と昔の思い出
地区大会 について … … … … … … 。竹内
バング ラデシュに診療所建設 … … ・・竹内
三郎 ・・ ― ・
・ 47
二郎 ・… …
・ 50
ピロジヤ リ村 に診療所を建設 … ・ … 。田崎
□― ターアク トクラブ創立回想 … … ・菊地
博俊 ・ … …
平 ・― ・・
・ 54
・ 57
GSEリ ーダー として
照雄 ・・… ・
・ 59
忠典 。― 。・
。
第 2ホ ス トファミリー として … 一 ・大江 幸政 ・… …
2人 の留学生 。… … … ・… … … ・ 。前 田 暢俊 ・ … …
ライオンのホームステ イ ー 。… … ・植松 孝― 真 弓 ・
。63
… ・ … … … 。日高
交換留学生のホームステイ ・ … ・・… ・高見
の思い出 ・・田崎
西クラブ創立の思い出と所 感 … … ・ 。宮下
初代会長 「 田崎亀夫」
インターネ ッ ト・ホーム ペー ジ … … ・田崎
「 □― タ リー の友」に掲載されて 。… ・田崎
・ 67
・ 69
高伸 ・… …
・ 71
廣計 ・… …
博俊 ・・ … 。
・ 73
博俊 ・… …
。76
・ 75
簿 … … … … … … … …
・ 77
創立40周 年記念大会実行委 員会組織図 …
・ 93
記 … … … … … … … …
・ 94
会
編
4
・ 66
員
集
名
後
発刊の ことば
発刊 の こ とば
宮崎西 ロー タ リー クラ ブ会 長
小
林
貞 雄
記 念 す べ き2000年 の ミ レ ニ アム の 年 に 、我 が宮 崎 西 □一 タ リー ク ラブ は 創 立 40周 年
を迎 え ま した 。過 日 、ご来 賓 、県 内 外 の □一 タ リア ン の 皆様 方 に 多数 ご 来 臨 を賜 り 、盛
大な る記念 式典 を挙 行 で きま した こ とは 、誠 に光 栄 に存 じ 、感激 一入 りで あ ります 。
昭和 35年 4月 、県下 6番 目の ク ラブ として産声 をあげて以来 、い つ の時代 も会 員― 同 、
相 互 の親 睦 を深 めな が ら 、崇 高 な 奉 仕 理 念 を常 に 胸 の 奥 深 くに携 え 、活 力 あ る地 域 の発
展 に 、また 、国際親 善 へ の 寄 与 に尽 力 して まい りました 。 この伝 統 精神 は 、我 々 の誇 る
べ き 、また これ か らも大 切 に守 り 、受 継 ぐ べ き □― タ リー精 神 の神髄 で あ ります。
95年 前 、ア メ リカは シカ ゴ に □一 タ リー ク ラブ は誕生 しましたが 、創始者 ポール ・ P・
ハ リスの 唱 えた綱 領 は 、一 世 紀 経 と う と して いる今 な お 、ます ます輝 きを増 して世 界 中
の □一 タ リア ンひ と りひ と りの胸 に 脈 々 と患づ いて い ます 。
各 地 で発 足 した そ れ ぞ れ の ク ラブ に お い て 、称 賛 に値 す る 献 身的 な社 会 奉 仕 活 動 が展
開 され て い ます が 、これ まで 、当 ク ラプ の諸 先 輩 方 が残 して こ られ ました数 々 の業 績 に
対 しましても 、高 い評 価 を広 <い た だ い てお ります。
その功績 の 足 跡 は 、それぞ れ の節 目に編纂 され た周年史 に しか と記 され てお りますが 、
そ の ご活躍 ぶ りを振 り返 え る につ け 、深 い感 銘 を受 け ます と とも に 、先 輩 方 の威 徳 を礎
に 我 々 も また 、豊 か で希 望 溢 れ る 次 世 代 を切 り開 く リー ダ ー た る べ <意 を新 た に す る 次
第 で あ ります。
現 今 に お き ま して も 、文 化 、福 祉 、奨 学 等 、各 分 野 にお い て 、最 も地 域 の現 状 に即 し
た形 で の支 援 活動 に持 て る意 志 と力 を傾 注 して まい りま した が 、これ らが地 域 社 会 の 中
にお いて 、未来 へ の大 きな展 望 に 繋 がれば 、これ に勝 る悦 びは あ りません。
21世 紀 は足早 に 日前 へ と至」来 して い ます 。誰 しも が大 いな る希 望 を胸 に 秘 め 、期待 を
膨 らませ て い る こ とで し ょう 。そ の よ うな 中 で我 々 □ 一 タ リア ン に課 せ られ た使 命 が何
で あるの か は 、この胸 に 自ず と響 い て まい ります。
この 創 立 40周 年 とい う節 目は 、当 ク ラブ が幾 久 し く刻 ん で い くで あろ う歴 史 の 通過 点
である と受 けとめてお りますが 、これ を契機 に更なる奉仕 の理 想 を求 め 、友情の輪 を広 げ 、
地域 社 会 の発 展 と世 界 平 和 を願 い つ つ 、力 を注 いで まいる所 存 で ござ い ます 。皆様 方 に
は一層 の ご理 解 とお力添 え を賜 ります ようお願 い申 しあ げ ます 。
未 筆 とな りま した が 、本 記 念 誌 発 刊 に あ た り 、並 々 な らぬ ご尽 力 を賜 りま した金 丸 委
員長 を初 め 関係各 位 の皆様 方 には心 か ら感 謝 を申 し上 げ 、また会 員各 位 の ます ます の ご
健勝 とご活 躍 を祈 念 いた し ま して ご挨 拶 とさせ て いただ きます 。
チ ヤ ー タ ー メンバ ー
宮 下 廣 計
歴代会長
初代 (昭 和 35年 )
田
崎
亀
夫
4代 (昭 和 38年 )
住
6
田
静
―
2代 (昭 和 36年 )
栗
林
東
五
5代 (昭 和 39年 )
菊
池
稔
3代 (昭 和 37年 )
佐
原 伝次郎
6代 (昭 和 40年 )
長
峰
市
次
7代 (昭 和 41年 )
8代 (昭 和 42年 )
9代 (昭 和 43年 )
竹 野
大古殿
丸
植 松 熊太郎
融
和
12代 (昭 和 46年 )
吉 賀 幸 夫
11代 (昭 和 45年 )
橋 本 一 郎
13代 (昭 和 47年 )
14代 (昭 和 48年 )
15代 (昭 和 49年 )
10代 (昭 和 44年 )
郡
目 彦
川 邊 政 明
竹
内 二 郎
日 高
文
雄
7
16代 (昭 和 50年 )
田
中
博
規
19代 (昭 和 53年 )
平
山
輝
男
22代 (昭 和 56年 )
堺
8
久
17代 (昭 和 51年 )
菊
池
彰
20代 (昭 和 54年 )
宮
下
廣
計
23代 (昭 和 57年 )
鈴
木
敏
道
18代 (昭 和 52年 )
安 倍
21代
橋
24代
菊
友 彦
(昭 和
本
善
(昭 和
池
55年 )
吉
58年 )
皓 一郎
25代 (昭 和 59年 )
岩
井
隆
―
28代 (昭 和 62年 )
内
村
龍
祐
26代 (昭 和 60年 )
Jヽ
川
次
男
29代 (昭 和 63年 )
佐
原
正
晃
31代 (平 成 2年 )
32代 (平 成 3年 )
重
新
城
寿
雄
恵
誠
27代 (昭 和 61年 )
日 高
照
雄
30代 (平 成 1年 )
阿
南
育
男
33代 (平 成 4年 )
浜
砂
猛
敏
9
34代 (平 成 5年 )
松
本
37代
村
廣
行
(平 成 8年 )
上
四
朗
40代 (平成 11年 )
小
10
林
貞
雄
35代 (平 成 6年 )
市
来
38代
前
斉
(平 成 9年 )
田
暢
俊
36代 (平 成 7年 )
志
39代
吉
多
克
(平 成
田
彦
10年 )
多
穀
(平 成 12年 5月 1日 現在 )
10年 間 の物故会員
物故 された会員 に対 して謹 んで追悼 の意 を表 します。
橋
本
H3年 3月
角
地
H6年 4月
松
本
一
郎
4日 ご逝去
次
男
1日 ご逝去
廣
H9年 2月 25日
行
ご逝去
竹
野
H4年 8月 24日
植
H6年
松
融
ご逝去
孝
5月 9日 ご逝去
日 高
常
H9年 10月 15日
一
ご逝去
川
邊
H4年 10月
長
峰
H8年 1月
岩
井
政
明
8日 ご逝去
市
次
9日 ご逝去
隆
―
Hll年 4月 3日 ご逝去
黒
木
満
H5年 9月 20日
住
田
静
夫
ご逝去
―
H8年 6月
2日 ご逝去
安 倍
友 彦
Hll年 11月 9日 ご逝去
創 立 40周 年記念式典・祝賀会
■と き :平 成 12年 4月 7日
■ところ :ホ テルフェニ ックス
式 典 ・
高千穂 の 間 (3F)
16:00… ……登録 受付・ 開場
17つ 0… …… 開会 、点鐘
国歌斉唱
ロー タ リー ソン グ合唱
「奉仕 の理想」
物故会員 スライ ド紹介
黙
祷
会長挨拶
西 RC小
林
貞
雄
来賓祝辞
RI第 2730地 区 ガバナ ー
井 ノ 上
繁 様
記念事業発表
表彰・ 記念品贈呈
1730… ……閉会、点鐘
祝 賀 会 ・ 高千穂 の間(3F)
・
・。
17:45“ ¨¨
開
場
17:50… ……歓迎の挨拶
西 RC
乾
内 二 郎 大会会長
竹
杯
RI第 2730地 区パス トガバナ ー
池
・¨
・漸l
18100・・¨。
田 卓 郎 様
宴
※メモ リアル フォ トライブラ リー
※メモ リアル BAR開 店
※ヒス トリーライブ
・……ロータ リーソング
19:25。 ・
「手 に手 つ ないで」
19:30… …… お礼の挨拶
西 RC
閉
12
会
菊地
平 会長 エ レク ト
CEREMONY
宮崎西 ロータリークラ
小
林
た雄
会長挨拶
長
貞
ご 挨 拶 申 し上 げ ま す 。 本 日 こ こ に 宮 崎 西 □ ― タ リー ク ラ ブ 倉」
立 40周 年 記 念 大 会 を 皆 様
方 に ご 案 内 申 し上 げ ま し た と こ ろ 、公 私 共 に ご 多 忙 な 中 に も 拘 らず 、井 ノ上
繁 ガバナ
ー を は じ め 、多 数 の 方 々 の ご 臨 席 を 賜 り ま し た こ と は 誠 に 光 栄 に 存 じ 、会 員 を 代 表 し心
か ら厚 く御 礼 申 し上 げ ま す 。
私 共 宮 崎 西 □ 一 タ リー ク ラ ブ は 、ご 承 矢□の 通 り昭 禾□35年 4月 8日 、宮 崎 市 内
2番 目 の
立 、初 代 田 崎 亀 夫 会 長 以 下 25名 の 会 員 で ス タ ー トい た し ま し た 。
ク ラ ブ と し て 倉」
永 き歴 史 を 経 て 、本 日40周 年 の 佳 き 日 を迎 え る 運 び とな り ま し た が 、チ ャー タ ー メ ン
バ ー の 中 で 、今 尚 堺 久 会 員 、宮 下
廣 計 会 員 が御 元 気 に ご活 躍 中 で い ら っ し ゃい ます こ
とは 、誠 に喜 ば し い 限 りで ご ざ い ま す 。
当 ク ラ ブ に は 創 立 以 来 、伝 統 的 に 親 睦 と深 い 友 情 の 上 に た っ て 、そ の 奉 仕 の 精 神 を 高
め て き た と い う誇 る べ き歩 み が あ り ま す 。
むであ
現 在 会 員 数 は 80名 に 成 長 致 し ま し た が 、こ の 40周 年 と い う 節 目 は 、こ れ か ら亥」
ろ う 遥 か な る 歴 史 の 通 過 点 と し て 受 け 止 め 、更 に □ ― タ リー 活 動 の 原 点 で あ る 奉 仕 の 精
神 の高 揚 に努 め て参 る所 存 で ご ざ い ます 。
今 年 は 西 暦 2000年 、そ し て テ ー マ も 「 □ ― タ リー 2000、 活 動 は 堅 実 、信 望 、持 続 」
と 、 □ ― タ リー 精 神 を 日本 的 に 解 りや す く 表 現 し て お り ま す 。 こ の 目標 に 向 か っ て 更 な
る発 展 を遂 げ た い とお も い ます 。
ま た 今 回 、社 会 奉 仕 基 金 制 度 を 利 用 し た 記 念 事 業 を設 定 い た し ま し た 。 こ れ ま で に も
力 を 注 い で ま い り ま し た 文 化 活 動 、福 祉 活 動 、奨 学 援 助 等 を は じ め 、幅 広 い 社 会 奉 仕 活
動 を 継 続 実 施 し て い く こ と が 全 会 員 の 確 か な 願 い で ご ざ い ま す 。 今 後 私 共 は 、諸 先 輩 方
が 築 き上 げ て こ られ た 輝 か し い 伝 統 を 守 り 、そ の 素 B青 ら し い 奉 仕 の 理 想 を 次 な る 時 代 へ
と引 き継 い で い きた い との 信 念 の も と 、― 同 、専 心 努 力 を い た し た い と存 じ ます 。
終 わ りに あ た り 、ご 多 忙 の 中 、本 日の 式 典 に ご 出 席 賜 り ま し た 皆 様 に 心 か らお ネLを 申
し上 げ 、― 層 の ご 健 勝 と ご 多 幸 を祈 念 い た し ま し て 御 ネLの ご 挨 拶 と さ せ て い た だ き ま す 。
43
来責 祝辞
国際 ロー タ リー第2730地 区
ガバ ナ ー
井 ノ 上
CEREMONY
立 40周 年 を お 迎 え に な って 誠 に お め で と う ご ざ い ま す 。
宮 崎 西 □ ― タ リー ク ラ ブ が 倉」
公 式 訪 間 で 伺 い ま し た の が 、つ い 昨 日の よ う な 気 が い た し ま す 。 親 睦 の 西 ク ラ ブ 、私
の 記 1意 に は 三 役 慰 労 会 、生 ビー ル を 飲 も う 会 、観 月 家 族 会 、年 末 家 族 会 、元 気 な お 年 齢
を 祝 う 会 、観 桜 会 、新 入 会 員 歓 迎 会 な ど 、何 と飲 み 方 の 多 い ク ラ ブ の 印 象 と世 界 社 会 奉
仕 の 分 野 で 、バ ン グ ラ デ ィ シ ュ に 病 院 を 造 り 、更 に 同 額 補 助 金 を 使 っ て 医 療 機 器 を 送 ら
れ て い ます 。
地 区 大 会 で 、こ の た め 私 は
RI会 長 代 理 か ら随 分 ほ め られ ま し た 。
貯 金 を 2,700万 円 持 っ て い ら っ し ゃる の に も 舌 を 巻 き ま し た が 、あ れ か ら何 か お 使 い
に な り ま し た か 。 他 人 様 の 懐 な が ら大 い に 気 に な りま す 。
何 は と も あ れ 、40周 年 を迎 え 、明 日 へ の 更 な る 大 飛 躍 を 祈 念 し て 止 み ませ ん 。
春 宵 ― 亥」
値 千 金 、鹿 児 島 で は 良 か 晩 な あ と云 い ます 。
45
RI第
ノ 上
繁
バストガバナー
RI第 2730地 区
岩 澤 光 男 ・照 子
パストガバナー
RI第 2730地 区
田
池
卓
郎
パストガバナー
RI第 2730地 区
ニ重野
良
輔
パストガバナー
RI第 2730地 区
図
鎮
師
雄
井
RI第
安
2730地 区ガバナ ーエ レク ト
満
RI第
明
2730地 区ガバ ナ ー ノミニ ー
大
淵
逹
郎
吉
元
鉄
夫
瀬
簗
貢
宮崎西フェニックスオーシャンRAC
口
巳
原
博
2730地 区パ ス トガバ ナ ー
鮫
島
延岡中央
哲
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RC…
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谷山光 永
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山
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宮 崎
宮 崎 南
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東 RC…
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西
都
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緒 方節 生
雄
最
宮崎中央
渡 j辺
宮 崎
川 中 普佐 人
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誠
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宮
高
良
安藤武典
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くTF「 含 長 友 秀 ‐
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伊束忠 寛
忍
RC… 池 lll洋 文
鍋 RC… 長 友具理
共
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英
桑」
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り1卜 専功 lli木 敏 之
増 ││1 哲
RC…
日 南 中 央 RC…
′
林 RC…
都
城 RC…
都 城 中 央 RC…
日
南
Jヽ
宮 崎 西
lllギ
昭次
長濱 和 徳
lltノ
亡宣 雄
矢
llll協 iよ ′
′
i lll」
k秀
│:{
lltド 利 l lP 宙 水 記 久 男
松 山篤 博
││十 1千
保彦
篤 徳
RC・ …会 員 80名
(順 不 同
)
(敬 称 略
)
記念事業発表
大江記念事業委員長
記念事業その 1
立 以 来 、私 達 の 住 む 地 域 に さ さ や か で も 役
我 が 宮 崎 西 □ ― タ リー ク ラ ブ は 、 1960年 倉」
立 ち た い と 、あ ら ゆ る 奉 仕 活 動 を 展 開 し て ま い り ま し た 。 し か し 、近 年 、急 激 な 社 会 の
変 化 は 我 々 □ ― タ リー の 奉 仕 活 動 を 大 き く 多 様 化 さ せ 、我 が ク ラ ブ に 於 い て も
1997年 よ
り1/VC Sプ ロ ジ ェ ク トの 一 環 と し て 、竹 内 パ ス トガ バ ナ ー 提 0昌 に よ る バ ン グ ラ デ シ ュ の
医 療 改 善 に 取 り組 ん で ま い り ま し た が 、今 回 宮 崎 西 □ 一 タ リー ク ラ ブ 創 立 40周 年 に あ た
バ ング ラデ シ ュに 病 院 建 設 並 び に 医療 機 器 を贈 呈 "い た し ます 。
り 、そ の記 念 事 業 と して “
尚 、総 工 費 720万 円 の RO丁 ARY
CLINICに 関 し て は 、延 岡 中 央 □ ― タ リー ク ラ ブ を は
じ め 諸 団 体 の ご 支 援 の も と 、バ ン グ ラ デ シ ュ ・ ピ ロ ジ ャ リ村 に 昨 年 開 設 。 村 の 医 療 の 拠
点 と し て 活 動 を始 め て お り 、今 回 は 、総 額 450万 円 相 当 の 、次 の 医 療 機 器 を 現 地 に 贈 呈
いた し ます 。
1.顕 微 鏡
1.血 液 分 析 装 置
1.小 型 遠 心 機
1.オ ー トク レー ブ
1.超 音 波 診 断 装 置
そ の 他 、ス ペ ア パ ー ツ 等
記念事業その 2
工 業 技 術 の 発 展 に 支 え られ る 現 代 の 社 会 は 、我 々 人 類 に 豊 か さ を も た ら し た 反 面 、地
球 温 暖 化 や オ ゾ ン 層 破 壊 と 、確 実 に 自然 を破 壊 し て お り ます 。 し か し 、地 球 上 の 自然 は 、
あ ら ゆ る 生 物 が 地 球 上 に 存 在 す る 根 本 的 な 基 礎 で あ り 、人 類 だ け が 、そ の 欲 し い ま ま の
欲 望 を充 足 す る た め に 存 在 す る の で は あ り ま せ ん 。
し か る に 我 々 人 類 は 、過 去 に お け る 無 秩 序 な 破 壊 の 修 復 と 、今 後 に お け る 厳 重 な 保 全
を 継 続 す る 事 は 、人 類 が そ の 存 在 を 続 け る た め に 課 せ られ た 基 本 的 責 務 で あ り 、我 が ク
ラブ に 於 い て も 、永 年 に わ た る 古 紙 回 収 等 、環 境 保 全 事 業 に取 り組 ん で ま い り ま し た が 、
今 回宮 崎西
RC倉 」立 40周 年 に あ た り 、そ の 記 念 事 業 と し て 、総 額 500万 円 の
宮 崎 市 保 健 所 敷 地 内 に 植 樹 "し ヽた し ま す 。
“
記念樹 を 、
´´′
出日手
1.チ ャ ー タ ー メ ン バ ー
会員
計
会員
宮
下
廣
久
堺
貝 [
[
貝]
貝 [
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貝 [
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貝
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鮮 山 村 池 原 木 内 岡 本 高 高 賀
3
・秋 内 菊 佐 鈴 竹 西 橋 日 日 吉
2
CELEBRA丁 10N
歓迎 の挨 l夢
40周 年記念大会会長
竹
内 三
郎
立 40周 年 を迎 え る 事 に な り ま し た 。
我 が 宮 崎 西 □ 一 タ リー ク ラ ブ が こ の 度 倉」
立 記 念 式 典 開 催 の ご 案 内 を 申 し上 げ ま し た と こ ろ 、会 員 は も と よ り第 2730地 区
本 曰倉」
井 ノ上 繁 ガ バ ナ ー を は じ め 近 隣 各 ク ラ ブ か ら多 数 の □ ― タ リア ン の 皆 様 、ご 多 忙 の 中 を
御 来 会 戴 き誠 に有 り難 う ご ざ い ま す 。
こ こ で 当 ク ラブ 設 立 当 時 の 我 が 国 の □ ― タ リー の 状 況 に つ い て 簡 単 に 申 し上 げ ます と 、
戦 前 主 要 都 市 に あ り ま し た ク ラ ブ が 軍 の 弾 圧 に よ り 、 自 ら離 脱 解 散 致 し ま し た 。 そ の 後
終 戦 に よ り 、念 願 か な って 1949年 、東 京 ク ラ ブ が 再 復 帰 、次 い で か っ て 存 在 し た ク ラ ブ
が 次 々 に R.│.の 組 織 に カロ入 し ま し た 。
当 時 の 先 輩 ク ラ ブ の 皆 さ ん は □ ― タ リー の 持 つ 不 思 議 な 魅 力 の も と 、友 情 を 楽 し み 又
□ ― タ リー の 本 質 に 対 し情 熱 を も っ て 追 求 、― 方 で は 増 強 、拡 大 に 墨 力 さ れ ま し た 。 私
設 を み る に い た り 、 日本
達 の ク ラ ブ 設 立 (1960年 )ま で の 僅 か 11年 間 に 365ク ラ ブ の 倉」
の □ ― タ リー は 「 輝 け る 世 界 の 星 」 と言 わ れ る よ う にな り ま し た 。
当 ク ラ ブ の 初 期 の メ ン バ ー の 皆 さ ん も □ ― タ リー とは 、そ の あ る べ き姿 を熱 心 に 追 求 、
情 報 収 集 に 積 極 的 に 地 区 内 外 の 会 合 に 参 カロし 、 ま た 471会 で も 頻 回 に そ の 運 営 に つ い て フ
ォー ラ ム 等 を 開 い て 検 討 さ れ ま し た 。 そ し て 現 在 の 親 睦 協 調 性 豊 か な 、 ま た 多 彩 な 奉 仕
活 動 実 践 の ク ラ ブ の 伝 統 を つ く って 頂 き ま し た 。
40周 年 を 契 機 に 先 輩 会 員 の つ く られ た 歴 史 を 振 り返 り 、更 な る 発 展 の た め 情 熱 を 持 っ
て 、活 力 あ る ク ラ ブ に 向 か って 前 進 す る こ と を念 願 す る も の で あ り ま す 。
最 後 にな りま した が 御 来 賓 の 皆様 に は 誠 に粗 酒 粗 肴 で は あ ります が ご寛 容 戴 き ま し て
ゆ っ く り御 懇 談 い た だ けれ ば 幸 い と存 ず る 次 第 で あ り ま す 。
本 日は 御 来 会 誠 に 有 り難 う ご ざ い ま した 。
49
乞 1不
草
国際 ロー タ リー第 2730地 区
パ ス トガバ ナ ー
池
鯰 柚
田
卓
郎
CttLEBRA丁 10N
おネ
LO挨 拶
会長 エ レク ト
菊
地
平
23
記念 ゴルフ大会
宮崎西 日―タ リークラブ ゴルフ会 主催
創立40周 年記念 ゴJL7大 書
日時 :平 成 12年 4月 9日
(日
場 所 :ハ イ ビス カ ス
)
ゴルフクラブ
《プライベー トコンペ順位表》
l頂
位
名
氏
アウ ト
イ ン
グロス
ハンデ ィ
ネッ ト
1
前
畑
智
之
16.0
英
三
治
朗
130
3
大 薗
日 高
20.0
原
田
和
秀
夫
文
10.0
5
松
増
67.0
68.0
69.0
73.0
20.0
750
12.0
14.0
76.0
77.0
78.0
79.0
79.0
100
21.0
790
10.0
80.0
80.0
107
20.0
22.0
24.0
26.0
7
植 松
柴 田
小田原
吉 田
矢 野
宮 下
吉 田
前 田
森 重
市 来
上 園
宮 下
孝 一
博 文
義 征
多 穀
温 三
繁一郎
信一郎
暢 俊
勝 雄
斉
哲 朗
廣 計
神
義
崎
田 崎
後 藤
79.0
世
博 俊
一 臣
?
29.0
81.0
81.0
83.0
24.0
14.0
21.0
フ
?
14.0
?
24.0
84.0
84.0
85.0
87.0
90.0
95.0
25
10年 間 のクラブ親況の推移 と主 なム来 ごと
1990∼ 1991年 度
テ ーマ
□―タリーを高めよ ―思 いを尽 くし熱意を尽くし
R:会 長
バウロ V.C.コ スタ
第 31代 会長
幹事
重城 寿雄
田崎博俊
第 2730地 区ガバナー
今林重夫
分区代理
図師鎮雄
会員数
78名
入会者
5名
退会者
5名
公式訪問
9月 7日
地区大会
11月 10日 ∼ 11日
主な 出来 ご と
1990。
7-1991.6
7月
神戸の女子高 生 が教師のしめた門扉 に挟 まれ死亡。
8月
イラク軍がクウェー トに侵攻 、湾岸戦争始 まる。
10月
26
45年 ぶ りに東西 ドイツ統一 。
11月
野茂投手 、M∨ P・ 沢村賞な ど 8冠 を総なめにした 。
12月
柔道 に天才少女出現。 15歳 の田村亮子 48キ ロ級で優勝 (福 岡国際)。
12月
秋山豊寛さん 日本人初の宇宙飛行に成功。
2月
皇太子徳仁親王が立太子礼 (皇 位継承者である事 を内外に披露 )。
4月
牛肉 、オレンジの輸入 自由化 を実施。
6月
雲仙普賢岳で大規模な央砕流が発生 、43人 死亡。
(指 宿市 )
10年 間の主な出来ごと
1991∼ 1992年 度
テ ーマ
自分を超えた眼を
R:会 長
ラジエン ドラ .K.サ ブ ー
第32代 会長
新恵 誠
川野良博
幹事
第 2730地 区ガバナー
井上 曰出男
福岡良朗
分区代理
78名
8名
会員数
入会者
3名
退会者
10月 25日
公式訪問
地区大会
11月 9日 ∼ 10日 (延 岡市 )
主な 出来 ご と
1991.7´ψ1992.6
7月
イ トマン事件で許永中 C tt Cグ ループ会長 ら 6人 を逮捕。
8月
東京での世界陸上選手権 100メ ー トル走でカール ・ルイス 9秒 86世 界新記録 で勝 つ 。
9月
100歳 の双子姉妹 、きんさんぎんさんが「 デビュー」。
10月
秋篠宮家 に長女「 員子」様が誕生。
12月
原子力船「 むつ」弓1退 。
12月
ソ連邦が消滅。
1月
風間深志が史上初のパイクで両極点到達 に成功。
3月
「 のぞみ」デ ビュー。最高時速 270キ ロ 、東京 ―新大阪間 2時 間30分 に
4月
ロ ツクシンガー尾崎豊 、26歳 の突然死。
!
27
1992∼ 1993年 度
テ ーマ
まことの幸福 は人助けから
R!会 長
クリフオー ドL.ダ クタ ーマン
第 33代 会長
浜砂 猛敏
幹事
林
務
2730地
第
区ガバナー
本坊蔵吉
分区代理
奏喜八郎
会員数
83名
入会者
10名
退会者
9名
公式訪 問
7月 24日
地区大会
11月 7日 ∼ 8日 (鹿 児島市)
主 な 出来 ご と
1992.7´Ψ1993.6
7月
バルセ ロナ五輪 200平 決勝 で 14歳 の岩 崎恭子が優勝。
8月
中国と韓国が国交樹立。
9月
学校週 5日 制 スター ト。
10月
天皇 、皇后 が中国を初めて訪問。
11月
日本サ ッカー がアジア杯 を制覇。 M∨ Pに 三 浦知良。
1月
ク リン トン 、第42代 米大統領に就任。
4月
カンポジアで国連ポランテ ィアとして活動中の中田厚仁さんが殺害される。
4月
天皇 、皇后 、歴 代天皇初の沖縄訪問。
5月
超人気。サ ッカー 。」リーグ 開幕。
6月
皇太子 と小和 田雅子さんが「 結婚の儀」。
10年 間の主な出来 ごと
1993-1994年 度
テ ーマ
行動 に信念を 信念 は行動 に
R!会 長
ロバ ー トR.バ ース
第 34代 会長
幹事
松本廣行
日高常―
第 2730地 区ガバナー
二重 野良輔
分 区代理
甲斐定幸
会員数
84名
入会者
11名
8名
退会者
公式訪問
11月 19日
地 区大会
11月 13∼ 14日
(宮 崎市
主 な 出来 ご と
1993.7´V1994.6
7月
北海道南西沖地震 、死者 ・行方不明者 231名 (青 苗地区で被害甚大 )。
8月
特別国会で首相 に細川護熙 、衆院議長に土井たか子を指名 (連 立時代の始 ま り)。
8月
東京湾の「 レインポープ リッジ」が開通。
9月
米不足 のため 、政府はタ イ米の緊急輸入決定。
11月
ロス近郊で山人事。スターの邸宅が並ぶマ リブの被害は甚大で 、約 200戸 が焼失。
12月
田中角栄元首相が死去。
1月
東京 ・昭島市の夫婦が「 悪魔」 という名の出生届認めよと東京家裁 に申し立て。
4月
宮崎県立五 ヶ瀬中学高校 が開校 、公立の全寮制中高 一貫校。
5月
イタ リアの Flレ ースでプラジルのアイル トン ・セナが壁に激突 して死亡。
5月
英仏間の海底でユー □ トンネルが開通。
6月
松本 サ リン事件。松本市 の住宅街で有毒 ガス発生 、 7人 死亡。
29
)
1994∼ 1995年 度
テ ーマ
友達 になろう
R:会 長
ウイリアム .H.ハ ン トレー
第35代 会長
幹事
市来 斉
衛藤清隆
第 2730地 区ガバナ ー
佐々木典綱
分区代理
高山昭康
会員数
87名
入会者
6名
退会者
7名
8月 19日
公式訪問
地区大会
11月 12∼ 13日
(鹿 児島市 )
主 な 出来 ご と
1994.7´v1995.6
7月
日本人女性初の宇宙飛行士 、向井千秋さんが「 スペースシ ャ トル」で宇宙 へ 。
7月
北朝鮮「 最後のカ リスマ」金 曰成急逝 !(82歳 )
8月
「気象予報士」の第 1回 国家試験 、合格者は 18%(2,777人 中)。
9月
初 の24時 間空港 、関西国際空港が開港。
9月
政府 、消費税
11月
5%な ど税制改革大綱 を決定。
貴乃花 、横綱 に昇進。
全国で空前の渇水被害。
1月
阪神 ・淡路大震災 、死者 ・行方不明者 6,308人 :負 傷者 4万 人以上。
3月
同時多発的な「地下鉄サ リン事件」死者 12人 、重 軽傷者 5,500人 。
5月
ドジ ヤースの野茂英雄投手 、初先発 (こ の年 13勝 6敗 でナ リーグ新人王に)。
10年 間の主な出来 ごと
1995-1996年 度
テ ーマ
真心の行動 慈愛の奉仕 平和 に挺身
R!会 長
ハ ーバ ー ト.G.プ ラウン
第36代 会長
幹事
志多克彦
山 口賢一郎
第 2730地 区ガバナー
竹内三 郎
分 区代理
井手徳文
会員数
86名
入会者
10名
退会者
7名
公式訪 問
1月 12日
地区大会
11月 25∼ 26日
(宮 崎市
)
主な 出来 ご と
1995。
7´ ‐
1996.6
7月
ウインブル ドン選手権 シングルスで松岡修造 、伊達公子がそれぞれ ベス ト8に 入る。
8月
「 ウイン ドウズ95」 が世界各地で発売。
11月
大相撲で史上初 の兄弟優勝決定戦で兄 。若乃花が弟 ・貴乃花を破 って優勝。
12月
キューパのカス ト□議長が突然の初来 日。
1月
大手 スーパー各社が元旦か らの営業 を始める。
2月
北海道 、豊浜 トンネルで崩落事故。20人 死亡。
3月
英国で狂牛病騒 ぎ 、人間にもうつる。
4月
旭化成 、柔道の中村三兄弟がそろ ってア トランタ五輪の代表に決定。
6月
新食糧法施行 、米の 自由販売がスター ト。
31
1996∼ 1997年 度
テ ーマ
築け未来を 行動力と先見の眼で
R:会 長
ル イス .ビ センテ .ジ アイ
第37代 会長
幹事
村上四朗
前畑智之
第 2730地 区ガバナ ー
海江 田順 三郎
分区代理
日高安徳
会員数
89名
入会者
5名
8名
退会者
公式訪問
7月 26日
地区大 =
11月 23∼ 24日 (鹿 児島市 )
主 な 出来 ご と
1996.7´v1997.6
7月
大阪で「 0157」 による集団食中毒が発生。
7月
「住宅金融債権管理機構」が正 式に発足。
10月
生保 ・損保の営業相互乗 り入れがスター ト。
11月
バン ダイ 、携帯ゲーム「 たまごっち」 を発売。
12月
ベルーでゲ リラが 日本大使公邸 を占拠。
1月
ロシアのタンカー「 ナホ トカ号」が沈没。重油約 6,000キ ロ リッ トル流出。
4月
消費税が 5%に 。公共料金一斉 に価格 に転嫁。
4月
タイガーウッズ21歳 が最年少でマスターズ を制覇。
6月
6月
32
WBA世 界 ヘ ビー級ボクシング選手権でタイ ソンが耳に噛みつく。
神戸児童連続殺傷事件 (酒 鬼薔薇聖斗)。
10年 間の主な出来 ごと
1997∼ 1998年 度
テ ーマ
□―タリーの心を
RI会 長
グレンW.キ ンロス
第38代 会長
幹事
前田暢俊
黒木 寛
第 2730地 区ガバナ ー
図師鎮雄
分区代理
山脇
忍
会員数
86名
入会者
4名
退会者
7名
公式訪問
地区大 =
11月 8∼ 9日
8月 8日
(宮 崎市
主な出来 ご と
1997.7´V1998.6
7月
英国 、香港の主権 を中国に 155年 ぶ りに返還。
8月
ダイアナ元英国皇太子妃 、バ リの トンネル内で交通事故死。
9月
国内最大規模 の新京都駅が開業。
11月
サツカー 日本代表 、初のW杯 出場を決定。
11月
山一証券 、自主廃業を決定。戦後最大 の倒産。
11月
テ レビアニ メ「 ポケモン」を見た子どもたちが身体 に異常。
2月
長野冬季五輪が開幕。
3月
明石海峡大橋完成 。全長 3,911メ ー トルの世界一の吊 り橋。
5月
若乃花が66代 横綱 に。初の兄弟横綱誕生。
6月
金融監督庁発足(初 代長官 に 日野正晴 )。
33
)
1998∼ 1999年 度
テ ーマ
□―タリーの夢を追い続けよう
RI会 長
ジェームス L.レ イシ ー
第 39代 会長
幹事
吉 田多穀
植松孝 一
第 2730地 区ガバ ナー
鮫島哲也
分区代理
橋 □正樹
会員数
84名
入会者
4名
退会者
公式訪問
9名
8月 7日
地区大会
11月 21∼ 22日
主 な 出来 ご と
1998.7-1999.6
7月
近畿大学 と石川県が世界初の成体体 細胞「ク ローン牛」出産に成功。
7月
和歌山市園部の夏祭 りで毒物混入カレー事件。
8月
横浜高校 が春夏連覇。松坂投手 、決勝で ノーヒッ トノーランを達成。
8月
米 ・カージナルスのマグワイヤ が年間最多記録 を更新。70本 。
11月
沖縄県知事選で大 田昌秀氏三選な らず。
12月
旧国鉄債務のためタバ コ 1本 1円 の値上げ。
1月
欧州連合 (E∪ )11か 国が単一通貨 ユー □を導入。
2月
臓器移植法に基づく国内初の脳死移植が行われた 。
3月
五輪 の誘致 をめぐ り買収 疑惑が浮上。
6月
拓銀 、長銀 、日債銀旧経営陣逮捕。
(日 向市
)
10年 間の主な出来 ごと
1999∼ 20001FI蔓
テ ーマ
□―タリー 2000
:活 動 は一堅実 、信望、持続
R:会 長
カルロ .ラ ビツツア
第40代 会長
幹事
小林貞雄
日高 均
第2730地 区ガバナー
井 ノ上繁
簗瀬
分区代理
貢
会 員数
80名
入会者
4名
退会者
2名
公式訪問
(4月 8日 現在 )
7月 30日
地区大会
11月 20∼ 21日
(鹿 屋市
主な 出来 ご と
1999.7´‐2000.6
8月
日の丸 を国旗 、君が代を国歌 と定めた国旗国歌法が成立。
8月
トル コ西部で地震発生。死者約 1万 8千 人。
9月
台湾中部で地震。 日本人 2人 を含め約 2千 4百 人死亡。
世界の半導体供給に打撃。
9月
茨城県東海村で国内初の臨界事故が起 きた。
9月
神奈川県警で組織 ぐるみの不祥 事隠 しが相次いだ。
12月
コン ピューター2000年 問題。点検対象は世界で推定 3億 台以上。
3月
日本で92年 ぶ りに家畜の□蹄疫が発生。
4月
介護保険制度がスター ト。
少年犯罪が多くなる。愛知県での老夫婦殺傷。
バスジ ャックをして 、数人を殺傷。 いずれも 17歳 の少年。
35
)
10年 間 の クラ ブ概況 の推移
1960(昭 和 35年 )4月 8日
〃 (
〃 )5月 8日
〃 (
〃 )11月 12日
認証状伝達式
チ ャー ター メンバー数
25名
創 立 年月 日
(日
本 374番 目)
承認年月 日
クラブ概況 の推移 につ いて表示 しま した。
ク ラ ブ 概 況 一 覧 表 (31代 ∼ 40代 )
31代
32代
33代
34代
35代
36代
37代
38代
39代
40代
1990∼ 91
1991∼ 92
1992∼ 93
1993∼ 94
1994∼ 95
1995∼ 96
1996∼ 97
1997-98
1998∼ 99
999∼ 200C
1,創 立 後 入 会 者
225
2.創 立 後 退 会 者
172
3。
230
238
248
260
265
276
286
289
220
227
235
56.28
57.00
56.94
1
1
1
100%
35.3%
30.0%
現 在 会 員 数
正
会
員
アディショナル正会員
シエア・アクチブ会員
パスト
・サービス会員
4.会 員 の平均年齢
56.12
56.73
56.57
56.22
56.59
55.65
音向
自
取
一
販
低
2 0
才
台
3 0
才
台
4 0
才
台
5 0
才
台
6 0
才
台
7 0
才
台
8 0
才
台
5.地 区大会 出席率
6.本 年度予算総額
25.3%
31.7%
27.1%
100%
48.9%
100%
20,440,633 21,402,250 24,675,544 26,588,397 22,152,774 22,713,281
35.2%
24,470i465 23,290,877 21,920,924 21,295,373
金
30,000
30,000
30,000
30,000
30,000
30,000
30,000
30,000
30,000
30,000
費
16,000
16,000
16,000
16,000
16,000
16,000
16,000
16,000
16,000
16,000
費
1,957
2,060
2,060
2,163
2,163
2,163
2,163
2,205
2,205
2,205
10.ビ
ジ タ ー会 費
1,900
2,000
2,000
2,100
2,100
2,100
2,100
2,300
2,300
2,300
11.例
会平均 出席率
95.75%
94.36%
92.58%
94.16%
94.17%
91.60%
93.96%
91.40%
88.01%
7,入
8.会
9.会
36
会
員
会
食
藤
清
隆
H3. 6. 28
S62. 8. 18
小 田原
義
征
H3. 6。
―
H3. 6. 20
高
見
忠
典
H3. 6. 28
寿
雄
H3. 6。
20
上
田
邦
雄
H5.10.21
村
龍
祐
H3. 6. 20
竹
内
三
郎
H5。
10.21
崎
博
俊
H3. 6。
20
松
本
廣
行
H5。
10.21
務
H3. 6. 20
高
見
忠
典
H6.9。 16
彦
H3. 6. 20
柴
田
博
文
H7.8.11
H6.9.16
株式会社タ ケセン
融
S60.
育
男
日 高
常
重
城
内
田
竹
野
阿
南
林
前
園
善
綜合葬祭 みやそう
7.
25
ポールハ リス・ フエロー
竹 内 三 郎
阿 南 育 男
//
衛
28
H7.9.22
高
見
忠
典
S63.
6.
20
前
園
善
彦
S63.
6.
20
尾
藤
博
澄
S63. 6. 24
岩
井
隆
一
S63. 11.
H5.10.21
市
来
斉
S47.6.30
S49。 6.26
H2.1.6
15
竹
野
融
S50。
7. 25
菊
池
皓一郎
植
松
熊太郎
S54。
2.
9
重
松
ウ
メ
Hl. 6.5
Hl.6.5
Hl.7.11
橋
本
一
郎
S54. 10. 26
浜
砂
猛
敏
H2. 4。 24
郡
嗣
彦
S54。
12.
21
田
崎
高
伸
H2. 4. 24
日 高
文
雄
S56. 9. 18
大
江
幸
政
H2. 4. 26
吉
賀
幸
夫
S60.
6.
18
小 田原
義
征
H2. 4. 26
江
田
祐
典
S61. 12.
12
喜
島
健一 郎
H2. 4. 26
内
村
龍
祐
S63. 6. 20
坂
本
健太郎
H2. 4。
//
26
37
柴
田
博
文
H2. 4。 26
吉
田
多
穀
H5。
7. 30
志
多
克
彦
H2. 4. 26
武
田
順
―
H5。
10. 19
田
崎
博
俊
H2. 4。 26
山
□
賢一 郎
H5。 10。
19
務
H2. 4. 26
吉
田
信一郎
H5.10。
19
H6. 4.11
林
日 高
常
―
H2. 4. 26
前
畑
智
之
井手脇
万
詔
H2. 4。
27
岩
切
宏
海
大
薗
英
治
H2. 6. 22
植
松
重
城
寿
雄
H2。
11.16
衛
藤
稲
倉
正
孝
小
川
久
保
裕
H2.12.4
H4.1.15
秋
山
新
恵
誠
H4. 5。 29
日 高
久
川
野
良
博
H4. 5. 29
西
日 高
照
雄
H4. 6.2
松
本
廣
行
H4。
大
塚
一
止
H5。
上
田
邦
黒
木
暉
本
長
崎
孝
H6. 5.2
H6. 5.2
清
隆
H6. 5。
次
男
H7. 6。 26
久
夫
H7.7. 17
H7. 7.17
岡
恒之助
H7. 7. 20
植
松
孝
一
H7. 7. 25
11. 25
松
原
和
夫
H7。
5, 24
森
重
勝
雄
H7. 8. 29
雄
H5, 7. 30
村
上
四
朗
H8。
寛
H5. 7. 30
岩
城
義
博
H8. 8. 26
秀
雄
H5. 7. 30
神
崎
義
世
H8. 9. 27
康
啓
H5. 7. 30
香
月
正
直
H8.11。 28
均
H5。
7. 30
前
田
暢
俊
H9.2。 10
日 高
10
7. 25
3.19
ベ ネフアクタ ー
岩
井
隆
一
H7.7.5
林
竹
内
三
郎
H7. 7.11
日 高
常
一
H7. 7.17
H7. 7.17
阿
南
育
男
H7. 7. 11
前
園
善
彦
H7.7.17
重
城
寿
雄
H7.7. 11
喜
島
健―郎
市
来
斉
H7. 7. 17
志
多
克
彦
田
崎
俊
H7. 7. 17
高
見
忠
典
38
博
務
H7. 7. 25
H7.7.31
H7.8.7
文
H3.4.24
吉
S49。 10.15
代
本
代
正 善
橋
松
野 本
崎
橋
田
竹
メモ リアル 。コン トリピ ユータ ー
H4.9。
H8。
16
10.29
ポ ール 0ハ リス 。準 フェロ ー
堺
久
S46.8。 27
田
崎
博
俊
H7.7.17
39
れ 、親 切なこのダ リヤの花 を一杯咲かそ うと
ダ リヤ賞 の制定
1969年
希 うものである。
(昭 和 44年 )7月
「 ダリヤ賞」命名の由縁
ダ リヤはわが国 へ の渡来は 1842年 、天保
職業奉仕委 員長
日
高
職業奉仕副委員長
三
原
t
自ロ
職業奉仕委員
田
中
博
規
文
雄
□一 タ リー は行動 にお ける理 想 で あ り 、他
13年 オ ラン ダ船 が つ んで来 た と記され てあ
ります。
夏か ら秋にかけて見事な花を咲かせるダ リヤ
は可憐なものか ら、大 輪 に至 っては華麗その
人 に対 する思 いや りと援 助 をする こ とである 。
もので誰 からも愛され 、親 しまれ 、親切 を喜
他 人 に 対 す る思 い や りが奉 仕 の基 盤 で あ り 、
ぶ感謝の花 とうたわれ ています。
他人 を助 ける こ とがそ の表 現 で ある 。人 類 こ
そ職 業 で あ って 、慈 善 、恵 み 、堪 忍 、そ して
この ことか ら 、
「 ダ リヤ 賞」 と 、命名 しま
した。
博 愛 は凡 て 自分 の 職 業 で あ り 、商売 上 の取 引
な どは 自分 の 職 業 とい う広 範 な海 洋 中の 一 水
滴 に過 ぎな い 。
職 業 奉 仕 は □― タ リアンの 目標 と業 務 に 限
られ る も の でな く 、広 く □― タ リアン でな い
他 の 人 々 と共 に 分 かつ こ とで ある 。即 ち □―
タ リー の 理 想 を共 に 分 か ち 、奨 励 且 育成 して
奉 仕 する こ とこそ □一 タ リー の 挑戦 である。
我々 □一 タ リーは地域社会 でなす べ きこと
が沢山ある 。その中で地域社会 を明る く 、平
和な 、しか も職業を通 して手近かに奉仕でき
ることは人々の親切む行為である。 自己の職
業 を立 派に果 し 、また真心のこも ったその親
切な行為は 、大小 にかかわ らず人々 を救 い人
間社会 を潤おしてくれるのである 。
我々 □一 タ リアンは先ず 自分の職 場か ら率
先 してこの 運動 を展 開 し 、広 く地域社会 に善
意 と親切 が波 及 され 、究 極 の「奉仕 の理 想」
「 ダリヤ賞」贈呈規程
第 1条
ダ リヤ賞は □一 タ リー職 業奉仕の理
想を具現 した個人又は法人 に贈呈する もの
とする。
第 2条
受賞者 には表彰状並 びに賞品を贈呈
する。
第 3条
ダ リヤ賞該当者 (候 補 )を 推薦 した
者 に簿謝 を呈 する。 (但 し□― タ リアン を
除 く)
第 4条
受賞者は原貝」として年 1名 とし都合
によって変更することもできる。
第 5条
受賞者は次条 に定める選考委員会 に
於いて宮崎市内及びその周辺より選考する。
第 6条
選考委員会は会長 、副会長 、職業 奉
仕委員から構成する。
第 7条
表彰は毎年職業奉仕月間を原貝」
とする。
但し都合によって変更することも出来る。
が達成される よう努めるもの である。
ここに「ダ リヤ 賞」 となづ け 、広 くこれ を
顕彰 するこ とによ り初 期 の 目的が果 たされ 、
地域社会全 体に可憐なそ して愛され 、親 しま
40
付
貝」
本規程は昭利α狗3月 18日 より改正実施する。
ダ リヤ賞受賞者
ダ リヤ賞受賞者 一覧
(1990∼ 1999年 度 )
年度
受賞者名
回
1990 36
横
1991
1992
37
38
1993
39
1994 40
1895 41
1996 42
奉
年齢
仕
内
容
教職 33年 の うち、 19年 間 を特殊教育 に専念。
卓
哉
児
三
山
玉
眩
光
原
千
和
82
59
迫
田
勝
67
精神薄弱者 を対象 とした 「や まび この里」を設立
幼児教育、精神薄弱者教育 と日夜献身努力 される
剣道普及 と指導 の為、県内のみ な らず、外国へ もボラ ンテ ィ
56
68
48
アで行 かれ、 日本文化を広め られた。
重複障害者 の 自立の為 に、 「仲間の家」を設立。
看護婦、保健婦 として、長年、地域 の保健 に従事
自らも重度身体障害者 であ りなが ら、 「や じろべえ」開設な
冨貴 子
森
山
上
マサ エ
下
ヤ ス子
板金 60年 。 そ の仕事 は 高 く評価 されて いる。
ど、障害をもつ方々の安定 した就労 の場づ くりに取組 まれる。
1997
43
奥
1998
1999
44
山
ト キ
100 62年 間助 産婦 と して活 躍 され、 そ の 間 と りあげ た赤 ち ゃん
は 1万 人 に な る。
村
通
雄
66
本物 の豆 腐造 リー 筋 に40数 年。
45
ダリヤ賞表彰事 由
1990∼ 1991年 度
受賞者
東 大 宮 中学 校
教諭
横
山
卓
哉
教 職 経 験 33年 の う ち 19年 間 を 特 殊 教 育 に 専 念 し て き た 。 心 身 に 障 害 を も った 生 徒 の 障
害 の 程 度 や 家 庭 環 境 の 把 握 を 的 確 に 行 い 、特 に 、学 力 の 低 い 生 徒 の 基 礎 学 力 を 向 上 さ せ
る 力 量 は 高 く評 価 さ れ て い る 。 か つ て 勤 務 し た 生 目 中 学 校 や 田 野 中 学 校 に お い て は 、特
殊 学 級 生 徒 の 高 等 学 校 へ の 進 学 指 導 に な み な み な らぬ 力 を尽 く し 、大 きな 成 果 を 収 め て
きた 。
又 、現 任 校 に お い て は 、 1名 を 担 当 し て い る が こ の 生 徒 に 生 活 力 を つ け る た め に 基 本
的 な 身 辺 処 理 能 力 や 作 業 能 力 及 び 話 す 力 の 育 成 等 を 目標 に し て 指 導 に 当 た って い る 。
具 体 的 に は 、言 語 力 を つ け る た め の ワ ー プ ロ 指 導 、商 店 で の 買 物 や ― 輪 車 を 引 い て の
空 き缶 拾 い 等 の 校 外 学 習 を 通 し て 基 本 的 な 生 活 能 力 を 身 に つ け さ せ る た め 懸 命 な 努 力 を
続 けて い る ところ で ある 。
こ の ひ た む きな 指 導 の 様 子 は 校 内 は も と よ り本 校 の 保 護 者 や 地 域 住 民 が 等 し く認 め 、
深 く感 銘 し て い る 。 本 教 諭 は 人 格 ・識 見 と も す ぐ れ 、保 護 者 や 同 僚 の 信 望 も 厚 く 、特 殊
教 育 へ の 情 熱 と実 践 力 は 他 の 模 範 とな って い る 。
よ って表 彰 に 十 分 値 す る も の と思 わ れ る 。
41
1991-1992年
受賞者
児
度
玉
光 (こ だ ま
腋
けさ みつ
82歳
)
児 玉 眩 光 さ ん は 明 治 43年 2月 28日 新 富 町 で 生 まれ た 。 15歳 で板 金 の 仕 事 に就 き昭 和
7年
22歳 で独 立 して 今 年 60年 目 、現 在 も 「 職 人 」 、また 社 長 と して活 躍 さ れ て いる 。
ヽ
バ ケ ツ 、水 差 し 、茶 か ん 等 ノ
」
物 か らは じめ て 、現 在 は 建 築 用 中 心 、特 に 営 業 も 宣 伝 も しな
い が 、業 界 で は 「 手 直 しがな い」 と評 価 は高 <注 文 は 後 を絶 た な い 。 5人 の 患 子 さ ん が全 員
板 金 の 仕 事 に就 か れ て技 術 の 継 承 は な さ れ て い る も の の 、道 路 や ボ ン ベ ヘ の文 字 の 刷 り込 み
に要 す る 「 刷 り込 み版 」 の製 作 は今 も児 玉 さ ん にま
旨名 が か か る 。
― つ 葉 海 江 田 神 社 の 銅 版 張 り替 え 、また 最 も 難 し い と さ れ る 観 現 造 りの 椎 葉 十 根 川 神 社 の
張 り替 え も手 掛 け られ た 。
表彰歴
S41.2.25
S50.5.27
11.21
S63.11.10
S50。
全 国板 金 表 彰
全 国板 金 工 業 会
組 合 役 員理 事表 彰
宮崎県板金工業組合
技 能検 定表 彰
宮崎県知事
労 働 大 臣賞
労働大 臣
1992∼ 1993年 度
受賞者
三
原
三 原 さ ん は 、昭 和
千
和 (み は ら
ちわ
59歳
)
8年 9月 20日 国 富 町 で お 生 まれ にな りま した 。
昭 和 29年 県 立 児 童 福 祉 園 で 実 習 生 と し て 入 所 さ れ 、以 来 児 童 福 祉 を 自己 の 天 職 に と頑 張
って お られ ます 。
結 婚 後 も御 夫 婦 共 々 、福 祉 の仕 事 の 中 か ら恵 まれ な い精 薄 者 を救 済 す る 事 は 出来 な い か と
考 え られ た 。 61年 7月 御 主 人 が他 界 さ れ た の を機 に 私 財 を投 じ 、平 成 3年 4月 に 18才 以 上
の 精 神 薄 弱者 を対 象 に した 更 正 施 設 「 や まび この 里 」 を設 立 さ れ た 、市 に は まだ 一 ヶ所 しか
な い 貴 重 な 施 設 で あ り又 建 設 に あ た って は地 元 の 反 対 が あ り 、大 変 苦 労 され ま した 。
幼 児 教 育 、精 神 薄 33者 教 育 と 日夜 献 身 努 力 さ れ 、社 会 福 祉 事 業 を通 して職 業 奉 仕 の 信 念 を
確 固 た る も の とされ て い ます 。
表彰歴
昭 和 59年
63年
社会福祉宮崎県知事賞
全 国社 会 福 祉 評 議 会 会 長 賞
1993∼ 1994年 度
受賞者
迫
田
勝
現 、宮 崎市 憶地 区 自治会 連合会 長 、青少年育成 協会長 、他
道教 ± 7段 居合 道 5段 日本 水 峰流剣 舞詩 舞道 師範
貪」
元警 察 官
42
ダ リヤ賞受賞者
昭 和 52年 ∼ 54年
宮 崎 県 貪」
道 部 監 督 と し て 、青 森 、長 野 、宮 崎 の 各 国 体 に 参 加 、同 時 に
国体 選 手 強 化 対 策 委 員 をつ とめ る
昭 和 54年
宮 崎 国 体 で 剣 道 全 国 で 優 勝 、尚 国 体 出 場 10回 、内
12回 出 場 全 国 警 察 官 剣 道 大 会 18回 出 場
3回 出 場 、そ の 他
剣 道 大会
者 大会
昭 和 55年
3回 監 督
西 日本 各 県 対 抗
全 日本 東 西 対 抗 剣 道 大 会 高 段
県 ス ポ ー ツ 賞 、警 察 功 績 賞
平 成 1年 11月
昭 和 55年 3月
宮 崎 市 教 育 委 員会 表 彰
生 涯 の 夢 で あ った 外 国 へ の 剣 道 普 及 と指 導 に あ た る 為 33年 間 勤 務 し た 県
警 を 勇 退 さ れ ま し た 。 同 年 3月 に は 宮 崎 県 欧 州 諸 国 教 育 事 業 団 に 参 加 、英 、仏 、西 独 、
オ ー ス トリア 、ス イ ス 、イ タ リア の 6ヶ 国 訪 問 、村 社 講 平 氏 と 同 行 し て ∃ ― ロ ッパ の ス
ポ ー ツ 、武 道 の 状 況 視 察 を し て こ られ ま した 。
昭 和 56∼ 57年
イ タ リア の ミ ラ ノ に 居 住 し て 、 ミ ラ ノ
ゼ ノバ
ボ ロニ ア
パ リー 等 の
10都 市 に 剣 道 、居 合 、剣 舞 の 指 導 に あ た っ て お られ ま し た 。 帰 国 後 も 毎 年 2∼ 3ヶ 月 渡
欧 し て 実」
道 指 導 を さ れ て い ます 。
外 国 で の all道 指 導 は 全 て 無 料 奉 仕 の ポ ラ ン テ ィ ア で 行 わ れ こ の 10数 年 間 に 私 費 1,500
万 を投 じ て 剣 道 の 普 及 指 導 に 当 た っ て こ られ た の で あ り ま す 。 欧 米 で の 門 弟 は 数 百 名 に
も の ぼ り 、熱 心 な 門 弟 の 中 に は 現 在 も 年 に 何 名 か の 欧 州 か ら宮 崎 ま で 指 導 を 求 め 、迫 田
さ ん に面 会 を求 め て 来 日さ れ て い る と伺 って お り ます 。
□ 一 タ リー で 云 う 職 業 奉 仕 の 理 想 を 実 践 し 、 自 己 の 職 業 上 の 手 腕 を 近 隣 社 会 及 び 広 く
世 界 に視 野 を 向 け て 社 会 の 二 一 ズ に対 応 し て 活 動 を継 続 さ れ て い る こ とは 誠 に す ば ら し
<感 嘆 す る と こ ろ で あ りま す 。
こ れ らの 活 動 を み ま す と 、ダ リヤ 賞 に 提 0昌 さ れ た 理 念 に 合 致 す る の み な らず 私 達 □ 一
タ リア ン の モ ッ トー で あ る 「 超 我 の 奉 仕 」 の 実 践 の よ き手 本 、又 先 導 者 と し て 極 め て 有
意 義 で あ る と考 え ます 。
よ って 宮 崎 西
RC、 ダ リヤ 賞 受 賞 該 当 者 と し て 推 薦 さ れ た 次 第 で す 。
1994-1995年
受賞者
森
森
度
冨 貴 子 (も り ふ きこ
62歳 )
冨貴子 さんは 、長 男 に重 複 障害者 の我 が子 をかかえ 、将来 この子 が―人 の人間 として
可能な限 りの 自律 、自立 がで きる ように 、また地域住民の―人 として社会生活がで きる よう
にと願 い 、同 じ悩 み を持 つ お母 さん達 と 、そ の手助 けをして頂 くボ ランテ ィアの皆様 と共 に
上記「 仲間の家」 を設立 。
お菓子作 り又牛乳 パ ックの回収 、再生紙作 り 、喫茶事 業等 11人 の障害者 と共 に 、少な い
補助金 と前記 の事業 か らのささやかな収入 をも とに 、ひたす ら障害者 の皆さんが将来地域 で
生活者 として 自立 で きる よう 、日夜一生懸命 、教育 ・共生 の 実践 をしてお られ ます。
この事は我 が宮崎西 □一 タ リー ク ラブが提唱 するダ リヤ賞 に該 当するもの として 、ここに
表彰 します。
43
1995∼ 1996年 度
受 賞者
川
上
マサ エ
昭和 20年 熊本 陸軍 病 院 看 護 婦養 成 所 卒 業以 来 、国立病 院 に勤 務後 、昭和 24年 よ り昭和
42年 まで小 学校 養 護 婦 を始 め と し 、役 場 。職 場 。保 健所 等 の保 健 婦 と して 、地 域 の保健
に従 事 され ました 。
昭和 43年 よ り平 和 台 内科病 院 に勤 務 し 、定 年退職 する まで通算 15年 間 、婦長 職 等 を勤
め 、平 和 台 内科 病 院 は 勿 論 、地 域 医療 に 終 生 た ず さわ り貢 献 して来 た 事 は 、大 きな 業績
とい って良 い と思 い ます 。現 在 もな お 、元 気 で後進 の 指導 に当た ってお られ ます 。
1996∼ 1997年 度
受賞者
山
下
ヤ ス 子 (48才 )
昭 和 59年 2月
筋 ジ ス協 会 宮 崎 県 支 部 発 足 。支 部 長 及 び九 州 地 方 本 部 長 就 任 。
昭 和 62年
平 成 2年 10月
共 同作 業所 設 立 。
日本 財 団 の 助 成 金 を基 に 大 塚 町 に身 体 障 害 者 通 所 受 産 施 設 「 や じろ べ え 」
を認 可 施 設 と し て 開 設 。
平成
9年 1月
身 体 障 害 者 療 護 施 設 「 翼 」 の 施 設 長 に就 任 。
他 に ケ ア 付 ホ ー ム 、デ イ サ ー ビ ス セ ン タ ー を 開 設 。
受 産 施 設 「 や じろ べ え 」 の 設 立 目的 と し て 、次 の よ うな 文 章 が 掲 げ られ て い ま す 。 「 当
施 設 は 進 行 性 筋 ジ ス トロ フ ィ ー の 障 害 を 持 つ 方 々 中 心 と し て 、重 度 の 障 害 を も つ 方 達 と
健 康 な 方 達 とが交 わ りな が ら 、安 定 した就 労 の場 づ <り を 目指 して 、設 置 され た も の で す 。
働 き た い と い う意 欲 を 尊 重 し て 、そ の 喜 び が 一 日も 早 く達 成 さ れ る よ う に と願 い な が ら 、
地 域 の 方 々 と と も に 世 界 ― の ま ほ ろ ば づ く りを め ざ し て い ま す 。 」
山 下 ヤ ス 子 さ ん は 自 らも 重 度 身 体 障 害 者 で あ りな が ら 、幾 多 の 困 難 を 乗 り越 え 、障 害
を 持 つ 方 々 の 安 定 し た 就 労 の 場 づ <り に 精 力 的 に 取 組 ん で い ら っ し ゃ い ま す 。 今 ま で 多
く の 障 害 を 持 つ 方 が 、働 く こ と を 通 し て 生 き る 喜 び と 、地 域 社 会 の 一 員 と し て 強 く 生 き
る こ と の 希 望 を 得 て き た こ と と 思 い ま す 。 今 後 益 々 の ご 活 躍 と 、障 害 を 持 つ 方 々 が 安 心
し て 明 る い 生 活 を送 られ る こ と を願 い ダ リヤ 賞 を贈 呈 さ せ て い た だ き ます 。
1997∼ 1998年 度
受賞者
奥
ト
キ (100才 )
18歳 で県 立 産 婆 養 成 所 に 入 所 、翌 年助 産 婦 と看 護 婦 の 免許取 得 と同時 に 、宮 崎 市 立病
院 に勤 務 。 20歳 で高 岡 町 に帰 り助 産 婦 を開業 、両 親 の世 話 を しな が ら85歳 まで助 産 婦 と
して活 躍 され 、そ の 62年 間 の 間 に取 り上 げた赤 ち ゃん は一 万人 にな る 。地 元 で は 「 トキ
ば あち ゃん」 と慕 われ 、最 初 に取 り上 げた近所 の 赤 ち ゃんは今年 77歳 にな る。
開業 後 、事 故 で足 を痛 め 、不 自由な 体 で 自転 車 に乗 って の助 産 婦 業 。 「 昔 、 トロ ッ コ
で山奥 まで助 産 に行 った り 、台風 で大水 が出る 中 、避難 所 で赤 ち ゃん を取 り上 げる」等 、
寝 る暇 もな か った昔 の体 験 を今 も元 気 に話 しをされ る。
ダ リヤ賞受賞者
平成
9年 9月 13日 に 満 100歳 を迎 え られ 、今 で は 毎 朝 7時 起 床 、新 聞 に 隅 々 ま で 目 を
通 し 、高 岡 町 の 記 事 に 赤 線 を い れ られ る 。 ま た 、デ イ サ ー ビ ス や 趣 味 の 裁 縫 を 勤 し み 、
76冊 目 に入 った 日誌 を書 く の が 日課 。
奥 トキ 様 は 、 自分 の 青 春 と一 生 を社 会 に 奉 仕 さ れ 、そ の 間 、高 岡 町 母 子 健 康 セ ン タ ー
嘱 託 助 産 婦 、母 子 保 険 推 進 委 員 等 の 要 職 に委 嘱 さ れ 活 躍 さ れ て こ られ た 。
以 上 の こ と か らダ リヤ 賞 を贈 呈 さ せ て い た だ き ま す 。
1998∼ 1999年 年 度
受賞者
山
村
通
雄 (66才 )
倉」
業 90年 を迎 える 山村 豆 腐 店 の代 表者 と して 、本 物 の豆 腐 造 リー 筋 に40数 年 。 この仕
に就
いて以来 今 日まで 、夕方 7時 30分 就 寝 、深夜 1時 起 床 の毎 日。納 入 先 の病 院 には
事
出来立 て を早 朝 6時 には納品 、お陰 で美味 しい味噌汁 が患者 さんの朝の食卓 へ届 け られる。
舌 触 りは や や劣 る も の の 、カル シ ウム な ど体 に良 い とされ る 栄養 分 の豊 富な ニ ガ リを
使用 、さ らに パ ック詰 め にせ ず 、音 な が らの 水 槽 の冷 水 に浸 けて保 管 す る方 法 を頑 な に
守 りとお している 。
車 に積 み込 ん で市 内 の各 町 内 に 出 か ける と 、そ れ ぞ れ の お宅 の玄 関先 に鍋 が置 いて あ
った り 、目印 の タ オル がぶ ら下 げ て あ つた りして 、山村 さん の豆 腐 を沢 山 の人 が待 って
いる 。鍋 の下 には代 金 まで置 いてある 。お客 さんの信頼度 の深 さ を示 して いる。
長 男 の格士 さん へ 技 術 の継承 がな され てお り 、い つ 引退 して も心配 はな い。だ けど 『あ
な た の豆 腐 でな けれ ば 』 と待 って いる 人 々 が いる うち は 、そ して 自分 が元 気 な うち は辞
めるわ けには いかな い と山村 さんは恥 ずか しそ うに言 う。
お客 さ ん が あ した の 朝 も待 って い る の は 、冷 水 に浸 か った美 味 しい豆 腐 とそ れ に添 え
られ て いる 、な ん とも あ った か い うれ しい 『笑顔― 丁 』 である 。
ロー タ リーの創 始者
ポ ール P・ ハ リス
45
(総
則)
第 1条
当クラプが昭和 46年
10月
1日 に倉」
設 した社会奉仕基金 (以 下基金 という)の 運用に
関しては 、この規程の定めるところによる。
第 2条
基金は会員の寄付金によって積立てる。但 しこの基金の趣旨に賛同して寄付せられた会
員以外からの資金もこれに充当することができる。
第 3条 基金は原則として有価証券 、定期性預金に投資してその運用益の増加を図 らねばな らな
い
第 4条
。
基金 の 使用 は原則 として 、その 運用益の範 囲 にお いて 国際 □一 タ リー が提唱 する社会奉
仕のために行 うもの とする 。
(運 営委 員会 )
第 5条
基金 の運 用 を行 うため 、会長 はク ラフ 細貝」
第 8条 3節
(b)に よ り社会奉仕基 金運営委
員会 (以 下委 員会 という)を 任命 する。
第 6条
委員会 は当ク ラプの各年 毎 に 、会長 が指名 する会計 及 びその他 の会 員若干名 をも って組
織 する。
第 7条
第 8条
基金の出 納 、保管 、管理 は会計 である委 員がこれ に当たる 。
委員会 は委 員長 が必要 に応 じて招 集 する。委 員会 は付議 する事項 を次の通 りとし議決 は
その過半数 で行 う。
1.第 3条 の基金運用 に関する事項
2.第 4条 の基金 は
イ .社 会福祉 関係事業 に対 する援助
□.文 化活動事業 に対 する勧奨
ハ .奨 学 関係援助
二 .そ の他社 会奉仕 関連事業 に対 する援助
3。
この 規程の改正 に関する事項
4.そ の他基金 運用上必要 と認めた事項
(会
計)
第 9条
この基金の 会計年度 は当ク ラフの 会計年度 と同 じとする。
第 10条
基金 の収 支決算状 況は 、理 事会 の承認 を受 けて会計 年度 終 了後 lヶ 月以 内 に会 員に報告
しな ければな らな い。
(付
則)
1.本 規程 は昭和 58年 4月 1日 よ り実施 する。
2.本 規程 は改正 を したい ときは遅滞な くその内容 を理事会 の承認 を受 けて会 員に報告 しな け
ればな らな い。
3.本 規程 は平成 2年 4月
1日 よ り改正 実施する。
宮商の生徒 に対 しての 奨学金規定は 、平成 2年 4月 1日 をも って廃止 とする。
46
10年 間の主立 つた出来事 と昔の思 い出
竹
内
三 郎
1995∼ 1996年 度地 区大会が宮崎西 RCが ホ ス トとな り秋醐の 11月 24∼ 26日 宮崎 ワー
ル ドコンベンシ ∃ン 、サミッ トホール で千宗室R.│。 会長代理 をお迎えして開催され 表した。
地 区大会 は ガバ ナーの 任務 のな かで最 も
重要な行事 の一つ であ り、私 はその実施 に
あた り、三 つの重点項 目を掲げました。
イ)地 区内クラブ 、会員の交遊 、親睦
□)出 席会 員 に □一 タ リー を楽 しみ 、感
動 を与える。
ハ )著 名 な人 の講 演 を聴 き □一 タ リー を
勉強す る。
この線 にそ って 、クラプの皆さんが 日高文雄大会会長 のも とに挙げて企画 、運営に ご養
力戴 きました。そ して我がクラブな らではの素敵な大会 を開催する ことが出来 ました。
大会史 上最多の2,578名 参加者の皆さんがそ の 内容 に満足され 、□一 タ リア ンで良か った
との感動 を受 け満足 してお帰 りにな った ことと思います。
R。
│。
会長代理は所感 として「今 回の大会は会場 に入 った途端 に世界大会 をや ってもよい
のではな いか と思 う程の恵 まれた会場 で 、きた全 ての内容 、項 目が素晴 らしく 、点 を付
47
ける とした ら 100点 以上の点をつ けねばな らない。従 って出席会 場も 2日 目にな ってもこ
んなに多 く残 られた大会は珍 しい。」 との讃辞 を戴 きました。
特別講演要旨
イ)森 本哲郎氏の記念講演「人間と文明」 と題 して 、
21世 紀 の世 界 をと りま<種 々の問題点 、即ち宗 教や民族 問題 、また経済やイ ン ター ネ
ッ トによる情報化の問題 について述 べ られ ました 。今後は更 に大 きな問題 となることが
予想 される人 □増 加 に伴 う食糧 問題や エ ネルギー 問題 について言 及 され ました。これ ら
の 解決のために我々は成 長の限界 を知 らねばな らな い 、また一 方では新 しい価 値観 や 、
新 しい豊さの指標 を求めて行動 しな くてはな りません。
文明の進歩 に対 して 、求める豊 かさ とは 何かを反省 し 、その新 しい指標 に 向か って努
力 せねばな らないと述 べ られ ました 。
□)深 川純 ― 郎 PoG.は □一 タ リーセ ミナー で「 □一 タ リーの源流 について」 と題 して講
48
10年 間の主立 った出来事 と昔 の思い出
演を戴 きました。
□― タ リーの 発 生史 に つ いて 、組織 とし
ての側面 と思想 として側面 がある。 □― タ
リー は 一 業種 一 会 員制 のも とで 、例会 出席
を強制的原貝」として親 睦 を深 める ク ラブ と
して発足 、次 いで会 員が世 の 為人 の為 にな
る よう 、心 を磨 くようにな りました。 この
ことが基本 とな り表す。この原貝」
を変える
と□―タリーではなくなると述べられました。
最近 巨大化 した □一 タ リーの現状 について心 ある会員か ら R情 報 の徹底 の必要性 を訴
える声 を屡々耳にします。 1992年 R。 │.会 長 を勤め られたダクターマンは「組織の多彩な歴
史やそ のいろ いろの習慣や 伝統 をも っと知る ように」 と述 べ られています。 これ らの指
摘 に充分応える貴重な講演であ りました。
懇親会 について
結成 40年 を迎えたデューク ・エ イセスの皆さんが懐か しい歌 、楽 しい歌 、を特に リー
ダーの谷道夫氏が本県出身 とあって熱のこも った シ ョー とな りました。また宮崎西 RC、
歴代会長 の皆さんが頻回の練習を重ね 、揃
いのタキ シー ド姿は―人前で したが歌の方
はデ ュークのサポー トによ りなんとか歌 い
終 り、客席か ら盛大な拍手 と声援を戴 きま
した。ご苦労様でした。
おわ りに
この大会はホス トの宮崎西クラブの親睦と協調性の豊さが遺憾なく発揮され大成功裡
に終わることが出来 ました。改めて過去一年 Po3準 備と運営 にご泰力戴いたクラブの皆さ
んに心から感謝申し上げます。
有難うございました。
49
竹
内
三
郎
1)は じめに
21世 紀 に向けて国際社会 の進 むなかで 、□一 タ リーの 活動が国際奉仕 に シ フ トされる
べ きかも しれ ません。 とは言えクラブ として直接国 際奉仕 の実践 にはいささか困難 さが
感 じられ ます。
私は 4年 前地区 ガバナー就任時任期中に地
区として何か適当な世界社会奉仕 を実 践 した
いと考慮 し 、先ず発 展途上国訪間の計画 を建
てました。
そんな折に宮 崎医大 にバング ラデシュか ら
留学 していた医 師 (Dr,カ ーン君 )が 帰 国後
首都 ダ ッカの公的病院に勤める傍 ら休みを利
用 して仲間の医師 と交替で無医地 区にポラン
ティアとして診療 したい 、そのための診療所
をつ く って ほ し い 、との要 請 を受 け ま した 。
宮崎西 RC例 会場にて前田暢俊会長よ り
Dr.カ ー ン君に建設資金贈呈 HlO.6.26
-方 宮崎大学農学部 に 同国よ りの留学生か ら自分の父 が学校経営 をしていたが都合 で中
止 しているので再興のための援助 をとの依頼も受 けました。そこで任期後半 (1月 以降 )
― 度 バング ラデシュに現地調査 に出か ける計画 を建て ました。 ところが 折 り悪 く大統領
選挙 で現地の治安 が悪 いと報告 を受 け 、待機 中雨季 に入 り、交通事情 が悪 く思 うように
行動がとれない 、とて結局任期中に計画 を果たす事が出来 ませんでした 。
その後は―会員 としてのんび り□一 タ リー ライフを楽 しんでいました。そんな 時 に一
昨年例 の医 師か ら再度「何 とか診療所 を」 との強 い要望 があ り、少 し重 くな った腰 を上
げ場合 によればクラブで世 界社会奉仕 を 、と― 昨年 11月 クラブの仲 PB5 3名 で現地 に赴 き
ました。
2)バ ング ラデシュの現状
イン ドの東 方 ベ ンガル湾 に面 したデルタ地 帯で面積は北海道の 2倍 、人 □は 1億2,000
万人 、密度は世 界 一で 、しかもその増加 率は30年 間で 2倍 とな り国は如何 にして産 児制
10年 間の主立 つた出来事 と昔の思 い出
限 す る か 大 きな 政 治
課題 とな っています。
経 済 力 は世 界 ― の
貧 困 な 国 で lヶ 月 の
平均所得 が約
(家 族
2万 円
5∼ 6名 )で
あ りま す 。 地 方 に 住
む 人 々 の 大 半 は 日本
の 縄 文 文 化 時 代 を思
わ す 生 活 で庭 に窯 を
す え 、主 婦 は 、そ の
上 に鍋 を か け終 日効
率 の 悪 い 燃 料 で雑 炊
厚生大臣臨席のもと診療所オープン式典
のようなものを作 り、しかもそれを 1日 1∼ 2度 食 べる程度の生活をしています。とこ
ろが精神面における家族生活は勿論社会生活においてもお互いに助け合 い 、分かち合う
同盟愛 、人間愛に満ちた心豊かな人々であることを随所 に拝見する事が出来ました。
3)医 療 について
詳細な資料 があ りませんが 、医療費 については 、日本の ような健康保険は勿論 な く 、
政府系 (公 立病院 )は 診療 こそ 安 く 、30夕 力 (約 90円 )で すが 、その他の検査料 、手術
途にかな りの高額 を要 します。私的病院は診察料が凡そ 200夕 力 、その他治
料高価薬はЯ」
療費は適 当に請求 されるので一 部の高額所得者以外 の一 般住民は現代 医療の恩恵 を受 け
る事が出来 ません。従 って平均寿命も52歳 と言われています。
4)診 療所 の建設
さて私はこの国の人々の人間性 、豊 かな心 に引かれて少 しでも手助 けする事が出来た
らと診療所設立を決意 しました。そ してカーン君 の義父 が所属 しているダ ッカ ミッ ドタ
ウン RCを 訪問し 、このクラブに診療所設立後の運営を託 して帰 って参 りました。
立 20周 年 の記念事業 としての御
帰国後クラブ会員 の皆さんの賛同 、延岡中央 RCか ら倉」
協力 、その他企業や市内のポ ランティアの方々の支援 によ り必要資金 を集める事が出来
51
ました 。
診療所は首都 ダッカか ら西に55kmで 人 □約 25,000人 の無医村に約 200ぽ の平屋建 、中
央に中庭 を囲んで 9部 屋 、予想以上に立派なものが完成致 しました。
去る 1月 29日 厚生大臣臨席のも と 、宮 崎か ら建設 に支援 して頂 いた □一 タ リー会員 ヽ
ポランティア代表 ら25名 が参加 して盛 大な開院式が行われ ました。
テープカッ ト直後 、開院を待ち佗びていたかのように 3名 の患者が担架で運び込まれ (黄
疸 、急性心不全 、ロイマ性 両膝関節硬直 )こ れ らの人々 を診療致 しました。その 後現地
の医師 の報告で当 日のみで60名 を診療 したとのことでした 。
なお検査機器は地区のDoD.F(地 区財団活動資金 )を お願 いしR。 │.の 同額補助金で購入す
る 予 定 にな って い ま
す。
おわ りに
宮崎西 RCが 提唱 じ
たバング ラデシュの診
療所建設 に対 し 、協賛
を頂 いた 多 くの方々に
心か ら感謝申 し上げ ま
す 。開所 式 に参加 し
て 、地元 住民約 2,000
h
名 にちかい人々か ら熱
オープンと同時に担架で運び込まれた黄疸の婦人
_
烈な歓迎 を受 け 、現地の医療に恵 まれない人達の期待の程が伺われ ました 。
私は今回の国際奉仕活動 を実践 する事 によ り、経済的 に恵 まれな い現地 を訪ね 、物 質
に豊かとな った 日本 に於いては考え られない 、即ち人間が食 べることか ら出発 した原点 、
物の有難さ 、そ してそこに住む人々の人間愛 、心の豊か さを学ぶ事が出来 ました。
これか らこの診療 所建設 を契機 に今後時折この国を訪ねたいと思 っています。
52
10年 間の主立 つた出来事 と昔 の思い出
宮崎 日日新間 に 3回 に互 つて「 医 と心の懸 け橋 」 という タイ トルで掲載 された
1999年
(平 成 11年
)2
=
錦
一
墜睡藝雌彪画 ↓ 痣一
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
=
品な く
ミ
殖二極
平成 11年 2月 5日 ∼ 2月 9日
53
田 崎
博
俊
宮崎医科大 での留学 を終え 、母国バング ラデシュで医 療活動 に取 り組んでいる医 師 ・
カーン ・アズハルル ・イスラムさん は病院建設着工の報告な どで来県 し 、 1998年 6月 26
日には最大の支援団体である宮 崎西 RC(前 田暢俊会長 、83人 )が 開 いた建設資金の贈呈式
に出席 した。
カーン さんはバング ラデシュの ダ ッカ医科大学 を卒業。 1989年 に文 部省留学生で宮崎
医科大に留学。高血圧病などの研究 を続 けてきた 。現在 、ダ ッカの病院の内科医。
8年 PBSの 留学 では妻 の □二 ― さん との PB5に 二 人の男子も誕生。長男の関係では学園本花
台小 PttA会 長を務めるなど地元の住民 らとも交流を深めた。留学中に心を痛めていたのは 、
世界 の最貧国の母 国のこと。無医村 が多く 、公衆 衛生上の問題 か ら寄生虫 、下痢 、高血
圧病で早死が目立 ち 、平均寿命は57歳 。「病院が少 しでも増 えれば多くの命が助かる」。
豊 かな 日本 での生活 を見なが ら考えていた ときに 、支援の手 を投げたのが宮崎西 RCの 会
員で 、元 県医師会会長の竹 内三 郎 P.G.。 宮崎西 RCは 竹内 P.G。 の呼びかけで「 バング ラデ
シュ病院建設特別委 員会」 を結成 。この結果 、宮 崎西 RCほ か 、国際 □― タ リー 、延 岡中
央RC、 宮崎市 、清武町など県内の 多 <の 人か ら資金が寄せ られた。
病院建設地はダ ッカ
か ら西 に 55km離 れ た
ピロジ ャリー村。人 □
2万 5千 人 で 医療 施 設
がな い所。最近 、初め
て電気が通 じたばか り
の街。 カーン さんの所
有 地 が あ り 、宮 崎 西
RC会 員 の代 表 も現 地
調査 して建 設地 に決 め
た。
約 200平 方 メー トル
の平屋の医療施設 が完
54
10年 間の主立 つた出来事 と昔の思 い出
成 し 、 1999年 1月 29日 に現地の ピ ロジ ヤ リ
ー村で オープ ニ ングセ レモニー が開かれた。
本県 か らは建設 を支援 した宮崎西 、延岡中
央 RC会 員 ら27人 が参加 した。
開所 式 には バ ング ラデ シ ュの 厚 生大 臣 、
ダッカミッ ドタウンRC会 員ら約2千 人が出席。
地元 のテ レビ局 や新 聞社 も取材 に訪 れ「 日
本 とバング ラデ シ ュの 懸 け橋 」 とな る診療
所完成 を祝 った。
着 。診療所前 には村民手作 り
― 行は宿泊先 のダ ツカか らバスで約 1時 間半 かけて村 に至」
の色鮮やかな ゲー トや舞台が設 けられ 、ピ ロジ ヤリー高校 の生徒や村民 らが出迎え た。
県民 とバング ラデ シュの人々 の思 いをつな いだ診療所 。そ の名称は「 宮崎 西
央
延岡中
ダ ツカ ミッ ドタウンRC友 好 の診療所」 とな った。 セ レモ ニーで は カーンさんが「 こ
の診療所は私 だけでな くバング ラデ シ ュの人々みんな のものです。支援 してくださ つた
皆さん 、本当にあ りがとう ございました」 とあいさつ 。
これに対 し竹内二郎 P,G.が 「 カーン君が帰国時 に医療の現状 を訴えた のがきつかけで支
援す ることにな った。恵 まれな い人 を助 けるた めにぜひ この施設 を役立て てくださ い」
と英語 を交 えて語 った。 セ レモ ニ ーの最後 に一 行全員 が壇上 に招かれ 、一 人ひ と りに花
が手渡された。
式後は 、完成 した診療所内 をカーン さんが案内 。早速 、竹内P.G.や カーンさん ら医療 ス
タ ッフが患者 の診察 に当た った。平屋建 ての診療所 には 、中庭 を囲んで診療 室 、 トイ レ
な ど9部 屋が ある。
診療所建設 が現実的に動 き始 めた背景には宮崎西RCの 存在 が あった。カーンさんの妻 、
□一ナ ック 。ファジー ・カーンさんが米山奨学 生だ った関係で宮崎 西 RCか ら建設援助 の
話が持ち上が った。
オ ー プ ニ ング セ レモ ニ ー前夜 、カー ンさん宅で開かれ た本県 ― 行 の歓迎会 。そ の場 で
カーンさんか ら竹内PoG.に 一つの贈 り物が手渡された。大 きく引き伸ば された竹内P.G。 の
写真 パ ネル。「 あなたたちの寄付 を決 して忘れな い」。そ こには英語 とベンガル語で―
まれていた。
文が亥」
「 診療所は何 か して あげたい 、というみんなの心の表 れ」。診療所完成 の喜 びを竹内
PoG.は こう語 った。
宮崎 を第 二 の 古里 と呼 び親 しんだカーン
さん。8年 間の宮崎生活で県民 との交 流 を一
つ の 財産 として持 ち帰 った。その 成果 が母
国バング ラデシュで実を結び始めている 。
― 回の診療 費は公立病院 で約 90円 、私立
病院 では 高 いと きは千 円 にもな る。― ヵ月
の収入が平均 二 万 円(五 人家族で)の 人々にと
っては重す ぎる負担だ。
ピロジ ャ リー 村の診療所 ではカーン ・アズハルル ・イスラム さんや 友人の医師 らはボ
ランテ ィア。施 設の維持費や薬代のために一 回約 50円 のみをも らう。で きるだ け多 くの
人に医療を受けてほしいという思いからだ。
1月
29日 のオープニングセレモニー当日ヽ
本格的な診療開始はまだ先にもかかわらず 、
村人の診療所への期待は大き<多 数の患者が
訪れた。「 ここでは医者に診てもらうだけで
思恵 を感 じるのだろ う」 と医 師の竹内三郎
P.G.は □にした。
◇
◇
◇
今 回 、宮 崎西 RC倉 」
立
40周 年 記 念事 業 の一 環
として 、総 額 450万 円相
当の次の医療機器 を現地
に贈呈 した 。
1.顕 微鏡
1.血 液分析装置
1.小 型遠心機
1。
オー トク レーブ
1.超 音波診断装置
その他 、ス ペアパーツ等
10年 間の主立 つた出来事 と昔 の思 い出
菊
地
平
1998年 4月 22日 、和太鼓の勇壮な響 きで 、参加者大拍手 の中 、□一 ター アク ト・チャー
タナイ トはオープンしました。
実に 10回 近くに及 ぶアク ト会員練習 の賜でした。それぞれ職場の異な った会員が一 同 に時
間どりする ことの困難な中での太鼓練習で 、林委員を中心に 、油谷会員 。上園会員と」Cシ
ニアの小城さん ・木浦さんの指導 あって 、共に額に汗しての 日々は 、□一タ リー会員 とアク
場地下
ト会員の強い心の絆 とな りました。太鼓はその都度 、商工会館から借 り出しヽ芸術濠」
心はひとつ"に なったと思われます。
での 2時 PB5-初 顔合せ同士のアク ト会員も汗を通して “
立を提0昌 されて以来
竹内パス トガバナーが 、ガバナー時代わがクラブに □一ターアク ト倉」
数年 、他の先輩アク トクラブの運動が低迷 していただけに 、皆がむずかしい事業 との認識で
先送 りされてきたのは当然でした。
立の手続きに入 りました。会員自身の社員の方が 1人 また
募集 チラシを何回も配布し、倉」
ひとりと応募 あ り、喫茶グルー ビーで第 1回 準備会 をも ったのが 11月 末 、実に委員長任期
5ヶ 月経過後のことでした。
定例会場をどこにするかも大事なことで 、会費に見合う 、そして西 RCら しいところの会
場捜しでしたが 、宮崎厚生年金会館の理事長が元西 RCの 会員黒本勝さんだったこともあり、
岩切 (克 )会 員を通 してお願いしたところ 、格 安 で提供いただき、夕食もナイフ ・フォーク付
のものに心くば りあ って 、準備例会は‖
原調な スター トとな りました。
日高(久 )冨 」
委員長がアク ト経験を生か しての歌0昌 指導 あ り、地区委員 。折元さんもアク ト経
験者で鹿児島南のアク ト・チャータナイ トに共に出席勉強したものでした。
若者の可能性を信 じて 、1人 ひとりにアク トバ ッチを渡す前田会長 、満足 と緊張のアク ト
会員 、苦労報われた一瞬でした。
和太鼓 に引き続き演奏 された会員のバン ドは 、上園会員指導のものでユーイング会場でお世
話にな りました。
難産の子はよく育つといいます。順調な運営がされているフ ェニ ックス ・オーシャン ・□
立時の委員
一ターアク トクラブの原点は 、太鼓の汗 した練習にあったと思います。 ここに倉」
名を記して感謝を表わ します。
冨」
委員長
日高久夫
委員 上田邦雄
太鼓指導
林
委員
務
中村
浩
57
認証状伝薔
認証状伝達式
58
MIYAZAKI― NISHl
PHOENIX OCEAN
JAPAN
10年 間の主立 つた出来事 と昔 の思い出
日
198∼ !99の
GSEリ
高
照
雄
ー ダーとして'99年 5月 にアメリカ中部 シカ ゴの近 くの6540地 区に
行 って参 りました。 '98年 の秋 にデビッ ト・ウイル ソンを リーダーとしてインディアナ北
部地域 の6540地 区から2730地 区に来 ましたので相互研修 のために訪問したのであります。
メンバーは30数 名の応募者 の中か ら選考の結果 、宮崎県 より安岡裕子さん (東 京海上)
井上光朗さん
(宮 崎市役所
)山 本美穂さん
(鹿 児島大学学 生課)有 薗美和 (南 日本新聞)の
4人 が選ばれ 5月 1日 出発 6月 7日 帰着 の 5週 間 に及ぶ研修旅行 に行って参 りました。
本来私 は充分な英語力 があるわけでもなく只外国でわずかなホームステイの経験と好奇心
によって リー ダー を務めさせていただきました。出発 する前に西 RC会 員のマイケル君が若
い頃インディアナ州に住んでいたそうでインディアナ州は広 い農場ばか りで外に何も無 い所
であると言 ってお りました。
シカ ゴ空港 に着いて都心をはなれるとどち らを向いても山は見えず ゴルフ場の中 をどこま
でもハイウエ イがのびている様でさすがアメリカは広いものだと思 い表した。町 にはネオン
の輝 く華やかな店はな く大 きな 田舎でした。それでも地区内には ∪Sス チールの大 工場 、
ハマーの軍用大型車工場 、そして自動車 の歴史の ある国です。スチュー ドベー カー ミュージ
アムやクラシックカー博物館などに案内して頂 きました。
インディアナ州中部には 日本の自動車工場も進出してお ります。私は研修の希望として時
計宝飾のお店とシ ョッピングモールの見学をお願いしてお りましたので毎 日の様に見学させ
ていただきお話を伺うことが出来 ましたので大変参考にな りました。もう―つはベンチャー
精神を高める教育 システムの実態について大学や指導 センターにもご案 内いただ き企業と大
学 と個人が―体化 した非常に実際的なカ リキュラムが充実してお り、そこでは一度社会に出
ている人が働 きながら週に 2日 位夜間の講座で学びライセンスを取得 して自分の収入アップ
と生活の向上にはげむことが出来る様に社会のシステム が出来ているのは大変すば らしい事
であ ります。
出発 に先立 ってメンバー と 5回 程オ リエンテーシ ョン を行いました が6540地 区の地 図と
少い資料 しかな <、 訪問先の受入れ 日程がようやく出発 3日 前に着いたので予備知識もなく
不安な気持ちで宮崎をスター トしました。
シカゴ空港にはハヮイ出身 日系 2世 の山田さんの日本語での出迎えがあ リー安心しその後 、
ホス トRCと ホス トファミ リー先の引継 ぎも順調にはこび各地で温かい歓迎を受け職業研修
については各メンバーの希望に応 じた研修先に案 内していただいたのでその成果は各メンバ
ーの今後の人生とビジネスに役立つことでし ょう。
受入 スケジ ュールにつ いて2730地 区は受入ホス トファミ リー や滞在計画を早 <決 定 し、
相手側にお知 らせしてあるけれ ども 、今回私共は訪 問先につ いて当 日にな らないとわか らな
10年 間の主立 つた出来事 と昔の思 い出
い場合が多くミステ リーツアーの様であった
ので、メンバーの行動がつかめせんでしたが、
ホス トRCの アレンジがなければ企業訪問や
研修が出来なかつたことについては深く感謝
しております。
出席 した RC例 会はいずれも事務局員はい
なくて幹事 が受付か ら例会事項 を処理 し、ピ
アノ演奏の中で食事は ビュツフ エ式で簡単な
メニ ューのセルフサービスでした。例会はア
メリカ国歌 に始 リジ∃一クの飛び交 うな ごや
かな会合で 、ネームプレー トにはニ ツクネー
ムが記入してあり、ハツピーは $1づ つテー
ブルのバスケツ トに出していました。
私共訪問 GS[の ために例会 日を変更 した
リホームパーテイで楽しく受入れてもらったり、
中でも人 □700人 の農村ボズエル RC(メ ン
バー 15名 )の クツクアウ トパーテイでは会員
の演奏やフオークソングでもてなして頂 き特
に印象に残 ってい ます。私共は各地で2730地 区の紹介 でビデオ上映ののち 、各 自プ
レゼン
□
、禾
テー シ∃ンを行ない 、又女性 メンバーによるお点前 には大変興味 を持 って くれましたが
服着用 を期待 していたようでした。
6540地 区大会については 5月 14日 、15日 にわた り、フオー トウエ イン市で開催 され 、G
SEプ ログラムの中で挨拶 と記念品の交換を行な いましたが 、夜のパーテイの招待はなく練
習した歌 やパフオーマンスは出来 ませんでした。
RCに
RC活 動
於ては コミュニテイに対 して日本 とは違 った奉仕活動 を行 ってお り、2730地 区の
者も 100名 位 で簡素な もので した。各
会場 のどこにも大会 に関する看板 はな く参カロ
の方法について視点の違う計画 を行う必要があると感じました。
滞在中はホ テル泊はな く11軒 のホ ス トフアミリーの温 いおもてな しを受けアメ リカの家
ンターネ
庭生活 を経験出来 たことは貴重なものにな りました。お世話 にな ったどの家庭もイ
ッ トが普及 し広い敷地 に大 きい家 で部屋には家族 の写真がお いて あり、緑のガーデンには渡
61
り鳥から朝夕は野兎や鹿が現れてくる 自然の
中でのホームステイであったのは今でも思い
出されます。
私 のチーム の若いメンバー は各地の RCメ
ンバーにとけ込み度々 憩 こちは良いチームだ」
とお誉めをいただきました 。毎年各国からの
GSEを 受 け入れているか らでしょう。現在
アメ リカは好景気のせいか6540地 区の若者
は GSEに 対する関心が薄 く応募が少いとの
ことでした。
私にとっては シカゴにあるポールハ リスの
記念碑 を訪れるこ とが出来たことは □一 タ リ
アン として最高の思い出とな りました。 RI
は毎年 500チ ーム以上をグ ローバル に交換 し
ておる国際交流の大 きな活動であ ります。
最後に CSEに 参加 して貴重な機会を与えていただいた2730地 区の 関係者に く
厚 感謝の
意を現すものであ ります。あ りがとうござぃました。
10年 間の主立 つた出来事 と昔 の思い出
吉同
見
忠
典
平成 10年 8月 22日 疲れも見 せず 、満面に笑みをたたえ 、大柄でブ ロン ドのお嬢さんが宮
。
崎空港 ロビー に現れた。宮崎西 RCの ホ ス トによる交換留学生 として来 日したマー ライオ
ン ・リチヤー ドソン (彼 女は アメ リカ7320地 区ピークスキィル RCを スポンサーとして派
官 、母親はアーテ イス ト、妹の ゾーイを含め 4人
遣された高校 2年 生)で ある。父親は裁半」
家族 の □一タ リアンの家庭で 、三 ュー ∃一クの ゴールデンアップル地区に居住 されている。
当日 、空港に地 区委員として 、大坪氏 、大江氏 、第一ホス トファミリー を担当する私の家
。
ニ ンク R
族 と、当年度西 RCが スポ ンサークラブとしてアメ リカ 7780地 区メーン州 ケ ブ
Cに 交換派遣 される坂田亜希さん
(大 宮高校
2年 生)の 6人 が出迎えを担当した。
異な る言語 、生活習慣の未知との遭遇 に不安を感 じていな いかと、多少 の心配が
あつたが 、
全くの取 り越し苦労であつた。陽気で 、賑やかな人柄に 、華やいだ歓迎の一時を過 した。
だいた
我 が家を振 り出しに 、大江氏 、前田氏 、植松氏 の順にホームステイを担当 していた
が 、心に残る思い出を紹介 してみよう。
ライオンの大宮高校編入 に際 し、学年 とコース選択 の協議を校長室 で行 ったが 、先生方 の
懇切な助言 にもかかわらず 、本人のたっての希望により、文化情報科 2年 生編入 と決定した。
その事は 、後々の修学進度 に随分支障 とな ったようで ある。言語の理解力 の不足は国語 、古
文 、日本史にも直接影響した。活字での 日本文化理解は大変難 しいと、本人の述懐を幾度か
開かされた。むしろ 、校内クラブ活動 (空 手 ・登山)を 通 じて 、学友との交遊を深め 、体験
学習より学んだことが 、よき文化理解とな ったようである。
今回 、大宮高等学校に最大の配慮 をいただいたのは 、交換留学生としての滞在期間が 9ヶ
月余と短 く、単位取得のための学業 日数が不足 していたにもかかわらず 、特別な計いで見倣
じ単位の取得を許可していただいた。
ご協力に深く感謝している次第である。
家庭生活面では 、事前開催の地区委員会のオ
旨導に則し、第 1日 目に我が家の生活上のルー
ルと、彼女の希望 が双方納得合意するまで話し合い 、ホームステイが始 まった 、
特筆すべ き
は 、彼女が魚以外の肉を絶対食 べないことであった。宗教上の理由ではなく、
単なる可哀想
という情緒的趣好が主な理由である。家内と娘は食事に随分気を遣っていた。或る
意味では 、
我が家の健康管理に貢献していただいた。学校生活に必要な品々は 、家族と一緒に整えたが
、
キティち ゃんグ ッズの収集に目がな <、 弁当箱を買い求めた 日のはじ ゃぎ振 りは
、予想せぬ
出来事であ った。
空手を始めてからは 、夕前 の食卓にフォーム を披露 し、長身の彼女が放つ りの
蹴
技 、時な
らぬ奇声の―声に爆笑したものである。
この頃から、彼女の 日本語が際立 って上達 して きた様な気がする。来
日当初 、語学力の乏 じ
い彼女のため 、英語による意志疎通に努めたがホームステイ終盤の頃は
、自ら日本語で積極
的に話すようにな った。
西 RC例 会訪間の挨拶文は 、彼女 自身の労作で 、深夜遅くまで推敲を重ねた
悪戦苦 闘の結
主立 つた出来事 と昔の思 い出
晶であったことを報告しておきます。
西 RC月 見例会 、北 RC月 見例会 、」C国 際交流 フェスタ 、宮崎神宮大祭 の神輿引き、週
末毎の家族との県内 日帰 り旅行 etc… と多 くの行事に参加していただいた。
。
なかでも北 RC上 山会長宅にホームステイしたアルメン ドラ テイア ゴ君 (プ ラジル)を ご
夫婦 と共に招き、大江氏 ご夫妻 にも参加して頂 いたバーベキ ューパーテ イーはホームステイ
のあり方につ き大変良 い意見交換の場とさせていただ いた。
最後に今回の青少年交換留学 に当 り、一番頭を悩 ませたのは 、彼女のお母様 の来 日であつ
た。
旨導要綱 には 、期間中の親 の来 日は固 く禁 じているが 、西 RCの 独 自の判断 によ
地区委員のオ
り国際親善 、国際理解の見地から、お母様の来 日を歓迎 していただけたのは大変有難かった。
心から感謝致 してお ります。
お母様 ご自身で各ホス トファミリー を訪問挨拶 して廻 り、実情を見聞 していただいた。来
日当夜 の銀寿司においての歓迎晩餐会 で 、吉田会長 の熱々たるボ デイランゲー ジは 、通訳の
マイケル氏を上廻る独演会 で 、ホス ト役の大任を充分果 していただ いた。
後 日ライオンのお母様より深甚なる感謝 のお礼状が届 いたことを申 し添えておきます。
各位の ご協力と熱意 により西 RCホ ス トに よる青少年交換留学生 の事業の大任 が奥様方 の
ご墨力によ り無事果 せたことを心よ り御ネL申 し上げます。
就中 、マイケル氏には特段 のご協力を頂 いたことを記 しておきます。
大
江
幸
政
ライオンが第 1ホ ス トファミリーの高見家からわが家に越して来たのは 11月 の初めでした。
いろいろな話は聞いてましたので、お互いのカルチャーギャップにはとまどいはありません
でした。
面白かったのは、座椅子です。わが家の居間はフロー リングに絨毯を敷いて、その上 にコ
タツのテーブルと座椅子をおいています。ライオンは座椅子が面白いのか、シーソーのよう
にギッコンバ ッタンと前後に揺らして遊び、時々後ろにひっくり返ったまま身動きがとれな
くなり、ジタバタしている光景がとてもゆかいでした。
11月 の中旬に少し寒
くなったので、コタツ
布団をかけましたが、
学校から帰って来たラ
イオンのびっくりした
顔は見ものでした。「ヮ
ーオ」と言いなが ら、
中が温かいのを確認す
ると、「 アメ リカには
こんな暖房器具はない。持 って帰 りたい」などと関心していました。冬の
PB5は ほとんどコタ
ツと座椅子で 、うたた寝するかビデオを見ていました。
シ ヤワーは頻繁に浴びて清潔好 きなのに 、部屋はごみだ らけ散 らかし
放題と、へんな癖も
あ りました。
子供 っぽい所があ りまして 、いたずらが大好 きで 、わが家の犬はおもち ゃにされて
怖がっ
ていました。サンメッセ 日南に連れ ていった時には 、ゴルフカー トを運転 したいと
言うので
運転させましたが 、曲が り<ね った坂道をフルスピー ドでぶ っ飛ばし、妻は悲鳴をあげ
させ
られました。「 ノープ ロブレム」と涼しい顔をして 、おち ゃめに笑 っていましたが 、
妻は こ
りごりだ ったようです。
彼女の印象をひとことで言い表すと「 天使の顔 をした 、悪魔のようないたずらっ子」でし
ょう。
66
10年 間の主立 つた出来事 と昔 の思い出
前
田
暢
俊
我が家 では 、 2人 目の留学生を迎えたことにな る。 2人 共ア メリカの女子高生である。
最初は 、17年 前 に 15才 で 日本に来た 、まだ子供の あどけなさが残る何 ともういういしい印
象 を与えたメラニーである。
端正な顔 つ きだが どこかに不安げな様子をかくしきれな いでいる。故郷が恋 しいのか 、は
たまた日本語が理解 できないのか 、ときお リブルーの大きな 目から涙があふれんばか りにな
る。 3ヶ 月を過 ぎて 16才 の誕生 日を家族で祝 った頃から 、ようや く笑顔が見 られるように
な った。メラニーは宮崎商業高校 に入学 し、帰国前 にはたくさんの友人をつくって人気者に
な っていた。アメリカ人にしては恥 しが り屋で控え 目な少女だ。だが 、いつの間 にか達者な
日本語 を操るようにな っていた。
別れを惜じむように帰国して以来 ヽ何通かの便 りをもらったが 、いつも旅先 からである。
アメリカの住所 に手紙を出すが宛先不明で戻 つて くる。技術者で ある父親の転勤 のせいだろ
うか行方がわからな い。それでも 4年 間は一方的 に手紙が舞 い込んできた。その後 、昨年 ま
での 12年 PB5は 音信不通 である。折 にふれ彼女 のことを想 い出してきた。
ところが今年 の正月に手紙が届 いたから吃驚 した。写真 が同封されている。芝生の前庭 に
大 きな樫 の本があ り、それを背景 に白ベンキの家が ある。玄関ポーチに座 っているのはまざ
れもない メラニーである。結婚したらしい。主人 と思われる男性 と茶色の犬が一緒 である。
結婚 したとは書 いていな いが姓が変 っているか ら多分そうで あろう。もう34才 にな って
い
るはずである。なつかしさ と月日の経つのが早 く感 じられ 、過ぎ去 った日から逆算 して自分
の年かさを感慨深 く知ることとな った。
手紙 には 、我々をいたわるたどたどしい日本語 が綴 られている。恐 らく 、アメ リカで使う
ことがなかったのだろうか。それ にしてもよく忘れずに平かな と漢字を覚 えていた と思うと
胸 のつかえが一層高 まって 、家内は顔を覆 って泣 いていた。いやはや 、男も年 をとると涙も
ろくなるらしい。
ペ
さて 、次に登場 するのが 2番 目の留学生ライオンである。百獣 の王ライオンと同じス ル
だが 、背 が高く八頭身の美形である。
高見家 、大江家 についで 3番 目に廻 ってきたホームステイであるが 、なにしろ 日本 の生活
べ
ニ
に周‖
染むのがはやかつたのか 、両家のしつけが良か ったのか 、とにか くメラ ーに比 ると
アメリカ娘 の典型 であろうと察せられる。ただ 、陽気な 日と不機嫌な 日が一定 の周期で くる
67
らしい。ときどき豹変する。
ライオンが ヒョウに変化するのである。一
つ には進 学校 である大宮高校 にも起因する ら
しい。勉強に忙 しい生徒が8隈 をつ くって <れ
な いので限 られた友達だけになる。この 点 、
同情す べ き余地がある 。それでも最初の 1週
PB5は 「 眠れる森の美女」 らしく静かであ った
がやがて活発 にな ってきた 。眠 りか ら醒めた
ライオンの如 く 、身長に比例 して大食漢 にな
ってしまった 。台所 と彼 女の部屋 との往来は
すさまじく、冷蔵庫の扉が過度に開きすぎて冷えるいとまもない。中味は食 べ尽されていつ
も空 っぽにな ってしまう。
我が家はサバンナではないのだ が 、腹一杯 になる とソフ ァーに横たわ って悠然とテレビを
観ながら眠 りにつ <。 日本人の食生活は彼女にとって腹の足しにもな らぬらしい。
われわれ夫婦の食事は炭水化物を主体とした初老期の料理である。脂肪は蛋白質の少ない
食生活に周‖
染むものではなさそうだ。 1週 PB5の 半分は彼女の好みに合わせた料理 とした。こ
の為 、夫婦の体型に変化が生 じ、家内は丸々とな り、小 生な下腹が出てきた。あと 2ヶ
月で
次の植松家に移ることになる。この間 、多少は我 慢することだ。家内は水泳とエ ア ロビクス
に 、小生はフィッ トネスに通う。
おかげで運動量は増えたが体重計の針は元に戻 らなかった。どうした訳か 、スナック
菓子
が好 きでいつも□を動かしている。特にお気に入 りはメロンバンである。アメ リカには い
無
らしい。「お父さん 、これをア メ リカで売ると大儲 けする よ。」 と16才 にしては経営
理念
がしっかししてぃる。
ライオンは 10ヶ 月で 日本 を離れたが 、帰 国後はアルバイ トをして車の免許を取ることに
していた。その後 、彼女から 1度 だけ便 りがきたが元気でいるらしい。別便で彼女の
母親か
ら頂いた手紙 では 日本か ら帰 った娘の成長が著 しく嬉 し<思 うと書いてあった 。たぶん 、
17年 くらい経 ってか ら、芝生の庭 にそびえる大 きな樫の本 をバ ックに 白い家の
玄関ポーチ
に座 ったライオンと主人 らしい男と犬をしたがえている写真が舞い込んで来るかも知れない。
その時 、私達は逆算 して年かさを知 りなが らまた感慨一しおとな り涙するだろう。もし、
彼女が日本 の国と日本語を忘れずにいた ら。
68
10年 間の主立 つた出来事 と昔 の思 い出
植 松 真 弓 (孝
7)
ライオンが初めて我が家にやって来たのは小雨の降る 4月 の日曜日でした。
『こんにちは、ライオンです。』と、しっか り日本語で挨拶 しました。我が家は、ホームス
テイ 4軒 目でもあり、かな り、日本の生活にも慣れていました。 『うちでは、子供達は 、パ
パ、ママって呼んでいるけど、ライオンはどうする ?』 と聞くと『お父さん 、お母さんと呼
びます。』と言います。私にとって、『お母さん』と子供から呼ばれるのは、初めてのこと
で、何だかちよつと、くすでったいような気分を味わい意した。
心配だったのは、ライオンが、肉はまるで食べない、という点でした。聞いてみると 、本
当に、肉はほとんど□にしないとのこと。将来的には、完全なベジタリアンになりたいと言
うことでした。家では 、それまで 、主人も高校生の息子も肉好 きなことから、肉中心の食生
の
活でした。それが 、肉が食べられないというライオンを気遣って、豆腐 、魚 ヽ野菜中心 暮
らしにな りました。
一番困ったのは 、お弁当のおかずでした。魚も日本的な焼き魚や、煮魚はダメで、野菜も
『
煮物はあまり好きではないというので、いろいろと頭 を悩ませました。友人に、 ねえ、何
か、野菜や豆腐 、魚のおいしいメニューなあい ?』 と聞いては 、一緒に考えても らったりし
ました。
5月 の母の日、夜 、ライオンが私に、
『お母さん、これ。』と小さな包みをくれました。 『何 、これ ?』 と聞くと、『今日は母の
い
日だから…』と、にっこり笑いました。こんなに短い間の母親なのに、なんだか申し訳な
気持ちでしたが 、ちょっぴりうれしい母の日とな りました。
毎日、学校から帰ると、食事を作る私のそばに座って、いろいろな話をしてくれ ました。
ライオンにとって、アメリカと日本の考え方の違い、生活習慣の違いは、かな りの驚きだつ
たようです。私も 、ライオンから聞く『アメリカ』は 、今 まで本やテレビなどで知っていた
ものとはずい分違 っていました。アメリカに帰ったライオンからもらった手紙にヽ印象的な
言葉がありました。
『日本にいるとき、日本おかしい思った。アメリカ帰つて、アメリカおかしい思う。』
ライオンも、2つ の国を見て、いろいろな事を感じたのだと思います。
ライオンの可愛さにふれたのは、ライオンが帰国し、私も成田まで送って行 ったので 、東
一
京か ら帰って、ライオンの部屋をのぞいた時でした。彼女が使っていた机の上に、自分で
69
生懸命 ラッピング したのでし ょう 、あまリス
マー トではないけれど 、かわいぃ包みが何個
が置いてあ りました 。開けてみると 、私や主
人 へ のプ レゼン トでした。そんなにお金のか
か ったものではあ りませんでした が 、ライオ
ンの気持ちがとても嬉し<思 われました。
帰国してから、何回か手紙をもらいましたが、
頑張 って勉 強 している ようです。ただ 、書い
てくる 日本語が、少しずつ変になってきていて、
残念な気がし ます。 やは り言 葉 というの は 、
日々 、触れ ていないと忘れてしまうものなの
ですね。
ライオンは 、将来 、お医者様にな りたい 、と言 っていました。いつか 、
素敵なお医者様に
な って 、また宮崎を訪ねてくれる 日を 、心待ちにしています。
ヽ
ヽ
■
増
70
10年 間の主立 つた出来事 と昔 の思 い出
田
崎
高
伸
こよなく酒を愛した父でした。 1日 の診療を終えて 、上半身肌にな り、ぬれタオルを肩に
かけて母を相手 に笑顔でビールを飲む父の姿が今 でも時々想 い出されます。
□一タ リー では職業奉仕が重要な部門ですが 、患者さんを大切 にする良 い医者だったと思
っています。高 い医療費もとらず 、他の医師からも っと高くとってくれと注意 をうけた こと
もありました。学問の面から云うとヽ私は父 を尊敬 していました。私 が ドイツ語の教科書 の
両端 に新 しい単語 の訳を書いているのを見て 、何も教えな いのに自分 の学生時代と同 じこと
をしている「親子だな あ」と云 つた こともあります。
また父の手伝 いをする際メチレンブルーと云う染色液で 、細菌を染めていると、「 そんな
に時間をか けなくても いいじゃないか 、この液 の特徴は瞬時 に染 まることだよ」 と教えて く
れました。今 はほどんどあ りませんが第 4性 病 の膿
(う
み)を 満州 で毎 日毎 日雄 リスに接種
して 、世界で初 めて病原体を発見 したのも父 だったとのことです。東京 の学会で発表 しよう
としたところ 、東大出の思師から、東大 をさしおいて発表 してはな らない と云われ 、この大
切な部分だ けカッ トされたのは 、人生で最も悲 しかったことの一つだと云 つていました。
しばらくして 、東大伝染病研究所の宮川先生が 、ネズミで成功して 、第 1発 見者 とな り「宮
川小体」 と命名されました。父 の死後私が20年 以上も翻訳 を依頼されていた ハウ トアルツ
トと云う ドイツの有名な雑誌に父 の論文が引用されていた ことにも驚 きました。開業医 とな
った後も自分 はまだ学問を続けたかつたが 、お前達 を教育するためにこの仕事をしているの
だと、何度云われた ことでしょう。
こんな父が生き生きとな ったのは 、□一タ リアンにな り、西ク ラブの会長 にな ってからで
す。本当に □一タ リーが好きで した。最初 の式典は 、しののめ町の当時出来 たばか りの医師
会館 で 、大変にぎやかだつた とのことです。例会 は今はなくな りましたが 、橘百貨店 の食堂
でした。金曜 日になると立派な スーツに着替えて嬉 しそうに出かけたものです。
□一 タ リーの精神 に基づいてか 、スーツは必ず □一 タ リアンの大古殿 さん (大 丸洋服店 )
でつくりました。
私が家内 を福岡から婚約 したいと連れ て来た時も 2人 を例会にさそ って皆様 に紹介 してく
れました。国際奉仕月PBSの 卓話 にキ リス ト協会 の吉間磯吉牧師 を呼んで話 してもらったのも
印象的 でした。外国人 も少なかったのです。
5年 誌をつくる時 には 、自分が中心 とな り毎 日構想 を練 っていました。色々な バッヂや認
71
定証は頼 まれて接写 レンズを用 いて私が撮 りました。
□―タ リーを愛し、ゴルフを愛し、酒を愛した父だったと思います
。
私も父のあとを継いで皮膚科を開業した後 、同じ西 □― タ リーに入会 しましたが 、
初代会
長の息子として 、多くの方々に愛されて来ました。20年 以上にな りましたが 、父の親
友の方々
も次々とい らっし ゃらなくな り淋しさを覚えています。
□― タ リーも非常にスマー トにな って来 ましたが 、父の時代からの
特徴である親睦の精神
は大切にしていただ きたいと思 っています。
最後に昭禾
□44年 5月 には母と―緒にハワイの国際 □― タ リー世界大会に出席 しています。
この時のことを書いた父の「 ハワイ紀行句集」が手元にあ ります。写真や地図もあ
り真面 目
で几帳面な父の性格が出ています。一句のみ紹介させていただ きます。
レイ受けてカメラ涼し<写 し合う 茶山 (俳 号)
72
10年 間の主立 つた出来事 と昔 の思い出
宮
下
廣
計
宮崎西 □― タ リーク ラブが創立をされて40周 年 の記念式典を祝うことが出来 るのは意義
深く、真 に有難いことであ り、そして何と月日の経つのは早いものだ と実感 いたします。
昭和 35年 は 、敗戦の シ ョックと荒廃か ら、日本が漸 く立ち直 って ヽ池田勇人内閣の経済
高度成長政策 が軌道に乗 って 、社会全体が活気を呈 して来た時であ り、宮崎市 に 2番 目の □
立されるチヤーター メンバーに 、最年少者 として指名を受けて感激をし
一 タ リークラブが倉」
。
て 、新 しい □一タ リークラブ設立の意義を、故池 田鋼士郎 ・志多熊吉 太 田良一氏 らの大先
輩からレクチヤー を何回も受けて 、若 き胸をときめかせました。
明治生れの頑固な気骨 と、厳格さで私を教育 していた父も 、私の入会を無条件 で賛同して
喜んで くれました。
4月 8日 から始 った例会場は 、旧橘百貨店 の 5階 の大食堂の別室で 、最初 の頃は和室の畳
の間でしたが 、洋室に改装され表した。
金曜 日と云う例会 日はデバー トのバーゲンセールの 日が多 く 、雑踏の中を人 を掻 き分けて
会場に行 った記1意 が有 ります。此の混雑 を避ける ことが 、後 日、昭和41年 に新装オープン
されたホテル ・フェニ ツクスに例会場が変更された原因にな りますが 、当時 、西クラプの会
義専務 が「 クラブの為に会場 を折角改装 したのにチェンジする
員であった橘百貨店の後藤貝」
ことは残酷物語 りだよな。」 と些か憤満そうに私 に洩 らしていたことを思い出します。
最初 の頃 、当時の宮崎交通(株)の 岩切章太郎社長が □一 タ リークラプの綱領に就 いての造
詣深 い卓話に感動を覚 えました。
。
会員は僅 かに25名 で私は 、故竹野融会員 (元 パス トガバナー)の 下で冨」 S・
A・
Aと して
会場づくりや 、その年の秋 に旧医師会館で日向クラブと共に盛大 に開催したチヤーターナイ
れなことなので 、設営業者 を 2社 にダブ ツ
トの会場づくりに奔走いたしました。何分 、不層‖
て発注した事 で 、前 日にな って 2社 とも工事に応 じない為に 、徹夜で作業 をした ことなど失
敗点も多いのですが 、それ らのこともなつかしい思い出であります。
当時は 、九州全体が一地区であ り、満員の伝達式と祝賀会 であり意した。
そして 、翌 36年 の 5月 に 、東京の晴海 の国際貿易 セン ターで 、□一 タ リー世界 の国際大
会が華々 しく開催されました。故植松熊太郎 ・田中博規会員 らと共に私も参加いた しました。
昭和天皇の独特のアクセン トのお祝いのお言葉や 、池田総理が祝辞の中で「一 国の総理で
ある私 と雖も □一 タ リアンになる資格が無い」 と□一タ リアンに敬意 を表したユーモアのあ
73
るスピーチ 、世界 の各 国から民族衣装を纏 ったご夫人達 の国際色豊かな会議に強い印象が残
っています。
昭和 39年 に東海道新幹線ができ、戦後の 日本の復興 と驚異的発展を全世界にアピールし
た東京オ リンピックが開催されて 、当時の 日本の溌束」
とした活気が社会に渋 っていた状況の
頃であ ります。
宮崎西クラブで創立 20周 年記念の時に 、会 長をつ とめましたの で 、□一タ リークラプの
目的を再度認識を新たに勉強いたしましたが 、式典の挨拶で論語の「温故知新」の言
葉を引
用 して 、音の事を知 って日々新たに見識を深めて発展 して行く事を心掛 けようとお話しいた
しました。又 、その秋には 、全 国国体が宮崎で開催 されて 、□一タ リー クラブ会長として昭
和天皇のお迎えを県庁でいたし、指呼の間で玉顔を拝 した光栄に浴しました。
言う迄もなく 、宗教 ・人種 ・政治 ・イデォロギー を越えて 、人類が平和に共生し、発
展す
ることが □一タ リーの目的であ りますが 、今後も 、健康に恵 まれて 、例会で異業 との
種
方々
との出会い 、親 しい友人 との人生の語 らいで勉強 し乍 らつとめ を果 し度い所存です。40年
間を回顧 して 、初代の田崎亀夫会長や数多 <の 故人 とな られた会員の方々の生前 の面影を偲
び 、受けたご厚誼に心から感謝 してご冥福を祈るもの です。
西クラブは若い素晴しい人達が多 <な り、若い会員のパイタ リティーに依 って 、更に立派
なクラブとして発展することを期待 いたします。
会員の皆さんの 、今後とも変 らぬ御ロ
ヒ声とご鞭撻をお願いいた します。
74
と昔の思 い出
10年 間の主立 つた出
田 崎 博
俊
宮崎西クラブは早 くからホーム ページを開設 しています。地区内ではもちろん 、九州でホ
ームベージを持 った第―号のクラブです。
現在はホーム ページを「 宮崎西 □一タ リークラブニ ュース」として毎週更新 しています。
日玉は「宮崎西RC週 報」で 、ここには週報をほぼ全文掲載 しています。 メークアップが
。
続き 、なかなか自クラブに顔を出せな い会員も 、自宅 職場からwebを 使 って宮崎西 クラブ
の例会 の様子を知る ことができますので 、退会防止 にもつながると思います。それにキーワ
ー ド検索 ができますので 、例えば ガバナーの公式訪間はいつだつたかな ?
をされたかな ?
どんなア ドレス
といつた時も 、その時の週報 を瞬時に取 り出す ことができ表す。現在 は 、
印刷物 の週報とweb上 の週報の二本 立てですが 、いずれはペーパー レスの時代が来 るのでし
ょうか ?
また 、ホーム ページの「 □一タ リーの友 レビュー」 には 、会員 に配布され る以前に □一タ
リーの友 の抄録を掲載 しています。遠 くでは第2820地 区 (茨 城)の 東海RC雑 誌委員会 も 、
この宮崎西ク ラブの レビューをインターネッ トから取 り出して会員 に配布し□一タ リーの友
の解説をしています。
RIも インターネッ ト
の活用を強 く求めてい
ます。 □一タリアンも
時代の波に乗 り遅れな
いようにコンピュータ
ーで遊びたいものです。
http://wwwoc―
medic.co.ip/rotary/
75
田
崎 博
俊
□一 タ リーの友 (英 語版 を含む)に 掲載記事 (1991∼ 2000年 )
タイ トル ー 覧
発行年月。
号数
タ イ トル
投稿者
NOV.1991 voL.39 NO.11 フアイナル ビジター に証明書
田崎博俊
NOV.1992 VOL.40 NO.11 ロー タリー内 と外
田崎博俊
MAY。 1993 VOL。 41 NO.5
ロー タリー クラブ定款 に見 る出席規定 の
田崎博俊
移 り変 わ り
OCT.1993 VOL.41 NO.10 カ ー ン さんへ 研 究助 成金
田崎博俊
JAN.1994 VOL。 42 NO.1
私 の卓話 と島津 PG
田崎博俊
APR.1994 VOL.42 NO.4
盲導犬 を贈呈
田崎博俊
OCT.1995 VOL.43 NO.10 つ なが った青森 ∼鹿児 島 。宮崎
DEC.1995 VOL.43 NO。
12
『友』英語版 No.44 1996
MAR。 1997 VOL。 45 NO.3
MAR。 1997 VOL.45 NO.3
JUN.1997 VOL。
45 NO。 6
AUG。 1997 VOL。 45 NO.8
OCT.1997 VOL。 45
地区「友J委 員田崎博俊
おめでとう河野景子さん
田崎博俊
CongratulatiOn Keiko Kono
Hirotoshi Tazaki
ホ ー ム ペ ー ジ 開設
田崎博俊
『友』へお送 りいただいた本 /夢 と魔法の
王国 β
今 か らで も遅 くは ない
喜島健 一郎
健康 ひ と くち メモ
NO。 lC F友 』へ お送 りいただいた本 /ロ
田崎博俊
村 上四朗
ー タリー
田崎博俊
の友 レビュー
DEC.1997 VOL.45 NO.12 会長が 60歳 で大学 ヘ
MAY.1998 VOL.46 NO.5
新 ロー ター アク トクラブ /
田崎博俊
田崎博俊
宮崎西 フェニ ックス 。オ ー シ ャ ン
OCT。
1998 VOL。 46 NO.10
MAY.1999 VOL.47 NO.5
RAC認 証状伝達 式
田崎博俊
バ ングラデシュ に診療所 を
田崎博俊
MAY.2000 VoL。 48 NO.5 卓話 の泉 (採 用記事 )/医 薬分業
76
田崎博俊
名
氏
生年月日
S7.1.10
委 員 会
社会奉仕
秋
山
久
シニ ア ・アクチブ(日 本料 理)
(有 )江 戸銀 店主
中央通 2-6
宅
月見ケ丘 1-7-4
職業分類
勤 務 先
自
男
S8.6.14
委 員 会
国際奉仕
職業分類
勤 務先
シニア・アクチブ(内 科医)
医療法人 社団敬寿会 阿南内科医院 理事長・院長
宅
名
氏
生年月日
委 員 会
宅
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
自
宅
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
自
宅
清水 3-2-50
市
来
25-2255
27-8640
斉
S7.12.24
会 員選考
シニ ア ・アクチブ(外 科 医)
市来内科 ・外科 医院 院長
和知川原 2-14-2
和知川原 1-26
伊集院
宏
L
E
下
自
丁EL
丁EL
清 水 3-2-50
L
E
丁
職業分類
勤 務 先
育
23-4441
54-7285
名
氏
生年月日
阿
南
丁EL
丁EL
25-1888
29-0639
三
S26.8.27
クラブ会報
火災保険
住友海上火災保険(株 )宮 崎支店 支店長
第 一 宮銀 ビル6F ttEL
橘通東 1-7-4
丁EL
コスモ川原801
川原町 5-10
丼手脇
万
34-1241
38-7684
詔
S19。 10.8
新世代
専 門学校
宮崎 ビジネス コンピユーター専門学校 校長
丁EL
高千穂通 2-4-37
丁EL
清水 3-3-24
27-6502
24-8319
77
名
岩
城
義
生年 月 日
S28.12.
委 員 会
クラブ会報
内科医
職業 分 類
勤 務 先
氏
名
生年月日
いわき内科 院長
松橋 1-17-29
松橋 1-17-29
岩
切
克
丁EL
丁EL
宏
会計
地 方銀行
(株 )宮 崎太 陽銀行
切
承
S24.6。
委 員 会
雑誌
書籍販 売
職 業 分類
勤 務 先
秀
雄
S9.4.25
親睦
ラジオ放送
岩
切
宏
代表取締役社長
委 員 会
社会奉仕
建築 設計
(株 )岩 切設計 代 表取締役
鶴 島 4丁 目 5番28号
清水 3-8-4
勤 務 先
L
E
丁
S19。 12.
L
E
丁
生年 月 日
職 業 分類
L
E
丁
(株 )エ フエム宮崎
祇 園 2-78
大坪 東 1-22-8
L
E
丁
名
切
52-5700
22-6362
22-3344
53-0327
海柁
氏
岩
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤務 先
(有 )岩 切書店 代表取 締役
大字 赤江字飛江 田 942-10
松 山 2丁 目 3-6
L
E
丁
氏
名
生年月日
78
岩
24-2111
50-5031
自 8
名
生年 月 日
L
E
丁
常務取 締役
橘通 西 3丁 目 3番 27号
天満 1丁 目 3-13
氏
24-2011
20-6710
S14.5。 23
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
博 3
氏
23-4785
29-4024
名
稲
倉
生年 月 日
S14.
委 員 会
出席
職 業 分類
委 員 会
職業分類
勤 務 先
自
宅
名
氏
生年月日
宅
名
氏
生年月日
宅
名
氏
生年月日
宅
(株 )YO∪ ING<ユ ー イング>代 表取締役社長
神宮東 2丁 目 3-43
神富東 2丁 目 3-43
上
田
邦
丁EL
YO∪ ING BILD4F ttEL
27-7834
23-9120
雄
S18.3.17
職業 分類
総合設備
日栄産業 (株 )代 表取 締役社長
花 ヶ島町柳 の丸 546番 地
阿波 岐原 町前 浜 4276番 地 996
植
松
孝
24-7225
26-9960
一
S27.2.5
親睦
石油販売
植松 石油商事 (株 )代 表取締役社 長
橘通 西 4丁 目 2-30
神 宮 1丁 目 118番 地
内
村
S8.5。
龍
22-5405
28-5567
祐
14
プ ログラム
シニ ア ・アクチブ(セ メン ト販売 )
内村龍祐 橘通連絡所
橘通西 4丁 目 3-26
生 目台東 1丁 目29-3
L
E
丁
自
□― ター アク ト
音響 。映像 シ ステ ム
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
朗
L
E
丁
自
53-1411
53-1411
13
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
哲
1。
L
E
丁
自
園
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
上
S26。
L
E
下
名
氏
生年月日
シニ ア 。アクチブ(胃 腸科医)
稲倉胃腸科 院長
大塚町馬場崎3554-2
大塚町馬場崎3554-2
L
E
丁
勤 務 先
孝 6
2
正 2.
氏
27-7070
55-1887
79
氏
名
生年月日
宅
藤
清
隆
会員 増 強
衛生管理
(有 )ユ ウセ イ
代表 取締役
大字 田吉字 東 前 島 2205-4
源藤町源藤863-23
グリー ンヒルズマンシ∃ン504号
名 日 会 類 先
朝員勤務
氏 生 委 職 勤
大
江
S25。
幸
L L
E E
丁 丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
衛
S23.4.16
53-3286
53-0893
政
10.5
R情 報
整 形外 科 医
医療 法人幸秀会
大橋
1-94-1
1-62-2
大
薗
大橋
名 日 会 類 先
朝 員 勤 務
氏 生 委 職 勤
S19。
大江整形外 科病 院
理事長・院長
丁EL 25-6300
丁EL 22-4869
治
英
11.19
会員増 強
大 塚 ― 止
丁 6.6.15
インター アク ト
職業分類
シニア・アクチブ(農 学研究)
L
E
丁
氏
名
生年月日
委 員 会
L
E
丁
シニア・アクチブ(建 築付帯工事)
オーゾノ建材(株 )代 表取締役
大字瓜生野4184-1
霧島3-109-1
41-O001
26-5815
勤 務 先
宅
氏
名
生年月日
委 員 会
小 川
丁 15。
R情
次
56-5307
男
7.1
報
シニア・アクチブ(産 婦人科医)
小川産婦人科医院 院長
清水 3-3-29
L
E
丁
清水 3-1-22
80
丁EL
L
E
丁
職業分類
勤務 先
希望 ヶ丘 3-21-30
24-1016
28-1527
氏
名
押
川
幸
男
11.16
S30。
委 員 会
親睦
職 業 分類
キ リス ト教
日本 キ リス ト教 団
勤 務 先
宮崎教 会
牧師
名
氏
生年月日
小 田原
義
L
E
丁
別府 町 3-14
別府 町 3-14
征
名
氏
生年月日
宅
名
氏
生年月日
宅
名
氏
生年月日
委 員 会
宅
丸
憲
史
社会奉仕
社会保 険 労務 士
金丸 労務管 理事務所
鶴 島 3丁 目 57番
東 大富 1丁 目 14番
所長
2号
22-6300
28-1732
││1野 良 博
S31。 9.5
□一 タ リー 財 団
酒類販売
宮崎 中央酒販 (株 )代 表取締役社長
祇 園 2-46
松橋 2-6-33
L
E
丁
自
金
50-9191
20-9540
S30.6.21
L
E
丁
職業分類
勤 務 先
副 S・ A・ A
警備保 障
宮崎総合警 備 (株 )常 務取 締役
生 目台 西 3丁 目 4番 地 2
江平東 町 11-1パ ー クオーシヤン203号
L
E
丁
自
一
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
憲
L
E
丁
自
丸
23-7777
24-4938
S16.5.31
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
金
L
E
丁
シニア ・アクチブ(不 動産業 )
常盤産業(株 )代 表取締役
南花 ヶ島町336-1
下北方町常盤元 1051
L
E
丁
職 業奉仕
職業分類
勤 務 先
宅
28-9533
28-9533
S19。 4.5
委 員 会
自
L
E
丁
生年 月 日
23-5368
22-3368
81
名
氏
生年月日
世
義
S16.11.23
社会奉仕
建築 工 事
宅
神 崎建設 工 業 (株 )代 表取 締役
稗 原 町 63-1
和知 川原 2丁 目98-3
名
菊
会員増 強
シニ ア ・アクチブ(化 学肥料販売)
(資 )菊 池商店 代表社員
橘通西 4-3-29
橘通西 4-4-25
名 日 会 類 先
朝 員 勤 務
氏 生 委 職 勤
島
インター アク ト
シニア 。アクチブ(薬 局)
(株 )プ ロフェッシ∃ナルファーマシーズ 代表 取締役
久
保
S33.8.5
丁EL
丁EL
32-3277
52-3654
裕
代表取締役
L
E
丁
プログラム
茶販売
(有 )宮 崎美老園
前原町 11-2
月見 ケ丘 1丁 目28番 32号
82
30-2323
24-9298
健 ―郎
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
24-2243
24-3091
S22.4.18
橘通東 4丁 目 6番 18号
淀 川 3-2-28
氏
名
生年月日
L
E
丁
喜
L
E
丁
職業分類
勤務先
菊 地
平
S8。 11.28
会長エ レク ト
シニ ア ・アクチブ(コ ンピュータ)
(株 )エ ム ・オ ・エ ス 代表取締役社長
島之 内6333-3
東大宮 2-26-31
L
E
丁
委 員 会
職業分類
L
E
丁
S5.5.2
氏
名
生年月日
委 員 会
25-1233
27-8262
皓 一郎
池
生年 月日
勤 務 先
L
E
丁
氏
崎
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
神
22-2836
53-7402
20-6959
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
名
氏
生年月日
木
寛
出席
管 工事
二 葉設 備 工 業 (株 )代 表取締役
清水 1丁 目 13番 16号
丁EL
清水 1丁 目 13番
丁EL
古
16号
保
賀
後
藤
一
委 員 会
親睦
職 業 分類
プロバンガス
東亜ガス(株 )専 務取締役
祇園 2丁 目58番 地
大島町南窪772-14
名
氏
生年月日
委 員 会
小
林
貞
雄
会長
シニ ア ・アクチブ(テ レビ放送)
(株 )テ レビ宮崎 代表取締役社長
祇園町 2-78
曽師町 139
宅
名
氏
生年月日
委 員 会
自
丁EL
34-5222
丁EL 26-4024
久
堺
丁 13.1.24
職業奉仕
シニア ・アクチブ(医 薬品販売)
(有 )誠 調剤薬局 代表取締役
大瀬町 ニ クマ2176-5
宅
広島 1-15-26
職業分類
勤 務 先
22-3414
31-8511
S7.5。 28
職業分類
勤 務 先
自
L
E
丁
S29。 7.
L
E
丁
生年 月 日
勤 務 先
25-3411
54-5290
臣 6
名
L
E
丁
クラブ会報
民間放送
(株 )宮 崎放送 常務取締役
橘通 西 4-6-7
大塚 町樋 ノ ロ 1998-3
氏
28-5678
32-2010
Sll.3.10
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
黒
S26。 3.27
下EL
丁EL
44-2722
28-2280
83
氏
名
生年月日
委 員 会
氏
名
生年月日
氏
名
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
宅
84
社会 奉仕基 金運 営
シニア・アクチブ(総 合建設コンサルタント)
(株 )国 土開発 コンサルタント 代表取締役社長
大 工 3-155
江平東 1-7-29
柴
田
博
24-6487
26-1808
文
S21.7.7
社会 奉仕基 金運 営
ビル 管理
第 一 ビル管理 (株 )代 表取締役
吉村 町大 町 甲 1990
原 町 3-3
白 石
民
24-6667
27-8626
彦
S28.8。 15
クラブ会報
企業保険
住友生命保険相互会社
高千穂通 1-6-35
宮崎支社
川原 町 5-12コ スモ川原 502丁 EL
新
恵
S2.9.2
丁EL 26-1611
090-8658-3550
誠
職業分類
シニ ア・ アクチブ(防 災設備)
(株 )ホ ー チキ宮崎
桜 ヶ丘 25-4
桜 ヶ丘 25-4
代表取締役
L
E
丁
宅
彦
L
E
丁
氏
名
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
克
L
E
丁
宅
多
L
E
下
委 員 会
職業分類
勤 務 先
志
52-4545
51-3240
S16.3。 24
L
E
丁
宅
恒久 1-3-30
大字恒久 1-3-3
L
圧
丁
職業分類
勤務 先
会員選考
シニア 0ア クチブ(レ ンタル業)
(有 )ダ スキン佐原 代表取締役
L
E
丁
宅
佐 原 正 晃
S6.4.19
L
E
丁
名
氏
生年月日
委員会
職業分類
勤務 先
47-1230
47-6148
宅
名
氏
生年月日
宅
忠
プログラム
シニア・アクチブ(葬 祭)
綜合葬祭みやそう 代表取締役
江平東 1丁 目 7番 40
花 殿 5-4
三
竹 内
丁 10。
委 員 会
世 界社会奉仕
職業分類
勤 務 先
シニ ア・ アクチブ(病 院)
竹内病院 院長
霧島 2-260
霧島 2-138
名
氏
生年月日
宅
名
氏
生年月日
委 員 会
宅
新 世代
保 険代 理 店
(有 )日 の 丸保 険 セ ンター
和 知 川原 1丁 目24-2
和知 川原 1丁 目24-2
田
崎
高
代 表取締役
24-1432
27-3624
伸
S13.5。 26
社会 奉仕 基金運 営
シニ ア ・アクチブ(皮 膚科 医)
田崎医院 院長
高松町 4-42
高松町 4-42
L
E
丁
自
一
L
E
丁
職業分類
勤 務 先
順
L
E
丁
自
田
26-0123
24-6550
S24。 12.18
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
武
L
E
下
宅
9
L
E
丁
自
25-4444
32-5015
郎
名
氏
生年月日
8。
52-7250
52-7250
典
L
E
丁
自
見
L
E
丁
委員会
職業分類
勤務先
高
S8。 2.3
L
E
丁
自
鈴 木 敏 道
丁 14.6。 30
R情 報
シニ ア・ アクチブ(男 子服販売)
す ヾや 代表取締役
月見 ケ丘 1丁 目7-9
月見 ケ丘 1丁 目7-9
L
E
丁
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
23-2861
22-0139
85
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤務先
田
崎
博
俊
S24.5.13
広報
薬剤 師
センチュリーメディック(株 )
高松 町 4番 40号
原 町 9番 1号
名
本
秀
S27.8。
委 員 会
クラブ会報
広告取扱
職 業 分類
勤 務 先
委 員 会
R財 団
職 業 分類
シニ ア・ アクチブ(酒 類製造)
トヤマ産業 (株 )代 表取締役
下北方町平の下 5200-2
大字新名爪 1288
氏
名
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
崎
康
27-0124
39-2292
啓
S25。 8.8
雑誌
印刷業
(株 )長 崎 印刷
宅
大塚 町京 園 3101
名
長
友
敬
L
E
丁
専務 取締役
船塚 町 1丁 目23番
L
E
丁
氏
長
L
E
下
S14.
L
E
丁
生年 月 日
勤 務 先
L
E
丁
山
L
E
丁
外
26-6525
29-3904
博 6
名
(有 )ザ ・OFFIC圧 代表取締役
新別府町前浜 1401-19
新別府町前浜 1401-19
一
二1
︲
氏
25-8262
54-4853
治
10.23
S30。
委 員 会
□一 ター アク ト
職業 分類
旅館
勤 務 先
(有 )ホ テ ル浜荘
吾妻 町 151
吾 妻 町 61-2
常務取 締役
L
E
丁
生年月 日
L
E
丁
86
暉
生年 月 日
28-9629
29-0616
雄 8
︲
氏
代表取締役
丁EL
丁EL
24-3019
32-2629
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
自
宅
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
自
宅
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
自
之
義
S29。 3.5
クラブ会報
証券業
日興証券(株 )宮 崎支店 支店長
丁EL
橘通 西 4-1-32
■
901モ
セ
地
レス
ト宮崎
175番
目
1丁
丸山
中
浩
村
会 員選考
シニア ・アクチブ(ホ テル)
フ エニ ツクス国際観光(株 )
大字塩路浜山3083
下北方町戸林 5350-1
西
岡
代表取 締役 副社長
丁EL 39-3431
下EL 25-7916
恒之助
S2.6。
11
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
宅
西
岡
昌
丁EL
丁EL
27-3311
27-3314
志
S30.11.23
副幹事 。出席
食料 品卸
(株 )西 岡商 店 代 表取 締役
港東 1丁 目 7番 4
吉村 町別府原 甲 1671-17
橋
本
善
L
E
丁
宅
24-5151
32-8571
S7.5。 20
L
E
丁
職業分類
勤 務 先
自
野
新世代
シニ ア・ アクチブ(酒 類販売 )
(名 )西 岡雄 一郎商 店 代表社員
上野町 2-16
上野町 2-16
宅
名
氏
生年月日
委 員 会
自
中
29-8100
25-3205
吉
S2.5.11
雑誌
シニア ・アクチブ(洗 剤販売)
(株 )り エンケミカルハシモ ト
橘通西 5-3-24
神宮 1-22
代表取締 役社 長
丁EL 22-2898
丁EL 24-6970
87
猛
12.
職業 奉仕
林
世 界社会奉仕
土木 建設
林 産業 (有 )代 表取 締役
丸 山 2-291-1
丸 山 2-291-2
朝員勤務
名 日 会 類 先
氏 生 委 職 勤
インター アク ト
和食料理
(有)海 幸大和 代表取締役社長
大和町39-1
丸山 2丁 目78-6
日 高
照
S7.1.30
国際奉仕
シニ ア 。アクチブ(時 計 。
貴金属販売)
(資 )日 高時計宝飾店 代表社員
橘通 西 3-10-36
神 宮西 1-38
日
高
久
S26.4.5
24-4757
24-4758
夫
L
E
丁
クラブ会報
菓子
お菓子の日高 代表取締役
L
E
丁
橘通 西 2-7-25
元 宮町 8-40-1
88
28-1234
22-6598
雄
L
E
丁
委員 会
職業分類
勤務 先
朗
L
E
丁
氏
名
生年月日
三
24-6523
26-1705
7.29
L
E
丁
宅
S25。
L
E
丁
氏
名
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
日 高
L
E
丁
委 員 会
L
E
丁
S22.10.11
勤 務 先
39-3911
53-7124
務
生年月 日
職 業 分類
L
E
丁
シニア・アクチブ(都 市ガス供給)
宮崎ガス(株 )代 表取締役社長
阿波岐原町野間311-1
大字赤江545-29
L
E
丁
名
砂
S4。
敏 。
2
名 日 会 類 先
朝 員 勤 務
氏 生 委 職 勤
氏
浜
25-5300
25-2772
均
名
生年月 日
委 員 会
職 業 分類
幹事
電気器具
(株 )白 陽 代表取締役
高千穂通 1丁 目 3番26号
小松台 西 2丁 目 10-10
日 高
丁 14。
文
L
E
丁
名
氏
生年月日
S29.4.
L
E
丁
勤 務 先
日 高
3
氏
雄
7.20
委 員 会
R情
職業分類
勤務先
シニア・アクチブ(自 動車販売)
(株 )マ ツダアンフィニ宮崎 代表取締役社長
宅
氏
名
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
宅
名
氏
生年月日
27-6131
47-7715
報
大塚町池之 内 1076番 地
下北方町丼手下南25-2
下EL
丁EL
47-2121
25-1555
MICHAELINDIGO
S44.7.1
プログラム
旅行代理業
パ シフィック・インターセ ク ト(株 )
永楽町212-1
橘通東 4丁 目3-8草 楽会館 501
前
園
善
代表取締役
丁EL 62-0031
丁EL 29-2021
彦
S14。 1.13
副会長
シニア・アクチブ(清 涼飲料)
岩下産業(株 )代 表取締役社長
名
前
L
E
丁
橘通西 3-9-11
橘通西 3-9-11
24-1201
24-1204
俊
宅
L
E
T
委 員 会
職業分類
勤務 先
田
暢
3
氏
委 員 会
国際奉仕
職 業 分類
シニア ・アクチブ(建 築事務所)
(株)前 田設計 代表取締役
神宮 1丁 目237番 地
下北方町高下6121-4
勤 務 先
L
E
丁
S12.8.
L
E
丁
生年月 日
25-1141
27-2790
89
名
生年 月日
委 員 会
職 業 分類
親睦
内装 工事
宮崎 ユニ ッ トエ 業 (株 )代 表取締役
阿波 岐原 町 2580番 地
大 島町笹 原 1971番 地
牧
野
S30。
L
E
丁
名
氏
生年月日
委 員 会
職業分類
勤 務 先
智
畑
S28.9.
L
E
丁
勤 務 先
前
之 3
2
氏
27-3220
29-5559
明
1。
R財 団
31
保健施設
医療法人・社会福祉法人 慶明会 本部長
清水3-6-10 MMKビ ル2F慶 明会本部 丁[L
桜 ヶ丘 町 26-26
名
増
29-6465
47-9725
文
宅
生年 月 日
秀
出席
職 業 分類
総合建設
勤 務 先
(株 )増 田工務店
委 員 会
職 業 分類
富
下
28-1166
24-2123
繁一郎
10。
7
SOA・ A
艮販売
呉月
(株 )宮 下呉 服店 代表取 締役
橘通 西 3丁 目 3-24
大 工 1丁 目 10-12
L
E
丁
宅
□―ターアク ト
シニ ア 。アクチブ(歯 科医)
松原歯科 医院 院長
橘通 西 4丁 目 1-30
霧島 4-70
S29。
28-3636
29-9653
夫
L
E
丁
委 員 会
職業分類
勤 務 先
和
L
E
丁
名
氏
生年月日
原
S12.3.12
L
E
丁
勤 務 先
松
代表取締役社長
L
E
丁
名
生年 月日
南花 ヶ島町 185
神富 1-128-2
L
E
丁
委 員 会
氏
90
田
S26.4.
2
氏
27-3219
28-4178
氏
名
生年 月 日
委 員 会
職 業 分類
名
四
上
村
27-3248
24-0745
朗
7.3
委 員 会
親睦
職 業 分類
シニ ア ・アクチブ(総 合建設)
吉原建設 (株 )専 務取締役
大字本郷北方 2520-5
大字本郷北方 2520-120
L
E
丁
S8。
L
E
丁
生年月 日
勤 務 先
L
E
丁
氏
L
E
T
勤 務 先
宮 下 廣 計
丁 15.4.8
国際奉仕
シニ ア ・アクチブ(呉 服販売)
(株 )宮 下呉服店 会長
橘通西 3丁 目 3-24
大工 1-8-22
50-7000
50-6337
雄
名
生年月 日
委 員 会
職 業 分類
名
勝
職業奉仕
塗料販売
も りしげ塗料(株 )代 表取締役社長
阿波岐原町前浜4276-447
阿波岐原町前浜4276-446
山
□
親睦
水産 カロエ
山 □商店 代 表社員
橘通 西 2丁 目 2番 10号
橘通 西 2丁 目 2番 10号
氏
名
生年月日
委 員 会
温
27-2010
32-3261
三
S6.6.3
職業 分類
クレジツトサービス
(株 )宮 崎信販 代表取締役社長
高千 穂通 1-3-30
神 宮 1-205
L
E
丁
宅
野
L
E
丁
職業分類
勤務 先
矢
L
E
丁
委 員 会
L
E
丁
S22.1。 15
勤 務 先
24-8653
24-8653
賢一郎
生年月 日
職 業 分類
L
E
丁
氏
重
S24.4.
L
E
丁
勤 務 先
森
7
氏
28-2514
28-1893
91
男
名
生年 月 日
委 員 会
職 業 分類
野
政
S15.6.
委 員 会
職業分類
勤 務 先
クラブ会報
綿製品販売
(有 )野 呂商店
宅
朝員勤務
名 日 会 類 先
氏 生 委 職 勤
氏
油
谷
恭
平
11。
4
代表取締役社長
橘通 西 5-4-10
東大 宮 2-15-32
シニア・アクチブ(病 院)
名
吉
田
信一郎
S26.9。 23
委 員 会
親睦
職 業 分類
農業資材販売
(株 )吉 田喜五郎商店
代 表取締役
田
多
L
E
丁
古
L
E
T
生年 月 日
江平 中町 7-2
江平 町 1丁 目 2-9
24-1241
22-7380
穀
S12.10.24
委 員 会
社会奉仕 基金運 営
職業分類
勤務 先
シニア・アクチブ(土 木設計)
建設 コンサルタント 九州工営(株 )
大 工 2-117
92
25-4771
会員 選考
1-5-22
宅
丁EL
賀 幸 夫
丁 3.9。 17
清水
名
氏
生年月日
27-1752
26-2990
吉
宅
勤 務 先
27-3131
53-1874
L
E
丁
S29。
L
E
丁
名
氏
生年 月日
L
E
丁
親睦
商業銀行
(株 )宮 崎銀行 常務取締役
橘通東 4-3-5
月見 ケ丘 1-31-10
L
E
丁
勤 務 先
矢
2
氏
桜 ヶ丘 町 30-19
代表取締役
丁EL 28-1122
丁EL 47-6323
ア ドバイザーグループ
吉賀 。
日高(文 宮下(廣 橋本
ヽ
り
堺 ・鈴木・菊池(皓 ノ
」
)・
記念大会会長
)・
││
内村 ・佐原・阿南
新恵 浜砂・市来 ・村上 。
前田
日高(照
竹内
)・
)・
クラブ会長
古田(多 )
小林
実行委員長
林
副実行委員長
総務3B会
統制室
昌」
会長
前園
会長エ レク ト
菊地(平 )
幹事
日高(均 )
久保
式典部会
記念事業部会
部会長
金丸(憲 ―)
部会長
牧野
部会長
黒木
副部会長
上田
副部会長
長友
副部会長
大江
ク
ク
田崎(博 )
金丸(憲 史)
総務財務委員会
接遇委員会
式典委員会
祝賀会委員会
記念事業委員会
記念誌委員会
案内状・バンフ
VIP接 遇
式典運営
祝賀会運営
記念事業立案
記念誌作成
予算編成 。出納
アドバイザー
高見
アドバイザー
志多
アドバイザー
西岡(恒 )
アドバイザー
秋山
アドバイザー
中村
アドバイザー
大塚
委員長
上田
委員長
田崎(博 )
委員長
長友
委員長
上園
委員長
大江
委員長
金丸(憲 史)
副委員長
井手脇
副委員長
喜島
副委員長
川野
副委員長
日高(久 )
副委員長
後藤
副委員長
岩切(承 )
委員
岩切(克 )
岩切(宏 )
古賀
白石
委員
外山
日高(三 )
委員
衛藤
大薗
小田原
西岡(昌 )
岩切(秀 )
委員
岩城
植松
武田
前畑
森重
山□
油谷
吉田(信 )
委員
伊集院
稲倉
神崎
柴田
中野
委員
押川
田崎(高 )
暉本
長崎
矢野(政 )
増田
宮下(繁 )
矢野(温 )
MICHAEL
松原
93
編集後記
当クラフ創立40周 年 の節 目にあた っての記念誌の編集 という大役 をいただ き 、ア ドバ
イザーの 大塚 ―止 さん 、副委 員長の岩切承 自さん ら 10名 の メンバ ー で6カ 月余 りにわた
って携わ って参 りました。
記念誌の内容は 、発会当初のチ ャー タ ー メンバーか らの思 い出や 過去の記念誌 を参考
にして 、この 10年 間に当クラブで取 り組んで きた歩 みとして 、竹内三郎 ガバナー年度 の
地 区大会 、バング ラデシュヘ の病院建設 、□― タ ーアク トクラブの倉」
設な どとい った活
動の内容 を記録 し 、永遠に残 していくもの と考え ました。
また 、4月 7日 の式典当 日の様子 を 、できるだけ多 くの写真 を盛 り込んで 、会員の皆さ
んに楽 しく思い出 していただ けるようにと考え編集 し 、記念誌 と合わせて初のCD― ROM
としても発行させていただ きました。
しかし一方で 、この記念誌の編集作業にあた り、不慣れなため意を尽 くさない点も数々
ですが 、□一 タ リー精神 の 限 りな い発展の―里 塚 としてお許 しをいただ ければ望外の幸
せです。
終わ りに ヽこの記念誌の 編集 。発行に あた り細部 にわた ってご助言 、ご協力 をいただ
いた実行委員の林務委員長 をは じめ各 委員会 の皆さん 、中でも事務局の横井 さんに衷心
よ り感謝申し上げる次第です。
平成 12年 6月
記念誌委員長 金
創 立 四十年
平成 12年 6月 30日
発行
編集者
宮崎西 □一 タ リTク ラブ四十年史委員会
発行者
宮崎西 □一 タ リー クラブ
宮崎市宮田町 10番 25号
印
刷
株式会社
長 崎 印 届」
宮崎市船塚 1丁 目23番 地
94
宮田町 ビル 内
丸
憲
史
Fly UP