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講義ノート04

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講義ノート04
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講義4 ガリラヤ地方
中近東全体の学びをしてきましたが、いよいよイスラエルの地理の学びをします。地理の学び
をする時に、その名称に躊躇することがある。
「イスラエル」と「パレスチナ」であれ、政治的な意味を
含んで受け止められがちですが、地理の学びでは、
「イスラエル」とは、ヨルダン川と地中海の間の地域、
「パレスチナ」とは、ヨルダン川の両側を指しています。ヨルダン川のこちら側(Cis-Jordan)とヨル
ダン川の向こう側(Trans-Jordan)が使われることもあります。総合してトルコからエジプトに至る
地中海沿岸地域(右の図1)を「レヴァント沿岸地域」と記
述される2。右図が指名している重要なことは、東西に走る
大きな陥没によってこの地域が分断されていることです。
1.現在のトルコとシリアを分けるアレッポ-ユー
フラテス陥没:
アンテオケからアレッポ、ユーフラテス
に至る肥沃な三日月地帯を形成している地域です。
2.ホルム-パルミラ回廊: 現在のシリアを分断
する回廊で、ペルシャの山々に至る地域です。
3.ガリラヤ-バシャン陥没:最も複雑な陥没で、
ツロ・シドンから南東に走る陥没と複雑に絡み合って、フ
ーレー盆地、ガリラヤ湖への流れを複雑にしている。陥没
は、アッコ湾、ガリラヤ地方を南北に分断し、ガリラヤ地
方とサマリヤ地方を分け、エズレルの谷、モレの丘、タボ
ール山を隆起させ、ガリラヤ湖自体を網羅してワディ・ヤ
ルムクに至る。
4.ベールシェバ-ゼレデ陥没:ベールシェバから死海の南端を越え、モアブ、エドムを分ける
ゼレデ川の谷を形成している。
ガリラヤ地方は上ガリラヤ地方と下ガリラヤ地方に分けられます。川があり、山があり、泉がありま
す。複雑な地形がイスラエルの地理を学ぶ、楽しさにもなっています。今回のイスラエルの地理の学び
は、旧約聖書、新約聖書の地理と現代のイスラエルの地理を重ね合わせた学びを中心にしたいと考えて
います。現代の地名と聖書の地名を参照しながら、現在はどうなっているかなどを紹介しながら学びを
進めていくことにします。卓上の学びと実際に見るとは大違いかも知れません。鳥瞰図のように、上か
ら見るとさらに良く分かります。私はイスラエルにいた頃に、写真家を連れて、セスナー機に乗る機会
があり、この目で見ることが出来たのは幸いでした。
1
聖書の歴史地理 デニス・ベイリー
1977 創元社
p.9
聖書の歴史地理 デニス・ベイリー
1977 創元社
p.5
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●イスラエルの地形
イスラエルの地形は、自然な区分
からすると南北に分けることになります。
1.海岸平野
シャロンの野
ハシュフェラー
ペリシテの地
2.中央山地
ガリラヤ山地
サマリヤ山地
ユダ山地
3.ヨルダン地溝
フーレ湖
ガリラヤ湖
死海
アラバ
4.東部山地(ヨルダン東部)
ゴラン
バシャン
アンモン
モアブ
エドム
今回は前述したように東西南北
に分けていくことになりますが、項目とし
ては、北部イスラエルのガリラヤ地方は、
南部のユダ山地、中央部のサマリヤ山地と
地形的にはよく似ています。大部分が丘陵、
山地で、平地がないということです。
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右の鳥瞰図3は、カルメル山の沖合からガリラ
ヤ地方を眺めたものになります。ガリラヤ地方の
北西の端に「ツロの梯子」と記されているところ
は、現在のローシャ・ハニクラになります。海岸
線に沿って南下するとアッコの町があり、遥か彼
方にヘルモン山系を望み、さらにその下に、上ガ
リラヤ地方と下ガリラヤ地方を分けている断層
を見ることができます。そして、カルメル山の裾
野をキション川がハイファの町を横切るように
流れています。カルメル山麓に沿ってながれます。その流れは、メギドの要塞跡に向かっています。途
中に、ヨクネアムのテルがあり、カルメル山を越えてきた道に豪領、左に曲がるとナザレへの道になり
ます。
もう一つ、興味のあるのは、
「砂」と書かれている海岸線です。南からカルメル山に至る地中海沿岸は、
エジプトからシナイ半島を通り、延々と砂浜が続きます。そして、カルメル山でその砂浜が中断します。
地中海の海流はエジプトからイスラエルの淵を通り、レバノン、トルコへと向かいます。そのためにエ
ジプトのデルタ地帯から流された砂が堆積して出来たのか、海岸平野になるのです。海流に流された砂
は、カルメル山によって流れが阻まれ、一部がカルメル山に沿って堆積していったものと考えられます。
そのために大量の砂が海岸平野のように堆積するのではなく、薄っすらとした砂浜が造られたのではな
いでしょうか。私の母の故郷である大洗にフェリー用の港湾整備がなされました。自宅の目の前が砂浜
で、海でしたが、その工事が終了すると海は遥か沖合に引いてしまったのです。海流の流れが巨大な堤
防によって変わったとしか言いようがありま
せん。そのような様子を次の図表からも読み
取ることが出来るのではないでしょうか。
右の図表4 は、カルメル山系とハイファ湾
(アッコ湾)がどのようにして出来たかを図
説したもので、カルメル山系が隆起し、キシ
ョン川が流れる谷が陥没し、海水が入り江の
ように入ってきた状況を描いています。果た
して、カルメル山の中腹に、波で抉られたよ
うな跡が水路のようになって残っています。
巨大な堤防が出来たようなものです。
3
聖書の歴史地理 デニス・ベイリー
4
1977 創元社
p.40 図 18
Geography of Israel E. Orni and E. Efrat 1976 Israel Universities Press p.50
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●ガリラヤ地方の境界線
A.西部地域
ガリラヤ地方の境界線を引いてみると、
右図5のように、西部は地中海に面した海岸平野
で、その平野は3つの谷が合流しています。3
つの谷とは、ツロの谷、アッコの谷、ゼブルン
の谷です。北部は、リタニ川が境をなします。
リタニ川は、レバノンのベッカー高原を水源と
して流れ出た川で、ツロの北で地中海に注ぎこ
みます。この狭谷がイスラエル(ガリラヤ地方)
とレバノンの自然の境界線になりますが、現在
の国境は、この狭谷より少し南に位置していま
す。
§シリア-アフリカ断層
シリア・アフリカ断層は世界でも最も長く、深い断層の一つに数えられます。この断層は、ア
フリカ大陸とアラビア半島を裂いて、紅海を形成しています。イスラエルの北壁ヘルモン山から中央ア
フリカ大陸のビクトリア湖(ケニア、ウガンダ、タンザニアに囲まれたアフリカ最大:68,800 km2 の
湖)に至るものです。この断層は、シナイ半島によって西にスエズ湾、東にアカバ湾をも分けています。
その距離 6,000 キロメートルと言われています。
この断層がヨルダン川を形成していますが、イスラエルでは5つに分けることが出来ます。
1. 上ヨルダン川 - 水源(ヘルモン山麓)からフーレ湖、ガリラヤ湖に至る地域
2. ガリラヤ湖
3. 下ヨルダン川 - 一般にヨルダン川と言われるガリラヤ湖から死海に至る地域
4. 死海
5. アラバ - 死海の南端からアカバ湾(エーラット)に至る地域
B. 南部地域
イズレエルの谷とハロデの谷はガリラヤ地方の南の境を形成しています。この2つの谷は、リ
フト・バレー(水蝕台地)から分かれ出た大きな谷になり、ガリラヤ地方の東の境に至ります。
5
聖書の歴史地理 デニス・ベイリー
1977 創元社
p.153 図 53
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南部は、イズレエルの谷がハロデの谷によって東のヨルダン川に面し、西は地中海に達していますが、
南東にあるギルボア山を源流とするキション川が、イズレエルの谷を流れ、ゼブルンの谷を抜け、ハイ
ファ湾(アッコ湾ともいい、地中海になる)に注いでいます。同じギルボア山を源流とする川が、一つ
はヨルダン川に、もう一つは地中海に流れることになります。
イズレエルの谷は、エスドラエロンの平野とも言われています。この平野は、メギドからイブレアム
(現在のジェニン)に至る地域を指しています。タボール山がその東の端になり、周辺は断層の作用に
よって複雑に起伏しています。カルメル山が沿岸から屹立しているように、タボール山は平野から急勾
配で上昇、孤立した単独の山のようになっています。そのために大変印象的な威容を放っています。古
代から特別な山とみなされているところがあります。
エレミヤ
46:18 わたしは生きている。――その名を万軍の主という王の御告げ。――彼は山々の中のタボルの
ように、海のほとりのカルメルのように、必ず来る。
また、旧約聖書では、部族に分けられた分割地の境として記されています。
ヨシュア
19:17 第四番目のくじは、イッサカル、すなわちイッサカル族の諸氏族に当たった。
19:18 彼らの地域は、イズレエル、ケスロテ、シュネム、
19:19 ハファライム、シオン、アナハラテ、
19:20 ラビテ、キシュヨン、エベツ、
19:21 レメテ、エン・ガニム、エン・ハダ、ベテ・パツェツ。
19:22 その境界線は、タボルに達し、それからシャハツィマと、ベテ・シェメシュに向かい、その境界線
の終わりはヨルダン川であった。十六の町と、それらに属する村々であった。
士師記では女預言者デボラによってナフタリ人とゼブルン人が結集した。
士師記
4:6 あるとき、デボラは使いを送って、ナフタリのケデシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せ、彼に
言った。「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族と
ゼブルン族のうちから一万人を取れ。
さらに詩篇では、
詩篇
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89:11 天はあなたのもの、地もあなたのもの。世界とそれを満たすものは、あなたがその基を据えられ
ました。
89:12 北と南、これらをあなたが造られました。タボルとヘルモンはあなたの御名を高らかに歌いま
す。
§キションの門
このキション川には伝説があり、ガリラヤの丘陵とカルメル山の急勾配の間の大変狭い通路を
押し分けて進んでいますが、それはマナセ盆地がガリラヤ湖に向かって北北東に続き、タボール山のア
ーチを横目に下ガリラヤの中央高地に至るものと、メギドの丘をナザレの丘の西からカルメル山とさら
にはツロ-フェニキア地溝が三つ巴の出会いを仲裁することになった。
C. 東部地域
ガリラヤ地方の東部は3つに分けられます。
1.上ヨルダン川流域(北部の源流地域からガリラヤ湖に至るヨルダン川)で、フーレ湖がそ
の途中にあります。現在は、殆ど干拓され、その一部が自然保護地区として保存されています。
2.ガリラヤ湖周辺
3.ベテシャンの谷(ガリラヤ湖からベテシャンに至り、ハロデの泉から流れ下ったハロデ川
と合流するところがベテシャンの町になります。
ハロデの谷は、長さ18キロメートル、幅5キロメートルの回廊になっています。その両脇を固め
ているのが、南側のギルボア山と北側のツバイム山地になります。イズレエルの谷と東の境のヨルダン
地溝を結んでいるのがハロデの谷になります。
§アシュ・ジャグル断層
アッコと同緯度の険しい崖は上ガリラヤと下ガリラヤを二分する。南のマナセ盆地から北北東
に至る地は、玄武岩で覆い尽くされています。これはモレの丘を通り、ガリラヤ湖にまで至ることが知
られています。この西に5~600メートルのセノマン階(白亜紀の時代の一つで、9500万年前後
の地質年代をいう、白亜紀は 1 億 4000 万年前から 6500 万年前を指す。白亜とは、石灰岩の地層の
こと。この時代の最後に隕石の落下によって引き起こされた気候変動によって恐竜が絶滅したと言われ
ている)、即ち、石灰岩質の台地が続きます。
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●異邦人のガリラヤ
イザヤ
9:1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめ
を受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
さて、異邦人のガリラヤと預言者イザヤが語った地に関する聖書の記述は、幾つかしかありません。
ヨシュア記には、
11:7 ヨシュアは全軍を率いてメロムの水場にいる敵を急襲した。
11:8 主が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルはこれを撃ち、大シドンおよびミスレフォ
ト・マイムまで、また東に向かってはミツパ平原まで追撃し、彼らを撃って一人も残さなかった。
とメロムの水場と記されているところがガリラヤ地方に位置していることを知ることができます。また、
南のタボール山での出来事、ハロデの泉に関わるギデオンとミデアン人との戦い、ナボテのぶどう畑が
イズレエルの谷に存在したことを上げることが出来ます。
メロンとは、ジャバル・ジャルムクと呼ばれ、1,208 メートルの標高がります。
●ガリラヤの3区分
ガリラヤ地方を大別して3区分、又は 4 区分
することができます(p.24 の図参照)。特に、アッ
コからヨルダン川に延びるのが、アシュ・ジャグル渓
谷(別名、ベイトハケレム:右の写真)はガリラヤ地
方を大きく二分しています。殆ど東西を水平に分けて
います。この道と直角に交差している道が、ガリラヤ
地方を 4 つに区分することになります。南にタボール
山があります。地理的な地図と現在の道路地図も大方、
この区分に従って道が造られています。道路について
は別の機会にもう少し詳しくお話しすることにします。
*トゥルアン盆地
ここまで地形的、地理的にガリラヤ地方を簡単に見てきました。ここで、もう少しお話を続けたいと
思います。
●上ガリラヤ
上ガリラヤは、西半分はセノマン階の石灰岩で覆われているために、容易に刻まれ、侵食され、
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特徴的な岩肌、岩壁になっています。傾斜面は灌木に被われています。それは、年間の降雨量が600
mm を越え、高いところでは800mm にもなるからです。高いところでは標高 900 メートルを越え
る山々が連なります。この石灰岩の山々が海にまで達しているために海岸には平野が存在せず、岩が海
に競り出しているのです。その特徴的な海岸が、イスラエルとレバノンの国境に接するローシュ・ハニ
クラなのです。
上ガリラヤの東半分は、西半分より大分狭い
が、複雑な地形をしています。すでにお話しまし
たように、レンバンまで達している地溝で、丁度、
東西南北の線が交差する北側で土地は断層によ
って砕かれ、小さな塊のよう刻まれて、ダルトン、
アルマ、イルオンの高原になっています。このよ
うに狭い尾根によって分けられています。この辺
は、ガリラヤ湖から北のバニアスに向かう時に右
手に見られる山々なのです。このように、谷が入
り組んでいる地は、ヨシュアが全軍を率いて敵を
急襲したメロムの水場と言われたところです。そ
の山々の真中に建てられているのが、ツファッド
と呼ばれる町です。これらの町については、後日
お話することになりますが、その下を流れるナハ
ル・アムッドの狭い谷を下ると、ゲノサルの野と
言われる平地に出ます。上ガリラヤの北部には、
アル・ジャバルと呼ばれる聖書でいう「逃れの山」がありました。そこは、政治的、地理的な幹線道路
から離れた高地に、安全地帯として位置付けられていたのです。普通、
「ジャバル」は「山」を意味する
アラビア語です。ヘルモン山をジャバル・アシューシェイクと言いますし、エリコの誘惑の山は、ジャ
バル・カランタールといい、ベツレヘムの近くにあるヘロデオンをジャバル・フレイディスと言います。
それ故に、
「アル・ジャバルにお出かけですか」といった時は、特別な意味があることを知るのです。因
みに、
「アル」とはアラビア語で、特定なものを意味する定冠詞のことなのです。それぞれの地域に「ア
ル・ジャバル」があったのです。北ガリラヤの山地は、全ての登り口が険しく、露出した岩が多く、灌
木で覆われた森によって耕作が妨げられていました。
さらに、その移動を困難にしているが、「ワジ」と呼ばれる谷でした。「ワジ」は、雨が降った時だけ
流れる「涸れた川」なのです。その谷は深く、険しいのです。嘗て、ローマの軍隊が難攻不落とさえ思
いえた砦が散在していたのです。ゴラン高原には、北のマサダと言われた要塞都市「ガムラ」がありま
す。ゴラン高原については東部地域においてお話することにします。
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●下ガリラヤ
下ガリラヤの地形は複雑ではありますが、南東の端がベトシャン、北西の端がアッコに至る谷
によって区分されます。この地域は、石灰岩ではなく、玄武岩です。そして、比較的なだらかな傾斜を
なしている。タボール山の麓からヨルダン川に向かって流れ込んでいる急勾配の山は、ハル・ヤブニエ
ルと呼ばれています。さらにもう少し南に下ると、険しい断崖絶壁の急勾配の傾斜が続きますが、その
丘の上にヴェルボアール(コハブ・ヤルデン)の十字軍の砦があります。海抜 312 メートルですが、谷
から見上げる高さは、海面下になりますので 500 メートルを越えることになります。この勾配がしばら
く続き、ベトシャンに至るのです。
上ガリラヤと接している地域も急勾配がありませんが、ゲネサレ平野を見下ろすアルベル山が最も切
り立ったところとなります。ローマ時代に、ガリラヤ地方の総督だったヨセフスは、上からも下からも
攻め落とすことが出来ないアルベル山の断崖絶壁の中腹に砦を築きました。ローマ軍は最後に、山の頂
上から兵士の乗った籠を釣り降ろし、戦ったと言われています。紀元後 2 世紀バル・コクバの反乱の時
も、独立の望みが強くなると、ガリラヤはユダヤ人の避難場所となりました。エルサレム陥落後はヤブ
ネにサンヒドリンが置かれましたが、その後、ウーシャ、シェファルアム、ベィト・シェアリム、ティ
ポリとガリラヤの地方を転々とした後に、ティベリヤに落ち着いたのです。この時代に建てられた壮大
な会堂跡が、メロン、バルアム、カツリンなどに残っています。また、アユーブ王朝のサラハディンに
よって十字軍が敗れたのは、
「ハッチンの角」と呼ばれるところで、ゲノサレに至る幹線道路沿いでした。
幹線道路はワディ・ハマムに沿って下り、ミグダル(新約聖書の「マグダラ」)に出ます。また、ティベ
リヤの南にマイモニデス(ランバンとも呼ばれる。正式には、
「ラビ・モッシェ・ベン・マイモーン」と
言います。彼の業績は、膨大なユダヤ法に関する諸資料を体系的に分類し、かつ法典化した『ミシュネ
ー・トーラー』の編纂をしたことです。)の墓がありますが、その墓に隣接して温泉があります。ティベ
リヤの町についてもお話することになるでしょう。
§マイモニデスの信仰 13 カ条
1.神の存在、創造者である神
2.神は唯一である。
3.神の精神性、非物質性
4.神の永遠性
5.唯一の神のみが礼拝の対象
6.神の預言者を通しての啓示の信頼性
7.モーセの預言者の中の傑出性
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8.シナイ山で与えられた神の律法(トーラー)
9.律法の普遍性
10.神の全能性
11.善悪への報酬
12.メシアの到来
13.死者の復活
*エズレルの谷(エドラエロン)とタボール山
沿岸平野のアッコから下ガリラヤを通る多くの比較的平坦な道が続きますが、ヨルダン渓谷へ下る道
は険しく、時には断崖絶壁で下ることができない、行き止まりの道になることもあります。そのために、
ヨルダン渓谷に下る道は限られてきます。そのために盆地に水が溜まり、大変肥沃な耕地になっている
のです。エズレルの谷は、
「イズレエル」とヘブル語で言いますが、
「神が種を蒔かれる」という意味で、
イスラエルの穀倉地帯になっています。アハブ王が欲しがったナボテのブドウ畑もこの地にありました。
Ⅰ列王記
21:1 このことがあって後のこと。イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリヤの王
アハブの宮殿のそばにあった。
21:2 アハブはナボテに次のように言って頼んだ。「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のす
ぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。 もしあなた
がそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」
アハブ王は、
「私の野菜畑にしたい」と言っていますが、実際にブドウの栽培よりも野菜畑に適してい
31
たのです。アハブ王は、
「その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう」と申し出ているので
す。エズレルの谷の土壌を考えるとアハブ王の申し出は決して無理難題を押し付けているのではありま
せん。理に適っているのです。
ブドウの栽培、特に葡萄酒を造りに適した気候は、フランスワインの本場、ボルドー地方 のような気
候が最適と言われます。雨が少なく、昼と夜の温度差が大きなと
ころでは、土壌は水はけが良く、砂混じりの「やせた土地」が適
しています。そのような地ではミネラル豊富なぶどう果実ができ
るのです。エズレルの谷では、比較的雨量も多く、水はけもよく
ありません。そんな水はけの悪さが功を奏したのは、女預言者デ
ボラの率いたイスラエル軍とシセラ軍との戦いの場面です(士師
記 4 章)。
ブドウ栽培の歴史は古く、紀元前 3000 年頃、地中海の東部沿岸地方で、セム族(あるいはアーリア
人)によって始められたと言われています。その後、セム族はエジプトにブドウ栽培とワイン醸造を伝
えたと言われています。日本では、ブドウ栽培は棚を使いますが、イスラエルなどでは棒を建て、塀の
ようにして作ります。
聖書に記されている最初のぶどう畑は、
創世記
9:20 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。
9:21 ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
申命記
6:10 あなたの神、主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地にあなたを導き入れ、あなたが
建てなかった、大きくて、すばらしい町々、
6:11 あなたが満たさなかった、すべての良い物が満ちた家々、あなたが掘らなかった掘り井戸、あなたが植えな
かったぶどう畑とオリーブ畑、これらをあなたに与え、あなたが食べて、満ち足りるとき、
6:12 あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された主を忘れないようにしなさい。
マタイ
20:1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
主イエスが見ていたガリラヤの光景は、ナザレの山から見ることのできたエズレルの谷ではなかった
かと思います。ぶどう畑を抜け、麦穂の垂れる畑を通ったことでしょう。
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