...

る音型に関する一考察

by user

on
Category: Documents
8

views

Report

Comments

Transcript

る音型に関する一考察
173
『F.Schubertの歌曲にみる音型に関する一考察』
-歌曲集《Winterreise》の音型分析を通してI)
保坂博光*
(平成7年9月20日受理)
はじめに
音を紡いで型となし,ある概念の象徴とする作曲の仕
事は,元来,対象についての高度な感性の集中とそれを
表現する「音と音型についての不断の工夫」にはかなら
ない,と考える。晩年のシューベルトが,音楽界での新
分野であったリートの概念を拡大させながら,作曲技法
を開発して作り上げた「冬の旅」の仕事を通して,リー
トにおける音型の問題について考えさせられることは多
い。実際,シューベルトは,彼の独自の音型の工夫にの
めり込み,そのことに生涯のエネルギーを投入した,と
推察できる。
リートの場合,歌うときも聴くときもわれわれは詩を
構成している「ことば」の情報から極めて多くの示唆を
受け,いわば個々の心象によって,示された音型の妥当
性を直観する。ピアノ伴奏が歌唱旋律と桔抗し,歌曲の
イメージを具現するためにシューベルトが心血を注いで
創出した音型の工夫の数々は無限とさえ思える程である
が,-職人の手仕事の如く24曲に2つとない工夫を仕込ん
で作り上げたことを了解できるのが「冬の旅」である。
シューベルトが作曲後,陰うつになり,体力を大きく消
耗したと言う新しいタイプのリートについて,その「新
しい工夫」を分析し,その高密度の仕事の具体を考察し
てみることにした。
J.シュパウン(シューベルトの友人)は,この途方
もなく斬新な作品「冬の旅」ができて以来,はじめて
シューベルトと会ったときの様子を次のように記述して
いる。 「シューベルトはしばらく会わないうちに陰うつ
になり,また消耗したように見えた。どうしたのかと聞
くと,ただ〈うん,きみたちにもこれから聴いてもらえ
ばわかるだろう)と言っただけだった。ある日彼は(今
日ショーバーのところへ来てくれないか。きみたちにお
そるべき連作歌曲を歌ってきかせるつもりだ。きみたち
がそれに対して何と言うか,ぜひ聞きたいのだ。この歌
曲集は今までになくぼくを消耗させた)と言った。そし
て彼は感動した声で,われわれに「冬の旅」全曲を歌っ
てきかせた。われわれはこの歌曲集の暗い気分にすっか
り驚いてしまい,ショーバーなどは,ただ一曲「菩提樹」
1.主人公の旅路における「歩調」を象徴している音型
について
(GuteNacht) (第1曲・お休み)における一貫した「歩
調」を象徴する音型は,それ自体単純ではあるのだが,
巧みな和音変化によって詩情の推移を思わせながら展
開・進行する。極めて自然で端然とした和音進行の中に
配された工夫は,決して一様ではなく,第一曲目にふさ
わしい考えられた作品になっているO前奏の[画王]に
おける1, 2, 3及び4のトリル等は,凍原でつまづき
ながら紡復するなかば狂気の主人公の足取りを連想さ
せ,更に打ち続く音列からは,その単調さゆえに主人公
のもつ運命的な異状の時が,すでに刻まれ始めているこ
とを伝えている。
だけが気に入ったと言った。それに対してシューベルト
は(ぼくには他のどの曲よりも.この歌曲集が気に入って
いる。きみたちもこれらの曲が気に入るようになるだろ
う)とだけ言った。彼の言ったことは正しく,われわれ
はまもなく,フォーグルが見事に歌ったこの悲しい歌曲
演において, 「冬の旅」が当時の一般のリートに見られ
Das MadchensprachvonLiebe (乙女は愛を語り)の
部分からの伴奏音型は, Legatoに変わりスライドする
ような見事な曲想の展開が見られ,僅かな間奏部の
る感傷的な安穏さとはまったく対照的なものであること
[亘互]は,印象的な緊張感のある音型として,強い特
集の与える印象に感動してしまったのだった。」 -すでに,友人たちを前にしてこの新しいチクルスの試
●
がはっきりした。それゆえにこそシューベルトは,この
歌曲集が最終的な形を得る前に,それを手放すことを
嫌ったOシューベルトが「冬の旅」ほど推敵を重ね,変
更を加えた作品はなかったのである。l)
*兵庫教育大学第4部(芸術系教育講座)
174
徴を示している。このことは前出の譜1における「つま
づき」のイメージを並んで指摘されてよいWassoil
た反復部分で楽曲としてのクライマックスに仕立て上げ
られるのが常である。この曲の場合,シューベルトの心
曲全体の中で一つの特異部分としてきわだてている。
はdesganzenWintersEis!に集中し,その想い入れだけ
でも高潮する最終部は構成できることを示している。音
型の原形が前奏部から発して全曲に及んでいるのもこの
DieLiebeliebtdasWandern (愛はさすらいを好むもの)
曲の特徴である。
ichlangerweilen, (どうして私はこれ以上とどまれよう
か)の部分だけとり出して旋律に尻上りの慨嘆調を配し,
で元に戻し,ニ長調に移ってからの音調は集中度が高ま
りSchreib im vorubergehen ans Tor dir: Gute Nacht (過
りかかりに門に書く,君に「おやすみ」と)は重複を行
い,更にandichhabichgedacht (君を想いながら去っ
たことが)を原調に戻し繰り返してバランスをとり終え
ている。旋律に見られる[亘互]のリズム型は[亘互]
と共に動き出した音が1, 2, 3において重量を持たさ
れるような印象的な進行としてこの曲の特徴を形成して
いる。一貫した和音列の伴奏が見せる変化と歌唱上では
強い旋律線の動きがマッチして語りの面白さを構成する
タイプの曲。有節形式のようでそうでない,そこここに
多彩な変化を組み込み,和声は音型の中で,さまよう如
く転変する。わずかに「つまづき」の音型がアクセント
になっているだけ,あとは徹底して歩調そのものだけと
いう単調さは,最終曲〈DerLeiermann) (ライア-回し)
の特徴と合わせ,歌曲集を前後の位置関係ではさみ込む
意図的な構成を思わせている。
譜3譜4
1
2
3
〈GefrorneTranen) (第3曲,凍れる涙)タイトルか
(AufdemFlusse) (第7曲,流れの上で-) 5節の
詩は,最終節で氷結し冬眠したかのように見える小川の
底流に昔日の生き生きした自分の心をダブらせ呼びかけ
る。そこがクライマックスで楽曲は反復を入れて高潮し
展開する。 1節から4節に到る音型の工夫は[亘亘コ,
方向性から一応あるものの孤独な歩みのような形から始
まり, 3節では[牽互]に変わり後柏が分割され,やが
て[亘亘司で3連符が入り, [亘亘∃では16分音符の組
み合わせに進むO更に3連符ばかりの[車重]を経て4
節を終える。音符の分割配合によって,孤独な歩調がい
つの間にか氷を刻む昔に変っていうように思える。たく
みな工夫である。注目されることの多い5節が来ると,
ら凍った涙の落ちるイメージとして[亘亘コの音型を理
解できるが,同時に刻まれる定形の内に歩調を感じさせ
る特徴をももった曲である。譜4の音型は,やがて歌唱
歌唱旋律は一転してうめくような呼びかけに変わるO
に再現される[亘亘]の旋律に引き渡され,空ろなオク
タ-ヴの下行で前奏を終えるが, EiTranen, meine
[亘亘司断片的な旋律を助けるように左手に小川の底流
を思わせる太い旋律が現われ,歌唱と呼び合いながら前
Trsnen,では涙の落ちる音は[亘±]に変わり,休み
なく発せられる連続音となる。 3節Unddringtdochder
Quelleそして泉からほとばしり出る)の第3節は,大
胆に反復変形し, undをihrに変えることまでして最終
進するErkennstdunundeinBild? (お前はいま自分の
姿を認めるか)が終わり歌唱にエネルギーを持たせると
部でdesganzen Winters Eis (冬中のすべての氷を-)
を強く叫んで前奏の落涙の音型に引き継いで終えてい
る。一伴奏音型が定形なので有節形式のりょうに思ってし
まうが,実際は自由な変形の工夫を組み合わせて適作構
成にしている。悲哀にみちたバラードの歌唱旋律は落涙
の伴奏音型に乗って,同行したり離れたりしながら深い
想いをつらねてゆく。詩句重複の問題は,ここでも起こ
るが,シューベルトが3節の詩句を一気に楽想でまとめ
た時,いつも最終節の高潮した内容部分が不完全燃焼を
起し,とても重複なしで終了できない自体が往々にして
起る。しかし,それはむしろ当然のことのように付加し
伴奏の[亘圭司は,低声で歌唱と平行し,たくましく激
語8譜9
rF.Schubertの歌曲にみる音型に関する一考察」
175
の意味を浮き立たせる。最終詩句soelendnichtが泣き
叫ぶように聴こえる。トレモロをクライマックスに取入
れているのは2の曲だけ,これで音符の分割による表現
音型はすべて出嘉した感がある。
墓±蝣aヰ
しく歌うO右手はこれを機に[亘亘司に変わりクライ
マックスのauchsoreissendschwillt? (やはりふくれて
飛び出すだろうか)では[雇主司の最高潮となる。職人
の仕事を思わせる音符の分割による組合わせの工夫は,
曲冒頭のトボトボとしたムードから燃え上るような最終
部まで,主人公の心理の変化は順次注意深く重ねられ積
み上げられた変化の経過として興味深く示されている。
〈Rest) (第10曲・休息)タイトルは休息だが伴奏音
型では以前として歩調が刻まれ,時が進行しているよう
に感じる。歌唱旋律と歌詞によって情況が伝えられ,主
人公が憩いの中にあることを知るDerRflckentuhlte
keineLast背には重みを感じなかった)の旋律は1回
(DerWegweiser) (第20曲・道しるべ)
冒頭16分音符に誘導されて現われる[垂直]の8分音符
の連続は,第1曲GuteNachtの歩みを思い出させるが,歩
み続けるエネルギーはもう残り少なになっている。跡絶えが
ちな歩みの表現圏は終盤[車重]となって,更に重
目圏と2回目[亘亘司を違える工夫は興味深いO
後者の強い高声を効果的にするために1度音を下げて跳
躍する工夫である。山峡を足を踏みしめて進む足取りの
の特性を失わせない工夫を施しその単純な音型の特性を失
音ともとれる[画可
た。
く-歩一歩の前進になってしまう。転調の細工で単純な音型
わない工夫を施し,その単純さを失望の歩調に変えて表現し
譜23
〈Einsamkeit) (第12曲・孤独)テクストの内容に沿っ
て曲は1, 2節をひとつにまとめ, 3節を狗立させ反復
を入れた仕立てとなっている。冒頭[垂直]と[亘亘口
の歩調は単純で今迄に何処かで出て来たかのように思え
るが,初めての音型である。歩調の重さを含んだものに
感じる'3節の鋭い不協和音でやけになったようなドラマ
チックな激情の爆発の表現となる[亘亘司前奏にあった
重い足取りが戻り, Warichsoelend, soelendmicht自
分はこれほどみじめではなかった)で不幸な認識を増幅
してしまうようなやりきれない現実への慨嘆が「孤独」
2.主人公の疲労を示す「重い歩調」を象徴している音
型について
(DergreiseKopf) (第14曲・白髪の頭)内面的な慨
嘆を扱った詩には旋律を主として心境を語る方法がとら
れているmirflberHaargestreuetみせかけの白さを
ふりまいた) [垂直]とエコー・並びにundhab'mich
176
sehrgefreuet僕を大いに喜ばせた) [亘亘口とエコー
は詩節一行づつをしんみりと区切って,内面性を感じさ
せる効果をになっている。第2詩節に配された展開は伴
奏部の間を置いたグリッサンドを重ね,次にその間をつ
顔にしなさい!)迄, Ja,neulichhattからの明るい歌唱
めてゆきJugendgraut (若さが怖い)に納めた後, 8分
くErstarrung) (第4曲・かじかみ)常道的な3連符
の流れが伴奏右,左手に現われ冬の原野を這うように吹
休符できっかけを作った[垂直]を入れwieweitnoch
biszurBahre! (何人と墓場まで遠いことか)の慨嘆の詩
句が反復され,クライマックスを作る構成にはそれなり
の変化工夫が施されている。第3詩節の終行のaufdisenganzenReise (2の長旅の間に)の反復も歌唱部,伴
奏部を含め曲をしめくくる手法としての工夫が見られる
ので注目したい,
譜29 (終末部)
s*?fi
sacD
≡壬≡≡∃:≡
部の挿入がかえって悲痛な叫びに似てあわれに響く。
3.主人公の「異状な歩調」を象徴する音型について
きつのる木枯しの描写となる。 ZiemlichSchnellの進行
は歩調にしてはやや忙しないが,心の歩調というか,港
着きのない坊律する心理的な足取りと受け止めたいOテ
クスト第3節Wo find ich eineBliite, wo find ich grimes
Gras?の語調が,他の4節と異ったトーンであることが
判る。楽曲はここに長調を与え音型は左右とも3遵符で
和音進行も変化をもって一気に動く。歌唱旋律の積極的
な表現を効果的なアクセントを混えながら手厚く支える
型は,これを挟む前後のどちらか片方の3連音を他方が
なぞるように輪郭をつけてゆく音型とは大きく異ってい
る。 3連符の和音進行が息つく間もなく展開する一つの
音型に加えられたもう一方の手による効果的な旋律の断
片は,歌唱旋律とともに大きく孤を画いて動いたり食い
込むように打鍵されて緊張感を増幅させたりして相乗的
効果を高めている。 [亘亘口にみる4分音符の後の3連
符は[亘亘司にみる身体の震えを想わせる動きを共に緊
迫感のあるリズム音型として,むしろ爽快ささえ覚える
力動感を伝えてくる。 IchwilldemBodenktlssen (この
雪面に接吻して)の部分。最終第5節が見せる重複部の
伴奏音型は歌唱部のエコーが右手に組み入れられdas
Herzmirwieder (心が再び)以後は歌唱旋律とは合致せ
ず大きく別の波を作って雁行するようなダイナミックス
を造り出し, ihrBilddahin彼女の姿も去る)のun
pocoritでやっと歩調が合う,第5節は丸ごと反復し,
実際には6節仕立てのようにして終える。無燥感のただ
よいの中に自由でのびやかな適作の息吹が感じられる。
[垂直] 3連符に託した和音変化が野原の隅々まで吹き
廻わる気まま風の緩急を自在に表現している。
〈Wirshaus) (第21曲・福屋)主人公の足取りはいよ
いよ重く,ほとんど葬送の行進の如きテンポで歌唱と伴
奏は寄り添って動くO [雇亘司重い歩調の描畢ま沈み込
むような和音である。動きもにぷい。
sehr lanir帆m譜30
くR也ckblick) (第8曲・かえりみて)逃れ出て来た町
を足を止めてふりかえる前奏の音型には,動いては立留
〈DieNebensonnen) (第23曲・幻の太陽)前奏が歌唱
旋律を先取りし,ピアノと歌唱は一緒に歩くO第2詩節
4行まで展開部は伴奏が形を変えて歌唱に自由を与え
る。 Ach, meinesonnenseid--Angesich! (ああ,おま
えたちは僕の太陽ではない!のぞくのなら他の人たちの
まる歩調の乱れが表現されていて[亘亘司滑けいな感じ
がする程の現実感がある。 5節の内3, 4節が追想の別
世界でト長調の明るい22小節である。しかし,正確には
3節と4節は同一ではなく, 4節3行目のundach,
zweiMadchenaugenglflhten!それに,ああ,少女の瞳
rF.Schubertの歌曲にみる音型に関する一考察J
が2つ輝いていた)で歌唱は高潮し伴奏型はのどかな左
手の旋律を失い,とげとげしいせわしないリズム型に戻
り,くつこの変化によって胸の内の激しい動きを放出す
る。第4曲Erstarrung (かじかみ)に似た不安,焦
燥感があり,足取りの乱れを示すせわしない常道音型が
[亘享∃基調となり,音量の増減によって風景と心理の
厳しい情況を表現する方法をとっている。
譜34
N icht IU c eschw ind
r
s ご 聖 二て
q
\y
■
■
【
【[
\
ヱ/
\
.ヱ!
177
は,そのまま荒涼とした谷間を鬼火に誘われながらさま
よう旅人の心理を表現して妙である。最終節2行の反復
は他の2行反復とは違い,運命の深淵-沈んでゆく者の
虚無感が充ちている。
(DieKrahe) (第15曲・からす)沈滞し,陰うつな前
曲DergreiseKopf (白髪の頭)の中から,寂実,無気
味な動きの前奏が始める。不吉なからすの飛期は高く低
く孤を画き,その特性は歌唱に分流される。
EineKrahewarmitmir (からすが-羽私と一緒に)
からの旋律と低声部,それに右手高声部に引き継がれた
3連符の工夫は導入部[亘亘司にあたる前奏最後の左手
から右手-切り替えも入れて,やはりシューベルトの変
化を求めて止まらない配慮といってよいだろう。
■
IS40
〈Irrlicht) (第9曲・鬼火)前奏2小節のオクタ-ヴ
音は, 3小節目のチロチロと燃えるようなメツオスタッ
カートの3連音符との関係で,鬼火の飛ぶ不気味な暗闇
をユニークな表現でとらえている。 [亘亘司1, 2節の
終行IiegtmichtschwermirindemSinn (それは僕にはど
うでもいいことだ), alleseinesIrrlichtsSpieli (すべて
は鬼火のたわむれなのだ)は,長調で歌い切った後対比
的に反復させ[亘亘□間奏が更に鬼火のエコールを加え
る。 [亘亘司jeder Strom wird's Meer gewinnen (どんな
川でも海にまで達するように)の旋律とjedesLeiden
auchseinGrab (どんな苦しみもいずれはその墓に入る
Wunderliches Tierからmeinen Leib zu fassen?に至る
からすへの問いかけの部分ではしつこく追従して上空か
ら自分を窺う姿と緊迫した風景が動きの少い伴奏型と前
打昔をいれて詰問するような呼びかけの旋律とマッチさ
せている。 3詩節はl詩節の旋律反復にならないところ
も一つの工夫でKrahe, lassmichendlichsehn (からす
は,墓に入る時まで)で, 1節のistbisheutefflrund
のだ)は対照性があり,一方が楽天的で,他方は妙に悲
紬r (今日までずっと)とはまったく異なる展開をさせ
てきっかけを作り次のクライマックスを迎え反復する。
観的である。 [亘亘司広音域を上下する旋律の不安定さ
A-B- A+Cの典型といえる。
L&ngsua譜36
(Tauschung) (第19曲・まぼろし)右手のオクタヴが踊るりょうに空ろな鬼火の動きを象徴する。左手は
岩の多い山道を不確かな足取りで狂気の明るさ(鬼火)
求めて進む主人公の歩調を表現するo [画伴奏とエ
コーのかけ合う歌唱旋律の面白さ,調を変えながらうろ
つき歩きフッとわれに戻るような旋律の効果も闇の中の
鬼火のようにフッと消えてしまう根のないまぼろしの表
現が非現実への鋭いイマジネーションを基に創出されて
SE」
諾39
Je-血r Strom wlrdl-eerge - Wh--総- lies Le-I dl-uchォIn Grab.
譜41
<Mut) (第22曲・勇気)第18曲, Der sturmischeMorgen,
嵐の朝を思わせる荒々しさがあるが,奇妙な明るさがあ
り何故か力強さを表現している,から元気,やけっぱち
の元気,進軍ラッパでも聴えて来そうな前奏,詩節l桁
目は状況説明的で, 2行目は空元気で歌い放つような表
178
現[雇亘司第3節は反復で長調と短調又長調,後奏でま
た前奏に戻り短調とめまぐるしい。この曲の面白さは,
歌唱旋律と伴奏のエコーのかけ合いである。
譜42
能性を求めながら千変万化する興味深いものである。
19世紀は風景画の時代であった,と言う。自然は単に
描写すべき題材であるに留まらず芸術家の内的生命と自
然の命とのあいだの類似性が感じられて,そのために自
然は単に非難の場所であるばかりでなく,力と霊感と啓
示の源となった。3)
抽象そのものの音楽の場合,仮に極力描写的に風景を
楽曲化したとしても,みずからの感情や啓示を風景に投
げかけ,心情によって描き出されたものにはかならない。
シューベルトが物言わぬ花や木や動物などに語りかけ,
苦悩の権化として町を眺める,という創作上の姿勢が,
音型に象徴される細やかな事物の変化を感受することが
まとめ
われわれの物を知覚し,感じ,考える行為は時代の複
雑な背景の前で当然のように変化する。音楽史上一般に
言われるロマン派の時代に足を踏み入れたシューベルト
の審美観の中で,彼の特性である拝惰性が求めていった
自然と人の心の関係,更には「苦悩」という人間独特の
複雑で深い精神的現象などが,そこに与えられた詩の概
念をめぐって拡大し,独自の展開をみつけたことは意義
深い。
人々が新しい表現形式のリートを受け入れた原因にも
注目すべきことがあろう。
一言でいって18世紀末から19世紀にかけての社会・政
治状況が民意をロマン的感性に傾倒させるもとになって
いたことは見逃せない。しかし,われわれは音楽的実態
としてシューベルトが,伴奏に興味ある音型を配し,色
彩的な和声を駆使して出来上るリートが,人々の予期せ
ぬ対象までも追い求めて飛躍し,文字通り意外な作品を
提示し始めたこと,そして人々の感性が徐々にそれらに
フィットし,やがて受け入れるようになった事実につい
て注目したいのである。
音型とは,はっきりした特長のある形を持った音の一
連であって,音楽の最も短い構成部分として律動的に,
あるいは旋律的に,ときには和声的に特長づけられてい
る。2)シューベルトの作品を分析的にみてゆくと,この
音型がリートと言う小宇宙の中で極めて重大な役割を果
していることがわかる。音型は音楽動機とは言い難いの
だが,多くの場合,音型の着想に至る過程においてリー
トの音楽動機が同時に進行している,とも言える。そし
て何度となく繰り返される音型は,おのずと楽曲全体の
構成にかかわり,結果として全体を作り上げる力を持た
されていることもある。シューベルトが音型の工夫に精
力を注ぎ込んだことは,ピアノ伴奏の音型として検討の
対象となっている訳だが,冒頭に引用した如く,その態
様は律動的,旋律的,和声的とあらゆる変化,変形の可
できた原因の一つであろうかと考える。
1.歩調の音型について言えば,音で空間を刻んでゆく
音楽は,いずれも基調感覚として歩調を意識していると
ころはあるまいか。前進感は音楽のエネルギーに外なら
ないし,歩調はわれわれの歩幅と運動感と時間(音楽)
をどこかで共有している。音型のような音楽的な諸要素
によってノーマルな前進感が抑制されたり,停滞するこ
とで重苦しい時間を感じさせられたり,予期せぬ速さの
前進感が焦燥や不安,激情の心理状況を招来するという
のも考えてみれば不思議なことであるが,何事も相対の
感覚の内に生きるわれわれ人間の特質の一つとして納得
する外はない。
「冬の旅」の場合,連作の基調として主人公のたどる
第1歩が-曲目から明確に音型化されており,時折,趣
の異なるものもあるが,陰に陽に歩調は刻まれて進む。
苦悩にみちた敗残の歩調はともすれば重く,坊復する宿
命の歩調になりがちである。
1)歩調を直接的に感じる曲を摘出すると。
表1
1 .
G u te N a c h t
(N o . 1 )
2 .
G e fr o r n e T ra n e n
3 .
A u f dem
4 .
R ast
5 .
E in s a m k e it
F lu ss e
(N o . 3 )
(N o . 7 )
(N o .1 0 )
歩
調
(N o . 1 2 )
6 .
DerW
7 .
D e r L e ie r m a n n
e g w e ise r
(N o .2 0 )
(N o .2 4 )
Gute Nacht (No. 1)に比べれば, Der Wegweiser
(No.20)の歩調は思いなおしたような軽さが感じられ
るものの,やはり疲労感が出ており,前進する音型とし
ては力不足で途中息切れしたように途切れたり,心細く
片手づつになったりする効果が工夫されているDer
Leiermann (No.24)になると,足取りは抜けがらのよ
rF.Schubertの歌曲にみる音型に関する一考察J
うに空虚に響く。もう変化を起す力も残っていない。
Einsamkeit (No.12)の歩調はAufdemFlusse (No. 7)
のように左右手の交互昔配置であるが,前曲は孤独感,
後曲は寂涼感とやや違いが感じられる。両曲とも後半に
変化が待っており,熱した感情が音符を分割して展開し,
いわゆる歩調は乱れ心情の直接表現に変質してゆく。
Rast (No.10)の歩みは山道を踏みしめる歩調で終始変
わることがないが,歌唱旋律は時に激しく上下し,歌詩
内容も題名の様な「休息」でははく,むしろ止めようと
しても止まらない宿命の足取りをもてあまして激してい
る感じである。歩調の表現も曲を通して一つも音型とい
うのはNo.1, 10, 20, 24,の4曲でNo.7, 12,
の2曲は後半では適作変形してしまう。
2)重く苦しい歩調の音型をもつ曲
表2
1 . D e r g r e ise K o p f (N o .1 4 )
2 . D a s W irts h a u s (N o .2 1 )
3 . D ie N e b e n s o n n e n
重 い歩調
(N o . 2 3 )
DergreiseKopf (No.14)の重さの表現は,長短のリ
ズム比と関係する。[亘亘司におけるa, bのリズムの
違いは,これの組み合せにより重い足取りの表現音型と
なるし,左手の和音も重厚で動きを抑制した形となる。
3連符の下行もいかにも力の入らない虚脱の動作を示す
音型に思える。 DieNebensonnen (No.23)は右手のリズ
ムが奇しくも前掲曲と同じである。左手が同じリズムを
刻むところは異なるが,全体として重いというより,け
だるいもうろうとした意識を表現する型になっている。
DasWirtshaus (No.21)の音型は前掲曲2曲と長短の
組み合わせが逆で[亘亘]楕屋に着いた時に感じるずっ
しり重い疲労感は, 4分音符と2つの8分音符の組み合
わせで表現され,岩の様に重い足取りが了解できる音型
になっている。
譜43
a
b
a
h
179
3)異状な歩調
1 . E rstarru n g (N o . 4 )
2 . R q ckb lick (N o . 8 )
3 . Irrlich t (N o . 9 )
異常 な 歩調
4 . D ie K rahe (N o .15)
5 . T ausch ung
(N o .19 )
6 . M u t (N o .2 2)
Erstarrung (No.4)転調を重ねながら落ち着きなく
動き廻る3連符とそれに輪郭を与えるかのように随伴し
て進む伴奏音型は,中間部で一時異質の詩節内容に対応
した左右とも3連符が現われる以外終始変わることがな
い。 3連符でない片手の旋律が,単音又は重音で表現す
る焦燥の律動は,この曲の場合,強い特徴となって音型
の色付けの効果を果している。全曲3連符というのは,
この曲とDieKrahe (No.15)だけである。
Rilckblik (No. 8)左右交互打鍵の型は他にもAuf
demFlusse (No. 7), Rast (No.10), Einsamkeit (No.12),
LetzteHoffnung (No.16)と数多いが,いずれも意味あ
りげな歩調ととれる表情を持っており, Rast (No.10)
以外は後半大きく通作変形して,その曲の本意がどこに
在ったかを示している。この曲の場合,前掲曲同様中開
で詩句の意味内容にレガートで対応するフォームをと
り,適作は行わない。和声奏のため転調とデイナミ-ク
による波動は変化を演出するために与えられた重要な手
だてとなっている。
Irrlicht (No.9)前奏部の空ろなオクタ-ヴに続くメ
ツオスタッカートの3連符及び歌唱旋律の32分音符の連
結とピアノのエコーが,この曲の不気味なタイトルを表
現するために用意された音型だと言える。後半妙に力強
くなって空元気のように聴える歌唱も実は狂気の表現で
あることが分る。
DieKrahe (No.15)からすの飛籾の音型とみるのが当
然であろうが,あえてさまよう主人公の錯乱した歩調と
ダブルイメージでとらえてみた。片手が3連符,他方が
旋律的輪郭という音型は前出のErstarrung (No. 4)に
あったO小品のこの曲の場合,おおかたからすの飛鞠の
動作の音型化でまとめている。 3連符のは下から上へ,
上から下-はばたくように移動するが,からす-の呼び
かけの後半になると左手の動きが止まり,和声連打に変
わってクライマックスを作る。僅か9小節であるが飛掬
の動作が心情表現に乗り移る一瞬である。 [垂直] Tauschung (No.19) 8分の6拍子の調子のよい曲は,この
曲以外DiePost (No.13)があるだけ,明るい踊りのリ
ズムだが右手の重音が異常に動かず,それに反して左手
はやたらと違った和音を拾って尋常でない表情を作る。
歌唱旋律が不気味なスライドを見せて,やはりこれが狂
180
気の踊りのステップではなく,狂気の男の混迷の足取り
であることを伝える。
Mut (No.22)何と乱暴な足取りであろうか!アクセ
うだ。乱暴な歩調は全曲を通して一つだけが,大またで
虚勢をはって歩く音型には,歩調を借りて憤まんと爆発
させる心情の表現が前面に出ており,そのことで逆に歩
ントと′がガチガチと形作る強がりの歩調は,歩いては
放言し,また歩いては放言するユニークな動作を音型化
調が乱暴に聴えるといったところも感じられる。この類
しているO [亘亘司転調した後半では歩調を止め,天に
つばして大広言をはくやけっぱちの表現になり,一方的
な強・強・強のリズムパターンでまとめている。前掲曲
Irrlicht (No. 9)の後半にも強がりの表現としての音型
があった。それに似ている。
つみ重ねである。シューベルトは3連符をはじめとして
系には勿論,定形的なものが無く一曲一曲が工夫の連続,
独創のリズム音型を通して工夫することをたのしんでお
り,そこに天然・自然と関わりながら美の面白さ,純粋
さを追求する彼の真骨頂が認められる。
なお,今回頁数の関係で考察を記載できなかった類系
には,心象・風景の描写音型,心情の表現音型があるが,
考察(Ⅱ)として別にまとめることにした。
く注)
今回考察(I)として記載した「歩調」を感じさせる
曲3分類について,全体の総括をしてみると,シューベ
ルトが比較的説明し易い6曲をもって主人公の足取りを
印象付ける効果を上げていること,これが全曲を通して
のグランドデザインであったかは不明であるが,結果と
して聴く者に基調の認識を与えていることは明らかで,
これらがあるからこそ,他の曲が同じ様にかろうじて前
に進む旅人の歩調の変形として感受できるのであろう。
6曲の内和音組みは変るものの歩調音型が終始不変の曲
は4曲, 2曲は歌詞内容に一部異質の部分があり,これ
がイメージを刺激して変奏・変形して歩調を乱す仕立て
になっている。歌唱旋律の変化で対応しきれないことが
分るとこのように伴奏の音型を巧みに変えて根こそぎイ
メージに応えてゆく。
重い歩調は後半に出るが,石をかかえて歩くように力
を入れて耐えることを象徴する長い音と耐えきれずに職
いでしまう短い音との組み合わせの工夫で音型を作って
いるのが分る。全体として疲労感の表現の場合,昔の上
下動は少く,少い振幅で推移するが,力壷きたように下
行型をとるかである。べったりと重い和音のまま移動す
る特徴も指摘できる。
異常な歩調を示す曲は正に全曲のバラエティーを考え
るとき極めて重要な効果を上げている。速い歩調,乱れ
た歩調,奇妙な歩調,不気味な歩調,乱暴な歩調の夫々
はシューベルトが精力を集中して案出した音型の傑作で
あると言える。前半の曲においては,まだ疲れが無いこ
とが関係するのであろう速さの対応をしている。勿論,
ただ速いだけではなくそこには乱れやつまづき戸惑いの
微妙な変化の工夫も加味されている。狂気の歩調は音の
動きに正常さを欠く特徴が与えられているが,音型その
ものの変化を取らず,むしろ,和音のニュアンスの微妙
なところを怪杏,幻影のイメージ作りに利用しているよ
1) F.デイスカウ:'90 「シューベルトの歌曲をたどって」
:白水社: p405-406
2)音楽辞典:平凡社: 「音型」
3)原田玲子著:-86: 「ヨーロッパ芸術文化と音楽」 :p
230
く引用)
「シューベルト歌曲集VOCAL MINITURE SCORES音楽之友
社(第2巻)」グラモフォン"冬の旅"付録
く参考図書)
F.デイスカウ著「シューベルトの歌曲をたどって」
P.H.ラング著「西洋文化と音楽」音楽之友社
rF.Schubertの歌曲にみる音型に関する一考察J
181
A Study on Musical of F. Schubert's Lieder
-Figur of Pace on zyklus "Winterreise"-
Hiromitsu HOSAKA
Schubert made a trial of the musical metaphors of human motion and gesture: walking or running rhythms; tonic or
dominant
inflections
for
question
and
answer;
the
moods
of
storm
or
calm;
the
major一minor
contrasts
for
laughter
and
tears, sunshine and shade; the convivial or melancholy melodies moulded to the schape and stress of the verse.
All Schubert's infinite variety of styles and forms, melodic lines, modulations, and accompaniment丘gures are essentially the result of responsiveness to poetry. Equally notable is his evident sense of responsibility, his revisions con丘rm that
he was actively seeking to recreate a poem, almost as a duty; he would rewrite, rethink, give up and start again, rather
than fail a poem that had pleased him, and his aim was to find an apt expressive device that could also be used as a
structural element.
And one stylistic source of the keyboad accompaniment effects and motifs in Schubert's songs is the piano scores of
opera and oratorio.
The purpose of this study is to observe Schubert's musical Ideas on figur through zyklus HWinte汀eise".
The object for observation ;
* Figur of Pace Gute Nacht, Gefrorne Tr且nen, Auf dem Flusse Rast, Einsamkeit, Der Wegweiser,
DerLeiermann
* Figur of heavy Pace Der greise Kopf, Das Wirtshaus, Die Nebensonnen
* Figur of unusual Pace Erstarrung, Riickblick, Irrlicht, Die Krえhe, Tえuschung, Mut
Fly UP