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海外視察 「北欧」 旅行レポート 日本モンテッソーリ教育綜合研究所「教師養成センター」主任実践講師 モンテッソーリ教育『子どもの家』誕生 100 周年記念事業実行委員長 海外視察旅行コーディネーター 松浦 公紀 モンテッソーリ教育の小学生 クラス(スェーデン) 『子どもの家』が誕生して 100 周年に当たる記念の年の海 外視察旅行で、北欧に位置す るデンマーク・ノルウェー・ スウェーデンの3か国を視察し てまいりました。どの国も十 字が国旗についている子ども 達にも親しまれている国々で す。長い歴史と文化の根付いているヨーロッパはマリア・モンテッソーリを生んだ土地でもあります。しかし、同じヨー ロッパでもモンテッソーリの母国イタリアをはじめとする南欧と今回訪れた北欧とでは様々な面で異なります。 マリア・モンテッソーリの母国であるイタリアでのモンテッソーリ教育の実情は、残念ながらあまり芳しいものではあ りません。第2次世界大戦を目前に控えていた時期に、モンテッソーリは一時的にではあっても当時のイタリアの独 裁者であったムッソリーニから支援を受け、イタリア文部省はファシズムとモンテッソーリ教育法を統合しようとした時 期がありました。この事実が少なからぬモンテッソーリ教育に対する批判、非難を招いたことは想像に難くありません。 終戦を境にしてモンテッソーリ教育はその発祥の地イタリアでは過去のものとなっていったかのようです。とは申しま しても、モンテッソーリの母国であるだけにペルージアには国際コースがありますし、ベルガモには小学校課程のコ ースも存在します。また、ローマにはモンタナーロ博士が乳幼児コースを開設しています。しかし、イタリアでの教員 養成はこの国際コースによるものだけで、他の機関のコースはありませんし、モンテッソーリ教育を実施している施設 は 250 か所ほどです。実施園の数で言えば日本の方が数倍多いでしょう。したがって、イタリアでの教員養成コース には自国のイタリア人よりも他の国からの生徒の割合の方が多いわけです。教員養成自体もイタリア語と同時に英 語の通訳も付くようになりました。 さて、今回の視察ではデンマークの首都コペンハーゲンで2校、スウェーデンの首都ストックホルムで2 校の合計4校の視察しました。国は異なりましたが、いずれの学校もモンテッソーリをよりよいものへと変 革させていこうという進取の気質を持ったリーダー達に出会うことができました。コペンハーゲンでは施設 の大きさや、園のスケジュール、見学時間の関係で子ども達が普段の自然な姿で活動する姿は残念ながらあ まり多くは見られませんでした。しかし、現場の自然な姿を見る機会や時間がなかった代わりに各施設をリ ードする管理者のお話をじっくり聞くことができ、活発な質疑応答の時間にも恵まれました。4つの施設の 管理者に共通していえることは、モンテッソーリ教育を過去に確立した教育法として維持、継続をしようと するだけではなく、それを土台にして「よりよく改革していこう」とする姿勢でした。 視察した順に1校ずつご紹介してまいりましょう。 3月 29 日●AM MONTESSORI BORNEHAVE コペンハーゲン市内から西へ約6kmに位置する、VANLOSE エリアに在る 幼稚園。このエリアは中流程度の所得者層が多く住むエリアだそうです。園 の敷地は 50 ㎡と狭く、この敷地に合わせて定員設定は 12 名のこじんまり した施設でした。職員は園長の Nelly Fuglsang 先生を含めて5名在籍。 決して広くはない室内にはモンテッソーリ教具以外にもヨーロッパに数多く存在する木製知育玩具も環境 として設定されていました。モンテッソーリ教具は日本で圧倒的な割合で使われているニーホイス社製の物 もありましたが、手作りの物や他の教材会社の物もありました。長さの棒は緑一色でしたし、算数棒も赤と 緑で塗り分けられたものが使われていました。サイズも 一回り小さく、重量も軽めにできていました。理想的 には、感覚を刺激する教具は自然数の比率で作成され ているに越したことはありませんが、目的が混乱なく 伝わるのであれば、杓子定規にこだわる必要はないと いったおおらかな姿勢が伺えました。このことは教具 の与え方にも現れていました。一つ一つの教具を系統 ▲緑一色の長さの棒や、赤と緑に 性に沿って提示をして与えていくというよりも、例え 塗り分けられた ば朝の会のお話の中で出てきた話題の中から教具に関 算数棒 連するものがある時にはその教具の助けを借りるとい う与え方がありました。子どもの集中現象から正常化へと向かわせるお仕事の対象としての教具の位置付け だけでなく、様々な利用法があることを示唆されたと思います。 園長のネリー先生のお話の中で、園外散歩に出かける時にどこに行くかを子ども達が決めるというものを 筆頭にして、子ども達に決定権を委ねるところが随所に見受けられました。日本では当然どこに行くかは先 生が決定したり、最初から暗黙の了解として既決事項となっていたりする場合がほとんどでしょう。子ども が決めるなんて思いもよらないことでしょう。もちろん、2、3歳の子どもに状況を見極めた上で的確な判 断を下すことはまだ無理でしょう。しかし、この時期から自分の意志を形にして表現することが確かに民主 的な世界を構築していく上で必要なことだろう と納得した次第です。同時にこうやって子ども達 になるべく多くのことを任せる場を設けること が実は、子どもの人格を認めたり、尊重している ことの具体的な表れでもあるのでしょう。 MONTESSORI BORNEHAVE アパートの1階部分 左側が園舎として使われている。裏庭がある。 3月 29 日●PM THE LITTLE MONTESSORI SCHOOL コペンハーゲン市内から北へ 10kmに位置する、LYNGBY に在る幼稚園。 ここはインターナショナルスクールという位置付けもあり、保育はすべて英 語で行われています。園児は2歳半~6歳児で 20 名程度。園長の Susan Reid 先生以下、職員3名。 同じ日の午後、2校目を視察いたしました。この THE LITTLE MONTESSORI SCHOOL のみならず、これまで海 外視察旅行で訪れたヨーロッパの国々には英語を使用言語としたモンテッソーリ教育の幼稚園が数多く存在 します。第1外国語というよりはより母語に近い第2母語といった感じで自在に英語を使いこなす子どもが 数多く輩出されているようです。 Susan Reid 先生は特にモンテッソーリ教師としての資格はお持ちではありませんでしたが、他の先生方(全 員カナダ人)はカナダのトロントでモンテッソーリのトレーニングを受けています。環境はすべてのモンテ ッソーリ教具が揃えられてはいませんでしたが、各分野ごとに配置されていました。 首都であるコペンハーゲンには実は視察をした2校しかモンテッソーリの施設はありません。そして、そ の2校も私達モンテッソーリを知っている日本人の基準からすると、モンテッソーリオンリーではなく、シ ュタイナーっぽい匂いが所々でしたり、 (現にデンマークではシュタイナー教育が圧倒的にモンテッソーリ教 育を凌駕しているそうです。そして、それはデンマークに限らず、ドイツ以北の北欧の国全てに当てはまり ます)知育玩具とのブレンドでの環境構成であったりしました。 デンマークの先生方の「スウェーデンはデンマークよりもずっとモンテッソーリが盛んよ」ということば に期待を持ち、私達はノルウェーのオスロに立ち寄った後、次の視察先スウェーデンの首都ストックホルム に向かいました。 ノルウェーの首都オスロまではコペンハーゲンから空路で約1時間。 オスロでは旅程が土・日曜日になったため学校視察はありませんでした が、マリア・モンテッソーリがその候補にもなったノーベル平和賞の受 賞会場であるオスロ市庁舎を見学することができました。ノルウェー国 内で採取されるものだけ、つまり外国の素材は一切使用しないで作られ たオスロ市庁舎(写真左)は堂々とした威厳に溢れた存在でした。北欧の観 光シーズンは基本的には夏ですので、この時期は他の観光客と鉢合わせ になることもなく、貸切状態で市庁舎を見学できました。平和賞の受賞 会場だけあって、ホールの壁画は第2次世界大戦の際にドイツからの侵 略に抵抗したノルウェーの レジスタンスの絵物語にな っていました。(写真右) ノーベル賞は存命中の人物にだけしか与えられませんから、 モンテッソーリが受賞することは叶いません。しかし、モンテ ッソーリ教育が平和教育を標榜する限り、今後モンテッソーリ 教育関係者の中からこの地でノーベル平和賞を受賞する人がぜ ひ出てきて欲しいものだと感じました。 オスロから空路で約50分、訪問国の3か国目はスウェーデンです。首都ストックホルムで2校を視察し ました。 4月2日●AM BROMMA MONTESSORIFORSKOLA ストックホルムから西へ7kmに位置する、BROMMA に在る1~5歳ま での保育園施設と小学校を併設した学校。全体で 200 名ほどの児童を 30 名ほどの職員で運営していました。校長先生は Ulla Hogberg 先生。彼女は モンテッソーリ教師資格はもとより、義務教育の教師資格、低学年の教師 資格、校長先生としての資格と様々な教師資格を持っていました。 この学校では、特に言語能力が全ての基盤となるとい う考え方のもと、言語教育に大きな力を入れているのが 特色でした。あくまでもモンテッソーリ教育の現代版の 遂行を目的としているため、モンテッソーリ教育の理念 に共感してさえいれば、特にモンテッソーリ教師として の資格のない先生も数多く存在していました。したがっ て、環境そのものもクラスによって(それはそのクラス の担任の先生のモンテッソーリ教育のバックグラウン ドによって左右されるのでしょうけれども)かなり大雑 把なところも実際見受けられました。こういった環境の 構成や、有資格者の数によってモンテッソーリ実践校は ▲幼児クラスの環境 上部団体より認可を受けますが、今年度はこの学校は認可を受けていないということでした。校長先生はそ のことに関しては恥じていたり、落胆したりということはないようでした。そこには、モンテッソーリ教育 とはモンテッソーリ教育の純粋な保持のために存在する教育法ではなく、その時代その時代の子どもの成長 に貢献するための手段の一つであるという考え方と、自分達の教育内容に対する自信が伺えました。そして、 この自信は保護者の学校に対する信頼から来るものなのでしょう。基本的に北欧の幼児教育施設は地域の保 護者からの要望によって設立されていく割合が多いようです。したがって、理事には必ず保護者が名を連ね、 学校自体の教育内容や運営に客体ではなく、主体として参加するわけです。非常に民主的で、モンテッソー リ的でもあります。 日本にはまだモンテッソーリ教育の小学校は存在 しませんが、この学校ではその片鱗を見ることができ ました(写真左:小学生クラス)。時代が変わっても変わらぬ モンテッソーリの考え方の一つが「個別の能力に応じ た対応」です。小学生のクラスでは個々にファイルが あり、そこに一週間の学習リストが挟まれています。 日本のようにきめ細かに時間割が確定したものとし てあるわけではなく、個々の学力に見合ったメニュー が準備されており、個々のペースに合わせて、時には教具を用いて、時にはパソコンを用いて、時にはグル ープで話し合いながら、時には友達の助けを借りながら学習を進めていきます。教師はまさにコーディネー ターとして、個々の生徒の学習能力や性格を見極めて、その能力がなるべく 100%に近い形で現れるような 援助をするわけです。そして、学習自体はもちろん子どもが主体となって行うのです。 今回の視察では訪ねませんでしたが、フィンランドを初めとした北欧の国々は世界的に見ても児童の学力 が非常に高い国々です。そして、これらの国々では総合的な学習の時間がますます増加傾向にあります。反 面、日本に目を向けると、 「学力の低下」が声高に叫ばれ、総合的な学習の時間は減少して、教え込み、詰め 込みによる国語や算数といった従来から言われる主要科目の時間数が増加しています。教師主導の一方通行 の管理する教育現場から、子どもが主体となって学ぶ喜びを感じることのできる教育現場への転換が切に望 まれます。そのためには、 「子どもが育ちの、発達の主体になり得るんだ」ということに気付かなければいけ ません。そして、それを気付かせてくれるのがモンテッソーリ教育のはずです。 この学校で各クラスを案内してくれたのは先生ではなく、この学校の小学生でした。私たちが大型バスで 到着するとすでに門の所で待ち構えて歓迎してくれました。質問に対しても堂々と答えてくれます。これも、 「子どもに任せる」という姿勢の現れの一つでしょう。小学生のあるクラスで、女生徒が算数の問題に取り 組んでいました。難しいようでなかなか先に進めませ ん。すると別の女生徒がやって来て、一緒に問題に取 り組み始めました。私は案内の小学生に、”She is teaching her ?” (あの子、教えてあげてるんだね) と尋ねました。すると、その案内の小学生は、 “No, she is just helping her.”(いいえ、助けてあげてるだ けよ)と言うではありませんか。小学生にして、「教 えるのは自分が自分に対してであること」「学びの主 体は個にあること」をはっきりと認識していました。 「日本にもこんな子どもがもっともっとたくさん生 まれてくればなあ」と羨ましく思いました。 ▲案内役の小学生と共に、園庭で記念写真。 4月2日●PM BARNENS MONTESSORI AKADEMIN ストックホルムから北西へ6kmに位置する、SOLAN に在る保育園。1~ 6歳児が 43 名ほど在籍。教師は 8 名程。400 ㎡の敷地に1~3歳までと 4~6歳までの2つのグループに分けて教育を行っている私立のフリース クールとしての位置付けの施設。園長は Karin Johnestedt 先生。 今回の最後の視察です。ここでも8名の教師の内、モンテッソーリの教師資格を持っている先生は半分の 4名です。しかし、モンテッソーリの考え方や環境構成には園を挙げてのコンセンサスがあるようで、日常 生活の練習から文化教育までの用具、教具類が整然と整備されていました。 この園でも、午前中に訪問した園とは逆の状況ではありますが、モンテッソーリ教育に対する同じ姿勢が園 長先生から話されました。彼女は、 「この園はスウェーデンのモンテッソーリ協会に認可を申請すれば十分受 理されるでしょう。しかし、あえて認可を受けていま せん。」と言うのです。協会から認可されるメリットが 紙切れ1枚のリストに認可園として載るだけのことで あり、さほどの恩恵がないということでしょうか。日 本で今後もっともっとモンテッソーリ教育を普及させ ていくために、現在存在するいくつかの教員養成機関 を統括して大きな団体をもし作ろうとするのであれば、 その団体はよほどの恩恵を構成員に還元できるような 魅力を持っていなければいけないということです。(写 真右下:黒白のメタルインセッツ) 今回の4校の視察を振り返ってみると、いずれの学校でも 100 年前に始まったモンテッソーリ教育から学んだことを今という時 代の子ども達に上手に利用しているという実感を受けました。100 年前の方法に固執するあまり、モンテッソーリ教育から革新性が抜 けてしまうことはやはりモンテッソーリ教育のあるべき姿ではな いのでしょう。具体的には園長先生方からは次のような主張がなさ れていました。 「マリア・モンテッソーリの時代には子どもに刺激を与えることが重要で あったが、あまりに多くの刺激がありすぎる現代においては刺激を取り 除くことが仕事かもしれない」 「マリア・モンテッソーリの時代はものがない時代。現代はものがふんだ んにありすぎる時代。そういった異なる時代を生きる子どもたちに、その時代その時代で必要なモンテッソーリの活動 が与えられなければならない」 「現代は主張したがる子どもの方が多いので、人の話を聞く姿勢を身に付ける方に重きを置かなければいけない」 100 年前の方法をその時の姿のままで子どもに伝えるのではなく、そこに時代のニーズ、地域のニーズ、 そして、それは今を生きる子どものニーズでもあるのですが、を付加してより子どもに貢献するモンテッソ ーリ教育の伝授と実践、普及は、日本モンテッソーリ教育綜合研究所の教師養成の姿勢とも共通するものです。 1907 年、マリア・モンテッソーリがローマのサンロレンツォ地区に初めての子どもの家を開設してからち ょうど 100 年。100 年前のモンテッソーリの実践から引き継がれる部分も絶対的なものとしてもちろん存在しま す。それらはモンテッソーリ教育の普遍的な部分です。しかし、時代の推移とともに子どもの本質は変わらな くとも、子どもの生活環境は大きく変貌しています。その変化に合わせてモンテッソーリ教育も進化してい かなければならないでしょう。 この進化の割合が少なければ少ないほどモンテッソーリ教育は過去の教育違法として位置付けられれごく一 部の信奉者のみのカルト的な教育法になり、普及どころか衰退の一途をたどるでしょう。 変化を感じ、それに相応の反応ができるためには私たち自身が生き方として、頑なになるのではなく、あ る程度の柔軟性が必要になってくるでしょう。そして、そういう人間がある一定の人数となり、手を結び合 った時に変革は起きていくでしょう。今回の視察旅行をきっかけとして、そのような輪が少しでも広がって いくことを期待してやみません。