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水 光
平成 21 年 11 月1日発行
SUIKOU
目 次
P 2……………「
(故)前理事長を偲んで」理事長 津留英智
P 3……………「副院長に就任して」 副院長 稲富久人
P 4∼5………「津留水城先生との出会いそして別れ」
総院長 小須賀健一
津留水城理事長死去・旭日小綬章を授章
P 6……………「心を刺す壮絶な人生∼津留先生を偲んで」
元施設長 工藤正介
P 7…………… 水城先生思い出のアルバム
P 8∼9……… 総合リハ・フィットネスセンター開設・紹介
健康増進クリニック院長 仲嶋孝治
理 念
∼地域と共に∼
「いつでも、どこでも、だれにでも
必要で適切な医療を効率的に提供します」
基本方針
・良質で適切な医療を効率的に提供します
リハビリテーション部課長・メディカルリハビリテーション担当 藤田貴士
・納得と選択に基づく科学的な医療を提供します
水光会リハ・フィットネスセンター主任 山中良晃
・的確な診療情報をお伝えします
P10 …………… 行事紹介∼看護学校・水光苑
P11 …………… 行事紹介∼水光デイサービス・水と光の園
P12 …………… 花みずき紹介・部署紹介∼診療情報管理室・
春の消防訓練
P13 …………… 新任医師紹介・手洗い講習会
P14 …………… ふれあい看護体験・水と光のコンサート
P15 …………… 食卓の一品・編集後記
P16 …………… 俳句
・個人情報を適切に取り扱い管理します
・幸せな人生を送られるような医療を提供します
・人間性豊かな医療人を育成します
No.50
(2)第 50 号
水 光
平成 21 年 11 月1日発行
(故)前理事長を偲んで
医療法人社団水光会 理事長
宗像水光会総合病院 院 長 津留 英智
前理事長、父、津留水城は、本年5月28日、約1年半の闘病の
末、他界いたしました。享年80才でした。故人の葬儀の際には多
くの方にご参列をいただき、誠に有り難うございました。改めて
心より篤く御礼申し上げます。これまで様々な方々に多くのご支
援を賜りながら、故人が理想とする医療をある程度見ることがで
きたのではないかと思います。この紙面をもちまして、生前、故人に賜りました皆様のご厚誼に心か
ら感謝申し上げます。
亡くなりまして早半年近くが経ちますが、前理事長は、『いつでも、どこでも、誰にでも、必要に
して適切な医療を効率的に提供する』を理念とし、地域の医療、介護、福祉の為に、当院・当グルー
プを設立・運営して参りました。故人の晩年は、医療界にも逆風が吹き荒れ、時代の変革も著しく、
必ずしも心穏やかな日々ばかりではなかったかもしれません。しかし多くのスタッフの献身によっ
て、地域医療に多少とも貢献することができたのではないかと思います。
昭和40年、旧福間町にて開業してから、24時間365日休むことなく、医療の原点である救急医療を
続けて参りました。地域の開業の先生方にも支えて頂きました。そして多くの患者さんにも支えられ
てきました。平成2年に現在の宗像水光会総合病院を移転・設立する前まで、地域医療の充実の為
に、また地元医師会の為に、現在の『宗像医師会病院』設立に微力を注ぐことが出来たのも、故人が
心に記することでした。
平成2年の新築移転後は、急性期医療から、介護施設への充実をはかり、老人保健施設『水光
苑 、また学校法人『宗像看護専門学校』も設立し、その後も、 水光会ふくま訪問看護ステーショ
ン 、社会福祉法人『水光デイサービスセンター 、 ふくとぴあ障害者デイサービスセンター 、訪問
介護『水光ヘルパーステーション 、『福津市水光会在宅介護支援センター 、 水光会地域総合ケア
センター 、介護付き有料老人ホーム『水と光の園 、高齢者専用賃貸住宅『みずきの郷 、小規模多
機能施設『花みずき 、有料老人ホーム『水光松風』を設立し、そして最期に『水光会リハ・フィッ
トネスセンター 、 健康増進クリニック』を立ち上げ、その完成と共に永眠しました。
地域と共に、みなさんが安心して医療・介護が受けられる施設の充実に努めて参りましたが、他界
する直前まで、スタッフに送迎されながらも登院し、医師として医療の立場から、地域に出来ること
は何かを問い続けてきたように思います。もしも故人の声を聞くことが叶うならば、目を細めながら
『いや∼、まだまだ(がんばりますよ)。』と言ったかもしれません。他界するちょうど2週間前に、
皇居における叙勲の受賞式の際、陛下に直接お声を掛けていただき、その際も、微力を尽くす旨、答
えたようです。
関係スタッフの努力によって続けられている施設内の自然環境、緑や花の整備、又、院内ホールで
の『水と光のコンサート』も、医療を広い視野でサポートする故人の姿勢であったと思います。
これから、私ども水光会グループ職員一同は、故・前理事長の遺志を受け継ぎ、掲げられた理念を
水 光
平成 21 年 11 月1日発行
第 50 号(3)
あらためて心に刻みながら、この地域の医療・介護・福祉を守って行かなければなりません。今後の
医療環境は、政権が変わっても決して穏やかな安定したものではないかもしれません。しかし時代の
変化にも対応しながら、地域の医療を支え続けることこそが、我々の使命であると考えます。
故人が残したものは決していろいろなハード(施設)だけではありません。むしろ多くの素晴ら
しいソフト(人材)によって当水光会グループは日々の歩みを進めております。今後とも皆様の変
わらぬご厚情をお願い申し上げますと共に、引き続きご指導、ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し
上げます。
副院長に就任して
宗像水光会総合病院副院長 泌尿器科部長 稲富 久人
平成21年4月1日より副院長に就任いたしました稲富です。
私は、昭和60年産業医科大学を卒業し、泌尿器科学教室に入局いたしました。産業医科大学病院、
原三信病院で泌尿器科医としての経験を積み、平成13年6月1日に宗像水光会総合病院に赴任いたし
ました。当院泌尿器科は、平成4年1月に開設されたのですが、当初産業医大泌尿器科よりの週1回
の非常勤の外来診療のみでした。何かの縁でしょうか。私は、平成4年1月から3月まで最初の非常
勤医として外来診療に携わりました。患者さんの増加により、平成8年からは、週3回の体制とな
りました。平成13年6月から常勤体制となり、私がまた最初の常勤医として勤務することになり、入
院、手術にも対応できるようになりました。院内の先生方や宗像地区の先生方のご協力により、患者
さんも増え、現在は、常勤2人体制となり、週2回大学から応援に来てもらっています。宗像地区で
唯一の入院治療のできる泌尿器科としての役割を果たし、今後さらに地域医療に貢献したいと考えて
います。
臨床研修必修化に伴い、当院は臨床研修病院として臨床研修制度の一翼を担っています。平成20年
4月から、臨床研修担当責任者としての仕事も加わり、研修医がよりよいプログラムで研修できるよ
うにと考えております。
月日が経つのは早いもので、副院長に就任して4ヶ月あまりが過ぎましたが、この間、4月には厚
生労働省が推進している「DPC:急性期入院期間別包括評価」の対象病院となり、入院医療費の算
定方法が変わりました。当院の創設者である津留水城前理事長の叙勲とご逝去、6月には、前理事長
の夢であったメディカルフィットネスセンターのオープンと色々なことがありました。当院にとって
重要な変革期にあると思います。病院を取り巻く医療情勢は相変わらず厳しいですが、病院の理念で
ある「地域とともに」を実践すべく、患者さんを中心とした医療と職員の皆さんが働き甲斐のある病
院であるように、院長とともに取り組む所存です。よろしくお願いいたします。
(4)第 50 号
水 光
平成 21 年 11 月1日発行
追悼∼津留水城先生を偲んで ①
津留水城先生との出会いそして別れ
宗像水光会総合病院 総院長 小須賀 健一
津留水城先生が、久留米大学第二外科の講師をされていた昭和40年(1965年)、私は久留米大学第
二外科へ入局しました。入局時の主任教授は西村正也先生でありました。津留水城先生の学位論文
は、「胆石症胆嚢の微細構造学的研究」でありました。久留米大学解剖学教室に設置されたばかりの
電子顕微鏡での研究でありました。
8年後に、私の研究テーマが「先天性心臓病の肺の組織学的研究−微細構造を中心として」であり、
電子顕微鏡を用いての研究で先生のご指導を仰いました。
津留水城先生の研究室の主任教授は、久留米大学から東京大学の教授になられた山田英智教授であ
りました。津留先生は、山田教授に心酔され、ご長男(現理事長)に英智の名前をいただきました。
先生は学位をとった後、当時久留米市のはずれにあった小さな聖マリア病院の、初代外科部長とし
て、消化器外科は勿論、小児外科、胸部外科、さらに頭部外傷まで運び込まれる救急患者を、淡々と
手術されていました。そして昭和40年、福間町の田圃の中に22床の津留外科病院を開設されました。
開設当時より、一人で365日24時間オープンを実行されました。
わたしも入局後2年目より土曜、日曜の当直の手伝いをさせていただきました。これからが手をと
り足をとり、私の外科医としての基礎を学ばせていただきました。先生は、昼夜問わず運び込まれる
急患を、一人で麻酔をして手術をやっておられました。
昭和40年代、行政には救急患者を扱うという概念はなく、医療者側が救急車を準備し、地域住民・
警察の要請により救急車を出動させるのが当然という認識でした。昭和42年に津留病院も救急車を購
入し、病院の職員(主に現、千手課長)が、サイレンを鳴らし運転をし、職員が不在のときは自ら当
直ナースを同乗させ事故現場へかけつけ、応急処置をして病院へ搬送してきました。
救急病院での診療は大変興味深く面白いため、昭和43年から47年までの4年間(私の久留米大ハー
トセンター在任時)は、火曜・水曜・土曜・日曜の4日間を津留外科病院で夜を過ごすという生活が
続きました。
津留先生は、腹部外科は当然のことながら、胸部外科・脳外科・整形外科は言うに及ばず産婦人科
の手術まで一人でやる、津留式手術手技を確立されていました。これを如何に真似をして学びとる
か、入局6∼7年目の私にとり最高の勉強の場でした。
土・日曜に運び込まれる、アキレス腱断裂・鎖骨骨折・大腿骨折の手術、開頭血腫除去手術は全て
任せていただきました。当時、専門領域は関係なく、総合外科医をやってきました。
昭和から平成になると、各学会が専門医制度を定め、他の領域には手を出さないという不文律がで
きてしまいました。患者の側からすれば、医師がすぐ横にいるのに専門医が来るまで診てもらえない
という現象がおきています。このため、現在総合内科という科が復活し評価されています。津留先生
は、当時より総合外科という概念で診療にあたってこられました。
津留外科病院は、3∼5年毎に増床を重ね、22床から36床、さらに本館を建て100床に、さらに昭
和49年、73床の循環器病院(諏訪病院)を隣地に新設し、私がその病院の院長となりました。年齢32
歳のことでした。
昭和54年に医療法人社団水光会を設立し、中央棟(現、諏訪クリニック)を建設。本館−中央棟−
諏訪病院を連絡橋でつなぎ、ひとつの病院に統合しました。この頃より津留水城先生は施設が手狭と
感じ、さらに総合病院建設構想を頭の中に描き始めていました。
昭和58年、久留米大学第二外科の教育関連診療科としてタイアップする事となり、昭和60年303床へ
平成 21 年 11 月1日発行
水 光
第 50 号(5)
増床し、総合病院化を着々とすすめられました。
昭和62年、新病院建設移転計画を具体化しました。先生はこの時すでに還暦を過ぎており、周囲か
らは“やめろ、やめろ”コールが起こっていましたが、まったく耳をかさず、遂に平成2年現地へ移
転、津留外科病院→津留病院→宗像水光会総合病院へ名称変更し、先生の念願であった総合病院化に
成功しました。
総合病院建設が終わるや否や、先生が50歳代に計画していたメディカルビレッジの構想へ突き進
みました。丁度日本の高齢化が進み始めた頃、昭和50年後半に政府の方針と先生の構想が一致しまし
た。水光会病院を中心に次々と、思い描いていた「ツル メディカルビレッジ」を完成させました。
そして最後に予防医学の観点からフィットネスセンターを建設、その完成を見て先生は一生の仕事を
終えられました。思い残すことのない一生であっただろうと、ただただ称賛するのみであります。
45年間ずっと一緒に先生の生き方を見させていただき、ご指導を賜りました。教わった唯一の結論
は、“医師となったからには、体の動く間は医療を続けろ”という強いメッセージを私に残していた
だきました。
微力ながら、私も津留水城スピリッツを引き継ぎ、水光会グループの発展に全力を尽くす所存であ
ります。
津留水城理事長 死去
創立者、初代医療法人宗像水光会理事長・宗像水光会総合病院理事長 津留水城先生が平成21
年5月28日、胆管がんのため80歳で永眠されました。昭和30年に熊本大学医学部卒業後、昭和40
年未知の当地で開業以来45年間、住民の皆様のニーズに対応できる、地域に開かれた病院づくり
を念頭に、医師としての使命感に徹してこられました。そして、医療・保健・福祉・教育を包括
的にとらえ急性期医療から在宅ケア、予防医学まで総合的なサービスをグループで提供できるま
で確立されました。病院移転設立、附設の建物増築の大事業を見事に成功し、集大成としてその
偉容を誇っております。私どもは引き続き先生のご遺志を受け、地域医療の更なる充実に尽力し
て参りたいと思っております。津留水城先生は、プロフェッショナルとしての医療人のあり方を
身を以って示されるとともに、良き社会人としてのバランス感覚を持って、広く一般社会に目を
開き豊かな常識と良識を具備されつつ、温厚、誠実なお人柄で、慈愛の念に満ち溢れ人間的な魅
力に満ちた先生でした。謹んで安らかな御冥福をお祈り申し上げます。皆様方にはここに生前の
ご厚誼を深謝し謹んでご報告申し上げます。
(院長秘書 萩 順子)
《津留水城 前理事長、旭日小綬章を授章》
平成 21 年5月 14 日「平成 21 年春の叙勲・褒章」の伝達式、
拝謁式が厚生労働省及び皇居「豊明殿」
(東京)で行われました。
その中で、故・津留水城理事長が、顕著な功労、功績に対しま
して旭日小綬章を授章されました。栄に浴され輝かれましたこ
とは、当水光会にとりましてもとても喜ばしく永年のご努力と
情熱に敬意を表するものです。ここに皆さまにご報告させてい
ただきます。
しかしながらその2週間後、病には勝てず天命を全うされ、帰らぬ人となりました。闘病中で体調
の不安を抱えつつも、意を決して上京され、天皇陛下さまからの温かいお言葉を頂戴され帰ってこら
れた折には、お元気を取り戻され、お過ごしになられておりました。医業一筋、最期まで仕事に誇り
を持ち続けられました泉下の先生に対し、心から敬意の念をささげたいと存じます。
(6)第 50 号
水 光
平成 21 年 11 月1日発行
追悼∼津留水城先生を偲んで ②
心を刺す壮絶な人生
水光苑元施設長 工藤 正介
4月初め津留水城理事長から戴いたお便りに衝撃を受けた。自己の詳しい症状を述べられ、大学病
院での診断結果を受け、厳しい治療法を選択していると書かれた後、
「生と死」についてはこれまであまりにも無頓着で生きてきたものですから、
これからは自然に触れる喜びと皆さんとのお付き合いを大切にして、生きる力を
もらいながら患者さんの治療を続けられるだけ続けたいものです。
と結んであった。私は淡々たる文面の裏に潜む理事長の明澄、強靭な精神の力に感動し、圧倒され
た。理事長が如何に病と向き合い、病と闘い、己と戦いながら獅子奮迅の努力を続けておられたか、
胸を突かれた。それから何回お会いしたか。同年代のお互いの健康状態や、苦楽を共にした昔話を懐
かしみ「ああ楽しかった。又来て下さい」と微笑まれたお顔が忘れられぬ。
理事長と初めてお会いしたのは平成2年6月。ある日、理事長と水光苑の原豊施設長と一緒に西日
本新聞の青木秀会長に挨拶に行った。“保健・医療・福祉・教育”という包括的地域医療を説く理事
長の熱い思いに感銘を覚えた。爾来20年、私の第2の人生は津留理事長と共にあった。「医者だけで
は福祉の世界は心細いので頼みます」と語られ、当面の目標を特別養護老人ホームの設立に置いた。
翌3年、原先生の突然の退社で総合開発室長のまま水光苑施設長を命ぜられた。県の実地指導直前
のことで、準備に大わらわの現場に理事長と秘書の智子さん(次女)が幾晩も遅くまで付き合ってく
れたのも懐かしい。幸い最高の講評を受け、喜び合った。
老健で怖いものは火事と脱出と転倒だと注意していたが、福岡まで脱出した老人には参った。課題は
わずか45名の入所者、2∼3名の通所者をどう増やすか。看護、介護の充実しかないと見定め、職員は
涙ぐましい研鑚を続けた。丸山泉先生(小郡市・丸山病院長)から「理事長が水光苑は順調で一番問題
がないと言っていた」と聞かされた時はほっとした。頃は良しと理事長と特養建設に乗り出した。
宗像市に建設予定地を確保し、安元主計参与と相携え諸準備を整えながら行政と折衝を進めた。し
かし土壇場で他との競合を市で調整できず、双方ともご破算に。次に地元にケアハウス建設を目指し
たが、町は先約があるとして受け付けぬ。憤慨し落ち込む我々に理事長は「ではデイサービスセンター
を作る」と宣言された。申請締切日に町と県に駆け込み、ついに認可に至った時は、理事長の喜びも強
かった。と同時に我々は諸規制の煩雑さ、地域の政治、行政事情の複雑さをいやという程知らされた。
理事長と厚労省へ出かけた際、在京の坊城中子先生から「お若いですね」と言われ「私には夢があ
りますから」と理事長は答えられた。夢を抱いて医療、福祉、教育を一日も休むことなく走り続けた
理事長の壮絶な人生を思う時、共に過ごした20年の歳月の意味が深く私の心を刺す。
20年の歳月が長かったか短かったか分からない。しかし共に過ごした歳月を私は絶対に忘れない。
追記:広報誌「水光」について理事長から「病院、老健、学校と職員も増えた。情報を密に充実
した職場作りのために発行を」と指示され創刊号を作ったが、何と42号まで編集に当たった。泉
(旧姓津留)智子さん、その後を継いだ萩順子さん、松崎佐奈恵さんの協力に感謝します。また
「地域と共に」30年記念誌は、滅多に誉めない理事長が「さすがプロですね。素晴らしい」と言わ
れたことを今でも覚えている。その時、まさか40年記念誌まで編集するとは思わなかった。
水 光
平成 21 年 11 月1日発行
第 50 号(7)
水城先生思い出のアルバム
坊城中子さん直筆の色紙
当院初代の看護部長で俳人の
坊城中子さんよりお悔やみの
句を戴きました。
年9月 日
水光苑にて工藤元施設長と
92
15
昭和50年頃 津留病院前にて
平成17年 消防訓練
平成 年 シンガポールにて
水光苑の夏まつり
平成19年 恒例の餅つき
18
平成16年 水と光の園地鎮祭
平成20年9月
総合リハセンター地鎮祭
平成 年
世界医師会︵デンマークにて︶
19
水光苑の畑で採れた大根をプレゼントされて
平成20年 看護学校卒業式
水 光
(8)第 50 号
平成 21 年 11 月1日発行
水光会リハ・フィットネスセンター開設
水光会リハ・フィットネスセンターのご紹介
健康増進クリニック院長 仲嶋 孝治
水光会総合リハ・フィットネスセンターは、今年6月1日オープンしました。
水光会健康増進クリニックはそれに併設された診療所で、同時に開業しました。
診療所の目的は、
(1)生活習慣病に対する予防と治療です。生活習慣病とは「食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒
等の生活習慣が、その発症・進展に関する疾患群」と定義されています。
(2)脳血管疾患の後遺症
(3)運動器疾患の後遺症、神経疾患、パーキンソン病等で日常生活能力の低下、部位を理学療法を
通じ、身体能力の改善、維持を行ないます。
診療所では、血圧測定、心疾患が疑われる人に心電図、負荷心電図を取り、また採血を行い、糖尿
病、脂質異常のチェックを行ないます。
また、インボデー測定器で身長・体重を計測し、その結果で次の項目が瞬時に判ります。
①筋肉脂肪の割合、②自分の体型、③体の構成成分、④部位筋肉の発達状態、⑤メタボリックの情
報、⑥身体のサイズ、⑦基礎代謝量、⑧フィットネススコア、⑨生活習慣評価、⑩体重調節、この10
項目を参考にして、生活の基本である食生活について管理栄養士が指導。運動療法については健康運
動士が専門的な立場で処方指導を行ないます。機能障害に対しては理学療法士が当たり、個人にあっ
た理学療法の処方を行い、機能改善・維持を行ないます。
診療所(医師・看護師)、栄養士、健康運動士、理学療法士が枠を越え、一体となって、メディカ
ル・フィットネス、メディカル・リハビリテーション、デイ・リハビリテーションの利用者の皆様方
に、無理なく、楽しく、健康維持ができますように努めております。
日ごろの運動不足、身体能力の増強、機能障害の改善・維持を必要と感じられる皆様方に水光会総
合リハ・フィットネスセンター、診療所のご利用をお待ち申し上げます。
健康増進クリニック
受付・待合室
正面外観(左は水と光の園)
明るい採光の屋内
室内プール
カフェレストラン
平成 21 年 11 月1日発行
水 光
第 50 号(9)
総合リハセンター紹介
リハビリテーション部 課長 メディカルリハビリテーション担当 藤田 貴士
水光会 総合リハ・フィットネスセンターの「総合リハセンター」のご紹介をします。
「総合リハセンター」は水光会 健康増進クリニックに付設された、医療保険適用のメディカルリ
ハビリと介護保険適用のデイリハビリ(通所リハビリ)の総称です。
メディカルリハビリは、脳血管疾患や骨・関節(運動器)の慢性期の患者さんを対象に継続的な維
持期のリハビリを行います。医療費削減政策のあおりでリハビリの回数制限が続く中、諦めずに病気
と闘う患者さんのニーズに応えられるよう、患者満足度の高いリハビリを目指しています。デイリハ
ビリは、リハビリに特化した新スタイルの通所リハビリです。これまで通所リハビリは6∼8時間が
当たり前のように行われてきましたが、利用者ニーズの多様化に対応し3∼4時間を基本利用時間に
しました。安全性が高い専用のマシンで行なうパワーリハビリと、屋内温水プールでの水中運動等に
より心身機能の改善を図り、ADLやQOLが高まるよう支援しています。また、行政の委託を受けて
一般高齢者や特定高齢者の転倒予防や口腔機能改善等の介護予防事業にも力を注いでいます。地域住
民の皆様に当センターをご愛顧いただけるよう、職員一同がんばって参ります。
フィットネスへようこそ!
水光会リハ・フィットネスセンター主任 山中 良晃
水光会メディカルフィットネスは健康増進クリニックと連携し、生活習慣病予防と改善を主たる
目的としたフィットネスクラブです。フィットネスの玄関である2Fのトレーニングジムには自転車
エルゴ、トレッドミル、エリプティカル、ステアマスターといった有酸素運動を行う最新マシン16台
と、その機能、安全性から世界で最も信頼されるノーチラスの筋力トレーニングマシン6機種があり
ます。その奥にはエアロビクスやヨガ、コアトレーニングなど多彩なレッスンプログラムを行うス
タジオがあります。1Fには15m×3コースのプールがあり、水中歩行用の手すりを備えています。
日差しが差し込む明るいプールサイドにはジャグジーがあり、ゆったりとリラックスした時間を楽し
むことができます。疾病の予防、改善が目的の方から肩こり、腰痛の方、運動不足解消、肉体改造、
トップアスリートの方々まで健康運動指導士や運動実践指導者、(財)日本体育協会公認指導者等有資
格指導者がお客様の目的や目標、要望に応じて個別にプログラムを作成し、効果的、継続的な運動が
無理なく行えるようアドバイスさせていただきます。みなさまのお越しをお待ちしています。
水 光
(10)第 50 号
平成 21 年 11 月1日発行
看護学校の行事∼学院祭を終えて
宗像看護専門学校 専任教員 丸山 智子
6月26日(金)、学院祭を宗像ユリックスで行ないました。開会に先立ち、5月に亡くなられた前
理事長のご遺徳を偲び哀悼の意を表して、1分間の黙とうを致しました。
ここ数年、学院祭ではソフトバレーを行なっています。今年で18回目ですが、毎年、学生たちが実
行委員会を作り、手間ひまかけて計画し、運営をしています。
今年工夫していたところは、興味が持てるポスターを作っていたこと、応援賞を設けてスポーツが
得意でない人にも学院祭が楽しめるようにしていたことです。当日は、珍プレイ、好プレイが続出
し、笑いと熱気で大いに盛り上がりました。
閉会式で、実行委員長は、「皆さんのご協力で無事、学院祭を終えることができました。有難うご
ざいました。」と涙を流しながらお礼の挨拶を述べました。早くから実行委員会を立ち上げ、今日ま
での苦労は大変なものだったと思います。今どきの学生は・・・とよく言われますが、ここまで一生
懸命になれること、なれたことは大変素晴らしいことだと、感激してしまいました。
今後も学生たちが、積極的に、自らしたい、やりたいという気持ちから学習その他に取り組めるよ
うに日々の教育に携わっていこうと気持ちを新たにした一日でした。
水光苑行事に思う
水光苑 施設長 沼田 史朗
「家族みんな元気で過ごせますように!」「家族は宝物です。健康で長生きし
てくださいますように!」「水光苑の皆様方と一日を楽しく過ごせますように」
「水光苑の○○さんが早く結婚するよう祈ります」…これは今年の七夕飾りの
短冊に、水光苑の利用者様が書かれた願い事の一部です。自分のことはさてお
き、日頃言葉や態度では表せなくても、利用者さまの家族や世話になっている職
員への優しさや思いやりが込められた、心
温まる一言一句です。
水光苑では、毎月の誕生会と正月の屠蘇から12月の餅つきまでい
ろいろな催しを行なって、変化の少ない日々を少しでも楽しんでい
ただこうと、職員一同懸命に頑張っております。ただ、行事消化の
ためだけや、職員の一方的な考えにならないことが大事であり、前
述の利用者さまのような相手への思いやりを持って真に利用者さま
に喜ばれる催し物を行なっていきたいと痛感いたしております。
平成 21 年 11 月1日発行
水 光
第 50 号(11)
水光デイサービス
水光デイサービスセンター管理者主任 茶屋本 崇
こんにちは!水光デイサービスです。水光デイサービスは、今年5月をもちまして開設10周年を迎
えることができました。これもひとえに皆様方のご支援のおかげだと感謝いたしております。ありが
とうございます!
さて、水光デイサービスがここ数ヶ月で「ちょっと変わった点」のお知らせを少し。
まず、開設10周年を迎え、古くなった(?)ホールを改築していただきました。おかげでホールは広
くなり、さらに快適な空間へと変貌。おまけに休養室まで作っていただいて…これでご利用者さまに
静かな部屋でお過ごしいただけるようになりました。更に、リハビリテーション部の支援を受け、リ
ハビリスタッフが週6日来ていただけるようになりました。今まで以上に機能の維持・向上を目指し
たリハビリが行われると思っております。もちろんレクリエーションも忘れてはいません。最近やり
始めたクッキングの日には、ホール内においしそうな匂いが充満し、思わずつまみ食いする人も。他
にも創作活動やバスハイク、カラオケに将棋等々ご利用者様に毎回楽しんでいただけるよう、スタッ
フ一同日々頭をひねっています。以上、デイサービスでした。
水と光の園「七夕会」
レクリエーション担当 介護士 稲留ちづる
野口 絹子
平成21年7月1日(水)、七夕会を行いました。今年は入居者の皆様にゆっくりと七夕を楽しんで
いただこうと、数日前から飾り付けを行い、当日には願い事いっぱい、飾り物いっぱいの立派な七夕
飾りが出来上がりました。短冊には健康をお願いしているものが多く見られましたが、中には「世界
平和」を願ったものもあり、入居者さまの優しい気持ちに触れ、スタッフ一同、皆様の願いが届きま
すようにと心から思わずにはいられませんでした。
『七夕飾りは8月下旬(旧七夕)まで飾り、川に流すと願いが叶う』と、100歳を越えた入居者さまが
教えてくださいました。皆様もの知りで、日々教えていただくことがいっぱいです。この日は全員童心
に返り、飾りを眺めながら七夕さまの歌を歌い、七夕の由来の話に耳を傾け、お
茶を飲み、おしゃべりをしながら…と、ゆったりとした時間を過ごしました。
水 光
(12)第 50 号
平成 21 年 11 月1日発行
花みずきの行事紹介
花みずき管理者 磯野 孝子
当施設では、地域の方々との交流の一環として、福津市緑町公民館の大正琴「ひまわりの会」の皆
様をお招きして演奏会を行いました。今回は大正琴の音色に合わせて歌ったり踊ったり、最後はサー
クルの皆様と利用者様と一緒に茶話会をして楽しみました。今後は定期的に第3木曜日に花みずきへ
来ていただけるようになりました。第4土曜日には、ボランティアでお習字の先生に来ていただいて
います。お手本を見ながら上手な筆使いで、個性ある味わい深い書字で先生も驚かれる様な素晴らし
い出来栄えです。第3火曜日には、講師の先生をお招きして、3B体操を行っています。ボール、ベ
ルト、ビート板を使って身体を動かしたり、歌ったりと音楽に合わせて身体の維持向上に役立ってい
ます。皆様、笑顔で、楽しんで体を動かしておられます。一度、花みずきの見学にお越しください。
お待ちしています。
部 署 紹 介
診療情報管理室
診療情報管理室 課長 永尾 美穂
診療情報管理室は、入院診療録(カルテ)を管理している部署で
す。診療情報管理士3名、パート2名で業務を行っています。主な
業務内容は、診療録のアリバイ管理や記載内容の確認、主治医への
退院時要約の作成依頼、製本、疾病統計の作成などです。
診療録は、外来診療や診断書作成、再入院、研究、医療事務など
で使用されることがあり、管理室には、先生や看護師、薬局やリハ
ビリ、栄養室、医事課などいろいろな部署の方が訪問しています。
そのため、必要な時は迅速に対応できるよう心がけており、病院の
中で “ 縁の下の力持ち ” 的な部署になれたら…と思っています。
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春の消防訓練
好天に恵まれた5月19日、「春の消防訓練」が行われました。今回は6階
N病棟の談話室から出火したとの想定でしたので、1階の院外まで避難する
のに手間取ってしまった点が反省点として上げられます。
6月の消防法改正で各家庭に火災報知器設置の
義務化や、大規模事業所における自衛消防組織運用
体制の強化、また地震災害等に備えるために防災管
理者の配置等が求められるようになりました。今後
も職員ひとり一人が防災・防火に常に意識を持って
業務に取り組んでいただきたいと思います。
(防火・防災管理者 村上 雅秀)
水 光
平成 21 年 11 月1日発行
第 50 号(13)
新任医師紹介
平成 21 年 9 月 1 日より内科に着任いたしました、新生修一(あらお しゅうい
ち)です。北九州市の出身で、平成 3 年に産業医科大学を卒業いたしました。産
業医科大学第3内科に入局後、産業医科大学病院、国立病院九州がんセンター消
化器内科に勤務しました。大学院で研究に従事した後、福岡県と山口県で企業の
専属産業医として、職場環境改善や従業員の健康管理体制の整備、メンタルヘル
内 科
新生 修一
ス対策の推進など、労働衛生活動に従事して参りました。当院では、これまでの
臨床・研究・産業医の経験を生かしながら、内科医・消化器内科医として再出発
することになりました。今後は宗像地区の地域医療に貢献できる医師を目指して
誠心誠意任務に専念する所存ですので、何卒ご指導・ご鞭撻を賜りますようよろ
しくお願い申し上げます。
この度7月 1 日付けをもって、当院の心臓血管外科に赴任してまいりました大
塚裕之(おおつか ひろゆき)です。平成 11 年、久留米大学外科学に入局し、卒
後3年目より大学院に入学。大学院時代は主に下肢重症虚血肢に対する血管新生
療法の研究を行ってまいりました。赴任前は久留米大学高度救命救急センターに
所属し、急性心筋梗塞、急性大動脈解離、肺塞栓症、外傷性大動脈損傷等の救急
心臓血管外科
大塚 裕之
疾患における診断・治療にも携わり多くの経験をさせていただきました。
今後は宗像地区の皆さまに、少しでもお役に立てる診療ができるよう精一杯頑
張りたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
手洗い講習会
院内感染対策委員会の活動の一環として、「手洗い
講習会」が5月21・22日の両日、講義室にて開催されま
した。㈱大日本住友製薬さんの協力により平成16年から
開催していますが、今年で6年目となりました。講義
と実技を織り交ぜた分かりやすい内容となっていて、
今回は「新型インフルエンザ」の国内初の感染者が確
認されたニュースの直後でもあったため、多くの職員
が参加したようです。今もまだ日本各地で感染者が発
生しているようですが、手洗い&うがいで感染の予防に
努めてまいりましょう。
(院内感染対策委員会)
(14)第 50 号
水 光
平成 21 年 11 月1日発行
5 月 12 日は看護の日∼ふれあい看護体験
5月 12 日は「看護の日」
。ナイチンゲールの誕生日にちなんで定められました。そして 12
日を含む週の日曜から土曜までが「看護週間」です。期間中はさまざまな催しが行われますが、
当院でも5月9日に “ ふれあい看護体験 ” を行いました。今回の参加者は9名の高校生。ユ
ニフォームに着替えた高校生は病棟看護師の指導のもと、入院患者さまの洗髪後ドライヤーで
髪を乾かしたり、手浴、足浴や食事の介助などを緊張の面持ちで体験しました。患者さまも一
日限りの “ 可愛い看護師さん ” の登場に大喜び。笑顔で声をかけておられました。
春・ときめきの音色
〈第 42 回 水と光のコンサート〉
ここちよい春風の吹く4月18日、第42回のコンサートを
開催いたしました。今回はマンドリンとピアノのデュオ、
Duo Piu♪ (デュオ・ピュウ)の演奏をお楽しみいただき
ました。マンドリンの演奏は初めてとなる水と光のコンサー
ト。映画「第三の男」のテーマや「ひまわり」など往年の
懐かしい名画の曲や「幻想曲 桜」(縄田政次作曲)、ショ
パンのノクターン第20番「遺作」、モンティ作曲「チャール
ダーシュ」など選りすぐりの名曲の数々が、こころに染み込
んでゆきます。大好評の“いっしょに歌いましょう”では瀧
廉太郎作曲の「花」と岡野貞一作曲「ふるさと」を大合唱。
高橋和彦さんのつま弾くマンドリンの音色の、明るい太陽の
輝きや時に物悲しく響く繊細なトレモロと、そこに寄り添
う、ピアニスト・夏川由紀乃さんの美しい旋律。おふたりの
息の合ったハーモニーに心から癒されたひと時でした。
*このコンサートは平成9年に始まり、現在年3回のペースで
開催しております。おかげさまでこのたび 42 回目を終了いた
しました。入院患者さまやご家族の方々、通院患者さま、関連
施設に入所の皆さま、市内・近郊から、また遠方よりお越しい
ただく皆さま、いつもありがとうございます。宗像水光会総合
病院は、これからも音楽を通じてやすらぎのひと時をお届けし
てまいります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
第 50 号(15)
水 光
平成 21 年 11 月1日発行
∼ 食卓の一品 ∼
夏野菜の酢豚風
材料4人分
豚ロース薄切り肉………………… 12 枚
なす(中)……………………………3本
ミニトマト………………………… 12 個
ピーマン………………………………2個
酢・しょうゆ・酒………各大さじ2
砂 糖…………… 大さじ 2・1 /2
水カップ……………………… 1 /2
A
片栗粉………………………小さじ2
サラダ油…………………………大さじ2
塩………………………… 小さじ 1 /3
作り方
① なすは縦4∼6本に切って、皮に軽く切れ目を入れ塩水にさらしておく。
② ミニトマトはヘタをとる。ピーマンは種をとって2cmの乱切りにする。
③ 豚肉を広げなすをのせて巻きつけ、塩、片栗粉をまぶす。
④ フライパンにサラダ油を熱し、③を入れて蓋をして中火で4分ほど焼く。
⑤ ピーマンを加えて上下 1 分焼く。トマトを加えてさっと炒める。
⑥ A を入れて混ぜながら煮立て、とろみがついたら器に盛る。
ポイント
豚肉はなすを巻くことで使用量が減りヘルシーでボリューム満点な 1 品になります。ピーマンはビタミンを
効率よく摂取するなら、油を使った調理がおすすめ。ビタミンC・Aが夏バテ防止や疲労回復、かぜの予防に
役立ちます。緑の野菜が不足しがちな夏場こそおおいに活用しましょう。
(管理栄養士 青木智子)
な り、 春 に は 華 麗
季節はすでに秋の装いと
に 咲 き 誇 っ た 桜 の 葉 は 赤 や 茶 色 に 紅 葉 し、 散
り始めている。
葉っぱのフレディ﹂
レオ・バスカーリア作﹁
と い う 絵 本 が あ る。 春 に 生 ま れ て 秋 に は も う
散 っ て し ま う 葉 っ ぱ で は あ る が、 地 面 に 落 ち
た 葉 は 土 に 混 じ り、 や が て 新 し い 季 節 の 芽 吹
きのための養分となって次の世代へ命をつな
い で ゆ く の だ と 教 え て く れ る。 子 供 の た め に
書かれたこの物語には︽いのちは永遠である︾
というメッセージが込められている。
されたものは計り知
津留水城前理事長の残
﹃迷ったときには、まず患者さんのこ
れない。
と を 考 え な さ い。 答 え は そ こ か ら 生 ま れ て く
る の だ か ら ﹄ と お っ し ゃ る お 顔 は、 厳 し い ま
な ざ し で あ る と 同 時 に、 慈 愛 に 満 ち、 笑 顔 と
共 に あ っ た。 い つ も 足 早 に 階 段 を 駆 け 上 っ て
い た 水 城 先 生 の 白 衣 の 姿 は、 職 員 誰 も が 思 い
浮かべることが出来る。
、私たちは水城先生
津留英智理事長のもと
を 理 想 と し、 か け が え の な い 命 の 源 を い た だ
い た の だ と 心 に 記 し、 皆 さ ま の 健 や か な ご 健
康を願いつつ日々精進してゆく所存である。
先生の愛した公孫樹
水 光 苑 の 庭 で は、 水 城
が葉を秋の色に染めながら風に揺れている。
︵広報委員
松崎佐奈恵︶
編
集
後
記
水 光
平成 21 年 11 月1日発行
諸
感
句碑見失う程の木々繁りやう
坊城中子
こしたやみ
昔日の武蔵野偲び木下闇
鷺草の植え替られし準備かな
靖国の宮司欠席花水蓮
虚子句碑の文字の涼しき流れかな
(16)第 50 号
受付・診療時間
受付時間 午 前 8 : 00~12 : 00
午 後 1 : 00~ 5 : 15
診療時間 午 前 9 : 00~12 : 30
午 後 1 : 30~ 5 : 30
休 診 日 日曜 ・ 祝日、 年末年始 (12/31 ~ 1/3)
※急患につきましては、 休診日、 時間外にかかわらず 診療致します。
病 床 数
300床 (一般 251 床、 回復期リハ病棟 49 床)
面会時間
平日 14 : 00 ~ 20 : 00 休日 10 : 00 ~ 20 : 00
施設認定
救急告示病院
開放型病院
基幹型臨床研修病院
(財)日本医療機能評価機構認定病院 (Ver.5.0)
福岡県重症神経難病ネットワーク協力病院
久留米大学医学部教育関連病院
診療科目
総 合診療科、 内 科 ・ 糖 尿 内 科 、 呼 吸 器 科
消 化器 ・ 胃腸科 、 循 環 器 科 、 小 児 科
リウマチ科、 リハビ リ テ ー シ ョ ン 科 、 外 科
心 臓血管外科、 整 形 外 科 、 形 成 外 科
脳 神経外科、 産 婦 人 科 、 眼 科 、 耳 鼻 咽 喉 科
皮 膚科、 泌尿器 科 、 肛 門 科 、 放 射 線 科
麻 酔科、 透析セ ン タ ー 、 各 種 健 康 診 断
生 活習慣病予防 健 診 、 人 間 ド ッ ク ・ 脳 ド ッ ク
医療法人社団水光会
⑥
⑧
JR福間
⑤
福津市役所
①
JR福間
線
上西郷インター
②
④
③
上西郷交差点
TEL 0940-42-2221
〒 811-3207 福津市上西郷 335-1
②水光福祉会 水光デイサービスセンター
水光福祉会 水光ヘルパーステーション
TEL 0940-34-3331
TEL 0940-34-3332
③小規模多機能型居宅介護施設 花みずき
高齢者専用賃貸住宅 みずきの郷
TEL 0940-43-5001
TEL 0940-43-1112
〒 811-3207 福津市上西郷 486-1
④水光会総合リハ・フィットネスセンター
〒 811-3298 福岡県福津市上西郷 341-1
0940-34-3111 ㈹
FAX. 0940 - 43 - 5981
TEL. ホームページ http://www.suikokai.or.jp
E メール [email protected]
水光会グループ
①介護老人保健施設 水光苑
宗像水光会総合病院
号
宗像水光会
総合病院
宮地嶽神社
国
道
3
⑦
TEL 0940-34-3135
〒 811-3207 福津市上西郷 488 番地の 1
⑤介護付有料老人ホーム 水と光の園
水光会地域総合ケアセンター
福津市水光会在宅介護支援センター
水光会ふくま訪問看護ステーション
TEL 0940-34-3071
TEL 0940-34-3434
TEL 0940-34-0044
TEL 0940-34-3133
〒 811-3207 福津市上西郷 491-1
⑥有料老人ホーム 水光松風
TEL 0940-42-3505
〒 811-3219 福津市西福間 4-1-1
⑦学校法人水光学院 宗像看護専門学校
TEL 0940-52-5222
〒 811-3305 福津市宮司 2-11-20
⑧ふくとぴあデイサービスセンター
TEL 0940-34-3338
〒 811-3218 福津市手光南 2-1-1 ふくとぴあ内
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