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Title エッセイ> ll. 大阪大学大学院・文学研究科の玉井教 授のご
Title
<特別エッセイ> ll. 大阪大学大学院・文学研究科の玉井教
授のご同僚の方々より
Author(s)
Citation
Issue Date
Osaka Literary Review. 48 P.106-P.126
2010-03-24
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/11094/25338
DOI
Rights
Osaka University
106
II
(大阪大 学 大 学 院 ・文 学 研 究 科 の 玉 井 教 授 の こ同 僚 の 方 々 よ り)
強 い責任感 と適切 な助言
大 庭
幸
男
諺 に 「光 陰矢 の ご と し」 とあ るよ うに、 月 日の た っ の は早 い もの で 、 あ の
若 々 しい玉 井 障 先 生 が 今 年 度 限 りで ご退 官 に な られ ま す 。 玉 井 先 生 に は、
公 私 と もど もた い へ ん お世 話 に な り、 心 よ り感 謝 申 し上 げ ま す。
玉 井 先 生 は、1983年4月1日
付 で 和 歌 山 大 学 か ら大 阪 大 学 に配 置 換 え に
な られ た と思 い ます。 実 は、 私 も同年 に 山 口大 学 か ら大 阪大 学 に配 置 換 え に
な りま した。 もち ろ ん、 玉 井 先 生 は文 学 部 で した が、 私 の方 は言 語 文 化 部 で
した。 した が って、 そ の 当時 、 玉 井 先 生 とは そ れ ほ ど密 な接 触 は あ りま せ ん
で した。 恐 ら く、 年 に一 度 の入 学 試 験 採 点 時 に お会 いす る程 度 だ った と思 い
ます 。 しか し、 玉 井 先 生 が そ れ ま で お勤 め に な って お られ た和 歌 山大 学 に は
た いへ ん 縁 が あ り、 大 阪大 学 に来 た初 年 度 か ら数 年 間 、 同大 学 の 非 常 勤 講 師
を務 め ま した。 私 は生 ま れ も育 ち も九 州 は福 岡育 ち です し、 大 学 院 修 了 後 に
は 山 口大 学 に勤 務 しま した の で、 関 西 地 方 に は何 の縁 も ゆか りも あ り ませ ん
で した。 た だ、 た ま た ま大 学 院 時 代 の 同僚 が和 歌 山大 学 に勤 めて い ま した の
で 、 た いへ ん 心 強 い思 い を しま した。 そ の こ と もあ り、 週 に一度 の和 歌 山 大
学 へ の 「旅 」 は、 「楽 しい思 い」 で して お り ま した 。
玉 井 先 生 と本 格 的 に お 付 き合 い さ せ て い た だ くよ うに な っ た の は、 私 が
1991年4月
に文 学 部 に配 置 換 え に な って か らで す。 そ れ ま で は 、 英 語学 研
究 室 に は成 田義 光 教 授 と河 上 誓 作 助 教 授 が お られ ま した 。 そ の う ち、 成 田先
生 は定 年 を 待 たず して関 西 学 院 大 学 に ご転 出 され ま した ので 、 そ の2年 後 に
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先 生 の 後任 と して私 が 文 学 部 に異 動 す る こ と に な りま した 。 河 上 先 生 に は、
大 学 時 代 の 恩 師 で あ った こと もあ り、 そ れ以 後 、 本 当 に お世 話 にな りま した。
私 が 文学 部 に移 り ま した と きは、 英 米 文 学 研 究 室 には 藤井 治 彦 先 生 、 石 田
久 先生 、 そ して 玉 井 先 生 が お られ ま した。 した が い ま して、 玉井 先 生 とは お
お よ そ18年
問 もの長 き に渡 って お付 き合 い を さ せ て い ただ い た こと に な り
ます 。 そ の後 、 森 岡 先 生 が奈 良 女 子 大学 か ら配 置 換 え にな られ ま した。 ま た、
藤 井 先 生 、 石 田先 生 、 河 上 先生 の後 任 と して、 服 部 典 之 先生 、 片 渕 悦 久 先生 、
岡 田禎 之先 生 が ご着 任 に な られ、 現 在 の英 米 文 学 ・英 語 学 の教 授 陣 に な って
い ます 。
英 米 文 学 、 英 語 学研 究 室 の特 徴 は、 「英 文 科 」 と して ま と ま って い る こと
だ と思 い ます 。 他 大 学 で は、 英文 学 と英 語 学 が別 々 に な って い て、 お互 い に
交 流 の な い と こ ろが 多 くあ り ます 。 しか し、 阪 大 の 英米 文学 、英 語 学 研 究 室
で は そ の よ う な こ と は な く、 英 文 科 と して ま とま り、 ガ イ ダ ンス 、 オ リエ ン
テ ー シ ョ ン、 コ ンパ 等 の 実 施 は もち ろ ん の こ と、OLRの
刊 行や阪大英文 学
会 の 開 催 な ど も協 力 し合 い行 って い ます 。 これ は、 全 国 的 にみ て も、 た いへ
ん 珍 しい こ と で は な い で し ょ うか 。 特 に、 こ の結 束 の よ さ を象 徴 的 に示 して
い るの は、 阪 大 英 文 学 会 だ と思 い ます 。 年 に一 度 開催 され る学 会 で す が 、 英
米 文 学 、 英 語 学 の専 門分 野 を 問 わず 、 毎 年 多 数 の 同窓 生 の方 々 が参 加 さ れて
い ます 。
阪大 英 文 学 会 につ い て は、 藤井 先 生 、 石 田 先生 、河 上 先 生 の 時代 か ら、 玉
井先 生 が お一 人 で 会 議 開 催 に関 す る資料 作 成 、企 画等 を ご 自分 の使 命 の よ う
にな さ って い ま した。 そ の お陰 で 、 皆様 も ご存 知 の よ う に、 玉 井先 生 が 会長
に就 任 され た時 に、 阪 大 英 文 学 会 叢 書 が 刊 行 され る に至 り ま した。玉 井 先生
の阪 大 英 文 学 会 へ の情 熱 は、 傍 に い る と ひ しひ し と感 じ られ ます 。 ど う して
そ の よ うな情 熱 を玉 井 先 生 が お持 ちで あ る の か、 機 会 が あ れ ば是 非 お 聞 き し
た い と思 って い ま す。
この こ と と若干 関係 が あ り ます が、 私 は常 日頃 、 玉井 先 生 は た いへ ん責 任
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感 の 強 い お 人柄 だ と思 って い ます 。 ど ち らか と い う と、 いろ ん な仕 事 を他 人
任 せ に す る の で はな く、 す べ て お 一人 で され るの が性 に あ って お られ る方 だ
と思 い ます 。 種 々 の学 会 等 で は、 すべ て お一 人 で計 画 ・準 備 や事 務 手 続 き等
を さ れ、 私 た ち は そ の報 告 を 聞 くの み で した。 もち ろん 、 我 々が 頼 りな い と
い うこ と も あ るで し ょ うが、 何 か お手 伝 い を しよ うと考 え て も、 先 生 の性 格
に鑑 み て 、 実 は あ ま り差 し出 が ま しい こ と は控 え る方 が よ い とい う判 断 もあ
り ま した。
また、 玉 井 先生 は 「いっ も」 と言 って も過 言 で は な い く らい、 的確 な 判 断
を され る方 で す。 河上 先 生 が 定年 退 官 され るま で、 私 は英 語 学 研 究 室 の 運 営
や学 生 の指 導 等 に っ い て何 の心 配 も して お りませ ん で した。 い わ ば、 先 生 の
傘 の下 で、 研 究 室 の こ と に あ ま り頓 着 せ ず に過 ご して お りま した 。 しか し、
河 上 先 生 が 退 職 さ れ て か らは、 と き ど き ど う した らよ いか 分 か らな い と き が
あ り ま した。 た とえ ば 、学 生 の教 育 指 導 の こと、 英 語学 研 究 室 の運 営 の こ と、
また 、 これ は済 ん で しま った こ とで す が、 大 阪外 国語 大学 との統 合 の こ と等
にっ い て幾 度 とな く相 談 させ て いた だ きま した。 そ の よ うな時 に は、 玉 井 先
生 は きち ん と話 を 聞 い て くだ さ り、 い っ も的確 な解 決 策 を提 案 して い た だ き
ま した。 本 当 に心 強 い思 い を した もの です 。
弘 法 大 師 の言 葉 に 「そ れ境 は心 に したが って 変 ず 。 心 けが る る と き はす な
わ ち境 に ご る。 こ ころ は境 を お って 移 る。 境 しず か な る と きは す な わ ち こ こ
ろ朗 らか な り。 心 境 冥 会 に して 道 徳 は る か に存 す 。」 と い うの が あ り ます 。
玉井 先 生 が、 い っ も的 確 な ご判 断 を され るの は、 ご家 族 を含 め て周 りの環 境
と玉 井 先 生 の心 が 見事 に調和 して い るか らだ と思 い ま す。 っ ま り、 静 か な落
ち着 い た環 境 に い らっ しゃ るの で、 こ ころ も自然 と落 ち着 いて きて 、 的 確 な
判 断 が お で き に な るの だ ろ う と思 い ます 。
玉 井 先 生 が ご退 官 さ れ る こ とは、 私 た ち に と って た いへ ん 痛 手 で はあ りま
す が、 私 た ち皆 で 力 を合 せ て英 文 科 を さ らに発 展 させ な けれ ば な らな い と思 っ
て い ます。 玉 井 先 生 、 これ まで 英 文科 の た め に ご尽 力 い た だ きま して、 心 よ
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り感 謝 申 し上 げ ます。
(大阪大学大学院 ・文学 研究科 ・英語学専攻教授)
「感 謝 」 の二 文 字
森
私 の 阪 大 文 学 部 着 任 は1995年
岡
裕
一
、 阪 神 ・淡 路 大 震 災 の年 で あ る。 以 来 、15
年 間、 玉 井 先 生 に は上 司 か っ 同 僚 と して お っ き あ い頂 い て き た。 そ の先 生 が
今 春 、 阪大 を 離 れ られ る。 山 川 先 生 、 石 田先 生 の こ退 官 、 藤 井 先生 の ご逝 去
と、 さ ま ざ ま な 「お別 れ」 を体 験 した 中 で 、玉 井 先 生 の ご退 職 は私 に と って、
不 思 議 な感 覚 を与 え る。 もち ろ ん、 寂 しさが な いわ けで はな い。 それ 以上 に、
玉井 先 生 の お られ な い英 文 科 運営 を考 え た 際、年 長 者 で あ るわ が身 を振 り返 っ
て 不 安 感 に圧 倒 さ れ る思 いす らあ る。 しか し、 同 時 に、 体 を張 って 英文 科 の
た め に努 力 して こ られ た玉 井 先 生 の営 為 を お傍 で 目の 当 た りに して きた者 と
して は、 先 生 の不 在 を 補 って 余 りあ る 「遺 産 」 の数 々 を 前 に、 これ か ら も先
生 の敷 か れ た軌 道 上 を 歩 め ば道 を踏 み外 す こ とは な い との 安 心 感 を っ い っ い
抱 い て しま う。 そ ん な甘 え た考 え を先 生 は歓 迎 さ れ な いで あ ろ うが 、 そ の思
い は私 一 人 の もの で は な く、 英 文 科 関 係 者 の多 くに共 有 され て い るの で はな
い だ ろ うか。
先 生 との 出会 い はい つ だ った の か。 私 が大 学 院 一 年 生 の ころ、 当 時 梅 田 に
あ った丸 善 の文 学 関係 の コー ナ ー で、 た ま た ま先 生 に お会 い した のが 、 お そ
ら く最 初 だ った の で は な い か と思 わ れ る。 な ぜ か玉 井 先 生 は私 の こと を ご存
じで気 さ くに話 しか け て下 さ り、 これ もた ま た ま 目の前 に あ った ノ ー ス ロ ッ
プ ・フ ラ イの 『批 評 の解 剖 』 を手 に取 り、 この よ うな もの は 関心 な いで す か
と聞 いて こ られ た記 憶 が あ る。 さ りげ な く後輩 に基 本 文 献 を示 唆 しよ うと し
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て下 さ った の か、 あ る い は、 話 の ネ タに適 当 な本 を取 り上 げ られ た だ け な の
か は不 明 だ が、 相 手 に不 要 な緊 張 感 を抱 かせ ず 、 どん な人 間 も拒 絶 しな い温
和 な雰 囲 気 は、 新 進 の研 究 者 と して ご活 躍 中 の当 時 か ら感 じ られ 、 そ れ か ら
30年 た った 今 日ま で変 わ る こ とな く玉 井 先 生 の基 本 に あ る。
も う一 っ 愉 快 な思 い 出が あ る。 私 は大 学 院 修 士 課 程 を修 了 後 、 幸 運 に も文
学 部 の 助 手 を一 年 努 め、 そ の後 、 言 語 文 化 部 教 員 に採 用 して 頂 いた 。 そ れ を
機 に 自動 車 通 勤 を思 い立 っ たの だ が 、 免 許 取 得 後 ペ ー パ ー ・ ドラ イバ ー歴8
年 、 急 遽 、 中 古 車 を入 手 して の 大 胆 な決 断 だ った 。 当 時 は 泉北 ニ ュ ー タ ウ ン
に住 ん で いて 、 隣 人 で 知 り合 いの タ ク シ ー運 転手 の方 に車 の選 定 と、 自宅 ま
で の運 転 指 導 を お 願 い した の だ が 、 帰 って か ら興 奮 の あ ま り、 現在 住 ん で い
る東 大 阪 まで の単 独 ドライ ヴ と い う暴挙 に出 た。 途 中、 急 な車 線 変 更 な どを
して トラ ック に ク ラ ク シ ョ ンを何 度 も鳴 らされ、 細 い道 で は、 端 に寄 りす ぎ
て サ イ ド ミラ ーを 倒 して し ま うな ど実 に ス リ リン グな 冒険 だ った。 そ れ か ら
時 を お か ず 阪大 に 車 で 通 勤 す る こ と に したが 、 さ す が に一 人 で は恐 ろ し く、
当 時、 同 じ泉 北 ニ ュー タ ウ ンの住 人 で もあ り、 阪 大 に非 常 勤 で来 て お られ た
玉 井 先 生 に ナ ビゲ ー ター をお 願 い した の で あ る。 当 日、 先 生 の 家 に 向 か う と、
玉 井 先 生 は大 きな双 眼鏡 を用 意 され、 阪 神 高 速 堺 線 、 環 状 線 、 池 田線 と乗 り
継 ぐ行 程 の あ い だ じ ゅ う、 双 眼鏡 で い ち早 く道 路 標 識 を読 み と り、 的 確 な指
示 を 出 して頂 い た。 今 ひ そ か に顧 み れ ば、 他 人 の頼 み ごと を断 れ な い優 しい
先 生 と して は相 当 の覚 悟 で臨 み、 リス ク を最 小 にす べ く決 死 の思 いで 双 眼 鏡
を握 って お られ た の で はな いか と思 う。 そ れ か ら30年 弱 、 頼 りな か っ た運
転 技 術 も今 で は上 達 し、 と きど き教 授 会 の あ とな ど千 里 中 央 まで お 乗 せ す る
ことが あ るが 、 す っか り リラ ックス して助 手 席 に座 って 頂 い て い る(と 思 う)。
それ も、 あ の双 眼 鏡 に よ る助 力 の おか げ と深 く感 謝 して い る次 第 で あ る。
英 文 科 主 任 教 授 に は い ろ い ろ な タ イ プ の方 が い た。 強 烈 な カ リスマ 性 を 漂
わ せ た先 生 や 古 き良 き帝 国 大 学 時 代 の雰 囲 気 を引 きず った 先 生 な どそ れ ぞ れ
印 象 的 で あ っ た。 玉 井 先 生 はそ の いず れ と も違 う。 一 番 の特 徴 は、 大 学 内 、
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学 会 そ の他 で 要 職 に就 か れ なが ら、 自 ら汗 を か き働 く姿 勢 を最 後 まで 貫 か れ
た こ とで あ っ て、 これ は普 通 の人 間 に は な か な か真 似 は で きな い。 嫌 な仕 事
を他 人 に押 しつ け た り、 他 人 に厳 し く自 らに甘 い人 間 は多 数 い るが 、 玉 井 先
生 の よ う に主 任教 授 か ら助 手 ま で の仕 事 を一 人 で黙 々 と引 き受 けて 手 を抜 く
こ との な い 方 は見 た こ とが な い。 しか も、 玉 井 先 生 は な に ご とに お いて も慎
重 か っ 粘 り腰 で あ る。 私 の よ うに せ っか ち な人 間 か らす る と、 とき と して先
生 の ス タ ンス は時 間が か か りす ぎ る と感 じられ る こ と もあ った が、 結 果 的 に
は確 実 に こ とを処 して いか れ る玉井 先 生 に反 省 させ られ る こ とが 多 か った 。
これ は、 っ ま り、 世 の 中 と い うか人 間性 に対 す る洞 察 力 を お持 ち だ とい うこ
とで あ り、 そ の意 味 で 文 学 研 究 を 実 生 活 に お い て 実 践 さ れ て い た とい え る。
私 もふ くめ研 究 知 見 と実 生 活 の 切 り盛 りが 必 ず しも一 致 しない 人 間 に と って
は得 難 い お手 本 を 示 して 頂 いた と い う思 いで あ る。
玉 井 先 生 は温 厚 な人 柄 ゆ え に一 見 す る と地 味 と も見 え る面 も あ るが、 そ の
業績 た るや 、 あ らため て振 り返 って み る と 目覚 ま しい もの が あ る。 ご 自身 の
学 問 的業 績 は言 うに及 ばず、 日本 英 文 学会 を始 め とす る数 々 の団 体 で の要 職 、
阪 大 学 内 、 文 学 研 究科 内で の重 責 、 日本 英 文 学 会 関 西 支 部 立 ち上 げ等 の こ と
にっ いて は周 知 の事 実 で あ ろ う。 外 大 と の統 合 を機 に文 学 環 境 論 コ ース が成
立 した の も玉 井 先 生 の ご努 力 な しに は語 れ な い。 英 文 科 に限 ってみ て も、談
話 会 の充 実 化 と シス テ ム化 、 院 生 の管 理 業 務 登 用 、 留 学 支 援 、 阪 大 英 文 学会
の充 実 と阪 大 英 文 学 叢 書 刊 行 な ど枚 挙 に い とま が な い。 さ らに、 英 米 文 学専
攻 で課 程 博 士 が続 々 と 出始 め た の は玉 井 先 生 が本 格 的 に指 導 力 を発 揮 され て
か らで あ り、 これ ほど 見 え る成 果 を あ げ られ た方 は稀 有 な例 だ と思 う。
ア カデ ミッ クな研 究 、学 会運 営 、 学 内行 政 、 専 攻 の運 営 を 同 時 に一 人 の人
間 が こな す こ とに は困 難 を 伴 う。 どれ か が必 然 的 に犠 牲 とな る もので あ る。
玉 井 先生 の場 合、 そ の いず れ に も渡 りバ ラ ンス よ く こな され、 しか も、 率 先
して こ と に当 た って こ られ た。 ま さ に ノ ブ レス ・オ ブ リー ジ ュで あ る。 先 生
の陰 で快 適 な 阪大 生活 を送 らせ て 頂 いた 身 と して は、 ひ た す ら感謝 す る しか
112
な く 、 せ あ て 、 今 後 い く ぶ ん か で も 恩 返 しが で き れ ば と願 う の み で あ る 。
(大 阪 大学 大学 院 ・文学 研 究 科 ・英 米 文 学 専 攻 教 授)
雇 われ船長 の述懐
服
部
典
之
大 阪 大 学 英 文 科 と も玉 井 先 生 と も長 いっ き あ い にな る。 この二 者 と の交 流
年 月 は ほぼ 重 な る。私 が 大 学3年 で 英 文 科 の研 究 室 に入 り浸 り始 め た 時 、 な
にや ら毎 週来 られ て に こや か に話 しを され る先輩 らし き人 が い た の を 記 憶 す
るが 、 ど う も この 方 が 玉井 先生 だ った よ うな の だ。 この人 が ま さ か、 博 士 後
期 課 程 に進 学 した と き阪大 文 学 部 に助 教 授 で赴 任 され て私 の先 生 とな り、 私
が西 暦2000年
に阪 大 文 学 部 に 助 教 授 で赴 任 した と き上 司 の教 授 に な る 方 だ
とは 、 当 時20歳
と い う若 輩 で あ っ た私 に は想 像 す る よ し もな か った 。 言 っ
て み れ ば 、 気 が っ けば そ こ に い た人 だ った の だ が、 そ れ 以 来30年 、 玉 井 先
生 と のっ き あ い の 濃 さ を グ ラフ にす る と、 二 次 関 数 的 な右 肩 上 が りの放 物 線
とな り、 平 成21年
の ご退 職 を 目の 前 に した今 は これ 以 上 な い く らい の 密 度
と な って い る。
思 え ば 、 優 しい先 輩 と して ず っと接 して き た方 が 良 か った の か 、 そ れ と も
主 任 教 授 と部 下 と い う濃 密 な人 間 関 係 を持 ち深 く知 り合 った 現在 を幸 福 に思
うべ きな の か 、 今 と な って は 分 か らな い。20歳 の と き の私 に予 知 能 力 はな
か っ た の だ が 、50歳 の私 に過 去 を脱 構 築 す る能 力 は同 じ ぐ らい な い。 た だ
今 実 感 す るの は、 おそ ら くこれ しか あ り得 な か った の だ ろ う とい う思 い で あ
る。
コ ー ヒア レ ン トな30年 の物 語 を構 築 す るの が 困 難 な の で、 取 り あ えず ア
トラ ンダ ム に 頭 に 浮 か ぶ思 い 出 を あ げ て み る。 和 具 とい う小 さ な離 れ 島 の海
113
の 家 で夏 合 宿 した と き大 学 院 に誘 わ れ た こ と、 院 生 時 代 に東 京 の学 会 に行 っ
た と き赤 坂 見 附 の デ ィ ス コ に連 れ て 行 って も ら った こ と、 私 が 言語 文 化 部 に
在 籍 して い た と き玉井 先 生 の教 え子 を 同 僚 に迎 え る こ とが で きて飲 み に 連 れ
て 行 って も らった こ と、 文 学 部 に移 って か らの 激 務 で 体調 を崩 し授 業 を休 ん
で 阪 大 病 院 に行 っ た と き駆 けっ けて くれ た こ と… … と列挙 して み る と、 何 か
を して も ら っ た思 い出 が 圧 倒 的 に多 い こ と に気 が っ いた。 個 人 的 に は文 学 部
に配 置換 え に な って か らの この10年
が 人 生 で一 番 忙 し く大 変 な時 期 で あ っ
た が、 「して も ら った 」 こ とを繋 ぎ合 わ せ て み る と、 沈 み か け の服 部 号 を何
とか 浮 か ば せ て くれ て い た の は、 他 な らぬ 玉井 丸 で あ った よ うだ 。 なん だ、
私 は結 局 玉 井 先 生 に は 「優 しい先 輩 と して 接 して き た」 の だ 。 あえ て若 干 の
訂 正 をす る な ら、 先輩 が 上 司 に な っ ただ け の こ とで あ る。
2010年4月
か らは 、 玉 井 丸 は別 の港 を 目指 して 出 立 す る こ と に な る。 私
は しば ら くの 間 、 英文 学 分 野 を1人 で や って い け る のだ ろ うか 。 いや、 この
問 い の た て か た は き っ と間 違 って い るだ ろ う。 玉 井 丸 も服 部 号 も所 詮 「阪大
英文 科 」 と い う母 艦 に偶 々乗 り合 わ せ た ボ ー トに過 ぎ な い。 私 は伝 統 あ る母
船 に ひ と と き乗 り こん だ雇 わ れ 船 長 に徹 し、 こ れか ら10年 少 しを難 破 しな
い よ う見 張 って さえ い れ ば 良 い の だ と思 う こ と に しよ う。 聞 けば こ のOLR
も48号 に な る とい う。 実 に半 世 紀 が 過 ぎ た わ け だ。 エ ッセ イ を載 せ た記 念
号 も何 度 目か に な るが 、藤 井 治 彦 先 生 の追 悼 号 が1999年
今 回 は そ れ 以 来10年
の38号 だ った か ら、
ぶ りに な る。 あの とき は悲 しい 想 い で押 し潰 さ れ そ う
だ っ たが 、 今 は玉 井 先 生 が 無 事 ご退 職 と な る の を心 か ら喜 ぶ こ とが で き る。
大 阪大 学 文 学 部 英 文 科 が生 ま れ た の が1948年
だ か ら、2009年 現 在 で60
年 ほ ど の歴 史 を持 っ に至 り、 伝 統 の よ うな もの もで き たわ けで あ る。 国立 大
学(法 人)文 学 部 英 文 科 とい う古 色 蒼 然 と した旗 は、 さ らな る数 々 の嵐 に も
ま れ て絶 え ず 鍛 え て お か な けれ ば、 あ え な く沈 没 して しま うか も しれ な い。
束 の 間 の船 長 は、 難 破 させ な い だ け で な く、 絶 えず 補 強 す る努 力 を 怠 って は
い け な い ので あ ろ うQ
114
そ うそ う、 補 強 と言 え ば、 文 学 部 の ぼ ろ ぼ ろ の建 物 が耐 震 補 強 工 事 を 終 え
よ う と して い る。 英 文 科 は長 年 本 館 の北 ウ ィ ング3階 東 側 に あ った が 、 関 連
部 分 の工 事 が 終 わ って 、2009年10月
か ら同 じ北 ウ ィ ング4階 の 中 央 部 分 に
移 動 した 。 学 部 で は今 は英 文 科 で は な く英 米 文 学 ・英 語 学 専 修 と い う長 い名
前 に変 わ って い るが、 この専 修 に属 す る教 員 の研 究 室 は改 築 前 に は分 断 され
て い たが 、 今 で は一 直 線 に集 ま って い る。 工 事 の 最 中 は粉 塵 が 舞 う最 悪 の研
究 教 育 環 境 で あ ったが 、 改 築 され た今 で は以 前 に比 べ て か な り改 善 され た。
建 物 と い う物 理 的空 間 が 新 た に な っ た今 、 私 た ち は この 空 間 を 新 た な 中身
で 充 満 さ せ な け れ ば な らない。 そ して 、今 、 玉 井 先 生 は旅 立 って行 か れ るが 、
これ か ら も母 艦 阪 大 英 文 科 は航 行 し続 け る。 この 船 を 支 え るの は、雇 わ れ船
長 で はな くてOLR同
人 の 皆 様1人1人
で あ る。 これ か らの50年 間 も、 母 艦
阪 大 英 文 科 を お忘 れ な き よ う、 これ まで に も ま して 同 人 の 皆 様 の ご厚 誼 を お
願 い して 、 雇 われ 船 長 と な る者 の っ た な い述 懐 を 閉 じる こ とに しよ う。
(大阪大学大学院 ・文学研 究科 ・英米文学専 攻教授)
玉井先生 の こと
岡
田
禎
之
玉 井 先 生 、 ご退 官 お め で と う ござ い ま す。 先 生 に初 め て お会 い した の は私
が学 部 の3年 生 に な った 時 で した の で(当 時 は、 普 通 講 義 を 除 い て3年 生 か
らで な い と専 門 の 授 業 を 取 る こ とは で きま せ ん で した)、 もう25年
も前 の こ
とに な り ます 。 当 時 先 生 は38歳 だ っ た の だ と思 う と、 驚 きで す。 あ の 頃 の
先 生 と、 今 の 先 生 の 印 象 は ほ とん ど変 わ る と ころ が無 く、 いつ ま で も若 い先
生 な の だ と い う こ とを、 改 め て感 じさせ られ ま す 。36歳 で 阪 大 に赴 任 さ れ
て、 若 い と きだ った か ら、初 め の うち は い ろ い ろ と授 業 をす る の も大 変 だ っ
115
た 、 とい う話 を後 にな って伺 った こ とが あ りま した が、 私 が学 部 生 だ った頃
は ま さ しく そ の 時 期 に 当 た って い た の だ と思 うの で す が、 そ ん な雰 囲 気 は全
くな く、 非 常 に余 裕 を 持 って授 業 を さ れ て い た とい う印象 しか あ りませ ん 。
一 介 の学 生 に は先 生 の 苦 労 とい うの を斟 酌 す る気 持 ち な どあ りませ ん で した
か ら、 観 察 眼 の な い節 穴 学 生 に と って は まあ 当 た り前 の こ とだ った の か も し
れ ませ んが 。
私 が先 生 か ら戴 い た言 葉 で良 く覚 え て い る もの は4っ あ ります 。1っ め は、
授 業 に関 す る も の です 。 「予 習 や準 備 に時 間 の か か らな い授 業 は学 生 に も 自
分 に も勉 強 に な らな い 。」 非 常 勤 の授 業 に 関 す る拘 束 時 間 を何 とか短 縮 で き
な い か と、 安 直 な考 え を持 って いた 私 に、 時 間 を か け て準 備 を して こそ 学 生
の た め だ けで な く、 自分 の た め に も な る授 業 がで きる し、 ま た その よ うな 教
材 を 選 ばな け れ ば な らな い の だ、 と い うお話 を して い ただ きま した。 自分 が
よ く知 らな い領 域 の教 材 を取 り入 れ よ う とす れ ば、 そ れ に必 要 な下 準 備 は多
大 な もの に な る けれ ど も、 そ れ も積 極 的 に取 り込 ん で い か な け れ ば 自分 の視
野 も学 生 の視 野 も広 が らな い し、 勉 強 に はな らな い の だ、 とい う こと を教 え
て い た だ き ま した 。先 生 はそ の よ うな授 業 を 実践 され て、 英 文 学 の広 い領 域
を カ バ ー さ れ 、 様 々 な 批評 理論 に も精 通 され たの だ ろ う と思 い ます 。 私 も少
しで も多 くの 領 域 の 問 題 を 取 り上 げ て授 業 を 展 開 して い け るよ うに と思 って
い ます(が 、 な か なか 体 が っ い て き ませ ん)。
2っ め は学 部 生 の時 に、 な ぜ 文学 の研 究 を しよ う と思 わ れ た の です か、 と
尋 ね た とき の 先 生 の答 え で す 。 「い ろ い ろ な先 行 研究 を 読 ん で み る と、 これ
く らい な ら私 も気 づ い て い た なあ、私 に も十 分 で きる ので は な いか な、 と思 っ
た の だ よ。」 これ に は正 直言 って 驚 愕 しま した。 私 は文 学 の論 文 を読 ん だ り
して も難 解 な もの が多 く、 な か なか っ い て行 け そ うに な い な あ、 と思 って い
た 頃 で した の で、 や は り これ く らい の気 概 と 自信 が な け れ ば や って は い けな
い もの な の だ、 と思 った もの で した。 私 は結 局文 学 の道 は諦 め、 語 学 の方 へ
進 路 変 更 した の で す が 、 変 な 院 生 に付 き ま とわ れ る こ とが な か ったわ けで す
116
か ら、 先 生 に と って もき っ とそ れ で 良 か った の だ ろ う と今 も思 い ま す 。 未 だ
にあ の と き に先 生 が 仰 った よ うな気 概 を 持 っ こ とが で きず に、 い じい じ して
い る未 熟 な研 究者 の ま まで す が、 い っ か先 生 に負 けな い く らい の研 究 に 対 す
る気 概 を も って 臨 め るよ う にな りた い と思 って い ま す。
3っ あ も研 究 に 関 す る こ とで す が 、 「流 行 に 流 され る必 要 は な い。 自分 の
視 点 を大 事 に して着 実 に研究 を進 めて 行 きな さ い。時 流 と関 係 な い もので あ っ
て も、 着 実 な研 究 で あ れ ば 、 必 ず 人 が見 て い る もの だか ら。」 これ は私 が助
手 を辞 めて 岡 山大 学 に赴 任 す る直 前 に、 温 泉 旅 行 先 で 掛 けて い た だ いた 言 葉
で した。 私 は世 間 の流 れ か らは外 れ た と こ ろで 研 究 を して い ま した し(今 も
そ うで す の で 、 単 な る天 の邪 鬼 な の か も知 れ ま せ ん が)、 こん な感 じで 続 け
て い て も良 い の か なあ 、 と い う気持 ち を一 方 に常 に持 ち な が ら、 で も 自分 に
は結 局 こ うい うス タイ ル しか で きな い の だ か ら仕 方 な い や、 と い う開 き直 り
の よ うな、 諦 め の よ うな気 持 ち を ず っ と持 ち な が ら ぐず ぐず して い ま した の
で、 この言 葉 に は非 常 に 勇気 づ け られ ま した。 藤 井 先 生 に も、 堅 実 な研 究 を
年 に1本 書 き続 け られ るか ど うかが 分 か れ 目 に な る、 と い う趣 旨の お 話 を し
て い た だ い た の で すが 、 お二 人 が 言 わ れ た精 神 は私 に と って は大 切 な 指 標 で
した(「 で し た」 と過 去 形 にす るべ きで は あ りま せ ん ね)。 そ れ を 目標 と して
自分 な り にや って き たっ も りで はあ るの で す が 、 最 近 特 に い ろ い ろ な 雑 事 に
か ま け て様 々 に理 由 を付 け て、 言 い訳 が ま し く して い る 自分 が い ます ので 、
再 度 気 を 引 き締 め て 頑 張 りた い と思 い ま す 。
最後 は 「宴 会 部 長 は任 せ ます」 で す 。 これ は、私 が助 手 に な る と き に先 生
が色 紙 に書 い て くだ さ った言 葉 で す。 結 局 、宴 会部 長 を任 せ て い ただ け るよ
うな器 で は な か った た め に、 私 の助 手 時代 は何 の盛 り上 が り もな く、 暗 黒 の
時代 だ った と思 い ま す けれ ど も、 玉 井 先 生 は常 に 「宴 会 部 長 」 と して の側 面
を持 ち続 け られ、 退 官 さ れ る ま で そ の姿 勢 は変 わ らなか っ た と思 い ます 。 こ
れ は何 も飲 み会 で盛 り上 げ る役 目、 と い うこ と な ので は な く(も ちろ ん 学部
学 生 と の コ ンパ な ど の企 画 の音 頭 取 りは常 に先 生 が や って下 さ って い ま した
117
が)、 周 りが 居 心 地 良 く過 ごせ るよ う に常 に気 を配 り、 声 を掛 け、 裏 方 仕 事
を い とわず に や る とい う縁 の下 の力 持 ち を地 で い く立 場 の 人 、 と い う こ とで
す。 玉 井 先 生 は名 助 手 の誉 れ の高 い人 で あ った と聞 いて い ます が 、 実 際 退 官
され るま で ず っ とそ の ス タ ンス は変 わ る こ とが あ りませ ん で した。 これ は な
か な か簡 単 に で き る こ とで は な い と思 い ま す。 私 に と って は た ど り着 け な い
目標 とい う感 じで す。
こ う して み る と、本 当 に言 葉 の端 々 に、 そ の人 の ス タ ンス や考 え方 、 生 き
る姿 勢 が 如 実 に 現 れ る もの だ と い う こ と を 痛 感 さ せ られ ま す。 自分 自身 も
「教 師 」 と い う立 場 に い るわ けで す か ら、 自分 が 気 付 か な い と こ ろで 、 自分
の言 葉 が 他 人 に影 響 を 与 え て しま う こ と もあ るの だ ろ う と想 像 します 。 そ の
時 に、 そ の人 が 求 めて い る適切 な言 葉 を 適切 な形 で伝 え る とい う こ とが で き
れ ば、 そ の言 葉 は その 人 に と って大 切 な 言葉 にな るで し ょ う し、 後 々 の指 標
とな る こと も あ る のだ ろ う と思 い ま す。 玉井 先生 に は様 々 な場 面 で適 切 な助
言 を戴 き ま した し、 助 けて いた だ い た と改 め て 思 いま す。
玉 井 先 生 、 本 当 にお 世 話 にな りま した 。 有 り難 う ござ い ま した。 今 後 と も
頼 りな い後 輩 を お導 き下 さい ます よ うに、 厚 か ま し くもお願 い 申 し上 げ ます 。
そ して、 若 い ま ま の先 生 が これ か ら ど う な って い くの か を 、後 学 の た め に観
察 させ て戴 けれ ば と思 い ます 。 ど うぞ い つ まで も お元 気 で 。
(英語学専攻 准教授)
118
玉井先生の存在の大きさをめぐるとりとめのない回想と思索
片
渕
悦
久
僭 越 です が 、 ま ず は こ う書 きた い と思 い ます 。 玉 井 先 生 は とて も頼 り にな
る師 匠、 同 僚 、 先 輩 で す 。 大 学 院生 と して 英 文 研 究 室 の 一 員 と な っ た20年
前 か らそ の思 い は変 わ りませ ん。 先 生 の変 わ らぬ 若 々 しさ と リー ダ ー シ ップ
は、 私 の理 想 の研 究 者 、 教育 者 の模 範 で す。 同 僚 に させ て い た だ い た7年 間 、
先 生 か ら少 しで も多 くの こと を学 び と ろ う と努 め て は きた っ も りで す が 、 私
自身 は ど う も あ ま り向 上 して い ませ ん 。 そ う こ う して い る うち に、先 生 が研
究 室 を去 られ る時 が 近 づ いて い ます 。 次 代 を 担 う責 任 感 を い よ い よ 自覚 しな
いわ けで はあ りませ ん が、 正 直 な と ころ先生 の存 在 に安 心 し、甘 え学 ば な か っ
た 自分 の愚 か さを 痛 感 して い ます 。 あ と5年 、 せ め て3年 、 い や1年 で もか
まい ませ ん。 教 わ りた い こ とが い くら もあ るの で す。 研 究室 、 研 究 科 、 学 内
外 、 学 会組 織 との か か わ りな どの もろ もろ の事 情 、 何 で もい い か ら学 ば せ て
くだ さい … … な ど と考 え るあ た り、 っ くつ く私 は の ん きな人 間 です 。
この文 章 は玉 井 先 生 との思 い 出 を っ つ る特 別 企 画 に も とつ く文 章 と な るべ
き もの です 。 そ こで 求 あ られ るの は、 院生 時代 あ る い は/ま た同 僚 と して先
生 と過 ご した研 究 室 の 日々 の記 憶 を か た ち にす る こと で あ る はず で す が、 私
の文 章 はお よ そ回想 録 の 体 を な して い ませ ん と最初 に弁 明 してお きます 。 も っ
と も、 こ う した と り とめ の な さ こそ実 は、 少 な くと も私 に と って は玉 井 先 生
が退 職 され る とい う事 実 が与 え る イ ンパ ク トの強 さ な ので す 。 前 置 きが 長 く
な りま したが 、 以 下 で は あ くまで 断 片 的 に1989年
か ら2009年
まで の 思 い 出
を我 流 に回 想 し、 そ こに無 軌 道 な思 索 を付 け加 え 、 私 に と って の玉 井 先 生 の
存 在 の大 き さ を語 りた い と思 い ます 。
119
ま ず は私 が 院 生 時 代(1989年
∼95年)の
こ と を 書 き ま す 。 私 は 都 合6年
間 英 文 研 究 室 に在 籍 しま した。 玉井 先 生 の院 演 習 は欠 か さ ず参 加 しま した。
九 州 の 片 田 舎 か ら 出 て き た 私 が 、 右 往 左 往 し な が ら、 洗 練 さ れ た 文 学 研 究 の
世 界 と華 麗 な る批 評 理 論 の 数 々 を 学 ん で い け た の は ひ と え に 先 生 の お か げ で
す 。 演 習 の 中 味 は 文 学 理 論 ア ン ソ ロ ジ ー の 論 文 な ど を 要 約 し コ メ ン トを 加 え 、
そ れ に 全 員 で デ ィ ス カ ッ シ ョ ンす る と い う も の で し た(今
で も そ の方 式 は変
わ っ て い な い は ず で す)。 文 学 理 論 に は そ れ ま で ま っ た く無 頓 着 で 素 朴 な 読
み ば か り だ っ た 私 は、 先 生 の 演 習 授 業 で い ろ い ろ な 方 法 論 が あ る こ と を 知 り、
文 学 研 究 の 基 本 を 教 わ っ た と思 っ て い ま す 。 も っ と も、 し み じ み 思 い 返 せ ば
充 実 し た 楽 し い 授 業 で した が 、 当 時 の 心 境 は 、 た と え 発 表 者 に 当 た っ て い な
く て も 、 必 ず 思 い が け ず コ メ ン トを 求 め ら れ 内 心 戦 々 恐 々 で し た 。 そ れ と 、
これ は ぜ ひ付 け加 え て お きた い の で す が 、 先 生 の 院 演 で学 ん だ こ とが そ の後
の 私 の 研 究 生 活 に 生 き て い ま す 。 と くに 物 語 言 説 の 特 質 を 中 心 に ソ ー ル ・ベ
ロ ー や 他 の ユ ダ ヤ 系 文 学 を 読 む ア プ ロ ー チ の しか た 、 ま た こ の と こ ろ 科 研 で
取 り組 ん で い る ア ダ プ テ ー シ ョ ン理 論 と 物 語 更 新 に っ い て の 研 究 は 、 す べ て
M2の
と き の 院 演 テ キ ス ト のSeymourChahnan,StoryandDiscourse:
NarrativeStructureinFictionandFilm(1978)が
き っか け にな って い るの で
す か ら。 ち な み に こ の と き の 演 習 メ ンバ ー が 玉 井 先 生 を 中 心 と して 同 書 の 翻
訳 に 取 り組 ん で い ま す 。 院 生 時 代 の 思 い 出 を か た ち に して 残 す た め に も、 何
とか 出 版 を 実 現 さ せ た く思 い ま す 。 お 願 い し ま す 。
研 究 の こ と で 思 い 出 した こ と が あ り ま す 。M2の
で の 研 究 発 表 を 経 験 し ま し た(支
と きで す が 、 初 め て学 外
部 例 会)。 今 思 え ば 、 あ ま り に 無 謀 な 挑 戦
で し た 。 ど れ だ け 身 の 程 を 知 ら な か っ た の で し ょ う。 しか し、 先 生 は そ ん な
私 を 叱 り も せ ず 、 あ り が た く も 個 人 的 に 予 行 演 習(発
表 原 稿 の 読 み 上 げ)の
機 会 を くだ さ い ま した 。 談 話 会 で の リハ ー サ ル が 一 般 化 し て は い な か っ た こ
ろ で す 。 先 生 の 研 究 室 で 一 対 一 だ っ た と 記 憶 して い ま す 。 お 忙 しか っ た の で
は な い か と思 い ま す が 、 時 間 を 割 い て い た だ い て 、 時 間 配 分 や 引 用 の 読 み 方
120
な どの助 言 を い ただ い た の を覚 え て い ます 。
も うひ とっ 研 究 指 導 の エ ピ ソー ドを 思 い 出 しま した。 論 文 執 筆 の 初 期 段 階
で 指 導 を受 けた こ とが あ りま した。 た しかD2の
終 わ りで した。 学 会 誌 へ の
論 文 投 稿 に 私 は行 き詰 って い ま した(す で に連 続 して 審 査 に落 ち て い た か ら
で す)。 そ こで 、 私 は 独 自 の論 文 作 法 を 編 み 出 そ う と考 え 、 当 時 談 話 会 で 実
践 され て い た 「論 理 運 行 表 」(研 究 発 表 の ア ウ トライ ンを 短 文 の連 続 で 提 示
す る もの で す)を 応 用 し、 論 文 内容 の ア ウ トライ ンを トピ ッ クセ ンテ ンス の
連続 と積 み重 ね と して書 い て み る こ とに しま した。 これ を持 参 して玉 井 先 生
に ご指導 を お願 い した の で す。 きま ぐれ な思 いっ き な の で すが 、 うれ しか っ
た の は、 先 生 が(ち
ょ っ と あ きれ顔 だ った か も しれ ま せ ん が)、 お 忙 しい 中
に もかか わ らず 気 さ くにっ き あ って くだ さ り、 時 間 をか けて いね い に 内容 と
論 旨を細 か に点 検 して くだ さ った ことです 。 そ して 励 ま しの言葉 と と も に ゴー
サ イ ンを 出 して くだ さ っ た こ とが 、 自信 を な く しか けて い た私 を どれ だ け勇
気 づ けた こ とで しょ うか 。 ち なみ に、 これ は翌年 私 自身最 初 の学 会 誌 掲 載 論
文 と な り ま した。 そ して この 論 文 作 法 を今 で も 自分 の や り方 と して実 践 して
い る こ と も い うま で も あ りま せ ん 。(研 究 の 面 で 先 生 に励 ま して い た だ い た
こ と はほ か に い く ら もあ るの で す が、 割 愛 しま す)。
さて、1995年
に幸 運 に も専 任 職 を え た私 は英 文 研 究 室 を 巣 立 ち ま した。
た だ 阪 大 自体 か ら完 全 に 離 れ て い た の は2年 間 で 、97年 度 か らは言 語 文 化
部 の 非常 勤 講 師 に な りま したが 、 い ち ば ん 光 栄 だ った の は99年 度 か らは文
学 部 の英 語 の非 常 勤 講 師 を や らな いか と玉 井 先 生 に声 をか けて いた だ い た こ
とで す 。 あ りが た く も同 僚 と させ て い ただ い た この7年 間 は、 文 学 研 究 科 ま
た英 文 研 究 室 の一 員 と して の心 が まえ な ど薫 陶 いた だ き ま した 。博 士 論 文 の
執 筆 中 も励 ま しの 言 葉 を い ただ き ま した 。 また私 の個 人 的 家庭 の事 情 に っ い
て も心配 して いた だ き また 相 談 に も乗 って くだ さい ま した。 結 婚 や家 庭 、 人
生 に っ い て先 生 が 気 さ くに語 って 聞 か せ て くだ さ った こ と も忘 れ られ ま せん 。
人生 には順 調 な こ と もあ れ ば、 思 い どお りに な らな い こ と もた くさ ん あ る。
121
自分 で 進 む べ き方 向を 見 っ けた ら、 それ を信 じて 前 に進 む の が よい。 そ の よ
うな 内容 の言 葉 を か け て くだ さ った こ とが あ りま した 。 あ りが たい 励 ま しの
言 葉 で した 。
私 に と って 玉 井 先 生 はか けが え の な い師 匠 、 同 僚 、 先 輩 で す 。 そ う言 え る
自分 を誇 り に思 い、 こ れか らも謙 虚 に、 のん び り しす ぎな い よ うに、 英 文 研
究 室 を支 え て い か な け れ ば と思 い ます 。 要 領 が わ る く頼 り な い私 に は 自信 が
な い の で す が 、 や るだ けや って み よ うと思 い ます 。 な ど と書 い て い る そ ばか
ら、 さ き ほ ど もま た先 生 に励 ま され て しま い ま した。 ど う も私 は何 にっ けの
ん き に構 え て しま うよ うで す。 そ の あ た り もふ くめ、 玉 井 先 生 、 これ か らも
ど うか よ ろ し く ご指導 お願 い い た します 。
(英米文学専攻准教授)
Paradise
Lost
Book
Seven
Paul
A. S. Harvey
In gratitude for ten years of support at the Faculty of Letters, and in
recognition of a friendship of twenty years, I offer this short essay to
Professor Akira Tamai, on the occasion of his retirement.
It is often said that one should read the first two books of Paradise
Lost and forget the rest. But after teaching Book Seven for the first
time, I find that in its own way, it may claim to be just as good as
the earlier more widely-read verses. (Biblical passages quoted from
KW, Milton from Fowler, Longman second ed.)
The Book treats the creation of the world and is narrated by the
122
archangel Raphael to Adam. Milton's task is to give the first chapter
of Genesis sufficiently sublime treatment and also to render it dramatically interesting at the same time. He does this by following orthodox
Christian teaching, making Christ, as the word of God, the active agent
of creation.
So spake the almighty, and to what he spake
His Word, the filial Godhead, gave effect (7.174-5).
He brings the beginning of the gospel of John (1.3), and verses from
the Letter to the Hebrews (1.2), to Genesis 1.
In an analogical parallel to the defeat of Satan, Christ rides forth
once more in glory, the creation to replace the loss of the apostate angels. The first creative statement is not, however, what we expect:
Silence, ye troubled waves, and thou deep, peace,
Said then the omnific Word, your discord end (7.216-7).
Christ is given the title "omnific Word" (all-creating word), and he
commands chaos to resolve itself in peace. He rides into chaos on the
cherubims, and then takes the golden compasses and begins creation.
This highly symbolic moment was later made famous by William Blake
in one of his best paintings. Milton took the image from a reading of
Proverbs 8.27, interpreted to refer to creation. This is a wonderful passage and Milton is clearly inviting us to remember it. In it, Wisdom
describes her origins, and the church fathers interpret this as the voice
of Christ:
"I was set up from everlasting
, from the beginning, or ever the
123
earth was. When there were no depths, I was brought forth. .
When he prepared the heavens, I was there: when he set a compass upon the face of the depth." (Prov. 8.23-27)
"He" in this passage is God the father , but in Paradise Lost it is
Christ.
He took the golden compasses, prepared
In God's eternal store, to circumscribe
This universe, and all created things:
One foot he centred, and the other turned
Round through the vast profundity obscure,
And said, "Thus far extend, thus far thy bounds,
This be thy just circumference, 0 world." (7.225-231)
This is therefore the second creative command, pre-dating the commands recorded in Genesis. Christ thus describes a great symbolic circle within which the world will be created, the circle an ancient symbol
of perfection. Milton was familiar with the advances made in astronomical knowledge, so he knew that all this was poetic fiction. It is
a divine teaching: this is the principle of the whole poem. Mortal understanding cannot attain such matters, so it has to be told in a metaphorical way that we can understand — "told as earthly notion can
receive."
Then follows Genesis, Milton quotes directly from the
Testament: "Let there be light." These are magnificent lines:
Let there be light, said God, and forthwith light
Ethereal, first of things, quintessence pure
Old
124
Sprung from the deep, and from her native east
To journey through the airy gloom began,
Sphered in a radiant cloud, for yet the sun
Was not; she in a cloudy tabernacle
Sojourned the while. (7.243-249)
Ethereal comes from the Greek, used as an epithet for heaven (meaning the highest region and purest element). Quintessence from Latin,
meaning the very purest essence. Both these words were associated
with alchemy, and used in English renaissance poetry to heighten the
style. Light is created before the sun, and this requires poetic explanation. Milton turns to the King James translation of the Psalms , placing
light within a cloudy tabernacle (Ps.19.4), which is a tent, using the
verb "sojourn" —both words strongly associated with the Old Testament .
There's a hint also of the Exodus pillars of cloud and fire which led
Israel from Egypt. The passage is therefore a blend of Biblical reference and Renaissance learning.
Milton again quotes the King James, "Let there be a firmament amid
the waters." Chaos is thus ordered into heaven above and waters below
(firmament came from the Vulgate translation of the Greek word for
the heavens, in modern translations this is now "dome" or "vault") .
Milton then chooses a modern astronomy, making heaven an airy expanse, rather than the old crystalline sphere of Ptolemy: "expanse of liquid, pure, transparent, elemental air." Liquid is not now used to refer
to air but it was so used in this period.
Milton then poeticizes the creation of earth, personifying it in terms
of the human body: the waters are a womb, with warm humour softening the globe, a great mother who will conceive all. Then follows the
125
third command,
ye waters
following
which
quotes
King
James
indirectly,
"Be gathered
now
under heaven into one place, and let dry land appear."
The
sections
are particularly
successful
in their depiction
of ani-
mated
movement:
the
mountains
rise
down,
the
roll
away
troops
waters
like
out
of the
waters,
at command,
valleys
rivers
sink
are
carved
forth
grass,"
out.
Then
follows
the
fourth
which
Milton
adapts
which
is more
forceful,
vious
verses.
in dance
fruit."
The
the
With
tions
the
classical
dwell,
Fall;
later
antiquity,
angels
herself
these
will
whom
fallen
verdant
creation
their
branches
"earth
with
seemed
delight,
statement:
with
"last rose
copious
like heaven,
and
love
the earth
or to be for a while
The gods Milton
archangels
be the
good:
hung
now
grass,"
of the pre-
and is carpeted
is particularly
antechamber.
man
the
in green,
in heaven,
and
bring
forth
This is an important
for a loss
the
earth
animated
or wander
later to be heaven's
are at first
before
dresses
and spread
shades."
to compensate
other heaven,
put
the
of vegetation,
might
the
earth
of the trees
trees,
gods
her sacred
created
then
creation
stately
the
"Let
and continues
the creation
a seat where
haunt
to, "Let
The earth
with flowers.
command,
who
myriad
believed
visit
gods
Adam
to
was
an-
men-
and
Eve
and goddesses
of
to inhabit
mountain
and
grove.
Then
follows
enly
bodies,
but
in this
James.
The
a convenient
you
the fifth
command,
which
is the
the sun and
moon.
Here
Milton
passage
his
wordy
version
is
fifth
command
place
once again
is a great
to conclude
to my colleague
follows
decidedly
passage,
my brief
Professor
creation
Genesis
inferior
and provides
discussion,
Tamai.
of the heavclosely,
to
King
me
with
and to say
thank
126
God said, Let there be lights in the firmament of the heaven to divide the day from the night; and let them be for signs, and for seasons ,
and for days, and years: And let them be for lights in the firmament
of the heaven to give light upon the earth: and it was so . And God
made two great lights; the greater light to rule the day, and the lesser
light to rule the night: he made the stars also. And God set them in
the firmament of the heaven to give light upon the earth, and to rule
over the day and over the night, and to divide the light from the darkness: and God saw that it was good. (Gen. 1.14-18)
(英米文学 ・英語学専攻講 師)
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