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看護専門学校、避難所の2日目

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看護専門学校、避難所の2日目
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看護専門学校、避難所の2日目
(由井りょう子ほか・著、石巻赤十字病院の100日間、東京、小学館、2011、p.100-105)
2012 年 11 月 23 日、災害医学抄読会 http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/circle/
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この文は、東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市渡波町で、自身も被災者でありな
がら救護活動を行った、石巻赤十字病院の看護師津田佐都子さんの活動の記録である。
3 月 11 日、津田看護師は被災してすぐに、津波にのまれた車の中から見知らぬ老夫婦を
助け出し、自宅で介抱していた。
翌日 12 日には隣家に住む看護師の高橋洋子さんとともに、炊き出しを行った。近隣の人々
と協力して助け合い、総勢 30 人ほどの空腹を満たした。
13 日には浸水が引き、家から出られるようになった。津田看護師は避難所の渡波小学校
へ向かった。石巻線の路線を境に、海側と山側では被災の状況が大きく異なっており、海
側では建物は何も無くなり、見えるものは瓦礫だけだった。車が山積になり、山側も家の
一階は津波の影響を受けていた。
渡波小学校にいる避難者の中には傷病人も少なくないことが分かり、津田看護師と高橋
看護師は救護班としての活動を開始した。避難者は 1200 人を越えており、看護師がいると
分かると、傷病者が押し寄せてきた。処置だけでなく、エコノミークラス症候群の予防を
訴える活動も行った。
2人の活動を知り、協力を申し出る看護師も現れ、息をつくことができるようになった。
医師は不在だが、看護師だけの救護チームが出来上がった。
14 日には、高橋看護師は本来の職場である、女川町立病院に戻っていった。病院でなけ
れば処置が出来ない患者も現れていたが、自衛隊が到着し、患者の搬送を依頼できるよう
になった。しかし、避難所では水も食料も足りておらず、発熱、下痢嘔吐を訴える人が増
え、看護師の負担も増えていた。津田看護師は自身の安否報告も病院に出来ていない状態
だった。自衛隊員に手紙を託すことで、報告は出来たものの、病院の関係者と再会できた
のは震災から一週間後の 18 日であった。
津田看護師は渡波小学校で石巻赤十字病院の金田副院長と再会し、応援を要請した。19
日には病院の対策本部から、医師 3 人、薬剤師 1 人の救護班が渡波小学校に入った。
津田看護師が引継ぎを終えたのは 19 日の夕方で、3 日後の 22 日からは石巻赤十字病院
に通常出勤した。
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