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ジャンジャックルソー

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ジャンジャックルソー
ル
ソ
ー
の
影
響
馬
場
昭
夫
<目 次>
序
-,ル ソーの位置づ けについての見解
二, ル ソーの影響
1
. ル ソー とカ ン ト
2
. ル ソーとロベス ピエール
3
. ル ソーとペ ッカ リーア
序
近代刑法学 の祖 といわれ るチ ェーザ レ ・ペ ッカ リーア 1) は ジャン ・ジャック ・ル ソーの
影響 を受 けていた 2)0
ル ソーは人間の歴史において,極 めて有名であ るけれ ど も, その思想史上,歴史上の位
置づ げは,定 まってい るとはいえない。 む しろ混乱,混迷,困惑 してい るとい って も過言
で はない。
ル ソーについて知 り得 た ことを整理 し,ル ソーの影響 を考 えてみたい。
-,ル ソーの位置づ けについての見解
1
. 岩崎武雄 「西洋哲学史」
フランス啓蒙哲学 の中に位置づ けていも。 しか し, 「フランス啓蒙時代 の中で特殊の位
置 を占め るのはル ソーであ る。 ル ソーは主知主義 に対 して鋭 く反対 し, 自然 と直接的感情
を重ん じこれを阻害す る文化 は悪で あ ると考 え, 自然の状態を もって理想で あ ると したの
で あ る。 それ故, ル ソーは人間お よび社会 をで きるだ けこの 自然 の状態に近づ けることが
必要であ ると考 えた。 しか しこのよ うなル ソ-の思想が,啓蒙思想 に反対 しつつ も,現実
の文化 に対 して理想的状態を対立 させ現実の文化 を容赦 な く批判 した とい う点ではや は り
-1
9-
啓蒙思想の特徴 を備えているものであ り,かれの思想が フランス革命 の原動力 とな った と
いわれ るの も至当であ るといわねばな らない。」 とす る。
2
. 岩 田靖夫,坂 口ふみ,柏原啓一,野家啓一 「西洋思想のあゆみ ロゴスの諸相」
フランス啓蒙思想家の中で扱われ, 「モ ンテスキュー, ボルテール, コンデ ィヤ ック,
ラ ・メ トリ, デ ィ ドロ, ダランベール等の啓蒙思想に対す る批判的な反省者であ るが,他
方で フランス革命 の精神的指導者 ともな ったよ うに啓蒙主義の完成者で もあ る。」 とされ
る。 「ル ソーに とっての啓蒙 とは,知識や文化の汚染を極力お さえて 自然に帰 ることであ
る。 自然復帰の具体的な方策 は,知性や理性 を重 く見 る傾 向にかえて,個人 レベルでは情
操 (s
e
nt
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nt) を育 て ることであ り,社会 レベルでは一般意志 (v
ol
ont
占 g占
n占
r
al
e)
に注 目す ることであ る。
」 「ル ソーは,真の 自由 と平等の実現のための制度 と して, エゴ
1
7
6
2) に見 られ るよ うに一般
イズムの合理化た る代議制 を とるよ りは, 「
社会契約説 」 (
」 とされ る。
意志- と権利 を委譲す る契約 の立場 を とることにな る。
しか し, はた して, ル ソーの思想が, モ ンテスキューの 「
法の精神」に対す る批判的反
省で,完成 してい るのであろ うか。 ヴォルテールの理性尊重,進歩尊重に対 して批判的反
省 して完成 してい るのであろ うか。 ヴォルテール とル ソーは個人的に ら,俗 な表現ではあ
るが,徹底的に仲が悪 く, けんか している。 前記他の人達に対 して も同 じよ うな疑問が呈
しられ る。ル ソーが フランス革命の精神的指導者にな った ことは否定で きないが,啓蒙主
義の完成者 と言え るのであろ うか。
3
. 中埜肇 (なかのは じむ) 「西洋近代哲学史」 (
放送大学教材)
反啓蒙的文明批評家 としてのルソー
という標題の下で扱われている. 「
啓蒙思想 と同 じ
く, 「
人間」と 「自然」 との立場 に もとづいて現存の政治 ・社会 ・宗教 ・道徳を鋭 く 「
批
哲学者たち」と協力 しなが ら, しか も,啓蒙思想が無条件に認
判 」し, またあ る程度 は 「
文化」 ・ 「
進歩 」の観念 に対 して根本的な疑念 をつ きつけたのがル
めていた 「
知性」 ・ 「
」 「ル ソーの 自然観 ・人間観 ・国家観 は,啓蒙時代 の思想家たちの うちで,
ソーであ る。
スケール も最 も大 き く, あ る意味で最 もラデ ィカルであった。 それだけに,彼 の思想 はそ
」
の後の ヨーロッパ思想の全体 にわた って大 きな影響 を与 えた。
4
. 式部久他 「高等学校倫理」
啓蒙主義 の説明の中で,次のよ うに位置づ けてい る。 「
宗教や伝統 に とらわれない立場
で社会 の制度や慣習を検討 し,理性 に基づいて, 自由で平等な社会 をつ くることをめざ し
た思想運動。 イギ リスめ ロックに源を発 し, フランスのヴォルテール,ル ソ-な どに受 け
」
つがれた。
-2
0-
5
. バ ー トラン ド・ラ ッセル 「西洋哲学史」
「
彼 は浪漫主義運動 の父であ り, 人間の感情か ら非人間的事実を推論す る思想体系の創
始者であ り,伝統的な絶対君主制 に反対 して擬似民主主義的な独裁制 を説 く政治哲学 の創
案者であ る. ル ソー以降, みずか らを社会改革者 と目す るひ とび とは,二つの グループ,
すなわちル ソ-に追随す る者 とロックに従 う者 とにわかれて きた。時には両者 は協力 した
ので あ り,両者が互 いに相容れぬ ものだ とは考 えない個人 も多 くいた。 しか ししだいに,
その不両立性 はます ます明 白 とな るにいた った。現在で は, ヒッ トラーはル ソーの帰結で
あ り, ルーズヴェル トやチ ャーチルは ロックの帰結であ る。」 3I
6
. 桑原武夫編 「ル ソー研究,第二版」
ル ソーについての統一的評価 はない。極 めて矛盾 した著述,人格 との指摘が多 い。
7
. 吉岡知哉 「ルソーの政治思想に関す る一考察」 (
国家学会雑誌 9
3巻 5, 6, 7, 8号 ,
9
4巻 5, 6号)
「
思想 とは何であ るか,思想 は何 を為 しうるか, とい うことが啓蒙思想 の最 も重要な問
いであ るとす るな らば, その意味で は, ル ソ-はまざれ もな く,啓蒙思想 の嫡子で あ る。
しか し, ル ソ-は, この問いを究極 まで押 しすす め ることによって,啓蒙思想 自体 を突 き
破 って しまった。」
8
. 福 田敏一 「ル ソー (
人類の知的遺産4
0
)」
「近代 的知性 の批判者 と してのル ソ-の魅力 は,今で は近代 の放 出 した巨大な生産力を
前提 に考 え られた社会主義への幻滅 とさえ結 びっいてい る。」
9
. 木村雅昭 「ユー トピア以後の政治」
「近代 のユー トピア思想 の潮流で, J・J・ル ソーは特異 な光彩を放 ってい る. ル ソー
の思想体系 を貫 くものは,人間 と社会 との理性的覚醒 を通 じて,国家ない し権力的契機 を
廃棄せん とす る,強力なパ トスにはかな らない。」 「ル ソーの教説 には,現存す る社会 と
国家 の虚偽性,非倫理性港 激 しく弾劾す る1万, うるわ しい理想社会 を うちたて よ うとす
るパ トスが脈 々 と流れてい る。 そ してそれはフランス革命 の さなかで急進的な民主主義思
想 を支えたばか りでな く, その後 のユー トピア思想, なかんず く社会主義,共産主義の思
K ・マル クスが,人間を "
類
想 と運動 の中で も決定的な役割 を演 じていた。周知 のよ うに,
的存在 、 と把握す る一方,現実の個人が エ ゴイズムに支配 されてい ることを論難す るとき,
」 「もとよ りル ソーが強調 し
以上のよ うなル ソ-の立場が, はっき りと投影 されてい る.
-2
1-
たよ うに人間の うちには,他者 と連帯 し,他者 の幸福 を希 う傾向が本来的に ビル ト・イ ン
されている。 したが って, 自他の分裂, あ るいは市民社会 のエゴイズムに対す るマル クス
の告発 も, それ じしん きわめて正当な ものではあ る。 しか し彼 らが 自らの理想を政治の場
で,政治権力を後楯 と して実現 しよ うと した とき, そ こにきわめておぞ ま しい社会が出現
して くることとな ったのであ る。 それは政治の世界に固有の暴力性 によって,彼 ら本来の
目的が不断に換骨奪胎 された結果, 出現 して きた ものにはかな らない。 もっともマルクス
は (そ してル ソー もまた)権力ない し暴力に潜む悪魔的な作用にか らき し無関心であった
わ けで はない。 しか しなが ら人間が,全 くあ らたな る存在- と生 まれ変 るとき, そ うした
悪魔的作用 も雲散霧消 してゆ くにちがいないととらえ られていたのである。 この意味で共
産主義の歴史 は, あ らゆ るユー トピア運動 につ き ものの陥斉をなによ りも表わす ものに揺
」
かな らない。 そ して またそ こに こそ共産主義の悲劇 の根因があ った といえよ う。
二,ルソーの影響
1
750年, ル ソーは 「
学問芸術論」を公刊す る。 それ までの長 い放浪 と独学の時代 にお け
る,個人的な交友を通 じての影響か ら,一転 して著書による,名声を背景 と しての影響 の
755年 「
人間不平等起源論」, 1
761
年 「
新 エロイーズ」, 1
762年 「
社会契約
時代 に入 る。 1
新 エ ロイーズ」 は大衆小説 と して
論 」 「エ ミール」の公刊 は賛否両論でむかえ られ る。 「
広 く熱狂的に読 まれた。 これ らの成功 に もかかわ らず, デ ィ ドロ等 旧友 との仲違 い, ヴォ
ルテールの酷評 を原因 とす るヴォルテール との対立, 「
社会契約論 」 「エ ミール」公刊後
の フランス, ジュネ-ヴ政府, キ リス ト教界 の迫害,亡命先のイギ リスでのバ ーク, ヒュ
-ムとの仲違 い等によって,ル ソーは孤立す る。 このよ うな時代 にあって,心か らル ソー
を敬愛 し,受 け入れた人 々があ る。 その中で, カ ン ト, ロベス ピエール, ペ ッカ リーアに
ついて追 ってみ る。
1
. ルソーとカン ト
1
762年 5月,ル ソーの 「エ ミール」が公刊 された。 6月,逮捕を避 けてスイスに逃れ,
以後,転 々 とす ることとな る41。 ドイツ北東部 ケ-ニ ヒベルクにいたカ ン トは, 出版後間
社会契約論」を,早 くも同年夏 には入手 して感
もな く発売禁止 とな った 「エ ミール」と 「
激 して読む ことができた. カ ン ト3
8歳の時で ある (
ル ソー50歳)。 カ ン トはケ一二 ヒベル
クのカ ンター書店 に間借 りを していたが, この書店主 は,書籍の出版販売のため ヨーロッ
パ各地 を旅行 し,最新の出版情報 に通 じていた。 1
760年代 のカ ンター書店 は多数 の内外の
新刊書を市民に提供 して -、ケ一二 ヒベル クにお ける新思想の窓 口の観を呈 した. ル ソーの
発禁書のカ ン トへの供与 はその一例だ ったのであ る5) 。
】
美 と崇高の感
カ ン トは 「エ ミール」を読んで大 きな衝撃を受 けた。 それは現在では 「「
- 22-
情に関す る考察 」のための覚え書 き」の中で,なまなま しいメモとして残 っている6I。
o
ル ソーの書物 は,老人を感化す るに役だっ。
o ルソーは綜合的なや り方を し, 自然的人間か ら始め る。私 は分析的なや り方を
し,開化
した人間か ら始 め る。
o現代 の通学者 は多 くの ものを禍悪 と して前提 し, これを克服す ることを教 えよ うと欲す
る. また悪-の多 くの誘惑を前提 し, これを克服す る動因を指示す る。 ル ソーの方法 は,
前者を禍悪 と考 えず, したが って後者を誘惑 と考 え ることのないよ うに教え る。
o子 どもが どのよ うに して将来みずか ら生 きるべ きかを教え るために生涯の大部分を過 ご
す とい うことは不 自然である。 そ こで, ジャン ・ジャック (
ル ソーの こと)のよ うな家
庭教師は作為的であ る。 素朴な状態においては,子 どもに対 してあまり世話を してや ら
ない。子 どもは,わずかな力で ももつやいなや, 自分で, ささやかではあ るが有用な,
お となの行為 - 農夫や職人にお けるよ うな-
をな し, しだいにそれ以外の ことを学
ぶ ものである。 ひ とりの人間が同時に多 くの人に生 きることを教え るためにその生涯を
もちい るのはよいが,彼 自身の生涯 を犠牲 にす るのは敬服すべ きことで はない, とい う
ことは, しか しなが ら,適切な ことである。 したが って,学校 は必要であ る。 けれ ども,
学校が可能 とな るためには, エ ミールを教育 しな くてはな らない。 ルソーが学校 の起源
を示すのが望 ま しい ことであろう。 いなかの教師は, この ことを, 自分 自身の子 どもや
近所 の子 どもか ら始 め ることがで きよ う。
o悟性 に対 して趣味を もつ とい うことは重荷であ る。私 はル ソーを, ことばの美 しさが も
はや全 く妨 げとな らな くな るまで読 まな くてはな らない。 その とき, は じめて,私 は,
彼を理性 を もって調べ ることがで きる7) 0
o
単に虚栄や気晴 らしだけのために読むのでない思慮 あ る読者が, ∫・∫ ・ル ソー氏の書
物か ら得 る第一 の印象 は,なみなみな らぬ精神の聡明 さと,天才の高貴な精神的高揚 と,
情緒豊かな心 とが,おそ らく, どのよ うな著者 よ りも高い程度 に兄 いだ され る, とい う
ことである。 た とえ, その著者が, どのよ うな時代, どのよ うな国民に属 していよ うと,
また上述の ものを,すべて もっていた として も。 これにす ぐ続 く印象は,奇異で不合理
な見解 についての不審の念であ る。\この見解 は,一般の考えには全 く対立 しているので,
人々は次のよ うな推測に陥 りやすい。 す なわち,著者 はその特別な才能により,雄弁の
魔力を証明 しよ うと欲 しただけであ り, また,魅惑的な新奇 さによ り,機知の全競争者
の間で 目立つ変人ぶ りを示 したか っただけである, と。
o 私 自身 は,好みか らすれば学者である。私 は,認識に対す る非常な渇望 と,認識におい
て さらに進みたい とい う含欲な不安を感ず るのであるが,
「また 〔
認識を〕獲得す るごと
に,満足を も感ず る。 これだけが人類の光栄 とな るであろう, と私が信 じた時代があっ
た。 そ して,私 は, なに も知 らない民衆を軽蔑 した。ル ソーが私を正 して くれた。 この
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1
-2
3-
は, フランス革命の大部分の指導者たちの聖書 とな った。 しか し疑い もな くこの著書 は,
聖書の運命 と同 じよ うに,多 くの信奉者たちによって注意深 く読 まれ ることな く, ま して
理解 され ることもなか ったのであ る。 その著作 は,民主主義の理論家たちの間に,形而上
学的な抽象化をお こな う習慣を再 び導入 し,一般的意志 とい う教説によって,指導者 と民
衆 との神秘的な同一視を可能に した。指導者 は,投票箱 とい うよ うな世俗的手段によって
確認 され る必要 はない, とい うのだ った。実践におけるその著作の最初の結実は, ロベス
1
)
ピエールの支配であ った。」 1
1
789年に始 まった革命 はご1
793年に至 って ロペス ピェ-ルがひきい るジャコバ ン党によ
って恐怖政治 と化 した。 「
社会契約論」に従 い,ル ソーの諸説に忠実に従 ってい った,行
きついた結末であった。
又,大革命が中間団体を破壊 し,ル ソーの一般意志の説 によって強大化 した国家 と, そ
れに直接対す る個人 とい う二極構造が成立 した 。 (ル ソー-ジャコバ ン型国家像)
恐怖政治 はロベス ピエールが処刑 された ことで終わ る。
ル ソー-ジャコバ ン型国家像 については,後年, トクヴィル-アメ リカ型国家像 (
中間
2
)
,
1
3
)
0
団体の多様な機能)が対置 され,現在 も議論 されてい る1
3
. ルソー とペ ッカ リーア
1
762年,ル ソーは 「
社会契約論」を公刊 した。
1
76
4年, ペ ッカ リーアは 「
犯罪 と刑 罰」を公刊 した。 「
歴史を開いてみよ う。 自由人 ど
うしの間の 自由な契約であるはずの法律 とい うものが, じっさいはほとん どつねに小数者
の欲望の道具であるか, あるいは気 ま ぐれな一時的必要か ら生 まれた産物で しかな く,人
間性の賢明な観察者 - 多数の人間の活動を 「
最大多数の最大幸福 」 とい う唯一最高の目
的に導 くことを知 っている者 -
によってつ くられた ものではない ことがわか る。
人間関係の さまざまな組合せや変化をのろのろとつづ けて行 けば,やがてあ りあまる悪
で幸福への道がで きるな どと期待 しない国々,賢明な法律で悪か ら幸福-の過程 をはやめ
よ うとす る国々, そんな国々が もしあ るな らそれはなん と幸福な国々だろう。だか ら人 目
にか くれ, うちすて られた書斎のすみか ら,実をむすぶまでに永 い時間がかか る有用な真
理の種を民衆のあいだにま く勇気のあった哲学者 - 人類 はどれほど彼に感謝 して も, し
た りた とい うことはないだろ う。
」 1
4)
ここに出て くる哲学者が,具体的に誰を さすのかについて諸説があ り, それが,ペ ッカ
リーアの思想上の位置づ けについての論争 とな って きた。風早訳 においては,訳者の註に
おいて, こ こにい う哲学者が,ル ソーであることを示唆 している。 しか し,同 じ註で引用
されているペ ッカ リーア自身の言葉においては, これを否定 している。 「
犯罪 と刑 罰」に
対 して-修道士の発表 した覚書の第十七条 は 「この哲学者 は ジャン ・ジャック ・ル ソーを
-2
5-
さす。 これ以上の不敬 けんな涜神罪が はかにあろ うか ?」とい う非難 をのせた。 これに対
してペ ッカ リーアは 「
私 はル ソー氏が この哲学者であ ると言 ったおぼえは決 してない。だ
が私 は信ず る。人類 に向 って有用な真 理を教 え る哲学者 たちは人類 の感謝にあたいす ると
い って も,不敬 けんに も涜神に もな らない ことを」 と言 っているのであ る15)0
最近の研究においては,ル ソーが必ず しも, ペ ッカ リーアに影響 した中心ではない とす
る論者 もあ らわれてい る。 「ペ ッカ リーアは, モ ンテスキューを導 きの糸 と しなが ら (ら
っとも,ペ ッカ リーアは, モ ンテスキ ューの法 の精神 に導かれなが ら刑法 の精神 をつ くり
あげ ることをめざ しなが らも,犯罪の問題 について は, モ ンテスキューとは異 な る解決策
を引き出すに至 ったのであ るが),著作の基本的考え方 は, グロチ ウス, ホ ップス,ル ソ
ーに由来す る示唆や考え方 も加味 してはいるものの,基本的には, ロックの契約思想 に依
拠す るものであ る。 これをル ソーに求 め る見解 もあるが,少数に とどまる。 そ して, その
哲学的源泉 は,主 と して, エル ヴェシウスの功利主義思想 に求め られ る。 これまでの研究
で このあた りまでは明 らかにな ってい るといって よい。残 されてい る問題 と して重要なの
は, ペ ッカ リーアの思想 において,社会契約論 と功利主義思想 とい う相矛盾す るよ うにみ
え る思想が,彼の内部で どのよ うに調和 していたのかを解 明す るとい う作業 で あ る0」
(フランチオーニ)16) しか し, 「
一七六四年, チ ェザ- レ ・ペ ッカ リーアは, モ ンテスキ
足立 昌勝)1
7
)と
ューやル ソーの強い影響の下で,不朽 の名著 『
犯罪 と刑 罰』 を著 した」 (
す る論者 もあ る。
『
犯罪 と刑 罰』の内容か らして, ペ ッカ リーアがル ソーのみか ら影響 を受 けた とは言え
ない。文字通 り,哲学者 たち (
複数)か ら影響 を受 けた と考え ることが妥当で はないか。
7
6
2
年 に公刊 されたル ソーの 「
社会
そ して,又, どこが どの程度 まで とい うことと共 に, 1
契約論」が持 っていた情熱が, ペ ッカ リーアに,なにほどかの影響 を与 えた ことは確かで
社
あろ う。 このよ うな言い方 は,理論的な記述ではないか も分か らないが, そ もそ も, 「
会契約論」 は;現在 において も言語の脈絡,思想 の脈絡が撮みに くい難解な書で あ る。 そ
れでいて何か,人をつ き動かす力を秘めてい るところがある。 ル ソーとい う人物, あ るい
は著作 は, そ もそ もそのよ うな体質を もってい るよ うに思われ る。
ペ ッカ リーアは 「
犯罪 と刑 罰」で知 られ ると共に,功利主義者であ り,す ぐれた経済学
者であ った 187.
イギ リスのベ ンサムおよびその学派 は,みずか らの哲学をその主要な輪郭のすべてにお
いて, ロックや- - トリー, エル ヴェシウスか ら導 きだ した。 この 「
哲学的急進主義者 た
ち」の公認の指導者であ ったベ ンサ ムに とって,主要な関心 は法律学であって, その分野
で は彼 は, エル ヴェシウネとペ ッカ リーア とが 自分の もっとも重要な先行者だ と認 めてい
ヽ
た 1
9
).
し
ジェイムズ ・ミル, ジ ョー ン ・ステユアー ト・ミル父子 は,それぞれ独 自に,少 しベ ン
-2
6-
サ ムの考 えに修正 を加 えなが らも功利主義学派, ベ ンサ ム派, 「
哲学的急進主義者 たち」
をな した。 バ ー トラン ド・ラッセルは, この 「
哲学 的急進主義者 たち」 は過渡期的な学派
で あ ると位置づ ける。 「
彼 らの体系 は, それ 自身 よ りも重要で あ るところの,他の二つの
体系 を誕生 させたので あ る。 すなわ ちそれ は, ダー ウ ィン主義 と社会主義 とで あ る。」 20)
ジ ョー ン ・ステ ユアー ト・ミルの全集 の ドイツ語版 は, 1
86
9-80
年 に ライブ ツイ ヒで刊
行 された。 この全集 の編集者 は, ウィー ン大学 の哲学 の教授 テオ ドール ・ゴンベル ツで あ
る。 この ドイツ語版 の全集 は全部で十二巻で あ るが,最後 の第十二巻 には,精神分析 の創
始者 と して有名 な フロイ トが翻訳 した 「
社会主義論」が入 って い る。1
86
9
年刊行 の第一巻
功利主義」 と, ミルが 1
8
には, ゴ ンベル ツの訳 した 「自由論 」と,彼 の友人 の手 にな る 「
6
7
年 ス コ ッ トラン ドのセ ン ト・ア ン ドリューズ大学総長 と してお こな った就任演説 - 彼
は このなかで大学 にお ける広汎 な リベ ラル ・エデ ュケ ー シ ョンの重要性 を説 き, 「大学 の
目的 は練達 した法律家や医師や技 師を作 ることにあ るので はな く,聡 明に して教養 あ る人
問を作 ることにあ る」 とのべて い る-
との翻訳 が入 ってい る2日。
ドイツ語圏にお ける新 しい 自由主義 の指頭 の時代 をむかえつつあ った。
注
1
) チェーザ レとチェザ-レの二通 りの読み方がなされているが,いずれが正 しいか現在の私には
判断できない。
2) 馬場昭夫 「ジャン・ジャック ・ルソーとチェーザレ・ペッカ リーア」暁星論叢第3
5
号1
29頁以
下 (
1
9
9
4
)
3) 市井三郎訳
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4
) 福田歓- 『ルソー (人類の知的遺産)』年表
5) 浜田義文編 『カント読本』 6, 7頁
6
) 『カント全集第十六巻』 (尾渡達雄訳) (理想社)
7) Es i
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(
注7
)に同 じ)
9
) バ ー トラン ド・ラッセル (市井三郎訳) 『西洋哲学史』 6
9
7, 6
9
8頁
1
0
) 坂部恵 『カ ン ト』8
8
頁
ll)バ ー トラン ド・ラッセル (
市井三郎訳) 『西洋哲学史』6
9
3, 6
9
4頁
1
2
)樋 口陽一 「第三章 フランス革命 と法 第一節 フランス革命 と近代憲法」長谷川正安他編 『講座
・革命 と法第 1巻市民革命 と法 』1
3
0頁以下
1
3
)松井茂記 「1.
国民主権原理 と憲法学」山之内靖他編 『
岩波講座社会科学の方法第Ⅵ巻社会変動
4
,3
5
頁
のなかの法 』3
1
4
)チ ェーザ レ ・ペ ッカ リーア (風早八十二 ・風早二葉訳) 『犯罪 と刑罰 』1
9
,2
0
頁
1
5
)同上 2
0
頁
1
6
)東京刑事法研究会 『啓蒙思想 と刑事法 』 3ペ ッカ リーア研究の現段階 (京藤哲久)7
9
,8
0
亘
1
7
) 同上 1
2ドイツ ・オース トリアの啓蒙主義刑法理論 と刑事立法 (足立 昌勝) 3
01頁
1
8
) シュムペ 一.
クー (
東畑精一訳) 『
経済分析の歴史 Ⅰ』3
7
2頁以下
1
分 バ ー トラン ド・ラッセル (市井三郎訳) 『西洋哲学史』7
6
5, 7
6
6頁
2
0
)同上 7
7
2頁
21
) 杉原四郎 日 .
S.ミル と現代』1
3
0頁以下
-
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