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ジャンジャックルソー
ル ソ ー の 影 響 馬 場 昭 夫 <目 次> 序 -,ル ソーの位置づ けについての見解 二, ル ソーの影響 1 . ル ソー とカ ン ト 2 . ル ソーとロベス ピエール 3 . ル ソーとペ ッカ リーア 序 近代刑法学 の祖 といわれ るチ ェーザ レ ・ペ ッカ リーア 1) は ジャン ・ジャック ・ル ソーの 影響 を受 けていた 2)0 ル ソーは人間の歴史において,極 めて有名であ るけれ ど も, その思想史上,歴史上の位 置づ げは,定 まってい るとはいえない。 む しろ混乱,混迷,困惑 してい るとい って も過言 で はない。 ル ソーについて知 り得 た ことを整理 し,ル ソーの影響 を考 えてみたい。 -,ル ソーの位置づ けについての見解 1 . 岩崎武雄 「西洋哲学史」 フランス啓蒙哲学 の中に位置づ けていも。 しか し, 「フランス啓蒙時代 の中で特殊の位 置 を占め るのはル ソーであ る。 ル ソーは主知主義 に対 して鋭 く反対 し, 自然 と直接的感情 を重ん じこれを阻害す る文化 は悪で あ ると考 え, 自然の状態を もって理想で あ ると したの で あ る。 それ故, ル ソーは人間お よび社会 をで きるだ けこの 自然 の状態に近づ けることが 必要であ ると考 えた。 しか しこのよ うなル ソ-の思想が,啓蒙思想 に反対 しつつ も,現実 の文化 に対 して理想的状態を対立 させ現実の文化 を容赦 な く批判 した とい う点ではや は り -1 9- 啓蒙思想の特徴 を備えているものであ り,かれの思想が フランス革命 の原動力 とな った と いわれ るの も至当であ るといわねばな らない。」 とす る。 2 . 岩 田靖夫,坂 口ふみ,柏原啓一,野家啓一 「西洋思想のあゆみ ロゴスの諸相」 フランス啓蒙思想家の中で扱われ, 「モ ンテスキュー, ボルテール, コンデ ィヤ ック, ラ ・メ トリ, デ ィ ドロ, ダランベール等の啓蒙思想に対す る批判的な反省者であ るが,他 方で フランス革命 の精神的指導者 ともな ったよ うに啓蒙主義の完成者で もあ る。」 とされ る。 「ル ソーに とっての啓蒙 とは,知識や文化の汚染を極力お さえて 自然に帰 ることであ る。 自然復帰の具体的な方策 は,知性や理性 を重 く見 る傾 向にかえて,個人 レベルでは情 操 (s e nt i me nt) を育 て ることであ り,社会 レベルでは一般意志 (v ol ont 占 g占 n占 r al e) に注 目す ることであ る。 」 「ル ソーは,真の 自由 と平等の実現のための制度 と して, エゴ 1 7 6 2) に見 られ るよ うに一般 イズムの合理化た る代議制 を とるよ りは, 「 社会契約説 」 ( 」 とされ る。 意志- と権利 を委譲す る契約 の立場 を とることにな る。 しか し, はた して, ル ソーの思想が, モ ンテスキューの 「 法の精神」に対す る批判的反 省で,完成 してい るのであろ うか。 ヴォルテールの理性尊重,進歩尊重に対 して批判的反 省 して完成 してい るのであろ うか。 ヴォルテール とル ソーは個人的に ら,俗 な表現ではあ るが,徹底的に仲が悪 く, けんか している。 前記他の人達に対 して も同 じよ うな疑問が呈 しられ る。ル ソーが フランス革命の精神的指導者にな った ことは否定で きないが,啓蒙主 義の完成者 と言え るのであろ うか。 3 . 中埜肇 (なかのは じむ) 「西洋近代哲学史」 ( 放送大学教材) 反啓蒙的文明批評家 としてのルソー という標題の下で扱われている. 「 啓蒙思想 と同 じ く, 「 人間」と 「自然」 との立場 に もとづいて現存の政治 ・社会 ・宗教 ・道徳を鋭 く 「 批 哲学者たち」と協力 しなが ら, しか も,啓蒙思想が無条件に認 判 」し, またあ る程度 は 「 文化」 ・ 「 進歩 」の観念 に対 して根本的な疑念 をつ きつけたのがル めていた 「 知性」 ・ 「 」 「ル ソーの 自然観 ・人間観 ・国家観 は,啓蒙時代 の思想家たちの うちで, ソーであ る。 スケール も最 も大 き く, あ る意味で最 もラデ ィカルであった。 それだけに,彼 の思想 はそ 」 の後の ヨーロッパ思想の全体 にわた って大 きな影響 を与 えた。 4 . 式部久他 「高等学校倫理」 啓蒙主義 の説明の中で,次のよ うに位置づ けてい る。 「 宗教や伝統 に とらわれない立場 で社会 の制度や慣習を検討 し,理性 に基づいて, 自由で平等な社会 をつ くることをめざ し た思想運動。 イギ リスめ ロックに源を発 し, フランスのヴォルテール,ル ソ-な どに受 け 」 つがれた。 -2 0- 5 . バ ー トラン ド・ラ ッセル 「西洋哲学史」 「 彼 は浪漫主義運動 の父であ り, 人間の感情か ら非人間的事実を推論す る思想体系の創 始者であ り,伝統的な絶対君主制 に反対 して擬似民主主義的な独裁制 を説 く政治哲学 の創 案者であ る. ル ソー以降, みずか らを社会改革者 と目す るひ とび とは,二つの グループ, すなわちル ソ-に追随す る者 とロックに従 う者 とにわかれて きた。時には両者 は協力 した ので あ り,両者が互 いに相容れぬ ものだ とは考 えない個人 も多 くいた。 しか ししだいに, その不両立性 はます ます明 白 とな るにいた った。現在で は, ヒッ トラーはル ソーの帰結で あ り, ルーズヴェル トやチ ャーチルは ロックの帰結であ る。」 3I 6 . 桑原武夫編 「ル ソー研究,第二版」 ル ソーについての統一的評価 はない。極 めて矛盾 した著述,人格 との指摘が多 い。 7 . 吉岡知哉 「ルソーの政治思想に関す る一考察」 ( 国家学会雑誌 9 3巻 5, 6, 7, 8号 , 9 4巻 5, 6号) 「 思想 とは何であ るか,思想 は何 を為 しうるか, とい うことが啓蒙思想 の最 も重要な問 いであ るとす るな らば, その意味で は, ル ソ-はまざれ もな く,啓蒙思想 の嫡子で あ る。 しか し, ル ソ-は, この問いを究極 まで押 しすす め ることによって,啓蒙思想 自体 を突 き 破 って しまった。」 8 . 福 田敏一 「ル ソー ( 人類の知的遺産4 0 )」 「近代 的知性 の批判者 と してのル ソ-の魅力 は,今で は近代 の放 出 した巨大な生産力を 前提 に考 え られた社会主義への幻滅 とさえ結 びっいてい る。」 9 . 木村雅昭 「ユー トピア以後の政治」 「近代 のユー トピア思想 の潮流で, J・J・ル ソーは特異 な光彩を放 ってい る. ル ソー の思想体系 を貫 くものは,人間 と社会 との理性的覚醒 を通 じて,国家ない し権力的契機 を 廃棄せん とす る,強力なパ トスにはかな らない。」 「ル ソーの教説 には,現存す る社会 と 国家 の虚偽性,非倫理性港 激 しく弾劾す る1万, うるわ しい理想社会 を うちたて よ うとす るパ トスが脈 々 と流れてい る。 そ してそれはフランス革命 の さなかで急進的な民主主義思 想 を支えたばか りでな く, その後 のユー トピア思想, なかんず く社会主義,共産主義の思 K ・マル クスが,人間を " 類 想 と運動 の中で も決定的な役割 を演 じていた。周知 のよ うに, 的存在 、 と把握す る一方,現実の個人が エ ゴイズムに支配 されてい ることを論難す るとき, 」 「もとよ りル ソーが強調 し 以上のよ うなル ソ-の立場が, はっき りと投影 されてい る. -2 1- たよ うに人間の うちには,他者 と連帯 し,他者 の幸福 を希 う傾向が本来的に ビル ト・イ ン されている。 したが って, 自他の分裂, あ るいは市民社会 のエゴイズムに対す るマル クス の告発 も, それ じしん きわめて正当な ものではあ る。 しか し彼 らが 自らの理想を政治の場 で,政治権力を後楯 と して実現 しよ うと した とき, そ こにきわめておぞ ま しい社会が出現 して くることとな ったのであ る。 それは政治の世界に固有の暴力性 によって,彼 ら本来の 目的が不断に換骨奪胎 された結果, 出現 して きた ものにはかな らない。 もっともマルクス は (そ してル ソー もまた)権力ない し暴力に潜む悪魔的な作用にか らき し無関心であった わ けで はない。 しか しなが ら人間が,全 くあ らたな る存在- と生 まれ変 るとき, そ うした 悪魔的作用 も雲散霧消 してゆ くにちがいないととらえ られていたのである。 この意味で共 産主義の歴史 は, あ らゆ るユー トピア運動 につ き ものの陥斉をなによ りも表わす ものに揺 」 かな らない。 そ して またそ こに こそ共産主義の悲劇 の根因があ った といえよ う。 二,ルソーの影響 1 750年, ル ソーは 「 学問芸術論」を公刊す る。 それ までの長 い放浪 と独学の時代 にお け る,個人的な交友を通 じての影響か ら,一転 して著書による,名声を背景 と しての影響 の 755年 「 人間不平等起源論」, 1 761 年 「 新 エロイーズ」, 1 762年 「 社会契約 時代 に入 る。 1 新 エ ロイーズ」 は大衆小説 と して 論 」 「エ ミール」の公刊 は賛否両論でむかえ られ る。 「 広 く熱狂的に読 まれた。 これ らの成功 に もかかわ らず, デ ィ ドロ等 旧友 との仲違 い, ヴォ ルテールの酷評 を原因 とす るヴォルテール との対立, 「 社会契約論 」 「エ ミール」公刊後 の フランス, ジュネ-ヴ政府, キ リス ト教界 の迫害,亡命先のイギ リスでのバ ーク, ヒュ -ムとの仲違 い等によって,ル ソーは孤立す る。 このよ うな時代 にあって,心か らル ソー を敬愛 し,受 け入れた人 々があ る。 その中で, カ ン ト, ロベス ピエール, ペ ッカ リーアに ついて追 ってみ る。 1 . ルソーとカン ト 1 762年 5月,ル ソーの 「エ ミール」が公刊 された。 6月,逮捕を避 けてスイスに逃れ, 以後,転 々 とす ることとな る41。 ドイツ北東部 ケ-ニ ヒベルクにいたカ ン トは, 出版後間 社会契約論」を,早 くも同年夏 には入手 して感 もな く発売禁止 とな った 「エ ミール」と 「 激 して読む ことができた. カ ン ト3 8歳の時で ある ( ル ソー50歳)。 カ ン トはケ一二 ヒベル クのカ ンター書店 に間借 りを していたが, この書店主 は,書籍の出版販売のため ヨーロッ パ各地 を旅行 し,最新の出版情報 に通 じていた。 1 760年代 のカ ンター書店 は多数 の内外の 新刊書を市民に提供 して -、ケ一二 ヒベル クにお ける新思想の窓 口の観を呈 した. ル ソーの 発禁書のカ ン トへの供与 はその一例だ ったのであ る5) 。 】 美 と崇高の感 カ ン トは 「エ ミール」を読んで大 きな衝撃を受 けた。 それは現在では 「「 - 22- 情に関す る考察 」のための覚え書 き」の中で,なまなま しいメモとして残 っている6I。 o ル ソーの書物 は,老人を感化す るに役だっ。 o ルソーは綜合的なや り方を し, 自然的人間か ら始め る。私 は分析的なや り方を し,開化 した人間か ら始 め る。 o現代 の通学者 は多 くの ものを禍悪 と して前提 し, これを克服す ることを教 えよ うと欲す る. また悪-の多 くの誘惑を前提 し, これを克服す る動因を指示す る。 ル ソーの方法 は, 前者を禍悪 と考 えず, したが って後者を誘惑 と考 え ることのないよ うに教え る。 o子 どもが どのよ うに して将来みずか ら生 きるべ きかを教え るために生涯の大部分を過 ご す とい うことは不 自然である。 そ こで, ジャン ・ジャック ( ル ソーの こと)のよ うな家 庭教師は作為的であ る。 素朴な状態においては,子 どもに対 してあまり世話を してや ら ない。子 どもは,わずかな力で ももつやいなや, 自分で, ささやかではあ るが有用な, お となの行為 - 農夫や職人にお けるよ うな- をな し, しだいにそれ以外の ことを学 ぶ ものである。 ひ とりの人間が同時に多 くの人に生 きることを教え るためにその生涯を もちい るのはよいが,彼 自身の生涯 を犠牲 にす るのは敬服すべ きことで はない, とい う ことは, しか しなが ら,適切な ことである。 したが って,学校 は必要であ る。 けれ ども, 学校が可能 とな るためには, エ ミールを教育 しな くてはな らない。 ルソーが学校 の起源 を示すのが望 ま しい ことであろう。 いなかの教師は, この ことを, 自分 自身の子 どもや 近所 の子 どもか ら始 め ることがで きよ う。 o悟性 に対 して趣味を もつ とい うことは重荷であ る。私 はル ソーを, ことばの美 しさが も はや全 く妨 げとな らな くな るまで読 まな くてはな らない。 その とき, は じめて,私 は, 彼を理性 を もって調べ ることがで きる7) 0 o 単に虚栄や気晴 らしだけのために読むのでない思慮 あ る読者が, ∫・∫ ・ル ソー氏の書 物か ら得 る第一 の印象 は,なみなみな らぬ精神の聡明 さと,天才の高貴な精神的高揚 と, 情緒豊かな心 とが,おそ らく, どのよ うな著者 よ りも高い程度 に兄 いだ され る, とい う ことである。 た とえ, その著者が, どのよ うな時代, どのよ うな国民に属 していよ うと, また上述の ものを,すべて もっていた として も。 これにす ぐ続 く印象は,奇異で不合理 な見解 についての不審の念であ る。\この見解 は,一般の考えには全 く対立 しているので, 人々は次のよ うな推測に陥 りやすい。 す なわち,著者 はその特別な才能により,雄弁の 魔力を証明 しよ うと欲 しただけであ り, また,魅惑的な新奇 さによ り,機知の全競争者 の間で 目立つ変人ぶ りを示 したか っただけである, と。 o 私 自身 は,好みか らすれば学者である。私 は,認識に対す る非常な渇望 と,認識におい て さらに進みたい とい う含欲な不安を感ず るのであるが, 「また 〔 認識を〕獲得す るごと に,満足を も感ず る。 これだけが人類の光栄 とな るであろう, と私が信 じた時代があっ た。 そ して,私 は, なに も知 らない民衆を軽蔑 した。ル ソーが私を正 して くれた。 この I h 1 -2 3- は, フランス革命の大部分の指導者たちの聖書 とな った。 しか し疑い もな くこの著書 は, 聖書の運命 と同 じよ うに,多 くの信奉者たちによって注意深 く読 まれ ることな く, ま して 理解 され ることもなか ったのであ る。 その著作 は,民主主義の理論家たちの間に,形而上 学的な抽象化をお こな う習慣を再 び導入 し,一般的意志 とい う教説によって,指導者 と民 衆 との神秘的な同一視を可能に した。指導者 は,投票箱 とい うよ うな世俗的手段によって 確認 され る必要 はない, とい うのだ った。実践におけるその著作の最初の結実は, ロベス 1 ) ピエールの支配であ った。」 1 1 789年に始 まった革命 はご1 793年に至 って ロペス ピェ-ルがひきい るジャコバ ン党によ って恐怖政治 と化 した。 「 社会契約論」に従 い,ル ソーの諸説に忠実に従 ってい った,行 きついた結末であった。 又,大革命が中間団体を破壊 し,ル ソーの一般意志の説 によって強大化 した国家 と, そ れに直接対す る個人 とい う二極構造が成立 した 。 (ル ソー-ジャコバ ン型国家像) 恐怖政治 はロベス ピエールが処刑 された ことで終わ る。 ル ソー-ジャコバ ン型国家像 については,後年, トクヴィル-アメ リカ型国家像 ( 中間 2 ) , 1 3 ) 0 団体の多様な機能)が対置 され,現在 も議論 されてい る1 3 . ルソー とペ ッカ リーア 1 762年,ル ソーは 「 社会契約論」を公刊 した。 1 76 4年, ペ ッカ リーアは 「 犯罪 と刑 罰」を公刊 した。 「 歴史を開いてみよ う。 自由人 ど うしの間の 自由な契約であるはずの法律 とい うものが, じっさいはほとん どつねに小数者 の欲望の道具であるか, あるいは気 ま ぐれな一時的必要か ら生 まれた産物で しかな く,人 間性の賢明な観察者 - 多数の人間の活動を 「 最大多数の最大幸福 」 とい う唯一最高の目 的に導 くことを知 っている者 - によってつ くられた ものではない ことがわか る。 人間関係の さまざまな組合せや変化をのろのろとつづ けて行 けば,やがてあ りあまる悪 で幸福への道がで きるな どと期待 しない国々,賢明な法律で悪か ら幸福-の過程 をはやめ よ うとす る国々, そんな国々が もしあ るな らそれはなん と幸福な国々だろう。だか ら人 目 にか くれ, うちすて られた書斎のすみか ら,実をむすぶまでに永 い時間がかか る有用な真 理の種を民衆のあいだにま く勇気のあった哲学者 - 人類 はどれほど彼に感謝 して も, し た りた とい うことはないだろ う。 」 1 4) ここに出て くる哲学者が,具体的に誰を さすのかについて諸説があ り, それが,ペ ッカ リーアの思想上の位置づ けについての論争 とな って きた。風早訳 においては,訳者の註に おいて, こ こにい う哲学者が,ル ソーであることを示唆 している。 しか し,同 じ註で引用 されているペ ッカ リーア自身の言葉においては, これを否定 している。 「 犯罪 と刑 罰」に 対 して-修道士の発表 した覚書の第十七条 は 「この哲学者 は ジャン ・ジャック ・ル ソーを -2 5- さす。 これ以上の不敬 けんな涜神罪が はかにあろ うか ?」とい う非難 をのせた。 これに対 してペ ッカ リーアは 「 私 はル ソー氏が この哲学者であ ると言 ったおぼえは決 してない。だ が私 は信ず る。人類 に向 って有用な真 理を教 え る哲学者 たちは人類 の感謝にあたいす ると い って も,不敬 けんに も涜神に もな らない ことを」 と言 っているのであ る15)0 最近の研究においては,ル ソーが必ず しも, ペ ッカ リーアに影響 した中心ではない とす る論者 もあ らわれてい る。 「ペ ッカ リーアは, モ ンテスキューを導 きの糸 と しなが ら (ら っとも,ペ ッカ リーアは, モ ンテスキ ューの法 の精神 に導かれなが ら刑法 の精神 をつ くり あげ ることをめざ しなが らも,犯罪の問題 について は, モ ンテスキューとは異 な る解決策 を引き出すに至 ったのであ るが),著作の基本的考え方 は, グロチ ウス, ホ ップス,ル ソ ーに由来す る示唆や考え方 も加味 してはいるものの,基本的には, ロックの契約思想 に依 拠す るものであ る。 これをル ソーに求 め る見解 もあるが,少数に とどまる。 そ して, その 哲学的源泉 は,主 と して, エル ヴェシウスの功利主義思想 に求め られ る。 これまでの研究 で このあた りまでは明 らかにな ってい るといって よい。残 されてい る問題 と して重要なの は, ペ ッカ リーアの思想 において,社会契約論 と功利主義思想 とい う相矛盾す るよ うにみ え る思想が,彼の内部で どのよ うに調和 していたのかを解 明す るとい う作業 で あ る0」 (フランチオーニ)16) しか し, 「 一七六四年, チ ェザ- レ ・ペ ッカ リーアは, モ ンテスキ 足立 昌勝)1 7 )と ューやル ソーの強い影響の下で,不朽 の名著 『 犯罪 と刑 罰』 を著 した」 ( す る論者 もあ る。 『 犯罪 と刑 罰』の内容か らして, ペ ッカ リーアがル ソーのみか ら影響 を受 けた とは言え ない。文字通 り,哲学者 たち ( 複数)か ら影響 を受 けた と考え ることが妥当で はないか。 7 6 2 年 に公刊 されたル ソーの 「 社会 そ して,又, どこが どの程度 まで とい うことと共 に, 1 契約論」が持 っていた情熱が, ペ ッカ リーアに,なにほどかの影響 を与 えた ことは確かで 社 あろ う。 このよ うな言い方 は,理論的な記述ではないか も分か らないが, そ もそ も, 「 会契約論」 は;現在 において も言語の脈絡,思想 の脈絡が撮みに くい難解な書で あ る。 そ れでいて何か,人をつ き動かす力を秘めてい るところがある。 ル ソーとい う人物, あ るい は著作 は, そ もそ もそのよ うな体質を もってい るよ うに思われ る。 ペ ッカ リーアは 「 犯罪 と刑 罰」で知 られ ると共に,功利主義者であ り,す ぐれた経済学 者であ った 187. イギ リスのベ ンサムおよびその学派 は,みずか らの哲学をその主要な輪郭のすべてにお いて, ロックや- - トリー, エル ヴェシウスか ら導 きだ した。 この 「 哲学的急進主義者 た ち」の公認の指導者であ ったベ ンサ ムに とって,主要な関心 は法律学であって, その分野 で は彼 は, エル ヴェシウネとペ ッカ リーア とが 自分の もっとも重要な先行者だ と認 めてい ヽ た 1 9 ). し ジェイムズ ・ミル, ジ ョー ン ・ステユアー ト・ミル父子 は,それぞれ独 自に,少 しベ ン -2 6- サ ムの考 えに修正 を加 えなが らも功利主義学派, ベ ンサ ム派, 「 哲学的急進主義者 たち」 をな した。 バ ー トラン ド・ラッセルは, この 「 哲学 的急進主義者 たち」 は過渡期的な学派 で あ ると位置づ ける。 「 彼 らの体系 は, それ 自身 よ りも重要で あ るところの,他の二つの 体系 を誕生 させたので あ る。 すなわ ちそれ は, ダー ウ ィン主義 と社会主義 とで あ る。」 20) ジ ョー ン ・ステ ユアー ト・ミルの全集 の ドイツ語版 は, 1 86 9-80 年 に ライブ ツイ ヒで刊 行 された。 この全集 の編集者 は, ウィー ン大学 の哲学 の教授 テオ ドール ・ゴンベル ツで あ る。 この ドイツ語版 の全集 は全部で十二巻で あ るが,最後 の第十二巻 には,精神分析 の創 始者 と して有名 な フロイ トが翻訳 した 「 社会主義論」が入 って い る。1 86 9 年刊行 の第一巻 功利主義」 と, ミルが 1 8 には, ゴ ンベル ツの訳 した 「自由論 」と,彼 の友人 の手 にな る 「 6 7 年 ス コ ッ トラン ドのセ ン ト・ア ン ドリューズ大学総長 と してお こな った就任演説 - 彼 は このなかで大学 にお ける広汎 な リベ ラル ・エデ ュケ ー シ ョンの重要性 を説 き, 「大学 の 目的 は練達 した法律家や医師や技 師を作 ることにあ るので はな く,聡 明に して教養 あ る人 問を作 ることにあ る」 とのべて い る- との翻訳 が入 ってい る2日。 ドイツ語圏にお ける新 しい 自由主義 の指頭 の時代 をむかえつつあ った。 注 1 ) チェーザ レとチェザ-レの二通 りの読み方がなされているが,いずれが正 しいか現在の私には 判断できない。 2) 馬場昭夫 「ジャン・ジャック ・ルソーとチェーザレ・ペッカ リーア」暁星論叢第3 5 号1 29頁以 下 ( 1 9 9 4 ) 3) 市井三郎訳 He i st he f at he r of t he romant i c move me nt, t he i ni t i at or of s ys t e ms oft bought whi ch i nf er non-human f ac t s f rom human e mot i ons, and t he i nve nt or of t he pol i t i cal phi l osophy of ps e udo-de moc rat i c di c t a t or s hi ps as oppose dt ot radi t i onal absol ut e monar chi e s.Eve r s i nc e hi s t i me, t hos e who hos e cons i de r e dt he ms e l ves r e f or mer s have be e n di vi ded i nt ot wo gro ups, t who f ol l owe d hi m and t hos e who f ol l owe d Loc ke. Some t i me s t he yc oope r at e d, and many i ndi vi dual s saw no i nc ompat i bi l i t y.But gr adual l yt he i nc ot l e r mpat i bi l i t y h 、 as be come i nc r e as l t ngl ye vi de nt.At t he pr e s e nt t i me,Hi l, of Lo c ke. i s an out come of Rous s eau;Roos e ve l t and Chur c hi l 4 ) 福田歓- 『ルソー (人類の知的遺産)』年表 5) 浜田義文編 『カント読本』 6, 7頁 6 ) 『カント全集第十六巻』 (尾渡達雄訳) (理想社) 7) Es i s t e i ne Be s c hwe r de vor de n Ve r s t and Ge s c hmak z u habe n. I c hmuβ de n Rous s eau s ol ange l e s e n bi s mi c h di e Sc hi う nhe i t de r Aus dr uke gar ni c ht mehr s t 6hr t u.damn kann i c h al l er e r s t i hn ni t Ve r nunf t unt er s uche n. (Ka nt ' s Ge sammel t e Sc hr i f t en.He ra us ge gebe n von K6ni gl i c h Pr e us s i s c he n -2 7- Akade mi e de r Wi s s ens c haf t e n.Band XX 1 9 42) 8) I c h bi ns e l bs t aus Ne i gung e i n For s c he r. I c h f dhl e de n gant ze n Dur s t nac h Er ke nt ni s s u.di e begi e r l ge Unr uhe dar i n we i t e r z u komme n ode r auc h di e Zuf r i e de nhe i t bey j e de m Er we r b.Es war e i ne Ze i t da i c h gl aubt e di e s e s al l ei n k' dnnt e di e Ehr e de r Me ns c hhe i t mac he n u.i c h ve r ac ht e t e de n Tz6be l de r von ni c ht s we i s.Rous s eau hat mi ch z ur e c ht ge br ac ht. Di e s er ve r bl e nde nde Vor z ug ve r s c hwi nde t, i c h l e r ne di e Me ns c he n e hr e n u. i c h wもr de mi c h unndt ze r f i nde n wi e de n ge me i ne n Ar be i t e r we nn i c h ni c ht gl aube t e dap di e s e Be t rac ht ung al l e ni i br i ge n e i ne n We r t he r t hei l e n k6nne, di e r e c ht e de r Me ns c hhei t he r z us t e l l e n ( 注7 )に同 じ) 9 ) バ ー トラン ド・ラッセル (市井三郎訳) 『西洋哲学史』 6 9 7, 6 9 8頁 1 0 ) 坂部恵 『カ ン ト』8 8 頁 ll)バ ー トラン ド・ラッセル ( 市井三郎訳) 『西洋哲学史』6 9 3, 6 9 4頁 1 2 )樋 口陽一 「第三章 フランス革命 と法 第一節 フランス革命 と近代憲法」長谷川正安他編 『講座 ・革命 と法第 1巻市民革命 と法 』1 3 0頁以下 1 3 )松井茂記 「1. 国民主権原理 と憲法学」山之内靖他編 『 岩波講座社会科学の方法第Ⅵ巻社会変動 4 ,3 5 頁 のなかの法 』3 1 4 )チ ェーザ レ ・ペ ッカ リーア (風早八十二 ・風早二葉訳) 『犯罪 と刑罰 』1 9 ,2 0 頁 1 5 )同上 2 0 頁 1 6 )東京刑事法研究会 『啓蒙思想 と刑事法 』 3ペ ッカ リーア研究の現段階 (京藤哲久)7 9 ,8 0 亘 1 7 ) 同上 1 2ドイツ ・オース トリアの啓蒙主義刑法理論 と刑事立法 (足立 昌勝) 3 01頁 1 8 ) シュムペ 一. クー ( 東畑精一訳) 『 経済分析の歴史 Ⅰ』3 7 2頁以下 1 分 バ ー トラン ド・ラッセル (市井三郎訳) 『西洋哲学史』7 6 5, 7 6 6頁 2 0 )同上 7 7 2頁 21 ) 杉原四郎 日 . S.ミル と現代』1 3 0頁以下 - 28 -