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469KB - 京都精華大学
−54− 「メディア論」の身体論的問題構制 マクルーハンとマンフォードにおける身体・機械・メディアを中心に
「メディア論」の身体論的問題構制
マクルーハンとマンフォードにおける身体・機械・メディアを中心に
井 上 雅 人
INOUE Masahito
1. コミュニケーション論,メディア論,機械論の接合点
メッセージの価値を評価するための厳密な数学的枠組を作りだした情報理論の父シャノ
ンが,ベル電話会社の社員であったことを,ここであらためて指摘させてもらっても良い
だろうかi。
レジス・ドブレは『メディオロジー宣言』のなかで,「コミュニケーション論」という学問
枠組の恣意性について論じるにあたって,上述のように,「シャノン・モデル」をつくりあげ
たクロード・シャノンが所属した機関を紹介することからはじめている。ドブレは,「受話器,
回線,信号」という電話のシステムが,「コミュニケーション論」の概念枠組を形作ってし
まっていると述べ,郵政や通信事業の制度が後ろ楯として学問に与える影響力の大きさを充分
に考慮しなくてはならないと主張する。ドブレは「そのことによってシャノンの定理の学問的
価値が失われるわけではない」と言葉を選んではいるものの,全てのコミュニケーションが電
話回線による交信の仕組みをモデルとして想定され理解されてしまう危険性を危惧している。
ドブレに対する批判は多い。例えば,「存在もしない科学,「メディオロジー」の独占者であ
ると自称している人々が,いかなる調査もせずに,メディアの世界の現状について,断定的な
口調で自分達の結論を主張するのは,止めさせようがありません」iiという,ピエール・ブル
デューの嫌悪にも似た批判などが代表的なものだろう。それでも前述の指摘に見られるような,
制度や産業システムに対する鋭敏さは,抽象論に走りがちなコミュニケーションの研究にとっ
て大きな示唆を与えることは間違いない。さらには,「コミュニケーション論」という問題構
制の源泉をシャノン一人に求めるのではなく,シャノンを含みこむコミュニケーション論の研
究者たちと,それを生み出した社会に求めるのであれば,シャノンがベルの社員であったこと
はエピソード程度で済まされる事実ではないだろうし,確かにもう少し検討が加えられるべき
ことがらではあろう。
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そのような意図のもと,ドブレは自らが「メディオロジー」と名付けた一連の「メディア」
研究の中で,シャノン・モデルに言及しているわけだが,シャノン・モデルは,ノーバート・
ウィーナーの「サイバネティックス」という学問体系と共に,ながらく通信や情報の理論のス
タート地点となってきた。両者は決して全く同じものではないが,シャノン・モデルもサイバ
ネティックスも,発信者と受信者がいて,その間のチャンネルを通じて,コミュニケーション
が線形に行われるという点で共通している。これらの理論は,それだけでは人間の多様なコ
ミュニケーション形態を説明できないとして,これまでも多くの批判を受けてきたが,ここで
注目したいのは,日本においてサイバネティックスが『人間機械論』という名称で諒解された
ことだ。
もともと『人間機械論』という書籍の原題は『人間の人間的な利用』であり,『人間機械論』
という名称もウィーナーが名付けたものではないのだが,故なくしての『人間機械論』ではな
い。ウィーナーは「人間にも動物にも機械にも通用する工学的制御の理論」iiiとしてサイバネ
ティックスを提唱したのだが,それは「自己の行動のパターンを過去の経験に基づいて修正し,
特異な反エントロピー的目的の達成に適合させる」iv行為,つまりフィードバックシステムによ
る情報の伝達=行為が,人間,動物,機械に共通しているからである。そこには,サイバネ
ティックス=『人間機械論』が,デカルトやラ・メトリー以来の機械論の系譜の上に,人間と
機械に共通する理論として提出されたという前提がある。
その後,サイバネティックスは,ウィーナー自身が身体や機械を「制御」することと身体や
機械に命令を「通信」することを同一の現象として考えていた上に,当初から「情報交換」の
理論として宣言していたこともあって,何の躊躇もなくメディアの理論として援用されていっ
た。今日では「サイバー」という言葉が一人歩きをはじめて,「サイバー」といえばウェブ空
間を連想させる状況になってしまったが,それが元をただせば「機械とは何か」という問いに
導かれた理論であるということは,確認しておいてもよいだろう。ウィーナーがサイバネ
ティックスを構想した当時は,機械が生活の深奥まで覆いつくしはじめた時代で,様々な側面
から機械化に関する理論が数多く打ち立てられた。ウィーナーもそういう文脈を充分意識して
いたし,著作のなかで機械に対して並みならぬ興味を示している。とはいえ,だからといって,
機械化の理論とメディアの理論は別であるので,サイバネティックスをメディアの理論として
援用するのは妥当ではないし,サイバネティックスは機械の理論としてのみ使うべきだという
ことにはならない。それはむしろ逆であって,ウィーナーのサイバネティックスが指し示すの
は,メディア論が機械論と一続きの理論として形成されてきたということなのである。
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2. マーシャル・マクルーハンの「機械論」
北田暁大によると,「日本語で書かれたメディア関連書では「メディア論」という言葉は,
ふつうマーシャル・マクルーハンが提示したコミュニケーション分析の方法論を指し示すもの
として用いられ」ており,「文学作品の内容・物語ではなく,文学の受容形態や表現技法の変
容が持つ社会的意味をとり扱うこと」vとして捉えられている。この「非テクスト論的な方法の
存在を示唆するその幽霊に与えられた名前」viとしての「メディア論」が,翻訳のもたらした奇
妙な産物で,諸外国にはこういった概念が存在しないことを北田は指摘しながら,それでも
「メディア論」の持つ,分析枠組みの有効性を積極的に評価しているvii。
しかし,北田も指摘するように,「メディア論」という枠組み自体をマクルーハンが提出し
たのではなく,翻訳されたものを通して他の研究者たちが発見し,構築していったのであれば,
もとのマクルーハンの著作からこぼれ落ちたものもあるはずであろう。クリストファー・ホ
ロックスの言うように「彼の思想は,新しいテクノロジーと折り合いがよくなるように手直し
されたり,ある部分では毒抜きされたりしてきた」viiiのは確かである。マクルーハンが提示した
一連の「メディア論」にもサイバネティックスと同様に,「機械とは何か」という問いに導か
れた,身体と機械の関係性についての理論という面が色濃くある。
特にタイトルからしてその興味を反映している “The Mechanical Bride”(邦題『機械の花嫁』)
の主題は,女性を「機械化の実例」として扱うことだった。「グラマー娘はテクノロジー社会
の命令にしたがって生物体としての自分の体を一台の機械にかえて」いるというのがマクルー
ハンの主張であり,「これは恋愛機械ともいうべきもので,少なくとも当人は手順通りに全工
程を終えれば,恋は思いのままになると言いきかされている」ixと指摘しているように,「機械
化」という言葉はマクルーハンにとって,大きな意味をもっていた。身体を直接的に加工する
というレベルにおいても,あるいはアッセンブリーラインを模範とした実践のプロセスにおい
ても,女性は機械と化したと述べているのだ。
その後マクルーハンは,「メディア」という言葉に対して興味の対象を移していくわけだが,
「機械化」に対する興味を放棄したわけではない。『グーテンベルクの銀河系』では,「機械技
術によって拡張もしくは外化した」x感覚の,電気メディアの時代における再統合を述べること
になるのだが,その記述の大部分が,機械技術がいかに人間の感覚を拡張,もしくは外部化し
ていったかに割かれている。
次ぐ著作の『メディアの理解』でも,その態度は変わらない。冒頭に「機械の時代にわれわ
れはその身体を空間に拡張していた。現在,一世紀以上にわたる電気技術を経たあと,われわ
れはその中枢神経組織自体を地球規模で拡張してしまっていて,わが地球にかんするかぎり,
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空間も時間もなくなってしまった」xiとあるように,マクルーハンの基本的な興味は,機械化の
時代における身体と,電気メディアの時代における身体の比較にある。
マクルーハンの一連の著作は,自分が住んでいる世界が「五世紀間にわたって続いた機械装
置の時代と新しい電子時代,そして均質性の強調と同時共存性が境を接する場所」xiiであるとい
う実感と,「過ぎ去った機械化時代の知的限界を悟ることが今こそ特に重要である」xiiiという動
機に導かれている。マクルーハンの著作は決して来たるべき未来を予言するものではなく,新
しい時代に入ったのだから過去が理解できるはずだという根拠のもと,機械の時代を理解しよ
うとする試みであった。そのことは『グーテンベルクの銀河系』を書く理由としてあげられた
次の一節にも,明らかなかたちで表出している。
われわれが新しい電子時代が作りだす有機的な世界に入るにつれ,そのおおよその実体
を示す,さまざまな兆候にますます触れることが多くなりつつある今日,距りゆく機械時
代は完全に理解可能なものとなりはじめている。機械時代の組立ラインが,磁気テープに
よって同時性を与えられた情報の新しいパターンのまえに後退しつつある現在,大量生産
というあの奇跡も,いまや全面的に把握できるようになったxiv。
今日にいたるまで,「電気メディアの時代」を理解する道具として,マクルーハンは多々引
用されてきたわけだが,「機械化の時代」を完全に理解できるようになったので,それを徹底
的に解明しようとしたマクルーハンの目論見を無視するわけにはいかない。「電気メディアの
時代」を「機械化の時代」との違いのなかに浮き彫りにすることを野心的に指向しなかったわ
けではないが,マクルーハンはむしろ「電気メディアの時代」については「未知の不確実性」
の直中に置かれていると感じていた。もとよりマクルーハンは「機械化の時代」について著述
しているのである。
3. 身体の延長
マクルーハンは「メディア」という言葉を「身体の拡張」と位置付けた。その言葉の独特な
使用が,マクルーハンの理論を際立ったものにする一方で,分かりにくいものとしている。マ
クルーハンは,電気メディアのみをメディアとして捉えたのではなく,『メディアの理解』の
目次を見ても分かる通り,衣服,住宅,車輪,自動車といった通信手段ではない物までをもメ
ディアに含めてしまうxv。一見奇異に見えるが,それは,マクルーハンの次のような思惑に裏
打ちされてのことである。
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人間が手を加えた人工物は――言語であれ,法律であれ,思想であれ,仮説であれ,道
具であれ,衣服であれ,コンピュータであれ――すべて物理的な人間の身体および精神の
拡張物である。道具を作る動物である人間は,長い年月にわたり諸感覚器官のあれやこれ
やを,それ以外の感覚や機能の働きを一切妨げるかたちで,拡張し続けてきた。しかるに,
こうした実験を遂行しながら,観察を重ねるフォローをずっと怠ってきてはいないだろう
かxvi。
このように,マクルーハンは身体の変容,あるいは身体と外部世界や環境との関係性の変化
について論じているのだ。別の言葉で言うと,マクルーハンは本質的に身体論者であると言え
るだろう。マクルーハンは人間が様々な技術とそれによるメディアの発明によって,身体を不
可逆的に拡大していき,電気の時代になるに及んで,ついに「中枢神経」までもを外部に拡張
するようになったと主張しているのだxvii。
にもかかわらず,マクルーハンの「メディア論」は,言葉の伝達形式の違いによる歴史区分
方法と,電子メディアの社会的役割の発見という文脈で理解されることが多い xviii。例えば,
ポール・レヴィンソンのような,「現代のデジタル時代の前兆は,既にマクルーハンの著作の
なかに書かれていた」xixというような説明がそれにあたる。すなわち,話し言葉から写本へ,写
本から活字へ,活字から再び話し言葉へと螺旋状に循環する歴史観の持ち主としてだ。
あるいはテレンス・ゴードンが要約するように,テクノロジーが「社会組織や個人生活の形
態や規模にいかに影響を及ぼすか」xxという問題構制としても,マクルーハンの思想は理解され
てきた。そのため,マクルーハンは技術決定論者として批判されてもきた。確かにマクルーハ
ン自身も技術決定論的なスタンスを必ずしも否定したわけではないし,その指摘はおおむね正
しいだろう。ただ,マクルーハンが,技術は社会を規定すると単純に結論づけるのではなく,
その中間に身体を媒介させていることを見のがしてはならない。
そこで,マクルーハンの「メディア論」が身体の理論であるということを知るために,ここ
であらためて,『グーテンベルクの銀河系』でマクルーハンが引用したエドワード・T・ホール
の言葉を,再度確認しながら引用してみることが意味をもつであろう。
昔は体を使って人間が行っていた,ほとんどのことが,今日ではそのための「拡張活動」
によって行われている。武器の進歩は歯とこぶしに始まり,原子爆弾に終る。衣服や住居
は,人間の生物学的温度調節機構の拡張である。家具は地面の上にうずくまったり,座っ
たりすることのかわりをする。動力工具,眼鏡,テレビジョン,電話,時間・空間を越え
て声を運ぶ書物などは,物質的拡張の例である。貨幣は労働を拡張したり,貯えたりする
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方法である。われわれの輸送網は,かつてはわれわれが足と背で行っていたことの拡張と
して取り扱うことが可能であるxxi。
ホールは様々な人工物を身体機能の拡張として位置付けているのだが,それはマクルーハン
が「メディア」と称して並べあげたものとほとんど変わりがない。マクルーハンも,ホールの
この記述が「読者の理解の一助」になると明言しているように,マクルーハンはその多くを
ホールに負っていると言っても良いだろう。
とはいえ,マクルーハンはホール一人に,そのアイディアのすべてを負っているわけではな
い。また,ホールは,日本やアラブ世界とヨーロッパ文化における時間感覚や空間感覚の違い
を比較した文化人類学者であるが,そもそもホールは動物行動学者のヘディガーの著作,特に
『文明に囚われた動物』にアイディアを負っている。ホールの分析は,動物にとってのナワバ
リを身体領域の一部とみなすと,動物の攻撃行動が分かりやすく説明できることをヒントに,
人間にとっての空間やひいては物を身体の一部とみなすことによってコミュニケーションを説
明することを主軸にしていた。人間が建築や道具といった人工物によって空間を作り出す動物
である以上,ホールが物を身体の一部とみなすことはごく自然な成り行きだったと言えるだろ
う。
さらに,当時,このような,物を身体の延長として見なす認識は特に突飛というものではな
かったと言える。そのルーツを探るのは容易ではないが,マクルーハンも多くのアイディアを
負っているサミュエル・バトラーが1835年に書いた小説,『エレホン』において,「機械は実際
において付加体的な手足以外の何物でもないのだから,人間自身の肉体の一部分と考えられるべ
xxii
きだ」
という説を既に披露しているのをみると,比較的社会に根付いた考え方と認識しても
良いのかも知れない。また,香内三郎が,マクルーハンの「感覚器官の外部への「延長」とい
う思考」はフロイトに由来すると指摘するように,身体論を超えた同時代的な人文学的な知の
集合として見直す必要もあろうxxiii。
加えて言うならば,マクルーハンの同時代を見ても,人文学的な学問分野に限らず幅広い分
野の人々に人工物を身体とみなすような考え方が見られる。例えば,これもマクルーハンが頻
繁に引用する,建築家のル・コルビュジエは,「人工四肢」という言葉を使って説明を試みて
いる。
仕事を容易にするために,疲労を防ぐために,心身の休息を得るために,約言すればわ
れわれの魂の自由を獲得して真生命の枯渇を防ぐために,人間は自分のいわゆる「人工四
肢」すなわち機械を工夫する。われわれは,この機械を駆使することにより,繁瑣な仕事
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を免かれ,生命に対する危険を逃れるのであるxxiv。
ル・コルビュジエはこのように述べたうえで,「腰掛けるための椅子」,「仕事をするための
机」,「照明するための照明用具」,「字を書くための機械」,「分類保存のための戸棚」といった
ものを全て「機械」と位置付け,それらを身体と等価と見なすことに躊躇を見せない。後に
ル・コルビュジエは「住宅は住むための機械である」という有名なテーゼを持ち出すが,それ
もまた身体の能力の拡張を意味していたということは,前述の例からも分かる。
さらには,建築史家のジークフリート・ギーディオンを例にとると,マクルーハンとの接点
がより明確になる。ギーディオンもマクルーハンによって良く参照されるが,例えばギーディ
オンは,リクライニングチェアを「人体と機構が一体となって機能する椅子」xxvとして定義し
ている。リクライニングチェアは,特にアメリカにおいて発展を見せたが,ギーディオンが興
味を持ったのは,身体と空間をアッセンブリーラインで埋めつくしてしまわんとするアメリカ
文化のヨーロッパへの影響であった。
ギーディオンは,「人の手は無限に同じことを繰り返すことはできないが,まさにこの点こ
そ,機械化が可能にした事柄である」xxviという観点から,機械化が社会にもたらす変化の歴史
を「機械化が司令を下す」という意味の原題のついた『機械化の文化史』にまとめあげた。
ギーディオンは「手の運動の性質上,機械的な正確さで,しかも間断なく動き続けることに手
は適していない」として,むしろ身体と機械の特性の違いに興味を当ててはいるのだが,それ
は機械を,身体の特定の機能を拡張して外化したものとして捉える立場に立っているからであ
る。さらには,ギーディオンは「われわれの文化がわれわれ自身の肉体に対してどのような態
度をとっているか」xxviiということを,機械と有機体との関係性の変化というテーマのもとに論
じている。リクライニングチェアについての言及でも,使用者側の身体の変化が不可欠である
ことを指摘しており,「機械化の技術的側面だけに注意を向けるのは間違いである」xxviiiと注意を
促す。ギーディオンは機械による身体の延長のみならず,延長によって身体が変質することに
も気がついていたのだ。その視点は,マクルーハンによって全く無傷で受け継がれているとも
言えよう。
さらに,マクルーハンとの類似を強調するのであれば,手や足といった明らかに身体の外部
にある器官の延長としてのみ機械を捉えたわけではないという点であろう。
今世紀に入って,手軽に呑み込める食物に対する好みはいよいよ顕著になった。切り刻
んだ肉(ハンバーガー)やアイスクリームは,まさに,国民的食物といってもよいほどに
なった。果物は液体(ジュース)にしたり,小さく賽の目に切った(フルーツ・カップ)
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ほうが喜ばれる。子供は,主に薄切りにした果物を食べて育ったため,桃を丸かじりする
ことをいやがる。こうした傾向がどのような経過をたどって現われ,どれほど深刻な影響
が脅迫的とも言える時間節約の努力の結果,食物にもたらされたか。この問いに答えるに
は,いっそう突っ込んだ研究が必要であるxxix。
別の箇所でギーディオンは,食物の供給と鉄道の敷設の関係性も述べているが,食べる,あ
るいは消化し吸収するという人間の機能を拡張するために,機械化がいかに役割を果たしたか
ということがここでは論点になっている。ギーディオンにとって「機械化」とは,機械が直接
身体に接することによって身体を延長させるということだけを意味するのではなかった。食物
の例を見ても分かる通り,たとえば消化機能の外部化といったような,より複雑な形での延長
をも考慮にいれていたのである。
ギーディオンは『機械化の文化史』の副題を「無名史のために」とつけている。それを翻訳
者の榮久庵祥二は,「ものいわぬものの歴史」と訳している。つまり,歴史に名を留めるよう
な革新的な発明だけを記述するのではなく,それらが身の回りに溢れたアノニマスな物へと姿
を変え,日々使われるようになっていく歴史的展開と,それによって徐々に起こされる社会の
変質について大著を記したのだ。その記述に対する態度は「革新の本命は最初の衝撃よりもむ
しろ後の段階,つまり社会生活や個人生活が新しい技術によって開かれた新しい認識の形式に
長時間かけて〈順応〉する過程のほうにあるのだ」xxxとするマクルーハンの興味とも一致した
のであろう。
マクルーハンは,「われわれが「機械化」と呼ぶものは,人間の外なる自然あるいは人間の
内なる本性を,増幅され特殊化した形式に移し変えたものに他ならない」xxxiとしており,それ
は彼自身による「メディア」の定義とほとんど変わらない。しかし,その一方で,「機械化と
いうのは,いっさいのプロセスを細分化し,その細分化した部分を一線に連続させることに
よって達成される」xxxiiという認識にも立った。マクルーハンは,「機械」の特徴を,「機械化」
というプロセスにおける「細分化」と「部分を一線に連続させる」という行為に求めたのだxxxiii。
ここにギーディオンの大きな影響を見ることも可能だろう。
最後に,身体と機械の関係をさらに系統立てて論じ,マクルーハンにも大きな影響を与えた
人物として,ルイス・マンフォードをあげてみたい。ジェームス・ケアリーは,「明確ではな
いものの,マンフォードは,マクルーハンの理論の核の原型になった」として,「新しいコ
ミュニケーションが,生物的能力の拡張である」xxxivという考えをマクルーハンが抱いたことに,
マンフォードの影響を見出している。ケアリーは電気そのものや,電気によるコミュニケー
ションに対する,楽観的,あるいは悲観的な予測をした人物の祖としてマンフォードを位置付
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け,その影響をマクルーハンに認めたうえで,マンフォードとマクルーハンの類似性を検討す
るのだが,ここではケアリーとは違った視点で,身体の解釈について二人の思想家がどうアプ
ローチしたのかという点から比較したい。
マンフォードは『技術と文明』のなかで,「人間が歴史の大部分を通じて用いてきた道具や
器具は,主として人間自身の有機体の延長であった」と断言している。機械に対しても,「そ
れが独立した動力源をもち,粗末な形式のものでも半自動的に動くため,使用者から離れた実
在であり,独立した存在であるかのように思われてきた」xxxvことを反省し,道具も機械も「人
間の器官を強化し支持するような仕方で環境に変化を加えようとする試み」xxxviであるという理
由から,同等に人間自身の延長として位置付ける。さらに,後の著作の『機械の神話』のなか
では,「心によって動かされる自分の身体,棍棒や手斧や木槍を作る手をも含めた身体の全て
の部分」xxxviiを「道具」として位置付け,身体と人工物の境界を一切認めないという立場をと
る。
マンフォードの著作は「技術」というキーワードで語られ,「メディア」という言葉こそ出
てこないが,身体と人工物の関係性において,マクルーハンとほとんど共通の認識に立ってい
たと言いうるだろう。マクルーハンは「メディア」を身体の延長として位置付けたが,その一
xxxviii
方で「いかなる発明あるいは技術も,われわれの身体を拡張ないし自己切断したものである」
と述べているように,マクルーハン自身においても「メディア」と「技術」という言葉の境界
線は曖昧である。マクルーハンのなかでは,「機械」,「技術」,「メディア」が整理されきれて
いないようでもあるが,むしろ,「機械」を「メディア」の一部として認識し,それを形作る
ものとして「技術」を位置付けていたと捉えるべきなのかもしれない。
4. 身体感覚による歴史区分
このように,人工物を身体の延長として捉える眼差しはマクルーハン特有の物ではなかった
のだが,マクルーハンとマンフォードは,歴史をどう区分するかということにおいても問題意
識を共有していたように思われる。ここでことさら,マンフォードだけを取り上げて,マク
ルーハンとマンフォードとの関連性のみを指摘することには意味がないのだが,両者において
歴史をどう区分するのかということが,身体の問題として捉えられていることは特筆しても良
いだろう。マクルーハンの歴史認識がハロルド・イニスだけに負っているわけではなく,イニ
スに大きく依拠しながらも,その根底において,歴史上における身体のありかたの変遷に興味
を持っていたということは着目しても良いだろう。
マンフォードは,初期の代表作である『技術と文明』において,「近代の機械時代というも
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のは,人間の歴史の中で準備されていなかったどころか,きわめて長期にわたる多岐な準備が
あったという条件を排除しては考えることはできない」という認識のもと,パトリック・ゲデ
スの区分を発展させて,「つながり合ってはいるが,重なり合い,そしてたがいに相手の領分
に入りこんでいる」xxxix三つの時期を提唱した。それが,紀元1000年から1750年までの「原技術
期」,19世紀後半までの「旧技術期」,そして進行中である「新技術期」という有名な歴史区分
であるxl。
マンフォードは,「「原技術期」は水力=木材の複合体であり「旧技術期」は石炭=鉄の複合
体であり,「新技術期」は電気=合金の複合体である」xliとして,それぞれの時代に特徴的な人
物や思想や物に焦点を当てながら,技術の複合体の変化として歴史を編んだ。そして,自らの
生きている時代を「新技術期」が「旧技術期」に取って代わろうとしている時代であるとし,
「新技術期の特色は,まず,新しい形式のエネルギーである電気を征服したことである」xliiと強
調した。
マンフォードは新しい技術に附随した新しい身体感覚が,古い制度と齟齬を来すという認識
を持っていたのだが,それは「現在の電気の時代には,われわれの世界の内爆発あるいは短縮
によるエネルギーが古い組織の拡張主義的な伝統的パターンと衝突を起こす」xliiiという着眼の
もとに書かれた『メディアの理解』や『グーテンベルクの銀河系』におけるマクルーハンと論
点を共有していると言ってもよいだろう。マンフォードは後に,前述の三つの時代区分に加え
て,来るべき未来として「生技術期」を加えることになるが,それもまたマクルーハンの時代
区分を想起させる。
ただ,この共通了解もマクルーハンやマンフォードのみのものというわけではなかった。マ
ンフォードのこの区分も,ゲデスから受け継いで改良を加えたものであるxliv。その他にも,例
えば前述のウィーナーなどは,「かなり多くの孤立した例を除けば現在までの産業革命は,動
力源としての人間と動物を機械によって置き換えただけで,人間のその他の機能には何らの大
きな影響を与えなかったといってよい」xlvとして,電気こそが「人間のその他の機能」に「何ら
の大きな影響」をもたらすことを主張し,その変化を第二次産業革命と呼んで,それ以前の機
械化の時代と明確な線引きをした。つまりウィーナーもまた,マンフォードやマクルーハンと,
テクノロジーが契機となった身体の変化による歴史区分という歴史認識を共有していたのだ。
このような,電気の技術が人間の身体的機能に何らかの変化を起こすであろうという認識も,
広く社会に共有されたものであったと考えるべきだろう。
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5. マンフォードの「メディア論」
マンフォードとマクルーハンのその最も共通する点は,前述のように身体の感覚に基づいて
歴史を区分するところにある。その区分の仕方は大きく違うので,まったく同列には扱えない
が,単純に新しい時代が来たということではなく,電気の技術と機械の技術を対比し,機械の
技術の時代以前にもう一つの時代を置いたうえで,それぞれの時代を物の体系と身体の変容に
よって理解しようとしたという点は共通していると言いうるだろう。マンフォードは,「物理
的科学の実践は,概して言えば,五官の強化を意味するものであって,目はこれほどまでに鋭
かったことも,耳はこれほど鋭敏であったことも,手がこれほど正確であったこともなかっ
た」xlviとして技術が人間の身体感覚にどれほど影響を与えたかを強調し,具体的な物に沿って
論じながら,個人や社会のあり方にまで鋭く分析を加えていく。たとえば,鏡についての分析
については,次のような指摘を行なっている。
鏡の使用は,近代的様式の内省的な自伝,すなわち啓発の手段としてではなく,自我の
表現として,自我の深さ,自我の神秘,自我の内的次元の像としての自伝の出発をさし示
すものであった。鏡のなかの自我は,同じ時代に自然科学が明るみにだした物理的世界と
相対応しているのであり,言ってみれば,それは抽象された自我,真の自我の部分にすぎ
ないもの,すなわち自然の背景や他人の影響といったものから分離された部分であったxlvii。
マンフォードは,近代的な自我の成立において,「自伝」という形式に着目するが,「自伝」
を書き記す識字や,人生をクロニクルとして編集しなおす論理的思考を論じていくのではなく,
鏡という別の装置に着目する。鏡を見ることにおけるリテラシーこそ,近代的な自我のみが持
ちうるものであると指摘するのだ。マンフォードによれば,ガラスは「人間個性の発展に深い
影響をおよぼして,自我の概念の変容」xlviiiをもたらした重要なアイテムとして,歴史において
一つの大きな区分をつくった物だ。その応用物として鏡はあるのだが,マンフォードの考察を
別の言葉で表すのであれば,鏡は近代的な自我の概念を身体に直接刷り込むメディアとして作
用した,ということになるだろう。そして,そういったマンフォードの物の捉え方や視覚の拡
張にかんする考察は,画像情報の伝達手段の一部としてしか認識されることのないカメラにま
で及び,カメラのメディア性の別の側面を照らし出す。
原技術期には,ひとは鏡面と対話をし伝記的肖像画と内省的伝記とをうんだが,新技術
期には,ひとはカメラのためにポーズをつくり,さらに活動写真のために行動する。この
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変化は内省的心理学から行動心理学への移行であり,いわばウェルテルの傷心の悲しみか
ら,アーネスト・ヘミングウェイの,公衆のなかでのあけっぱなしの無感覚な仮面劇への
変化である。荒野のただなかに不時着したある飛行士は,飢餓と死に直面しながらも,そ
のノートに次のようにしるしている。「私はもう一つの筏を作った。しかし今度はそのた
めに服を脱いだ。下着だけになって,大きな丸太をかついだ私は,格好よく見えたに違い
ない」と。こうしてただ独りになっても,まだ公衆のなかの一人として人から見られてい
ることを考慮にいれている。この気もちは,片田舎の皺くちゃ婆さんから,立派にしつら
えられた演壇に立つ政治的独裁者にいたるまで,程度の差こそあれ,誰でもがもっている
意識である。公共の世界にいるのだ,というこのたえざる意識は,一つには,少なくとも
カメラやそれとともに発達したカメラ・アイなどの結果だと思われるxlix。
マンフォードは,ミシェル・フーコーが描いてみせたような監視社会に,カメラという具体
的な物から接近する。そして,この興味のもち方は,「腐蝕写真製版の技術の完成によって,
印刷が男たちにもたらしたのと全く同じ視覚的画一性と,反復可能性の過程を女たちにも追う
ことが可能になった」lという,マクルーハン自身による『機械の花嫁』を書く動機の位置付け
と隣接していると言えるだろう。新しいメディアは,そのメディアを利用している時だけでな
く,それが目の前にない時ですら,社会の構成員全員の身体や意識を決定してしまうという考
え方は,いかにも「メディア論」らしいと言えるのかもしれない。
このようにマンフォードはマクルーハンすら指摘しなかった,よりマクルーハンらしいとも
言えるような「メディア論」的な指摘を行なっているが,マクルーハンとマンフォードが何よ
りも,その重要性を説くのが,印刷技術である。
マクルーハンは「機械化は,書字を活字によって機械化して以来,断片化によって達成され
てきた」liとし,印刷技術をすべての機械のひな形として位置付ける。というのも,「印刷本は
史上初の大量生産物」であり,
「最初の均質にして,反復可能な〈商品〉」であったからである。
「活字というばらばらなものを組みあげるこの組み立て工程こそが均質で,かつ科学実験が
〔他者の手によっても〕再現可能なように再現可能な〔活字を崩しても再びそっくりそのまま
lii
に組むことができる〕製品を可能にした」
と,マクルーハンは指摘している。
かたや,マンフォードは,「印刷ははじめから完全に機械的な仕事であった。そればかりで
はなく,これ以後の複製装置の原形であった」と,明確に断定している。マンフォードによる
と,「印刷物は軍隊の制服より以前に,連続的につくられて完全に標準化された産物の最初の
ものであったし,可動活字はまた完全に規格化され互換できる部品の最初の見本であった」liiiか
らであるという。つまり,出来上がったものが均質であるという点と,作る機械が交換可能で
−66− 「メディア論」の身体論的問題構制 マクルーハンとマンフォードにおける身体・機械・メディアを中心に
あるというふたつの点で,
「複製装置の原形」としているのだ。
ここにおいて,両者はほとんど同じことを記述していると言っても良いだろう。確かにマク
ルーハンは,「マンフォードは,表音アルファベットが時間を視覚的で画一的に細分すること
を可能にした技術であると考えてもみない。実際,マンフォードは,機械化というのが社会を
聴触覚型から視覚型に移行させることであるのに気づいていない。まったく同じように,アル
ファベットが西欧の機械化の源泉であることに気づいていない。」livと,マンフォードとの違い
を強調している。マクルーハンは,印刷機を「複製装置の原形」とするマンフォードを批判し,
アルファベットこそが「複製装置の原形」との主張を掲げているのだ。わずかな差のように思
えて,実は決定的な違いがあるというのがマクルーハンの強調するところだ。機械そのもので
はなく,アルファベットが持つ「線的な思考」にこそ,近代の原因があるとするマクルーハン
にしてみれば,当然の指摘でもある。それに対してマンフォードは,マクルーハンのいう「活
lv
字的人間」を「想像上の作り話」
として退ける。
だが,両者の強調する違いや批判をそのまま鵜呑みにすることはできない。例えば,マン
フォードによる次の記述などはマクルーハンが書いたといっても通用しそうである。
じ
か
印刷された本は,他のどんな考案よりも,直接的のものや地方的なものの支配から民衆
を解放したし,またこの解放によって,中世社会の崩壊に貢献した。印刷物は実際にお
こった事件よりも強大な印象をつくり出すし,民衆は,印刷された言葉に注意を集中する
ことによって,あの感覚的なものと知的なもの,映像と音,具体的なものと抽象的なもの
とのあいだに,存在するバランスをすっかりなくしてしまったlvi。
マンフォードは「単に読み書きができるという能力,つまり掲示や看板や新聞が読めるとい
う能力が,手工業や農業生産の裡にあるあの全般的感覚や実際の訓練に代用するもの」になり,
「外的環境によって貧困化され,打ちのめされた目・耳・触覚は,印刷というフィルターのか
かった形式に逃げ込み,盲人の悲しむべき拘束が,あらゆる体験方法に適用されることになっ
た」lviiという。それは,マクルーハンが主張する「印刷された頁がもっている,反復的で,線形
的なパターンに慣れ親しむと,それだけでもひとびとは,すべての問題に対して同様なアプ
ローチによって解決をはかろうとする強い傾向をみせはじめる」lviiiという指摘と,どれほどの
違いもない。
そしてマンフォードは,18世紀の社会における変化として,「目は単に視るという機能の外
に,他の機能を引き延ばしたり,みつめる人にもっと深く入り込む機会を与えたりして,他の
機能をも助長した」ことを指摘し,近代社会における視覚の優越をも説いてもいる。また,そ
京都精華大学紀要 第三十三号
−67−
れによって「五官のこの拡大膨張と外部の刺戟へのこの鋭敏な反応」が「いまなおヨーロッパ
文化の伝統の生命になっている」lixことを論じている。
とはいえ,マクルーハン自身が指摘するように,確かにマンフォードは機械化の起こりをア
ルファベットに求めることはしていない。そのかわり,マンフォードは機械の起源を,人間を
「メガマシーン」として組織する制度に求めることになる。ここに両者の決定的な違いを見出
すことは可能であろう。
ところで先にあげたエドワード・T・ホールは,「言語と物質との間の密接な関係」に着目す
ることの重要性を強調し,マクルーハンもこれに従って言語と物質と身体の関係性を,すべて
の場合における理論の骨組みにしていくが,これもまたマンフォードにも見られる考え方であ
る。言語と物質の強力な関係性を指摘するのは,例えば,すべての物が「ことばにかこまれ,
そこに浸っており,そこから完全に隔離されたり切り離されるようなことはない」lxと断言する
ミハエル・バフチンのような言語学者や,記号論の分野では珍しいことではないが,言語と物
質の両方を身体の問題として捉えているのが,彼らに共通するユニークな点であると言えるだ
ろう。
6. 移動手段というメディア
マンフォードは,コミュニケーションの技術についても論功を広げている。
長距離をこえての人間の即座的なコミュニケーションは新技術期の注目すべき兆の一つ
で,もしわれわれの文明全体が破滅すべきでないとすれば,いつかは出現しなければなら
ない思想と感情との全世界的な協同をうたう機械的なシンボルである。この新しいコミュ
ニケーションの方法は,全く,新しい技術の特徴と長所とをもっている。何故なら,これ
は何にもまして,有機的動作を倍加し推進するための機械装置の使用を意味している。ま
た人間に置き代えるのではなくて,結局は,人間に重点をおき,人間の能力を増幅するこ
とを約束するものだからであるlxi。
この文章においてマンフォードは,新しいコミュニケーションが新しい機械によって可能に
なるという認識を見せている。現在では,コミュニケーションはメディアで行なう,あるいは,
メディアとはコミュニケーションを行なうものであるという認識から,そこに機械が介在する
ことは強く意識されることはないが,たとえばテレビをとってみても,製作の現場であれ,放
送の現場であれ,視聴の現場であれ,機械が存在し介在することは当たり前であろう。ともす
−68− 「メディア論」の身体論的問題構制 マクルーハンとマンフォードにおける身体・機械・メディアを中心に
ると,われわれの社会ではメディアと機械とを別の物として考えてしまうが,テレビはメディ
アでカメラは機械といった分類は本来意味をもたず,テレビもカメラも位相をずらすとメディ
アであり機械であることを再認識する必要があろう。マンフォードの論点は,著作のタイトル
にもあるように,「技術と文明」という枠組みであって,「機械」と「メディア」という対立項
ではなかったので,コミュニケーションの技術についても,それ以前のその他の機械技術と分
け隔てることなくシームレスに論じることが出来た。マンフォードのなかでは機械とメディア
という区分はなかったし,だからといって論の運び方に無理はない。
われわれの時代では,あまりに技術がブラックボックス化し,その一方でメディアをコミュ
ニケーション・システムとしてア・プリオリに考えてしまっているために,マンフォードが持
ちえたような「工業に由来しまた新技術に含まれる知識や手業や技法のすべて」を俯瞰する眼
差しを持ち得ていないが,テレビが出現したばかりの時期に著述を行ったマクルーハンにも,
マンフォードと同じ視座が開かれていたと考えることはできるだろう。香内三郎は,マクルー
ハンが,「ウォルター・リップマン以来の,「疑似環境論」」に対峙し,「一つの世界,メディア
の世界で生活する以外にないことの確認」lxiiを行なったと考える。つまり,世界を物理空間と
ヴァーチャル空間の二つに区分して捉えるのではなく,境界の無い一つのひろがりとして考え
たというのだ。「機械」と「メディア」を区分しない眼差しも,そのことと通底していよう。
マンフォードはさまざまな考察を「機械化」あるいは「技術」という問題構制のなかで論じ
てきた。ここでマンフォードとマクルーハンの比較を執拗に行ったのは,マクルーハンの著作
がマンフォードの著作と類似していることを指摘したかったからではなく,マクルーハンが決
して孤立した思想家ではないということを確認するためである。そして,マンフォードに代表
されギーディオンやウィーナーを含む,身体の変容を中心とした機械化の理論と,マクルーハ
ンのメディア論の接点を探ると,マクルーハンのメディア論の骨格に「鉄道は移動とか輸送と
か車輪とか線路とかを人間の社会に導入したのではない。それ以前の機能のスケールを加速拡
大し,その結果まったく新しい種類の都市や新しい種類の労働や余暇を生み出した」lxiiiといっ
た鉄道にたいする記述や,「車は画一化と規格化のメカニズムの傑作であって,世界で初めて
階級のない社会を生み出したグーテンベルクの技術および文化と一体をなしている」lxivという
自動車にたいする記述などの,移動手段をメディアとして捉える眼差しが組みこまれているこ
とも理解可能なものとして浮上してくるのだ。
マクルーハンは次のように言う。
車と流れ作業とは,グーテンベルク的技術の究極の姿であった。この技術こそ,仕事と
生活のあらゆる側面に画一的で反復可能なプロセスを適用するものであった。機械が当然
京都精華大学紀要 第三十三号
−69−
視していた画一化と規格化につながるすべてのものにテレビは異議をとなえ,また消費者
的価値のすべてに疑問を投げかけたlxv。
テレビとラジオ,あるいはテレビと映画を対比することはしばし行なわれることで,理解し
やすいことであるが,テレビと自動車を対立する物として併置するというのは,突飛のように
も見える。しかし,身体の変容,機械化,技術といったキーワードを添えてみると,それがあ
ながち飛躍した対立要素ではないということが分かる。マクルーハンとは捉え方には違いがあ
るものの,マンフォードによる次の一節をあげればさらに明確になるだろう。
自動車は,普通,他の分野では機械が駆逐した手の熟練や協同でやる仕事を多分にとり
もどすとともに,自動車は,運転する人に,日常生活の他の分野で機械のために排除され
てしまった力と自主性の自覚を与える(あの絶えまない危険の真只中にいてしっかりハン
ドルをとっている感情を考えてみられよ)。ちょうどそれと同じように,写真は目の力を,
電話は声の力を,ラジオは耳の力をもう一度育成するのを助けるlxvi。
マンフォードはここで自動車が何を取り戻すか分かりやすくは述べていないが,「目の力」
や「声の力」や「耳の力」と同じような位置づけにある身体能力を取り戻させるということを
力説している。
マクルーハンが抱いていたのは,「現代にあっては車輪を基礎とした機械的な技術が突如と
して電気回路の技術によって取って代わられた」lxviiという認識であり,その結果将来において
自動車が消滅することを予言している。つまり,身体の延長手段として「車輪」と「電気回路」
のせめぎ合いを見る時,自動車とテレビが対立することになるというのだ。マクルーハンは,
マンフォードと自動車に対する評価が正反対なので,マンフォードからそのままを受け継いだ
わけではないが,サミュエル・バトラーのように「列車は五百人の者が同時に所有することの
できる,一歩七リーグの足に他ならない」lxviiiといった古典的な理解だけに留まらずに,自動車
を,身体感覚を拡張する他のメディアと同一の地平にかかげることに躊躇を見せない姿勢に,
共通点があると考えても良いだろう。
われわれはマクルーハンによって自動車や鉄道がメディアであるとされていることに違和感
を抱く。中野収は自動車について,「スタイル・デザイン・色等々,その手段性・道具性にか
かわらないことがら」lxixによって様々なメッセージをこめることができるので,自己表現の手
段になりうるからメディアであると説明しているが,マクルーハンは全く反対に,まさしくそ
の「手段性・道具性」ゆえに,そのために身体を拡張するがゆえに,メディアであるとしてい
−70− 「メディア論」の身体論的問題構制 マクルーハンとマンフォードにおける身体・機械・メディアを中心に
るのだ。
7. おわりに
以上のようにマクルーハンに先行する著作との対比をしてみると,マクルーハンが「メディ
ア」を送信/受信のシステムとして理解しているのではなく,身体を延長する技術として「機
械」と類似するもの,あるいは「機械」をも含みこむメタ・カテゴリーとして理解しているこ
とが察せられる。さらには,身体を延長させるメディアを,それが人間の諸感覚を分裂に導く
か,統合に導くかという点において,電気テクノロジーをその他のメディアから分類しようと
試みたということが分かる。今にいたるまで,多くの物が依然「機械」であることをやめたわ
けではないことを考えると,メディアが画像,映像や言葉を発信,受信,あるいは交換するシ
ステムであるとのみする理解が,マクルーハンを理解する枠組みを随分狭めてしまうというこ
とには意識的にならなければならないだろう。
マンフォードは,機械による自動化を「人間の身体の特定の部分を道具として使用したこと
から始まった進歩発達の過程における最後の段階」lxxとして位置付けた。それは,現在考えると
無垢なまでに楽観的な予測としか言いようがないのだが,そのことはマクルーハンにも共通し
て言えることだろう。マンフォードは「人間的機能は最初は特殊化し,ついで機械化し,そし
て最後に自動的か,少なくとも半自動的」になり,「最後の段階に達すると,人間の機能はも
う一度はじめの専門化されていない,つまり特殊化されていない性格をおびる」lxxiと予測した。
マクルーハンは,「自動制御機構の電気時代は,突如として,先行する機械時代の機械的,専
門分化的労役から人間を解放」lxxiiし,「オートメーションという新現象は,労働も私有財産もな
い共同体をつくり出す」lxxiiiという未来観を披露している。こういった未来観は,「自動機械」に
たいして留保をもちながらも可能性を見るウィーナーや,「全面的機械化の時代」における人
間のあり方を探ろうとしたギーディオンとも共通している。
実際にわれわれが生きている,彼らの予測した「未来」は,当然のことながら全ての物が自
動制御されているわけではない。マンフォードも,後に,ユートピア的な発想を完全に捨て去
り,極めて対称的なあまりにも悲観的な未来観を啓発していくことになる。それは,確かに第
二次世界大戦の悲劇を目の当たりにしての,それまでの主張の裏返しという面もあったのだが,
機械の起源を,ピラミッドを作り出した古代エジプトの組織のような「メガマシーン」,つま
り身体のつらなりに求めたように,より身体の問題として機械を捉えていったからでもあろう。
「身体」が近代以前においても既に「機械」であったことや,これからも「身体」なくして
「機械」があり得ないこと,「機械」なくして「身体」があり得ないことに,マンフォードは気
京都精華大学紀要 第三十三号
−71−
がついたと言えるのではないだろうか。
マクルーハンは,電気のメディアを用いることによって「これまでの,手,足,歯,体熱調
節器官の拡張にすぎなかった技術が,すべて情報システムに移し変えられるであろう」lxxivと述
べたが,実際には多くのメディアが,情報システムとしての側面をもちながら「手,足,歯,
体熱調整器官の拡張」という面も保持している。たとえ今後情報システムがどのような方向に
行くとしても,まさにマンフォードが指摘するように,古い時代と新しい時代は「つながり
合ってはいるが,重なり合い,そしてたがいに相手の領分に入りこんでいる」lxxvということを
充分に理解しなくてはならない。われわれの時代にも「機械化」の原理は充分生きているし,
そのなかでメディアは予測もしなかった展開をしている。音声の時代が再び来ると予言したマ
クルーハンは,まさか電波やケーブルに乗って「文字」が高速で行き来するような,インター
ネットや電子メールといったテクノロジーが登場するとは想像もしなかったろう。そのうえ,
われわれの時代の機械やメディアは,マクルーハンをはじめとする理論家たちが敏感に感じ
とったように,お互いに孤立して存在しているわけではなく,むしろ相互に深い関係を築いて
いる。そして,そもそも「機械」と「メディア」を分離して考えることは正当とは思われない
し,「電気メディアの時代」と「機械化の時代」がそれほどにまで相反するものなのかも再考
に値する。われわれにはもう一度,自分たちの身体の何が何によって延長されているかを,丁
寧に検証していくことが必要なのだ。
<注>
i
レジス・ドブレ 西垣通監修 嶋崎正樹訳『メディオロジー宣言』
ii
ピエール・ブルデュー 櫻本陽一訳『メディア批判』
iii
ノーバート・ウィーナー 鎮目恭夫 池原止戈夫訳『人間機械論』
iv
v
vi
vii
2000
1999
NTT 出版 p.52
藤原書店 pp.89−90
1979
みすず書房 pp.9−10
『人間機械論』 p.47
北田暁大『〈意味〉への抗い』
2004
せりか書房 p.7
『〈意味〉への抗い』 p.10
ジョシュア・メイロウィッツは,マクルーハンやイニスのように「伝達内容とは別個にもたらす
潜在的効果」に注目する研究を,「おのおののメディアの個別の特性に焦点を合わせている」とい
う理由から「メディウム論」と,単数で呼ぶことを主張している。(ジョシュア・メイロウィッツ
安川一他訳『場所観の喪失 上』
viii
2003
新曜社 p.46)
クリストファー・ホロックス 小畑拓也訳『マクルーハンとヴァーチャル世界』
店 p.7
ix
マーシャル・マクルーハン 井坂学訳『機械の花嫁』
1991
竹内書店新社 p.360
2005
岩波書
−72− 「メディア論」の身体論的問題構制 マクルーハンとマンフォードにおける身体・機械・メディアを中心に
x
マーシャル・マクルーハン 森常治訳『グーテンベルクの銀河系』
xi
マーシャル・マクルーハン 栗原裕,河本仲聖訳『メディア論』
xii
『グーテンベルクの銀河系』
xiii
『機械の花嫁』
xiv
『グーテンベルクの銀河系』 p.419
xv
『メディア論』の目次は以下の通り。
1986
1987
みすず書房 p.39
みすず書房 p.3
p.216
p.121
第一部
はしがき,1 メディアはメッセージである,2 熱いメディアと冷たいメディア,3 過熱されたメ
ディアの逆転,4 メカ好き 感覚麻痺を起こしたナルキッソス,5 雑種のエネルギー 危険な関係,
6 転換子としてのメディア,7 挑戦と崩壊 創造性の報復
第二部
8 話されることば 悪の華?,9 書かれたことば 耳には目を,10 道路と紙のルート,11 数 群集の
プロフィール,12 衣服 皮膚の拡張,13 住宅 新しい外観と新しい展望,14 貨幣 貧乏人のクレジッ
ト・カード,15 時計 時のかおり,16 印刷 それをどう捉えるか,17 漫画 『マッド』――テレビへ
の気違いじみた控えの間,18 印刷されたことば ナショナリズムの設計主,19 車輪,自転車,飛行
機,20 写真 壁のない売春宿,21 新聞 ニュース漏洩による政治,22 自動車 機械の花嫁,23 広告
お隣に負けずに大騒ぎ,24 ゲーム 人間の拡張,25 電信 社会のホルモン,26 タイプライター 鉄の
きまぐれの時代へ,27 電話 咆哮する金管か,チリンと鳴る象徴か,28 蓄音機 国民の肺を縮ませ
た玩具,29 映画 リールの世界,30 ラジオ 部族の太鼓,31 テレビ 臆病な巨人,32 兵器 図像の戦
い, 33 オートメーション 生き方の学習
xvi
マーシャル・マクルーハン,エリック・マクルーハン 中澤豊訳『メディアの法則』
2002
NTT 出版 p.128
xvii
電気以前のメディアを身体の拡張物,電気メディアを中枢神経の拡張物,と分類すると理解はし
やすいが,マクルーハンもそれほど単純に分類してはおらず,むしろマクルーハン自身も区分方
法で混乱していたように見られる。それはマクルーハンの歴史区分に従って,電気以前=視覚メ
ディア,電気=聴覚メディアと対応させることの無理が反映してのことであろう。ジョナサン・
ミラーが『マクルーハン』(猪俣浩訳 1973
新潮社)で指摘するほど,原理的に横暴な歴史区分
をしているわけではない。
xviii
その他にもジョナサン・ミラー,高山宏などは,カトリシズムや農業主義の系譜から,マクルー
ハンの思想的あるいは倫理的根拠を探ろうとするユニークな論を展開している。
xix
ポール・レヴィンソン 服部桂訳『デジタル・マクルーハン』
xx
W.テレンス・ゴードン 宮澤淳一訳『マクルーハン』
2001
2000 NTT 出版 p.19
ちくま学芸文庫 p.13
京都精華大学紀要 第三十三号
xxi
−73−
エドワード・T・ホール 國弘正雄 長井善見 斎藤美津子訳『沈黙の言葉』
1966=1997
南雲
堂 p.80
xxii
サミュエル・バトラー 山本政喜訳『エレホン 山脈を越えて』
xxiii
香内三郎「イニス,マクルーハンのメディア・コミュニケーション理論の位置(Ⅱ)」『コミュニ
ケーション科学 24号』
2006
岩波文庫 p.249
東京経済大学コミュニケーション学会 p.26
xxiv
ル・コルビュジエ,前川国男訳『今日の装飾芸術』
xxv
S・ギーディオン GK 研究所・榮久庵祥二訳『機械化の文化史』
xxvi
1935
1966
鹿島出版会 pp.91
1977
鹿島出版会 p.381
『機械化の文化史』 p.47
xxvii 『機械化の文化史』 p.7
xxviii 『機械化の文化史』 p.394
xxix
『機械化の文化史』 pp.190−191
xxx
『グーテンベルクの銀河系』 p.39
xxxi
『メディア論』 p.59
xxxii 『メディア論』 p.12
xxxiii
マクルーハンは,逆に電気は「この断片をもう一度一つにまとめあげる」(『グーテンベルクの銀
河系』p.370)と述べている。
xxxiv
James Carey “The Roots of Modern Media Analysis: Lewis Mumford and Marshall McLuhan” In James
Carey : a critical reader 1997 University of Minnesota Press pp.50−51
xxxv
ルイス・マンフォード 生田勉訳『技術と文明』
1972
美術出版社 pp.390−391
1971
河出書房新社 pp.49−50
xxxvi 『技術と文明』 p.23
xxxvii ルイス・マンフォード 樋口清訳『機械の神話』
xxxviii 『メディア論』 p.46
xxxix 『技術と文明』 p.142
xl
ジェームス・ケアリーは,マンフォードがゲデス以外にもクロポトキンの影響を大きく受けてい
ることを指摘している。クロポトキンは,ゲデスを通してマンフォードに影響を与えたのみなら
ず,エベネザー・ハワードやウィリアム・モリスといった都市計画や,近代デザインにおける
ユートピア思想にも影響を与えた。マンフォードの思想は,ハワードやモリスとも強い関連があ
る。また,ケアリーは,彼らの思想がルイス・サリバンなどのシカゴの建築家や,ジョン・
デューイなどのプラグマティストを通じて,ハロルド・イニスに影響を与えたことを指摘してい
る。(James Carey 前掲書 pp.45−46)
xli
『技術と文明』 pp.144
xlii
『技術と文明』 p.274
−74− 「メディア論」の身体論的問題構制 マクルーハンとマンフォードにおける身体・機械・メディアを中心に
xliii
xliv
『メディア論』
p.37
木原武一『ルイス・マンフォード』1984
鹿島出版会 pp.44−45
ゲデスは「旧石器時代」「新石器時代」という歴史区分にヒントを得て「旧技術期」「新技術期」
という名称を考えだした。
xlv
『人間機械論』
p.162
xlvi
『技術と文明』
p.66
xlvii
『技術と文明』
pp.164
xlviii 『技術と文明』
pp.160−163
xlix
『技術と文明』
pp.297−298
l
『グーテンベルクの銀河系』
li
『メディア論』
lii
『グーテンベルクの銀河系』 p.193
liii
『技術と文明』
p.170
liv
『メディア論』
p.148
lv
p.365
ルイス・マンフォード 生田勉・木原武一訳『権力のペンタゴン』
lvi
『技術と文明』
p.171
lvii
『技術と文明』
pp.227−228
lviii
『グーテンベルクの銀河系』
lix
『技術と文明』
lx
lxi
lxii
河出書房新社 p.406
p.231
ミハイル・バフチン 桑野隆訳『マルクス主義と言語哲学』
『技術と文明』
1973
pp.189−190
1989
未来社 p.25
p.295
香内三郎「イニス,マクルーハンのメディア・コミュニケーション理論の位置(Ⅱ)」『コミュニ
ケーション科学 24号』
2006
lxiii
『メディア論』
p.8
lxiv
『メディア論』
p.229
lxv
『メディア論』
p.226
lxvi
『技術と文明』
p.343
lxvii
『グーテンベルクの銀河系』
lxviii 『エレホン 山脈を越えて』
lxix
p.324
中野収『メディア人間』
lxx
『技術と文明』
p.23
lxxi
『技術と文明』
p.343
東京経済大学コミュニケーション学会 p.46
前書き
p.251
1997
勁草書房 p.257
京都精華大学紀要 第三十三号
lxxii
『メディア論』 p.375
lxxiii 『グーテンベルクの銀河系』 p.419
lxxiv 『メディア論』 p.60
lxxv
『技術と文明』 p.142
−75−
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