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人口・家族・村落社会に関する 人口学的/地域社会学的

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人口・家族・村落社会に関する 人口学的/地域社会学的
県立広島大学
人口・家族・村落社会に関する
人口学的/地域社会学的研究
経営情報学部 経営学科
准教授
中島 満大(なかじま
連絡先
みつひろ)
)
県立広島大学 広島キャンパス
1727 号室
Tel 082-251-9971
E-mail m_nakajima@pu-hiroshima.ac.jp
専門分野:
家族社会学、歴史人口学、地域社会学
キーワード:
人口と家族の地域性、互助組織、地域社会と歴史
● 現在の研究について
これまで、私は、肥前国彼杵郡野母村(現在の
長崎県長崎市野母町)に残る宗門改帳『野母村絵
踏帳』という史料を使って、近世後期から近代移
行期における野母村の人口、家族、村落社会の構
造を研究してきました。
長崎では、「踏み絵」を用いて、人びとの宗旨
を確認し、毎年、宗門改帳を作成していました。
その史料が、野母には約 105 年分(期間:1766-1871
年)残っており、私はこれをデータとして用いて、
その年の野母村の人口、出生数、死亡数、平均結
婚年齢などを算出し、徳川時代の野母に生きる人
びとがどのような一生を送っていたのかを再現
してきました。
野母に生きる人びとの歴史は、たくさんのこと
を私に教えてくれました。たとえば、野母村は、
非常に平均初婚年齢が高い地域として有名でし
た。男子の平均初婚年齢は 30 歳頃、女子の平均
初婚年齢は 25 歳頃と、現代日本の水準と比べて
遜色のないくらい、徳川時代の野母村は晩婚だっ
たのです。「昔の人は早くに結婚していたのに、
今の人ときたら・・」のような台詞は、時折、耳
にしますが、野母の事例からは、どうやら一概に
昔の人が早婚だったとは言えません。さらに「で
きちゃった結婚」という現象は現代的なものとし
て捉えている人が多いかもしれませんが、徳川時
代の野母村でも、第 1 子が生まれてから、史料に
夫婦として記載することが多かったことが研究
から明らかになりました。
また史料からは、野母村の災害の歴史も浮かび
上がってきます。野母は、漁業を生業とする村落
ですので、海難や台風などの被害が、死亡率の高
まりとして検出されます。その災害に対して、人
びとがどのように翻弄され、向き合い、応対して
いったのかを記述してきました。
● 今後進めていきたい研究について
今後は、野母だけでなく、その他の地域でも研
究を展開していきたいと考えています。地域の歴
史と、現代の地域社会が、いかにして結びついて
いるのかを、史料の分析やフィールド・ワーク、
インタビューから明らかにしていくことを目標
に調査を進めていく予定です。特に互助組織など
に着目し、地域の課題を解決していくための発想
や実践を、地域の人びとから学ぶ機会を多くつく
ることができたらと思います。
● これまでの連携実績
2016 年 3 月に長崎県長崎市野母町の自治会が
主催した「ガーデン野母」という集会で、野母の
歴史について講演を行いました。私が地域に残る
史料から野母の歴史を語り、野母から学んだこと
を報告しました。質疑応答の時間では、さらに野
母に住んでいる皆様から、貴重な体験や経験を話
していただきました。
地域から歴史を学び、その学んだことについて、
地域で話す機会をいただいことは、私にとって大
変貴重な瞬間になりました。学術的貢献だけでな
く、野母という場所に少しだけ恩返しができたよ
うな気がしました。
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