...

感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を 用いて Attempts to

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を 用いて Attempts to
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を
用いて
Attempts to analyze and describe emotional concepts
Using translated literary work
‫وليد فاروق إبراهيم‬.‫د‬
‫أستاذ مساعد بقسم اللغة اليابانية‬
‫كلية اآلداب – جامعة القاهرة‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
714
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
日本語とアラビア語における感情語彙の分析・意味記述
―翻訳作品を用いて―
Analyze and describe emotional lexicon In Japanese and Arabic
– Using translated literary works –
Even a basic vocabulary, it does not correspond one to one
between the two languages. Moreover, the description of this kind of
vocabularies in the dictionary is often insufficient.
This study is presenting a challenge in analyzing both Japanese
and Arabic words through the translated literary work. For example
adjective expressing emotion and feeling like (TANOSHII) is kind of
words which may be translated to several meaning in Arabic according to
context. This paper is an attempt to analyze these words by reflecting
them on the mirror of Arabic text. On the other hand, analyze Arabic
word like (’asaf) by reflecting it on the mirror of the Japanese translation.
I propose a comprehensive semantic description of those complex
abstract concepts. And use this method to teach this kind of vocabulary
for Japanese language learners of Arabic speakers, as well as teaching
Arabic words for learners of Japanese
Keywords:
Emotional
Lexicon・Semantic
method・Composite description
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
analysis・Description
715
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
0.はじめに
基本語彙といえども、二つの言語の間で一対一に対応する
わけではない。また、辞書の記述が不十分である場合が少なくな
い。本研究は、アラビア語の「’asaf」と日本語の「タノシサ」が
それぞれ、をどのような感情なのかを考察し、より細かい、かつ
包括的な記述を試みるとともに、そのような記述の一つの方法論
を提案することを目的とする。
具体的には、日本語に翻訳されたアラビア語の小説の原文
、およびその翻訳から抽出した例文をデータに、分析対象の概念
とそれに対応する訳語の対応関係を分析し、次に辞典記述を参考
に、その概念の意味を複数の要素に分解する。そして、訳語と辞
書記述の関係を、具体的・明示的に図式化して示す。最後に、そ
の図を手がかりとして、分析対象概念の意味記述を提案する。解
する。次に、その感情概念と訳語の関係を具体的・明示的に図で
示す。最後に、その図を参考に分析対象概念の意味記述を提案す
る。それにより学習者に抽象的・複合的な概念への総合的な説明
を提供することが可能になる。
キーワード:
感情概念・意味分析・意味記述の試み・翻訳作品の活用
716
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
1.研究の目的と方法
日本語教育の現場では、語の意味は常に問題になるが、特
に感情や感覚を表す表現語彙(その中でも多義的な基本語彙)は
、あまりにも意味が広いため、辞書の記述も助けにならない場合
が多く、正しく使用することも、学習者に導入するのも、困難で
ある。このような意味範囲が広い語彙(ここでは概念語彙と呼ぶ
)の分析や細かい意味記述は、外国語学習者にとってももっとも
必要とされるものである。
意味分析や意味記述の方法・理論には様々なものがある。
概念意味論や認知意味論、形式意味論など、さまざまなアプロー
チが推進されてきており、ことに前世紀後半から現在にかけて大
きな展開を見せている。意味というものは、言うまでもなく、抽
象的で掴みにくいものであるが、現在までに意味論、語彙論など
の言語学諸分野において実現された進展によって多くの問題が解
決されてきている一方、その何倍にも上る難問が残されている。
例えば、辞典類を見る限り(殊に感情・感覚を表す語は)十分な
記述がされてないことは少なくなく、また、原稿の意味分析・記
述方法も限界があり、新しい分析・記述方法が必要とされている。
児玉(2000)では、言語学の分析対象について以下のよう
に述べている。
言語学の分析対象はSaussureがラング,Chomskyが言語能力
であるとした。いずれもコンテクストから独立したものであり,
コンテクスト依存のパロールや言語運用は言語学の対象から排除
されていった。コンテクストには誰が誰にどのように話し書いて
いるかなどの場面状況や言語使用者の共有知識・信念などが含ま
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
717
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
れる。言語運用やパロールが依存しているコンテクスト情報は雑
多で不純な外的要素であり,科学としての対象になりえないとみ
なされている1。(児玉2000: p.266)
また、児玉(2003a)では、次のように指摘されている。
問題は従来の分析が言語に存在する意味を十分に記述・説
明しているかどうかである。言語活動全体を視野に入れた場合,
従来の言語分析は言語に存在する意味の一部を記述・説明してい
るにすぎない。その限界を克服するために分析対象を拡大し,談
話全体や言説をも扱おうとした場合,当然新しい分析法を導入す
ることが必要になる。現在明示的な分析法が用意されているわけ
ではなく,新しい分析法を見出そうとしている段階である2。(児
玉2003a: p.364)
そなわち、現在まで意味分析方法や意味記述では、「語」
の意味を把握し切れないと言えるが、コンテクスト情報などの外
的な要素も取り入れた言語運用を重視の分析方法の開発が必要で
ある。また、そうした問題の解決のために、特にNonNativeの研究者や語学教師、あるいは上級学習者が意味を適格に
、しかも簡便に理解できる方法は必要である。
本研究はそのような問題意識に立ち、一つの方法論を提案したい
。具体的には、アラビア語の「’asaf」と日本語の「タノシサ」を
取り上げる。両者は基礎的な感情語彙であるが、文脈や状況によ
って、伝える意味は微妙に変わり、その記述が難しい。このよう
な「感情概念」を本研究では、「翻訳作品」と「辞書」を用いて
分析する。そして、抽象的・複合的な意味を持つ外国語の単語(
718
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
「感情概念」)の意味を、複数の要素に分解して、具体的・明示
的に示し、最終的に記述に結びつける方法論を提案したい。
2.分析の方法
本研究では、第一段階として日本語に翻訳されたアラビア
語の文学作品の原文とその翻訳、そして第二段階として辞書を使
用し、感情・感覚概念の意味を分析する。ある一つの語がどのよ
うに訳されているか、そして、訳に使用されている語を手掛かり
に分析対象の概念を記述する試みである。言い換えれば、
対象語を外国語という鑑を通して考察することである。過
程としては、まず、まず第一段階として、アラビア語(原文)と
日本語(翻訳)から対象となる語を含む例文を抽出し、対照させ
て、その感情概念の基本的な意味を分析する。第二段階として、
辞書記述を参考に、その概念の意味を複数の要素に分解する。そ
して、その感情概念と、訳語・辞書における意味的な要素の関係
を、具体的・明示的に図に示す。最後にその図を参考に、分析対
象概念の意味記述を行なう。
今回の分析の対象は、アラビア語の「’asaf」と、日本語の
「タノシサ」という二つの概念である。「’asaf」というアラビア
語の「概念」は、本語訳では、第3節でみるように文脈によって四
つの日本語の感情語彙と対応している。また第4節にみるように「
タノシサ」という日本語の「概念」は、原文のアラビア語では、
八つの異なった表現に対応している。
また、今回、扱った小説は、原文の『アルサラーブ』と、
その日本語訳『蜃気楼』である。作品の内容は一人称で語られて
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
719
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
おり、性の悩みや母親に対する秘められた憎しみなどの若者の心
の内面が描かれている。
なお、本研究でいう意味分析は、「語彙素」(lexeme)の
分析であり、分析の対象を動詞や形容詞などとは限定しない。た
と
えば、「タノシサ」の意味分析には、「楽しむ・楽しい・
楽しさ・楽しく」などを全てを対象とし、「タノシサ」という概
念として取り扱う3。なお、本研究で用いたアラビア語表記は以下
の(表1)のように示す。
表1
3.「’asifa」の意味記述
「’asaf」は名詞であり、「’asifa」という動詞の派生語であ
る。アラビア語事典におけるそのもとになる動詞の定義は、「悲
しむ・精神的な痛みを感じる・残念に思う」と記述されている。
「’asaf」(およびその関連語彙)は、『アルサラーブ』の中に、
720
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
以下の通り、六回出現し、例文1.~6.の日本語訳を見ると「悲しみ
、あきらめ、惜しむこと、悔やむこと」という四語が対応
していることが分かる。これら日本語の四語に共通する意
味成分は<カナシサ>であり、それが「’asaf」の基本的な意味だ
と言える、しかし、以下の例文に見られるように<カナシサ>だ
けでなく文脈によって様々な意味成分が付加され、その付加され
る意味成分は日本語の訳文にはっきりと現れている。
1.しかし、我々の利己主義は、この知恵に狂おしく滑稽な悲しみ
を執拗に付け加える。
.‫لكن أنانيتنا تأبى إال أن تضفي على هذه الحكمة أسفا حانقا مضحكا‬
2.その悲しみも何と滑稽なことだろう。
.‫لكن أليس ذلك أسفا مضحكا‬
3.いったい何が悲しいのさ?
‫عالم تأسفين ؟‬
4.母はじっと黙っていた。澄んだ瞳には、悲しみとあきらめが見
えた。
.‫فلبثت صامتة وقد الح في عينيها الصافيتين الحزن واألسف‬
5.お母さんが若い頃の写真を惜しがっているのが分からないの
?
‫أال ترى أني آسف على صورة شبابي ؟‬
6.私はそれを失ったことを心の底から悔やんでいる。
.‫إنني آلسف على فقدانها _ اآلن _ أسفا خالصا‬
先述のように、アラビア語辞典における「’asaf」の定義は
「悲しむ・精神的な痛みを感じる」となっており、基本的に「悲
しむ」の意味が中心的(表層的)な意味であり、文脈や音調によ
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
721
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
って強調される(個別的な)深層的な意味が付加される。その点
は以上の例文で用いられている「’asaf」に対応する日本語の表現
からも確認することができる。
例文1.,2.,3.では「悲しい」や「悲しみ」という訳語が対
応しているのに対して、例文4.では「あきらめ」、例文5.では「惜
しがっている」、例文6.では「悔やんでいる」という訳語が対応
している。「’asaf」の基本的な意味(ここでいう「基本的な意味
」というのは、どんな文脈でもその意味が色を薄めることなく、
必ず、影を落とす意味である。)は「カナシサ」であり、「心が
痛んで泣きたくなるような様子を表したり、物事が「かなしい」
感情を起こさせたり、精神的苦痛を表す」ことを表す、意味の範
囲が広い語である。全ての例文において、基本的に感情主の悲し
い気持ちを表し、文脈によっては、例文5.のように「残念がる気
持ち」や「思わず嘆きたくなる気持ち」、また、「屈辱感や挫折
感などで腹立たしい(怒りだしたくなる気持ち)様子」という意
味も表す。
例文1.,2.では、「悲しみ」が用いられているが、その場合
は、物事に対して「精神的な苦痛」といった漠然とした感情を表
す。例文3.では、疑問文で、相手が悩んでおり悲しそうなのは分
かっているが、それが具体的にどういう感情なのか理解し兼ねる
ため、それを尋ねている。そのため、漠然とした表現が用いられ
ていると考えられる。
例文4.は、「やむを得ない事情で、不本意ながら、自分の
希望を実現出来ないと認める様子」を表しているため、「あきら
め」が対応している。また、例文5.では、貴重なものである若い
ころの結婚写真を失ったという文脈において描かれている背景が
722
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
あり、「大切で価値があるので、失うのがつらい様子」を表すた
めに、「惜しむ」が対応している、例文6.では、写真を失ったこ
とを後悔し、そのことに関して、発話時に「挫折感などで腹立た
しい」怒りだしたくなる気持ちの様子を表しているため「悔やむ
」が対応している。
このように、例文4.,5.,6.のそれぞれには文脈や前後の状
況によって、悲しみに加わる細かい感情の描写がなされており、
そのような細かい感情は外国語に訳されたときに現われやすいと
言える。
さて、「’asaf」に対応する日本語訳として「悲しい・あき
らめ・惜しがる・悔やむ」があがっているわけであるが、それら
の『現代形容詞用法辞典』および『大辞林』の記述を見ると、
以下のようになっている。
A. 悲しい
《現代形容詞用法辞典》:
・心を痛んで泣きたくなるような様子を表す。物事が「かなしい
」感情を起こさせる。
・精神的苦痛を表す意味で「かなしい」は「つらい」に似ている
が、「つらい」は意味の範囲が広く、さまざまな感情においてた
えがたいという意味を表す。
《大辞林》:
・心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。「つらく切ない。」
B.惜しい
《現代形容詞用法辞典》:
・大切で価値があるので、失うのがつらい様子を表す。プラスマ
イナスのイメージはない。
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
723
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
・わずかのところで価値のあるものを失うのは残念だという様子。
《大辞林》:
・貴重で失いたくない。価値のあるものをむだにしたくない。「
命が惜しい。」
・あと一息のところで物事が成就せず残念だ。ほんの少し欠け
たところがあって物足りない。「惜しくも敗れた。」
・心残りだ。いつまでも未練が残る。
C.悔しい
《現代形容詞用法辞典》:
・屈辱感・敗北感・挫折感などで腹立たしい様子を表す。
ややマイナスよりのイメージ語。
・心理を表す形容詞であるので、ものにかかわる修飾語と
して用いられない。
《大辞林》:
・失敗や恥辱を経験して、あきらめたり忘れたりできないさま。
・自分のした行為を後悔するさま。悔やまれる。
D.あきらめ
《大辞林》:
・望んでいたことの実現が不可能であることを認めて、望みを捨
てること。断念すること。
以上の辞書記述からは、「悲しい」という感情の意味成分
として「心痛・苦痛・苦悩・悲痛」、「惜しい」という感情の意
味成分として「苦痛・残念・未練・不満」が抽出できるであろう
。同様に、「悔しい」の含意する意味成分として「屈辱・挫折・
724
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
立腹・後悔」、「あきらめ」の意味成分として「失望・断
念・悲痛」が抽出できる。以上のようなアラビア語の日本語訳に
使用された語彙と、それらの語彙の日本語辞書記述に基づくと、
「’asaf」という感情語彙の複合的な意味は、図1のように示すこと
ができる。
図1
最後に、この図に基づき、日本語という鑑に写った「’asaf
」という「感情概念」の意味領域を記述すると、以下の通りにな
るのではないかと考えられる。
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
725
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
・精神的な痛み・悲痛を感じる。
・やむを得ない事情で、自分の希望を不本意ながら、実現出来な
いと認める様子。
・大切で価値があるので、失うのがつらい様子・未練や不満を感
じる。
・敗北感や挫折感などで腹立たしく、怒りだしたくなる気持ち。
上記「’asaf」の第一の基本的な意味は「悲しむ・精神的な
痛み」であり、その意味はどのような文脈においても常に出現す
る中心的な意義素だとも言える。また、第二・三・四番目は個別
的な意味で、文脈によって、そのいずれかが前面に取り上げられ
る。アラビア語の場合は、個別的な意味は文脈に依存するが、日
本語訳ではその個別的な意味ははっきりと異なる「語」によって
表現する必要がある。
4.{たのしさ}の意味記述
「たのしい」という形容詞の分析を取り上げた研究はたく
さんあるが、その多くは、山田(1982)・西尾(1993)・菊地(
2000)のように「タノシイ」と「ウレシイ」を比較した研究であ
る。本研究は「ウレシイ」との比較については問題にしない点で
、先行研究とは問題意識が異なるが、これらの研究における「タ
ノシイ」の記述をまずは見てみたい4。
山田(1982):「快と感じられる行動への能動的関与によ
って生じる感情」
西尾(1993):「快と感じられることに加わって味う、持
続的なみちたりた感情」
726
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
菊地(2000):「時間の過ごし方について、心で<快>と
受け止める感覚」
以上の三つの研究における「タノシイ」の記述を見れば、
<快>と感じられる出来事が関わることや状態を表す「形容詞」
であることは、一致している。また、『現代形容詞用法辞典』で
は「たのしい」は、「満足すべき状況にあって心がはずむ様子を
表すプラスイメージの語である」と記述されている。そして、「
たのしい」は「うれしい」と違って客観的な満足すべき状況を意
味し、個人的な心理を表明する場合にはあまり用いられないとあ
る。
これらの分析はあくまで「タノシイ」という形容詞の意味
記述であり、統語的な機能や共起制限を除いて、意味的に「タノ
シサ」という感情的な概念の記述をするとすれば、以上の記述を
総合すると、このようになるであろう。「タノシサ」は、「快と
感じられ、満足すべき状況・快と感じられる時間の過ごし方」
という漠然とした定義にしかならない。
では次に、翻訳作品『蜃気楼』に出現した「楽しい」(及
びその関連語)は、以下の8つであった。アラビア語の鏡には「
タノシサ」はどのように写っているかを考察してみたい。
7.(彼女は...)華やかな若さを楽しんでいた。」
‫تلهو بلذة الفتوة المشبوبة‬
8.「私達の年配の先生は、一時間目の授業の時にアルクスース(
甘草の汁)をコップ一杯飲むのを楽しみにしていた。」
.‫كان مدرسنا الشيخ يروق له أن يشرب كوبا من العرقسوس في أثناء الحصة األولى‬
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
727
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
9.「台所でも、私は母の頭に頬をつけて肩に乗り、かまどに火を
つけたり肉を切ったりタマネギをきざんだりする料理人をながめ
て楽しんだ。」
‫حتى في المطبخ كنت أمتطي منكبها مفترشا رأسها بخدي متسليا بمشاهدة الطاهي وهو يشعل‬
‫النار ويقطع اللحم والبصل‬
10.「こうした会話を続ける以外に楽しみがなかった。」
.‫لم يكن لنا من سلوى في تلك األيام إال مواصلة الحديث‬
11.「私達がいつも楽しみにしている唯一の外出だったろう。」
.‫ولعلها الزيارة الوحيدة التي كنا ننتظرها بفارغ الصبر‬
12.「楽しい祭りの思い出がよみがえった。」
.‫فعاودتني ذكريات العيد السعيد‬
13.木曜日の明け方に目覚めると、嬉しくて楽しくてベッドの中で
寝返りをうった。
.‫أستيقظ عند فجر الخميس و أتقلب تحت الغطاء في سرور و حبور‬
14.「私の記憶が、最も楽しく最も危険な時代をあらわにしながら
戻ってくる。」
.‫ترتد ذاكرتي حسيرة عن أرق عهوده و أخطرها‬
例文7.~14.をみると、八つの例文に出現した日本語訳「タ
ノシサ」は、原文のアラビア語では異なる表現で表されている。
日本語の例文で用いられている「タノシサ」の表現は、まず、形
式によって、三つのグループに分かれる。
第一のグループは、例文7.,9.で用いられている表現であり
、「楽しむ」という動詞の形で表現されており、感情主が積極的
に<快>と感じるもの得ようとする表現である。
728
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
次に、第二のグループは、例文8.、10.、11.、で用いられて
いる表現である。それらは、「楽しみ・楽しみにしている」とい
う形で表わされているもので、感情主が消極的に、<快>と
感じ取れる出来事や状況を待ち望む気持ちを表す。
そして、第三グループは、例文12.~14.で用いられている表
現であり、「楽しい・楽しく」という形容詞で表現されており、
状況や感情を描写する表現である。
また、これら八つの例文で出現したアラビア語の語彙のア
ラビア語辞典(『Al-mu?jam
al-wasy.t』
を参照)
における記述は以下の通りである。
talhuw
思うままにあやつる。自分の心を慰めるものとして興じ
る。何かに夢中になって楽しむ様子。遊興する。(例7)
raaqa
余計なものが取り除かれ、純粋な状態になる様子になる
の。好き好んで何かをする様子。悦楽する。(例8)
mutaslyn {動詞‐salla}の副詞表現。気を紛らわしたり、嫌なこと
・つらいことなどを忘れたりするために意志的に何かを
する。
楽しい時間の過ごすこと。何かによって、一時心が晴れ
ばれとすること・時間を潰すこと。慰安する。(例9)
salwa
・心が安らぎ・慰め、気が晴れる原因と
なる一切の事柄。
・蜂蜜や鴨の意味でも使われていたことから、辛い時期
を乗り越えるため思いめぐらせる愉快な思い出や期待。
(例10)
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
729
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
bi-fargh
al.sabr
als?yd
.hbwr
raqyq
慣用句であり、我慢が許容限度を超えるという意味を表
す。「bifargh」は、溢れ出るという意味で、「al.sabr」は我慢と
いう意味。我慢できないほど、何かを希求する・待望す
ること。(例11)
幸運であること・不幸の反対。恵まれたもの。また、縁
起のいいこと・機会などについて用いられる。心が晴れ
晴れとして喜ばしい一切の事柄。(例12)
生活のゆとりや恵まれること、そして、その満足感が人
間の格好や顔つきに現れていること。身も心も弾むよう
に見える様子。(例13)
柔らかくある。「粗野な・荒い」の反対。
「繊細な・温厚な」の意味で用いられる。
「気持ちのいい・愉快」という意味を表す。
(例14)
例文7.、9.をみると、どちらも、アラビア語でも日本語でも
「タノシサ」は動詞による表現になっている。意味的には感情主
が積極的に<快>の感情を、ある意図的行為によって感じようと
していることを表している。例7.では、エネルギーに満ちあふれ
ていた若いころをしみじみと味わう姿を表現している。例9.では
、愉快な時間を過ごすために「料理人を眺める」という行為を行
なう様子を表している。また、例文8.の場合も、アラビア語では
、動詞「raqa(好む)」で表現されている。やはり、この例文も
意図的に時間を楽しく過ごすためにある行為を行なう意味を表し
ている。
例文11.も例文8.のように「楽しみにしている」で表現され
ているが、この例文では、小説の主人公(子供)は、田舎で暮ら
730
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
している叔母さんが田舎から出てきて、友達の所に遊びに連れて
いってくれる以外にめったに外出しないという生活をしている。
しかし、この例文の「楽しみにしている」は、例文8.と違って、
<快>の感情を感じるために積極的に何かをするのではなく、消
極的に<快>と感じられる出来事や機会が訪れるのを待っている
という意味で用いられている。
この例文のアラビア語表現は、「bi-fargh
al.sabr(直訳は、我慢が溢れ出るほど)」という慣用句が「待つ
」という動詞を修飾する副詞句になっている。また、例文10.では
「~以外に楽しみがなかった」いう表現が用いられているが、こ
こでもやはり<快>の感情は消極的な態度で、可能な快楽しか望
めないという意味になっている。
例文12.~14.は、どれも形容詞の形式で表現されているが、
意味的にはどれも愉快な感情を起こさせる状況や時期などを描写
している。例文12.では「祭りの思い出」を形容し、13.では、主人
公の子供のころの週末前日(木曜)の朝の気持ちを形容している
。そして、14.では、子供時代を形容している。
このように八つの例文は、日本語の表現形式から三種類に
分けられるが、意味の側面から見ると、次のように三つのグルー
プに分けることができる。
まず、一つ目のグループは、積極的に快と感じられる時間
の過ごし方や行動する状況を表すものである。このグループには
、例文7.,8.,9.で用いられている表現が分類される。すなわち、
<快>の感情を得る目的で積極的にある行為・行動を取るという
ことを表す表現である。
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
731
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
二つ目のグループは、待ち望んでいる出来事や状況が訪れ
るまでの消極的な時間の過ごし方を表す表現である。このグルー
プには、例文10.,11.で用いられている表現が分類される。そして
、三つ目のグループは、快と感じられる物事・出来事を描写する
表現である。このグループには、例文12.,13.,14.で用いられて
いる表現が分類される。
以上、例文7.~14.で用いられているアラビア語の表現と「
タノシサ」の関係図を式化すると、図2のように示すことができる
。
図2
これら3つのグループはそれぞれ、山田(1982)の指摘す
る「能動的関与」、西尾(1993)の指摘する「持続的なみちたり
た感情」、菊地(2000)の指摘する「時間の過ごし方」を表し、
732
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
図2はそれを総合的に説明できると思われる。第一グループは、
山田(1982)のいう「能動的な関与」の表現であり、アラビア語
の場合は動詞で表現されているが、本稿では、「時間の過ごし方
」を重視して「積極的な時間の過ごし方」と称する。
また、第二グループは、「消極的な時間の過ごし方」を表す
ものであるが、そのような表現はアラビア語では、名詞、
あるいは動詞を修飾する副詞という形式で表現される。そして、
第三グループは、アラビア語では形容詞で表わされる「愉快な感
情を引き起こさせるもの」の表現である。
以上から、「タノシサ」という感情概念を記述すると、次のよう
に示すことができるであろう。
・基本的に愉快な気分でいること。心がひきつけられる様子。
・快と感じられる時間の過ごし方を目的に積極的に行動すること。
・待ち望んでいる出来事や状況が訪れるまでの消極的な時間の過
ごし方を表す。
・快と感じられる物事・出来事を描写する表現。
どの表現も<快>を感じる意味を含意しているが、用いら
れる形式によって、二つ目から四つ目の個別的な意義が付加され
る。このことをあらためて説明すると次のようになる。
15.a.買い物をして美味しいものを食べて、週末の外出を楽しむ。
b.週末の外出を楽しみにしている。
c.外出が楽しい。
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
733
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
例文15.の(a)は、積極的に何かをして「<快>の感情・<快
>と感じられる時間の過ごし方」を得ようとする意味を表してい
る。また、(b)は、「<快>と感じられる出来事など・待望という
消極的な時間の過ごし方」という意味を表している。そして、(c)
は、「<快>という感情を引き起こす出来事や時期やものなど」
を描写する意味を表している。
5.日本語教育への応用
以上の意味分析・記述方法は、アラビア語母語話者の日本
語学習者に、日本語の複合的な意味を持つ概念へのよりよい理解
につながると考えられる。アラビア語圏における日本語教育は特
別な事情を抱えており、中国語や韓国語や英語圏などと比べると
アラビア語母語話者向けの教材はもちろん、辞典も皆無に等しい
。だが、本研究で提案した方法を利用すれば、このような抽象的
で複合的な意味を、複数の要素に分解して、具体的・明示的に示
すことが可能になり、意味の理解に役立つ。また、大学院生や上
級学習者対しては、自分で調べる分析方法として勧めることがで
きる。
図2をアラビア語話者の学生向けにアラビア語で書き直す
と、図3のようになる。今回提案した方法を使えば、このような
図式を学習者に提示することも、あるいは上級学習者が自分で成
させることが、比較的困難無くできるであろう。
734
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
図3
6.まとめ
本稿は、複合的な意味を持つ感情概念を意味記述するため
の方法論を提案し、アラビア語の「’asaf」および日本語の「タノ
シサ」を例として分析した。それぞれの語は、文脈に関わらず表
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
735
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
現される基本的な意味を持つとともに、文脈によって異なる意味
成分が付加されたり強調されたりする複合的な概念である。その
ような意味成分を明示的に抽出するための簡便な方法を本稿は提
示した。
基本語彙といえども、二つの言語の間で一対一に対応する
わけではない。本稿の方法を活用することによって、両語の記述
はより細かく簡潔にできるのではないかと思われる。また、この
ような意味範囲が広い「語彙」の分析や細かい意味記述は外国語
学習者が必要としているだけでなく、翻訳の分野のためにも必要
不可欠な研究分野である。そして、このように比較対照研究によ
って得られた成果を辞典類の意味記述に生かし、できるだけ多く
の語に対して、十分かつ包括的な記述がなされることが期待され
る。
736
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
引用小説
『蜃気楼』ナギーブ・マハフーズ著,高野 晶弘訳,第三書館
‫ مكتبة مصر‬, ‫نجيب محفوظ‬: ‫السراب‬
(1)児玉(2000)を参照。p.266
(2)児玉(2003a)を参照。p.364
(3)國廣(1982)は、「なおここでいう単語は「語彙素」(lexeme)
である。たとえばタベルという動詞は厳密には「(語彙素)タベ
+(屈折語尾)ル」と分析されるが、本書では必要がない限り、
タベルという単語(Word)の形で取り扱う。したがって、「タベ
ルの意義素」という時は「タベの意義素」のことを指してる」と
述べている。p.39
(4)山田(1982)、西尾(1993)、菊地(2000)の「タノシイ」と
「ウレシイ」をの比較についての研究成果の纏めは、清海
(2006)「感情表現の日英比較―〈快〉感情基礎語彙を中心に―」
も参照のこと。p.95__
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
737
感情概念の分析・意味記述への試み―翻訳作品を用いて
参照文献
児玉徳美(2000)「言語分析の対象拡大に向けて」『立命館国際研
究 12-3』
児玉徳美(2003a)「意味分析の対象と方法」『立命館文学』582
児玉徳美(2003b)「意味と形式」『立命館文学』580
山田進(1982)「ウレシイ・タノシイ」『ことばの意味3』國廣哲弥
(編)、
平凡社
菊地康人(2000)「タノシイとウレシイ」『日本語:意味と文法の
風景』、
ひつじ書房
清海節子(2006)「感情表現の日英比較〈快〉感情基礎語彙を中心に-」
『駿河台大学論叢』第32号
国広哲弥(1982)『意味論の方法』、大修館書店
国広哲弥 (1997)『理想の国語辞典』、大修館
国広哲弥(2006)『日本語の多義動詞:理想の国語辞典2』、大修館
服部四郎(1960)『言語学の方法』、岩波書店
参照辞典類
中村 明(1993)『感情表現辞典』東京堂出版
中村 明(1995)『感覚表現辞典』東京堂出版
飛田 良文・他(1991)『現代形容詞用法辞典』,東京堂出版
松村 明 編(1988)『大辞林』三省堂、第一版
‫ اإلصدار الرابع‬, ‫ القاهرة‬- ‫ دار الشروق‬4002 : ‫المعجم الوسيط‬
738
2013 ‫ يونيو‬60 ‫فيلولوجى‬
Fly UP