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すでに臨床研修指定病院になってい たので、何とか八尾も研修できる施

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すでに臨床研修指定病院になってい たので、何とか八尾も研修できる施
Docters Net09-37 09.5.29 0:50 PM ページ18
原田博雅副院長
が見つけ、原田副院長に直訴。ピッ
ツバーグ大学の赤津敏子先生が主
催する
「第1回指導医講習会」の参加
呼びかけだった。院長の許可を得て、
原 田 副 院 長 はピッツバーグに 飛ん
だ。期間は1週間。
「ちょうどイラク開戦とSARS騒動が
重なり、講習会に参加したのは日本
からの2名を含め計4名でした。これ
に出席したことで、ピッツバーグ大学
とのコネクションができました」
原田博雅副院長は82年、八尾徳
すでに臨床研修指定病院になってい
洲会総合病院に研修医として入職し
たので、何とか八尾も研修できる施
た。その動機は、当時大学でのスト
設にしようと原田副院長は考えたと
レート研修に疑問を抱いていたこと
いう。まず、日本内科学会の研修指
と、徳洲会が時代の寵児であったか
定病院になるため、内科学会認定医
03年11月、ピッツバーグ大学から
らだという。
を取る必要があった。専門医制度が
内 科 医 のロールマン准 教 授を 招 聘
「ちょうどマスコミが茅ヶ崎徳洲会
確立する前の時代で内科学会認定
総合病院と茅ヶ崎医師会との対立を
医取得のための移行措置があり、某
「朝9時から午後6時半まで、交代で
“茅ヶ崎戦争”
と評していた頃でした。
大 学の 教 授 の 判をもらい松 下 前 院
10人の研修医が受講しました。講義
徳洲会はローテーション研修を取り
長、福 田 現 院 長と 3 人 が 認 定 医と
は英語ですから、最初は質問されて
入れていたので、八尾徳洲会総合病
なった。その後、厚生省
(当時)の研
もみんなしどろもどろ。私も含め全
院に入職したのです。研修医時代は
修指定病院を取るという方針が決定
員 緊 張 の 連 続で、1 日が 終 わると
何でもやらせてもらえましたし、実践
され、松下院長の大変な尽力の後、
ほっとする状況が続きました。最終
的でもあったと思います。87年にア
晴れて研修指定病院となった。
日には、ロールマン先生と私が2人だ
メリカのスタンフォード大学に留学。
「これで 研 修 医 が たくさん 来 ると
けで話をするというプログラムを組ん
帰国は翌年で、向こうでの研修を目
思 って い たら、大 間 違 い でし た 。
で いたので、クタクタという言 葉 が
の当たりにしたことから八尾の研修
まったく来なかったのです。研修医
ぴったりの1週間でした。研修医た
システムを改善したいと松下肇院長
を集めるために、
四苦八苦しました。」
ちは、ロールマン先生からポジティブ
(当時)
にそれを提言したら、笑われ
03年、医師のリクルート誌に載っ
てしまいました」
当時、茅ヶ崎徳洲会総合病院は
18
し、1週間にわたる研修を実施した。
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た
“ピッツバーグ・ジャパン・プログラム”
の募集記事を研修医の百武威医師
な評価をもらい喜んでいました」
翌年も、ロールマン准教授が来日
し研修を行った。05年と06年には
Docters Net09-37 09.5.29 0:51 PM ページ19
ピッツバーグ大学のレフ教授が、07
おり、八尾では週2回行われている。
年には同大学のホダック先生が研修
こうした海外から招いた先生たち
けです。今はこうした先生をお手本
に、研 修 医 たちを指 導しています。
を引き受けてくれた。08年には赤津
による八尾の研修は、院外にも広く
実は、当院でこのような指導を行っ
先生が退職されたため、同大学から
門戸を開放している。
ていることは、研修医を募集する際
の招聘がストップしてしまった。この
「海外の先生たちの指導の方法論
の大きな武器になっています」
とき、ノースダコタ大学感染症内科
は同じです。当然、内容は異なりま
6年にわたりアメリカの内科医を中
に勤務する徳洲会出身の羅子賢先
すが、教える方法はみんな共通して
心に行われている研修指導だが、そ
生がメイヨークリニックにいる元同僚
います。つまり、アメリカではスタン
の成果はどうなのか。
のラマール準教授を紹介、1週間の
ダードな 指 導 方 法 が 確 立されてい
「毎日プレゼンテーションをやってい
指導を受けた。羅先生はまた、2回
る。日本には、とんでもない指導医
ますから、1年も経つときちんとできる
にわたり2日間の研修指導を行って
もいるようですが、そうしたことはあ
ようになります。実際、他院の研修医
いる。さらに04年より、インドから毎
りません。私も含め、指導医は自分
とは差が生じています。アメリカの先
年シャー博士を迎え、研修指導も行
が研修医だったときに、今のような方
生による研修指導は、緊張するし一
われている。いずれも、内科医であ
法論を用いた指導を受けたことがな
生懸命やるからいい経験になります。
る。3年前からは、ワシントンD.C.で
いので、こうした講師を招くことは私
昨年スタンフォードに移った赤津先
開業していた川上医師が、関西の徳
たちにも非常にいい勉強になってい
生が新たに
“スタンフォード・ジャパン・
洲会グループ病院を巡回しながら、
ます。実際、かつては研修医をいか
プログラム”
を立ち上げる。原田副院
症例検討を中心に講義を交えて英
に指導すればいいかわからなかった
長は、11月にはスタンフォード大学か
語と日本語による研修指導を行って
ので、まさに手探りの日々だったわ
ら内科医を招聘したいと考えている。
当直明けのある日、雑誌に「ピッツバーグ・ジャパ
ン・プログラム
(PJP)
」が載っていた。PJPは3つの
プログラムからなる。
(1)研修医として米国に行く。
(2)指導法を学びに行く。
(3)米国から指導医を招
いて指導してもらう。しかも、そのとき
(2)
の第1回募
集。研修医の集まる病院にするにはこれしかない
との思いで、研修委員長である原田副院長にこう
言った。
「突然ですが、ピッツバーグに行ってください」
実際に研修を受けると、日米の医学教育比較でよく
言われるように、理学所見の重視、系統だった臨床
判断、鑑別診断の豊富さなどはさすがと思わせるところが多かった。指導を
受け、私たちが得た最も大きなものは「教えることも、教えられることも楽し
い」という真理であった。教育にかける人員・予算に彼我の差はあるものの
「教育を楽しむための随所の工夫」がこのプログラムを通して当院の学んだも
のである。
ちなみにロールマン准教授の当院評は「研修医たちはまだまだ学ばなけれ
ばならないことが多いが、家族のように親しみやすく素晴らしい。研修委員長
の原田先生はクレイジーだ。日常診療に教育、数多い事務作業まで多くの職
務を一人でこなすなんてあり得ない」
。これには、全員が同意した。
5年間、このプログラムに参加してきた。やる気と希望に満ちた研修医の目
を、救急医療を取り巻く現代社会の内包する闇が曇らせることが往々にして
あるが、一流の指導医を前にしてたどたどしい英語で症例提示する研修医の
目は明らかに輝きを取り戻している。
「こうして育っていく私を含む研修医たちが、当院の、ひいては徳洲会の中
身を伴ったブランド化を成功させる日は近い」
そんなことを考えながら8月に移転を控え建築中の壮大な新病院の先から
昇る朝日を見る。当直明けの目の奥の痛みを誇りに日中の勤務に向かってい
る。いつか自分もクレイジーと評される医師になれるようにと。
八尾徳洲会総合病院を選んだのは、院内の雰囲気
と救急対応が多いので年間を通して初期診療を行え
る点が魅力的だったからです。
私は一昨年と昨年、外国人内科医による研修を受け
ましたが、英語での研修はリスニングに必死で、内容
については憶測することばかり。最初は1日3時間、2
度目は1日5∼6時間の研修。正直、日本語の研修のほ
うが身につくと思ったりもしました。
研修の最終日には「よし、次回に備えて英語の勉強
を」
と思うのですが、あっという間に元の木阿弥でした。
英語によるプレゼンテーションはとても役立ったと思います。その理由は、日
本語なら何となく通じることでも先生は簡略化した部分を厳しく指摘されたか
らです。それはまた、患者さんへの接遇にも通じるものだと近頃は思うようにな
りました。
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