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VI.普及・啓発手法の検討資料

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VI.普及・啓発手法の検討資料
VI.普及・啓発手法の検討資料
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ウェブ掲載記事
① CANVAS∼NPO と子どもとメディア 変革の世紀2 NHK 出版 中村伊知哉
② 子どもたちがコンテンツを生む(日経ネット時評 2002.12.10)中村伊知哉
③ デジタル世代の創造力と教育改革 (GLOCOM
2002.12.2)中村伊知哉
④ 十年より千年のユビキタス(野村総合研究所 未来創発 2002.7)中村伊知哉
⑤ ポップカルチャーとしてのニッポン(日経ネット時評 2002.6.25)中村伊知哉
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①CANVAS∼NPO と子どもとメディア
1
変革の世紀2
NHK 出版
中村伊知哉
創って見せる子どもたち
「思ったより上手に写せたな。」「家でもデジカメ買ってもらおうかな?」「天気や気温、
穴から写したり、角度などを変えることで写真にも個性が出ることが分かった。」「にじが
とれてラッキー。」
2002 年 11 月、岡山で開催された全国マルチメディア祭でのこと。3日間で 11 万人の来
場をみたイベント会場の隅で、カメラワークショップが開かれた。参加した小学生たちの
表情は、みな達成感に満ちている。
初めてシャッターを切る子どもたちが、自分なりの表現方法を探り、発表する。紅葉の
赤や空の青に惹かれる子。噴水の躍動感を切り取ろうとする子。会場に飾られた F1 カーや
コンパニオンのお姉さまを接写する子。大胆で美しいみごとな作品を次々に生んでいく。
映像で考えて、映像で表す。それをその場でプリントアウトする。作品を見せ合い、互
いを発見する。そして、そのままブロードバンドで世界に発信する。
パソコンやインターネットが普及した。デジタルカメラやブロードバンドも浸透してい
る。ピア・トゥ・ピア社会、すなわち一人ひとりがコンテンツの生産者となる時代は、こ
の世代が引っ張っていく。このワークショップは、アットネットホーム社がキヤノンの協
賛を得て実施した。http://www.broadspirits.net/canvas/
となりの部屋では、色あざやかなオブジェたちが床をはっている。併催された「ロボッ
ト作り」ワークショップだ。MIT(マサチューセッツ工科大学)で開発したマッチ箱サイズ
のコンピュータに、モーターやセンサーなどを装着し、さらにスポンジやタワシや松ぼっ
くりといった身の回りのものをくっつけて、自分だけの「虫」を作るというものだ。
心臓部のコンピュータには、子どもが自分でプログラミングして、どのように動き、ど
んな音や光を発するかといった指令を与える。頭を回転させる虫。ガタガタと地面を走る
虫。ふしぎな鳴き声をあげる虫。暗がりで怪しく光る虫。
「プログラミングは、べつにむつかしくなかった。」
「どんな色の虫にするか、まよった。
」
「足を振動させて、前に動かそうと思ったんだけど、後ろに動くようになってしまった。」
「かわいい虫ができたと思う。」
四角四面だったコンピュータは、生き物に姿を変えている。ロボットやペットやおもち
ゃや虫に変身して、わたしたちのともだちになろうとしている。身の回りに溶け込んで、
ユビキタス(どこでもコンピュータ)な空間を創る。
スクリーンから立体の造形へ。そうした姿かたちそのものが、ユビキタス時代のコンテ
ンツだ。このワークショップは、「CAMP」が実施した。CAMPとは京都けいはんな学園都
市にある日本で初めての子どものワークショップ専門センターであり、株式会社 CSK が運
営する。 http://www.camp-k.com/
これらピア・トゥ・ピア系とユビキタス系の二つのワークショップを主催したのは、
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CANVAS という名の NPO だ。子どもの創造力や表現力を高めるための活動を推進している。
政府やマルチメディア振興センターの支援のもと、ブロードバンド時代のコンテンツを生
む土壌を整えていくことを目的として、2002 年の夏に活動を開始したところだ。
総合的学習の時間が学校に導入されたことをはじめ、IT と子どもの関わりを模索する動
きが広がる中、注目を集めている。
2
http://www.canvas.ws
創造力と表現力の底上げ
CANVAS は、子どもの創造力・表現力のための活動について、
「研究」
「開発」
「普及」する
ことを柱としている。
国内・海外における先駆的なワークショップの調査を行い、これに基づき得られた情報
を元に評価・検討をし、新しいワークショップを開発する。
また、それらワークショップをパッケージ化、教材化することにより、学校教育プログ
ラムへの組み込みや自治体・企業での推進策を検討し、全国への普及啓発を行う。
次世代を担う人々が、自分で創り、自分で表現するネットワーク環境の整備を目指して、
アニメ・音楽・ロボット作りワークショップの開発や、海外との連絡調整、調査研究など
を始めたところだ。
これは、「我が国が 5 年以内に世界最先端の IT 国家になる」という目標を掲げる政府
e-Japan 戦略に沿った施策である。
e-Japan 戦略はこう記す。「国民の持つ知識が相互に刺激し合うことによって様々な創造
性を生み育てるような知識創発型の社会を目指す。ここで実現すべきことの第一は、すべ
ての国民が情報リテラシー を備え、地理的・身体的・経済的制約等にとらわれず、自由か
つ安全に豊富な知識と情報を交流し得ることである。」そして、情報リテラシーの向上、コ
ンテンツ・クリエイターの育成を重点政策としている。
一人ひとりの情報発信力を高め、コンテンツ生産力を高める CANVAS の成果が広がって、
各地の拠点や学校の活動を促進する。これを通じて、全国の子どもたちの取り組みが活性
化し、国全体の底上げが図られる。
一人ひとりの創造力と表現力を高めたい。そして、日本を表現大国にしたい。世界のコ
ミュニケーションを活発にしたい。CANVAS の活動は地道な支援であり、小さく活動を始め
たばかりだが、目線はそのような高さに据えている。
活動の対象となる「子ども」の範囲には特に限定はないが、ひとまず小中学生を念頭に
置いている。また、ひとまず e-Japan 期間である 2002 年度からの 4 年間で所要の目標に到
達することを目指す時限活動と位置づけている。
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3
産学官連携と国際協調
こうしたことから CANVAS は、政府の協力のもと、(財)マルチメディア振興センターか
ら資金を得てスタートした。しかし、あくまで CANVAS は民間の発意に基づいて発足した運
動であり、さまざまな分野の関係者の熱意によって実現したプロジェクトである。各地域
の現場が主体となって、産学官トライアングルの協調によって進められる。
川原正人 NHK 名誉顧問が理事長を務め、東京大学情報学環の山内祐平助教授と筆者が副
理事長を務めている。各地でワークショップの活動をしている方々、国内外の児童館・科
学館・子ども博物館、学校・教育関係者、大学等の研究者、そしてさまざまな分野のアー
ティストの方々と密に連携する。
IT 系の企業、学習やデザインの分野に関心のある企業、エンターテイメント企業など、
産業界からの参加も重要な要素となる。企業が研究プロジェクトやビジネスのテストベッ
ドとして CANVAS のコミュニティを活用することも考えられる。
内閣府、総務省、文部科学省、経済産業省との連携も不可欠である。この分野に積極的
な取り組みをみせる地方自治体とも仕事をしていくことになる。
また、この分野の世界的なネットワークも作っていく。アメリカ、ヨーロッパ、アジア、
南米などの大学、博物館、企業等とも連携した運動としていきたい。これら多方面の方々
をフェローとして迎え、プロジェクトを企画・実行していくこととしている。
だが、あくまで活動の主役は、子ども。当面は大人が道筋を作っていくとしても、いず
れ子どもたちが活動の中心を担い、将来は子どもたち自らが運営してくれるとよいと考え
ている。
CANVAS 関係者リスト
(2002 年 12 月現在)
<理事長>
川原正人(NHK 名誉顧問)
<副理事長>
山内祐平(東京大学大学院情報学環助教授)
中村伊知哉(スタンフォード日本センター研究所長、MIT メディアラボ客員教授)
<理事>
奥田義行((社)音楽制作者連盟理事長)
田村拓 (CSK 経営企画室長)
森由美子(CAMP 総合プロデューサ)
廣瀬禎彦(@Net Home 代表取締役)
菊池尚人(FMP 総研研究員)
<監事>
川原和彦(博報堂)
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●フェロー
今井賢一
(スタンフォード大学シニアフェロー/一橋大学名誉教授)
青木昌彦 (スタンフォード大学教授、経済産業研究所所長)
近藤等則 (トランペッター)
日比野克彦 (アーティスト)
高城剛
(メディア・クリエイター)
水口哲也 (ゲーム作家)
飯野賢治 (クリエイター)
山口裕美 (アート・プロデューサー)
佐々木かをり(イー・ウーマン/ユニカル・インターナショナル代表取締役社長)
宇治橋祐之 (NHK エデュケーショナル教育部チーフプロデューサー)
岸博幸
(内閣府 IT 担当室企画官)
山崎俊巳
(総務大臣秘書官)
瀬戸隆一
(総務省課長補佐)
上田信行
(甲南女子大学教授)
河口洋一郎(東京大学教授)
武邑光裕
(東京大学助教授)
小栗宏次
(愛知県立大学教授)
美馬のゆり(公立はこだて未来大学
大江建
(早稲田大学教授)
奈良磐雄
(京都造形芸術大学教授)
教授)
三宅正太郎(大分県立芸術文化短期大学教授)
高井崇志 (岡山県企画振興部 IT 戦略推進室情報政策課)
松永直哉
(大和証券SMBC課長代理)
中西寛
(イサオ事業部長)
大原伸一
(大原事務所代表)
石戸奈々子(MIT 客員研究員)
北川美宏
(大川センター所長)
森秀樹
(CAMP)
菅谷明子
(ジャーナリスト、経済産業研究所研究員)
鶴谷武親
(フューチャーインスティテュート代表取締役社長)
谷脇康彦
(在米日本国大使館参事官)
田島正広
小松左京
(弁護士、NPO サイバーポール理事長)
(SF 小説家)
境真理子 (日本未来科学館)
島田卓也 (日本未来科学館)
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古井祐司 (三菱総合研究所研究員/NPO メディカルブリッジ理事長)
笠井文哉
上出卓
(SONY ブロードバンドアプリケーション研究所統括課長)
(音楽制作者連盟顧問)
中植正剛
(スタンフォード大学)
関根千佳
(株式会社ユーディット代表取締役)
中川一史(金沢大学助教授)
橋本知子(文化総合研究所)
ウォルター・ベンダー(MIT メディアラボ所長)
トッド・マッコーバー(MIT メディアラボ教授)
ミッチェル・レズニック(MIT メディアラボ教授)
エリック・シーゲル
(ニューヨーク科学博物館)
モデスト・テームズ (サンフランシスコ Exploratorium)
ヒレル・ワイントラウブ
(はこだて未来大学)
ジョッシュ・ムンテン(Capital Children's Museum)
4
場としての運動
筆者との関わりについても触れておこう。
1995 年2月、ベルギーのブラッセルで情報通信 G7 が開催された。当時の米ゴア副大統領、
EU サンテール委員長、日本からは大出郵政大臣・橋本通産大臣らが参加し、情報社会の未
来を語り合った。当時、郵政省に所属していた筆者も会場の隅に控えていた。
席上、民間代表として参加していた故・大川功 CSK 会長が急に発言した。「情報社会は子
どもたちが築く。子どもの声を聞くべきだ。」これが賛同を得て、同年の秋に東京でジュニ
アサミットが開催された。各国の子どもたちが集い、情報社会の行方や問題点を討議した。
そして第2回ジュニアサミットのホスト役を MIT メディアラボが引き受けることとなった。
その過程で、MIT Okawa センターの設立が決定した。教育や学習、音楽や映像、オモチャ
や遊びなど、デジタルと子どもに関する全ての領域を網羅する世界最大級の研究機関を作
ろうという構想だ。筆者は 98 年の第2回ジュニアサミット開催を機会に政府を辞し、MIT
に参加することとした。
しかしやはり問題は日本である。教育の IT 配備はもとより、創造性を育む環境作りに遅
れ、子どもの潜在力を活かす風土に欠けている。
そこで、2001 年4月、京都の南、けいはんな地区に、子どもセンター「CAMP」が設立さ
れた。MIT メディアラボをはじめ、インテルやレゴ、ナショナルジオグラフィック、各国の
子ども博物館などが協力し、CSK が運営している。
CAMP は、日本初のワークショップ専門センターというだけでなく、高品位な活動を続け
ているため、評価も高い。しかし、限界もある。民間企業が営利とは遠い活動を多面的に
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続けていくことが至難だという点である。
一方、こうした取組に対する需要は高まっている。総合的な学習の時間の導入を待たず
とも、IT を子どもたちに活用させようとする思いは、教育の現場や自治体・企業に募って
いる。CAMP のような活動を全国化させたい。CAMP 以外にも、各地でさまざまな取組がなさ
れている。熱い気持ちで活動をしている方々がたくさんいる。そのような思いを面的に交
流させたい。
だから、場が必要だ。公的な運動体を作ろう。呼びかけに応え、同様の考えを持ち、悩
み、動き出そうとしている人たちが自然に集まった。それが CANVAS を結成した。
そう、CANVAS は、場である。子どもたちが何かを創りだしていくための場。そのための
機会、技術、ノウハウを提供する。針路の定まらない時代、いったい何が問題なのか、そ
れを探り、それを自ら解いていく。楽しみながら、苦しみながら。一人で、みんなで。頭
の中で想像し、それを実現する。手で、足で。昔ながらの道具を使ったり、最先端のデジ
タル技術を駆使したりして。
そして CANVAS は、表現の場である。自分の考えをきちんと伝え、自分の気持ちを形にす
る。手段は、会話でもよい。文章でもよい。絵でもよい。歌声かもしれない。ジェスチャ
ーかもしれない。ウィンクや笑顔かもしれない。手紙でも電話でもよい。映画やテレビ。
パソコンやインターネット。ケータイ。ロボットやねんど細工で示すのがいいかもしれな
い。
一人ひとりにとって、ふさわしく心地よい表現やコミュニケーション手段がある。それ
を見つけて、きちんと表せるようにしたい。世界に向けてアイディア、考え、気持ち、作
品などを表現する環境を整えること。これも CANVAS の役割だ。
5
開発と普及
CANVAS が開発支援するワークショップは、冒頭に紹介したようなロボット作りや写真造
りのように、「創る」「見せる」ことを要件としている。さまざまな種類のワークショップ
が考えられる。
イメージ例を挙げてみよう。粘土でアニメをつくる「クレイメーション」。シナリオを作
る。キャラクターを描く。絵コンテを描く。粘土をこねて人形を作る。背景のセットを造
る。1 コマずつ撮影する。ナレーションと効果音を入れる。コンピューター画面で編集する。
実はこれは、米ワシントン DC の子ども博物館の活動を輸入して既に CAMP が実践してい
るものだ。アナログとデジタル、アートとテクノロジー、バーチャルとリアルのバランス
をとった優れた活動である。輸入モノとはいえ、アニメで鍛えた日本の子どもたちの手に
かかると、目を見張る作品を仕上げる。世界のみんなで、そのクリップを交換し、再編集
するというのはどうだ?
MIT は、ウェブサイトでお絵かきをすると作曲できるツールを開発している。オンライン
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でつながった各国の子どもたちが共同で作曲していく。そうすれば、音楽表現の構造が変
わるのではないか?
アイルランドの子ども博物館では、本作りワークショップを行っている。各国の子ども
たちが同じテーマで絵本を作り、オンラインで交換する。同じテーマなのに、どうしてス
トーリーや色合いが違うのか?それを話し合う。
しかし、より力を入れたいのは、日本ならではのオリジナル・ワークショップの開発で
ある。ゲームやアニメ。ケータイ、着メロ。お茶、お花。マンザイ作りもやってみたい。
どつき漫才のような叩くコミュニケーションを世界に見せたら、どんな反応があるだろう
か?
これらを全国に普及させていきたい。例えば、ワークショップ会場で学校関係者や自治
体職員などの研修を開いたり、ワークショップをネット中継したりして、関係者がノウハ
ウを共有する。小学校へのネット中継は早期に取り組む考えだ。ワークショップのパッケ
ージ化・教材化を進め、学校のプログラム等に組み込みやすいように図ることも課題だ。
大切なのは、世界との協調と情報発信である。ネットを駆使したバーチャルなコミュニ
ティづくりは特に重視する。ワークショップの成果(ノウハウ、作品等)は海外にもイン
ターネットで発信・提供し、その国際的な普及にも努めたい。
CANVAS のウェブサイトのトップページは、子どもたちがデザインしている。フューチャ
ーキッズ社の協力により、デザイン作りもワークショップで実施している。このような普
及啓発の活動も、いずれは子どもたちに運営していってもらいたい。
6
PPP
しかし一体ニッポンの表現やコミュニケーションというのは、どういう特徴があるのだ
ろう。今後どのような方向に進むのだろう。子どもの活動を推進するためには、それを裏
付ける学術的・政策的な検討も必要だ。CANVAS は、わが国の情報産業・文化・社会の特性
をとらえ、包括的な研究を行う。
当面、ポップカルチャーの分野に焦点をあてる。日本が競争力を持つ分野(マンガ・ア
ニメ・ゲームなど)、デジタル系の新しい表現分野(ケータイ、ウェブ、ロボットなど)等
に関して、産業構造、文化社会、制度、表現技法を内外の有識者とともに研究する。
ポップカルチャーは国際競争力のある産業として期待されるとともに、電子商取引や遠
隔教育をはじめ、ネット上のコンテンツを生み出していく土壌をなす。さらに、国のブラ
ンド価値をも左右する。低迷する現状を打破するカギを握るかもしれない。
世界にとって、日本とは。ハラキリ・カミカゼ、すなわち闘う国というイメージは、ト
ヨタ・ホンダ・ソニー、すなわち闘う企業というイメージに変わった。富国強兵で一世紀
を貫いた国のかたちである。そして失われた十年たる 90 年代、経済の元気もなくなって、
日本は軸が揺らいでいる。
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だが、いま世界の子どもたちに、日本とは何かを聞いてみればよい。きっと答えは、ポ
ケモン、ドラゴンボールZ、セーラームーン、スーパーマリオブラザーズ、アイボ。そし
て、彼ら彼女たちは、日本のことをカッコいいと思っている。将来の歴史書には、失われ
た十年は、日本がはじめて世界にカッコいいと思われ始めた十年と刻まれているかもしれ
ない。
日本は、国際的な立ち居振る舞いが下手と言われる。コミュニケーションが不得手とさ
れている。自分を自分の方法で表現し、相手に理解してもらうことが苦手とされている。
一方、日本には、豊かな歴史文化がある。ものづくりに対するこだわりがある。営々と
養ってきた審美眼がある。ケータイでのメールのように、日本独特の発達をみせるコミュ
ニケーションもある。
ピア・トゥ・ピア時代にどんな情報を創造し、どう発信していくのか。映像で考えて、
映像で表現する時代をどうリードしていくのか。特にウェブやモバイルでの新しいコンテ
ンツをどう開拓していくのか。
それはきっと、ポップカルチャーを取り巻く産業、文化、社会の背景がカギを握ってい
る。次世代の情報社会を切り開くには、マンガやロボットペットや自販機やラブホに囲ま
れたこの不思議な環境をまずきちんと見つめることが必要である。
このため CANVAS は、スタンフォード日本センターと連携し、「ポップカルチャー政策プ
ロジェクト」(略称:PPP)を発足させた。研究者、アーチスト、オタク、エンタテイメン
ト業界、政府など、この分野で日本を代表する方々が集い、議論を行っている。国際共同
研究に発展させていく考えだ。
http://www.ppp.am
7
デジタルの千年を拓く世代
地球は小さくなったという。輸送技術や通信技術のおかげである。人もモノも情報も、
めまぐるしいスピードで行き来し、20 世紀は、科学が進化を押し進めた百年であった。
しかし、21 世紀は、それをあざ笑うかのようなテロで幕を開けた。2001 年9月 11 日、
科学が積み上げた高層ビルが、科学の粋である旅客機によって崩された。世界が多元的で
あることを改めて認識させるできごとだった。地上には、いろんな人がいる。いろんな暮
らしがある。いろんな考え方がある。
世界が多元であることは、サッカーのワールドカップでも示された。決勝はブラジルと
ドイツ。3位はトルコで4位は韓国。世界最大のイベントに熱中する人々は、この世はア
メリカだけではない、さまざまな国から成り立っていることにも思いをいたした。そのホ
スト役は日本と韓国。アジアが多元的な世界のプラットフォームになり得ることも示した。
いま現出しているグローバルな世の中は、これまでの国際社会とは性格が違う。デジタ
ルでつながっている、という点だ。ネットワークで連結されれば、お互いのことがより深
く理解されるようになる。これまでにない表現や、豊かなコミュニケーションが行き交う
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ことになる。
もちろん、つながって、わかりあえば、平和が訪れる、という保証はない。わかりあっ
てこそ始まる対立もあろう。しかし、地上の人々が、新しい見方、感じ方、考え方をしは
じめることは間違いない。戦争と競争の 20 世紀を経て、バーチャルなフロンティアを獲得
した人類は、そこでの対立や協調をいかに次のエネルギーに変えていくのか。
アナログの千年からデジタルの千年への転換期。デジタルの社会では、新しい作法やル
ール、新しい権利や義務が求められよう。デジタルの空間では、映像や造形による新しい
表現が生まれてくるだろう。人の表現や認識のあり方を塗り替えていくだろう。おそらく
それは、数世代かけてできあがっていくものだろう。
多元的で新しい社会を築き、新しい表現を拓くのは、子どもたち以降の世代だ。生まれ
ながらネットを駆使し、生まれながらバーチャルに表現し、生まれながらデジタルに暮ら
す世代が担う。その環境を整えたい。場と技術を与えたい。そして、彼らを信頼したい。
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②子どもたちがコンテンツを生む日経ネット時評 2002.12.10)中村伊知哉
さきごろ岡山で全国マルチメディア祭が開催された。毎年持ち回りの国体方式で、今年
で 15 回を数える。セミナーや展示会場は老若男女で熱気に満ち、金・土・日の3日間で 12
万人の来場があったという。12 万人?
知事も市長も財界や官界の関係者もこぞって顔を
見せたとはいえ、この不況にこのにぎわいはどうしたわけか。
IT本番で地域の試みも根づく
15 年前、1回目のイベントは湯布院だった。当時はニューメディア祭と呼ばれていた。
その頃から関わっている者は少なくなったが、名称をニューメディアからマルチメディア
に改め、そしてインターネットが普及して、IT はやっと本番を迎えた。ローカルの取り組
みがようやくしっかりした足音をたてるようになった。会場の熱気は、その証だろう。
同じ会場で、小学生向けの二つのワークショップが開催された。一つは、カメラワーク
ショップ。デジカメで自分を表現するものだ。写すとは何か?表すとは何か?それをブロ
ードバンドで世界に発信するとはどういうことか?
初めてシャッターを切る子どもたちが、自分なりの表現方法を探り、発表する。紅葉の
赤や空の青に惹かれる子。噴水の躍動感を切り取ろうとする子。会場に飾られた F1 カーや
コンパニオンのお姉さまを接写する子。大胆で美しいみごとな作品を次々に生んでいく。
映像で考えて、映像で表す。作品を見せ合い、互いを発見する。一人ひとりがコンテン
ツの生産者となる P2P 社会は、この世代が引っ張っていく。このワークショップは、アッ
トネットホーム社がキヤノンの協賛を得て実施した。
http://www.broadspirits.net/canvas/
もう一つのワークショップは、ロボット作りである。MIT で開発したマッチ箱サイズのコ
ンピューターに、モーターやセンサーなどを装着し、さらにスポンジやタワシや松ぼっく
りといった身の回りのものをくっつけて、自分だけの「虫」を作るというものだ。
心臓部のコンピューターには、子どもが自分でプログラミングして、どのように動き、
どんな音や光を発するかといった指令を与える。頭を回転させる虫。ガタガタと地面を走
る虫。ふしぎな鳴き声をあげる虫。暗がりで怪しく光る虫。
四角四面だったコンピューターは、生き物に姿を変えている。ロボットやペットやおも
ちゃや虫に変身して、わたしたちのともだちになろうとしている。身の回りに溶け込んで、
ユビキタスな空間を創る。スクリーンから立体の造形へ。そうした姿かたちそのものが、
ユビキタス時代のコンテンツだ。このワークショップは、CSK が京都で運営する子どもセン
ター「CAMP」が実施した。
http://www.camp-k.com/
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子どもの創造力を引き出す狙いのNPO活動
これら P2P 系とユビキタス系の二つのワークショップを主催したのは、CANVAS という名
の NPO だ。子どもの創造力や表現力を高めるための活動を推進している。政府やマルチメ
ディア振興センターの支援のもと、ブロードバンド時代のコンテンツを生んでいく土壌を
整えていくことを目的としている。
内外の科学館や教育工学系の研究者、アーティストや自治体、企業らが集うプラットフ
ォームとして活動を開始したところだ。川原正人 NHK 名誉顧問が理事長を務め、東京大学
情報学環の山内祐平助教授と私が副理事長を務めている。総合的学習の時間が学校に導入
されたことをはじめ、IT と子どものかかわりを模索する動きが広がる中、注目を集めてい
る。
http://www.canvas.ws
地域のみんながコンテンツを生む
岡山でのイベントの後、日経デジタルコアの「e-Japan 戦略と地域の情報化」に関する討
論会が三重県の津市で開催された。三重、岐阜、福岡、岡山など各地の IT 先進自治体の担
当者も参加し、情報化の行方について、夜通し熱く語り合った。
インターネットが普及して、各地で地に足のついた実態が沸き上がり、いよいよ悩みも
深まってきた。CANVAS とはテーマが異なるが、地域からどのようにコンテンツを発信して
いくか、課題は共通している。
その足で、函館に向かった。公立はこだて未来大学、東京大学、甲南女子大学、ソニー、
ベネッセ、CSK、MIT など CANVAS 関係者が集い、IT 系ワークショップの企画をめぐって、
ここでも夜を徹して語り合った。
インフラの整備は進んでも、コンテンツをどうする。ずっと以前からそんな指摘が繰り
返されている。だが、気がついた。コンテンツは、地域が、みんなが生む。次を担う世代
が生んでいく。そのための環境を整えていきたい。…みんなの気持ちが熱くなっている、
そう感じるツアーだった。
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③デジタル世代の創造力と教育改革 (GLOCOM 2002.12.2)中村伊知哉
ネットで育てる次世代の表現力
山内
本日は、京都のスタンフォード日本センター研究所長に着任された中村伊知哉先
生をお招きして、情報社会と教育についてお話をうかがいます。まず、はじめに先生の近
況と、日本センターのプロジェクトについてご紹介ください。
中村
去年 9 月 11 日のとき、私はニューヨークにいたんです。ボストンからニューヨー
クに入る用事があって、その橋のところで「ここから先は行けない」と言われて、何だろ
うと思ってボストンに戻りました。ボストンでテレビを見てみたら、あの事件で、近所は
大騒ぎでした。それで日本の人たちに聞くと、みんなリアルタイムで見たというわけです
よ。アメリカの東海岸では朝の通勤時ですし、西海岸は寝ている時間ですから、リアルタ
イムで映像で見ていた人はほとんどいないと思います。
「ああいう事件のリアルタイム性は、
その場所とは全然離れてデジタルでつながっているな」と、そのときすごく実感したので
すが、同時に、そうやってデジタルで世界中がつながって地球が狭くなったといっても、
つながってわかり合うと争いごとが減るかというと、ひょっとすると逆かもしれない。わ
かり合って、違いがはっきりしないと戦争なんて起こらないですからね。そうしたら、そ
れをどう解決すればいいのかというのをずっと考えてはいるんですけれど……。
私が役所を出て MIT(マサチューセッツ工科大学)に渡ったのがほぼ 4 年前です。MIT に
行ったのは、MIT のメディアラボという研究機関がメディアと子どもに関する研究所を作り
たいというので、そのコーディネートのために行ったのですが、結局まだできていなくて
……。そこでの考え方というのは、ツールや技術は大人が提供するけれども、それをどう
使って新しい社会を作っていくのか、どういうふうに自分を表現して相手を理解するのか
というのはデジタルの世代の役割だというスタンスに立っていて、要するに、インフラや
技術のところは大人が準備する、場は準備するとしても、コンテンツは子どもたちが作る
という考え方に基づいて活動しましょうということです。面白いと思って、それをやりた
いと思って行きました。当時、アメリカでインターネットがすごく爆発していたころで、
ネットバブルがどんどん膨れ上がっていって潰れて、というのを目の当たりにしたのです
が、そうした過程でインターネットの質というのがちょっと変わってきたかなと。私が行
ったころ、まだインターネットは情報ハイウェイと言われていて、ハイウェイって道です。
道というのは誰かが作ったものを運ぶもの、誰かが作ったコンテンツを運搬するものです。
だけど、いまインターネットに入ってきている人たちの見方は多分そうではなくて、場と
いうか広場というか。最初インターネットは教会だったかもしれない、誰かお偉い方のあ
りがたい話を聞く所だったかもしれないけど、いまはみんなが店を出す所になってきてい
る。
- 469 -
山内
なるほど。
中村
ネットの本質はそれだろうと。自分のものを、お金かもしれないし、アイデアか
も、刺激かもしれないし、そういうものを持ち寄って交換して共有して、そこで新しい価
値を生んでいくべきもので、やっとそういう状況に来たかなと思っています。それを生か
したいということもあって、子どもの活動というのを始めています。その子どもの活動の
中身をちょっとだけ説明しますと、いま MIT のメディアラボで作っているようなテクノロ
ジーを使って、京都の南のけいはんな学研都市に「CAMP」という名前の子どものセンター
を作りました。その子どものセンターは日本で初めてワークショップを専門にやるところ
で、そのワークショップというのは、子どもが自分で物を作って、世界に向けて表現する
という活動です。たとえば、僕だけの、私だけのロボットを作りましょう。ロボットに自
分でプログラミングして、いろいろ素材を組み合わせて、自分だけの生き物を作るという
ような活動です。それから、粘土でアニメーションを作りましょう。粘土をこねてアニメ
ーションを使って、それをブロードバンドで世界に発信するというコンテンツを作ってみ
ましょうといった活動です。この前は即興音楽ワークショップというのをやりました。自
分で楽器を作って、自分で音を作って、自分で演奏して、みんなに聞かせるという、これ
をトランペッターの近藤等則さんにやってもらったのですが……。技術は MIT やその他国
内の大学とか、協力してくれる人が出してくれるし、各国の子ども博物館の活動を持って
きて、それを紹介するというのをやったりしています。
ただ、それだけだとつまらないので、これからは日本独自のワークショップ、日本の表
現というのをやっていきたいと思っています。たとえばマンガ作りワークショップ、アニ
メ作りワークショップ、お茶でもお花でも何でもいいんです。私は漫才ワークショップを
やりたいと思っていて、吉本興業にやりませんかという話をしに行っているのですが、ど
つき漫才みたいなのをやりたい。
山内
ハッハッハッ。
中村
このやろ、何やっとんや、バーン! みたいに、叩いてコミュニケーションをとる
コミュニケーションのやり方って、多分日本だけだろうと。それを子どもに作らせたい。
日本語でいいから世界に発信する。それを各国の子が見て、「そんなコミュニケーションは
ない。何だ、それは」と言われたら、「じゃあ、君たちはどういうコミュニケーションを持
っているんだ」と話をする。もう少しわかりやすいのは、本を作るワークショップです。
たとえば平和とかお母さんとか、何でもいいから同じテーマで子どもたちにアナログで本
を作らせて、デジタルにしてブロードバンドに載せると、多分、同じテーマでも全然スト
- 470 -
ーリーが違ったり、色合いが違ったりしてきますよね。何で違うのかを子どもたちに議論
させるというワークショップをやりたいと思っています。そういうのをやりだしたのはい
いのですが、結局、点で、その場所だけで止まってしまう。日本でも各地でそういう活動
をいろいろやっている方々がいて、IT と、学習とか教育とか表現というのを組み合わせた
いと思っておられる先生方がたくさんおられるので、そういう場所をつないでいって、情
報を共有して、みんなでできるようにできないかなというための NPO をいま作っています。
その NPO が「CANVAS」という名前で、まだ申請中なので認められるのは年末になると思
いますが、副理事長が私と東大情報学環の山内祐平助教授、理事長は昔 NHK の会長をされ
ていた川原正人氏です。これは、政府の e-Japan 戦略を推進する一施策としても位置づけ
てもらっていて、e-Japan にもコンテンツを増やしていくという題目がありますが、これか
らのブロードバンド社会というかピア・ツー・ピアの時代は、ハリウッド型の、プロがお
金をかけて作るコンテンツを増やしていくという政策ではないのではないか。一人ひとり
の表現力とか創造力とか、日本だと 1 億人がどう考え、どう表現するかの底上げ策が必要
なのではないか。では、その活動をやっていきましょうということです。従来のコンテン
ツ政策とか文化政策とはちょっと違ったアプローチかもしれませんが、そういうふうにや
っていきましょうという運動というか、活動の一つとして始めようとしているものです。
これが子ども関連で、いま始めているものです。
山内
ということは、けいはんなに「CAMP」という場所が実際にあって、子どもたちが
デジタル・コンテンツを作っているわけですか。
中村
はい。CAMP は去年の 4 月にオープンしましたので、それから 1 年くらいそういう
活動をやってきています。ここだけではないだろうと、いろいろ調べてみると、各地にい
ろいろな活動をやっている方がおられて、仙台でも、東京でも、どこかの山奥でもやって
いる。ですから、みんなでそのやり方などを持ち寄って、そのあとは小学校や中学校で普
通にやってもらうような、何という授業にしたらいいのか――いまは総合的な学習の時間
ということでやっていますが――デジタル表現とか、国語・算数・社会デジタルみたいな、
そんな感じになっていくと面白いかなと。
「格好いい」日本の文化
山内
GLOCOM の活動の中にも教育関連のものがありまして、日米教育委員会フルブライ
ト記念基金から委託をいただいて、日・米の教員の交流をインターネットの共同授業で支
援するというプロジェクトを 3 年間続けています。フルブライト記念基金では毎年 600 人、
米国の先生方が日本の学校を訪問する、という活動を主催していますが、この中から情報
- 471 -
通信技術の利用に力を入れている学校を選んで共同学習を行う。たとえば環境教育ですが、
アイオワ州の先生が四日市の学校に来て、付近の川で水生昆虫と環境汚染の関係について
野外で実験をする。実際に資料を採って見せて、トビゲラがいたら川の汚染度はこのぐら
いだという話をする。アメリカの学校でも同じ実験をしていて、インターネットを使った
共同授業で、お互いに学校の周りの環境問題を議論するというようなことです。総合学習
の一環として、日本の先生方の取り組みも本格的になっています。
中村
どの自治体も今すごくこういうのに関心を持っていて、ハコものはいろいろ作っ
たのだけれど中身がなくて、IT だとか教育だとか、みんな一緒になって、そこをつなげた
いという需要がたくさんあります。今度 11 月に岡山でマルチメディア祭があって、CANVAS
としてもそこで二つくらいワークショップを出して、そこに知事さんや自治体のみなさん
が見に来るというので、見てもらって、自治体としてこういう分野でどう取り組めばいい
のかということをやりましょうというのが始まっています。この活動は、私としては MIT
でもスタンフォードでもなくて、そのすべてというか、やりたくてやっているのですが…
…。ここからちょっと派生してというか、随分はずれているのですが、ポップカルチャー
の研究会というのをやることになったんです。これはスタンフォード日本センターに絡ん
でいるということかもしれないんですけれども……。一人ひとりが表現を作っていくとい
うときのバックボーンというか、文化的な土壌というか、そういうのをちょっと考えてみ
ませんかという研究会を始めることになりました。よく 90 年代を失われた 10 年と呼んだ
りしますけれど、どうもそれに違和感があります。ちょっと上の世代のアメリカ人に日本
ってどういうイメージだと聞くと、ゲイシャとかハラキリとかカミカゼとか、戦争イメー
ジですね。僕らの世代になってくると、トヨタとかホンダとかソニーというイメージにな
って、競争ですかね。でも、子どもたちに聞くと、全然イメージが違う。アメリカ人の子
どもたち、ヨーロッパ人もそうですけれども、
「日本って知っているか」と聞くと、まずポ
ケモンが出てきて、セーラームーンが出てきて、ドラゴンボール Z が出てきて、スーパー
マリオが出てきて、アイボが出てきて、日本というのは戦争でも競争でもなくて格好いい、
「cool country」だと言うんです。多分、100 年経って 90 年代は何だったかというと、失
われた 10 年ではないんじゃないか。日本が初めて格好いいと世界に思われ始めた 10 年、
そのほうが多分、本質的な動きなのではないか。ではそういう日本の強みというか、いわ
ゆるマンガとかゲームとかいっているような、そういう表現文化って何だと。いろいろ調
べようとしたのですけれど、ちゃんと全部を見て研究しているというのはない。というこ
とで、1 回ちょっと集まってみないかと。いまこれをぼちぼち 10 月から本格化しようと思
っているんですけれども、結局オタクに集まってもらってやり合ってもらわないとわから
ない世界だということがだんだんわかってきて、web の上で人を集めてやろうかと……。
山内
なるほど(笑)
。
- 472 -
中村
マンガとかアニメとかゲームとか、そこに特化するつもりは全然なくて、という
かそれはもう終わった世界で、興味があるのはこれからのコンテンツ、たとえばみんなが
表現し始めるときの web とか、携帯とか、これからのデジタル表現というのは、これまで
の経済、文化、社会の歴史みたいのを土壌にして日本はどう出てくるのか、どこに強みが
あるのかとか、いまコンテンツの分野はハリウッドにやられていると言いますけれど、み
んながブロードバンドになったときに、まだハリウッドなのか。どこが強いのだろうか。
日本のそういう表現が強いのか、人数の多い中国が強いのか、どうなんだろう、みたいな
ことをやりたい。
とりあえず、しばらくそれをやってみて、そこから、じゃあ、いま子どもたちはどうい
う活動をしたらいいんだろうかとか、そういうふうにつながればいいなと思っているんで
すけれど……。来年度になると国際研究をやりたいと思っているんです。スタンフォード
の人たちとも話をしているんですが、こういう研究をやりたいとスタンフォードに持って
いくと、すぐ、じゃあ日本研究をしている人たちに出てきてもらってとなるけれど、それ
はやめて欲しい。日本研究だったら日本のオタクのほうが結局強いから、アメリカのこと
をよく研究している人、たとえばハリウッドの専門家とかジャズの専門家とかに出てきて
もらって、アメリカはこうだ、日本はこうだと、ちょっと戦わないか、ののしりあいをし
たい。フランスならフランスでガチガチの芸術主義者に出てきてもらって、ちょっと「そ
んなんポップちゃうわ」というか、そういうのをやりたいと思っているんです。
不思議なコミュニケーションの能力
中村
コンテンツに限らず、日本にはおもしろいポップなコミュニケーションや表現の
形態がありますよね。携帯でパパッとメールを打ってコミュニケーションをとっているよ
うな、あれって、これまでの速度からすると何か変なコミュニケーションのあり方だとは
思うのですが、ひょっとするとこれからのインターナショナルな、とても大事な能力かも
しれない。そんなことやっているのは、とりあえずいまのところ日本の彼ら彼女たちだけ
だから。それをどう生かせばいいのか。生かし方がわからない。変なやつらと思うのです
が……。デートをして、電車がなくなったらマンガ喫茶店とかに行って、静かに二人別々
のマンガを読んで、しかも携帯でメール打ちながら二人でしゃべっているみたいな、変な
コミュニケーション、それをどう生かせるものか、ちょっと考えているんです。それで、
子どもたちに何かやらせようというのとか、ポップカルチャーのどこかにそんな秘訣があ
るのじゃないかとやっています。
山内
それは経済活動として、そういう能力が生きるのですか?
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つまり、産業化の現
在の局面としての情報産業化で生きる能力なのでしょうか、それとも彼らはポスト産業化
という段階に入っているのでしょうか?
中村
どのへんかというとよくわからないのですが、メディアの世界が変わっていって、
みんなが映像で表現ができるようなツールを手に街をぶらつくようになるころの、これか
らの新しいコミュニケーション、新しい表現は多分その世代、日本の彼らが引っ張ってい
くんじゃないかなと。それが世界的にどのくらい広まっていくかというのは、1 世代、2 世
代はかかると思うんですけれど。そういうパソコンのインターネット型の、文字の、とい
うのとはちょっと違う、もっと他の表現の仕方とかコミュニケーションのあり方とかがあ
るような気がします。
山内
そのような社会の在り方は、もうある程度見えているのでしょうか?
中村
私はある程度見えてきているかなと。
山内
それをもう少しお話しください。
中村
具体的な例ですが、粘土でアニメーションを作る。もともとはワシントン D.C.の
子ども博物館でやった活動で、なかなか楽しくてかわいい、いい作品をアメリカの子ども
たちが作る。それで、日本にも持ち込んで CAMP でやってもらったんです。15 人集まって、
3 日かけてアニメを作ったのですが、まずストーリーを決めなさいと。「できました」と、
15 人の子どもたちが持ってきた。それが何かと言えば、
「オカマのどろぼうが女装をしてい
て、プールに落ちて変装がばれてつかまる話」。「おまえたちが作った作品を世界に見せる
んだから、それでいいのか」と言ったら、「いい」と言うんです。
山内
いくつぐらいの子どもたちですか?
中村
小学生と中学生です。それを 3 チームに分けて、ストーリーを書きなさいと言っ
たら、ストーリーをパパッと書いちゃう。今度は、それをコマ割りにして、絵コンテを描
けと言ったら、ササッとたちどころに描いちゃうわけです。4 コマとか 8 コマとか、こうい
う場面で、こう展開して、人物がこう入って、ここはアップでバーンというシーンだとか。
すごいなって。初めてやっても、多分よその国でやる子どもたちに比べてめちゃめちゃう
まい、日々見たり描いたりしているから。それで、粘土をこねて、キャラを作って、作品
を作って……とやったんですけれども、結構そういう土壌はあって、表現力はある。だけ
ど、これまでちゃんとした表現手段を持ってなかったし、そういう手法で考えてもこなか
った。やりだしたら、いろいろ生むだろうなという感じがします。多分それをもう少しや
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ってみたら、上手下手の問題ではなくて、各国の子どもたちが違うということが際立って
くると思うんです。それでいいんじゃないかという気もします。
山内
それは、うまくストーリーどおりのアニメになりましたか?
中村
いや、なかなか。3 日べったりかけて 1 分の作品が出来上がるんです。そううまく
はいかなかったが、結構面白い。
山内
ちゃんとプールに落ちましたか?
中村
落ちてた。入れ歯とか、かつらがプールに浮かんでくる。そんなところばかり凝
るんです(笑)。
山内
そういうことが好きな子どもが、たまたまその中に一人いた、というわけではな
いのですか。
中村
みんな、そういうことが好きでしたね。
山内
それは、関西にある小学校から任意に選んだ子どもたちですか?
中村
web で募集するのですが、すぐに集まりました。たまたま CAMP が置かれている地
域がけいはんな学研都市で、あそこにはいろいろな企業の研究所などがあって、親御さん
がすごく熱心なわけですね。その点で、人集めにはあまり苦労しません。
山内
情報化のいっそう進んだ社会について、どのようなイメージをお持ちなのか、も
う少しおうかがいしたいのですが、たとえばインタフェースはどうなるのでしょうか。今
のようなキーボードとかパッドみたいなものですか。それともバイオ技術と融合して、大
脳と直接接続する、などという方向に進むのでしょうか。
中村
インタフェースは千差万別でしょうね。いまみたいな形の四角四面のコンピュー
タもかなり残るとは思いますが、現にいまコンピュータは形を変えている。それこそ私が
やっているメディアラボの基本的テーマですけれど、ウェアラブル・コンピュータという
方向で、もっとバラバラにして身に付けましょうと。それには、コンピュータの進化の方
向を一から変えなくてはいけない。
モバイルとウェアラブルの違いというのは、モバイルは使いたいときにネットにアクセ
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スする、いつでもつなぐことができる。ウェアラブルは、ゴーグルというか眼鏡を通して、
バーチャル空間もリアル空間もずっと見ているという世界ですから、いつでもつながるで
はなくて、いつもつながっている。常時 24 時間、寝ているときも起きているときも、ネッ
ト空間とアクセスしているという状態です。そうすると、ずっといつもつながっていてく
れるバーチャル――それはコンピュータでもあり、ネットワークの世界でもあるんですけ
れども――それにかなり自分のことを知ってもらわなければならない。自分自身のデータ
ベースもどこかになければいけないし、次こういう活動に出るぞというときに、いまこう
思っているというのを理解してもらわなくてはいけないので、人工知能というか、知識を
どこまで組み込むかというのが勝負です。そこがずっとうまくいかなくて、インタフェー
スのところだけはずっと改良が進んでいて、大変メディアラボも苦労しているんですけれ
ど……。ただ、インタフェースというかコンピュータ自身の形は産業レベルでいま大変進
んでいて、多分いま一番進んでいるのは日本でしょう。ロボットペットとかああいう世界
で、「アイボ」は高級品ですが、セガトイズの出した「プーチ」にしてもちゃんとしたコン
ピュータのチップを積んでいて、タイガー社の「ファービー」もただ単にちょっとおしゃ
べりをするぬいぐるみですけれども、それでも積んでいるチップの性能は月面着陸したア
ポロが積んでいた全コンピュータより高性能なものですから、もうコンピュータが生き物
の形をとって、人間と一緒に生きる、フレンドリーになって形を変えて出てきたというこ
とだと思うんですね。そういうふうにすべてのものが、服であろうとロボットであろうと
ペットであろうと、机であろうと車であろうと、全部デジタル化されて全部が常時つなが
っている状態になるでしょうから、そういうデジタルなものと人とのつき合い方がかなり
変わるでしょうね。
山内
アメリカ人は、そういうときに人間の体に改造を加えることに反感があります
か?
臓器移植については、日本よりも進んでいるという印象があります。たとえば視覚
障害者のために、視覚野に電極を埋め込んで CCD(Charge Coupled Device)と結びつけて
しまう、といった実験もありましたが‥‥。
中村
あの国は便利で機能的で合理的であればやってしまうというところがありますか
ら、それはあるかもしれないですね。だから、便利、機能主義というか近代テーゼで生ん
だコンピュータみたいなものがその線でずっと行くとすれば、そういうことは十分に考え
られるとは思うのですが、日本はちょっと違うのかもしれない。そういう、スピードが速
くて太くて便利で、というだけの価値観ではないところが、特に今の若い人たちにはある。
それよりもかわいいとか格好いいとか、そっちをいま大事にしてきている。面白いから使
うとか、便利だから使うのではないような、そうでないと説明がつかない変な使い方をし
ているのが結構あります。
- 476 -
山内
たとえば?
中村
携帯で彼らがやっている、不思議なコミュニケーションのあり方なんていうのは、
便利だからやっているわけでもないし、それから携帯にジャラジャラいろいろなものをい
っぱいくっつけているんですが……。便利で合理的だとか、面白いとかいうのではなくて、
何か違う。コミュニケーションをするようなコンピュータロボットが日本ですごく流行る
というのもそうだと思うのですが、そういうのとコミュニケーションとりたいとか、かわ
いいとか、ムダなものと言うか。コンピュータが形を変えてもっと人間のほうに近寄ろう
という、そんな姿は日本のほうが早いのかもしれないですね。
メディアラボ・モデルとプラットフォーム・モデル
山内
MIT のウェアラブル・コンピュータの話をしていただいて、私はインタフェースの
面から特徴づけようとしましたが、中村先生は人間とコラボレーションを行うためのイン
テリジェンスの部分が重要だとおっしゃっています。それでは、MIT では何が面白かったの
か、メディアラボのご経験の中で、これが一番発展しそうだ、といったお話を少しお願い
できますか?
中村
メディアラボでいうと、そういうテクノロジーとか技術開発の方向とかで、実は
「すごい」ってそんなに思わなかったんです。勉強になるなというか、これは持ち込んだ
らいいなと思ったのは、やはり産学連携のあり方ですね。メディアラボは MIT の中でもち
ょっと特殊で、完全にラボとして自立しているんです。
山内
それはやはりニコラス・ネグロポンテ所長の個性?
中村
うん。集金能力、ビジネスモデルの立て方です。メディアラボの話をすると、30
人の教授グループがあって、1 教授あたり 6 人くらいの弟子をとっています。弟子は、
graduate の学生たちで修士、博士課程です。小企業が 30 くらい集まって一つのラボになっ
ているという感じです。学生は全部学費タダで、逆に月給 20 万円くらいをもらえる。そう
いうお金は、教授のお金も学生のそういうのも全部、年間スポンサー料で賄う。スポンサ
ーが全部で 150 社くらいあって、1 社あたりだいたい年間 2,000 万円くらいずつを出してい
ます。150 社の半分がアメリカの企業で、残り 50%の半分がヨーロッパで、半分がアジア
です。最初は日本企業も非常に多かったのですが、だんだん減ってきました。
だいたいそれで成り立ってきているのですが、スポンサーにとってのメリットは、一つ
は知的財産です。スポンサー期間にできた知的財産というのは、その後ずっとタダで使え
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ます。知的財産プールに、みんなでどんぶりでお金を出しているという感じです。それが
ベネフィットだということでお金を集めているのですが、多分そこにそんなに魅力を感じ
ているスポンサーはいないんです。第二のメリットは、その教授や学生たちをガンガン使
いこなせる、使い回せるというんですか。使うのが上手な企業は、使うんです。アメリカ
の企業のインテル、モトローラ、IBM、そういったところは、自分たちの研究テーマでうま
くいかないなというのを持ち込んで、ぶつけてブレーンストーミングしたりして、これは
と思った学生を連れて帰って、ガンガン頭の中を使って出して、出たら、ハイさよならっ
て、使うんですよ。日本企業はそこに遠慮があってかうまく使えていないんじゃないか。
それが第二のメリットです。第三の、私が最大のメリットだと思うのが、その企業のコミ
ュニティ、150 社のコミュニティをうまく作り上げたというところで、資産というか、MIT
メディアラボの競争力です。15 年経ってもまだうまくいっているのはそこにあって、年に
2 回、春と秋に大きな会議をやって、スポンサー代表が集まるんです。そこで何か生まれる。
スポンサー同士で何か。
山内
異業種交流みたいなものですか?
中村
はい、そうです。同業種交流でもあるし、異業種交流でもある。デジタルに関心
のある主だったところがだいたい集まってくるじゃないですか。同業の、たとえば研究所
のヘッドが集まる機会ってそんなにないでしょうが、そこだったら集まって普通に話をす
るわけです。ごはんを食べながら、パーティしながら。そこで、これまで口ではああ言っ
ていたけれど、本当は彼らここに関心があったんだというようなことが見えてきたりする
し、あるいは全然違う業種でこことあそこをくっつけて、こういうビジネスをというよう
なことが生まれたりする。私が直接かかわった例でいうと、セガの代表が「ネットワーク
でのゲームを考えたい。世界各国のゲーマーをつないでゲームをやらせるのをどうしたら
いいか。いい知恵はないか」ということを、パーティの時に言ったんです。そうしたらネ
グロポンテが、「あっちのスウォッチを呼んでこよう」と。スウォッチはスウォッチで、世
界で共通の時刻設定みたいのをやろうとしていて、ネットの上でそれぞれの国で時刻が違
っていても不便でしようがないので、ネットの上でパッと共通の時刻設定をして……。
山内
どこかにタイムサーバを置いて、そこで同期しようという……。
中村
そうです。そういうことをやろうとしていて、「じゃあ、そういうのを組み込んで
ゲームを展開したらこうなる」とか、逆にセガがスウォッチに対して「こういうのをスウ
ォッチの時計の中に組み込んで、その時計をどこかにかざしたら、こういうふうに動くと
いうのをやってみたらどうか」とか、話がそこでまとまって、すぐ記者会見。そこで MIT
は前面に出ない。セガとスウォッチで記者会見をして、両社の株がポンと上がって、その
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へんのメリットです。それでスポンサーとしては十分、元が取れている。そんなやり方が
あって、そういう場をどうやって作るかが非常に大事になってくる。
山内
なるほどね。スタンフォード日本センターの今井賢一先生は、第三者間の結びつ
きを作り出す場を提供するビジネスとして、「プラットフォーム・ビジネス」を提唱されま
した。インターネットというのは、グループ形成という点からプラットフォーム・ビジネ
スに適していて、中村先生が最初におっしゃったように、インターネットは、実はスーパ
ー・ハイウェイではなくてパブリック・プレースだった。それをバーチャルにやっている
のがネグロポンテ所長だ、ということになりますか?
中村
そうです。そのコミュニティのメンテというのが、とても大変で、かなりエネル
ギーを注いでいて……。
山内
それはシリコンバレー・モデルとも重なりますね。つまりシリコンバレーという
自動車で 1 時間の範囲があって、そこにエンジェルがいて、技術者と起業家を結びつけて
いく、というのが青木昌彦先生のお話でしたが。
中村
そうですね、リージョンとしてつくった。それが成功したのがシリコンバレーだ
と思いますね。メディアラボのやってきたのも一つの例だと思いますし、いろいろなタイ
プのそういう場ができてくると思いますが、それがインターネットを通じてアクセラレー
トされるのか。そうでなければ、もうこれからは成り立たないでしょうね。そういうのを
やっていくうえで、日本はとてもいいポジションにいるだろうと思います。
山内
日本がいいポジションにあるとすれば、どのような点からでしょうか?
中村
たとえば、じゃあ世界の子どもたちをどうこうしましょう、つないでいきましょ
うよということをアメリカから発信しても、あまり説得力がなかったりするんですね。い
まそれを中東に言ってみても……。しようがないですよね、アメリカが自分のやっている
ことを振り返ってみれば。
山内
「次は爆弾か」ってものですね。
中村
だからそういう意味で、日本から発信したほうが、グローバルに巻き込んでいく
ときやりやすい面があっていいんじゃないかと思って見ているのですが。
山内
いまのお話のメディアラボ・モデルは、京都の日本センターでも実践されますか?
- 479 -
中村
うーん、メディアラボのモデルというのは結局、お金をどんと集めてというのが
ついてきますから、そういうことをやってラボ型にやっていこうという感じはいまのとこ
ろないです。
山内
スタンフォードというのは、お金は集めてこなくていいんですか?
中村
集めてくる必要はあるのですが、それ以上に何ていうか、プレーヤがちゃんと外
にたくさんいて、それをつなぐというのをやっていきたいと考えています。それをこっち
へ集めて抱え込んで、そこの場でどうのという感じではないです。
進化しはじめた教育の手法
山内
スタンフォード日本センターの今後の研究領域をどのようにお考えですか?
中村
いまはアントレプレナーシップの研究をスタンフォード大学とかアジア諸国と共
同して始めていて、これがメインですから、しばらくやっていきます。その後、ポップカ
ルチャーの研究もそうですし、子どもの活動もそうですし、遠隔教育のようなもの、スタ
ンフォード大学の資産みたいなものをどう使うかということで、向こうのものをこっちに
紹介するというのもあります。そういうのを1個1個組み立てていくのですが、バックボ
ーンとしてのスタンフォード大学というものがありますから、あそこはやっていることが
広いので、それを少しずつ日本とつなげていくというのが私の役割ではあるんです。ただ
し、これまでやっていたのが今井賢一さんと元通産省の安延申さんで、新理事長が情報通
信審議会委員をやっている林敏彦さん、それに私も IT 系なので、結構デジタルとか IT と
かが中心になっていくと思います。そういうことに関心のある、GLOCOM も含めていろいろ
なところと一緒に何ができるかをこれから考えていこうとしているところです。
山内
「総合的な学習」が始まって、そこでは授業のテーマが設定できるようになりま
したが、今度は教員の方々が、生徒の自主的な学習の意欲に応えなくてはならない。これ
までの教室というのは、極端に言えば、各教科の指導要領に従って、教壇からそれを一方
向的に教える閉じた空間であったわけです。よく言われることですが、これを開かれた教
室というものにしなければならないだろう。「開かれた」という意味の一つは、外の学習資
源と教室の活動をどうやって結びつけるのかということになります。これは教室という一
種の緩やかな組織と、地域や学習産業、NPO や自治体といった外部の組織の協働作業(コラ
ボレーション)を作り出さなければならない、ということです。野中郁次郎先生の言葉を
借りると、知識というのは組織的なダイアローグの中で創造されていくわけで、この場合
- 480 -
もコラボレーションというのは、一種の知識創造(knowledge creation)であろうという
ことになります。少なくとも生徒の一人ひとりにとってはそうであろう。ですからオープ
ン・クラスルームというのは、実は「knowledge creating classroom」でなくてはいけな
い。問題は外部の学習資源と教室を、どのようにして生産的に結びつけるのかということ
です。そこで国立科学博物館や宇宙開発事業団などの専門家にうかがってみると、彼らは
独自の学習用のカリキュラムを持っていて、小学校や中学校で使って欲しいという。とこ
ろが、こういった供給側の思惑がうまく学校の先生のところまで届いていない。
中村
そうですか。
山内
たとえば、県の教育委員会に案内が行くと、それが市に行って、市から学校に通
達が下りて校長のところに行って、さらに先生方に「こういうのがあるよ」となるのだけ
れども、その中で、「今回はこの学校を」などといった、自ずからなる選択というのが入る
らしいのですね。まぁ、学校の先生方は大変お忙しいですから、逆にこういったガードも
大事だと思いますが‥‥。私たちは日米の共同学習の取り組みを 3 年ほど続けてきて、地
域や課題ごとに、学校の活動と連携する情報や知識のネットワークが必要だと感じるよう
になりました。そこで情報プラットフォーム活動、つまり第三者間の結びつきを作り出す
場を提供する活動を、学習資源を持つ外部の組織と教室の間に設置できないか、と考えて
います。こういった協働学習のための情報プラットフォームを作れば、必要に応じて先生
方がやってきて、たとえば理科で環境学習をやりたい、あるいは、その環境学習の教材を
使ってこういう成果があった、というようなことについて、専門家や仲間と情報を交換し
たり、知識を共有化したりできるかもしれない。このような仕組みとして一種の社会的な
グループウェアがうまく使えるのではないか。実際のシステムとして立ち上げるのは、か
なり大変ですが。
中村
大変でしょうね。私たちのこの活動も、学校の熱心な先生方が入ってきてやろう
としているんですが、それをどう広げていったらいいか、まだ始めたばかりでよくわから
ないのですが、ちょっと大変だと思います。MIT のメディアラボで学習とか教育とかをずっ
とやっているシーモア・パパートという教授がいるのですが、そのパパートに言われてア
ッと思ったのが、「学校の教育の仕方、学習活動の仕方はずっと何百年も変わっていない。
たとえば同じ先生と呼ばれている人でもお医者さんだと、150 年前の医者がいまの病院の現
場に立ったら多分、何にもできないはずだ。環境も医療器具も、医療理論も全部変わって
いて、何もできないだろう。が、150 年前の教師を呼んできて教室に立たせたら、全然苦労
せずにすぐ授業できるだろう。教育のメソッド、テクノロジーとか、何にも変わっていな
い。世の中こんなに変わっているのにおかしいじゃないか。そこをどう改革するかをずっ
とやっているんだよね」
。それはわかったのですが、みんな手法をどうしたらいいか、まだ
- 481 -
よくわからない。大変なところだと思います。ただ、それを変えられる一番強いツールが
デジタル技術だとは思うのですが、まだ出てきたばかりで、こなせていないということだ
と思います。
模索が続く「デジタルの次」
山内
パパート教授はロゴ言語を作った人でしたね。まだ、メディアラボでがんばって
おられるのですか?
中村
はい。子どもにこういうロボットを作らせましょう、自分でプログラミングもす
る小さいロボットを作りましょうとかいうのは彼のグループです。
山内
どういう組織や企業が支援しているのでしょうか。
中村
その支援は、特定の企業が付いてというのではないです。それが 150 社集まった
プールの中でやっている感じです。そのなかでもレゴは結構いろいろやらせてもらいまし
たということで、どんとお金を出したりしていますけれども。それを評価して入ってきた
のがレゴであり、日本のおもちゃ会社たちであり、それから CSK/セガの大川功さんですね。
そういう活動をもっとちゃんとやりましょうという柱が 1 本立って、センターをつくろう
となっているんです。だからメディアラボもずっと成功してきたんですけれども、いま、
次をどうもっていっていいのか見えにくくなっている。みんな答を持っていないと思いま
す。できたのが 1985 年で、当時はずっと「世の中がデジタルになる」と言っていた。「世
の中の活動が全部デジタルでバーチャルに置き換わってくる」とネグロポンテが盛んに言
っていて、それは 90 年代にインターネットで実現した。世の中で行われている商業活動に
しろ、医療にしろ、教育にしろ、行政にしろバーチャルにできるようになるよと。そのあ
とネグロポンテが言いだしたのは何かというと、今度はバーチャルがリアルに戻ってくる
番だと。それがユビキタスであり、ウェアラブルであり、バーチャル空間で行われている
ことがリアルの世界でも全部コンピュータを埋め込んでいって、もう一回、引き戻してコ
ンピュータなんかなくしちまえというテーゼですね。もう、それは見えたと。技術的には
できる、作っていけばできる世界だと。じゃあ次どうするのかというのが、いま突きつけ
られている課題で、それは見えない。
山内
有名な「ネグロポンテ・スイッチ」の予言のように、放送が光ファイバになり、
電話が無線になる。それも実現されたわけですね。
中村
それはもう実現する。もう方向は見えた。研究のテーマとか方向性ということで
- 482 -
は、もう終わっているわけですよね。それで、いま多分どこの研究所でもデジタルの次は
どこへ行って何がテーマか、よくわからない状態に入っていて、だからメディアラボも拡
散をしているわけです。技術系の人たちは「ナノテクだ、バイオだ」と言っているし、あ
る人たちは「エクスプレッションだ、アートだ」と言って、音楽とか絵とか右脳を使う世
界に行っているし、ある人たちはこういう子どもだとか、デジタルデバイドだとか、途上
国をどうするんだとか、要するにアプリケーション、デジタルをどう使うのかという、そ
っちのほうの研究にまわっていっている。すごく拡散していて、面白いといえば面白いん
ですけれども、次に何かそこからテーマとかテーゼとか、世界へのメッセージが出てくる
かというと、まだちょっと時間がかかるかもしれない。
山内
たとえば 30 個の小企業である研究室が、さらに 10 個ずつに分かれていくような
感じですか。
中村
そうです。多分しばらくそういうふうになるんじゃないですか。
山内
ネグロポンテ教授というカリスマが、次のテーゼを打ち出さないとすれば、そう
やって試行錯誤する以外ないですね。
中村
ですね。ひょっとしてデジタルってそういうものかもしれないなというのが浸透
して、「これからはこういう時代だ」という感じではなくて、もう当たり前に溶けちゃって
いて、ステージが変わったと言うか、そういう時代に入ってきた証拠かもしれないですね。
場の形成・共有から教育制度の変革へ
山内
GLOCOM も 1993 年ごろは「次はインターネットだ」って言っていればよかったので
すが、そういった牧歌的な時代は過ぎました(笑)。
中村
また、元のスキームに戻るっていうか。インターネットって当時、縦の一つのテ
ーマだったのが、全部溶けるとまた元の縦、法律だとか経済だとか、教育だとか文化だと
か。
山内
それぞれが、課題になってくるわけですね。
中村
結局インフラなので、そうではないかという気がします。私は早くそうなれと、
ずっと待っていたんです。インターネットで縦になっているのは何か変だと。郵政省にい
たころに一番違和感あったのは、情報通信産業が大きくなって、リーディング・インダス
- 483 -
トリーになっていって素晴らしいという、あの論調です。
「何で?」と。通信産業が 10 兆
円になりました、20 兆円になりましたと喜んでいる人がいるけれど、500 兆円になったら
いいことなのかと。逆じゃないかなと思うんです。0 兆円になって、CAN のネットワークの
ように自分たちでインフラを作れて、産業なんてなくなって、みんなが自由にフリーに使
えるようになるのが通信政策の目標とすべきことであって、通信産業が GNP の 90%を占め
るようになりましたといったら、困ったことだろうと。
山内
なんか変ですよね。
中村
だんだんそういうふうになってきて、やっと変わっていく。
山内
逆に言うと、これからはその社会的インフラの上での行政が大事になっていくわ
けですね。
中村
そうです。だから、これまで通信行政とか言っていたのが、縦軸の領域として立
っているのは本当は不健全な姿で、それが全部の分野に入っていって、それを使ってどう
教育やるのか、どう医療するのか、どう行政するのか、それぞれのユーザー官庁のほうの
仕事になっていく。そうすると、旧郵政省とか旧通産省の情報通信を担当していたところ
というのではなくて、経産省でも産業の情報化の人たち、総務省でも行政情報をどうする
んだとか、ユーザーとしての旧総務庁とか旧自治省の系統の IT 行政とか、そっちのほうに
多分シフトしていく。そうするとユーザーでばらばらになってしまうから、共通で何をし
たらいいのかを、もう一つ上の官邸とかのほうでちゃんと仕切らないといけないというの
が出てくる。
山内
それは官邸ですか?
中村
官邸か、どこか別のところかもしれないけれど、全体をじゃあどうするかという
のを見るという……。
山内
この対談シリーズは、ネティズンの政治参加ということですが、市民(シティズ
ン)は、産業社会の中で経済的な力をつけて、やがて市民革命の主体になって新しい国民
国家の担い手になった。この類比が正しいとすれば、産業社会の次の段階においても、情
報産業化の過程で、今、新しい経済的な領域を開拓している社会集団がどこかで連携して、
自分たちの政治的な発言力を増していくことになるだろう。そうでなければ、いつまでた
ってもインカンベント(既存)産業の発言力だけが政治過程に反映されることになる。霞
が関というところは、インカンベントとの間に非常に強いネットワークを持っていて、そ
- 484 -
れが政・官・産のトライアングルの実体である。ここのところにどうやって新しい利害関
係を入れていくのか、それが実はネティズンの政治参加なのではないか、そういう気がす
るのです。
中村
結局、それぞれの官庁をどういうふうにコントロールしていくかというのがテー
マで、それは政治そのものです。だから、みんなで行政問題だとか官庁がどうだこうだと
言っていることの多くは、大事なことは政治問題で、政治家の役割だろうと。それが、い
ま行政官が多くを担っているところがおかしくて、それを直そうと、みんなが要求してい
る相手が行政官だからおかしいのかもしれない。それは政治が意思決定して変えていくべ
きものなので、僕はそういう意味での政治機能の強化というのが日本の政治行政システム
の一番大事な課題になっていると思う。だから、その政治家は誰でどういう意思決定して
というのを選んでいるのは有権者なので、そこの意識の問題に全部帰着すると思う。おっ
しゃるとおりだと思います。
ちょっと話題を変えて、通信でも独立行政委員会とか、独立行政機関を作るべきだ、そ
うでないとうまくいかないというような議論がありますが、あれはそういう意味でいうと
逆だろうと思う。そうではない。そんなのが独立されたら困る。むしろ、政治のコントロ
ール下にどう置くかが課題だと僕は思う。総務省の彼らがけしからんというのであれば、
そのけしからん人たちが独立して勝手にするという話は一番困った結果なのであって、そ
うでなくて、それをどうコントロールするかが大事で、それをコントロールする政治機能
をどう作るのかが大事だろうと思う。みんなが問題だというのなら、みんなでそういうふ
うな行動をするしかないじゃないか。そういう意味でいうと、行政のあり方とか、それを
政治的に市民がどうコントロールしていくのかとか、どういうふうに意思を反映させてい
くのかという面でいうと、なにか逆の方向に議論が流れていることが多いと思います。
山内
今後は、大学も含めて、日本の教育制度についても大きな変化が起こるのではな
いかと思いますが、このような改革の流れに今後参加していくようにお考えですか?
中村
まだそこまでの道筋は私たち全然見えていないのですが、何かそういうふうに変
えていかなければいけないとか、こういうものを取り込んでいかなければいけないとか、
自分たちでやらなければいけないという熱が起こっているなというのは感じるんです。京
都で子どものセンターを作ったときは、あまりそういう意識はなかったんですね。作って
みて面白いからちょっと取り込んでやってみようかとしたら、いろいろなところから問い
合わせがあって、うちでもそういうのをやりたかったんだとか、やりたいと思っているん
だけれども、どうしたらいいのかわからないから教えてくれとかいうのがたくさんあって、
結構みんなが、そういうことをそれぞれの現場で考えているんだなということが、ようや
- 485 -
くわかったところです。だから、じゃあ NPO 的にみんなでやってみませんかということで
やり始めているところで、それが本当に日本のシステムとして組み込まれていくかとか、
制度を変えるようなところまでいくのかというのはまだ見えない。面白いかなとは思って
います。
山内
NPO をお作りになって、おそらく最初にいろいろな方々の意見を一度集めてみて、
方向性を見るべきなのでしょうね。
中村
そうです。ですから、まず調査、声を集めること。来年度くらいに、何か新しい
ワークショップをもう一つやってみて、みんなでパッケージとして使えるようなものを作
っていくのをやってみましょうかと。e-Japan があと 4 年というのもあって、4 年くらいで
時限措置として目標が達成できるようにしたいと思っているんです。それくらいまで、み
んなで底上げできるようなことをやってみて、あとはそれぞれ現場で自分たちでつながっ
ていくだろうと。間にそういう組織が絡まなくても、やれるようにしないと、ちゃんとし
たものにならないという感じがしているんです。
山内
いろいろな動きを、コンファレンスやワークショップで特徴付けるということで
すね。
中村
そうです。
山内
それは楽しみです。中村先生であれば、いろいろと面白い試みが集まってくるで
しょう。そのなかでネグロポンテ教授のところのように、いろいろな結びつきも生まれる
のではないでしょうか。
中村
そうですね。結びつきは生まれてくると思う。そういうことをやっている先生方
が非常に熱心なので、そういう人たちの熱がちゃんと共有されれば動いていくかなと期待
はしています。
山内
それが最初におっしゃった場の形成ということですね。今日は、どうもありがと
うございました
- 486 -
④十年より千年のユビキタス(野村総合研究所
未来創発 2002.7)中村伊知哉
こどもたちのシンフォニー
ベルリンを訪れている。「トイ・シンフォニー」という、ドイツ交響楽団と地元のこども
50 人による実験コンサートに参加するためだ。音楽を専門家の手から取り戻すこと、誰で
も簡単に演奏できる楽器を作ったり、ネットで参加しながら曲を作れるシステムを開発し
たりする、各国のこどもたちがそれぞれの土着のリズムや音色で表現し、交換して共有す
れば、音楽自体が変わるかもしれない。それがトイ・シンフォニー構想の狙いだ。技術を
アメリカが提供し、資金を日本が提供し、コンテンツを各国のこどもたちが提供する。
この活動は、ヨーロッパからアメリカを経て日本に持ち込まれるが、日本では CAMP
(Children's Art Museum & Park)が拠点となる。CAMP は昨年、京阪奈にオープンしたこ
どもセンターである。
CAMP では、京都ならではの、日本ならではのワークショップを計画している、マンガ作
り、ゲーム作り、ケータイでの映像表現、あるいは、お茶、お花、和菓子、ガングロファ
ッション、漫才。いくらでもネタはある。そして、世界最先端のデジタルの使い手である
日本のこどもたちが情報を発信していってくれるだろう。
デジタルの千年が始まる
ベルリンに来る前に京都に立ち寄り、ついでに母の実家のある西陣を訪れた。初めて呉
服屋で 1 着頼んだところ、反物を広げて選ぶだけ。帯は帯屋がやって来て、選ぶ。羽織の
ヒモは、ヒモ屋がやって来て、また選ぶ。下駄屋、糸屋、仕立屋と、完全分業されている。
集まった旦那衆と茶を飲んだ。彼らはぼやく。「不景気でワヤでっせ」「こんな時はじっ
としてまんねん」「先代の貯めたもん食いつぶしてまんねん」。そう言いつつ、みな楽しそ
うだ。景気がいい時は?「ちょっと祇園行って、あとは貯めときまんねん」。
一人勝ちの法則、M&A(合併・買収)、シェア拡大、IPO(株式公開)、スピード経営、リ
ストラ、売り抜ける。そうやって、打ち勝つ。アメリカのビジネススクールで叩き込まれ
るそんな世界とは空気がずいぶん違う。大きくなったり小さくなったりせず、ずっと同じ
ことを繰り返し、みんなで分けあって、千年生きる。そんなモデルがここにある。
アナログの千年が終わって、デジタルの千年が始まる。その千年は、アメリカ型の近代
主義、進化主義、機能主義で貫かれていくとは思えない。そのためのモデルは、あんがい
身のまわりに転がっているのかもしれない。
でも、失われた十年だという。とりわけ IT の分野では、この十年の負けっぷりは身にし
みる。ネットワークも、コンピュータも、コンテンツもアメリカの一人勝ちだ。アメリカ
発のインターネットが世界を席巻し、コンピュータはハードもソフトもアメリカ製で、コ
ンテンツはハリウッドが地上を制覇した。三冠王と言ってよい。
だがどうだろう。そのアメリカとて今後の十年も万全だとは言えない。たとえばインタ
ーネット。ブロードバンドは頭打ちだ。デジタル放送も失敗した。日本のように光ファイ
バーのサービスが商用化されるメドは立っていないし、モバイルインターネットも当分先
- 487 -
だ。このままではネット後進国になる可能性さえある。
コンピュータもしかり。1 台を数人で使うメインフレームが第 1 世代とすれば、一人 1 台
のパソコンという第 2 世代を経て、一人数台デジタルのユビキタスという第 3 世代にさし
かかろうとしている。モバイル、ウェアラブル、ロボットペット。それはいわば練り上げ
たマルチメディアを解体し、分散していく作業だ。小型化、改良、低廉化。アメリカが今
後も優位とは言い切れない。
そしてコンテンツ。ハリウッドのパワーは当面続くだろう。だが、それはプロのエンタ
ーテイメントの分野。ネットが世界中に広がってピアトゥピアになると、大衆レベルの表
現力が問題となる。この点でもアメリカが長期優位を保つ保証はない。
近い将来、デジカメとケータイの組み合わせで、テレビの中継車並の機能を持ち歩ける
ようになる。日本には 1 億人の歩くテレビ局ができる。映像で考えて映像で表現する時代
になる。その時、世界に何を発信していくのか。ニッポンの次の世代が世界をリードすべ
き分野だ。
ニッポンの土着の価値が貢献する
IT は技術の段階から、利用の段階に入った。国としての競争力は、技術や商品を作り出
す能力以上に、それらをいかに使いこなし、いかに情報を編集できるかという能力にかか
っている。この点、日本は、大人もこどももマンガやゲームやカラオケやケータイに興じ
る国民訓練を積んでいる。特異なポジションにある。それをどう活かすのか。
少し前、このベルリンで宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が金熊賞を獲得した。八百
万のユビキタス世界を生き抜く少女の物語だ。この秀逸なアニメを生み出す力の源は、こ
の難解なアニメが史上最多の動員をみせてしまうオーディエンス層にある。
そしてその受賞は、ニッポンの土着が普遍的な価値をもっていることもあらためて示す
ものだ。1997 年カンヌの『うなぎ』
(今村昌平)や『萌の朱雀』(河瀬直美)、1998 年ベネ
チアの『HANA-BI』(北野武)、いずれも現代ニッポンの土着を表現したものが国際評価を得
ている点に注目すべきだ。多元性の一角を日本が占めているということだ。
2001 年 9 月 11 日以降、アメリカでも世の中の多元性が再認識されるようになった。デジ
タルで地球は狭くなるという。だが、ネットが普及して、地上のあちこちが固有の表現を
するようになると、多元性は強化されていくのかもしれない。そしてそれは、あんがい日
本が貢献できるステージなのだろう。
- 488 -
⑤ポップカルチャーとしてのニッポン(日経ネット時評 2002.6.25)中村伊知哉
●マンガやアニメが溶け込んだ国
アナログで恐縮だが、サッカーW 杯で日本戦のテレビ中継が 66%もの視聴率を叩きだし
たという。改めてナショナルというものを考えさせられる。そこでつらつらと視聴率の表
を眺めてみた。すると、
「サザエさん」が 20%台後半の数値を上げているのに改めて気づい
た。
米国では、20%台後半の視聴率を稼ぐレギュラー番組は、お化け番組扱いである。サザ
エさんは、それを 30 年以上も続けている。日曜夕刻という家族団らんのホットスポットを
握り続けているのは驚異だが、もっと驚くべきは、翌日、学校でも職場でも、昨日のサザ
エさんを誰ひとり話題にしないことだ。空気のように日常に溶け込んでいるのだ。
アニメに負けずマンガだって溶け込む。300 種にも及ぶマンガ雑誌が発行され、国民の
15 人に1人が少年ジャンプや少年マガジンを毎週買う。エンタテイメントだけでなく、ビ
ジネスも歴史も科学もマンガで学ぶ。家電のマニュアルも、政府の法令もマンガで解説さ
れる。下着から飛行機までアニメやマンガのキャラクターに占領されている。
不思議な国である。
●千年の庶民文化
八百万の神が棲むユビキタス社会を生き抜く少女の成長物語、宮崎駿「千と千尋の神隠
し」がベルリンでグランプリを獲った。ポップなアーティストが正当に国際評価されるこ
とは喜ばしい。
ただ、そのような作品を生み出す風土は、制作者の水準の高さ以前に、オーディエンス
層の厚さに立脚しているということに注目すべきだ。千と千尋の神隠しのように高度で難
解な作品が「タイタニック」を抜いて興行記録を打ち立てるような、アニメを読み解く層
の厚さである。
90 年代は失われた十年などと呼ばれ、ビジネスマンは元気がないが、実のところ失った
のは国家の軸を産業経済のみに集約したここ百年である。
だが同時に今や日本は歴史始まって以来はじめてカッコいい国という評価を受けている。
ポケモンやドラゴンボールZやセーラームーンのおかげで、世界のこどもたちは日本に憧
れを抱いている。昨今、国際的な賞を受けている邦画はみな現代ニッポンを映像化したも
ので、土着で生身の日本が評価されているところでもある。
マンガにしろアニメにしろゲームにしろ、技術や技法は欧米から輸入したものだ。明治
以降の近代文明である。しかしその表現力や鑑賞力は、12 世紀の絵画から連綿と培ってき
た庶民文化である。現代ニッポンのポップ文化は、千年の土壌の上にいま開花しているも
のだ。
●おとな文化としてのポップカルチャー
マンガやアニメやゲームは欧米ではこども文化だが、日本では大人にも深く浸透してい
る。手塚治虫が確立したこども向けの動的なマンガ表現に対抗して、60 年代後半にガロ系
- 489 -
の作家群が静的で哲学的な劇画表現を模索していったが、そのようなムーブメントが起き
ていくのが日本の特徴だ。
70 年安保当時、白土三平「カムイ伝」は唯物史観に基づくマンガとして学生運動家の必
読書などと評され、その後どんな高等教育機関でも職場でもマンガがある風景が一般化し
た。米国では MIT にしろハーバードにしろスタンフォードにしろ、大学生がマンガを読む
姿はみかけない。アニメも 70 年代に大人向け作品が登場し、宮崎、押井、庵野といったア
ーティスト名だけで観客が動員できるようなジャンルとなっている。
ジャンルの開拓も盛んだ。マンガはヒーローものやギャグだけでなく、ビジネスや料理
やエロといった分野を確立している。ゲームもアクションやスポーツだけでなく、格闘や
育成モノや対話ゲームや歴史シミュレーションや恋愛シミュレーションといった広がりを
みせている。
●政策マターとしてのポップカルチャー
このように、チープなポップカルチャーが広く深く浸透しているというのは、さて良い
ことかイケナイことか議論のあるところだろう。だが今後のネット文明を展望し、次の世
代を支える産業文化を見据えようとするなら、このような状況を正の動力にしていく視点
が必要だ。
IT はようやく開発から利用の段階に入った。それは一人ひとりが世界に向けて表現し発
信していく時代の到来でもある。既にモバイルやユビキタスは現実となり、ケータイ文化
やロボットペットの分野で日本は国際舞台を引っ張っている。
その局面で日本がどのような価値を生んでいくかは、ポップカルチャーを取り巻く産業、
文化、社会の背景がカギを握っていると思う。
このような分野に関する横断的・体系的な分析は皆無に近い。そこでいま私はポップカ
ルチャーに関する政策研究プロジェクトをゲリラ的に立ち上げようと考えている。でも、
強いて言えば、これは国家戦略マターだ。政府に力を入れて取り組んでもらいたい。
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