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地域連携研究
ISSN 2189-0293
長 岡大学地域連 携 研 究センター年 報
地域連携研究
第3号《通巻26号》/2016
特集
2015長岡大学地域連携研究センターシンポジウム
人口減少時代と長岡地域活性化の方向
−長岡地方創生への視点−
目次
地域連携研究 年報
2016 第 3 号 CONTENTS
地域連携研究 第3号
ごあいさつ ― 地域連携研究センター年報・第3号発刊にあたって―
……………………
長岡大学長/長岡大学地域連携研究センター所長 村 山 光 博
特集 2015長岡大学地域連携研究センターシンポジウム
人口減少時代と長岡地域活性化の方向−長岡地方創生への視点−
―主催者の開会ご挨拶― … … 長岡大学教授/長岡大学地域連携研究センター運営委員長 原 田 誠 司
2
第1部 基調報告は論稿19∼64頁に掲載
第2部 パネルディスカッション
「人口減少時代と長岡地域活性化の方向−長岡地方創生への視点−」
…… 大森政尚、栗原里奈、小柳 徹、長谷川和明、中村英樹、鯉江康正
3
論稿
<平成27年度長岡大学COC事業・調査研究成果>
人口減少時代と長岡地域活性化の方向
―「人口減少問題等に関する全国市区町村アンケート調査」から― …………………………… 鯉 江 康 正
19
<平成27年度長岡大学COC事業・地域志向教育研究成果>
新潟県内企業の環境の取組みと環境金融に関する調査結果(中間報告)…… 西 俣 先 子
65
<平成27年度長岡大学COC事業・地域志向教育研究成果>
先進国になるための必要条件と十分条件
― 新潟県長岡市の機械工業の事例を通じて ― …………………………………………… 權 五 景
95
<平成27年度長岡大学COC事業・地域志向教育研究成果>
北越製紙と小林宗作
―長岡地域の産業史・企業家史に関する資料(Ⅲ)― ……………………………………… 松 本 和 明
105
大学・短期大学の学生支援における情報システムの利用状況と課題 …… 村 山 光 博
119
アイゼンハワー政権の国際政治戦略
―1950年代の冷戦と米国の国際政治戦略のマクロとミクロ― ………………………………… 広 田 秀 樹
長岡大学地域連携研究センターご案内
センター日誌
143
………………………………………………………………… 155
……………………………………………………………………………………………… 156
長岡大学地域連携研究センター規程
…………………………………………………………………… 157
ごあいさつ
−地域連携研究センター年報・第3号発刊にあたって−
長岡大学 学長/長岡大学地域連携研究センター所長
村 山 光 博
平成28年4月に長岡大学第4代学長に就任いたしました村山光博です。長岡大学がこれまで目標とし
てきた「地域のための大学」を、これからもしっかりと受け継ぎ、地域志向の教育、研究、社会貢献を
さらに推進することで、 地域の役に立ち、頼りになる大学 をめざす決意であります。どうぞよろしく
お願いいたします。このたび、地域連携研究センター規程により、当センター所長を兼務することにな
りました。所長として、センター年報第3号発刊にあたり、一言、ご挨拶申し上げます。
私は新潟市で生まれ育ち、そこで中学生までを過ごしました。その後、長岡工業高等専門学校から長
岡技術科学大学への進学を経て、大学院修了までの9年間を長岡市で暮らしました。就職してからは県
央地域に数年居りましたが、本学へ赴任してからは再び長岡市に住所を置き、今ではこの長岡市が人生
で最も長く住んでいる地域となりました。私にとっては第二のふるさとと言っても良いでしょう。
大学生の時には、仲間たちと一緒にお好み焼き同好会というサークルを立ち上げて活動していました。
単にお好み焼きを食べるだけでなく、いろいろなサークル内イベントを企画・実施することで、学内外
の人との交流を楽しむことができました。
長岡大学地域連携研究センターには、前身の地域研究センターの時代から係わり、地域調査研究、地
域連携等の活動を行ってきました。平成25年度に、本学の「長岡地域<創造人材>養成プログラム」が、
文部科学省の「地(知)拠点整備事業」
(大学COC事業)に選定され、
「連携」に力を入れるという意
味も込めて、地域連携研究センターとなりました。センター所長として、これを引き継ぎ、進化・発展
させるよう努める決意であります。
最後になりますが、長岡大学の学生・教職員の皆さんに、この<地域連携>の実をあげる活動を進め
ていただきたいと思います。同時に、自治体、経済団体、企業、NPOなど地域の皆様には、本学の連
携活動に対する評価を加えていただき、連携の一層の発展、地域活性化に導くようご支援お願い申し上
げます。
このセンター年報は、<地域連携>の1つの媒体であります。ご一読いただければ幸いです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
平成28年11月
学校法人中越学園理事会において村山光博教授が学長に選任されました。任期は平成 28 年4月1日から平成 32 年3月 31 日の4年間です。
プロフィール
生 年
略 歴
所 属 学 会
専 門 分 野
昭和42年生(新潟市出身)
平成4年3月 長岡技術科学大学大学院 工学研究科修士課程 機械システム工学専攻 修了
平成4年4月 株式会社三條機械製作所 入社(平成7年3月迄)
平成7年3月 スペック株式会社 入社(平成13年2月迄)
平成16年3月 長岡技術科学大学大学院 工学研究科博士後期課程 情報・制御工学専攻 修了(博士(工学)
)
平成17年4月 長岡大学産業経営学部専任講師
平成25年4月 長岡大学経済経営学部教授(現在に至る)
平成27年4月 長岡大学経済経営学部長(現在に至る)
平成28年4月 長岡大学 学長(現在に至る)
教育システム情報学会、日本機械学会、日本塑性加工学会
⑴教育支援システムの開発 ⑵板紙類の打抜き加工特性 ⑶人間力育成を考慮した大学情報システムのフレームワークの研究
1
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
人口減少時代と長岡地域活性化の方向−長岡地方創生への視点−
長岡大学地域連携研究センター
長岡大学は、本学の「長岡地域<創造人材>
養成プログラム」が平成 25 年度文部科学省「地
(知)の拠点(COC)整備事業」に採択されまし
たが、昨年、このCOC事業の一環として、
「企
業競争力を支える<創造人材>の育成へ!」の
テーマでシンポジウムを開催しました。
今年度は、引き続きCOC事業として、
「人口
減少時代と長岡地域活性化の方向−長岡地方創
生への視点−」をテーマにシンポジウムを開催し
ました。シンポジウムでは、平成 27 年8月に実
施した「人口減少問題等に関する全国市区町村
アンケート調査」の結果を報告するとともに、長
岡市地方創生総合戦略を推進している各界の方々を中心にして、下記の通り、人口減少問題の諸相を掘
り下げ、今後の長岡地域の活性化方向=地方創生への視点について、討論しました。アンケートにご回
答いただいた皆様にはあらためて感謝申し上げます。
当日は、
約 100 名の皆様にご参加いただき、盛況のうちに終了することができました。感謝申し上げます。
*なお、第1部の基調報告は、本誌 19 ∼ 64 頁に掲載しました。
記
1 名 称 2015長岡大学地域連携研究センターシンポジウム
2 テ ー マ 人口減少時代と長岡地域活性化の方向−長岡地方創生への視点−
3 時 期 平成27年11月20日㈮ 14:30∼17:00 *14:00∼受付開始
4 会 場 長岡グランドホテル(悠久の間)
5 参 加 費 無料
6 次 第
総合司会:長岡大学教授 原 田 誠 司 第1部 基調報告 人口減少時代と長岡地域活性化の方向
長岡大学教授 鯉 江 康 正 第2部 パネルディスカッション
テーマ:人口減少時代と長岡地域活性化の方向−長岡地方創生への視点−
パネリスト
大森木工株式会社代表取締役
大 森 政 尚
株式会社umariプロデューサー
栗 原 里 奈
株式会社 北越銀行コンサルティング営業部副部長
小 柳 徹
長岡商工会議所事務局次長
長谷川 和 明
長岡市市長政策室政策企画課課長
中 村 英 樹
長岡大学教授
鯉 江 康 正
コーディネーター 長岡大学地域連携研究センター運営委員長 原 田 誠 司
氏
氏
氏
氏
氏
7 主 催 長岡大学地域連携研究センター
後 援 長岡市、長岡商工会議所、財団法人にいがた産業創造機構、NPO法人長岡産業活性化協会
NAZE、北越銀行
1
特集
長岡大学地(知)の拠点整備(COC)
=長岡地域<創造人材>養成プログラム事業
2015長岡大学地域連携研究センターシンポジウム
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
2015長岡大学地域連携研究センターシンポジウム
主催者の開会ご挨拶
長岡大学教授
長岡大学地域連携研究センター運営委員長 原 田 誠 司
例年、当シンポジウムの主催者ご挨拶は、本学学長/地域連携研究センター長の内藤敏樹が行う
予定でしたが、去る8月4日に心不全で急逝されました。享年70歳でした。ご冥福をお祈りしま
す。現在、新学長の選挙中でありまして、学長不在ですので、地域連携研究センター運営委員長の私、
原田が簡単に、ご挨拶申し上げます。
ご案内させていただきましたように、今年度は、国および長岡市の人口減少対策としての地方創
生総合戦略も策定・発表され、地方創生スタートの年であります。
「地(知)の拠点(COC)大学に
よる地方創生推進事業」もこの地方創生の一環に位置づけられ、COC+(プラス)事業になってい
くと思われます。
本学も昨年来、人口減少問題に焦点を当てて、調査研究を行ってまいりました。そこで、<人口
減少時代と長岡地域活性化の方向>をテーマに、本学の調査研究結果をご報告するとともに、長岡
地域で地方創生を精力的に推進している皆様方にパネリストとしてご登壇いただき、地域創生の基
本方向を議論していただきたい、と考えます。産官学金連携による地方創生の方向を示していただ
きたいと考えます。
それでは、開始にあたり、まず、お手元の配布資料をご確認ください。次第、第1部の基調報告資料、
第2部のパネルディスカッション関連資料がございます。次第に沿って進めさせていただきます。
第1部の基調報告は、報告者の鯉江康正教授が全国自治体アンケート調査を行い、取りまとめて
ものであります。また、パネリストの皆様関連の諸資料があります。長岡市の地方創生総合戦略の
概要など(長岡市政策企画課の中村英樹さん、
大森木工社長の大森政尚さん)、
「思いのほか」冊子(思
いのほか代表の栗原里奈さん)、北越銀行の地方創生への取組み(北越銀行の小柳 徹さん)、長岡
商工会議所の野菜クオーレ祭りと創業者クラブ案内(長岡商工会議所の長谷川和明さん)などであ
ります。ご確認ください。それ以外は私ども長岡大学のチラシ・案内等です。冊子については地域
連携研究センターの年報ですが、昨年の11月のシンポジウムのテープ起こしをしたものが載ってお
ります。本日のものもテープをとりまして、来年の第3号に掲載する予定であります。
本日のシンポジウムが長岡地域の活性化に貢献できることを願っております。よろしくお願いし
ます。
2
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
第 2 部 パネルディスカッション
2015長岡大学地域連携研究センターシンポジウム
テーマ:人口減少時代と長岡地域活性化の方向
―長岡地方創生への視点―
<パネリスト>
NPO 法人思いのほか代表理事、
「移住女子」
大森木工株式会社
代表取締役
栗原 里奈 氏
大森 政尚 氏
株式会社北越銀行
コンサルティング営業部副部長
長岡商工会議所
事務局次長
小柳 徹 氏
長谷川 和明 氏
長岡大学
教授
長岡市市長政策室
政策企画課長
中村 英樹 氏
鯉江 康正 <コーディネーター>
長岡大学副学長/
地域連携研究センター運営委員長
原田 誠司 氏
3
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
人口減少時代と長岡地域活性化の方向
― 長岡地方創生への視点 ―
原田誠司(長岡大学副教授)
これから、後半の第2部パネルディスカッ
ションを始めたいと思います。進行役の原田で
す。よろしくお願いします。
議論のポイントは、「人口減少と長岡地域活
性化の方向」のテーマを、副題の、「長岡地方
創生への視点」を中心にしたいと思います。長
岡市が10月に地方版総合戦略を発表しましたの
で、そこの考え方を報告していただいて、鯉江
の報告から人口減少の影響等もアンケートから
出てきていますので、それらを含めて長岡の活
性化のあり方を議論したいと思います。
全体としては、3つくらいに分けて行います。
最初にパネリストの方の自己紹介を一人1分く
らいでお願いいたします。まず、長岡版総合戦
略について政策企画課の中村課長から、内容を
ご紹介いただいて、そのポイントを議論したい
と思います、これが第1です。
2番目に、地域活性化の事業・活動は様々で
すが、長岡の活性化に必要な事業や方向は何か、
について議論をお願いします。3番目に、長岡
市の場合は<ながおか・若者・しごと機構>を
12月に発足させ、地方創生を推進するとのこと
ですが、若者を中心のこの組織が、当面どのよ
うな活動をすべきか議論したいと思います。
最後に会場の方から、ご意見があれば受けた
いと思います。
それでは最初に自己紹介ということで、皆さ
んから向かって私の左、大森木工代表取締役の
大森さんから順次お願いします。
を拡大させています。
地方創生との関係では、現在、<ながおか若
者会議>に参加し、居場所づくりのプロジェク
トリーダーをさせていただいております。他に
は、有志による長岡市内の月1回ごみ拾い活動
なども行っています。
今年度、長岡市が開始しました、<ながおか
仕事創造アイデア・コンテスト>の【いいね!
アイデア部門】の審査委員長もさせていただい
ております。11月29日にアオーレ長岡で、公開
審査・プレゼンテーションがありますので、是
非お時間のある方は見に来ていただけるとあり
がたいと思います。
業界関係では、私は昨年まで、全国建具組合
連合会青年部の会長をさせていただきました。
全国から見た視点と地元長岡の視点をもってき
ましたが、全国いろいろ歩かせていただきまし
て、ほとんどが地方だということがよく分かり
ました。地方創生のはじまりは何かといったら、
やはり地方が元気になることです。私は長岡か
ら発信するという気持ちでいまここに座らせて
いただいております。本日はよろしくお願いい
たします。
原田 どうもありがとうございました。それで
は「NPO法人思いのほか」代表理事、
「移住
女子」の栗原さんお願いします。
◉長岡の食文化を発信! 移住女子の活動を全国に!
栗原里奈
ご紹介いただきました「NPO法人思いのほ
か」で、さらに「移住女子」という活動も行っ
ております栗原と申します。
「NPO法人思いの
ほか」という団体は、長岡の農業と食をプロ
デュースする団体です。長岡の食文化というも
のをとらえますと、酒もありますし、長岡野菜
という伝統野菜もありますし、郷土料理は各地
域にあります。広域にわたった、海、山、川が
そろった長岡だからこそ発信できるものがある
のではないかと思います。そういったものをイ
ベント、また観光に繋げていって、観光産業と
◉地方創生は地方が元気になること! わかもの
会議でがんばる
大森政尚
(NPO法人思いのほか代表理事、
「移住女子」
)
(大森木工株式会社代表取締役)
皆さんこんにちは。私、大森木工の代表取締
役、大森政尚と申します。創業105年の会社で
ございまして、私は生まれも育ちも長岡です。
木工製品全般に扱っております。正確な家具、
建具を製造していますが、特注家具・建具、店
舗設計、施工管理、内装仕上げ工事まで、業務
4
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
して長岡を盛り上げていけるように、
「NPO法
人思いのほか」としてがんばっていきたいと
思っているところです。
また、
「移住女子」というのは、今回ご紹介
する予定はないのですが、名前の通り新潟に移
住した女性、中越地域に暮らす移住女子4人が
集まりまして、中山間地域の魅力を発信したい
という思いから、<ChuClu(ちゅくる)>と
いうフリーペーパーをつくっております。ペー
パーで、中山間地の暮らしの豊かさを発信して
おりまして、首都圏や新潟、長野にも配布させ
ていただいております。
今度、12月12日に、東京で全国移住女子サミッ
トを開催します。全国から移住して活躍してい
る女性をあつめまして、サミットを開いて、私
達は「移住女子予備群」と呼んでいるのですが、
東京に住みながら地方に移住したいと思ってい
る女性方を集めて、一緒に交流しながら、地域
の豊かさ、暮らしの豊かさというものを伝える
イベントです。先日、石破地方創生大臣と会食
をさせていただいたのですが、このサミットに
も興味を持っていただきまして、地方活性化の
1つとして「移住女子」の活動が全国に広まっ
ていくのではないかという期待も持ちながら今
後活動していきたいと思っております。
また、私は長岡の総合計画策定委員のメン
バーでもありまして、この総合戦略にも少し関
わらせて意見をさせていただいたところです。
今回、一市民として意見を述べさせていただき
ながら、私の経験も踏まえながら、皆さん何か
ご参考になる点があればと思いまして、がんば
りたいと思います。よろしくお願いします。
原田 どうもありがとうございました。それで
は株式会社北越銀行コンサルティング営業部副
部長の小柳様お願いします。
しては産学官金ということで、金融機関も参加
するということから、私が所属しているコンサ
ルティング営業部内に地方創生戦略チームとい
う専門部署を立ち上げておりまして、各自治体
の支援をしているところです。本日はどうもよ
ろしくお願いします。
原田 どうもありがとうございました。それで
は次に長岡商工会議所事務局次長の長谷川様お
願いします。
◉人口減少問題に取組み長岡の企業、経済の活性化を!
長谷川和明
ただいまご紹介いただきました長岡商工会議
所の長谷川と申します。よろしくお願いしま
す。商工会議所は会員組織の経済団体でありま
して、いま会員数は約2,300の企業と個人事業
主を含めて組織されています。周辺の地域には
商工会という組織もありますので、主には旧長
岡市エリアの企業が会員ですが、それ以外の方
も入っていただいて組織されています。
商工会議所の目的としては、地域の企業の発
展と地域経済そのものの活性化という大きな使
命があります。今日のテーマである人口減少の
問題についても全ての産業にとって大きな課題
だろうということで、今年の夏前に10の部会が
業種別に組織されているのですが、そこでの共
通のテーマということでこの点について協議・
議論させていただいて、その意見をとりまと
め、実は長岡市長に要望させていただいたとこ
ろです。また、その内容については後ほどお話
ししたいと思いますが、そういう意味では今後
経済界を考える上でも非常に重要なテーマです
ので、今日は多くの会員さんがいらっしゃるの
で、言葉を選びながら発言していきたいと思い
ます。今日いただいたヒントの中で事業に活か
していけるものがあれば次年度以降取り組んで
いきたいと思いますので、よろしくお願いしま
す。
原田 どうもありがとうございました。それで
は長岡市市長政策室政策企画課課長の中村さ
ん、よろしくお願いします。
◉地方創生戦略チームで地方創生を支援!
小柳 徹
(長岡商工会議所事務局次長)
(株式会社北越銀行コンサルティング営業部副部長)
日頃、大変お世話になっております北越銀行
から参りました小柳と申します。私がいま所属
している部署は、コンサルティング営業部とも
うしまして、通常法人様向けのコンサルティン
グ関係の仕事もしくは支店単位ではどうしても
取扱仕切れない大口のご融資の案件等をとりま
とめているような部署です。この地方創生に関
5
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
◉人口減少問題には長岡市全体で取組む
中村英樹
説明お願いしたいと思います。よろしくお願い
します。
(長岡市市長政策室政策企画課長)
◉地方版総合戦略は東京一極集中の流れの反転
をめざす計画!
どうもはじめまして、長岡市役所から来まし
た政策企画課の中村です。私の方は、まだ人生
を語れる歳ではありませんが、平成2年に26歳
で市役所に入所いたしました。今年が26年目で
す。私どもの政策企画課のなかで、今回テーマ
である人口減少問題ということで、長岡市役所
全体にかかる取り組みですが、そこをまとめて
いるというところで、私が呼ばれたのかなとい
うふうに思っております。これから貴重な時間
のなかでいろいろ皆さんと議論させていただけ
ればと思っております。よろしくお願いいたし
ます。
原田 どうもありがとうございました。それで
は、先ほど基調報告していただきました長岡大
学の鯉江さんお願いします。
中村 それでは私の方から長岡市の考えている
地方創生のポイントを説明させていただきま
す。お手元の総合戦略の概要をまとめた資料を
ご覧ください。長岡市の、現時点で考えてきた、
あるいはこれから目指していこうとする地方創
生の取組みについて概要を説明させていただき
ます。
皆さんご存じの通り、人口減少問題というの
は、ここ数年地域でお住まいになられていて、
あるいはいろいろなところでそういう印象はお
持ちだと思います。私ども市役所の仕事とし
て、人口減少問題がクローズアップされてきた
のは、昨年(平成26年)の5月前後くらいでし
た。ご記憶にあるかもしれませんが、東京一極
集中の問題が掲載され、消滅可能性都市が大量
に出てくるという記事が、地方紙、全国紙に限
らず掲載されました。
その頃から国の動きがかなり急ピッチで始ま
り、今回のこの地方版総合戦略策定に至ったわ
けです。長岡市はこの10月に、長岡版総合戦略
=「長岡リジュベネーション」を策定しました。
この計画は、必置計画ではないのですが、国の
方が全国をあげてこの人口減少問題を解決して
いくために、都道府県、市町村に対して、地方
版総合戦略をつくって取組むことを奨励しまし
た。ここが出発点です。
昨年の夏前くらいから、長岡市でも、市長以
下、将来の長岡像について、議論してきました。
今までの様々な計画、例えば福祉関係とか、教
育関係とか多くの計画がありますが、今回のこ
の計画の特徴は、東京一極集中を国としても是
正する、全国各地にいわゆるダム機能をもつな
かで、人口の流れを地方に向けていこう、とい
う点を最大のポイントにしています。
したがいまして、今回の地方創生の地方版総
合戦略は、細かいいろいろな課題・施策等があ
りますが、長岡全体をとらえてこの先取り組ん
でいく方向を示した計画であるとご理解いただ
ければと思っております。
◉人口問題に取組み地域活性化を!
鯉江康正
(長岡大学教授)
長岡大学の鯉江です。先ほどはどうもありが
とうございました。専門は地域経済学という分
野でして、ここ10年くらいは北陸新幹線の地域
への経済的影響というものを追いかけてきまし
た。それ以外に皆さんと関わりがあるのは、長
岡花火の経済効果という??もやっておりま
す。
ここへ来て、新幹線が3月に開業して、予想
通りというか予定通り金沢の一人勝ちになって
いるわけで、上越新幹線沿線も元気にしていか
なければならないということで、これからしば
らくは人口問題等を研究してみたいというふう
に思っております。
それと、最後にちょっと言わせていただきま
したが、まちの駅を利用した地域活性化という
のは学生と一緒にやっていきたいということ
で、総合戦略も若者を中心に据えて考えていく
ということになっていますので、是非うちのゼ
ミ生にも活躍してもらいたいと思っています。
今日はよろしくお願いします。
原田 どうもありがとうございました。それで
はさっそく、第一クールということで、長岡市
の総合戦略について中村課長から10分ほどで御
6
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
◉独自の命名「長岡リジュベネーション」で関心を
もってもらいたい!
◉第3の柱は産業振興=既存産業・起業等「働く場」
を確保する!
中村 長岡版総合戦略は、「長岡リジュベネー
ション」という名称をつけさせていただきまし
た。これについては、いろいろなご意見があり
ましたが、最終的にはこの名前にさせていただ
きました。
「リジュベネーション」という言葉は「若返り」
の意味ですが、長岡全体のまちとして、常に持
続性をもつという思いをこめております。2つ
目には、より多くの方に関心を持っていただき
たいと思って独自の名称をつけました。若い方
を含めて「長岡リジュベネーション」という名
前が何を言っているのかというところを含めて
関心を持っていただきたいという思いから、名
前も一般的な名前ではなくて、長岡独自の名称
をつけさせていただきました。
中村 3つ目は、人口減少問題への施策の効果
は、多分1年や2年で出てくるものはないと
思っています。息の長い、持続性のある政策を
ずっと続けていくことによって効果が出てくる
と考えております。そのなかでも、
「働く場」
がなくては、生活できません。企業誘致であっ
たり、起業がクローズアップされますが、現在
地元でがんばっている企業、地元の産業を継続・
発展させる必要があります。仕事場の確保とし
て、地元産業の支援、企業誘致、起業支援が3
番目の柱であります。
◉7つの戦略分野で推進を!
中村 トータルで、10年、20年の長いスパンの
政策を展開していく。ただし、ここで矛盾が起
きます。この計画期間は、5年間です。今回の
計画は、今年度を含めて5年間で区切ることに
なります。しかし、長岡市は、10年、20年先を
見据えた展開をしていきたいという思いをこめ
てつくっております。
大きい柱はいま申し上げた3つですが、より
具体的には、7つの大きな分野に分けた戦略
からなっています。第1の戦略は、「若者定着」
です。長岡には、3大学1高専・15専門学校が
あります。これは地方都市においては非常に恵
まれている環境です。その環境を活かした若者
の定着を図る。第2の戦略は、
「子育て」環境
の整備ですね。第3は、「教育」ですね。そし
て第4は、
「働く」ですね。産業であったり農
業を含めた中で働く。第5は、
「交流」です。
定住だけが今回の人口減少問題ではありませ
ん。11地域からなる長岡市のそれぞれの地域に
はいろいろな資源があります。また、県外、国
内外、様々な方から長岡という地方都市を分
かっていただくなかで交流を推進していく。第
6は、「安全安心」です。長岡市で生活するう
えで、安全・安心でなければなりません。最後
第7は、
「連携」です。近隣・関係市町村や都
市圏との広域連携など多様な連携が不可欠にな
ります。
◉長岡元気回復の第1の柱は若者主役=若者に将
来の長岡発展のエンジンになってもらいたい!
中村 「長岡リジュベネーション」の特徴、考
え方の出発点で議論されたのが、この人口減少
問題が、誰に大きく影響する問題なのか、とい
うことですね。本日は学生さんも参加していま
すが、まさに、10年先、20年先に成果が出てくる。
ですから、議論の最初の段階で、いかに若い方
の問題かというところを気づいていただき、長
岡の良さを知っていただいて、それで10年、20
年先に、さらに長岡を発展させていく人材ある
いはエンジンになっていただきたい。そのため
に、現役あるいは経験豊かな世代が若者を応援
する。そういうことで、若者の皆様から主役に
なって欲しいという考え方を大きく1つ目に打
ち出しています。
◉第2の柱は人材育成=米百俵の精神の実現を!
中村 2つ目は、長岡には「米百俵」の精神が
ありますので、やはり人材を育てること、将来
に向かって支援していくことですね。未来に向
けた投資戦略という観点から、特に教育を大き
な柱の2つ目としています。
7
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
◉ながおか・若者・しごと機構を先頭に進もう!
◉10代∼ 30代の若者50人が若者会議に参加
中村 最後に、ながおか・若者・しごと機構の
資料も配布されていますが、12月に設立します。
学び、暮らし、仕事、魅力づくりなどを若者と
産官学金の連携で、総力をあげて推進します。
ここにおられる学生、若者の皆さんにぜひ参加
していただきたいと思います。
以上、簡単ですが、長岡版総合戦略=「長岡
リジュベネーション」の概要のご紹介を終わり
ます。
原田 どうもありがとうございました。それで
はパネリストの方に、それぞれの立場でこの創
生戦略については関わられておられると思いま
すので、これについての感想あるいは提案なり
がありましたら。なるべく短めにお願いします。
それでは大森さん。
大森 先ほどから、「ながおか若者会議」とい
う名称が出ていますが、長岡市市長政策室政策
企画課の若者・しごと機構の若者会議の活動の
ことだと思います。10代から30代までの学生、
経営者、NPOなど50名ほどが参加して活動し
ています。5グループに分かれて、酒と食、農
業活性化、子育て支援、若者の居場所づくり、
企業と人・若者のネットワークづくりに分かれ
て、活動しています。私がプロジェクトリーダー
をしているのは、そのなかの若者の居場所づく
りというテーマです。まだ出すには少し早かっ
たのですが、昨日も若者会議がありましたが、
皆さん本当に何がやりたいのかと聞いて、何が
したいか、自由な発想で議論しております。
本当にまじめな話をしてもいるのですが、も
うちょっと暗くやりましょう、というのをこの
前題材にしてやらせていただきました。こんな
ところでいいですか。いまのところはこの程度
にさせていただきます。
原田 具体的には後でまたお聞きしたいと思い
ます。それでは次に栗原さんお願いします。
◉若返り戦略のイメージを!−アートのまちづくりなど−
大森 長岡には、3大学1高専15専門学校、ほ
かにも高校を入れるともっとたくさんの学校が
あります。高校生の場合、県外に出られる人が
多い。3大学1高専15専門学校の学生は、昼間
は長岡におり、多くの人が市内に住んでもいる。
若い人が集まっているなかで、若返りを考えた
ときに、各学校、学生の特徴を活かした活動を
展開する。例えば、長岡造形大学はデザインの
学校ですから、学生が参加して長岡駅前を全て
アート化してしまう。長岡はアートのまちだと
いうことで、アートに興味がある子ども達がさ
らに集まってくる。
また、長岡技術科学大学は、外国人学生が全
国一入学するような学校ですから、その方々を
いかに長岡市で起業するか。その環境を創る。
そういう新しい価値観を広めることが若返りの
戦略ではないかと思っています。
若者らしい意見を言いますと、やはりオシャ
レ、カッコイイ、カワイイといったキャッチー
な言葉に繋がることになれば良い。オシャレな
おじさん、カッコイイおねえさん、カワイイお
ばさんというように。そういったような若い方
の意見に耳を貸していただくことが、若返りの
はじまりではないかと考えております。
原田 大森さんは、ながおか若者会議でどんな
ことをされていますか。
◉長岡の思いをいかに東京に届けるか、情報発信
をどうするかが問題!
栗原 私はいま29歳で20代なのですが、若者会
議にも出席しておりますが、そのなかでも比
較的若い方ではないかと思っております。この
総合戦略を最初に公になる前に拝見したときか
ら、若者に寄り添っているな、若者のことを考
えてくれているなと、と思いました。中村さん
からは、若者を中心にしたものではなくて、長
岡の若返りなのだという話も冒頭ありました
が、私の印象としては、若者に寄り添ってくれ
ていると好印象を感じました。
ただ、こういった施策はいろいろと言いたい
ことはあるのですが、戦略としてはすばらしい
ものなので、それを主な施策としていったとき
に、どういうふうに発信していくかが重要だと
思います。良いことをしていても、やはり人に
知られないことには、それを魅力に感じていた
だけません。特に地方創生でやろうという総合
戦略、東京一極集中を打開するために地方に人
を呼びたいと言っているのに、こういった情報
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
が、そういった東京の人にも届かないと、なか
なか長岡の若返り戦略はうまく歯車が回ってい
かないのではないかと感じました。
ないのですが、国が提言している地方創生とい
うのは、いわゆる金太郎飴ではなくて、新潟県
には新潟県をはじめとして31の市町村があるわけ
ですが、その31の市町村が独自の色を出して政策
を進めていくことによって人口減少に対して歯
止めをかけていきましょうということが本当の
意味での地方創生ではないかと考えています。
そこで、私どもは、実は、昨年大きく発表さ
せていただいたのですが、昨年10月に長岡市と
はこの地方創生に対して全面的に一緒になって
タッグを組んで取り組んでいきましょうという
ことで、包括連携協定を締結させていただきま
した。いままではどうしても私たち金融機関と
行政の皆様との間柄は、いわゆる財政を預かる、
市税を運用させていただいたり、金融面のお金
のことしか関わり合いがなかったのですが、こ
の地方創生を機に、企画の面であるとか、いま
は子育て、支援のこととか、まさにやらなけれ
ばならない産業振興といった面について一緒に
なって取り組んでいるところです。
これも口幅ったい言い方なのですが、地方公
共団体は、クルマでたとえるならばエンジン
であり、そのエンジンを正確に動かすためには
どうしてもオイルが必要でして、そのオイルが
私達金融機関でありたいというところで一緒に
なって支援させていただいているところです。
原田 北越銀行さんはいろいろやられておりま
す。後ほど、ご紹介ください。それでは、長谷
川さんお願いします。
◉移住女子のネットワークを創る!
原田 どうもありがとうございます。それとの
関連で、先ほど12月に移住女子のサミットをや
られるということを言われたのですが、これは、
7つの戦略でいうと、移住女子というのはどこ
に入りますか。
栗原 移住女子は、若者定着と交流というとこ
ろにあたると思います。私が活動している「思
いのほか」もそうなのですが、それも「働く」
と「交流」にあたります。いまは縦線で分かれ
ていますが、一緒にできるところもあるのでは
ないか。そういった点も施策の中で感じるとこ
ろです。
原田 移住女子は、最初に栗原さんにお会いし
たとき私は全然知らなかったのですごい興味を
持ったのですが、いま何人くらいの方で活動さ
れているのですか。
栗原 いまは少人数で、4名で動いております。
原田 長岡だけではなくて、県内のネットワー
クを持っているのですか。
栗原 新潟県に3人、長野に1人の合計4人な
のですが、全国移住サミットをきっかけに、今
後全国に移住女子のネットワークを広げていっ
て、女性達の豊かな暮らし方、地方での暮らし
方もできるというのを発信していきたいと思っ
ております。
原田 非常にいい事業ですね。がんばってほし
いと思います。それでは次に小柳さんお願いし
ます。
◉大都市部への魅力発信で人をよぶことが第1!
長谷川 先ほど、商工会議所内部の部会で人口
減少について議論したと申しましたが、何が課
題なのか。当然、人口減少にともない市場規模
が縮小していくので、ものが売れなくなる、そ
して労働人口が減っていくから人材確保が難し
くなるという話がありました。
ではどうするのか。本当にいろいろな意見が
出ました。若者の人口流出を止める、U・Iター
ンを促進する、U・Iターンのため企業誘致を
する、創業を支援する、さらに働きやすい職場
環境をつくる、女性が活躍できる環境をつくる、
子育て支援を充実させる、等々様々な意見が出
ました。
しかし、会員は企業経営者の方ですので、日々
◉自治体と連携協定−金融から産業振興全般へ
の取組へ−
小柳 銀行がどうして地方創生なのか。私ども
は地域金融機関でして、銀行も一企業として繁
栄するというところから、地方創生に真剣に取
り組むことこそ地域金融機関が生き延びること
なのだという考えのもと、私ども金融機関とし
て地方創生に参画させていただいているところ
です。
また、いまさら私がお話しするべきものでも
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
した。1900年は約4,300万の人口が2000年には
1億2,000万、2100年には4,900万台になるとい
う試算のなかで、人口減少そのものを止めると
いうよりは人口減少を前提とした社会の仕組み
なり仕事のやり方を考えて行くべきではないか
という意見も一部ではあるのですが、そのなか
で、いまやれることは、いまやっていることを
いかに発信していくかに尽きると思うので、こ
の辺を皆さんと一緒にやっていくのが会議所の
役割だろうと思っております。
原田 どうもありがとうございました。会議所
は戦略4「働く」で情報発信するとのこと、頼
もしいですね。それでは、鯉江さんに、全国の
アンケートで、先ほどは時間がなくてあまり話
ができなかったと思うのですが、長岡市の総合
戦略を全国のアンケート等の観点から、どんな
ふうに評価できるかお話しいただければと思い
ます。
の仕事のなかですでに、いろいろな判断をして
進んでおられる。また、人口減少問題は、中村
課長が言われたとおり、成果が出るまでは相当
な時間がかかります。議論はできても、なかな
かうまくまとめられないという感じがしました。
たとえて言うなら、生活習慣病みたいなもの
で、人口減少といっても、来年いきなり2割3
割減ったり、3年後に半分になるということで
はない。病気と一緒で、明日明後日死ぬわけで
はないけれども、このまま放置しておくといつ
か問題になりますよという問題なので、議論、
集約が難しいテーマです。そんななかで最終的
にまとめたのは、やはりUターンを促進しよう。
そのためには長岡というところがもっと良いと
ころだということを特に東京なり県外に出て
行った子ども達に伝える必要があるだろう。そ
の努力が少したりないのではないかという話に
まとまりまして、その辺の魅力を、企業の魅力
ももちろんですが地域の魅力をもっと発信して
いくべきではないかということで、その点を要
望させていただきました。要望した以上、行政
の皆さんと一緒にやりましょうということにな
りました。
◉非正規雇用者賃金をアップし結婚を増加させる
ことができるか!
鯉江 基本的には、先ほども言いましたけれど
も、長岡市が特に特殊なことをやっているわけ
ではなくて、全国で既に色々やられていること
を長岡版総合戦略自体は合致していると思いま
す。まさしく同じ向きである。
質問から話を変えたいのですが、今日配って
いただいたところに、長岡市の人口の将来変動
というものがあります。合計特殊出生率を現在
の1.5から2.19にもっていく。それによって人口
減少を食い止めるというのが計画されているの
ですが、実際よく考えてみると、いまの人達、
例えば1.5から2.2とすると0.7です。全員が0.7人
余計に生まなければならないという話です。こ
れは絶対無理だと思います。極端なこといえば、
いま2人生んでいる人達が、全員3人生まなけ
ればならないという話になります。
よくよく考えてみると、正規雇用と非正規雇
用を比較すると、現在、非正規雇用がものす
ごく増えています。非正規雇用の場合には給料
が安い。したがって結婚もできない。日本の場
合は中国と違って男性と女性の数がほぼ同じで
す。女性の方が少し多いのですが、これは高齢
者が多いだけですから、ほぼ同じなわけです、
若者については。そうすると女性に一人余計に
◉戦略4「働く」の魅力を発信し戦略1「若者定着」へ!
長谷川 先ほど示された総合戦略7つあります
が、商工会議所としてはやはり4番の「働く」
ということが役割としてあるのだろうと思いま
す。「働く」のなかの下の方にいろいろ四角で
書いてあります。産学連携とか販路拡大支援と
か、ここに書いてあることは、いろいろな段階
で実は取り組んでいます。ですが、なかなかそ
れが若い人に伝わっていないというのが実態で
はないか。特に長岡を離れてしまうと全く長岡
の情報が入ってこない。そこが一番の課題だろ
うということで、この戦略4のなかでやってい
ることをいかに発信して、そして戦略1の若者
定着へ繋げていくのか。ここが、商工会議所が
になう役割ではないかと思っています。
ある意味、地方創生は人の取り合いになるの
ではないか。9月に人口減少対策の講演会を
やって野村證券の和田さんという方に講演を
していただいたのですが、マクロ的に見ると
20世紀は人口が3倍になって、21世紀は逆に
それが3分の1になるのだという話がありま
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
な考えをしていますというのを発信して、地域
に興味を持っていただく。そして、是非、新潟
に行ってみたいですという声をたくさんいただ
きます。
先ほどの鯉江さんの話につなげてしまうので
すが、私達が「移住女子予備群」と呼んでいる、
地方に移住したいけれどもきっかけがない、ど
こに行きたいというわけでもない、でも地方
に移住したくて東京での暮らしがそろそろ飽き
てきたという20、30台後半くらいの女性までい
らっしゃるのです。私達がびっくりするくらい。
先日開いたイベントでは、30、40名定員のとこ
ろを60名くらいの女性が来たりとか、本当に東
京の女性達はそういった情報を求めている。そ
ういった移住女子予備群がいっぱいいるのに、
うまく地方の男性とのマッチングができないだ
ろうかとずっと思っていました。その1つに、
長岡の若者会議のなかでも、「農的男子図鑑」
と名乗っているプロジェクトがあるのですが、
長岡の、田舎暮らしだけれども格好良い暮らし
方、生き方をしている男性達をフリーペーパー
で紹介しようというチームがあります。
そういったふうに、長岡で活躍している、地
味だけれどもがんばっている男子をどう見せる
かというのも情報発信の1つだと思うのです。
そういったものと、移住女子予備群をうまく
マッチングさせることができれば、人口増にも
つながるのではないかとも思いますし、それに
合わせて鯉江さんがおっしゃったように雇用も
大事な話だと思うので、男子がいつまでも元気
に働ける、地元のある人達が元気に暮らしてい
ける基盤もつくっていただきたいと思います。
原田 中村さん、この辺どうですか。総合戦略
のなかでいうと、重点になりそうですか。
産んでくださいということは現実には無理でし
て、産む人の数を増やさないと駄目なのです。
そうなれば、これはできないとは思いますが、
長岡の企業が例えば一人正規雇用を雇った場合
に非正規雇用分との差額を補償してあげる。そ
うしたら皆長岡へ来て働きます。そして皆結婚
してくれるようになります。そういう政策を打
つ、そういう方向に持っていって人口を増やし
て元気になっていくということしかないのでは
ないかと思います。
私自身も正規雇用で21年前に移住してきた男
子ですので、長岡が気に入って1年で家を買っ
て、やっと来年3月に住宅ローンが終わるの
で、これからは長岡でいっぱいお金を使おうか
と思っていますが、そうやって人口を増やして
いくということが非常に大事ではないかと思い
ます。
原田 その点は後でまた議論したいと思いま
す。それでは、第2のクールに移りたいと思い
ます。地域活性化にはどんな事業、活動が必要
か、のぞましいか。
栗原さんは東京から長岡に移住した、長岡に
とっては人口の社会増にあたります。そのとき
に情報発信が非常に重要だと言われた。良いこ
とを言っても発信できなければ駄目だと言われ
た。まったくその通りだと思います。先ほどの
移住女子のサミットのように、長岡のいまの若
者会議とかを見ていて、もうちょっとこれはこ
うした方が良いのではないかというアイデアは
ありますか。情報発信。若者だけではなくても
良いのですが、地方創生も長岡のものをいろい
ろなところに知ってもらわなければ人は増えな
いわけです。何か、いいアイデアがあれば。
◉見られるホームページ、長岡の魅力を具体的に発信!
−地方の魅力のリストを発掘−
◉交流づくりの工夫で若者定着へ!
栗原 私が思い浮かぶのは、1つはホームペー
ジというのがあるのですが、いまの長岡市の
ホームページは絶対に見ないだろう、それで広
報しても意味がないだろうというのは正直に思
います。2つ目は交流という点をつかいまし
て、移住女子も、ただ地方へ行ってフリーペー
パーを出して発信しているだけではなくて、実
際に東京に何回か通っているのです。そこで実
際に移住女子はこんな生活をしています、こん
中村 厳しいご意見ですが、ホームページをは
じめ私どもも情報発信について強化する必要を
感じております。また、いまの交流のやりかた
を考える必要もあると考えております。栗原さ
んが言った通り、来てもらうための情報発信も
必要だし、若い皆さんを中心に、20代、30代く
らいの方が出会う場、あからさまな婚活ではな
くて、何らかの共通した目的、例えば、移住と
か、趣味であったり、そういう出会ったり交流
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
既存の産業もさることながら、先ほど課長から
も話がありました通り、新しい産業を創出して、
そうした新しい産業にいかに雇用を増やしてい
くかというところに着眼点を置いた支援が大切
ではないかと思います。これが基本です。より
具体的には、地域経済循環創造事業交付金と新
潟県戦略産業雇用創造プロジェクトの2つの支
援策があります。前者の交付金は、総務省管轄
の補助金事業でして、地域の資源を活用して新
しい産業を創出する場合の助成事業です。具体
的には、長岡市と連携しまして、昨年から今年
度にかけて3つの事業を支援させていただきま
した。A社が、収集してきた枯れ葉を利用して
もやした熱エネルギーと電気エネルギーを活用
して植物工場をたちあげます。B社はいわゆる
廃棄処分になる可能性のある規格外野菜を活用
して新しい商品、長岡のブランド化になるよう
な新しい商品、ディップソースをつくりますと
いう事業。C社は、米粉を活用してクッキーを
つくる。ただしこのクッキーについては、いま
までもたくさんの米粉事業を新潟県内で行って
いるのですが、アレルゲンフリーという食品で、
保存食と児童のアレルギー対策としてのおやつ
代わりですね。以上の3つの事業に対して申請
をあげて交付金をいただいた事例です。もちろ
んここに雇用もつながってまいりました。
できる機会をどんどん増やしていければなと
思っています。戦略1「若者定住」と戦略5「交
流」をうまく組み合わせて成果をあげる、そう
いう方向で今後取り組んでいきたいと思ってい
ます。栗原さんのご指摘はまさしくその通りだ
と感じております。
原田 本当は時間があれば、そういう移住女子
予備群は本当にそんなに居るのかと質問をした
いのですが、これはやめることにしたいと思い
ます。大森さん、どうですか。若者会議、情報
発信をどうするか。
大森 やはり若者会議なのだから若いやり方を
したいと思っていますし、12月1日にいよいよ
後ほど出てくるのですが、若者仕事機構がたち
あがると同時に、若者会議もそれを拠点にして
動き出しますので、随時我々総出で、もちろん
長岡市も、オール長岡で発信するしかないで
しょうね。
原田 栗原さんが鯉江さんの賃金、給与の話を
していましたが、鯉江さん、情報発信とかアン
ケートで参考になりそうなものはありました
か、あるいは個人の意見でも良いですが。
鯉江 今日の資料のなかで、長い表があったと
思うのですが、それを見てもらうと、結構やはり
女性支 援だとかそういうものに対して反応して
いるのです、人口が増えているところは。そうい
う部分が大事になるのではないかと思います。
原田 どうもありがとうございます。それでは
次に小柳さんと長谷川さんに、小柳さんには、
いままであまり産学官といって金は入っていな
かったのですが、最近入るようになりました。
金融機関としていま地方創生というので、実際
どういうことをホクギンとしてやられているの
か、ご紹介をいただけますか。
◉六次産業化事業も支援!
小柳 次に、銀行はどうしても融資する際に担
保をいただくケースがあります。担保は、通常
は不動産が多いのですが、新しい手法として、
ABL、Asset-based Lendingという金融手法を
活用させていただいたという事例です。つまり、
事業そのものを銀行として評価して、商品在庫
や売掛金などを担保にして、融資する手法です。
今回は、長岡が発祥の地である錦鯉事業を錦鯉
を担保にして金融支援をしました。この事例は、
錦鯉をさらに世界に発信しているというブラン
ド支援という位置づけで取扱いさせていただい
たという事例です。
さらに、六次産業化応援ファンドという新事
業支援事業があります。新潟市の事例ですが、
肉牛農家がステーキレストラン・焼肉店を展開
する六次産業化支援事業です。新会社設立をし
ましたが、その新会社に対して銀行は融資とい
◉地域資源活用型の新規事業を支援!
小柳 実は金融機関も本当に昔から産学官連携
をかなり真剣に取り組んできています。今日は
皆様に配布させていただいたパワーポイントの
資料をごらんになっていただいて、3分くらい
で事例をお話しさせていただきます。
金融機関としての立場で、なかなか婚活に対
して合コンを開きましょうというわけにはいき
ませんので、我々としてできることとは、産業
の育成が中心になります。産業の育成も、実は
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
販促支援の1つの場をつくろうということで計
画したものです。明日、明後日、ハイブ長岡で
開催されるながおか野菜クオーレ祭りです。左
上に小さな字で書いてあります、「伴走型小規
模事業者支援推進事業」と。実はこれは国の事
業で、補助金をいただいて実施しています。国
の方向性としては、いままでは企業の成長・発
展、やる気のある企業を支援していこうという
流れだったのですが、昨年、一昨年くらいから、
小規模事業者、小規模の定義は従業員数が20人
以下、商業・サービス業だと5人以下という企
業が継続できるように支援するのが商工会議所
の役目でしょうということでこの事業の補助金
化ができています。ここには70社と書いてある
のですが、実はこのあと増えて79社が明日ハイ
ブに出展されます。野菜そのものを扱っている
ところだけではなくて、例えば神楽南蛮の味噌
漬けですとかジャム、長岡の野菜のソーセージ、
いろいろなところが出ますが、その目的はそう
いった企業が販売促進につながるように、そう
いう場をつくろうというのが商工会議所の使命
であると捉えて、特に小規模事業者ということ
を今後国の方向性のなかで強化していかなけれ
ばならないということなので、先生がおっしゃ
るように先端的な企業の支援ももちろん必要な
のですが、広くあまねく小規模事業者も支援し
ていくという方向性でいます。
う形ではなくて資本参加、出資させていただい
て、大きくビジネスを展開していただきたいと
いうところです。
まだ実はお話をさせていただきたい点は多々
あるのですが、冒頭申し上げました通り、新し
いビジネスに対して銀行も積極的に支援させて
いただいているという、これが働く場を確保す
るところにつながるのではないかという思いで
取り組んでいる次第です。以上です。
原田 支援は具体的に何をしているのですか。
つまり、企業が、私のいままでの経験では交付
金の申請書を全部書けるなどとは思っていない
のです。それを北越銀行が書いてあげるという
ことですか。
小柳 ほぼ100パーセントこちらで申請手続を
させていただいております。
原田 戦略4「働く」で、産業に焦点が、雇用
のところで当たるわけですが、商工会議所の、
先ほどの長谷川さんの話でいくとU・Iターン
も同様なのですが、会員企業が新製品開発やブ
ランド品を開発するとか、そういう成長戦略を
とることによって雇用を拡大するとか、賃金も
上がるということになって、それがひいては長
岡の産業の魅力をつくるということになると思
うのですが、その辺についてはどうですか。
◉企業のビジネスチャンス
(販売促進)
を拡大する!
◉創業者クラブで成長企業を育成!
長谷川 実は先週も幕張メッセの展示会に会員
企業11社が出典しました。これは鉄道の技術展
という、鉄道関係の展示会、車両とかそこに使
われる部品、そういったものの展示会です。長
岡には11社も、鉄道関連製品の企業があるのか
と思われるかもしれませんが、必ずしも直接関
係がないものであっても何か使えるものがあれ
ばということで出展しています。例えば、鉄道
でもし事故があったときに緊急時の脱出シート
をつくっている会社ですとか、鉄道関連でビジ
ネスチャンスを見つけるために参加していま
す。NPO法人長岡産業活性化協会NAZEと
いうものづくり企業の団体とも連携しながらい
ろいろな形で仕掛けていきたい。
企業にチャンスを与えていこうというのが
我々にできる場づくりになると思います。お手
元の、「ながおか野菜クオーレ祭り」というチ
ラシをご覧ください。これもそういった企業の
長谷川 あともう1枚、お手元に「創業者クラ
ブ」というチラシが入っています。これも今回
の総合戦略のなかには創業支援がありますが、
その一環でもあります。昨年から創業者クラブ
を立ち上げて、参加費無料の会員制組織になっ
ています。いま45名のクラブメンバーがいます。
おおむね創業5年以内の経営者と、これから創
業しようという方もなかには入ってはいます。
なぜこれをたちあげたかというと、創業までは
色々な支援があってこぎ着けるのだけれども、
その後なかなか商売を続けていくのが厳しいと
いう実態があります。ですからこういうクラブ
をつくって8月以降毎月1回会合を開いて、金
融機関からもご支援いただきながら銀行との
付き合い方とか、実際経営に役立つような中身
を、皆で集まって勉強しようと。創業者といっ
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
ても、いろいろな年齢、業種も様々なので、な
かなか相談する相手もいないということも悩み
として聞いていました。ですからこういった場
で出会った方々といろいろなことを相談しあい
ながら商売がうまくいくようにという狙いがあ
ります。いろいろなネットワークをつくること
が商売の広がりにもつながるだろうということ
でこういったものをたちあげて運営しているわ
けです。
ですから、商工会議所としてはいろいろな、
小企業、大企業いろいろあるのですが、それぞ
れ魅力のある企業をつくることが若者にも伝わ
り、ひいては若者が定着するまちになればと
願っております。以上です。
原田 ありがとうございました。大森さんは経
営者なので、経営者として活性化のポイントが
あれば一言お願いします。
で、若者会議を立ち上げています。先ほど、参
加されている大森さんや栗原さんのお話があり
ました。この活動からくるものを、良いか悪い
かは別として大切にしていきたいというのが1
点であります。
2点目は、事業支援のオール長岡の体制をつ
くりあげたい。ある程度、見えているのですが、
3大学1高専15専門学校、商工会議所、商工会
連合、長岡市、北越銀行や大光銀行などの金融
機関さんも含めて、オール長岡で設立したい。
ある程度設立に向けて、いいところまで来てい
るので、そういう活動からやっていきたい。
3つ目に、事業的には、まもなく1つ2つ出
てくるのでしょうが、若者会議の皆様、先ほど
からプロジェクトという表現を使われています
が、そこから出てくるもの、取りあえず出来る
ところから一生懸命、成功するか失敗するかは
別としてやっていければと思います。当面、大
きく2つ、3つを、今年度でしっかりやってい
きたいと思っています。
原田 どうもありがとうございました。私の疑
問を1つさせていただきます。長岡市は総合戦
略づくりと同時に総合計画も策定しました。鯉
江さんも総合計画のメンバーですが。人口減少
は5年で止まる、解決するということはあり得
ない。かなり長い取組になる。そうすると、総
合計画と地方創生の総合戦略の関係はどうなる
のでしょうか。事業を継続するためにはどうし
たら良いか。お考えがあれば、お願いします。
中村 いきなり総合計画との関係といわれても
皆さんの頭が混乱すると思うのですが、いま
言った総合戦略はしっかりやっていく。その上
でいま検討しているのが、総合計画というもう
一つの大きなまちづくりの計画です。それが今
年度終了しますので、総合戦略も踏まえ、今後
きっちりと関係の皆さん、議会の皆さんと議論
をしながら、今年度のなかでつくっていきたい
ということです。
原田 ありがとうございました。あまり時間が
ありませんから、パネリストの方、若者を中心
に進めるとのことですので、具体的にこういう
事業を当面やろう、はじめようというアイデア
等あれば一言ずつお願いします。大森さんから。
◉技術継承の人材育成の仕組みに支援を!
大森 では、大森木工の代表で話をしますが、
私の会社もそうなのですが、技術の継承が出来
ているのだろうかというところがあります。木
工業界でも熟練工が不足しております。中核層
が抜けておりまして、技術を継承していくのに
はどうしたら良いか、私も常々、頭を痛めてお
ります。なかなかいいアイディアが出てきませ
ん。例えば、資格取得や研修などの大会など、
様々な業種であると思うのですが、そういった
ものに関する支援・助成があるとありがたいか
なと思っております。資格を取得したり、大会
で優勝、受賞すると、若い子達も、実力が身に
ついて自信になります。
原田 どうもありがとうございました。それで
は3番目、ながおか・若者・しごと機構で主に
何をやるかという点に移りたいと思います。最
初に、中村課長に、当面まずどこら辺をやりた
いか、例えば3つとか簡単にご説明いただけま
すか。
◉ながおか・若者・しごと機構の立上げをしっかりと!
中村 ながおか・若者・しごと機構という名称
で活動をしたい。まずは、プレイヤー側の話と
して、若い方々に集まっていただいて、自由な
発想で自由にやってもらいたいというところ
14
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
◉若者が<僕らの街だ!>と言えるように!
皆さんのお力を借りて、できるにはどうしたら
良いかということを教えていただいて、1つで
も2つでも必ず前向きに、若い人達が、僕らの
まちだ、と言えるような世界にしていただける
とありがたい。そのために総ての力を使います。
原田 どうもありがとうございます。是非力強
く進め、情報発信ができるように。
大森 すみません、いまの話とちょっと違いま
して、いま栗原さんもおっしゃったのですが、
今週日曜日に石破大臣が視察に来られました。
私もそのお昼に同席させていただきまして、石
破大臣が、鳥取県出身なのですが、日本海側の
地方は、皆上からの圧力が強くて子ども達が全
く育たない環境なんだよねという話をしたので
すが、そのなかで長岡市はちょっと違う。大人
もこどもも、男も女も、皆好きなことを言いな
がら、まちのためを思っている。まちを愛して
いる。長岡市を愛しているというのがすごく伝
わりました、という話をしていました。
原田 どうもありがとうございます。栗原さん
一言。
大森 若者会議は5グループに分かれていまし
て、1つのグループは、雪と食に関して提供す
る場をつくるという取組みです。雪のデメリッ
トをメリットに変える、長岡の野菜を使うとい
う形で、冬の時期に行いたいと言っています。
ですから1月か2月か3月かというところで、
長岡市内で必ずやってくれると思います。
2つ目は、農的男子のグループです。先ほど
栗原さんがおっしゃっていますが、そちらも
着々動いておりますが、それがどこまでいった
のかは私も分かってはいないので、後ほど発表
になるのではないかと思っています。
3つ目は、子育て支援のグループです。ママ
さん達が集まって子育てに関して情報の一元化
等をつくりはじめています。形としては、流動
的に動くのかなと思いますが、どこが決着なの
かは私では分かりませんが、それはそのグルー
プで動いております。
5つ目は、企業と若者のネットワークづくり
のグループです。12月13日に、東京と長岡から
1人ずつ、起業家をお招きしてお話しする。そ
こに若い学生等をたくさん呼んで、アオーレで
行いますので、是非興味のある方はまた見に
行っていただければと思います。
4つ目は、居場所グループです。これは私が
代表をしています。若者の居場所、何があるの
という話で、学生からも、長岡では遊ぶ場所が
ない、僕らの居る場所がない、いろいろなこと
ではじまりました。あまりにも範囲が広すぎて、
どうまとめて良いかは正直分かりませんが、12
月1日に、我々の拠点の改装を行います。デ
ザインは長岡造形大学の教授のチームが行い、
パークという学生の団体がつくります。昨日も
朝9時に、私も立ち会いまして、どのように行
うかを話し合ってきました。そのなかで、若い
人達は皆さん笑顔、聞いてあげてください。ど
んなものがおもしろくない、まちを歩いていて
おもしろくない、どうしたら良いですか。各所
にアートを置く、そういった自由な発想からは
じまっています。ゲートボール場が余っている
のがたくさんある。ではどうするか。スケボー
場にしたいとか。自由な発想を引き出す係が私
の役割かと思っております。どうせ無理だよと
か、そんなのできないよ、と言うのではなくて、
◉諸先輩との連携で若者のアイディアのブラッシュ
アップを!
栗原 みなさま、長い時間ありがとうございま
した。その場で、石破大臣には、本当にそういっ
たことをおっしゃっていただいて、長岡市は市
民力があるとおっしゃっていました。私もNP
O法人の代表をしておりますし、そういうふう
に感じております。
大森さんの話を聞いていたら、何を言おうと
したのか忘れてしまいましたが。私も若者会議
の一員として、食のチームに入っています。た
だ、2月20日にイベントだけをやろうというの
ではなくて、そのイベントを皮切りに、長岡の
観光産業をつくっていこうと思っています。他
のチームがどんな活動をしているかというのは
分からないのですが、若者自体も、今後の長岡
の未来を考えて動いているということを皆様に
気に留めていただきたく、またその若者会議で
いろいろな自由な発想で、大人からすれば、馬
鹿者と言いたいようなアイデアもあるかもしれ
ませんが、それが若者の特権です。その視点が
今後長岡を救うかもしれない。ぜひ、長岡の諸
先輩方、いまいらっしゃる方々からご意見をい
15
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
ていただく、などをやっていただけたらと思い
ます。
若者自身が、私達にない柔軟な発想をもって
この機構を盛り上げていくことこそ、長岡市
の地方創生、人口減少に歯止めをかける1つの
きっかけになるのではないかと思います。私ど
も金融としても、できる限りのご支援をさせて
いただくつもりです。本日、午前中発表させて
いただきましたが、そのような観点から、私ど
も北越銀行からは、ながおか・若者・しごと機
構に1名行員を派遣させていただいて、共にこ
の機構を盛り上げていこうと考えております。
以上です。
原田 どうもありがとうございました。それで
は商工会議所の長谷川さんから。
ただきながら、若者のアイデアがブラッシュ
アップされて、長岡をより良いものにするので
はないか。それが長岡のリジュベネーションで
はないか。相互にとって若返りというものが、
そういった関係性の中で生まれるのではないか
と思います。
いま、中村さんがおっしゃったように、市長
も自由に若者会議はやってくれと言われるので
すが、自由ななかにも、なかなかやりづらい部
分とか、自由すぎてなかなかまとまらないと
いったこともあるので、ぜひ、大人の皆様、私
も大人ですが、諸先輩方のご意見もいただきな
がら、すばらしい長岡をつくっていければと思
います。ありがとうございます。
原田 ありがとうございます。それでは小柳さ
んお願いします。
◉Uターンを把握する仕組みづくりを!
◉若者主役で「ながおか・若者・しごと機構」を
盛り上げよう!
長谷川 2つあるのですが、1つはU・Iター
ンのことです。そもそもUターンの割合がどの
くらいなのかという実態も実は分からないとい
うのが現状です。高校卒業後の進路はだいたい
わかりますが、大学に進学した人が卒業後どう
なったかはわからない。これが、実態です。い
ろいろなハードルがあるのかもしれませんが、
ぜひ、Uターンの比率を把握していただきたい。
そうでなければ成果は見えづらいと思います。
感覚的に3割か4割かなという、皆さんの同級
生等を考えるとそういうのはあるのかもしれま
せんが、実際のところが分かっていない。全数
は無理でも抽出で比率だけでも分かれば、成果
がはかりやすくなるのではないかと思います。
それから、Uターンそのものについてです。
実は非常にハードルが高い。そもそも中途採用
というかたちになります。Uターンには2種類
あって、新卒でUターンと、あとは30代、40代
になってからUターンという2つあります。後
者は把握するのがなかなか難しい。そもそも企
業にそういう採用枠はありませんので、よくわ
かりません。その辺は仕組みをつくる必要があ
るのだろうと思います。商工会議所も協力でき
るところはしなければならないと思うのです
が、そこができないと、いくらU・Iターンを
促進しましょうといっても言葉だけで終わって
しまいます。今後、若者・しごと機構でも検討
いただきたいと思います。
小柳 長時間ありがとうございました。私ども
は、先ほどお話をさせていただきました通り長
岡市様とは包括連携を締結させていただいてい
る関係で、様々な関係をつくっていますが、若
者・しごと機構は大変すばらしい取組みである
と私ども銀行としても考えております。
皆様ご存じの通り、長岡市内には日本を代表
する米菓メーカーがあったり、新潟県内を代表
するゼネコン本社であったり、またものづくり
産業が集積しています。人口減少に対応してい
くためには、新しい産業の創出、創業やベン
チャー企業の支援をしていく必要があります。
いわゆる内発型の産業振興が不可欠です。その
点で、若い世代の方々の意見が必ず重要になっ
てくるのではないかと考えております。
ながおか・若者・しごと機構では、若者の皆
さんが主人公になっていただき、金融の立場か
ら言わせていただきますと、企業と学生との交
流の場をもう少し考えていただきたいな、であ
るとか、学生向けの創業塾であったり、3大学
1高専15専門学校の皆様が主体的に学生の学生
による学生のためのまちづくりサミットを開い
たり、とかを進めていただけたらと思います。
さらに、就職してからの生活環境として、若者
の住宅環境整備について考えていただく、子育
て・育児の面への若者の皆さんのご意見をだし
16
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
◉学生スポーツ大会など学生が交流する仕掛けづくりを!
ね、という話になる。去年うちの学生が、小千
谷の中心部から駅まで歩いていったのです。冬
の雪はどかすから道路なんですよとか言われて
しまったのですが、そんなの良いではないか、
一度どかしておいてもう一度戻せばという話。
そういうことはできるし。小国では、雪上バイ
ク大会をやりました。これを優勝すると世界を
制する。だって、世界中でそこしかやっていな
いから。
私は、例えば、長高は都会では少ないです。
ものすごく人気があるのです。誰が見に行くか
分かりますか。お母さん達は、息子が裸になる。
川越高校はウォーターボーイズで、長岡は長岡
版トライアスロンをつくりましょう。雪を走っ
たりスキーをしたり、海で泳いだり、山を登っ
たり。そういうことをやれば皆がついてくる。
それで世界一になるのだという形を、何か夢と
してもっていただきたいということで、お願い
します。
原田 それでは最後に中村課長、いかがですか。
長谷川 もうひとつは、先ほどから話がありま
したが、3大学1高専15専門学校がり、数千人の
学生がおります。であれば、何か学校代表のス
ポーツ大会をしてはどうかというアイディアが
出ています。学校対抗でも企業対抗でも良いの
ですが、何か多くの人を巻き込めるような仕掛
けが必要ではないか。大森さんも栗原さんもリー
ダーとしてがんばっていただいて、お2人はそ
の道のリーダーですが、一般の人達も巻き込む
ような仕掛けを是非お願いしたいと思います。
やることがない、おもしろくない、居場所がな
いという話がよく出ますが、そうであればそう
いう場所をつくるのも1つの手だと思います。
また、例えば子ども達に勉強を教えるとか、
スポーツや音楽をそういう若い人が教えること
で、地域にとって若い人が重要かつ溶け込んで
やりがいをもつという仕掛けもできるのではな
いかと思っています。是非、若い方は自己ア
ピール力とかセルフプロデュース力は我々の世
代と比べて高いと思うので、そういう優秀な個
の力をいかに地域としてまとまりにしていくか
というところがポイントではないかと思ってい
ます。よろしくお願いします。
原田 どうもありがとうございました。もうほ
とんど時間がありません。鯉江先生、何かあり
ますか。
◉縦割りを排して<連携>へ!
中村 まず、
「ながおか・若者・しごと機構」を「な
がおか・若者機構」に変更するとのご意見です
が、名前を変えるのは勘弁してください。
皆さんの意見を聞いて、1年近く地方創生で
取り組む中では、やはり連携が一番難しいと考
えています。言葉で連携というのは簡単なので
すが、それは非常に難しいと感じます。例えば、
私の場合ですと、北越銀行とか、普段、金融機
関の方とはつきあわない部署です。3大学1高
専の方々とも、本来でいうと連携協定があるの
ですから連携に問題はないはずです。15専門学
校の方々は今回初めてお会いしようということ
になった。大森さんをはじめ、栗原さんのよう
な若い方々と意見交換をするというのはもっと
はじめてです。
参加者の皆さんにそれぞれの立場や事情があ
るように、私ども市役所も公平という部分での
仕事をきっちりとやっていく一方で、地方創生
のアイデア出しでは、関係の皆さんと行政分野
の縦割りの壁を越えていかなければならない。
地方創生では、例えば福祉保健部と商工部、あ
るいは教育委員会、農林部が1つになって、は
じめて効果が出てくるのではないかという気が
◉若者がやりたいことで「世界一」の世界づくりを!
鯉江 これは名前が決まってしまったのでしょ
うがないのですが、できれば「ながおか・若者
機構」にしてほしいですね。仕事なんて入れる
から真面目に考えなければならなくなる。長谷
川さんが冒頭言われたことは非常に大事でし
て、水飲み場へどうやって連れて行くのか。自
分で水飲み場へ行く人達は良いのですが、そう
ではない若者がものすごくいる。その人達をど
うやって連れて行くのかという仕掛けが大事で
はないか。スポーツという話がありましたが、
それも私はいいと思います。
もう1つ、大森さんが言われた、できるかど
うかは問わないで並べてみようというのも、も
のすごく大事だと思います。おっしゃるとおり
ですが、大人が入ると、そんなこと言ったって
17
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
します。若者や関係機関の皆さんを含め、「な
がおか・若者・しごと機構」が議論できる場に
なれば良いかなと思います。
◉参加する学生を増やす仕組みが大きな課題!
原田 どうもありがとうございました。最後に、
一言申し上げたい。私の大学で、学生と話をし
ていると、先ほど鯉江さんが言われた、学生が
若い人が積極的にやるようにするにはどういう
仕掛けをつくるかということが、
「ながおか・
若者・しごと機構」で若者中心にといったとき
の最大の課題ではないかという感じがしていま
す。ですから、長岡大学の学生も、新潟から通っ
てきている学生もいますが、うちの大学にきて
いるだけであって長岡を何とかしようという意
識はまったくない学生も多い。そういう若い人
達が多いのではないでしょうか。そういう意味
では、若者が7000人いるといっても、そのうち
何人、長岡のことを考える人がいるのか、とい
う感じです。その壁をどうやって打ち破るかが、
この「ながおか・若者・しごと機構」が成長・
発展するかの鍵だという感じがしています。最
後司会として一言申し上げました。
今日は時間を過ぎてしまいましたが、長時間
にわたりましてご静聴いただきまして、どうも
ありがとうございました。
*なお、最後に栃尾地域の参加者から、「地方
創生には、除雪・克雪の取り組みが重要であ
り、長岡版総合戦略では不十分。という趣旨
のご意見があった。中村課長から、「ご意見
を参考に、総合計画での記述を考えていく」
という趣旨の回答があった。
*以上、文責:原田誠司
18
論稿
<平成27年度長岡大学COC事業・調査研究成果>
人口減少時代と長岡地域活性化の方向
―「人口減少問題等に関する全国市区町村アンケート調査」から―
長岡大学教授 鯉 江 康 正
<目 次>
はじめに(本稿の目的)
Ⅰ アンケート調査の概要
1 調査目的
2 調査設計と回収結果
3 調査項目
4 報告書の見方
Ⅱ アンケート調査結果
1 国勢調査からみた人口の推移
2 「人口減少問題等に関する全国市区町村アンケート調査」結果
2−1 昭和50年以降の人口動向と最近5年間の移動の理由
2−2 人口が増加している市区町村の増加要因・理由
2−3 人口が減少している市区町村の人口減少の影響
2−4 市区町村の人口減少対策と効果
Ⅲ 長岡市活性化の視点
1 長岡市住民基本台帳地域別人口・世帯数(平成27年10月1日現在)
2 アンケート結果のとりまとめと長岡地域(長岡市とその周辺)の活性化の方向性
参考:調査票・単純集計結果
はじめに(本稿の目的)
長岡大学では、現在「長岡地域<創造人材>養成プログラム」(文部科学省「地(知)の拠点整
備事業」=大学COC事業(平成25 ∼ 29年度)に採択)をすすめている。このCOC事業では、
地域課題の解決をめざして、地域の産業競争力調査(平成25年度)、創造人材調査(平成26年度)
を実施してきた。
平成27年度はこれら調査に引き続き、どのような方策が人口減少下において有効であるかを分析
し、地域の活性化方策等を提言したいと考え、『人口減少問題等に関する全国市区町村アンケート
調査』を実施した。本稿では、このアンケート調査の結果の概要紹介を行うとともに、長岡市の人
口減少対策に着目し長岡市の活性化の方向性を考察する。
なお、本稿は、『2015長岡大学地域連携研究センターシンポジウム「人口減少時代と長岡地域活
性化の方向−長岡地方創生への視点−」(平成27年11月20日)』における拙者の報告「人口減少時代
と長岡地域活性化の方向」をもとにまとめたものである。
19
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
Ⅰ アンケート調査の概要
1 調査目的
『人口減少問題等に関する全国市区町村アンケート調査』では、市区町村の人口動向と移動の理
由、人口が増加している市区町村の増加要因・理由、人口が減少している市区町村の人口減少の影
響、市区町村の人口減少対策と効果等を調査することによって、どのような方策が人口減少下にお
いて有効であるかを分析し、地域の活性化方策を考察しようとする目的で実施した。
2 調査設計と回収結果
(1)調査対象
平成26年4月現在の市町村(東京都特別区を含む)1,741市区町村を対象とした。
(2)調査方法
郵送配布・郵送回収
(3)有効回収数
有効回収数は548市区町村であり、回収率は31.5%である。
平成22年国勢調査時の地域別市区町村数と人口規模別市町村数の回収率は図表Ⅰ−1及び図表Ⅰ
−2のとおりである。地域別回収率をみると、北陸が43.2%で最も高く、四国が22.1%と最も低い
結果となっているが、四国でも回答数は21市区町村あり、地域別クロス集計ではこの区分を採用す
ることとした。また、人口規模別回収率をみると、人口規模が小さい市区町村の回収率が若干低い
傾向が見られた。逆に、人口30万人以上の市区町村の回収率が高いが、その数は少なく、全体の傾
向をみるには大きな問題はないと判断して、人口規模別クロス集計を実施することにした。
20
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
(4)調査期間
平成27年7月22日(水)∼8月12日(水)
3 調査項目
・市区町村の基本属性
・昭和50年以降の人口動向と最近5年間の移動の理由
・人口が増加している市区町村の増加要因・理由
・人口が減少している市区町村の人口減少の自治体への影響
・各市区町村の人口減少対策(現在実施されている方策、今後の方策)と効果
4 報告書の見方
・各問の質問文は、省略したかたちで示してある。なお、調査票の原文については「参考:調査
票・単純集計結果」を参照されたい。
・回答者数に対する各選択肢の比率(%値)の小数点以下第2位を四捨五入しているため、単数
回答であっても合計は100.0%にならないことがある。
・無回答、判読の困難な回答、もしくは単数のところを複数回答しているなどの無効回答を「不
明・無回答」として集計している。 ・調査結果の詳細については、
「人口減少問題等に関する全国市区町村アンケート調査(報告書)
平成28年3月」(長岡大学 地域連携研究センター)を参照されたい。
Ⅱ アンケート調査結果
1 国勢調査からみた人口の推移
(1)人口増減市町村数の推移
図表Ⅱ−1−1は、平成26年4月現在の市区町村区分(市区町村数1741)をもとに、昭和50年以
降の人口増減市区町村数の推移をみたものである。昭和50年から昭和55年では、人口増加市区町村
は1043市区町村(59.9%)、人口減少市区町村は698市区町村(40.1%)であったが、その後平成2年
から平成7年の期間を除いて、増加市区町村数は減少し続け、平成17年から平成22年には、人口増
加市区町村は425市区町村(24.4%)、人口減少市区町村は1316市区町村(75.6%)となっている。
21
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
(2)平成17年から平成22年の地域別人口増減市区町村数
図表Ⅱ−1−2は、平成17年から平成22年の人口増減市区町村数を地域別にみたものである。人
口増加市区町村が多い地域は、南関東60.8%、東海45.0%、近畿27.3%、九州23.0%となっている。北
関東・甲信では19.7%、北陸では14.8%の市区町村が、人口が増加しているのみである。北海道、東北、
中国、四国地域では、人口が増加している市区町村は10%にも満たない。
22
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
(3)平成17年から平成22年の人口規模別人口増減市区町村数
図表Ⅱ−1−3は、平成17年から平成22年の人口増減市区町村数を人口規模別にみたものである。
この結果から明らかなように、人口規模が大きい市区町村で人口増加市区町村割合が高くなってい
る。人口50万人以上の都市では、82.9%の市区町村が人口増加しているのに対して、人口1万人未満
の市区町村では増加している割合は7.9%にとどまっている。
地域を分析する場合、市区町村区分は一般に形式地域と考えられるが、結果をみる限り、都市規
模が実質的都市としての意味を有していると考えることも可能であろう。このことから、都市規模
に応じた有効な対策を見いだすヒントがあるように思われる。
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
2 「人口減少問題等に関する全国市区町村アンケート調査」結果
2−1 昭和50年以降の人口動向と最近5年間の移動の理由
(1)人口増減市区町村数の推移(アンケート調査結果から)
国勢調査およびアンケート調査から得られた人口増減の市区町村割合は、図表Ⅱ−2−1のとお
りである。アンケートに回答して頂いた市区町村のデータをみると、昭和50年から55年にかけて、
人口増加市区町村の割合は60.4%で、人口減少市区町村の割合は39.6%であった。その後は、平成2
年から7年にかけて人口増加市区町村の割合が増えたものの、一貫して人口減少市区町村の割合が
増加している。平成22年から26年にかけて、人口が増加している市区町村割合は19.9%で、80.1%の
市区町村が人口減少している結果となっている。
なお、国勢調査結果とアンケート結果の増減市町村割合はほぼ同様の結果が得られている。
24
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
参考図表1は、長岡市の人口の推移をみたものである。昭和50年の長岡市(合併後の市域を対象。
以下、同様)の人口は283,440人であったが、その後平成2年を除いて緩やかに増加を続け、平成7
年には293,250人となった。それ以降は減少局面に入っており、平成26年には278,588人まで減少して
いると推測される。
25
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
このような状況に関して、長岡市からは、人口減少の要因と今後の方向性について、以下のよう
な回答を得られた。
『本市においては、特に高校卒業時の関東方面(1都3県)への人口流出が顕著であるが、近隣市町
村からの流入により、人口減少は微減にとどまっている。現状のまま人口減少が進むと、長岡市の
みならず、中越圏全体の活力維持に大きな影響を及ぼすことが懸念される。長岡の魅力を発信し、
子どもや若者が自分のふるさとに誇りを持ち、若者が住みたくなる・戻りたくなるまちづくりを進
めていきたいと考えているため、ふるさとづくりの推進が効果的と考えている。
』(長岡市へのアン
ケート調査より)
(2)最近5年間の人口動態状況
図表Ⅱ−2−2は、最近5年間の人口動態を各年度ないし各年次(市区町村により、年度データ
であったり、年次であったり、10月基点であったりしたため、正確な対応がとれない)の人口動態デー
タをもとに人口増加市区町村と人口減少市区町村の動態状況を把握したものである。
回答のあった514市区町村のうち、自然増・社会増の市区町村割合は10.5%、自然増・社会減の
市区町村割合は4.5%、自然減・社会増の市区町村割合は11.9%、自然減・社会減の市区町村割合は
73.2%であった。
人口増加市町村(89市区町村)のうち、60.7%は自然動態・社会動態共に増加している。社会減で
あるが自然増によって結果として人口が増加している市区町村は7.9%、自然減ではあるが社会増に
よって結果として人口が増加している市区町村は31.5%であった。
一方、人口減少市区町村(425市区町村)では、88.5%が自然動態・社会動態共に減少している。
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
(3)最近5年間の地域別人口動態状況
図表Ⅱ−2−3は、最近5年間の地域別人口動態状況をみたものである。
自然増・社会増の市区町村割合は、南関東では32.0%、東海では14.3%、九州では14.3%、近畿で
は13.8%と10%を超えているが、他の地域では10%未満となっている。これに対して、自然減・社会
減の市区町村割合は、東北では90.1%、北海道では87.5%、四国では83.3%、北陸では81.8%と80%を
超えている。
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
(4)最近5年間の人口規模別人口動態状況
図表Ⅱ−2−4は、最近5年間の人口規模別人口動態状況をみたものである。
自然増・社会増の市区町村割合は、人口50万人以上の都市では53.8%と半数を超えているが、人
口規模が小さくなるに従って、その割合は減少している。これに対して、人口30万人以下の市区町
村では50%以上が自然減・社会減になっており、人口減少問題が深刻化している様子がうかがえる。
とりわけ、人口3万人以下の市区町村では85%以上が自然減・社会減となっている。
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
(5)社会移動の理由
最近5年間で人口が増加した市区町村のうち、転入・転出理由を回答頂いた市区町村は1つの自
治体のみであった。この自治体は、大都市周辺に位置する人口2万人台の自治体であるが、通勤が
しやすいことから就職と共に移り住む人が多いということである。また、希薄化した地域の絆を深め、
自主的で主体的な地域活動の推進を図るとともに、地域住民の協働を進めることを目的として自治
会に事業費を交付しているそうである。その結果として、自治会と子ども会が一緒になって活動す
るなど、多世代間の交流もでき、地域の連帯につながっているということである。
社会減少をしている自治体で回答をいただいた市区町村は19市区町村であった。この19市区町村
合計で5年間の間に純社会減少が2万人弱となっているが、その60.4%が職業理由による純減少であ
る。それ以外の理由としては、学業27.4%、家族・戸籍11.6%となっており、圧倒的に職業理由が多
いことがわかる。理由を確定することは実際のところ難しい面もあるが、多くのサンプルが得られ
れば、それなりに精度が増すと思われることから、このような詳細な調査・分析が望まれるのでは
ないか。
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
2−2 人口が増加している市区町村の増加要因・理由
最近5年間で人口が増加している市区町村にその要因と理由を尋ねたところ、図表Ⅱ−2−6の
ような回答を得ることができた。
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
2−3 人口が減少している市区町村の人口減少の影響
(1)人口減少の影響度合い
(1−1)人口減少の影響度合い
最近5年間で人口が減少していると回答のあった市区町村を対象に人口減少の影響を尋ねたとこ
ろ(図表Ⅱ−2−7の合計欄参照)
、
「1.プラスの影響が大きい」「2.プラスの影響がやや大きい」
と回答している市区町村は合わせて0.7%にすぎなかった。「3.どちらとも言えない」も2.2%にすぎ
ず、マイナスの影響が懸念されていることがわかる。具体的には、
「4.マイナスの影響がやや大きい」
が15.3%で、
「5.マイナスの影響が大きい」が77.9%となっており、危機意識も高いものと思われる。
(1−2)地域別にみた人口減少の影響度合い
図表Ⅱ−2−7は人口減少の影響度合いを地域別にみたものである。
「4.マイナスの影響がやや
大きい」と「5.マイナスの影響が大きい」を合わせると、人口減少市区町村割合が高い地域の四
国では100.0%、東北では96.9%、北海道では94.4%、中国では100.0%、北陸では96.8%と高くなって
おり、人口減少市区町村割合が低い地域の南関東では90.9%、東海では94.7%、近畿では87.7%、九
州では90.6%、北関東・甲信では89.2%と人口減少市区町村割合の高い地域よりは若干低くなってい
るが、それ程大きな差は見られない。
31
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
(1−3)人口規模別にみた人口減少の影響度合い
人口規模別にみると、人口規模が小さいほど人口減少市区町村割合は高くなっていた。図表Ⅱ−
2−8は人口減少の影響度合いを人口規模別にみたものである。「4.マイナスの影響がやや大き
い」と「5.マイナスの影響が大きい」を合わせると、人口1万人未満の市区町村では91.0%、1万
∼3万人では91.1%、3万∼5万人では93.2%、5万∼ 10万人では97.0%、10万∼ 30万人では96.4%、
30万∼ 50万人では100.0%、50万人以上では100.0%と、人口規模に反比例する結果となった。ただし、
これは、不明・無回答を含めた割合であり、人口規模が小さい市区町村の不明・無回答割合を考慮
すると、大きな違いはないと言える。
(2)人口減少による現在顕在化している影響と今後予想される影響
(2−1)人口減少による現在顕在化している影響と今後予想される影響
図表Ⅱ−2−9は、人口減少による現在顕在化している影響と今後予想される影響をまとめたも
のである。
人口減少市区町村において現在顕在化している人口減少の影響は、
「2.世帯減少をまねき、空き
家問題が顕在化する。
」が57.3%、「14.高齢化に伴い、社会保障費(医療・介護)が増加する一方で、
若者が減り住民負担が増加する。」が52.1%、
「13.雇用の場が減少し、転入が減少し、
転出が増加する。」
が46.4%、
「12.小売店や医療機関などが減少し、交通弱者の生活ができにくくなる。」が36.1%、
「3.
学校等の統廃合が進み、遠距離通学者が増加する。」が31.3%、
「5.労働力の減少が起こり地域の経済・
産業が維持できなくなる。」が29.1%、「8.企業や事業所が減少し、投資も行われなくなり、地域の
活力が失われる。」が21.4%となっており、日常生活における不便さの増加が顕著な影響として現れ
ている。さらに、現在顕在化しているその他の具体的な問題としては、
「町内会活動の維持が困難に
なる。
」
「山の上の団地が多く、公共交通の不足・消失があれば車が運転できない高齢者の生活は成
り立たない。
」
「農林水産業の後継者問題」
「各産業の後継者不足」があげられている。長岡市では「1.
集落の管理ができなくなり、自然環境が悪化する。
」が現在既に顕在化している。明確なことは言え
ないが、長岡市は11市町村が合併しており、市内が都市部である地域と中山間地域から構成されて
いることが原因の一つと思われる。
今後の影響は、
「14.高齢化に伴い、社会保障費(医療・介護)が増加する一方で、若者が減り住
民負担が増加する。」が64.3%、「5.労働力の減少が起こり地域の経済・産業が維持できなくなる。」
が59.5%、「2.世帯減少をまねき、空き家問題が顕在化する。」が55.4%、「7.税収が減少し、財
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
政破綻の危険性が増す。」が47.9%、「12.小売店や医療機関などが減少し、交通弱者の生活ができに
くくなる。」が40.7%、「1.集落の管理ができなくなり、自然環境が悪化する。
」が37.9%、「8.企
業や事業所が減少し、投資も行われなくなり、地域の活力が失われる。
」が35.2%となっており、地
域経済の維持管理関連項目が懸念される影響としてあがっている。なかでも、
「5.労働力の減少が
起こり地域の経済・産業が維持できなくなる。
」では選択率が30.4ポイント、「7.税収が減少し、財
政破綻の危険性が増す。」では30.2ポイント、
「1.集落の管理ができなくなり、自然環境が悪化す
る。
」では19.9ポイント、「4.人間関係が希薄化し、日常的な見守りや支え合い等の共助が困難にな
る。
」では14.0ポイント、「8.企業や事業所が減少し、投資も行われなくなり、地域の活力が失われ
る。
」では13.8ポイント、「14.高齢化に伴い、社会保障費(医療・介護)が増加する一方で、若者が
減り住民負担が増加する。
」では12.3ポイント増加しており、金銭面を含めた地域社会の存続が危ぶ
まれている。今後顕在化が予想されるその他の具体的問題としては、
「近い将来発生する確率が高い
とされる大規模地震災害に対し、過疎地が頼る「共助」が脆弱になり、
救える命が救えなくなる。」
「町
が消滅する。
」「少子化によるサービスの変化によって子育て世代の負担増加(団体スポーツの送迎、
役員の重複など)
」
「住民税など税収が減少し、公共サービスの低下が懸念される。」があげられている。
長岡市では、
「5.労働力の減少が起こり地域の経済・産業が維持できなくなる。
」は共通している
ものの、他の4項目「4.人間関係が希薄化し、日常的な見守りや支え合い等の共助が困難になる。」、
「6.企業が求める高度な専門的人材、技術的人材が不足する。
」、「8.企業や事業所が減少し、投
資も行われなくなり、地域の活力が失われる。」、「13.雇用の場が減少し、転入が減少し、転出が増
加する。
」は全国の傾向と異なっている。
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(2−2)地域別にみた人口減少による現在顕在化している影響
図表Ⅱ−2−10は、人口減少による現在顕在化しているマイナスの影響を地域別にみたものである。
地域に関係なく現れている影響は「2.世帯減少をまねき、空き家問題が顕在化する。
」と「14.高
齢化に伴い、
社会保障費(医療・介護)が増加する一方で、
若者が減り住民負担が増加する。
」であった。
上記以外に現在顕在化している影響として多くの市区町村があげている項目は以下のとおりであ
る。北海道では、「5.労働力の減少が起こり地域の経済・産業が維持できなくなる。(42.6%)
」「13.
雇用の場が減少し、転入が減少し、転出が増加する。
(79.6%)」である。東北では「3.学校等の統
廃合が進み、遠距離通学者が増加する。
(43.1%)」「13.雇用の場が減少し、転入が減少し、転出が
増加する。
(53.8%)」である。北関東・甲信では「12.小売店や医療機関などが減少し、交通弱者の
生活ができにくくなる。
(41.5%)」である。中国では「3.学校等の統廃合が進み、遠距離通学者が
増加する。
(45.2%)
」である。四国では「8.企業や事業所が減少し、投資も行われなくなり、地域
の活力が失われる。(42.1%)
」「12.小売店や医療機関などが減少し、交通弱者の生活ができにくく
なる。(42.1%)」「13.雇用の場が減少し、転入が減少し、転出が増加する。
(47.4%)」である。九
州では「13.雇用の場が減少し、転入が減少し、転出が増加する。(51.6%)
」である。
図表Ⅱ−2−11は、人口減少によって今後重大な問題になると予想される影響を地域別にみたも
のである。地域に関係なく予想されている問題は、
「2.世帯減少をまねき、
空き家問題が顕在化する。」
「5.労働力の減少が起こり地域の経済・産業が維持できなくなる。」
「14.高齢化に伴い、
社会保障費
(医
療・介護)が増加する一方で、
若者が減り住民負担が増加する。」であった。また、
「7.税収が減少し、
財政破綻の危険性が増す。」も東海と四国を除くすべての地域で選択されている。四国については企
業の減少や雇用の場の減少が大きな問題になると認識されており、税収以前の問題が大きいと思わ
れる。
上記以外に今後予想される問題として多くの市区町村があげている項目は以下のとおりである。
北海道では、
「8.企業や事業所が減少し、投資も行われなくなり、地域の活力が失われる。(50.0%)
」
「12.小売店や医療機関などが減少し、交通弱者の生活ができにくくなる。(46.3%)
」である。東北
では「1.集落の管理ができなくなり、自然環境が悪化する。
(53.8%)」「12.小売店や医療機関な
どが減少し、交通弱者の生活ができにくくなる。(41.5%)」である。北関東・甲信では「1.集落の
管理ができなくなり、自然環境が悪化する。
(46.2%)」である。北陸では「1.集落の管理ができな
くなり、自然環境が悪化する。
(48.4%)」である。東海では「12.小売店や医療機関などが減少し、
交通弱者の生活ができにくくなる。(47.4%)」である。近畿では「12.小売店や医療機関などが減少
し、
交通弱者の生活ができにくくなる。(43.9%)」である。中国では「1.集落の管理ができなくなり、
「12.小売店や医療機関などが減少し、交通弱者の生活ができにく
自然環境が悪化する。(45.2%)
」
くなる。(48.4%)」である。四国は他地域と異なる傾向にあり、
「4.人間関係が希薄化し、日常的
な見守りや支え合い等の共助が困難になる。(47.4%)」「8.企業や事業所が減少し、投資も行われ
なくなり、地域の活力が失われる。
(42.1%)
」「13.雇用の場が減少し、転入が減少し、転出が増加
する。
(42.1%)」である。九州では「1.集落の管理ができなくなり、
自然環境が悪化する。(40.6%)
」
である。
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(2−3)人口規模別にみた人口減少による現在顕在化している影響
図表Ⅱ−2−12は、人口減少による現在顕在化しているマイナスの影響を人口規模別にみたもの
である。人口規模に関係なく現れている影響は「14.高齢化に伴い、社会保障費(医療・介護)が
増加する一方で、若者が減り住民負担が増加する。
」であった。これ以外に、
「2.世帯減少をまねき、
空き家問題が顕在化する。」は30万∼ 50万人の市区町村を除いて、すべての人口規模の市区町村で高
い割合で選択されている。また、人口10万人未満の市区町村では「13.雇用の場が減少し、転入が
減少し、転出が増加する。」が高い割合で選択されている。人口3万未満の市区町村では加えて「12.
小売店や医療機関などが減少し、交通弱者の生活ができにくくなる。
」が問題となっていることがわ
かる。さらに、人口1万人未満の市区町村では「5.労働力の減少が起こり地域の経済・産業が維
持できなくなる。」が、人口1万∼3万人の市区町村では「3.学校等の統廃合が進み、遠距離通学
者が増加する。
」が問題となっている。
図表Ⅱ−2−13は、人口減少によって今後重大な問題になると予想される影響を人口規模別にみ
たものである。人口規模に関係なく予想されている問題は、
「2.世帯減少をまねき、空き家問題が
顕在化する。」「5.労働力の減少が起こり地域の経済・産業が維持できなくなる。
」「14.高齢化に
伴い、社会保障費(医療・介護)が増加する一方で、若者が減り住民負担が増加する。
」であった。
また、「12.小売店や医療機関などが減少し、交通弱者の生活ができにくくなる。」は人口1万∼
3万人と10万∼ 30万人の市区町村を除いて問題になると回答している市区町村が多い。
「7.税収が減少し、財政破綻の危険性が増す。」は人口1万∼ 50万人の規模の市区町村が問題視
している。この選択肢を人口1万人未満の市区町村は選択していないが、その率は低くはなく、そ
れ以外の選択肢に特徴が見られる。人口3万人未満の市区町村では「1.集落の管理ができなくなり、
自然環境が悪化する。
」が大きな問題となることが予想されている。
人口30万人以上の都市では「8.企業や事業所が減少し、投資も行われなくなり、地域の活力が
失われる。
」が問題視されており、とりわけ、人口50万人以上の都市では「4.人間関係が希薄化し、
日常的な見守りや支え合い等の共助が困難になる。」という都市型の問題も懸念されている。
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2−4 市区町村の人口減少対策と効果
(1)現在実施されている施策と今後予定されている施策
(1−1)現在実施されている施策と今後予定されている施策
図表Ⅱ−2−14は、各市区町村において、現在実施されている施策と今後予定されている施策を
まとめたものである。
現在実施されている施策を多い順にみると、
「14.子どもの医療費助成(94.5%)」「19.農業経営
担い手育成事業(76.8%)」「31.学校教育施策の充実<エアコンの設置、特色ある教育>(71.2%)」
「4.災害に強いまちづくり事業(66.1%)」「23.企業誘致<固定資産税、都市計画税、事業所税の
減税等>(65.5%)
」
「6.木造住宅耐震支援事業(62.8%)」
「13.一般不妊治療費助成(56.0%)
」
「33.
移住に興味がある方や希望される方への、住まいや雇用の情報等の発信(55.7%)」「11.快適な生活
環境づくり<ごみ処理器機等への購入費補助>(54.9%)」「27.小中一貫教育、学力向上推進事業等
(54.2%)
」となっており、特定の分野に偏らず、広く施策が実施されていることがわかる。
現在実施している施策の継続および検討中、新たに実施予定の施策について伺った今後の計画に
ついてみると、
「14.子どもの医療費助成(83.4%)」「19.農業経営担い手育成事業(71.5%)」「31.
学校教育施策の充実<エアコンの設置、特色ある教育>(68.8%)」「33.移住に興味がある方や希望
される方への、住まいや雇用の情報等の発信(68.6%)」「20.6次産業化に取組む事業者等への商品
開発及び販路開拓支援(64.4%)」「23.企業誘致<固定資産税、都市計画税、事業所税の減税等>
(63.3%)」
「36.空き家バンク調査事業(61.3%)」「4.災害に強いまちづくり事業(60.8%)」「35.
地域資源を活かした交流人口拡大施策(58.0%)
」「27.小中一貫教育、学力向上推進事業等(55.8%)
」
が多くなっており、『農林水産業の振興』や『地域振興・まちづくり』分野の順位が高まっている。
新たに実施予定の施策に限定すると、多くの市区町村で考えられている施策は、
「38.本市の良さ
を「住む」という視点からわかりやすく紹介するPRツールの作成(8.9%)」「36.空き家バンク調
査事業(6.0%)」
「33.移住に興味がある方や希望される方への、
住まいや雇用の情報等の発信(5.8%)」
「1.公共施設の立地最適化(4.9%)」
「39.首都圏等での移住促進イベント・セミナーの開催(4.4%)」
「35.地域資源を活かした交流人口拡大施策(4.0%)」「20.6次産業化に取組む事業者等への商品開
」「24.産業振興による人口流出対
発及び販路開拓支援(2.7%)」「16.婚活イベントの開催(2.6%)
策<企業への相談業務及び支援>(2.0%)」「25.空き店舗を活用し店舗・オフィスを立地する方へ
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の補助制度(2.0%)」である。現在行われている施策に比較して、自市区町村をPRしたり、産業を
活性化させたりする政策が考えられているようである。また、空き家の有効利用も重要な政策課題
となってきている。
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(1−2)地域別にみた現在実施されている施策
図表Ⅱ−2−15は、現在実施されている施策を地域別にみたものである。地域に関係なく多くの
市区町村で実施されている施策は「14.子どもの医療費助成」と「19.農業経営担い手育成事業」
である。
また、「31.学校教育施策の充実<エアコンの設置、特色ある教育>」は北海道を除くすべての地
域で実施割合が高い。それ以外でも、
「4.災害に強いまちづくり事業」は北海道と九州を除いて、
「23.
企業誘致<固定資産税、都市計画税、事業所税の減税等>」は北海道、南関東、近畿を除いて、
「6.
木造住宅耐震支援事業」は北海道、中国、九州を除く地域で実施割合が高くなっている。
地域別に実施割合が異なる施策としては、「13.一般不妊治療費助成」は 北関東・甲信、北陸、東
海、中国で、
「33.移住に興味がある方や希望される方への、住まいや雇用の情報等の発信」は北海
道、北陸、中国、四国で、
「11.快適な生活環境づくり<ごみ処理器機等への購入費補助>」は北関東・
甲信、北陸、東海、中国、四国で、
「27.小中一貫教育、学力向上推進事業等 」は北陸、中国で、
「20.
6次産業化に取組む事業者等への商品開発及び販路開拓支援」は東北、北陸、中国で、
「5.地域を
支える防災リーダーの育成」は北陸、東海、中国、四国で、「22.雇用の拡大<企業立地促進雇用拡
大助成金等>」は北陸、中国で、
「16.婚活イベントの開催」は北関東・甲信、北陸、中国で、
「28.
いじめ解決推進事業」は南関東で、「35.地域資源を活かした交流人口拡大施策」および「36.空き
家バンク調査事業」は北陸、中国で、
「25.空き店舗を活用し店舗・オフィスを立地する方への補助
制度」は北陸で、
「39.首都圏等での移住促進イベント・セミナーの開催」は中国で、多くなっている。
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(1−3)人口規模別にみた現在実施されている施策
図表Ⅱ−2−16は、現在実施されている施策を人口規模別にみたものである。人口規模に関係な
く多くの市区町村で実施されている施策は「14.子どもの医療費助成」
「19.農業経営担い手育成事業」
「31.学校教育施策の充実<エアコンの設置、特色ある教育>」である。また、
「4.災害に強いま
ちづくり事業」と「23.企業誘致<固定資産税、都市計画税、事業所税の減税等>」は人口1万人
以上の規模の市区町村で多く実施されている。
人口3万人以下ないしは人口5万人以下の市区町村では、「13.一般不妊治療費助成」や「16.婚
活イベントの開催」などの保健福祉・少子高齢化分野の施策に重点が置かれている。また、
「33.移
住に興味がある方や希望される方への、住まいや雇用の情報等の発信」は全体的に実施されている
割合が高いがこの規模の市区町村での実施割合が高い。
人口3万人以上ないしは人口5万人以上の市区町村では、
「6.木造住宅耐震支援事業」
「5.地
域を支える防災リーダーの育成」という防災・危機管理分野、
「11.快適な生活環境づくり<ごみ処
理器機等への購入費補助>」という環境分野、
「27.小中一貫教育、学力向上推進事業等」
「28.い
じめ解決推進事業」などの教育・文化分野、そして「22.雇用の拡大<企業立地促進雇用拡大助成
金等>」という商工・労働 分野にも力が入れられている。
人口10万人以上の市区町村では、
「17.待機児童解消に向けた取り組み」
「25.空き店舗を活用し店舗・
オフィスを立地する方への補助制度」
「1.公共施設の立地最適化」などの実施割合も高くなっている。
人口10万人∼ 30万人の市区町村では、
「35.地域資源を活かした交流人口拡大施策」「24.産業振
興による人口流出対策<企業への相談業務及び支援>」などの地域振興に関する施策も重要視され
ている。
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(2)現在実施されている施策のうち効果が上がっている施策
(2−1)現在実施されている施策のうち効果が上がっている施策
図表Ⅱ−2−17は、各市区町村において、現在実施されている施策のうち効果が上がっている施
策と回答している市区町村数をまとめたものである。なお、アンケートでは3つまでの記入をお願
いしたが関連施策について複数指定されているケースが見られたので、それらを分ける形で集計し
たため、原則3つまでと表記した。
以下、具体的に効果が上がっていると回答されている割合が高い施策をみていく。ただし、
「その
他の施策」については多岐にわたるので、ここでは効果の高い施策の選択から除外した。なお、具
体的に効果が上がっている施策とその効果については「人口減少問題等に関する全国市区町村アン
ケート調査(報告書)平成28年3月」(長岡大学 地域連携研究センター)を参照されたい。
効果が上がっていると回答された市区町村が最も多い施策は「14.子どもの医療費助成(8.9%)」
であった。以下、
「33.移住に興味がある方や希望される方への、
住まいや雇用の情報等の発信(4.6%)
」
「19.農業経営担い手育成事業(4.4%)」「23.企業誘致<固定資産税、都市計画税、事業所税の減税
等>(4.2%)
」「35.地域資源を活かした交流人口拡大施策(4.2%)」「17.待機児童解消に向けた取
り組み(4.0%)」「10.自然と調和した住環境づくり <新築・購入への支援金>(3.1%)
」「27.小中
一貫教育、学力向上推進事業等(2.7%)」「36.空き家バンク調査事業(2.7%)」「4.災害に強いま
ちづくり事業(2.6%)」と続いている。
以上の結果から、様々な施策で効果が得られていることがわかるが、効果が上がっている割合は
必ずしも高くはない。分野別にみると、保健福祉・少子高齢化分野、地域振興・まちづくり分野で
の効果が高くなっている。
長岡市において効果が上がっている施策の代表は次の二つであるという回答が得られた。一つは、
地域の防災リーダーとなる「中越市民防災安全士」の育成を支援するため、中越市民防災安全大学
への負担金を支出する施策であり、その効果は◆高い防災意識と防災知識を持った市民の増加、◆
市民防災安全士の派遣による自主防災会や町内会における防災訓練の充実、◆地域の防災リーダー
を活用した、地域防災力の向上、である。もう一つは、「新・農業人リクルート支援事業」であり、
これは首都圏の学生・社会人が長岡にU・Iターンし、とりわけ中山間地域に移住・定住しての新規
就農するための入り口として、短期就農体験事業(インターンシップ)を27年度に創設したもので
ある。東京で行われる「新・農業人フェア」に出展し、就農体験者を募集した。9月の稲刈り体験
メニューの実施に向けて受入農家や協力者(長岡大学)と調整中である。この施策の効果は、受入
農家や長岡大学などの協力者との連携を機に、U・Iターン者を受け入れる機運や体制ができつつあ
ることである。
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(2−2)地域別にみた効果が上がっている施策
図表Ⅱ−2−18は、各市区町村において、現在実施されている施策のうち効果が上がっている施
策と回答している市区町村数を地域別にまとめたものである。
地域別に効果が上がっている施策をみると、
「14.子どもの医療費助成」のように多くの地域で効
果が上がっている施策もあるが、必ずしも共通の傾向があるわけではない。
そこで、以下、地域別に効果が上がっている施策を列挙してみる。北海道では「10.自然と調和
した住環境づくり<新築・購入への支援金>」
「33.移住に興味がある方や希望される方への、住ま
いや雇用の情報等の発信」「35.地域資源を活かした交流人口拡大施策」が、東北では「14.子ども
の医療費助成」が、
南関東では「17.待機児童解消に向けた取り組み」
「14.子どもの医療費助成」
「16.
婚活イベントの開催」
「23.企業誘致<固定資産税、都市計画税、事業所税の減税等>」
が、効果が上がっ
ている施策としてあげられている。また、北関東・甲信では「27.小中一貫教育、学力向上推進事
業等」
「33.移住に興味がある方や希望される方への、住まいや雇用の情報等の発信」が、北陸では
「14.子どもの医療費助成」「19.農業経営担い手育成事業」
「35.地域資源を活かした交流人口拡大
施策」が、東海では「33.移住に興味がある方や希望される方への、住まいや雇用の情報等の発信」
「14.子どもの医療費助成」
「13.一般不妊治療費助成」
「31.学校教育施策の充実<エアコンの設置、
特色ある教育>」
「35.地域資源を活かした交流人口拡大施策」が、近畿では「14.子どもの医療費
助成」が、中国では「14.子どもの医療費助成」「17.待機児童解消に向けた取り組み」「23.企業
誘致<固定資産税、
都市計画税、事業所税の減税等>」
「33.移住に興味がある方や希望される方への、
住まいや雇用の情報等の発信」「36.空き家バンク調査事業」が、四国では「24.産業振興による人
口流出対策<企業への相談業務及び支援>」
「33.移住に興味がある方や希望される方への、住まい
や雇用の情報等の発信」が、九州では「14.子どもの医療費助成」が、効果があった施策として選
択されている。
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(2−3)人口規模別にみた効果が上がっている施策
図表Ⅱ−2−19は、各市区町村において、現在実施されている施策のうち効果が上がっている施
策と回答している市区町村数を人口規模別にまとめたものである。
全体として最も効果が上がっているという評価が高い「14.子どもの医療費助成 」は、人口規模
別にみると、人口30万人未満の市区町村で効果が上がっていることがわかる。
人口規模が1万人未満の市区町村で効果が上がっているのは、その他の施策を除くと「10.自然
と調和した住環境づくり <新築・購入への支援金>」である。
人口規模が1万人∼5万人の市区町村では「19.農業経営担い手育成事業」
が、効果が上がっており、
このうち1万人∼3万人の市区町村では「 35.地域資源を活かした交流人口拡大施策 」も効果が上
がっている。
人口5万人∼ 10万人の市区町村では「33.移住に興味がある方や希望される方への、住まいや雇
用の情報等の発信 」
「35.地域資源を活かした交流人口拡大施策」という地域の魅力を発信する施策
の効果が高くなっている。
人口10万人以上の市区町村では「17.待機児童解消に向けた取り組み 」
「23.企業誘致<固定資産
税、都市計画税、事業所税の減税等> 」が高い効果を発揮している。人口10万人以上の規模の市区
町村を個別にみると、10万人∼ 30万人の市区町村では「31.学校教育施策の充実<エアコンの設置、
特色ある教育> 」
「5.地域を支える防災リーダーの育成 」「13.一般不妊治療費助成」が、30万
人∼ 50万人の市区町村では「33.移住に興味がある方や希望される方への、住まいや雇用の情報等
の発信」があげられている。人口50万人以上の市区町村では幅広く効果が認識されているが、サン
プルが少なく参考としてみておくのが良いであろう。
53
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
54
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
55
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
Ⅲ.長岡市活性化の視点
1 長岡市住民基本台帳地域別人口・世帯数(平成27年10月1日現在)
<外国人世帯・人口を含む>
(出典)長岡市公式ウェブサイト([ http://www.city.nagaoka.niigata.jp/ ]
長岡地域の人口は約20万人であるが、それ以外は人口規模が小さい地域がほとんどである。人口
が1万人を超えているのは中之島地域、越路地域、寺泊地域、栃尾地域の4地域で、それ以外の三
島地域、山古志地域、小国地域、和島地域、与板地域、川口地域は人口1万人未満である。
したがって、人口28万人の長岡市といえども地域ごとの特性を踏まえたきめ細やかな施策が必要
になる。
2 アンケート結果のとりまとめと長岡地域(長岡市とその周辺)の活性化の方向性
以下、アンケート結果のまとめを簡単におこない、長岡地域の活性化について検討する。
① 国勢調査結果から明らかなように、昭和50年以降人口減少市町村割合が高まっている。平成22
年国勢調査以降の動向を把握したアンケート調査でもその傾向は続いている。
② 人口規模が1万人未満の地域で人口が増加している市町村では、その理由として◆近隣都市へ
のアクセスの良さと地価の安さ、◆子育て支援・子育て施設の充実、◆離農地から住宅への転用、
◆防災の観点からの新たな住宅地の開発、◆豊かな自然環境、◆公共施設や学校等の移転によ
る人口増加があげられている。このうち長岡では、「子育て支援」や「防災力の強み」、「豊かな
自然環境」を売りとすることができるであろう。また、長岡地域(旧長岡市)の経済力を強化し、
安全・安心や自然環境を含めた良い環境下で住み、30分以内で通勤ができる条件を整えていく
ことも重要であろう。
③ 人口規模が10万人から30万人で人口が増加している市町村では、その理由として◆暮らしやす
56
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
いイメージの形成、◆製造業、大規模商業施設の進出等による総合的な雇用機会の創出、◆子
育て支援の環境整備、◆教育施設の充実があげられている。これらはまさしく「長岡版総合戦
略−長岡リジュベネーション」が目指している方向である。
④ 人口減少による影響については、全国の市町村とは若干異なる結果となっていた。長岡市は11
の市町村で広域合併を果たしたため、地域の性質が明らかに異なる地域で構成されている。し
たがって、地域に即した対策を講じることが必要であろう。
⑤ 長岡市においても多くの施策が実施されており、全国の多くの市町村と大差はない結果となっ
ている。ただし、たまたまアンケートにおいて記述がなされなかっただけかもしれないが、文化・
教育関連施策が明示されておらず、再検討が必要となるものと思われる。
⑥ 人口増加市町村と人口減少市町村の施策を比較すると、人口減少市町村では「保健福祉・少子
高齢化関連施策」、「農林水産関連施策」、「地域振興・まちづくり関連施策」が多くなっている。
⑦ 人口減少対策として効果が上がっている施策をみると、人口規模が1万人未満の市町村では「環
境関連施策」、「保健福祉・少子高齢化関連施策」で成功例がみられ、人口10万人から30万人の
市町村では、
「保健福祉・少子高齢化関連施策」、
「商工・労働関連施策」で成功例がみられるので、
これらについては、
「人口減少問題等に関する全国市区町村アンケート調査(報告書)
平成28
年3月」
(長岡大学 地域連携研究センター)を参照されたい。
<謝 辞>
最後になりましたが、本調査研究に対してご協力くださった市区町村の担当の方に感謝いたしま
す。また、長岡市市長政策室政策企画課課長の中村英樹氏はじめ政策企画課の課員の方々には、ア
ンケート調査票作成から、長岡市の回答結果に至るまで、非常にご協力をいただいたことを感謝申
し上げます。
57
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
参考:調査票・単純集計結果
平成27年度
長岡大学COC事業
人口減少問題等に関する全国市区町村アンケート調査
長岡大学地域連携研究センター
本調査における市区町村とは、全国市町村と東京都特別区を単位とします。
問1.貴市区町村およびご回答いただいた方についてお答えください。
貴市区町村名
都道府県: 市区町村名:
貴部署名
ご担当者名
電話
ご連絡先
FAX
E-mail
問2.貴市区町村における人口増減についてお伺いします。
問2−1 昭和50年(1975年)から平成26年(2014年)までの貴市区町村の総人口(国勢調査ベース、
10月1日時点)をお伺いします(市町村合併があった場合には、合併以前の市町村の人
口の合計をご記入ください)。
昭和50年(1975 年)
人
昭和55年(1980 年)
人
昭和60年(1985 年)
人
平成 2年(1990 年)
人
平成 7年(1995 年)
人
平成12年(2000 年)
人
平成17年(2005 年)
人
平成22年(2010 年)
人
推計人口(*1) 平成26年(2014 年)
人
国勢調査人口
(*1)推計人口は、国勢調査ベースのものをお願いします。たとえば、国勢調査人口を基礎に、毎
月の住民基本台帳による増減数を加減した人口をさします。
58
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
問2−2 平成22年(2010年)以降の貴自治体の人口動態状況(住民基本台帳ベース)についてお
伺いします。
人口動態(下表の出生者数等)は、各年10月1日時点の数値(前年の10月1日以降の
1年間の数値)を記入してください。10月1日時点の数値でない場合は年間の計算期間
を余白にご記入ください。また、対象は日本人に限定してください。
さらに、移動の理由が分かればその数もご記入ください。
平成 22 年
平成 23 年
平成 24 年
平成 25 年
平成 26 年
出生者数(人)
死亡者数(人)
転入者数(人)
職業
住宅
学業
家族・戸籍
その他
不明・無回答
転出者数(人)
職業
住宅
学業
家族・戸籍
その他
不明・無回答
(移動の理由例)
1.「職 業」……就業、転勤、求職、転職、開業など職業関係及び出稼ぎ、出稼ぎ先からの帰郷による移動。
2.「住 宅」……家屋の新築、公営住宅・借家への移転など住宅の都合による移動。
3.「学 業」……就学、退学、転校など学業関係による移動(単身移動に限定)。
4.「家族・戸籍」……移動の直接の原因となった者に伴って移動する家族の移動。
5.「その他」……上記以外による移動及び不詳。
59
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
問3.問2−2の質問で、人口が増えている市区町村の方に、伺います。人口が増えている要因・
理由について、下欄にご記入ください。
問4.問2−2の質問で、人口が減少している市区町村の方に、伺います。貴市区町村への影響に
ついて、下記の質問にお答えください。(n=457)
問4−1 人口減少は貴市区町村にとって、プラスの影響とマイナスの影響のどちらが大きいとお
考えですか。該当する番号に1つだけ○を付けてください。
1.プラスの影響が大きい。 0.4% 2.プラスの影響がやや大きい。 0.2%
3.どちらとも言えない。 2.2% 4.マイナスの影響がやや大きい。 15.3%
5.マイナスの影響が大きい。 77.9% 不明・無回答 3.9%
問4−2 人口減少によるマイナスの影響について、現在顕在化しているものと、今後重大な問題
になると予想されるものを、それぞれ5つまで選択し○をつけてください。
現在の
影響
人口減少によるマイナスの影響
今後の
影響
1
集落の管理ができなくなり、自然環境が悪化する。
17.9%
37.9%
2
世帯減少をまねき、空き家問題が顕在化する。
57.3%
55.4%
3
学校等の統廃合が進み、遠距離通学者が増加する。
31.3%
21.4%
4
人間関係が希薄化し、日常的な見守りや支え合い等の共助が困難になる。
14.9%
28.9%
5
労働力の減少が起こり地域の経済・産業が維持できなくなる。
29.1%
59.5%
6
企業が求める高度な専門的人材、技術的人材が不足する。
9.0%
7.9%
7
税収が減少し、財政破綻の危険性が増す。
17.7%
47.9%
8
企業や事業所が減少し、投資も行われなくなり、地域の活力が失われる。
21.4%
35.2%
9
高齢化に伴い、農林水産業就業者は増えるが、競争力は弱くなる。
5.5%
2.8%
10
建築物着工数や公共投資の減少により、地域経済は疲弊していく。
7.2%
14.0%
11
新たな観光サービスを提供できず、交流人口が減少する。
4.8%
8.1%
12
小売店や医療機関などが減少し、交通弱者の生活ができにくくなる。
36.1%
40.7%
13
雇用の場が減少し、転入が減少し、転出が増加する。
46.4%
31.7%
14
高齢化に伴い、社会保障費(医療・介護)が増加する一方で、若者が減り住民
負担が増加する。
52.1%
64.3%
15
高齢者をターゲットにした犯罪が増加する。
3.9%
2.8%
16
その他(具体的にご記入ください)
2.2%
1.5%
不明・無回答 1.5% 1.5% 60
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
問5.貴市区町村の人口減少対策についてお伺いします。(n=548)
問5−1 貴市区町村が現在実施している施策及び今後予定している施策をお聞かせください。
現在実施している施策(現在)については、実施しているものすべてに○をつけてくだ
さい。
今後実施予定の施策(予定)については、現在実施している施策の継続および検討中、
新たに実施予定の施策すべてに○をつけてください。
分 野
今 後
現在
施 策
継続
検討中
新たに
実施予定
行財政改革
1.公共施設の立地最適化
32.5%
26.8%
22.8%
4.9%
2.人口減少問題庁内検討部署の設置
37.8%
29.7%
10.9%
0.2%
4.7%
4.2%
0.2%
0.4%
4.災害に強いまちづくり事業
66.1%
56.4%
3.6%
0.7%
5.地域を支える防災リーダーの育成
51.6%
44.9%
7.7%
0.9%
6.木造住宅耐震支援事業
62.8%
52.0%
3.3%
0.0%
6.6%
4.7%
10.0%
0.4%
17.9%
15.0%
3.6%
0.0%
4.9%
4.2%
0.2%
0.2%
10.自然と調和した住環境づくり <新築・購入への支援金>
26.8%
22.1%
7.1%
1.1%
11.快適な生活環境づくり<ごみ処理器機等への購入費補助>
54.9%
45.6%
3.3%
0.0%
7.7%
5.5%
0.5%
0.0%
3.その他(具体的に)
防災・危機管理
7.ファミリー世帯向け住宅建替促進事業
8.住宅除雪支援事業、克雪住宅支援
9.その他(具体的に)
環境
12.その他(具体的に)
61
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
分 野
今 後
現在
施 策
継続
検討中
新たに
実施予定
保健福祉・少子高齢化
13.一般不妊治療費助成
56.0%
47.4%
6.8%
0.7%
14.子どもの医療費助成
94.5%
81.4%
1.5%
0.5%
15.複数の子供がいる世帯への日常生活用品や支援金の支給
18.8%
14.6%
9.9%
1.1%
16.婚活イベントの開催
48.7%
38.5%
13.9%
2.6%
17.待機児童解消に向けた取り組み
40.0%
33.4%
3.6%
0.7%
16.2%
14.8%
0.5%
0.2%
19.農業経営担い手育成事業
76.8%
65.7%
5.5%
0.4%
20.6次産業化に取組む事業者等への商品開発及び販路開拓支援
52.6%
44.3%
17.3%
2.7%
5.7%
4.9%
0.4%
0.4%
22.雇用の拡大<企業立地促進雇用拡大助成金等>
50.4%
41.8%
8.6%
0.5%
23.企業誘致<固定資産税、都市計画税、事業所税の減税等>
65.5%
54.7%
7.8%
0.7%
24.産業振興による人口流出対策<企業への相談業務及び支援>
33.9%
28.1%
12.0%
2.0%
25.空き店舗を活用し店舗・オフィスを立地する方への補助制度
37.8%
30.3%
16.6%
2.0%
6.9%
5.3%
0.9%
0.2%
27.小中一貫教育、学力向上推進事業等
54.2%
46.0%
8.6%
1.3%
28.いじめ解決推進事業
48.2%
41.1%
5.3%
0.2%
29.少人数学級編制の実施
41.1%
34.3%
5.1%
0.2%
30.子供のいる世帯への育英資金の支給
22.1%
18.4%
5.8%
0.5%
31.学校教育施策の充実<エアコンの設置、特色ある教育>
71.2%
59.3%
8.0%
1.5%
8.4%
7.5%
0.5%
1.8%
18.その他(具体的に)
農林水産
21.その他(具体的に)
商工・労働
26.その他(具体的に)
教育・文化
32.その他(具体的に)
62
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
分 野
今 後
現在
施 策
継続
検討中
新たに
実施予定
地域振興・まちづくり
33.移住に興味がある方や希望される方への、住まいや雇用の情
報等の発信
55.7%
46.0%
16.8%
5.8%
34.中山間地域での起業を支援する制度等
13.7%
12.0%
10.8%
1.6%
35.地域資源を活かした交流人口拡大施策
44.9%
38.7%
15.3%
4.0%
36.空き家バンク調査事業
44.2%
36.3%
19.0%
6.0%
12.4%
8.8%
0.4%
0.2%
38.本市の良さを「住む」という視点からわかりやすく紹介する
PRツールの作成
25.4%
20.8%
23.4%
8.9%
39.首都圏等での移住促進イベント・セミナーの開催
30.8%
25.7%
15.5%
4.4%
40.新婚世帯家賃補助制度
4.7%
4.0%
11.1%
0.4%
41.子育て世帯家賃補助制度
6.4%
5.3%
13.3%
0.5%
10.8%
9.1%
0.9%
0.7%
1.8%
1.8%
1.8%
1.8%
37.その他(具体的に)
その他
42.その他(具体的に)
不明・無回答
問5−2 貴市町村が現在実施している施策のうち効果が上がっている施策をお聞かせください。
(3つまで)
問5−1の
施策番号
施策の目的・概要
効果
63
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
問5−1の
施策番号
施策の目的・概要
効果
問5−1の
施策番号
施策の目的・概要
効果
問6.人口問題に関するご意見をご自由にお書きください。
ご協力ありがとうございました。
64
論稿
<平成27年度長岡大学COC事業・地域志向教育研究成果>
新潟県内企業の環境の取組みと環境金融に関す
る調査結果(中間報告)
西 俣 先 子
長岡大学准教授 目次
1.はじめに−調査研究の背景と本調査までの経緯
2.調査の目的と意義
3.調査期間とデータ収集
4.「環境金融調査」の結果
4.1.回答企業の特徴
4.2.環境の取組み
4.3.環境金融に対するニーズ等
5.「金融機関調査」の結果
6.おわりに −今後の課題−
参考文献
資料1 「環境金融調査」調査票と単純集計
資料2 「金融機関調査」調査票と単純集計
1.はじめに−調査研究の背景と本調査までの経緯
「持続可能な発展」は国際的・国内的にも重要な課題と認識されている。「持続可能な発展」の実
現には、金融機関が果たす役割の大きさが認識されており、1992年の国連環境計画・金融イニシア
ティブの設立(UNEP FI)、国連責任投資原則(PRI)の制定などが行われた。国内では、こうし
た国際的なイニシアティブと同様の方向性を持つ「21世紀金融行動原則」が2011年に策定された。
同原則は、環境省が事務局となり、国内の金融機関が主体となって策定された。原則の前文では「社
会を持続可能なものに変えていくにはお金の流れをそれに適合したものに変える必要がある」とし、
日本の金融業界の役割として次の二つをあげている。「日本自身を持続可能な社会に変えることへ
1
の貢献」「グローバル社会の一員として地球規模で社会の持続可能性を高めることへの貢献」 であ
る。そのためには「UNEP FI などの国際的なイニシアティブと連携し、世界の環境・社会問題の
2
解決に取り組んでいかなければならない」としている 。原則に署名している金融機関は、自らの業
3
務内容を踏まえて可能な限り原則に基づく取組みを実践する、とされている 。新潟県においても原
則に署名している金融機関が存在しており、多様な取り組みを実施しているところである。
こうした金融機関を取り巻く現状を背景として、新潟県内の中小・地域金融機関による環境に配
4
慮した金融行動の現状を明らかにするための調査研究を実施することした 。平成25年度は、研究
のための予備調査と「21世紀金融行動原則」に署名している北越銀行に対するヒアリング調査を実
施した。平成26年度は、同原則に署名している大光銀行、新潟信用金庫、第四銀行に対するヒアリ
ング調査を実施した。平成25年度∼ 26年度の調査では、「21世紀金融行動原則」に署名している新
65
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
潟県内の4つの金融機関が同原則に沿って環境に配慮した金融行動をどの程度行っているか明らか
にし、実際の取組みの全体像と詳細についてもまとめた。詳細は西俣(2016)「新潟県の中小・地
域金融機関による環境に配慮した金融行動の現状」『長岡大学地域志向教育研究ブックレットvol.2』
を参照していただきたい。
2.調査の目的と意義
平成25年度∼平成26年度の調査では、限定した金融機関の調査と金融機関に対するヒアリング調
査のみを実施した。平成27年度の調査研究では、金融機関の金融商品等を利用する側である企業の
環境の取組みの現状、事業者向け環境配慮型金融商品の活用状況やニーズ等を明らかにすることを
目的として、新潟県の企業を対象とした「新潟県内企業の環境の取組みと環境金融に関する調査」
(以下、「環境金融調査」と称す)を実施した。また、新潟県内の金融機関による環境配慮の取組み
や環境金融の取組み状況を明らかにするために、信組などを含む新潟県の金融機関を対象とした「新
潟県内企業の環境の取組みと環境金融に関する調査(金融機関向け)」(以下、「金融機関調査」と
称す)も実施した。
「環境金融調査」だが、同様の内容と目的を持つ調査を新潟県内で実施した例は本調査以外には
ない。そのため、得られたデータは、新潟県内の事業者による環境配慮型金融商品利用の現状等、
これまで明らかになっていなかったことを把握するための情報としての意義がある。特に環境配慮
型金融商品や関連するサービスを提供している、または今後提供しようと考えている金融機関に対
して、今後の商品開発等のために示唆に富む情報を提供することになると考えられる。
金融機関の大小にかかわらず、金融機関に対する環境に配慮した金融行動や持続可能な発展への
貢献は求められていくものと考えられる。こうした状況のなかで、後者の調査によって新潟県内の
金融機関がどのような取組み状況にあるのかを明らかにすることは、社会に対する情報提供という
意味で意義がある。また、通常各金融機関は個別に情報公開を行っており、金融機関の取組み状況
をまとめて見ることは簡単ではない。本アンケート調査では、各金融機関に共通の質問を行ってい
るため、ご回答いただいた各金融機関の取組み状況をある程度まとめて把握することができる。
なお、本アンケート調査にご協力いただいた新潟県内の企業の皆様、金融機関の皆様には心より
感謝申し上げる。また、調査票の作成にあたって助言をいただいたホクギン経済研究所の宗田俊弥
様には感謝の意を表する。
3.調査期間とデータ収集
「環境金融調査」では、長岡大学地(知)の拠点整備事業推進本部長岡大学地域連携研究センター
5
が所有している企業リスト をもとに作成した調査対象企業リストを作成し、リストにある1957社
6
を調査対象企業とした。調査対象企業リストは『新潟県会社要覧 平成23年度版』 から抽出した年
間売上5億円以上または従業員20人以上の企業、平成23年度第1回NAZE通常総会時のNAZE会員
企業、平成22年度長岡市製造業企業リスト、長岡大学就職支援室企業リスト(国外・県外を除く)
から重複分と平成27年11月20日時点で廃業や合併等を判断できる企業を削除し、「金融機関調査」
の対象となる企業をのぞいて作成した。調査方法は郵送調査法とし、調査期間を2015年11月25日∼
7
2016年12月25日とした 。調査対象企業1957社のうち、倒産などによる調査不能であった企業が31社、
回収が496社(無効回答1社)であった。有効回答は495社、有効回答率は25.7%であった。したがっ
て、無回答を含む集計値は495社である。
なお、集計にはIBM SPSS Statistics 23を使用した。
66
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
4.「環境金融調査」の結果
「環境金融調査」のうち、企業の環境の取組み等を把握するための設問(調査票の問1∼ 10)は、
環境省(2015b)「環境にやさしい企業行動調査(平成25年度における取組に関する調査結果)【詳
8
細版】」 の調査票の設問を利用、または参考にして作成した。また、「金融機関」の融資等により
環境ビジネスや環境に配慮した施設整備などを行う場合、「金融機関」に求める企業サポートの内
容を問うた調査票の問16の回答選択肢は、NTTデータ経営研究所(2014)「我が国金融機関による、
中小企業の経営改善支援・事業再生支援等に関する調査」、NTTデータ経営研究所 金融コンサル
ティング本部(2014)「我が国金融機関による中小企業のトップライン支援等に関する調査報告」、
日本銀行金融機構局 金融高度化センター長米谷達哉(2014)「中小企業における経営支援ニーズと
金融機関の対応∼M&A・事業承継支援、ビジネスマッチング等∼」を参考にして作成した。以降、
アンケート調査の単純集計結果とクロス集計結果について報告する。なお、「環境金融調査」の調
査票と単純集計結果については、資料1も参照していただきたい。
4.
1.回答企業の特徴
本調査の回答企業の特徴は次の通りであった。
業種は1農林水産業が0.4%、2鉱業が0.0%、3建設業が19.2%、4製造業が36.4%、5電気.ガス.熱
供給.水道業が0.6%、6情報通信業が2.4%、7運輸業.郵便業が3.0%、8卸売業.小売業が22.8%、9金
融業.保険業が0.4%、10不動産業.物品賃貸業が0.8%、11学術研究.専門・技術サービス業が0.8%、12
宿泊業.飲食サービス業が2.0%、13生活関連サービス業.娯楽業が1.0%、14サービス業が6.3%、15その
他(1∼ 14までに属さない業種または公務)が2.8%、無回答が1.0%であった。なお、クロス集計の
際には、業種を製造業(180社、36.4%)、建設業(95社、19.2%)、卸売業.小売業(113社、22.8%)、
その他(102社、20.6%:1農林水産業0.4%、2鉱業0.0%、5電気.ガス.熱供給.水道業0.6%、6情報
通信業2.4%、7運輸業.郵便業3.0%、9金融業.保険業0.4%、10不動産業.物品賃貸業0.8%、11学術研究.専
門・技術サービス業0.8%、12宿泊業.飲食サービス業2.0%、13生活関連サービス業.娯楽業1.0%、14サー
ビス業6.3%、15その他2.8%)の4カテゴリーにまとめた。
創業年(西暦)は有効回答が418社、平均が1957.663年、標準偏差が33.4255であった。なお、クロ
ス集計の際には、創業年を1944年以前(82社、16.6%)1645 ∼ 1954年(72社、14.5%)1655 ∼ 1973
年(139社、28.1%)1974年以降(125社、25.3%)の4カテゴリーにまとめた。無回答は77社であった。
正規従業員数は有効回答が477社、平均が151.820名、標準偏差が1805.7555であった。なお、ク
ロス集計の際には、正規従業員数をもとに規模を0 ∼ 29人(167社、33.7%)、30 ∼ 59人(135社、
27.3%)、60人以上(175社、35. 4%)の3カテゴリーにまとめた。無回答は18社であった。
9
非正規従業員数 は有効回答が383社、平均が30.251名、標準偏差が106.1835であった。
資本金は有効回答が428社、平均が412014542.06円、標準偏差が5570716163.014であった。
直近売上高(実績)は有効回答が398社、平均が7867837460.72円、標準偏差が76889994773.189で
あった。
問18で「貴社のここ1年間の業績はいかがだったでしょうか。1つ選んで選択肢の番号に○をつ
けてください」と質問した。その結果、「1 たいへん好調である」が2.8%、「2 好調である」が
31.7%、
「3 どちらとも言えない」が41.8%、
「4 不調である」が19.2%、
「5 たいへん不調である」
が4.0%、無回答が0.4%であった。なお、クロス集計では、業績を好調(たいへん好調である+好調
である:171社、34.5%)
、どちらとも言えない(207社41.8%)
、不調(不調である+たいへん不調で
ある:115社、23.2%)の3カテゴリーにまとめた。無回答は2社であった。
問19で「貴社の海外展開について伺います。あてはまるものを全て選んで選択肢の番号に○をつ
けてください」と質問した。その結果、回答が多い順に「6 海外に取引先はない」が80.6%、
「5
米国と欧州以外の国に取引先がある」が13.7%、「1 海外現地法人がある」が4.6%、
「3 米国
に取引先がある」が4.0%、「4 欧州に取引先がある」が3.8%、「2 海外支店がある」が0.6%、無
67
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
回答が0.6%であった。
4.2.環境の取組み
「環境金融調査」では、問1∼問10において、環境の取組み状況について質問した。
問1は「貴社における企業活動において、環境に配慮した取組みは、どのように位置づけられてい
ますか。もっともあてはまるものを1つ選んで選択肢の番号に○をつけてください」と質問した。その
結果、
「1 ビジネスチャンスである」が5.7%、
「2 企業の社会的責任の一つである」65.7%、
「3 事業継続性に係るビジネスリスクの低減につながる」6.5%、
「4 重要な戦略の一つである」が5.9%、
「5 法規制等の義務以上のものではない」が11.1%、「6 環境に配慮した取組みと企業活動は関係
がない」が3.4%、「7 その他」が0.6%、無回答が1.2%であった。
10
問2は「貴社で環境経営を推進するに当たって、事業エリア内 で重要な環境課題と位置つけてい
るものは何ですか。あてはまるものを全て選んで選択肢の番号に○をつけてください」と質問した。
その結果、回答が多い順に「8 廃棄物」が58.2%、
「1 資源・エネルギーの利用」が42.4%、
「2 資源の循環的利用」が40.4%、
「5 水質汚濁」が24.8%、
「6 大気汚染」が17.4%、
「3 温室効果ガス」
が17.2%、
「7 化学物質」が12.1%、10 重要な環境課題はない」が11.5%、
「4 総排水量」が7.7%、
「9 生物多様性の保全」が5.3%、「11 その他」が1.0%、無回答が0.8%であった。
11
問3は「貴社では、
環境マネジメントシステム の国内規格、国際規格等の認証を取得していますか。
1つ選んで選択肢の番号に○をつけてください」と質問した。その結果、
「1 全事業所において認
証を取得した」が15.4%、
「2 一部の事業所で認証を取得した」が5.7%、
「3 認証は取得していない」
が79.0%、無回答が0.0%であった。
問4では、
「貴社では、環境配慮を考慮した原材料等、物品・サービス等の選定(グリーン購入)を
実施していますか。1つ選んで選択肢の番号に○をつけてください」と質問した。その結果、
「1 実
施している」が25.1%、
「2 実施に向けて検討している」が12.5%、
「3 検討していない」が61.6%、
無回答が0.8%であった。
問5は「貴社では、環境に関するデータ、取組み等の情報を公表していますか。1つ選んで選択
肢の番号に○をつけてください」と質問した。その結果、
「1 一般の方を対象として公表している」
が9.5%、「2 特定の取引先、金融機関等一部を対象として情報を公表している」が9.5%、「3 情
報の公表はしていない」が80.8%、無回答が0.2%であった。
12
問6は「貴社では、
環境会計 を導入していますか。1つ選んで選択肢の番号に○をつけてください」
と質問した。その結果、
「1 導入している」が3.6%、
「2 導入を検討している」が3.6%、
「3 導
入を検討していない」が38.6%、
「4 環境会計自体を知らない」が54.1%、無回答が0.0%であった。
13
問7は「貴社では、環境ビジネス を行っていますか。1つ選んで選択肢の番号に○をつけてくだ
さい」と質問した。その結果、
「1 行っている」が16.6%(82社)、「2 行うことを検討している」
が3.4%(17社)
、「3 行っていない」が79.2%(392社)、無回答が0.8%であった。
問8は、問7で「1 行っている」と回答した82社を対象として「貴社では環境ビジネスを促進
するにあたって、どのような問題が考えられますか。あてはまるものを全て選んで選択肢の番号に
○をつけてください」と質問した。その結果、回答が多い順に「3 国等の支援が十分にないこと」
が24.4%、
「2 消費者やユーザーの意識・関心がまだ低いこと」が43.9%、「5 技術開発や設備、
人材等の経営資源の追加的な投資を考えると、リスクが高いこと」が22.0%、「1 現状の市場規模
では採算が合わないこと」が20.7%、
「8 特に問題はない」が19.5%、「6 アイデアやノウハウが
不足していること」が18.3%、
「4 関連する情報が十分に入手できないこと」が11.0%、
「9 その他」
が8.5%、「7 資金が確保できないこと」が7.3%、無回答が0.0%であった。
問9は、問7で「2 行うことを検討している」
(17社)または「3 行っていない」
(392社)計
409社を対象として「環境ビジネスを行っていない理由は何ですか。あてはまるものを全て選んで選
択肢の番号に○をつけてください」と質問した。その結果、回答が多い順に「6 アイデアやノウハ
ウが不足しているため」が48.7%「4 関連する情報が十分に入手できないため 」が31.3%、
「5 技
68
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
術開発や設備、人材等の経営資源の追加的な投資を考えると、リスクが高いため」が27.9%、
「1 現
在の市場規模では採算が合わないため」が17.6%、
「7 資金が確保できないため」が16.9%、
「2 消費者やユーザーの意識・関心が低いため」が15.4%、
「8 その他」が12.7%、
「3 国等の支援が
十分にないため」が7.1%、無回答が2.2%であった。
問10は「貴社では、環境ビジネスを促進するために行政にどのような支援を望みますか。あては
まるものを全て選んで選択肢の番号に○をつけてください」と質問した。その結果、回答が多い順
に「1 環境ビジネスに関する情報の提供(成功事例や市場の見通しなど)
」が50.3%、「3 税制
面での優遇措置」が46.3%、「8 消費者・ユーザーの意識向上のための啓蒙活動」が27.9%、「4 規制緩和」が21.4%、「6 新たな市場づくり」が21.8%、「5 低利融資等の融資制度の拡充」が
17.8%、「7 環境ビジネスの客観的評価制度の確立」が13.9%、「9 環境ビジネスのためのネット
ワークづくり」が12.3%、「2 行政による環境ビジネスに関する相談窓口の設置」が12.1%、「10 その他」が5.9%、無回答が4.0%であった。
4.
3.環境金融に対するニーズ等
「環境金融調査」では、問11 ∼問16において環境金融に対するニーズ等について質問した。
14
問11は「貴社のメイン行 には環境金融に関する融資制度がありますか。1つ選んで選択肢の番号
に○をつけてください」と質問した。その結果、「1 ある」が24.6%、「2 ない」が6.3%、「3 分からない」が69.1%、無回答が0.0%であった。規模別にみると(表1)
、
「1 ある」という回答は、
60人以上では33.1%、30 ∼ 59人では28.9%、0 ∼ 29人では11.4%と、規模が大きければ、メイン行に
環境金融に関する制度があると答えた。また、0 ∼ 29人では83.2%と、小規模ならば、
「3 分からない」
という回答が多かった。無回答を計算に含めたカイ二乗値検定では、1%水準で有意差が認められた。
表1 規模別のメイン行の環境金融に関する融資制度の有無のクロス集計
全体
ある
メイン行の環境
金融に関する融
資制度(問11)
規模
(#495)
0 ∼ 29人(#167)
30 ∼ 59人(#135)
60人以上(#175)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
24.6%
ない
分からない
無回答
15
11.4%
28.9%
33.1%
6.3%
5.4%
7.4%
5.1%
69.1%
83.2%
63.7%
61.7%
0.0%
0.0%
0.0%
0.0%
16
問12は「
「金融機関」 による環境格付融資 を利用したいですか。1つ選んで選択肢の番号に○をつ
けてください」と質問した。その結果、
「1 利用したことがあり、今後も利用したい」2.6%、
「2 利用したことがないが、今後は利用したい」13.9%、「3 利用したことがあるが、今後は利用した
くない」0.4%、「4 利用したことがなく、今後も利用したくない」22.0%、「5 環境格付融資を
知らない」60.4%、無回答が0.6%であった。また、問12で「金融機関」による環境格付融資 を利用
したい(
「1 利用したことがあり、今後も利用したい」+「2 利用したことがないが、今後は利
用したい」
)と回答した企業が17%(82社)、利用したくない(「3 利用したことがあるが、今後は
利用したくない」+「4 利用したことがなく、今後も利用したくない」)と回答した企業が22.4%
(111社)であった。さらに、問12で「金融機関」による環境格付融資 を利用したことがある(
「1 利用したことがあり、今後も利用したい」+「3 利用したことがあるが、今後は利用したくない」)
と答えた企業は3.0%(15社)、利用したことがない(「2 利用したことがないが、今後は利用した
い」+「4 利用したことがなく、今後も利用したくない」
)と答えた企業は36.0%(178社)であっ
た。規模別にみると(表2)
、「2 利用したことがないが、今後は利用したい」という回答は、0 ∼
29人では7.2%と、規模が小さいと少なかった。また、0 ∼ 29人では73.1%と、小規模ならば、
「5 環境格付融資を知らない」という回答が多かった。無回答を計算に含めたカイ二乗値検定では、1%
69
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
水準で有意差が認められた。
表2 規模別の金融機関による環境格付融資の利用のクロス集計
全体
規模
(#495)
0 ∼ 29人(#167) 30 ∼ 59人
(#135) 60人以上(#175)
列の N %
金融機関
による環
境格付融
資の利用
(問12)
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
2.6%
.6%
3.7%
3.4%
利用したことがないが、今後
は利用したい
13.9%
7.2%
20.0%
16.0%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
.4%
.6%
.7%
0.0%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
22.0%
18.6%
19.3%
26.3%
環境格付融資を知らない
60.4%
73.1%
56.3%
52.6%
.6%
0.0%
0.0%
1.7%
無回答
業績別での金融機関による環境格付融資の利用は大きな差がなく(表3)
、無回答を計算に含めたカ
イ二乗値検定では、5%水準では有意差が認められなかった。
表3 業績別の金融機関による環境格付融資の利用のクロス集計
全体
金融機関
による環
境格付融
資の利用
(問12)
業績
(#495)
好調(#171)
どちらとも言え
ない(#207)
不調(#115)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
2.6%
2.3%
2.4%
3.5%
利用したことがないが、今後
は利用したい
13.9%
15.8%
15.0%
9.6%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
.4%
0.0%
1.0%
0.0%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
22.0%
23.4%
19.8%
24.3%
環境格付融資を知らない
60.4%
58.5%
60.4%
62.6%
.6%
0.0%
1.4%
0.0%
無回答
創業年別での金融機関による環境格付融資の利用は大きな差がなく(表4)
、無回答を計算に含めた
カイ二乗値検定では、5%水準では有意差が認められなかった。
70
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
表4 創業年の金融機関による環境格付融資の利用のクロス集計
全体
金融機関
による環
境格付融
資の利用
(問12)
創業年
(#495)
1944年以前
(#82)
1645∼1954
年(#72)
1655∼1973
年(#139)
1974年以降
(#125)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
2.6%
3.7%
2.8%
2.9%
.8%
利用したことがないが、今後
は利用したい
13.9%
17.1%
16.7%
12.2%
13.6%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
.4%
1.2%
1.4%
0.0%
0.0%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
22.0%
24.4%
20.8%
28.1%
16.0%
環境格付融資を知らない
60.4%
53.7%
56.9%
56.8%
68.8%
.6%
0.0%
1.4%
0.0%
.8%
無回答
業種別にみると(表5)、
「2 利用したことがないが、今後は利用したい」という回答は、製造業
では17.8%と、多く。また、その他では16.7%と、多かった。無回答を計算に含めたカイ二乗値検定
では、5%水準で有意差が認められた。
表5 業種別の金融機関による環境格付融資の利用のクロス集計
全体
金融機関
による環
境格付融
資の利用
(問12)
業種
(#495)
製造業
(#180)
建設業
(#95)
卸・小売業
(#113)
その他
(#102)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
2.6%
3.9%
3.2%
.9%
1.0%
利用したことがないが、今後
は利用したい
13.9%
17.8%
8.4%
9.7%
16.7%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
.4%
.6%
0.0%
.9%
0.0%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
22.0%
21.1%
25.3%
21.2%
21.6%
環境格付融資を知らない
60.4%
56.7%
60.0%
67.3%
60.8%
.6%
0.0%
3.2%
0.0%
0.0%
無回答
17
問13は「貴社は、環境配慮型企業向けの私募債 を利用したいですか。1つ選んで選択肢の番号に
○をつけてください」と質問した。その結果、
「1 利用したことがあり、
今後も利用したい」が3.2%、
「2 利用したことがないが、今後は利用したい」が6.3%、「3 利用したことがあるが、今後は利
用したくない」が2.0%、
「4 利用したことがなく、今後も利用したくない」が30.3%、
「5 環境配
慮型企業向けの私募債を知らない」が57.8%、無回答が0.4%であった。また、問13で環境配慮型企業
向けの私募債を利用したい(
「1 利用したことがあり、今後も利用したい」+「2 利用したこと
がないが、今後は利用したい」)と回答した企業が9.5%%(47社)
、利用したくない(
「3 利用した
ことがあるが、今後は利用したくない」+「4 利用したことがなく、今後も利用したくない」
)と
回答した企業32.3%%(160社)であった。さらに、問13で環境配慮型企業向けの私募債を利用した
ことがある(
「1 利用したことがあり、今後も利用したい」+「3 利用したことがあるが、今後
71
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
は利用したくない」)と答えた企業は5.3%%(26社)
、利用したことがない(
「2 利用したことがな
いが、今後は利用したい」+「4 利用したことがなく、今後も利用したくない」
)と答えた企業は
36.6%%(181社)であった。規模別にみると(表6)、0 ∼ 29人では69.5%と、小規模ならば、「5 環境配慮型企業向けの私募債を知らない」という回答が多かった。無回答を計算に含めたカイ二乗
値検定では、1%水準で有意差が認められた。
表6 規模別の環境配慮型企業向けの私募債の利用のクロス集計
環境配慮
型企業向
けの私募
債の利用
(問13)
全体
規模
(#495)
0 ∼ 29人(#167)
30 ∼ 59人
(#135)
60人以上(#175)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
3.2%
.6%
4.4%
5.1%
利用したことがないが、今後
は利用したい
6.3%
2.4%
11.1%
6.9%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
2.0%
.6%
3.7%
2.3%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
30.3%
26.9%
29.6%
33.7%
環境配慮型企業向けの私募債
を知らない
57.8%
69.5%
51.1%
50.9%
.4%
0.0%
0.0%
1.1%
無回答
業績別での環境配慮型企業向けの私募債の利用は大きな差がなく(表7)
、無回答を計算に含めたカ
イ二乗値検定では、5%水準では有意差が認められなかった。
表7 業績別の環境配慮型企業向けの私募債の利用のクロス集計
全体
環境配慮
型企業向
けの私募
債の利用
(問13)
業績
(#495)
好調(#171)
どちらとも言え
ない(#207)
不調(#115)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
3.2%
4.1%
3.4%
1.7%
利用したことがないが、今後
は利用したい
6.3%
7.6%
6.3%
4.3%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
2.0%
2.3%
1.9%
1.7%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
30.3%
31.6%
29.5%
30.4%
環境配慮型企業向けの私募債
を知らない
57.8%
53.8%
58.5%
61.7%
.4%
.6%
.5%
0.0%
無回答
創業年別での金融機関による環境配慮型企業向けの私募債の利用は大きな差がなく(表8)
、無回答
を計算に含めたカイ二乗値検定では、5%水準では有意差が認められなかった。
72
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
表8 創業年別の環境配慮型企業向けの私募債の利用のクロス集計
全体
環境配慮
型企業向
けの私募
債の利用
(問13)
創業年
(#495)
1944年以前
(#82)
1645 ∼ 1954
年(#72)
1655 ∼ 1973
年(#139)
1974年以降
(#125)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
3.2%
7.3%
4.2%
3.6%
1.6%
利用したことがないが、今後
は利用したい
6.3%
8.5%
2.8%
7.2%
7.2%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
2.0%
2.4%
4.2%
1.4%
1.6%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
30.3%
35.4%
30.6%
32.4%
28.0%
環境配慮型企業向けの私募債
を知らない
57.8%
46.3%
55.6%
55.4%
61.6%
.4%
0.0%
2.8%
0.0%
0.0%
無回答
創業年別での金融機関による環境配慮型企業向けの私募債の利用は大きな差がなく(表9)
、無回答
を計算に含めたカイ二乗値検定では、5%水準では有意差が認められなかった。
表9 業種別の環境配慮型企業向けの私募債の利用のクロス集計
全体
環境配慮
型企業向
けの私募
債の利用
(問 13)
業種
(#495)
製造業
(#180)
建設業
(#95)
卸・小売業
(#113)
その他
(#102)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
3.2%
3.3%
6.3%
2.7%
0.0%
利用したことがないが、今後
は利用したい
6.3%
6.7%
2.1%
3.5%
11.8%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
2.0%
2.2%
3.2%
2.7%
0.0%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
30.3%
29.4%
32.6%
33.6%
26.5%
環境配慮型企業向けの私募債
を知らない
57.8%
57.8%
54.7%
57.5%
61.8%
.4%
.6%
1.1%
0.0%
0.0%
無回答
18
問14は「事業者による環境物品等 の調達に対して金利を優遇する商品を利用したいですか。1つ
選んで選択肢の番号に○をつけてください」と質問した。その結果、
「1 利用したことがあり、今
後も利用したい」が11.3%、「2 利用したことがないが、今後は利用したい」が26.3%、「3 利用
したことがあるが、今後は利用したくない」が0.6%、「4 利用したことがなく、今後も利用したく
ない」が15.4%、「5 事業者による環境物品等の調達に対して金利を優遇する商品を知らない」が
45.7%、無回答が0.8%であった。また、問14で事業者による環境物品等 の調達に対して金利を優遇
する商品を利用したい(「1 利用したことがあり、今後も利用したい」+「2 利用したことがな
いが、今後は利用したい」
)と回答した企業が37.6%(186社)、利用したくない(
「3 利用したこと
があるが、今後は利用したくない」+「4 利用したことがなく、今後も利用したくない」
)と回答
した企業が16.0%(79社)であった。さらに、問14で事業者による環境物品等の調達に対して金利を
優遇する商品を利用したことがある(
「1 利用したことがあり、今後も利用したい」+「3 利用
73
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
したことがあるが、今後は利用したくない」)と答えた企業は11.9%(59社)
、利用したことがない(「2
利用したことがないが、
今後は利用したい」+「4 利用したことがなく、今後も利用したくない」)
と答えた企業は41.6%(206社)であった。規模別での事業者による環境物品等の調達に対して金利
を優遇する商品の利用は大きな差がなく(表10)
、無回答を計算に含めたカイ二乗値検定では、5%
水準では有意差が認められなかった。
表10 規模別の事業者による環境物品等の調達に対して金利を優遇する商品の利用のクロス集計
全体
規模
(#495)
0 ∼ 29人(#167) 30 ∼ 59人(#135) 60人以上(#175)
列の N %
事業者に
よる環境
物品等の
調達に対
して金利
を優遇す
る商品の
利用(問
14)
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
11.3%
6.6%
13.3%
13.1%
利用したことがないが、今後
は利用したい
26.3%
26.3%
29.6%
24.6%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
.6%
1.2%
.7%
0.0%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
15.4%
15.0%
13.3%
16.6%
事業者による環境物品等の調
達に対して金利を優遇する商
品を知らない
45.7%
50.9%
42.2%
44.0%
.8%
0.0%
.7%
1.7%
無回答
業績別での事業者による環境物品等の調達に対して金利を優遇する商品の利用は大きな差がなく(表
11)、無回答を計算に含めたカイ二乗値検定では、5%水準では有意差が認められなかった。
表11 業績別の事業者による環境物品等の調達に対して金利を優遇する商品の利用のクロス集計
全体
事業者に
よる環境
物品等の
調達に対
して金利
を優遇す
る商品の
利用(問
14)
業績
(#495)
好調(#171)
どちらとも言え
ない(#207)
不調(#115)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
11.3%
14.6%
10.1%
8.7%
利用したことがないが、今後
は利用したい
26.3%
24.6%
27.1%
27.8%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
.6%
.6%
.5%
.9%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
15.4%
14.6%
14.5%
18.3%
事業者による環境物品等の調
達に対して金利を優遇する商
品を知らない
45.7%
44.4%
46.9%
44.3%
.8%
1.2%
1.0%
0.0%
無回答
規模別にみると(表12)
、「5 事業者による環境物品等の調達に対して金利を優遇する商品を知ら
ない」という回答は、1944年以前では47.6%、1974年以降では54.4%であった。無回答を計算に含め
たカイ二乗値検定では、5%水準で有意差が認められた。
74
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
表12 創業年別の事業者による環境物品等の調達に対して金利を優遇する商品の利用のクロス集計
全体
事業者に
よる環境
物品等の
調達に対
して金利
を優遇す
る商品の
利用(問
14)
創業年
(#495)
1944年以前
(#82)
1645 ∼ 1954
年(#72)
1655 ∼ 1973
年(#139)
1974年以降
(#125)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
11.3%
12.2%
19.4%
12.2%
5.6%
利用したことがないが、今後
は利用したい
26.3%
20.7%
33.3%
29.5%
24.8%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
.6%
1.2%
1.4%
.7%
0.0%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
15.4%
18.3%
5.6%
18.7%
15.2%
事業者による環境物品等の調
達に対して金利を優遇する商
品を知らない
45.7%
47.6%
37.5%
38.1%
54.4%
.8%
0.0%
2.8%
.7%
0.0%
無回答
業種別での事業者による環境物品等の調達に対して金利を優遇する商品の利用は大きな差がなく(表
13)、無回答を計算に含めたカイ二乗値検定では、5%水準では有意差が認められなかった。
表13 業種別の事業者による環境物品等の調達に対して金利を優遇する商品の利用のクロス集計
全体
事業者に
よる環境
物品等の
調達に対
して金利
を優遇す
る商品の
利用(問
14)
業種
(#495)
製造業
(#180)
建設業
(#95)
卸・小売業
(#113)
その他
(#102)
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
列の N %
利用したことがあり、今後も
利用したい
11.3%
12.8%
10.5%
8.8%
11.8%
利用したことがないが、今後
は利用したい
26.3%
26.7%
26.3%
31.9%
18.6%
利用したことがあるが、今後
は利用したくない
.6%
1.1%
0.0%
0.0%
1.0%
利用したことがなく、今後も
利用したくない
15.4%
16.1%
14.7%
14.2%
15.7%
事業者による環境物品等の調
達に対して金利を優遇する商
品を知らない
45.7%
42.8%
45.3%
45.1%
52.9%
.8%
.6%
3.2%
0.0%
0.0%
無回答
問15は「貴社は、環境ビジネスや環境に配慮した施設整備などを行う場合、
「金融機関」の融資等
により資金調達を行いますか。1つ選んで選択肢の番号に○をつけてください」と質問した。その
結果、
「1 行う」が47.1%、「2 行わない」が50.9%、無回答が2.0%であった。
問16は「「金融機関」の融資等により環境ビジネスや環境に配慮した施設整備などを行う場合、
「金
融機関」に対してどのような企業サポートを希望しますか。あてはまるものを全て選んで選択肢の
番号に○をつけてください」と質問した。その結果、回答が多い順に「1 顧客販路拡大支援(ビ
ジネスマッチングおよび商談会の実施)」が39.2%、「3 セミナー・勉強会を通じた情報提供」が
38.2%、「2 経営支援」が32.1%、「4 自社の事業内容の理解」22.0%、
「6 地方公共団体との連
携支援」が19.0%、
「5 大学や研究機関との連携支援」12.1%、
「7 その他」が7.9%、無回答が5.5%
であった。
75
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
問17は「貴社が環境ビジネスや環境に配慮した施設整備などを行う場合、「金融機関」以外の資金
調達にどの様なものがありますか。あてはまるものを全て選んで選択肢の番号に○をつけてくださ
い」と質問した。その結果、回答が多い順に「1 自己資金」が74.5%、
「2 国等の行政からの補助金」
が46.7%、「6 その他」が5.1%。「4 社債発行」が2.2%、「5 株による増資」が1.8%、「3 ク
ラウドファンディング」が0.6%、無回答が4.4%であった。
5.「金融機関調査」の結果
「金融機関調査」のうち、金融機関による環境の取組み等を把握するための設問(調査票の問1∼
10)は、
「環境金融調査」と同様に、環境省(2015b)「環境にやさしい企業行動調査(平成25年度に
おける取組に関する調査結果)
【詳細版】」の調査票の設問を利用、または参考にして作成した。また、
環境ビジネスや環境に配慮した施設整備などを行う企業にどのような企業サポート用意しているか
を問うた調査票の問17の回答選択肢は、「環境金融調査」と同じ文献を参考にして作成した。
「金融機関調査」の調査票と単純集計結果については、資料2をご参照いただきたい。
6.おわりに −今後の課題−
本稿では、中間報告として、
「環境金融調査」の単純集計の結果と一部のクロス集計結果、
「金融
機関調査」の単純集計結果を報告した。クロス集計結果についての考察や、その他のクロス集計結
果の報告と考察、環境省の調査結果を踏まえた比較考察などについては、次の課題としたい。
本研究は、文部科学省「地(知)の拠点整備事業」
(大学COC事業)の長岡大学地域志向教育研究費
の助成を受けている。
注
1
環境金融行動原則起草委員会事務局編著・監修(2011)p3。
2
環境金融行動原則起草委員会事務局編著・監修(2011)p3。
3
環境金融行動原則起草委員会事務局編著・監修(2011)参考。
4
平成25年度の調査開始時点で金融庁(2013年末時点)「都道府県別の中小・地域金融機関一覧表
新潟県」にリストアップされていた24の金融機関(地方銀行、第二地方銀行、信用金庫、信用組合)
のうち、
「21世紀金融行動原則」に署名しているのは第四銀行、北越銀行、第二地方銀行の大光銀行、
新潟信用金庫であった。
5
調査の効率性を高める目的と本調査の対象企業として利用可能なリストであるとの判断から、長
岡大学地(知)の拠点整備事業推進本部長岡大学地域連携研究センターが所有している企業リス
トをもとに調査対象企業リストを作成した。
6
プレスメディア編(2010)。
7
料金受取人払の差出有効期間を2015年11月25日∼ 2016年12月25日に設定した。
8
環境省(2015b)「環境にやさしい企業行動調査結果(平成25年度における取組に関する調査結
果)【詳細版】」https://www.env.go.jp/policy/j-hiroba/kigyo/h25/full.pdf(2016年2月27日閲覧)
pp243-250。
9
派遣社員など直接雇用していない方は非正規従業員に含めていない。
10
ここでの「事業エリア」とは、「事業所や連結子会社など自社が直接的に環境への影響を削減管
理できる領域のこと」環境省(2015b)p219。
11
環境マネジメントシステムの規格にはISO14001、エコアクション21などがある。
12
「事業活動における環境保全のためのコストとその活動により得られた効果を認識し、可能な限
り定量的(貨幣単位又は物量単位)に測定する仕組み」環境省(2015b)p224。
76
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
13
ここでの環境ビジネスとは、「環境保全に資する技術、製品、サービス等を提供するビジネス」
のことを指す。環境省(2015b)p224。
14
銀行以外の「金融機関」も含む。
15
本稿のアンケート調査で「金融機関」という場合、
「銀行、商工組合中央金庫、信用協同組合連合会、
信用組合、信用金庫連合会、信用金庫、労働金庫連合会、労働金庫、農林中央金庫、信用農業協
同組合連合会、信用漁業協同組合連合会」のことをいう。
16
「融資先企業の活動を環境面から評価し、その評価結果によって金利を段階的に変更する融資」
環境格付融資に関する課題等検討会(2014)p1。
17
環境配慮型企業向けの私募債とは、「金融機関」が環境問題に取り組む企業の私募債の事務委託
取扱手数料率や保証料率の優遇・引き受けを行うもの。西俣(2015)第四銀行、北越銀行、大光
銀行、新潟信用金庫のヒアリング調査結果、全国銀行協会(2008)p24を参考にした。
18
環境物品等とは、エコカーやLED照明器具、太陽光発電システムなどの省エネ設備など「環境負
荷の低減に資する原材料、部品、製品及び役務」環境省(2015a)p1。
参考文献
NTTデータ経営研究所(2014)「我が国金融機関による、中小企業の経営改善支援・事業再生支援等
に関する調査」
金融庁ウェブサイトhttp://www.fsa.go.jp/common/about/research/20140224-1/01.pdf(2016年
2月27日閲覧)
NTTデータ経営研究所 金融コンサルティング本部(2014)
「我が国金融機関による中小企業のトッ
プライン支援等に関する調査報告」
金融庁ウェブサイトhttp://www.fsa.go.jp/common/about/research/20140224-1/02.pdf(2016年
2月27日閲覧)
環境格付融資に関する課題等検討会(2014)「環境格付融資の課題に対する提言(中間報告)」
環境省ウェブサイトhttp://www.env.go.jp/policy/kinyu/kakuzukeyusi_sokusin/mat01_1-1-1.
pdf(2016年2月27日閲覧)
環境金融行動原則起草委員会事務局編著・監修(2011)「持続可能な社会の形成に向けた金融行動原
則(21世紀金融行動原則)(パンフレット)」
環境省ウェブサイトhttp://www.env.go.jp/policy/keiei_portal/common/pdf/principlesbooklet.
A3.20120106.pdf(2014年3月18日閲覧)
環境省(2015a)
「環境物品等の調達の推進に関する基本方針」https://www.env.go.jp/policy/hozen/
green/g-law/archive/bp/h27bp.pdf(2016年2月27日閲覧)
環境省(2015b)
「環境にやさしい企業行動調査結果(平成25年度における取組に関する調査結果)
【詳
細版】
」
環境省ウェブサイトhttps://www.env.go.jp/policy/j-hiroba/kigyo/h25/full.pdf(2016年2月27日
閲覧)
環境省総合環境政策局環境経済課(2013)「環境格付融資に取り組むための手引き」
日本環境協会ウェブサイトhttp://www.jeas.or.jp/activ/pdf/prom_2013/prom_08_02.pdf(2016
年2月27日閲覧)
金融庁(2013 年末時点)「都道府県別の中小・地域金融機関一覧表 新潟県」
金融庁ウェブサイトhttp://www.fsa.go.jp/policy/chusho/shihyou/kantou/niigata.html(2014年
3月26日閲覧)
全国銀行協会(2008)
「金融業における環境事業活動の現状と銀行に期待される役割」
全国銀行協会ウェブサイトhttp://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/news/news210225_1.pdf
西俣先子(2015)「新潟県の中小・地域金融機関による環境に配慮した金融行動の現状」
『平成26年
77
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
度 長岡大学地域志向教育研究ブックレットvol.2』長岡大学地(知)の拠点整備事業推進本部
長岡大学地域連携研究センター
日本銀行金融機構局 金融高度化センター長米谷達哉(2014)
「中小企業における経営支援ニーズと金
融機関の対応∼M&A・事業承継支援、ビジネスマッチング等∼」
日本銀行ウェブサイトhttps://www.boj.or.jp/announcements/release_2014/data/rel140418b1.
pdf(2016年2月27日閲覧)
プレスメディア編(2010)『新潟県会社要覧 平成23年版』新潟経済社会リサーチセンター
78
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
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93
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
94
論稿
<平成27年度長岡大学COC事業・地域志向教育研究成果>
先進国になるための必要条件と十分条件
― 新潟県長岡市の機械工業の事例を通じて ―
グォン
長岡大学准教授 1.経済が発展するためには
オー
ギョン
權 五 景
ビスを提供したりしなければならなかった。こ
こで強調したいのは経済の運営に先立って何か
を作り出すことが個人としては経済活動の出発
であり、地域としては経済発展の始まりだとい
うことである。そのため、経済の中心を生産主
体に置く必要があるが、現代経済学においては
マクロ経済の運営と効率的資源配分を巡る議論
は非常に活発だが、経済発展の出発点である何
を作るかを巡る論議は貧弱に映るため強調して
おきたい。
本稿は 経済が発展するためには何が必要か
という問いから始めたい。この問いを解くため
に本稿では、第1に、商品価値のある何か(物
またはサービス)を市場に出さなければならな
く、第2に、その商品価値がある何かは何に基
づくのかを探り、第3に国家単位ではなく地域
単位で見ていこうとする。
その理由は、まずは収入を上げるためには市
場で売れる物またはサービスを作る必要がある
からである。市場に売り出すことから付加価値
は生まれるのである。そして、売られた物やサー
ビスはどのような特性があるかを綿密に分析し
なければならない。それによって付加価値の本
質に近づけるからである。最後に、国家は地域
の集合体であり、豊かな地域が多いほど豊かな
国になりやすいと考えられるため、付加価値を
地域の視点からみていく必要があると考えられ
るからである。つまり、先進国の概念を技術が
進んでいる国ではなく、国を構成する地域の多
くが豊かな国として捉えている。そのため、先
進国になるためには技術の発達が大事ではな
く、地域の発展が大事であり、技術の発達もそ
の地域ならではのものである必要があるという
出発点に立っている。
1.2 商品価値がある何か
先進国は開発途上国に比べ1人当たりのGD
Pが高い。その理由はそれだけ市場価値がある
商品が市場で売られているためである。つまり、
交換価値の高い商品を市場に出してきたという
ことである。ここで注意すべきことは、いわゆ
る先端技術が入った商品と所得が必ずしも関連
性が高くないということである。開発途上国の
中でも最新型のスマートフォンを作り、宇宙船
が送れる技術力を持っている国はある。一方で、
先進国の中でそのような技術を持っていない国
がむしろ多いことに注目しなければならない。
東アジアの国々は複雑な構造の電子製品を世界
中に売りさばいている。しかし、市場をリード
する商品を出すことはできておらず、フォロ
ワーとなり熾烈な価格競争を展開してきてお
り、今もその構図の中にある。つまり、東アジ
ア諸国の商品の多くは商品価値が高くないので
ある。
では、欧米先進国の商品価値はなぜ高いのだ
ろうか。先進国の商品は値段が高いにもかかわ
らず世界中でよく売られている。東アジア諸国
の商品ほど価格競争が激しくない。なぜそうだ
1.1 経済行為と経済発展の始まり
として作ること
人が集まって暮らし始めてからいつからか自
然に分業が始まり、職業と交換価値というもの
ができるようになった。すなわち、生計のため
には交換をしなければならず、交換のためには
その価値はさておき、何かを作ったり、或るサー
95
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
2.1 長岡市と秋田市の比較
ろうか。この疑問を検証するために商品の特性
を確認しなければならない。一般的に先進国の
商品は素材と部品のような中間財が一般的だと
言われているが、なぜ、先進国の商品が素材と
部品に集中しているかに関する議論は十分では
ない。本稿ではこの部分について触れたい。
<図1>長岡市と秋田市の位置
1.3 商品価値と地域の地理的特性
本稿では地理的特性を地域経済発展の重要な
要素として扱っている。人の能力には制限が付
いている。例外はない。経済を発展させるのは
人が行うことであり、その人の思考の一定部分
は経験に基づくものである。そして、その経験
の中にはどの地域の出身であるかも当然含まれ
る。すなわち、酒が好きな人だからといってど
んな酒でも好きということではない。その人の
経験と体質に左右されるのである。さらに言え
ば、出身地域によって好きな酒が違ってくる。
南欧の人はワインを、九州の人は焼酎を、関西
と新潟の人は日本酒が好きな人が多い。もちろ
んその理由は、子供の時からの文化になじんで
いたからというのもあれば、それが手に入れや
すかったからでもある。
このように、人の思考と行動には出身地域で
作られてきた、体にしみた習慣によって慣性が
働く。このような理由によりある企業家が商品
価値のある何かを開発しようとする際も出身地
域の影響を受けるようになる。豊田佐吉という
発明家が綿の産地だった静岡県の浜松地域の出
身ではなかったとしたら織機の開発はあったの
だろうか。御木本幸吉が太平洋沿岸地域の三重
県鳥羽地域でなく内陸の出身であったならば今
の世界的ジュエリー企業ミキモトが作られたの
だろうか。ところが、このようなことは経済分
析の対象になってこなかったのが実状である。
偶然として扱われてきたのである。本稿ではそ
れを必然として捉えていきたい。
新潟県長岡市(以下、長岡)と秋田県秋田市
(以下、秋田)を比較したい。その理由は両地
域に目立つ共通点も多かったが、現状は大きく
違っているからである。
共通点は、第1に、<図1>である程度確認
できるが、
日本海側に位置していることである。
第2に、日本海側の中でも北に位置しているた
め、相対的に寒く積雪量が多い。第3に、大都
市圏と離れており、大きな市場が周辺にない。
第4に、交通インフラの整備が太平洋沿岸都市
と比べ大幅に遅れていた。第5に、これがとて
も重要だが、両地域ともに日本では珍しく石油
が採掘されていた。特に、秋田は現在も石油と
天然ガスが採掘されているが、長岡は天然ガス
だけが採掘されている。なお、採掘量において
は秋田が長岡を圧倒していた。
ところで、<図2>は現在の日本の産業集積
地を地図上に表しているが、非常に興味深い。
⑥は長岡を示している。地方機械金属の集積地
である。しかし、秋田にはどのような集積もな
い。上述の類似した地理的特性と石油という天
然資源があったにもかかわらず現在の工業の規
模には大きな差がついている。
日本の工業集積地を特性別に分類したのが
<図2>だが、天野倫文(2004)に基づいて再
構成したものである。これは大都市機械金属群、
企業城下町、地方機械金属群、産地型集積群、
そして新興地域群と分類している。まず、その
多くが太平洋沿岸に接していることが確認でき
る。珍しく日本海側にあるのは新潟県の長岡市
(地方機械金属)
、燕市(産地型集積)
、三条市
2.新潟県長岡地域の経済発展
ここでは前節の3つの視点を持って、地域の
経済発展に成功した事例として新潟県長岡市の
工業化を取りあげたい。
96
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
<図2>日本の産業集積地の分布
(資料)天野倫文(2004)に基づいて著者作成。
(注)数字(11)は地方機械金属であり、製造品出荷額が大きい順序である★(4)は大都市
機械金属、▲(6)は企業城下町、◆(8)は産地型集積、■(3)は新興地域である。
と契約、鉄道車両の製造・修理業務を加え、
32年にはタンク車も制作した。30年から
は船用の機器・汽缶の生産に進出、33年
にはインターナショナル石油から機械設
備、秋田石油調査会から削井機械をそれ
ぞれ受注し、34年には当社柏崎製油所用
に1万石鉄製タンクを制作した。
(産地型集積)、福井県の鯖江市(産地型集積)
のたった4カ所だけである。そして、その中で
もある程度機械工業の基盤があると言える地方
機械金属群は長岡だけであり、秋田はどの分類
にも入っていない。実際に石油産出量は秋田が
長岡を圧倒してきたし、現在も産出されている。
長岡市の石油採掘施設は生産性がないためすべ
て廃鉱された。それにもかかわらずこのような
現状になっている理由は何だろうか。
端的に言えば、長岡では石油開発のために独
自の努力をし、それが成功につながったが、秋
田は失敗を繰り返し結局は長岡に依存したから
と言える。秋田の石油開発は手掘りから機械掘
りの水準に行くことができなかった。一方、長
岡では掘削の機械化に早くも成功したのであ
る。そのような状況下で秋田では石油採掘のた
めに当時日本最大規模の石油会社だった日本石
油株式会社の機械製作子会社だった新潟鐵工所
に掘削機械を発注したのである。つまり、技術
開発に先駆的に成功したメリットを日本石油は
十分活用することができたし、秋田は市場を
リードしていた企業に依存してしまったのであ
る。現時点で1988年に刊行された日本石油の『日
本石油百年史』に載っている<図3>が証拠と
しては全部だが、これより当時の状況が類推で
きる。
<図3>秋田石油調査会からの発注
新潟鉄工所の事業は石油事業に必要な
機械器具及び一般機械類の製作及び修繕
に始まったが、明治29年6月に北越鉄道
97
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
2.2 長岡市の機械工業発展史
以前の仕事に関係なく、機械の修理をやるよう
になったのは石油が採掘されたからである。ま
た、今と違って、交通がとても不便だったため
他の地域に依頼するという選択肢も非現実的
だったのも理由の一つである。
このような困難を克服し削井機械の自社生産
に成功した日本石油は本格的な採掘に取り組む
ことができたのである。そして、それを運搬す
るための設備と関連産業が必要となった。1898
年に北越鉄道が開通しており、電気会社、発電
所が建てられた。そして、日本石油の機械製作
子会社である新潟鐵工所の長岡工場が1902年に
開業しその後の長岡の機械工業の発展に中枢的
役割を果たした。石油業界の発展は掘削機械の
製造または修理に従事していた小規模企業にも
大きな影響を与え、機械製造企業の創業と規模
拡大を導いた。これだけではなかった。石油産
業の成功は金融業の発展へつながり銀行業と証
券業の発展にも至大な影響を及ぼした。また、
同じ製造業に影響を与え、製紙業を起こす原動
力になった。そして、工業人材養成のための工
業学校も建てられた。
新潟県長岡市は北緯37度の平野地帯に位置し
ており、日本の代表的な穀倉地帯である。繊維
工業の原料として綿花栽培と養蚕が行われた
が、他の先進地域(静岡県の浜松市、長野県の
諏訪市)のように繊維工業の機械化が実現で
き、他の工業につながることはできなかった。
以下では長岡市の機械工業の発展史を、郷土史
家内山弘氏の長岡大学での講義資料である内山
弘(2016)に基づきながら、5つの時代に分け
て説明を行いたい。
2.2.
1 石油産業以前
石油産業が始まる以前の金属工業は3つに分
かれる。第1は農機具の製作だった。第2はお
寺や神社から注文を受けて鐘のような宗教色彩
の強い鋳物製品を作ることだった。第3は武器
を鍛造と鋳造で製作することだった。
2.2.
2 石油採掘以後
大部分の地方機械金属集積地の特徴として鉱
物資源の開発をあげることができる。これは
1)
ヨーロッパでも確認されており 、新しくはな
いが、日本でもヨーロッパのような特徴が発見
されているという点においては重要だと指摘で
きる。日本を除いたアジアの多くの国々の場合
はそうではなないため、日本の地方機械金属の
集積地と鉱物資源の開発はその意義が大きいと
言える。では、具体的に見てみよう。
1888年に日本石油株式会社
(以下、日本石油)、
北越石油株式会社、山本油坑社等々が設立され
ており、本格的な石油開発が始まる。全盛期の
時、石油会社は約200社にも達していた。農具
を作っていた鍛冶屋が掘削の機械化に関わるよ
うになる。その理由は次のようである。掘削機
械を最初に米国のピアス社から購入して使用し
たが、故障になるにつれて修理のためにピアス
社だけを信じてただ待つわけにはいかなかった
のである。なぜなら、日本石油の立場では生産
が中止される場合、多くの労働力に対する賃金
負担と設備購入のための資金借り入れに対する
利子負担が大きかったため一刻でも早い修理が
必要だったからである。このような状況下で農
具を家内手工業で作っていた鍛冶屋たちにも仕
2)
事を託さざるを得ない状況だったのである 。
2.2.3 戦争と機械工業
長岡の機械工業の基盤は工作機械に基をおい
ているが、その始まりは戦争に基因する。
第1次世界大戦の勃発は長岡の機械工業界に
大きな変化をもたらす。工作機械製作の注文が
殺到した。欧州の戦争当事国が自国での戦争の
ためアジア諸国での経済活動が低迷していた。
その分の需要がアジア唯一の工業国だった日本
に殺到したためだと考えられる。また、現在と
違って旋盤とフライス盤があれば需要に対応で
きた時代だった。すなわち、石油掘削機械を取
り扱う過程でのノーハウが工作機械の製作に活
用されたのである。
1916年から工作機械の生産に入り1920年には
日本の工作機械5大生産県になる。1923年には
高級労働力の養成のために長岡高等工業学校
(現新潟大学工学部)が誘致される。1931年に
は東京と最短距離でつながる上越線が全面開通
され、開通前と比べ新潟駅と上野駅間が約4時
間も短縮されるようになった。そして、1934年
に初めて工業団地が造成され機械製造企業が入
居するようになる。当時入居していた企業が現
在も大きく活躍している。工作機械のツガミ、
98
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
かったため低迷が続いていた。ただ、IT機器
製造装置だけはわりと好景気が続いている。
OM製作所、クラキ、雪上車の大原鉄工所など
がそうである。1941年に太平洋戦争が勃発し長
岡の機械工業界は軍需企業としてかなり武器を
製造する。この過程で標準化と大量生産の技術
が要求されたため企業の技術力向上の観点から
すると悪いことばかりではなかったと見ること
ができる。
<図4>主要地方工業集積地での事業所数の変化の推移
4500
4000
3500
3000
2500
2000
1500
1000
500
0
୕᮲
ᒸ㇂
⇩
὾ᯇ
1960ᖺ
1971ᖺ
1980ᖺ
1989ᖺ
1990ᖺ
1991ᖺ
1992ᖺ
1993ᖺ
1994ᖺ
1995ᖺ
1996ᖺ
1997ᖺ
1998ᖺ
1999ᖺ
2000ᖺ
2001ᖺ
2002ᖺ
2003ᖺ
2004ᖺ
2005ᖺ
2006ᖺ
2007ᖺ
2008ᖺ
2.
2.
4 戦後復興期と高度成長期
戦争が終わったことにより以前の仕事が完全
になくなった。また、敗戦国となったため、社
会には活力がなかった。それで多くの企業がな
くなったが、必死の努力で生き延びた企業もあ
る。
現在新潟県内最大製造企業である日本精機
(自動車メーター製造)が1946年に戦争前の時
計製作技術を生かして創業され、1948年には戦
争前の工作機械製造企業が紡績機やミシンなど
を輸出する。また、現在も日本の多くのスキー
場で使用される雪上車が1951年に完成される。
そういった中で朝鮮戦争の勃発で好機が到来
した。GHQによる工作機械製作禁止令が解禁
され工作機械製造企業は本業に戻り急速に成長
することができたのである。それ以降納期に障
害物となっていた雪害を減らすために消雪パイ
プを埋設し始めたし、長岡に縁故のない企業も
立地するようになった。
1978年に長岡技術科学大学が開校し、1980年
に新潟大学工学部は新潟市に移転した。そして、
1982年に念願の上越新幹線が、1985年に関越高
速道路が開通され、以前とは比較にならないほ
ど東京という日本最大の市場ととても近くなっ
た。しかし、NC化に適応できなかった工作機
械製造企業は廃業が増えた。全盛期に工作機械
製造企業が20社もあったが、現在4社だけが命
脈を維持している。
㛗ᒸ
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G
(資料)経済産業省『工業統計表(市区町村編)』各年版より作成。
(注)2005年に事業所数が急増したのは市町村合併によるものである。
これまで述べた内容を図式化したしたのが
<図5>である。これは筆者が数年間にわたっ
て地域企業でインタビューした内容と内山
(2016)に基づいて作成したものである。上で
触れていないが、電源、ディスプレイ、半導体
製造装置などは現代に入ってから誘致によるも
のである。アルプス電気、TDKラムダがそう
だが、これらの企業は起業家を複数輩出してい
る。両者ともに電気・電子業種で発展可能性が
多く他業種に比べ創業が続いた。
また、米菓は字のごとくお米を原料としたお
菓子であり、日本の米菓業界の主要企業は大部
分が新潟県に立地している。新潟県が穀倉地帯
ということも重要な理由の一つではあるが、生
産ラインの設置ができる機械工業の基盤が地元
にあったことも大きな要因の一つである。わか
りやすい事例として、台湾の米菓企業は生産ラ
インで米菓を同じ焼き加減で焼くことができず
いまだに技術使用料を長岡に立地している米菓
企業に支払っているが、この台湾企業は中国市
場でトップ企業となっている。これは生産ライ
ンの技術力に基づくものである。
もう一つの事例として、ドリルメーカーのユ
ニオンツールがある。同社はクラシキ機械出身
の技術者を採用したが、それによってドリル製
造に必要な機械を自社製造することができた。
いずれの事例も戦前からの機械工業の基盤が長
岡にあったから可能だったと考えられる。
2.
2.
5 現在
急激な円高の起点であるプラザ合意の影響で
海外移転が活発化するにつれて国内からの注文
が急減した。その影響を受けて事業所数は<図
4>のように急減している。交通インフラをは
じめ、ビジネス環境は以前に比べ絶対的に改善
されたが、長岡製品に対する需要企業の海外移
転のようなグローバル市場の環境変化に対する
対応と、NC化という技術進歩に追いつけな
99
<図5>長岡の産業系譜図
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
100
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
3.長岡の企業はどのようにして技術
力(商品価値)を高めてきたのか
技術が発展することにより機械産業にも影響を
与えたと言える。
石油採掘が長岡市の工業化の起点であること
は前述したが、実は1920年代中盤に石油精製企
業が原油を輸入して精製する戦略に大転換しな
がら石油採掘は急減しており、製油所を横浜へ
移したため大部分の企業は石油産業との関係が
なくなってしまった。
それにもかかわらず日本有数の機械工業の集
積地として命脈を維持してくることができた理
由はどこにあるだろうか。一言で、かつての機
械工業の技術力を生かして
「その他の需要産業」
に支えられてきたためである。具体的には鉄道
部品、軍需、工作機械、車両機械、食品、IT
機器製造装置等々である。
以下では19世紀半ば以降の米国の工業化を参
考として長岡機械工業の技術発展過程を説明し
たい。周知のように19世紀半ばから米国経済は
大繁栄を謳歌するが、<図6>はその当時の機
械工業の発展メカニズムをRosenberg(1963)
が提唱した「技術の収斂」という概念に基づい
て作ったイメージである。
米国において部品の互換性と大量生産の製造
方式が確立するにつれ、機械工業は源流である
ヨーロッパよりも競争力を持つようになった。
銃器の部品を制作するために作られた専用工作
機械は銃器以外の製品の互換部品を製作する過
程でも十分に応用が可能となった。この過程で
ノーハウと技術が工作機械企業に収斂されたの
である。工作機械への技術の収斂は米国での技
術発展と拡散を意味するものだった。
<図7>は長岡での技術の収斂をイメージと
して表したものだが、米国と類似した形で示す
ことができる。長岡での技術の収斂先として金
属加工と機械製造をあげている。米国が工作機
械一つであったのに比べれば、幅が広すぎると
いう指摘があるかもしれない。しかし、長岡の
場合、工業化以降に存在してきた産業を約130
年間という期間で説明する際、工作機械一つの
分野にのみ収斂してきたと見るのは説得力に欠
けており、初歩的な金属加工から始めて工作機
械までを収斂先としてみるのが妥当だと思われ
る。金属加工の代表的な事例が鋳物工業である。
鉄道部品、兵器、工作機械、IT機器製造装置
に不可欠なものが鋳物であり、鋳物製造企業の
<図6>19世紀半ばの米国での技術の収斂
銃器
自動車
時計
工作
機械
自転車
ミシン
刈取機
タイプ
ライター
<図7>長岡での技術の収斂
石油
の採掘・
運搬
IT機器
製造装置
食品
鉄道
部品
金属加
工・機械
製造
車両
計器
軍需
工作
機械
4.地域資源の活用と克服と需要市場
との連結
世界のほとんどの豊かな地域は特別な財貨ま
たはサービスを市場に提供している。マクロ経
済の運営と効率的資源配分はその後のことであ
る。乱暴な言い方をすれば、それらは試行錯誤
の過程での錯誤を小さくするための議論である。
それが大事ではないのではなく、より大事なも
のとして経済行為を始めることを強調したい。
過去の東欧の社会主義国家においても工業地
域があったし、体制移行後の現在もそれらの国
家の工業の根幹となっているのは地域資源をう
101
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
れを活用していく過程が工業化の過程であり、
発展の過程であった。
しかし、地域の資源開発に対する意思と成功
の経験だけが持続的な成功すなわち発展を担保
することはできない。長岡の事例を見る際、重
要なのは需要産業である。石油の採掘で大きな
成功を収めたため、機械工業の技術力が向上し
たことは間違いないが、石油産業が急激に減少
してからも現在まで工業集積地として残ること
ができたのは鉄道、軍需、工作機械、車両機械、
食品、IT機器製造装置のような需要産業とつ
ながっているためである。<図4>で見たよう
に、日本を代表する工業集積地で事業所数が急
減しているのは基本的に仕事、すなわち需要が
減っているためである。トヨタ、ホンダ、ヤマ
ハ、河合楽器を輩出した日本最大の地方機械金
属工業の集積地である静岡県浜松市も例外では
ない。この需要が、地域経済が発展するうえで
の最も重要な十分条件と言えよう。
需要は人の生活のなかで発生するものであ
り、人の生活とはとても幅が広い。そして、そ
の需要というのがすべて高い水準の技術を必要
としない。地域資源の発掘に多くの力を注ぐ必
要がある。それを市場に出す過程で成功と失敗
が繰り返されるのであり、その結果他の地域で
は提供できない商品価値が高い財貨またはサー
ビスを市場に出すことができるだろう。このよ
うに科学と技術が発達した時代に地域資源の開
発というテーマは笑われるかもしれない。しか
し、これをしなければ、秋田のように、または
日本を除いたアジア諸国のように高い水準の経
済発展は難しくなるだろう。アジアの多くの国
が貿易赤字になっている理由は何だろうか。そ
の理由は国ごとに事情が異なるため一概には言
いにくいが、共通しているものもある。それは
秋田のように独自的な機械の開発を当時先進地
域だった新潟県の先進企業だった日本石油に託
したのと同じく、先進工業国に機械(中間財)
や素材の開発を託し自らは諦めたからである。
その結果、秋田は工業だけではなく様々な面で
衰退が急速に進行してしまっており、アジア諸
国の多くは貿易赤字に置かれているのである。
一方、長岡は独自的な技術を完成し100年以上
も工業都市の位置を維持している。
本稿は地域格差の原因として地域企業の重要
性を指摘し、具体的な事例として新潟県長岡市
まく活用して工業化に成功した地域である。具
体的には、スロベニアのイドリア、チェコのピ
ルゼンをあげることができる。卵が先か鶏が先
かという問いにおいて、卵が先だということで
ある。つまり、産業の創出が先でありマクロ経
済の運営と効率的資源配分は先ではないという
ことである。どれだけマクロ経済の運営に精通
したスペシャリストがいても市場に売り出す財
やサービスがないのであればその地域の経済は
活力を帯びることはできないだろう。先進国と
はこのような地域が多い国だということであ
る。本稿ではその事例として、石油という地域
資源を活用していく中で機械工業を発展させた
長岡を取りあげたのである。
日本はアジアで最初に工業化に成功した国で
ある。そのあとをNIEs諸国が成し遂げ、今は
多くの開発途上国が工業化の実現のために力を
注いでいる。しかし、日本の工業化と、韓国を
含めた他のアジア諸国のそれには大きな違いが
ある。日本はまだ在来産業というのが存在して
いる。過去の伝統産業と現代技術が合わされて
伝統産業が現代化された。しかし、韓国をはじ
めとするアジア諸国では日本の例のように現代
化された在来産業を探すことは至難である。そ
の理由を端的に言えば、日本以外のアジアでは
自力による機械化への努力が実を結んでいない
からである。そのため、日本以外のアジア諸国
の工業化は在来産業と断絶された先進国から新
しく移植された産業が大部分であり、技術水準
が低いため価格引き下げ競争に突入せざるを得
ないのである。当然その結果として、低い利潤
に甘んじてきたのであり、先進国への侵入はで
きなくなる。
一方で、今度は技術力との関連は低いが商品
価値の高い事例を見よう。ヨーロッパ諸国がそ
うである。世界中で人気のおもちゃレゴには半
導体どころか電線一つ入っていない。万年筆に
も電子製品一つ入っていない。また、ブランド
物のかばんに最先端の技術が搭載されたという
ニュースは聞いたことがない。これらの付加価
値の高い商品は最先端技術と何の関係もない領
域である。かつてからの伝統産業であり、多く
は地域資源または歴史とかかわりを持ってい
る。言い換えるならば、地域資源の活用が経済
発展の必要条件なのである。長岡市の事例でも
確認できたように、石油という資源があり、そ
102
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
と秋田県秋田市を比べた。長岡の事例を通して
地域経済を発展させるためには良い地域企業を
多く排出せねばならず、そのためにはまずは地
域資源を活用すること、その次にそこで得た
ノーハウを生かし他の需要産業に活用すること
が重要であることを確認することができた。
注
1)
代表的な事例として、ドイツのルール地方(正
確にはEssen市)におけるKrupp社が上げら
れる。同社はルール地方だけではなく、ドイ
ツ全体の創業に多大な影響を与えた。
2)
また、金物屋が修理をやるようになったが、
難波鐵工所がそうである。
<参考文献>
天野倫文(2004)
「産業構造調整下の国内産業
集積 の再生―東アジアとのリンケージと産業
集積地域 の再活性化―」『イノベーション・マ
ネジメント』No 1、pp.37−59.
内山弘(2016)
「長岡鉄工業の歩み」非公開資料、
pp.1−10.
Rosenberg, Nathan(1963) Technological
Change in the Machine Tool Industry,
1840‒1910. The Journal of Economic History,
Volume 23. pp. 414−443.
※本研究は、JSPS科研費 JP16K02017と「地
(知)の拠点整備事業」の平成27年度の「地域
志向教育研究」の助成を受けたものです。
※本稿の作成にあたり、ご助言を下さった長岡
歯車資料館長の内山弘氏に感謝の意を表しま
す。
103
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
104
論稿
<平成27年度長岡大学COC事業・地域志向教育研究成果>
北越製紙と小林宗作
―長岡地域の産業史・企業家史に関する資料(Ⅲ)―
長岡大学教授 松 本 和 明
依拠している。
なお、資料には、読み易さに配慮して、適宜
句読点の付加、段落分け等をおこなっているこ
とをお断りしておく。
はしがき
筆者は、
本誌『地域連携研究』の第1号(2014
年11月発行)および第2号(2015年11月発行)
において、北越製紙株式会社(現・北越紀州製
紙)の経営発展と企業成長を1910年代から60年
代初頭にかけて旺盛かつ積極的に主導した田村
文吉の企業者活動および地域・社会貢献活動に
ついて、諸資料を収集して分析を加え、ひとと
おり明らかにすることができた。引き続き、長
岡地域はもとより新潟県内外から、同社に関す
る資料を収集している。
本稿では、文吉はもとより、創業者である田
村文四郎および覚張治平をミドルマネージャー
さらにはトップマネジメントの一員として支え
続けた技術者の小林宗作の活動ないし言動につ
いて明らかにすることを課題とする。小林は学
卒入社の第1号の社員であり、工場や機械の新
増設や運営・操業を中心に、後の1925年に入社
する中村恒とともに技術面を統括した。
筆者は、2007年に刊行された『北越製紙百年
史』の編纂事業への参画を許され、小林につい
て調査をおこない、その果たした役割の重要性
を認識し、一定程度叙述することはできたもの
の、社史としての性格上、立ち入って考察し言
及することはできなかった。
そこで、本稿では、新たに収集できた資料を
紹介し、解説ないし解題を施して、小林の足跡
と事績および田村・覚張との関係について多面
的に跡付けていくこととしたい。
小林や北越製紙の史実については、とくに指
摘しない限り、前述の『北越製紙百年史』およ
び『北越製紙70年史』(1977年刊行)と『北
越製紙株式会社二十五年史』(1932年刊行)に
Ⅰ 生い立ちから1910年代にかけて
の足跡と活動
小林宗作は、1885(明治18)年10月25日に、
新潟県北魚沼郡川口村(現・長岡市)の中林茂
吉・ヒデの次男として生まれた(8人兄妹の2
人目)
。茂吉家は同村域の有力者である中林宗
衛家の分家にあたる。ヒデの実家は同郡田麦山
村(現・長岡市)の桜井長作家である。茂吉は
農業や養蚕業に加えて郵便局を営むとともに
村会議員や学務委員などを歴任した。宗作は、
1907(明治40)年11月に古志郡東山村木沢(現・
長岡市)の小林清家の養子となっている。
宗作の兄の長松は家業を継承した。弟の亀五
郎は川口村の関金之丞家の養子となり農業とと
もに各種団体に関係した。弥平治は新潟県立長
岡工業学校(現・長岡工業高校)を卒業後に新
潟鉄工所に勤務し、刈羽郡柏崎町で鉄工業を営
む西川家の養子となった。養父の藤助と西川鉄
工所(現・サイカワ)の経営を主導するととも
に、大河内正敏の知遇を得て、理研ピストンリ
ングをはじめ小千谷・六日町・柿崎での関連会
社の設立と経営に深く関与した。昭和戦前期か
ら戦後にかけて新潟県会議員・県議会議長およ
び参議院議員を歴任し、奥只見地域の開発を推
進するなど、新潟県の保守政界の実力者であっ
た。また、
西川青年学校や県立柏崎工業学校(現・
柏崎工業高校)、柏崎農業高等学校(現・柏崎
総合高校)の創設に尽力するなど教育にも熱心
に取り組んだ。田中角栄や品川英三と近しい間
105
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
月に設立直後の北越製紙に入社した。入社後は
製紙課機械係(後に製紙部)に配属され、唯一
の学卒職員として、技師長の春日馬之助をサ
ポートし、長岡工場の機械の据え付けや組み立
て、および抄紙の実務を担うこととなった。
柄であった。亀五郎は西川鉄工所の常務取締役
1
も務めた 。友治は福島高等商業学校(現・福
島大学)を卒業し、その後長岡市千手町の長部
虎次郎家の養子となった。北越銀行本店営業部
長などを経て、1958年に取締役経理部長、62年
2
から70年まで常務取締役を務めた 。
小林は、村立川口小学校・川口尋常高等小学
校を経て新潟県立長岡中学校(現・長岡高等学
校)に入学した。田村文吉が同期生であった。
学年があがるにつれて両者の交流が進み、交通
が不便で自宅からの通学が難しく同校の寄宿舎
に入っていた小林は度々文吉の自宅を訪れてい
る。もとより田村文四郎とも面識を得たのはい
うまでもない。小林は、同校時代の文吉につい
て、
「この頃から社交家というか、とにかく交
際家でたくさんのお友達と、よくおつき合いさ
れていたと記憶しております(中略)当時から
友誼心に厚く、良く人の面倒をみられたので友
3
達もたくさんできたということでしょうね」
と述懐している。
1904(明治37)年3月に長岡中学校を卒業し
た。同校の第9回卒業となり、総数は78名であっ
た。主な同期卒業生としては、松田耕平(明治
大学卒業後長岡市会議員・新潟県会議員を経て
1938年から44年まで第6代長岡市長を歴任)や
大関又次郎(黒条村長)、倉品広吉(与板町長)、
平沢嘉正(日本石油取締役)
、松本正三郎(長
岡市会議員)
、山谷喜平(見附町長)などがあ
4
げられる その後、
小林は東京高等工業学校(現・
東京工業大学)機械科に入学した。同じく上京
して東京高等商業学校(現・一橋大学)に入学
し山本留次(当時を代表する紙卸商の1人で現
在の新生紙パルプ商事のルーツである博進社の
創業者であるとともに設立時より北越製紙監査
役も歴任)邸の2階に下宿していた文吉とは頻
繁に行き来して交誼をより深めた。学生時代に
は、北越製紙の起業を準備していた文四郎から
の要請に従い、同校の先輩にあたる王子製紙技
師の高田直屹から文吉とともに技術面での指導
を受けた。
卒業にあたり、小林は製糖会社への就職を希
望し、同校は新潟鉄工所への就職を薦めたもの
の、文四郎や覚張治平からの強い勧めと高田か
らのアドバイスを踏まえて、北越製紙への入社
を決意した。同校での卒業研究は製紙会社の工
場の建設および運営をテーマとした。1907年6
【資料Ⅰ−ⅰ】は、
文吉が「思いいづるまゝ」
『北
越ニュース』第12号(1956年2月1日発行)の
なかで、入社前後の小林について指摘している。
同資料は、北越紀州製紙株式会社所蔵である。
【資料Ⅰ−ⅰ】
(前略)
春日技師長の助手として、現小林副社長が蔵
前の高工卒業後は某社に就職がほとんど決って
いたのを無理に願って来てもらったようなわけ
で、当時二十三才の年少気鋭をもって設計工事
監督と春日技師長を助けたのであった。社賓星
野量平氏も小林氏同様、私の中学の同窓で明治
大学を卒業されたところを父からお願いして、
四十一年秋から会計係として就任されることと
なった次第である。お二人とも、先輩の指導を
受ける人もいないところで、初めから責任の地
位につかれたのであるから、さぞかし苦労され
たことであったと思う。
(後略)
小林は、東京高等商業学校卒業後に専攻科に
進んだ文吉が帰郷した時に、両者および1908年
に明治大学商科を卒業後に入社した星野量平と
ともに不完全であった固定資産台帳を2週間か
けて作成したことが印象に残っているとふりか
5
えっている 。
以下では、北越製紙の経営基盤の拡大・強化
はもとより、小林の技術者としてのキャリア形
成においても重要となった新潟への進出過程と
6
事業展開について取り上げていきたい 。なお、
主に活用した資料は、北越製紙の『役員会議事
録』である。
文四郎が北越製紙の起業を構想するなかで、
当初は洋紙(白洋紙)の生産を目指して、東京
から技師を招聘するとともに抄紙機を購入して
抄造技術の研究をおこなっている。実際の事業
は稲藁を原料とする板紙(黄板紙)の製造とし
たものの、1908年10月25日の長岡工場の開業式
106
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
した。
ここで、板紙製造の新会社ないし分工場の立
ち上げの計画が浮上した主たる要因として、日
本板紙共同販売所による共販体制が当初の計画
どおり機能しなくなりつつあり、これに対して
業界内で確固たる地位をいち早く築こうとした
ことを指摘しておきたい。
2ヶ月後の9月21日の取締役会では、共販体
制から脱却せずに、新潟付近に「別ニ小ナル製
造所ヲ設ケ」て、「実質上北越ノ分身タラシメ、
形式上ハ全ク独立ノ体面ヲ有」する別会社の形
態をとり、
「北越ノ余剰生産物ヲ新工場ヨリ販
売」させることを決定した。
「板紙界ノ将来並
ニ新潟県下ニ於テ将来新設サルベキ板紙株式会
社ノ消滅ヲ計ル」と、その意図として業界への
影響力の確保と新潟での他社の立ち上げの抑止
が明確に示されている。
その2日後の23日に、文四郎と覚張および取
締役の山口政治と渋谷善作が新潟に赴き、田村
文次郎と文吉の案内で、信越線の沼垂駅周辺や
9
通船川流域および白山浦一帯を調査した 。田
村文次郎は文四郎の義弟で、1870(明治3)年
10月に先代(5代目)文四郎の長男として生ま
れた。文四郎の意向を受けて新潟へ赴き、1896
(明治27)年から新潟市本町八番町にて田村分
店として紙卸売業を営業していた。同店は、新
潟および下越地方での重要な営業拠点となり、
田村家の家業の発展に寄与した。新潟では紙商
に加えてキリンビールの新潟県下総代理店とな
り、1915(大正4)年から33年2月まで新潟商
工会議所の常議員を務めるとともに新潟市会議
員なども歴任し、新潟の産業界・政界で重きを
10
なしていた 。
この調査により、文四郎と覚張は新潟への進
出の必要性および有用性を改めて認識し、翌10
月11日の取締役会で、文四郎は「是非今日断行
しておかぬと、他日悔を貽す事があらうも知れ
11
ぬ」 と新潟進出を強く主張した。当日の議事
録には、「当局重役ノ意見ニ従フヨリ道ナキコ
トナレバ、具体的成案ヲ提出シ決定スベキコト
ニ決ス」と記録されている。この時点で、新潟
への進出はほぼ決定したといってよい。
1913(大正2)年2月22日の取締役会では、
分工場にすべきか新会社を立ち上げるべきか再
び議論された。出席した山口政治は、分工場は
設立が容易で利害が共通することで紛議が生じ
において、文四郎が「更ニ普通白紙抄機械一台
ヲ増設スルハ是本社ノ近キ将来ニ於ケル希望ナ
7
リ」 と洋紙生産への方向性を明言したことを
はじめ、長岡工場での板紙製造および販売体制
の構築の途上でも片艶ロール紙の生産計画をあ
たため続けていたこと、さらに、文四郎は、新
潟への進出について、
「新潟は燃料としての石
炭が長岡よりは得るに易い、動力としての電力
も乏しくない、原料となる藁を収集する上から
いつても茫漠たる下越の平野を控へてゐる、何
れの点から見ても新潟は工場用地としては最良
8
絶好の候補地」 と述べており、抄紙における
新潟の優位性を早くから認識していたことに留
意する必要がある。
その後、長岡工場の生産および原料調達が軌
道にのり、日本板紙共同販売所の創設により販
売状況がいちおう落ち着いたなかで、1911(明
治44)年11月10日の取締役会において、文四郎
は抄紙機を1台増設して洋紙の生産に着手した
いとの構想を明らかにした。翌12年5月8日の
取締役会では、1ヶ月あたり3,000ポンド程度
を製造できる洋紙抄紙機を販売費用も含めて予
算約10万円で増設することが提案された。これ
に対して、洋紙の抄造は異議なく可決され、具
体的な予算や設備について調査していくことを
決定した。翌6月5日の取締役会では、原料の
選定や水路・貯水池の建設についても調査して
いくこととなった。
続いて、同年7月10日の取締役会ではより踏
み込んだ議論が展開された。
「本社ノ自衛上」、
新潟もしくはその周辺に日産5トンの新版1枚
取の板紙会社を新設して、北越製紙と新会社と
は独立した関係を有しつつも、原料調達や販売
に関しては両社の利害が共通するように新会社
に対する権利を北越製紙が掌握することによ
り、
「新潟付近ニ於テ設立セントスル者ヲ防止
シ、新潟県ニ於ケル板紙製造業ヲ独占的タラシ
メントノ目的ヲ達セントス其可否奈何」との問
題が提起された。これに対して、事業拡張の必
要上分工場として設立すべきか、他社が新潟あ
るいはその周辺部で立ち上げられた場合、北越
製紙にとっては明らかに不利となり、防遏ない
し対抗するために新会社として設立すべきかの
2点に意見が集約され、
「何レヲ取ルベキカ頗
ル利害関係重大」なため、ひとまず結論をださ
ず、具体案を作成してから再度協議することと
107
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
・工場の設計をはじめとする準備を着々と進捗
1914(大正3)年1月9日の取締役会で、文
四郎と技師長の春日が建設計画を説明した。翌
2月7日の取締役会では、35条からなる北越板
紙株式会社の定款が決定された。このうち第2
条には「当会社ハ板紙並ニ紙ノ製造販売ヲ以テ
目的トス」と事業目的が規定され、洋紙の生産
が想定されていたのには注目しなければならな
い。また、全役員が発起人として30株を引き受
けるとともに北越製紙持株20株につき北越板紙
1株が割り当てられた。
同年7月30日に北越板紙の創立総会が長岡商
業会議所で開催された。社長に覚張、常務取締
役に文次郎、取締役に文四郎のほか大橋新太郎・
渡辺藤吉・渋谷善作・山口政治・小川清之輔、
監査役に山田又七・山本留次・山口誠太郎が選
任され、北越製紙の役員がそのまま就任するこ
ととなった。
北越板紙の設立直後に、小林宗作が北越製紙
から技師として派遣され、工場の設計および監
督を統括することとなった。土地買収などの実
務は、沼垂町助役を務めた大野友吉を事務主任
として登用しこれを担わせ、周辺の土地を買い
進めた結果、工場用地は1万6,000坪となった。
抄紙機は、設立以前から国産か外国産いずれ
を選択するか検討をすすめており、1914年5月
10日の取締役会で国産を採用すること、続いて
6月6日の取締役会では当時業界で信頼を集め
ていた杉浦鉄工所と5万9,000円で請負契約を
締結することを決めた。杉浦鉄工所からは長網
67インチで新版2枚取りを購入した。同機は長
網であるため、洋紙の場合は菊版(A版)と
四六版(B版)の縦の取り合わせが可能な構造
となっていた。板紙市場の共販体制が崩れて自
由競争となり採算が悪化した場合には洋紙への
転換が可能な機械であった。
蒸解釜2個は新潟鉄工所、叩解機3機は南千
住製作所へ発注し、海外からの輸入はボイラー
とキャレンダーロールのみであった。長岡工場
以上に国産機の導入に積極的となったのであ
る。工場建物は、長岡工場での火災や風水害の
経験から、鉄骨・煉瓦造りとした。
1914年11月に工場建物の建設および諸機械の
設置が完了し、板紙の生産を開始した。製品は
10オンス以下の薄物が中心で、当初から品質は
良好であった。しかし、板紙メーカー各社が生
ない一方で、新会社は北越製紙が株式を所有す
る必要があり、独立した2社の利害関係で法律
上の紛議が生じる可能性があることを指摘し、
最終的には継続審議となった。翌3月5日の取
締役会では、日本板紙共同販売所の状況をみて
着手を判断するとした。
その後、日本板紙共同販売所による共販体制
の機能劣化が進展するなかで、同年8月10日の
取締役会で、文四郎がこれまでの経過を改めて
説明し、収支および設計予算書や今後の板紙の
需給見通し、新潟付近の水質検査結果などの具
体的なデータを示したうえで、新潟に新会社を
設立し、北越製紙との関係は「必ズシモ二会社
ノ利益共通ヲ目的トセズ、只北越製紙ニ於テ新
会社ノ権利ヲ掌握シ、他日分工場ニスルニモ差
支ナキ」ものとすることを提起した。これに対
して議論が展開された結果、最終的には、①新
潟付近に工場を新設、②資本金を15万円(1株
50円で3,000株)として北越製紙が全株を引き
受け、③名称は別なものとし、当分のあいだ株
式会社形態をとり、株主および役員の選定は便
宜取り扱う、④新会社の専務取締役の人選は文
四郎と覚張に一任の4点を決定した。ここに、
新潟において新会社を創設することとその骨格
が正式に確定したのである。
同月25日に、中蒲原郡沼垂町字龍ヶ島(現・
新潟市中央区)の沼垂駅裏にある日本安全石油
所有の6,000坪を石油タンクやレール・煙突等
とともに2万7,000円で買収する契約を締結し、
北越製紙名義とした。11月21日の取締役会で、
機械および設計等の総予算が13万2,662円95銭
と報告された。翌12月26日の取締役会では、新
会社について正式に決定された。概要は次のと
おりである。
・新会社の名称は北越板紙株式会社で、資本金
は25万円
・株数は5,000株で、4,000株を北越製紙が引き
受け、1,000株は臨時株主総会を開催して希
望者に割り当てることとし、希望者がない場
合は北越製紙の役員が引き受け
・新会社の役員は北越製紙の現任役員と同様、
人数は1名増員、役員は当分の間無報酬
・北越製紙は1株あたり8円、新会社は1株(50
円)あたり30円を徴収
・工場の敷地は北越製紙名義のものを新会社へ
貸与
108
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
大野が事務主任として引き続き実務を統括する
こととなった。北越板紙の清算の結果、6,784
円71銭が北越製紙の資産に繰り入れられた。
新潟工場としての最初の設備増強は、砕木パ
ルプ(GP)設備の導入であった。洋紙の生産
能力の拡大に伴い、藁ないし襤褸パルプのみで
は不十分であり、品質も必ずしも満足できるも
のではなかった。こうしたなかで、顧問技師の
堀越寿助(王子製紙王子工場工務係長や上海近
郊の竜華で創設された奏弁竜章造紙公司の工場
の建設と操業に携わった後に山本留次の斡旋を
受けて1909年4月に臨時技師として招聘され翌
10年1月に就任)が、支配人の文吉(1915年9
月就任)に対して、新潟は北海道から原木の搬
入が容易であること、砕木機の国産が開始され
ていたことから砕木機の新設を提案した。これ
を受けて、文吉は文四郎および覚張の諒解をと
りつけ、15年秋から準備に入った。砕木機は約
7,000円で杉浦鉄工所から、400馬力の電動機は
奥村電機商会から購入した。原木のトドマツは、
北海道の西南海岸部から新潟港や阿賀野川河口
の松ケ崎浜村(現・新潟市東区)を経て帆船で
持ち込まれた。動力は、飯豊川水力発電所を新
設した直後の中野平弥・四郎太(後に新潟交通
社長などを歴任)が率いる新潟水電から1銭
1厘/kwhの廉価で供給を受けることとなった。
これらの調達は、文次郎の尽力により実現でき
た。
建設工事は1916年4月27日に完成して翌5月
から稼動を始めた。同年上期の『第弐拾壱回報
告書』は、「工者ノ熟練ト共ニ来期以降低廉ナ
ル砕木紙料ヲ供給シ得ル見込ニシテ、今日ノ時
局ニ際シ聊カ意ヲ強クスルニ足ルト言フベシ」
(4頁)とその将来性を強調している。当初か
ら品質は良好であり、生産量は16年上期の42ト
ンから同年下期に447トン、3年後の19年上期
には718トンまで拡大した。木質パルプの自製
は、王子製紙系企業以外では業界初であり、北
越製紙の経営発展における一大画期となったの
である。
新 潟 工 場 で は、1918( 大 正 7) 年 7 月 に、
100インチの長網ヤンキーマシンを増設した(2
号機)。同機は、17年1月10日の取締役会で長
岡工場に設置することが決定していたものの、
同年3月10日の取締役会で、文吉が原料の関係
により新潟工場に設置するほうが有用であると
産能力を増大させる一方で、需要は伸びず市況
も軟化が続いたため、北越製紙は長岡工場と
秋葉原駅の倉庫に約2,000トンの滞貨を抱えた。
他方、洋紙は第一次世界大戦によりヨーロッパ
諸国からの輸入が途絶したために価格が高騰し
始めていた。こうした経営環境の変化に対応す
べく、北越板紙で洋紙(中質印刷紙)の生産に
着手する意向を固めた。これに関して、文四郎
は、
「私どもの宿論として、白紙を抄製するに
しても、板紙を製造するにしてもなるべく県下
の材料を使用して一方、越後の富を増殖せしめ
つゝ一方、私どもゝ商利を博して行きたいとい
ふのが願望であるので、県下の藁をもつてして
は板紙、県下の襤褸をもつてしては白洋紙を抄
12
製するとの方針をとつた」 とふりかえってい
る。
1915年11月11日の取締役会で、翌12月の1ヶ
月間に長岡工場で藁パルプの試験抄造をおこな
うことを決定し、12月4日から着手された。そ
して、翌16年1月には画用紙・地券紙の生産を
開始した。これが、北越製紙としての洋紙製造
の嚆矢である。併せて、白板紙の生産もおこな
われたものの、同月限りで中止された。1月の
洋紙の生産高は19万1,479.25ポンド、販売高は
15万5,481.14ポンドであった。洋紙の商標には、
「オカメ」
・
「萬代」が使われた。洋紙の品質は、
原料が稲藁のため全体として堅く、一面に不溶
解性の斑点が残るなど必ずしも十分なものとは
いえなかったが、概して販売は順調に推移して
いった。その後、生産高は16年上期の127万ポ
ンドが下期には約1.3倍の160万5,000ポンド、販
売高は上期の101万5,000ポンドが下期には約1.8
倍の178万4,000ポンドとなった。
洋紙の生産が軌道に乗るとともに、1916年5
月に日本板紙共同販売所の解散が決議されて自
由販売となるなかで、北越板紙を別会社として
存立させる必要性が低下していき、北越製紙に
買収ないし合併させるべきとの気運が高まっ
た。
1917(大正6)年1月10日の取締役会で、資
本金25万円のところ31万500円をもって買収す
ることを決定した。北越製紙は翌2月10日に臨
時株主総会を開催し、北越板紙の買収および取
締役の1名増員と文次郎の就任が可決された。
これを受けて、北越製紙新潟工場と改称し、文
次郎が取締役として常勤し、小林が工場主任、
109
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
を務めていた筧貞蔵に接触を試み、文四郎とと
もに交渉を開始した。当初は筧は必ずしも積極
的ではなかったものの、両者が熱心に要請した
結果、筧はこれを受け入れ、自ら先頭に立って
総武線市川駅近傍の約1万坪を確保した。後に
文吉は、文四郎の真摯かつ誠実な姿勢にうたれ
て態度を変えて全面的に協力したと筧が語った
14
と当時の状況をふりかえっている 。
1918年7月10日の取締役会で、総予算75万円
で建設することが決定された。しかし、同年11
月に第一次世界大戦が終結し、その反動で商品
価格が大幅に下落したため、建設の延期を余儀
なくされた。翌19年4月以降景気が好転するな
かで、同年9月12日の取締役会において、板紙
から白紙屑とパルプを原料とする白洋紙(上質
印刷紙)の生産へ計画を変更し、総予算を100
万円に増額して抄紙機2機を設置することを決
めた。翌10月11日の取締役会で、86インチ長網
抄紙機を山沢鉄工所へ発注すること、利根発電
から300キロワットの電力供給を受けることを
決定した。蒸解釜2基とボイラー1基は月島機
械へ発注している。工場建設の実務全体は川越
仁三郎(書籍商である覚張家での勤務を経て
1909年に入社し後に長岡工場長などを歴任)が
担当し、設計は小林が指揮して田代田三郎(後
に新潟工場次長などを歴任)
が担った。建築は、
12月5日の取締役会で、市川町の小林栄吉に請
け負わせることとし、防火・防災面に配慮して
新潟工場と同様の煉瓦造りとした。工場主任に
は、文次郎の婿養子である佐次郎を起用するこ
とを1920年1月10日の取締役会で決めた。同年
3月10日の取締役会では、86インチ長網抄紙機
を大文洋行を通じてイギリス・グラスゴーのミ
ルネ社へ1万5,500ポンドで発注することを決
めた。また、筧の尽力により、工場と市川駅間
の専用側線用地を取得することができた。
1920(大正9)年12月25日に、山沢鉄工所へ
発注した抄紙機(1号機)の運転が開始された。
22年1月にはミルネ社へ発注した抄紙機(2号
機)の運転に着手され、「白象」・「天女」・
「山
鳥」
・
「スター」
との商標での白洋紙(上質印刷紙)
および専売局へ納入する煙草口紙の生産を進め
ていった。こうして長岡での板紙、新潟・市川
での洋紙と多品種化と生産能力の向上が進展し
たのであるが、工場および設備の新増設におけ
る小林の役割は大きかったといえる。
提案し、予算額の13万円から16万円への増額と
ともに変更することが決まった。製造は加藤鉄
工所で、中国輸出用の有光紙と国内用のロール
紙(包装・カレンダー・書道・謄写版向け)を
生産した。さらに、18年5月10日の取締役会で
は、86インチの長網抄紙機の増設が決定した(3
号機)。予算額は貯水池建設も含めて29万6,000
円とした。同機は山沢鉄工所に発注して翌19年
3月に完成して、印刷紙や更紙を中心に雑種紙
も含めて生産した。これらの増設は文四郎の宿
年の願望であったとされる。
次に、長岡工場の増設と市川工場の新設およ
13
び社内組織の拡充について述べていきたい 。
長岡工場では、1917年に抄紙および紙料部門
の改良に着手され、42インチの乾燥筒(ドライ
ヤー)を従来の21本から予算5万円で14本増加
することを決めた。
工事は杉浦鉄工所に発注し、
プレスパートの元起なども含めて同年10月31日
に完成した。これにより、生産能力は月産650
トンに増加した。
翌18年7月10日の取締役会で、
予算15万円での1機増設が決定された。1919年
11月5日に、山沢鉄工所製の67インチの円網抄
紙機を増設して(2号機)、14オンス以下の薄
物を生産した。新潟工場の1号機と同様の抄幅
で、新判縦3枚取りであった。この他、1918年
に煙突1基、19年には蒸解釜1基を増設してい
る。これらの事業計画の策定は文吉が主導した
ものであるが、小林が技術面を下支えしたのは
いうまでもなかろう。
文四郎は、長岡および新潟に続いて、首都圏
での板紙工場の建設を構想していた。その理由
としては、①稲藁が新潟県内と比べて必ずしも
高価ではないこと、②消費地に立地すれば直送・
直売が可能で大幅なコストダウンができること
があげられる。特に鉄道や河川舟運の利便性が
高い東京近郊に着目した。これを受けて、東京
高等商業学校在学中から土地勘があった文吉
が、1918年の春から初夏にかけて東京府南葛飾
郡金町村(現・葛飾区)の三菱製紙中川工場の
周辺や千葉県東葛飾郡松戸町(現・松戸市)な
どの江戸川河畔を調査した結果、同郡行徳町大
洲(現・市川市)が最適であると判断した。同
地では1万坪程度の土地が確保可能であり、江
戸川の水質も抄紙には適合的であった。
そこで、
文吉は関係者を通じて、市川町の有力者の1人
で京成電気軌道(現・京成電鉄)の取締役など
110
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
に転向可能をねらったこと(これは機械の巾が
六十七吋であって黄板の新版二枚取りであると
同時に洋紙の場合には四六判菊判A判B判の縦
の取り合せができるようにしくまれてあった)
等の理由からであったようである。
機械は全部和製で杉浦鉄工所に注文し抄紙場
だけは不燃性の煉瓦造りであった。当時、杉浦
から派遣された設計者の松尾岩太君は、その後
会社に就職され、小林技師長を助けてその後の
引き続く設計工事監督に挺身され、近年まで在
職されたことは諸君の知るところである。
また、
地元では今は亡き大野友吉君が用地の買収、そ
の他万般の事務長として苦労をされたのであっ
た。今もそうだがその当時の工場はいわゆる湿
地であるため、昼でさえ蚊が多く夜分製図中の
皆がいぢめられ、小林宗作氏のごときはこれが
ためマラリヤに犯され数年間悩まされたように
記憶する。
かくて北越板紙は、大正四年十一月より運転
を開始し、当初は長網による黄板紙を抄造した
のであるが、なにぶん板紙は前述のごとき大不
況時に際会する一方、洋紙は欧州方面よりの輸
入杜絶により各方面にわたり景気となったの
で、初めから第一に予期されたようにボロと藁
とをもって中質印刷紙の抄造に転向することに
なり、そもそも我社の洋紙製造の起源となした
次第である。
洋紙抄造のために旧梅津製紙にいた青木豊槌
君が招聘されて来て、当社としては全く未経験
な洋紙の抄造、それも原料としては旧時代のボ
ロ、藁を使用したのであるが注文は薄物が多い
関係もあって、六十七吋の機械で月産ようやく
二十一、二万封度であるから、今から見ると夢
のような話である。王子の樺太大泊で、SPを
初めて造り始めたのもそのころの大正五年で
あって煮えそこないのゴミだらけのパルプを封
度五銭ほどで売りつけられて始末に困ったこと
もあった。五年の秋ころに、当時としては、は
なはだ突飛であったが砕木機を入れることに
し、翌六年四月から運転を開始し、木材はすべ
て北海道の南西岸から、松ケ崎、あるいは新潟
の帆船で大部分角材として移入し、パルプ品質
は頗る優秀なものをつくることができた。ここ
にこれを特記する次第は当社が現代式パルプの
製造に王子系以外の会社として先鞭をつけたこ
とが当社のこの後の発展に極めて貢献するとこ
この間、1920年1月20日の取締役会で、文吉
の提案により、本社と長岡・新潟工場の職制の
混同を改善するとともに両工場のマネジメント
を強化するために、本社に経理・営業・技術の
3部をおき部長制を敷き、両工場に工場長と工
場次長をおくことを決定し、人選は文四郎と覚
張へ一任とした。小林は新潟工場長と技術部長
の兼務が命じられた(技師長職は廃止)
。営業
部長と長岡工場長は文吉が兼任し、経理部長と
長岡工場次長に星野量平、新潟工場次長に大野
友吉が起用された。市川工場は、田村佐次郎が
21年1月に次長、24年2月に工場長となった。
なお、星野の足跡と活動に関しては別稿に改め
ることとしたい。
【資料Ⅰ−ⅱ】は『北越ニュース』第16号(1956
年6月15日発行)、【資料Ⅰ−ⅲ】は同紙第18号
(1956年8月15日発行)に掲載された田村文吉
執筆の「思いいづるまゝ」である。新潟への進
出のプロセスとエピソードが記されている。こ
のなかで、
小林の活動と成果が強調されている。
同資料は、北越紀州製紙株式会社所蔵である。
【資料Ⅰ−ⅱ】
「北越製紙序の巻」
−その六− 北越板紙の創業と合併−
私の入社前に現在の新潟工場を創設すべく敷
地物色のため重役諸公が沼垂に出かけ、台風
に会った珍談は先に申し述べたとおりである
が、その後旧安全石油の敷地確か六、七千坪を
獲得し、これに借地及び新規土地を買い足し
一万六、七千坪の敷地となし、会社は別会社で
出発、北越板紙会社と称し、資本金は二十五万
円、その八割は北越製紙が持ち残りの二割も大
部分北越の株主に割当て持ってもらい、大正三
年会社の成立を見るに至った。社長には覚張治
平氏、常務には新潟の田村文次郎氏が当り、工
事の設計監督は少壮三十才の現会社副社長小林
宗作氏が重任を果したのであった。
新潟に姉妹会社を造ったのには色々意味が
あったようである。父専務の語るところによれ
ば第一に北越が造らなければ誰かが競争会社を
造る恐れがあったこと、第二に板紙の景気は非
常に変動が多く製品過剰のため激烈な競争を誘
致するのでその場合は藁とボロとで洋紙の製造
111
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
る内に、新潟は北海道からの船便もあるから砕
木機を入れて見たらどうか、幸今は和製で砕木
機も出来るからとの話が出た。早速杉浦鉄工所
の老主人に話をすると簡単に引受ける、値段も
確か四本ピストンで一台七千円位との話しで
あったので直ちに見積を持って帰岡し、役員諸
公に図ったところが大賛成であった。現在の六
号機のあるあたり、旧一号機と並べて急造の木
造建物をたてモーターは京都の奥村電機へ四百
馬力を注文した。
原料の椴松は、幸に北海道のセタナイ方面か
ら相当量毎年新潟へ入荷があって、値段も皮削
の角材で石弐円程度(当時は才で計算)であっ
たので集材に何等の困難もなく、電力は今の中
野四郎太氏の厳父平弥氏が新潟電気会社を経営
しキロ壱銭壱厘、不定時ならば八厘程度に勉強
されるというので契約を了し、万事順調に進行
した。これ等は新潟常勤取締役の田村文次郎氏
の極めて勝れたる商才と、一意専心社業に尽さ
れる誠意によって運行され、これを助けて小林
現副社長が息継ぐ間もなく次から次へと設計か
ら工事の監督に当られた精進によるものと言わ
ねばならぬ。
さて大正六年四月砕木機の工事は竣功した
が、肝腎の英国から輸入さるべきニューカッス
ルストンの砥石が入らぬ。ところが三井物産が
前に入れた独逸製の石がある、之を使ったらと
いうので饑じい時の食を選ばずで、さっそくそ
れを購めて試運転をやったところが、当方使用
に慣れないためもあったかも知れぬが第一回目
には即座に石が割れてカバーを吹き飛ばし危く
小林さんも怪我をするところであったようの椿
事が出来ました。後できくとこの石はどこでも
引取人のないようの粗末なものを押しつけられ
たのであったが、外に代りが入る迄の間、残っ
た三個をいたわれいたわり使用した様に覚えて
いる。
序でながら砕石用の石の歴史を申すと、前陳
の独逸の石は別として一般に使用されたのは英
国のニューカッスル石で水中から切り出すとの
ことであった。我社に永年ポーリットスペン
サーの製紙用毛布を納入していたシングルト
ン・ベンダ商社の取次によるものであった。そ
の内和製で九州天草方面の石が相当使われたの
であったが、値段は安かったけれど品質に不同
があって英国製に及ばなかった。その内に独逸
ろ大なりしことを知ってもらいたいためであ
る。
業界情勢も第一次欧州戦争の結果非常の変化
を来たし、新潟工場は洋紙として出発する方針
も確定したので北越板紙をあえて別会社として
存置する必要も認めなくなったので、大正六年
二月の北越製紙の総会でこれが合併を認め、形
式は二十五万円の資本である北越板紙の財産全
部を三十一万五百円の現金をもって買収するの
形をとり、北越板紙会社は解散して新潟工場と
改称し、前常務の田村文次郎氏が常勤重役とし
て担当し、小林宗作氏が工場長となり大野友吉
氏事務担当の陣容を整えた次第である。
【資料Ⅰ−ⅲ】
第三編 第一次世界戦争の巻
−その二− 新潟工場の拡張(一)
今日の新潟工場発展の基礎を造ったものは、
洋紙としての原料の自給のため大正六年四月に
砕木パルプの設備を始めたことにあると思う。
前述の如く板紙より白洋紙に転換するに当っ
て、父田村専務の考えはボロと藁を使用する、
すなわち在来日本の各製紙会社の大部分がとり
来た方法であった。ただし藁はその後も印刷局、
九州の小倉製紙(十条小倉工場)、九州製紙(現
在の十条の坂本工場)等で相当長く使用し、い
わゆる官報用紙、小倉のト印、坂本工場の月印、
雪印等の中質印刷紙として市場に現われておっ
た。しかしボロは特殊の上質紙にのみ使用され
る様になり、段々その使用が減り、欧州よりの
輸入のサルファイトパルプによって代替される
ようになっていった。
新潟工場としては藁を釜で蒸し、釜下のチェ
ストで晒し、ボロも同様石灰蒸したものをビー
ターで切り、之を晒して下のドレーナーに溜め
ておき、配合ビーターに混ぜて紙をすいた。会
社の当時の代表的の商標はオカメ、万代で、紙
質は藁のために堅さはあるが、そのために一面
に細かい不溶解性のスペックスを残して甚だ感
心せざるものであった。それでも欧州から全然
紙が輸入されない時代であったから大威張りで
売れ、かつ相当の利益はあったのであるが何分
にも能率があがらない、そこで前に述べた顧問
を願っていた堀越寿助氏に色々意見を聞いてい
112
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
編纂さるゝ事は、私ども一同の最も熱望してゐ
たところであります。殊に永年御厄介になりま
した不肖としては、懐旧の情に駆らるゝが儘に
思出の一端を述べさせていたゝ゛く事は、無上
の光栄と存じてをります。もつとも会社興隆の
礎石であらるゝ故翁に対しては、
感謝としても、
追懐としても無限であります。美しい無辺の追
憶の宝庫に対して思出の筆を取る事は、恰ど黄
金の山より石塊を掘り出す結果に終はる事であ
らう事を、惧れてをりますがそれにも拘はらず
強ひて語りたいと思ふのは、温容未だ目のあた
りに浮んで追慕の情更に切なるものがあるから
であります。
故翁の為人は信行一致でありました。特に信
仰による信念の強さ、その強い信念がその儘行
為となつて現はれてまゐります。一身をもつて
凡べての手本を示す事は真に難いものでありま
して、故翁の天成の美徳と信じてをります。従
つてその及ぼす影響も著大でありました。翁の
心血が化身した精励と、節約とは今尚工場精神
として光り輝いてをります。
故翁の信行一致は一方、また事業にも現はれ
てをります。事業は翁にとりては信仰であつ
た。しかも熱烈火を吐くが如き信仰でありまし
た。恰も名将が戦場に在る時の姿であります。
従業員に対していつてをられた会社と身を共に
せよ、との教訓は取りも直さず御自身会社に向
つて行はれたところであります。覚張常務が扁
を書いてツクリを残すな、との御教へと共に深
く肝銘してゐるところであります。また非常に
節約の人でありました。社用にて私が金沢へお
伴して古機械を見に行つた事がありました。が
御常宿がありますのにその日は、特に駅前の商
人宿に泊られました。御馳走もなく、サービス
もひどく御気の毒に思ひましたが平然として満
足されてをられました。
これは私の当惑した話でありますが、私が機
械係を拝命してゐた時の事で御案内して工場を
廻りますと、石炭の塊が散らばつてゐるのをス
テツキの先きで、コツ∼掘り出して拾はせられ
たものです。一寸の無駄も省かれたのです。一
方注意が非常によく行き届いてをられました。
また煙突の煙を見てはあの黒い煙りはと、よ
くお話しになりましたがその後二十余年の今日
漸く煙りの出ない設備が出来たのです。
これは当惑した別の例でありますが、常にい
製の人造石が輸入され、使用期間も延びかつ割
れる様なこともなく、かつ価格も手頃になって
各会社に愛用される様になり、当社でも砕木係
長の渡辺誠太郎君が造り始めたことは諸君の知
るところであるが、終戦後は更に一段の進歩を
遂げ、アランダム人造石となり驚くべき耐久性
を示しかつ能力も非常に優秀となって今日に
至っている次第である。
Ⅱ 田村文四郎・覚張治平・田村文吉
に対する追想
【資料Ⅱ−ⅰ】は、1932(昭和7)年11月に、
関魚川の編著、岩瀬直蔵の発行による田村文四
郎の伝記・追想録である『田村文四郎翁』、【資
料Ⅱ−ⅱ】は、1933(昭和8)年12月に、同じ
く関魚川の編著、岩瀬直蔵により発行された覚
張治平の伝記・追想録である『追憶 覚張治平
翁』
に寄稿された小林宗作による追悼記である。
入社前後から両者に接し始めた小林が、両者の
事業に取り組む真摯な姿勢と温和かつ剛健質実
な人格をふりかえっている。小林の筆致から、
両者の終生一貫したスタンスを読み取ることが
できる。
【資料Ⅱ−ⅲ】は、田村文吉が1963(昭和38)
年6月26日に急逝した後に「故田村会長追悼特
集号」として同年8月1日に発行された『北越
ニュース』に掲載された小林へのインタビュー
の一部である。長岡中学校在学時から60年以上
にわたり公私ともに深く関わってきた小林によ
る文吉のエピソードの紹介は貴重である。高齢
に達し、後進に道を譲るべく1958年に取締役相
談役(60年には取締役を退任)に退いていた小
林であったが、往時の記憶は明確であり、文吉
への強い追慕の念が見てとれる。
【資料Ⅱ−ⅰ】
翁は信行一致の人であつた
北越製紙株式会社新潟工場長
小林宗作
今回わが社創業満二十五周年を迎へ、記念事
業の一として初代専務取締役故田村翁の伝記を
113
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
れてをりまして、私ども従業員に対し常に、そ
の日になすべきことは必ずその日の中になせ、
決して明日に廻はすなと訓示されてをりまし
た。そしてまた御自身躬をもつて行はれてをら
れました。お店の方からもよく聞いてをりまし
たのには、翁は公私の御用は勿論、宴会で夜更
けて帰へられても必ず残務整理をなす。しかも
それが一日も欠かされたことがなかつたさう
で、それを伝へ聞く私ども従業員としましても
弛み勝ちの心の緒を締め直して、御手本に適ふ
やうにと念ぜざるを得なかつたわけでありま
す。
尚翁は厳格の中にもなつかしみの多い方であ
りまして、御世辞は決して申されませんでした
が何でも思ふが儘に申上げることが出来まし
た。威ありて猛からず、しかもその温情味の中
にも必ず注意が行届かれて、仕事上のことを申
上げるときも、最後に必ず一言間違ひなきかを
尋ねられました。私どもは只その一言の中にも、
私どもに対する御信頼の気持ちと、周到の注意
を促す二つの御気分を体得して、尚一層の責任
を感じたのであります。
こゝに丁度、翁の注意深かつた短い挿話があ
ります。
或る時お伴をして京都に参つたことがありま
した。長岡の紳商の方三四名と同宿されたので
話は直ちに一決、嵐山見物に出掛けました。青
藍を流したやうな保津川の清流を眺め、大悲閣
に上り抹茶を啜りなどして夕方近くになつたの
で、某茶亭で夕食を攝りました。食前先づ一浴
といふので一同澡室に行くと、その湯舟の深さ
が四尺余もある上に内側に上り段もないので、
いきなり飛び込んで横に倒れるもの、顱頂まで
没せるもの、さては湯を呑むものなどもあつて
大失策を演じました。そこへ暫くして翁は参ら
れました。偶まこの時翁は眼鏡を外してをられ
たので、必らずやヒツくり返へらるゝに相違な
い。真面目なる翁の澡室の顚倒、その姿はユー
モア以上の看物であらうと、茶目気たツぷりで
一同待ちかまへてをつたものだ。ところが翁は
例の周到振りを発揮して易々と入浴。そして平
然と上がつて行かれたので一同は呆然、裏切ら
れたやうな感に打たれたのであつた。かゝる些
細の事柄の中にも現はれてゐる翁の注意深さ
は、工場経営の上には一層行届いて現はれ、今
でも従業員は、翁の残された整理と注意の御精
はれるナジデスであります。この問には全く困
つた。どう申し上げてよいのかさつぱり見当が
付かず、
ドギマギして了ふのが例でありました。
その代りお問に叶ふ答が出来た時は胸がすくや
うな思ひがしたものであります。
或時ランカシア、ボイラーのフリユーのアダ
ムソン、ジヨイントにクラツクの入つた時事務
所に呼ばれ、ボイラーをよく壊はしてくんなす
つたと只一言、私もどういふてよいやら呆気に
とられて不注意のお詫も申上げず、目をパチク
リ引き退つたやうな事もありました。
或年新年にお宅に招かれた事がありました。
充分に御馳走を頂いて各自の隠芸といふ段に、
御自身早速朗々御得意の追分を謡はれました
が、実に堂に入つたもので、お若い頃仕入に信
州通ひの道中に口吟まれた悠々、自然の風調の
ある感慨豊かなものでありました。
何事にも御熱心にて、思ひは岩をも通す概の
人でありましたと同時に用意周到で、一意精進
なさつたのであります。覚張常務と相俟つて専
心努力、わが社を造り上げられましたのは従業
員の私等としましてはその宏大無限の遺徳、遺
業に対して敬慕申上げても申上げ切れないので
あります。
(97 ∼ 100頁所収)
【資料Ⅱ−ⅱ】
翁の風格
新潟 小林宗作氏 談
二十余年の長い間翁の御訓育を頂きましたの
で、今も尚御在世の時と同じく御風貌といひ、
御音声といひ、生けるが如く目に見え耳に聞ゆ
るのに、
もう七回忌を御迎へせねばならぬとは、
今更ながら時の流れの早いのに無量の感慨を禁
ずることが出来ません。私ども常に考へてをり
ますのは、偉いお方は必ずこゝらこそ、その人
であるといふはツきりしたところがあります。
熟々翁を御追憶申上げるときも、あれこれ沢山
の御風格の中にこれこそ翁であるといふところ
のものは、非常に厳格の人であつたといふこと
であると思ひます。俗に謂ふ、きまりの良い方
の御手本と申すべきお方であります。
翁のきまりの良いことは公私ともによく現は
114
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
勤められ、その間、大臣にもなられたように、
政界入りされ、多忙を極めておられたような時、
それでも、会社のことは寸時も忘れられること
なく、以前と同じように勤めておられたことは、
よくそのお人柄を裏書していると思われます。
−会長の趣味について。
相談役 多芸、多趣味でおられましたね。中で
も最もよくされたのは謡曲でしょう。
謡曲は一橋時代から始められたもので、その
芸の深さは師匠格であったときいております。
新潟県でも、会長の右に出る人はチョットな
いんじゃないですか。また、俳句もよく作って
おられたようで、その作品も相当の数らしいで
す。それらは良い想い出となることでしょう。
そのほか、余暇があれば囲碁もよく打たれたよ
うです。
晩年にはだいぶ、健康に気をつけておられた
ようでしたが、それまでは相当お丈夫だったと
存じております。
酒は若いときから余りおのみにならなかった
が、食事はかなり召上る方でした。
−お二人でゆっくりお話になった最後は。
相談役 今年の一月、例の大雪で汽車が何日も
不通になって、小甚旅館に足止めになっておら
れた時に、お伺いし、いろいろとお話を承った
り、私もしゅじゅ申上げたりしたのが、今から
想えば、ゆっくりお話できた最後でした。
今後とも、私ども及び従業員のみなさんも、
会社のためにそれぞれに全力を尽してゆくの
が、会長の冥福につながるものと信じます。ど
うか、しっかりがんばって下さい。
(ききて 新潟 小林一道)
神に日々鼓舞されてをるのであります。
今日の社運の隆昌に想ひ到るとき、何よりも
その礎石がシツかりしてゐたことに対して、満
腔の感謝をさゝげてをるのでありますが、曠野
に城廓を築くやうな創業時代の大切な時期に、
翁の如き用意周到の人を得たのは当社の幸福で
あつたといふべきでありませう。初代専務田村
翁と共に永久に記念すべきことで、胸像の建立
されたのも決して偶然ではない。本年七回忌に
当りまして、私のこの心からの思ひ出で話にも
現はし切れない、無限の追憶をもつて翁の徳を
偲ぶ次第であります。
(162 ∼ 164頁所収)
【資料Ⅱ−ⅲ】
(前略)
−会長は早くから人づくりに努力してこられ
たようですが、
相談役 会長のモットーは皆さんもご存じの
「活人活物」であったわけです。これは、修養
団に入られる前からのものでした。
−会長のお人柄について、
相談役 さきにお話ししたように、とにかく、
友誼に厚く、困っている人の面倒をよくみられ
たということですね。
これは簡単なようであるが、実行となるとなか
なか容易なことではないと存じます。
終世この気持ちで通されたということは、やは
り偉かった人だと尊敬しております。
−会長に学ぶべきことは、どんな点でしょうか
相談役 仕事はもちろんのことですがね、趣味
に於ても、それにかかる前に必ず予備知識を勉
強され、その後は一途にそれに取組み最後まで
突きつめるという、一貫した研究心と努力の人
だったということです。
たとえば、北越製紙の事業には最後まで献身
努力を傾けてこられたことです。
一つの事業以外には手を出さないという信念
を持っておられました。
もっとも、現在は時勢も違ってきて、いろい
ろ多角経営をしなければ発展しないというよう
になってはきましたがね。
たまたま郷里の長岡が戦災に遭って、その復
興が強く望まれた当時、名誉市長に推されたの
が一つのきっかけで、代議士参院を二期十二年
Ⅲ 同時代での小林の紹介と評価
【資料Ⅲ】は、1941(昭和16)年6月に、中
村牟都雄が編纂し、中央経済情報社が刊行した
『興隆日本の財界人 下』に採録された、小林
宗作に関する叙述である。
もとより、北越製紙における小林の存在は製
紙業界ではそれなりに認知ないし認識されてい
たものの、北越製紙が地方を基盤とする企業で
あり、小林が創業家ないし一族ではない専門経
営者あるいは技術者であるがゆえに、同書のよ
うな全国レベルかつ産業界全体を網羅したタイ
115
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
面氏は稀に見る人格者で社の上下一致の信仰を
一身に集めてゐるのである。新潟県人中心の会
社である当社に在つて、氏は代表的な新潟実業
家である。
氏が入社して以来は、当社技術方面は目に見
えて向上改善され、氏の善庭健闘に依つて当社
の前途は光明に輝いてゐるのである。氏は良心
的な学究の人であり、常に精神を傾注して仕事
に当るといふ真摯さは、無言の教示となつて部
下の産業精神を昴揚せしめたのである。入社し
て僅に五ケ年余であるが、不屈不撓の信念と、
温情と理解とを以て抱擁する氏の愛情の通り一
遍のものでないことは、氏に接するものの何人
もが感受することであり、心からの尊敬を一身
に集めてゐるのも当然であらう。氏の如きは天
成の得難き徳望家と言はねばならない。現在は
常務として業務一切を総覧し、また今日尚技術
部長の要職に在り、当社の主力たる新潟工場を
担当するなど、氏の身辺は多忙である。
北越製紙の歴史は古い。即ち、前から三十五
年前、明治四十年五月に創設されたもので、過
去を振返り見ると、雨の日、風の日の足跡が、
新しく浮かび上がつて来るのである。当社発展
過程を迪るとき、忘れることの出来ないのは前
社長田村豊太郎氏、同じく重役田村文次郎等の
一族である。之れ等の人々は今は二代目にその
地位を譲り、豊太郎氏嗣子文之助氏は現在常務
として将来を嘱され、文次郎氏長男貫一氏も重
役として活躍してゐる。之等新進気鋭の少壮実
業家を配して、老練達識の小林氏の存在するは、
当社輝く歴史に千鉤の重みを加へてゐる。
因みに当社資本金は一千三百十五万円、最近
の業績はとみに好調を迪つてゐる。特筆すべき
は、当社が樺太に小田洲炭坑を所有してゐるこ
とで、現在所要素の八割を供給してゐる。石炭
自給は大きな強みとなつており、当社の前途は
洋々たるものがある。
プの文献で取り上げられることは稀であり、貴
重な叙述であることは間違いない。
ただ残念なことに、事実関係には明らかな誤
謬が複数個所で見られる(
「昭和十年に当社技
術部長に招聘せられて入社したのが製紙業界入
りの発端」
、
「以来取締役となつて重役に列し、
所謂工場長の要職に就いた」、「入社して僅に五
ケ年余」など)
。それゆえ、小林に対する誤解
が広がった可能性は否定できない。しかし、北
越製紙において技術面を統括していた小林の役
割や功績、さらにそのパーソナリティーに対す
る評価は基本的には妥当なものといえる。事実
関係の正誤を識別したうえでとの留保は必要で
あるが、当時の小林を知るうえではフォローす
べき資料といってよい。同資料は、明治大学附
属中央図書館の所蔵である。
【資料Ⅲ】
本邦製紙界の一偉材
北越製紙株式会社常務取締役 小林宗作 氏
近代産業の中にあつて、国民文化の大動脈で
ある製紙業は、近代文化の第一線を歩むもので
ある。他の種々の産業は、文化発展の一般的で
しかあり得ないとしても、紙の産業の盛衰と運
用は、直接に我等の精神とその活動を制約する
恐ろしい偉力を有するものである。現代の輝か
しい文化は、紙と印刷のお蔭であることは、茲
に説明するまでもない。
而して本邦製紙界を見るに、大王子製紙は別
として、北越製紙をその長たるものに挙げなけ
ればなるまい。この北越製紙の社賓的存在とし
て、小林宗作氏がある。即ち常務取締役として
新潟工場(長脱カ:引用者)たる氏は、当社首
脳部中の智将として欠くべからざる人材なので
ある。
氏は明治十八年に新潟県に出生。同四十年に
東京高工を卒業し、工業家として発足して三十
年。昭和十年に当社技術部長に招聘せられて入
社したのが製紙界入りの発端である。以来取締
役となつて重役に列し、所謂工場長の要職に就
いた。かくして先年常務に昇進し、今や世間で
は、
「北越製紙に過ぎたるは小林である」と評
される位、名実共に当社に君臨してゐるが、一
小括
紙幅の都合から、本稿では小林宗作の技術者
ないし企業人としての最初期の活動を考察する
に止まった。新潟工場の建設と操業に率先垂範
して取り組んだことは、小林の技術者さらには
管理者ないしマネージャーとしてのスキル・ノ
116
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
ウハウの蓄積と進化に大きく寄与するところと
なった。これとともに、草創期の北越製紙にお
いて、新潟での事業基盤の確立はもとより、技
術力や生産能力の向上に小林の果した役割は決
定的に重要であったと評価できる。
1920年代から30年代前半にかけてのいわゆる
「慢性不況」による経営環境の悪化のなかで、
小林は新潟工場をはじめとする各工場の生産効
率の向上や前途を見すえた設備の新増設に技術
面で主導した。さらに、30年代後半以降の人絹
パルプ製造への進出(37年5月の北越パルプの
設立)に深く関与することとなった。
この間、1935(昭和10)年7月に取締役に選
任され、40年7月には常務に昇格した。この当
時、
「県下各工場の製造部門を統帥してゐる技
術畑出身の現業重役」
、「新潟工場長をはじめ、
沼垂、附船の両工場長を兼ね縦横に快腕を揮つ
15
た」 と紹介されている。
戦後の1950(昭和25)年7月には副社長に昇
格し、社長の田村文之助のもとでいわばCOO
(最高執行責任者)の役割を担い、
「北越製紙今
16
日ある恩人の一人といわれる至宝的存在」 と
評されている。
これらの小林の具体的な事績については、別
稿にて改めて検討・考察することとしたい。
紙株式会社所蔵。
関魚川編『田村文四郎翁』岩瀬直蔵、1932年、
68頁。
9
この調査に関しては、
『北越ニュース』第13号、
1956年3月15日発行分に掲載された田村文吉
の「思いいづるまゝ」のなかで「新潟工場敷
地を求めて」と題して記されている。
10
日本風土民族協会編輯・発行『越・佐傑人譜』
1938年、た17頁。
11
注8と同じ。
12
前掲『田村文四郎翁』70頁。
13 以下の叙述は、筆者が分担執筆を担当した北
越製紙株式会社北越製紙百年史編纂委員会編
『北越製紙百年史』同社発行、2007年の78∼
79頁に加筆・修正を施したものである。
14 田村文吉「思いいづるまゝ」『北越ニュース』
第19号、1956年9月15日発行。
15 松下伝吉『人的事業体系・化学工業篇(上)
』
中外産業調査会、1941年、414頁。
16 さかいせいぎ(坂井正義)
『新潟人物読本』
記念事業会、1953年、135頁。
8
【注記以外での参考史料・文献】
<北越紀州製紙株式会社所蔵史料>
『役員会会議録』第壱・弐號。
『報告書』および『営業報告書』各期。
年史編纂委員会「五十年史参考綴」
「社史資料」
「経験談集録」(1957年1月)
<刊行文献・論文・記事等>
王子製紙株式会社販売部編纂・発行『昭和
十二年版 日本紙業総覧』1937年。
鈴木尚夫編『現代日本産業発達史12 紙・
パルプ』現代日本産業発達史研究会、
1967年。
成田潔英『洋紙業を築いた人々』財団法人製
紙記念館、1952年。
成田潔英『王子製紙社史 第三巻』王子製紙
社史編纂所、1958年。
北越製紙株式会社『増資目論見書』1949年4
月20日、1950年 7 月20日、『 社 債 目 論 見 書 』
1950年12月25日、『新株発行目論見書』1954
年4月1日、明治大学附属中央図書館所蔵。
北越製紙株式会社『有価証券報告書』各期、
明治大学附属中央図書館および国立国会図書
館所蔵。
松本和明「西蔵王『山崎家文書』にみる山崎晃・
注
中林家や西川弥平治の事績については、山田
良平『西川弥平治伝』故西川弥平治殿遺徳顕
彰会、1961年を参照した。
2
北越銀行行史編纂室編『創業百年史』株式会
社北越銀行、1980年。
3
小林宗作氏「田村さんの若き日を偲ぶ」北越
製紙株式会社社内報『北越ニュース』<臨時
号>1963年8月1日発行。北越紀州製紙株式
会社所蔵。
4
藤田士郎編『創立八十周年記念発行 会員名
簿 昭和二十六年九月現在』長岡高等学校同
窓会、1951年、84 ∼ 87頁。
5
注3と同じ。
6
新潟への進出過程と事業展開については、拙
稿「北越製紙の企業成長と田村文四郎・覚張
治平」篠崎尚夫編著『鉄道と地域の社会経済
史』日本経済評論社、2014年の323 ∼ 329頁
の記述に加筆・修正を加えたものである。
7
「北越製紙株式会社開業式式辞」北越紀州製
1
117
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
正の足跡と活動(Ⅰ)
」長岡郷土史研究会『長
岡郷土史』第45号、2008年5月。
【付記】
本稿は、本学が平成25年度に文部科学省から
「地(知)の拠点整備事業」として採択された『長
岡地域〈創造人材〉養成プログラム』の取り組
みの中の27年度の「地域志向教育研究」におけ
るテーマ「地域企業の経営発展と企業成長およ
び企業者活動についての研究−北越紀州製紙の
ケース−」による成果の一部である。
【謝辞】
本研究をすすめるにあたり、北越紀州製紙株
式会社常勤監査役などを歴任された小林多加志
氏をはじめ、北越紀州製紙株式会社洋紙事業本
部新潟工場事務部長の金川貴宣氏や同社関係者
の方々には資料提供・調査で一方ならぬ御配慮
を頂いている。また、株式会社田村商店代表取
締役会長の田村巖氏には、製紙業の歴史と現状
に関して日頃から御教示頂いている。特記して
感謝申し上げる次第である。
末筆となるが、これまで史料整理に御協力頂
いた地域連携研究センターに在職されていた
近藤瑞恵さんにも改めて御礼申し上げることと
したい。
118
論稿
大学・短期大学の学生支援における
情報システムの利用状況と課題
村 山 光 博
長岡大学教授 <目 次>
はじめに
1 アンケート調査の概要
2 情報システムにおける情報共有の状況
3 情報システム間の連携
4 利用している情報システムの種類
5 情報システムの運用・保守体制
6 現在不足している情報
7 情報システムの運用に関する今後の課題
まとめ
参考資料:アンケート調査票
はじめに
大学・短期大学における学生への支援は、正課の学習支援にとどまらず、課外活動や生活面、精
神面など多面的な支援が必要とされる傾向にある。例えば、個々の学生と担当の教職員との定期的
な面談の実施や学生カルテの作成、さらに教職員間での学生に関する諸情報の共有により、一人ひ
とりの学生に対する教職員一体の支援体制の構築を図る大学も今では珍しくない。
また、近年は、学生の就職に向けたスキルアップ支援の面から、学力だけではなく、いわゆる人
間力や社会人基礎力と呼ばれる能力に対しての客観的な評価も求められてきている。これらの能力
をできるだけ客観的に評価し、学生の入学から卒業に至るまでの学生生活における様々な活動を通
して段階的にこれらの能力を向上させることが期待されている。
このような状況において、個々の学生の状況に応じたきめ細かい支援を行うためには、各学生の
諸情報を一元的に蓄積・管理し、必要に応じてそれら諸情報を活用できる大学情報システムの構築
が有効であると考えられるが、現実には機関によって整備状況の差は大きいと推察される。
本稿では、全国の大学および短期大学を対象として実施したアンケート調査から得られた情報シ
ステムの利用状況と今後の課題などについて報告する。
なお、本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(C)
(25350358)「人間力育成を
考慮した大学情報システムフレームワークの研究」の助成を受けたものである。
1 アンケート調査の概要
近年、大学や短期大学などの高等教育機関では、単に学生の学籍や成績などに関する基本的な情
報だけではなく、一人ひとりの学生に関する様々な情報を適時に収集・蓄積して、学生支援や教育
119
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
に活用していく方向で情報システムの構築を進めている。そのような流れの中で、各機関の情報シ
ステムは現在どのような状況になっているのか、また、今後はどのような情報システムが必要とさ
れ、それを実現するためにはどのような課題があると考えられているのかなどを知るために、全国
の大学と短期大学を対象として、アンケート調査を実施した。ここで、回答にご協力をいただいた
大学および短期大学の回答から「回答の対象とする学部・短期大学の学生数(2015年5月1日現在)」
の数値で構成割合をみると、図表1の通りであった。
2 情報システムにおける情報共有の状況
大学および短期大学の情報システムにおいて、更新、検索、閲覧など共有を行っている情報項目
を聞いたところ、図表2の結果が得られた。
「学籍番号、氏名、住所、連絡先などの基本情報」(大学:91.1%、短期大学:77.7%)と「履修科
目、成績、単位取得状況に関する情報」(大学:84.9%、短期大学:70.9%)が、これ以外の項目に
比べて著しく高い割合となっている。
大学に関しては、共有している割合が次に高い情報項目として「入学試験の成績や評価」(大学:
120
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
44.3%、短期大学:42.7%)、「授業への出席状況」(大学:41.1%、短期大学:30.1%)、「学生募集時
など入学前における学生の諸情報」(大学:39.1%、短期大学:42.7%)などが続き、入学時点での
基本情報や入学後の授業への出席状況などを共有することで学生の動向把握や指導などに活用しよ
うという意向がうかがえる。また、この結果からもわかるように、単に学生の履修状況や単位取得
状況だけではなく、それ以外の情報についても複合的に共有利用していることがわかる。
一方で、「人間力や社会人基礎力またはそれらに相当する能力に関する評価」(大学:4.2%、短期
大学:1.9%)については共有の割合が極めて低いことがわかった。この要因の一つとして、人間力
や社会人基礎力のような能力の定量的な評価が難しいことが考えられる。
情報システムで共有している情報項目として、「人間力や社会人基礎力またはそれらに相当する
能力に関する評価」と答えた場合の付問として、さらに、どのような情報を共有しているのかを聞
いたところ、図表3に示すような回答があった。
なお、「その他」として挙げられた項目の中には、「授業料納入情報(減免、納期限延長)」、「特
に共有すべきと判断される学生動向」、「障害学生情報(支援希望者)」など、個々の学生への
121
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
面での対応を目的とした情報を共有している例もあった。
3 情報システム間の連携
大学や短期大学においては、個々の学生に関する多様な情報を収集・蓄積して活用するために、
複数の情報システムを導入して、データ連携などにより運用している場合がある。図表4は機関内
の情報システムの連携と情報の管理についての回答結果である。
大学、短期大学ともに、「複数のシステムが連携しているが、情報が一元管理されているとは言
えない。」(大学:30.2%、短期大学:28.2%)と「複数のシステムが連携しておらず、情報が一元管
理されていない。」(大学:19.3%、短期大学:24.3%)を合わせて、約半数で情報が一元管理されて
いないと回答している。
一方で、「1つのシステムで、情報が一元管理されている」(大学:16.1%、短期大学:19.4%)と
「複数のシステムが連携しており、情報がほぼ一元管理されている。」(大学:24.5%、短期大学:
16.5%)を合わせて、約4割で情報が一元管理されていると答えており、一元管理の環境をすでに
122
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
構築できている機関も少なくないことがわかった。
「その他」の自由記述の中には、「入試情報、学務情報は別の部署が管理しており、特段の目的が
無い限り、突合せできないようになっている。」といった回答もあり、セキュリティ面から、あえ
て情報を分散して管理しているケースもあると考えられる。
4 利用している情報システムの種類
図表5は学生に関する情報を管理するために利用している情報システムの種類を聞いた結果であ
る。
「教務システム」(大学:97.4%、短期大学:92.2%)が最も多く、ほとんどの機関で利用されてい
る。次に「入試システム」(大学:76.0%、短期大学:68.9%)、「就職支援システム」(大学:53.1%、
短期大学:31.1%)が続くが、「就職支援システム」では大学と短期大学との間に20ポイント以上の
差がある。
大学に関しては、「出欠管理システム」(大学:43.2%)も比較的高い割合で利用されており、多
くの大学で学生の授業への出席状況を適時に把握するための仕組みを構築していることがわかる。
一方、「大学IRシステム」(大学:6.3%、短期大学:2.9%)については、現状ではまだ導入が進ん
でいないことがわかる。
なお、「その他」の情報システムとしては、「図書館情報管理システム」、「財務システム(授業料
関係)」、
「留学生管理システム」、
「同窓会システム」、
「学生ボランティアシステム」、
「学生マイペー
ジ(Webシステム)」、「学習到達度自己評価アンケートシステム」などが挙げられた。
123
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
5 情報システムの運用・保守体制
情報システムの運用・保守をどのような体制で行っているかについて聞いたところ、図表6の結
果が得られた。
「学内の情報システム担当部門がほとんどの作業を行っている」と答えたのは、大学20.8%、短期
大学30.1%で、短期大学が10ポイント程度高かった。また、大学・短期大学ともに「学内だけではなく、
システムごとの導入業者に外部委託している」(大学:35.4%、短期大学:32.0%)の割合が最も高く、
複数の情報システムの導入に伴って各導入業者との保守契約などが締結されていることが考えられ
るが、例えば導入業者の異なるシステム間の連携部分についてどのような協力体制を得ているのか
については、この結果だけではわからない。個別のヒアリング調査が必要と考える。
なお、「その他」には、「学内にシステム担当部門がいないために事務職員が担当している」との
回答も数件あり、人材不足の中で日々のシステム運用や保守に苦労している機関も少なくない。
6 現在不足している情報
各機関における情報システムにおいて現在不足していて、今後とくに必要と思われる情報につい
て聞いたところ、図表7の結果が得られた。
必要と思われる情報の中で最も割合の高い項目は、大学では「教職員との面談履歴」(大学:
26.0%、短期大学:27.2%)、短期大学では「授業への出席状況」(大学:20.8%、短期大学:30.1%)であっ
た。個々の学生へのきめ細やかな対応を実現するためには、普段から学生の動向に関する情報をしっ
かりと押さえておく必要があるとの意向が表れているものと考えられる。
前出の図表2の回答結果の中で、現在情報システムで共有している情報項目で割合の低かった「人
間力や社会人基礎力またはそれらに相当する能力に関する評価」についても、大学では10.9%、短期
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長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
大学では12.6%で不足感があり、他の項目に比較して高い割合で必要性を感じていることがわかる。
「その他」として、複数の機関から挙げられたものでは、「IRシステム」5件、「ポートフォリオ」
3件などがあり、利用環境の利便性への配慮から「新しいOS、タブレット端末、スマートフォン
への対応」や「統合認証基盤(シングルサインオン)の構築」なども挙げられていた。
なお、大学では「とくに不足している情報はない」との回答が22.9%あり、情報システムの整備
状況に概ね満足している大学も一定数あることがわかる。
これらの情報を必要とする理由については多くの回答が自由記述により得られており、それぞれ
の機関の学問分野や教育内容によって理由も異なることから、図表7の項目に合わせて分類整理し
ながらも、できるだけ原文に近い形で列挙したものが図表8である。
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7 情報システムの運用に関する今後の課題
各機関における情報システムの運用に関して、今後の課題を聞いたところ、図表9の結果が得ら
れた。大学、短期大学ともに、「セキュリティ対策」(大学51.0%、短期大学:41.7%)、「管理者など
の人材不足」(大学:45.8%、短期大学:47.6%)で割合が高く、約半数の機関が課題であると認識
している。また、それらに対して20ポイント近く割合は低いが、「維持管理コストの増大」(大学:
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26.6%、短期大学:26.2%)、「大学IRなどへの戦略的な活用」(大学:26.0%、短期大学:14.6%)、「情
報システム間の連携や情報の一元管理」
(大学:24.0%、短期大学:27.2%)、
「教職員の意識改革」
(大学:
22.4%、短期大学:24.3%)などが次に続く。一方で、
「とくに課題はない」と答えたのは大学で2.1%、
短期大学で1.9%しかなく、ほとんどの機関において、何らかの課題を認識していることがわかる。
「その他」としては、「情報システム部等の専門部署の設置」、「教職員が利用する情報と学生が利
用する情報の切り分け」、「情報を集積する仕組みの構築」、「これまで蓄積したデータに対する今後
の取扱い」などの回答があった。
これらを課題とする理由については多くの回答が得られており、図表9の項目に合わせて分類整
理しながらも、できるだけ原文に近い形で列挙したものが図表10である。
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また、今後の課題として「情報システム間の連携や情報の一元管理」と回答した場合、情報シス
テム間の連携や情報の一元管理を効果的に行うためには、どのようなことが必要であるかを付問と
して聞いたところ、図表11のような回答が得られた。
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まとめ
全国の大学および短期大学を対象に、各機関における情報システムの利用状況と今後の課題につ
いてアンケート調査を実施したところ、結果から次のことがわかった。
・大学、短期大学の情報システムによる情報共有の状況として、単に学生の履修状況や単位取得状
況だけではなく、学生募集時点での個人の諸情報や入学試験の成績、または入学後の授業への
出席状況などの情報を複合的に共有利用することで各学生の動向把握や指導に活用している機
関が大学では4割前後ある。
・情報システムの構成としては、一つの情報システムで情報の一元管理をしている場合や、複数の
情報システムを連携させて情報の一元管理をしている場合を合わせて、概ね全体の4割程度の
機関で情報の一元管理が実現されており、逆に5割の機関では情報が一元管理されていない状
況にある。
・情報システムの運用・保守の体制は、大学・短期大学ともに、システムごとの導入業者に外部委
託している割合が高く、複数の導入業者がかかわっているケースが多いと考えられることから、
導入業者の異なるシステム間の連携が円滑に行えるような共通インターフェイスの構築には意
義がある。
・現在不足していて今後必要と思われる情報としては、「教職員との面談履歴」や「授業への出席
状況」などが比較的高い割合で挙げられており、学生へのきめ細やかな対応を実現するための
情報が必要とされている。また、「人間力や社会人基礎力またはそれらに相当する能力に関する
評価」についても、1割程度の機関で必要であると認識している。
・情報システムの運用に関しての今後の課題として、大学、短期大学ともに「セキュリティ対策」、
「管理者などの人材不足」で割合が高く、約半数の機関が課題であると認識している。
謝辞
本研究はJSPS科研費 JP25350358の助成を受けたものである。
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論稿
アイゼンハワー政権の国際政治戦略
―1950年代の冷戦と米国の国際政治戦略のマクロとミクロ―
長岡大学教授 広 田 秀 樹
本稿では、米国のアイゼンハワー政権(1953
年 1 月 ∼ 1961年 1 月 ) に 焦 点 を あ て、 主 に
1950年代の冷戦における米国の国際政治戦略の
軌跡を考察する。
はじめに
1.―1953 年―
2.―1954 年―
3.―1955 年―
4.―1956 年―
5.―1957 年―
6.―1958 年―
7.―1959 年―
8.―1960 年―
おわりに
註
参考資料
1.―1953年―
1953年1月、アイゼンハワー政権が発足した。
国務長官に就任したフォスター=ダレスは強硬
な反共戦略を構築しソ連に対峙する姿勢を示し
た。トルーマン政権時代に国務省内の対ソ戦略
立 案 チ ー ム と し て 政 策 企 画 部(The Policy
Planning Staff)が設立され、アイゼンハワー政
権発足当初はトルーマン政権時代のポール=
ニッツェ部長が留任し、対ソ戦略構築を支える
ことになった。国防長官にはチャールズ=ウィ
ルソンが就任した。
2月、グアテマラではハコボ=アルベンス=
グスマンの革命行動党の政権が封建的大地主に
よる大土地所有制廃止などの「グアテマラ革命」
を進めていたが、グアテマラにあった米国企業
ユナイテッド=フルーツ(UFCO)の土地接収
を発表した。米国はこの政策を明らかに社会主
義的政策であると認識しグアテマラへの警戒感
は強めて行くのであった。
3月5日、ソ連社会主義を強力・強硬・妥協
を許さずリードしてきたスターリンが死去し
た。スターリン死去の直前に、ソ連は水爆開発
の成功への目処をつけていた。世界はしばらく
国際政治を静観することになった。
4月16日、アイゼンハワーはスターリン体制
終了を契機としての国際政治の変化を期待し
て、「平和のチャンス」という演説を行った。
この演説はニッツェが起草したものだった。
1950年6月に勃発し継続していた「冷戦の局
地戦」としての朝鮮戦争の決着がアイゼンハ
ワー政権の国際政治上の最重要課題の一つで
あったが、1953年7月27日アイゼンハワー政権
はじめに
第2次大戦という世界的スケールの未曾有の
非常事態を終結させる原動力になったのは、資
本主義・自由主義・民主主義を基幹理念とする
アメリカと、社会主義・共産主義の世界的拡大
を目指しマルクス=レーニン主義を基盤思想と
するソ連であった。よって第2次大戦後の国際
政治の中心的基調は、
「資本主義対社会主義の
体制間闘争」という「人類史における社会体制
選択上の闘争」に、従来からの大国間パワーポ
リティクスが融合したものとなり、それは一般
的に冷戦と呼ばれるようになった。
冷戦においては、核兵器というそれまで人類
が保有したことがなかった圧倒的破壊力を有し
た兵器の登場があった。それはひとたび大規模
に使用されれば、どちらかの社会体制の崩壊・
消滅どころか、世界・人類全体の崩壊・破滅に
もつながるというまでに危険度を高めた兵器で
あった。それゆえ米国・ソ連の超大国における
国際政治的リーダーシップは人類の命運を左右
するほどに重要なものとなった。
143
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
た。いわば、冷戦のマクロ的抑止では効果はあ
るがミクロ的抑止では効果がないという考えで
ある。ニッツェも「大量報復戦略」には批判的
だった。ニッツェは、「ソ連が核でパリティに
なって行けばどうなるか。ソ連は大陸でつな
がっている西欧・アジアを通常兵器で攻めて侵
略し共産化することも可能ではないか。核だけ
でなく通常兵器も拡充すべきである。コスト優
(2)
先の考えは危険である」と考えたのであった 。
3月、米国はビキニ島において実用的水爆の実
験に成功し、核戦力を強化して行った。
3月、ベトナムにおいて、ベトナム独立同盟
軍(べトミン軍)がフランス軍最後の拠点だっ
たラオス国境に近いディエン・ビエン・フーの
戦いを開始した。
4月、ベトナムを中心として展開されていた
インドシナ戦争の解決を目指してジュネ−ヴ会
議が開始された。宗主国フランス・ベトナム民
主共和国・ラオス・カンボジア・ベトナム国(南
ベトナム)・アメリカ・イギリス・ソ連・中国
などが参加した。ジュネーヴ会談の開催中の5
月、ベトナム独立同盟軍(べトミン軍)がディ
エン・ビエン・フーの戦いで勝利した。7月、
ベトナムに関しての「ジュネ−ヴ休戦協定」が
立案された。「ジュネ−ヴ休戦協定」では、「北
緯17度線を暫定軍事境界線とすること」などを
定め、その最終宣言において「ベトナムの統一
については、1956年7月にベトナム住民による
選挙で決定」としたのであった。しかし、米国
は「ジュネーヴ休戦協定」に調印せず、協定尊
重の単独コミュニケ(公式声明)を発表するに
とどまり、ベトナム国(南ベトナム)は休戦協
定自体に反対し、「冷戦の局地戦としてのベト
ナム戦争」は決着がつかない状態が継続するの
であった。
ベトナムが次第に「冷戦の局地戦」のトーン
を強めて行く中で、フランスはベトナムから撤
退して行く姿勢を示し、フランスに代わって
「自
由主義・資本主義の防衛」のために米国がベト
ナムに本格介入せざるをえなくなって行くので
あった。1954年より、アイゼンハワー大統領・
ダレス国務長官は、
「ドミノ理論」という国際
政治理論を主張し始めることになる。即ち、社
会主義勢力の中国・ソ連がベトナムの社会主義
をバックアップし、もしベトナム全域が完全に
社会主義になれば、ドミノが倒れるようにタイ
は休戦協定を国連軍・中朝連合軍の間で調印さ
せることに成功したのであった。これは米国が
維持していた戦略戦力の優位性カードを後ろ盾
に実現させたものであり、軍事指導者として豊
富な経験があったアイゼンハワーの力量の象徴
であった。しかし一方で、自由主義陣営のリー
ダー・アメリカが完勝という形では決着をつけ
られなかったことに、アメリカは同盟国や世界
に対して、米国の覇権・パワーが絶対なもので
もないという面を示すことにもなった。8月、原
爆に続く水爆でリードしていた米国を猛追して
いたソ連が水爆実験に成功した。ソ連の水爆は
(1)
米国の5分の1の破壊力を示したのであった 。
9月、米国はタイ・フィリピン・パキスタン・
オーストラリア・ニュージーランド・イギリス・
フランスと共に、
東南アジア条約機構(Southeast
Asia Treaty Organization:SEATO:本部バン
コク)を結成し、共同演習を実行して行くので
あった。12月、米華相互防衛条約が締結された。
アイゼンハワー政権はベトナムに関しては、
ベトナムで劣勢のフランス軍への支援強化に動
いていたが、1953年米国太平洋方面陸軍司令官
オダニエルを中心とした軍事顧問団をベトナム
に派遣し、3億8,500万ドルの援助を決定した
のであった。
2.―1954年―
1954年1月、前年の朝鮮戦争休戦も契機と
なって、ダレス国務長官は新しい対ソ戦略と
し て の「 大 量 報 復 戦 略(Massive Retaliation
Strategy)
・ ニ ュ ー ル ッ ク 戦 略 」 を、 ニ ュ ー
ヨークの外交問題評議会(Council on Foreign
Relations:CFR)において発表した。この戦
略は、
「即時報復可能な強力な核戦力の保有に
よって共産主義勢力に対抗する」戦略だった。
「最小限のコストで最大限の安全保障」という
アイゼンハワ―政権の基本方針が背景にあっ
た。「大量報復戦略」は「安価な多数の核保有
による対ソ抑止力」を意味しそれはコストを考
えた対ソ戦略とも言えた。しかし、
「ニュールッ
ク戦略」は大規模な米ソ間・体制間の全面戦争
の抑止には効果的と考えられたが、中小規模の
限定的な体制間戦争(朝鮮戦争やベトナム戦争
のような冷戦の局地戦)に対する抑止機能とし
ては疑問であるという考えも浮上するのであっ
144
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
佐カルロス=カスティージョ=アルマスを米国
は豊富な資金援助でバックアップし隣国エルサ
ルバドルの首都サンサルバドルで、
「グアテマ
ラ反共臨時政府」を樹立させた。米国はこの政
府を承認しアルマスを支え、爆撃機・火砲等の
武器や傭兵を与え、グアテマラに侵攻した。グ
アテマラ軍内部に米軍に協力するグループも既
に構築されており、アルベンスは軍からも支持
されずほとんど反撃できず亡命したのであっ
た。「1954年グアテマラクーデター」であった。
等のインドシナ諸国、ミャンマー・インドネシ
ア等の東南アジア全域が社会主義化・共産化さ
れ、やがてオーストラリア・ニュージーランド
やその他の世界へも共産主義勢力は拡大するか
もしれないので、特にインドシナでの敗北は自
由世界にとって致命的な結果をもたらすという
考えである。
しかしそれでも、
「衛星放送・インターネット・
民間のエアラインが十分発達している現代」と
は違い、1950年代の米国民一般にとってベトナ
ムは「遠方の地」とイメージされ、南アジアエ
リアに米国が本格介入することを肯定できるよ
うな世論は形成されなかった。事実、1954年、
アイゼンハワー政権の副大統領で下院非米活
動委員会(The House Un-American Activities
Committee)で活躍し反共の闘志として高い評
価を得ていたリチャード=ニクソンが、全米新
聞編集者協会との懇談会で、一般米兵の大量投
入を含めた米軍の本格介入の必要性に言及した
時、議会で反発されダレス国務長官が釈明する
という事件が発生した。それほど1954年時点で
は米軍の本格介入は、議会も含め国家として意
思統一できない状態だった。後に国家として意
思統一できないまま米軍の本格介入にアメリカ
は進むことになるが、このことがベトナム戦争
(3)
での米国の敗因となるのであった 。
6月ソ連は自国・自陣営の安全保障上、世界
に展開されていた米国のFBS(Forward Based
System)のような海外軍事基地等がソ連を包
囲していると認識しそれらの撤廃を主張し続け
ていたが、国連軍縮小委員会の場で、自国の自
国以外のエリアでの海外軍事基地撤廃を提案し
た。その後もソ連は世界の米軍基地縮小を目指
し同様の提案を繰り返すのであった。なお1950
年代から、米国を中心とする自由主義陣営の軍
事ブロック・ソ連を中心とする社会主義陣営の
軍事ブロックのどちらにも属さない「非同盟」
諸国が形成されて行くとき、ソ連は非同盟エリ
アの拡大を希望し支持するのであるが、その背
景にはソ連が「非同盟」拡大によって米軍海外
基地の対ソ包囲網を弱めたいという国益があっ
たと考える。
6 月、 米 国 は 社 会 主 義 的 政 策 を 進 め て い
たグアテマラのアルベンス政権の打倒作戦
(PBSUCCESS作 戦:Operation PBSUCCESS)
を実行する。先ず、反アルベンス派の元陸軍大
3.―1955年―
1955年4月、インドのネルー、インドネシア
のスカルノ、カンボジアのシアヌーク、中国の
周恩来、エジプトのナセルなど錚々たる第三世
界のリーダーがインドネシアのバンドンに結
集した。「アジア・アフリカ会議(バンドン会
議)」の開催であった。バンドン会議は米ソ両
体制グループとは別の国際政治における第3勢
力(第三世界)の結集を意味した。新生の「第
三世界」のリーダーが平和共存の重要性を世界
にアピールした価値は大きかった。バンドン会
議以降第三世界の団結・勢いは加速する。1960
年代には、アフリカで民族解放闘争(national
liberation movement)が進み多くのエリアで
独立が達成された。そして、第三世界の多くの
国では、発展途上の国内経済社会の効果的な統
治を指向する中で、社会主義的政策、あるいは
国家・政府の強力なリーダーシップによる資本
主義経済のコントロールという意味での国家資
本主義的政策、開発独裁政策と呼ばれる国家戦
略を選択する傾向が強くなって行くのであっ
た。1950年代の共産主義中国は「第三世界・発
展途上国解放の指導的国家」という国家的使命
を認識していた面もあった。
7月、ジュネーヴで米英仏ソの4巨頭会談が
開催された。1950年6月からの朝鮮戦争、体制
間戦争勃発という危機の極致、1953年3月のス
ターリン死去、同年7月の朝鮮戦争休戦協定等
の微妙な変化を経ての会談の実現だった。極度
の緊張の時期、指導者の対話・交流がなかった
時期から、とにかく会うことの実現に動いた。
結局、時代を変えるのは人間の「対話・交流」
になる。そこから変化が生まれる。会って話し
てみる。この一点が重要であることを歴史は証
145
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
流には民衆の思いがある。民衆の思い。それは
もちろんコントロールされる面もあるが、それ
こそ歴史を動かす底流をつくるものであり、国
際政治のリーダーシップにおいてもそこにどう
コミットするかを忘れないことが重要である。
6月、ポーランドのポズナンで反ソ連・自由化
運動が起きた。ポズナン暴動である。さらに、
10月には、ハンガリーのブタペストを中心に、
同様の反ソ連・自由化運動、ハンガリー動乱が
勃発した。ハンガリーがソ連の許容範囲を越え
て政治体制の変革を進めた時、ソ連は軍事介入
し自由化勢力を弾圧したのであった。指導者の
ナジ=イムレは処刑され、約17,000人が死亡し
た。ハンガリーへのソ連の弾圧は、それまでソ
連にバラ色のイメージ・好感をもっていた世界
の社会主義者を幻滅させ、多数の社会主義者が
(4)
ソ連から離反するようになる 。
7月、ベトナムでは南北統一選挙の実施等が
協議されていた。しかし、
「ジュネーヴ休戦協定」
に正式には調印していない米国はその動きに協
力しなかった。南北統一選挙が実施されれば国
民的英雄であるホーチミンが有利で、選挙結果
は共産主義勢力によって統一されるベトナムの
成立が予想されたからであった。
1956年時点での米ソの戦略核戦力比較は概ね
以下のようであった。
明している。ジュネーヴ4巨頭会談には、アメ
リカからアイゼンハワー大統領・ダレス国務長
官、ソ連からフルシチョフ共産党第一書記・ブ
ルガーニン首相・モロトフ外相、イギリスから
イーデン首相・マクミラン外相、フランスから
フォール首相・ピネー外相が出席した。ジュネー
ヴ4巨頭会談においてアイゼンハワーは、平和
共存を探り、空中査察の実行等、査察を軍備管
理の中心とする提案を示した。また、当時ヨー
ロッパ最大の問題であった「ドイツ問題」が検
討され自由選挙による統一案等が出たが、最終
的には合意されなかった。
ジュネーヴ4巨頭会談開催背景の一つとして
バンドン会議のアピールが影響したと考えてよ
かろう。バンドン会議は核兵器時代の世界的緊
張の中にあって米ソ両体制グループとは別の国
際政治における第3勢力の結集を意味しそこが
平和共存の重要性を世界にアピールしたインパ
クトは大きかった。何れにしても、バンドン会
議・ジュネーヴ4巨頭会議から世界は緊張緩和
にシフトし始めた。
10月、南ベトナムにおいて米国はバオダイを
退かせ、ゴ・ディン・ジェムを擁立し、米国の
軍事援助・経済援助を背景に共和制のベトナム
共和国を樹立した。米国は「軍事顧問団」を派
遣しベトナムに米国製近代兵器装備の3個師団
を構築することになる。1955年10月∼ 1963年
11月の間大統領の地位あるゴ・ディン・ジェム
は国内で対抗勢力を力で押さえる事実上の強権
的な独裁政治・統治を展開するのであった。
1955年中に、ソ連は中国の旅順にあった軍事
基地を中国に返還した。1955年末、ソ連は実用
的水爆の実験に成功した。
―1956年の戦略核戦力比較―
●米国:340の戦略爆撃機<B52等>
●ソ連:200機の戦略爆撃機<ベア(TU95)・
バイソン(MYA4)等>
出所:Strobe Talbott, The Master of The
Game等より作成
4.―1956年―
1956年時点で、戦略戦力としての戦略爆撃機
において米国は優位を維持していたが、もはや
それは圧倒的な対ソ優位とは言えなかった。ソ
連は1950年代後半から戦略爆撃機(核搭載の長
距離可能爆撃機)
・TU-16バジャー TU-95ベア、
MY-4バイソン等の開発に成功し、実戦配備数
の増大を進めて行った。
ソ連が戦略爆撃機での急速な対米キャッチ
アップを図る中で、米国では「ボンバーギャッ
プ論争」のような議論も発生してきたのであっ
(5)
た 。さらに、ソ連は、次の戦略戦力のステー
1956年1月、ソ連はフィンランドにあったソ
連軍のポルカラ・ウッド海軍基地をフィンラン
ドに返還し自国の海外基地の撤廃の動きで率先
垂範の姿勢を示し、米国にも海外基地を撤廃す
るよう要求した。
2月、1953年3月のスターリン死去から3年
ほどが経過し、フルシチョフはソ連共産党第20
回大会で、「スターリン批判」を行った。それ
は東側の自由化運動の底流に火をつけることに
なった。どんなに権力構造で抑えても歴史の底
146
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
―1957年以降の米国の核ミサイル開発の加速―
ジである「戦略ミサイル」の分野で既に先行し
つつあった。即ち、
ソ連はミサイル「ボベータ」
の開発・生産・配備に動いていた。この動きは、
米国のレッドストーン開発より約4年早い速度
での開発生産配備と考えられていた。米国はミ
サイル「レッドストーン(射程約300kmの短射
程ミサイル)
」は、1952年に生産を開始したが、
実際の配備開始は1958年となるのであった。
●米国の戦略核ミサイル
(ICBM:アトラス・タイタン・SLBM:ポラリス)
●米国の戦域核ミサイル
(IRBM:トーア・ジュピター)
出所:Strobe Talbott, The Master of The
Game等より作成
5.―1957年―
1957年キッシンジャーが『核兵器と外交政策』
を発表した。キッシンジャーは、核が相手国に
どのようなイメージを与えるかという政治的側
面及びカードとしての核を考察し、ダレスの「大
量報復戦略」を批判し、ソ連の出方への多様で
柔軟な戦略を提案した。カード・印象・イメー
ジとしての核の考察である。
1950年代後半以降、
核兵器の破壊力は甚大なものになり、ICBM・
戦略爆撃機等、核兵器を運搬・投射するミサイ
ル・航空機等が高度化し、米ソは例えばICBM
を使用した場合互いに約30分程で、核攻撃する・
される状況になった。そのような状況下では、
「先制攻撃」を実行した側が有利に立つといっ
た「先制攻撃」論や「核抑止力論」等、多様な
核戦略が提案されていった。
1957年以降、核兵器開発の新たな焦点は、破
壊力のある核弾頭の開発と、それを短時間で投
射できるミサイルの開発にシフトして行く。当
初ミサイル開発で先行したのはソ連だった。
10月、ソ連は人類初の人工衛星となるスプー
トニクⅠ号の発射に成功した。スプートニク
1号で使用されたロケット・R-7(セミョール
カ・SS-6)は事実上世界初の大陸間弾道ミサイ
(6)
ル(ICBM)となった 。続いて11月、スプー
トニクⅡ号が発射された。スプートニクⅡ号は
1,000ポンドの大型投射重量を可能とし、それ
は米国ミサイルの5倍であった。
「1957年10月・11月のソ連によるスプートニ
ク」の成功、ICBMの出現は、「戦略兵器レベ
ルでのソ連優位」
、「戦略軍事力におけるソ連の
対米優位」の発生を意味し、米国に「スプート
ニク・ショック」と呼ばれるほどの大変な脅威
を与えた。「スプートニク・ショック」に直面
したアイゼンハワー政権は直ちに、ランド研
究所会長ゲイサーを中心にしてゲイサー審議
会を発足させた。ニッツェも審議会に参加し
た。1957年11月、ゲイサー審議会答申「核時代
における抑止と生き残り」がニッツェが中心作
成者となり作成されたのであった。そこでは、
「ソ連は年間12程のICBMを生産する方向であ
り、それが実行されればソ連は米国の4分の3
のB52を叩ける。米国は直ちに戦略核ミサイル
(ICBM・SLBM)及び戦域核ミサイルの開発加
速を予算を十分かけて実行し対抗すべき。もし
ミサイル劣勢ならABMを進めるべき」と提案
した。ゲイサー審議会答申を契機にして米国は
以下のような戦略ミサイル・戦域ミサイルの開
発を加速させるのであった。
6.―1958年―
1958年ジュネーヴ軍縮会議が開催された。米
国代表団にはニッツェ・ウォルステッターも参
(7)
加した 。ニッツェにとって当時は軍縮を語る
のは単なるポーズであって、本質は現実主義の
軍事力の確固たる油断なき後ろ盾の必要性を主
張していた。「NSC68」(1950年)
・
「核時代にお
ける抑止と生き残り」(1957年)こそニッツェ
の本質であった。ウォルステッターも確実な抑
止力の重要性、軍備管理交渉の重要性を訴えて
いた。
1958年8月上院議員で「1960年大統領選挙」
を目指していたケネディは「米国はミサイルで
ソ連に遅れている」とした。ニッツェ・ウォル
ステッターは大統領選を目指す若きケネディを
応援するのであった。
12月、「ゲイサー審議会答申」は当初アイゼ
ンハワー政権の秘密事項だったがリークされ公
けのものになった。意図的にリークされたのか
もしれないが、現実に「ゲイサー審議会答申」
147
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
と考えられたのであった。
1959年、ニッツェも論文「交渉の基礎となり
うる核政策」を執筆した。ニッツェはソ連の先
制攻撃を抑止することが肝要であり、またソ連
はエリアによっては通常兵器で米国より上に
なっているのでその対抗上も核が必要であると
して、米国の核はあくまで侵略攻撃でなく自衛
のためであるとしたのであった。
「1957年10月・11月 の ソ 連 に よ るICBM開 発
(スプートニクショック)の脅威」以降アメリ
カは直ちに、同年11月の「ゲイサー審議会答
申」によって、米国の研究開発力・技術力・生
産力を全面的に傾注しての巻き返しを決意し、
ICBM・SLBM・ABM・IRBM等の研究開発生産
配備へと動き、戦略戦力での再優位を目指した。
1959年には米国の対ソ再優位への目処はつき
始めていた。実際、1959年中に大陸間弾道ミサ
イル(ICBM)アトラスを開発し実践配備した。
その後アメリカは、1962年にタイタンⅠを開発
し実践配備することになる。当初のソ連・ア
メリカのICBMは、発射準備に時間を要すると
いう課題があったが、1960年代に開発が進めら
れ、アメリカのタイタンⅡを含め、両国とも即
時発射を可能とするミサイルを開発した。1962
年、アメリカは小型で安価なICBM・ミニット
マンを開発・配備・量産化し1000基配備を実現
することになる。さらに戦略核の設置を地上施
設から秘匿性・抗堪性の高い地下施設(ミサイ
ルサイロ)
、潜水艦搭載へと多様化させて行く
ことになる。このような1960年代初頭に明確に
なる戦略戦力での米国の圧倒的優位性はアイゼ
ンハワー政権から確実な整備が開始されたもの
であったと言える。
1959年での米国の対ソ再優位への流れの中
で、外交においてソ連は引き始める。その象徴
的な出来事が、1959年9月のフルシチョフの訪
米であった。フルシチョフは米国を訪問し、キャ
ンプデービッドで米ソ首脳会談が開催されたの
であった。
以降の米国のICBM・SLBM・ABM・IRBM等
の兵器開発の強力推進方針は、米国の潜在的研
究開発力・技術力・生産力を認識しているソ連
にとっては、明確な圧力になった。
7.―1959年―
1959年1月、米国に隣接するキューバで革命
が勃発した。社会主義国家キューバが誕生して
行くことになる。
1月、国際政治学者アルバート=ウォルス
テ ッ タ ー(Albert Wohlstetter) は、Foreign
Affairsに、論文 The Delicate Balance of Terror
を発表し、米国の核戦略の不十分さを指摘し
た。ウォルステッターは、「十分な抑止力は核
兵器を保有するだけでは不十分である。報復戦
における報復能力の整備が重要である。核の残
存・報復の決定指揮系統等、先制攻撃されたと
しても確実な報復戦が可能な体制が必須である
が米国にはそれがないのが現状である。先制攻
撃による全面戦争や、それを疑うことなどから
の誤算による戦争、偶発戦争の危険もある」と
いう趣旨のことを述べ警告した。ウォルステッ
ターの警告以降、奇襲的な先制攻撃をいかに防
止するか、そのための確実な抑止力とは何かが
議論され、
核戦略における警戒システムの整備・
高度化が進む。この頃より相手側の動きを察知
するレーダー・監視・盗聴・スパイ等のシステ
ムが重視され高度化することになる。またミサ
イルの地下への移動やポラリスの整備等、万が
一相手側に攻撃されても報復能力が残ることを
確実にするシステムが高度化した。相手側の先
制攻撃が必ずしも有利でないようにし結果とし
て確実な抑止力を構築するのが狙いであった。
ウォルステッターは、軍備管理交渉によって先
制攻撃力を相互に削減する重要性を主張した。
米国が最も恐れたことは、先制攻撃されること
だった。故に、その後の米ソ軍備管理交渉の最
大のポイントも、ソ連の先制攻撃力を削減する
ことになって行く。また、先制攻撃がたとえあっ
ても生き残って反撃できる攻撃力をもつこと、
「戦略的攻撃力の残存性」がいまひとつの米国
の課題であった。
「戦略的攻撃力の残存性」が
強ければ敵は報復を恐れて先制攻撃はできない
し、逆に「戦略的攻撃力の残存性」がなければ
敵は報復を恐れず先制攻撃ができることになる
8.―1960年―
1960年1月、秘匿性を増す兵器として潜水艦
発射型核弾頭搭載ミサイル(SLBM)の「ポラ
リス(Polaris)
」が、フロリダのケープ・カナ
べラルで発射実験された。ロッキード社が開発
148
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
生産したものだった。ポラリスは英国海軍にも
売却され、英国潜水艦にも配備されることにな
る。秘匿性の高い戦略兵器としてのSLBMは大
きな国際政治力になった。アメリカはポラリス
搭載の潜水艦を大西洋に出し、イギリス・スコッ
トランドのホーリー・ロッホ基地、スペイン・
カディス湾のロタ基地に前方配備した。それは
明確に東側への圧力になった。その後、SLBM
としては、1972年からポセイドンがポラリスの
後継として配備を開始し、さらに1980年代以降
トライデントが主力になって行くことになる。
SLBMは、戦略爆撃機・陸上発射型大陸間弾道
ミサイル(ICBM)と共に「核戦略の3本柱」
(8)
の一つになって行くのであった 。
1960年4月、ニッツェはカリフォルニア州ア
シロマールでの国家戦略セミナーで講演した。
ニッツェは、核を単に保有しているだけではパ
ワーにならない。核をどう交渉などでアピール
してカードとして使うかが重要である。また全
体的に戦争・交渉で勝つことを追求することが
重要である。第1撃(先制攻撃)は「報復の第
2撃」がないか弱いと分かれば実行されるし、
逆に「報復の第2撃」が強く報復されると分か
れば先制攻撃はされない傾向にある。よって
「報
復の第2撃」の能力をしっかり持つことが重要
である。「報復の第2撃」の確保・強化として
ポラリス(SLBM)・鉄道移動式のミニットマ
ンICBMが残存性があるので支持されるべきで
ある。第1撃から生き残り報復反撃できる第2
撃の確保強化そのアピールを重視すべき。それ
ができればソ連は第1撃はない。但しミニット
(9)
マンICBMは速度がまだ遅いとした 。
SLBMポラリスによって戦略戦力の次元的ス
テップアップを実現し、戦略爆撃機での対ソ優
位を維持していたアイゼンハワー政権であった
が、政権の最終段階である1960年時点での米ソ
のICBM数は、「米国400基・ソ連15基」であっ
た。アイゼンハワー政権は戦略戦力での米国の
(10)
圧倒的優位、
再優位を確立させたのであった 。
軍人としての経験があったアイゼンハワーは、
戦略戦力・軍事力の優位性がいかに国際政治に
おいて重要であるかを強く認識していたゆえ
に、戦略戦力の実質においての対ソ優位、対ソ
抑止を確実にして政権を去るのであった。
6月、キューバは米国資産の国有化を断行し
た。フィディル=カストロの弟ラウル=カスト
ロがソ連・モスクワを訪問し、ソ連首相ミコヤ
ンがキューバ・ハバナを訪問するなどして、ソ
連・キューバは接近した。
12月、「 南 ベ ト ナ ム 解 放 民 族 戦 線(NLF:
National Liberation Front for South Vietnam:
越南共産(ベトナムコンサン・通称べトコン:
越共)」が結成された。
おわりに
1945年の第2次大戦終了の後に人類は、「自
由主義・議会制民主主義・資本主義体制」か「プ
ロレタリア階級主導型社会主義体制」かの体制
選択の闘争としての冷戦に直面する。冷戦は、
軍事・経済・外交・思想・理論・宣伝・諜報・
ソフトパワー・技術等あらゆる面で、2つの体
制の司令塔となった米国とソ連が主導する。
1950年代に本格化する冷戦においては、米ソ
による核兵器の保有という現実があった。核兵
器を所有する米ソ等の覇権国が関与する軍事紛
争では常にその所有を国家指導者は念頭に置く
必要があった。核所有大国が直接ぶつかる戦争
は回避される傾向になり。その代わり発展途上
国における覇権国の代理戦争という限定戦争
(冷戦の局地戦)という形態が現出する傾向に
あった。
1950年代の発展途上国にあっては、植民地支
配からの脱却、ナショナリズムの台頭、貧困か
らの脱却、生活向上への願望を背景にして、激
しい民族解放運動・社会変革運動が起きていた。
それらの運動の中には急進的革命的暴力的な運
動に発展するものも多かった。それら民族解放
運動・社会変革運動は当初は純粋な反植民地主
義的な民族解放・貧困解決の運動から始まった
ものであったが、次第に国際政治における東西
冷戦の構図の中に入って行くことになった。即
ち、朝鮮半島、ベトナム、カンボジア、インド
ネシア、キューバ、グアテマラ、ニカラグア等、
多数の第三世界のエリアの運動では、その思想
的バックボーンを、社会主義にもとめるリー
ダーが力を持って行った。事実、それらの国に
おける変革のリーダー達は、世界社会主義運動
の司令塔であったソ連・中国とコンタクトをと
り協力を仰ぐようになって行った。さらに、急
進的な社会主義革命路線ではないにしても、イ
ンドのネル―、インドネシアのスカルノ、カン
149
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
指導者・政治リーダーの力量である。力があっ
てもうまく政治力にして使えなければ世界は動
かない。力で圧倒する外交・一線で引かない外
交がなければ激しい国際政治を正しい方向へ
リードして行くことはできない。国際政治戦略
では致命的な甘さが存在してはならないし、超
大国米国・ソ連の国際政治戦略に「致命的な甘
さ」が発生するとき、歴史は思わぬ方向にスイ
ングする。力の賢明な活用や行使は、指導者の
冷静な戦略的判断力や何より胆力がなければ現
出しないものである。上記のような1950年代の
複雑な諸状況の中で、アイゼンハワー政権は国
際政治戦略を展開した。
アイゼンハワー政権は一貫して戦略戦力での
対ソ優位を指向しその実現に成功した。特に、
1957年のゲイサー審議会答申以降、戦略爆撃機・
ICBM・SLBMの戦略核の3本柱で、ソ連への
圧倒的優位性を確立して行く路線を固めた。そ
の力の後ろ盾を背景にして、対ソでの全体対応
では、国際政治を安定させて行くことになった。
その象徴的な出来事が、1955年7月のジュネ−
ヴ4巨頭会談、1959年9月のフルシチョフ訪米・
キャンプデービッド会談であった。
しかし一方で、冷戦の局地戦においてはど
うであったか。1954年6月のグアテマラでの
PBSUCCESS作戦による親米国家樹立の成功が
あった。朝鮮戦争においては、力の後ろ盾によっ
て、1953年7月の休戦協定に持ち込んだが、そ
れは自由主義圏の完全勝利ではなかった。逆に
言えば、社会主義勢力が資本主義超大国アメリ
カと、五分まで持ち込んだようにもイメージさ
れた。朝鮮戦争の結果は他地域での、社会主義
勢力・民族解放闘争に弾みをつけることにもつ
ながった面がある。事実、ベトナムでは次第に、
社会主義勢力の力が増し、1954年5月には民族
解放勢力・社会主義勢力がディエン・ビエン・
フーの戦いで勝利しジュネ−ヴ休戦協定を経て
ベトナム社会主義の固定化につながって行っ
た。1959年1月には米国に近接したキューバで
も社会主義革命が勃発した。
アイゼンハワー政権はマクロ的な対ソ戦略で
は成功したが、ミクロ的な対社会主義勢力戦で
は疑問を残す結果となったのではないか。しか
し、自由主義・資本主義を守護する使命がある
超大国米国にとって、冷戦の対ソ戦は「極めて
複雑で危険なゲーム」であることは言うまでも
ボジアのシアヌーク、エジプトのナセルに代表
的なように、
「社会主義的政策に傾斜した国家
戦略」を描く第三世界の指導者も多かった。
アメリカは第三世界において「リベラルで穏
健な中道勢力」が力を持って賢明に民族解放闘
争的なナショナリズムを調整し、自由主義・民
主主義・市場経済・資本主義経済を基盤にして
国をまとめることを願った。しかし現実の第三
世界で、資本主義経済を指向する勢力は「リベ
ラルで穏健な中道勢力」とはならなかった。韓
国・台湾・シンガポール・ブラジル・チリ・パ
ナマなど、当時の大半の「西側に所属する第三
世界の国家・地域」は、事実上の独裁政権、多
数が強力な軍事独裁政権にならざるをえなかっ
た。逆に言えば、膨大な貧困層を抱えた第三世
界の社会状況では、社会主義勢力が台頭し政権
を奪取されるリスクが常にあり、そのような独
裁体制でなければ国家的ないし社会的統率がで
きなかった面もあった。
1950年代においては、日本・イタリア・フラ
ンス・イギリス等、西側資本主義国の内部にお
いてすら、国内の民衆の生活は十分に豊かとは
言えず貧しい社会状況が存在していたのが現実
であった。ゆえに、西側資本主義国内にいても
潜在的な社会主義者・共産主義者、左翼は多かっ
た。特に社会への問題意識を持ち勉強する学生・
知識人・大学人等の多くは左翼的だった。左翼
の多くは「生産手段の基幹的資産の私有は不安
定で格差のある混乱した不幸な人間社会をつく
るものであって人類史にあってはそれらの基幹
的資産は共有化されバランスのとれた人間社会
をつくる方がよいではないか」と考えた。左翼
は純粋な正義、高尚な使命感をイメージさせる
ようなものであったし、
「知的なブランド」の響
きさえもった。逆に非左翼的な考えは前近代的
なかつての軍国主義的な古い間違った思想とい
うイメージが特に知識人の間では一般的だった。
国際政治は何より力の重要性を教える。力が
全てを決定する。特定の理念や価値、思想、体
制が良いか悪いかは二の次であって、力を背景
した理念、価値、思想、体制が圧倒することを
教える。
よって力を構築することが重要である。
さらに力を構築して有していたとしてもその力
を示すことにおいて、力の行使権限を有する指
導層が賢明でなければ、価値を生まない。軍事
力をどのように政治力・交渉力として使うかは
150
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
際、米国はワインバーガーのThe Uses of
Military Power以降、軍事行動時における
国家としての意思統一の重要性を深く認識
し、現実にリーダーシップによって国家と
しての意思統一を確実にさせてから、開戦
ないし軍事行動を起こしている。
(4)1956年のフルシチョフのスターリン批判、
ハンガリー動乱を転機にして、世界の社会
主義勢力はそれまでの強大な一枚岩体制か
らゆっくり多様化ないし分派体制に移行し
て行くことになる。ソ連派・中国派・トロ
ツキー派・新左翼・ユーロコミュニズム・
構造改革派など、多数に勢力分散されて行
くことになる。思想・理論の多様化があっ
ても仮にそれらを賢明に統合する制度があ
れば社会主義勢力は歴史的に力を増して
行ったかもしれないが、現実は多様化する
勢力を総合調整したりゆるやかに大同団結
させるような世界的スケールの統合の制度
はその後の歴史にも登場しない。
(5)1950年代、ウォルステッターは「ソ連の重
爆撃機による先制攻撃」に言及していた。
(6)陸上発射型ミサイルは、射程の「短い→長
い」の順で、大枠で、「戦術ミサイル→戦
域ミサイル(中距離ミサイル)→大陸間ミ
サイル」に分類できる。戦術ミサイルには、
狭小な戦場用のフロッグのようなSNF:
Shorter range Nuclear Forceもある。戦域
ミサイル(中距離ミサイル)では、MRBM
→IRBMと射程による分類もある。大陸間
ミサイルは、陸上発射型のICBMと海中発
射型のSLBMがある。
(7)米国の国際政治戦略家の中でも、ニッツェ
とウォルステッターは、冷厳な国際政治の
現実を完璧に理解した超リアリストとして
評価され、その理論は特に米国共和党保守
派に支持されていたが、十分反映されたの
は、1980年代のレーガン政権においてで
あった。1985年11月7日、レーガン大統領
は、ニッツェとウォルステッターに、大統
領自由勲章を授与した。
(8)ICBMの開発・配備を現実化したのは、ア
メリカ・ソ連・中国のみであった。イギリ
スは潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を
所有するに留まり、フランスも当初中距離
弾道ミサイル(IRBM)で核戦略をつくり
なく、
マクロ的な対ソ戦で賢明に対応できても、
ミクロ的なレベルでの対ソ戦まで、十分な対応
の戦術が実現するには、1950年代ではいまだ歴
史的制約があった。米国は1960年代・1970年代、
ケネディ・ジョンソン・ニクソン・フォード・カー
ターの歴代政権による冷戦の対ソ戦の国家とし
ての歴史的経験を経て、1980年代のレーガン政
権になってようやくマクロ・ミクロの両面での
完成度の高い冷戦の国際政治戦略の展開を実現
することになる。
米国は歴史上の全ての経験を経てそれらをよ
く分析し国際政治戦略の完成度を上げて行く国
家であって、アイゼンハワー政権の戦略展開が
完璧なものではなかったにせよ、それら全ては
後に生かされて行くもので、その歴史的意義や
価値は十分に高いものであったと考える。
註
(1)1952年11月1日、米国はマーシャル諸島で
破壊力10メガトン(広島型原爆の1,000倍:
大都市圏が一瞬で全滅するほどの破壊力)
の水爆実験に成功している。
(2)ニッツェは局地戦対応の通常兵器力はコス
トは高いが強化せよと主張した。実際、国
家間の「戦争」には段階があり極めて多様
である。全面戦争・局地戦・特殊戦・秘密戦・
心理戦・経済戦争など。よってそれぞれの
段階やカテゴリーへの対応が必要になって
くる。米国では、全面戦争対応の核兵器、
局地戦対応の通常兵器、特殊戦対応の特殊
部隊、
秘密戦対応のシークレットサービス、
心理戦争対応のメディア情報コントロー
ル、経済戦争対応の通貨市場・投資市場・
資源市場対応組織など、時代とともに多様
化が認識され、戦略と戦術はより高度化さ
れ洗練されたものになって行く。
(3)開戦における「国家としての十分な意思統
一の重要性」が認識されたのはベトナム戦
争の泥沼の経験によってであったが、その
明確化までは、1984年のレーガン政権のワ
インバーガー国防長官によるThe Uses of
Military Powerの発表まで待たなければな
らなかった。ワインバーガーは1984年、開
戦における国家としての必要条件の中で十
分な意思統一の重要性を明確にした。実
151
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
くよく伝えなければ、その抑止力は効果に
ならない。もし第1撃(先制攻撃)したら
そちらは壊滅して亡国になると十分理解さ
せる、イメージさせることが重要なことか。
実行した場合の結果のイメージである。し
かし実行した場合の結果のイメージがあっ
ても、実行される場合もある。イラクは第
2次湾岸戦争で対米開戦したら壊滅・亡国
になると十分理解しても、対米開戦を回避
しなかった。強大な軍事力があってそれを
理解、イメージさせる能力があっても、抑
止は100%絶対ではない。抑止は90%以上
効果を発揮し、そこに価値があるにしても、
100%ではない。結果が分かっても抑止が
きかない応じない国家も存在するのが国際
政治の現実である。
(10)実際、戦略戦力の優位性は米国の国際政治
対応において極めて重要である。例えば、
1948年時点で、米国の戦略核優位は確実
だった。このことを後ろ盾にして、ソ連の
ベルリン封鎖に対しても、米国の戦略空軍
司令官カーチス=ルメイ将軍はベルリン空
輸作戦を断行し、それに対して、ソ連は何
もできなかった。後にルメイは、1962年の
キューバ危機においても、米国の戦略核優
位をもって、キューバ侵攻断行でもソ連は
何もしないと予測したのであった。よって、
戦略戦力の正確な計測が重要であったが、
1960年代初頭、当初ソ連のICBM数の情報
には議論があった。空軍は300、CIA・国
務省は150、海軍は10としていた。実際は「米
ソのICBM数は、米国400基・ソ連15基」で、
米国の圧倒的優位だった。
1970年代にICBM開発構想を立案したが中
止し冷戦後はIRBMも廃棄し現在はSLBM
の保有でカバーしている。
(9)「第1撃(先制攻撃)」
・
「報復の第2撃」
・
「抑
止力」は永遠の難解なテーマである。ニッ
ツェ流に、米国はその戦略核を「報復の第
2撃」にしか使わないと言っても、ソ連は
米国は先制の「第1撃」に使うと考えるか
もしれないし、逆もある。ソ連は、「報復
の第2撃」にしか使わないと言っても、米
国はソ連は先制の「第1撃」に使うと考え
るかもしれない。国家の国際政治戦略の形
成には、国家の独自の歴史がある。歴史の
中でも、国家のトラウマともいうべき衝撃
がある場合は、それが国家の国際政治戦略
に反映される。例えば、ソ連にとっては、
ナポレオン・ヒトラーによる大規模侵略と
いうトラウマがある。よって、ソ連は「大
規模侵略への極度の警戒」が国際政治戦略
の基調をなす。日本にとっては、原爆を投
下されたという決定的トラウマがあり、そ
こからの「核への極度の嫌悪感」が、非核
三原則をはじめとする非核の国際政治戦
略が基調になっている。米国にとっては、
パールハーバーによる先制攻撃が決定的な
国家的トラウマになった。そこから、急
襲・先制攻撃・急襲への極度の警戒・第1
撃への確実な抑止の必要性を基調にした国
際政治戦略の形成につながっている。米国
においては、一般的に、軍事力とは、他国
の攻撃衝動行動への抑止力である。他国が
自国を攻撃するのを思いとどまらせる力が
抑止力である。抑止力がなければ攻撃され
る。米国の基本目標・狙いは、ソ連の先制
攻撃の兵器を交渉によって制限する、でき
れば減らすことであった。しかし、「抑止
の確実性」は永遠の国際政治上のテーマで
もある。米国の軍事力が強大であるという
現実があっても、なぜパールハーバーは起
きたのか?日本は、なぜ「先制の第1撃」
を実行したのか?米国には報復力・第2撃
は十分あった。米国の抑止はなぜ機能しな
かったのか?米国の強大な軍事力、抑止力
が、日本に十分伝わってなかったから日本
は実行したのか?だとすれば、抑止するた
めには相手国に十分「報復の第2撃」をよ
参考資料
Hans Joachim Morgenthau, Politics among
Nations , New York, Knopf, 1948.
Henry A. Kissinger, Nuclear Weapons and
Foreign Policy , New York, The Norton
Library, 1957.
John J. Mearsheimer, The Tragedy of Great
Power Politics , New York, W.W.Norton, 2001.
Kenneth Neal Waltz, Theory of International
Politics , Boston, Addison-Wesley, 1979.
Paul H. Nitze, From Hiroshima to Glasnost ,
152
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
New York, Grove Weidenfeld, 1989.
Strobe Talbott, The Master of The Game ,
New York, Alfred A. Knopf, 1988.
153
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
154
◉長岡大学地域連携研究センターご案内
STAFF
(平成28年4月1日現在)
所 長
●村 山 光 博 学長
運営委員長
●原 田 誠 司 経済経営学部教授/総括マネジャー
運 営 委 員
●山 川 智 子 経済経営学部教授/市民講座部会長
●牧 野 智 一 経済経営学部准教授/市民講座副部会長
●小 松 俊 樹 同 教授/調査研究部会長
●西 俣 先 子 同 准教授/調査研究副部会長
●米 山 宗 久 同 准教授/地域連携部会長
●広 田 秀 樹 同 教授/地域連携副部会長
●栗 井 英 大 同 准教授
●鈴 木 章 浩 同 専任講師
●品 川 十 英 事務局長/地域連携室長
●小田原弘貴 地域連携室
●山田満智子 同
研
究
員
●米 山 宗 久 経済経営学部准教授
●鯉 江 康 正 同 教授
●兒 嶋 俊 郎 同 教授
●山 川 智 子 同 教授
●西 俣 先 子 同 准教授
●中 村 大 輔 同 准教授
●栗 井 英 大 同 准教授
OUTLINE
名 称 長岡大学地域連携研究センター
設 立 平成25年9月18日
目 的 長岡大学の学内教育研究施設として、地域との連携活動を通して、地
域ニーズに応える若者人材の育成、地域社会の諸課題の調査研究の推
進とその成果の地域への還元、本学の知的資産の活用による学習機会
の提供を行うとともに、地域活性化に取組むことにより、長岡大学の
「地域に役立つ大学」づくりを推進することをめざします。
当センターは、上記の目的を達成するために次の事業を行います。
事
業 ⑴ 学生の地域課題への取組みや地域活動への参加等の支援・推進
⑵ 地域課題解決にかかわる自主研究・調査および受託研究・調査
⑶ 地域関連資料・データの収集・整理
⑷ 公開講座、セミナー、研究会、講演会、シンポジウム等の開催
⑸ 事業診断活動および専門人材の研修活動
⑹ 地域活性化諸活動の支援・推進
⑺『地域連携研究』の刊行、研究成果の公表
⑻ その他⑴から⑺に関連する一切の事業
運
営 3部会(調査研究、公開講座、地域連携)の部会長・副部会長、コー
ディネーター及び地域連携室長で運営委員会を構成し、地域連携活動
の充実をめざした運営体制を形成しています(月1回会議開催)。
研 究 員 運営委員とは別に、長岡大学教員の公募により、研究員を選びました。
155
センター日誌
<地域連携研究センター日誌 2015 ∼ 2016年>
12月1日 第7回市民講座部会
2015年
12月8日 第9回地域連携部会
10月28日 第6回調査研究部会
12月15日 第7回地域連携研究センター運営委員会
11月3日 第6回市民講座部会
12月16日 第8回調査研究部会
11月10日 第8回地域連携部会
1月5日 第8回市民講座部会
11月17日 第6回地域連携研究センター運営委員会
1月12日 第10回地域連携部会
11月18日 第7回調査研究部会
1月19日 第8回地域連携研究センター運営委員会
1月26日 第9回調査研究部会
2月16日 第9回地域連携研究センター運営委員会
11月20日 2015長岡大学地域連携研究センターシン
ポジウム 人口減少時代と長岡地域活性
2月23日 第11回地域連携部会
化の方向−長岡地方創生への視点−
2月23日 第10回調査研究部会
*と き:14:30 ∼ 17:00
3月9日 第9回市民講座部会
ところ:長岡グランドホテル
(悠久の間)
3月15日 第12回地域連携部会
主 催:当地域連携研究センター
2016年
後 援:長岡市、長岡商工会議所、財
4月26日 第1回地域連携研究センター運営委員会
団法人にいがた産業創造機構、
5月3日 第1回市民公開講座部会
NPO法人長岡産業活性化協会
5月10日 第1回地域連携部会
NAZE、北越銀行
5月20日 第1回調査研究部会
5月24日 第2回地域連携研究センター運営委員会
★基調報告
「人口減少時代と長岡地域活
6月7日 第2回市民講座部会
性化の方向」
6月10日 第2回調査研究部会
鯉江 康正
★パネルディスカッション
6月14日 第2回地域連携部会
<パネリスト>
6月21日 第3回地域連携研究センター運営委員会
大森木工株式会社代表取締役
7月5日 第3回市民講座部会
7月12日 第3回地域連携部会
大森 政尚 氏
7月13日 第3回調査研究部会
株式会社umariプロデューサー
7月19日 第4回地域連携研究センター運営委員会
栗原 里奈 氏
9月6日 第4回市民講座部会
株式会社北越銀行コンサルティング
9月13日 第4回地域連携部会
営業部副部長
9月16日 第4回調査研究部会
小柳 徹 氏
9月20日 第5回地域連携研究センター運営委員会
長岡商工会議所事務局次長
10月4日 第5回市民講座部会
長谷川和明 氏
10月12日 第5回調査研究部会
長岡市市長政策室政策企画課課長
10月18日 第5回地域連携部会
中村 英樹 氏
10月25日 第6回地域連携研究センター運営委員会
長岡大学教授
鯉江 康正
<コーディネーター>
原田 誠司
156
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
長岡大学地域連携研究センター規程
(趣旨)
(研究・調査)
第1条 この規程は、長岡大学学則第5条第2項の規
第5条 第3条第2項に定める自主研究・調査は、個
定に基づき、長岡大学地域連携研究センター
人研究・調査と共同研究・調査の双方を含
(以下「センター」という。)について、必
み、責任者を明確にして、推進する。
要な事項を定める。
(経費)
(目的)
第6条 第3条の事業推進に係わる必要経費は、毎年
第2条 センターは、長岡大学(以下「本学」という。)
度のセンター予算に則って、支出する。
学内教育研究施設として、地域との連携活動
(組織)
を通して、地域ニーズに応える若者人材の育
成、地域社会の諸課題の調査研究の推進とそ
第7条 センターに次の職員を置く。
の成果の地域への還元、本学の知的資産の活
一 所長
用による学習機会の提供を行うとともに、地
二 総括マネジャー
域活性化に取組むことにより、本学の「地域
三 コーディネーター
に役立つ大学」づくりを推進することを目的
四 研究員
とする。
五 事務職員
2 所長は、本学学長とする。
(事業)
3 総括マネジャー以下の職員は、学長が毎年度事業
第3条 センターは、前条の目的を達成するために次
を踏まえて、年度当初に指名する。
の事業を行う。
4 総括マネジャーは、センター事業全般の円滑な推
一 学生の地域課題への取組みや地域活動への参
進を図る。
加等の支援・推進
5 コーディネーターは専門性を有する外部有識者を
二 地域課題解決にかかわる自主研究・調査およ
当て、その専門性を活かして、担当各事業の充実、
び受託研究・調査
進化を図る。
三 地域関連資料・データの収集・整理
6 研究員は、第3条第2項に定める調査・研究を担
四 公開講座、セミナー、研究会、講演会、シン
う本学教員を当てる。
ポジウム等の開催
7 事務職員は、センターの事務全般を担う。
五 事業診断活動および専門人材の研修活動
8 上記職員の任期は1年とし、再任を妨げない。
六 地域活性化諸活動の支援・推進
(客員研究員)
七 『地域連携研究』の刊行、研究成果の公表
第8条 前条第1項に定める職員の他、センターの調
八 その他一から七に関連する一切の事業
査・研究活動の展開の際に、学外の専門家等
(事業計画)
を客員研究員として委嘱することができる。
第4条 前条に定める諸事業は、年度ごとに、計画−
2 客員研究員については、別に定める。
実施−点検−改善(いわゆるPDCA)のサ
(運営)
イクルで推進し、事業の成果と課題を明確に
第9条 所長はセンターの業務を統括する。総括マネ
し、次年度計画へと発展させる。
ジャーはこれを補佐するため、運営委員会を
組織し、運営委員長として、業務の推進を図る。
157
長岡大学 地域連携研究センター年報 第3号(2016年11月)
2 運営委員会を構成する運営委員は、毎事業年度当
初に、所長が委嘱する各事業の責任者を当て、毎月、
事業計画の進捗を点検し、円滑な事業推進を図る。
3 各事業の推進に当たり、複数以上のメンバーの協
働が必要な事業においては、各事業の責任者は運営
部会を設けることができる。
(雑則)
第10条 この規程に定めるもののほか、センターに関
する必要事項については、学長が別に定める。
附 則
この規程は、平成25年10月1日から施行する。
158
「地域連携研究」執筆要領
2016年9月
1 長岡大学(以下、本学と略)の教職員(非常勤教員含む)は、「地域連携研究」に
投稿することができる。
2 本学教職員以外の者の投稿原稿については、地域連携研究センター調査研究部会に
おいて審査を行い、掲載の可否を決定する。
3 投稿者は原則として、本執筆要領にもとづいて投稿すること。
4 原稿量は次の通りとする(1枚あたり40行×40字、図表を含むと仮定)。
論稿:25枚程度
研究ノート、資料紹介、その他:15枚程度
5 原稿は和文とする。
6 原稿はWord等テキスト(10.5ポイント)ファイルで、入稿する。
7 著者校正は、初稿1回のみとする。
8 抜刷50部を著者に進呈する。これを越える場合の費用は自己負担とする。
9 「地域連携研究」掲載原稿は、電子データ化してインターネット上で公開する。
編 集 後 記
『長岡大学地域連携研究』第3号を送ります。今号は、昨年11月に開催された地域連
携研究センターシンポジウムの第1部・基調報告と第2部・パネルディスカッション
を特集しました。テーマは、文科省・大学COC事業の地域課題への取組みとして、
「人口減少時代と長岡地域活性化の方向−長岡地方創生への視点−」としました。人
口減少時代の全国自治体の現状把握と施策を整理し、長岡地域における方策を検討し
ました。特集以外の論稿も、COC事業の成果としての地域志向教育研究論文と個人
研究の成果を掲載しました。
多くの方々にお読みいただければ幸いです。ご意見等もお寄せいただきたいと思い
ます。
(編集責任者:原田誠司)
地域連携研究 第3号<通巻26号>
定価(本体1,000円 + 税)
発 行 年 月 日
平成28年11月15日
編 集 ・ 発 行
長岡大学地域連携研究センターⒸ
〒940−0828 新潟県長岡市御山町80‐8
電 話 0258(39)1600㈹
FAX 0258(39)9566
印 刷
株式会社中央印刷
〒940−0041 新潟県長岡市学校町1−9−21
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