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庭の小屋のドア

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庭の小屋のドア
飯豊連峰縦走
期日:2015 年 9 月 18 日(火)~9 月 22 日(金)
メンバー:A(L)、川久保(記録)
コース:飯豊連峰の最南の弥平四郎登山口から飯豊山、北股岳、杁差岳を経由して最北の大石ダム
登山口まで縦走した後、越後下関駅まで徒歩。
山行内容(概略)
:
(注:かっこ内の数字は海抜)
2015 年 9 月 18 日(火)曇り
新宿南口(代々木)23:21==(JR 高速バス)⇒
2015 年 9 月 19 日(水)霧雨
⇒5:11 会津若松駅 5:31==(JR 磐越西線)==6:18 野沢 6:20==(西会津タクシー)==7:12 弥平四郎登山
口(690m)7:32・・・8:05 祓川山荘(760m)8:14・・・10:59 疣岩分岐(1581m)・・・12:10 三国岳避難小屋
(1644m)・・・12:51 七森(1710m)・・・13:22 種蒔山(1791m)・・・13:39 切合小屋(1746m)、16:00 夕食作り
開始、18:00 就寝
2015 年 9 月 20 日(木)雨が降ったり止んだり、15 時頃から晴れ
3:00 起床、朝食、切合小屋(1746m)4:43・・・5:25 草履塚(1908m)・・・5:43 御秘所(1850m)・・・6:00 御前
坂(1910m)・・・6:34 本山小屋(2102m)・・・7:05 飯豊山頂(2105.1m) ・・・7:42 玄山道分岐(1964m)・・・8:29
御西岳(2013m)・・・8:36 御西小屋(1989m)9:11・・・10:30 大日岳(2128m)10:54・・・11:51 御西小屋
(1989m) 、17:20 夕食作り開始、18:30 就寝
2015 年 9 月 21 日(金)晴れ
3:00 起床、御西小屋(1989m)4:31・・・5:23 天狗の庭(1842m)・・・6:01 御手洗ノ池(1856m)・・・7:08 烏帽
子岳(2018m)・・・7:40 梅花皮岳(2006m)・・・8:01 梅花皮小屋(1856m)8:11・・・8:39 北股岳
(2025m)8:45・・・9:30 門内岳(門内岳避難小屋)(1887m) 9:53・・・10:17 扇ノ地紙(1889m)・・・10:40 地
神山頂(1850m) ・・・10:52 地紙北峰(1792m)・・・11:22 頼母木山(1722m)・・・11:35 頼母木小屋
(1626m)11:54・・・12:21 大石山(1562m) ・・・12:57 鉾立峰(1573m)・・・13:32 杁差小屋(1607m) 、16:00
夕食、18:00 就寝
2015 年 9 月 22 日(金)晴れ
3:30 起床、杁差小屋(1607m)5:00・・・5:02 杁差岳(1636m) ・・・5:28 ご来光・・・5:39 前杁差岳
(1534m)・・・6:15 千本槍(1164m)・・・6:40 権内ノ峰(1003m)・・・7:08 カモス頭(847m)・・・7:47 2 号橋
(342m)・・・8:22 1 号橋(291m)・・・9:44 林道ゲート(196m)・・・10:29 大石ダム管理支所(184m)・・・11:23
安角小学校前バス停(73m)・・・12:30 雲母温泉公衆浴場(37m)13:13・・・13:35 越後下関駅
(34m)13:47==(JR 米坂線)==15:35 米沢駅 15:40, 16:23==(つばさ 146 号, 148 号)==17:48, 18:36 東
京
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行動記録:
2015 年 9 月 18 日(火)曇り
今まで東京から地方にバスで行く時、東京駅や品川駅付近から乗った事はあるが、新宿南口
(代々木)から乗った事はなかった。シルバーウィークという大型連休の前日の夜とあってバス待合
所には大勢の客がいた。我々のバスは 23 時に出る予定であったが、安保反対の国会周辺のデモに
よる渋滞で予定より 20 分程遅れて出発した。
2015 年 9 月 19 日(水)曇り
バスが会津若松駅に着く予定時刻は 5 時 20 分であり、JR 会津若松駅から野沢駅に行く電車は 5
時 31 分に出発するので乗り換え時間がわずか 11 分である。既に新宿からの出発が 20 分も遅れて
いるので間に合うか心配であったが、会津若松にバスが早く着き過ぎないよう待機時間がタップリ
取ってあったらしく逆に予定時刻より 10 分ばかり早く着いた。電車にはかなりの数の登山客が乗
っていたが、大半は川入登山口から飯豊に登るのか野沢駅の手前の山都駅で下りた。
野沢駅の出口に A さんが予約していたタクシーの運転手が待っていた。30 歳台の男女 2 人との
相乗りとの事でこちらはタクシー代が半額になって助かった。弥平四郎登山口まで 1 万円を少し切
るくらいであったが、運転手さんの感じが良かったので相乗り客とそれぞれ 5,000 円ずつ支払っ
た。彼らは大石山まで縦走して奥胎内に下りるとの事。
林道のかなり奥に弥平四郎の部落があり、かなりの家が廃屋であるが未だ数戸に人が住んでい
る。ここから道は舗装が無くなり狭い林道となる。登山口には既に 30 台程の車が駐車していて満
車となっていた。我々が出発準備をしている間も 2 パーティー程が出発したが、どのパーティーも
祓川山荘を経由する「新長坂ルート」を通らず「上の越ルート」の方に行く。昭文社の地図による
と 2 つのルートが出会う疣岩山まで「上の越ルート」の方が「新長坂ルート」より 30 分短い。地
図では破線になっていて少し難コースのように見えるが現場の案内板には何の注意もなかったので
近頃は整備されたのであろう。一緒のタクシーに乗って来た男女の客も「上の越ルート」を取って
いた。
我々は祓川山荘を見たいので最初の予定通り「新長坂ルート」を行く。祓川山荘は結構大きな民
宿風の家であり、中も未だ清潔ではあったがあまり利用されていない感じであった。床にはゴザが
敷かれ調理室もあった。かってはパイプで水が引かれていたようだが今は流れていない。しかし、
夜に弥平四郎登山口の駐車場で窮屈な思いをして車で寝るよりはちょっとここまで歩いて来て寝た
方が良いように思える。
8 時 50 分頃雨が降って来たので雨具を着ける。
疣岩山までは急な坂を登る。この分岐点で丁度上の
越ルートを登って来た若い男性 3 人組と会った。彼
らは我々が出発する直前に登り始めたパーティーで
ある。彼らより 30 分長いコースを彼らと同じ時間
で登るとは我々のスピードも捨てたものではない。
この日は結局追い越される事はなく、逆に 7 パーテ
ィー程度を追い越した。ここから先は稜線をゆるや
かに登って行く。この辺りには葉っぱが赤や黄色に
色づいており、笹の緑と交じり合って美しい。その
祓川山荘
内日が差してきたが再び雨がパラついて来た。
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三国岳避難小屋は 2 階建ての大きな小屋であった。小屋の中を覗いたら先ほど疣岩山分岐で出会
った若者たちを入れて 10 名ほどが雨宿りを兼ねて食事を取っていた。外気温は 16℃であり、風が
無いと歩いていて少し暑い。
我々は休まず切合小屋に向かった。小さなピークを幾つか越えて 13 時半頃小屋に着いた。小屋
は既にかなり多くの人が入っていて受付では宿泊申し込みをする人達が並んでいた。素泊まりで 1
人 2,500 円である。頼めば食事も出してくれるようだ。我々は 1 階の隅にスペースをもらえ、すぐ
マットと寝袋を広げて場所を確保した。夏山で最大関心事である水は小屋の広場にホースで水が引
いてあり常に水が流れている状態であった。
昨日はバスの座席でウトウトとしたくらいであるから睡眠時間を補充するため早速昼寝をする。
16 時になり夕食準備開始。この小屋の自炊室は入口の横に作られた 仮設小屋である。もう既に大
勢の人達が自炊を始めていて我々はようやくスペースをもらって料理を始めた。今日のメニューは
A さん得意の茄子とピーマンの味噌炒めである。最初見た時は茄子とピーマンが多すぎるように感
じたが食べてみると美味しいのでスルスルと全部腹に納まった。この間、あるグループの人がコッ
フェルをひっくり返し熱湯が他のグループの女性の足にかかって急遽冷水で冷やすというハプニン
グがあったが、このように混みあった場所での炊事は自分達が鍋をひっくり返さないように注意す
るのはもちろんの事、他人の鍋も注意しなくてはならないと思った。
小屋は益々混んできて遅く到着した人は小屋に入りきれずこの自炊室で寝た人もいた。小屋の横
のテント場も大賑わいであった。
切合小屋の水場
切合小屋の自炊場
2015 年 9 月 20 日(木)雨が降ったり止んだり、15 時頃から晴れ
朝 3 時に起き、自炊室に行くと寝袋で寝ている人、テントを張って寝ている人などいたので出来
る限り音を立てないように注意して朝食を作る。今朝は僕の鮭雑炊とサンマの蒲焼きの缶詰とキム
チである。お湯を沸かして注げば良いから調理はすぐ済んだがそれでも出発まで 1 時間半もかかっ
た。暗い中をヘッドライトの灯りで進むが道がはっきりしているので有難い。
飯豊の本山小屋の水場は 6,7 分手前に水場の印があった。100m 程行った所らしいが我々は水を
タップリと持っているので今は不要である。小屋は立派であるが少し小ぶりである。丁度小屋の主
人が入口で仕事をしていたが、僕が A さんと切合(キリアイ)小屋の話しをしていたら「キリアワ
セ」と言うのだと注意してくれた。日本語の漢字読みは変幻自在であるので難しい。この人は何事
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にも厳しいようで、A さんのストックの先端にキ
ャップが被さっていないのを目ざとく見つけて注
意があった。ここには飯豊山神社が祀られてお
り、プレハブ小屋の中に立派な神棚があった。こ
れからの旅の無事を願って参拝する。
外気温は 9℃である。7 時 5 分日本 100 名山の
ひとつ、飯豊山に着いた。頂上には 2 人の若い女
性が先行していて A さんと僕二人の一緒の写真を
撮ってもらう。彼女たちは今日梅花皮小屋まで行
くとの事。風がかなり強く寒いので道から少し離
れて灌木が茂って風よけになっている所で雨具の
飯豊連峰本山小屋
下に服を着込んでいたら空身の人が通りかかり、
道から外れないようにと厳重に注意を受ける。この辺りはなかなかマナーに厳しい。晴れたらさぞ
気持ちの良い稜線の道だろうと思うが今はガスと
霧雨で何も見えない。
8 時 36 分に御西小屋に着いた。これから大日岳
に空身で往復し、その後梅花皮小屋まで行く事も
十分可能なのでかなり迷ったが、今日はものすご
く小屋が混むだろうから早めに場所を確保してお
いた方が良かろうとこの小屋に泊まる事にした。
流石にこんなに早く宿を申し込む人もいず我々が
宿泊第 1 号であった。2 階に行き、小屋補強用の
筋交い(✕印の形)の柱と屋根の間に 1.3 人分の長
細いスペースがあり、そこは横から侵略される恐
れが無いのでその場所にマットと寝袋を敷く。
飯豊山頂上
御西小屋
御西小屋のわれわれが確保したスペース
天気は相変わらず霧雨だが早いところ大日岳に登っておこうと空身で出発した。僕はこの時の為
にわざわざモンベルで買った非常にコンパクトで軽いナップサックに食料、水、防寒具を入れて行
く。この辺りの草原には良く見受けられるが、緑色の熊笹の勢力圏と黄褐色の稲によく似た形だが
穂が無い植物が張り合っている。この勢力図は高度差によるものかと思ったが顕著な差はなく、い
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ったい何が原因で決まるのだろう。緑の笹に混じ
ったナナカマドの赤い実が殊に鮮やかである。大
日岳に着いても殆ど周囲の視界もなく、風が強い
ので少しピークから下がった所で休んで食事をし
ていたらトレールランの格好をしたスラリとした
若者が我々の近くで休み、ガスボンベでラーメン
を作り出した。どこから来たのか聞いたら今朝 4
時半に弥平四郎登山口を出発したとの事。昨日と
今日の我々の歩いた距離を今朝我々と同じ時間に
出発して同じ時刻に着くとは!何という驚異的な
スピードなのだろう。彼は今から弥平四郎登山口
に引き返し、今度は車で越後駒ヶ岳に向かうとの
事。我々の登山スピードも捨てたものではないと
いう自負が一度に凹んでしまった。ここから南方
に湯の島小屋まで下るオンベ松尾根は「取り付き
のアシ沢で登山道が崩壊し、架橋もされていない
ので下山しないように」との注意ポスターが小屋
に貼ってあった。
未だラーメンを食べていた若者を残して大日岳
から引き返したが途中で彼にアッサリと抜かれて
しまった。12 時前に小屋に帰ったら泊り客で大賑
わいであった。小屋から 1.8 リットル入りのペッ
トボトルを 2 本借り、水場に行く。小屋から 7,8
超高速スピードのトレールランナー
分程トラバース気味に下った所に斜面に埋められ
ている鉄パイプから水が出ていた。順番待ちの行列が出来ている。小屋に戻ったら後は夕食まで何
もする事も無いので寝袋に入って昼寝をする。
15 時前にようやく天気が回復モードになったらしく青空がどんどん出てきた。A さんは「飯豊山
の方に行って写真を撮って来る」と言って出て行った。僕は出て行くのも面倒で寝袋に入ったまま
ゴロゴロしていた。ところが夕食準備を始める 16 時になっても帰って来ない。次第に心配になっ
御西小屋の水場
天気回復後の飯豊山方面の稜線
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て来る。事故に遭う確率は少ないがそれでも事故の可能性があるのが山である。全くの手ぶらで行
ったのでもし何かが起これば対処のしようが無い。17 時まで待ったが帰って来ないので暗くなって
から行動を起こすよりも今から始めた方が良いと小屋の主人に相談に行った。主人は早速対応して
くれテント場に行って先ほど飯豊山方向から来た登山客に該当の人がいなかったか聞いてくれ始め
た。丁度その時飯豊山の方から到着した単独の登山者に聞いたら「その人は自分の後から来ていた
のですぐ来る筈」との事。半分不安が納まったが彼の顔を見るまでは安心出来ないと道の前方を見
ていると A さんの姿が見え心底ホッとした。僕は父の遺伝子を引き継いだのかえらく心配性であ
る。こういう事態になると色々悪い方向へ妄想が広がってしまう。
今日の夕食は僕の担当でハヤシライスとキムチである。調理は自分が寝るために確保している場
所に小屋から貸してくれる厚いお盆を敷き、その上でガスバーナを燃やすようになっている。アル
ファー米にお湯を入れ、ハヤシライスを湯煎したら出来上がり。昔と違って食材が軽く、コンパク
トに手軽に調理できるようになった。しかも美味し
い。
御西小屋は飯豊山方面から来る人と北股岳方面か
ら来る人の便利の良い宿泊地に当たり、ものすごい
混みようである。小屋に泊まりきれない人は小屋か
ら貸し出すテントや小屋のドアの内側の土間に寝る
のは良い方で、小屋の壁に沿って垂れ下げたブルー
シートを屋根代わりにした人、最も大変なのは小屋
のドアの外側のタタキに寝袋をビニールで覆って寝
ている人もいた。我々は例の筋交いに守られてゆっ
くりと寝る事が出来た。
御西小屋テント場
2015 年 9 月 21 日(金)晴れ
朝 1 時頃トイレの為外に出たら天空は一面の星空で、僕の知っている唯一の星座「オリオン」
が美しく輝いていた。3 時に我々より早く起きたパーティーは今日大日杉小屋まで下るので 4 時出
発するという女性パーティーくらいで他は誰も起きていない。2 階に寝ている多くの人達の迷惑に
なるようで悪いが山の早立ちは許してもらえるだろうからとガスバーナの音を立てながらお湯を沸
かす。今日は A さん担当のラーメンである。昨日と同様 1 時間半で出発出来た。昨日大日岳からの
帰りに梅花皮岳方面に行くつもりが間違って大日岳方面に来てしまったという単独女性登山者に会
ったので我々は間違えずに行こうと思って GPS を確認して歩き出す。ライトの電池が少なくなって
いるせいか、光量が弱くなり少し歩きづらい。その内、道が道らしくなくなった。どうやら間違っ
たらしい。GPS を見ると方向は悪くないが道では無い所を歩いているようだ。A さんと手分けして
道を探すと A さんが正規の道を見つけてくれた。よく地図を見るとルートは尾根のすぐ近くにある
のに我々は沢の方に入り込んでいた事が分かった。明るければ尾根に道がハッキリついていて間違
えようも無いが暗くてライトの灯りだけではよほど注意しないとこのような間違いが起きる。5 時
過ぎには明るくなり周りがハッキリ見え出した。5 時半頃天狗の庭を過ぎた辺りでご来光を見るが
場所が悪く良い写真は撮れなかった。
急な登りも下りも無く、暑くも寒くも無く、昨日までの雨の山行の苦労を帳消しにするような
気持ちの良い尾根道である。北股岳方向から来る登山者に大勢会う。遥か下に桧山沢が見える。未
だタップリと雪渓が残っておりこれは冬まで消えずに残るであろう。毎年このような状態が続いた
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ら氷河と言えるのかも知れない。
烏帽子岳から梅花皮小屋が間近に見えて来た。振
り返ると遥か離れた所に御西小屋が見える。たった
2 時間半でよくぞこんなに距離を稼いだものだ。
梅花皮小屋は 2 階建ての結構大きな小屋である。
水平に 30m 程行った場所に大きな水槽が設置されて
いて大きなゴムパイプから水が勢い良くほとばし
り出ていた。小屋の中はもう登山者は皆出発したよ
うで誰もいず新しく清潔な室内が見えた。
ここからも快調に飛ばして門内岳に着いた。頂上
には遠くからでも良く見える赤い社がある。ここか
桧山沢の雪渓
ら少し下りると門内小屋であった。ここはバイオの
トイレがあり、用を済ませたら自転車のペダルを踏んで発電し、バイオの発酵を促すようなシステ
ムになっているらしい。体験してみたかったが生憎と催していないので自転車の写真を撮るだけに
した。小屋は今までの小屋に比べると古く小作りである。横にセメントで固めたトーチカのような
小屋があり、これが初期の小屋のようだ。管理人が常駐していて維持管理費として 1,500 円を払わ
ねばならない。
門内岳の社
門内小屋
ここで少し食事をして出発。扇の地紙を分岐とする梶川尾根、地神山北峰を分岐とする丸森尾根
をそれぞれ経由して飯豊温泉から登って来た登山者にも数人会う。地神山北峰で休んでいると今朝
6 時に御西小屋を出てきたという若者に追いつかれた。彼は昨日弥平四郎登山口を出発したとの事
でここまで来るのに我々より 1 日分行程が少ない。大日岳に登っていないとは言えやはり若者の登
山スピードは速いものだ。
頼母木山に登ると赤い屋根の頼母木小屋が見えてきた。ずっと離れた杁差岳の手前に杁差小屋も
見える。頼母木小屋では外に流しがあり大きなゴムパイプから水が勢い良く出ている。遠くの清水
からパイプを導き、パイプの中を一旦真空にして水を流し出したら後は空気の圧力により水を汲に
上げているとの事。なるほど、この方法なら動力を使ったポンプは要らない訳だ。小屋の中は少し古
そうだが清潔そうであった。
当初の予定ではここに泊まる筈であったが、未だ 11 時半過ぎだし、今日杁差小屋まで行けば明日
の行程が楽になるので頑張って行こうという事になる。ここから杁差岳を眺めると途中の大石山は
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高低差が少なく大した苦労も無いようだが、その後正に名前のように鉾を突き出している感じの鉾
立山を越え、一旦少し下った後杁差岳に登り返さねばならない。
頼母木小屋
頼母木小屋の水場
しかし、登りだして見ると大石山の下りも鉾
立山の下りもそれ程深く無く、ちょっと鉾立峰
の急な登りに汗をかいただけで 13 時半に杁差岳
避難小屋に着いた。件の若者は我々より少し前
に着いて小屋の前にテントを張っている。我々
は小屋の中に入ると 1 階は誰もいなかったが、2
階には既に 5 人くらいの人がいた。昨日の経験
で小屋の中がどんなに混んで来ても筋交いと屋
根の間の空間が一番スペースが確保できると分
かり、そのような場所を探すと運良く空いてい
大石山から鉾立峰、右方に杁差岳
た。早速マットと寝袋を敷き場所を確保する。
我々は頼母木小屋でも 2 個のプラティパス、ペ
ットボトル 2 本、テルモス 1 本分の水を確保し
て持って来たので必ずしも水の必要は無かった
が、この小屋の水場がどこにあるか興味があっ
たのでプラティパス 1 本とペットボトル 1 本の
水をコッフェルや食器に移し水を汲みに行っ
た。小屋のトイレの横に「水場」の新しい立て札
があり、立派な道が沢方向に降りている。我々の
前に件の若者が降りている。急な道を 5 分程降
りて行くと細い沢が現れ石床が出てきた。直径
2m 程の池がありその下で件の若者が水を汲んで
いる。彼が汲んでいる水はその池の水の溢れ水
杁差岳避難小屋
かと思ったら、池のすぐ下に清水があり、そこか
ら水が出ているらしい。水量は少ないのでなかなか満タンにならない。この場所には赤テープが結
び付けられており水場である事が明確であるが、注意力散漫な僕はその水場があまりにも水量が少
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ないため若者が水を汲んでいなかったら危うく見過
ごすところであった。晩秋になったらこの水場は枯
れてしまうかもしれない。帰りは登りなので 9 分か
かってしまった。その脚で杁差岳に登る。明朝は太
陽の出る前にここを通過するので今日の明るい内に
頂上に達し、日本 200 名山のひとつに登ったという
証拠写真を撮る。
ちょっと一寝入りすると 16 時の夕食準備タイム
となった。今日は僕の担当でアマノフーズの親子丼
とキムチである。オカズが少し少なかったと反省し
ていると A さんがアマノフーズのしじみ味噌汁を出
杁差岳での記念写真
してくれた。夕食が終わるともう寝るだけである。
トイレに行ったら見事な夕焼けであった。新潟港の高い煙突、遠くには佐渡ヶ島も見える。佐渡ヶ島
は 1,003m の金北山を最高峰として山脈が連なっている。夕日の落ちる右手にはうっすらと縦に出来
ている虹も見える。うろこ雲が夕日に染まり、その下に紅葉の着物に覆われた飯豊連峰があり豪華
な景色であった。近くにいる人が「今まで何回も飯豊に来たがこんなに美しい夕焼けは初めて」と言
っていたが、45 年位前に飯豊に来てこれで 2 回目の僕にとっては実にラッキーであった。
避難小屋のテント場から夕焼けを望む
佐渡ヶ島方面の夕焼け
2015 年 9 月 22 日(金)晴れ
昨日予定以上に来たから今日は少しゆっくりし
ようと起床を 30 分遅らせて 3 時半に起きた。同じ
時刻から朝食を作り始める人もいた。A さん担当の
鮭雑炊で魚の甘辛煮も付いている。5 時に出発し、
数分で杁差岳に着いた。5 時 28 分前杁差岳の鞍部
で美しいご来光を見た。今日は場所も良く美しい写
真が撮れた。 道は大した登り返しも無く順調に高
度を下げていく。途中で例の若者に追いつかれた。
彼の出発時刻を聞くと多分我々の歩行スピードの
遅さを思い知らされるからわざと聞かなかった。そ
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前杁差岳鞍部での御来光
の内に後ろから熊よけの鈴が聞こえて来て 65 歳くらいの単独行のオジサンから追いぬかれた。彼は
年配者にしてはストックも持たず、着実な足取りで我々を追い抜いて行った。カモス頭から尾根は
北東に方向を変え急に下り始める。ここから東俣川まで高度差 500m を一気に下る。途中で急にスピ
ードが落ちている例の若者を追い抜いた。膝がガクガクしているので少し休むとの事。若者でもス
トックが無ければこの下りはつらいのだろう。この若者には僕達が休んでいる時に再び抜かれ、そ
の後僕達が追いつく事は無かった。
2 号橋を渡ると今までのブナ林から広い沢筋に典型的な植生に変わる。勾配はグッと緩くなった
が所々泥濘んでいて歩きにくい。
東俣川に三吉ノ沢が合流する場所に 1 号橋が架
かっているが、ここから広い林道になった。もう事
故に遭う心配もないユックリとした下り道をリラッ
クスして歩いて行く。途中、これから杁差岳小屋に
行くという熟年夫婦パーティーや単独の青年と会っ
た。9 時頃であったので我々が杁差小屋からここま
で 4 時間、登りは 2 倍の時間がかかるとすると 8 時
間となり、17 時頃杁差小屋に着く勘定となる。彼ら
の無事を祈るばかりである。あと一組軽装の熟年夫
婦に会ったが、彼らは上流の様子を見に行くだけの
ハイカーであった。
大石ダム手前の 1 号橋
1 号橋までは未舗装ながら立派な林道があったの
でタクシーが来てくれないかなと思ったら国土地理
院の地図で「659」という番号(何の意味か不明?)
の付いている高度 210m の場所(東俣川に北東から
沢が入って来ている場所)にゲートがあり、ここか
らは一般車は入れないようになっていた。ゲートの
前の駐車場には 3 台の車が止まっている。先ほど会
った登山者もここまでタクシーで来たのであろう。
JR 越後下関駅から 3,800 円との事であった。ようや
く大石ダム管理支所に着いた。このダムの説明看板
によると「このダムは昭和 42 年 8 月の羽越水害を
契機に昭和 45 年に工事が着工され昭和 53 年に完成
大石ダム
した」との事であった。バス停らしきものは無いの
で車でダムの観光客の車にヒッチしようかと思ったが、3 泊 4 日の山旅、しかも身体も服もリュック
も雨に濡れて独特の臭いを発散しているのを思うと自粛せざるを得なくなり、自分の足で歩くかタ
クシーを呼ぶかの判断となった。当初の予定ではこのダムに着くのが 15 時頃だったのに 10 時半に
着いたので歩こうという事となり、舗装道路をテクテクと歩き出す。このダムの近くには広々とし
た遊園地やレストランがあり新潟県民の憩いの場所となっているらしい。ここから我々が入浴しよ
うと思っている雲母(キララ)温泉までは 6km の標識が建っていた。大石のバス停は分からなかっ
たが安角のバス停は見つかった。下関駅まで 1 日 4 本走っているが土・日・祝日は運休との事。こ
こには立派な小学校があったがグラウンドには草が生えていて使われている気配が無い。どうやら
廃校のようだ。
(帰宅してネットで調べてみると 2010 年 3 月 3 日に閉校式があったようだ。
)素晴ら
10 / 18
しい自然に囲まれ、広々したグラウンド、立派な水泳プールを備えた 2 階建ての鉄筋コンクリート
の校舎が今や全く使われていないとは実にもったいないがこのような光景は今や日本各地どこでも
見られるものである。
ようやく雲母温泉街に着いた。大きな温泉施設があるかと思いきや何も目立った建物は無い。レ
ストランの店員に聞いたら「その辺りの旅館に頼んだら入浴させてもらえる筈」との事。最初の旅館
は 12 時から 15 時まで掃除の為入浴不可の張り紙、次の旅館に聞いたら受付の女性が内に引っ込ん
で 10 分ばかり相談していたが掃除中との事でやはり断られた。ところが断りの最後の言葉に「あと
2 軒先に行けば公衆浴場があるのでそこに行けば如
何ですか?」との事。それなら最初からそう言って
くれれば良かったのに。確かに近くに小さな平屋が
あり、戸を開けると「上関共同浴場利用組合」で管
理している浴場で入浴料 100 円(大人も子供も同
額)を備え付けの箱に入れるようになっている。1
坪程の脱衣所があり温泉の湯と水が出る蛇口が一
対あり、2 人程浸かれる湯壷があった。一人の若者
が入っていて地元の人かと聞いたら旅行者との事。
石鹸が無いので汚れた身体を湯壷のお湯でしっか
り洗い、髪は蛇口から水を流して洗い、ユックリと
お湯に入った。
雲母温泉上関共同浴場
T シャツと短パンツ、ゴム草履というサッパリした格好で越後下関駅まで歩く。米沢行きの列車
の時刻が分からないので気が気で無いが、急ぐと汗をかき体臭が出てくると困るので急ぐ事も出来
ない。20 分歩いてようやく駅に着くと僅か 12 分後に列車があった。米沢行きは日に 5 本しか無く、
この列車を逃したら次は 3 時間半後しか無く、危ないところであった。列車を待っていると例の若
者がやって来た。彼は駅の近くの道の駅に併設された公衆浴場に入ったとの事。話していると以前
東北大学の山岳部だったそうで清渓小屋の話しが話題となった。彼は冬に小屋を使った事は無かっ
たが秋に薪運びのボッカをやらされたとの事。僕達はあの巨大な薪ストーブを使わせて頂いたので
何時か薪運びの手伝いに行かねばならぬと思っていたが、ちゃんと実行していたらこの好青年に会
えたかも知れないなと思った。彼は今仙台に住んでいて野沢駅に車を置いているので我々とは逆方
向の列車に乗るとの事であった。
越後下関駅ではジパングクラブの利用が出来ないとの事で、ジパングクラブ員の A さんは米沢駅
で一旦下車して切符を買い直す事になった。僕は米沢駅で乗り換え時間が 5 分しか無い特急に乗る
事にして A さんと米沢駅で別れた。
感想:
リーダーの A さんの周到な計画と用意のおかげでこの山行をスムーズに楽しく終える事が出来ま
した。僕が 25 歳くらいの時に主な食料はパンだけにし、軽装・地下足袋スタイルで飯豊連峰を駆け
抜けたような淡い記憶がありますが、今回は 3 泊 4 日で飯豊連峰の最南端から最北端まで完全縦走
出来た事に非常な達成感を持っています。最初雨がちの天気でしたが後半は好天気となり、天空の
散歩道かと思えるような紅葉の飯豊連峰の長い尾根道を歩けた事は望外の喜びでした。始終私を先
頭にさせて頂き自分の好きなペースで歩かせて頂いた A さんのご配慮に感謝します。
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GPS による行程図(軌跡と高度変化):
第 1 日目 弥平四郎小屋登山口⇒切合小屋
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第 1 日目 弥平四郎小屋登山口⇒切合小屋
第 2 日目 切合小屋⇒御西岳避難小屋⇒大日岳往復
第 2 日目 切合小屋⇒御西岳避難小屋⇒大日岳往復
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第 3 日目 御西岳小屋⇒杁差避難小屋
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第 4 日目 杁差避難小屋⇒(三吉の沢にかかる)1 号橋
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第 4 日目 (三吉の沢にかかる)1 号橋⇒大石ダム
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第 4 日目 大石ダム⇒越後下関駅
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第 4 日目 杁差避難小屋⇒越後下関駅
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