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平成21年度笠間市青年海外派遣レポート
平成21年度 青年海外派遣事業 報告書 < 中 国 > 広東省(深セン市・広州市) 深セン市(特区内)の中心街 平成 21 年 8 月 笠間市 市民活動課 ‐0- 目 次 1.行程図 2.研修生名簿 3.研修スケジュール 4.研修・視察地の報告 (1)職業体験(皮の加工品製作体験学習) (2)工場視察(㈱丸正ほか関連企業3社の工場見学) (3)職業訓練校の日本語教室の生徒との交流会 (4)市街地視察(深セン市、広州市の中心市街地等の視察) 5.テーマ別研修報告 (1)中国の美術について (2)中国の食文化について (3)中国の経済・社会について 6.海外研修見聞記 7.海外派遣事業を実施して ‐1- 1.行程図 (移動手段) 車 飛行機 フェリー 車 笠間市 +++++ 成田空港 ===== 香港空港 ~~~ 福栄港 +++++ 深セン市 (所要時間) (1:30) 成田空港 (4:00) (1:00) 香港空港(フェリー切符売場) ‐2- (0:30) 福栄港 2.研修生名簿 ◆派遣団員: 6名 団 長 副団長 団 員 ( ( ( ( 茨城大学 3年 共立女子大学4年 友部高等学校2年 笠間高等学校3年 清水 篠崎 村田 山口 直樹 ) 碧 ) 有可莉、 八田 真実 ) 美桜、 小林 楓 ) ◆随 行 員: 1名 ( 笠間市 市民活動課 主幹 事前研修 須藤 広州市内 ‐3- 弘 ) 成田空港 3.研修スケジュール ◆概要 日数 月 日 曜日 平成 21 年 1 8 月 17 日 月 (深セン市 泊) 火 (深セン市 泊) 水 (深セン市 泊) 木 (深セン市 泊) 金 (広州市 泊) 土 (広州市 泊) 広州・ナンシン(金具生産工場)へ移動 体験学習・焼き物量産工場訪問(焼き物体験など) 広州市 中心市街地視察 (南越王博物館、野生動物園 など) <テーマ:中国研修のまとめ> 8 月 23 日 7 深セン市 中心市街地視察 (深セン博物館、中国民族文化村など) <テーマ:広州市の歴史探訪> 8 月 22 日 6 職業訓練校などで文化交流 関連企業見学 (公明、松岡地区の生活市場などの見学含む) <テーマ:中国国内の企業を知ろう> 8 月 21 日 5 日本企業の中国工場見学(自衛消防、発電設備等) 体験学習(ベルト製作など) ウェルカムパーティー <テーマ:深セン市の歴史探訪> 8 月 20 日 4 笠間市役所に集合 成田空港→ 香港空港→ 福栄港 深セン(松岡)到着後、ホテルへ 翌日以降の説明後、解散 <テーマ:文化を学び、交流しよう> 8 月 19 日 3 要 <テーマ:海外に拠点を置く日本企業を知ろう> 8 月 18 日 2 摘 日 (深セン市 泊) 深セン(松岡)へ移動 ホテルで研修のまとめ フェアウェルパーティー ホテル→ 福栄港→ 香港空港→ 成田空港 8 8 月 24 日 月 一路、笠間市へ 笠間市役所で解散 ‐4- ◆詳細報告 【1日目〈 8 月 17 日(月) 〉】 5:30~ 7:10 笠間市役所から成田空港へ移動 7:20~ 9:25 出国・搭乗の各種手続き 10:15 成田空港出発 <↓現地時間 日本との時差 -1時間> 13:10 香港空港到着 14:00~15:00 フェリー搭乗手続き 15:00~16:15 香港空港から福栄港へ移動 16:30~17:20 福栄港より宿泊先へ移動 【宝利来大酒店(中国深セン市宝安区松岡鎮楼岡大堂2号)】 18:00~20:30 夕食会 20:30~ 各部屋へ 就寝 [福栄港] [松岡鎮 街並み] 【2日目〈 8 月 18 日(火) 〉】 9:00~ 9:30 ホテルから㈱丸正中国工場(ジェルコ)へ 9:30~10:30 中国及び丸正の概要説明 10:30~11:30 ベルト・革小物の製品ができるまでの説明 11:30~12:00 工場内 1F・3F の見学 12:00~12:40 昼食(ジェルコ社員食堂にて) 12:40~13:30 ホテル近郊の百貨店見学 13:30~14:00 工場内 2F の見学 14:30~16:00 体験学習(皮のダメージ加工、刺繍加工など) 16:00~18:00 ジェルコからホテルへ移動、到着後、周辺散策及び休憩 18:00~21:00 ウエルカムパーティー(香港漁邸) 終了後、ホテルにて解散 [ジェルコ] [事務所での説明] ‐5- [工場内見学] 8 月 19 日(水) 〉】 9:00~10:30 ホテル(松岡鎮)から関連企業(公明鎮)へ 〈約 5km〉 10:30~11:30 深セン市萬金易皮革(有)(小物・箱の工場)の見学 12:00~13:00 公明鎮の中心街で昼食(マクドナルド)及び散策 13:30~15:00 岳陽花木制品[深セン](有)(木製品工場)の見学 15:00~16:00 公明鎮から松岡鎮へ移動及び松岡鎮の市場見学 16:00~17:00 ホテルで休憩 17:00~18:30 夕食(松岡鎮市街地) 18:30~19:30 ホテルから職業訓練校へ移動 19:30~21:00 職業訓練校にて日本語教室の生徒との交流会 22:00 ホテルに戻り就寝 【3日目〈 [小物・箱物の工場] 【4日目〈 [マクドナルド] [ 市 場 ] 8 月 20 日(木) 〉】 9:30~10:30 10:30~11:30 12:00~13:00 13:00~14:00 14:00~14:30 14:30~16:30 17:30~18:30 19:30~20:30 22:00 [ 深セン博物館 ] ホテルから深セン市中心街(経済特区内)へ移動〈約 32km〉 深セン博物館の見学 中国民族村にて昼食 民族村エリアの見学 モンゴル騎馬戦ショーの見学 リトルチャイナエリアの見学 夕食(中国民族村付近のホテルにて) 中国民族村に戻り、ナイトショーの見学 ホテルに戻り就寝 [ 騎馬戦ショー ‐6- ] [ 万里の長城(ミニュチュア) ] 【5日目〈 8 月 21 日(金) 〉】 9:00~12:00 ホテルから西会市(南シン)〈約 135km〉 12:00~13:40 昼食(社長を交えた会食) 14:00~17:00 バックル・セラミック工場の見学 17:30~19:30 夕食(社長を交えた会食) 19:30~21:00 ナンシンから広州市へ移動 〈約 64km〉 21:00 ホテルチェックイン、就寝 【ホテルランドマークカントン(中国広州市海珠広場エリア)】 [ 西会市中心地 【6日目〈 ] [ バックル工場 ] [ セラミック工場 ] 8 月 22 日(土) 〉】 9:15~10:00 10:00~12:00 12:00~13:00 13:00~14:30 14:40~15:50 16:00~17:00 18:30~19:30 19:30~21:00 [ 南越王博物館 ] ホテルから郊外の動物園へ移動 〈約 10km〉 広州香江野生動物園の見学 広州市内へ移動 昼食 西漢南越王博物館の見学 陳氏書院の見学 夕食 周辺散策、ホテル到着後、就寝 [ 野生動物園 ‐7- ] [ 陳氏書院 ] 【7日目〈 8 月 23 日(日) 〉】 9:00~11:30 12:00~14:00 14:30~16:45 17:30~20:00 チェックアウト、広州市から深セン市へ移動〈約 72km〉 昼食及びホテル周辺散策 ジェルコにて研修のまとめ フェアウェルパーティー、ホテル到着後、就寝 [ 研修のまとめ 【8日目〈 ] [ フェアウェルパーティー ] 8 月 24 日(月) 〉】 9:00~ 9:30 ホテルチェックアウト、ジェルコへ移動 9:30~10:00 ジェルコでお礼のあいさつなど 10:00~10:30 福栄港へ移動 10:30~11:30 出国手続き 11:30~12:30 フェリーで香港空港まで移動 13:00~14:15 香港空港での自由時間 14:30~15:30 飛行機の搭乗手続き 15:30 香港空港出発 <↓日本時間 中国との時差 +1時間> 20:30 成田空港到着 20:30~21:00 入国手続き 21:00~22:30 成田空港から笠間市役所へ移動 23:00 笠間市役所着 解散 [ 成田空港にて ‐8- ] 4. 研修・視察地の報告 (1)職業体験(皮の加工品製作体験学習) ベルトやバックルの製作の手伝いをしたが、どの部分の作業をしているのかはよく分か らなかったという意見が多かった。見ていると簡単そうだが、いざやってみると意外と難 しく、作業している人の職人技を感じずにはいられなかった。 「はみ出てしまったところや、 隙間ができてしまったところなどを細かく指摘され、妥協は許されなかった。」という意見 も出た。 [ ダメージ加工 ] [ ベルトの装飾部品 ] [ 刺繍加工 ] (2)工場視察(㈱丸正ほか関連企業3社の工場見学) 工場内がムシムシしていて暑かった。 「管理職で働く人 と、工場内で働いている人とでは、食べるものもトイレ も、住むところも異なっており、格差を感じた。このよ うな格差についてどのように思っているのか、作業員の 方の意見も聞いてみたかった。」という意見も出た。 [ ㈱丸正中国工場 ] [ 深セン市萬金易皮革(有) ] [ 岳陽花木制品[深セン](有) ] (3)職業訓練校の日本語教室の生徒との交流会 ‐9- [ バックル・セラミック工場 ] 中国語が分からなくても、身振り手振りや、漢字を用いることでコミュニケーションが とれた。職業訓練校の人たちは、皆日本語がうまかった。 「中国語が話せるようにもう少し 勉強しておけば良かった。」というような意見もあった。訓練校の人たちは皆、全体的に向 上心があり、とても積極的であるという印象を受けた。 [ 日本語教室内 ] [ 交流会場にて① ] [ 交流会場にて② ] (4)市街地視察(深セン市、広州市の市街地等の視察) 中国国内は、都市部と地方では、極端な違いがあった。都市部は日本の東京と変らない か、それ以上の超高層ビルが立ち並び街並みも非常にきれいに整備されていた。一方、地 方では、ゴミが路上に散乱しているなど雑然とした街並みで、ある意味日本では見られな い光景であった。 [ 松岡鎮のデパート ] [ 市場 ] 5.テーマ別研修報告 [ 深セン市特区内 ] [ 農村地域 ] (1)中国の美術について ‐10- [ 広州市内の繁華街 ] [ 道路工事現場 ] 笠間高等学校三年 山口 美桜 / 小林 楓 ① 始めに 日本の文化の形成は、中国なしでは語れない。漢字、仏教など、今の日本で習慣化され ているものの多くのルーツが中国にある。その中でも中国の美術は日本美術を学ぶ者とし て大変興味深い。この機会に、中国を代表する「水墨画」と「陶磁器」について取り上げ 学び、中国を肌で感じたい、そして「水墨画」と「陶磁器」の歴史の重みに触れてみたい と思う。本やテレビ、文献などの媒体ではない生という視点で歴史の重みを感じていきた いと思う。 ② 契機・ねらい 〈水墨画〉 学校の授業で日本画を専攻していたため、水墨画を描く機会も多かった。中国での水墨 画について知るという事は、中国の人の思想に触れ、その国の現在の様子を知る事になる のでは、と考える。実際日本では、日本画は「日本らしい文化」、つまり国風文化を作り上 げた平安時代に『大和絵』として出現し、その後も日本文化を代表する芸術の一つとして 定着してきた。水墨画も「中国文化」としての歴史を持ち、中国の風土の中で発展を遂げ ながら現代にいたっている。今回、水墨画を調べ、改めて日本画との違いを知り、さらに 授業でもそれらを意識することで、それぞれのもつ特徴、表現の仕方、言い換えればその 国の個性を大切にすることにつながると思う。オリジナリティーも大切だが、それにはま ず本質を理解することが前提である。日本画を制作する人間として、これらを深く知る事 により今後の制作活動にプラスになるであろう。 〈陶磁器〉 陶器の産地である笠間で陶芸を学んでいて、焼き物の起源について調べたことがあり、 その時中国陶器の存在を知り興味を持った。磁器とは、高温で焼成されて吸水性がなく、 叩いた時に金属音を発し、素地が白くて透光性があるという特徴がある。また、焼成温度 によって硬質磁器と軟質磁器に分けられる。農耕の始まりである紀元前一万年頃からの歴 史を持つ中国陶器。それらが文化として発展し、今では国を代表する美術となった。漆器 がjapanと呼ばれることに対し、陶器はchinaと呼ばれている。そのような陶器 についてその国の人たちはどう思っているのか、また日本とはどのような違いがあるか、 文化、価値観の違いについて調べていきたい。 ③ 基本的な考え方 〈水墨画〉 水墨画とは、 「墨」一色で表現される絵画で、墨線だけでなく、墨を面的に使用し、ぼか しで濃淡・明暗を表す。墨絵とも言う。水墨画の歴史は中国で唐代後半に山水画の技法と ‐11- して成立し、宋代には、文人官僚の余技としての、四君子(蘭、竹、菊、梅、の四種を草 木の中の君子として称えた言葉。またそれらすべてを使った図柄、模様。)(蘭松竹梅菊) の水墨画が描かれるようになった。また、禅宗(達磨がインドから中国に伝えて成立した とされる大乗仏教の一派)の普及に伴い、禅宗的故事人物画が水墨で制作された。明代に は花卉、果物、野菜、魚などを描く水墨雑画も描かれた。日本には鎌倉時代に禅とともに 伝わった。日本に伝わった絵画は、 『達磨図』・ 『瓢鮎図』などのように禅の思想を表すもの であったが、徐々に変化を遂げ、風景を描く山水画も描かれるようになった。 〈陶磁器〉 中国全土は日本の26倍だ。陶器はその土地、または時代によって適応した様々な形や 好まれた色などがあるのだろう。中国陶器は、6世紀に入ると青磁が焼かれるようになり、 その流れを受け真っ白の磁器、白磁が現れ、7世紀に入ると華やかな三彩陶が現れた。ま た中国の一般家庭に使われている食器は生活様式に適応しており、その適応した形は日本 と異なるだろう。 ④ 仮説 〈水墨画〉 ア.遠まわしな言い方、相手を気遣い発言を控える日本人と比べて中国人は物事や、自 分の意見をはっきり表現する国民性であると言う。そういった所が、水墨画の作品に も見られるのではないか。 イ.現在の日本においては、さまざまなジャンルの絵画が浸透しているが、水墨画は貴 重な文化という認識はあってもあまり一般的に親しまれていないと思われる。近代化 の進む現代の中国ではどうなのか、水墨画に関しては同じような傾向があるのではな いか。 〈中国陶器〉 ア.日本同様に美術品も、時代によって変化した形、色、工法、描き方、技術、また特 定の時代の陶器が持つ意味があるだろう。 イ.中国でも、器を見て楽しむ文化が存在するのか。あるのだとしたら、誰がどういっ た理由で陶器を購入しているのか。意識を日本と比較し、調べていきたい。 ⑤ 方法 現地に行って、立てた仮説がどこまで合っているかを地元の人と関わり、考え方や表現 の仕方などの違いについて考察したことが、実際に合っているのか、また、市場や工場な どで、仕事に対する取り組み方に国民性が表れているか、日本人と違うところがあるかを 現地に住む日本人に聞き、日本との違いを聞き、それを実際に見てくる。そして、そのよ うなところが、芸術作品にもかかわってくるのかを考え日本に帰って、学んだことを掘り 下げ調べなおし、レポートにまとめたいと思う。 ‐12- ⑥ 内容 〈水墨画〉 深センでは土地の歴史が30年ほどしかない新しい街であり、さらに工業地帯のため、 水墨画について深く知ることはあまり出来なったが、ホテルや飲食店、工芸品店などに飾 ってあったり、売っていたりするのをよく目にすることがあった。絵の様子は、一見 同じ 水墨画だけあり、日本とそう変わらないように見えるが、よく見てみると、線の滑らかさ や色調など多々違いを見つける事が出来た。一番に目立つのが、筆の太さだと思う。よく 聞く事だが、中国の水墨画では太い筆を主に使うようで、線に鋭さがあったように見えた。 その鋭い印象があるせいか、人によってはきつい印象を受けてしまう事もあるのだろう。 もちろん細かい表現の絵もあるのだが、やはり印象は違うものと思えた。一般的になじみ のあるものなのか。という点においては、水墨画は今の日本ではあまり一般的になじみの あるものではなくなってきているが中国ではどのよう意識されているのか。中国では水墨 画発祥の国という事もあり、日本と比べると、水墨画に対しての意識は強いように見えた。 理由として、飲食店や、ホテルなど人の多く集まるところには大きい絵が飾られていたし、 工芸品店には必ず商品として置かれていた。最近では地元の人でも絵を集める人が増えて いるという。広州での研修では公園で水墨画を描く人も見受けられ、一般の人にも趣味と しても王道であるようだ。 〈深セン博物館〉 ・清(1636年―1912年)の時代の陶器 ・雍正帝ときに創始される。皇帝が家臣に与えるものとし て使われ、その後は民間で流行し作られるようになった。 左の陶器は清の時代、国の所有する窯で作られる。陶器上 部の縁が滑らかで、薄くて軽く、内と外で色が違う。 ・鯉が龍を飛び越えている様子が描かれている。鯉が滝を登ると龍にな る「登竜門」という中国の伝承についてなのだろう。この頃の工芸品に よく見られた伝統的な模様である。 ・青灰色の釉薬が使われている。一見簡単な形にも見えるが、風水におけ る八卦紋が描かれている。この陶器色は笠間焼を始め、日本の陶磁器産業 地ではあまりポピュラーな色ではない。 ‐13- 〈南越王博物館〉 ・南越国王の墓から出土した遺構を展示している博物館。その場所は南越国二代目の墳丘 跡である。比較的、最近発見され保存状態が非常に良い。多くの出土品の中で歴史、科 学、芸術的に価値の高いものが多い。 ・出土した器の種類の中で、青銅器が多かった。当時に好まれていたこともあるが青銅器 は鉄と比べ酸化しにくく形が残りやすいという点も大きいだろう。日本は対照的で、青 銅器の時代が短く、漆器が好まれた。 ・出土品には必ずルーツがある日本芸術のルーツが中国にあるように、中国芸術にもルー ツが存在する。南越国王の墓から出土したもののルーツを探ってみると、インカ帝国の 彫刻と酷似していたり、原産地がエジプトであったりと様々な国からもたらされている ものがあった。(中国への伝来方法は、日本を経由している可能性が高い。材料を日本に 持ち込み、完成したものを中国に運んだという説もある。 )そのことから日本文化は、多 くの文化が混じった文化が中国で形となった新たな文化の進化系だと言えるだろう。 〈国民の陶器・美術意識〉 かつて高度経済成長を遂げた日本、現在急成長中の中国では、美術意識について比較を する以前に、根本的な価値観が異なると感じた。 中国では美術品の価値が価格の高低で決まる場合が多いと聞く。水墨画、陶器、置物な どの美術品売り場を見て感じたことは、日本の場合ならば目に見えない価値、作者や年代 などで値段が変わることが多いのに比べ、高そうだと見えるものほど高いということ。ま た、その店の店員の話で、新たな美術品が欲しいと思ったのならば自分が所持している品 を売りに出してしまうことはよくある話と聞いた。好きだから買い、好きだから手元に置 くという感覚がないということだ。そこに、贅沢品を持っていると思われることにステー タスを感じる国民性があるのだろう。 現在中国の学生は、外の暗いうちから家を出て、学校へ行き、深夜に帰宅するといった 日本とは比べ物にならないくらいの詰め込み教育を受けている。英語や数学といった授業 が重視されているため、授業が変更されることは多く教育現場で美術が蔑ろにされている 様子。一方、一人っ子政策のため子供にかける金額は多く、習い事として美術をやる場合 は多い。だが芸術家として育てているわけではない。 大皿の料理を小皿に取り分ける中国、日本の箱膳による食文化からくる一品一品異なる 器を用いる様式とは違いが見られた。日本人は料理に合わせて器を選び楽しむ文化が日本 料理店だけではなく一般家庭にも浸透している。一方中国は機能性を重視し、料理の品そ のものを楽しみ、味が混ざらないよう配慮されている。食事と共に器を楽しむという感覚 ‐14- は特にはないようである。 中華料理店で出てくる皿は真っ白で、そして高確率で縁が欠けているものが多かった。 食器を片付ける際に、卓上にある何枚もの皿を雑にかき集めてトレーの中に落とすように 入れるからだ。そういった理由のため、料理店では高級な皿を使わないという話を聞いた。 また、食事中に自分の取り皿が少しでも汚れると、店員がすぐに新しい皿に交換してくれ る。ホテルでは一度使ったコップは、二度使おうとする前に片付けられて新しいコップを 使うことになる。皿も同様で日本人である私としては勿体ないと感じた。 ⑦ まとめ 〈水墨画〉 中国で水墨画は一般的に親しみがあるのか、絵に国民性は出てくるのか、という点につ いては今回の中国研修では芸術についてあまり触れることはできなかったが、現地の人に 直接話を聞くなどして、とても多くのことを知ることが出来たと思う。絵に国民性は出て くる、と聞いたことがあり私が気になっていたことの一つだが、やはり水墨画でもそれは あるようだ。元々中国と日本では技法も違うこともあり、中国では太い筆でしっかり書い たり、立体感を重視する傾向があるが、それに対して日本の技法は細い筆を使い細かく描 きぼかしをよく使ったりなど、私でも分かるような違いがあった。水墨画というと日本で はあまり一般的になじみのないものだが、中国ではさすがの本場ということもあり、日本 よりも親しみがあるようで、飲食店やホテルに飾ってあるのをよく見かけた。 〈陶磁器〉 正直、陶器の代表国とは言われているが、中国で中国陶器を見ることはないほど人の意 識が薄れているのではないかと思っていた。だが、日本との美術に対する感覚は異なるが 注目されていた。中国では美術品を持つことが金銭的に豊富かという意味合いが日本より も強い。それも日本にはない価値観であり面白い。これから更に発展していく中国は、僅 かな期間で意識をどのように変えていくのかが楽しみだ。 今回の研修では中国の一部しか見ることが出来なかったが、その国に行って見ないと分 からないことなどに沢山出会えたと思う。もし再び中国へ行く機会があれば、今回の研修 と比較し、どのような変化が起こったのかを比較することができる。今回の研修がなけれ ば自分の目ではなく、メディアから与えられる情報だけで満足していただろう。変化に気 付かせてくれたこの研修を生かし、今後はこの研修で得たものを自分の糧に出来るよう 色々なことに挑戦していきたいと思う。 (2)中国の食文化について 共立女子大学4年 ① 食事作法の違い ‐15- 篠崎 碧 〈日本〉 ・椀や小皿を手で持って食べることが許されている。逆にご飯茶碗や味噌汁の椀などを手 で持たずに食べたり、皿に身を乗り出して口が料理を「迎えに行く」ことが無作法とさ れる。 ・多くの場合、複数の皿が同時に食客の前に供される。この場合、一つの皿の料理だけを 食べてその皿を空けてしまうのは無作法とされ、複数の皿の料理を、順番にバランスよ く食べ分けなければならない。 ・出された料理は残さず食べる。この「残さず食べる」という風習は、食べ物の大切さ、 命をいただいているという食べ物に対する感謝の気持ちが込められている。 ・日常的な食事の構成としては、ご飯(白米やその他の穀物を炊いたもの)、汁物、おかず 3 品(主菜 1 品と副菜 2 品)という組み合わせを取り、一汁三菜と言う。 〈中国〉 ・皿を持って食べる行為を「路上生活者ようだ」として忌避されている。 ・回転式の円卓に大皿に盛られたおかずをみんなで取り合う形式。 ・食べ残すことが作法となっている。その理由は、料理を作ってくれた人に「あなたも召 し上がってください」という感謝の意を表すための心遣い。または残さず食べてしまう と「この人はまだ満足していないな」と思われてしまうこともあり、食事終了の意を表 すためと食べきれないほど出すことが、その家の富を表すことにも繋がっていたことが 挙げられる。 [回転式の円卓] [一人分の食器類] ② 広東料理の特徴 広東省は、昔から「食在広州」(食は広州にあり)といわれるほど、食材が豊富で、調理 方法も数多い。食材は、海鮮を中心とし、フカヒレ、ツバメの巣などの高級食材も使用し、 料理の種類がとても多い。「飛ぶものは飛行機以外、四つ足は机以外、泳ぐものは潜水艦以 ‐16- 外」と言われているほどさまざまな物を食材としており、蛇や野生動物などのゲテモノ料 理も特色の一つ。煮物、炒め物と並び、炭炉で焼く料理が多いのも特色。澄んだ色と香り を大切にし、味付けはさっぱりとしている。また、有名な飲茶も広東料理の一種で、ほと んどの店では朝、昼食、夜食の時に食べることができる。 ③ 団員に好評だった料理 [ 揚げパン ] 中国では、朝食でお粥と共に メジャーなもの。お粥に入れ て食べるものもある。これは、 練乳につけて食べる。 [ 茄子料理 ] 日本の茄子と変わらず、食べ やすい。味付けは、日本より も油っぽい。 [ 酢豚 ] 味付けが日本と違い、甘かっ たが、とても美味しかった。 肉は骨付きだった。 [ 蒸し海老 ] 中国ではとてもメジャーな 料理。味付けしてあるものも あった。基本的に殻はついた まま。 [ スイカ・メロン ] 必ずデザートには出てきて いた。トマトは果物とされて いた。 [ ハマグリ ] 広州では、魚介類が多くでた。 特にこの料理はにんにくで 味付けされ美味しかった。 ④ 中国で食べた料理の中で一番驚いたもの。 *日本にはない肉 鳩肉 この鳩は白い種類で食用のものである。 皮はパリパリで美味しい。 中の肉は少し癖があったが、評判が良かった。 ⑤ お茶 ‐17- [ライチ茶] 砂糖を入れなくても、ライチ 本来の甘味で甘く、美味しか った。 [ウーロン茶] 日本で普段飲んでいるもの よりも、茶葉の味がしっかり していた。 ⑥ まとめ 想像していた中国料理よりも、とても美味しかった。見た目は、あまり日本の中華料理 と変わらないが、味付けは濃く、油っぽいことが基本的に違っていた。その割に、中国人 は細身の体型が多い理由に、お茶で脂肪を分解されていることがとても理解できた。 ほぼ肉料理、特に鶏肉の際に必ず顔付きのまま盛り付けをされていた。中国では、頭は とても良いものされ、食事の席で一番偉い人が頭の部分を食べるためである。私は、抵抗 があり苦手だったが、元の姿を見ることで、食の有難みを肌で感じることができ、日本と 大きく違うところだと実感した。 広東料理は、聞いていたように日本料理に近く、食べやすかった。次は、違う料理を食 べ、どれ程違うのかを体験したい。そして、もっと多くの食材に挑戦するようにしたい。 ‐18‐ (3)中国の経済・社会について 茨城大学3年 清水 直樹 ① はじめに 今回の笠間市青年海外派遣団における中国研修1)で、私は中国の「経済」にテーマを置 いてレポートを書くことにした。とはいえ、中国の滞在期間は8日間と短く、中国の歴史 や社会体制を隅々まで知ることはできなかったので、これから述べる文章については私見 が多く混ざることをご了承願いたい。 しかし、ここには私の目と耳をはじめ、身体で感じ取った中国の現状がある。いささか 誤った理解があるかもしれないが、このレポートが何かの役に立てれば良いと思う限りだ。 ② 中国経済の全体像 現在の中国は高度経済成長期だと言われる。ついこの前には北京オリンピックも開かれ、 その著しい経済の発展は、国内だけでなく世界からも認められるものとなった。都心部で はたくさんの建物が建設され、道路などのインフラが整備されていく様は、1960 年代東京 オリンピックが開かれた頃の日本を思わせる。当時の日本は年平均 10.7%という驚異的な 経済成長を続けたが、2007 年度中国の実質GDP成長率は 11.9%2)と、さらに日本を上回 る数値を見せている。まさに超高度成長期である。 しかし、その一方で様々な問題が表面化してきたのも中国の実情である。激しい経済格 差が生まれてしまったことや、国民のライフスタイルやモラルといったものが急速過ぎる 経済成長に追いついていないことがその一端だ。 このレポートでは、まず急成長を遂げている中国経済について述べ、その後にその経済 成長のハイスピードさ故に生まれた“歪み”について触れていくことにする。 ③ 成長を支えるもの 2節でも述べたように、現在の中国は超高度経済成長期にある。中国の GDP は4兆 3、 270 億ドルであり、4兆 9、237 億ドルである日本の次に高い。世界の GDP のランキング は1位がアメリカ、2位が日本、そして3位が中国である。このまま中国が急成長を続け れば、近いうちに日本を抜くとも言われるぐらいだ。しかし、一人当たりの GDP で見ると その数値は大きく変わる。日本における一人当たりの GDP が US$38、750 であるのに対 し、中国は US$3、315 とその額は一桁も違う。これには莫大的な中国の人口が関係してい る。12 億 4 千万人という日本より約 10 倍近く多い人口で中国の GDP を割ると、一人一人 の豊かさを平均したものは日本のものよりまだかなり低いものになってしまうのである。 しかし、この「人口の多さ」が逆に中国経済の強みでもある。日本は少子高齢社会であ る。晩婚化や未婚化が進み、お年寄りが多く子供が少ない時代になった。つまり、若い世 代の労働力が欠けているのである。それに比べ、中国は若い世代の労働力で溢れている。 ‐19‐ 1979 年以来、一人っ子政策が採用されてきたとはいえ、お金を払えば子供を2人以上産め ると言うし、農村では「子供=宝(子供をたくさん産めば労働力になり家が豊かになる)」 という考えが今もあるようで、これから人口が急激に減るとは考えられない。私が中国研 修で訪れたいくつかの工場でも、実際に自分の年齢(21 歳)前後の人達が広い仕事場で大 勢働いていた。こうしたたくさんの働き手が中国経済の根底を支えているといえよう。 ④ 研修で工場や学校を訪ねて 今回の研修で私は様々な中国の工場を見学した。JELCO3)のベルト工場をはじめ、財布・ 印刷工場、木製品工場、金具生産・セラミック量産工場など、日本でいう中小企業に当た る工場だ。作業員一人一人が割り振られた作業をもくもくとこなす姿がそこにはあった。 日本だと機械によって製品が作られるイメージがあるが、中国の工場ではそのほとんどが 手作業によって行われていた。日本でよく見かける「MADE IN CHINA」と表示された製 品は、まさにここで一人一人の手による単純作業によって作られていたのである。 中国工場の驚くべきところは、そこで働く人たちの精神力である。作業員は土日を除き、 昼の休憩以外は朝から晩まで働く。同じ単純作業を長時間、週に5日続けることは日本人 の私にとって大変なことに思われた。それに加え工場内は冷房設備が無いため熱い。中国 でも南に位置する深センや広州では夏に 36 度を超えることは珍しくない。そんな中言葉も 発さず仕事をこなしている姿には、強靭な忍耐力と働いて豊かになりたいという思いが強 く感じられた。 また研修では職業訓練校4)も視察した。私たちはそこで日本語を学ぶ生徒たちと交流し たが、そのほとんどが「昼は働き、夜は勉強」というライフスタイルをとっていた。私が 話をしたのは 29 歳の男性で、今までサンヨーに勤めながら日本語を勉強していたが、世界 不況のあおりを受けて、今度は英語を学ばなければならないと言っていた。おそらく多言 語を話せるというのは、経済がグローバル化をする中で仕事の強みとなるのだろう。職業 訓練校の生徒には皆、社会に必要とされる自分になるための向上心が見てとれた。 このように中国の働き手には、並み並みならぬ仕事への熱意がある。それは「より豊か になりたい」という強い思いであり、急速な経済発展を続けている社会に置いていかれま いとする意識の表れなのかもしれない。国民全体がすでにある程度の豊かさを手にしてし まった現代の日本には見られぬものである。日本を超えると言われる程の経済発展を遂げ る中国だが、その原動力になっているものは生活向上に対する労働者の努力なのだ。 ⑤ ハイスピード過ぎる経済成長の歪み 中国が著しい経済発展を続ける中、それに対する“歪み”も出てきている。 日本と中国の高度成長期を比較する上で面白い違いがある。それは「中流意識の有無」 だ。1960 年代の日本には格別に豊かでもなく、しかしそれほど貧乏でもないという中流意 識があった。しかし中国にはそれがない。中国にあるのはうんと豊かな人たちと、とてつ ‐20‐ もなく貧しい人たちとの間にある大きな「経済格差」である。私たちが訪れた深センや広 州の中心部はそれぞれ東京の銀座と新宿のように街が発展していて、目を見張るものがあ った。しかし、都心部を離れると道路が舗装されていなかったり、街灯がなかったりと、 整備されていない街並みが目についた。また百貨店と生活市場とでは衛星管理が極端に違 う。このように、都会と田舎では激しい格差があることが目でもありありとわかった。 また、モラル面でも日本と比較すると劣っているところが目立つ。交通マナーで言えば、 信号無視や逆走が見られ、クラクションは当たり前のように鳴らされていた。その他にも ゴミのポイ捨てや店員の接客中における携帯電話の利用など、国際的に見てもマナー違反 に思えるものが多かった。 ではなぜ、このような“歪み”が生まれてしまったのか。その原因は、中国が世界と積 極的に交流を持つようになったのが、他の国と比べ遅すぎたことが一因として考えられる。 日本が資本主義をかかげ、他国と交流を持つようになったのが戦後であるのに対し、中国 がそのようになったのはつい最近のことである。そのため、他の国で成長を遂げてきた製 品や情報が中国に一度に入り込んだ。例として“電話”をあげてみよう。日本は戦後、ダ イヤル式の黒電話にはじまり、子機付きボタン式電話、FAX 機能付き電話、携帯電話と進 化を遂げてきた。しかし、中国ではその段階を踏まずにいきなり携帯電話が国内に飛び込 んできたのである。実際に中国の携帯電話の契約数は 2009 年 7 月末の段階で約 7 億 300 万件に上るが、その一方で固定電話は約 3 億 2800 万件と携帯電話の半分に満たない。人々 の携帯電話の浸透が電話マナーの浸透より早かったため、電車やバスの中では携帯電話で 話すマナーを守れない人が普通にいるのである。 ⑥ これからの中国発展を保つために 著しい経済成長が続く中、それにほとんどの人間が追いついていないのが中国の現状だ。 情報やモラルが国民に浸透していないのに、国内に取り込まれる製品や国の法律が先走り をしている局面がある。余談だが、日本における元ライブドア社長堀江被告の件や、アメ リカのリーマンブラザーズ破たんの件は、利益のみを追求し過ぎたが故に起きた出来事だ と言われる。また日本社会でコミュニティの崩壊による他人への無関心など、様々なココ ロに関する問題が起きている。中国が高度成長の先にある、こうした“豊かさの中の不幸” に出会わないためにも、中国における政策の方向転換が必要である。 ⑦ 経済成長より社会政策を 私が見てきた中国は、人々が豊かさを求めて一生懸命努力をする一方、その経済的幸福 をストレートに求めるが故に、自己中心的あるいは他人に無関心である印象があった。例 えばそれは5節でもあげたように、信号無視や店員の接客マナーである。早く目的地に着 けばよい、売りさえすればよいという利益最重視のやり方が中国人の日常生活に浮き出て いるよう思えた。もちろんそうでない人もいると思うのだが、そういった大多数の“我の ‐21‐ 強さ”が治安の悪さにも関係しているのではないだろうか。 私が提案するそれらの解決策は2つある。 まず1つ目はやはり極端な経済格差を無くすこと。高度成長の恩恵を、都市部・農村部 に関係なく受けられるようにすべきである。特に農村部に至っては都市部よりも手厚い措 置が必要である。 例えば炭鉱のある田舎では 50kg の石炭を1回運んで1元稼げる仕事がある。賃金が無い に等しい割に、炭鉱で死ぬ危険性もあり、ハイリスクローリターンな労働だ。しかし、そ んな仕事場でさえも応募者で溢れていて働けない人が数多くいるという。また、最近では 農業を営む人がいなくなってきているという話もある。トウモロコシを 1kg 出荷しても 1 元にしかならず、生産すればするほど赤字になる。結果、病気にかかっても治療費がなく、 そのまま耐えるしかない老人や、子供に迷惑をかけないために農薬を飲んで死ぬ親もいる という。 このような農村における過酷な事情は都市部に富や情報が集中しているせいである。話 によれば、中国に存在するお金の 95%を持っているのは人口の 5%だと聞くが、中国貨幣 が世の中に広く流通する体制を実現させたいものである。そして、農村には社会保障やイ ンフラ整備をいち早く取り入れ、農民の生活水準を最低限保証する必要がある。炭鉱や農 村で働く人にその労働に見合った対価が支払われるべき社会が望ましい。約 13 億人の中国 人口のうち、10 億人(統計では 8 億)が農民と言われているのだから、国民全体の生活水 準を上げるためには地方政策に力を入れなければならない。 もう一つは道徳教育の強化である。農村にも公共機関が整備された上で、政府・企業・ 地方自治体および学校などの教育機関は、人間として相手と関わって生きる上でのマナー を教えるべきだ。これからますます社会がグローバル化する中で、国を越えてのモラルは 身につけておかねばならないし、人間としての“思いやり”を持つことは高度成長を終え て人々が物質的豊かさに満足した後、本当の意味での幸福は何かということに気付くため の重要な手がかりになるだろう。 ⑧ さいごに 以上のような2つの事柄が実現できた時、中国は現段階の高度成長を終えた後も国内の 発展を保つことができるのではないだろうか。面積が広く、人口も多い中国では、国の政 策も届きにくいかもしれない。しかし、国民一人一人が思いやりを持ち、モラルある社会 が実現された時には中国は世界で群を抜く国になるであろう。なぜなら、現在の高度成長 を支えている国民の力は実際この目で見て、驚くものであったからだ。 日本も中国から学ぶべきことがたくさんある。しかし、互いに共通して言えることは「経 済」と「モラル」、2つのバランスが大事であるということではないだろうか。 ‐22‐ 脚注: 1) 中国研修:2009 年 8 月 17~24 日の8日間にかけて実施。主に中国の深センと広州を訪れ、 工場を見学したり現地の人と触れ合ったりして、日本と中国の文化の違いおよび共通する ものを学び、相互理解と交友を深めることを目的として行われた。 2) 「2007 年度中国経済統計-サーチナ:Yahoo!ニュース中国経済」ホームページより(9/4 閲 覧)ちなみに 2009 年 4~6 月期の中国 GDP の推移(前年比)は 7.9%成長であり、2007 年 GDP 成長率より低い。これは 2008 年の金融危機に端を発する世界恐慌の影響を受けて のことであるが、それでもその中で経済成長を続けていることはやはり目を見張るものがあ る。 3) JELCO:今回研修で訪れたベルトの生産を主とする深セン松岡鎮にある工場。ここの社長 さんをはじめ、幹部の人達が研修全般にわたり協力して下さった。 4)職業訓練校:公明成人訓練学校のこと。自己の啓発や生活の向上のために主体的に学習する 人が集まっている学校。 参考資料: ・プリント『中国の基礎知識』資料提供:JELCO ・森下伸也『社会学がわかる事典』日本実業出版社 ・『中国経済 Yahoo!ニュース』ホームページ 9/4 閲覧 http://dailynews.yahoo.co.jp/fe/world/china-economy/ 情報提供協力者: ・JELCO 松浦氏 ・トップツアーバスガイド 王氏 ‐23‐ 6.海外研修見聞記 団 長 清水 直樹(茨城大学3年) S h im izu Na ok i 私は今回の中国研修を通じて、「人との出会いの素晴らしさ」を学んだ気がします。中国 と日本。それは、言語はもちろん街並みも生活様式も違います。しかし、現地の人と時間 を共にするにつれて、国境を超えて人間が持つものに触れた気がしました。 例えばベルト工場でダメージ加工の作業を体験したのですが、私はなかなか上手くでき ず苦労していました。けれども、作業員の男性は、言語も通じないのに一生懸命伝え方を 工夫して教えてくれたのです。また、バスで移動中の時にガイドさんと学生生活の話しを ことや、フェアウェルパーティーの時に別れの挨拶の代わりに JELCO の人達と強く握手を したことは今でも鮮明に覚えています。 “国境を超えて人間が持つもの”それは私にとって相手とのコミュニケーションを通じ てもらう笑顔や楽しい時間の中にありました。また、中国の人達だけでなく、同じ日本人 である団員との集団生活の中でも私はそれを学びました。 自分とは違う魅力や経験を持った人と出会い、一緒に過ごすことはとても楽しいし、自 分を成長させるものであると今思っています。中国という異文化に触れることによってそ の魅力を知り、自分を支えている様々な出会いに気付かせてくれた今回の中国研修に本当 に感謝しています。 副団長 篠崎 碧(共立女子大学4年) Shin ozak i Midori 「驚きと感謝」 私は中国へ行き、驚きの連続でした。まず、衝撃を受けたのは交通ルー ルです。自動車が順番に並ばない、クラクションの嵐、ノーヘル、バイクの3人乗り当た り前…どうして交通事故が起こらないのか不思議でした。お互いの阿吽の呼吸で大丈夫だ とお聞きしましたが、自分さえ良ければいいという考え方の国民性でこんなにも違ってし ‐24‐ まうことに驚きました。けれど、規則に縛られないことで、活気があり、人間味溢れる国 なのだと感じました。 次に、広州の街並みです。私は、中国にこんな場所があるなんて想像がつきませんでし た。深センとは全く違い、高層ビル、全くゴミのない道路、そして緑がありました。何よ り日本の都心とは違い、多くの緑があることに感動しました。イメージしていたスモッグ も全然なく、少ない情報での概念では全く理解できないことがわかり、やはり、自分の目 で判断しないといけないと実感しました。 そして、この研修で一番感じたことは「感謝」です。現地で、素晴らしい待遇をして頂 けるなんて予想もしていませんでした。工場の社員の方々も歓迎して下さり、本当に嬉し かったです。中国語をもっと勉強していればよかったと後悔もしましたが、たくさんのお 話ができ、楽しい時間を一緒に過ごすことができたことは一生忘れません。私は、研修に 参加させて頂いたことを本当に感謝しています。中国で経験したこと、感じたことをこれ からの自分に活かしたいです。 団員 小林 楓(笠間高等学校3年) K ob a ya sh i Kae de 中国は人の意識の在り方、政府の方針、基本的な考え方からして日本と異なる。また、 今の中国は日本の高度経済成長期の頃だということを八日間という短い間で感じることが できた。 その中で、絶句してしまった話がある。数年前の中国では当たり前だった事で、「人を 轢いてしまったらバックで戻れ」というものだ。意味は、重傷を負わせるくらいならば殺 してしまった方が自分の為だということ。人の命の重さがこうも違う。だが、それを酷い、 の一言で済ますことができない。なぜならばこの国では当たり前だからだ。日本を標準と 考えていた私はこの話を聞いて初めて、近くて遠い中国を見たと思った。 私はこの研修で改めて自分の視野の狭さを痛感すると同時に、これからは物事の意味を 広く捉え、考えていこうと思った。世界には多様な価値観がある。そのことに気付かせて くれた今回の研修を生かして、さらに広い世界に目を向けていこうと思った。 ‐25‐ 団員 山口 美桜(笠間高等学校3年) Y am a gu ch i M i o 初めての海外でやはり不慣れな事も多く中国での8日間は大変な事もありましたが、そ れ以上に沢山の発見や驚きに出会えたと思います。一番はやはり交通事情でしょうか。初 日、船を降りてそこからホテルへ向うため現地でお世話になった方の車で移動していた時、 車の多さと道路の広さに驚きました。道路は日本の国道ほどの広さあるそうです。なので 路上駐車も邪魔にならないので取り締まる事もないと聞き国土の広さの差を感じました。 次に中国料理です。日本での中華料理屋の味とはやはり違うものが多く本場中華の味と 見た目は、これまたとても衝撃的でした。さらに8日間中華料理だったので脂っ気に負け そうになったりと日本が恋しくなった時もありましたが、終わってしまうと短かったよう に思える8日間でした。 団員 八田 真実(友部高等学校2年) H at t a M am i 笠間市青年海外派遣事業の団員として中国研修に参加し、貴重な時間を過ごすことがで きて本当に良い体験ができたというのが私の率直な感想です。 中国の現状は私の想像よりもはるかに上回っていました。発展が著しく、あっというま に日本を抜いてしまうのではないかと思うほどの活気ある状況でした。現地に行ったこと で私はそれを実感し、今までの中国のイメージが一変しました。 中国と日本を比較した中で一番印象に残ったのは、工場の環境です。丸正中国工場を見 学・体験したときには、ほとんど手作業だったのと、働いている人数が多くそして、年齢 も幅広く、その点に驚かされました。さらに丸正中国工場ではあまり感じなかったのです が、バックル・セラミック工場での労働者は、かなり過酷な環境で作業をしていたように 思えました。 工場見学で製品が作られていく様子を見て、さすが中国だなと実感しました。中国はこ れから先どうなっていくのか、中国研修を通じてとても関心を持ちました。 ‐26‐ 団員 村田 有可莉(友部高等学校2年) M u rat a Y uk a r i 私が研修に参加する前の中国のイメージは、交通面では、道路が広く、車も人も多くて 自転車も車道を走っているというもの。食生活面では、辛い食べ物が中心で、食品や生活 雑貨の値段が安いというイメージを持っていました。 実際、中国へ行ってみると、イメージしていたのとほぼ同じでしたが、想像以上に人口 や車・自転車・バイクが多く、道路は右走行、道路幅が広いので驚きました。その中でも 一番驚いたのは、バイクで5人乗りをしている人がいたことです。 研修でうかがった工場では、どの工場も働いている方の人数がとても多いことに圧倒さ れました。私と同じ年齢くらいの若い人が、とても器用に作業を進めていたことが印象的 でした。 また、日本語を学んでいる中国人の方との交流は、とても楽しく、直接言葉を聞いても わからない時は、紙に字を書いたりして会話ができたのがとても良い経験となりました。 市内視察では、パンダが 10 匹もいる野生動物園や、歴史や文化を象徴する民族衣装や焼 物など、日本では目にすることができないものを直接見ることができて感動しました。 今回の研修は、中国の歴史や文化を実際に感じることができ、私たちにとって身近な国で、 今後、世界において影響力を増す大国を知ることができた大変実のある研修でした。 最後に、ホテルで食べたドリアンは、忘れられない味や臭いでした。 ‐27‐ 7.海外派遣事業を実施して このたび、笠間市では今年度新たに青年海外派遣事業を実施し、中国(深セン市・広 州市)を訪問しました。 中国を視察先に選んだのは、発展著しい中国国内を肌で感じるとともに、観光では見 られない裏側(格差問題)なども感じてもらうためです。目を見張るものが数多くあり、 研修や交流等を通じて視野を広め、国際感覚、国際理解の精神を養うことができたと思 います。 研修生の皆さんには、何事にも精力的に行動し、各自の役割も積極的に取組み、なお かつ、研修生同士はもとより、現地の方々とも交流を深めることができたと思います。 さらに、全員が事故や盗難等の被害に遭うことなく、無事に帰国することができ、研修 の所期の目的は、十分に達成でき、大変実りある研修となったと思います。これも皆さ んのご協力によるものと改めて感謝申し上げます。 どうか研修生の皆様におかれましては、この研修をただの経験で終わらせることなく、 これからの人生に生かしていただければ幸いです。 最後になりますが、この研修を実施するにあたり、多大なるご支援をいただきました 小薬正男様、及び株式会社丸正の皆様方、現地でご指導いただきました松浦総経理をは じめとするジェルコの皆様方に心から御礼申し上げます。 笠間市 市民活動課 謝謝 ‐28‐ 広州香江野生動物園のパンダ 平成21年度 笠間市青年海外派遣事業 報告書 発行 編集発行 平成 21 年 10 月 1 日 笠間市市民活動課まちづくりグループ 〒309-1792 茨城県笠間市中央3-2-1 ℡.0296‐77‐1101(内線 135) ‐29‐