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3・4日目 PDFファイル

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3・4日目 PDFファイル
─◆─旅行記(2)─◆─
[3 日目(2012.4.23)] ライプチヒへ、バッハの業績を訪ねて・・・
朝 6 時半から朝食が採れるので、早めに起き、レストランへ行く。
とても気持ちの良い青空が広がるが、少し肌寒い。さすが、4 つ星
レストランとあり、豪華なメニューが並ぶ。昨日と同じ内容だが、種
類が豊富なので、とくにパンなど違う物を味わう。ゆっくりした朝の
ひと時を過ごし、荷物をまとめ、チェックアウト。さらば、ホテル・
サヴォイ!素敵な滞在をありがとう!
Vielen Dnak für Alles!(色々とありがとう!)
と、フロントの女性に告げ、ホテルを後にする。
駅まで、歩いてほんの 5 分。午前 8 時 22 分ツォー駅発。予定より
少し早い電車(S バーン)に乗り、ICE の出発駅となるベルリン中央駅へ行く。ちょうど月曜日で、
通勤時間帯より少し遅いくらいだったが、休日とは違う人の足並みを感じた。ただ、車内は、そ
れほど混雑しているわけではなく、立っている乗客がちらほらといった程度だった。中央駅では、
少し時間があったので、展示されている中央駅の模型を見るなどしながら、ICE の出発ホームを
探す。S バーンなどのローカル列車は地上階にホームがあるのだが、ICE など高速列車は地下階の
ホームとなる。エレベータに乗るのだが、番線が違い、何度かてこずる。無事に見つけ、およそ
の乗車位置にたどり着いた時には、あと 5、6 分といったところだった。予定どおり、ツォー駅を
出ていたら、乗り遅れていたかもしれない。少し早目の行動が正解だった。
午前 8 時 52 分、定刻どおり地下 2 番線乗り場に、ライプチヒ(Leipzig)中央駅行き ICE703 号
が、静かに入線してくる。増結していたのか、とにかく予定していた車両番号と異なる車両が目
の前に停まり、大慌てで探す。見方が悪いのか、こういうことはしばしばあるのか、たいていの
場合、違っている。他の人も、走っていたので、そんなものなのかも知れない。
ライプチヒまでは、およそ 1 時間。ひとまず席を探し、席に着く。しばらくすると、少し強面
の車掌が検札にやってくる。クレジットカードと予約済みの切符を渡すと、まじまじと見つめな
がら、機械を操作している。この瞬間が、意外とドキドキする。クレジットカードと切符を受け
取った頃には、地下から出て、車窓にドイツの広大な景色が広がっていた。ただ日常の風景が広
がっているだけだが、何とも素晴らしい。コーヒーを売りにパーサーが周って来る。コーヒーの
良い香りが車内を包む。買いたかったのだが、タイミングを逃してしまった。
午前 10 時 06 分、ライプチヒ中央駅到着。行き止まり式のドーム駅としては、ヨーロッパ最大
規模の駅というだけあり、さすがに大きな駅だ。ドーム屋根は、明り取りの加工が施されており、
「ヨーロッパのターミナル駅」のイメージとぴったり合う。駅の中を散策しても楽しいが、まず、
荷物を預けにホテルへ向かう。
ホテルは、駅前のノヴォテル・ライプチヒ(Novotel Leipzig)を予約しておいた。本当に駅の
すぐ前にあり、便利だ。ただ、味のある石畳の道は、キャリーケースには過酷で、コマが外れは
しないかと心配になった。2 分ほどで着く道のりを、10 分ほどかけ、ゆっくりと行く。部屋が空
いていたため、チェックインを済ませ、部屋に荷物を置き、町へ出かける。
旧市庁舎のあるマルクト広場、バッハで有名な「トーマス教会」、
「メンデルスゾーンハウス」、
そして「ニコライ教会」を結びながら周ろうと、地図を確認する。駅前のリッヒャルト・ワーグ
ナー通りを西に進み、ニコライ通りに入る。ここを真っすぐ行けば、「ニコライ教会」があるが、
一つ目の角を右に曲がると、工事中の建物が目に入る。市街地開発で、駅前のビルなどを整備し
ているようだった。
その向かいが「造形博物館」だ。さらに西に進み、次のカタリーネ
ン通りを南下すると、すぐのところにインフォメーション(観光案内
所)がある。手持ちのガイドブックでは、わたしたちが泊まったホテ
ルのすぐ隣にインフォメーションがあることになっていたが、何かの
催しに備えて、整備中だったこともあり、こちらに移したのだろう。
日本語とドイツ語のガイドマップをもらうが、地図が細かすぎて見
にくいので、手持ちのガイドブックを頼りに歩くこととした。少し歩
くと、旧市庁舎のあるマルクト広場に出る。市庁舎の軒下には、お店
が並び、小物や本など、目を楽しませてくれる。ここライプチヒは、
世界で最初の日刊紙を発行した町であり、印刷や出版の基礎を築いた
町でもある。ふと、本屋を見て、そんなことを思い出した。旧市庁舎を左に、グリマイッシェ通
りを進むと、ゲーテ像が建っている。ちょうど、旧市庁舎の東側になる。ゲーテは、ここライプ
チヒで大学時代を過ごした。ゲーテの通ったライプチヒ大学は、ドイツで 3 番目に古い大学で、
ニーチェや森鴎外も学んだ大学だ。
その南側に、メードラーパサージュというショッピングアーケードがあったのだが、良く分か
らず通り過ごしてします。少し西に戻り、トーマスガッセ(トーマス小道とでも訳したら良いの
だろうか・・・)を進むと、すぐ「トーマス教会」が見える。白い外壁が印象的なトーマス教会
は、1702 年に現在の姿となったそうだが、元々は 13 世紀に創建されたそうだ。この教会を語る
上では、バッハは欠かせない存在だ。バッハ音楽一家なので、ここで言うバッハは、もちろんヨ
ハン・セバスチャン・バッハである。1723 年から 25 年余り、バッハは、ここトーマス教会でオ
ルガン奏者兼付属の合唱団の指揮者として活躍する。バッハが活躍した時代から遡ること 200 年、
宗教家マルティン・ルターは、このトーマス教会で説教をしたそうだ。ルター、バッハ、そして
ゲーテ、世界史に名の残る著名人たちの足跡をまさにたどる旅となっている。バッハの代表作の
一つ「マタイ受難曲」は、トーマス教会在勤中に作曲された曲で、教会で初演が行われた。それ
ほど縁の深い教会であり、バッハにとっても、特別の場所だったのだろう。主祭壇の前には、バ
ッハの墓があり、献花が絶えない。
わたしたちも、教会の門をくぐり、中へ入った。その荘厳さに息を飲む。撮影は禁止されてい
ないのだろうが、シャッター音が響くので、数枚で控えておいた。いま思うと、勇気を振り絞っ
て、もう少し撮影しておけば良かったとも思う。独特の空気感は、そこに集う人々の信仰への思
いが生みだしているのだろう。その重みのようなものを感じる。ルターが説教し、バッハがオル
ガンを奏でたその場に立っているのかと思うと、とても感慨深く、彼らが何を見、何を考え感じ
たのか、少しでも近づきたい気持ちになった。
じっくりと教会を見学した後、教会の向かいにある「バッハ博物館」へ足を運ぶ。ここは、バ
ッハと家族ぐるみで交流があったホーゼ家の居所で、バッハの業績をたたえ、博物館としてバッ
ハ関連の資料が展示されている。実は、ここを訪ねるのをとても楽しみにしていたのだが、日本
と同様、ドイツでも博物館や美術館の休館日は月曜日で、残念ながらここも休館だった。
仕方なく、トーマス教会をあとに、
「メンデルスゾーンハウス」を目指す。ガイドブックの情報
では、メンデルスゾーンハウスは無休ということだったので、向かうことにした。ブルグ通りを
南へ進む。途中、模型ショップがあり、鉄道や車の模型が飾られていて目を引いたので、入って
みた。こういうより道も、また楽しい。お土産に、車の模型を買い、目的地を目指す。
さらに進むと、改修中の新市庁舎がある。向かいにある商業施設の
ペターボーゲン(Peterbogen)というショッピングアーケードを抜け
ると、ペーター通りに出る。このショッピングアーケードの中には、
たくさんのお店が入っていて、買い物が楽しめる。ちょうどお昼時だ
ったので、付近の勤め人たちが、昼食を求め出てきていた。
「四季」と
いう寿司レストランもあった。また、テューリンガーブルストを挟ん
だパンサンドのようなものを売るワゴンも立ち並び、辺りが良い香り
で包まれ始めていた。
オフィスビルらしき建物の並ぶシラー通りを東に歩いていると、ラ
イプチヒ大学が見えてくる。歴史は古いが、近代的な建物だ。右手に
モーリッツ城塞のある公園があり、そこを通りぬけると、幹線道路に
出る。その道路の中央には、ライプチヒ市電が並走している。道路を渡り、ゴールドシュミット
通りを東に 3、4 分歩いたところに、
「メンデルスゾーンハウス」がある。
フェリックス・メンデルスゾーンは、作曲家としても有名だが、音楽研究家としても名声を極
めた一人といえる。バッハを始めとする古典音楽の復興にも力を注いだ。北ドイツのハンブルク
で生まれるが、1847 年にここライプチヒで生涯を遂げることとなる。その業績をたたえ、彼が晩
年を過ごしたアパート(Wohnung)を博物館として復元利用されている。実に良い展示で、メンデ
ルスゾーンの優しいメロディーが館内を包み、とてもくつろぐことが出来た。ただ、博物館は 2
階で、3 階、4 階はライプチヒ大学の施設として利用されている。そして、アパートだった建物な
ので、入口が、普通の家なのだ。とくにドアにも「OPEN(ドイツ語:öfnen)などとも記されてお
らず、入るのに少しためらっていると、受付の女性が、わたしたちの足音に気付いたのか、ドア
を開けてくれた。階段も木造で、ミシミシと音がする。外見は、コンクリート製なのだが、何と
も味わい深い建物だ。記帳用のノートが置いてあったので、ライプチヒの町へ良さと、その町が
生んだメンデルスゾーンの素晴らしい音楽を改めて教えてくれたことへの感謝の気持ちを記して
おいた。
余談だが、ここはガイドツアーではなかったが、受付で説明書きのファイルを渡され、
「これを
見てしっかり周るように・・・」と言われた。日本語の物が用意されていたので、少し嬉しかっ
た。また、受付の女性が本当に親切で、その温かさに、心を癒されたことを今でも覚えている。
メンデルスゾーンハウスをあとに、来た道を戻り、幹線道路を渡ると、ちょうどゲヴァントハ
ウス・オーケストラの本拠地となるホールがあり、その前にはアウグストゥス広場がある。昼下
がりのひと時を楽しむ人たちが、ベンチを埋めていた。
「メンデの泉」と称される噴水の周りで、
思い思いの時間を過ごしていた。その様子を見ながら、ニコライ教会を目指し歩いていると、後
ろから来た男性が、わたしたちの話し声に耳を傾けていた。
「ニイ・ハオ(你好)
」
怪訝そうな顔で、わたしが振り向くと、
「あれッ?」といった表情だったので、
「aus Japan(ア
ウス・ヤーパン、日本から)
」と言うと、納得した顔で、
「さよなら」「好きです」と言いながら、
わたしたちの進む方向へと過ぎ去って行った。中国人と思われたのか、中国人が多いのか、ただ、
日本人と分かり、日本語で話しかけてくれたことは嬉しかった。音楽関係者だろうか。
そのようなちょっとした出会い、触れ合いも旅の思い出となる。旧市庁舎へと続くグリマイッ
シェ通りへと戻ってきたが、途中で右に曲がると、
「ニコライ教会」
(写真上)の裏側へとやって
来ることができる。
ニコライ教会は、ライプチヒで一番大きい教会で目を引く。ここで、
民主化要求デモのきっかけが生まれ、東西ドイツ統一の大きな一歩と
なったことは、ここでも記しておきたい。
お昼も過ぎ、午後 1 時半。お腹もすいたので、旧市庁舎のオープン
テラスのあるレストラン「Das ALTE RATHAUS(旧市庁舎)」へ入る。6.60
ユーロの日替りランチメニューがあり、それを頂く。もちろん、ビー
ルも!2 ユーロくらいだった。これが、うまい!ツィーっと一気に飲
み干してしまった。
この日のランチメニューは、
「色合い野菜とライス炒め、焼き七面鳥
添え」だった。デザートに、
「バナナチョコのヨーグルト」が出てきた。
とっても美味しく、素敵な店に入ったものだと感激しながら食事を終
え、支払いを済ませ、店を出る。
ここで支払いの際に、課題のチップをスムーズに渡せるか、もじもじしながら少し多めにお金
を渡し、
「Stimmt so!(シュティムト・ゾゥ!)」
(お釣りは要りません!)と言うと、笑顔でお礼
の言葉を返してくれた。ホッと一息ついた瞬間だ。うまく出来た!他にもたくさん、素敵なお店
がライプチヒにはあるが、ここはお勧めの一軒だ。
ほろ酔いで、町をもう少し歩き、ホテルに戻る前に、あの大きなライプチヒ中央駅を散策する
ことにした。駅には、たくさん店が入っており、洋服や靴、薬局、もちろんお土産屋にカフェや
レストラン・・・ホームには、あちこちに向かう列車が停まり、飽きることはない。いろいろ立
ち寄ったが、中でも手作りの木のおもちゃを置いている店が楽しかった。
「こんにちは!」と言っ
て、店に入ると優しそうな女性店員が迎えてくれ、店内は心地よい木の香りが充満していた。小
さな人形など、どれもシンプルな表情ではあるが、どこか愛らしく癒しを与えてくれる。友人が、
欲しいと言っていたのを思い出し、
「これだろうか?」と思いながら、手にとって見ていた。それ
ほど高くなかったが、思案するべく、隣のカフェでひと息つくことにした。
コーヒーを飲みながら、先ほど見た人形が気になり、せっかくなので買って帰ることに決めた。
友人が思っていたものと違っていたとしても、わたし自身、気に入ったので、家で飾っても構わ
ないと思ったからだ。後日談だが、その友人に渡すと、とても喜んでくれた。以前、ドイツを旅
した際、見かけて悩みながら、結局買いそびれ、
「買えば良かった・・・」とずっと後悔していた
そうだ。その嬉しそうな様子に、わたしも「買って良かった!」と、そして友人の後悔も晴れ、
とても晴れ晴れした気持ちになれた。
そのおもちゃ屋の隣には、ライプチヒから列車で 30 分ほどのハレ(Halle)という町にある「ハ
ローレン(Halloren)
」というチョコレート会社のショップがあり、お土産を買う。1804 年の創
業というからおよそ 200 年の歴史を持つ、古い会社だ。可愛い商品がたくさんあり、見ているだ
けで楽しい。そして、美味しい。
その後も、駅の中をブラブラと周り、夕食をどうしようか考えていたが、お昼も遅く、あまり
お腹も減っていなかったので、パンなどを買い、ホテルでのんびり過ごすことにした。ホテルに
戻り、絵葉書を書いた。もう一つの課題―郵便局で切手を買い葉書を送ることを、明日、チャレ
ンジするべくその準備に勤しんだ。
[4 日目(2012.4.24)] ワイマールへ・・・ドイツの礎を探る!
少し早く目が覚め、ホテルの窓からライプチヒ駅を眺めると、朝焼
けの中、ライトアップされたライプチヒ中央駅がとても綺麗だった。
出勤か、駅を行きかう人も思ったよりいたのに驚いた。
出張などで利用している人が多いのか、ベルリンとは違い、スーツ
姿の客が多かった。しっかり朝食を採り、支度を済ませ、ホテルを出
る。ノヴォテル・ライプチヒは、あまり干渉しないスタイルなのか、
フロントの対応などもあっさりしていた。
午前 9 時 42 分発の IC2250 号で、一路、ワイマールへ向かう。ICE
と IC は、同じドイツの鉄道だが、ICE は新幹線のような前と後ろに運
転台がある、いわゆる電車だが、IC は、前か後ろに機関車があり、客車を引くか押すタイプのも
のだ。ICE が「都市間“超”特急」で、IC は「都市間特急」と言えば分かりやすいかも知れない。
ICE は速くて快適だが、この IC の方が、旅情をより味わうには良いような気がする。
定刻になると、ゆっくりとライプチヒ中央駅 9 番ホームを列車は去る。静かな旅立ちだ。乗客
はまばらで、車内はシーンと静まり返っている。窓の外に目をやると、ライプチヒの町並みが少
しずつ遠ざかっていく。頭の中に、あるメロディーが流れてきた。チャラッチャッチャチャチャ
ーラ・・・石丸謙二郎氏のナレーションが耳元で聞こえてくる。そう、
『世界の車窓から』だ。ま
るで、そのワンシーンを見ているような錯覚におちいる。そんな真似ごとをやってみようと思っ
たが、さすがに雰囲気を壊してしまいそうだったので、やめておいた。
のどかな風景を眺めながら 40 分ほどすると、ザーレ川沿いの小さな町の中心、ナウムブルク駅
に到着する。駅からは、ナウムブルク大聖堂の塔が見える。ふと降り立ち、散策してみたくなる
雰囲気だ。実は、ワイマールからベルリンへ戻る際、このナウムブルク駅で乗り換えを予定しお
り、どんな駅だろうと思っていたので、ちょうど良かった。なぜなら、乗り換え時間が、ほんの
5、6 分で、階段などを上り下りして別のホームでの乗り換えだと、非常に厳しいので、不安だっ
たからだ。どうやら、各方面からの中継駅となっているようで、向かい合わせのホームで乗り換
えが出きるように設定されているようだった。この時は、ミュンヘンへ向かう ICE との待ち合わ
せのため、10 分ほど停車していた。
乗り換えの客を乗せ、列車はワイマールへ向かい動き出す。ワイマールまでは、ここから 20 分
ほどだ。午前 10 時 58 分、予定どおりワイマール駅到着。ワイマール駅は、そんなに大きな駅で
はない。というか、小さな駅だ。階段を下り、駅舎を出ると駅前広場があり、真ん前にホテルが
ある。ホテルの入口は、工事をしていたため、併設されているレストランから入るように言われ、
レストランを経由してフロントへ行くと、ここでも部屋の準備が済んでいたため、すぐにチェッ
クインすることができた。チェックインの際、ワイマール市内の地図と案内が要るかと尋ねてく
ださった。さりげない、心遣いが何とも嬉しい。
荷物を置き、出かける。その前に、フロントの方に、日本から持ってきていた落雁のお土産を
渡す。すると、とても喜んでくださった。ほんの少しだったが、お世話になることへのお礼の気
持ちとして渡そうと思い、持ってきていた。他のホテルでも渡したが、一番、ここワイマールの
方が喜んでくださったように覚えている。
駅前から、市街地までは歩いて 15 分程度。怪しい雲行きに心配していたが、何とか持ちこたえ
てくれと、空を仰ぐ。その思いとは裏腹に、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。新美術館の建つ
ラーテナー広場から少し南へ行くと、三叉路があり、そこにあるカフ
ェに入ることとした。少し早かったが食事をしようと思ったが、うま
く伝わらず、コーヒーだけ飲むこととなる。ところが、ここのコーヒ
ー2 つで 1.98 ユーロ。激安だ!店内は、とても綺麗で、ゆっくりくつ
ろぐことが出来た。待っていても、雨はやむ気配がなかったので、散
策を続けることにした。土砂降りというより小雨がぱらつくといった
感じだったので、まだ良かった。
傘をさしながら、ガイドブックを片手に持つと写真が撮れないので、
ガイドブックを仕舞い、勘を頼りに歩く。ゲーテとシラーの像が並ぶ
国民劇場の前に着いた。ガイドブックやパンフレットなどで、必ず使
われるワイマールの象徴的な場所といえる。
目指すは、
「ゲーテハウス」だったのだが、良く分からない。闇雲に歩いていると、「ツム・ツ
ヴィーベル」というレストランの前に来た。その名も「タマネギ亭」、たいていのガイドブックで
紹介されている店で、わたしも記憶していた。この隣が、かの有名な「ヘルダー教会」なのだが・・・。
天気が悪いと、イメージと違うことが多く、加えて補修工事中ということで、うっかり通り過ぎ
るところだった。正式名は、
「聖ペーター・ウント・パオル教会」だが、思想家で牧師であったヘ
ルダーの名を取って、
「ヘルダー教会」と呼ばれている。
さて、ドイツの礎を探る旅となるここワイマールだが、ここで少しヘルダーの話をしておきた
い。ゲーテの名を知らない人はいないと思うが、ヘルダーの名を知っている人は少ないだろう。
わたしも、ドイツ語を学ぶまでは知らなかった。手元にある山川出版社の発行の『詳説世界史』
の索引では、掲載されていない。ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーは、1744 年の生まれで、カ
ントの講義を聞き、ケーニヒスベルクで神学を学んだのだ。その後、教師を勤めながら様々な著
書を記し、その著書に感銘を受けた一人が若きゲーテだった。ヘルダーのもとで、多くのことを
学んだゲーテは、客人として 26 歳の時にワイマールへ来ており、当時は、生涯をこの地で遂げる
とは思いもしていなかったのだ。そんな時、彼は、若き日の恩からヘルダーをワイマール教区教
会総監督に招くようカール・アウグスト公を説き、ワイマールへと招き入れた。そして、ワイマ
ールの人々は、牧師ヘルダーの話に聞き入り、ドイツ精神文化の礎を築きあげてきたのだ。その
後、1919 年には、ドイツ初の共和国が誕生することとなる。宗教家マルティン・ルターがまいた
種は、カントやヘーゲル、そしてヘルダーからゲーテ、シラーへと受け継がれ、ここワイマール
で素晴らしい花を咲かせたといえる。ワイマールの町を歩いていると、現代ドイツだけでなく、
ドイツの歴史を一手に引き受け、その文化的価値が随所に散りばめられている気がしてならなか
った。
まだ、勉強不足なので多くのことは語れないが、ドイツ文化の奥深さみたいなものを感じたけ
れば、ワイマールを訪ねてみることをお勧めしたい。ちなみに、ワイマールとは、「ワイ=清い」
「マール=海、湖沼、水」の意味で、ワイマールを流れるイルム川を指して名づけられたとか。
話を旅に戻すと、残念ながらヘルダー教会は、補修工事のため、中を見学することが出来なか
った。実に残念。というのも、クラーナハ父子の祭壇画があり、それは必見と聞いていたからだ。
クラーナハの父は、ルネサンス期の美術史に名を刻んだ名画家の一人だ。
いずれにせよ、文豪ゲーテを生んだ恩師ヘルダーの名を冠した「ヘルダー教会」を訪ねること
ができ、気持ちが少し高揚していた。再びゲーテハウスを探し歩き始める。近くに見える淡い黄
色の外壁の建物が気になり近くに行くと、今は美術館となっているが、元ワイマール公の居城だ
と分かる。城の向こうに、川が見えたので寄ると、それがワイマール
の名の由来ともなった「イルム川」だった。緑豊かな川のほとりは、
散歩している人など小雨が降っているにもかかわらず、たくさんの人
がいた。わたしたちも、川に架かる橋を渡り、その途中にある階段を
下り、川辺へと行く。晴れていたら、とても良い眺めだろうと思う。
ルターやバッハ、ヘルダー、ゲーテ・・・彼らもこの川の流れを見、
また、どんなことに思いを馳せたのだろうか、と考えると鳥肌がたつ。
川沿いの小道を歩いていると、イルム川沿いの案内版があったので、
ゲーテハウスの位置を確認する。真っすぐ進んで右の方のようだ。そ
の案内版によると、先ほど渡った石橋の表示の隣に「1653-1658」と記
されていた。おそらく建造された年なのだろう。江戸時代のものだ。
そう思うと、よくも朽ちることなく、今なお現役で人の往来を支えているのだから、素晴らしい。
しばらく歩くと、クラーナハの家があるマルクト広場に出る。広場の南側には、何だか趣のあ
るエレファントホテルがあり、その名のとおり、
「象」が出迎えてくれる。広場の西側には、市庁
舎があり、石造りの立派な建物で、ワイマール市旗、ドイツ国旗のほか、ユーロの旗も掲げられ
ていた。ワイマールは、1999 年に EU 文化首都に選ばれた町で、この EU 文化首都というのは、EU
(欧州連合)が一年間にわたり観光誘致などその町の発展に重点的に取り組むため指定する仕組
みだ。そのことからも、ワイマールの文化や歴史の価値がどれほどか、よく分かる。余談ついで
に、その EU 文化首都に指定される前年、1998 年には、
「ワイマール・古典主義の都」として町そ
のものが世界遺産の認定も受けている。
マルクト広場から南へ行くと、フラウエン広場が見えてくる。藤棚らしきものがあり、遠足の
生徒たちもたくさんいる。時間もお昼を過ぎ、その広場にあったテューリンゲンブルストを焼い
ている屋台があったので、頂くことにした。テューリンゲンブルストは、他のブルスト(いわゆ
るソーセージ)と比べると、太くて長いので、食べ応え満点だ。パンに挟んだブルストを頬張る。
ジュワーっと肉汁が口の中に広がり、香ばしい香りとともに、喉を通り過ぎて行く。レストラン
で食べるのも良いが、外で、ちょっと買って食べるのも楽しいものだ。
寄り道しながら、ようやく「ゲーテハウス」にたどり着いた。少し分かりにくいが、入口で入
場券を買い、案内に従って入館口へ行くと、音声ガイドを借りるように指摘を受ける。なるほど、
ツアーガイドは行わないが、音声ガイドに従ってしっかり勉強せよということらしい。英語のガ
イドを手渡されるが、英語は分からないので、ドイツ語のものと変えてもらう。といっても、ド
イツ語も 9 割以上、聞き取れなかったが・・・所々にいる学芸員の人が、
「ちゃんと聞いている!」
といった目で見てくるので、分かったふりをしながら見学する。26 歳でワイマールへ招かれた時
は、ここで生涯を終えるとは思っていなかっただろうに、この町の居心地の良さが彼を引きとめ
たのだろう。ワイマールの町を歩いて、その気持ちが少し分かったような気がする。
ゲーテは 1832 年 3 月 22 日、寝室の肘かけ椅子に座ったまま「Mehr Licht!(メア・リヒト)」
(もっと光を!)と言い、空に「W」の一文字を書き、しっかりピリオドを打って息を引きとった。
享年 82 歳と 7 か月。その寝室が、2 階にある。どんな思いで、ゲーテは目を閉じたのだろうか。
そんなことを考えながら、ゲーテハウスをあとにした。
シラー通りを通り、シラーの家を外から眺め、再び国民劇場の前に戻って、お土産店などを見
ながら、周辺を散策した。
「アイス・カフェ」というカフェで、アイスクリームを買い、ひと息つ
いた後、駅へ戻ることにした。途中、郵便局があり、昨日書いた絵葉書を送る。課題クリアだ!
絵葉書は、1 枚 0.75 ユーロ。航空便で 4~5 日で着く
と考えると、安い気がした。局員の女性が、とても親切
で、笑顔で対応してくださった。
駅までやって来たが、まだ午後 3 時だった。予定はし
ていなかったが、ここからワイマールの属するテューリ
ンゲン州の州都・エアフルトまでは列車で 15 分ほど。
せっかくなので、行ってみることにする。
ワイマール駅を午後 3 時 17 分に出発する RE(レギオ
ナル・バーン)に乗る。時刻表の見方も慣れてきた。切符を自動券売機で買うのは、一苦労した
が、何とか購入できた。エアフルト中央駅までの料金は、一人片道 5 ユーロ。駅を出ると、間も
なくして車掌が検札にやって来る。これだけは、なかなか慣れない。たいてい強面の人が多いか
らだ。事なきを得て、車窓に目をやると、広々とした風景が次から次へと飛び込んでくる。
ワイマール駅を出て、2 駅―「Hopfgarten」駅に着く。Hopfen(ホップフェン)というのは、
ホップのことなので、
「ホップ畑」という意味だろうか。駅前には、菜の花畑が広がり、とても綺
麗だった。どこまでも続く菜の花畑、ぶらりと降りて、散策してみたいところだが、ひとまず、
エアフルトまで向かう。
午後 3 時 35 分、エアフルト中央駅到着。地域間列車だったが、新しい車両だったこともあり、
とても快適だった。エアフルト中央駅から市電に乗り、大聖堂のあるドム広場(Domplatz)へ行
こうとしたが、市電に乗る切符が券売機で買えない。後で思ったのだが、つり銭切れだったので
はないだろうか。真相は謎だ。悪戦苦闘していても時間がもったいないので、歩いて行けない距
離だということもあり、歩くことにした。
どうも疲れからか、方向感覚がおかしくなっていたため、ガイドブックに書いてある様子と違
う。駅から北に進むべきところを南へ進んでしまっていた。市電の線路沿いに歩いてはいたが、
逆方向で、住宅街を歩いていた。すれ違う人が、怪訝そうな表情だったのは、そのせいだろう。
ドイツの日常生活を垣間見られたということで、よしとして、来た道を戻る。石畳の道は、歩き
なれていないので、意外と疲れやすい。
「エアフルトに来た!」という実績にはなるので、これで
帰ろうかとも思うが、再び券売機での切符購入にトライした。乗り場が違っていたこともあり、
今回はうまく買うことが出来た。ちょうど、電車も入線してきたので、乗り込む。ところが、一
向に発車しない・・・。前の列車がつかえていたためか、時間調整のためか、いずれにせよ 10 分
ほどして発車。エアフルトの町中をゆっくりと走る。市電から眺める町も、また良いものだ。
ドイツの市電は、大部分が低床型といって、乗り降りしやすいように低い設計だ。そのためか、
座っていると、外を歩いている人と目線が、ほとんど同じで面白い。商店などが立ち並び、楽し
そうなので、帰りはこの道を歩いて帰ろう。10 分ほどで、目的のドム広場に到着。目の前に広場
があり、その奥にある階段の上に大聖堂とセヴェリ教会がそびえ立っている。ちょうど、傾き始
めた陽が大聖堂と教会を照らし、とても神々しい雰囲気が漂っていた。
ゆっくりと大聖堂を目指し、一段一段階段を登って行くと、その大きさが分かる。創建は 742
年というから、日本の奈良時代だ。とてつもなく古い。もちろんその後、改修が加えられ、今の
形となったのは 1465 年という。とはいえ、500 年以上もの間、形を変えず今に至っていると思う
と素晴らしいという言葉では言い尽くせないものがある。
入口には、12 使途の像があり、それ以外の彫刻も目を見張る。大きな扉を開き、中に入ると、
さらにその壮麗さに驚く。何といっても 14 メートルもの高さのステンドグラスが、目を引く。そ
の美しさは、どう表現したらいいのだろう。椅子に腰を降ろし、ゆっ
くりと彫刻や飾り、そしてステンドグラスの一つ一つを眺める。この
空間の持つ力を感じる。500 年もの間、本当に形を変えず、ここにあ
ったのか不思議で仕方がない。日本にはない文化だろうし、技術だと
思った。日本には日本の素晴らしさがもちろんあるが、それとはまた
違う味わいや雰囲気、何より規模の大きさを感じた。規模というか、
空間の広さと言ったほうが正しいかも知れない。日本のものは、木造
建築なので、大規模なものはあるが、吹き抜けなどの空間を持たせる
ことは技術的に難しいのだろうと思う。建築に関しては、素人なので、
間違っていたら教えてほしい。土地柄というものも関係しているのか
も知れない。ドイツにあるから、違和感なく受け入れることができる
とも思う。本当に訪ねて良かった。そのことを痛感した。
「エアフルトに来た!」という実績だけ
で帰ろうとしたことを恥じた。エアフルトに立ち寄ったなら、この大聖堂は必見である。
気が済むまで大聖堂を拝見し、隣にある「セヴェリ教会」へ入る。こちらも素晴らしい。外観
は、3 本の塔がバランス良く並んでいて、シンボルとなっている。また教会内は、白壁が眩しく、
とても清廉な印象を受けた。ここセヴェリ教会では、ルターの生誕に合わせ毎夏、音楽祭が開催
されているらしい。その時に、一度、訪ねてみたいものだ。
見学後は、歩いて駅へ戻る。マルクト通りを東に進むと市庁舎の建つフィッシュマルクトに出
る。ここから南に行くと、ゲラ川を渡る橋があり、さらに進むと、
「アンガー広場」がある。ドム
広場と並び、エアフルトの中心的な場所だと思う。
「アンガー(Anger)
」というのは、ドイツ語で
「放牧場を兼ねた村の広場」という意味だ。そこから、バーンホフ通りを歩くと、エアフルト中
央駅に出る。バーンホフ通りには、お店が立ち並び楽しい。エアフルトの絵葉書などを買って、
駅へ向かった。州都というだけあり、たくさんの人がいたが、どこか落ち着いた町で、良い雰囲
気だった。とくに、大聖堂が印象的で、また訪ねてみたいと思っている。
駅に戻り、列車の時間を確認すると、午後 5 時 50 分発か午後 6 時ちょうどというのがあり、30
分から 40 分あったので、構内を散策する。夕食を採っても良かったので、インビス(軽食店)に
入って食べる。ビールも飲んだ。テューリンゲンのビールだったが、銘柄を控え忘れてしまった
ので、紹介できない。
午後 6 時発の RE に乗り、ワイマールへ戻る。ほんの 15 分だが、ワイマールとは違った「町」
のエアフルトも散策することができ、充実した 1 日となった。ちょこちょこと食べたので、本当
はホテルのレストランへ行くつもりだったが、部屋に戻りシャワーを浴び、一休みしていると、
疲れからか寝入ってしまっていた。ドイツ旅行も折り返し日。早いものだ。明日は、世界遺産・
ヴァルトブルク城のあるアイゼナハを目指す。
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