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Title アイルランド語復興と - Kyoto University Research Information

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Title アイルランド語復興と - Kyoto University Research Information
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アイルランド語復興と「アイルランド人」自己意識の変
容( Abstract_要旨 )
福岡, 千珠
Kyoto University (京都大学)
2009-03-23
http://hdl.handle.net/2433/123926
Right
Type
Textversion
Thesis or Dissertation
none
Kyoto University
f薪制、
人
学位審査報告書
1
1
0
( ふ り が な )I ふ く お か ち ず
h~
名i 福 岡 千 珠
氏
一一一一一一一一一一一E
学 位 ( 専 攻 分 野 )I 博士(人間・環境学)
学 位 記 番 号 i 人博
4
4
7号
第
学位授与の日付
平 成2
1年 3月 2
3日
学位授与の要件
学位規則第 4条第 1項該当
研究科・専攻
人間・環境学研究科
文化・地域環境学専攻
(学位論文題自)
アイルランド語復興と f
アイノレランド人 J
自己意識の変容
論文調査委員
主査教授
E. ヨリッセン
高Ij査准教授
岡真理
五J
r査 准 教 授
ブライアンハヤシマサノレ
人間・環境学研究科
福 岡 千 珠
(論文内容の要旨)
本学位申誇論文は、 2
0世 紀 ア イ ル ラ ン ド に お け る ア イ ル ラ ン ド 語 復 興 の 問 題
を、!日植民地における人々のアイデンティティ意識の変化と関連づけて論じた
ものである o こ れ ま で ア イ ル ラ ン ド 語 復 興 の 問 題 は 、 も っ ぱ ら 言 語 教 策 上 の 問
題として分析されてきたが、この論文では、言語復興の問題を、独立後の社会
的 混 乱 と そ れ に 伴 う 価 値 観 の 変 化 の 中 で 動 揺 す る 人 々 の 「 自 己 意 識 J との関連
において位置づける
D
その上で、当時の人々の自己表象の中に f
言 語J の問題
がどのように織り込まれているのかを明らかにしようとする o
論文は六章と、序章、補遺から成り、序章および第一章で問題の所在と概略
が述べられる o 第一章では、独立前夜の 1
9世紀末と、 1
9
2
0
.
.
.
.
.
.
.
.
4
0年 代 の ア イ ル
ランド語復興に関する言説の違いに焦点が置かれる o 前者のアイルランド語復
興 を 「 創 造 段 階 j、 後 者 を 「 再 構 築 段 階 j の 文 化 ナ シ ョ ナ リ ズ ム に あ た る と し 、
両者の違いが述べられる O 前者ではアイルランド文化が常に「過去のもの j で
あり、それゆえに f
神秘的なもの J として描き出されているのに対し、後者で
はそれが日常生活や「共時間性j の中に位置づけられたことを指摘する o 前者
におけるアイルランド文化の異質性や非自常性の強調には、「民族Jや「由民
文化 J という概念を本質化せずーっの理想、として描き出し、異なる宗教・歴史
的 背 景 を も つ も の に よ っ て 共 有 可 能 な も の と す る 意 図 が あ っ た o しかし、 20
世紀前半に独立アイルランド政府によって「アイルランド文化J が制度化され
てしまうと、カソリシズムとゲーノレ民族の系譜を要件とする、単純化されすぎ
た f国 民 J 像 が 新 た に 浮 か び 上 が る こ と と な る o 本 論 文 は 、 ア イ ル ラ ン ド 語 復
興に対する人々の反発や失望は、「創造段階J と「再構築段階j の二つのナシ
ョ ナ リ ズ ム が 描 き 出 す f国 民 像 J の ず れ の 結 果 生 じ た も の で あ る と 指 摘 す る o
しかし、その反発や失望は決して一様なものではなかった
D
第二章から第六
E植 民 地 に お い て 異 な る 自 己 意 識 を 持 つ も の の 視 点 か ら 、 ア イ ル ラ ン ド
章は、 I
語復興の問題を取り扱っている。
第ニ章では、独立アイルランドの実質的なマジョリティとなったカソリック
の英語話者の視点が取り上げられる。従来、彼らの不満は、英語話者が優遇さ
れない制度に向けられたものだとされてきたが、ここではカソリヅクで英語話
者 に よ る ア イ ル ラ ン ド 諾 復 興 批 判 を 検 討 し 、 そ れ が 新 し い f国 民 像 j に対する
違和感を背景としていたことを指摘する o
第三章では、数の上では少数派であるアイルランド語話者からの視点を取り
上げる
o
創 造 段 階Jお よ び 「 再 構 築 段 階Jの ア イ ル ラ ン ド 諾 ナ シ ョ ナ リ ズ ム
に共通していたのは、それがわずかに残されたアイルランド詩話者を疎外する
ことで成り立っていたという点である。「アイルランド国民j の定義が様々に
変 化 し て ゆ く 一 方 で 、 ア イ ル ラ ン ド 語 話 者 た ち に は 、 常 に そ の 「 原 型 j として
の役割を担うことが期待されていたo しかし、他方で、アイルランド語話者は
英語を必要とする公職につき、教育に携わるなど、公的な場に進出することが
期待された。つまり、アイルランド語話者は、大きな価値観の転換期に直面し
た 当 時 の 人 々 の さ ま ざ ま な 矛 盾 を 一 手 に 押 し 付 け ら れ て い た o しかし、一部の
アイルランド語作家は、自らの作品において古いアイルランド人像を真っ先に
捨て去ることで、その矛盾から逃れようとしたと申請者は論じる。
第四章、第五章では、入植者麗の視点、つまりかつてアイルランド語復興主
義を牽引してきた層であるアングロ・アイリッシュと、北アイルランドのユニ
オニストの視点それぞれが論じられる o 前者は沈黙、後者は反発と否定と現れ
方は異なるものの、アイルランド語復興主義に対する両者の態度の背後には、
独立に伴う社会的変化によって周縁的立場に追い込まれた者の不安と混乱が、
背 後 に 存 在 し た こ と を 指 摘 す る o そして、 fア イ ル ラ ン ド 人 j と い う 枠 組 み か
ら排除されているという意識が、アイルランド文化についての議論からの意図
的 な f撤 退 j と な っ て 現 れ た の だ と 指 摘 す る o
第六章は、アイルランドにおける言語使用が、言語イデオロギーによって影
響を受けながらも、予期せぬ変化や発展を遂げてゆくさまに焦点を当ててい
るo ブ レ ン ダ ン ・ ピ ー ア ン の 小 説 に 見 ら れ る ア イ ル ラ ン ド 語 と 英 語 の 二 言 語 使
用や、コードスイッチング、またインフォーマノレな場におけるスラングとして
の、また暗号としてのアイルランド語使用などの例を分析しながら、規範的で
はない言語使用の中に言語ナショナリズムを乗り越えてゆく契機を見出して
いる o
以上のように、本論文は一貫してアイルランド語復興という一つの角度か
ら 、 独 立 ア イ ル ラ ン ド に お け る fア イ ル ラ ン ド 人 J ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 変 化 を
論じたものである O その視点からは、アイルランド語復興に関する議論が、単
なる言語政策上のものにとどまらず、人々の自己意識や価値観が大きく変化し
た時代に、かつての自己意識と新しい自己意識とのずれから生じる精神的動揺
や不安を背景としていたことが明らかにされた。
(論文審査の結果の要旨)
本学位申請論文は、 20 世 紀 ア イ ル ラ ン ド に お け る ア イ ル ラ ン ド 語 復 興 の 問
題を、!日植民地における人々のアイデンティティ意識の変化と関連づけて論じ
たものである。
昨今、アイルランド研究の分野では、北アイルランド紛争に代表される独立
後のアイルランドに見られる諸問題や社会的多様性を、例外的な現象としてで
はなく、ナショナリズムの不可避的な帰結として、植民地支配の長い歴史的ス
パ ン の 中 で と ら え よ う と す る 動 き が 活 発 と な っ て き て い る o しかし、これまで
アイルランド語ナショナリズムについては、独立前と独立後では、その社会的
意味や重要性が大きく変化したにもかかわらず、もっぱらアイルランド自由国
成立(
1
9
2
2
)以 前 の ア イ ル ラ ン ド 語 復 興 主 義 に 焦 点 を 当 て る 言 語 ナ シ ョ ナ リ ズ
ム論と、 1
922 年 以 降 の 独 立 政 府 に よ る 言 語 復 興 政 策 を 扱 う 言 語 政 策 論 に 二 分
され、その両者を架橋する議論が見られなかった。さらに、後者では、義務教
育などの復興政策を取りながらも、話者数がさほど増えなかったことを受け、
復 興 は 独 立 ア イ ル ラ ン ド 政 府 の 政 策 上 の 「 失 敗 Jで あ っ た と 結 論 づ け る 傾 向 に
あり、独立後の社会における思想としての言語ナショナリズムやその影響など
については、あまり研究されてこなかった
O
本論文は、上記の流れを念頭に置き、言語ナショナリズムおよび言語復興の
問題を、ポスト・コロニアノレの文化とアイデンティティの問題として捉えなお
すことを試みたものである o 申請者は、アイルランド語復興に対する人々の反
発は、独立前後のナショナリズムの変化の必然的帰結であるとする。その上で、
アイルランド語の問題を、独立後の社会的混乱とそれに伴う価値観の変化の中
で動揺する人々の「自己意識j との関連において位置づけ、彼らの自己表象の
中に「言語j の 問 題 が ど の よ う に 織 り 込 ま れ て い る の か を 明 ら か に し よ う と し
たo 言 い 換 え る な ら 、 本 論 文 は 、 ア イ ル ラ ン ド 語 復 興 の 問 題 に 一 貫 し て 焦 点 を
当てながら、アイルランド独立前と独立後の議論を、その連続性・非連続性に
注 目 し な が ら 接 続 し 、 ま た 「 国 民 J を 単 位 と す る マ ク ロ な 観 点 と 「 個 人 J を単
位とするミクロな観点を連結しようとする試みであり、その独自性は十分に認
められるものである o
本論文は六章と、序章、補遺から成る o 第一章では、独立前夜の 1
9世 紀 末
と
、 1
9
2
0
"
'
'
4
0年 代 の ア イ ル ラ ン ド 語 復 興 に 関 す る 言 説 の 違 い に 焦 点 を 置 き 、
前 者 の ア イ ル ラ ン ド 語 復 興 を f創 造 段 階 J、 後 者 を f再 構 築 段 階 J の 文 化 ナ シ
ョナリズムにあたるとし、両者の違いを述べる o そしてアイルランド諾復興に
対する人々の反発や失望は、「創造段階 j と「再構築段階 j の二つのナショナ
リ ズ ム が 描 き 出 す f国 民 像 j のずれの結果生じたものであると指摘する。また、
第二章では新国家のマジョリティであるカソリック、第三章ではアイルランド
語地域のアイルランド語話者、第四章では出入植者層であるアングロ・アイリ
ッ シ ュ 、 第 五 章 で は 北 ア イ ル ラ ン ド の ユ ニ オ エ ス ト 、 第 六 章 で は I R Aといっ
た多様な立場に焦点を当てた、多様なアイルランド語復興論、そしてアイリッ
シュ・アイデンティティ論が展開されている。
本論文が解き明かそうとするのは、新政府が構築を目指した o
r
国民文化 J
に対して、人々がしばしば表明する違和感である。その違和感は、声高に叫ば
れることはほとんどなく
またそれぞれの不安や混乱の中で表現されることが
多い。したがって、申請者は、 20世 紀 初 頭 の ア イ ル ラ ン ド 語 復 興 論 争 や 歴 史 認
識についての議論だけではなく、独立前後の社会的変化をテーマとした小説や
エッセイ、またアイノレランド語で書かれた小説や詩などの幅広い資料に見られ
る言説を分析し、その背景を明らかにしようとした o その結果、独立後のアイ
ルランド語復興政策に対する人々の反発や批判は、植民地主義の f
解 決 j とし
ての「独立 j と い う 社 会 的 変 化 に 対 す る 違 和 感 を 背 景 と し て い た こ と を 明 ら か
にしている o
また本論文が、これまでアイルランド語復興との関連においては取り上げら
れることの少なかった、植民地の!日支配者層であるアングロ・アイリッシュの
視点(第四章)や、入植者であり労働者階級であった北アイルランド・ユニオ
ニ ス ト の 視 点 ( 第 五 章 ) を 取 り 上 げ 、 論 じ て い る の は 重 要 で あ る o なぜなら、
彼らの視点から考えた場合、アイルランド語復興の問題は、アイルランド文化
の 問 題 に 「 参 画 j し f関 与 」 す る 資 格 を 持 っ と 各 々 が 考 え る か ど う か と い う 問
い に 深 く か か わ っ て い る か ら で あ る o 第 四 章 で は 、 あ く ま で 自 ら を fアイルラ
ンド人 J の 一 員 だ と 位 置 づ け 、 声 高 に ア イ ル ラ ン ド 語 復 興 批 判 を 続 け た 数 少 な
い一人である H ・パトラーと対比させることによって、他のアングロ・アイリ
ッシュの f沈 黙 J の 意 味 を 解 き 明 か し て い る o ま た 、 第 五 章 で は 、 北 ア イ ル ラ
ンドのユニオニストが一切のアイルランド文化を否定してきたことは、「アイ
ノレランド人 J と い う 定 義 か ら 排 除 さ れ た と い う 意 識 か ら 生 じ た 「 反 動 的 な 自 己
排除j であったのだと指摘する
O
つまり、彼らはアイルランド文化に無関心で
あったのではなく、アイルランド文化について論じる資格を失った、と考えて
い た の で あ る o こ の よ う に 「 沈 黙 J や 「 脱 退 ( 自 己 排 除 )J といった、通常自
に 見 え る デ ー タ や 言 説 と し て は 現 れ な い 、 入 植 者 層 の fネ イ テ ィ ヴ J 文 化 に 対
する複雑かっ多様な感情を明らかにしている点で、第四章・第五章は非常に注
目すべき議論を展開している
O
本論文は、アイルランド固有の問題に焦点を当てた結果、言語についての問
題を共有するはずの般の!日植民地との関連を見据えた、より普遍的な考察には
未だ歪つてはいないが、本論の基になったナショナリズムやポスト・コロニア
リズムについての理論的考察は、申請者が今後そうした方向へ研究を発展させ
ていくことを十分期待させるものである o
以上の点を総合的に考え、本論文を博士(人間・環境学)の学位論文として
価 値 あ る も の と 認 め る o 又 、 平 成 2 1年 1月 9 日 、 論 文 内 容 と そ れ に 関 連 し た
試問を行った結果、合格と認めた。
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