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ヒッ ピアスに見るー8世紀の人間像

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ヒッ ピアスに見るー8世紀の人間像
文学研究論集
第8号1998.2
ピッピアスに見る18世紀の人間像
一『アーガトン物語』に投影された極端な啓蒙主義に由来する唯物論的価値観について一
Das in Hippias ausgeprtigte Menschenbild des 18. Jahrhunderts
−Uber die materialistische Wertvorstellung in Spiegel der radikalen Aufklarung,
die sich in Wielands。Geschichte des Agathon“zeigt一
博士後期課程 独文学専攻 1993年度入学
野 口 健
Takeshi Noguchi
◆ ◆ ◆ 序 ◆ ◆ ◆
ヴィーラント(Christoph Martin Wieland,1733−1813)が「アーガトン物語』。Die Geschichte
des Agathon“の第3巻「ヒッピアスの哲学(Philosophie des Hippias)」においてとりわけ浮か
び上がらせようとしていることは,およそ次の2点に集約できると考えられる。第1点は1750年代
末まで続いたドイツ啓蒙主義における,フランス精神に従った唯物論や感覚論とそれに関連させて
の幸福論を,アンチプラトニズム的美学に則って追求することであり,第2点は善美,美徳,正義
の恣意性と,道徳の理想が幻想に過ぎず,人間にとっての唯一の理法は相手に好意を持って迎えら
れるように行為する世界市民の生き方であるというピッピアスの信念の証明である。第1点につい
て,先に「『アーガトン物語』におけるピッピアスの哲学について」(文学研究論集第4号)で論じ
たのに続き,本論文ではこの第2点を採り上げたい。第3巻においてピッピアスは純粋な哲学的見
地から唯物論的感覚論に基づく幸福論を展開し,そこで快楽の追求とその生産の正当性を論じてき
たが,第4章の半ば(S.93ff.)から俄に視点を変える。即ち,理論の遊戯から,幸福獲得に向けた
実践論へと論調がその趣を変え,幸福の体現である快楽的な状況の獲得について社会学的な眼を通
して批判分析し,唯物論的幸福の実現の為の普遍的技術について検討するのである。そして,いか
なる風俗,習慣,社会にあっても,自らを器用に環境に適合させる為の世界市民の意識の必要性と,
これを用いて人間の行動の動機となっている情念を支配して他人から自己の利益を引き出す技術
(ソフィストの知恵)の重要性を説く。ヴィーラントの伝記を書いたグルーバーは1830年に次のよう
に書いている。「ドイツ国民をおそるべき道徳的堕落の淵につれてきたのはヴィーラントだったし,
一171一
又,真理と美徳にとってもその著作によって公共と家庭の幸福の礎石を台無しにしてしまったのは
ヴィーラントだった。(H.W.Seiffert, Wielandbild und Wielandforschung. Biberacher y∂瑠㎎a
S.80ff.飯塚信雄訳参考)」しかし,利益追求が当然のものと認められるに伴い,社会そのものが利
益社会へと変わりつつある当時においては,倫理的意識にも単なる理想の追求の域を出て,利益へ
と結び付く現実的機能が求められるようになる。その意味で,幸福実現の為の必要悪の正当性と利
益社会におけるポスト倫理の姿勢を「ピッピアスの哲学」に観ることができる。本論文においては,
極端な啓蒙主義から起こる唯物論的価値観の下に生きる18世紀の新人類の実像とその視点をピッピ
アス1)の中からあぶり出すことを試みたい。
1.唯物論的幸福論の実践について
他人の所有物をその好意もろともに所有できる人間とは誰にでも気に入られる術を
心得ていると同時にそこから自己の利益を引き出せる人間であることについての考察
18世紀の啓蒙主義者達の中には,唯物論や感覚論に基づいて幸福の追求を試みる者が多く現れ,
自然を人間の支配下におこうとしていた。このことが自然的快楽の類型を生み出す人間の技術を発
展させ,それらの技術に基づいて生産されたものを豊かに所有できる金持ちが,その経済的地盤の
故に,至福に一一ts近い所にいるとピッピアスは考えている。そこで「金の雨の素晴らしい輝きを帯
びた,各々の美の中にダーナエのような人を見出せるような本当の賢者の石」(S.91)として,お金
を活用することが重要となる。それでは金持ちになるための技術とは何なのか。それは「根本的に
他人の所有物をその好意もろともに所有すること」(S.91)(以下,これを「合題A」と呼ぷ)であ
るとピッピアスは言う。そしてこの技術がどのような形で実践されるかを専制君主の場合と共和国
の政治家の場合について検証し,上掲の「命題A」を満たす為に必要とされる人間の空想力を支配
する人心掌握術(ソフィストの知恵)の有効性を説こうとする。
ピッピアスは「専制君主の如き人間は,エジプト人がワニを崇めるにも似た偏見のおかげで非常
な利益を得ている」(S.91)と述べている。つまり,伝統によって聖化された絶対的カリスマ性によ
って「命題A」を満たしているわけである。しかしこのカリスマ的支配による「命題A」の実現が
人の心からの好意までもかち取っているかどうかは疑わしい。これに対して「命題A」を満たす為
に人の見せかけの好意ではなく,本当の好意を手に入れねばならない社会の例として,ピッピアス
は富と贅沢さを極めてきた共和国を例に挙げている。こうした国家で「命題A」を満たす為に人の
心からの好意を得るには,まず人に気に入られることが必要となる。この理念に基づいて政治を行
った政治家の例としてペリクレスの名前をピッピアスは挙げている。そして外交政策に不正を働こ
うとも失脚せず,史家トゥキュディデスをして「名においては民主政,事実においては第一人者に
よる支配」と言わしめた黄金時代(443B.C.∼429B.C.)をペリクレスが築くことができた理由とし
一172一
て,彼の人望の厚さを指摘し,人望を得るためのペリクレスの手腕(政治技術)について次のよう
にピッピアスは言っている。
「1緯大な考えを自分のうちから呼び起こす技術,相手を説得する技術,アテネ人の虚栄心
から利点を引き出す技術と彼らの情念を支配する技術こそ彼(ぺりクレス)の政治技術の
全てである。彼は不当で不幸な戦争に共和国を巻き込み,公的財源を消耗し,暴力的なゆ
すりのために同盟者を立腹させた。(筆者注:アテネがデロス同盟の盟主となりエーゲ海一
帯のポリスから貢租を取り立てた。その資金を土台としてペリクレスは民主政治を徹底し
たが,後にアテネが海上支配の利益を独占していたことが同盟諸国に不満をかもす。尚,
477B.C.にデロス同盟が結成された時,加盟国に対する貢租の割り当て額の決定を委ねら
れたのは義人アリスティデスであった。)そこで民衆が,恥ずべき国家行政を正確に直視す
る時間を持てないようにするために,彼は劇場を建設し,民衆に美しい彫像や絵を観賞さ
せ,躍り子や演奏家によって彼らを楽しませ,変化に富んだ楽しみに大いに親しませたの
で,新しい作品の上演や何人かのフルート奏者のタイトル争いまでもがついには国務にさ
えなってしまうほどであった。そのためにそれらの実状は忘れられてしまった。ほんの50
年前であったならば,ペリクレスの如き人間は共和国のペストと見なされたであろう。し
かし当時にあってもペリクレスはアリスティデスのような人間であっただろう。ペリクレ
スは彼の時代,まさにそうだったからこそ国家の最も偉大な男であった。(筆者注:アリス
ティデスはペルシャ戦争中のプラタイヤの戦いでギリシャ軍の総帥として活躍した実直で
有能な軍人。これに対してペリクレスは軍人としての才能はあまりなかったと言われてい
る。)ペリクレスはアテネが達することができる権力と栄光の最高の段階にアテネを高めた
男であり,その男の時代は後にミューズの黄金時代と呼ばれる。そして2)ペリクレス自身に
とって最も重要なことは,自然(筆者注:ギリシャ人の神の概念)が,エウリピデウスと
かアリストファーネ,フィディアスとかツォイクシス,またダイモンとかアスパジアなど
を彼のために集わせてくれて,彼の公的生活が輝いていたのと同時に,彼の個人的生活が
快適だったということである。」(下線筆者)(S.93)
国内では民主政治が頂点に達し,多くの植民地を基盤に巨大な帝国が築かれ,商業や工業,学問や
芸術が興隆した燗熟期に入ったアテネを舞台に,ペリクレスは国家レベルで総合的文化向上の旗手
を演じ,己が名声を勝ち得たと言われてきた。そして共和国で「命題A」を満たすために必要とさ
れる技能とは,ぺりクレスにとって,人に気に入られる技術であると同時に人心掌握術そのものだ
った。しかしペリクレスが栄光の頂点に登りつめた理由としてピッピアスが最も強調しようとした
点は,ペリクレスの人心掌握術の具体的な方法,即ち下線部1に示されるペリクレスの政治技術を
構成する4つの要素(「偉大な考えを自分の内から呼び起こす技術」「相手を説得する技術」「アテネ
人の虚栄心から利点を引き出す技術」「彼らの情念を支配する技術」)を巧みに使い分けながら国民
一173 一
の快楽を増進させる活動を行ったことである。これら4つの技術は基本的に「他人に好かれる」こ
とによって相手から利益を引き出すことを目的としている。これら4つの技術のうち,最初の2つ
は自己の存在を相手に主張する技術を,後の2つは相手の隠された願望や好みを探り当て,そこか
ら相手の心の中に侵入し,最も良き理解者に成りすまして相手の心を支配する技術(人間の想像力
を支配するソフィストの知恵とほぼ同義である)を示唆していると考えることができる。そして人
間の持つ能力や価値の善し悪しといったものが時代やその時々の状況によって全く変わってしまう
という事実を踏まえた上で,自分という人間を世界(自分を認識する他人の意識)にどのように投
影すべきか,また自分自身が現実に他人の意識の中にどのように捉えられるかといった問題が,幸
福な状況を自らの手で作り出すために極めて重要であるということを,アーガトンの立場に立たさ
れる読者に認識させようとしている。
次に,下線部2の記述では,自己の願望でもある他人に認識させたい理想的な自己(本当のペリ
クレス自身はどうであれ)即ち,アテネの市民の目に映らなければならない「ペリクレス」という
人間像を,記号化して大衆に認識させる形が示唆されている。つまり,アテネの人々の目に映る記
号化されたペリクレスの像とは,ギャラントで演劇(文学),絵画(美術)に通じ,徳性(この場合
は,「してはいけない」と戒める節制の声。ダイモンやアスパジアが呼びかける内面の声2)のこと)
に秀でた文化的名君だということである。
以下,政治家というポジションを利用したペリクレスの幸福をつかむ技術をまとめてみると次の
ようになる。金持ちに成る為の「命題A」を満たすには,多くの人の好意を獲得することが最も重
要であるから,彼は国民の快楽を文化的レベルで増進させる政策を執る。それによって自己を国民
や国家の富と快楽の象徴とすることで「命題A」を実現する。しかしこうした彼の行為の根底にあ
るのは,感覚的快楽に由来する入々の情動を自在に操作する技術であり,ピッピアスの説くソフィ
ストの知恵(ソフィスト達の快楽を促進し,彼らの意図の道具となるように人間の技能を使用する
知恵)と大きく重なり合うところがある。そしてそれは下線部1に述べられた4要素であり,その
うちの後の2つ(人の虚栄心から利点を引き出す技術,人の情念を支配する技術)を換言する形で
述べた箇所を,次の「人間の想像力を支配する技術」について語るピッピアスの言葉に読み取るこ
とができる。
「人々の想像力を支配する技術,それはまた人々が自分自身気が付いていない自分達の行
動の動機を我々の気に入るように操作する技術(筆者注:ペリクレスがアテネ人の虚栄心
から利点を引き出す技術と同義)であり,我々は彼らの味方であると人々に思わせておく
ことで,人々を我々の目的の道具とする技術であって,人間を掌握する者にとって,疑い
なく最も有用なものとなるのである。そして,このことがソフィスト達が教え,駆使した
技術であり,その技術にソフィスト達は自分達が楽しんでいる人望や自由や幸福な日々の
ことを感謝せねばならない。」(S.94)
一174一
そしてピッピアスはこうした人心掌握術の実行のための基本条件である雄弁さの最も効果的なあり
方について,今度はソフィストの立場から次のように定義している。
「そもそも雄弁とは,どんな聞き手に対しても,我々の欲している全てのことについて説
得することができ,我々の意図の必要に応じて聞き手をどんな情熱のどんな程度にでも置
けるということで初めてその名に値する。」(S.94)
つまり雄弁術には,要求する側の立揚を相手に理解させ実感させるだけでなく,要求する側の立場
に相手を感情移入させる強力な説得力が求められるのである。そしてピッピアスはこうした雄弁術
を駆使することのできた政治家としてアルキビアデス3}を挙げている。アテネの政治家であるアル
キビアデスはペロポネソス戦争を指揮するが,シラクサの遠征に惨敗した後,アテネを裏切ってス
パルタに逃亡した。後にアテネへの帰国が許されアテネ艦隊の指揮をとるが,ここでもスパルタ海
軍に敗北し,またもやスパルタへ亡命する羽目になる数奇な運命の持ち主であった。ピッピアスは,
祖国とスパルタの間で亡命を繰り返す人生を生き抜くことができたアルキビアデスの強かな雄弁術
の中で,ひときわ注目に値するものがその説得力であったことを指摘し,次のように述べている。
「アルキビアデスは,演説の巧妙な語り口の推敲などはアンティフォンの如き人間に任せ
る。彼としてはアルキビアデスのような愛するに値する人間なら自分の思いついたことを
何でもする権利があるのだと彼の同国人を説得するわけである。」(S.94−95)
「アルキビアデスは自分がスパルタ人の敵であったことを忘れさせるように,そして機会
が訪れさえすれば再び敵になるであろうということを忘れさせるようにスパルタ人達を説
得した。」(S,95)
上掲の引用のうち前者は,雄弁術に更に客観的権威の保証を付加することによって,その説得性を
増大させることを狙ったものと考えてよい。アンティフォンが「正義は法と一致する」という基本
概念の下で自然法の重要性を説いた哲学者であるヒとを考慮すれば,この文は,アルキビアデスが
自分の放恣的な行為をアンティフォンの専門的な文体で正当化することができると考えていたこと
を示唆していると思われる。後者は,自分を「相手に味方だと思わせる」ことが彼の説得力の担う
重要な役割であることを示唆している。しかし説得を完全なものにする為には,巧みな言語術や話
術やステイタスの利用に依存するだけでは不十分なのである。何故ならば人は視覚的な印象に左右
されるからである。こうした点を考慮した上でピッピアスは,相手を説得する際に必須となる前提
を次のように述べている。
一175一
「このような説得力は我々が利用しようとしている人間に気に入ってもらえるようなら,
どんな姿,形でもとれるような器用さを前提としている。」(S.95)
このようにピッピアスは人心掌握術についてペリクレスの政治術とアルキビアデスの説得術を具体
例に挙げて論及した後,人心掌握術を次の言葉で結論付けている。
「利用しようとする人間の心のどんな隠された入口でも確保できるという器用さ,それは
また,利用しようとする人間の情熱を我々の必要に応じて刺激したり(筆者注:逆撫です
る)愛撫したり(筆者注:同調する),ある情熱を別の情熱によって強めたり弱めたり制圧
したりする器用さなのである」(S.95)
この件は,人間の身体に受動的に生じる情念(Passion)のベクトルを自由に操る極意として述べら
れている。そして上記の事を実行する際にSchmeichelei(媚び)と呼ばれる行為が必要であると述
べている。こうして見てみると,ピッピアスの言うソフィストの知恵という人心掌握術は,人間の
行動を左右する人の情念や情動を,虚栄心をくすぐったり逆撫でしたりすることで支配することで
あり,その為に説得力のある雄弁術が必要であるということに集約されると思われる。しかし,こ
うした人と人の駆け引きに潜む狡さに長けることを善しとしないアーガトンの気持ちに気付いたピ
ッピアスは,アーガトンが常に心の支えにしている善美,正義,道徳といったものが絶対的なもの
ではなく,人間社会を生きる上でソフィストの知恵がいかに有用で全うなものであるかを説明しよ
うとするのである。
II.善美,美徳,正義の有効性について
一唯物論的見地から見たその限界と世界市民主義一
この先ヴィーラントはピッピアスに,極めてジャーナリスティックな姿勢で善美,美徳,正義に
ついて語らせる。以下,彼の抱く善美,美徳正義を本文中の具体例と対照しつつ考察していくわ
けであるが,それに先立ってピッピアスの持つそうしたものについての考えを包括的に概観してお
こうと思う。ヴィーラントの目まぐるしく視点の変わる難解な文章を読み解く上で必要だと思われ
るからである。彼は善美,美徳正義というものは,人間が個人個人異なっているように多種多様
であり,その意味において相対的なものであると基本的には考えている。彼の思い描く善美,美徳,
正義とは,形而上学的演繹推理に基づいた規範などではなく,人間の感覚によって知覚認識された
個々の事実を基に導き出される模範でもない。つまりピッピアスにとって善美,美徳,正義といっ
たものは理想でも典型でもないのである。この点に関してピッピアスは,ほとんど文化相対主義と
一176一
言えるような見地に立ってこれらの実像に迫ろうとする。従って,たとえ帰納推理的且つ唯物論的
にこれらのエッセンティアを追求しようとも,習俗的所産に普遍性を見出そうとする哲学者の戯れ
は,彼にとって意味のないことなのである。しかし個々の相対的な善美,美徳正義が歴史的時間
の経過を通じて固定化されることによってのみ生じるエートスは認めるのである。何故ならば,エ
ートスは哲学者の戯れによって生み出された放恣的な典型ではなく,歴史的風土的に正当化された
民俗的な実在としての重みを持つからである。実際,彼にとってのこれら3つのものは気候風土,
習俗といった外的要因によってその実体が現れるものであって,相対性を免れ得ないこうした外的
要因(時間空間的要因)を超越した絶対的(イデア的)なものにはなり得ない。彼にとって「理想
的な美と理想的な美徳は唯物論的霊魂論で述べた,あの霊魂のお伽話と同じ範疇に属するものに他
ならない」(S.96)のである。これら3つのものはそれ自体を形成している要因に基づいて存在する
ものであり,従ってその相対性をそのまま理解し受け入れるべきものなのである。すると,人類普
遍の善美,美徳,正義などは存在しないということになる。そこでピッピアスは,こうした実在性
を欠く人類普遍の絶対善に代わるものとして,世界市民精神(Kosmopolitismus)を持ち出す。元
来,相対的善を克服し得る絶対善を説く際に持ち出されるものは,現実性を欠く形而上学的超越論
であった。しかし反プラトン主義的姿勢を貫くピッピアスは,唯物論的な立場から彼独自の世界精
神を説く。18世紀の,立憲君主制から共和制へと移行していく歴史的潮流の中にあって,さまざま
な世界観やイデオロギー,時代の流行に器用に対処できる柔軟性が求められる中,さまざまな秘密
結社が生まれたが,ピッピアスの説く世界市民精神はその中でもイルミナーテン4)の精神性を色濃
く映していると思われる。ピッピアス自身がイルミナーテンの会貝であるかのような印象さえ受け
る。その内容については後述するが,基本的にこの世界市民精神とは,コスモポリタニズム的人倫
の理法(プラトニズム的な絶対的な格律に裏打ちされた道徳律ではなく,いかなる価値観の中にあ
ってもそこに自らを順応させることができる柔軟な精神の行動原理であり,その根底には他人に好
かれるように行動するという指導原理が存在している)であるということができよう。そして友愛
という形をとって現れるこの理法は,前述したソフィストの知恵や生き方(人付き合いの方法)を
も包含する清濁が混在した国際精神である。この理法はある種の偏った価値観に基づく世界観によ
って,国家,民族,習慣といったものを統一しようとする積極的な原理ではない。そうではなくて,
さまざまな善美の具現化である国家,文化,風習というものに柔軟に同化できる高度な教養人に自
分を改造する為のバランス感覚を体得して既成の枠組みを越えようとする精神であり,舞台裏から
実像を見て取ろうとする姿勢の故に,極めて政治的な色彩を含んでいる。こうした世界市民精神は
『ディオゲネス遺稿(NachlaB des Diogenes von Sinope. Aus einer alten Handschrift,1769)』や
『世界市民結社の秘密(Das Geheimnis des Kosmopoliten−ordens,1788)』の中で語られる世界市
民精神との共通性が少なからず感じられる。それでは,善美,美徳,正義についての検証と世界市
民主義についての各論へと進んで行こう。
一177一
II−1.善美,美徳についてのピッピアスの検証
第5章の冒頭においてピッピアスは次のように言明する。
「美とは何か? 善とは何か? 我々がこの問題に解答できるようになる前にまず,およ
そ人間が美しいとか良いとか名づけているものが何であるか問わねばならないと思われ
る。」(S.96)
ピッピアスは,善美についての考察を社会的見地から行う姿勢を貫く。即ち,善美について考える
際に彼は社会という枠組の中で人間の生活と密着させて捉えようとするのである。したがって彼は,
さまざまな民族や個人の美的趣味,さまざまな国の法や宗教,道徳観を形成してきた習俗習慣の中
に相対的な善美の例を見ざるを得ないことになる。そしてピッピアスは,相対的にしか存在し得な
い個々の善美において,善美の優劣というものがつけられるかどうかを論じようとする。絶対的善
美の価値が失われた状態(イデアの流出がなくなった状態,神が不在の状態)では,個々の相対的
善美は等価値であり,客観的に価値の序列をつけることは極めて難しい。そこでヴィーラントは,
ピッピアスに客観的な優劣を付けることを避けさせ,それを個人の主観に委ねる姿勢をとらせる。
即ち,最も教養に富むBUrgerの目に「洗練されたもの」として映ったものに月桂冠を与えようとす
るのである。そして「ピッピアスの哲学」においては,この最も教養に富むBUrgerこそ,18世紀の
知性の最先端を行く啓蒙主義者やロココ人の分身でもあるピッピアス自身であるということになる
よう仕組まれている。つまり客観的に且つ冷静にアーガトンに持論を展開しつつも,善美の審判者
はつまるところピッピアスの主観とも言えるのである。ピッピアスは美的趣味と習俗的な美といっ
た2つの観点から善美を観察していく。そしてこの2つの観点から見た善美は一体であるというこ
と,即ち,豊かでバランス感覚に富んだ感性(理性をも包含する感性,あるいは理性をも包含する
自然)によってもたらされる洗練された善美観(kalokagathia)の中では一体である旨を論証しよ
うとする。
まずピッピアスは美的趣味の善美の例として女性についての美の趣味を例に挙げ,さまざまな民族
の問で美について抱かれた考えにどれほど大きな違いがあったかを述べた上で,一応女性の秀麗優
美に関しては万人の意見の一致をみると説いている。
「美しい女性が自然のあらゆる創造物の中て最も美しいということで,万人の意見の一致
をみる」(S.96)
しかしさまざまな風土の中にさまざまな女性美が存在し,その美は一様ではない。
「さまざまな風土の中に,さまざまな民族が存在しているのと同じように多くのいろいろ
一178一
な愛好家達の集まりを思い浮かべてみよ。誰でも自分の愛するものの方を,他の人の愛す
るものよりも優れていると主張するぐらい確かなことがあろうか。ヨーロッパの男性は眼
も眩むような白人を好むであろう。モール人の男性は自分達と同じようなカラスのように
黒い人を好むであろう。またギリシャの男性は自分達の恋人の小さな口,くぼんだ掌で覆
い隠すことができる胸と繊細な姿の快適なプロポーションを魅力的に思うであろう。アブ
リカの男性は自分達の恋人のつぶれた鼻,脂ぎった肌と厚ぼったい唇を魅力的に思うであ
ろう。ペルシャの男性は自分達の恋人の大きな目とすらりとした身長を,中国人は小さな
目,丸い腹,小さな足を魅力的に思うであろう。」(S.96−97)
確かに「美人」というのはさまざまな形で複数存在するし,またこうした美人を飾る装い方もさま
ざまな型が存在するであろう。この点に関してピッピアスは,女性達が自分達の本質的な美を維持
する為にどうあらねばならないかという問題を提起すると同時に,女性の美が風土的習俗的美と深
く関わっていることを指摘する。
「習俗的な理解による美,それぞれにふさわしい美は美ではないのか?私はそうは思わな
い。スパルタの女性は,アテネでは最も卑しい公娼さえ恥じる身なりで見られることをは
ばからない。ペルシャでは,公の場で自分の顔を露出している婦人は,スミルナで着物を
着ずにいる婦人と同じように見なされる。東洋の民族の間では多くのお辞儀と隷属的な態
度こそ礼儀にかなうことである。(筆者注:古の日本女性のような礼節を重んじる女性の美
しさをピッピアスは隷属的と見なす)」(S.97)
世界には多種多様な女性美が存在するが,それらは全て風土的習俗的な要素によって規定され,性
格付けをされることによって成り立っており,故に,女性における善美(kalokagathia)の概念は
風土的習俗的相対性を免れ得ない。このように,女性における善美においてはその模範となるもの
が一っも存在しないと思われるような例証をした後,ピッピアスはロココ趣味の典型とも言える穏
やかな自然の中で養われる女性の優美の卓越性を説く。(しかしこれは美の普遍妥当的原理などでは
なく,彼自身の美の趣味の主張にすぎず,極めて主観的なものである)
「もしそうしたモデルが存在するとしたら,それは自然の中に存在するに違いない。何故
ならば,例えばピュグマリオンのような人があの有名なブリューネ5はりも美しい像を彫
刻することができるなどと思い込むことは愚であろうから。ブリューネは自分がエレウシ
ス6)の女神達の祭りで公の面前で沐浴をする際,風になびかせた長い髪に包まれるだけで
多くの人達の目を自分の姿の審判官にするのをためらわないほど,自分の姿のあらゆる部
分の完成度を自覚していた。確かに,それぞれの民のビーナスはそれぞれの民の一般的判
一179一
断に従って国民を代表する最高の美とされるような女性の肖像に他ならない。しかしさま
ざまな種類の模範のうちで,どれが文句なくそれ自体最も美しいのか?見たところ,同じ
権利をもって黄金のリンゴを要求する女性達の中で,誰にリンゴが与えられるのか?試し
てみよう。それぞれの国民が,それぞれの国を代表する模範に従って決めた,最も美しい
男性と最も美しい女性とを送り込んだ集会が開かれたと仮定しよう。そしてその集会で美
の賞を得ようと応募してきた者のうちで,どの人が最も美しい男性であるかを女性が決定
し,逆に男性は,どの女性が応募者の中で最も美しい女性か決定せねばならないとする。
この前提の上では,穏やかで温和な気候風土の下で育った男女が,他の全ての者からいと
もたやすくより分けられると言えよう。」(下線筆者)(S.98)
ここには,18世紀のロココ時代に親しまれていた自然のイメージである「穏やかで温和な気候風土」
ゆ
をキャンバスにして,フランソワ・プーシェの「ヴィーナスの化粧」を思わせる極めて官能的であ
りながら,極めて健康的な女性美の理想が描かれている。以前は,生きた人間の持つ肉体美は天上
界の美に勝ることはないと考えられていたが,ブリューネの官能美が,天上界より流出したイデア
の結晶とも言うべきピュグマリオンの彫刻やエレウシスの女神達に優るといった件などは,ロココ
的官能美(ロココ的自然美)の天上界に対する勝利を宣言しているかのように思われる。こうした
ことの内に,物質と感性が一一一一一一体となり,生き生きとした生命の温もりを宿らせることで無機質な唯
物論を克服し,その一方でプラトン的形而上学に裏打ちされた二元論を官能的優美において一元化
する(官能的かつ健康的美人の中にフォルムとマテリーの一致を見ること)といったロココ的セン
スの良さを垣間見ることができる。このように美的趣味における善美観が数ある中で,ピッピアス
はロココ趣味における善美観を最も洗練されたものと見なすのである。しかしこうしたことは,ロ
ココ趣味における善美観が絶対的な価値として最も優れていると強要しているわけではない。最も
粋であると感じさせたいのである。
更に,彼は習俗的な美の概念について,美の趣味と同様に相対的で多様であることを指摘すると
同時に,習俗的な美を考える上での美徳の重要性を次のように説いている。
「習俗的な美の概念の違いは,その例を限り無く挙げることができる,さまざまな民族の
特別な慣習や風習としてそうあるだけでなく,それらの民族がそもそも何を美徳とするか
の中にも示されている。ローマ人達の間では美徳と勇気とは同一のものである。アテネ人
の間では,この美徳という言葉はあらゆる種類の快適で有益な特性をその内に包含してい
る。スパルタでは,人は法に対する従順以外の他の美徳を知らない。専制君主の国では専
制君主と彼の下にいる総督に対する奴隷的服従以外の何ものでもない。カスピ海では最も
うまく略奪し最も多くの敵を惨殺する者こそ最も美徳的な人間である。インドの最も暖か
い地方では(彼らの考えに従えば)完全な無為によって神々と同じになった者のみが最も
一180 一
高い美徳に達する」(S.97−98)
このようにピッピアスは,習俗的な美における善美観の代表例として美徳に焦点を合わせる。何故
ならば美徳こそがエートスを映し出す鏡であるからである。美徳とは習慣,土地風土に裏打ちされ
た倫理に強く支配されているものだとピッピアスは考えている。この意味でピッピアスの考えてい
る美徳とはsyneidesis(慣習に基づく共同知としての良心)と似た意味を持ち,慣習の中で尊ばれて
きた美意識だと言える。したがって彼にとって美徳とは,このように所与的な条件に基づくかぎり
絶対善とは成り得ず,自由と当為によって成り立つ道徳的主体の指導原理とは成り得ない。したが
って美徳は場合によってさまざまな矛盾を呈する相対的なものにすぎないことになる。こうして考
えてみると,美徳とは,それ自体が絶対目的となる道徳性を目指すものというよりはむしろ,何ら
かの利益に至るための手段であると言える。そして美徳によってもたらされる利益の共有性が高け
れば高いほど,その美徳の社会性が高いということになる(最大多数の最大幸福)。ピッピアスが例
として挙げる美徳のうちで,アテネ人の美徳の概念こそ功利追求を善とする近代の美徳を反映した
ものであり,効用性を含むこの美徳こそまさに18世紀の快楽を生み出す美徳観(功利主義の類)な
のである。それ故,18世紀の美徳観は社会の利益と快楽を促進させるあらゆる行為と結び付き,利
益社会という欲望の体系の正当性を担ってきた。しかし欲望の目指す目的は様々である上,所与的
条件,即ち,気候風土,習慣,国家形態といったものに依っているために,それぞれの美徳観の帯
びる価値は美の趣味と同様に一様ではないが,やはり,これもまたロココ的美の穏やかで温和な気
候風土に育まれた「最も機知に富み,最も修行を積み,最も活気のある,最も社交的な,そして最
も快適な民族」(S.99)の美徳観(習俗美)にピッピアスは軍配を上げるのである。そしてピッピア
スは善美なるものを美の趣味と習俗的美の総合的関係の中に認めるとともに,善美なるものがロコ
コ的自然の中で最も洗練されたkalokagathiaとして結実すること,そしてこれと同様のことが習俗
的美を反映した美徳についても言えることを説くのである。このようにピッピアスは善美について
論じた後,正義について論題を移すと同時に,普遍妥当し得る正義というものが存在し得るかとい
う点について言及していく。そして自然の声にそれを見出すとともに,習俗や国家の枠組みを越え
た世界市民の枠の中で,あたかも18世紀末のフランスで起こる旧体制と革新勢力問の動乱に対して
ドイツが取るべき唯一のスタンスを暗示するかのように,コウモリになる術を展開する。
II−2.正義の普遍妥当性と世界市民としての生き方について
ピッピアスは普遍妥当し得る正義が存在し得るかという点について善美の時と同様に,風土や習
俗の影響を免れえないとして次のように述べている。
「各々の民族の風土,地理的位置,政体宗教,気質と国民性,生活様式,その民族が弱
いか強いか,またその民族が貧しいか豊かであるかということが,その民族の良し悪しの
一181一
概念を規定している。それ故,啓蒙された民族の間で,正,不正の無限の相違が生じる。」
(S.100−101)
正義も所与的条件の影響を受ける以上,合理的に正義を考えようとすれば,当然,それは相対的存
在となり,そこに映し出される正・不正の判断は多様化する。こうした正義の具体例として実定法
がある。(「凡そ法規というものはそれが与えられたる民族の間ではまさに正・不正の模範であるが,
ある民族の間で法規によって命じられていることが他の民族の間で法規によって禁じられたりする
ことも確かである」(S.100))しかし一方で,正義の普遍妥当性を求めようとすることもまた合理主
義の姿勢である。そしてピッピアスはこの普遍的正義を,快(正),苦(不正)のサンクションを教
える自然の声(「汝自身の最善を求めよ」「汝の自然の欲求を満たせ」「できる限り多くの快楽を享受
せよ」(S.100))だと言う。そしてフランス革命の足音が近づいてくる時代潮流の中で,個々の人間
が平等に幸福の可能性を追求できる人間社会を実現しようとする理想の根幹にあったものも,快楽
の欲求や快楽の充足を肯定する自然の声であったことを考慮すれば,ピッピアスの正義はまさに当
を得たものと言える。18世紀においてはこのように現実社会の中で正義を模索する動きがある一方
で,理性的な観念論において正義を模索しようとする動きがあったのも事実である。しかしピッピ
アスは観念論的正義の立場をとっていない。
「そうしたこと(筆者注:さまざまな正,不正が存在すること)からついには,どのよう
にすれば同じものがあらゆる民族にとって同じく有益になり得るのかという課題を解決も
しないで,あらゆる民族にとって何が正しいかを規定しようと自分の頭を悩ます道徳家の
愚が生じる。」(S.101)
このようにピッピアスにとっては,功利をもたらす正義はあっても当為が命令する正義はない。こ
の意味でピッピアスにとって正義とはhypothetischな強制力はあってもkategorischな強制力はな
く,また良心の概念から見れば,syneidesisに近いものでありsynteresis7)としての特性は存在しな
い。18世紀には,人間の理性が権威を持つようになり,それに伴ってキリスト教の奉じてきた人格
神に代わる新たな拠り所として,人問そのものを従来の禁忌の呪縛から解放する起爆剤になる普遍
的真理が必要となった。それが「自然」であった。ピッピアスは,生きとし生けるものに対し,快
楽と苦痛のサンクションを教える自然の摂理を普遍法則として採り上げたが,これは自由と当為に
よって成り立つ常住不変の道徳的正義たり得ない。しかし,ピッピアスが敢えてこのように道徳の
超越的普遍性を否定するのには理由があった。道徳家達は絶対性を重視するあまり,習俗や歴史が
滲みついている風土とういうものに規定される相対的価値を見落としていると言うのである。こう
した点に関してピッピアスは次のように述べている。
一182一
「私は世の中を自分達の理念に従って改造したがる哲学者達を理想家と呼ぶのが常である
のだが,その理想家達は自分達の弟子をどこの土地の者とも認識され得ないような人間に
仕立て上げる。何故ならば,理想家達の道徳はどこにも存在しない立法を前提としている
からである。」(S,101)
またそうした理想家の,社会への実質的かつ快楽的貢献度が低いことを椰楡して,ピッピアスは次
のようにも述べている。
「民衆は自分達の利益を促進するか,促進すると思われる者に対してのみ絶大な尊敬と報
酬を捧げるので,理想家達は貧しく軽んじ続けられているのである。であるばかりか,理
想家達は若者の破壊者,社会の敵と見なされる。そして彼らが人間を数学の点や線や三角
と同じレベルにまで高めるべく人間を脱肉体化しようと,甲斐もなく努力を重ねて来たに
もかかわらず,その全ては,結局,流罪や毒杯の刑にしかならない。」(S.101)
ここでも,前述したアテネ人の美徳観に反映されていたものと同様に,功利性や効用性の程度が,
正義の価値を支配していることが読みとれる。そして人間の五感に対する快苦が善悪を規定すると
いった功利主義的正義感は,人間を感覚の欠如した抽象的存在にしてしまう理想的道徳観とは相い
れないものであったと言える。では,超越的存在に基づく道徳的正義に代わるポスト道徳的正義な
るものは存在しうるのだろうか。
「自分達の倫理学が抽象化された理念ではなく,自然や事物の実際の性質状態に基づいて
いるソフィスト達は,どんな場所でもそのあり得る姿で人間を理解する。」(S.101)
ピッピアスは人間というものをまず第一に実存的なものと見なし,理性的思惟に基づく人間の客観
的本質規定の中では汲み尽くしきれない,人間の自由な生の有り方が許されていることに着目する。
凡そ人間は,客観的本質規定の中では水平化し抽象化されてしまうため,生身の人間を理解できな
いとピッピアスは考えていると思われる。その意味でピッピアスの考え方はキルケゴールに似てい
る。実際,ロココ人の生き方はキルケゴールの美的実存の段階の人間の生き方に酷似している。そ
してそうした人間の自由な生の有り方が,生を営む社会全体の中で実存として現れてくるのである
から,それぞれの社会状況下で,人間をあるがままに理解しようと努力する姿勢が当然のこととな
り,その必然性をピッピアスは説く。そしてこうした人間理解に基づき,どんな場所でも好意的に
受け入れられる行動様式こそ,観念論的道徳律に対抗しうる人倫の理法であり,幸福に至る為の技
術であると考えるのである。つまり人間の主観を形成する素材となっているエートス(法,正義,
宗教)に迎合することで,その人間の好意を獲得することができるとピッピアスは考えるのである。
一183一
「あのアスペンドゥスの竪琴弾きのように,自分自身の中で自分の為だけに音楽を奏でて
いる自惚れた賢者(筆者注:観念論的道徳論者のこと)よりも1)賢いソフィスト達は,何が
正義で何が不正であるかを民に教えることをそれぞれの民族の法に任すのである。2)ソフ
イスト達は特別な国家に属しているわけではないので世界市民の特権を享受している。そ
して3}ソフィスト達は,自分達の所属する民族の法と宗教に,それに敬意を払うことによっ
てその法と宗教の操り手(為政者)達との間で一切不都合な関係を生じさせることなく,
しかも他方,ソフィスト達は実際,人間に唯一規範として最も良いものを与えてくれる自
然の普遍な法のみを認識し,それだけに従っているのである。」(下線筆者)(S.101−102)
下線部1,3において,以前にピッピアスが述べていたように,正義とは相対的なものであるとい
う見地から,それぞれの民族の法と宗教への媚びの重要性を挙げている。そしてこのように,さま
ざまな文化的制約の中に自らを自由自在に適合させることができることを,下線部2において,特
定の国家に所属しない「世界市民の特権」と呼んでいるのである。つまり相手の好意を得る為には,
自分の行為や言動をある一定の慣習的要素,宗教,政治観愛国心から離し,地上の全ての民族を
1つの家族から派生する枝と見なす世界市民となることが前提なのである。そして彼らにとっての
唯一の真理は,ピッピアスが再三に渡って述べているように,快楽を肯定する自然の声なのである。
(世界市民であるピッピアスは前に,理想家達が,どこにも存在しない律法によって自分達の弟子を
どこの土地の者だか理解できない人間にしてしまうと言っているが,当のピッピアスを含むソフィ
スト達が世界市民という土着性のない存在であるという点においては理想家と変わりない。しかし,
理想家は地上にありながらも天上に生きようとする一方で,世界市民はあくまでもこの地上世界で
普遍妥当するように生きようとする。)
「彼ら(世界市民であるソフィスト)に自然から与えられる自由が制限されるとすれば,
それは全て彼らが自分達と関わり合う人々に最大限に気に入られるようにと,色,形,飾
りを自分達の行為に与えることを命ずる「役に立つ聡明さ」を遵守せんがためのことであ
る。我々の行為にとっての道徳的な美は,我々の身体にとっての装飾の如きものである。
他人と同じように着ることが必要であるように,一緒に生きている人々(筆者注:周囲の
人々)の先入観と好みに従って自分達の挙動を形成する必要がある。」(S.102)
この風土や慣習や思想の偏った影響を受けない非土着的なポジションは,世界を実存として観照する
為の展望台となる。もし,人間がこのポジションに立たなければ,世界を均等に眺めることができ
ず,自分と同じ範疇のもの達の中でしか生きることができなくなる。こうした視野の狭さをピッピ
アスは次のような言葉で皮肉っている。
一184一
「ある種の特別な規範に従って作られた人間は,ダイダロスの歩く彫像のように,彼の父
なる大地に縛られる運命であった。何故なら,彼は同類のもののもと以外に彼の居場所が
存在しなかったからである。」(S.102)
上掲の文は,当時フランス軍の強圧下にあったドイツで,民族主義的思想に基づいて愛国主義の正
当性を訴えていたドイツロマン派の詩人達に代表されるような者達を茶化しているかのようであ
る。ヴィーラントは「トイツ的であること(Teutschheit)」という言葉が当時まだ一般性を帯びて
いないので8),愛国主義の統一的気運を盛り上げるよりも,フランスを初めとする隣国の動きや政治
的文化的動向に多大な影響を持つ人間達を常にしっかりと捉えることのできる視点を確保し,情勢
を見守ることの方が重要であると考えていたに違いない。その意味でピッピアスのとる世界市民の
ポジションは,狭量な性格の小国が分立して存在する当時のドイツにあって,最も国際的な視点な
のである。この視点を持ち,大地に縛られる者(愛国者)の対局に位置する賢者の姿勢(世界市民
の姿勢)についてピッピアスは次のように述べている。
「一方賢者とは普遍的人間,即ちどんな色,どんな状況,どんな態度と行為もふさわしい
人間なのである。彼は,彼が特別な先入観や情熱を持たず,そして一介の人間以外の何者
でもないのでそうなれるのである。彼は行く先々で彼がぶつかる先入観や愚行を是認する
ことができるので,いたる所で気に入られるのである。」(S.102)
「賢者はおよそ自分の抱いている錯覚ぐらい信じられるものはないと思っていたり,自分
の欠点を最も愛しく思っているのが人間なのだということを知っている。また彼は,自分
で知りたがらない真実を自分の内に発見されたとき程,入間,不愉快になることはないと
いうことを知っている。」(S.103)
このように,ピッピアスの説く世界市民主義とは,その主義主張を自らのアイデンティティーとし
て世間に積極的にアピールしていくものとは全く逆で,自らのアイデンティティーをなくし,空気
のように空虚で存在感のないものとなることによって,どこにでも適合できる人間となることを目
的としている。これは見方を変えれば,どこにでも均等に遍在し,且つ全てを飲み込んでいる自然
そのものと一体化した精神を求める一種の博愛主義である。そしてこの博愛精神を隠れ蓑に,さま
ざまな状況下にある人間の情念のベクトルを支配することによって,自己の利益を引き出そうとす
るソフィストの知恵が生まれてくるのである。そしてピッピアスは自分達の存在の基盤(ソフィス
トの結社)が,まさにこうした処世術の知恵によるものであることを告白すると同時に,これが幸
福に至る為の人類普遍の知恵であり,短絡的な理想主義によって否定されるべきものではないとし
一185 一
た上で,次のように述べている。
「カリアスよ,ソフィスト達の結社が人間社会のとるに足らぬ部分を形成しているなどと
思うなよ。我々の技術を実行する人々の数はあらゆる階層で著しいものである。そしてお
前は大きな幸福を築き上げてきた者のうちで,我々の原理の巧妙な使用の恩恵を被らない
者を一人でも見つけだすことは難しいだろう。この原理は(賢さ故に大声で告白されたり
白状されたりはしないが)廷臣達,即ちお偉方達にひたすら尽くして来た人達の,とりわ
け随所において,第一人者として敬われるようなクラスの人達の普通の思考様式なのであ
る。そして(馬鹿者が,たまたま僥幸によって利口者のポジションにつくというような稀
な場合を除けば),この原理を最も巧みに使用できる器用な頭脳こそが,いつでも栄誉と幸
福の軌道を最も遠くまで走る者となるのである。」(S.104−105)
◆ ◆ ◆ 終わりに ◆ ◆ ◆
ヴィーラントが彼の作品に登場させた人物像の中で,同様に世界市民主義と自然主義を掲げつつ
も,その生き方においては全く相背反する2つのキャラクターが存在する。その1人は,今まで採
り上げてきた『アーガトン物語』におけるソフィスト,ピッピアスであり,もう1人は『ディオゲ
ネス遺稿』におけるディオゲネスその人である。この2人は同じ基盤に根ざしつつも,前者は快楽
主義的,功利主義的性格を持ち,後者は反文化的禁欲主義をとった。これは一見,矛盾にも見える
が,古代ギリシャの哲学思潮においてキュレネ派の流れを汲むエピクロス派と,キュニコス派の流
れを汲むストア派が,実生活においてはポリスの哲人の理想に模範を求めようとはせず,むしろコ
スモポリタン的な「賢者の片隅の幸福」を確保することを現実生活の旨とし,自然主義の立場をと
ったことを反映していると思われる。とはいえ,ピッピアスやディオゲネスの存在を古典古代を紹
介するものと解釈するよりはむしろ,18世紀における何らかのものの椰楡と見なす方が妥当であろ
う。上掲の引用におけるソフィストの結社(der Orden der Sophisten)にも見られるように,18世
紀にはさまざまな秘密結社(フリーメーソン,ローゼンクロイツ,イルミナーテン等)が生まれた。
これらは神秘主義や錬金術,啓蒙思想,自由博愛平等,コスモポリタンなどさまざまなスローガン
を掲げて活動を展開していたが,その組織の主義主張や最終目的などは必ずしもはっきりせず,秘
密を秘密で包み隠すといった核のない所に神秘のべ一ルを何重にも重ねたような存在であった。し
かしこのことが,さも曰く有り気な偉大な目的が隠されているかのような効果を上げ,これによっ
て人々の問にイメージ先行型の組織となって広がって行ったのである。そしてこうした組織はペテ
ン師や詐欺師達に活躍の場を提供することとなり,また,これらの結社がブルジョワ階級の社交場
と結び付くことによって,さらに教養の高いペテン師達の活躍の場を提供していったのである(『ア
一186一
プデラの人々』第2部6章参照)。ピッピアスの人間像の中に教養溢れる知識人,国際的な社交人,
且つまたロココ人といった,地位と名誉を勝ち得た人間像を垣間見ると同時に,秘密結社のペテン
師的な会員のイメージやミラボー伯9)のような,日和見的スタンスを取りつつ,常に大立者へとのし
上がる機会を狙っている貴族の本音のようなものも投影されていると思われる。このようにピッピ
アスというキャラクターの中には,18世紀のどこのサロンにでも見られるような多種多様な秘密結
社の会員像が凝縮されている。中でもフリーメーソンやイルミナーテンに所属する人物を当て擦っ
ていることは間違いないと思われる。ピッピアスが世間に対して取っているこのような世界市民的
スタンスは,ヴィーラントにとって極めて重要で,このスタンスをコウモリの日和見主義から真の
国際精神へと昇華させる可能性を,立憲君主制から共和制へと向かう潮流の中で,彼は探っていた
と思われるのである。ヴィーラントは人類普遍の安楽の実現と,それを全人類的レベルで保持する
為に必要とされるバランス感覚,即ち中庸の徳を,18世紀の政治,文化の動向を考慮しつつ模索し
ていた人間であるが,それを唯物論の見地に限って論じたものが「ピッピアスの哲学」だと言うこ
とができるであろう。そして我々はこの雑然とした文体の「ピッピアスの哲学」の中に,気球から
の展望にも似たヴィーラントのジャーナリスティックな視野の広さと,さまざまなものを同時に見
て取るフリーメーソン的な視点を感じとることができるのである。
〔注〕
本論文においては
Christoph Martin Wieland:ROMANE, Hrsg. von Friedrich BeiBner, MUnchen(Winkler)1964を使用し,引用
ページを()内に示した。
1)ソフィストと呼ばれる人々は,歴史的には前5世紀後半から登場する実力社会にふさわしい生き方と知識とを与
える才知に長けた人々のことである。当時盛んだった自然学では,道徳や法は習俗(ノモス)の事実,人間の作
ったものとして自然(ピュシス)と対立するものとされ,どちらに真実があるかということが思想家達の関心を
引いていた。実在するピッピアスは多芸博識と弁論術に秀でていて,それによって多額の収入を得ていたのだが,
彼はこの問題に対して,人間の自然状態を理想化し,人種や階級の差別は恣意的なものだと主張した。ヴa ・一ラ
ントが「アーガトン物語」にピッピアスを登場させたのも,実在する彼のこうした背景を多分に考慮したものと
思われるが,思想的には快楽主義を説いたエピクロスの色彩も濃く現れていると思われる。このピッピアス像に
は18世紀のフランス唯物論者や自由平等博愛などをスローガンとした秘密結社の性格が強く現れている。
2)ダイモーンはソクラテスが言った,禁止の形で呼び掛けてくる内面の声。アスパジアはペリクレスの寵姫で,す
でに歳をとっているが,その内面性の豊かさと堅実な忠告の故に自分の価値を保っていた。この両者はペリクレ
スにとっての良き助言者の意味として出されている。
3)アテネの政治家,将軍。(452B.C.頃∼404)民主派のリーダー。
4)1776年にWeishauptによって設立された,フリーメーソンを母体とした結社で,啓蒙主義的特色を強く持ってい
る。
5)紀元前4世紀頃のギリシャ人の娼婦,非常に美しかったと言われている。フランスのロココを代表するポンパド
ール夫人やデュ・バリー夫人といった人達を暗示していると思われる。
6)ギリシャのアッティカ地方にある町名で,デメテル祭の密儀が行われた場所として有名。デメテルはギリシャ神
話における五穀の女神で,冥府の王ハデスに捕らわれた自分の娘ペルセフォネを捜して地上をさまよい,エレウ
一187一
シスにたどり着く。そしてエレウシスの神殿に祭られるが,娘を失って悲嘆にくれていたため地上の実りは失わ
れてしまう。そこで他の神々はペルセフォネを半年ずつ地上と冥府に住まわせることにし,地上の実りを取り戻
した。デメテルとペルセフォネは豊穣と若さを象徴する女神である。この神話を劇的に演じたのがデメテル祭ら
しいが,秘儀であるため詳細は不明。尚,この秘儀とフリーメーソンの秘儀との関連を指摘する説もある。
7)善への肯定的態度と悪への否定的態度を直接的に示す人間が生来持っている総括的概念のことで,その意味にお
いて実践理性と同一視される。
8)1793年5月の『ドイツ・メルクール』誌上で「『トイツあるいはドイツ』という言葉がかつて賞賛の意味で使われ
たのを聞いたことがない」(波田節夫訳,Christoph Martin Wieland:1伽伽3,Hrsg. von F. Martini u. H.
W. Seiffert, Mttnchen(Hanser)1964−1968)と言っている。
9)18世紀的な要素を色濃く有するフランスの革命政治家。身分による貧富の差が激しいフランス革命間近の三部会
選挙に,賞族でありながらも第三身分(平民)から出馬して当選し,国民議会の設立に尽力するなどしてパリ大
衆の人気を集めた。しかし,革命の動きが活発になると,密かにマリー・アントワネットと会見し,君主制の維
持に腐心する宮廷への通謀者として宮廷に指針を与えるようになる。そして非常にうまく立ち回り,国民議会議
長を歴任したりするが,最後は自分の所属するクラブと対立して市民の支持を失ってしまう。
〔主な参考文献〕
飯塚信雄「クリストフ・マルチン・ヴィーラント生涯と作品s明治大学人文科学研究所紀要13,1974年
飯塚信雄『ロココの時代」新潮選書,1986年
波田節夫「初期ゲーテとヴィーラント」クヴェレ会,1986年
W.H.プリュフォード「18世紀のドイツJ上西川原章訳,三修社,1974年
Klaus Bappler,1)er philosoρhiSche Wieland,Bern−Mttnchen,1974
Friedrich Sengle,PVieland,Stuttgart,1949
Regine Schindler−HUrlimann,防吻燃Menschenbild , ZUrich.1963
Sven−Aage Jorgensen, Wieland. Epoche・Werk・Wirfeung, Mtinchen,1994
一188一
文学研究論集
第8号1998.2
〔Restimee〕
Das in Hippias ausgepragte Menschenbild
des 18. Jahrhunderts
Uber die materialistisehe Wertvorstellung im Spiegel der radikalen Aufklarung,
die sich in Wielands。Geschichte des Agathon“zeigt一
Takeshi Noguchi
Die Philosophie des Hippias in Wielands。Geschichte des Agathon“besteht
zunachst aus zwβi Themen;erstens handelt es sich um die aufgekltirte Haltung,
das bedeutet den Materialismus und den Empirismus nachdem franzδsischen Geist
zu verfolgen. Zweitens den internationalen Gesichtspunkt als Weltb茸rger, der die
Welt ohne die Fesselung der dogmatischen Weltanschauung oder Ideologie richtig
beobachtet. In meinerAbhandlung wird dieses zweite Thema behandelt. Indem
Hippias Sch6nheit,Tugend und Recht in der Gesellschaft Ubersieht, versucht er zu
beweisen,dal3 alles willkUrlich ist, und daB das bedeutendste die Lebensart
desWeltbUrgers ist, die es uns erm6glicht, immer und廿bera11 willkommen zusein,
weil uns diese Lebensart die Mδglichkeit gibt, uns den gegebenenUmstanden
anzupassen. Dabe三geht es um die Beherrschung des Pathos, das heiBt die
Kontrolle des Tatmotivs, das einen groBen EinfluB auf die Handlung der Mensch−
heit aus茸bt, weil man damit seinen eigenen Vorteil durch andere Personen erzielen
kann. Wenn wir unsere eigene Vorteile verfolgen, ist das unmoralisch, weil die
sublektive und moralische Pers6nlichkeit diese Haltung nicht erlauben kann。
Aber im Standpunkt von dem Materialismus und dem Pantheismus verleugnet
Hippias die auf dem Platonismus、ruhende Moralitat. Es gibt keine absolute
Moralitat fUr Hippias. Sein fundamentales Prinzip ist ein materialistischer
Egoismus und die aus diesem Egoismus stammende Kunst, die uns erm6glicht,
g1茸cklich zu leben. BerUcksichtigt man einmal was sich hinter dem
Philanthropismus oder dem Kosmopolitismus versteckt, den Hippias benδtigt, um
一 189一
das Wertvollste aus dem Leben zu gewinnen, kann man sehen daB sich das
egoistische kluge Menschenbild des Hippias im Spiegel des geheimen Ordens aus
dem 18. Jahrhundert(z.B. Freimaurer, Illminaten)zeigt.Vielleicht versuchte
Wieland im Menschenbild des Hippias einen Betr蔵ger anzudeuten, der sich im
Geheimen Orden spiegelte. Aber die kosmopolitische,allgemeine Anschauung des
Hippias zeigt uns einen Tatbestand der komischen t6richten Menschheit in der
Welt, die durch den Blick eines hervorragenden Journalisten beobachtet wurde. Er
bedeutet eben den Aussichtspunkt, wo Wieland hinter den Kulissen die Wahrheit
der Welt und Menschheit begreift. Bei der unruhigen Ubergangszeit von der
konstitutionallen Monarchie zu dem Republikanismus in der letzten Halfte des 18.
Jahrhunderts scheint Wieland vermutlich durchs Bild des Hippias den
internationalen Gesichtpunkt und die diplomatische Haltung dargestellt zu haben;
d至eDeutschland damals hatte besitzen sollen.
一190一
Fly UP