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2014 年度 中学 校長式辞

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2014 年度 中学 校長式辞
2014 年度
中学
校長式辞 (2015 年 3 月 19 日)
皆さんの卒業にあたり、学校を代表して、卒業生一人ひとりに敬意を表し、心から祝福
と激励の言葉を贈りたいと思います。
長年、お子さまの成長を見守ってこられたご家族・関係者の皆様にも、心から感謝とお
祝いを申し上げたいと思います。
本日は、学校法人・法政大学を代表して、法学部・大野達司(おおの・たつじ)学部長
に出席いただいております。
同じく、皆さんの成長を見守っていただき、多大なご支援をいただいた役員の方々をは
じめとする PTA の方々、同窓会、PTAOB 会のプラタナス会の方々を、来賓としてお迎え
して、卒業式ができますことを心から感謝申し上げます。
卒業生のみなさん、卒業おめでとうございます。
皆さんの卒業にあたり、私は、皆さん一人ひとりが、個人として尊重されることを心か
ら願っています。そのためにこそ、他者を尊重すると同時に、皆さん一人ひとりの興味・
関心を大切にしてもらいたいと考えています。
ボワソナアド博士の「人を害するなかれ」という言葉。これほど明快で、深い言葉はあ
りません。法学の専門的なことはわかりませんが、
「人を害するなかれ」という思想によっ
て、ほとんど全ての人権侵害が解決できるのではないかと考えます。
ボワソナアド博士は、明治のお雇い外国人の一人として、日本の近代化に巨大な足跡を
残し、法政大学の基礎をつくることに、大きく貢献をされたフランスの法学者です。
中学生の頃、私は、法律は何か冷たく、何かよそよそしいものに感じていました。高校
時代、日本史の授業でボワソナアドの名前を聞くことはあっても、どのような人なのか、
深い関心はありませんでした。教養のないことに、法政二高という法政大学の別の付属校
で英語教師を 30 年続けたにもかかわらず、ボワソナアド博士のことをよく知っておりませ
んでしたし、知ろうともしませんでした。5 年前に法政中高に来て、人権についてあらため
て考え始め、昨年、
「ボワソナアド」という岩波新書(1977 年)を読んで、いっぺんでボワ
ソナアド博士のファンになりました。
次は、ボアソナアド博士の人柄を紹介するエピソードです。
140 年前の 1875 年 4 月。ボワソナアド博士は、拷問の現場を目撃します。
当時博士は、現在の東京駅近くの司法省構内に住んでいて、近所には、いくつかの裁判
所と牢屋がありました。明治初期は、まだ徳川時代の制度を受けついでいて、角のある横
木の上に座わらされて、大きな石を三枚も四枚ものせられるような拷問は、ごく普通のこ
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とでした。
そうした拷問の場面に遭遇したボワソナアド博士は、あまりのことに驚き、泣き出し、
おろおろしてしまいます。そこへ裁判官が通りかかりますが、博士は泣きながら裁判官に
抱きつき、拷問がやられているほうを指さしながら、フランス語で話しかけますが、その
裁判官は何が何だかわからず困っていたところへ、フランス語のわかる博士の知り合いが
通りかかって、博士が拷問を辞めさせようとしていることをようやく理解します。
遅刻することなどなかった普段は物静かなボワソナアドが、ぶるぶる震えながら、興奮
して講義場所である明法寮に駆け込み、泣き出すように早口のフランス語で話し始めます。
が、次第にますます激昂し、机を叩きながら話すというより怒鳴り始め、拷問がいかに残
酷で、不合理で、野蛮な制度であるか、学生たちに訴えました。演説は数時間に及んだと
いいます。
新書で読んだこの場面は、まるで演劇の一幕のように私の脳裏に焼きついて離れません。
ボワソナアドからみて、当時の日本はどのように見えたのか。そして、日本からみて、
当時のボワソナアドはどのように見えたのか。興味は尽きません。
ボワソナアドは、この日、帰宅してすぐに、拷問廃止を求める書簡を書かざるをえませ
んでした。お雇い外国人という立場でしたが、拷問については、休息や睡眠時間を割いて
も書かねばならぬと考えました。なぜ拷問がいけないか。人の道から、そして自然法と絶
対的正義から、純理からと 3 つの理由を書きすすめて、政治的な不平等条約改正のことを
最後の理由として書いたところに、法学者としての矜持を感じます。全人格からほとばし
る情熱をもって書かれた拷問廃止の意見書は感動的です。
パリ大学教授であったボワソナアドは、無謀にも日本政府の要請を受け入れ、家族、親
戚、友人、パリを捨て、48 歳のときに来日します。10 年後に、婦人と娘が来日しますが、
22 年と 4 ヶ月、ほとんど単身で、日本の近代化のために力を尽くすことになります。
日本は、博士に何を望んだのか。ボワソナアド博士は、日本の何と格闘し、何を変革し
ようとしたのか。それに対して、日本は応えたのか。
拷問禁止、死刑廃止、離婚の肯定、長子相続に反対という考え方は、当時の日本からす
れば、進歩的な思想でしたが、博士は安易にフランスのものを持ち込もうと考えていたわ
けではありませんでした。自然法の立場の彼は、日本の伝統を大切に考えていたと思いま
す。
憲法制定を含む近代化の課題の中で、国体か人権か、国権か民権かが問われたことは間
違いのないところですが、お雇い外国人でしかない彼は、賢明な判断として、政治から一
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定の距離を保っていました。しかし、政治によって、彼の考えたことが全て実ったわけで
はなく、むしろ挫折感をもって帰国せざるをえませんでした。けれども、フランスの法と
文化の不滅の価値を信じ、言葉を武器に闘い続けたボワソナアドによって、その後の日本
の人道主義・ヒューマニズム・法治主義・立憲主義に大きな可能性を与えたことは間違い
ないと思います。
法学的な興味とは言えませんが、私にとってのボワソナアド博士のように、中学生の頃
に全く興味のなかったことでも、興味・関心がもたげてくることがあります。
みなさんはまさに成長の過程にあります。
何に興味・関心をもつのかは、まさにその人の個性です。人と興味・関心が違うからと
いって、自信を失ったり、諦めることはありません。人間に関係することで皆さんに関係
のないことはひとつもないからです。
毎年中学 3 年生全員と面接をしていますが、実際、皆さんには、いろいろな個性があり、
いろいろな可能性があります。興味・関心をもったならば、想像すらしなかったすてきな
世界が待っています。
皆さん一人ひとりのかけがえのない命がさらに輝きを増すように、皆さんの今後の活躍
と成長を期待しています。
卒業、おめでとう。
2015 年 3 月 19 日 法政大学中学校
校長 飯田亮三
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