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大刀洗平和記念館
ぶらり★くるめ vol.7 8月15日は終戦記念日です。現在の朝倉郡には、かつて旧陸軍が東洋一を誇った大 刀洗飛行場を中心とする一大軍都が存在していました。今回は、平和の大切さを語り継 大刀洗 平和記念館 ぐ情報発信基地として創設された 「大刀洗平和記念館」 の一部をご紹介します。命や平和 の尊さを再確認するためにも、ぜひ足を運んでみてください。 594 大 刀 洗 飛 行 場 は1919年 に 完 成 し、戦争終結の1945 年までの26 年間、歴史的役割を果たしてき たが、1945年 3月の大空襲によ り壊滅し、終戦で完全に消滅し た。 ここ平和記念館には、大刀洗飛 行場に関連する戦時資料や写真 などがテーマ別に展示され、短 編映画も上映されている。死を 覚悟した兵士たちが家族へ残 した手紙や遺書も紹介されてお り、多くの尊い犠牲のうえに現 在の平和があるのだと、改めて 感じさせられる。 甘木線 大刀洗駅 500 原神社 ★ キリンビール 工場 零式艦上戦闘機三二型 世界で唯一現存する零戦三二型の実 物。わずかな期間に日本の航空技術 は世界最先端レベルにまで到達し、 なかでもこの零式艦上戦闘機は、当 時の日本の高度な航空技術を象徴し ている。ここでは、帰還までの道の りとともに、戦後の復興の中で航空 機設計者が果した大きな役割につい て展示されている。 頓田の森 「当時の生活」 展示コーナー 大刀洗飛行場が出来る前は人家も多 くなかったが、飛行場の誕生により、 最盛期には太刀洗駅が毎日 1 ~ 2 万 人の乗降客で賑わうほどの活況を呈 した。それと同時に、人々の暮らし の中には戦争の影がしのび寄り、厳 しい耐乏生活を強いられるように なっていった。 時計台跡 白い慰霊碑は、当時、飛行第四連隊 の本部庁舎前庭に時計塔として設置 されていたもので、当時から多くの隊 員たちに親しまれていた。戦後、長 く放置されていたものを慰霊碑に改 修、追悼シンボルとして現在に至る。 飛行場跡近くには、 こんなスポットも。 カトリック 今村教会 一ッ木神社の 地蔵尊 1945年3月27日、大刀洗飛行場を目 標とする米軍の爆撃機が投下した爆 弾が、立石国民学校の児童が避難し た頓田の森を直撃。児童31名が戦火 の犠牲となった。一瞬にしてわが子 を失った遺族が、平和を願い亡き子 の冥福を祈り、近くの一ツ木神社に 延命地蔵を建立した。 2 つの塔をもつロマネスク様式の赤レン ガ造りの現教会は、1908年に本田保司 祭により計画され、ドイツからの寄付、 信 徒 た ち の 労 働 奉 仕 に よ り、1913年 に完成した。ここ今村地区のキリスト 教信仰は戦国時代に遡り、江戸時代に は隠れキリシタンとして信仰を守った 人々が多く暮らした。国内に残る赤レ ンガ造りの教会としては貴重な存在で、 ステンドグラスや 14枚の聖絵はフラン ス製、柱、煉瓦、石材等は近隣の特産 物を使っている。外部・内部とも建設 最初の状態が保たれ、明治後期から大 正初期に建設された教会建築の様子を 知ることができる。田園風景の中にそ びえ立ち、その大きさは圧巻。