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真剣で一振りに恋しなさい! ID:75379

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真剣で一振りに恋しなさい! ID:75379
真剣で一振りに恋しな
さい!
火消の砂
︻注意事項︼
このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にPDF化したもので
す。
小説の作者、
﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作品を引用の範囲を
超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁じます。
︻あらすじ︼
彼剣客﹁塚原卜伝﹂││その後継者たる彼は故郷である京都を離れ、新天地川神へ舞
い降りた。
更なる武への高みを目指す彼はこの地で何を得るのか││
塚原総一郎の青春譚が今始まる。
目 次 一章
││私は強いです。││ │││
││私は騒ぐ。││ │││││
││私の過去。││ │││││
日常編
││私の日常。││ │││││
││私の変革日常。││ │││
││私の有意義。││ ││││
││私の寄り道。││ ││││
││私という者の支え。││ │
二年生編
││我帰還す。││ │││││
││我が弟子達。││ ││││
││我、日常に戻る。││ ││
塚原継儀編
294 279 265
││俺は新当流総代だ││ ││
││俺は僕││ │││││││
││私の鳥。││ ││││││
││私は教える。││ ││││
││私の弟子。││ │││││
244 227 205 190 171
│ │ 我 回 想、そ し て 私 の 女。│ │ 307
││私の怒り。││ │││││
過去編
││私の意義。││ │││││
1
51
19
80 67
38
126 112 96
146
│
その時、それはライオン。 ││
精神の宮殿 │││││││││
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの
休憩。 ││││││││││││
時代の幕開け編
最強の味 ││││││││││
雑談の後 ││││││││││
赤い髪と父の乱 │││││││
∼交流戦は突然に∼ │││││
電 気 羊 で も、二 頭 の 羊 で も な い スーパーヒーロースワロー ││
ワカメの友 │││││││││
宮殿を侵略するは崖からの侍 │
歓迎の剣舞 │││││││││
河川敷に一閃と風 ││││││
塚原拾弐番篇
初戦││努力対未熟││ │││
弐戦││原石対金属││ │││
参戦││金剛対総閃││ │││
燕の囀り ││││││││││
肆戦││剣人対剣神││ │││
513 497 480
589 575 561 548 530
336 322
349
412 398 383 368
464 446
428
│
一章
││私は強いです。││
かつて戦国には一人の剣士がいたという。
名は﹁塚原 卜伝﹂
幾度の真剣勝負において一度も傷を負わなかったといわれ、彼は伝説となり、剣聖と
何百万人
何万
謳われた。彼の室町時代第十三代将軍足利義輝も彼に師事し、奥義である﹁一の太刀﹂を
会得したという。
知らない者の方が多いだろう。
現代、塚原卜伝の名前を知るものは一体どれぐらいいるだろう
人
?
││﹁一の太刀﹂だった。
歪みのない佇まいから繰り出されるその刀の一振りはまさしく││
先祖様もそう思っているさ﹂
﹁俺だって名前は知っているけど、顔なんてわかんないし、知らなくても問題はない。ご
志向の青年は言った。
それでもいいさ││若者そう言った。気崩した和服と洋服を兼ね備えたカジュアル
?
?
1
﹁別れよう、つーちゃん﹂
﹂
!?
それだけ
﹂
﹁いや∼俺、東京行くし
﹁え
?
?
﹂
?
﹂
そんな二人には共通の秘密があった、二人は付き合っていたのだ。
ぐはぐな二つ名を持つ。
世間は二人のルックスと武人としての実力もあってか﹁京のツインエース﹂というち
る。
のコーディネイト、そしてワカメのような髪と爽やかな顔立ちで巷の女子に大人気であ
総一郎は日本歴史上最強と謳われる剣客﹁塚原 卜伝﹂の子孫で気崩した和服と洋服
どの美少女だが、松永久秀のように腹黒い一面を持つ。
燕は彼の戦国大名﹁松永家﹂の子孫で誰にでも優しく納豆アイドルとして活躍するほ
原総一郎﹂
そして燕の肩を両手で掴み、まるで告白するかのように別れ話を切り出したのは﹁塚
猫のように声を張り上げたのは巷で話題の納豆小町こと﹁松永 燕﹂
﹁ふにゃ
!
﹁な、なんでかな
──私は強いです。──
2
﹁ん﹂
﹁遠距離でも大丈夫だよ
私が好きなのは総ちゃんだけだから
﹂
!
き目なリュックと向こうにいる知人へのお土産、そこまで大きくない紙袋だった。
総一郎は新幹線に乗り込んだ。大方の荷物は引っ越し先に送ってある、彼の荷物は大
﹁う、うん﹂
﹁じゃあ、行くな﹂
た。普段の陽気でどこか見透かした彼女からは想像もできない状態だった。
別れ話からの夫婦漫才からの告白で燕はいつの間にか顔が真っ赤に茹で上がってい
が好きだからな﹂
松永納豆はあるから。変な女にはついていかない、別れるって言っても俺はつーちゃん
﹁はいはいはい、毎日納豆送られたら宅配業者が納豆臭くなるからやめてね、向こうでも
についてかないように、それから││﹂
﹁⋮⋮じゃあ、気を付けてね。ご飯はしっかり食べてね、毎日納豆送るから。変な女の人
行っていた。
噛み合っていないようでフィーリングがぴったりな二人は、重い会話を笑いながら
﹁ううう、なんで総ちゃんはいつもこうかな﹂
﹁んー⋮⋮よし、一旦別れて次に会った時、好き同士だったらまた付き合おう﹂
!
3
総一郎は新幹線に乗り込んでも直ぐに座席には着かなかった、入り口付近で燕が動か
なかったからだ。
二人の間には甘酸っぱい沈黙が流れる。しかし出発直前であるが、一つの入り口を占
拠するのは青春ドラマの中だけで、普通に人の迷惑になる。
だから││と言うのは建前で総一郎は燕を抱き寄せてキスをした。
突然の出来事に燕は混乱した、キスが終わってもそれは続いた。正気に戻ると目の前
の総一郎は燕に背を向けて座席へと歩き出していた。
涙が出かかっていたのか薄ら涙を浮かべて燕は笑っていた。
﹁⋮⋮らしくない﹂
総一郎はそんなことを窓際の席で呟いていた。
♦ ♦ ♦
見ることが出来ず溜息をついた。
京都から一切目を覚ますこと無く新幹線が到着してしまったので関ヶ原や富士山を
アナウンスで肘枕が崩れ、衝撃で総一郎は目を覚ました。
﹁││はま、││新七浜です。お下りの際は││﹂
──私は強いです。──
4
﹁⋮⋮乗り過ごさなかっただけましか﹂
上から荷物を下ろして財布を取り出すと総一郎はシューマイを車内販売のお姉さん
から購入した。
なぜか紙切れが挟まっていた。
新七浜駅に降りても新七浜には下りはしない、そのまま七浜線から乗り継いで目的地
の川神に舞い降りた。
﹂
殆ど寝ていたとしても数時間も椅子に座っていれば体は固まる、思ったよりも綺麗な
﹁くわー﹂
空気と美しい自然を前に体を伸ばしてしまう。
と、意気込んだは良いものの、総一郎の肩には二人の手が置かれていた。
﹁さて、取りあえず川神院を目指しますか﹂
﹁あー君、駄目だよ、長物は袋に入れてもらわないと⋮⋮というかそれ真剣
﹁ちょっと来てもらうよ﹂
総一郎の左腰には長い刀││基、太刀が差されていた。
れを受け取ると納得したように許可証を返してくる。
一瞬の間があったものの総一郎は胸ポケットから許可証を取り出す。警官二人はそ
﹁あ、これ許可証です﹂
?
5
﹁うん、本物だね⋮⋮まあ、だけど袋にはしまってね、何があるか分からないし﹂
﹁ああ、すいません。京都から出てきたばかりで、向こうでは普通に持っていても何にも
言われなかったので﹂
そう言って礼儀正しく謝罪して一礼した。その姿勢に警官二人も感銘を受けたらし
くそのままお咎めなしで総一郎は解放されることになった。
﹁礼儀正しい子でしたね﹂
﹁ああ、塚原総一郎か⋮⋮もしかして││﹂
警官に解放された総一郎は地図を片手に土手を歩いていた。景色と地図を照らし合
わせていると﹁勇往邁進、勇往邁進﹂とタイヤを三個つけながら走る少女が通り過ぎる。
だ。
りバイオレンスだが長女と思わしき人間が一喝入れていた。なんとも微笑ましき光景
望んでいた。すると妹らしき少女とお兄さんらしき男が殴り合いの喧嘩を始める、かな
川岸を見ると三姉弟と一人の中年男性が鍋を囲んで今か今かと出来上がるのを待ち
は無かった。
少女の後姿を見ながらうろ覚えの記憶と照らし合わせてみるが一向に思い出すこと
で走っている、と聞いたことがあったな﹂
﹁⋮⋮元気な子だ。そう言えばどっかのお弟子さんがタイヤに師匠を乗せて市内を全力
──私は強いです。──
6
﹁ん、そう言えば腹が減ったな。どこかで⋮⋮いや、川神院で食事が出るかもしれんな、
しかし出なかった場合は数時間何も食えん⋮⋮むーん﹂
などと思惑しているうちに顔を上げてみると大きな門が目の前に聳え立っていた。
うん、総代はいるけどモ﹂
?
総一郎の前に立つのは川神鉄心。武術の総本山、世界のKAWAKAMIなどと言わ
﹁総代、総一郎君でス﹂
する。
総一郎は再度頭を深々と下げた、中国風の男は感心しながら総一郎を鉄心の元へ案内
﹁ありがとうございます﹂
とは思えないネ﹂
﹁おお、キミが総一郎君ネ、話は聞いているよ。しかし随分と礼儀正しい、春から高校生
申します。父からの手紙とご挨拶に参りました﹂
﹁申し遅れました、私、この度川神学園に進学するため京都から参りました塚原総一郎と
﹁ン
﹁すいません、こちらに川神鉄心様はいらっしゃいますか﹂
れば簡易的なお辞儀をして挨拶をしていた。
開いている門を潜り抜けて総一郎は本殿へ向かう。途中、清掃をしている修行僧を見
﹁⋮⋮ま、いいか﹂
7
れる世界でも知らない者はいないとされる川神院総代でかつては世界最強とも謳われ
た。現在は現役を引退しているが、それでもなお世界屈指の実力を持つ。
﹁おお、信一郎によう似とるわ﹂
覚えておるのか﹂
﹁お久しぶりで、鉄心様﹂
﹁ん
﹂
?
ああ、ごめんネ、まだ名乗ってなかったヨ。私はルー・イー、川神院師範代だヨ﹂
﹁そう言えばそちらのご武人は
いた、彼の纏う静の気が変化することが無かったことに。
礼儀正しい青年から服装の通り崩れた少年に変化する総一郎、しかし鉄心には見えて
﹁ああ、今までのは塚原家としてで、俺は軽いっすよ﹂
﹁ほっほっほ、そうか。しかし信一郎から聞いていた人物とは違うわい﹂
﹁はい、六歳の夏に一度お会いした記憶があります。印象深い方でしたので﹂
?
?
た。一方ルーは溜息をつくだけ。
鉄心は孫娘よりも下の子供にあだ名をつけられて愉快だったのか笑い声を上げてい
﹁あ、じゃあ、ルー先生で。鉄心様は││鉄っさんで﹂
﹁ちなみに川神学園で教師もやっているヨ﹂
﹁ルー・イー⋮⋮ルール│⋮⋮ルイ十三世⋮⋮﹂
﹁ん
──私は強いです。──
8
﹁そういえばですけど、武神さんっていないんですか
﹂
?
﹂
﹁こらモモ
客人に向かって何だその無礼は
﹂
!
?
﹁⋮⋮初対面でいきなり美少女とか言う奴もどうかと思うぞ﹂
!
﹁じじい、帰った││と思ったら唐突に私を超絶美少女と言う輩がいるぞ、誰だこいつ
トになっている。
イン
美少女と言った通り顔立ちが他を圧倒している。目つきは悪いがそれもチャームポ
だがスタイルの良さが錯覚となり高身長見えてしまう。
い、
美しいロングの黒髪で前髪がバッテンになっている、そこまで身長が高いわけではな
﹁││美少女だな﹂
ような││
武神は女と聞いている、名から想像すればどんな屈強な女であるのか、それとも燕の
│否、振り撒かれている戦闘衝動に反応した、武人として。
その言葉を聞く前に総一郎は既に後ろに振り返っていた。途轍もない気を感じた│
﹁モモは今││帰ってきおった﹂
9
二人の喧嘩を仲裁するように総一郎は百代に深々と頭を下げた。
﹁これは失敬、私、京都剣客家、塚原信一郎の嫡男で新当流総代の塚原総一郎と申します。
春から川神学園に入学するためご挨拶に参りました﹂
自分よりも年下ではあるがここまで礼儀を尽くして挨拶されたことは無い、百代は鉄
心とルーに目で助けを求めていた。
﹁お、おう⋮⋮た、大変ご苦労であった、楽にしてよいぞ﹂
﹁あ、そうすか。あざーす﹂
﹂
モモちゃんで﹂
百代はまるで上様の如く対応するが総一郎の切り返しは予想だにしなかった。
﹁なんだよそれ
﹂
!
!
﹁むーん⋮⋮百代⋮⋮もも⋮⋮よし
﹁は
?
微笑む顔は変化しなかった。しかしそこに居る三人はその言葉に顔色を明らかに変
﹁そうだ、モモちゃん││﹂
しい奴と判断して一歩引いていた。
相手のペースを完全に掌握すると総一郎は微笑んだ、百代は確実に総一郎を頭のおか
願いしますモモちゃん﹂
﹁これから顔を合わせることになると思うんであだ名をつけておきました、よろしくお
──私は強いです。──
10
えていた。
そもそも殆ど公式戦の記録が無く、その実力は未知数。
本当に強いのか
?
その疑問を抱くものが殆どだった。実際この中で総一郎の一片を見たことがあるの
?
代に通じるのか
と謳われた塚原卜伝の再来と言われる天才剣客。一体どれほどの実力で、その実力は百
ツインエース、最年少新当流総代、そして塚原家の先祖で新当流開祖、日本最強の剣客
西は剣客、塚原総一郎。この戦いの客寄せパンダは百代ではなく総一郎である。京の
と言われている。
倒し、俗に言う壁を超えた者以外は相手にならない、老いたといえあの鉄心ですら互角
東は武神、川神百代。川神院次期総代は確実と言われ規格外の身体能力と技で他を圧
修行は一時休止されて二人の手合わせが始まるのを今か今かと待ち望んでいた。
れることは無い││しかし相対している者のレベルが違う、見るだけでも修練になる。
目当ては修練場で相対している二人。普段は只の手合わせで修行僧の修行が止めら
しい、本殿にある修練場に多くの修行僧が集まっていたからである。
既に時刻は昼を過ぎておやつの時間に差し掛かっていた。川神院は少しばかり騒が
﹁││手合わせしましょう﹂
11
は鉄心だけで、ルーですら実力を測り損ねていた。
東の百代もその一人、むしろ総一郎からは何も感じていなかった。強いことは分か
る、だが壁越えには程遠い、自分の相手などにはならない││先ほど﹁手合わせしましょ
う﹂と言われた時は心が少し踊った、強いのかもしれないそう思った││しかし、すぐ
に考えを改めた、それ所か少し憤りを感じた││舐めているのか
﹁甘いですね﹂
相手の実力でない場合、開始の合図で切り殺されますよ
﹂
﹁ここにいる方││鉄心様以外が僕の実力を気で測ろうとしている。気で測ったものが
百代は対峙しているその相手に何を言われたのか分からなかった。
?
体幹が微動だにしない、鉄心は只々感心していた。
総一郎は木刀を両手で持ち正眼の構えで佇んでいる││目を閉じて。
?
﹂
?
﹂
!
動しない。
合図と同時に動き出したのは百代、総一郎は反応が遅れたのか目を開けること無く微
﹁いざ尋常に││始め
百代は頷き、総一郎は﹁はい﹂と答えた。
﹁両者とも準備はいいかネ
︵うーむ、流石、新当流総代だけある。この若さでここまでとは⋮⋮︶
──私は強いです。──
12
﹁手始めだ
無双正拳突き
﹂
!
││これ以上踏み込んでいたら首が折れていたかもしれない││
の剣先当てられていた、百代も当てられたことに気が付いて体を止めている。
高速で相手の懐へ潜り強力な正拳突きの連打││のはずだった。百代の首には木刀
!
﹂
!
収まった。
武神の土下座に応えない総一郎に門下生達は異議を求めるが鉄心の一喝ですべてが
﹁⋮⋮
﹁やだ﹂
上げる人間ではない。むしろ土下座紛いなどしたこともなかった。
片膝を着いている百代はそのまま頭を下げた、武神と呼ばれる彼女はそう簡単に頭を
﹁ま、待て⋮⋮もう一回、もう一本お願いします﹂
いた鉄心でさえ拳に力が入っていた。
それは百代だけではない、門下生の全てルーも例外ではない。総一郎の実力を認めて
瞬にして勝負が付いてしまった、受け入れらない敗北に立ち上がれなかった。
首から剣先を離すと百代は片膝を着いた。手合わせであっても油断したとしても一
次はありませんけれども﹂
﹁⋮⋮ま、手合わせですから。次は本気で来てくださいね││これが真剣試合でしたら
13
武神はそのまま頭を下げている、客観的にみれば総一郎が見下しているようにも見
え、門下生にとって屈辱以外の何物でもなかった。
﹁総一郎、もう一度戦ってはくれんか﹂
﹁別に戦いたくないわけではないですよ、只これが⋮⋮﹂
そういって右手にある木刀を軽く拳で叩いた、すると木刀は粉々に砕け散って辺りに
散乱してしまった。
﹁武神相手にやると木刀が剣技に耐えられないようです、まず僕も得物が違いますし。
それに││﹂
一時の沈黙が流れる。
間抜けた答えに百代は思わず声を上げて笑ってしまった、鉄心もルーも門下生も笑っ
﹁││お腹が減りました﹂
﹂
ていた。総一郎は不思議そうに後頭部をただ掻くだけだった。
⋮⋮これどういう状況
!
?
﹁ワン子おかえり、ちょっと手合わせしていただけだよ﹂
﹁お、勇往邁進タイヤ少女だ﹂
│基、ブルマ、ポニーテールをかっ下げたスポーティー少女。
雰囲気を気にせず元気よく修練場に一人の少女が飛び込んできた。服装は体操服│
﹁みんなただいまー
──私は強いです。──
14
﹁おかえり一子、お客さんじゃ挨拶しなさい﹂
将来はお姉様のサポートをする為に川神院師範代を目指し勇往邁進
一子は総一郎に近づくとお辞儀をしてはち切れんばかりの笑顔で自己紹介をする。
﹂
﹁川神一子です
中です
﹂
否、そんなわけがない。彼女は己の才能が平凡であるこ
?
と知ってはいるが、それは努力で超えられるものだ││と思っている、思いこんでいる。
を理解しているのだろうか
このままでは師範代になる可能性は万に一つ、もっと厳しいかもしれない。彼女はそれ
バーワークなど無視して鍛錬をしているに違いない。だがここから先は厳しいだろう、
十年でここまで武術家として来れたのは間違いなく努力の結晶だろう、恐らくオー
無論この一子という少女も理解している││と思いたい。
川神院の住人だけではなく武道家として頂点に立ちたいものならば理解しているはず、
でなければその門を潜ること、いやその門は潜るものではなく超えるしかない、それは
川神院師範代の門の狭さは日本武道界でも屈指を誇っている。確実に壁を超えた者
健気な少女だ││と思っていた。
?
?
﹁えーと、十年ぐらい前からかな
﹂
﹁どもども、新当流総代の塚原総一郎です⋮⋮ところでいつ頃から鍛錬を始めたのかな
!
!
15
今、総一郎は個人でなく新当流総代としてこの少女の行く末を心配し、この川神院の
指導者に強く非難の目を浴びせていた。
鉄心や百代、ルーは一瞬でしかない非難の目を見返すことは出来なかった。
﹁⋮⋮くんくんくん、何かここからいい匂いがするわ﹂
何か食べ物でもあったかな﹂
??
づいていった、犬のようだった。
﹁お弁当だわ、えーと⋮⋮ス、スワルロウよりハート
﹁⋮⋮﹂
燕からの弁当だった。
︵全く、いい女だぜ︶
﹂
総一郎の心配に気付くこと無く一子は総一郎が京都で燕から預かってきた紙袋に近
﹁え
?
﹂
よろしく総ちゃん
﹁⋮⋮俺もワン子って呼んでもいいか
総一郎は無意識に一子の頭を撫でて一子の顔が蕩けだしたところで顎も撫で始めた。
﹁うん、いいよ
?
!
!
!
総ちゃんでいいぜ﹂
まぐまぐ﹂
ほら、ジャーキーあげるよ﹂
食べないでね
?
ありがとう
﹁え、ほんと
!
﹁あー、それは京都から来るときに作って貰ったものなんだ。よだれ垂らしているけど
──私は強いです。──
16
総一郎は昔近所にいた柴犬を思い出していた。
♦ ♦ ♦
いた。
その拳とその表情を見て鉄心は少し穏やかさを感じて、久しぶりに武術家の孫を見て
││それまでに。
百代はその答えに満足はしなかった。だが、それで充分ではあった、戦える日は来る
総一郎は漠然としたことを伝えて川神院を去った。
﹁心配なさらずとも、次の機会はありますよ。明日死ぬつもりはありません﹂
だけ百代に向けて微笑んだ。
うまくいけば││なんてことを考えていたけれども、総一郎は浅い溜息をついて半身
﹁おい、待て﹂
去ろうとする││が、それを許す百代ではない。
手首を見て着けてもいない腕時計を確認してキリが良いところで総一郎は川神院を
す。ではまた後日﹂
﹁おっと、こんな時間だ。すみません、寮に挨拶しないといけないのでここで失礼しま
17
地図を片手に総一郎はのんびりと歩いていた。非常に歩行速度は遅く、狭い路地だと
後ろを歩く通行人の邪魔になって仕方がない。加えて三尺を超えている大太刀は目を
引く、服装も気崩しているためだらしなく見えてしまう。
しかし総一郎には関係もないのだろう、その目線は川神の風景、風情が映り込んでい
て、どんな奇異な目を向けられていても気にも留めない││気が付いてすらいない、奔
放なのか豪胆なのか、いずれにしても彼の精神は同世代よりも数段上であることが分か
る。
総一郎がこれから三年間過ごす寮、﹁島津寮﹂である。
爺臭さを醸し出しながら総一郎は既に由緒正しそうな民家の前で足を止めていた。
﹁実に良い場所だ、陰険な京都よりも気持ちの良い気で満ち溢れている﹂
──私は強いです。──
18
││私は騒ぐ。││
島津寮は一階が男子、二階が女子の部屋で区別されていて男子が許可なく二階に上が
大和は右手を差し出して総一郎の手をしっかり握った。
﹁⋮⋮いきなり不吉なこと言うなよ﹂
﹁取りあえず三年間よろしく、三年間よろしく出来ることを切に願う﹂
総一郎は大和に近づくと右手を差し出した。
﹁それはキモイ﹂
﹁そうか、よろしく大和。俺のことは総一郎でも総一でも、総ちゃんでもいいぜ﹂
﹁あ、そうなの。俺は直江大和、大和でいい、みんなそう呼んでいるからな﹂
﹁ああ、すまん。今日から島津寮にお世話になる塚原総一郎という者だ﹂
い。総一郎は後頭部を掻いて初手が不発したことに気が付いた。
風貌からして武術家の総一郎を見て、先ほどの言葉を聞けばそう返すのも仕方がな
﹁⋮⋮道場破りなら川神院へどうぞ﹂
島津寮の扉を開けるとそこには一人の少年が立ち尽くしていた。
﹁たのもう﹂
19
ると袋叩きのさらし首にされるらしい。
女子が男子部屋に来てもお咎めは無いのか
﹂
大和に荷解きを手伝ってもらいながら総一郎は他愛のない雑談を楽しんでいた。
﹁え
﹁特に俺は実害を受けるからな﹂
?
だ﹂
!
ている刀に目を光らせた。
自己紹介も束の間、キャップは自分がびしょ濡れであることも忘れ総一郎の腰につい
﹁おう、俺は風のように自由を生きる男、風間翔一だ
﹂
﹁キャップ紹介するよ、今日引っ越してきた塚原総一郎、四月から同じ川神学園に通う奴
見える、大和は男にタオルを渡して総一郎の方を指さした。
玄関に居た水を含んだバンダナを絞っているバンダナの男を見ると雨にやられたと
﹁ふう、酷い目にあったぜ﹂
玄関の方で声がし始めたので会話はいったん中止となった。
大和が大きな溜息をつく。何かあるのか
?
と思い、総一郎は疑問を投げかけるが、
﹁区別は当然だとしても差別もあるとは⋮⋮﹂
﹁ない、酷い話だろう﹂
?
﹁どうも、塚原総一郎です。以後お見知りおきを﹂
──私は騒ぐ。──
20
﹁それってもしかして真剣か
﹁触らしてくれ
﹂
﹂
言えば大和は口を開けて総一郎に視線を移していた。
大和が﹁そんなわけないだろう﹂とキャップを一蹴するも、総一郎は﹁そうだぜ﹂と
!?
湯あたりなどは全く気にしていなかったが、大和が様子を見に来ると二人の顔は真っ
時間以上が経過していた。
ながら、キャップの冒険譚や総一郎の日本全国武者修行の旅を語り合い、気が付くと一
二人は一通り遊び冷えた体を風呂││島津寮は温泉が出ているため温泉で体を温め
真剣で。
り気で、二人は雨に打たれながら無邪気な子供のように遊んでいた。
ら刀を引き抜いていた。大和が﹁おいおい﹂と言うもキャップだけではなく総一郎も乗
キャップは先ほど濡れて帰って来たばかりだというのに総一郎と庭に直行して鞘か
ではどこで刀を出すかといえば、現在雨が降り注ぐ庭しかなかった。
柱に刀傷が││柱だったら真っ二つになるかもしれない。
とはいえ、ここは室内でしかも寮、こんな狭いところで刀を振り回してしまえば壁や
は﹁いいぜ﹂と言い、大和は口を開けて総一郎に呆れ顔の視線を移していた。
と言えば、大和は﹁ダメに決まってくるだろう﹂とキャップを窘める、しかし総一郎
!
21
赤になっていたため強制的に風呂から上がることとなった。
案の定、話の熱が冷め居間で二人は呻き声を上げながらソファに脱力していた。
なんじゃそしゃ﹂
﹁今日は親睦会なんだからしっかりしてくれよお二人さん﹂
﹁⋮⋮親睦会
﹂
パーティをするって一週間前に言ったろ⋮⋮というかキャップが言い出しんたんだろ
﹁総 一 に は 言 っ て な か っ た け ど、寮 生 が 今 日 み ん な そ ろ う か ら フ ァ ミ リ ー を 集 め て 鍋
頭に置く。
苦労人直江大和は本日何度目かの溜息をついて冷たいタオルをキャップと総一郎の
﹁あーそんなこと言ってたような、言っていなかったような﹂
?
細い男と汗臭そうな屈強な男、伏し目がちな髪の短い女。
すると大和の大声が発破をかけるように居間の扉が開く、入ってきたのはひ弱そうな
!
らふらつく足をどうにか立たせようとして近くにあった刀を杖代わりにする。
総一郎は顔にかかっているタオルの隙間から三人を見て﹁個性強いなあ﹂と思いなが
﹁⋮⋮ども﹂
﹁おう、大和、俺様腹をすかしてきたぞ﹂
﹁来たよー、大和大声出してどうしたのさ﹂
──私は騒ぐ。──
22
無理をして立ち上がったのは自己紹介をするためだ。
﹁おう、遅くなった﹂
鍋と野菜を簡単に切って四人はある人物を待っていた。
取り掛かるといってもこの中で料理が出来るものはいない。
に取り掛かった。
一杯、キャップと総一郎が回復するのにはまだかかると大和は判断してパーティの準備
律儀な自己紹介に応えたいけれども総一郎は片手を振って﹁よろしく﹂とするのが精
﹁⋮⋮直江京、まあよろしく﹂
それと美人のお姉さんだ﹂
﹁俺様は島津岳人、ここの寮母は俺のかあちゃんだ。好きなものはプロテインと筋トレ、
校に通うからよろしくね﹂
﹁あはは、何か大変そうだね。僕は師岡卓也、ここの寮生じゃないけど四月からは同じ学
そんな総一郎を不思議に思いながらも三人は口を開く。
力するほかなった。
薄ら笑顔な総一郎を見かねて大和はソファに座らせる。座ってしまえば総一郎は脱
の様ですがどうぞよろしく﹂
﹁皆さんどうも、今日からここでお世話になる塚原総一郎です。今は生まれたての小鹿
23
そう言うのは少し強面の青年、ここにいるということは大和の知り合いなのだろう。
﹁源さんお帰り、さっそくだけど鍋お願い﹂
渋々││というか適当に理由を付けているようにも見える、源さんと呼ばれる男は荷
﹁ったく、めんどくせえな⋮⋮まあ、変に怪我して部屋に来られても困るから仕方ねえ﹂
物を置いて台所に立つ。
そんな二人のやり取りを見て京は息を荒げるのだった。
キャップと総一郎が湯当たりでダウンするというハプニングがあったけれども、鍋は
無事完成をまもなく迎え二人も休んだ甲斐があったのか体調は正常になっていた、鍋
﹂
﹂
パーティ親睦会は予定通り行われる。
﹁││肉は
はずだった。
﹂
﹁どういうことだ大和
!
二人を両手で窘めて大和はケータイを取り出す、総一郎はきっと肉に催促をしている
﹁まあ待て、肉はもうすぐ届く﹂
キャップと岳人は声を荒げて大和に猛抗議をする。
!
?
﹁肉がないぞ
──私は騒ぐ。──
24
のだろう││なんて考えていたが。
﹂
箸の持ち方や食べ方、背筋が良いこと、食べる姿は良いところのお坊ちゃんの様。
さらには何の躊躇もなく弁当を食べ始めた総一郎は間違いなく異質であっただろう。
てみれば殆どが納豆、その場にいた全員が顔を顰めた。匂いにではなく光景に。
大和の返事を待つことなく総一郎は席について両手を合わせた。開かれた弁当を見
﹁俺はこの弁当を食べなくてはならない。勿論、鍋も食う﹂
総一郎は両手に居間へ戻る。
﹁どうした総一﹂
ものの、納豆単体ではなく料理としての納豆であった。恐らく腐ってはいない。
総一郎は部屋へ直行して弁当を確認する。不安は直ぐに拭われた、納豆は入っていた
納豆が入っている。
どうしたものか、そう思って頬杖をついた。││どうしたものかではない、あれには
﹁⋮⋮ああ、すまん。弁当を食っていないことに気が付いた﹂
がずらりとあっても気が付くことは無かった。
三十分前まで湯当たりのせいで思考回路がおかしくなっていたのか、目の前に食べ物
総一郎に視線が集まる。何事であるか。
﹁││あ
!
25
﹁なあ総一、お前の家は金持ちかなんかか
﹂
すごいね、流石に僕たちも真剣は見たことないや﹂
か、肉のことなど忘れてガクトに自慢話をし始めてしまった。
思い出したようにキャップは目を輝かせた。先ほどのやり取りが余程楽しかったの
!
くただ箸を進めた。
﹂
ガクトの問いは妬み半分好奇心半分のようだったが、総一郎は悪意に勘づくこともな
﹁ああ、一応旧家だ。金はある、土地もある﹂
?
﹁そうだ、こいつ真剣を持ってるんだぜ 俺初めて触らしてもらったけど重いのな
!
﹁⋮⋮塚原って京都剣客塚原信一郎の塚原
﹂
すると今度は自己紹介以来一回も口を開いていない京が口を開いてきた。
話に変わってしまい、総一郎は居間で刀の自慢をし始める。
今まで無言だったモロも男の子なのか話に食いついてくる。いつの間にか話は真剣
﹁真剣
?!
?
大和結婚しよう
﹂
!
だけある﹂
⋮⋮この人いい人かもしれない
!
明していた。
別に地雷を踏むつもりはなかった総一郎は突然の出来事に両手を前にして潔白を証
﹁
!
﹁わお、まさか同級生が父の名を知ってるとは思わなかった。流石直江さん、大和の恋人
──私は騒ぐ。──
26
﹁確かに訂正はしていなかったが⋮⋮簡単に地雷を踏むな総一
﹂
!
﹂
?
﹂
?
そこには総一郎も知っている姉妹の姿があった。
そこで何度目かはわからないが、居間の扉が開く。
られるこの男はなんだ││
京は瞳孔を開いて驚愕していた。││父の間合いに限界まで近づいてニヤついてい
が、京は自分の父の強さを知っている。
総一郎の強さも京の父の強さも知らない奴が聞いても理解できない言葉ではあった
﹁いやあ、滅茶苦茶強くてさ、三メートル以内に近づけなかったんだよね﹂
﹁どうした
頬杖をついて総一郎はニヤつく。
﹁ああ、一度手合わせしたことがある﹂
﹁お父さんを知ってるの
﹁へえ、椎名さんの娘さんか、通りで﹂
塚原総一郎と言う男の話に。
帰していた。
京が落ち着くまでに数分かかってしまったが話題は刀の話ではなく、直前の話題へ回
﹁すまん﹂
27
﹁悪い遅くなった。肉をくすねる途中で爺に見つかった、説得するのに││﹂
大量の肉を片手に言い訳をする美少女││川神百代は居間のある人物へ視線を向け
ていた。
﹂
先に声を出したのは一子であったが。
総ちゃん
!
﹁食うか﹂
!?
突っ込むところだが、そんな二人に全員が呆れ顔だった。
その表情はまるで主人と犬、まずこの二人がなぜ知り合いなのか││ということに
一子にジャーキーをあげている総一郎の顔を見てしまえば仕方のないことだった。
先 に ア ク シ ョ ン を 起 こ さ れ た 百 代 は 総 一 郎 に 文 句 を 言 う タ イ ミ ン グ を 失 っ て い た。
﹁くれるの
ぐまぐま﹂
総一郎は懐から何かを取り出した││ジャーキーだ。
総一郎の懐に視線を集中させていた。
指を指しながら一子は総一郎に近づいてくる、傍に来るなり一子は物欲しそうな顔で
﹁あ
!
♦ ♦ ♦
そんな源さんの声で鍋パーティは始まった。
﹁直江、いい加減飯にするぞ﹂
──私は騒ぐ。──
28
鍋 パ ー テ ィ は 戦 場 だ っ た。腹 を 空 か せ た 猛 獣 が 食 卓 に 半 分 以 上 も い た た め で あ る。
主にキャップと一子の二人であったが。
﹂
一通りの食事が終わり、後は締めのおじやを待つのみ。その間に質問タイムが行われ
ていた。
﹁姉さんと一子は総一と知り合いだったの
﹂
﹁昼にお姉さまと手合わせしてたのよ、その時に会ったわ
すごくいい人よ
あの川神百代がなぜ手合わせをして不機嫌なのか。
私はジャーキー貰ったの、
手合わせをしてなぜ百代は不機嫌だったのか、戦闘狂でいつも対戦相手を探している
そこで一同は疑問に思った。
!
!
コットだった。
で地雷を踏んだ気分だったが、それをどちらの意味で晴らしたのはファミリーのマス
総一郎は笑みを溢しても百代は総一郎を睨みつけて一同に沈黙が走る。大和はまる
﹁ふふ﹂
﹁⋮⋮﹂
大和はみんなの心を代弁するかのように一番の疑問を呈した。
?
29
次は負けないように本気で来てね﹂
勿論、彼女をよく知るものならばその答えは見つからないだろう。
﹁ももちゃん、次の手合わせは何時にしようか
﹂﹂﹂﹂﹂﹂﹂
﹂
﹁⋮⋮ちょ、ちょっと油断していただけなんだ
﹁⋮⋮姉さん負けたの
次は負けない⋮⋮ぞ﹂
大和は百代が放つ闘気から全てを察した。というか既に総一郎は言っているのだ。
ならなぜ彼はそんなことを百代に放ったのか。
最強の武神と言う異名は古くからの仲間である彼らが一番知っている。
な言葉を百代に吐くものは今までに居たことは無い、なぜなら百代は負けないからだ。
そんな総一郎の言葉に反応できるものは居なかった。次は負けないように││そん
?
!
?
る││そんな表情だった。
ようやく理解した者達は信じられない││地球に太陽が衝突してきた方が信じられ
﹁﹁﹁﹁﹁﹁﹁
!?
た。
二人の間に闘気が交わされる。しかしそれは敵意ではなく、まるで握手のようだっ
﹁⋮⋮新当流総代は伊達じゃないようだな﹂
た初見殺しさ﹂
﹁まあ、本当に手合わせさ。俺もそう簡単に一発貰うわけにはいかないしね、ちょっとし
──私は騒ぐ。──
30
そんな総一郎にモロは質問を続けた。
﹁もしかしてだけど塚原ってもしかして塚原卜伝の塚原
誰それ大和﹂
?
﹂
ワン子にガクトこれぐらい知っていて当然だぞ﹂
?
﹁まあ、最近の人は知らないんじゃないかな 俺もよく知らないし、祖先がどう思うか
た。
タクトを取る。気にするな││という表情だが、今度は総一郎が場のフォローに入っ
二人は﹁う﹂と言って萎縮してまった。大和のフォローに総一郎は気付いてアイコン
恐らく最強の剣術家じゃないかな
﹁塚原卜伝と言ったら戦国時代の剣客で生涯一度も負けたことが無い、と言われている。
傷つく、大和はすかさずフォローを入れた。
総一郎は笑っていたが、自分の祖先を頭ごなしに知らないと言われれば普通であれば
﹁俺様もわからねえぞ﹂
﹁つかはらぼくでん
現新当流総代、有体に言えば川神鉄心と同じだ﹂
﹁お、よく知ってるなモロ、そうさ、塚原卜伝は俺の先祖。新当流の開祖だ、そして俺が
?
31
たことで塚原への質問タイムも自然と打ち切られていった。
そんな大人びた発言に場の雰囲気は鍋パーティの頃に戻っていた、丁度おじやも出来
は分からないけど、そのために歴史を継ぐものが││俺がいるんだから﹂
?
♦ ♦ ♦
鍋パーティは終わったが親睦会は終わらない。片付けが終わり、みんなが風呂からあ
﹂
がると総一郎と源さんを除いた風間ファミリーは居間でキャップを中心に臨時会議を
開いていた。
!
その因果関係のせいか、幾分か改善はされたものの彼女の内向性は変わることがな
して風間ファミリーだった。
彼女が昔受けていたいじめが原因である、そしてそのいじめを助けたのが大和││そ
彼女はファミリー以外に心を開かない。
その一つが京の存在だ。
のはその閉鎖すぎる傾向のおかげともいえる。
然と解散していくものだからだ。しかしこのグループがここまでこの形を保てて来た
小学生から続くグループは早々ない、それは季節の変わり目や進路、心境の変化で自
それもそのはず、このグループはかなり閉鎖的である。
とは思いもしない、それがファミリーの思いだった。
キャップの突拍子もないことはいつものことであるが、今日の今日でこの話題が出る
﹁総一をファミリーに入れたい
──私は騒ぐ。──
32
かった。
﹂
それは京のこと、平均的なことであって全員が内向的なわけではない。
例えば一子や百代。
﹁私は賛成ね、絶対に悪い人じゃないわ
﹁俺様は反対だな、顔がいい奴は憎い
こう言う奴は例外中の例外。
キャップが大将
││まあ、良い奴そうではあるが﹂
彼はこの風間ファミリーでは軍師の役目を担っている。
そうなれば後は大和の意見次第となる。
京の意思を尊重するところがある。
この二人││モロと京がこのグループの防壁となる。京は前述のとおりだがモロは
﹁私も反対﹂
は別だと思う﹂
﹁僕は反対だな、良い人そうではあるけれども早すぎるし、ファミリーに入るとなると話
!
だった。
開放的な二人は余程なことでもない限りこういう場で人には合わせない、自分に正直
﹁癪な奴ではあるが面白そうなやつだ、私も賛成だ﹂
!
33
大和が軍師
ガクトと一子が特攻隊
百代が守護神
京が狙撃
モロは情報処理
軍師であるからこそこういう場面での発言は大事だった。
﹁俺は││反対ではない、良い奴だと思う。正直気が合いそうだ││だけどファミリー
に入るならもう少し様子を見ることが必要だと思う、よって俺は保留だ﹂
キャップ以外の者は全員が大和の言葉に頷いた。
しかしここで諦めるのではキャップとは言い難かった││
♦ ♦ ♦
本人がいない間にそんな品定めがされているとは知らず、総一郎は洗い終わった弁当
箱を綺麗にしまって椅子に腰を掛けていた。
﹃もしもし﹄
画面に映し出された名前は﹁スワロウ﹂と書かれていた。
思い出したように携帯を開いた。
﹁そうだ﹂
──私は騒ぐ。──
34
﹁よう﹂
﹄
?
﹄
?
かれるだろう。
姿があった。周りから見られてしまえばすぐに総一郎と電話をしていることに気が付
総一郎はからかっているつもりだろうが、電話の向こうでは派手に紅潮している燕の
﹁軽いホームシックさ﹂
﹃きゅ、急にどうしたのさ﹄
﹁つーちゃんの声を聞くと安心するなあ﹂
﹃え
﹁なんか安心した﹂
別に惚気ているわけではない、単純に安心している││そういう表情だった。
な表情だった。
電話の相手は燕だった。他愛のない会話であるが総一郎の顔はどこか緩んで穏やか
﹃一言余計﹄
﹁ああ、強かったぜ、つーちゃんよりも﹂
﹃もしかして武神と戦ったの
﹁悪い悪い、結構ドタバタコメディでさ、やっと暇ができたんだ﹂
﹃ようじゃない、連絡の一つも寄越さないとは。叔母様も心配してたよ﹄
35
﹂
それから今日あった出来事を二人は話す。時間など忘れて││
﹁総一、オールトランプしようぜ
﹃││ん、││ん
﹄
間に何度か拾おうとするけれども体勢を崩して椅子ごと倒れてしまった。
恋人との緩んだ電話中の大声で思わず総一郎は携帯を落としてしまう。落ちている
!
﹃大丈夫
大きな音がしたけれど﹄
﹁あー悪い悪い、寮の奴が急に大声出すから﹂
!?
﹁なんだなんだ、﹃悪い、なんかトランプするみたいだ。また明日かけるよ﹄﹂
かモロも百代も一子いた。
キャップの代わりに謝罪したのは大和だった。よく見ればその後ろには寮生どころ
﹁悪いな、総一﹂
﹁へーきへーき、﹃急に大声で入ってくるなよ、びっくりしただろう﹄﹂
?
﹂
!
と、何故かガクトが声を張り上げた。総一郎以外は何か勘づいている様子だったが。
﹁おい、総一。さっき話してたのは誰だ
総一郎は大きなテーブルを出して中央に全員が集まった。
﹁お休み。││さあて、やるか﹂
﹃うん、仲が良いことはいいけど体に気を付けて程々にね、お休み﹄
──私は騒ぐ。──
36
﹂
﹁誰って⋮⋮彼女だけど﹂
﹁総一
﹂
⋮⋮今から風間ファミリー入団試験を行う
﹁││へ
?
!
﹂
!
釣り上げていた。
﹁ふふーん﹂と鼻で笑ってガクトを絶望させた総一郎、そんな総一郎にキャップは口角を
﹁モテそうだもんな総一﹂
暴力でしかなかった。
夜に大声を出してしまえば当然注意される。ここでの注意は百代による鉄拳という
﹁なんだとー
!
37
││私の過去。││
遡ること五分前││総一郎のファミリー入りが保留となり、臨時会議は解散となるは
ずだった。
しかしそれを止めたのは他ならぬ風間ファミリーの長、キャップこと風間翔一だっ
た。
どうしても仲間に入れたいキャップは一応リーダーとしては保留に肯定を示したが、
それも束の間、帰宅の準備を始めるファミリーに一つの提案をする。
││そして今現在、総一郎の部屋にはファミリーメンバー、キャップ、大和、京、百
﹂
代、一子、モロ、ガクトが一つのテーブルを囲み、キャップは総一郎に提案をする。
﹁今から風間ファミリー入団試験を始める
!
﹂
提案と言うか総一郎は殆ど強制参加の形をとられた。
﹁許可する
﹁そのほうがかっこいい
﹂
﹁ファミリーなのに入団試験なのか﹂
!
﹁質問だ﹂
──私の過去。──
38
!
呆れ顔で総一郎は﹁さいですか﹂と言葉を溢し、本質を確かめることにした。
それとなんで俺をファミリーに
﹂
総一郎から見て閉鎖的なグループがまさか自分に入団試験を受けさせるとは思いも
しなかった。
﹁試験内容は
?
の徹夜で川神トランプをして俺達の好感度を上げろ
それが試験内容だ
﹂
!
!
﹁僕も知らない﹂
﹁俺様も知らないぞ﹂
﹁私も知らないわ﹂
い﹂
﹁⋮⋮いいぜ受けてやろうぞ││と、言いたいが、俺は川神トランプなるものを知らな
至極簡単なことだ││面白そう。
だが、それ以上に好奇心が勝った。
る、相手に不快な思いをさせない断り方だって総一郎は知っている。
しかし総一郎はその入団を受けることにした、入りたくないならば断わることも出来
リー内で上がったらしい。
至 極 簡 潔 な 説 明 で あ っ た。リ ー ダ ー の 気 ま ぐ れ 法 案 が 総 一 郎 の 居 な い 間 に フ ァ ミ
!
﹁面白そうだからな 勿論、俺だけの意見じゃあ入れることは出来ない││だからこ
?
39
﹂
﹁そんなトランプ今まで聞いたこともない﹂
﹁大和知ってる
﹂
!
川神の恐ろしさが垣間見えていた。
間ファミリーの反応はいたって普通だった。
とを聞く、意地の悪すぎる変則ルールだ││総一郎はそんなふうに思ったけれども、風
負けた奴が勝った奴の言うことを聞く││ではなく、勝ったやつが負けた奴の言うこ
種目はなんでも良い、大勢で出来て尚且つ勝敗が決まるもの。
キャップが考えた川神トランプ││いわば王様ゲームのトランプ版。
﹁当たりまえだ、さっき考えた
意気込んだ総一郎の精神は一気に冷めることになった。
﹁⋮⋮おいおい﹂
﹁⋮⋮キャップ適当なこと言うなよ﹂
?
︵最悪のシナリオは負けて俺が勝つことだ、慎重に行くぞ、直江大和││ここが俺の関ヶ
会議状態となっていた。
ガクトとモロが呑気なことを言っているがファミリー数名の頭の中は既に自己作戦
﹁簡単なルールだけど面白そうだね﹂
﹁キャップにしては頭使ったな﹂
──私の過去。──
40
原だ
︶
はっきり言って不安でしかない﹂
いいよな
?
大人数でやるとトランプといえば﹁大富豪﹂
﹁ババ抜き﹂
﹁七並べ﹂三大トランプと言
♦ ♦ ♦
﹁じゃあ七並べをしようぜ﹂
総一郎は天然ではないのだ。
だが、大和は勘違い、そして大きな失態を犯していた。
見ということになるのだろう。
恐らくこの中で一番悪知恵が働くであろう大和が了承したということは恐らく様子
ファミリーはそれを了承した。
﹂
﹁まあ、ルールは分かったけどさ、なんか怖いし初めの種目と先行は俺が決めていいか
そんな思惑のさなか、総一郎は一つの提案を出していた。
︵これは面白そうだ⋮⋮弟にとんでもない恥をかかせてやるのもよさそうだな︶
︵どうにか大和に⋮⋮どうするべきか︶
!
﹁あーまあいんじゃね
?
?
41
うのは些か大げさかもしれないが、総一郎の選んだ七並べはまごうことなき王道であっ
たはずだ。
しかし、総一郎の提案に大和は反応せざるを得なかった。
││ぬかったわ
卑怯だよ総一
パスを続ければ一番最初に負けられるじゃん
!
﹂
だが、気付くものもいただろう、二人とも手札を全く見ていないことに。
二人も連続で出せる札がない、確率として大いにあり得る。
総一郎に続いて大和もパス。
﹁俺もパス﹂
る手札もあるだろう。
人数も多いため手札が偏ることが七並べでは起こる、その分次の順番が来る頃に出せ
﹁││パスだ﹂
先手は先ほど全員から了承を得た通り総一郎。
カードが配られ中央に﹁七﹂が揃えられていく。
そんなことを心の中で思いながら悔しくも一つの安堵を覚えていた。
!
!
﹁ふ、罠にかかったお前らが悪い││ああ、そして椎名⋮⋮いや、京と呼んでいいかな
!
これは独り言だ、俺が負ければこの七並べに勝ったものへ絶対順守の命令を下すこと
?
﹁あ
──私の過去。──
42
になる。わかるか
命令何だもの﹂
絶対に従わなければならない、仕方ないよな
だってそう言う
?
た少女以外は。
多くの者はその言葉を理解できなかった。顔を蒼白にした少年と、悪い笑みを浮かべ
?
﹁総一
貴様、裏切ったなあ
﹂
!
﹂
?
﹁モモが島津寮に泊まるそうじゃ。明日の朝練には参加しないらしい、恐らく寝ずに遊
﹁総代どうしましタ
は目の前に居ない、溜息をつく他なかった。
い、川神院じゃ﹂なんて言葉しか発することが出来なかった。怒ろうとしても怒る相手
日には帰る││それと朝練は行けないかも││﹂と、ぶつ切られ、電話を取るときに﹁は
入団試験が行われる少し前、川神院で鉄心は孫娘から﹁今日は泊まることにした、明
♦ ♦ ♦
されるのだった。
総一郎と京の間に妙な絆が結ばれ、風間ファミリー入団試験の最難関は一問目で突破
かべるだけだった。
大和の抗議も空しいまま、総一郎と京は悪代官のように視線を交わしてただ笑みを浮
!
﹁⋮⋮いいよ、京って呼んでも。私は総一に感謝しきれない﹂
43
ぶんじゃろ﹂
﹁⋮⋮困りましたネ﹂
鉄心とルーは顔を合わせて同時に溜息をついた。
二人にとってはいつものことなのだろう、それでも溜息をついてしまう。肉親であり
師である者の定めともいえる。
﹁まあ島津寮じゃし間違いは起きんだろう。まあ、今回は大目にみるかのう││今日か
ら島津寮には信一郎の息子がおることだし﹂
石﹁三撃﹂と言われるだけあって三手目の攻撃が桁違いでしタ││﹂
﹁⋮⋮塚原家当主﹁三撃﹂の塚原信一郎ですカ、彼とは一度だけと手合わせしましたが流
ルーはそう信一郎を評価しているがとても負けたようには見えず、恐らく手合わせと
はいえ勝利を収めている。しかし次の瞬間には鉄心の言葉に顔を顰めてしまう。
﹁││そしてその息子である総一郎がモモを一撃で仕留めた﹂
﹂
?
﹁初めて会ったのはあやつが六つの頃じゃ││﹂
げた。
ルーの問いは正しかったのだろう、鉄心は庭に出ると月明かりに照らされて天を見上
が大きいのでハ
﹁⋮⋮正直驚いた││いや、恐ろしかったでス。あれは実力と言うよりも精神的な部分
──私の過去。──
44
鉄心の記憶には人よりも多くの記録が残っている、人よりも長い年月を生きているか
らだ。十年前の出来事など自身にとって現役を退いたつまらない出来事のはずだった。
しかしある少年との些細な出来事は生涯の中でも恐らく上位に来るような印象深い
出来事だった。
十年前に京都に行ったときのことだ。
鉄心は当時、塚原家当主兼新当流総代だった総一郎の祖父にあたる旧友、塚原純一郎
の元を訪れていた。新当流は歴史が古いため川神院とも歴史の中で交流があった。
純一郎は鉄心にあうなり息子の信一郎を鉄心に会わせた。
の純一郎に似ていると。
旧友の頼み。無論、稽古をつけてやることにした。稽古が終わると鉄心は思う││昔
息子とはいえそのようなことを言うとは││。
な剣士﹁鬼太刀﹂なんて言われていた。
い。待つ││などということはなく、ひたすらに攻撃を続ける││恐れすら感じる獰猛
な男だった。鉄心とも武を交えたこともあり、その時の闘いを鉄心は忘れることは無
純一郎が若い頃は刀一本で戦場を駆け抜け、強き者に片っ端から勝負を挑む鬼のよう
鉄心は純一郎からそのような言葉を聞くとは思いもしなかった。
﹁私よりも才のある自慢の息子だ、どうか稽古をつけてやってほしい﹂
45
だが、信一郎からも信じられない一言が発せられた。
﹁どうか息子にも稽古をつけてやってください、あの子は私よりも才がある﹂
性格は確かに違う、それでも純一郎に似ている部分、即ち剣術への自負。自分は強い、
そう思う心。稽古で信一郎の刀から感じた思いは確かにそうだった。
鉄心は考える暇もなく信一郎の続く言葉に三度目の驚愕を覚えた。
鉄心は微笑んで武道場の中央へ歩いていった。しかし総一郎は一向に歩いては来な
信一郎から総一郎へ鉄心との稽古が言いつけられる。
体から放たれる気が非常に落ちついていた。
強いかもしれないが、非常に落ち着いていた。大人しいということではない、気が││
第一印象はその佇まい││まるで自分の孫娘とは違う、体の大きさや力はモモの方が
塚原総一郎││これが鉄心との出会いだった。
しばらくすると信一郎の息子はやってきた。
││確かめたくなってしまう。
たが、それを聞いてしまえば、純一郎がそう頷いてしまえば││
鉄心から見て信一郎の才は確かに純一郎を超えるものがある、そう感じた││そう感じ
信 一 郎 の 言 葉 に 鉄 心 は 純 一 郎 を 見 る。純 一 郎 は 目 を 合 わ せ る こ と な く た だ 頷 い た。
﹁恐らく開祖││塚原高幹の再来かと﹂
──私の過去。──
46
かった。稽古がしたくないのか││鉄心はそう思った、六歳ぐらいであればそう考える
かもしれない、自分の孫娘もそうだったから││
自分に精神修行を見てもらいたい││そう思って鉄心は山に来た。ところが鉄心な
ていないただ尖った木に差して釣りを始めた。
け、細く尖った気に糸を巻き付ける、石を裏返して虫を見つければそれを返しすらつい
総一郎は鉄心を連れ川に来た、すると落ちていた棒に袴の解れから作った糸を括り付
通常の精神修行をしっかりと行っていなければとても出来るものではない。
る。
蚊が頬に止ることが気にならずとも刺された箇所はいずれ腫れ、激しい痒みに襲われ
山でする精神修行と言えば座禅││風で葉が揺れる音や動物が走る音、虫の鳴き声、
向かっていった。
鉄心の言葉を聞いて駆けだす姿は確かに子供、友達と駆けっこをしているように山に
いた。
齢六歳のいうことではない││鉄心は信一郎が叱る前に総一郎の提案を受け入れて
だった。
総一郎が提案したのは武を試すことではなく、己の道を作ること││即ち精神修行
﹁山に行こうよ﹂
47
──私の過去。──
48
どに構いもせず、総一郎は手際よく出来合いの物で釣りを始めてしまった。
驚きはしたが直ぐに感心に変わる、鉄心も出来合いの釣り竿で釣りを始めた。
ただ釣りをしている。そうにも見える。
しかし二人は掛かる筈もない魚を微動だにせずただ待っていた。
集中はしているものの鉄心はほんの少しだけ総一郎へ意識を向けていた。まったく
動かない││それどころか精神修行の域は自分と同じぐらいの練度、体がそこにあるに
も関わらずまるでそこにある石のよう││自然。そう評価するのが当然だった。
幾らか分からない時間が経った。
総一郎の周りには鹿や栗鼠、狸、蛇などが集まってきていた。総一郎に少しだけ意識
を向けている自分の周りには近寄ってこない、当たり前といえば当たり前である。
それから更に時間が進み、ある出来事が起きる。
熊が現れた。
自分ならば近寄らせること無く撃退も出来る││しかし熊の進行方向には総一郎が
いた。熊に気を取られること無く釣りに集中している。
防 御 を す る こ と 無 く 熊 に 襲 わ れ れ ば 一 溜 り も な い │ │ 鉄 心 は 行 動 に 出 よ う と す る。
しかし熊は一向に遅い歩みを変えることは無く、総一郎の周りにいる動物たちも熊に怯
えることは無かった。
それどころか熊は総一郎の隣に来ると寒くなってきた外気から総一郎を守るように
││
││温めるように擦り寄って体を丸めていた。
この少年⋮⋮
!
一郎と十字になるように腹を合わせてハの字に寝ている一子の姿があった。
なんだか体が重い││目覚めた理由は気怠さだった。目を開けて腹の上をみると総
♦ ♦ ♦
はそう思った。
口角を上げて微笑みとは言えない笑みを浮かべた表情は百代そっくりであった、ルー
血が滾るわ﹂
﹁あやつはモモにとって確実にぷらすじゃ、力で勝るモモと心で勝る総一郎⋮⋮久々に
鉄心は語り終わると天を見上げたまま笑った。
﹁総代⋮⋮﹂
のかもしれん﹂
年振りに彼を見たが⋮⋮塚原卜伝の再来││いや、精神に至っては卜伝を上回っている
﹁彼は僅か六歳で静の極みであるその一つを極めていた、末恐ろしいことじゃ。今回十
49
──私の過去。──
50
目覚まし時計をみると、その針は午後二時過ぎを指していた。部屋の中央にはテーブ
ル、床には散乱したトランプ、そして雑魚寝をするガクトとモロ、百代の枕になってい
る大和と大和に抱き付いて添い寝する京の姿があった。
天井を見上げると昨日││今日の朝方のことを思い出した。
結果から言えば総一郎は風間ファミリー入団試験を合格した。京が一番初めに墜ち
た、それが大きな要因だろう。
しかし、入団試験が終わろうともトランプは続いた。
賭けトランプ││金を賭けた真剣勝負。刀は使っていないが、ここにいる全員が頭脳
をフル回転させて己の財布を賭けた。
総一郎も何度か負けを喫したがトータルで言えば最大の敗北者はガクト。一子は大
和と百代のフォローがあり一度も負けることは無かった。
総一郎の記念すべき初めての川神は最高の友達が七人も出来る最高の結果となった。
し出会うことがあれば生涯の友を得ることになる。頭をくしゃくしゃしてそんなこと
ければただのワカメにしか見えない。天然ワカメの同類に未だ出会うことは無いが、も
けてワックスを少量手に取る。無造作な髪の毛││と言えば聞こえはいいが、何もしな
髭は剃り終わっている││そう考えると忘れていたように髪の毛にドライヤーをか
何度か絞め直して綺麗な結び目に満足する。
ンへ入れていく。京都では学生服だったためネクタイを締める動作が少しぎこちない、
総一郎は制服のボタンを上から下まで留めてシャツに皺ができないよう丁寧にズボ
さて││と気合を入れなおす。
むしろ初日に全て詰め込まれ過ぎていた。
以上に事が起きることは無かった。
曜集会へ顔を出すことがあり、集会場所の秘密基地││廃ビルには驚かされたが、それ
入団試験後、大和に言われた通り金曜日にファミリーが全て集まることにしている金
一週間の間に何か起きたかと思えばそんなことは無い。
入団試験の日││京都から川神に来た日から一週間が過ぎていた。
││俺は新当流総代だ││
51
を考えていると洗面台へ大和が所々に乱れを残した制服姿で入ってきた。
﹁おっはー﹂
覚醒しきっていない大和の返事は至極学生らしい返事だろう。
﹁おっす﹂
その後、キャップに続いて源さんと京が歯ブラシ持参で洗面台に集まる、総一郎も歯
ブラシを持ってきているため五人は並んで歯磨きを始めた。
全く緊張感もなくまるで日常であるかのような朝││
││今日は川神学園入学式だ。
﹁クラス分けどうなるかねえ﹂
﹁だなー﹂
﹁一緒のクラスになれるといいね源さん﹂
くなってきた。別に憤慨する気はないが新生活の初手がこれではやる気が削がれる、こ
いつも通り会話、メンバー、総一郎は少しばかり張り切っていたのが何だか馬鹿らし
﹁それはおかしい﹂
﹁⋮⋮大和好き﹂
が扱いやすい﹂
﹁なんで俺に言うんだよ、まあ他クラスになってこられても困るから一緒のクラスの方
──俺は新当流総代だ──
52
れでは京都と変わらない。
歯磨きを終えればファミリー全員での初登校。靴を履くところで総一郎は忘れ物を
したのか一度部屋に戻った。
ファミリーが寮の外で寝坊する予定のガクトと総一郎を待つ、先に来たのはガクト、
母親の島津麗子に怒鳴られながら息を切らして来た。どうやらめかしこんできたよう
で、しっかり固められた髪の毛ときつい香水の匂いが漂っている。
﹂
それからすぐに総一郎は島津寮から出てくる。
﹁ごめんごめん﹂
﹁どうしたんだ││それ、持ってくのか
いた。
寮を出るのが遅くなっていたため、モロは随分待ったようで河川敷の坂で腰を下ろして
多摩大橋に続く河川敷を歩いているとファミリーを待っていたモロが見えた。島津
ま川神学園へ歩き出した。
疑問に対する返答が満足したのか大和はそれ以上何も言わずにファミリーはそのま
刀といっても勿論袋に入っている。傍から見れば竹刀にも見えるだろう。
﹁一応な、肌身離すなって言われてるし﹂
大和の疑問はその視線の先││刀にあった。
?
53
﹁遅いよ﹂
こちらに気付いての第一声は当たり前だが文句だった。しかし理由が分かっている
のだろう、そこまで追及もしてこない。
モロを引き入れて河川敷を歩くファミリーは漸く高校生になることを実感し始めた
のか川神学園の話題が多く出るようになった。
大和が言うには決闘システムなるものがあるらしい、喧嘩や優劣を争う事柄を教師立
ち合いの下、武や知力で競う││普通の学校ではありえないシステム。川神は武士の末
裔が多く住む町、血の気が多い者が多いので逆に好まれるのかもしれない。それでも決
闘となれば力を行使することを承認することになる、現代社会でそれが通じる川神に総
一郎は少し楽しそうだった。
﹁決闘だぞ総一
結構真剣みたいだが﹂
﹁教師││といか川神院の者が立ち合い、しかも武器はレプリカなんだろ 決闘って
?
えた。
大和は総一郎の言葉が少し引っかかった。前の二人とは少し違うニュアンスに聞こ
﹁うん、楽しそうだな。面白い遊びだ﹂
﹁ワン子やキャップ、総一もなんだか好きそうだね﹂
﹁へえ、俺様の力を示せるってことだな﹂
──俺は新当流総代だ──
54
?
55
名前を借りてるだけさ。競い合うことを学んでほしい││教育者的考え、一つのカリ
キュラムさ﹂
ファミリーはまだ川神学園の生徒でない、だから川神学園のことは伝でしか伝わるこ
とはない。
だが、大和は知っていた。川神学園生にとって決闘を汚されることは直接のことでは
なくても侮辱に値する││と。総一郎はそんなことを知らない、仕方がない││当然、
そう思う。
大和は軍師を務めているため人を良く見る。ファミリーのため、自分の人脈構成のた
めに。
だからファミリーに入った総一郎もこの一週間よく見ていた、一週間見たから言え
る。
総一郎はそういうことを言う人間ではない。
確かに新当流総代から見れば高校生の決闘などたかが知れるかもしれない。だが、総
一郎はそれを馬鹿にするような人間でないはず││川神鉄心や姉さん、ワン子が聞けば
心証を悪くしてしまうような侮辱を何故││
大和は気取られないように総一郎を観察していたが、ふと視界に入った人物が思考を
止めてしまう。
﹁美少女登場
﹂
﹁その妹も参上よ
﹁││
﹂
﹂
﹁ははーモモちゃん、黒穿いてるなんて大人だなあ﹂
﹁姉さんおはよう、そんなことしたら││﹂
﹁ワン子飴あるよ﹂
﹁すごい登場だね⋮⋮﹂
﹁お、モモ先輩おはようっす。今日からよろしく頼むぜ﹂
百代は空から、一子は脱兎の如く地上を駆け抜けてきた。
!
!
既に供養までも始めていた。
言い得て妙││そして南無阿弥陀仏││なんて大和とファミリー一同は心で呟いて
た。
人生で何度か使ったことはあるが、この時ほどこの言葉が当てはまる瞬間は無かっ
時すでに遅し。
!
の首筋に当てられている。動くことが出来ず百代は視線を自分の首元へ落とすしかな
百代が総一郎の顔に放った拳は避けられていつの間にか総一郎の持つ刀の頭が百代
﹁││危ないなあ﹂
──俺は新当流総代だ──
56
い。
数秒の沈黙が走って総一郎は首筋から刀を離した。
﹁やっぱすげえ
俺の目に狂いはなかった
そうだろ大和
!
﹂
!
﹂
!
﹂
!
みに来たのだ。
卜伝││という単語が出れば大和や百代以外でも分かる、こいつは総一郎へ勝負を挑
﹁お前を倒せば卜伝を倒したも同然、勿論、拒否権は無いぞ
いち早く察知したのは大和、恐らく姉さんの挑戦者。百代もそう考える。
雰囲気を破ったのは唐突だった。今ここにいる全員が知らない赤の他人だった。
﹁私は上泉信綱の生まれ変わり、悪いが私と手合わせしてもらおう
囲気の総一郎と百代、そんなことを構いもせずに一人テンションの高いキャップ。
ルでぶつかりあう、その様をテレビで見ている幼稚園生。驚愕のファミリー、異様な雰
一番はしゃいでいたのは言わずと知れた少年キャップ。まるで巨大ロボットがドリ
!
いた。大和も驚いていたが、一子はどこか尊敬するような視線を総一郎に送っていた。
今まで一言も口を開かなかった京すら驚き、ガクトやモロは何かに怯える表情をして
﹁⋮⋮私のお父さんと戦ったのとモモ先輩に勝ったってのは本当みたいだね﹂
驚愕の視線など放っておいて総一郎は訳の分からない一言を呟いた。
﹁なるほど⋮⋮それも一つの理由か﹂
57
なんだと
﹁やだね﹂
﹁
﹂
!
真剣同士であれば俺はお前の命を獲りに行くぞ﹂
?
く。
初めは何も感じなかった、総一郎の言葉が進むと次第に闘気とは違う物が撒かれてい
闘気とは違う鋭利な何かを感じた。
そして総一郎の知らない部分││剣術家の総一郎を目の前にしたとき、姉さんの放つ
ない││
ファミリーに入った総一郎の表面しか測ることをしかなかった。一週間で分かるわけ
一 週 間 で 友 達 を 測 ろ う と し た、浅 く 広 く 交 友 関 係 を 持 つ こ と に 慣 れ て い た せ い か、
だが剣術家の総一郎は未だ見ていない││大和は己を恥じて、そして恐怖した。
温厚な総一郎││天然な総一郎││ノリのいい総一郎││
かっているのか
﹁上泉さんは知り合いだし、お前は弱い。それに真剣を用意しているようだけど││分
しかし総一郎は即答で突き返して闘気など全く見せることは無い。
即答。百代であれば即了承して瞬殺││それが当たり前だった。
!?
それに乗せるのは魂ではなく命だ。刀を軽く振ってみろ、それで人は死ぬ、漫画のよう
﹁知らないようだから新当流総代として教えてやろう。刀は剣とは違う、拳とは違う。
──俺は新当流総代だ──
58
に切られても死なない、刺されても死なないと思ったか
﹂
がくり││そんな音を立てて挑戦者は膝をついた、恐らく総一郎の││そうだ、これ
?
は殺気、挑戦者は総一郎の鋭い殺気に耐えられなくなったのだ。
闘気でなく殺気。
﹂
?
﹂
?
後回しで、取りあえずファミリーを諭して学校へ急ぐのだった。
それでも総一郎の言う通り入学式に遅れるかもしれない││大和は総一郎のことは
して大和は余り良くない表情で総一郎を見ていた。
ガクトやモロと一子、キャップは安心して総一郎に文句を言っているが、京と百代、そ
顔であっけらかんとしている。
ファミリーの方に振り返って謝罪する総一郎はやってしまった││というように笑
に遅れちゃうと思って﹂
﹁ごめんね、殺気出し過ぎたみたいだ。こんなところで戦ったら迷惑だし、それに入学式
﹁あ、ああ、分かった連絡しておく⋮⋮﹂
し川神院で休ませてもらえないかな
﹁川神院に連絡してこの人を運んであげて、外傷はないけど立って歩けないと思う。少
﹁││え
﹁モモちゃん﹂
59
わざとファミリーに見えないよう集団の後ろに回った総一郎は大和や百代よりも苦
い表情をしていた。
♦ ♦ ♦
無事、時間通り川神学園に着いたファミリー一行は入学式を終えた。
クラス分けのために廊下に貼られたクラス表の前で別れた一行だったが、各々自分の
クラスへ入ってみれば百代以外のファミリーが揃っている。数分ぶりに再会した一行
はF組所属となった。源さんがいることに大和は大喜びだった。
担任は小島梅子、きつそうな女性教師だ。なぜか鞭を持っている。
大和の前情報によればF組は成績が悪い者と問題児が集められる個性派集団とされ
ているらしい。頭が悪いと遠回しに言われたガクトは憤慨していたが、梅子の鞭に叩か
れて沈んだ。体罰ありの教師とは聞いたことはないが、これでこのクラスは梅子の恐ろ
しさを知ることになった。
軽い連絡事項だけ伝えられてファミリーは下校となった。
現在時刻は午後一時。家に帰るには少し早い、百代を除いた一行は商店街に出て軽い
昼食を取ることにした。夜は百代を連れて食事することも決まっている。
﹁いやーでかかったなー、もしかしたら変形とかするのかな﹂
──俺は新当流総代だ──
60
﹁そんなわけないでしょ、どうしたらそういう発想になるの﹂
ついに俺様にも⋮⋮﹂
!
﹁え
いいの
﹂
!
お前良い奴だな、彼女がいるのは気に食わないが﹂
!
﹁え
いいの
﹂
!
んでいる証拠だ。
ミリーに入って一週間しか経っていないというのにガクトに対する当たりは既に馴染
喜びに満ち溢れる一子の頭を撫でて和み、ガクトを見てほくそ笑む総一郎。まだファ
﹁え、ちょ││﹂
!
﹁よし、ガクトはいらないみたいだしワン子は上限三千円まで良いぞ﹂
﹁本当か総一郎
﹁おう、皆も千五百円までならいいぞ、朝の詫びだ﹂
!
﹁ワン子、奢ってやろうか﹂
すると総一郎が一子に言った。
いる。
ファミレスに着けばいつも通りの会話、一子はメニュー表を見るだけで涎を垂らして
﹁それはないよガクト﹂
な
﹁まあ、キャップのはいつものことだろう││それよりも結構かわいい女の子多かった
61
京はもう気にしていないのか普通に会話している。だが大和は先ほどのことをまだ
引きずっていた。
しかしこの状況で本人に問いただすことは出来ない、恐らく総一郎は誤魔化そうと│
│違う、皆の心を気遣っている。何故か良い言い方ができない。
京が手を握ってきた。
普通であれば取り除けるのだが││本気で心配する京の顔が大和をのぞき込んでい
た。
軍師はもっと堂々としていなければ││今は忘れて寮に帰ったあと二人きりのとこ
ろで聞いてみよう││
﹁ワン子、俺が一番いいコストパフォーマンスで組んでやろう、どれが食いたい││﹂
♦ ♦ ♦
一行がファミレスで楽しんでいる頃、百代は呼び出されてもいない学長室へ足を運ん
でいた。
急に来た百代を追い返すことなく鉄心は飄々としていた。
﹁どうしたモモ、お前からここへ来るとは珍しい。小遣いはやらんぞ、欲しければバイト
──俺は新当流総代だ──
62
でも││﹂
何のことじゃ﹂
﹂
怒っている││そういうわけでもない。だが凄い剣幕で百代は鉄心に対峙していた。
﹁そんなことはどうでもいい、あれはなんだ﹂
﹁はて
総一郎のことだ、どうせ見ていたんだろう
﹂
!
﹁無我の境地﹂じゃからあのように恐ろしい殺気を意図的に出すことも出来る。これ以
﹁おぬしの危惧していることは起きない。あやつの精神は静の極みに至っておる、所謂
モモの本能が何かを悟った││鉄心は言葉を濁すことになったが一定の回答をした。
代は納得することは無かった。
鉄心はもっともな嘘をついたつもりだった、むしろ事実とも言えるが││それでも百
﹁嘘をつくな
うが圧倒的に力量が上でもその殺気はとてつもないもの││﹂
﹁塚原というのは特殊でな、あやつの祖父が若い頃のことだが、儂と対峙したとき儂のほ
られなくなるやもしれん││
髭を解かしながら鉄心は回答に困っていた。下手に回答すれば彼はあの仲間内にい
だろうと確信していた。
勿論分かっていた、百代が急に扉を開けてきた時に││いや、朝のうちにここへ来る
!
?
﹁とぼけるな
!
63
上の回答が欲しければ本人に聞くがよい。それ以上儂からいうことはない。これは彼
のことじゃ、儂が言うことではない﹂
百代は扉を蹴破って学長室を飛び出していった。
﹁⋮⋮くっ﹂
普段なら怒鳴ることもしただろう、鉄心は咎めることをしなかった。扉を蹴破って壊
すのは悪いが、武のことで悩むのは悪いことではない││鉄心はそう思いながら総一郎
のことを考えていた。
子供に⋮⋮あの二人に何があったのだ。何故だ⋮⋮﹂
﹁静の気から放たれる冷たく鋭い殺気││純一郎と信一郎は何を考えている、あの歳の
鉄心は表情から汲み取れない教育者としての心が痛めつけられる思いだった。
♦ ♦ ♦
一旦、島津寮に戻ったファミリー一行。
百代が来るまで寝る者もいれば勉強する者もトレーニングに励むものもいる。
総一郎は部屋を出て階段を下りる。
廊下で声をかけられた大和に気付くこと無く通り過ぎて行った。もう一度大和は声
﹁あ、総一郎話があるんだが││﹂
──俺は新当流総代だ──
64
をかけてみるが返事や反応は無い。
そのまま総一郎は島津寮を出ていった。
大和は嫌な予感を感じ取った、百代のように気を感じることが出来なくても状況を判
断するからに何かおかしいと感じた。
皆に声をかけてすぐに総一郎を追いかけた││しかし総一郎はすぐそこにいたのだ。
百代と対峙していた。
﹁教えろとは乱暴ですね、教えを乞うなら頼むのが常識でしょう﹂
気を受け流していた。
総一郎は先ほどのように殺気を放つことは無かった。ただ自分の薄い気で百代の闘
﹁お前の殺気は感じたことのない気だった、なんだ教えろ﹂
﹁塚原総一郎です﹂
﹁お前はなんだ﹂
﹁どうしたんですかモモちゃん﹂
姿に腰をついてしまった。
百代の闘気が総一郎の後ろにいる自分達へ飛んできたからだ。見たこともない姉の
大和は声を出せなくなった。
﹁姉さん││﹂
65
﹁うるさい、教え││﹂
﹁俺は新当流総代だぞ、頼み方が筋違いだ││と言っているんですよ﹂
声質を変えた総一郎から伝わる気はやはり先ほどとは違った。先ほどの殺気は冷た
く鋭かったが、今の気は滑らかで涼しい││いつの間にか大和達は百代の気を余り感じ
なくなっていた。
﹁皆怯えています、気を収めてください﹂
百代の闘気││動の気と総一郎の静の気がぶつかり合っていた。
﹁収めなかったらどうするつもりだ﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
右手に持っていた袋から総一郎は刀を取り出した。
普通の刀よりも長い、大太刀と呼ばれる刀身を鞘から抜いていた。
﹂
?
動と静、二つの気は大和達の前から消えていた。
信じられない言葉││大和がそう認識するのは二時間後の話だった。
﹁││本気でやってみますか
──俺は新当流総代だ──
66
││俺は僕││
島津寮から直線距離で二百メートル程離れた河川敷。およそ三秒前まで何の変哲も
ない地面だったが、現在は大きな穴凹と鋭利なもので削られたような跡が出現して原型
を留めてはいなかった。
跡が出現してから少し遅れて人影が現れる。
服と肌に一切の傷がない少年と無数の切り傷が目立つ少女。少年の姿とその刀は夕
日と水面の反射光に照らされて一枚の絵を見ているよう。
反対に浅い傷と深い傷から違う量の血が流れているのにも関わらず、獰猛な笑みを浮
かべている少女はまさしくサバンナで獲物を捕らえようとするハイエナだった。
一撃目は避けたぞ
﹂
少女は一歩踏み出す、踏み込むわけでも牽制するわけでもない一歩だが、少年は三尺
以上もある大太刀を構え直す、八相の構えと呼ばれる構えだ。
│││どうだ
!
そこで少女はどこまでも響く高笑いを始めた。
﹁はははははははははは
!
その出来事に少年は構えを解いた、少女が使った技は少年が構えを解くほど気落ちす
﹁化け物結構、確かに初見殺しとは言いましたけれども⋮⋮あらま﹂
!
67
るに値する者だった。
﹁││瞬間回復という物ですか、単体技としては欠陥だらけですが、それでも恐ろしい│
﹂
│というか、それを考えて習得したあなたが恐ろしいですね﹂
﹁⋮⋮欠陥だと
理由かもしれない。
をしているからだが、力を抜いている少年の隙が見当たらない││それも少しばかりの
というのに大太刀を振り回して力を抜いていた。少女が襲い掛からないのは軽い談義
構えを解いた少年は目の前に狂暴な猛獣が今にも襲い掛かってくるかもしれない、だ
?
はすぐ負けますよ﹂
﹁お前も爺と同じでこの技が慢心に繋がっていると
﹂
も斬り落としてしまえば技を使う前に死にます。その技を単体で使えば同格にあなた
悪くさせたり、気の針を刺してしまえば気を練ることすら難しいでしょう。それに首で
﹁ですね││しかし、攻略法はいくらでもあります。例えば電撃を浴びせて気の流れを
﹁こんな優れた技は無いぞ﹂
呆れた。
驚いたのも束の間、自分の編み出した奥義をいとも簡単に貶された少女は怒りの前に
?
﹁それは間違いです﹂
──俺は僕──
68
﹁その技は規格外ではっきり言って頭のおかしい技。前面に押し出して使うべきです│
│ただ、初撃でやられてしまえば意味が無いわけですから、今のあなたが使うようにし
ていれば駄目なんです。格下には恐ろしい技ですけど同格や対策を知っている者がい
れば大したことは無い││つまり同格がいないあなたにとって擬似的な慢心に繋がる
わけですね﹂
悪いのは自分ではない││そう言われたのは初めてだった。
だけ存在だったはずだ。
こんなことを自我で考えたことは無い、心の隅かにどこかあっただけの不満││それ
武術家として否定された。
精神の脆弱性や凶暴性を指摘され、さらに自分が作り上げた自慢の技を否定された。
強さを制限されて今まで努力してきたことが否定された気がした。
友達と遊びたくても優先される鍛錬のせいで鍛錬が嫌いになった。
才能がある││と生まれてからすぐ過保護に育てられた。
少女は驚いた、そしてなぜか力が抜けた。
かたや弱点を教えない無能な指導者が悪い。││過保護に育てたせいですね﹂
﹁悪いのは貴方の周りです。圧倒的な技を持てば慢心するのは当たり前、その技の使い
﹁⋮⋮わからん、どういうことだ﹂
69
﹁││お前はなんだ﹂
いろんな思いや考えが浮かび上がる中で自分が口にしたのは一番初めに少女が少年
に突き付けた疑問だった。
私の知らない││私の知らない││﹂
﹁俺は塚原家嫡男、新当流総代、京都のツインエース、塚原卜伝の再来﹂
あれはなんだ
!
首を抑えてもう一度少年を見た。
少年は少しずつ頭を上げて少女を見た。
少女は顔を上げた少年の目を見た。
?
少年は少女の問いに答えず応えた。
これだ││少女は確信した。私の知らないこの気││殺気だろうか
すり抜けるように体に来る。思わず後ずさりしたくなる。怖い││
少年の目は黒に染まっていた。
己の闘気を
ふと、少女の首に鋭い痛みが走った││気がした、首には何も変化はない。
う見えた。
目の前にいる少年は俯いて大太刀を片手でただ持っているだけ││だけだ、少女はそ
││辺りはセピア色に変わる││変わった気がした、少女が感じただけだ。
﹁違う
!
﹁これですか﹂
──俺は僕──
70
││﹂
﹁私はお前のような武術家を知らない、お前のような殺気をだす武術家を知らない⋮⋮
﹂
﹁のようですね、初めてですか
!
﹂
?
恐ろしいのは人を斬ったところで罪悪感など抱かなかったことだ、俺の心は鍛錬中に人
﹁まさか、まさか自分の剣が人を斬るために育てられているなど思いもしない││、一番
だから嫌悪感に塗れた。
中まで境遇が同じだったというだけだ。
少女は嫌悪感に塗れた。別に心を読まれたわけじゃない、少年も自分と同じ天才で途
錬は嫌い││そして人を斬らされました﹂
﹁ええ、才能があると過保護にされて友達と遊ぶ時間は鍛錬に優先されてそのせいで鍛
﹁⋮⋮人殺しだと
﹁構えも型もない、人を切りやすいように立っているだけです﹂
佇まいはまるで先ほどまで八相の構えをしていた少年だった。
に置かれている。それでいて隙は無い、力を抜いているようには見えない。
目は何故か黒く、普段両手で持つはずの大太刀は片手で持たれまるで無造作に峰を肩
﹁││人殺しと出会うのは﹂
少女はその言葉とその表情に恐れた。
?
71
斬りになっていた﹂
少年は苦虫を噛むような表情で少女を見る。
も人を斬ったことはあるだろうよ、だがそれは剣術家として人を斬ったに過ぎない。俺
﹁祖父は﹁鬼太刀﹂父は﹁三撃﹂と呼ばれ剣術家として名を上げている││勿論、二人と
は││俺は、﹁人斬り﹂として人を斬った﹂
少年は僅か十歳だった。河原で少年は真剣を持って一人の男に対峙していた││対
峙していたわけだ、その男は既に少年の下で横になっている。
少年が好きだった特注の草鞋は赤く染まっていく、少年は思った﹁ああ、汚れてしまっ
た﹂
次の瞬間嫌悪感に塗れた。
一番初めに罪悪感を覚えなかったことに嫌悪感を抱いた。
嘔吐感が襲ってきそうだ││実際に襲ってくることは無い。
嗚咽に塗れそうだ││涙が出ることは無い。
隣にいる父が歩み寄ってきて声をかけてくれる。だが、少年が望むような声は掛から
ない。
そこで悟った。
﹁よくやった﹂
──俺は僕──
72
俺は剣術家じゃない││人斬りだ、卜伝の再来でも京都のツインエースでもない。
﹁⋮⋮何がだ
﹂
少女とは違った。
ている。
彼の業は深い││だが、彼はそれに押しつぶされない、どうにか自分を抑えて我慢し
自分よりも強いかもしれない、自分より強い。
?
﹁違うな﹂
自分よりも大人で、強い││
そして恐らく自分を理解してくれる唯一の人物かもしれない。
少女は初めて人斬りに出会った。その人斬りは友達で、仲間でもあった。
ろう﹂
とは勝負しない、すれば君を斬る。君がファミリーに僕を近づけたくなければいなくな
道は無い⋮⋮だから俺に真剣勝負を吹っかけてくる人間が嫌いだ││俺はこのまま君
﹁俺は剣術が大っ嫌いだ、今すぐにでもこの刀を捨てたい。でも駄目なんだ、これ以外の
声が出なかった。
﹁││││││﹂
﹁俺は﹁人斬り﹂の塚原総一郎だ﹂
73
そして同じだった。
﹁⋮⋮はは﹂
﹁どうしたモモちゃん
込む
﹂
﹂
﹁川神院長女、川神院次期総代候補、
﹁武神﹂川神百代、塚原総一郎に││仕合いを申し
少女は口角を上げて構えた、そして息を吸い込む。
とはない││仕合でな﹂
﹁確かに稽古では幾つも負けたことはあるさ、お前にも負けたな。だが勝負で負けたこ
明らかに今までの話と方向性が違う││総一郎は言葉の意図を理解できない。
﹁お前一回も負けたこと無いだろ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮はは、ははははははは││違うな﹂
?
そのままの構えで総一郎も交戦準備に入る││が、百代が言った。
着くことは出来ない。
未だ意図は読めない、百代が交戦準備に入ったことは分かったとしても核心にたどり
﹁⋮⋮﹂
!
﹁おいおい、仕合いだぞ││死合いじゃあない。私はお前と魂を賭けて戦いたい、私は殺
──俺は僕──
74
せない││お前の一撃は私が止めてやる﹂
総一郎の強さは精神に依存した集中力にある。﹁無我の境地﹂││付けられた名前は
正しく、静の極みの一つで、それだけでも壁越えの要因が半分以上占めている。
逆に言えば総一郎が使える技は少ない。
唐竹、袈裟切り、逆袈裟、右薙ぎ、左薙ぎ、左切り上げ、右切り上げ、逆風、刺突│
│これが総一郎に使える剣技、基本中の基本。
しかし、基本中の基本が無我の境地によって奥義に変わる。一撃一撃が奥義に昇格す
るわけだ。
今の百代では一振りごとに一撃を出されては一溜りもない、当たれば一瞬にして体の
一部が持ってかれるだろう。
総一郎も理解していたし、百代も理解していた。
﹂
だが、百代はそれでも一撃を止めるといっていた。
﹁なあ、無理して殺さなくてもいいだろ
﹁それができたら││﹂
自分の間合いに踏み込んでくる百代が総一郎には見える、見えてしまえば後は急所に
百代の足元が沈んだ。踏み込むための力で地面が抉れたのだ。
﹁じゃあ行くぞ﹂
?
75
刃を当ててしまえば百代は瞬間回復を使うこと無く死ぬだろう。
総一郎の精神が極みに達する、集中力が跳ね上がって超速の拳すら視認していた。
勿論、百代の表情も見えるわけだが││その視線は明らかに自分の刀に向けられてい
た││
驚いて総一郎は迎え撃つことを止めて後方へ退避してしまう。
﹁││どういうことだ﹂
﹁⋮⋮違うんだ、違うんだよ。お前は確かに人斬りだ、そういうふうに育てられてきた。
だけど違う││お前は人を斬らなくてもいいんだ、お前は人を斬りたくて斬ってるん
じゃないだろ││お前の剣技に対応できる奴がいないせいでお前は相手を斬るしかな
﹂
いんだ﹂
﹁⋮⋮
!
百代はまさしくその極みへ一時的に到達していた。
縫﹂昂りによる本能が奥義へ昇華されたもの。
の反対は何であろうか││感情を昂らせることにより極みへ到達する動の極み﹁天衣無
静の極みである﹁無我の境地﹂が心を静めて奥義に昇華された集中力であるならば、そ
昂っている。興奮しているわけじゃない、今なら││何でもできる気がするぞ﹂
﹁私と一緒だ。対等に渡り合える奴がいない││なんだかいつもと違うんだ、気持ちが
──俺は僕──
76
本物の強者に出会えた喜び││境遇への怒り││仲間の悲しみ││これから起こる
戦いの楽しさ││
無我の境地と天衣無縫││対峙するには相応しいものだった。
﹂
﹂
﹁塚原総一郎
!
間合いがぶつかって利を得るのは総一郎だ、普段の刀よりも三十センチ以上長い大太
十もの変化を遂げていた。
かるまで要した時間はコンマ二秒ほどだったにもかかわらず、二人に構えはその間に三
二人の間合いが一瞬でぶつかる││その前に読み合いは始まっていた、間合いがぶつ
!
﹁川神百代
二人は名乗りを上げた。
百代は天地上下の構え。
総一郎は左足を前に出して八相の構え。
﹁化け物結構さ﹂
﹁化け物だな﹂
荒れた大地、殆ど落ちている陽、同格の強者たち││笑うには絶好の状況だった。
﹁⋮⋮ふふ﹂
﹁⋮⋮はは﹂
77
──俺は僕──
78
刀は間合いに置いて有利以外の何物でもない、剣道三倍段と言う言葉の通りだった。
つまり初撃││それが今現在百代が生きるかどうかの最大の壁だった。
総一郎は神速の左切り上げを以って百代に斬りかかる。
始めは見切ることすらできなかった、二度目は見れた、三度目は││
││百代の手刀が総一郎の刀に向かっていた││
勿論、総一郎にはその光景が見えている。だが驚きもしない、今動揺すれば確実に負
けることを理解しているからだ。
一つだけ思う││化け物だ。
先程まで総一郎と百代の優劣ははっきりしていた、それでも││、一時的だとしても、
百代がこの土台に踏み込んできた、その才能と武術家的本能に恐れすら抱きそうだ。
これが終わった時にいくらでも思うだろう││川神という血が恐ろしい。
手刀と刀が相見えると二人の間には境界線のような斬撃波が地面と上空に伸びてい
く。それで終わりではない、二撃、三撃、四撃││と己の武器が重なり合っていく。
二人の闘いは終わりを迎えようともせず、手刀と刀が相見える数のみ増えるばかり。
二人の魂はおよそ千撃を超えてぶつかり合っていた。
手数が増えていく二人。恐らく二人の実力はこの間だけ極みを超えて極限まで昇華
されていた。
そして終わりを迎える││
一人の周りにはぶつかり合っただけの無数の斬撃波が地面に印されている。
もう一人は斬撃の印しよりも少し離れたところで立っていた。
二人の攻防は僅か十秒の出来事だった。
斬撃の印しの中心点に居る││彼は言う。
そして総一郎は誰よりも良い表情をしていた。
悔しそうであり、嬉しそうな百代。
﹁僕の勝ちですね﹂
﹁私の負けだな﹂
それと同時に総一郎の刀が粉砕した。
して倒れていた。
体と顔に残る傷をなぞって振り向いた、その先には彼女││川神百代が腹から血を流
﹁││六撃も喰らってしまった﹂
79
﹂
││私の鳥。││
﹁腹、大丈夫ですか
出る。
らけ、総一郎の限度がない斬撃痕、二人の攻撃が衝突すれば衝撃波でその周りに被害が
何がどうなっているか││百代の瞬発力に耐え切れない地面が無数のクレーターだ
││河川敷は崩壊していた。
が、限度は知っている。
いようなことをしてしまう。だが、普段は常識人。百代もやり過ぎてしまうことがある
それもそのはず││確かに、総一郎は人斬り状態になってしまえば取り返しのつかな
舞わられていた。
いうか光がちらほらあって、一瞬だけとはいえ死闘を繰り広げた二人は凄い脱力感に見
二人は河川敷の上でもう沈んでしまった空を眺めていた。遠くの方には夜景││と
﹁ああ、瞬間回復で傷一つない﹂
?
無残な光景と到底どうにかできる話でない被害に二人は思考を放棄していた。
﹁なあ﹂
──私の鳥。──
80
﹁はい﹂
適当な問いかけと相槌、声をかけてみたはいいが話すことは無いし、話を膨らまそう
とも思わなかった。
見かねた総一郎が話題を振る。
﹂
?
自信なくすなあ、結局六発しか当てられなかったし﹂
!
で楽しく遊ぶ時間を増やすとか﹂
﹁座禅なんてしなくていいんです││例えばキャンプとか、鍛錬は集中型にしてみんな
どうにか会話が続いてくる、むしろ二人の会話は止まることを忘れてしまう。
﹁つってもなあ﹂
ですか﹂
﹁ははは、剣術にとって精神は重要ですから、モモちゃんも精神修行すればいいじゃない
肩をすくめる百代を総一郎は笑い飛ばした。
﹁鍛錬をサボってあれなのか
ようやく百代が反応して二人は顔を合わせる。
﹁ああ││え
﹁僕って精神修行ばかりやってて、普通の鍛錬はサボってばかりなんですよ﹂
﹁ああ﹂
﹁僕って鍛錬が嫌いなんですよ﹂
81
﹁はあ
﹂
﹂
?
﹂
?
﹂
武術家は真面目である││それが真理だと思っていた。自分のかつての師匠も危険
?
ルーに小言を言われて││
武術家は真面目である││そうでない自分は不真面目で、それで鉄心に怒鳴られて、
で遊んで││でも、武術家ってのは学校以外武術漬け││それで精神修行
なっていく。勿論、喧嘩もするし女の子や男の子を好きになったりする、毎日会って外
﹁子供ってのはいきなり知らない奴らの間に﹁教育﹂って形で入れられて何故か友達に
居なかった。
私と武で対等なものは勿論いない。同年代で友達はいても││精神で対等なものは
間抜けなことを言われてから核心をつかれた││考えてみればそうだった。
﹁⋮⋮そう、だな﹂
したこと無いでしょ
わるだけ普通とは違う生き方になります││モモちゃんって同年代と対等な喧嘩とか
﹁精神修行って別に要らないんですよ、精神修行が必要なのは武に携わる者だけ、武に携
錬方だった。
寝転び微笑んで空を見上げる総一郎に百代は溜息を投げかける、聞いたこともない鍛
?
﹁教育者としてそれはどうなんだ
──私の鳥。──
82
だと判断されて川神院を破門された。
武術家はそう言う生き物だと思っていた。
││この男がそれを否定した。
﹁新当流総代として言う││阿保だ﹂
﹂
百代は大声を上げ、それから笑った。心の淀みが取れた気がしたんだ
﹁なあ、さっきを出せるようになるのにどれぐらいかかる
振り向き様に百代は聞く。
﹂
!
﹁ん
﹂
﹁ああ、それと﹂
ここに永遠ともいえるライバル協定が発足したのだ。
にた││と笑って二人は視線を合わせた。
﹁お前が鍛錬をサボってる間に私はその上を行ってるよ﹂
﹁三年後には僕はその上を行くけどね﹂
﹁天衣無縫││か、なんだかかっこいいな
ば三年ぐらいで到達できるんじゃないかな││﹁天衣無縫﹂に﹂
﹁まあ、モモちゃん次第かな。土台はある、効率の良い鍛錬と楽しく生きることを続けれ
闘い終わった百代の髪は夜になびいてすごく綺麗だった。
?
83
?
!
考えれば分かることだ、あれほどの闘気をまき散らして鉄心が気付かないはずがな
た。鉄心曰く﹁言わねばいかんこともあるが、まず休め。このことは儂に任せて置け﹂
少しすれば鉄心が来て百代を叱る││思いきや、時間も遅いため家に帰されてしまっ
熱が冷めれば河川敷の現実に白目をむいてしまう。
たと勘違いして駄々をこねていた。
キャップは河川敷の悲惨さにも目をくれず、二人が派手な遊びを自分に内緒でしてい
く、新しく加入したばかりの総一郎に薬箱を渡していた。
大和とモロは本当に心配して、心配を通り越し怒りに塗れていた。京も心配したらし
ている二人を見て恐怖を感じたのかもしれない。
子は泣き出してしまった。ガクトも薄ら涙を浮かべていたが、それはこの状況下で笑っ
あの後初めに来たのは風間ファミリーだった。河川敷の悲惨さと二人の姿を見て一
後日談││
♦ ♦ ♦
そこで二人の時間は終わる。
念だけど辞めることはできない﹂
﹁お前が人を斬ってても、剣術が嫌いでもお前は風間ファミリーの一員だからな 残
──私の鳥。──
84
い。初めから鉄心はこの戦いを傍観していた、認めた上での決闘だった。
それに勿論、新当流総代の言葉が聞こえていたはずだった。││総一郎が鉄心の存在
に気付いていたのかは分からないが。
非公式であったが、大荒れの河川敷と撒き散らかされた闘気、さらにボロボロになっ
た服の百代を見れば川神院の修行僧もわかる││真剣勝負で武神が負けた。
﹂
﹂
そのこと噂は風に乗って全国││世界へ羽ばたいて行った。
﹁MOMOYOが負けた
﹂
﹁MOMOYOが負けたなんて信じらーれなーい﹂
﹁一体誰にMOMOYOは負けたんだ
?
⋮⋮OH、ジャパニーズサムライ
?
﹁百代が負けた⋮⋮私が倒すはずだったのに││あ、おにぎりが⋮⋮﹂
武道四天王の一人は。
﹁百代が負けたか⋮⋮血の気が疼くぜ﹂
柄の悪そうな中年武術家は。
勿論、一番広がるのは日本だった。
が噂をさらに広げた。
無敵の武神が負けた││さらに負けた相手が日本の剣術家││サムライであること
﹁TUKAHARA
!
?
85
政界のある人物は。
﹁百代ちゃんが負けたか⋮⋮これは俺もうかうかしてられねえな﹂
﹂
そして九鬼財閥の極東支部で一人の女性がその話題を取り上げていた。
マジかよ、こりゃお前もうかうかしてられねーんじゃないの
﹁父上、どうやら川神百代が負けたそうです﹂
﹁え
?
塚原家当主││父である信一郎と。
噂が広まり、数日後。電話をしていた。
して、総一郎がどうかと言えば。
ミリーに焼肉をご馳走したり。明かな変化が読み取れていた。
り、今までやりたがらなかったバイトをして、入学祝が出来なかったお詫びとしてファ
当の本人である百代は数日休養を取り、珍しく鍛錬に励んだり大和を連れて遠出した
こうして噂は世界に広がり、日本の株価に多大な影響を与えていた。
﹁ご安心ください、この老いぼれ赤子に負けるつもりはまだありませんので﹂
?
﹃聞いたよ、武神を倒したそうじゃないか、誇らしいね﹄
決して険悪ではない、良好な関係でもない││そう示す第一声だった。
﹁おう、なんだ﹂
﹃やあ、総一郎﹄
──私の鳥。──
86
﹁ああ、もっと褒めてくれよ、しっかり││倒した││ぜ﹂
る純一郎も同様であることを知っている。
からない。だが、父親として自分を愛していることを総一郎は知っている││祖父であ
信一郎の方は総一郎を愛している。どういう理由で息子に人を斬らせているのか分
そこで電話は途切れた││切ったのは総一郎。
﹃ああ、分かった。行くときに連絡するよ﹄
うに感じ取れる。
よう父親に頼む姿は携帯越しだろうと本人を前にしようと変わらない││そういうふ
嫌悪感は見せなくとも好感を出すこともない、恐らく年下であろう知人を連れてくる
見せてやりたいし水脈には都会を見せてやりたい﹂
﹁そうしてくれ││どうせなら﹁カガ﹂と﹁水脈﹂も連れてきてくれ、カガには川神院を
人だからね、新当流総代と川神院次期総代というのは﹄
﹃一度挨拶に向かおうと思うよ。非公式であったけれども、本当は公式でやるような二
た。
だが、そう聞こえてしまう。そんな言い方をしてしまう、とても親子には感じなかっ
皮肉を言ったつもりはない、言われたつもりもない。
﹃ああ、お爺ちゃんも誉めていた﹄
87
母親は自分は人を斬っていることを知らない、母親が自分を愛していることは勿論
知っている。
では、なぜ、自分は、このように育てられたのか││それは知らない、理解できなかっ
た。
父親との電話が終わってすぐ違う電話番号にコールする。
一度目では通じなかった、アナウンスが無いので電源が切れているわけではない。
もう一度その電話番号にコールした。
﹄
それでも出ない、総一郎は何度もコールした。
﹃も、もしもし
│
友達が大勢出来たり、入学したり、成熟した精神でさえも経験したことのない決闘│
一週間の間に色々あった。
自分の言葉に応えてくれる人がいることに驚いた。
総一郎は心の隙間が埋まった気がして声が出せなかった。
?
﹁⋮⋮﹂
﹄
七度目のコールで漸く番号主に繋がる。
!?
﹃⋮⋮おーい、もしもし
──私の鳥。──
88
ごめんねお風呂に入ってて電話取れなかったの﹄
││総一郎は疲れていたのだ。
声が出た。
﹁もしもし﹂
﹃あ、総ちゃん
﹃
どうしたの大きな音がしたけど
﹄
!?
なんか辛そう﹄
?
が心地よい。
!
息を吸い込んで吐く。
﹃もう
なによ
﹄
!
﹁お前のエンジェル││いや納豆ボイスに癒されたかったんだ﹂
!
電話越しの大声で燕は耳元から携帯電話は離す。
﹁いい女だなこんちくしょうめ
﹂
見透かされている心││それが心地よい、彼女に││燕に心がを見透かされているの
﹃⋮⋮どうしたの
心配する声に総一郎は頭に激しい痛みが走っているのを気にも留めず笑っていた。
!?
総一郎は部屋に寝転んだ、テーブルの角に頭をぶつけて悶絶してしまう。
﹃むー、突っ込むところが多くて大変だよー﹄
﹁あ、そうなの。裸を想像したら欲情しちゃいそうだ﹂
?
89
﹃なにそれー、思ってもいなくせに﹄
不貞腐れている燕を想像してニヤニヤが止まらない総一郎、傍から見れば相当間抜け
な顔と動きをしていた。
﹃聞いたよ、真剣勝負で武神に勝ったこと﹄
これから大変だなー﹂
﹄
?
燕の対処だ。
いことがある。
総一郎は立ち上がって事について考えだした││いや、考える前にしなければならな
﹁おいおいおい﹂
﹃なんか、こっちに来た噂だと武神と新当流総代は良い関係って話なんだけど││﹄ ﹁⋮⋮ああ﹂
﹃武神って女の子だよね
耳を良く澄ましていると燕の深い呼吸が聞こえた。
ウ﹂と文字が映し出されている。
燕の声が聞こえなくなる。総一郎は携帯の画面を見るがしっかりそこには﹁スワロ
﹁やっぱり
?
豆女だ
﹂
﹁どういうことだそれは、違うからな、違うからな。俺が好きなのは暴力女じゃなくて納
──私の鳥。──
90
!
少し間が相手から笑い声が聞こえる、派手な笑い声ではなく口元を手で押さえている
ような詰まった笑い声だった。
﹁笑い事じゃないぜ﹂
まだ笑い声は聞こえた。
﹄
少し遅めの時間、笑い声を抑えているのはそのせいなのかもしれない。だから余計に
長く燕は笑っていたのだ。
﹃ふふふ、笑わせたのは総ちゃんだよ││ふふ﹄ ﹁まあ、取りあえずその噂は嘘だからな﹂
﹃はい、分かってます。⋮⋮これで終わりなら服着るから電話切るよ
﹁ああ、突然悪いな、ありがとう﹂
て、寝息を立てた。
寝よう││風呂にも入らず、歯も磨かず、布団も敷かずに総一郎はその場に横になっ
呟いて携帯電話を静かに閉めた。
たとえ聞こえなかったとしても、総一郎は携帯電話を耳に当てたまま﹁ありがとう﹂と
﹁ありがとう﹂と言う前にそこで電話は切れた。
くのだ││││ほんとに辛かったら言ってね﹄
﹃どういたしまして。何かあったらいつでも電話して、スワロウはどこにでも飛んでい
?
91
──私の鳥。──
92
隣に誰かがいるような安心感に包まれたのだった。
♦ ♦ ♦
夢を見た││既に経験したことの回想だった。
人を斬るほんの少し前の話だ。
新当流の道場にノルマの修行をするため向かっていた時のこと、美人な母親と釣り合
わなさそうだけれども夫婦共々、仲の良さそうな二人に連れられた一人の少女を見た。
第一印象は我が強そうな女の子││第二印象は武人の女の子││第三印象は女の子
だった。
少女を見た後すぐに手合わせをすることになった。そこで少女が武人だと理解した。
武の才能は勿論、兵法家としての才能もあったためにこの新当流に顔を出したそう
だ、手合わせをすることになったのは少女が僕を指名したから。どうやら年下である僕
に勝てそうだと頭が判断したらしい。
少女は無敗だった。
第三印象は女の子だった、僕に完敗した少女の親は神妙な顔立ち││少女は膝を着い
て顔は俯き、床には一滴二滴ではない涙が落ち続けていた。
93
総一郎にはそれがとてつもなく女の子に感じた。
だからその子に手を差し伸べた、叩かれはしなかったけれど差し伸べた手を取ること
はしなかった。無理やり引っ張って少女を持ちあげる、どうしても少女は顔を上げない
で俯いている。
総一郎は顎を掴んで無理やり顔を上げさせた。少女は抵抗して総一郎に拳をぶつけ
た、先ほどは一回すら当たらなかった拳がなぜか当たった。驚いて顔を上げてしまう。
総一郎の口からは血が流れていた。
総一郎と少女は初めて近距離で見つめ合った。総一郎は少女の涙を袖で拭いて頬に
口付けをした。
驚いて少女は距離を取る。
距離をとって見た総一郎の姿は和服と刀が良く似合うワカメ髪の格好の良い少年だ
││と感じた。
燕と総一郎の出会いはそんな感じだった。
♦ ♦ ♦
あれから数日がたった。
総一郎は世間一般で名を轟かせることになったため、武神と同じく挑戦を様々な者か
──私の鳥。──
94
ら受けるようになっていた。
決闘となれば相手を殺す││それに変わりはない。
生憎、総一郎の殺気に耐えれるものはいないため事が起こることは無かった。
一番困ったのは学校だった││決闘制度だ。
武神を倒して、さらにエレガント・チンクエに選ばれた総一郎は妬みや好奇心から来
る挑戦者を相手にしなければならなかった。
学生にトラウマを植え付ける殺気を出すこともできない、真剣を使う決闘もできない
││総一郎にとってやり辛いことこの上ないだった。
学 校 生 活 外 で は 基 本 的 に フ ァ ミ リ ー と 遊 ぶ か 釣 り │ │ そ し て 川 神 院 で の 稽 古 付 け
だった。
闘いの後、鉄心に修行僧や門下生の稽古をつけるようお願いされた││精神稽古の
み。かなり年下の若造││しかし新当流総代に言われたのが余程効いたのか、川神院の
精神改革を任されてしまった。
いろいろな思いが総一郎にもあったが、百代のことや自身の将来について││それ以
上に一子のことが気にかかったためその任を引き受けたわけだ。
百代には朝練をなくして自主練、修行は主に放課後。精神修行はこれといったことを
せず、子供のように遊ばせた。
修行僧や門下生には座禅や掃除のほかに軽いスポーツをさせて気分転換を図る。
﹂
そして一子は││
﹁一子﹂
﹁は、はい
﹂
!
﹁││君は川神院師範代になる才能はない﹂
付けた。
総一郎は修行場の入り口に隠れている三人の気を感じながら一子に言う││否、突き
﹁修行内容を伝える前に言っておくことがある││﹂
﹁押忍
﹁君の修行は別メニューにしておいた、これからは俺の言う通りに鍛錬してくれ﹂
し声が震えていた。
修行場であるここで総一郎は﹁ワン子﹂と呼ばなかった。一子もそれを感じたのか少
!
95
じる技。言うなればペーパーテストでどう凡ミスを減らすか││それを武術に置き換
ション││つまり、いかに相手から意識を逸らせるか。初歩的な技術、武術以外にも通
百代には戦い方の知識を与えた。狡賢い足運びやマジックで使われるミスディレク
例外としてあの二人││百代と一子。
尊重した。
かった。教えることはあっても指導することはしない、あくまでも川神院であることを
肉体的な鍛錬に総一郎は関わっていない、スポーツをするときも関わることはしな
いだ。
たまにルーや鉄心が混ざればたまの休み時間にやる生徒対教師のドッジボールみた
ていた。
同じで修業の合間にやるスポーツはモチベーションという意味では非常に効果が現れ
小学校の時、授業が嫌な男子もこれならば││と、楽しむことができる体育。それと
行僧や門下生で溢れていた。
精神改革と通告から二週間││川神院内の雰囲気は以前よりも活気に満ち溢れる修
││私は教える。││
──私は教える。──
96
えて知識を与えた。
そして一子││
のだ。
私は││私は││私は
川神一子よ
ワン子じゃない
﹂
﹁きゅ││急にそんなこと言わないでよ わ、私は││お姉さまと並んで歩くのよ
!
!
!
自分とは違うのだな││総一郎は清々しい気持ちで目の前にいる健気で、本能に任せ
!
!
気が││ではない││心││が爆発した。そして心の燃料である言葉が溢れだした
た。
なぜ総一郎が言い直したのかは分からなかったが、その言葉を聞いて一子は爆発し
代になれる才能は無い││﹂
﹁だろうな、そう思うのが筋ってもんだ。ワン子、君の本能に言おう││君は川神院師範
﹁││そんなの││﹂
てできる。いつもオーバーワークだって言われて、それでも体を苛め抜いて来た││
始めは朝の鍛錬で何度もバケツにお世話になった。が、今は鍛錬の後に新聞配達だっ
てきた、努力してどうにかここまでこれた。
驚いた││というより理解できていなかった顔をしている。今までどうにか頑張っ
﹁君は川神院師範代になれる才能は無い﹂
97
た動の少女を見つめて、そして後ろの三人を少しばかり軽蔑していた。
この少女は││否、川神一子は││
﹂
のうござった、新当流奥義とは特別なことではござらん、ただの一振り││つまりは極
﹁我が先祖││新当流開祖は生涯六つ度の傷しか浴びることなく、一度も負けることは
﹂
めた一振りでござる、この意味がお分かりになりんす
﹁え
?
いと共に妹が来て言うのだ││
一万回振ったわけではないが総一郎は懐かしい思い出に浸っていた、数え終わると匂
から昼時の匂いが漂ってくる﹂
で日が落ちる。次は振りながら考えて日が落ちる││そして気が付けば振り終えて、窯
﹁努力だ。一日一万回││それを何十年も続ければ奥義になる。初めは振っているだけ
?
﹂
!?
涙を止めていた。
次第に一子は涙を流した。嗚咽は聞こえない、涙が零れ落ちないよう上を向いて腕で
は園部秀雄││最強の薙刀使いになるんだ﹂
﹁お前の本能は俺が目覚めさせてやるよ、お前は川神院師範代になるんじゃない。お前
﹁
﹁一子、俺の弟子になれ。壁を努力で破壊させてやる││﹂
──私は教える。──
98
嗚咽は聞こえない││聞こえるのは彼女自身が胸に秘めていた叫びだけ、武術家とし
ての葛藤││ずっと思ってきたこと、無理かもしれない││だけどそれでも││
朝の修行場に美しく透き通った光が伸びていく、扉の隙間や上戸から差し込む光は彼
女の心を慰めるように包み込む││いや、心を歓迎していた、彼女が漸く開けた心を。
♦ ♦ ♦
総一郎に弟子入りした一子はマンツーマンで修業を││受けてはいなかった。それ
どころか修行することを許可してもらえなかった。勿論、一子にとって不満以外のなに
ものでもなかった。
しかしそれは新当流総代塚原総一郎という指導者を知る者ならばよく知ることだっ
た。
││彼は武術の基礎の基礎、さらにその下であるカーストの最下層である食事や生
活、娯楽、通常である自然体を重きに置く。人間としての自然。
そして彼はかなりの放任指導者でもあった。
飽くまで鍛錬はする方でもさせる方でも嫌いなのだ。その証拠に適当な理由を作っ
修行がしたいです
﹂
て川神院での稽古付けは殆どしていない、前述の下りはただの口実だった。
﹁総師
!
!
99
﹂
﹁もう、やってるよ﹂
﹁え
﹂
!
ワ ン 子 は 修 行 し な い と 感 覚 が 鈍 り そ う だ け ど、ほ ら な ん と い う か
?
首を振って二人の誤解を解いた。
本心からそう思っているのか。
総一郎は一子の同意に困惑していた、大和の話を聞いていなかったのか││それとも
﹁そうよ
⋮⋮犬だし﹂
﹁で も い い の か
あまり変わっていなかった。
教室内での出来事、一子の問いを総一郎が答えて補足に入るのは大和、立場としては
﹁何もしないことが修行ってやつか﹂
?
﹁
こうかしら
﹂
?
その場で所謂セクシーポーズをする一子。凹凸の少ない体でするその恰好は総一郎
?
﹁ワン子、女豹のポーズをしてみろ﹂
クトだった。
大和以外その意味を理解できていなかった、教室は静まり返ってそれを破ったのはガ
﹁それは違うさ、ワン子は犬じゃない││豹だ﹂
──私は教える。──
100
から見ても残念なものだった。││、一部の人間を除いて。
﹂
!
﹂
!
てもいいぞ。そして以外にもワン子は静の気を持っている││さて何故でしょう
﹂
﹁まあそうだ、百代や京は動だな。俺やルー先生││もっと言えば大和だって静と言っ
一々横やりの入るクラスだ││と苦笑しつつも総一郎は話を続ける。
﹁それは京もでしょ
﹁モロいたの、気が付かなかった﹂
﹁所謂、静の気ってやつだね﹂
かと言うと俺寄りだ﹂
ろうけど││だから百代にように本能に任せるように見えるが、そうじゃない。どちら
﹁俺が言いたいのは豹の瞬発力と集中力だ。ワン子はなぜか犬っぽい││大和のせいだ
をなだめて話を戻した。
優良不良少年の睨みで筋肉達磨は舌が回らなくなって竦んでしまう。総一郎は源さん
今の今まで机に突っ伏していたはずの源さんが顔を上げてガクトを睨んでいた、健康
﹁おい、島津、うるせえぞ﹂
﹁そんなぺったんこな││﹂
﹁どういうことよ
﹁それはねえだろ、総一﹂
101
?
﹂
唐突の質問に一番早く手を上げたのは飼い主である大和だった。
﹁集中力の凄さ││かな
?
﹁yes だから今は修行をさせない、動物的な癖を少し抜きたいんだ。その代りに
﹂
?
﹃誰にだよ
﹄
?
!
﹁そういやキャップは
﹂
ファミリー一同と話を聞いていたクラスメイトは声を揃えて言った。
!
知ってるか
﹂
﹁ははははは、良かったなワン子。強くなる上に頭も良くなるぞ、こういうの何ていうか
﹁べ、勉強││﹂
総一郎の発言、その一部が原因だった。
ている。逆に大和と京は称賛の視線を送っていた││拍手もしていた。
一子が固まる、まるでこの世の終わりのように。ガクトやモロも同情する視線を送っ
﹁え﹂
引き上げる、それが現在の方針﹂
勉強で集中力を鍛えてもらいつつ、今まで培ってこなかった童心を味わって精神段階を
!
﹁し、知ってるわ⋮⋮い、一矢報いる││よ
──私は教える。──
102
一子のボケで一通りの話が終わった頃、ガクトはキャップがいないことに気が付いた
のか辺りを見渡していた。大和がそれに答える。
!
﹂
?
﹂
?
かってある人物が通るのを待っていた。勿論、先回りして待ち伏せをしている。
一子の話が終わってからすぐ後のこと、総一郎は廊下にはる出っ張りの柱にもたれか
♦ ♦ ♦
女と心配性な軍師だけだった。
くなっていることに気が付いてはいなかった││そのことに気が付いたのは恋する乙
先程までいた総一郎がいないことに気が付いたが、ガクトはこの場からもう一人いな
﹁総一はどこ行った
そこでまたガクトが何かに気が付く。
﹁あれ
リーは呆れ顔で遠くの空を見上げた。
総一郎の話を聞いたせいなのかキャップが旅に出る││毎度のことながらもファミ
﹁相変わらずだね⋮⋮﹂
よ﹂
﹁朝は居たんだけどな⋮⋮﹁俺も気を覚える ﹂って言いながら原付で走り去って行った
103
二分程経ってからその人物が現れる。きっと総一郎が声をかけなければ通り過ぎて
しまっただろう。
﹁おっす源さん﹂
﹁⋮⋮なんだ塚原﹂
出会ってから一ヶ月位経つというのに源さんは心をまだ総一郎に開いていなかった。
大和達とは明らかに違う、総一郎の中では源さんと言う男は大和以上に慎重な男で信頼
に値する人間と言う評価が出来上がっていた。
﹁まあまあ、そんなにつんけんしないで﹂
﹁用がないなら行くぞ﹂
﹂
﹁あるさ、一子のことでね﹂
﹁⋮⋮あんだと
﹂
源さんは総一郎をできるだけ睨んだ。
?
?
一子は川神院師範代を目指している││それが彼ら彼女の認識だったはずだ、しかし
か負けたことのない近代最強の薙刀使いだけどね﹂
﹁今の一子が目指している人物。名前は男っぽいけど女の人さ││ただ、生涯で二度し
﹁⋮⋮知らねえな、そいつがどうした﹂
﹁源さんは園部秀雄って知ってる
──私は教える。──
104
この目の前の男、百代の勝って急に一子の師匠を務めることになったこの男は、事実か
どうかも分からない││源さんにとってなんとも言えない発言をしたのだ。
﹁園部秀雄ってのはな努力家だったんだ。明治時代、女が武術をやるなんて││そんな
気付いたのだ、総一郎が損な役回りをしていることに。
総一郎が自分を罠に嵌めたことが驚きだった。
総一郎が自分の気持ちに気付いて皮肉を言うとは思いもしなかった││それ以上に
思わず源さんは手を離した。
なければいけない教育者に抗議しようとするなよ﹂
﹁おいおい、自分の気持ちを伝えられないような奴が残酷なことを未来ある若者に伝え
﹁てめえ﹂
でもあったが、同様に救いでもあったわけだ。
幼馴染││の夢が踏みにじられたと勘違いしたのだ。実際、一子にとっては残酷な話
鋭さを増していた。
倉を掴まれていた。凄い形相││というわけでもないが、源さんの睨みは先ほどよりも
既にもたれ掛かっていたため叩きつけられることは無かったが、総一郎は源さんに胸
﹁ああ、それは無理だって一子には言ったさ││﹂
﹁おい、どういうことだ。一子が目指しているのは川神院師範代じゃないのか﹂
105
ことを言われている中で薙刀を振り回しどうにか男に食らいついた。才能があったと
いえば終わりだがな、当時は名だたる剣豪も多かった、その中で二敗しかしなかったと
いうのは間違いなく努力の比率が多いだろう﹂
流暢に話す総一郎とは反対に源さんはその話の意味を理解できていなかった。
それでもいつものようにその場を離れることは無かった。
﹁しかし園部秀雄は言った﹁稽古ばかりに集中して、女性の嗜みである家事を疎かにして
はならない﹂と、つまり││、一子に女性の嗜みを教えてやってくれってことだな﹂
二人の間に沈黙が走る││源さんが理解できていなかったのだ。
そして思考が理解に至ると源さんは赤面に陥る前に総一郎へ怒りを放っていた。思
わず総一郎は駆けだして逃げた、源さんは無論追いかける。
しかし総一郎が放った言葉で歩みを止めた。
﹂
!
源さんは静かに溜息をつくのだった。
なんとなくだが分かった。総一郎と言う人物が。
﹁あいつ⋮⋮ワン子って言わなかったな﹂
言われた意味は分かった、そして気付いたから歩みを止めたんだ。
﹁これは師匠としての頼みさ、源さんも少しは素直になりな
──私は教える。──
106
♦ ♦ ♦
現在は六月の終わり頃、入学から二か月ほどが経過してた。
川神姉妹改造計画││基、修行は捗っている。
私もそう思うわ
﹂
﹁なあ、総一郎。あんまり変わった気がしないんだが﹂
﹁総師
!
俺も早く気を飛ばしたいぞ
﹂
﹂
!
り良くないと錯覚してしまう。
﹁なあ、総一
﹁キャップは諦めとけって﹂
﹁でも飛ばせるって言われたぞ
!
?
!
﹁総一、どれぐらいで飛ばせるの あとどれぐらいで私と大和は結婚できると思う
﹂
ともいえるが、改革の度合いで言えば百代の方が大きい。だから二人の修行成果はあま
│だが、舐めてはいけない。修業とはそう簡単に成果が出るものではない、百代は例が
二人はこう言うが修行は捗っている。ある程度の精神自然化は完成してきている│
﹁おいおいおい⋮⋮﹂
!
キャップが気を飛ばせるようになるのは、前も言ったけれど二十年ぐらいかかる﹂
﹁京と大和が結婚できるのは二年後の二月二十日だ、ちなみに大和の誕生日ね。そして
?
107
﹁もっと早く飛ばしたいぞー
﹂
俺が商店街で旅行券を当ててくる
﹁行き先も決まるしそれでいいだろ﹂
﹂
川神院では小遣いというものがなく、自分でバイトしなければ一向に金が入ってくるこ
和は小金を持っているようだけれども、百代と一子は川神院の娘であっても金は無い。
会議だった。総一郎は金を持っていてもその他のメンバーは一介の高校生、何故だか大
今日は夏にどこへ行くか││つまり夏休みのお盆に旅行をする場所を決めるための
モロとガクトが来て、ファミリー全員が揃った。
﹁お詫びに俺様がお菓子を買ってきたぞ﹂
﹁ごめん、遅れた﹂
なっていた。
入 学 初 日 に 色 々 あ っ た け れ ど も 総 一 郎 と フ ァ ミ リ ー の 関 係 は 良 好 │ │ 既 に 一 部 と
日は金曜集会だった。
キャップの叫びと大和が総一郎に抗議しながら悲鳴を上げているここは秘密基地、今
!
﹁しかも金が殆どかからないからな﹂
!
とは無いのだ。
!
﹁それが一番いいかもね﹂
﹁任せろ
──私は教える。──
108
総一郎はキャップの発言に﹁おいおい﹂と突っ込もうとするも、ファミリーの反応が
まるで何の疑問も抱いていない様子だったことに一人だけ困惑していた。
﹂
?
﹂
﹂
﹁ちげえよ
!
総一郎は普通に応答した。
!
﹁彼女か
その画面には﹁うぉーたー﹂と書かれていた。
解散間際に総一郎の携帯電話が鳴った。
金曜集会はその後何の変哲もない時間を過ごして夜の八時頃解散となった。
だった。
た。その後にキャップの激運武勇伝を聞かされて総一郎は半信半疑のまま納得するの
何かのドッキリか││と思うほど総一郎以外はその話に疑問を呈することは無かっ
け││え
﹁いやいや、確かにすごい運がいいようだけれども、まさかそんな簡単に福引が当たるわ
モロと京がそう言うが、総一郎は理解できていなかった。
﹁キャップは激運の持ち主なんだよ﹂
﹁え、何が﹂
﹁あ、総一は知らないんだっけ﹂
109
﹁おう、どうした⋮⋮ああ、わかった。そうだな││カガも連れて来いよ││ああ、気を
つけてな。お休み││水脈﹂
短く、言葉数も少ない電話だった。しかし信一郎と話すときのような違和感や燕と話
﹂
すときの惚気はない。
﹁ああ、妹だ﹂
﹂
﹂
﹁え、総一って妹居たの
﹁言ってなかったか
!?
﹂
一同は首を振って考えた。きっと和風が似合う清楚な妹なのだろう││と。
?
﹂
変わって大和が総一郎に質問を投げかける、単純な好奇心だろう。
﹁誰だ、みおって
ガクトの再三の問いかけに百代が拳を振り上げてガクトは竦む。
﹁やっぱり彼女か
!
?
?
百代はそこで思った、きっと私と総一のことだ││総一郎はそのことに関心を覚えて
﹁明日朝早くに父親とこっちに来るって、多分川神院への挨拶だろう﹂
携帯電話をポケットにしまって総一郎は言った。
﹁ああ││﹂
﹁で、なんだって
──私は教える。──
110
111
いた。
﹁三撃﹂の塚原信一郎││その言葉を聞いて真っ先に闘気が出ていなかった。
当の本人は気が付く様子もなく、その後すぐに戦闘衝動に駆られていた。
車を選択した。
故か
なければならない。新幹線ならば三時間ほどであるのにも関わらず、塚原家一行は何
立し
からだろう、時間を遡ればわかることだが、この時間に到着するためには四時前に出
にくる
京都から川神までおよそ五時間。総一郎が島津寮前で待っているのはもうすぐここ
だ、
川神駅にて待つことをしない、つまり信一郎は京都から川神まで車で来るということ
三人。祖父である純一郎は家預かりの為随行していない。
る
待ち人は総一郎の父である塚原信一郎と妹である塚原水脈、そして﹁カガ﹂と呼ばれ
朝は九時、総一郎は川神駅ではなく島津寮の前で人を待っていた。
して。
││私の弟子。││
──私の弟子。──
112
大和もそれに疑問を呈した。キャップは﹁それの方が楽しいだろ ﹂なんて言うけれ
ど
も四時前に出立するならば起床は三時ほどになるだろうか。
その答えは。
!
ない性格だ。総一郎も車ではないがバイクが好みだった、家系的な所で車好きなのか
苦に
信一郎が車好きだということだけ事実である。それについてくる水脈もドライブを
るために彼は朝の三時に良く起床する、こちらでは一度も起きたことは無いが。
す
彼は朝早く起きて山に行くのだ、そして釣りをする、走る、泳ぐ、食べる。これらを
しかし総一郎はそうでもない。
ろう。
いない。純一郎と信一郎が偶々起きるのが早かったからという理由でするくらいだ
朝練というものは確かにあるけれども、朝の三時に起きて素振りをする者は塚原家に
勿論、嘘だ。
さすが武士の家系││と、大和は言う。
﹁俺の父親は車好き、そして塚原家にとって三時という時間は酷い苦ではないのだよ﹂
113
もしれない。
すると総一郎の後ろからドアをスライドする音が聞こえ、続いて人の声が聞こえた。
起床した寝起きの大和と京だった。
﹁⋮⋮おはよう﹂
﹁どもども﹂
﹁お、わざわざ起きてくれたのか、昨日の夜は大変だったようだけど﹂
大した言葉を交わすことなく京はその言葉だけに反応するように体を震わせた。
くるんだもん﹂
﹁そうなの、昨日は凄い乱れちゃった⋮⋮だって大和があんなことやこんなことをして
わざとらしい表情と仕草で総一郎は大和に視線を送った、焦りだした大和に追い打ち
!
源さんを追いかけるのだった。
た。そこで固まっていた大和は事の重大さに気付いて、総一郎に抗議しながら大急ぎで
しかし効果は覿面だ、源さんは大和と京を交互に見てゆっくりと寮に戻りドアを閉め
京はただ同意した。
﹂
をかけるように源さんが外にやってくる、それと同時に総一郎が言った。
﹂
ついに京と大和は結ばれたのか
!?
﹁そうだよ
!
﹁え
──私の弟子。──
114
二人は悪い笑みを浮かべながら拳を合わせるのだった。まるで悪代官と癒着した商
人のようである。
﹂と訳の分からない言い訳に大和もそれ以上いうことは
十分ほどで大和は帰って来た。散々怒られはしたものの、総一郎に悪びれる様子は無
く﹁俺は信念に従ったままだ
無かった。
﹁うう、吐きそう⋮⋮﹂
﹁最高にpunkだったぜ
﹂
そして後部座席のドアが開いた。
いたのか停止するときに少しスリップしていた。
その十秒後、九時半ちょうどに白いバンが島津寮に到着する。少しスピードを出して
﹁そろそろだな﹂
頻りに時計を見ている総一郎は言った。
で塚原家一行を雑談交じりに待つ。
夏にはまだ遠いが肌寒さはもうない、かといって照りかえる暑さもなく、三人は薄着
!
を現した。
なっている少女だった。そして反対側から少し老けていて、髭が薄ら生えている男が姿
姿 を 見 せ た の は 袴 姿 の 優 男 そ う な 少 年 と 所 謂 パ ン ク ロ ッ ク で 髪 の 色 が 四 色 の 斑 に
!
115
﹁やあ、総一郎﹂
﹁おう、親父﹂
その親子の会話はそれだけ。
大和はそれに気づかないで総一郎へ一つの質問を投げかけた。
﹁なあ、総一﹂
﹁どうした﹂
﹁ど⋮⋮どっちが妹だ﹂
﹂
﹂
大和は天を見上げていた。
﹁あ、兄ちゃん
﹁おう、相変わらずイカした格好だな﹂
!
!
折角こっちに来るから新しいの買ってきちゃった
﹂
と、総一郎は左を指さした。その先には黒く、刺々しい少女がいる。
﹁左かな
?
!
水脈の隣にいる少年は総一郎に声を掛けた。歳はそう変わらないが、総一郎に対して
﹁ご無沙汰です﹂
る格好だった。大和曰く、顔は良い。
言動と、兄に抱き付く行動こそ妹らしく可愛いと言えるが、服装はゲテモノと言わざ
﹁でしょ
──私の弟子。──
116
深く頭を下げた。総一郎も微笑んで軽く返事をするだけで、二人の間に何か関係がある
ように匂わせるやり取りだった。
信一郎はそこで総一郎の隣にいる大和と京に気が付く。
﹂
!
に居るのだから勘づいてもおかしくはない。
改めて京が本名を名乗ると、信一郎は興味を示した。椎名性を名乗るものがこの川神
ている。
うやら京はここぞとばかりに大和の手を舐め回したようだ。心なしか顔がうっとりし
大和は塞いでいた手を逃げるように離した、服で手を拭いているところを見る限りど
を向けるが、総一郎は笑うだけだった。
慌てて大和は京の口を両手で塞ぐ。信一郎は﹁何事か﹂と思ったのか、総一郎に視線
﹁ちがーう
﹁どうも、直江京です。実は大和の妻││﹂
﹁いえいえ、こちらこそ、総一郎君のおかげで毎日が楽しいです。それとこいつは││﹂
信一郎は頭を下げて一瞥した。
﹁そうか、いつも総一郎がお世話になっているね﹂
﹁ああ、同じ寮生でクラスメイトの直江大和、直江京だ﹂
﹁おや、お友達かね﹂
117
話が盛り上がりそうになるが、総一郎は﹁ここで話しても仕方がない﹂と言って島津
寮に三人を招き入れた。
京と信一郎の話は他愛のないもので終わり、信一郎は寮母の島津麗子へ挨拶をしに
いった。騒がしいのに気が付いたのか、キャップや源さん、母から聞きつけてきたガク
トが居間へ来て寮生全員がいつの間にか集合していた。
ともなれば始まるのは水脈と少年の自己紹介だった。
嫌いなものは納豆です
﹂
﹁初めまして塚原水脈でーす、水に頸動脈の脈って書いてみおでーす。好きなものはp
unk
!
年に自己紹介を促した。
話題が水脈だけに集中していることに気が付いた大和は一同を宥めてもう一人の少
ガクトはこの世にはこんな女がいるのか││と心で嘆いていた。
な﹂と、言ったり。
源さんは似ても似つかない二人を交互に見たり、キャップはストレートで﹁似てねー
大和と京を除いた一同が唖然だった。特にガクトが。
!
大和と京はその名前に少し反応する。単純に聞き覚えのある名前だったからだ。
輝と申します﹂
﹁初めまして皆さん、し⋮⋮総一郎さんよりも一つ下で水脈さんと同級生の││足利直
──私の弟子。──
118
そして一同がその後の言葉に総一郎へ視線を集めることになる。
た。その姿に信一郎は笑い、二人の姿はまさしく上京したての田舎者だった。
いざ、その川神院の前へ来てみると水脈、そして直輝はその門の大きさに絶句してい
移動するのは決まっていたことだった。
元々信一郎の目的はこの度の闘い、そして川神院との交流が目的だったため川神院に
源さんを除くファミリーも川神院へ移動することになった。
一時間ほどして信一郎が居間へ来て皆に挨拶をした、程なくして塚原家一行、何故か
性免疫がないモロにしては良く話す方だった。
水脈の風貌に度肝を抜かれていたが、そこまで毛嫌いすることもなく、人見知り且つ女
なった。質問も兼ねて雑談をしていると途中からモロが居間へ入ってきた、入って早々
二人の自己紹介が終われば後はこちら側の自己紹介、大和と京も改めての自己紹介と
なものだったからだ。ただ、一番弟子ということが少し引っかかっただけだった。
総一郎の弟子││ということに大して驚くことは無かった。既に一子が弟子のよう
♦ ♦ ♦
﹁││総一郎さんの一番弟子です﹂
119
門を潜るとそこに待っていたのは鉄心だった。
﹁おう、遠いところわざわざすまんのう﹂
﹁いえいえ、娘たちも一度こちらへと思っていましたからいい機会でした﹂
﹁ほう、中々面白うじゃのう。格好もじゃが、気骨のある顔をしておる﹂
水に頸動脈の脈でみおです い、一応剣術もやって
こんな形の水脈でも鉄心は知っている、彼女も武家の一員である。伝説的な男を前に
﹂
?
﹁俺の一番弟子です﹂
﹁⋮⋮こやつは
信一郎を客間に連れていこうとするその時に鉄心は直輝の存在に気が付く。
!
して緊張している様子だった。
﹂
﹁は、初めまして塚原水脈です
ます
!
そんな姿をみて鉄心は﹁ほっほっほ﹂と笑うだけだった。
!
て 鉄 心 は も は や 伝 説 で は な い │ │ 神 だ。水 脈 の よ う に た だ 緊 張 す る だ け で は 済 ま な
対する直輝は額から流れる脂汗が止まらなかった、武の世界で生きている直輝にとっ
一挙一動を見定めていた。
即答する総一郎の返答に鉄心は興味をそそられた。鉄心は直輝をただ見つめ、直輝の
﹁⋮⋮ほう﹂
──私の弟子。──
120
かったのだ。
そして総一郎の言葉に直輝は驚愕を隠せなかった。
﹂
?
説明も無しに呼ばれたことに対して百代は機嫌が悪かった。
﹁突然来て突然呼ばれたと思えばこいつは誰だ
そして今その足利直輝が道場で││武神と対峙している。
伝授されている剣豪。大和と京が先程反応したのはそれだった。
利義輝、室町幕府第十三代征夷大将軍、塚原卜伝の直弟子で奥義である﹁一の太刀﹂を
足利と言えば室町幕府だろう、有名どころで言えば足利義満や足利義政││そして足
かった。
ともあれ、あの足利というものが総一郎の弟子であるというのはそれだけでも面白
あった。
一番弟子を名乗るということは相当な実力、または才能を秘めているという裏付けでも
な弟子ということだ。総一郎の弟子は大して多くは無い、だがそれでも直輝ほどの歳で
足利直輝││塚原総一郎の一番弟子。一番初めの弟子ということではなく、一番優秀
﹁親父、鉄っさん、お願いがある。百代とカガを戦わせたい﹂
121
﹂
﹁うわぁ、姉さん機嫌悪いよ﹂
﹁ねえ、総一、大丈夫なの
﹁あ、足利直輝です。し、師匠に武神さんと戦いなさい││い、言われました
﹂
戦い││と辺りで百代の闘気は膨れ上がった。
﹂
視線を向けられた総一郎は指を鳴らして言った。
﹁師匠ってのはもしかしてお前か
?
﹂
!
声が震えているようにも聞こえる。
百代の問いには直輝が答える。緊張と目の前にいる猛獣に怯えているのか、心なしか
大和とモロは顔を青ざめて総一郎へ問いかけてくる、総一郎は言うのだ﹁知らん﹂と。
?
総一郎が二人の間に入る。
ていた。その様子はまるで猫に怯えるハムスターだった。
直輝は意識を持って経つのが精一杯と言わんばかりに腰にある刀に手をかけて震え
そこで百代は闘気を爆発させいつものように獰猛な笑みを浮かべるのだった。
﹁YES
!
﹂
みなした場合は止める││大丈夫だカガ、万が一は起らない││それでは⋮⋮はじめ
﹁これは稽古だ、使う得物も川神特製の模造刀。致命傷となる一撃や気絶、続行不可能と
──私の弟子。──
122
!
123
両者が睨む││ということは無く、百代は例の如く突進した。
直輝は腰の刀を握り目を瞑っていた。抜刀はしていない。
二人の間合いが近づく、刀を使う直輝の方が間合いは長い、つまり有利だ。抜刀して
いないということは剣術をかじっている者から見れば分かるが││抜刀術ということ
になる。一瞬で刀を抜き、相手を一閃で斬る。やっていることは総一郎と同じでも、速
さと鋭さで言えば最強ともいえる技だった。
突進してくる百代にとってそれは最悪、初めて総一郎とやった時と同じ状況と言えた
だろう。
しかし結果は異なる││いや、経過すら違うと言えるだろう。
間合いが衝突した瞬間、直輝の一閃は百代を捉えることができなかった。最速の鋭さ
があっても当たらなければ意味が無い。
剣先はあと一ミリ百代の剣先をかすめることが出来なかった。
衝突する間合いと間合い、総一郎ならば気づくことができたかも知れないが、実際に
その間合いは衝突していなかった。気が見えれば分かることだが、百代の姿は一ミリず
れて見える、気当たりによる残像││それは質量を持つと錯覚してもおかしくない芸当
だった。
直輝の間合い衝突したのは一ミリだけ先走る百代の残像だった。
──私の弟子。──
124
一閃を外してしまえば終わる││そんなことはない、外してしまうことも考えれば直
輝はそれほど驚くこともなかった。
決めにくる百代を迎え撃つために直輝はもう一閃を放つ、先ほどは左腰から右手で抜
刀したが今回もまた左腰からだった。右手は使えない、ならば左手で左腰にある小太刀
を逆手で持つほかない。まるでその持ち方は忍者であったが、百代の一撃をどうにか防
ぐには十分と言える。小太刀されども小太刀、剣術家が使う刀はどの様であっても鋭さ
は変わらない。
一閃避け、一閃で弾かれた百代は考えることはしなかった。いや、初めから決めてい
たのだろう。
勢いが止まらないのであればその攻撃は一撃必殺の鈍器とも言えた。
││頭突き││
突然の衝撃に耐えられることなく直輝は意識を手放した。
♦ ♦ ♦
終わって見れば百代の圧勝。
一瞬の出来事でしかないため、傍から見れば直輝が一撃でやられたとも言えるだろ
う。ある程度目が良い京ですらほとんど見えていない。
直 輝 は 直 ぐ に 部 屋 へ 運 ば れ て 手 当 て を 受 け た。夜 に は 目 を 覚 ま す と 聞 い た フ ァ ミ
リー一同と水脈は肩の力を抜いて安堵していた。
信一郎は鉄心と百代の礼をいってまた直輝のところへ戻っていく、その顔は笑顔では
ないが満足に近いと言える顔だった。
だが、一番満足したのは総一郎と鉄心だろう。
自分の弟子が武神に対してやり取りができただけでかなり収穫があった、そう思うの
は至極当然。百代にここまで付いてこれる少年がいることに喜びを感じるのも至極当
然。
しかし、鉄心と総一郎が顔を合わせて驚いているのはそれとは違う理由だった。
先程の戦いを見て挙げるならば、それは直輝の善戦、そして││百代の戦い方だろう。
﹂
ゴリ押しには変わりない、しかし猪ではない。戦い方を覚えた虎だ。
特出すべきなのは経過だ、二人はそう考える。
何が違うのか
﹁口に出すのは良くない││と言うべきじゃろう
﹁やはり、名称は要らないですね﹂
?
百代は傲慢知己に技の名前をいうことしなかった。
?
125
││私の怒り。││
﹁怪我はどうだ﹂
百代と直輝の勝負から数時間、夜も更けだした島津寮、その一階にある居間で直輝は
﹁あ、師匠﹂
テレビを見ながら体を休めていた。先程まで寝ていたとしても武神との傷跡はかなり
大きかった。脳震盪と両腕の打ち身。
風呂上がりに牛乳でも飲もうかと考えていた総一郎は居間にいた直輝に声を掛けた
のだった。
﹁両腕は痛いですけど、頭の方は大丈夫みたいです。真っすぐ歩けます﹂
の代わりにお茶をいれることにした。
悪いことはない。だが、反省会を開かない訳にはいかない、総一郎はそう考えて牛乳
要だった。
は、京都ではやらないテレビにご執心だった。流石にもう一度寝るには二、三時間が必
夕食は既に済んでおり午後十時を過ぎる頃、通常ならいつも就寝に入っている直輝
﹁そりゃなによりだ﹂
──私の怒り。──
126
﹁武神はどうだった
無い。
﹂
ば二人の関係は正しく師弟だ、邪険にすれば普段は温厚な総一郎でも怒ることに躊躇は
お茶を手渡されて直輝は気付いたように総一郎へ体を向けた。そう言われてしまえ
?
﹁なんだ、悔しいのか
かしいです﹂
﹂
﹁武神は虎だが、慢心して猪の面を被っている││そう考えた自分が浅はかでした、恥ず
い、湯呑みからは湯気も消え失せていた。
椅子に座る総一郎の湯呑みは既に空で、直輝の湯呑みは一口も口を付けられていな
を立てました﹂
たと思います。そう、勝つ見込みがあるのは一万戦の初め││、一戦目だと思い、対策
﹁武神に勝てないことは承知の上でした。万に一つ、それが僕が武神に勝てる勝率だっ
﹁ほう﹂
﹁いえ、違います。恥ずかしいのです﹂
?
りしめた。
口籠ったように言い、反省と悔しさを表すかのように床に正座している膝上で拳を握
﹁⋮⋮聞いていたのとは違いました﹂
127
そこで総一郎が鼻で笑う。直輝はどうしたのだろう
顔を少し上げた。
﹁師匠
﹂
││と思いながら俯いていた
いやらしい笑みを浮かべた総一郎が自分を見下ろしていた。
?
﹂
?
﹂
更にその日の夜だった。
♦ ♦ ♦
なくて、一兆戦の一戦目だろ。⋮⋮お前は自信家だなあ﹂
﹁お前の考えは間違ってない、正しい、ただ勘違いをしただけだ。一万戦の一戦目じゃあ
に助言をした。
総一郎は湯呑みを持って立ち上がり洗い流して居間を去る。その際で一つだけ直輝
﹁⋮⋮どういうことでしょうか
﹁フッ⋮⋮お前は真面目だなあ、そんでもって自信家だ﹂
?
?
興味がない振りをして素っ気なく返事をする。部屋に入ってきたのは信一郎だった。
﹁ああ﹂
自室にいた総一郎がその声を聞いたのは午後十二時に差し掛かる頃だった。
﹁総一郎、いいかな
──私の怒り。──
128
﹁遅くにすまないね、話しておくことがあった﹂
言ってしまえば信一郎と純一郎は総一郎にとって嫌な相手だった。この二人がいな
ければ自分は人を斬ることが無かったはずだからだ。
肉親であるから憎いとは思わない、そう思っていた。母は好きだ、父は好きじゃない。
﹂
信一郎の後ろから直輝が現れた。直輝は今日総一郎の部屋で寝ることが決まってい
﹁あ、ご当主﹂
る。
﹁ああ、直輝、こんばんは。すまないね、少し外してもらえるかな
﹁え⋮⋮は、はい﹂
意図したことではなかった。それでも反応してしまう総一郎がそこにいた、自分が川
とは違う﹂
﹁お詫びを言いに来たのに逆に感謝されてしまったよ。やはり川神は良い、陰険な京都
いや、そうでなくては困る。
ことを理解している、恐らくその理由も分かっているだろう。
この言い草から察することは容易だろう。信一郎は自分が総一郎から嫌われている
﹁なんだ、要件は﹂
来たばかりの直輝はそのまま踵を返して部屋の前から出ていった。
?
129
神にきた時と同じことを言われてしまえば何か思ってしまう。それも相手は良い感情
を抱いていない父親であれば尚更だった。
前置きが終わりその後要件を伝えられる││と思っていたが、信一郎は一向に話を進
﹁さて﹂
めなかった。信一郎へ視線を向けていなかった総一郎は勿論それを不自然に、不思議に
思い、首を振って視線を向けてみる。
そこには刀を腰の左に置いて正座している信一郎がいるではないか。
二人の視線は交差して二人の思考は交わらない。信一郎は何を言うか決めてきてい
る、対して総一郎は何故信一郎が刀を持参してここへ来たのか、何故こちらを見て沈黙
しているのか││何故、顔が強張りながら少し笑みを浮かべているように見えるのか。
思考が交わり、総一郎が激高したのは信一郎が口を開く刹那前だった。
隠れて読み取れなかった。
信一郎の表情がはっきりしているのと対象に、総一郎の表情はくせ毛のある髪の毛で
にした。
椅子に座っていた総一郎は静かに立ち上がって机の右で杜撰に置かれている刀を手
﹁お小遣いをあげよう﹂
──私の怒り。──
130
直輝は一通りの考えが済んで総一郎の部屋へ向かった。するとそこには陰険な雰囲
﹂
気を出す親子が一組、総一郎と信一郎の仲が悪いことは新当流の間では周知の事実だっ
た。
﹁あ、ご当主﹂
﹁ああ、直輝、こんばんは。すまないね、少し外してもらえるかな
た。
﹁足利君﹂
﹁あ、直江さん﹂
?
話していたので、それが少し気になって⋮⋮﹂
﹁え、えーと⋮⋮今、師匠の部屋に行こうとしたらご当主││信一郎さんと師匠が二人で
﹁大和でいいよ⋮⋮どうした
浮かない顔してるけど﹂
総一郎を待つためにまた居間へ向かおうとした時、直輝をみた大和は思わず声を掛け
も直輝は総一郎の一番弟子なのだ。
しかし理解できなくともそこに何かがあること、それは感覚的に理解している。仮に
一郎を理解できなかった。
自分に向けられるその笑みはなんら不自然はない、まるで父親。信一郎と仲の悪い総
?
131
ああ││という顔で大和は難しい顔をした。大和もあの親子の不仲を目にしている。
同時に飛び出していた、だがどうだろうか 戦いを前にして相手の動きに差異がある
今までならば相手が出てきた瞬間に闘気丸出しで何も考えることなく開始の合図と
えた。
相手が総一郎と同系で、しかし少しだけ違う。強さの違いではなく、動きに差異が見
勢というものだろうか。
直輝との対戦後、鉄心に呼ばれて言われたが、その前に感じていた。戦いに対する姿
今日の手合わせを振り返って百代は初めて変化に気が付いた。
││川神院。
直輝はお邪魔します││と言いかけて、異変に気が付いた。
はずだ、あの二人は塚原家当主と新当流総代だから。
出てきて﹁いいよ﹂と言えば直輝が断る理由もない、恐らく親子の会話は少し長くなる
年上であることに少し抵抗感があったのか直輝は一瞬言葉に詰まる。部屋から京も
﹁とりあえず俺の部屋で話そう、総一郎について聞きたいこともあるし﹂
──私の怒り。──
132
百代も、そして月明かりの下で空を眺めている鉄心も、彼に感謝することを止められ
ことを感じ取れた。あの鉄心でさえ今回ばかりは百代を少しだけ誉めていた。
?
なかった。
﹂
││﹂
そして感じ取った、感謝を述べたい人物が今怒りに塗れている││
﹁じじい
﹁分かっておる
た。
静の気に慣れ過ぎた者の気。恐らく総一郎しかいない、直輝の中では殆ど確定してい
知っている、これは恐らく、総一郎の気だ。
鋭い痛みが││まるでナイフで刺されるような気が体に突き刺さってた。
体に
ことを指す。しかし、それから出る怒気は圧倒されるような爆発を生むことは無く、
いる
う表すなら圧縮された静の気。一般的に出す怒気は己の中にある動の気があふれ出て
目と鼻の先で鋭い怒りが撒かれたのだ、とてもじゃないが止めることは出来ないだろ
直輝は焦った。
川神に静かな激怒が撒かれた。
!
!
133
と、なれば。
どこで、何が、何故こうなったのか。それは考えれば分かることだった。
急に走り出した直輝を大和と京は追う、大和でも感じることのできるこの気に向かっ
て
﹂
走っていることは二人にとって一目瞭然だった。
﹁師匠
な光景だった、だが二人も言葉を発することができなかった。
総一郎から発言を止められて直輝はその場にひれ伏した。大和と京からしたら異様
﹁黙っていろ、直輝。お前が口を出すことではない﹂
﹁師││﹂
た。
気を浴びせられながらも左に置いてある刀に触れていない父が正座で子を見上げてい
大和が見た光景は刀を持ち、鋭く睨みつけながら父を見下ろしている子、息子から怒
!
に留まることはない。日本に居る武人ならばこの気を感じることは容易だろう。
軽口を叩く信一郎に苛ついたのか総一郎は怒気を強めて行った、恐らくこの気は川神
﹁黙れ﹂
﹁こらこら、余り不条理な威圧をしてはいけないよ、総一郎﹂
──私の怒り。──
134
北陸の剣聖や京都の納豆小町、西の天神館に川神の元高弟や修羅に堕ちた元天才││
一時的に総一郎はこの国の中心となった。
﹂
!
﹂
!
直輝は事を理解し始めた。それは剣術に身を委ねている自分だから理解できた、後ろ
やる││上泉藤千代││
郎の姉的存在だった。
気鋭。そして総一郎の二人いる師の片割れだった。二十代後半で壁を超えていて総一
上泉藤千代││上泉信綱の子孫で新陰流正統後継者。女性で初めて新陰流を継ぐ新
大和はその人物を知らない。だが、直輝は心当たりがあった。
浮き出ている。
一番大きな怒声だった。癖っ毛に隠れていない表情は赤く膨れ上がり、額には血管が
﹁ふざけるな
﹁⋮⋮ふう⋮⋮今回は上泉藤千代ちゃんだ、相手も了承して││﹂
総一郎が言っていることを理解できている人物はいなかった。
ため一番弟子とはいえ直輝は知らない、百代が言っていないため大和も京も知らない。
総一郎が人斬りである事実を知るのは信一郎しかこの場にいない。重要秘匿である
﹁ふざけるな、次は一体だれをやらせるつもりだ
﹁人が集まってしまった、取りあえず私はホテルへ戻る││﹂
135
﹂
に居る大和や京はまだ気づかないだろう。
﹁││まさか拒否するのか
﹁⋮⋮ああ⋮⋮ああ
断固拒否する
﹂
信一郎は驚いたように、疑うように尋ねた。
?
!
﹁││
﹂
﹁⋮⋮そうか、では直輝にやらせよう﹂
一度考え、ぶつけるように言葉を吐く。意を決した││そういう類だろう。
!
?
﹁これは鉄心殿、お見苦しいところを﹂
﹁見苦しい、のう⋮⋮それはお主のことを言っておるのか
﹂
?
それとも総一郎のことか
心しろ﹂と言い、大和は安心したのか気を失ってしまった。
京││ではなく、百代だった。京も同様、百代に寄り掛かっている。小声で百代は﹁安
糸が解れたように足に力が入らなくなって倒れそうになる。それを後ろで支えたのは
んでしまった、緊張状態で立たされていたところに老人が大和の方に手を置いたせいか
た大和を掻き分けて一人の老人がやってきた。大和は声を出そうかと思ったが足が竦
直輝だったか、或いは総一郎だったか。怒号を発しようとしたその時、部屋の前に居
!
﹁いかんなあ信一郎殿、直江が気を失ってしまった﹂
──私の怒り。──
136
﹁それは⋮⋮﹂
﹂
鉄心は部屋の中央に行くと二人の間に入り、仲裁するように総一郎の気を静めさせ信
一郎には心を改めさせる。
﹁塚原には塚原の事情がある││だが、今回は見過ごせぬのう
﹂
!
﹂
?
直輝と百代、京は怪訝に首を傾げ、鉄心は顔を顰めた。
﹁呪いさ﹂
口を開いたのは総一郎だった。
る者で全てを理解している者は総一郎と信一郎のみ、場は明らかに混乱していた。
軽口を叩くこともなく、先程とはうって変わりその表情は強張ったまま。この場にい
⋮⋮何があったのだ、信一郎
﹁ど の よ う な 理 由 が あ ろ う と も、そ の 気 も な い 子 供 に 刀 を 持 た せ て 人 を 斬 ら せ る と は
ここまで鉄心が激怒することは今までなかった。
想 像 だ に し な か っ た 怒 声 が 響 く。そ の 鉄 心 の 姿 に 百 代 も 背 筋 が 伸 び る ほ ど だ っ た。
﹁喚くな小童が、儂に口答えするなど百万年早いわ
﹁分かっているならば口を出さなくても良いですよ、塚原には││﹂
うに信一郎は慌てて逸らし、間が空いて口を開く。
閉じているようにも見える鉄心の目は見開いて信一郎を捉えていた。合わせないよ
?
137
ただ、信一郎は自分の息子を見て驚きを隠せず、ポーカーフェイスは完全に崩れてい
﹂
た。当の本人である総一郎は視線をただ真っすぐ伸ばし、その先に居る百代がそれを受
ける形だった。
﹁親父、退け﹂
﹁⋮⋮帰れということかな
﹁違う﹂
﹁││
﹂
﹁塚原家当主を退け﹂
一言返答して総一郎は信一郎に向き合った。
?
入ってきた。
目に怒りが灯っている。そして同時に﹁私は知っている﹂という考えが信一郎の中に
!
少女の声が聞こえて、次に自分は刀を持っていた。
﹁俺が解いてやる、塚原流の呪いを﹂
声が聞こえた、少女の声が。
│﹂
﹁│ │ そ う し な き ゃ 俺 は 何 時 ま で も 森 に 囚 わ れ て い る ま ま だ ⋮⋮ 俺 が 解 い て や る よ │
﹁⋮⋮お前はまだ││﹂
──私の怒り。──
138
﹁爺さんや親父や師匠、そして俺を苦しめてる呪いを斬ってやる﹂
少女の手には一つの藁があった。
♦ ♦ ♦
あの後信一郎は直輝と水脈を残して京都へ帰った。曰く﹁準備がある﹂とのこと、準
備とは総一郎が宣言した当主襲名のことだ。
後は大和の手当て、強烈な気に当てられて気を失っただけではあるが、万が一心に傷
が残れば一大事、鉄心が大和に手当てを施した。鉄心の去り際に総一郎が深く頭を下げ
るのだった。
今思えばあの時、寮に殆ど人がいなかったのが幸いした。源さんは仕事で水脈は川神
院、キャップは何故かいなかった。一時の出来事ではあったが総一郎があそこまで取り
乱すとは誰も考え付かなかった。
大和が起きて居間に総一郎、百代、京が集まる。総一郎は皆に││特に大和へ深く頭
を下げて取り乱した行為を恥じていた。しかし、それを引きずるファミリーではない。
﹁いや、こちらの自己満足だと思ってくれ。この塚原総一郎、一生の恥だ﹂
﹁本当に大丈夫だって﹂
139
﹁誰だって怒ることはあると思うけど﹂
﹁そうだ京の言う通りだ。前にも言ったが何があってもお前は風間ファミリーだぞ、総
一﹂
深く頭を下げる総一郎の目頭に熱い物がこみ上げてくる。
﹁私はあんみつでいいぞ﹂
﹁俺はヤドカリの餌一年分でいい﹂
﹁私は大和でいいよ﹂
そこで京が大和を襲えばいつも通り、居間には笑いが広がり、総一郎の心にも少し余
﹁良し、大和をやる﹂
裕ができてくる。
意を決して総一郎は言った。
られていた。今回の騒動もそれに関することだ﹂
﹁百代には話したが││俺は十歳の時に人を斬った。無理やり斬らされた、斬らねば斬
それぞれの心境は違う。が、総一郎の告白を邪険にするものは居なかった。
を思いだした。大和はそれを聞いて困惑するしかない。
突然の告白に三人は反応に困った。百代は既に知っている、京も先程ちらっとでた話
﹁俺は人斬りだ﹂
──私の怒り。──
140
沈黙。いや、思考ともいえる。
﹂
百代が答えることはない、京は答えるほどのものを持ち合わせていない。ならば後は
大和だけだった。
﹁⋮⋮上泉って人は知り合いなのか
││そうか﹂
!
こっちは真剣だ││と総一郎は声を上げそうになった。
を潰していた。その隣の京と百代も口を押えているではないか。
萎らしくなって話す総一郎に対して笑い声が響く。顔を上げてみれば大和が笑い声
﹁⋮⋮ふっ﹂
の一人は唯一の仲間だった。そして今回は話さなければならない││だが⋮⋮﹂
﹁正直この話をするのは百代を含めて三人目だ。百代の時は戦いの最中だったし、最初
三人は話を区切ることをしない。大和は聞きに入っている。
今回迷惑をかけた、そして│││皆に何て言えばいいのかが分からない﹂
﹁改めて金曜集会でも言うつもりだ。だが、先に大和と京には言っておこうと思ってな。
理解していればそう考える。彼は仲間を大事にするために考える人間なのだ。
驚いて納得││したかどうかは総一郎からは判断できなかった。大和という人物を
﹁
﹁ああ、俺の師匠だ。今年二十九になる女性で上泉信綱の子孫だ﹂
?
141
﹁ご、ごめんごめん。総一の珍しい姿が見れて││ふふふ﹂
﹁確かに、いつもは能天気な総一がこうなるのは初めて﹂
いつもは自分のすることだった。
﹁ふふーん、また一つ総一の弱みを発見だなー﹂
真剣な話を笑って相手の気を緩め、そして話す。他の奴にやられれば腹が立つ││そ
総一郎もしかめっ面ではなく、苦笑交じりに目を麗せていた。
う思っていたが、思ったよりも心地が良かった。話を聞いてくれる人に飢えていたのだ
ろうか
﹁私もだ﹂
ことにあそこまで怒った総一を俺は信じる﹂
確かに人を殺したことになんとも思わないわけじゃない。だけどだ、自分の師匠を殺す
﹁ま、そこは俺に任せてくれ。総一は普通に話して、後は俺と京、姉さんがフォローする。
?
深夜二時、直輝は大和の部屋で寝ることになった。総一郎が一人になりたいと言った
♦ ♦ ♦
大和は力強く言うのだった。
﹁同じく﹂
──私の怒り。──
142
﹂と言っていた。
ためだ。明日は日曜日、多少遅く寝たとしてもあまり問題はない。百代も朝練はなく
なっているため﹁問題ない
総一郎が一人になりたい理由は一つだけだ。
!
﹄
?
﹄
?
れなかった。
しかし、今回はそうもいかない。総一郎の事情を知っていたとしても聞かずにはいら
総一郎へ詰め寄るように聞くことはしなかった。
松永燕という女は気を使う。表面上は軽くとも相手に思いやってしまう、だから燕は
﹃なんで
﹁親父と喧嘩した﹂
﹃何があったの
えている、泣いているわけではない。本当に心配だった、ただそれだけ。
総一郎の鋭い静の怒気は燕の居る京都まで見事に届いていた。燕の声は少しだけ震
﹃⋮⋮新幹線があったら会いに行ってた﹄
﹁心配かけた、つーちゃん﹂
いつも聞こえてくる元気な声は無い、深夜だからというわけでもない。
﹃⋮⋮もしもし﹄
﹁もしもし﹂
143
﹁⋮⋮斬れ││と﹂
﹃⋮⋮﹄
電話の向こうで息を吐く音が聞こえた。その音は途切れ途切れに聞こえ、総一郎はノ
﹄
イズが走ったと思うようにした。
﹃⋮⋮誰を
﹃なっ
││﹄
﹁藤千代さんだ﹂
?
それらを意地でも守ろうとした。総一郎もそれに何かいうわけでもない。
聞く。
驚かない
泣かない。
思わず声を上げても燕は直ぐにそれをしまった。なんだろうか、意地だろうか。
!
﹄
?
るからこその秘密だった。
きっと二人だけが共有する秘密なのだろう。それは信頼と愛、肩を並べて歩く覚悟あ
﹁ああ、俺は雲林院師匠の思いを受け継ぐ﹂
﹃⋮⋮総ちゃん、決めたの
﹁俺は呪いを断ち切るぞ燕﹂
──私の怒り。──
144
﹃憑いていくよ﹄
﹂
?
二人は同時に思い浮かべた、一人の剣術家であり武術家の男に誓ったあの日を││
し終えている。
のか││それすらわからない。だけども、二人は同じ道を歩く決意をした。いや、既に
恐らく二人は同時に笑みを浮かべた。この先に何があるか分からない、呪いとは何な
﹃うん、どこまでも憑いていきます。誓ったもの﹄
﹁憑いてくるか
145
過去編
純一郎が引き、信一郎も総一郎から離れる。川岸辺りは二人以外の気配がなく、異様
入ってこなかった、恐らくこの刀の銘でも言われた││と勝手に思っていた。
と 共 に 一 つ の 刀 │ │ 真 剣 を 手 渡 し た。真 剣 の 重 み に 驚 い て 信 一 郎 の 言 葉 が 余 り 耳 に
えないがどこか気が起っていた。その時、信一郎が総一郎の目の前に現れて一つの言葉
川岸に立っていた剣士は純一郎と言葉を交わして深く頭を下げている、笠で表情は見
ば鍛錬を欠かさなかったのだ。
この時は鍛錬が嫌いでも剣術は嫌いではなかった、純一郎や信一郎に言いつけられれ
特に断る理由もなく父親について来た。
は真剣が差されている。異様な雰囲気はここへ来る前に察知していた総一郎だったが、
夜││川岸に純一郎、信一郎と共に着くと一人の剣士が笠を被って立っていた、腰に
事の発端は十歳の時に人を斬らされたことだった。
十三歳の総一郎は荒れていた。行いではなく精神が、だ。
今から三年前の話、総一郎が新当流総代になった経緯を語る。
││私の意義。││
──私の意義。──
146
147
な静けさに塗れて総一郎は目を閉じて周りを察知し始めた。
目を閉じて感覚に頼っていたのが幸いし、気が付けば刀を抜いていた。しかしなぜ抜
いたのか理解していない。気付いた時には刃と刃の共鳴する音が静粛を断ち切ってい
た。
相手が斬りかかってきた││漸く気が付いた時には二撃目が自分を襲っていた。
父はどこだ││祖父はどこだ││
迫りくる斬撃を躱しながら視界に入るものを選別して助けを求めようとした。居た
││そこに見えたのは信一郎だった。しかし、助けに来る様子はない。純一郎も見当た
らない。
失念しすぎた総一郎は相手の斬撃を完全に躱しきれなかった。動脈より下の部分に
浅い切れ目ができてそこから血が少量流れだした。痛みが││鋭い痛みが襲い掛かっ
てくる、紙で指を切った時とは比べものにならない痛みが走り、全身に痛みがあるよう
に錯覚して少し過呼吸になる。傷を抑えて袖が赤く染まる、大した出血量ではないはず
だというのに死を予感する恐怖を感じた。
そんなことを考えている間でも相手は何度も斬りかかってきた。
そんな時初めて気が付いた、喰らった傷のすぐ上には動脈があることに。よく観察し
てみれば相手の斬撃は動脈や心臓、手首など人体の急所ばかり狙っている。
──私の意義。──
148
ああ││この男は俺を殺そうとしているのか。
男の笠が取れ、そこには死に物狂いで総一郎を殺そうとしている鬼のような形相が見
えた。浅い傷を抉るように錯覚させる鋭い痛みが体に突き抜けていく、剣士の気だっ
た。
何故誰も助けてくれないのか、自分はこの男に何の理由もなく殺されかかっている、
何故父はそこで傍観しているのか、祖父はどこに居るのか、自分は一体どうすればいい
のだ。
剣士の刀を総一郎は受け止めて思った。そして間髪入れずに行動へ移す。何故か体
はどうすればいいのか理解していた。
気が付いた時には剣士は自分の足元で倒れ、お気に入りの草履と袴の先は赤く染ま
り、川が少しだけ濁っていた。
それから三年、十三歳の総一郎は荒れていた。荒れている理由を周りは知らない、そ
の理由は塚原にとっても新当流にとっても重要秘匿だった。
荒れて鍛錬をサボる総一郎はそれでも慕われてた。塚原卜伝の再来という肩書がそ
うしていたのだろう、その時はそれすら父親の策略で、自分が剣術から離れないように
するための留め具だと思っていた。
留め具と思っていたのはそれだけではない。
当時の新当流総代だった師匠、雲林院村雨。そして姉弟子の松永燕だった。一時は燕
と仲が良かった総一郎も人斬りが切欠で周りとの関係を断ち切り、燕もそれに巻き込ま
れていた。
村雨は人斬りなった総一郎を見かねて自身の高弟とし、前々から稽古をつけていた燕
も内弟子にしたのだった。
総一郎を弟子にしてみればそれは悲惨だった。鍛錬を軽々とサボり山に籠っている、
久しぶりに鍛錬をするかと思えば稽古相手の燕に容赦ない一撃を喰らわせて全治一ヶ
月の骨折を負わせてしまう。村雨も頭を抱えていた。
自分には無理かもしれないと思う村雨を立ち直らせたのは燕の言葉だった。
﹁私は伊達に雲林院を名乗ってはいない。先祖の借り、今返そうぞ﹂
ならば自分がどうにかするしかないではないか。
村雨は勿論、総一郎が人斬りであることを知っている、そして燕はそれを知らない。
視界に入り心が痛む。
理不尽な暴力で傷つけられた女の子が言う言葉ではなかった。痛々しい腕が頻りに
の子だよ﹂
﹁分からないけど、総一郎君はあんな子じゃないと思う。もっと笑顔がドキッとする男
149
そう決意したのは総一郎の師匠になってから半年がたった頃だった。
♦ ♦ ♦
すべてが空しい、そして苦しい。
いつものように総一郎は森で一日を過ごしていた。熊の腹を枕にし、栗鼠を腹に乗
せ、横で寝ている鹿の頭を撫でながら空を眺めていた。
お節介焼の村雨と何度傷つけられようとも刃向かってくる燕に少しずつ心を動かさ
れていくが、それでも胸の靄は取れない。それを分かっているのか総一郎に集う動物は
格段に増えていた。
総一郎、十三歳の夏だった。
づけば総一郎は微笑みを見せた。憎いのは父と祖父だけ、何も知らない母と妹にそのよ
薄暗い食卓で夕飯を食べていると総一郎の妹、水脈がその姿を覗いていた。それに気
作り置きの夕飯を食べる。一日山に居たとしても、一日何も食べなければ腹は減った。
夜、家に戻ると顔も合わせたくない父と祖父がいないときを見計らって、母の作った
﹁うっす﹂
──私の意義。──
150
うな感情は抱いていなかった。それでも初めは微笑み返すことも出来なかった、これは
村雨と燕の努力だろう。
次の日に総一郎は久しぶりの鍛錬を行うことにした。相手は村雨││だったが、急遽
燕に変更された。
不満だった。燕は強い、総一郎も認めていた││だが、一瞬で切り殺せてしまう。才
能に努力がまだ追いついていない、彼女にはそういう評価を下していた。
いざ、手合わせ。だが、いつになっても村雨は道場にやってこなかった。心配した燕
と待ちくたびれた総一郎は離れにある村雨の部屋に行く。村雨は結婚しているが、町に
住む奥さん、子供と離れてこの塚原家敷地で暮らしていた。
鍛錬に出ろっていつも言ってる師匠がこの様かよ﹂
?
そこには煎餅布団から這い出るように倒れている村雨の姿があった。
悟ったかのように総一郎は勢いよく襖を開けた。
へ踵を返すが、総一郎はその場で立ったままだった。
わざと蔑むように言っても反応は無かった。燕は﹁すれ違ったかもね﹂と言って道場
﹁師匠居ないのか
襖の前で声を掛けても反応は無かった。
﹁ししょー、稽古したいいんですけど﹂
151
二日後││新当流が懇意にしている市内の病院にて総一郎と燕は村雨の妻、静が主治
医との話を終えるのを廊下にあるソファで待っていた。村雨は昨日の朝方に目を覚ま
して精密検査を受け、検査結果は本人が知る前に静に伝えられていた。
総一郎はソファに座らず壁に小一時間寄り掛かっている。視線を右に移せば村雨の
娘に絵本を読み聞かせている燕の姿が目に映る。二人がこの場にいるのは正式な内弟
子と高弟だったからだ、総一郎は塚原家嫡男であることも関係している。当の塚原家当
主は昨日村雨と小一時間話して帰ってから見舞いに来ない、総代であった村雨の代わり
で忙しい││もしくは、ということだろう。
二日前に倒れた村雨を見つけた時は大騒ぎだった。混乱を収めるために塚原家総出
で事態に対処していた。新当流総代とはそれほどに大きい存在││それを総一郎と燕
は初めて実感していた。
そして村雨が一命をとり止めたのは総一郎の的確な処置と燕の迅速な通報だったこ
ともあり、一躍時の人となっていた。
﹂
思考に更けていると近く扉がスライドして開く。
!
燕の膝の上から飛び出して扉から出てきた静に抱き付いた。一時間程ではあったが、
﹁ママ
──私の意義。──
152
母親の意気消沈と父親が病院のベットで寝ていることを幼いながらも感じ取ったのか、
寂しいというよりも怖いという気持ちが大きく、五歳になる圭が燕を忘れたかのように
﹂
静に抱き付く様子はそれを体現していた。
﹂
﹁圭いい子にしてた
﹁うん
した総一郎だったが、それよりも前に肩の力が抜けた静が切り出した。
のお茶を両手で強く握りしめ、顔は俯いていた。少し間を置いてから話を切り出そうと
総一郎は誘導して一番奥にあるソファで二人は座った。静は渡されたペットボトル
﹁静さん﹂
は圭に見えないよう総一郎へ視線を送った。
少し顔が膨れていたが、静と燕の両方に窘められて圭はまた燕の膝上に乗っかる。燕
﹁圭ちゃん、お母さんはもう少しだけお話があるから、またお姉ちゃんと絵本読もうね﹂
悲し気な表情で静は圭の頭をできるだけ優しく撫でていた。
が二人にはそれが分かった。
良く見ると静の目は少し赤みかかって腫れているのが分かる、圭は気が付かなかった
﹁いえいえ、こういう時は助け合いです﹂
﹁燕ちゃんありがとうね﹂
!
?
153
﹁原因不明だそうです﹂
不謹慎だが一層のこと癌とでも言ってくれれば分かりやすい。初期の癌ならば助か
るケースが多い、心筋梗塞や脳梗塞も程度によっては普通の生活を送ることだってでき
る。
しかし、原因は不明。
静は淡々と言葉を並べた。
少し辛いことを言うが総一郎は聞くしかなかった。
ソファが軋む程、静は体を震わせた。悍ましい言葉だったのだろう、その反応で総一
﹁どれくらいですか﹂
郎は理解││確信した。
﹁村雨師匠に会えますか﹂
静は俯いた顔をさらに沈ませて小さく頷いた。
軽い口を叩いているが、昨日会った時とは大違いと言えるほどに頬の筋肉が落ちてい
総一郎が来たことに気付いた第一声がこれだった。
﹁やあ﹂
──私の意義。──
154
た。指先や腕も老人のように細くなっている。
村雨はまだ三十三歳だった。
﹁うちの爺さんよりも皺くちゃですね﹂
﹁はは、すまない。笑ってくれていいよ﹂
村雨は笑っているが総一郎は皮肉を飛ばすのが精一杯、とてもじゃないが笑えなかっ
﹂
た。人に死を与え、息絶える所は何度も見たが。隣にいる人物が死に行く姿、そしてそ
れを見て受け止めなければならない愛する者を見たのは初めてだった。
正直吐き気がした。
﹁どうした、私よりも青色が悪いぞ。お前も私と同じでもうすぐ死ぬつもりか
の俺は立つ瀬がない﹂
﹁気の流れが殆どない、俺が気が付けばここまで悪化することもなかった。仮にも高弟
にも拘わらず笑い飛ばすように不謹慎ギャグを言う村雨を見ていられなかった。
その男がもう刀を握ることも出来ず、死が一瞬で間合いを詰めようとしている。それ
手筆頭の剣術家だっただろう。
ことは簡単だが、そのどちらも壁を超えている。塚原総一郎という天才がいなければ若
は剣術と武術を兼ね備えていること、長所と長所を知り短所と短所を知っている。言う
雲林院村雨は天才だ。十代で壁を超え、二十代後半で新当流総代になった。その特徴
?
155
一体それが本音かどうかは総一郎にも分からない。だが、それを村雨は軽々と否定し
てみせた。
﹂
﹁それは無理だ、これは呪いだからな﹂
﹁⋮⋮どういうことですか
流﹂など聞いたこともない単語だった。
呪いに罹った、そもそも塚原流の呪いなど聞いたこともない。もう少し言えば﹁塚原
理解し難い話だ。
﹁これは呪いだ、塚原流の呪いだ﹂
?
それを自分の師││新当流総代で、総一郎よりも塚原の深みに居る人物が言っている
﹂
のだ、邪険にはできない。
?
⋮⋮憎いです﹂
﹁君は剣術が嫌いか
﹁││
!
﹁それは││﹂
﹁君は何故人を斬った
﹂
から言及されたことはなかった。詰まりながら答えても淡白な相槌しか返ってこない。
総一郎が人斬りだということを村雨は知っている。分かっていたことだったが本人
﹁そうか﹂
──私の意義。──
156
?
﹁結果だけ言いなさい、経過は必要ない﹂
﹂
また﹁そうか﹂と返って来た。
﹁⋮⋮無理やり斬らされました﹂
﹁では何故無理やり斬らされた
﹁悟ったのさ、死期を﹂
﹁意味が分からない、悟ったようなことを⋮⋮
﹂
また理解し難い言葉が村雨から出てくる。今度こそ反発してしまった。
﹁それが塚原流の呪いだ、君を苦しめている﹂
た、というよりも仕方がない、と思っていたのかも知れない。
始めの中はそれを考えたこともあったが、ここ二年は思ったこともなかった。諦め
言葉を返せない。﹁知らない﹂とも言えなかった。
?
﹁塚原流の呪い││それを調べている途中で私は倒れた。呪いは塚原の不自然に全て繋
したのか、そうでもしないと気を保っていられない程に村雨は衰弱していた。
先程まで真っ白だった村雨の顔色は元の肌色に戻っている。無理やりにでも気を戻
﹁一週間生きればいい方だろう、ならば最後は師として生きよう﹂
ず、その言葉から察するにもう村雨は生きようとはしていなかった。
用意した言葉は一言で遮られてしまった。医者からの言葉はまだ本人は知らないは
!
157
がっている﹂
捻りだすように言葉を総一郎に繋げている、全てを総一郎に託すつもりなのだろう。
その眼は総一郎が今まで見た中で一番生きようとしている目だった。
生きるのは今だけでいい││
由﹂
﹁君が人を斬らねばならない理由、塚原家の当主制度、信一郎さんと純一郎さんが弱い理
一つ目は総一郎にとって一番の不自然、二つ目は疑問程度、三つ目は予期もしない言
葉だった。
﹁親父と爺さんが弱いとはどういうことですか﹂
及ばない剣術家だっただろう。信一郎さんもそうだ、彼は純一郎さんを超える才能の持
﹁純一郎さんの武勇伝を聞く限り今の実力とは辻褄が合わない、本当だったら私が優に
ち主と本人からのお墨付きだった﹂
それを聞いた総一郎は反論の余地もなかった。確かに信一郎も純一郎もあまり強く
はない、信一郎は﹁三撃﹂と称されているが、裏を返せば三撃目を外せばそれまでとい
う皮肉を込められている。純一郎も﹁鬼太刀﹂と呼ばれた面影は塵一つも残っていない。
んの弱体は彼が当主になる頃だったから、そして君の人斬りが強制されたのもその頃
﹁私はそれを元にこう推測した││塚原家当主制度には何か裏がある、根拠は信一郎さ
──私の意義。──
158
だ﹂
粗末な推測、単純に不自然を辻褄合わせにしただけだった。
つことも出来なくなった﹂
言葉を疑った││俺を呪縛から解き放つ
か、それは師として弟子に降りかかる不条理を取り除いてやりたかった、ただそれだけ
考えれば分かることだった、何故村雨は塚原流の呪いについて調べる必要があったの
?
﹁兎にも角にも、私はもう倒れた。もう調べることも出来ない││君を呪縛から解き放
本当であれば師の命を奪い、自ら苦しめている根源が見つかるのだ。
はずだ。それでも総一郎は否定できない││否定したくなかった。
幾らでも反論はあっただろう、村雨の言い分は些か超常すぎる。穴は幾つでもあった
﹁現に私は原因不明の病で気が止まって、余命は良くて一週間だぞ﹂
﹁そんな戯言を││﹂
奪う﹂と言われた﹂
﹁笠を被った男に﹁塚原流に近づくな、塚原以外が近づけば塚原流の呪いがお前から生を
尤もな疑問だった。
﹁どこで聞いたんですか﹂
﹁そしてそれを調査している時に一つの言葉を聞いた││塚原流とその呪い、だ﹂
159
だった。
﹁手に負えない││と一度君を突き離そうとした自分が恥ずかしかった、今では君を息
子のように思っているというのにね。だから苦しむ君を見るのは心が痛んだ、燕を無表
情で痛めつけてその瞳の中には悲しみが宿っている君をどうにかしないといけないと
思った﹂
﹁なんで││﹂
﹁││師だからね﹂
一言で全てを纏めてしまうその言葉は初めて聞いた。今まで師だった信一郎からも
言われたことはない。何度目も言葉を遮られて分かった。
この人は俺の師匠なんだ││人斬りの自分を見てくれている人は居る、そう思ったら
急に熱いものがこみあげてきた。
﹂
?
﹁新当流総代になれ﹂
悪くなっている。
その言葉で悟ったのだろう、今までそんなことを言ったこともなかった。少し顔色が
﹁ならお願いを聞いてくれるか
思いの丈が一言口から漏れ出た││この人はもう死ぬんだ。
﹁俺は師匠に何も出来てない﹂
──私の意義。──
160
絶句した。総一郎は今すぐにでも刀を捨てたいと思っていた、村雨もそれ知る。だか
らこそ﹁お願い﹂と言ったのだろう。信一郎と話していたのはこの件なのかもしれない。
かもお前を救ってはいない
私は悔しい
﹂
!
﹁俺はお前の弟子だ、命令しろよ。そんな目をするな﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮そんな目をするなよ﹂
ならばその師に報いるのも今日が最後の機会であることを総一郎も理解していた。
うだ、今日が最初で最後だから。
これは遺言││我儘なのだ。初めて師と弟子という関係で我儘を言った。それもそ
づくことが分かっている。しかしそれでも村雨は継いで欲しかった。
できれば継がせたくない││そういう目に総一郎は見えた。総代を継げは呪いに近
﹁継いでくれないか、私の地位と私の無念を﹂
かった、村雨はそんな総一郎を見て言うのだ﹁すまない﹂と。
そこで村雨は咳き込んで話を中断した。総一郎は村雨の背中を摩ることしかできな
!
だが、無念だ。一人の人間としてな。妻を置いて娘を置いて私はこの世から去る、し
病に倒れたのは本望、弟子のために死ねるなら幾つだってこの命賭けてやろう。
﹁私は剣術家だ、武術家でもある。今回こうして死を間近にして思うことは││無念だ。
161
﹁⋮⋮俺を継げ、総一郎﹂
をしなかった。それが急に信一郎に対して頭を下げた、不思議と思っても仕方は無い。
燕は真面目に村雨を師と仰いでいたが、総一郎は内に籠って村雨から碌を受けること
それでもそれを意外に感じた者は少なからずいた。
と内弟子の燕が式の執り行いをすることに反対する者など居る筈もなった。
た燕。まだ幼かったが、総一郎が信一郎に直訴してそれを認めた。高弟であった総一郎
式の執り行いを先導したのは次期総代を後日正式に受け継ぐ総一郎と内弟子であっ
かった。
流のあった九鬼の者が参列をしていた。武術の総本山川神院は弔辞を送り参列はしな
北陸の剣聖﹁黛大成﹂や上泉家、新当流師範代の足利興輝、燕の両親、村雨が生前交
喪主は静、執り行いは塚原家一同で村雨の葬儀は行われた。
♦ ♦ ♦
三日後、天才雲林院村雨は無念を弟子に託しこの世を去った。
村雨が微笑んだのを視界の隅に確認しながら総一郎は踵を返した。
﹁新当流総代の任、承る││俺が呪いを断ち切る、貴方に報いる﹂
──私の意義。──
162
まさしく燕がそうだった。
式が終われば火葬場に着く。棺が焼かれていくと子供の泣き声が聞こえ、母のかみ殺
したような嗚咽が周囲の耳に入ってくる。燕と総一郎は並び、総一郎は真っすぐ、燕は
顔を俯かせていた。きっと燕は悟られないように泣いているのだろう、気が付いたのは
隣にいる総一郎だけ、気付かないようにするのが総一郎のできる精一杯の配慮だ。
今は胸に刻むよう師の姿を見ていたかった。
全てが終わり、静に挨拶をしてから帰る者が増えてきた。母の腕の中で包まるように
眠る圭を撫でて燕もその場を後にしていた。残りの作業は総一郎が引き受けた、総一郎
が帰させたというのが正しいだろう。﹁ここは任せて帰れ﹂と言われた燕は非常に驚き
ただ頷いていた。
片付けの指示や金の計算をしていると気が付く頃にはもう七時だった。流石の総一
郎も信一郎に言われて後を任せることにする。
気分転換に街へ出てあてもなく京都を歩き、気が付いたら川岸にいた。癖なのだろう
か、荒々しい上流にはよく行っていたが拓けた下流に来るのは久しぶりだった。
偶然燕がいた││なんてことはないが意図したわけではない。少し離れていたとこ
総一郎は岸で寝転んでいた燕に声を掛ける、燕は少し息が乱れて汗が垂れていた。
﹁こんな時間に居ると襲われるぞ﹂
163
心配してくれるの
﹂
ろで燕の気を感じたためここへ来た。
﹁おろ
?
﹂
﹁なあ、つーちゃん﹂
飽くまで平常を装うらしい。ならば、と総一郎は考えた。
﹁そう⋮⋮よかった、突然だったからどうなることやらって思ってたよ﹂
﹁静さんと圭ちゃんは足利家で預かることになった﹂
笑っていた。周りは暗く、髪の毛で顔は隠れていた。
?
ただ一つ、総一郎は意を決していた。
た。
か、回心のつもりなのか。言われた側はただ単に言った側の意図を理解できていなかっ
何を思って言ったのか、二人とも理解できていない。言った本人は懺悔のつもりなの
﹁いつからだ、お前が俺に気を使って総一郎君って言い出したのは﹂
﹁え⋮⋮﹂
﹁いつからだ、俺が燕って言い出したのは﹂
反応は予想通りもいいところだった。
﹁ふにゃ
!?
﹁つーちゃん﹂
──私の意義。──
164
﹁な、なにかな﹂
口を開いてただ息が漏れた。意を決しても脳が拒否する、言いたくないと声を出させ
てくれなかった。
それでも総一郎は心で脳に抗った、形を持たないが自分自身の脳が作った呪いに対抗
した。村雨が総一郎の為に死ぬことになった忌まわしき呪いを断ち切るためには、この
呪いに抗い断ち切らねば前に進むことは出来ない。
心が悲鳴をあげて涙が出た。
家族以外の前で泣くのは初めてだ、恥ずかしかった。
燕にはその総一郎が辛い││いや、とても悲しそうに見えた。
相槌もなく心が握りつぶされて爆発しそうだった、これが愛の告白だったら気分はま
涙が止まらず、声も震えて詰まった。
んって呼ばなくなったのもつーちゃんを突き放したのもその頃⋮⋮だった﹂
﹁じゅ、十歳の時に人を斬らされた。それから││それからずっと最悪だった、つーちゃ
嫌われたくない人だった。
なった。
燕の表情を見たくなかった。どんな顔をしているのか分からなかった、だから見れ
﹁俺││人斬りなんだ﹂
165
た違うだろう。落ち着かせるように言葉を繋いだ。
﹁俺が人を斬らなきゃいけなかったのは呪い││塚原流の呪いだって師匠は言ってた、
だから俺を苦しめた呪いじゃない、師匠を苦し
師匠はその呪いから俺を解き放つために⋮⋮死んだ、俺のために死んだんだ。
﹂
だけど俺はしてやれなかった⋮⋮
めた呪いを斬る
!
そう聞こえて総一郎は微塵の迷いもなく燕を見た。心が反応していた。
﹁総ちゃん﹂
て肩や地面に零れた。決意に塗れ心が昂っていく││心は呪いに抗い続けていた。
それでもその刀を高く天に掲げ、総一郎は天を仰いだ。上を向いているのに涙が零れ
尺を超える大太刀は夜に紛れ輝きを失っている。
鋭く甲高い音が鳴り響いた││総一郎が自身を鼓舞するために刀を抜いたのだ。三
!
﹂
!
﹁総ちゃん、三年もよく我慢したね﹂
﹁つーちゃん⋮⋮
彼女もまた解放されたように笑顔のまま涙を流していた。
つも通りの燕││いや、いつも以上の燕だった。
包み込むような笑顔で総一郎に優しい言葉を掛けてくる、総一郎の話を聞いても尚い
﹁辛かったね﹂
──私の意義。──
166
二人とも涙を拭こうとせずに流しっぱなしで数年ぶりに友達以上恋人未満に再会し
ていた、初めて出会った手合わせを思い出しているのだろうか。
﹂
笑い続ける燕に感化されたように総一郎は少しだけ微笑んだ。
﹁お、俺に付いてきてくれるか
小さく燕は頷いた。
﹁憑いていくよ、どこまでも﹂
﹂
!
﹁帰ったか総一郎﹂
﹁父上﹂
へ急ぎ足で向かっていた、途中で挨拶してくる使用人にも目をくれなかった。
変わって三年後││総一郎が激怒した次の日、信一郎は塚原邸で帰宅して純一郎の元
♦ ♦ ♦
鼻に通っていく臭いは心に加勢して呪いに粘り勝ちを決めていた。
刀を捨てて飛んでくる燕を受け止めた││抱きしめたとも言うだろうか。
﹁君のハートにな、っとう
そして燕はどこからともなく藁に入った納豆を手に取って言うのだ。
?
167
純一郎の襖を開けて名を呼べば待っていたかのように純一郎は正座のまま信一郎と
対面した。そんな様子に疑問を覚えないまま要件を切り出した。
﹁総一郎のことでお話ししたいことが﹂
﹁昨日のことか﹂
日本全国へ届く気を放ったのが総一郎だと気が付いていたのだろう、祖父であれば当
然といえた。
﹁ええ、対戦相手を示したら気を爆発させて⋮⋮譲位を迫ってきました﹂
﹂
﹂
が勢いづいたものではない。
怒ったわけではない、その表情はどちらかと言えば困り顔だった。声も怒鳴りはした
﹁ならん
﹁⋮⋮準備がある、と﹂
﹁で、何と答えた﹂
由々しき問題だったのだろう、眉間に皺を寄せて信一郎を睨んだ。
﹁⋮⋮何
?
!
﹁なんだと
何故だ﹂
﹁いえ⋮⋮しかし、総一郎は呪いの存在を知っていました﹂
﹁すまん、大声を出した﹂
──私の意義。──
168
?
﹁⋮⋮わかりません、父上と一緒の時以外は口にしたこともありません﹂
二人は息を吐いて沈黙した。ここにいる二人以外は知る筈もない言葉だったからだ、
村雨がその一片を知ることができたのも殆ど偶然だったと言えるだろう。まさか村雨
﹂
﹂
が総一郎に託したなど考えもつかないだろう。
﹁内容は知らないのか
﹁そのようです││どうしますか
ていた。
?
﹁⋮⋮信一郎││﹂
一郎と笑顔の総一郎の写真││
だ。旅行先でコーヒー牛乳を一気飲みする二人の写真、入学式で並びながら涙を流す純
真を撮る総一郎の姿が、﹁一位﹂と書かれた紙でできているメダルを高く掲げ嬉しそう
一枚ずつページを捲っていく││そのページには運動会で一位を取って純一郎と写
﹁そうか﹂
﹁でしょう、我々に出来なかったことを押し付けているのですから﹂
﹁総一郎は儂らを恨んでおるか
﹂
の本には﹁そういちろうせいちょうあるばむ﹂と平仮名、そして非常に汚い字で書かれ
純一郎は数秒目を閉じてから立ち上がって本棚で一つのアルバムを取り出した。そ
?
?
169
﹁父上、それは私に言う言葉ではありません。その言葉を受ける資格は私にはありませ
ん﹂
にあやつの祖父を語る資格は無い﹂と怒られてしまった﹂
﹁⋮⋮そうだな、実は先程鉄心殿から電話があってな、私も﹁どんな事情があろうとお前
二人は慎ましい笑みを溢し、その後一瞬にして雰囲気は冷たく突き刺さるような気に
﹁私も怒られました、肝が冷えるほどの形相でした﹂
支配された。総一郎と瓜二つだった。
﹁例え非難され、恨まれたとしても我々は挫けてはいけない。分かっているな信一郎﹂
﹁はい、父上。どこまでも塚原の呪いを父上と受け続け、父上がいなくなれば私が││そ
して縛ることがあっても総一郎に呪いを受けさせません、どんなことがあっても﹂
純一郎は小さく頷いた。
││ただ、この思いが届くことはあるだろう。
この会話を総一郎は知ることはないだろう。
﹁時期は年が明け、春が咲くころだ。後は任せろ﹂
──私の意義。──
170
日常編
川神学園は文武両道以上に競争心を重きに置いている。だからなのか学力試験の数
何故なら明々後日には学生生活最大の鬼門││期末考査がある。
実感する者はいたが、それはまた後の話。
笑みによって行われたことを知るものはいない。
詫びの為に更なる後方支援を確約した契約が、二人の悪だくみをする時に交わされる
で心を開いてくれるとは思ってもいなかった。
さを聞いていたため、心を開いてもらうためにどうにか頑張っていたが、まさかここま
当に申し訳ないという気持ちと少し││かなり嬉しかった。大和に京の閉心傾向の酷
外とも言えたが珍しく眉間に皺を寄せ誰もいないところで色々言われた時、総一郎は本
い程に総一郎は闇を誰にも打ち明けていなかった。実際京にはかなり怒られた、正直意
達や源さんに感謝した。燕以外に心を開いたのは初めてと言える、京にとやかく言えな
ミリーや源さんにも総一郎は自身の過去を話し、それでも友達でいてくれるファミリー
騒動から一週間位が経ちいつも通りの日常に戻っていた。あの場にいなかったファ
││私の日常。││
171
は少なく、前期後期で一度ずつしかない。つまり﹁己を磨き、一度で決めろ﹂という理
由で前期後期一回ずつなのだろう、これを聞いた時総一郎を含め川神鉄心という人物を
知っている者はその言葉に納得してしまった。
試験が少なければ喜ぶものも多い。実際、範囲は多いが少しずつやっていけば平均点
以上は取れる、それは大和も言っていたが実践できるかと言えばそう簡単には行かな
い。
期末考査を明後日に控えた金曜日、金曜集会ではファミリー一同による勉強会││ガ
クトと一子が赤点を取らないために詰め込み作業を行っていた。
﹁じゃあワン子は俺と京が﹂
大和と京は一子担当。ガクトとその他は総一郎が担当となった。ファミリー内の学
﹁分かった、ガクトは俺が見る。モロも分からなかったら聞いてくれ﹂
力格付は大和がトップでその次が京、無難なモロ、百代、キャップは試験中に寝る、そ
してガクトと一子が同率で最下位だった。
何度読んだか分からない漫画を読み漁ってまるで他人事だった。キャップは進学する
勉強しないキャップとする気もなく教えてくれる奴がいない百代はソファで寝転び
﹁そうだなー﹂
﹁皆大変そうだなー﹂
──私の日常。──
172
気はなく、赤点をギリギリ取らないのでファミリー内では放置されている。
百代もいつもはそう言う立場だったが、総一郎がそれを許すわけもなく、百代が両手
で持っていた漫画が視界から消えていた。
﹁⋮⋮おい総一返せ、私はやることが無い﹂
﹁漫画がないなら勉強すればいいじゃない﹂
﹁⋮⋮いや、誰も教えてくれる奴いないし﹂
その時百代の前に出されたものはシャーペンと二年用の薄い問題集が十冊ほど、呆気
に取られていた百代が視線を総一郎に移すと総一郎は口角が異常に吊り上がった笑顔
で百代を見ていた。
﹁え、いや、私わからない││﹂
﹁大丈夫、俺が教える﹂
﹁教えるって││﹂
﹁俺、二年生の授業分かるから﹂
一歩引けば一歩詰め寄る、二歩引けば三歩詰め寄る。百代に逃げ場はなく、何故総一
﹂
郎が二年生の授業内容を知っているのか疑問を持つことすら考えなかった。
﹁⋮⋮なるほど﹂
﹁よし、二十分後に答え合わせ││はい、始め
!
173
﹁ちょ
﹂
﹂
に時間を割きたくなかったのだ。
今までできなかった、鍛錬はあれほど精をかけてやっていても好きなことではない勉強
強に集中力を裂いていることに。一子はどうしても勉強に集中力を転換させることが
け勉学に向けた。大和と京は感心していた、百代に勉強を指せている総一郎と一子が勉
渡された飴を荒々しい音を立てながら噛んで一子は姉に負けじと集中力をできるだ
﹁すごい光景だ。だからワン子も頑張るぞ、ほら飴だ﹂
﹁すごい光景だね﹂
﹁お姉さまが勉強してる⋮⋮﹂
となく百代は予想以上に勉強がはかどっていた。
するという好奇心を生み出すことは出来なくとも、分からないという苛立ちを覚えるこ
百代が問題集と格闘してから三十分程、総一郎の指導は思ったよりも的確で、勉強を
!
!
﹂
?
京が誰に発した言葉でもない、この場にいる者で事情を知っている者に聞いた。答え
﹁どうしたの
そんな二人の後ろでガクトが叫んだ、その隣で総一郎は膝を着いている。
﹁なんでだ⋮⋮﹂
﹁わかんねえよ
──私の日常。──
174
たのはモロだった。
それは只の噂であってな⋮⋮﹂
!
を逸らした。
﹁誰か否定しろよ
﹂
悲痛な叫びが部屋に鳴り響く
♦ ♦ ♦
月曜日、期末考査当日。
?
!
﹁ガクト、三十点以下だと赤点で補習を受けることになるって知ってるか
﹂
ガクトが狼狽して誰かに助けを求めるも大和、京、モロの三人はガクトの視線から目
﹁違げえよ
﹁ガクトが裏口入学って話││﹂
総一郎が言った。
﹁なあ、大和﹂
でいた。
集中している百代と一子は反応を示さなかったが大和と京は明らかにガクトを蔑ん
﹁えーと⋮⋮ガクトが馬鹿過ぎて総一郎が教えても分からないって言うんだ﹂
175
﹁当たり前だ
﹂
強は悲惨無残な結果になってしまった。
﹂
!
総一郎の隣の席でガクトは狼狽えていた。
!
﹁どうすればいいんだ総一⋮⋮
﹂
ているのか全く勉強をしていない、そのせいで総一郎の指導も甲斐なくガクトの試験勉
の学園に入って一番初めの試験、それまでに勉強をしていればいいが入ってから浮かれ
を手伝ったおかげでガクトはこの川神学園に入学できた。そして今回の期末考査はこ
決して裏口入学ではないが、ファミリー総出でガクト││ 一子もそうだが受験勉強
は大和、京、総一郎で下した結論だった。
百代と一子はなかなかの成果が期待できるだろうが、ガクトはそうもいかない。これ
結果だけ言えば悲惨である。
!
なんかいい案出してくれ、何でもするから
!
いい意味でも悪い意味でも総一郎は清々しい気持ちだった。
﹁補修があると女の子をナンパして水着姿を拝むことも出来ない
﹂
取って補習となれば夏に女の子をナンパする時間が無くなる、と本気で言う奴だ。
間だったはずだ。だが、そんなガクトはこの世に存在しない。きっとガクトは赤点を
恐らくネタではないだろう、この状況で冗談でも言えたならガクトは相当なできる人
﹁頼む⋮⋮
──私の日常。──
176
!
﹁お、いいぜ
﹂
見せてやる
﹂
!
﹂
!
﹂なんてキャップが言っているうちに鉛筆を貰った総一郎は席に戻った。
!
﹁困ったら転がせ﹂
思議だった。
鉛筆だけ渡されたらそういう反応をするだろう、しかも今まで見ていた行動自体不可
﹁なんだこれ﹂
そして隣にいるガクトへそれを渡した。
﹁ほんとか
﹁すごいすごい、天才だ。直ぐに使えるようになるかもね﹂
﹁どうだ
キャップは﹁うおおおおお﹂と言いながら鉛筆を折る覚悟で右手に意識を集中させた。
!
﹁キャップ、気の成果を見るからこの鉛筆を握って気を集中させてみろ﹂
た。そうして総一郎は右斜め後ろにいたキャップのところへ。
でかなり長い、鉛筆削りではなく何かの刃物で丁寧に削られたようでかなり尖ってい
筆箱から総一郎は﹁9H﹂と書かれた鉛筆を取り出した。一回も使われていないよう
!?
﹁しょうがない﹂
ほんとか
!
﹁ああ、待ってろ﹂
﹁⋮⋮
177
﹁て、てめえ﹂
﹁英語の時だけだ、それ以外は使うな。わかったな
﹂
一時限目の数学が終わり英語へと移る。ガクトは一問目から頭を悩ませてその時諦
時間だけだろう。
試験が始まり各々が敵に立ち向かう。川神学園全校生徒が共通の敵を持つのはこの
抗議の声を上げたいけれども総一郎の顔が何故か怖かった。
?
どうすればいいってんだ││鉛筆⋮⋮ええい 分からないならや
!
めかけていた。
︶
︵くっそう⋮⋮
るしかねえ
!
﹂
その週の終わり、金曜集会││そして試験最終日。
何の問題もないのだ。
でもなる、それはガクトも同じで仮に点数が取れたとしても鉛筆が優秀だったといえば
線を向けてすぐに戻す。たとえ横を向いたとしても音に反応したとでもいえばなんと
隣で小刻みに音が鳴ることに気が付いた総一郎はカンニングと疑われない程度に視
!
﹁試験終了を祝して乾杯
!
──私の日常。──
178
秘密基地で期末考査終了の宴会が行われている。学生生活で最も厳しい一週間が終
了すれば安堵して宴会も開きたくなる、テーブルにはジュースやお菓子、オードブルな
どが盛大に振る舞われている、金は勿論全員から徴収してある。
私も思ったよりできたわ﹂
?
﹂
?
﹂
?
﹁え
﹂
﹁赤点は免れているかもしれない﹂
﹁え
﹁⋮⋮大丈夫かもしれない﹂
た。
帰ってこない、総一郎以外の全員が普段からは想像できないガクトの姿に息を飲んでい
そんなガクトに恐る恐る聞いたのはモロだった。しかししばらくガクトから返事は
﹁⋮⋮ガクトはどうだったの
えばどこか意味ありげに腕を組んで目を閉じている。
それも意外だが、今回一番意外だったのは紛れもなくガクト。頭を抱えているかと思
ずだが今回ばかりは余裕があった。それには大和も同意している。
ファミリー内学力格付けワーストスリーの二人は何時もならば意気消沈しているは
﹁お姉さまも
﹁いやー今回はちょっと点数いいかもな﹂
179
!?
﹁え
ってなんだよ
﹂
!
﹂
!?
して、﹁川神式キックベース﹂とは。
で寝ているよりもスッキリすることだった。
クベース﹂に興じている最中だ。特に体を動かすことが好きなファミリーにとっては家
試験疲れを癒すためファミリー一同は秘密基地近くの原っぱでその名も﹁川神式キッ
﹁⋮⋮秘密﹂
一人総一郎は紙コップを片手にトッポを咥えていた。
﹁一体どんな手を使ったの総一
﹁まあ、わからんが。取りあえず月曜日が怖いのは確かだ﹂
ガクトは赤点確定││それが全員の予想だったからだ。
せていなかった。
正反対の答えに驚いたのは一子とモロ。それ以外の者も声には出さないが驚きを隠
!?
つまり総一郎、百代VSその他モロ以外の風間ファミリーである。
人。
そう不満げに呟いたのは仁王立ちで外野に一人立っている総一郎、内野には百代一
﹁こりゃ一体どういうこっちゃ﹂
──私の日常。──
180
﹁楽しくねえ
﹂
!
﹂
!
﹂
!
﹂
﹁行くぜ
?
﹂とガクトがボールを蹴る音が聞こえる、予想がつけ辛いが空気の音や発射
時の音でどうにか着弾地点を││
!
﹁え
﹁⋮⋮そう簡単にいかないぞー﹂
﹁お、ガクトか。モモちゃん任せろー﹂
﹁じゃあ俺様が一発かますぜ
珍しく総一郎が不満げな中モロの掛け声でプレイボール││
﹁なんで俺だけ⋮⋮﹂
﹁大和覚悟しとけよ
﹁勝てばみんなが奢ってくれるらしいからなー﹂
その勝利特典にある。
明らかに労力に差がある遊びに不満がないはずがない。しかし百代が乗り気なのは
一郎、百代ペアの勝利。
い、制限時間は一時間、五点取れればファミリーチームの勝利、一時間耐えきれれば総
ピッチャー無し、総一郎、百代ペアは目隠し、ファミリーチームは何時でも蹴ってよ
﹁まあ、そういうな﹂
181
﹁な
﹂
てすっぽりはまっていた。
を総一郎は本気で蹴ったのだ、そのボールは一塁に居た百代の右手に轟音を鳴り響かせ
ガクトのボールと弾丸ボールをキャッチして地面に落ちてしまった山なりのボール
であるのかが把握できた者は多いだろう。
そう呟いた言葉はきっと誰にも聞こえなかったが、その行動で今総一郎がどんな心境
﹁決めた﹂
らなかった。
ら送られるボールを待っている、総一郎は一人でこの無数のボールを対処しなければな
狙ったような弾丸ボールが不規則に外野へ襲い掛かってきた。百代は内野で総一郎か
ガクトの強力なシュートとは別にかなり緩い山なりボール、さらには総一郎自身を
﹁悪いが総一、勝たせてもらうぞ﹂
ならば大和が本気にならないわけがない。
総一郎に奢らなければならないという賭けがあるのだ。
れた。それは先程百代が言っていたように簡単にはいかないこと、この勝負には百代と
ガクトの蹴ったボールの着弾地点を予測した段階で総一郎は一つの失念に気付かさ
!?
﹁さーて、五つ星位で勘弁してやるよ﹂
──私の日常。──
182
頭に血管を浮き出させて清々しいほどにその表情は引き攣っていた。
♦ ♦ ♦
川神学園月曜日、試験の結果が現在廊下に張り出されていようとしていた。不安げに
見つめる者もいれば単純に確かめたいという好奇心で張り紙を待つものもいた。成績
優秀者五十位までしか張り出されないので一子やガクトモロなどはあまり関係のない
ことだったが、実力を確かめたい大和や大和の隣に名前が並びたい京は、無理やり連れ
てきた総一郎とともに廊下で梅子が手に持っている鞭で張り出されるのを待ち望んで
いた。
﹂
今から試験結果を張り出す、だがよく覚えおけ、ここでは
守ってほしいことがある。それは押さない、駆けない││正気を保つだ
﹁いいか皆の者、よく聞け
﹁えーと、俺は⋮⋮三十二位か、まあ妥当か﹂
そして試験結果が張り出される。
Sクラスから除名処分となる。その意味での正気を保つだった。
試験結果程度で、と思うかも知れないが、実際Sクラスの人間は五十位以下になると
!
!
183
﹁私は四十位だね、もうちょっと頑張ればよかった﹂
Fクラスの人間が五十位の中に入っていること自体がすごいともいえる。集団の中
やはりわが友トーマにはまだ勝てんな
﹂
にはどうやら正気を保てずに倒れ込んでいる者もいた。そんな中一際目立つものが三
人ほどいる。
﹁フハハハハハ
!
?
あっても間近で声を聞くのは初めてといえた。
どこかで聞いた名じゃのう﹂
﹂
り選民的な所があるので他クラスとの交流があまり盛んではない、遠目に見ることは
どこかの奴そう呟いたのが聞こえた。入ってまだ三カ月ほど、しかもSクラスはかな
川家の不死川心か﹂
﹁あれが九鬼財閥の長男、九鬼英雄。葵紋病院の跡取り息子、葵冬馬。日本三大名家不死
みえる少女。
額にバッテンの傷がある金色の男、褐色でメガネのイケメン、着物を着た傲慢知己に
﹁いきなりSクラス落ちとはなさけないのう、ほほほほ﹂
﹁ふふ、英雄もさすがですよ﹂
!
この三位の者は誰だ、Sクラスにこんな人物がいたか
﹁塚原
?
﹁ああ、私と同じエレガント・チンクエの一人である塚原総一郎君ですね││ほらそこに
?
﹁む
──私の日常。──
184
いますよ﹂
﹂
冬馬の言葉で生徒の視線が総一郎に集中した。
﹁え、俺三位
﹂
そんな間抜けなことを言っているとその三人が総一郎の前に現れる。
!?
勿論、当の本人は顔を真っ赤にして総一郎に掴みかかっている。
している。
に肩を揺らしていた。冬馬はただ笑みを浮かべるだけだったが英雄は豪快に笑い飛ば
どこかで誰かが吹きだす音が聞こえる、後ろにいた大和も背を総一郎に向けて小刻み
﹁どうも不死川││いや、ここちゃん﹂
﹁どこかで聞いた名前だと思ったら、なんじゃ塚原君か﹂
た。その前に心が口を挟んだからだ。
そこで総一郎は右手を差し出して握手を求めたが英雄はそれを返そうとはしなかっ
﹁ああ、京都の塚原家嫡男、塚原総一郎だ。よろしく﹂
ろう、と勝手に総一郎は納得した。
そこまでの不快に思うことは無かった。俗に言われている九鬼家の王属性と言う奴だ
如何にもな態度で英雄は総一郎に名を訪ねている、しかしその隣にいる心とは違って
﹁お前が塚原か
?
185
顔が赤い﹂
﹁どうしたここちゃん
?
は軽々と着地して改めて英雄の前に右手を差し出した。
!
﹁こっちも挨拶が遅れた、よろしくな九鬼﹂
そこでようやく英雄と総一郎は握手を交わした。
﹁他人行儀なのはよせ、我のことは英雄と呼ぶがいい
!
妬いてしまいます﹂
?
がないエレガント・チンクエのキャップや源さんは冬馬と会合することが余りない、二
冬馬が総一郎の前に立つ周囲の女子が歓声を上げて急に色めきだした。勉学に興味
﹁おやおや、私とはよろしくしてくれないのですか
﹂
いたということが少しだけ嬉しいと思う総一郎だった。
村雨が九鬼と関わりがあった程度のことしか本当は知らないが師が人の役に立って
!
﹁生前は師匠の雲林院村雨がお世話になったそうで﹂
村雨殿の弟子であったか 挨拶が遅れたな、我は九鬼英雄
?
になったのは九鬼の方よ﹂
﹁何
村雨殿に世話
耐え切れなくなった心はそのまま総一郎を放り投げて走り去る。投げられた総一郎
﹁にょ、にょわーーーー﹂
﹁えーだって昔ここちゃんって呼べって言ったのはそっちだろ﹂
﹂
﹁お、お主、止めぬか
!
──私の日常。──
186
年の京極彦一は学年が違うため居る筈もない。冬馬とエレガント・チンクエの一人が会
合するのは初めてのことだった。
褐色メガネの甘いマスクと少し女っぽいワカメのような癖っ毛爽やか系。
そして冬馬はバイだった。
﹂
!
﹁チョコマシュが困ってるのだ│﹂
﹁おーい若、それぐらいにしとけー﹂
増していた。特に京。
総一郎の耳には一切入ってこないが周囲の生暖かい歓声と渇望のまなざしは勢いを
たりして││ち、近い
な、ここちゃんは││とうちゃんは勘弁してくれ⋮⋮不死川とは家同士の繋がりがあっ
﹁い、いや、英雄とは間接的に││間接キスじゃない⋮⋮師匠が九鬼に関わりがあってだ
り追い詰められ、接近している顔を見ないように目を逸らして両手で壁を作っていた。
づいて行っている。どうにか逃げようと後退する総一郎だったが後ろに運悪く壁があ
酷いですね││と言っているのに表情は妖美な笑みを浮かべて少しずつ総一郎に近
うですし﹂
﹁酷いですね、英雄とは積極的に関わろうとしているのに。不死川さんとも何かあるよ
﹁それ以上近づくんじゃあない、冬馬﹂
187
総一郎にとって天からの救いとも言える手を差し伸べたのは髪が白く肌も白い少女
とハゲだった。
二人が現れたことで冬馬はようやく総一郎から離れて二人の元へ歩いて行った。ど
﹁おや、準にユキ﹂
うやら二人が来るまでの遊びだったようだ、半分ほど。
﹁た、助かったぞ。ユキにハゲ⋮⋮﹂
﹁お前絶対感謝してないだろ﹂
ハゲの名前は井上準、冬馬の幼馴染で父親が葵紋病院の副院長をしている。ユキと呼
﹁お礼にマシュマロを寄越すのだー﹂
﹂
﹂
﹁ぼちぼちでんなー﹂とら
ばれる少女は榊原小雪、かなり天然だがそれが愛嬌とも言える。
﹁あれ、総一は三人と知り合いだったのか
﹁ああ、少し前にな⋮⋮﹂
小雪は大和に﹁大和、あげるー﹂と言い、京とも﹁どう
あったらしい。
しい会話をしている。後から聞いた話によればどうやら一時期一緒に遊んでいた時が
?
?
﹁変な言い方をするんじゃない
﹂
﹁ええ、少し前にあんなことやこんなことがありましたね﹂
──私の日常。──
188
!
いつもはもっとまったりとしている総一郎がここまで動揺している姿も珍しい︵怒り
狂った姿は見たことがあるが︶少しからかってやろうかと思った大和だったが、先日の
川神式キックベースで迎えた恐ろしい結末を思い出して言葉が喉から出る寸前でどう
にか止めることができた。
トーマよそれぐらいにしておけ、もうすぐ授業が始まるぞ﹂
!
﹂
!
﹂
?
押しに圧され、駆け足で物事は去り、総一郎に正気は残っていなかった。
﹁マシュマロはー
﹁じゃあな総一、正気を保て﹂
﹁ではな総一郎
﹁それもそうですね。では総一郎君、デート楽しみにしています﹂
﹁フハハハハ
怒涛の攻撃に総一郎はここにいる誰よりも意気消沈していた。
﹁もう⋮⋮やめてくれ⋮⋮﹂
﹁私は総一郎君が欲しいです﹂
﹁そしたらチョコマシュマロをくれたのだー﹂
﹁エレガント・チンクエが決まった時に若と俺とユキで会いに行ったんだ﹂
189
﹂
││私の寄り道。││
﹁赤点回避よ
﹁ちげーよ
﹂
?
﹁総一
何とか言ってくれ
!
﹂
一斉に浴びたガクトが助けを求める人物は一人しかいなかった。
慌てて否定したところでその様子は動揺しているようにしか見えない、怪訝な視線を
!!
﹂
ここにいる殆どの者が思ったことを大和は代弁する。
聞けば英語以外が全て三十点││英語は六十点だった。
前回の金曜集会で言ったことはてっきり法螺を吹いたと思っていたのが殆どだろう。
一同驚愕。
﹁俺様も赤点回避だぜ﹂
点回避に大和と京は一安心、頑張った褒美にローストビーフを食べさせていた。
成績発表後の秘密基地、金曜日ではないがファミリーは全員集合していた。一子の赤
﹁私もだ﹂
!
﹁カンニングしたのか
──私の寄り道。──
190
!
﹁⋮⋮ガクトは頑張った、それだけだ﹂
﹂
?
俺はただ総一から││﹂
!
﹂
?
鉛筆││﹂
?
気になるぞ
!
!
ムを削って││﹂
﹁なんだそれ
﹂
﹁そうだキャップ、圧縮式点火って知ってるか 普通は摩擦熱や火打石でマグネシウ
﹁もしかしてあれか
そこでキャップは何かを思い出したかのように﹁あ﹂と呟いた。
﹁なんもしてない﹂
﹁一体何したんだ、総一
とに気が付いたのか、小さな声で﹁⋮⋮お、おう﹂と呟いて大人しくなってしまった。
幾ら頭の悪いガクトでも自分が総一郎にとって害を生す発言をしようとしているこ
﹁おっと、ガクト悪い﹂
ガクトの頭頂部を掠めるように総一郎の刀が飛んでくる。
﹁そうだ
﹁ああ、カンニングはしていない﹂
だがそれと同じ位ガクトが英語で六十点取ることは空前絶後なのだ。
ガ ク ト の カ ン ニ ン グ を 総 一 郎 が 否 定 す れ ば フ ァ ミ リ ー に と っ て そ れ は 真 実 で あ る。
﹁本当にカンニングじゃないの
191
?
今話そうとしたことなんて忘れたかのようにキャップは総一郎の話にのめり込んで
行った。大和も驚くほどに話が逸れてガクトのカンニング疑惑は薄れて行った。
次の日、川神学園は期末考査が終わったせいか気が完全に抜けた状態になっており、
特にF組の生徒達からは勉学に励む心意気は全く感じられなかった。
一子やガクトなどは顕著にそれが現れていて、事前に一子は大和から注意を受けてい
たが放置されていたガクトは梅子からお仕置きをされるのだった。
そんな日の昼休み││
校内放送で名前を呼ばれたのはF組で最も優秀な男だった。
﹁一年F組、塚原総一郎は至急学長室へくるように﹂
﹁大丈夫じゃない
総一だし﹂
く集会で話したガクトの話だろうか、軍師である大和は聞くか聞かないか迷っていた。
のように飄々としている姿を見た大和は何か対策を持っているかのように思う。恐ら
口籠る総一、明らかに心当たりがあるように見えるが、鉄心に呼び出されてもいつも
﹁⋮⋮いやー﹂
﹁なにしたのさ総一﹂
──私の寄り道。──
192
?
﹂
京にも信頼を置かれている総一郎。大和は一つだけ言葉を掛けることにした。
﹁吐けば楽になる﹂
﹁お前軍師じゃなかった
る。子の扉は在って無いようなものだ。
総一郎はなぜここに呼ばれたのか
ここ当たりがないことは無い。
﹁失礼します﹂
﹁おお、きたか﹂
鉄心とルーは顔を合わせて溜息をつく、そして引き出しから出されたものをルーが総
見当がある、と言わんばかりの言い草だ。
﹁さあ、見当もつきません﹂
驚きはしないがそこには鉄心以外にもルーが待ち構えていた。
?
?
﹁総一郎、なんで呼ばれたか分かるかイ
﹂
争う実力者の一人、悪意ある物がこの学園に入っただけでその人物はすでに終わってい
材を使っているようにも見えない。それもそう、この先にいる人物は世界でも一、二を
目の前に聳え立つはそこそこ大き目な両開きの扉。鉄製でもなくただの木製、良い素
?
193
一郎に渡す。
﹁それが何かわかるかイ
隙もない。
﹂
?
きない。そもそもそんな運用法は気にはない。
少なくとも鉄心やルーにはできる芸当ではない。気の使い方が優れている百代でもで
それもその通り、鉛筆に気を纏わせたところでテストの点数が良くなるはずがない。
﹁鉛筆に気を纏わせてはいけないんですか
﹂
われれば﹁ガクトは力が強いので力んだ時に折ってしまうかもしれない﹂と弁明すれば
一見疑わしい様に見えて言い分は最もと言える。気を纏う必要は無かろう││と言
ても折れないように強化しました﹂
﹁ええ、ガクトが困っていたので迷ったら転がすように貸し出しました、その時に落とし
﹁その鉛筆にはお主の気が纏われているな﹂
﹁9Hの鉛筆です、僕がガクトに渡した物ですね﹂
?
というのに総一郎の体には重りが着けられたような感覚が纏わりつき、鉄心が言葉を発
閉じているように見える鉄心の瞳が総一郎の姿を捉えている。見られているだけだ
﹁どうしますか総代﹂
﹁うーむ⋮⋮﹂
──私の寄り道。──
194
するまでそれは続いていた。
﹂
?
状況証拠を黙っててやるから教えろ、そして奢れ﹂
?
﹁サービスしてやるにゃん。だからあんみつもつけてにゃん﹂
﹁⋮⋮なんすか﹂
体を目一杯背中に押し付けてきたのだ。
たのはいいが、百代は思わぬ形で総一郎へアクションを起こした。
付きまとわれてしまえば引き時を見極めて言いたいことを言ってやる、そう思ってい
﹁嘘です﹂
﹁良し分かった﹂
﹁ぎょえー、この鬼、おっぱいお化けー﹂
﹁一体あの鉛筆に何をしたんだ
俺を待っていたのか││総一郎は顔を歪ませて精一杯猫背になった。
一礼して学長室を出た先には何故か百代が壁にもたれかかっていた。
ろがなかったのか鉄心は間を置いてこれ以上の追及を諦めた。
意図した即答だったことに鉄心も気が付いていたが、総一郎の隙を突けるようなとこ
﹁⋮⋮そうか、呼び出してすまんかったな﹂
﹁はい﹂
﹁総一郎、この鉛筆は何の変哲もない鉛筆か
195
時が経てば経つほど上乗せされていくカルマへの代償に総一郎は己の行いを初めて
後悔した。
﹂
﹁まあ、簡易的な神聖物とでも思ってください﹂
かく言う総一郎も今は百代と共にこの店であんみつを食べている。
多い。
に比べれば高いが、学生が手を出せるぐらいの値段なので学校帰りに寄っていく生徒も
で、川神院に参拝する客が良くこの店に来るらしく評判も良い。ファミレスのデザート
川神通りの和菓子屋、総一郎と同じ学年の小笠原と言う女子の両親がやっている店
﹁気の刷り込み
?
﹁不思議な気を放つ刀とか見たことないすか﹂
総一郎の抹茶あんみつを頻りにつまみ食いをしている。
それに何故か百代はテーブル席だというのに総一郎の向かい側ではなく、隣に座って
一郎に突き刺さって総一郎は非常に迷惑していた。
百代が男子と共にあんみつを食べているのが珍しいのか、周りの女子からの視線が総
﹁意味が分からん﹂
──私の寄り道。──
196
﹁⋮⋮ああ、そういえば前に川神院に来た剣聖が持っていたあれはそんな感じだったか﹂
流石の百代もその結末に驚いたのか口に運んでいた白玉をそのまま戻している。驚
﹁キャップの気を刷り込ませた﹂
百代は上機嫌に抹茶あんみつを口に運んでいる。
﹁結末を言うにゃん﹂
﹁⋮⋮刷り込ませたのは俺の気じゃない、俺の気は纏わせただけっす﹂
﹁で、どうなんだ、どんな仕掛けなんだ﹂
﹁おいおい﹂
自分が抹茶を頼めばいいということに気が付いたからだ。
て何度も挑戦する百代だったが鉄壁のスプーンに阻まれて諦めてしまう。
百代は総一郎の白玉を取ろうとしたが総一郎がスプーンでそれを弾いた、意地になっ
やルー先生が気付く、私も気付くぞ﹂
﹁だが、それで点数が高くなることはないだろう。もしそんな仕掛けがあるならジジイ
矛盾点に気が付いた。
話が理解できたのか百代は五度ほど頷いた││が、そこで総一郎が言っていたことの
刀はそれ自体が気を纏う、それを一時的に鉛筆に施したんです﹂
﹁大成さんの刀はまさにそれです。時を経て名だたる剣豪が気を纏わせて振りに振った
197
いた理由は幾つかある。
それは黒に限りなく近いグレーな行為だ、殆どルール違反だ。だが、それは百代に
どちらかと言うと疑問ありきの驚き。
とって些細な驚きでしかない。真面目そうで不真面目な海水に靡くワカメのような男
がそんなことをするのか
?
いる気を俺が鉛筆に刷り込んだだけです﹂
﹁⋮⋮だが、キャップは気を持ち始めたのか
﹂
﹁ああ、別にあいつが気を使えるようになったとかじゃないですよ。キャップが持って
習得しようとして一ヶ月ほどしか経っていない。
能がいる、百代ですら気を習得するのに五年はかかった。しかし、キャップはまだ気を
それ以上に驚いたのは﹁キャップの気﹂についてだ。気を習得するには長い年月と才
?
た。
その後さらに口止め料として一週間ほど食べ物を奢らされてしまった総一郎であっ
習得しているところを想像した二人は思わず笑ってしまった。
破天荒な男││それがファミリーの風間翔一に対する認識だった。キャップが気を
プは﹂
﹁まあ⋮⋮そうなりますね。伸びしろはあんまりないですけど、結構いけるかもキャッ
──私の寄り道。──
198
♦ ♦ ♦
夏休みまであと一週間程、期末考査が終わってしまえば夏休みまで川神学園では大き
な行事はない。
あるクラスではナンパをする計画やどこに旅行に行こうか、と言う話もあれば。
あるクラスでは夏休みをどう優雅に過ごすかの自慢話が繰り広げられていた。
﹂
﹂
言わずとも分かるが、前者がF組で後者がS組である。
俺達の夏が待ってるぞ
貯めに貯めたこの資金を今解き放つ時が来た
﹁ああ、ヨンパチ
﹁ああ
!
!
?
んだりしている。
﹁総一郎は夏どうするんだ
﹂
男子や女子。窓際にいる大和、京、総一郎、源さんなどは静かに弁当を食ったり本を読
F組はいつものような喧騒に包まれている。喧騒と言っても騒いでいるのは一部の
﹁く、そうだっだ。ありがとうよモロ、危ないところだったぜ﹂
﹁いや、解き放つのはまだ早いよ﹂
!
!
199
﹂
空気にあてられた大和が総一郎に聞く。
﹁大和は夏、京とどうなるの
﹂
もう、大和ったら///﹂
交際、婚約、結婚、初夜、懐妊、出産、二人目、三人目、四人目、五人目、六
﹂
﹁大和、盛ってるなあ﹂
﹁あ、交際したらすぐにヤりたい
﹁お、落ち着け
人目││百人でも
﹁勿論
そんな言葉にあてられた少女は言う。
﹁あ、おい││﹂
?
気が付いたら総一郎はS組の前まで来てしまっていた。
まったのだろう。
た。総 一 郎 を 追 っ て こ な い 大 和 を 察 す る に 京 が 大 和 を 追 い か け て ど こ か に 行 っ て し
当然大和の抗議が総一郎を襲うが大和の攻撃が始まる前に総一郎は教室を飛び出し
ションを築いていた。
顔を赤らめ、笑い飛ばす二人は既にコンタクト無しでアドリブをかませるコンビネー
?
!!
!
!
そこに聳え立つ金色の男はいつも通りの英雄││とメイドだった。
﹁おお、総一ではないか﹂
──私の寄り道。──
200
自己紹介せよ
﹂
!
﹁やあ、英雄⋮⋮そっちは﹂
そうであったな、総一郎は初めてであったか。あずみ
!
☆﹂
﹂
☆ 私、九鬼従者部隊序列一位の忍足あずみと申します ☆ 主な仕事
☆﹂
あずみ、これからも我に尽くしてくれ
﹁きゃるーん☆ 勿論です英雄様
﹁フハハハハ
は英雄様の専属として尽くすことです
﹁はい、英雄様
修羅場を抜けてきた者だろう││と思っていた矢先。
一見メイド、しかしその瞳の先にある奥深さが彼女の強さを物語っている。かなりの
﹁ん
?
!
見てくる、好きに話せ
﹂
総一郎は視線をメイドに移すとその変貌に驚いた││と言うか安心した。
気味悪さなのかそれとも威厳なのかは分からない。
高笑いを上げて英雄はF組教室へ進んで行った。廊下の真ん中を譲る人がいるのは
!
!
﹁お気遣いありがとうございます英雄様
☆﹂
﹁あずみ、総一郎は村雨殿の高弟であるそうだ。何か積もる話でもあろう、我は一子殿を
まった。
らが行ったプロファイリングがとんでもない大宇宙ボールだったのかと錯覚してし
なんだこれ││口に出さなかったのが総一郎に残された唯一の思考回路だった。自
!
!
!
!
!
201
﹁誰が年増じゃボケェ、殺すぞ
﹁お前武神に勝ったんだろ
戦闘用らしい。
﹂
それなら村雨さんの弟子って分かるが││﹂
聞こえてあずみはクナイをメイド服のどこかにしまった。どうやら九鬼のメイド服は
クナイを首元に押し付けられた総一郎は両手を前に出して無実を訴える。舌打ちが
﹁いや、言ってない、思ってないです﹂
?
﹁││見えねえなあ﹂
﹂
擦っている。あずみは記憶にある厳格な剣客を思い出して総一郎と被せてみる。
髪はワカメのようで表情からは威厳を感じない、刀の扱いもおざなりで時折地面を
あずみは横目で総一郎の成りを見た。
?
﹂
?
考えたわけでもなく何故かそんなことを口にしていた。口にして考えてみると師匠
﹁師匠は何か俺のこと言ってました
が、それを恥だとは思わない、逆に誇るべきことを学んだと総一郎は思っている。
それもそう。総一郎は村雨から学んだことなど殆どない、ほんの二、三個程度だ。だ
?
﹁ですよねえ﹂
自覚あんのか
?
﹁ええ、まあ﹂
﹁あん
──私の寄り道。──
202
が自分のことをどう周りに言っていたのかなんて知らないことに気が付く。
いい機会だ││と総一郎はそのままあずみの答えを聞くことにした。
た。
とき、彼は少し悲しげだった。反抗期││から読み取るに少し荒れているとも感じてい
そんな総一郎を見てあずみは彼の人物像を変化させた。村雨が総一郎について話す
初対面の女性に話すことではなかった。
立て続けに出来事が起こってファミリーにも全てを話したせいなのか、こんなことを
普段はそんな殊勝なことは言わない。
めて知りましたし、九鬼で何をしていたか何て知らないです﹂
﹁⋮⋮いや、俺師匠のこと何にも知らないので。九鬼との繋がりがあったのも葬式で初
﹁なんだ、どうした﹂
こんな言葉しか出てこない、あずみが不審に思う要素はそれだけで十分だった。
﹁そうすか﹂
嬉しいのと同時に悲しみや後悔、憎しみが総一郎の心を抉っていく。
重く鋭い物が総一郎の胸を貫いた気がした。
てたな﹂
﹁⋮⋮反抗期の息子みたいだ││なんて言ってたな、あんときはヒュームにからかわれ
203
だが、今ここにいる彼はそんな村雨と同じような雰囲気で自分の師匠を語っている。
まるで自分の弟子を語る村雨のように。
﹂
﹁なら九鬼にいる奴に聞けばいい﹂
﹁え
﹁いいんですか
﹂
スカウトしていたしな﹂
﹁九鬼の若手は殆ど村雨のことを知ってる。従者零位のヒュームなんかは村雨をずっと
?
?
彼女が駆けだした先には英雄がいた。
あずみは鼻を鳴らして﹁この話は終わりだ﹂と合図した。
文句は言わねえだろうよ﹂
﹁⋮⋮ああ、英雄様もお前を気に入っているみたいだしな。村雨さんの弟子ならだれも
──私の寄り道。──
204
﹂
││私の有意義。││
﹁大和今日暇か
あー予定はない﹂
?
﹂
?
﹂
!!
わにするのだった。
気が付いた大和は鞄を持って急ぎ足で総一郎の元へ駆け寄り、廊下に出て抗議の声を露
大声で教室に残っていた数人の生徒がその声の主に向かって視線を向けた。失態に
﹁おーーーい
しかし、そこで大和は気が付くのだ。
ところだった。
そうして総一郎は帰り支度をしている大和を待たず、教室を出ようと扉に手を掛けた
﹁そうか﹂
﹁んーいいや、かえって勉強する﹂
﹁九鬼家にお邪魔することになったんだけどお前もどうだ
は家にいるつもりだったので総一郎の言葉を軽く聞き流している。
放課後、総一郎は帰り支度をしている大和に声を掛けていた。大和は勉強のため今日
﹁ん
?
205
﹂
﹁そういう大事な話をまるで﹁今日の晩飯何がいい ﹂のように軽々しく言うな
く俺の人脈構成というポリシーが崩壊するところだったぞ
危う
!
輩
﹂
﹁えーでもー人の話を聞き流している人が悪いと思いまーす、そう思いませんか川神先
!
?
葵はそれ以上近づくな
!
一番だぞ﹂
ここぞとばかりに攻め込むな
!
偶々通りかかった三人組に大和は怒涛の攻めを受ける。
!
向かうのであった。
一息ついて総一郎は適当な説明を大和にして九鬼極東本部へ大和と百代を引き連れ
﹁残念です、また楽しいことをしましょう﹂と言い三人組はその場を去って行く。
﹁ええい
﹂
﹁こら、見ちゃいけません⋮⋮大和、年上の霊を除霊するには我がロリコニアに来るのが
﹁あー大和、僕にマシュマロくれないのに一人だけマシュマロ背中にくっつけてるー﹂
に当たっていると認識したときだった。
気配に気が付いていたが、大和それに気が付いたのは暴力的なマシュマロが自分の背中
と、気が付いた時には百代が大和の背中に張り付いていた。もちろん総一郎は百代の
﹁ああ、実に不誠実な奴だ。罰として私に何か奢るにゃん♥﹂
?
﹁おやおや大和君。私も大和君の下半身に体を擦りつけたいです﹂
──私の有意義。──
206
人の暗器使いは黒髪でアジア系の顔立ち、鋭い闘気を纏っているのと暗器を使うことか
重火器を装備している方は金髪で柄が悪く、風貌からして某国を連想させる。もう一
い服の下に複数の暗器を所持していた。
三人の前に現れたのはメイド││だが、一人は重火器を装備、一人は冷たい闘気を纏
││顔が強張っていた理由は少し違っていたようだ。
﹁これ以上先へ進むと武力で対処させてもらいます﹂
﹁なんだお前達、ここは私有地だお子様は帰れ﹂
た。
ことが殆どない。だからなのか大和よりもその大きさに驚愕して少し顔が強張ってい
来たことは無かった。勿論、総一郎もここへ来たことは無い、そもそも関東へ出てきた
百代は訳あって何度かここへ訪れたことがあるが、大和は川神に住んでいてもここへ
言われている。
最大の企業である。日本にある物、スプーンから宇宙船まで九鬼財閥が関係していると
世界最大規模の財閥﹁九鬼財閥﹂の日本本社、英雄の父が経営しあずみが仕える日本
総一郎と大和は口を揃えた。
﹁﹁でかい﹂﹂
207
ら元々そういう稼業だった││と、総一郎は観察していた。
﹂
そんな冷静な総一郎に大和は小声で話しかけてきた。
﹁どうなってんだ、話はついてるんだろう
﹂
﹁いや、あずみさんにいつでも来いって今日言われたばっかりで何もアポは取ってない﹂
!?
それは本人にとっても意図したものではなく体に染みついた本能だった。
のメイド二人が自分のことに気が付くだろう││なんて考える暇もなかった。
ていつでも銃弾を弾けるように体勢を整える。そのうち九鬼の誰かが来る、もしくはこ
銃口を向けられた││ただそれだけで殺意など全くなかった。百代もそれを理解し
﹁ステイシー、まだ彼らは何もしていません﹂
﹁おい、あんまりヒソヒソしてるとぶっ殺すぞ﹂
口を向けてくる。
そんな二人を見て鬱陶しくなったのか金髪のメイドは﹁ファック﹂と呟いて三人に銃
﹁おい
!
いや、総一郎の口から出たものだった││総一郎は銃口を向けられたことに反応して
大和だったかもしれない。
一体誰の呟きだっただろうか。金髪のメイドか元暗殺者のメイドか、百代かそれとも
﹁⋮⋮なっ││﹂
──私の有意義。──
208
そのマシンガンを微塵切りにしてしまった││
刀を抜いた、攻撃した、九鬼家領内に足を踏み入れてしまった││つまり戦争。
﹁はっはっはっは、やるな総一﹂
そう百代は笑って呟くのだった。
総一郎はこれからどうするべきか考えたところで自分が従者たちに囲まれているこ
とに気が付いた。
ふと、後ろを見てみれば大和と百代の姿は無い。恐らく百代が大和を連れてどこかに
隠れたのだろう、押し付けられた形であるが自業自得とも言える││いや、そんなこと
はない。反射的に動いたが先に銃口を向けた方が悪い。そんなことを考えながら問答
無用に攻撃を仕掛けてくる九鬼従者部隊の攻撃を刀も使わずに避け続けていた。
﹂
!
闘気が完全に隠され、流石に三桁をを超える実力者の中で彼女を見つけ出すのはかな
撃の機会を窺っていた。
連携された攻撃のなか、元暗殺者のメイドはこちらの隙を伺いながら人ごみに紛れて攻
なっている。総一郎の実力を目の当たりにして確実な危機感を覚えたようだ。そして
力 の 差 を 実 感 し た 金 髪 の メ イ ド は 先 程 の よ う に や る 気 な く 振 る 舞 う こ と は し な く
﹁いいか、一人ずついっても意味が無い 五人一組による一斉攻撃と時間差攻撃だ
!
209
り疲れる作業だった。しかし疲れるだけ、直ぐにでも捉えることはできる。
そんな時だった、総一郎は刀を抜かず鞘に入ったままの得物を振り周りにいた従者た
ちを突如蹴散らした。
革靴の音が正面から聞こえてきた。正面には九鬼家極東本部の正面玄関、革靴の音だ
けではない、それと共に凄まじい気がこちらへと向かってきていた。
百代のように撒き散らすような気ではない、動の気に違いはないがそれはどちらかと
言うと﹁滲み出ている﹂ようだった。
それも相当に洗練された﹁動﹂││総一郎よりもその先に到達している気である。無
我の境地や天衣無縫の一段階上、それを滲ませているだけでここまで感じさせているこ
とが総一郎をここまで戦闘態勢に引き上げる要因だった。
自分の現在到達してる高みとこの気の持ち主が﹁力を出した﹂という状態が同等であ
る││と総一郎は認識した。
そしてそれは向こうも同じだった││正面玄関の自動ドアが開く││
れだけ。
総一郎が認識したのは金髪の老人が自分に向かって最強の蹴りを放っている││そ
﹁⋮⋮﹂
﹁││ジェノサイド││﹂
──私の有意義。──
210
﹁チェーンソー﹂
﹁安心しろ。あの小僧は無事だ。俺の蹴りを利用して遥か彼方へ飛んで行っただけだ﹂
あったが、金髪の老人は笑ったと同時に気を収めてしまう。
金 髪 の 老 人 は そ ん な 百 代 を 鼻 で 笑 っ た。百 代 に と っ て は 不 愉 快 極 ま り な い も の で
は、それに気が変換されているとみえる﹂
﹁ああ、鉄心とは古い知り合いだ。それにしても戦闘衝動がそこまで抑えられていると
﹁お前は確か爺の知り合い⋮⋮川神院にも何度か来ていたな﹂
﹁成長したようだな、百代﹂
百代││その闘気は﹁獣﹂ではなく、確実な﹁動﹂であった。
れていた。
その言葉は金髪の老人に向けられたもので、闘志をむき出しにしている人物から放た
﹁おい﹂
それは恐ろしさなのか、それとも尊敬の眼差しなのか。
総一郎が星となり、辺りは言葉を失っていた。
人が認識できぬ間に総一郎は遥か彼方へと飛んで行った。
﹁││﹂
211
と、金髪の老人は踵を返した││が、それを百代が許すはずもない。
いきなり襲い掛かることはしないが、金髪の老人の間合いに恐れることなく踏み込ん
でいた。もっと言えば百代は金髪の老人の目の前で対峙している。
﹂
﹁悪いのはそっちだ、九鬼を代表して総一郎に謝れ﹂
﹁おい
変なこと言う││﹂
に銃口を向けてきたんだ﹂
﹁総一郎はあずみに﹁いつでも来い﹂と言われてきた。だが、そこの金髪メイドがこっち
この二人がここまで近づいてしまえばそれは﹁一触即発﹂と言うのが正しいだろう。
らすれば百代は総一郎に負けたとしても最強と認識されている。
拍子抜け││と言えばそうにもなる。従者からすればこの男は特別で最強。大和か
﹁⋮⋮なんだと
?
?
特に大和にとっては死地に迷い込んだウサギであろう。
挑発的な二人の会話が周辺の空気を重くさせる。
﹁知らん﹂
﹂
だが、そんな理由で頭を下げる男ではない。
金髪の老人が睨みを効かせてメイドは口を閉じた。
!
﹁要件はなんだ
──私の有意義。──
212
﹁⋮⋮九鬼にそちらが攻撃したのも事実だ、ここは九鬼家の敷地内だぞ
り前だ﹂
防衛は当た
?
る際、その蹴りに足の裏を合わせジャンプ台としてそれを受けた。あの場で防御してい
飛ばされたわけではない、確実に飛び上がっている。総一郎はヒュームの蹴りを受け
総一郎は空高く飛び上がっている。
♦ ♦ ♦
その顔はこの世界で誰よりも好戦的であった。
﹁ヒューム・ヘルシング﹂
そう聞くのは百代、金髪の老人は一度立ち止まって言う。
﹁名前はなんだ﹂
抗議する百代を除け、金髪の老人は歩みを進めた。
││俺とてあの男の弟子に興味がある﹂
﹁が、こちらの不手際があったかもしれん。対処は後日行う、またあの小僧を連れて来い
﹁ふざけるな、私たちは││﹂
213
れ ば そ の 箇 所 が 破 壊 さ れ て い た こ と は 明 ら か、な ら ば 威 力 を 無 力 に す る 他 な い。と、
言っても軌道が低ければ建物に当たって被害が出るしジャストミートで受けてしまえ
ば一体どこまで飛んでいくかもわからない。なので総一郎は出来るだけ垂直に飛び上
どう受け身を取るのか
がるよう調整するしかなかった、それがこの長い滞空時間を過ごす原因である。
しかし、いつかは落ちる。そうなればどこに落ちるのか
金髪の老人にいつか復讐してやると誓うのだった。
﹁よっと﹂
?
総一郎が見渡す限り住宅街とは言えない。空気が悪く、有害な煙が排出されている工
面は抉れていた。
となっている。遥か一万メートルからの落下を止める代償に相応しい程に広範囲で地
その斬撃を受けた地面は無数の刀傷と膨大な気による陥没により見るも無残なもの
だが、軽々しく﹁よっと﹂で片付くようなものでもない。
│風圧と気で着地する前に落下のスピードを消していた。
地上との距離がおよそ十メートルまで近づいてきた時、総一郎は刀を抜いて一振り│
?
場があるため、川神市の外れにある工場地帯と推測できる。これが住宅街であれば大惨
事になっていたかもしれない。
﹁まあ、全部九鬼のせいにしよう﹂
──私の有意義。──
214
215
そんな独り言を呟き総一郎は刀を収めた。
しかし、総一郎は平然を装っていたが非常に難儀な状態にある。ここらの地理が把握
できていないからだ。川神で治安が悪い﹁親不孝通り﹂には出入りしたことは何度か
あってもその先││この工場地帯に足を踏み入れたことは無かった。大和に﹁あそこに
はできるだけ近づかない方がいい﹂と、念を押されていたことも一因だが、それ以上に
嫌いな雰囲気だったので近づきたくなかった。
携帯電話を開いてみるが、何故か壊れている。理由は単純明快だったが、それを気に
しても仕方がないということに総一郎は気が付いている。
兎にも角にもここの住人を探して道を聞きだすことが先決だった。
歩けば家がある、そこに人がいる││そう思って総一郎は通常よりも少し早く歩いて
いた。だが、住民が見つからない。
いくつか家を見つけたが、その中には誰もいない、もしくは居留守をされている。そ
れに住宅の風貌が非常に悪い、とてもではないが親切に道を教えてくれる人がいるとは
考えられなかった。
それから数十分が経った。
もう夕方であるが、現在は七月下旬であるためかなり暑い。幸い日差しはもう殆どな
いがそれでも気温は高かった。刀が重いと思ったことはないが今は鬱陶しく思うほど
に邪魔だ。そんなことを言えば全ての剣術家に非難されよう、だが生憎、総一郎は剣術
家の心など持ち合わせていない。
とにかく風呂に入るか涼みたい、金はあるからそれを渡してどうにかしよう。何かあ
れば武力行使、全部九鬼のせいにしよう││と、総一郎はある一軒の家の前で歩みを止
めた。
それほど長けているわけではないが、人並みに武人として探知は出来る。
その家にいる人数は二人。片方は所謂不良と言う奴だろう、気が暴れている。もう片
方は静かな気、寝ているのだろうか。
考えることはいくらでもあったが、取りあえず玄関の呼び鈴を鳴らす。
││返事はない。
もう一度鳴らしてみる、鈴の音が聞こえるので正常に作動している。
││返事はなかった。
ぶっ殺すぞ
﹂
これ以上歩くのは御免被る││総一郎は呼び鈴を連打した、不良なら気が短いので直
ゲームに集中出来ねえだろうが
!
!
ぐに出てくる。それが総一郎の作戦。
!
連打した時間は三秒ほどだった。
﹁うるせえ
──私の有意義。──
216
﹁お金あげるのでお風呂と着替え貸してください﹂
相手は赤髪の長髪、さらに子供だったが、総一郎は惜しげもなく頭を下げ一万円を差
し出していた。
﹂
!
﹂
?
来た道を戻れば帰れるだろ、一体どこから来たんだよ⋮⋮えーと﹂
?
﹁ああ、塚原総一郎だ、総一とでも呼んでくれ││まあ、訳あってここに空から飛んでき
﹁迷った
﹁そうか、天ちゃんか。本当に助かった、暑いし道に迷っていたんだ﹂
い。それに気が付かなかったよう話を進めた。
少し間があったことに違和感を覚える総一郎だったが、恩人の深層に突っ込む気はな
﹁⋮⋮板垣 天だ﹂
﹁えーと、名前は何ていうんだ
ト。大方赤髪少女の兄の物だろう。
総一郎は濡れた髪の毛をバスタオルでまとめ上げ、服は誰のかは分からないスウェッ
な
﹁おう、一万円くれるならいつでも風呂位貸してやるぜ。それにしてもお前気前がいい
﹁ありがとう、助かったよ﹂
217
たんだ﹂
﹁飛んできた⋮⋮
﹂
掃除、洗濯、ゲームの相手でもいい、料理だってできるぞ﹂
いる。視界に入っただけだというのにその豊満な胸に一瞬気を取られてしまう総一郎、
天の視線に釣られて総一郎が見た先には青髪長髪の女性が仰向けで鼻提灯を付けて
えんだ﹂
﹁⋮⋮実はそっちで寝てる辰姉が晩飯作ってくれる筈だったんだけどよう、全然起きね
最後の言葉に天は反応した、訝し気な視線は消えている。
きることはないか
﹁⋮⋮取りあえず天ちゃんは命の恩人だ、一万円程度では到底返しきれない。なにかで
それは想像するだけで免れたい状況下であることが容易に想像できる。
を返せと言われて追い出されるかもしれない。
心暗鬼になるのも当然ではある。だが、ここで信頼を失えば道を聞くことも出来ず、服
天から総一郎は怪訝な視線を受けてしまう。空から飛んできた、と急に言われれば疑
?
?
直ぐに視線を天に移して笑顔で答える。
﹂
!
あるぐらいにしか分かっていない。
天から話を聞く限り全く料理が作れないらしい、冷蔵庫の中身を訪ねてみるが食材が
﹁合点承知
──私の有意義。──
218
台所にあるあまり大きくない冷蔵庫、中を開けてみるとそんなに食材はない。だが、
肉も野菜もある。
﹂
和食特化型の総一郎にしてみれば何の問題もなかった。
﹁天ちゃん、何人分作ればいいんだい
?
た。
﹂
﹁⋮⋮みりんってある
﹁なにそれ
?
﹂
恩返し││そんなことは考えず、総一郎は美味しい料理を振る舞うことだけ考えてい
住んでいるなど無理がある、そんなに大きな家ではない。
うが、恐らく今言った姉弟が支えとなって懸命に生きているのだろう。五人もこの家に
赤髪の不良││なんて決めつけていたが、根は優しい。環境が彼女をこうしたのだろ
満面の笑みで天はそう言った。
﹁いいから食ってけよ﹂
﹁え、俺は別に││﹂
合わせて六人分だ﹂
﹁えーと、ウチと辰姉と竜兄とアミ姉と⋮⋮師匠も一応か。五人分││いや、総一も分も
?
219
♦ ♦ ♦
﹁なんだい竜、今帰りかい
﹁おお、アミ姉偶然だな﹂
﹁師匠も偶然かい
﹂
﹁あら、お前ら今帰りか﹂
﹂
トゥーが入った厳つい男。話を聞く限り二人は姉弟だろう。
紫色のミディアムカット、気の強そうで艶美な女性とオールバックで左腕に大きなタ
?
家族が待つ家に急ぐ││が、中年の男はそこで足を止めた。
﹂
﹂
二人はそんなことを言いながら思いのほか自分の腹が空いていることに気が付いて
﹁確か辰はそう言っていたね、気でも変わったんじゃないか
?
?
でいる。自宅が近づいてくるにつれてオールバックの男が鼻を鳴らした。
すっかり暗くなった夜道を歩く三人は他愛のない会話をして自宅への帰路を楽しん
気がただものではない様子を醸し出している。
師匠と呼なれる男はいかにもな中年男性、みすぼらしい格好をしているがどこか雰囲
﹁はは、変な日だな﹂
?
﹁なんだか良い匂いがするな、今日は特製野菜炒めとか言ってなかったか
──私の有意義。──
220
﹁⋮⋮どうした師匠
早く帰って飯を食おうぜ﹂
?
﹂
﹂
﹁なんだって
?
無事か
!
!
﹂
!
﹂
またウチの勝ちだな
﹂
逆エビ固めは無理
!
ギブ
﹁ギャハハハ
﹁ギブ
!
!
﹁お、帰って来たのかアミ姉﹂
﹁⋮⋮天、あんた一体何してるんだい﹂
る煮物を食べながら幸せそうに総一郎の頭を撫でていた。
ゲームに負けた総一郎が無抵抗のまま天にプロレス技をかけられ、辰子は総一郎の作
﹁総一君この煮物、凄く美味しいよ∼毎日作りにきて∼﹂
!
!
二人がそこに見た光景は見るも無残な光景││
辰
﹁天
辰
!
今助ける││﹂
﹁天
!
秒もかからないうちにオールバックの男は自宅の扉を壊す勢いで突撃していた。
料理の匂いが届くところまで近づいているのだから走ればすぐについてしまう。十
視線を合わせた三人は駆け出した。
?
﹁なんだと
﹁⋮⋮辰と天以外に誰かいるぞ﹂
221
総一郎君だよ∼﹂
﹁辰姉そいつは誰だ⋮⋮﹂
﹁んー
﹁風呂を貸しただけなのにお金も貰って飯も作って貰うとは、妹たちが世話になったね﹂
を浮かべていたが、総一郎はその意図に気付くことは無かった。
掻い摘んで話し、二人は納得する。オールバックの男は何故か総一郎を見て悪い笑み
お姉さんたちに挨拶するため天と遊んでいた。
お礼に飯を作った。
風呂を借りた。
ち上がって頭を下げていた。
﹁アミ姉﹂という単語に反応したのか総一郎はいとも容易く天の逆エビ固めを解き、立
四人の会話は一つも噛み合わず時が過ぎていく。
?
らいで上がるか分からなかったが、オールバックの男││竜兵のために料理を温め直す
亜巳はお礼を言う総一郎に片手を上げて応え、そのまま風呂場へと向かった。どれく
﹁ありがとうございます、アミさん﹂
けれど﹂
﹁そうかい、じゃあ私は風呂に入ってくるからゆっくりして行きな。大したものもない
﹁いえいえ、助けてもらったのはこちらですし。本当に助かりました﹂
──私の有意義。──
222
ため台所へ向かった。
﹂
?!
││俺にはスワロウがいる⋮⋮
﹁へぇ、百代とやりあったのはお前だったのか、塚原の坊主﹂
いた。
ここにきて天罰に現れたか││なんて考えながらどうやって素手で戦おうと思考して
ていた。刀は辰子と天、竜兵がいる卓袱台の下に置いてある、先程の刀に対する不敬が
油断もあったのだろうか、その気配に反射して総一郎はおたまをその相手に投げつけ
││ところだった。
│
必死で言い聞かせながら鍋に入っている煮物ときんぴらゴボウを温め直している│
!
ら香るものはなんだか理性がすっ飛びそうであった。
そうなれば少しだけ総一郎も意識してしまう。進んで嗅ぐことは無かったが、襟元か
いた。
驚いて総一郎は辰子の方に振り向く。辰子は﹁気にしないでいいよ∼﹂と手を振って
﹁ええ
﹁おう、サンキュな⋮⋮おい、それ俺の服じゃないぞ、辰姉のスウェットだ﹂
﹁あ、竜兵さん、今料理温めるんで待っててください││それと服借りてます﹂
223
﹂
そんな言葉に竜兵が反応し、その後、総一郎は構えていた拳を引っ込めていた。
﹁⋮⋮釈迦堂さんですか
情に変化している。
そこでようやく竜兵が口を挟んだ。
?
⋮⋮
﹂
もない化け物の雛と戦っている感じだったが、今となっちゃ化け物すら超えてやがる
﹁ああ、こいつがまだ六歳くらいの時に一度稽古付けたことがある。あんときはとんで
﹁なんだ、師匠と知り合いだったのか
﹂
釈迦堂の言葉に総一郎は睨みを効かせた表情から再開を喜ぶようなワクワクした表
﹁よう坊主、でかく││いや、強くなったな。今の俺じゃ勝てねえかもな﹂
?
釈迦堂の笑い声に辰子、天、竜兵は何故か驚いている。
!
﹂
?
神院の師範代試験を一発で合格し、川神鉄心直々に勧誘したと言われる天才。あの川神
釈迦堂は元川神院の師範代、それは武術界でも有名な話だった。最難関と言われる川
﹁││師匠⋮⋮
が零れていた││がそこで重大なことに気が付いた。
そんな釈迦堂を見て総一郎はまだ何も知らなかった頃の過去を思い出し、思わず笑い
﹁⋮⋮ウチ、こんなにうれしそうな師匠初めてみたぜ﹂
──私の有意義。──
224
百代の師匠でもあり、百代に及ばぬがそれとそう違わない才能を持つ││だが、思想や
素行の悪さが問題視され川神院を破門された。
それが問題である。
﹂
?
﹂
﹁まあまあ、今度梅屋の豚丼奢ってやるから。あれにとろろかけて食うと美味いんだぜ
﹁無断で技を持ちだした者は確か││粛清⋮⋮
そんな川神院の元師範代が無断で外に技を漏らしていれば大問題である。
﹁⋮⋮⋮⋮まあ、黙っといてくれや﹂
向が強い。
川神院に入ること自体は簡単だが、飽くまでも川神院は門外不出。かなり内輪的な傾
﹁釈迦堂さん、もしかして川神院の技とか教えてないでしょうね﹂
が、そんなことはどうでもよかった。
最後に言われた言葉で総一郎はとんでもない悪寒││殆どデジャブ││に襲われた
によらず凄げえんだな、一発やらせろよ﹂
﹁おう、師匠のおかげで俺達相当強くなったぜ。師匠にそこまで言われるお前は見かけ
﹁ああ、ウチら師匠に稽古付けてもらってんだ﹂
225
釈迦堂は総一郎に近づいて肩を数回叩くと鍋の人参を一摘み口へ運び、皆がいる卓袱
?
台へ行ってしまった。
険性に侵されるのでした。
その後、嫌な予感は当たり。泊まっていくことになるが、竜兵から貞操を奪われる危
だった。
特にデメリットもないので総一郎は安い手打ち金で告げ口を告げないことにするの
﹁いや、どうせなら帰り道教えてください﹂
──私の有意義。──
226
││私の変革日常。││
貞 操 を 守 り 切 っ た 次 の 日、起 床 し た 総 一 郎 の 目 の 前 に は 豊 満 な 胸 が あ っ た。い や、
あった││と言うよりも総一郎の顔はその胸に突っ込んでいる。
もう一つ気が付くことがある。後頭部にも、凄く柔らかい感触があるではないか、恐
らくこれも豊満な胸であろう。
特に総一郎はスケベな男ということでもない。比べるのは酷というものだがガクト
とは大違いだ、むっつりスケベのモロとも違うと言えるだろう。その要因として燕が彼
女である、それが大きいとも言える。
だが、総一郎は勘違いしてほしくは無い││と普段から言っている。
彼にだって隠しているエロ本やフェチはある。
だから彼にだってこの状況はとてつもなく素晴らしい状況なのである。
重要なことに気が付いていた。
して﹂と言ったのかもしれないが、そこで総一郎は起床してから気が付いた中でも最も
顔が埋もれているため言葉をうまく発することができない。恐らくは﹁辰子さん、離
﹁ふがふが﹂
227
今自分が顔を埋めている方に辰子は寝ていない。
貞操の危機を守るため総一郎は竜兵の横で寝ないようにすることを決めていた。実
際に決めたのは亜巳で竜兵に掘られないようはからってくれたのだ。釈迦堂は﹁若い者
の隣で寝ると心臓に悪りいや﹂と一番端で寝るためその横には竜兵が寝ることになる、
いくら竜兵でも釈迦堂を掘る気は無いらしい。
そうなれば必然的に総一郎の隣には四人姉弟の三人娘のどれかが寝ることになる。
辰子は端が好きなため釈迦堂と反対側の端、しかもその時点で総一郎を抱き枕にして
いた。天は総一郎の隣で寝るのが恥ずかしいらしくそれを固辞し、結果的に亜巳が総一
郎の隣で寝ることになっていた。
︶﹂
ふが ︵やばい、亜巳さんの胸に頭を埋めているなんて洒落にならねえ⋮⋮
ともすれば、どんな小学生でも解ける推理である。
!
しかも何故か俺は亜巳さんを抱き枕にしている
!
!
と、思考を巡らせているうちに総一郎は気が付いた。
﹁︵辰子さんの力が異常だ⋮⋮流石釈迦堂さんの弟子だけあるが││︶﹂
不可能だった。
も辰子がガッチリと総一郎をホールドしているためその場から忍んで抜け出すことは
辰子がしているように総一郎は亜巳の背中に腕を回して抱いている状態だった、しか
!
﹁││ふが
──私の変革日常。──
228
出来ぬことは出来ぬ││このまま亜巳さんが起きるのを待とう、起きた時に謝れば良
いじゃないか││総一郎は取りあえず幸せの時間を楽しむのだった。
結局起床時に亜巳から小言を貰うことになったが、密かに起きていた総一郎は亜巳が
起床したときの反応を知っていた為そこまで落ち込むことは無かった。
お詫びにまた朝ご飯を作り、亜巳筆頭で感謝される総一郎。ここまで義理をはたせば
よかろうと思い、釈迦堂に川神までの案内を頼む││が。
まで生きながらえてきた。最近では時々良い食べ物にありつけることができるらしい
みは当たり前だし、奪うこともする。金も無く武力もない時は雑草を食べてどうにか今
親に捨てられ、金も無く、この無法地帯で無法に生きることしか手段がなかった。盗
そこで総一郎が聞いたのは板垣家という人たちの話。
にて一日過ごすことを決めたのだった。
仕事がなかったことや学校に行かないのであれば急ぐ必要もないため、総一郎は板垣家
蔑んだ目の総一郎をよそに朝の十一頃には家を出ていってしまう。亜巳もその日は
相手でもしてくれ﹂
﹁まあ、もうちょいゆっくりしてけよ。どうせもう学校には間に合わねえんだ、天の遊び
229
が、総一郎の﹁家庭﹂料理を食べた時は思わず泣きそうになったと言う。無邪気にゲー
ムをする天と竜兵、いつの間に寝ている辰子を見ながら亜巳は語るのだった。
語ると言っても天に対しての言葉は一言だけだった。
﹁根は良い子達さ﹂
少しして亜巳が洗濯をしているときのこと、総一郎の服の洗濯も任せていたので手伝
おうともしたが、余分だ││と言い、総一郎は渋々手伝うのを辞めて天、竜兵とゲーム
をしていた。
その時だった、天が立ち上がったときそのポケットから何かが落ちたのを総一郎は見
逃さなかった。天はそれに気が付かなかったので総一郎は拾い、天に声を掛けようとし
たのだった││が、それを見た総一郎の顔は無表情、凄い陰りを見せていた。
その表情に気が付いたのは辰子だ。今まで寝ていたのに一番は早く異変に気が付い
ていた。総一郎の顔が陰ったと同時に気に凄味が増したのを感じ取ったからだ。
﹂
?
いないが、竜兵は少しの異変に敏感だった。少し総一郎を警戒すればその手にある物│
辰子の言葉で竜兵も天も総一郎の異変に気が付く。天は何があったのか理解できて
異変を感じ取っただけだ。
殺気が漏れ出ているわけではないので辰子もそこまで警戒はしていない、飽くまでも
﹁⋮⋮総一郎君、どうしたの
──私の変革日常。──
230
│錠剤に気が付くのは容易かった。
﹂
?
ああ、ウチのだぜ。それ使うとすげえ強くなれんだ
﹁天ちゃん、これは君の物か
﹁
?
ウチの薬になにしてん││﹂
!
﹂
ふざけんなよ、それがなきゃウチは何にもできない││﹂
?
あっさりとした言葉を告げ、亜巳はある引き出しから物を取り出した。
﹁言い返す言葉もないね﹂
のいい薬がこの世にあるわけがない、必ず代償を払う﹂
﹁まともに生きさせたいなら止めさせるべきでしょう。簡単に強くなる││なんて都合
﹁⋮⋮﹂
ることだが、一番非難を受けるのは長女である彼女だ。
その言葉の先には洗濯物を干し終わった亜巳の姿がある。竜兵や辰子にだって言え
﹁何故、止めさせない﹂
﹁は、はあ
﹁今すぐこの薬は捨てた方がいい、君の為だ﹂
﹁お、おい
ことも可能だ。
れだけの大太刀を振り回すことができる彼ならば、少し力を入れただけで物を粉砕する
天の言葉を聞いた時、総一郎は反射的に錠剤を持っている右手を握りしめていた。あ
!
231
﹁あ、亜巳姉││﹂
﹁黙ってな﹂
ある程度の重さを持つ袋を取りだし亜巳はそれを総一郎へと手渡した。
♦ ♦ ♦
それが粉砕されるのは容易く、またその斬撃を認識できる者もいない。
ならば総一郎は憎しみを込めてそれを粉砕することになんの抵抗もない。
しかし亜巳はそれを善意と受け取り、総一郎へあまり抵抗もなくそれを受け渡した。
意ともなろう。
情に首を突っ込んでしまった。善意といえば善意、だがそれも受け取る側にとっては悪
総一郎は全くの部外者で助けてもらった側の人間だ。それだというのに人の家の事
天を抱きしめている。
板垣家の面子もそれを見届けるために外へ出てきている、天だけが不満そうで辰子が
上空高くへ放り投げ、抜刀の構えをとった。
亜巳目を見て総一郎は頷き外へ出た。ある程度広いところへ出ると総一郎はそれを
中身は見なくてもわかろう、天が服用していた薬物だ。
﹁あんたが処分してくれ﹂
──私の変革日常。──
232
板垣家からようやく解放され、解放されたと言っても総一郎を離さなかったのは辰子
と天、もう少し言えば竜兵。釈迦堂が飲んだくれ、酔いが醒めたところでようやく道を
教えてもらった。
しかし、簡単に口頭でしか説明されなかったのでかなり時間がかかった、亜巳が送る
と言ったが、女性ということで総一郎が断った形だ。
深夜一時過ぎ、ようやく親不孝通りを抜け、総一郎は取りあえず時計を買うことにす
る。そこで現在が深夜だということに気が付いた。
工場付近は明かりが殆どなく、逆に親不孝通りは昼よりも夜の方が明るい。怪しい露
店で売っていた洒落た時計を買うまでまさかこんな時間であると気が付かなかった。
今から島津寮に向かうと二時近くになってしまう。玄関の鍵は恐らく開いている、と
いうか誰かしら起きていてもおかしくは無い時間だ、これでも高校生である。しかし、
携帯電話が壊れている為連絡の取りようもない、板垣家で電話を借りることも出来た
が、島津寮の電話番号など覚えていなかった。
﹁⋮⋮ここからは川神院の方が近いのか﹂
233
こんな時間にあそこを訪れるのは非常に躊躇うことであった││こんな時間に学生
が外を歩いていることを教師に知られてしまう││だが、当事者である百代に頼めばど
うにかなるだろう、そんなことを思いながら当然開いていない正門を飛び越えて敷地内
に着地した。
予想外││と言うほどでもなかったが単純に総一郎は驚いた。まさか出迎えが鉄心
﹁これ﹂
自らだとは思わなかった、きっと気配に気が付いた百代かルー辺りだと考えていたの
だ。
﹁夜遊びはいかんぞ、さらに不法侵入じゃ﹂
言っていることは教育者らしいことであったが、その表情は怒った風なものではな
﹁⋮⋮﹂
い。恐らく総一郎を待ち構えていた││きっと百代が既に事情を話しているのだろう。
﹁ヒューム
あの金髪クソ爺ですか
﹂
?
﹁らいばる﹂と言った鉄心の表情が﹁戦士﹂に変わる││が、奥から聞こえてきた足音
﹁少々言葉が悪いが間違ってはおらんな、彼奴は儂の﹁らいばる﹂じゃよ﹂
?
﹁ほっほっほ、ヒュームに挨拶されたようじゃな﹂
﹁すいません﹂
──私の変革日常。──
234
﹂
﹂
で鉄心の昂りもすぐに抑えられていた。
﹁総一
﹁総ちゃん
!
﹂
?
﹁ああ、着地したところにいた家族に風呂と着替えを恵んで貰った││﹂
﹁││総一、お前なんで服が変わってるんだ
堂に戻っていくが、そこで一つの違和感に気が付いた。
三人の時間を割くように鉄心は間に入り、就寝を諭す。文句を言いながらも百代は本
﹁ほれほれ、もう遅い時間じゃ。総一郎、今晩はもうここに泊まっていきなさい﹂
数時間ぶりの再会に二人は笑みを浮かべていた。
﹁化け物結構﹂
﹁お前も存外化け物だな﹂
﹁いやいや、ちょっと上空一万メートルまで飛ばされただけだって││﹂
﹁ううっ、もう会えないかと思った⋮⋮﹂
撫でていた。
流している。別に保護者を気取るつもりは総一郎にないが、そんな姿を見て頭を自然と
ばされて行方不明ともなれば百代ですら心配する、現に一子は総一郎に抱き付いて涙を
駆けてきたのは川神姉妹、二人とも寝間着なので新鮮な絵面だった。ヒュームに蹴飛
!
235
﹁││女の匂いがするぞ﹂
後ろから掛けられたその言葉に総一郎は体を震わせて歩みを止めた。別に百代とは
そう関係でもないし、やましいことなどしていない。
問題点としては百代や一子││恐らくファミリーにも話は伝わっている。大勢の人
間が総一郎を心配していた時に当の本人は女性に服を貸してもらっていた││それが
最大の問題だ。こんなことファミリーに伝われば大和を通じて絶対に交渉が行われる
だろう。
だが、そんな心配は屁でもない。
﹁大変だったんだ﹂
苦し紛れに出た言葉は総一郎からしたら言い得て妙だ││が、百代に言う言葉として
は的を射ていない。それどころか悪手であっただろう。
﹂
?
真っすぐ延びる廊下を全力疾走することになる。
││落ち着け、と言う間もなく││いや、言うことを後回しにして総一郎は目の前に
ていた。
怖くて振り向けない、恐る恐る振り向いてみると││百代の怖い顔がすぐそこに迫っ
﹁何もなかった﹂
﹁ナニが
──私の変革日常。──
236
失念していたのはここが川神院││百代の庭であることだっただろう。
昨晩の騒ぎで百代と総一郎は鉄心に絞られて寝不足、幸い次の日が土曜日だったの十
時頃まで寝ることができた。
起床した時、何故か自分の体が一子と百代の枕代わりになっているのか理解できな
かったが、二人を除けて取りあえず鉄心とルーに挨拶し、島津寮へ向かうことにした。
ガク
初めて島津寮に来た時と同じ言葉、なかなかハイセンスなギャグだろう││総一郎は
﹁たのもう﹂
そう軽い気持ちで島津寮の扉を開けたのだ。
しかし││
﹁キャップは市街地の方を頼む。源さんごめん、親不孝通りの方を頼めるかな
﹂
!
島津寮玄関口ではまさにnow、直江大和軍師による塚原総一郎捜索隊の編成が行わ
に従って高台から││姉さんとワン子は一体何をやってるんだ
トも源さんについて行って。モロは島津寮で情報の整理をして欲しい。京は俺の指示
?
237
れていた。
﹁大和、落ち着いて﹂
ガクトと共に源さんは玄関先から外へ││となれば必然的にそこにいる総一郎と出
﹁直江、取りあえず俺達は先に行ってるぞ、連絡は後で││﹂
会うわけだ。
いや、誰の視界にもその姿は入っている。
﹁よ、よう⋮⋮﹂
一目瞭然、百代と駆けっこをして疲れて寝てしまったからだ。
よ く 考 え た。昨 日 の う ち に 島 津 寮 へ 電 話 を か け る つ も り が 何 故 電 話 を 掛 け て い な
かったのか
無事だったのか
﹂
!
たはずだ。
﹁総一
﹂
う。総一郎が朝、豊満な胸に挟まれて幸せな時間を過ごしていた、など考えもしなかっ
一同は唖然としている。恐らく昨日││いや、一昨日も自分は捜索されていたのだろ
ていたのは一子と総一郎が一緒に寝るというので監督役としてそこに居た為だ。
一子が自分の体を枕にしていたのは総一郎が心配だった為、百代が自分の体を枕にし
?
﹁よ、よかった﹂
!
﹁ま、全く俺様を心配させやがって⋮⋮
!
──私の変革日常。──
238
﹁⋮⋮けっ
﹂
全く手間が省けてよかったぜ﹂
﹁総一⋮⋮よかった⋮⋮
!
に非難の視線に変わっていく。
そんな京が一言でもそう言ってしまえばファミリーの視線は事実確認もしないまま
怒っているからだ。
大和以外に興味がない京が何故そんなことを言うのか。理由は至極簡単││心配し、
総一郎は明らかに動揺していた。
背筋に悪寒が走る││後ろに誰かが居たわけでもないが、正面にいた││京の言葉で
﹁女の匂いがする﹂
││女性というのは勘が鋭い。
かった。
これで一先ず安心、後は百代に賄賂を渡してどうにか隠し通そう││というのは甘
来なかった、すまん﹂と、嘘は吐かず、都合のいい真実だけを告げて頭を下げた。
たが﹁飛ばされた先である一家に拾ってもらったんだ、携帯も壊れていたから連絡が出
りくるファミリーをどうにか宥めていた。﹁どこで、どうしていた﹂と軍師大和に聞かれ
そんな後ろめたさを胸に秘めながら総一郎は﹁し、心配かけた、俺は大丈夫だ﹂と、迫
!
239
怒り、妬み、呆れ││全てを含んだ視線の中、京の視線だけが気にかかった総一郎は
弁解することもせず非難轟々を受け入れることにした。
休日を挟み、月曜日の川神学園。総一郎が金曜日に休んだ理由は﹁九鬼の金髪老人執
事が突然蹴り飛ばしたせいで行方不明﹂などと完璧な真実が曲げられることなく一年次
に伝わっていたため、多くのギャラリーそして九鬼英雄と忍足あずみが一年F組に足を
運んでいた。
S組の長である英雄がF組にいるなど天地がひっくり返るような由々しき事態であ
る。しかも今話題の総一郎の元へ足を運んでいた。
当の本人はそんなこと気にもせず、ただ友人に挨拶をするだけであった。
﹁おっす﹂
﹁アポなし訪問だった俺も悪いからお相子で、近いうちにまた九鬼に行くから話通して
い。
が頭を下げた姿、信じられない光景は今日何度目かだったがこれ以上に驚くことは無
そこで一同が目にしたのは英雄とそのメイドである九鬼従者部隊序列一位のあずみ
﹁誠に申し訳ございませんでした﹂
﹁総一⋮⋮今回は九鬼の不手際だ、すまぬ﹂
──私の変革日常。──
240
おいてくれな﹂
総一郎も二人に対して特に恨みを持っていない、あるとするならば金髪老人執事。そ
れもあえて言えばの話である。
しかしそこで引き下がる英雄でもない。ゲストである総一郎を囲って攻撃し、さらに
は九鬼の最強兵器でどこかへ吹き飛ばしてしまった。九鬼を継ぐものとして何らかの
始末が必要である。
﹁無論だ
九鬼が最高級の料理を持て成す
﹂
!
千人の友を連れと来ようと持て成してみせる
﹂
!
かるだろう。ある程度の欲求は満たされる。
九鬼が持て成すと言うだけでかなりの待遇であるし九鬼の料理ならばかなり金も掛
は満足もする。
大したことではないが、三つ程こちらがお願いすれば小さかろうと大きかろうと相手
食い下がらぬなら食わせて下げる。
﹁構わぬ
!
﹁ああ、後は同じクラスの直江大和も一緒に九鬼へお邪魔してもいいか﹂
!
﹁まあ、後はうまい飯でも付けてくれりゃあ問題なし﹂
﹁総一⋮⋮﹂
﹁いいって、師匠の話を聞かせて貰えればそれでいい﹂
241
──私の変革日常。──
242
後は相手が質を高めればいいだけのことだ。
その後、英雄はもう一度頭を下げてSクラスに戻って行ったが、あずみの表情は冴え
ていなかった。
主に頭を下げさせたのだから当たり前と言えば当たり前である。
♦ ♦ ♦
総一郎が川神に来てから四カ月以上が経つ、きっと彼にとってこの年こそがターニン
グポイントとなるであろう。
地を離れ、友と出会い、心を打ち明け、過去との戦いを迎えようとしている。
全容が底知れぬ﹁呪い﹂に対して総一郎は精神を高めることできない。いつもの事と
いえばその通り、だがそれでも歯がゆいものである。
師を殺し、自分を苦しめ続ける﹁呪い﹂をどう打ち砕くか。
十二月、島津寮の食卓で開かれた一枚の手紙には││
秘め、総一郎は左手の拳に必要以上な力を込めて右目から一粒だけ涙を流すのだった。
平然とそれを見つめる総一郎を窺う大和、京、キャップ、源さんは胸のうちに全てを
﹁元日、塚原家当主承認試験、塚原山にて﹂
243
ファミリーも大和を覗けば一般階級であるため寄付金など払える筈もなく、特に苦労す
百代や一子も川神院の一因ではあるが鉄心の意向により制服を着用している。風間
の性質上Sクラスに私服組は集まりやすい。
その特徴とも言えるのが不死川心や九鬼英雄、忍足あずみ、二年の京極彦一など、そ
度の上納金を納めれば学校内での﹁私服﹂着用を許される。
が、地元有力者からの寄付金や援助金は無視できるようなものではないため、ある程
い。
を金で買おうなんていう連中がいることもある、もちろんそれを鉄心が許すことはな
川神学園は金持ちが多い。もっと言えば川神には金持ちが多い。なので中には成績
の川神にも訪れていた。
学校や町へ外出するときは手袋やマフラーなどが必需品となるほど冬という季節がこ
が、現在は朝起きれば布団から出ることは困難を極め、ぬくぬくのスウェットで生活し、
である残暑が厳しく、夏に遊び疲れた風間ファミリーにとって最悪の季節とも言えた
冬休み直前、イブまであと一週間となるその週の火曜日。三ヵ月前までは夏の残り火
││私という者の支え。││
──私という者の支え。──
244
ることもないので制服を着用している。冬用にセーターを着ることも可能だ。
﹂
当然、総一郎も制服の着用をしている││していた。
﹁おや﹂
﹁どうしたトーマ
あら、若の言う通りだぜ。十徳だなありゃ﹂
?
かった。
?
やめんかその話は
﹂
!
﹁ココちゃん﹂♪﹂
あれは⋮⋮塚原君の勝負服じゃのう。理由は分からんが滅多に着るものではな
﹁にょわー
﹁塚原君じゃなくで﹁総ちゃん﹂でしょ
い、と本人は言っていたぞ﹂
?
微笑ましい光景を繰り広げられている一年Sクラス、準もそんな心に慈愛の視線を向
!
?
﹁ん
心のように着物で来るならまだしも、まるで正装ではないか。
私服を着ている││それだけが不思議なのではない、あの格好自体が不思議である。
﹁不死川さん、何故、総一郎君があのような格好をしているのか分かりますか
﹂
ない。それ以上に何故、総一郎が私服で来ているのか冬馬にとっては不思議でならな
教室の窓から見える総一郎は制服ではなく、その周りには風間ファミリーの影も見え
﹁ん
﹁総一郎君の服が制服ではありません﹂
?
245
けているが、只一人、褐色の少年からは総一郎の姿があまり微笑ましく見えていなかっ
た。
冬馬の懸念││というか彼は疑問に思った程度だが、その違和感は的中していた。
総一郎は学長室へ続く三年教室が並ぶ廊下を神妙な趣で歩んでいた。それも一人で
はなく、三人で。総一郎の前を二人の中年男性が歩む。それもみすぼらしい中年男性で
はなく、二人とも袴姿であった。
冬 馬 は 総 一 郎 に 話 し か け よ う と 三 年 教 室 の あ る 廊 下 ま で S ク ラ ス の 数 人 を 連 れ て
やってきていた。とても声を掛けられるような雰囲気ではなく、総一郎と視線を合わせ
ることも出来なかった。そんな中、心は言う。
﹂
?
番手、村雨や総一郎にも劣らない実力を持ち、直輝の目標でもある人物だった。
郎を新当流総代に指名していなければ彼がそれを継いでいたとされている新当流の二
できる、直輝の父で当主制度はないが、いわば現足利家当主のようなもの。村雨が総一
塚原純一郎のように強面で屈強な男だった。足利││と呼ばれることで容易に想像が
一見穏やかそうな信一郎とは違い、興輝と呼ばれる男はかつて﹁鬼太刀﹂と呼ばれた
﹁あれは塚原家当主と新当流師範代の││足利興輝殿ではないか⋮⋮
──私という者の支え。──
246
そこで冬馬は三年F組の前で寄り掛かる百代を見つけた。てっきり声を掛けるのだ
ろうかと考えていたが、百代は総一郎を見つめるだけで、総一郎も横目で一瞬だけ視線
を合わせるだけだった。視線を合わせたことに冬馬自身は気が付かなかったが。
﹂
?
振りじゃな信一郎﹂
﹁ほっほっほ、別に友に会うだけで約束などいらんわ。久しぶりじゃな興輝││数ヶ月
﹁この度は事前の約束もなく、突然の訪問をお許しください﹂
♦ ♦ ♦
にする者達はこの学校に、この世界には少なくとも﹁居る﹂ことは確かだった。
冬馬、準、小雪以外にその言葉の意味を理解できる者はいない、が。その気持ちを共
ばいいだけの話です﹂
﹁⋮⋮そうですね、総一君であれば大丈夫でしょう。もし何かあれば我々が受け入れれ
心当たりがある、総一郎の姿に。かつて彼がそうなりそうであったように。
冬馬は二人の言葉で胸のもやもやどうにか排除しようと必死だった。
﹁若、あんまり気にしても││総一なら大丈夫だ﹂
﹁冬馬、大丈夫│
﹁⋮⋮彼にとって良くないことのようですね﹂
247
﹁お久しぶりです先生﹂
﹁ご無沙汰しています、先日は失礼しました﹂
一度目の礼の後、鉄心が言うと二人は各々の思いを秘めながら再び頭を深く下げた。
﹂
後ろにいる総一郎へ鉄心は視線を向けたが真摯な眼を向こうから送られ、二人には悟ら
れぬよう少しだけ微笑む。
﹁して、今日はどんな話があるのじゃ
それを口にしたのは信一郎だった。
じていた。
だが、誰かがこの間に入らねばならない。そのために興輝はこの場に調停役として参
れ止めることもなく二人の後ろで様子を窺っていた。
二人の間に闘気こそないが不穏と言える雰囲気が立ち込めていた。特に総一郎はそ
﹁⋮⋮ほう﹂
﹁││一月から総一郎を休学にして頂きたい、期末考査も免除させて頂きたい﹂
?
﹁興輝、お前とて成績が金で買えないことを理解しておろう
﹂
﹁はっ、勿論でございます。もし進級ができないと言うならばそれでもかまいません。
?
ます﹂
﹁先生、新当流師範代として私からもお願い致す。塚原家にとって重要なことでござい
──私という者の支え。──
248
総一郎もそれは了承しております﹂
﹂
?
﹂
?
お主ならできるじゃろう
﹂
?
一杯できることであった。
﹁⋮⋮終業式の時に臨時の試験をやる⋮⋮で、どうじゃ
﹁││ありがとう、鉄心さん﹂
?
そんな顔で││と、鉄心は心が痛むのを感じていた。何も言えない、それが鉄心の精
らいが今の願いだ﹂
﹁ああ、後に引くつもりはない。逃げ道を作るつもりはないが帰る場所位欲しい、それぐ
﹁お主はそれで良いのか
じて再び開いた時、総一郎は鉄心の目の前で微笑んでいた。
総一郎に無言の窘めを受けて鉄心は少しずつ穏やかに気を静めていく。一度目を閉
前に出たのは総一郎だった。
鉄心の眉間に皺が寄り、額には少しだけ血管が浮き出て今にも闘気を出す││そこで
﹁││進級ができないならば退学で構いません﹂
た。
興輝は少し間を置いて総一郎の様子を窺い、総一郎が頷くとまた自分も首を縦に振っ
﹁いえ││﹂
﹁⋮⋮留年しても構わんのか
249
話が終われば早々に三人は学長室から去って行った。
鉄心が一言いえば臨時の試験など直ぐにでもできる。それしかできないことに鉄心
は憤りと不甲斐なさ、そして悲しみを覚えていた。
鉄心にとって総一郎は既に孫のような存在であったのだ。
遅れてやってきたルーは何事かと鉄心に問いかけるが、鉄心は一言││
﹁試練じゃよ﹂
と、窓に顔を向けて言うのだった。
終業式まであと数日ある、万が一││があるため期限一杯まで総一郎はこの川神に鍛
慮してなのか総一郎へ声を掛けているのは興輝の方であった。
川神学園校門前にて総一郎は先に京都へ帰る信一郎と興輝の見送りをしている。配
﹁はい﹂
ら﹂
﹁そ れ ま で 済 ま せ て お く こ と は 済 ま せ て お き な さ い。何 が あ る か は 分 か ら な い の だ か
﹁はい﹂
﹁では総一郎君、元日に﹂
──私という者の支え。──
250
錬 し 心 を 清 め る。総 一 郎 が 袴 に 十 徳 を 羽 織 っ て 学 校 へ 来 て い る の は そ の た め で あ る。
特に格式ばった正装はないが、本人が良しとする礼装を節目に着ることを塚原家は義務
付けている。それは京都における名家の集まりや結婚式など、通過儀礼と呼ばれるもの
を指す。
││決闘と言う場合も少なくはない。
つまり総一郎は元日までこの服装で日常を過ごすことになる。
この服には先程言った通り﹁礼装﹂という言葉がぴったり当てはまる、
﹁正装﹂という
言葉よりもだ。
同じような言葉でも彼らにとってはそのニュアンスの差に価値がでる。
だ。
今、総一郎から気が漏れ出ているのは考えられないことではなく││信じられないこと
は 普 段 か ら 気 を 一 切 漏 ら す こ と は 無 い。百 代 も そ の せ い で 初 め に 不 覚 を 取 っ て い る。
今、総一郎の体から普段ならば考えられない程に闘気が溢れている。││否、総一郎
総一郎が校舎の方へ振り返るとその意味が理解できる。
││くれぐれも││
興輝はそう最後に言うと使用人が運手する車に乗り込んでこの川神を去って行く。
﹁││総一郎、くれぐれもな﹂
251
そこで、だ。普段得物を惹きつけるような気を出していない総一郎がそれを漏れ出し
ていたならば、それに反応する者を多いと言える。
││百代、そして呼応して一人。
総一郎は興輝達が去って行った町中へと再度振り返る。
││最低でも六人。
くれぐれも││とは、くれぐれも戦うな││ということだ。
が違う。やるべきこと、やりたいこと││というのはつまり死を目の前にしてという
彼はまだ十六歳、元日までに遊べばいい、そういうわけでもないのだ。その意味合い
やるべきこと、やりたいこと││多すぎる、それが総一郎の感想だった。
♦ ♦ ♦
己が最も高揚できる﹁礼装﹂を気とともに身に纏って。
この状況を鼻で一蹴した総一郎は次の授業の鐘が鳴る前に一時の日常へと歩み出す、
﹁⋮⋮ふっ﹂
──私という者の支え。──
252
ニュアンスだ。
倫理の授業でよくある﹁世界最後の日に何をするか﹂という題。正直言って総一郎は
答えのない問いを興輝から与えられてしまい困惑していた。
幾つかの事は決めている。
││精神修行、当たり前と言える。
││できるだけファミリーと遊ぶ。
││荷物の整理。
この三つ。だが、これでは決めたというよりも元からあったものを羅列しているよう
でどうも納得いかない、それでもってそれ以上に思いつかない。
そんな状況で食堂のソファで寝っ転がりながら、大和と二人で七人のサムライVSエ
イリアーンVSプレデターンという新作のB級映画を見ていた。
もちろん、風間ファミリーには全てを相談済みだ。その回答は﹁好きにすればいい﹂
だ、まったく無責任だ、と憤慨した総一郎だが、よく考えてみると単純な正論であるこ
とに気が付いていた。
﹁なんかすることないか﹂
﹁なんだ﹂
﹁なあ、大和﹂
253
﹁⋮⋮ないからこれを二人で見てるんだ││あ﹂
映画のエンドロール、それが流れている間の会話だった。丁度、協賛の紹介の所で大
和は何かに気が付いたようでリモコンを使い一時停止のボタンを押す。
﹁なんじゃ﹂
﹁⋮⋮九鬼に行ってないぞ﹂
と、総一郎と大和はスウェットから普段着に││総一郎は礼装に着替えて九鬼財閥極
東本部に足を運んでいた。
前回の記憶が鮮明に残っている大和はしかめっ面で、総一郎はでかいビルの屋上をさ
して興味もないような表情で見つめていた。
な﹂と黒髪暗殺者メイドはポーカーフェイスを崩して﹁⋮⋮ありがとうございます﹂と
│九鬼家とは別に││二人へ粗品を渡していた。驚いて金髪メイドは﹁お前ROCKだ
を確認した後に深く頭を下げる黒髪の暗殺者メイド。大和は軽くお辞儀をして早速│
歯切れの悪く│そしてどこか思い出したくない表情で言う金髪メイドと二人の名前
﹁どうも、総一郎様と大和様。前回は酷い失礼をいたしました﹂
﹁おい、ここから九鬼の││って、お前らか⋮⋮﹂
──私という者の支え。──
254
呟いていた。
すると中から別のメイドが現れて総一郎と大和は九鬼ビルへと足を踏み入れていた。
一人のメイドに連れられて歩く、幅の広い廊下は十人が並んで歩いてもまだ余裕が
あった。その壁には高価な絵画や壺、特に目利きが優れているわけでもない二人からし
たら、ただ単に触れて壊さないようにするだけで、価値の分からないものから祟りを進
んで受けようとも思わなかった。
一つ驚いたとすればメイドや執事││従者と言うべきか。その数がかなり多い。女
はメイド服、男は燕尾服、その数は確認しただけでも三桁はくだらなかった。大和はそ
れだけに気が付いていたが、総一郎は全ての従者が何らかの武装を懐に隠していること
に気がいていた。
あの金髪メイド││ステイシーと黒髪の李という女が居る時点で理解していたこと
であるが、この九鬼の従者は私兵として確実な﹁部隊﹂と認識するのが正しいと総一郎
は再確認して立ち止まった。
額がかかっている。そのだだっ広い部屋の最奥に座っている者がいた。
その先にはおよそ五百人は着けるテーブルがあり、シャンデリアや装飾には相当な金
メイドは大き目の扉の前で立ち止ると、こちらに一度お辞儀をしてから扉を開いた。
﹁こちらへ﹂
255
﹁お前らが塚原総一郎と直江大和か﹂
威厳の塊のような声が二人の体を通り抜けていく。その││女││の隣には例の金
髪老人││ヒューム・ヘルシングと銀髪の眼鏡をかけた老人執事が待機していた。
﹁はい、直江大和です。今回はお招きいただきありがとうございます﹂
二人とも深く頭を下げる。意図は違うが。
﹁初めまして、塚原総一郎です﹂
大和は確実にコネづくりの為、現在の自分をできる限り最大限売りたいのであろう。
逆に総一郎は一つの確信を以て礼儀を尽くしていた。
││王の家系か。
﹁別に良い。それにしても景清殿よりもお前は穏やかだな、流石百代の弟分だけはある﹂
は、すいません﹂
﹁はあ⋮⋮日本に愛層が尽きてヨーロッパへ移住し、成功しているような人ですから父
良い笑みを浮かべ、女は﹁はっはっは﹂と笑い上げていた。
表情が崩れたことを認識するのも時遅し、ヒュームは鼻で笑い、銀髪の老人は心地の
されて驚愕しているだけだ。
そこで大和のポーカーフェイスが崩れた、狼狽したわけではなく、単純に父の名を出
﹁うむ、直江の父、直江景清殿は良く知っているぞ、あの者には父上も苦労したものだ﹂
──私という者の支え。──
256
﹁姉さんをご存知ですか﹂
ああ、そういえば名乗っていなかったな。我は九鬼揚羽である、お前の姉とはラ
?
そうですか⋮⋮じゃあ英雄のお姉さんですか﹂
!?
!
らな﹂
あ、ありがとうございます
!?
先に総一郎が一言、それに対して揚羽は真剣な趣のまま表情崩さず、ただ総一郎一点
﹁どうも、村雨師匠がお世話になりました﹂
へ向け、力量を測ろうとしていた。
そして視線が総一郎へと移る、それと同時にヒューム、クラウディオも意識を総一郎
揚羽がまた笑うと大和は名刺に目線を向けながら深くお辞儀をしていた。
﹁
﹂
﹁それは我の名刺だ。何かあったら言ういい、百代の弟ならば私の弟のようなものだか
そしていつの間にか揚羽の隣に戻っていた。
﹁申し遅れました。私、序列三位のクライディオ・ネエロと申します﹂
現れてそれを手渡していた。
そう揚羽は頷くと銀髪の執事に一枚に紙を渡し、その執事はいつの間にか大和の前に
﹁うむ﹂
﹁
イバルであった、負けたがな﹂
﹁ん
257
だけを見つめていた。
また総一郎も同様だ。九鬼の人間が村雨の弟子として総一郎に向ける視線の理由を
彼は知らない、知る筈もない。何故なら総一郎は村雨のことなど何も知らないからだ。
だからこそ、理由に予測を付け、その理由に師の生き様を見出していたかった。
一瞬だけ揚羽のこめかみがヒクついた。
﹁師匠は私のことを何と言っていましたか﹂
﹁私は師匠のことも村雨という男のことも、あの剣客のことも何も知りません。無知で
す、なんでもいいです、教えてください││これが最後の機会になるかもしれませんの
で﹂
その意味を揚羽が理解できるわけもなかった。ヒュームやクラウディオ、大和です
ら、いや、総一郎ですら何故これが最後になるかもしれないのか知っていない。釘を刺
した興輝も信一郎の言伝でしかそれを知らない、純一郎と信一郎のみがその詳細を知
る。
ただ、揚羽はその目の前で深く頭を下げている男の真摯さを邪険にはしなかった。
揚羽は少しだけ微笑みを見せた。
良くない。だが、今は違う﹂
﹁いつも村雨殿はお前のことを案じていた、正直に言えば我からしてお前の印象は余り
──私という者の支え。──
258
気で周りを包みながら村雨の話を楽しく聞くのであった。
ゆっくり目を開いて微笑むと、総一郎は先程とはうって変わり、非常に柔らかい雰囲
取ることは容易だった。
かは一目瞭然。揚羽やヒューム、クラウディオでもない大和ですらその心の一片を感じ
それの姿を見れば総一郎が今どんな思いで揚羽の││基、師の言葉を噛みしめている
初めて感じた││信念││
解放したいのか、心の奥から巨大な波と共に大きな塊が浮き出てくるように感じた。
いを
か。込み上げるものはまだない。まだだ、まだ早い。そう言い聞かせると、早くこの思
呪い││その言葉に今までどれだけ反応し、どれだけ師の顔と言葉を連想しただろう
る。
こには死の間際の師と自分に世話を焼くあの悲しそうな瞳と表情が浮かび上がってく
少し間を置いて総一郎は深く深呼吸をする、上を向いて口から息を漏れ出せば、そ
つか共に歩める日を待ち望んでいたぞ﹂
﹁村雨殿はお前のことを誇っていた。自分には勿体ない弟子だといつも言っていた。い
259
──私という者の支え。──
260
♦ ♦ ♦
クリスマスが過ぎて今年も残すところあと三日、その日は十二月二十九日で総一郎の
軽いゲン担ぎ会を行っていた。
メンバーはファミリーの面子に源さんを加え、さらには冬馬や準と小雪も島津寮に集
まって広間ではすき焼きが振る舞われていた。川神院の肉に合わせ葵紋病院の跡取り
息子である冬馬が持ってきた川神産の珍しい野菜、食後に食べるデザートによって島津
寮には合わないかなり贅沢なものとなっていた。
だが、時が経つのはあっという間だ。流石に空気を読んだ冬馬は総一郎の部屋に泊ま
るなどいうこともせず、小雪と準を連れて十時頃には帰宅していた。風間ファミリーも
いつもならばこの後壮大にはしゃぐのだが、十二時を回った頃でお開きとなった。夜も
遅いため百代と一子は京の部屋に泊まることとなる、もちろん今回は入学時とは違い川
神院からの許可は取っている、そういうところに変化が現れたところも総一郎にとって
嬉しいものである。
それでも││だ。
それが嬉しかろうと今は心に余裕を持つことができていない。やるとは済んだ、やり
たいことも済んだ、心の重りはもう殆どない││だが、一向にこの靄は晴れることを知
らなかった。
午前一時頃、総一郎はあの河川敷で もう明かりが殆どない夜を黄昏ていた。
そう口にしたことで初めて総一郎は自分の心が﹁迷い﹂というものを抱いていること
﹁なんだか心が落ち着かない﹂
な視線を向けてきた。
そこで顔を向けて反応を示さない総一郎にムカついたのか百代が不機嫌な顔、訝し気
たらもしかしたら⋮⋮だ。
だが総一郎は百代に恋愛感情を抱いては居ない。もし燕よりも早く百代に会ってい
百代は美少女と言える女だ、しかも風呂上がりで髪が妖美であった。
ニヤっと百代は笑った。普通ならばこんな時に特別な感情を抱くこともあるだろう、
﹁油断してたなあ﹂
人が││百代がすぐ傍まで来ていることに気が付いていなかった。
不意に声を掛けられたが総一郎は余り剣術家として良いとは言えない反応を見せた。
﹁どうした﹂
261
認識した。
そんな表情が表に出ていたのかだろうか、百代は含んで笑い出し総一郎の隣へ座り込
んだ。
﹁遠足じゃないんだ、いつものお前でいればいい﹂
一度間が空く、話のきっかけは総一郎が大きく息を吐いたことだった。
﹁⋮⋮まあ、そうだけどさ﹂
﹁覚えてるか、本気の戦いをここでしたこと﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
﹁お前は楽しくなかったかもしれないが、私はものすごく楽しかった﹂
百代は微笑まし気に総一郎は肩をすくめてそんなに感情を込めることは無く河川敷
の地面を眺めていた。
二人はその河川敷にあの日の動きを投影していた。
﹁あれは焦った、思いっきり深くまでいってたから、瞬間回復の気を良く練れたな私は﹂
﹁こちとら一発で十分││だけど刀が耐え切れないのは誤算だった﹂
﹁六発は当てたんだけどな﹂
﹁まあ、俺もかな﹂
﹁あんな動き今はできないな﹂
──私という者の支え。──
262
﹁あれはチート過ぎる、首を刎ねないと勝てない﹂
﹃ I LOVE YOU SWORD MAN ﹄
島津寮に帰って歯を磨き就寝、その時に携帯電話が光った。
♦ ♦ ♦
││好敵手と書いて友、二人は生涯のライバルになる。
この二人でしか会話できない、友達や恋人を超えた関係だから通じるツボなのだ
ていたとしてもそれは理解できないだろう。
れている。一体何が面白かったというのだろうか、きっと他の者が会話とこの状況を見
二人は目を合わせて腹を抱えた。人目はないけれど声を抑えて肩が上下小刻みに揺
﹁││化け物結構﹂
﹁化け物結構││そっくり返す﹂
﹁化け物﹂
﹁お前も大概だぞ、それに美少女の首を刎ねるな﹂
263
──私という者の支え。──
264
笑みを浮かべて総一郎は気を失うよう眠りについた。
二年生編
入学からあいつのことで色々なことがあったけれど、俺達はそれを受け入れ、あいつ
事例があった為に非常にファミリー一同は驚きだった。
受け入れたのもそうだが、ガクトは京がファミリーに入る際ものすごく反対したという
るような女じゃない。意外だったのはガクトやモロ、モロが恐怖心を抱かずにあいつを
し、京はもうあいつを完全にファミリーの一員として扱っていた為そんなことを気にす
もちろん、俺達はそれを直ぐに受け入れた。姉さんは元から事情を知っていたようだ
の時のあいつは苦しそうだった。
経緯を知っている俺からしたらそう見えてもおかしくはない、それ以上に誰が見てもあ
自分が人斬りだ、と俺達に告白した時、あいつは相当苦しかっただろう。そこまでの
執念や魂という物を欠如させている。
りしないが、その呪いは今もあいつの周りに付きまとって離れず、あいつの武に対する
塚原の呪いによりあいつは己の手を汚すこととなり、さらには師さえ失った。はっき
俺達があいつから聞いた話はこうだ。
││我帰還す。││
265
も俺達を心から信頼してくれた。姉さんや一子のことも気にかけてくれているので俺
と同じように軍師の立場をあげてやってもいい、もしくは将軍にしてもいい。
そんなあいつがここを去り、京都に帰ってからもうすぐ三ヵ月が経つ。
それは十二月の中旬、クリスマスよりも少し前のことだった。あいつは遂に呪いを解
く機会を得た││だが、あいつの父親や興輝という人は何度もこう言っていた。
に精一杯やった。
あいつがここを旅立つ前の晩も俺達は出来るだけあいつの心に余裕を持たせるため
らばそれを全力でやるしかない。
俺達は出来ることしかできない、あいつのしたいことを手伝うことしか出来ない。な
んの話も聞けた。
ろには行ったし、超難解のゲームもファミリー総出でクリアした。九鬼の本社で村雨さ
俺達は出来るだけあいつをリラックスさせ、できることは一緒にした。行きたいとこ
らないという。
外にそれがなんなのかは判断できない、興輝と言う人も呪いに危険性があることしか知
一同は不安を覚えた、姉さんも例外ではない。それもそうだ﹁呪い﹂があるという以
その言葉を聞けば分かる、死の危険性がその呪いには含まれているのだ。
﹁何があるか分からない、やりたいことをやっておけ﹂
──我帰還す。──
266
恩着せがましく言うつもりはない、あいつは俺達のファミリーなんだ。
キャップがリーダー
俺が軍師
姉さんが守護神
ガクトが切り込み隊長
一子がマスコット
モロはツッコミ
京はファミリーの逆鱗
そしてあいつ││総一郎はこのファミリーの将軍││
♦ ♦ ♦
俺は二年生に向けて総一郎がいつでも帰ってこれるよう部屋を片付けていた。
﹁早く帰って来いよ⋮⋮﹂
267
──我帰還す。──
268
入学式を終え、大和達はお疲れ会を例の秘密基地で行っている。そこに総一郎の姿は
未だない。
ファミリーの間に生まれている笑いは大和が新入生案内係として仕事をしている時
にぶつかった少女の話によって生まれている。その少女は総一郎と同じく真剣を袋に
入れて持ち歩いていたらしい。もし、総一郎と出会っていなければすぐに警察を呼んで
いたかもしれない、何故か凄い形相で睨まれたため結局は警察を呼んでいるわけである
が。
そんなフラグを建てそうな大和に京が迫っているのがその笑いを引き立てていた。
だが、やはり﹁真剣﹂という単語に一同は敏感であった。総一郎が連絡を寄越さなく
なってから既に三ヵ月が過ぎている。新学期までに戻ってくる予定であったが、連絡す
ら途絶えたままだ。鉄心からの情報も百代が頻繁に確認しているが、その成果もあまり
ない。鉄心すらあまり情報を掴んでいないようだ、隠しているわけではない。
それでも入ってくる情報は一つ││総一郎は戦っている。
塚原が川神院に対して与える情報は一月から何一つ変わらない、まるで三か月間ずっ
と総一郎は戦い続けているとでも言いたいようだ。
とにかく総一郎ロスとも言える││いや、そんなものではない、単純に家族が三ヵ月
も連絡を寄越さずにいるのだ、しかも危険を伴っている状況にある。ならば﹁心配﹂と
269
いう言葉が適当であろう。
相変わらず風間ファミリーは全員Fクラスである、殆どの者が仕方なくFクラスに在
籍しているが、大和はSクラスに転籍できる所をわざわざFクラスに残ることを選択し
た。元々興味もなかったが、総一郎の帰る場所作るのは軍師の役目だ、と周りに言って
いた。
過ごした時間は少なくとも総一郎という人物がそれだけファミリーの根底に存在し
ている事実は明らかだった。
四月が過ぎていく、変わらない日常の中で一つ、二つ変わることが出てくる。一つは
島津寮に仲間が増えたこと。入学式のすぐ後になって気が付いたことだが、大和とぶつ
かったという真剣を持った女の子だ。挨拶をするたびに睨んでくるような人物である
が、殆ど大和達に関わっていない、言葉数も少ないため食卓を共にしてもほとんどしゃ
べらず、何故かストラップと会話している。
そして転校生の登場だ。
時期的におかしい話だが、担任の梅子からもたらされた正確な情報である。正確と
いっても的確ではない、その転校生がどこから来るのか男なのか女なのかさえ知らされ
なかった。ともすれば、そこで動くのが風間ファミリー一のお祭り好きであるキャップ
とその軍師である大和、転校生は女であるかそれとも男か、二者一択の賭博を平然と教
室で行う。案外簡単そうで利益が出なさそう、普通はそう思うが、キャップのカリスマ
でお金は大量に集まり、大和の情報操作による虚偽の噂で片方に掛け金が集中する仕組
みを作る、明確なルールがないからこそ出来る川神学園ならではの遊びだった。
儲けた金は基地設備の増設や次の稼ぎ時の資金として取っておく、そこに正当性は皆
無だが、それも一般常識の話だ。この川神学園は実力でぶつかることを理としている、
それは一子や百代、ガクトの武はもちろん、大和の知略、謀略もその一環である。知で
いえばこの学園の筆頭は葵冬馬と直江大和の二人で名が通っている。冬馬は知将であ
るが、大和は軍師と言うよりも侍中の方が言い得て妙と言えるだろう。
して、前述の通りこの時期に転校してくるのは普通ではない。大和はその意味をよく
理解して情報提供者の居る茶室に足を運んでいた。
﹂
?
時間や放課後にのみ活動する﹁だらけ部﹂の部室であるこの場所で大和はいつも宇佐美
ヒゲ先生こと宇佐美巨人は大和と向い合い、その間には将棋盤。宇佐美と大和が休み
﹁ああ、例の⋮⋮ね﹂
﹁転校生のこと﹂
﹁何をだよ直江﹂
﹁ヒゲ先生なんか知らない
──我帰還す。──
270
から学校の情報を流してもらっていた。
﹂
?
いくのだった。
る大和だったが、取りあえず大和もその場で腕を枕にして精神の底にゆっくりと落ちて
一体こんな男のいい所を梅子にどうやって脚色して伝えようかと思うと頭が重くな
ていた。
宇佐美はガクッと肩を落とし、そしてそのまま畳に寝転んでいつの間にか寝息を立て
﹁トホホ⋮⋮﹂
﹁王手﹂
﹁ま、それなら仕方ないね││あ、待った﹂
﹁梅先生に上手くいっておくから﹂
ば単純に戦況が良くなかった。
自身が生徒に対して情報を流している現状に対して頭を抱えたのか、言いきってしまえ
頭を抱え一手を一手に時間を掛けて駒を動かしていく、戦況が良くないのかそれとも
﹁そう言われると返す言葉がないね﹂
﹁いまさら
﹁おじさんも一応教師なんだけど﹂
﹁転校生のこと教えてよ﹂
271
♦ ♦ ♦
女子││そして外国人││宇佐美からの情報は大変有益だった。
恐らく誰も予想していないだろう結果だ、賭けの内容は﹁男か女か﹂だったので今更
人種を付け加えることはできない、しかし活用方法はある。外人イケメンとでも噂を流
しておけば引っかかる女││男││は多い、幸いF組の生徒はモラル度が低いのでイケ
メンに引っかかりやすい女子が大半である。
もらった││と確信してから数日、ついに転校生がやってくる当日となる。キャップ
と二人で売り上げの計算をしながらファミリーと共にいつもの変態大橋を歩いていた。
﹁川神百代││﹂
言わずとも分かるであろう、挑戦者は一瞬にして星となる。そんな時大和は一人の外
国人とぶつかっていた。
たりはしない、だが、今日転校してくる予定の外国人を連想した大和はしばらくその男
軍服を着ていたのでどうにも怪しいが、ここが変態大橋と名を冠っていることを忘れ
﹁いや、こちらも不注意だった。すまない﹂
﹁あ、すいません﹂
──我帰還す。──
272
を見つめていた。
﹁止めないよ
﹂
﹂
!
!!
女に興味はないがスイーツ達に一泡吹かせてやりたいしな﹂
﹁おい大和、ついに今日だな
!
﹁結局どっちなの
﹂
けている。あと数分すれば分かることだが、ギリギリまで派閥争いは続いていく。
うことに反感を覚え、殆ど感情的に女票に入れ、チカリンはガセだとも知らず男票に賭
ける派閥の代表のようなものである。ヨンパチやスグルは転校生が外人イケメンとい
上から福本育郎、通称ヨンパチ。大串スグル。小笠原千花、通称チカリン。F組にお
﹁残念でしたー男だっていう情報はもう確認済みだから﹂
﹁ふん
﹂
横やりを入れてきた京に対応しているとその軍服の老人は既に姿を消していた。
?
﹁やめい﹂
﹁うん、止める、大和結婚して﹂
﹁やめい﹂
﹁大和が軍服の老人に熱い視線を送っている⋮⋮
273
?
情報を知るのは大和とキャップだけで京ですら知らされていない、モロやガクトは参
加しているので当然ではあるが。
本来その発言を大和がすること自体殆どグレーゾーンな話だが、京はそれを気にする
﹁ま、もうすぐわかるよ﹂
ことなく、梅子が教室に入ってきた時点で片手に持っていた小説を机にしまった。
﹁転校生を紹介する﹂
そう呟いて一人の││男が教室に入ってきた。
一同が静まり返る。
﹁やあ、諸君﹂
ヨンパチは絶句しているだろう、あてが外れてチカリンの勝ちが決まったも同然であ
る。しかし、チカリンもまた然り。外国人男性ではあるがイケメン││ではなく老人
だった、軍服の。
﹂
﹂
!
﹂
そう指をさした方向には校庭が、そして正門が││そして馬が││
﹁いや、転校して来るのは私の娘だよ││外を見たまえ
挙手して甲高くかわいい声で質問したのは甘粕真与、F組の委員長である。
﹁先生、彼が転校生ですか
?
﹁クリスティアーネ・フリードリヒただいま寺子屋へ馳せ参じた
!
──我帰還す。──
274
馬││と声が所々から漏れる。流石の大和もここまで情報は得ていなかった。所謂、
﹂
王たる者いかなる場合でも言い訳は許されん
会話こそ異質であるが、その光景は紛れもなく悪影響だ。
﹂
﹂
﹁馬⋮⋮ ﹂
﹁やっかいなキャラだ﹂と基本的には同
!
?
クリスの馬に隠れてその姿は認識できなかった││視認できなかったと言うべきか、百
それはクリスに向かって放たれた言葉で教室にいる大和達に届くこともない、まして
﹁あ、すげえな、馬だ﹂
だが││一番初めにそれを感づいたのは百代だった。
じようなことを思って外を眺めていた。
ることもなく一同は﹁かわいい
教室にその声は届かないが大体何を思っているかなど明白だ。賭けの結果を気にす
﹁おお、流石サムライの国だ、まさか人力車登校とは自分もまだまだだな﹂
!
﹂
日本を勘違いした外国人である。いや、日本を勘違いしたところで馬を使い登校してく
る者がいるわけがない。
遅刻だぞ
しかし運悪くそこに人力車で登校する英雄の姿が現れた。
﹁急げあずみ
﹁甘いぞあずみ
﹁はい英雄様☆ しかし英雄様は多忙の身です、多少の遅刻は致し方ないかと
!
﹁きゃるーん☆ 英雄様流石です☆﹂
!
!
!
275
代は気でその者の存在に気が付いているのだから。
﹁こいつは浜千鳥と言う名前なんだ。君もここの生徒か もうホームルールが始まっ
ているぞ﹂
﹁ん
転校生が誰かと喋ってるぞ﹂
﹁⋮⋮ははは、よろしく。俺は││﹂
で日本の武士道を学ぶ﹂
﹁そうなのか、失礼した。自分はクリスティアーネ・フリードリヒ、今日からこの寺子屋
﹁ああ、暫く休学しててね、久しぶりの登校だから平気さ、しかも校長室に呼ばれてるし﹂
?
大和だけじゃない、恐らくはファミリー全員がそうであった。
ら飛び降りる百代の姿が視界の端に映ると同時、大和もその人物の姿を視認していた。
その言葉で視線を再びクリスへと戻した大和は少し目を凝らしてみた。すると窓か
か、賭けの計算をしている大和よりも早かった。
F組でそれに気が付いたのはヨンパチが始めだった。クリスをよく観察していたの
?
﹁⋮⋮ははは、よろしく。俺は││﹂
──我帰還す。──
276
﹂
﹂
三ヵ月前よりも背が高く、ワカメのように艶美な所は変わっていないが胸辺りまで伸
﹁悪いね、随分な強敵だったもんで﹂
﹁⋮⋮随分と遅かったじゃないか﹂
倒したエレガントチンクエの一人であったのだから。
その名前を聞けば気が付く者も多い、何せ彼はF組であるし少し前まではあの百代を
││そう叫んだのは今の全員だった。
も源さんも叫んでいたかもしれない。
今度は誰が叫んだだろうか。大和か京かキャップなのかガクトかモロか、一子それと
﹁総一
むしろ当然だった。
ただ、無造作に飛び降りたというのは確かにおかしな話だ││いや、一部からしたら
えばそうであるが、百代が四階から飛び降りたところで足を骨折することもない。
上がっている、きっと百代を良く知らない生徒が騒いでいるのだろう。普通の反応と言
る者には良く伝わるほどの激音が響き、振動を感じた者を多かった。どこからか悲鳴も
四階から無造作に飛び降りればそれぐらいの音もするだろう。少なくとも学校に居
﹁総一
!
!
277
──我帰還す。──
278
び、垂れ流された長い髪、かつては持っていなかった大太刀よりもさらに長い太刀。顔
立ちはより男前になり昔の女顔よりも少し野生が増し、何よりも││強くなっていた。
ここに塚原総一郎、帰還。
総一郎の気に当てられて偶々だせたものだったはず、三年はかかると言われたものだ。
まさしく││天衣無縫、かつて総一郎と河川敷で戦った時に百代が出した動の極み、
ころだったが、総一郎は口を半開きにして驚愕の表情を浮かべていた。
その時、爆発して溢れ出た気が百代の体に収まっていく。鉄心やルーはそれを知ると
なにせ、生涯のライバルが三ヵ月も安否が知れなかったのだから。
いけないと判断している。
らそうともかつての百代のように暴走はしない、むしろ今少しでも発散させておかねば
ている。少し前までなら鉄心やルーが止めに入っていただろうが、ここまで気を撒き散
百代の気が爆発する││臨戦態勢に移ったことが誰からでもよくわかる程気が溢れ
ない日々だった││特に百代にとっては。
しかし、そのファミリーにとっては信じられない程長い時間だった、そして酷く眠れ
かもしれない。
あっても足りない時間だろうし、在校生にとっては退屈な授業が続く夏休みまでの時間
三ヵ月という長く短い月日、人によって感じ方は違うだろう。受験生にとっては幾つ
││我が弟子達。││
279
﹁⋮⋮化け物かよ﹂
﹁化け物、結構││﹂
二人の合言葉に成りつつある言葉を呟くと二人の交差は始まった。
まず百代、初手先制という基本は変わっていない、これは戦闘スタイルの問題であっ
て変えれるものではなかった。総一郎も後の先であるためやり辛さが全くない全力の
勝負が出来るライバルであった。
して。その初手には勿論変化がある、つまり後の先と対になる先の先││二人の距離
はおおよそ二十メートル、総一郎に向かって攻撃を放つ間に百代は七十七変化をつけて
その刹那を駆け抜けていた。
ならば││後の先にいる総一郎は七十七手に変化する百代の攻撃に七十八手対応す
るのがその筋である。しかし、百代が残り三メートルに近づき五十四変化をつけた時点
でその大太刀を抜いてすらいなかった。そもそも剣術家にとって三メートルという間
合いは自分の制空権内である、その内側は彼らにとって現実として死に直結するとも言
う。後の先にあるまじき行為、百代もそれを理解していたからこそ、そのまま総一郎に
一撃を││と考えていた。
結果としてその拳は総一郎に当たることは無かった。
﹁な⋮⋮﹂
──我が弟子達。──
280
総一郎はただ単に体を傾けるだけで避けた。まさか、そんな表情で百代は視線を右に
向けて総一郎の顔を見上げていた。カウンターを放ってくることもなく、刀を抜くこと
もない││まるで自分の七十六手を無視するように最後の一手をただ避けていた。
総一郎は軽く笑い、百代を置き去りにするよう校舎へ向かって三ヵ月前とは違う、や
る気のなさ││を見せながら飄々と遅い歩みを進めていた。
﹂
﹂と肩を組んで再会を喜ん
!
を向けると口角を上げて笑みを浮かべている大和の姿が見えた、総一郎からその姿がど
一郎の周りには人だかりが出来ている。揉みくちゃにされている総一郎だが、ふと視線
内部事情を知らなくとも彼が三か月間も連絡が途絶えていたことを知る者は多い、総
でいる。一方、京は不機嫌な顔のまま一点の札を総一郎に向けている。
かりの表情をしていたが、キャップは﹁連絡ぐらいしろよ
いたのでこの場合の代表は一子だろう。勿論、モロやガクトも心配していたと言わんば
教室に入るなり数人がそう叫んだので誰が、とは言い辛いが明らかに一子は涙ぐんで
﹁総一
!
281
﹂
んなものに見えたのかは分からないが、右手を上げてこちらも笑みを浮かべた。
﹁お前らホームルーム中だぞ
もらったよ﹂
﹁いえいえ、楽しそうでよかった。クリスも喜ぶでしょう││それに良いものを見せて
﹁申し訳ありません、騒がしいクラスで﹂
た。よほど怖いのだろう。
と、梅子の檄がF組に響き渡ると一同は何事もなかったように自らの席についてい
!
髪美少女の登場に一テンポ遅れる形で歓声を上げた。賭けに勝って喜ぶものもいれば
幾つかのアクシデントはあったが、クリスの自己紹介が終わるとF組の男子一同は金
侍の武士道精神を学びに来た、よろしく頼む﹂
﹁はい││ドイツのリューベックから来たクリスティアーネ・フリードリヒだ。日本に
﹁さて、クリス。ご挨拶しなさい﹂
る。
するとそこにクリスが飛び込んできた、それを迎えるクリスの父は至極幸せそうであ
!
﹂
﹂
軍服の老人は総一郎へ視線を向けた。
﹁父様
!
クリス
﹁おお
!
──我が弟子達。──
282
﹂
﹂
ヨンパチやガクトのように下心丸出しで嬉しさを爆発させるものもいた。
特にガクトはそれを口にまでしていた。
﹁え、えーと。く、くりすてぃあーねさん
﹁クリスでいいぞ﹂
﹂
﹁お、そうか。じゃあクリス││彼氏とかいるのか
﹁いるわけがないだろ
﹁フランクさん、そろそろ﹂
気を楽しんでいた。
そんな中一人、総一郎はクリスに興味なさげで刀の金属音を鳴らしてこの学園の雰囲
勘違い外国人というF組にぴったりと言える転校生が波乱の幕開けを告げた。
梅子を含むF組全員がそう溜息をついたことだろう、親バカと天然お嬢様そして日本
﹁はぁ⋮⋮﹂
﹁父様は仕事に情を持ち込まない人だ﹂
﹁当たり前だ、いたら本国の一個大隊で爆撃してやる﹂
﹁いないぞ﹂
ガクトは反射的に心と体が竦んでいつの間にか自分の席に着席していた。
ガクトの質問に刹那も間を空かせることなくクリスの父は怒鳴り声を上げた。当の
!!
?
?
283
﹁おお、そうだな。クリス、何かあればすぐに言いなさい、戦闘機を飛ばして駆けつけよ
う﹂
﹂
やあずみ、心までが姿を見せた。
するとそこにエレガントチンクエが一人││葵冬馬、そして準と小雪、さらには英雄
チとなにやら呪文のようなものを唱えている。
逆に先程まで総一郎が帰って来たことに喜んでいたガクトはF組の端っこでヨンパ
ントチンクエ謎の五人目という都市伝説となっており、かなりの人数が集まっていた。
教室の外に女子が総一郎を一目見ようと集まっているのだ。一年生にとってはエレガ
エ の 一 人 が 男 前 に な っ て 帰 っ て く る わ け で あ る か ら 昼 休 み の F 組 は 騒 然 と し て い た。
いことであり、この日クリスと並んで学園の二大ニュースとなった。エレガントチンク
兎にも角にも総一郎がこの川神学園に帰って来たことはファミリーにとって喜ばし
キャップか大和に降りかかる。
京がクリスの案内係に指名されたが、恐らくそんなことはしないだろう。その尻拭いは
どうやらクリスは島津寮へ引っ越してくることになっているようで、同じ寮で女子の
クリスが抱き付くとフランクは梅子に一礼して教室から出ていった。
﹁はい、父上
!
﹁お久しぶりです、総一郎君﹂
──我が弟子達。──
284
﹁ひさしぶりだな総一﹂
﹂
!
総一、何故連絡を寄越さなかった
﹁チョコマシュ寄越せー
﹁フハハハハ
!
けたんだぞ、どう落とし前つけるんじゃ
ああん
﹂
︶﹂
?
ココちゃんはやめんかー
﹂
﹁久しぶりじゃな塚原君。いや別に、心配してなどは居らんぞ
│にょわー
!
﹂
?
﹁ああ、フェンシングをドイツではやっていた﹂
た。つまり何か格闘技をしているのか、そういう意図だ。
父上がな塚原君の│
なにか││アバウトな質問だがクリスはここの雰囲気を汲み取りその意味を理解し
持ち主は一子だった。
総一郎の耳にそのような言葉が入ってくる、視認しなくてもわかることだがその声の
﹁クリスはなにかやっているの
一息つくこともなく昼休みが過ぎていくように感じられた。
する為のバリアだったのかもしれない。
を聞き入れられはしなかった。というか、その両手は冬馬がこれより近づかないように
そんな怒涛な攻め。両手を前にして六人からの質問攻めに﹁まてまて﹂と呟くもそれ
!
?
?
﹁お久しぶりです総一郎様☆︵てめえの安否が分からねえから英雄様に余計な心配をか
!
285
﹁そうなんだ﹂
一子はその回答に相槌を打つと少し口元が緩みだした。そして胸ポケットに入って
いる││ワッペンをクリスの机に叩きつける。
聞き覚えのある破裂音にそばにいた一同はそこへ視線を向けた。得意げにニンマリ
と笑みを浮かべている一子、そしてクリスはそのワッペンを凝視する││が、そんな時
間が長引けば緊張感が漂った雰囲気も見るも無残に崩れていく。そんな状況に困惑し
﹂
ていく一子の後頭部を大和が叩いた。
﹁痛い
﹂
リスは構いもせず質問する。
一子の口から洩れた音で教室からは一気に笑い声が漏れた。恥ずかしがる一子にク
﹁あ﹂
﹁馬鹿、クリスは来たばっかりなんだから決闘制度のことは知らないんだ﹂
!
?
手慣れたようで簡潔な説明によりクリスも理解するのが早かった。
恐らく一子では答えられないと判断した大和は二人の横から口を挟む。その説明は
る謀り合いで決める制度。この学園ではそれを認めているわけだ﹂
﹁まあ、簡単に言えば教師立ち合いの下、生徒同士の争いや優劣を武による勝負や智によ
﹁決闘制度とはなんだ
──我が弟子達。──
286
だからこそだ、クリスはそこに疑問を抱く。
﹁歓迎││よ
﹂
さらにその決闘理由は歓迎会である、そう煽り文句が学園中に広まるにはカップラーメ
ティアーネ・フリードリヒ、武神が妹で武士娘の切り込み隊長である川神一子の決闘。
ホ ー ム ル ー ム に 馬 で 乗 り こ ん で き た ド イ ツ か ら の 転 校 生 で あ る 金 髪 美 少 女 ク リ ス
が、昼ご飯を適当に済ましてまで楽しいことがそこにある。
校庭にはかなりの人数が集まっている。貴重な昼休み││それが学生の共通認識だ
♦ ♦ ♦
けた。
その一言にクリスは一度驚き、そして笑みを浮かべ胸ポケットにある物を机に叩きつ
!!
一つ。
は出てこない。あれだけの登場をしてさらに格闘技まで習っているのだ、ならば理由は
至極真っ当な疑問である││はずだが、このクラス基この学園の常識ではそんな疑問
﹁自分は川神さんのと何故決闘するのだろうか﹂
287
ンが出来る時すらかからない。
二人の決闘に注目が集まっているのには更なる理由がある。早朝のひと悶着が彼ら
彼女らの魂に火をつけていたからだ。
その当事者である二人は人だかりの最前線で並んでいた。
﹁あれ、後輩君じゃないか。さっきは舐めたことしてくれたな﹂
﹁怖い怖い、ワン子が怯えるからやめて﹂
﹁なんでワン子になすりつける﹂
総一郎の後ろから百代は抱き付いて殺気を出していた。しかしそれもただのスキン
シップ、周りからしたら迷惑もいいところだが、実際百代の敵対の意志は無い。殺気が
無くなるとギャラリーは総一郎へ妬みの視線を浴びせる。
﹁で、どうなのワン子は﹂
なにが﹂
?
をようやく見せられると思っていた。
振りを楽しみにしていたし、百代は総一郎が帰って来たことを実感して││一子の成長
三ヵ月振り││と聞いて総一郎も百代も気持ちが昂っていた。総一郎は一子の成長
﹁あーそうか、三ヵ月振りに見るのか﹂
﹁いやいや、ワン子の実力はどうなの﹂
﹁ん
──我が弟子達。──
288
﹂
﹂
すると中央で準備していた一子が体に着けている重りを取って総一郎の方に駆けて
くる。
﹁総師
﹁なんぞ﹂
﹁修行の成果お見せします
﹁良し、頑張れ﹂
﹂と力強い返事に総一郎は﹁それ﹂を感じ取り興奮が安心に変化した。
!
﹂
!
﹂
?
二人の返事を確認して鉄心は頷く。
﹁了解しました﹂
﹁はい
が力ずくで止めるからよいな
レプリカを││これは良いな。急所への攻撃は禁止、降参した相手へ攻撃した場合は儂
﹁儂が戦闘続行不可能と判断するか、もしくは降参を宣言するまで決闘は続く。武器は
それをみて鉄心が現れる。
たのではなく、全てが静粛になった。
チョをしていた大和とキャップや弁当売りの声が聞こえなくなる。歓声にかき消され
二人が中央に向かい合う。ギャラリーの興奮は最高潮に達し、後ろの方でトトカル
﹁はい
!
!
289
﹂
!
時間が経つに連れクリスの表情が曇っていくのが良く分かる。我慢比べに疲れたわ
一子は豹へ変貌を遂げていた。
いわけがないのだ。
ばかりに悪い笑みを向けている。しかし総一郎も悪い気はしない、弟子の成長を喜ばな
総一郎は横目で百代を見ていた。それに気が付いた百代は﹁してやったり﹂と言わん
できるほどに長かった。
程度であるからこそ動揺は見られない、二人の膠着はギャラリーが六度息を飲むことが
だからクリスは驚愕とまでいかなくとも意外感を覚えた。しかし意外感を超えない
の常識である。総一郎でも思っている。
いた。犬のように直進的││それはファミリーにとっても学園の生徒にとっても共通
クリスは一子のことをまだよく理解はしていない。だがそれでも気質は感じ取って
かなかった。かといってクリスが先手を取ることもない。
定するつもりはない、それを貫いて進化させているならばそれで良い。だが、一子は動
先手は一子││と総一郎の考えは良い意味で裏切られた。先手を取るスタイルを否
﹁それでは││始め
──我が弟子達。──
290
けではない、一子から放たれる視線の鋭さに恐怖を覚え始めたのだ。普通は正面で対峙
するはずのない肉食動物から放たれる狩りの意志、サバンナでもその意志に立ち向かう
者はいない、感じ取った瞬間に逃亡を選択するだろう。
状況を打破したい││クリスはそう考えるが、むやみに攻めれば思うつぼ。思考が攻
めと守りで揺れていた。
易に弾くことはできない。
迫る一子をクリスは一突きした。フェンシングの突きは最速、そして細すぎる点は容
動揺は獣にとって十分に狩れる動きである││
の者が一子が痺れを切らしたと考えた。
それは決定的な間違いだ、それに気が付いた者は数人と言ったところだろうか。殆ど
スは自分の判断が正しかったと信じた、正解は待ちだったと信じてしまった。
して、一子がクリスの揺れを観たその時、豹は狩りを始めた。それに気が付いたクリ
﹁感じる﹂のではなく﹁観察する﹂成長段階ではある物の百代お墨付きの代物であった。
の観﹂である︵名称は大和が付けた︶五感だけでは観察できないものを六感にまで頼り
相手の動きを読むのではなく、相手を観察するのが一子の見つけた戦い方││﹁六徳
そう思考したのは他でもない一子。
︵揺れた︶
291
﹂
クリスの突きは一子の胴体を完全に捉える位置にいた。
﹁なっ
勝者、川神一子
﹂
!
﹁ありがとうな﹂
総一郎も﹁さていくか﹂と考えていたが││
始まっていた。仲介に大和と京が入り、鉄心が一子に拳骨をかましていた。
そんな歓声の中一子はクリスに手を差し伸べている││が暫くすると何にか口論が
間髪を入れず歓声が上がる。一子の信頼度と人気度が現れている。
!
剣を引いてしまった、後は一子がクリスに一撃を浴びせるだけだった。
間合いで武器を引くことは自殺行為、間合いは零になる。クリスはそう考える暇もなく
的にクリスは不利、しかもフェンシングは特性上一度突いたら引かねばならない。この
フェンシングの間合いに入れば一子が使う薙刀も間合いに入ったことになる。圧倒
つまり一子はクリスのカウンターを予測済みであったわけだ。
リスは一子が機を誤ったと勘違いしている。
その理由は簡単だ、二人の意図の違い。もっと言えば一子は機を間違わなかったがク
だったからこそ当てる場所を予測しなければならない。だが、それは当たらなかった。
ク リ ス は そ う 声 を 上 げ た の は 切 っ 先 に 感 触 が な か っ た か ら だ。一 子 の 突 進 が 突 然
!
﹁そこまで
──我が弟子達。──
292
293
││と、百代が耳元で囁き、総一郎は一子の方へ駆けている百代の後姿を見て、もう
一人の弟子の成長も感じていた。
││我、日常に戻る。││
どうしたクリス﹂
﹁直江殿﹂
﹁ん
ると三人は再認識した。
まさか見事にここまでとは思わない。成長したと言っても赤子に毛が生えた程度であ
つまり京がクリスの案内をすっぽかした、そういうことだ。分かっていたことだが、
椎名が││と言われればファミリーとしてクリスの話を聞かないわけにもいかない。
近 く に い た 総 一 郎 と キ ャ ッ プ は 聞 き 耳 を 立 て る こ と な く そ の 会 話 が 聞 こ え て い た。
﹁ああ、実は椎名が││﹂
?
﹂
?
教科書類を全て鞄にしまうと大和は﹁じゃ﹂とキャップと総一に一瞥、クリスを一つ
﹁すまない﹂
﹁じゃあ俺だな。クリス、まずは学校から案内するよ﹂
﹁うーん、川神院に呼ばれてる﹂
﹁総一は
﹁俺はこの後バイトだからなー﹂
──我、日常に戻る。──
294
お辞儀をして教室を出ていった。
総一またな
﹂と風のように走り去って
すると、総一もそのまま川神院に向かおうとしたのだが、キャップが妙なこと言う。
﹂
﹁面白いよなあ﹂
﹁は
ただの独り言だったようで﹁バイトだー
!
?
あり、塚原卜伝の再来、そして││
と言うニュージェネレーションがその立場を優位に立たせている。武神に勝った男で
と言えるのはその門下生の数、つまり新当流の影響力だろう。そしてそこに塚原総一郎
│と言われた人昔前からすれば、川神院に全ての分がある。それでも尚、川神院と対等
る塚原と対をなす、と言いたいところだが。塚原純一郎や信一郎が剣術界最強になる│
川神院││その説明はもう必要ないだろう。世界武術の総本山。剣術の総本山であ
この男を恐れていた。
いく。総一郎はその一言が波乱の幕開けを呼ぶ言葉ではないのかと、自然の台風よりも
!
295
﹁まずはおめでとう﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁当主継儀はいつごろになるかのう
﹂
はイマイチ伝わっていない。
﹂
の話は進んでいた。今のところ抽象的な会話で鉄心とルー、そして総一郎以外の二人に
鉄心の自室に総一郎、百代、一子、ルーは集められ、鉄心の点てた茶を啜りながらそ
﹁早いうちに。六月の中旬ぐらいに予定してます﹂
?
らだろう。
﹂
?
?
⋮⋮けいぎ
!
ても意味は分からないのだろう。そこにいた一同は深く溜息をついて、一子は困惑しな
連想出来た当主までは良かったものの、肝心の継儀が理解できていない。読めたとし
﹁えーと⋮⋮当主を受け継ぐ為の試験が││あ、当主
﹂
に総一郎の事情を知るものならばすぐに分かる、一子が理解できていないのは馬鹿だか
﹁当主継儀﹂聞くことのない言葉。だが正しく読むことができれば理解も容易い。特
ぶつける。すると百代は感づいたらしく、総一郎と目が合うと思わず笑みを溢した。
恐らく漢字は想像できていないだろう、聞こえたままの発音で鉄心と総一郎へ疑問を
﹁とうしゅけいぎ
?
﹁ワン子、総一郎はなんで今まで帰ってこなかったんだ
──我、日常に戻る。──
296
﹂
がら行き場を失った犬のようになっていた。
﹁継ぐ儀式、継儀だ。当主継儀﹂
﹁当主⋮⋮継儀。え、当主になるの
﹂
?
﹂
?
いた││という言葉に反応したとは違い、鉄心はもう一つの言葉に反応を示す。
淡々と話す総一郎とは対照的に鉄心や百代は表情を曇らせていく。百代が寝込んで
﹁いえ、正確には二ヵ月ぐらいで、その後二週間ほど寝込んでました﹂
﹁⋮⋮三ヵ月モ
﹁単純に連絡の取れない場所にいました﹂
ない話だった。
誰もが知りたい訳、知られざる塚原の試験。教えてもらえなくとも聞かずにはいられ
くれるかイ
﹁あまり言うべきことではいかもしれなイ。だけど何故連絡が取れなかったのか教えて
心配した理由はそこにある。塚原の事情とはいえ鉄心や教師のルーは気が機ではない。
都へ向かってから三ヵ月間以上一つとして連絡がなかった。ファミリーや鉄心たちが
元より総一郎が試験を受けることは知っていた。だが、総一郎が十二月の終わりに京
﹁それは違うじゃろう⋮⋮﹂
﹁おう、鉄っさんにため口きいても誰も文句は言えねえぜ﹂
!?
297
﹁総一郎や﹂
﹁はい﹂
﹁二ヵ月間もか
﹂
﹂
﹁││ええ、そうです。塚原の呪いと戦っていました﹂
だが、総一郎は二ヵ月の間試験を行っていたはず。もし戦っていたならば、だ。
もちろん何者かと戦うこともあるだろう。
いが強い。度胸を試したり、絶対に達成できない事柄にどれだけ挑戦できるかを試す。
予想もしない言葉だっただろうか。本来武術における試験とは通過儀礼的な意味合
﹁お主は何者かと戦っておったのか
?
一一子がだけが意味を理解できていない。
もしや││と予想していた百代が大声を上げた。鉄心とルーも渋い顔をしている、唯
!?
﹁ご心配をお掛けいたしました。時期が時期なのでまた迷惑がかかるかもしれません、
﹁本当によかったネ﹂
﹁││いや、すまぬ。とにかく無事に戻ってきて安心したわい﹂
たれた雰囲気がそれ以上の追及を拒むと理解したのだ。
鉄心が口にしようとした言葉を途中で切る。そんなつもりが無くとも総一郎から放
﹁総一郎、一体呪いとは││﹂
──我、日常に戻る。──
298
その時はよろしくお願いします﹂
突くため機を見定める一子。稽古としてやっている総一郎や楽しんで戦っている百代
百代の激しい攻撃を受け続け、たまの隙に鋭い一撃を放つ総一郎。そして二人の虚を
を行っていた。
郎はかなり激しさを増した攻防戦を繰り広げ、そこに一子も加わるという三つ巴の稽古
目的地へと向かっていた。疲労の理由はあの後に行った稽古。朝とは違い百代と総一
川神院から秘密基地へ向かう途中の河川敷、三人は疲労感を覚えながら遅い足取りで
﹁総ちゃんもお姉さまも意味が分からないわ﹂
﹁モモちゃん強すぎ﹂
﹁隙が無い﹂
♦ ♦ ♦
﹁⋮⋮うむ﹂
299
﹂
とは違い一子の疲労は二人よりも大きい、三人の足取りが遅いのは一子に合わせた歩幅
だからだ。
﹁ワン子大丈夫か
構えているが案の定一子は道端で寝てしまう。それを総一郎は支えると百代と二人で
頭をコクコク揺らす一子を見てヤバイと思った総一郎は近くに寄ろうとする、百代も
﹁いや、大丈夫⋮⋮zzzz﹂
﹁ワン子、負ぶってやろうか﹂
﹁うーん、平気よお姉さま﹂
?
﹂
苦笑を漏らした。
﹁私が背負うか
?
同じ歩調で秘密基地へと向かう。
体勢を整えると三人││歩いているのは二人││は一子を起こさないように先程と
﹁うん﹂
﹁ああ。だが、心は一番強い﹂
﹁歳は同じなのにな﹂
そういうと気持ちよさそうに寝ている一子に微笑んで小さな体を総一郎は背負った。
﹁いいよ、何だか妹みたいだ﹂
──我、日常に戻る。──
300
すると総一郎が重そうな口を開いた。
﹁どこまでいけるか、な﹂
﹁⋮⋮安心しろ、私はお前も責めはしない﹂
﹁ああ、安心だ﹂
一見していい雰囲気の二人だが、生憎そんな感情が二人の間に芽生えることは無かっ
た。手をつなぐ距離にいてもそれは違う。
この二人は手を繋ぐことよりも拳と刀を合わせることの方がよっぽど心地が良かっ
た。
﹂と言うつもりだったらしいが、一子がぐっすり総一郎の
そんな歩調で秘密基地に向かうのだからそこに着いた時間はかなり遅くなっていた。
キャップやガクトは﹁遅い
﹂
かんぱーい
﹂
そして一子が熟睡の中ファミリーのリーダーであるキャップから音頭がとられる。
背中で寝ていることに気が付くと息を吐いてただ微笑み、言葉はしまわれた。
!
﹁えー大馬鹿野郎の総一郎が帰ってきました。て、ことで騒ぐぞー
﹁いえーい
!
!
!
301
﹁お帰り
﹂
﹂
結婚して
﹂
﹁イケメンに磨きをかけやがってチクショー
﹁大和好き
食べ物
﹁そりゃおかしい﹂
﹁ふがっ
﹁そりゃおかしい﹂
!
﹁止めとけ﹂
﹁結婚しよう
﹁お友達で﹂
﹂
?
﹁総一郎もそう思うか﹂
﹁まあ、酷い話だな﹂
京が迫る直前で大和の制止が入る。
!
﹂
﹂
﹁││ってことで、俺は卑怯呼ばわりされた﹂
意気消沈。そして転校生の話題へと移る。
その後は総一郎に対する文句と質問攻め、特に京からの執拗かつ陰湿な文句を受けて
音頭言えぬキャップらしい音頭でフルメンバーの金曜集会は幕を開けた。
!?
!
!
!
!
﹁何それ、殺していい
──我、日常に戻る。──
302
穏健派︵自称︶の総一郎は京の意見に同意する。軽い口調だがやはりどこかで苛立ち
を覚えていた大和はその同意にすぐ反応した。
らなあ﹂
ワン子わかるか
?
﹁あ、確かにそれは言えてるね﹂
﹂
﹁侍中ってなんだ
﹁知らないわ
?
ける総一郎。不機嫌な顔をして﹁どうゆうことだよ ﹂と叫び、何故か馬鹿にされてい
分からない││と言ったはずのワン子の頭を撫でつつガクトに冷ややかな視線を向
﹁ワン子は馬鹿として、ガクトは相変わらず馬鹿だなあ﹂
!
﹂
﹁冬馬と違って卑劣さが目に見えるのは確かだが││我が陣営の軍師様は侍中さんだか
303
それには葵が当てはまる。、侍中ってのは
るはずのワン子は勝ち誇ったように頭を撫でられていた。
!
郎に詰め寄るがそれを躱す。と、少し心に傷を負った大和へ百代が﹁まあ落ち着けよ、お
ファミリー一同が﹁なるほど﹂と頷く。﹁お前卑劣とか言ったろ﹂と大和が遅れて総一
露見するんだ、そこが葵との差かな﹂
けるが小細工と人脈ではその上を行ってる。まあ小細工とかするから事が終わった後
政治家のことだ、頭と人脈を生かして政をこなしていく。俺は葵よりも単純な知力で負
﹁軍師とか策士ってのは知力がメインだろ
?
﹂
姉さんが慰めてやるから﹂と抱き付けば、大和は顔を赤くして大人しくなっていた。
││そして。
手段を取ったのだろう。
恐らく元々言うつもりだったのだろうが、クリス反対の雰囲気に移行する前に。と強硬
強引な話題変換││いや、共通の話題だったが明らかにタイミングがおかしかった。
﹁なんだかんだあるがクリスをファミリーに入れよう
!
﹂
そんなキャップに言葉をなくすが、流石はファミリー。入って一年の総一郎ですらす
でに苦笑を漏らしている。
可愛いし
﹂
いい対戦相手だわ﹂
﹁んー私は賛成だ。可愛いし
﹁私も賛成よ
!
!
一 郎 の 是 非 が カ ギ と な る。無 言 の 視 線 が 自 分 に 集 ま る こ と が 嫌 だ っ た の か 総 一 郎 は
今までのファミリーであれば賛成多数でクリスの仮入団が決まっていたが、今回は総
﹁俺は⋮⋮保留よりの反対かな﹂
﹁私は反対﹂
かったし。今回は先入観だけど良いとは思わない﹂ ﹁僕 は 反 対 か な。総 一 は 良 か っ た け ど あ の 時 の 総 一 は そ ん な に 印 象 が 悪 い わ け で も な
!
!
﹁俺様も賛成だ
──我、日常に戻る。──
304
コップに入っていたサイダーを飲み干して自分の視線と他の視線を交合わせないよう
遮る。
♦ ♦ ♦
けている百代は三ヵ月前の総一郎を今の総一郎へ投影していた。
えている。特にファミリーの感情に敏感な京、そして今日一日総一郎へ違和感を感じ続
た。﹁ま、そんな日もある﹂と誤魔化したように言うが、大半の者にはそれが不自然に見
ガクトとモロがそんなことを言うと総一郎は口を開こうとするところでそれを辞め
﹁確かに意外だね﹂
﹁了解。それにしても総一郎が反対寄りとは思わなかったぜ﹂
﹁じゃあ取りあえず遊んでみて駄目だったら切るってことで﹂
た。
その言葉でキャップは頷き、ファミリー一同も総意に反対すること無くそれを了承し
﹁んー⋮⋮反対寄りの保留で﹂
百代からの催促が入る。
﹁どうなんだ﹂
305
いつもより少し遅い夕飯。転校生のクリスがそこに加わり賑やかな食事になってい
たが、秘密基地を出るときに誰もが危惧していたクリスと大和の喧嘩が始まっていた。
そんな光景に不機嫌な京を諭す総一郎だったが、傍からみれば彼が一番イライラしてい
たに違いない。 そんな雰囲気を良いことに壊したのが彼女だった。
扉の隙間から居間を見ていた彼女、その存在に気が付いたのは状況を変えたいキャッ
プ。
﹁おーい、お前そんなとこで何してんの﹂
﹁え、あ、そのですね。少しお、遅れてしまって﹂
﹁おう、こっちきて飯食おうぜ﹂
﹁││由紀江ちゃん
﹂
と座る直前、総一郎は彼女の名前を呼ぶ。
恐る恐る居間へ入ってくる彼女の姿に総一郎は見覚えがあった。彼女がテーブルへ
﹁は、はい﹂
──我、日常に戻る。──
306
?
塚原継儀編
そう大成は微笑む。葬儀の時かなり暗い趣だった総一郎と今の何か決意に満ちてい
﹁構わないさ。悲しいことだが友人の別れは出来るだけ手を尽くしてやりたい﹂
﹁葬儀の時はありがとうございました﹂
も交流があり葬式にも出席していた。
総一郎が北陸で出会ったのは剣術家﹁剣聖﹂と呼ばれる黛大成十一段、生前の村雨と
﹁ああ、よく来たね。最近色々な所から君の名を聞くからそろそろ来ると思っていたよ﹂
﹁失礼、新当流総代塚原総一郎と申します。突然の訪問お許し下さい﹂
ど修行の為の旅となっていた。
そして北陸へ向かった。結局そこでも呪いに関して手がかりを得ることは出来ず、殆
がある。
館や武士に縁のある全国を旅してまわった。その時に京の父とも手合わせをしたこと
を兼ね、呪いについて情報集めをしていた。川神院に行くことはなかったが、西の天神
師の死、そして決意、燕との和解││基、交際を経た次の年。総一郎は武者修行の旅
││我回想、そして私の女。││
307
る総一郎を比べて自分の疑いが憂いだったことに気が付いたのだ。
﹁聞いていた印象が違うね。村雨からは手のかかる弟子だと聞いていた﹂
﹁その通りです。師が死ぬ間際までは愚か者でした﹂
﹁⋮⋮そうか。ならば村雨も││いや、これは言うべきではないな。ゆっくりして行き
なさい、稽古であれば幾らでも付けてあげよう﹂
﹁ありがとうございます﹂
恐らくは﹁村雨も未練がなかろう﹂と言うつもりだったはずだ。人昔前の者であれば
気にも留めずむしろそれが真理と言わんばかりに褒めたたえていたかもしれない。だ
が、大成は葬儀の時総一郎の異変を悟っていた。村雨の謎の死、そして総一郎の変化を
合わせれば﹁何か﹂が起きたことを察することは容易だった。
﹂
?
﹁ってのが由紀江ちゃんと俺の出会いなわけよ﹂
♦ ♦ ♦
﹁││娘と手合わせ願えないだろうか﹂
﹁はい
﹁何、友の弟子だ。それは私の弟子と同義さ││ああ、だが一つお願いがある﹂
──我回想、そして私の女。──
308
﹂
そんな昔話をすると由紀江は総一郎の隣で縮こまっている。
﹁へえ、黛さんってすごいんだな﹂
﹁で、総一と黛さんはどっちが勝ったの
﹂
!
﹂
!
得意なものは家事全般
得意なことは剣術です
﹂
!
いた顔を上げた。
﹁ま、黛由紀江です
!
渾身の自己紹介。時々声が裏返りつつも言い切った彼女は目を瞑って返事を待ち望
!
そのうち深呼吸を繰り返すと少しだけ聴き取れぬ声で﹁松風、いきます﹂と呟き、俯
な動揺を隠しきれない。
額に汗をかきながら総一郎と他の者を交互に見つつ手をわさわさと動かして明らか
﹁え
うに、滅茶苦茶怖い顔をされてもそれは多分笑顔です。はい、由紀江ちゃん自己紹介
﹁で、だ。由紀江ちゃんはとんでもない人見知りなので皆さん出来るだけ声を掛けるよ
は蔑んだ視線を送りつけるのだった。
更に縮こまる由紀江と誇らしげなドヤ顔を見せつける総一郎、そんな姿を居間の一同
﹁コテンパンにされました⋮⋮﹂
﹁俺、圧勝﹂
大和の質問に総一郎は由紀江と目を合わせた。
?
309
んでいた。
﹁よろしく、黛さん﹂
﹁よろしく頼む﹂
﹂
﹁おう、よろしくな﹂
﹁よろしくな
﹂
!
﹂
次の日は土曜日、クリスと由紀江を交えてファミリーは河川敷にて簡単な野球を行っ
♦ ♦ ♦
そして馬のストラップと会話する由紀江に一同はドン引きであった。
!
﹁やりましたよ松風
そんな皆の言葉に由紀江は目じりに涙を溜めるのであった。
﹁⋮⋮よろしく﹂
!
﹁おう、友達百人計画もようやく始動だぜ
──我回想、そして私の女。──
310
ていた。
と京が投げれば。
﹂
﹁ハンサムには打てない球﹂
﹁くっ、俺様には打てねえ
と空振るガクト。
﹁お友達で﹂
と興奮しながら京が投げれば。
﹁打つと私と結婚することになる
!
﹂
﹂
!
﹁へいへーい、ピッチャーびびってる、へいへいへーい、ピッチャーびびってる﹂
を青くした。
た。そんな状況をを理解できていないクリスと由紀江、河川敷の方を見たキャップは顔
そんな時、参加していたメンバー全員が3人のいる方へ駆けてきたーー否、逃げてき
﹁あ、あ、あ、あ、ありがとうございます
﹁なるほど。誘ってくれてありがとう、こんなに早く友達ができるとは﹂
﹁野球って言っているけどまあこんな感じで適当に遊ぶのがいつもだな﹂
そんな風景を2人に見せるキャップは2人を仮メンバーに入れることを告げていた。
と見逃しの三振を喫し冷静に甘んじる大和がいる。
!!
311
﹁安心しろ、顔はやめてやる﹂
﹂
悪魔の笑みを浮かべる百代とそれを面白半分で煽る総一郎の姿がある。
皆んな離れろ
!
物を使い慣れている総一郎が有利、当然総一郎はそのボールを真芯に捉えた。がーー
力をの配分は双方とも完璧、あとは潜在時な野球のセンスがものを申した。恐らく長
ぐ障壁だった。
気の総量で勝てないことを知っているのか、その気の込め方はできるだけ相手の力を削
の間にか投げたーーように見えただけだったが。総一郎も木製のバットに氣を込める、
璧なフォームでおおよそ理解できない速さの球が繰り出された、周りからは百代がいつ
百代の持つ球に氣が込められる。スカートではないので派手なまさかり投法から完
郎も少しばかり額に汗を浮かべて数秒の間だけ無我の境地を発動させた。
キャップがそう声を張り上げると完璧なセットポジションに百代は入る、対する総一
﹁やべえ
!
﹂
!
薄ら笑みを浮かべながら百代は次々とボールを投げ、総一郎はその殺人ボールを打
ば確かにピッチャーライナーだった。
確かにホームランコースだった総一郎の打った球。だが、それを百代が捕ってしまえ
﹁て、てめえ、卑怯だぞ
﹁へーい、ピッチャーライナー﹂
──我回想、そして私の女。──
312
ち、百代はそれをひたすら捕る。
﹂﹂
!
そして総一郎は気配を絶って寮を抜け出していた││
相も変わらず二人はいちゃつき、微笑ましい光景は風景となっている。
﹁わかった、結婚して﹂
﹁せめてやるならそのデスソースはやめろ﹂
﹁はい、あーん﹂
を運んでいる。
まさぐっている。キャップも負けじと豪快に飯を口へかけこみ、モロはマイペースで箸
一子とクリスは競うように肉を取り合い、ガクトはその肉汁を飲み、百代は由紀江を
が島津寮で振る舞われた。
その日の夜、島津寮に入ったクリス、そして遅めだが由紀江の歓迎会も兼ねた焼き肉
﹁﹁化け物結構
﹁⋮⋮化け物だな﹂
313
彼が勝手に歩く足のなすがままに訪れたのは春の風が少し荒れている河川敷だった。
かって百代と二人で壊した惨状は面影をなくし、総一郎もそれを投影することは容易く
ない。
月は出ていない。向こうに無数の明かりが見える。
﹂
七浜ほどの光はないが、やはり都会、実家程に星は見えないが、それでも目の前にあ
る人口光よりは多く見えていた。
があるだけだ。
総一郎の気配に鉄心は居ない。こちらに近づいてくる大きな気と二つの小さな気配
﹁なあ爺さん、俺は殻に閉じこもってしまったのだろうか。それとも殻が付いたのか
?
﹁今はキャップやガクトがなんとかやってるけど、クリスとまゆっちが心配してたぞ﹂
わけがない、勿論他の気配も理解していた。
その声の主は百代だった。何度も手合わせし本気で戦った仲だ、先程から分からない
﹁なーに笑ってんだ﹂
掛け、微笑んだ。
総一郎は微笑んだ。目の前の誰にでもなく、後ろの誰にでもない。自らの手平に語り
﹁⋮⋮ふふ、そうか。時間はあるもんな﹂
──我回想、そして私の女。──
314
そんな優しい声を掛けるのは思いのほか大和だった。恐らく帰って来てから総一郎
の様子がおかしいとファミリーは気が付いていたのだろう。
﹁⋮⋮﹂
京は只総一郎を見つめ続け、それに気が付いた総一郎はいつの間にか見つめ合ってい
た。
﹁そんな見つめて俺にでも恋したか││﹂
﹂
開いた口が塞がらなかった。唖然としていたわけではない、その言葉の後すぐに言葉
﹁私たちは逃げ場所だよ、絶対にそこにある﹂
を紡いでしまったのだ。
﹁俺はお前たちに話したいことがある、聞いてくれるか
﹁ああ﹂
﹁おう﹂
﹁うん﹂
﹁⋮⋮俺は││﹂
♦ ♦ ♦
?
315
総一郎は元日の前々日にに京都駅へ着いた。十二月三十一日の昼だった。新幹線を
降りて京都駅改札を出ると割と地味目な服装でキャスケットをかなり深く被った女性
が視界に映った時、すでに彼女は自分めがけて飛び込んでいた。総一郎は衝撃を緩和す
﹂
るように彼女を受け止めその場を数回転した。
﹁おかえり
!
シャレになんねえ⋮⋮﹂
!
﹂
!
ピースサインで笑顔を見せる燕の表情は下からは良く見えた。
﹁もち
﹁元気そうだね、つーちゃん﹂
中腰になってうずくまる総一郎は苦笑いで笑顔の少女を見上げた。
﹁ごふっ
﹂
﹁先にただいまって言わせてくれよ﹂
!
﹁口答えには納豆鳩尾
──我回想、そして私の女。──
316
京都で有名人な納豆小町が町中をイケメンと手を組んで歩いていれば辺りは騒然と
なるだろう。そのため燕は重変装を施しているわけだ。
だが、それでも二人は注目の的となっていた。それもそうだろう、燕がこれ程までに
べったりと総一郎へくっついていればバカップルその物に見える。そんな視線を構い
もしない燕とは裏腹に総一郎は嬉しさ半面、居心地の悪さ半分と言った状態だった。
二人は今所謂デートに勤しんでいる。総一郎の荷物は京都駅に来ていた新当流の門
下生に預けてきた。二人の姿をみてニヤついていたそいつに総一郎がローキックを食
わらせたのはご愛敬。少しばかりの手荷物で二人はショッピングや食事、ゲームセン
ターなどで久しぶりの時間を過ごしていた。
﹂
﹂
とある道、時刻は四時半を迎えようとして夕日が煌いていた。
﹂
﹁今日は暇なの
﹁は
﹁ああ、今日は家ですることはないの
﹁⋮⋮え、何
﹂
総一郎が怪訝に問いかけると燕はさらに体をくっつけて耳元で囁いた。
?
﹁あらそう﹂
﹁あー⋮⋮ない、しいと言えば母さんに合う位かな、まあそれは明日でも﹂
?
?
?
317
﹁今日、親居ないんだ﹂
﹁ほほう﹂
﹁私んちこいよ﹂
﹁やだ、イケメン﹂
そして二人は笑う。微笑みは交わしていた二人だったが、これが初めての抱腹絶倒
だった。
﹂
!
﹁まあまあ、上がって﹂
いた。
どうやら元から燕が話を通していたようで久信の温かい視線が総一郎を突きさして
﹁ああ、大丈夫大丈夫。もう少ししたら仕事で出かけるから。邪魔はしないよ∼﹂
ず思わず大声を上げていた。ガクトの癖が移ったのかもしれない。
そんな総一郎を出迎えたのは松永久信、燕の実父であった。総一郎は人目もはばから
﹁いるじゃねえか
夕方五時過ぎ、松永家宅。
﹁久しぶりだね、総一君∼﹂
──我回想、そして私の女。──
318
燕の押されて足早に中へ入っていくと約一年ぶりに見た松永家の風景がそこにあっ
た。幼き頃から燕と共に遊んだ││わけでもない。
﹁昔と比べたらやっぱりシンプルですね﹂
﹁そ、それは言わないでよ総一君⋮⋮﹂
昔は一軒家の一般家庭だった松永家。しかし少し前に久信が始めていた株が大失敗
し、大損の借金まみれ。塚原の援助によりどうにか今は松永納豆で生きているという状
況だ。と言っても貧困生活をしているわけではない、そこに居る筈の人││松永ミサ
﹂
ゴ、燕の母が居ないため久信は常にナーバスなのだ。いてもナーバス。
﹁ま、つーちゃんが料理を作ってくれれば問題は無いでしょう﹂
﹂
もうこのままでいんじゃないかって思うよ
ミサゴさんに電話します
﹁そうなんだよね
﹁え
?
!
﹁﹁え
﹂﹂
﹁そういえばこの前ミサゴさんから電話がありまして﹂
わっているわけだ。
やり直したいため技術屋として、そして松永納豆を全国に広めるため古今東西を駆けま
この通りお惚けな所が多々ある久信だが、愛想尽かして出ていったミサゴともう一度
﹁ごめんなさい、これからも精進します﹂
?
!
319
!?
エプロンを着けていた燕もこちらを振り返る。
﹁孫はまだかと言われました﹂
﹁あ、あはははは﹂
﹁あははははは⋮⋮﹂
同じような苦笑いが松永家に木霊した。
場面変わって九時過ぎ。既に久信は関東へ仕事に出かけ、燕と総一郎も風呂から上が
り夜の寛ぎを楽しんでいた。そうは言っても燕は眼鏡をかけて仕事中、寝っ転がってパ
ソコンに向かい経理の仕事に勤しんでいた。
﹂
そんな燕の横で総一郎は読書││をしがてら燕の横顔を楽しんでいた。
どうした
?
?
漏らして頬を突いた。
照れたのか燕は少し頬を赤らめながら作業に戻る、そんな姿をみて総一郎は微笑みを
﹁むー﹂
﹁可愛い横顔﹂
それに気が付いた燕はいったん手を止めた。
﹁ん
──我回想、そして私の女。──
320
あまり邪魔をしてはいけないと思ったのか直ぐにそれを止め、本も床に置いて仰向け
で一つ息を吐いた。
古時計から刻まれたリズムが燕の打つキーボードと音楽を奏でるようで、自然と瞼が
落ちていくような感覚に駆られた。
総一郎は燕の体に触れ、二人の唇は交わった││
﹁ああ、約束する﹂
﹁⋮⋮死なないで││﹂
して自然と涙が零れた。
口を開こうとすれば燕の口は総一郎の口で塞がれた。唇が離れると息が漏れ出る、そ
﹁⋮⋮そんなわ││﹂
﹁俺は死ぬかもしれない﹂
れた。そして総一郎が覆いかぶさっていた。
そして不意打ちだった。燕は左肩を弾かれて仰向けになっていた││否、仰向けにさ
少しの沈黙の後、燕はそう呟いた。呟いて指をキーボードに掛けた。
﹁心配してないもん﹂
だが、ここで寝るつもりはなかった。そうして燕の指も動きを止めた。
﹁何も言わないのか﹂
321
まるで自分の中身が自分の首元に刀でも突きつけてきたかのように。雲で光が遮ら
それを知った時、総一郎は尋常じゃない不安に駆られていた││
だが、まったくと言っていいほど動物たちの気配が感じられなかった。
でも遠くから自分を見つめている気配がしていた。
いた。総一郎にとって塚原山は動物たちとの生活そのものだった。だからどんな状況
冬は皆で集まり暖をとった。春先はその場で寝て起きると木の実や肉が傍に置かれて
時に使う憩いの場だった。夏は上裸で熊と共に魚を取り、秋は鹿と共に山を駆け巡り、
幼き頃から慣れ親しんだ塚原山。かって鉄心とも精神修行を行い、現実から逃げたい
が泥まみれだ。
冬の日、雨が降る塚原山は極寒だ。足元は不整地で歩きにくい。せっかくの正装も裾
かった。
郎。二人の間に会話は一切ない、初めに﹁ついてこい﹂と純一郎が言ったきり言葉をな
塚原山に入ってから二時間ほど歩いている、総一郎を先導しているのは祖父の純一
生憎の雨、その道は試練に相応しい程ぬかるんでいた。
その時、それはライオン。
その時、それはライオン。
322
れ、霧で視界が良くは無い。
まるで崖へ繋がる真っ暗な道を歩いているようで││だが総一郎は足を止めなかっ
た。胸に刻んだ言葉を糧にして。
振り向いた純一郎は総一郎と視線を合わせると﹁そこだ﹂と言葉を口にした。すると
いい男││といったところだろうか。
差はあるが、視界も悪いため瓜二つに見え、極寒の塚原山にその血を受け継ぐ水も滴る
散る水分で二人はびしょ濡れ。髪が濡れに濡れている二人は皺やヒゲ、輪郭などの年齢
と葉を経由し、滴として垂れてくる水滴。跳ねっ返りとぬかるんだ土を踏むときに飛び
││と、純一郎は突如足を止めた。二人とも森が遮っているとはいえ隙間から通る雨
い、そう考えるように対して愛着のない刀に左手で触れた。
れとも儀式的なために結界でも張られているのか。どちらにせよ知らない物は知らな
取った。木や土の様子から塚原山に違いはない、自分が知らない山の最深部なのか、そ
そ れ か ら 更 に 二 時 間。気 配 か ら し て 総 一 郎 は 全 く 知 ら な い 場 所 に 来 て い る と 感 じ
小さい呟きに純一郎も少し反応していた。
そう呟き、しっかりと前を向いた。
﹁闇の旅を進んで行く﹂
323
総一郎の目の前に一つ小屋が、そこに小屋があったか││自分が気が付かなかったの
か、それとも現れたのか。
こじんまりとした小屋、そこでこの大太刀を振れば横壁だろうと天井だろうとすぐに
││と純一郎には見えないところで表情
引っかかるだろう。深く考えすぎか││と短慮に思考した総一郎は純一郎に一瞥して
小屋へ進んだ。
小屋に手を掛けたその言葉だった。はっ
だ。
言うべきであったか││否、言うべきではなかった。もし失敗したならば私のせい
♦ ♦ ♦
それも緊張感のある筋弛、そして闘志が目に宿っていた。
る││気が付けば総一郎の全身には熱が帯、体全身は酷く強張っていた││が、次第に
力が抜け、心の内に隠れていた提灯に火が灯る。その火はすぐに周りの和紙にも燃え移
ない。少しして総一郎は後ろの方で枯れた葉が踏まれている音を感じた。そして肩の
が崩れた。純一郎も総一郎に背を向けているため双方からそれを汲み取ることは出来
!
﹁帰ってきたら、お前を抱きしめたいな﹂
その時、それはライオン。
324
││だが
││それでも言わずにはいられない
││私は
││私は何年も総一郎の魂に触れていないのだ
││私は総一郎に確信を向けられない
!
薄暗い小屋に足を踏み入れた時、総一郎は驚愕の一言以外に感情を持たなかった。
♦ ♦ ♦
いつの間にか止んだ雨に気が付いた時、総一郎の気が││隠れた││のを悟った。
!
!
!
!
男が話す。一言で脈絡もない。だが総一郎はすぐに受け答えた。
﹁某は﹂
そして男は鞘に入った刀を地面に立てていた。
らしいとは思わなかった。
その││男││は自分に背を向けている。顔は見えず、服装は正装ではないがみすぼ
それが切欠とは言わないが奥に人が座っていることに気が付いた。
﹁広い﹂
325
﹁塚原家長男、塚原総一郎。塚原家当主試験の為、参りました﹂
可能な礼儀を尽くした。すると男は﹁そうか﹂と言う、そしてゆっくりと立ち上がり、
総一郎に分かるよう対面した。時同じくして小屋と思われた部屋││道場に明かりが
入る。
その言葉の後に総一郎は戦慄した。
﹁我は││﹂
♦ ♦ ♦
塚原山に隣接する塚原邸、さらにその隣には新当流の道場があり、清閑な塚原邸とは
裏腹に道場は血気盛んな門下生の熱気に包まれている。そして双方の差はいつもより
も際立つ。
現新当流総代である総一郎が試験に臨んでいるためか、門下生の気合の入りようは凄
まじい。師範代の興輝でさえいつもよりも力が入り込んでいる。
そして塚原邸に住むその三人は粛々と佇んでいた。
﹁お母さん﹂
その時、それはライオン。
326
﹁⋮⋮大丈夫よ、大丈夫⋮⋮﹂
いつ帰ってくるのか、一体何の試験を行っているのか││それを全く知らない妹の水
脈と総一郎の母、皆美は居間で只々総一郎の帰りを待ち望んでいた。水脈はある程度総
一郎の変化を理解している。感覚的なものでしかないため総一郎が人斬りであること
は知らない。
それは皆美も同じだ。だが決定的に違う。
自らの腹を痛めて産み、大人しく育ち、どんな動物たちとも仲良くなれる優しい子│
│それがある日を境に激変した。目の下には隈が深く深く、仲の良かった燕にもきつく
当たる姿。碌に稽古もせず、信一郎や純一郎と会話すらしない。自分とは話してくれる
が、それもどこか薄く硬い壁があるようで何も言ってはくれない。
知りたくて知りたくて、辛い気持ちを背負ってあげたくて仕方ない我が子に何もでき
ない自分が情けない。不安で仕方ない。
今日自分に向けて﹁行ってきます﹂と言った時の表情が忘れられない。
なんて明るい笑顔なのかしら││
﹂
決意と不安、そして自分ができないこと││つまり支えてくれる人たちがいる、それ
を感じさせる表情だった。
﹁⋮⋮よし、何か食べましょう
!
327
皆美は自らを鼓舞するように言葉を発した。
♦ ♦ ♦
塚原山へ通ずる正式な道は塚原邸の敷地内にある。ここから許可を取って山に入れ
ば万が一があっても国、もしくは塚原の者が助けることができる。が、その他から入れ
ば保証は一切ない。熊もいれば猪もいる、獰猛な毒を持つ生物もいるだろう。
その入り口の門番は新当流の門下生が担っていた。しかし今は特別な時期、塚原山へ
の入山は禁止されているため新当流の門下生はそこへ近づくことすら許されなかった。
その為か門番の仕事││違う、これはそのようなものではない。その男は只待っている
のだ。
この場合﹁不意﹂と言う言葉は正しい。燕は唐突に声を掛けたし信一郎は燕の存在に
﹁燕ちゃんか⋮⋮﹂
そう不意に声を掛けたのは燕だった。
﹁おじさま﹂
その時、それはライオン。
328
気が付いていなかった。
﹂
?
﹁この先に
﹂
﹁⋮⋮呪いですか
﹂
﹁総ちゃんが師匠から聞いたそうです﹂
口調は至って優し気の信一郎だったがようやく凄味を増してきた。
?
?
﹁燕ちゃんも知っていたか⋮⋮誰から聞いたのかな
﹂
そう言えば燕から送られる視線の鋭さが無防備な自分を貫いた。
﹁当たり前さ、命にかかわる││﹂
﹁厳格ですね﹂
もね。一度出れば父でも入ることは出来なくなる﹂
﹁そうだ。先導役の父と総一郎以外はこの先に立ち入ることは許されない、燕ちゃんで
?
様子だ。
私服でここにきているのは﹁自分は門下生としてここに来ていない﹂とでも言いたげな
は行かないが少なくとも懐疑心までは抱いている様子だった。門下生用の道着でなく、
信一郎は苦笑気味に後ろに居る燕の方へ眼をやった。見るからに敵対心││とまで
﹁⋮⋮ああ、勘が鈍っているのかもしれないね﹂
﹁この距離まで近づいても気が付きませんでした
329
﹁││何
﹁はい﹂
村雨から
﹂
?
﹁⋮⋮あいつも
おじさま、呪いとは一体何なのですか
﹂
?
信一郎は一度燕に視線を向けると目があってから数秒で塚原山入口に歩みを進めた。
?
﹁あいつも塚原流に呪われたか⋮⋮そうか﹂
のかその言葉が誰に向けて発せられたのか容易に理解できた。
自分が知っている信一郎には似つかわしくない砕けた言葉使い、けれどもそのせいな
﹁あいつには一度も負けたことがなかったのになあ﹂
て悲し気な視線を空へと向けた。恐らく空にいる旧友へ向けたのだろうか。
平然を装っていた信一郎は惜しげもなく装を脱いで驚きを露わにする。それでもっ
?
﹁呪いとは││﹂
だのだ。
だが、燕は言葉を止めた。信一郎の言葉に遮られたのではない、自らそれを飲みこん
していた抽象的な表現が気に食わなかったのかもしれない。
﹁あの﹂と、燕はその言葉が理解できなかった為追及を続けようとした。もしくは予想
﹁ここ││違うな、これ、か﹂
その時、それはライオン。
330
﹁我は││﹂
﹁塚原卜伝也﹂
燕は茫然とし、総一郎は戦慄した。
♦ ♦ ♦
﹂
││知られる名で言えば塚原卜伝。日本最強の剣客、兵法家、
﹁剣聖﹂と呼ばれる戦国時
戦慄している総一郎に少し笑みを浮かべながら問いかけたのは他でもない、塚原高幹
﹁訳が分からんか
?
331
代初期の人間だ。彼将軍﹁足利義輝﹂の師でもある。
それが何故総一郎の目前に立っているのだろうか││
﹁いや、全て理解した﹂
﹁ほう﹂
﹁あんたが呪い、あんたを殺せばいい﹂
﹁肯定じゃ﹂
と、総一郎は気を殺意に変えて全てをその鞘から抜きだそうとしていた。
総一郎が抜く前に卜伝はそう言って地面で胡坐をかいた。腰につけたひょうたん徳
﹁待て﹂
利で酒を煽る。
目の前に広がる光景はどうにも理解しがたく、まるで戦闘意識が感じ取ることができ
ない。
﹁十六﹂
﹂
﹂
?
﹁学校はどこだ
?
﹁歳は幾つだ
一間おいて総一郎は刀から右手を離してその場に座り込んだ。
﹁そうじゃ、まず納めろ。そして話してから殺る﹂
その時、それはライオン。
332
﹁川神学園﹂
﹁おお﹂卜伝は感慨深そうに喜びを上げた。
呪いを憑けた﹂
やっきになったわけだ││それが全ての始まり、間違った対処をした血縁は儂に新たな
﹁し か し な、儂 の 血 縁 は そ れ を 放 置 す る こ と を 良 し と は せ ん か っ た。呪 い を 解 こ う と
﹁⋮⋮なるほど﹂
にも会えず死ぬことも許されない、最悪の呪いじゃな﹂
﹁本来の呪いとは儂が生きているときに受けた﹁死ねず、会えぬ﹂と言う呪いを指す。誰
分で話の腰を折っても仕方がない。
ようやくの反応に卜伝は笑みを溢すが総一郎の期限が悪くなる前に話しを続けた、自
﹁⋮⋮どういうことだ﹂
﹁そしてその本質は失われている﹂
には総一郎も少しだけ驚きを隠せなかった。それ以上に興味が少し湧いた。
総一郎の意図を汲んだのか、それともただ満足したのかは分からないが卜伝の唐突さ
﹁呪いとは儂のことであり塚原その物のことだ﹂
総一郎は手短に答え、あいづちは決してうたなかった。
﹁川神の者が居るあそこか。なるほど、理解したわ﹂
333
﹁⋮⋮奪う││か
﹂
﹂
?
││自分の役目││
村雨の不審死。
信一郎と純一郎が年々弱くなっている理由。
そこで総一郎は全てを悟った。いや、ようやくロジックが繋がったのだ。
│それから力を奪う。命も例外ではない﹂
﹁塚原流とは流派のことではない。塚原の流れを指す。つまり血縁もしくは近しもの│
﹁⋮⋮師匠が﹂
﹁塚原流と言う言葉を聞いたことはあるか
その言葉に敵意を向けるよりも前に総一郎は目を伏せた。
以外の者にもか﹂
﹁かかか、鋭いな。そうだ﹁奪う﹂それがここまで塚原の子孫に負担を掛けさせた、それ
一瞬目を見開いて笑みを浮かべた。
?
いてひょうたん徳利を投げ捨てると立てかけてある刀を取る。
総一郎はゆっくりと立ち上がり卜伝に背を向けた。それをみて卜伝は小さくうなず
﹁ああ﹂
﹁理解したか﹂
その時、それはライオン。
334
﹁爺さんは知らんが親父が弱くなったのは当主を継いでからと聞いている。つまり試験
の度にあんたと戦っていたわけだ。そして負けて力を取られ続けている。当主試験の
時にあんたと戦うのは血縁の者が││﹂
言葉を遮ったのは卜伝が投げた大太刀だった。
鞘から刀が抜かれる擦れた金属音が二つ、雷音が一つ││
﹁止めてやるよ、全部。生憎死ぬわけにはいかないんだ﹂
﹁総一郎、お前が儂を殺せなければ儂がお前を殺す﹂
﹁そうだ。言っておくがお前は確実に儂を超える存在だ、だからな││﹂
﹁あんたを俺が殺せば全てが終わるんだな﹂
二人は言葉なしに立ち位置についた。
﹁⋮⋮ああ、助かる﹂
﹁総一郎、お前の鈍らでは相手にならん、それを使え﹂
335
精神の宮殿
先、先の先、先々の先、後の先と言えば読み合いの基本原則である。先手、返し、阻
止、見切り、これを決めた者同士の戦いは一見異様な光景に見える。
構えを少しずつ変え、立ち位置を変えていく。その光景は観客の息を止める時間にし
ては少し長い。いつしか息を吐きだしてその後は一時の退屈に見舞われる。
と、その瞬間に決着が着いていることもある。
総一郎が何度も言及している通り刀という物は振れば命をいとも容易く奪うことが
できる。卜伝は百十二人もの剣士を切り捨てた、それは相手の技量にかかわらず刀に
よって百十二回も絶命の危機に瀕したというわけだ。結局の所生涯受けた傷は戦場な
どで受けた鏃の傷が六つ度だけ。現代人には考えが及ばない程﹁読み合い﹂に秀でた剣
士であり、それは即ち最強を意味している。
一方、総一郎とて達人の領域に居るわけであり、そして計り知れない才能の塊である。
り、この二人の間に差があるのは明白だった。
天才と言わずなんとしよう。だが││経験、年月││にて明らかな劣等が総一郎にはあ
﹁明鏡止水﹂や﹁無我の境地﹂と静の極みの二つをこの若さで極めているのは紛れもなく
精神の宮殿
336
しかし、それを理解しない総一郎でもない。二人は適切な間合いを取りつつ見切りの
境地である﹁技撃軌道戦﹂を始めてから既に││三日経っていた
踏み込み上段からの一振りを釣りに使い、鞘による打撃を試みる。対する卜伝は上段
斬に見向きもせず鞘を刀の逆刃で弾いた。
これは只の読み合いで実際には一太刀として相見えってはいない。しかしそれは総
一郎の太刀が一度たりとも届いていないと同義だ。そして卜伝の方からは一度も攻め
ることは無かった。
︶
︵六 徳 │ │ 無 我 │ │ そ の 先 を 得 な け れ ば な ら な い。こ こ で 成 長 し な け れ ば 死 ぬ ぞ ⋮⋮
である。彼の無我が目を閉じたのならば正解と言えば正解だが。
総一郎は心を静めた、目を閉じた。幾ら相手が攻撃してこないといっても相当な度胸
義とでも言うのか、このままでは勝てない︶
︵後の先に置いて││違うな、見切りについては俺の及ばぬところに居る。見切りの奥
337
式で稽古をつける気なのだ。それでも何時かは殺す、それをどうできるか、総一郎は理
が付いた。飽くまでも自分を殺してもらいたい卜伝だ、時間の許す限り総一郎に実戦形
その様子から見るに卜伝は今すぐ総一郎を殺す気がない、総一郎も数十分でそれに気
卜伝はその姿を見て少しだけ口角を上げた。
!
解してそして焦っていた。
力、技、そういう話ではない、正面から打ち合うには最高の環境と最大の鍛錬をして
最低でも五年必要だ。この技撃軌道戦だけでも相当な経験値を積むことができている
が、卜伝に総一郎が勝つには閃きと何かが圧倒的に足りていない。
総一郎は刀を鞘へ納める。
︵後の⋮⋮後とでもいうのか、それが俺には出来るのか︶
﹁ほう﹂
﹁開祖爺さん、打って来てくれよ﹂
手の攻撃を休まず受け続けているだけだ。この場合の休まずというのは誇張ではない、
この時既に二月を超えている。打ち合いと見繕ってはいるが実際は一ヶ月以上も相
生きるために三百六十度から放たれる立ち筋を避けて受けた。
想像絶した。総一郎は優に千を超えた死の間際を体験した。幾度の走馬燈を抑えて
♦ ♦ ♦
局面は次へ移る。
﹁良いだろう﹂
精神の宮殿
338
一月から初めて二月中旬、一か月半も彼らは手を止めず睡眠も一切をとっていない。卜
伝は元々そう言う奴なのかもしれないが、総一郎は迫り来る死神から命を守るためにア
ドレナリンを意図的に出し、筋肉を無理やり緊張させていた。
﹂
!
総一郎は辛うじて視線だけを卜伝へ向けた。体全身から滴る汗はまるで洪水、まるで
﹁安心しろ、今は殺さん﹂
﹁野郎⋮⋮
﹁無理もない、儂もかなりの所まできている﹂
そんな総一郎は卜伝の行動に深刻な動揺を覚え、そして││崩れた。
濃く伝わる鋭さが放たれている。
張状態は殺し合いに相応しいほど張っており、総一郎の目から﹁死ねぬ﹂という意思が
満身創痍のようで気が極限までに洗練され、体も一回り大きくなっている。筋肉の緊
卜伝はそう呟くと刀を鞘に納めた。同時に笑みを浮かべた。
﹁なるほど﹂
れを知らぬ││が、故に﹁総一郎﹂という人物像が良く分かってきていた。
彼に一体どのような生活があり交友があり、その瞳に宿る信念があるのか。卜伝はそ
ほぼ無意識なのか卜伝はその言葉を所々で聞いていた
﹁死ねない││﹂
339
失禁だ。良く見ると総一郎の使っていた刀も相当な消耗をしていた。
﹁ど の み ち そ れ で は あ と 数 振 り が 限 度 だ ろ う。こ れ 以 上 無 駄 な こ と を し て も 意 味 が 無
い﹂
どうにか上半身だけでも起こそうと手のひらで踏ん張ろうとする総一郎を他所に卜
伝は転がっているひょうたん徳利を拾い中身を浴びるように飲み干した。振り返り総
﹂
一郎が片肘突いた状態で息を枯らしているのを見ると卜伝は言う。
﹁お前、武への執念がないな
て総一郎は何事もなかったように体を起こしてそこで座った。
息が止まった。総一郎の息が止まった。大きく揺れていた体がぴたりと止まり、やが
﹁││﹂
?
生への執着と約束だけでは生き残ることは
!
それの無いお前に明日は生きられない﹂
執着、約束、そして執念の三つを持つ者だけが今日を生きることが出来、明
日愛する者と愛を確かめられる
!
沈黙が続く。
!
出来ない
を一撃で殺す手段を想像する力がない
かしな、それでは儂に勝てぬぞ、仮に儂にその刃が届こうとも貴様は死ぬ、お前には儂
﹁楽しくないのだろうな、幼少期から儂を殺すためだけに武を強制されたのだから。し
精神の宮殿
340
♦ ♦ ♦
自己回想など何年振りだろう。師匠が死ぬよりも前の話だ。
正確に覚えている、人を斬ったその二日後。全て諦めようとする自分をどうにか留め
たのが最後だ。
自分は目の前にいる爺のせいでこんな思い出に浸っている。
そこは新当流の道場だ、門下生が朝から汗を垂らし、汗まみれ。匂いは想像通りの匂
﹁おはよう﹂
いだ。自分はそこに身なりを整え足を踏み入れた。今までの行いを鑑みれば門下生の
﹂
視線の理由もうなずける。
﹁おっはー
﹁総ちゃん、おはよう
﹂
自分の後ろから燕が明るく入ってくる。
!
﹁おは、つーちゃん﹂
少し前にあの川で心の内を明かしてから自分と燕の距離はかなり縮まった。
らしくありがたいことだ。
視線を遮るように燕は総一郎の前で満面の笑みを浮かべた。今の自分にとって素晴
!
341
総一郎の笑み、そして二人の雰囲気に門下生は目を見開いた。荒くれ者の総一郎とア
イドル燕、幼馴染、しかし最近の中は最悪だったはずだ。それだと言うのに今﹁総ちゃ
ん﹂
﹁つーちゃん﹂とかつての呼び名、まるで恋人のように呼び合っているではないか。
﹁皆聞いてくれ﹂
自分は門下生の前に立って真剣な趣のまま鍛錬を止めさせる。門下生が自分を畏怖
して自分を崇めていることを知っている、自分自身を信頼してくれているわけではな
い。だからこそ自分からやっていかねばならない。
どよめき。しかし自分は話を続けた。
﹁我が師、雲林院村雨の後を継ぎこの度新当流総代を受け継ぐことになった﹂
でないと知りながらも彼は俺を愛し続けてくれた﹂
﹁俺は不出来な弟子だ。師匠が死ぬまで彼の愛を理解しなかった、俺が理解できる状態
もう話し声は聞こえない。皆が自分の声を聞こうと努力してくれている。
♦ ♦ ♦
生は自分の真摯さに応えてくれた。
初めての決意表明だった。何としても師の無念を晴らしたい、恩返しをしたい、門下
﹁次は俺が皆を愛する番だ、俺は我が師を受け継ぎそして必ず超えてみせる﹂
精神の宮殿
342
それから少し経つ、自分はこれから夏休みを利用して武者修行の旅、師に縁のある剣
士の元へ経験を積みに行く算段を立てていた。
金銭に支障は無い、礼儀作法も学んだ。
﹂
!
満たすようだ。
鍛錬後の汗が滴る燕の姿や近くにいると漂ってくる女の汗の匂いが自分の性的欲求を
見せてくれるとびっきりの笑顔が心を突きさしてくる。こんな世界にいるからなのか、
が好きでたまらない。燕も自分に行為を寄せてくれると思っているので、その燕が時折
横から足音と共に透き通った可憐な愛しい声が聞こえてくる。正直言って燕のこと
﹁総ちゃん
あの日ここで辛さを共有した彼女、自分は旅経つ前に気持ちをつもりだ。
待ち人は﹁松永燕﹂だ。
て一点を凝視していた。
水切りの一つでもして暇をつぶすのだが、今日に限って自分は防波堤の坂に腰を下ろし
自分が今ここで腰を下ろしているのは人を待っているからだ。しかし普段であれば
京都の河原。特に別称でもなくただの河原だ。強いて言えばあの日の夜の河原だ。
﹁あとは⋮⋮﹂
343
プライベートでもあれから何度も遊んだ。燕はアイドルなので自分のような男とい
れば噂が立つかもしれない。だが、
﹁京都のツインエース﹂なる言葉に今は救われている
のが現状だ。学校でもプライベートでも一緒にいても仲の良い姉弟に見られることも
﹂
﹂
多い、実際学校ではそういう工作をしている。
﹁待った
﹁待ったが別に苦じゃないさ﹂
﹁良かった。それで何か御用かな
﹂と言ってきた。
?
自分からは見えないが燕の表情はみるみる赤みを帯びていく。だが、抵抗は無い。
すると知らぬうちに自分は燕を抱きしめていた。
凝視していると微笑んで﹁どうしたの
燕は走ってきたせいなのかハンカチで額や首に垂れた汗を拭いている。そんな燕を
?
?
ときは修行の形をとった。
ト中も燕が変装、学校などでは寧ろ今の関係を変えないようにした。どこか旅行に行く
その後、俺と燕は隠れて付き合いことになる。燕が変装して自分の家に来たり、デー
燕は俺をそのまま強く抱きしめて胸に顔を隠した。
﹁燕、好きだ﹂
精神の宮殿
344
﹁俺、川神行くことにした﹂
﹂
?
﹂
?
束。だがどうしても執念が見当たらない。
総一郎は執念と約束、村雨の為に呪いを消す執着ともう只の関係ではない燕との約
﹁無いと申すか﹂
♦ ♦ ♦
自分はそのまま燕を抱きしめて眠りに落ちた。
﹁ああ﹂
﹁無理しないでね﹂
燕は腕に腕を絡めてきた。自分も燕に正面で向き合った。
﹁心機一転さ﹂
﹁どうして
隣で寝ている燕は少し驚いたように瞳を濁らせた。
﹁ああ﹂
﹁武神がいる
345
﹂
総一郎は死を覚悟した││
﹁無いと申すか
﹂
!
﹂
!!
!
総一郎の目前に卜伝は一瞬にして間合いを詰めた。否、その表現はその次があるよう
﹂
﹁次で決める、奥義を使うぞ﹂
卜伝は上段に振り上げた。総一郎は真摯な表情で顔を合わせる。
﹁闇の旅を進んで行く
卜伝は﹁良き﹂と呟き、総一郎は顔を上げた。
﹁揺ぎ無い意志を糧として⋮⋮
卜伝は呼吸を整えた。総一郎は正眼に構えた。
﹁我が進は果て無き荒野││﹂
卜伝はその言葉に構えた。少しずつ総一郎は立ち上がる。
﹁││光灯る町に背を向け﹂
だった。久しぶりに大人に怒られた総一郎に響く言葉だった。
一 喝。そ れ は 総 一 郎 の 心 の 隅 に 置 か れ て い る も の を 引 き 出 す の に は 十 分 響 く 言 葉
!
﹁いいぜ││来い
精神の宮殿
346
347
にも聞こえてしまう。
卜伝はそれを振れば確実に総一郎を殺せる間合いに入った。
総一郎は受けるか避けるか。また否、受ければ死ぬと理解した、そして避けれないと
理解した。
上段斬りを受ければ刀ごと体を真っ二つ。
返し技を決めても自分の体は真っ二つ。
体を半身にして避けようとしても卜伝の修正で唐竹割りにされる。
防御しながら避けようとするには時間が足りない。
逃げてもその次は無い。
総一郎の頭に自らの死が何度も何度もリフレインした。そして走馬燈が過る。
││ううう、なんで総ちゃんはいつもこうかな
!
││⋮⋮道場破りなら川神院へどうぞ
││風間ファミリー入団試験を行う
││なんだとー
││あはは、何か大変そうだね
││私は総一に感謝しきれない
!
││川神一子よ
ワン子じゃない
!
︶
現実に戻された時、総一郎はまだ生きていた。卜伝の動きがまだスローに見える。
﹁││﹂
││死なないで
││お前は楽しくなかったかもしれないが、私はものすごく楽しかった
!
!
そして卜伝の刀は総一郎の肩を掠め、総一郎の刀は││卜伝の心臓を貫いていた。
卜伝の上段と総一郎の││突きが交差した。
だった。だからこそ、自分は最大の力で彼を殺すのだ。
年は生きようと、死にたくないという気持ちで心に全てを委ねている。喜ばしいこと
両手で持っていた刀を右手だけに持つ、卜伝は目を見開いて笑みを浮かべた。この少
る。しかし、その先は完全に思考の外、精神の奥底が体に求めた結果だ。
総一郎は思考する前に体を動かしていた、体を半身に。だがそれでは死が待ってい
卜伝は依然として上段斬りのままだ。
の構えは正眼よりも少し低い位置に刀を置いていた。
総一郎は無我の境地の先へ入ったことを気が付いていない。だが、諦めない。総一郎
︵まだ、生きれる⋮⋮死ねない
精神の宮殿
348
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
自らの呼吸が体内で木霊している、荒い荒い呼吸のみ聞こえてくる。卜伝の反応は無
い。刀を体から抜こうとしても力が無いのかどうやっても抜くことが出来ず、少しずつ
焦りが芽生えてきた。もし卜伝が生きていればすぐにでも自分は殺される、もう力が
残っていないのだ、むしろ刺さっている刀を支えに立っているようなものだ。
呼吸が荒くなる││
﹁││よくやった﹂
ているではないか。
馬鹿な││自分は倒れ掛かり、相手は心臓を突き刺されているというのにピンピンし
﹁お主の勝ちだ、総一郎││﹂
じた、卜伝は崩れ落ちる総一郎を支えた。
その言葉はまるで呼吸器のようで自分の心臓が少しずつ収まっていくのを内外で感
﹁見事﹂
349
﹁生涯七度目の傷が致命傷とはな﹂
卜伝は胸から血が流れることを気にも止めず総一郎に背を向け歩き出した。すると
奥にある掛け軸をとる、そうすれば大太刀が二本。全く同じの得物だ。
打って変わって満身創痍の総一郎は言葉を発する事が出来なかった。喋る気力がな
﹁見事じゃろ﹂
いのもそうだが、ここでは絶句という言葉が似合う。
初めて刀が美しいと、凄まじいと感じた。まだ鞘に収まっている段階だというのに何
故こんなにも気持ちが昂ぶるのだろうか。その答えは自身の心に、そして卜伝はそれを
言葉にする。
そして全てが弾けるように嗚咽が体内で木霊していく。卜伝には侍の嗚咽を聞く趣
くて仕方なく、そして十六年間がフラッシュバックした。
総一郎はその言葉、自分が侍として戦い、そしてそれを愛おしく思えるその事が嬉し
と言える。
卜伝を倒した者の為に作られた刀、結果的な話だが確かに総一郎のために作られた刀
かろう。特にこれはお前が使うために生まれてきた刀だぞ﹂
﹁これは二本ともお前の刀になる物だ。どうだ初めて侍として戦った後の刀は、愛おし
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
350
味などない、つまりそれは総一郎だけが聞くことのできる懺悔と感謝の混じり混じった
物、故に彼の体内でしか聞こえないものだった。
所である塚原山にそういう効果があってもおかしくはない。
そして何故か総一郎の体力は少しずつではあったが 回復していっている、神聖な場
道を作っていた。
天。木々の間から見たとしても一目でわかる、塚原山が総一郎の勝利を讃え、卜伝の花
塚原山は晴天なり。その名の通り塚原山は総一郎が来た時とは違い雲ひとつない晴
﹁そりゃ山の頂上、儂の墓標じゃ﹂
卜伝は少し微笑んで出口で振り返って言う。
﹁・・・何処にだ﹂
﹁では行くか﹂
きしめた。
卜伝がそれを手渡すと総一郎は交差する様々な思いを抱きながらその刀を二本共抱
﹁さあ、受け取れ﹂
351
だが、反対に卜伝は少しずつ弱って行き、ついには腰が抜けたようにその場にしゃが
み込んだ。
頂上まで行かねばならないので今現在は総一郎が卜伝を背負っている形だ。
﹁すまぬな﹂
ないけどな﹂
﹁ま、足腰の悪い爺さんを背負ってるようなもんだ。足腰の悪い爺さんは登山なんかし
別にいいだろ、無銘ってのが名前だ﹂
?
そう言われて総一郎は少し黙った。
ぞ﹂
﹁そうはいかん、敬意を払うのであれば名前を付けるべきだ。刀は自分の命そのものだ
﹁名前
﹁刀に名前を付けてやれ﹂
﹁なんだ開爺﹂
﹁そうだ総一郎﹂
命を交わしたのだ、盃よりも深く強い結びつきだ。
か、異常であろうか。二人にとってそんなことは些細な話だった。
二人は先程まで殺しあっていたとは思えぬほど笑顔を交わしている。異質であろう
﹁ぬかせ﹂
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
352
﹁雨無雷音﹂
怪訝な雰囲気を卜伝に向けながら総一郎はもう一本の方を考えた。
﹁素晴らしいな、刀が喜んでおる﹂
雨無雷音││その意味を理解できるものはそう多くはないだろう。恐らく一部の塚
原関係者と燕、そして卜伝のみ。
雨無く雷音は鳴る。一見詩的だ、つまり卜伝との戦いで刀を抜いた時の雷音を模した
ようにも思える。だが、違う。
││今は亡き村雨にこの雷音を捧ぐ。
卜伝の喜びはそこからも来ている。名前に深すぎる意味をもたせたこともそうだが、
﹂
真っ先に自らの師にこの刀を捧げた総一郎に嬉しさを感じた。戦う前には感じられな
かった気持ちだ。
すぐには思いつかんか
?
ら死ぬのだ。
何百年と生きてきた卜伝の言葉に確かに説得力はある、だがそれと同時に卜伝は今か
﹁まあ、まだ時間はある。人生は長いぞ﹂
出来なかった。
総一郎﹁いや・・・﹂と濁したまま押し黙った。流石の卜伝もそれ以上を悟ることは
﹁もう片方はどうだ
?
353
﹁そろそろ頂上か﹂
﹁そういえば頂上に墓なんかないぞ、あるのはでかい石だけだ﹂
﹁ああ、それは儂用の石だ。お前が儂の墓を作れ﹂
﹁まじか﹂
それは巨大な石だ。確かに頂上にただあるのであれば不自然さを覚えなくもない。
近くの木陰に卜伝を降ろすと総一郎はその岩の前に立った。
非常に大きい石。既視感があった。明確に思い出すことは困難な記憶。まさしくそ
うだ、村雨や卜伝の意志をその石に投影してしまった。
刻まれていた。
岩は大きな刀の形をしてその刀身には﹁塚原卜伝、ここに眠る﹂と、そしてもう一つ
ぱっ、と目を開く。次の瞬間その剣先が岩に触れると斬ると言うよりも弾け飛んだ。
︵なんだか研ぎ澄まされる・・・無我なんてものじゃない、もっと大きな精神の・・・︶
いた。そして目を瞑ると。
雨無雷音と名付けた大太刀ではなく、まだ無銘の大太刀をゆっくりと総一郎は引き抜
﹁全部さ﹂
﹁何がだ﹂
﹁凄いな﹂
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
354
﹁其我一振﹂
﹂
?
卜伝は総一郎の手が自分の頬に触れたのを確認してその意識を本来は数百年前に時
﹁総一郎・・・また会おう、そして││有難う││﹂
総一郎の顔はそれを悟った表情だ。
﹁爺さん・・・﹂
神はお主の苦悩となる。その時は儂を頼ることだ﹂
ともできる、奥へ進むことも、落ちていくこともできる。だが、歳に合わぬ卓越した精
﹁無我の境地、其の上、極みを超えた超人が昇る高みだ。それは階段を上ることも下るこ
﹁
﹁精神の宮殿だ﹂
ものだ、卜伝は遠のく意識の中最後に一言だけ総一郎へ託した。
快感に似た気持ちの良いものだ。何百年と生きてきた業の深い死にしては神も優しい
顔を向けた姿を見ると急激に力が体から抜けていくことを感じた。悪いものではない、
卜伝は振り返った総一郎が自分と其の後ろにいるであろう﹁塚原﹂という者たちに笑
あるというこの刀に対する愛着を指す﹂
﹁我の其の一振り││この刀の名は貴方と塚原に捧げます。それはつまり自分の物でも
﹁総一郎・・・﹂
355
代の戦士と共に逝く筈だった彼処へ飛ばすのだった。
﹁安らかにお眠り下さい、必ず私も其方へ参ります﹂
総一郎は自分の瞳から一粒の涙が流れることに気が付かなかった。
♦ ♦ ♦
ないが、二ヵ月振りの下界を前にして心拍数が上がっていく。会いたい人に会える高揚
下山して一時間程、少し先に街が見える。目の前の森に遮られ塚原邸はまだよく見え
未だ試験は続いているのか辺りに動物の気配はまだない。
丁 重 に 卜 伝 の 亡 骸 を 埋 葬 し て か ら 下 山 し て い る 現 在 は も う 少 し で 夕 暮 れ を 迎 え る。
既に泥だらけだ。まるで初めて登山をした子供のように。
しかし総一郎の足は軽かった。かなりの速度で山道を下っている、だが何度も転んで
かる負担は相当なものだ。
山の下りは辛い、登りよりもだ。疲れた体、疲弊した足にとってその重力と足裏にか
﹁いっちにっちいっぽ、みっかでさんぽ﹂
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
356
感とあの人に会ってどうすればいいのか分からないという罪悪感、二つが下山よりも彼
の心臓に負担を掛けていた。
そして││視界に││
少しだけ下界を振り返ろう。
総一郎がいない二ヵ月間、燕は学校が終われば毎日塚原山の入り口に通っていた。そ
して絶対に自分よりも先に信一郎はそこにいた。できれば自分も彼よりも先に来たい、
だがそれは禁止されている。
雪が降る、雨が降る。それでも燕は通う、そして必ずそこに信一郎はいた。傘もささ
ず、袴を着てそこに立ち尽くしていた。
来ない﹂
﹁信一郎はずっとあそこにいるのだ、だからお嬢さんはどうあっても先に待つことは出
かなり強い雨の中気づけば燕の隣には純一郎がいた。
﹁お爺さん﹂
﹁奴よりも先にはこれぬぞ﹂
357
﹁ずっと⋮⋮
﹂
らこそ嫌と言うほど理解できた。
出来るがこの二人は抱くことしか出来ない。それがいかにもどかしく辛いのか燕だか
抱いていることを、だが抱いているだけだ。抱くしかない。自分はそれを向けることが
燕はこの二ヵ月程で勿論理解していた、この二人が総一郎に対して自分以上の愛情を
でも同じ気持ちでいたいのだろう﹂
﹁今まで息子を苦しめ、そして今現在その息子は最も苦しんでいるはずだ。だから、少し
﹁⋮⋮﹂
﹁懺悔だろうな﹂
気が付いた。
場所から信一郎が動いていないこと、良く見れば服すら変わっていないことにようやく
燕は視線を純一郎から信一郎へすぐに移した。この一ヶ月の記憶遡ると確かに同じ
!?
﹁信じよう、そして帰って来たら⋮⋮﹂
﹁父上⋮⋮﹂
﹁だが、信一郎。それはお前だけが背負う必要はない。どれ、少し儂にも分けてみよ﹂
そう言って純一郎は傘もささず信一郎の方に歩き出した。
﹁だが││﹂
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
358
だ。
﹁雨が﹂
﹂
﹁止んだ⋮⋮
﹁父上
!
か向こうに靄がかかりその先が良く見えない。一歩一歩が少しずつ重くなっていく、山
こちらは晴れているというにこの入り口を挟んでどうやら向こうは雨の様だ。何だ
♦ ♦ ♦
信一郎は叫んだ。純一郎頷き、燕は山へ視線を向けた。
!
﹂
三人は一斉に笑う、お腹を抱えるように三人の声は響いた││そして急激に雨が止ん
﹁あ、一番初めに抱き付くのは私ですけどね﹂
二人の横に燕は並んでいたそして笑顔で言う。
﹁抱きしめてあげてください﹂
359
から出るにつれ疲労感が押し寄せてきた。
そして向こうの雨があがると同時に途轍もない太陽が靄ごと自分を照らす。良く前
が見えない、だがそのまま歩いているそこを抜けた感覚が体を突き抜けた。山の声援が
﹂
体に染み渡る。 森が揺らぐ、葉が鳴く、気配が増える、そして││
回転した。
!
!
!
そのまま信一郎に抱き付く形で倒れる。
よくやった⋮⋮ 良く帰って来た⋮⋮
!
﹁やったよ俺﹂
﹂
﹁よくやった⋮⋮
た⋮⋮
!
良く生きて帰って来
腰につけた大太刀を見せると信一郎は総一郎へ駆け寄った、それに総一郎も応えるが
﹁親父、爺ちゃん。やったよ俺、ほら﹂
とそして不安があった。
燕越しに見るその先にはやつれた二人の姿がある。その顔には息子の生還を喜ぶ顔
﹁え、やめて。おじ様たちもいるから
﹂
愛おしき声がその重さと大差なく自らの体に来る。総一郎は衝撃を逸らすように一
﹁総ちゃん
!
﹁ただいま⋮⋮燕の香りがする﹂
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
360
その言葉を聞くと信一郎の啜り泣きと視界に映る涙を両目から流す純一郎を見てそ
のまま意識を手放した。
それから二週間、皆美や燕が付き添うが一切、総一郎は目を覚まさなかった。
一度医者にも見せたが﹁酷い過労ですね﹂と深刻な顔をされた。勿論不安になる皆美
と燕だったが﹁ですが臓器に異常などはありません、塚原さんのことは良く分かってい
ますので安静にするのと適度な点滴で目は覚ますと思います。その代わり起きた時に
少し体の機能が落ちていると思います﹂と明るい顔で言われて安堵する。冷静になると
﹂と憤慨していた。
以外一人もいない。だがわかる、その後の三人の姿を見れば。純一郎と信一郎にぎこち
そしてその間に純一郎、信一郎、総一郎の会合は行われた。その内容を知る者は三人
に一週間ほどかかった。
たー﹂とベッドに寝ながらであるが食欲を見せるようにもなった。だが、両足で歩くの
一時的な記憶障害だった。絶句する者も多かったが、二時間後には﹁母さーん、腹減っ
﹁なんだっけ﹂
そして二週間過ぎ、総一郎は目を覚ます。
﹁落として上げるなんてひどい医者ね
!
361
なさは見られるが総一郎の反応は全く変わった。食事を共にすることもあれば稽古す
るようにもなった。その様子に一番感激を覚えたのは皆美だった。食事時に三人が話
し笑っている姿をみると突然人目も憚らず泣いてしまった。水脈が窘めてどうにか落
ち着きを見せるが、その姿に三人は皆美への負担が壮絶なものであったと悟った。
試験は終わったがまだ塚原継儀の発表はまだ行われていない。各所への通達をする
前に様々な準備と手続き、儀式の手順などを総一郎は覚えなければならない。それ以前
に総一郎の体力がかなり落ちていることが大本の原因だ。三十分歩くだけで相当の疲
労感に襲われてしまう、生活するだけでもかなり深刻な問題であった。
そんな中リハビリを兼ねて総一郎は燕と共に例の河原へ来ていた。
﹁あー
﹂
﹁ねえ総ちゃん﹂
体を伸ばして太陽に叫んでいた。
﹁どうしようかねー﹂
﹁体動かねぇー﹂
河原の方で二人は十三時の太陽に照らされていた。
﹁うー﹂
﹁くえー太陽が気持ちいいな﹂
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
362
?
﹁私も川神行くから﹂
﹂
?
そうだ、疲れているんだ。
かったというのに何故自分はこんなにも弱いのだろうか。二ヵ月も戦っていたからか
総一郎は言葉に詰まってしまった。せっかく卜伝に勝ち、雨無雷音と其我一振を授
﹁今私より弱い奴に言われても説得力ないよー﹂
﹁あいつ強いぞー﹂
﹁武神を倒しに行きます﹂
﹁なんでー
363
﹁私はどこにも行かないよ、だから総ちゃんはどこに行ってもいいんだよ﹂
む燕の顔がこちらを向いていた。
燕の呼びかけで総一郎は現実へ引き戻された。ゆっくり右に首を動かすと少し微笑
﹁総ちゃん﹂
では、何故ここまで自分は弱いというのだ。
二ヵ月前と比べ数段実力は違う。
ば 明 ら か 自 力 の 強 い 自 分 が 有 利 で あ る。し か も 卜 伝 に 勝 っ た こ と は 紛 れ も な い 事 実、
存在である。だが、技巧派で兵法家である自分と技巧派で戦略家である燕の相性で言え
だからといって燕よりも弱いというのか。いや、燕は弱いわけではない、壁を超えた
?
きっかけはその言葉だ。何度も思考した。一体思考している時、自分がどこに居るの
か。その言葉で初めて気が付いた。
宮殿にいた││
明かりはある、薄暗い鬼火のような青い光が壁らしき物から発せられている。だが暗
﹁暗い⋮⋮﹂
い。二メートル先の視界は暗闇だ。
?
はっきりと暗闇が広がっている。
であるというのならば、この景色のように曇ってはいないはずだ。しかし靄ではなく
り動いていた、全てが観えた。無限の時を過ごせるようだった。あれが即ち精神の宮殿
あの時、卜伝と最後の一振りを交わした時、あの時の感覚を思い出す。全てがゆっく
覗きだして初めてここが現れた⋮⋮﹂
﹁俺が精神を覗くとき、また精神を俺を覗いている││とでも言えばいいのか 俺が
うとこのような場所を覗くことは無かった。
一郎の心、精神領域を表した仮想世界とでも言おうか。今まではどんなに精神を静めよ
一つ思い出した言葉﹁精神の宮殿﹂││卜伝が残したものだ。推測するにつまりは総
﹁これが俺か﹂
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
364
何故、総一郎は今になってこの宮殿を認識できるようになったのだろうか。
﹂
!
﹁戦えば嫌でも開く。だからこそ平穏な時間はゆっくりと、だ﹂
﹁だが⋮⋮﹂
﹁ゆっくり開けていけ﹂
いる。
そこには階段もあれば崖もあった、しかしまだ玉座はなく、その先には扉が存在して
ようだった。
れるとそれが開く。すると透き通った光が一面に広がった。太陽ではない、むしろ海の
そこに明かりがつく、扉だけが見えるように青い灯が赤に変わった。扉に総一郎が触
﹁ここは儂の家だからな、元だが﹂
﹁ずっと居たのか爺さん﹂
た。するとどこが正面かもわからない状況で後ろを振り向いて言うのだ。
ある程度歩き出したところで思想に耽っていた総一郎は見えぬはずの辺りを見渡し
﹁そうか﹂
そしてそれを探すだけだ。
燕の言葉、自分の精神の主軸となる人物の言葉が鍵だとすればあとは考えるだけだ。
﹁燕││鍵か
365
総一郎はゆっくりと目を開けた。
♦ ♦ ♦
﹁次は新七浜∼新七浜です﹂
懐かしいシュウマイの匂いがしてきそうだ。生憎またもや景色を見ず寝過ごした総
一郎は一度溜息をついてから荷物を持った。
新七浜から行くのは久しぶりに来る川神、自分の支えとなる人間が何人もいる││い
や、この地自体が自分の支えになっている。
な﹂
﹁またここで会うとは思わなかったよ。刀が二本になってるし⋮⋮流石、新当流総代か
﹁ああ、その節はどうも﹂
﹁それ真剣││君はあの時の﹂
そんな矢先見覚えのある警官が総一郎に声を掛けた。
﹁はい﹂
﹁君﹂
塚原卜伝、ここに眠る。和解と暫しの休憩。
366
﹁ご存知でしたか﹂
結構有名人なんだよ君は﹂
﹁ええ、いいですよ﹂
警官が手帳とペンを出すが総一郎は﹁ここでいいんですか
警官は笑い飛ばした。
﹁ありがとう、頑張ってね﹂
﹁え、はい。頑張ります﹂
そう言って警官は去って行った。
総一郎は思った。
﹁⋮⋮﹂
?
固まった背中を伸ばして総一郎は学園へ向かうのであった。
﹁いや∼川神に帰って来た実感が湧いたぞ﹂
警察でも
?
﹂と聞く﹁構わないよ﹂と
﹁まあ、昔から剣道をやっていてね。よかったらサインお願いできるかい
367
時代の幕開け編
最強の味
夜風が吹く多馬川、総一郎の話を聞いた大和、百代、京は大きな衝撃を受けていた。
壮絶な試験、卜伝との決闘││そして。
﹁今の俺は赤ん坊のようだ。クリスのような人間すら許容できない﹂
彼の大きな変化。これは真っ当な人生を送れるようになった証でもあり、そして心が
敏感になった証でもある。不躾なクリスを許せないのは当然な話だ、今までがおかし
かったのかもしれない。
﹂
﹁すまないな、百代﹂
﹁何がだ
一郎に優しく首を振った。
学校で百代の拳を受けた時のことを言ってるのだろう。百代は悲し気に振り向く総
﹁お前の挨拶すら鬱陶しい﹂
?
﹁ああ﹂
﹁お前のおかしさはそういうことか﹂
最強の味
368
大和と京は未だ回想と総一郎の関連を完璧には繋ぎきれていない。確かに壮絶であ
り壮大な話に違いはない。だが、恐らくは今の現状と真逆のことが起きているはずなの
に総一郎は今まさに精神的に退化している。
人の長髪が同時に靡く。沈黙の後に大和がパンっと手を叩いた。
呟くような声でその言葉は総一郎へ向けられた。少しだけ、少しだけ風が吹いて二
﹁お前が現れなければその気持ちを私も味わっていたかもな﹂
は感じることしか出来ない。
術家としての芯が剣術家の芯と共鳴して理解できたもの。言えばわかるが本当の意味
百代の語りはあまり見られない光景だ、だからこそその意味が全て伝わってくる。武
私にはまだ分からないがな﹂
か、その死闘を繰り広げた。全てが終わり、解決すればもう何も残っていなかったんだ。
﹁嫌いな剣術、嫌いな父と祖父、師の無念。そして恐らく今後の人生でも二度あるかない
二人の視線は百代に移った。
﹁空っぽになったんだな﹂
言いずらそうに大和と京は同時に総一郎へ謝罪の視線を向けた。
﹁私も﹂
﹁ごめん、イマイチ理解ができていない﹂
369
﹁さあ帰ろう、皆心配してる﹂
総一郎もそれまたすごい人気だ。同学年だけではなく上級生も二年F組へ彼を見に
の反感を買っているわけでもない。
学年の男子が目を光らせないわけがない、すでにファンクラブができている。だが女子
クリスは世間知らずで日本を勘違いしているため物珍しく、しかも金髪の美少女。同
週初めは総一郎とクリスの話で持ちきりだった。
フォローでその場は収まった。由紀江は総一郎の変化に気がいていたようだが。
総一郎が帰って来て言ったクリスの言葉は配慮のかけらもなかったが、取りあえずの
﹁一体どうしたのだ﹂
♦ ♦ ♦
﹁はいはい﹂と大和が笑い飛ばしていつもの光景が川神に広がった。
和の味方になるけど﹂
﹁世界が敵になっても風間ファミリーは総一の味方だから、大和の敵になったら私は大
最強の味
370
来ている。特にすごいのが一年生の人気、初めて見る幻のエレガントチンクエに失神す
る者もいる。既にあったファンクラブは百代、冬馬と並んで最大規模のものとなってい
た。クリスと違う点といえば人気の偏り、前まではあまり多くはなかった男子からの妬
みが凄まじい。噂によれば彼女の心が寝取られたなんて話もあるらしい││
いいか
﹂
まだ立ち上がってもいないというのに二人はすでにひれ伏していた。
﹁猿も島津もみっともないよ﹂
近くにいた千花からは蔑んだ視線が二人に送られている。
少し間が空いて、総一郎はまた突っ伏してから右手を挙げた。大和は複雑そうな表情
?
?
﹁そうだ、総一郎。今日クリスとまゆっちを秘密基地に連れてくぞ、いいか
﹂
﹁よーし、ヨンパチとガクトは今すぐ新宿3丁目に連れてってやるよ、それとも東京湾が
﹁そうだぜ、そのまま男にでも掘られちまえ﹂
﹁へ、ざまあねえな﹂
と今日の違和感をようやく理解したのだ。
机に突っ伏しているのは他でもない当事者である総一郎だ。大和からの情報を得る
﹁辛れえ・・・﹂
﹁││だ、そうだ。頑張れ総一﹂
371
をしていたがそれを了承と受け取ったらしい。
相も変わらず男子の視線は変わり映えなく、総一郎は憂鬱な1日を過ごす。放課後
は秘密基地に直行していた。嫌な予感はするものだ。クリスは確かに嫌いな部類に入
るが、彼女がまだ幼く、世間を知らないことも理解できる。だからと言って彼女自身を
許せなんてことにはならない。
ていう物を持ち帰ってきたのだ。これを機にクリスと由紀江がファミリーに馴染めば
ない。だから彼が帰って来ればその場は収まった。ついでに聞けば箱根温泉旅行なん
原因は確かにクリスにある。だが、今この場にはリーダーがいない、キャップがい
矛先は向かっていた。
うとしていた。それまでの鬱憤が溜まっていたように余所余所しい由紀江にまでその
はり先輩というところか、百代はクリスの﹁ウザさ﹂を指摘してそしてこの場を収めよ
然な程の笑顔は怒りを表すには丁度いい。発言に攻撃性が混ざっている。冷静かつ、や
京の次に激昂したのはモロだ。明らかな敵意、拒絶、怒気は感じられないがその不自
大和が抱きしめることでそれを防いでいた。
勿論、百代も総一郎も居れば仮にそうなったとしても止めることは容易い。この場合は
ク リ ス の 発 言 に 激 昂 し た 京 は 暴 言 を 撒 き 散 ら し て 今 に も 襲 い か か ろ う と し て い た。
﹁こんな場所はさっさと壊すべきだ﹂
最強の味
372
││と。
﹂
!
言い過ぎだ
﹂
!
殿ならわかると思っていたが⋮⋮
﹁武士とは義を重んじる者だろう 大和が卑怯なことは明らかだ 武士である総一
い。
だが、京と違い抱きしめて止まるような人間ではない。声を張り上げて制止する他な
明らかにいけない雰囲気へ変わろうとした状態を大和は止めなくてはならなかった。
﹁総一
!
てやがる。いくつかの先入観はあるがそれでも不快に変わりはない﹂
﹁大和を非難したそうじゃないか、それどころか武士道やら仁義やらを勝手に履き違え
収まりかけてきたクリスの興奮が最高潮へ達した。
﹁な⋮⋮
﹁こんな馬鹿げた奴をファミリーに入れるのは反対だ﹂
﹁総一││﹂
まった。
破ったのは今まで黙りを決め込んでいた総一郎だった。驚愕の視線が全て総一郎へ集
今まさに仲直りとまではいかないが、それに近い状態に入っていた。だが、それを蹴
﹁俺は行かないぞ﹂
373
﹂
!
!
!
﹁武士は主君の為忠義を尽くすが、そのために汚いことだっていくらでもやるさ。俺の
先祖は兵法家なんても言われていたな。俺は罪のない人を殺したこともあるさ、え
知らぬうちに総一郎は自分が殺気を放っていたことに気が付いた。
せていた。百代と一子以外。
クリスは言葉に詰まりその場で後ずさっていた。否、この場にいる殆どが体を硬直さ
説くのか﹂
それで、この俺に武士道を説くつもりか、日本有数の武士道の家系である俺に武士道を
?
暗い宮殿の中、総一郎はその声に耳を傾けから静かに目を開いた。
まっているのだ、耐え切れない。
気まずさで思わず顔を背け、自らの精神に潜り込んでしまった。一同の視線が自分に集
それを認識した途端、激しい嫌悪感に塗れた││クリスにではない、自分に対してだ。
まった。
まったわけだ、つまり根底にある剣士としての威気、殺気にも似たものが表に出てし
まで豹変するとは思いもしなかったわけだ。それに呼応するように自分の素が出てし
怒りを覚えたのだ。彼女がファミリーにかなり依存していることは確かだが、京がここ
クリスに嫌悪感を抱いたことは確かだった。京が怒声を上げ泣き叫ぶ姿に総一郎は
﹁⋮⋮﹂
最強の味
374
﹁すまん⋮⋮今日は帰る﹂
逃げるというよりかは少し重い足取りで総一郎は秘密基地から去って行った。
♦ ♦ ♦
夕暮れを過ぎて夜に差し掛かる頃、総一郎は問いかけても問いかけても答えをはぐら
かす卜伝に困惑していた。
﹁ヒュームさん⋮⋮でしたか。お久しぶりです﹂
なったな﹂
悪い傾向ではない、俺からしたら伸びしろが増えたように見える。前よりも良い赤子に
﹁荒々しく、それでもって稚拙な精神に成り下がったな││いや、年相応というべきか。
そして一人の老人と再会した。
でいた。
そうとしか返ってこない。気が付けば総一郎は知らず知らずに多馬大橋へ足を運ん
﹁それでよい﹂
375
まるで興味のない瞳にヒュームは鼻で笑った。
﹁随分と辛そうだな﹂
総一郎は俯いたままそれを肯定した。ヒュームとしては﹁関係ないだろ﹂とでも言わ
﹁⋮⋮ああ﹂
れるのだろうと思っていた、しかし長身から見る総一郎の姿はなんとも言い難いもので
ある。
﹁││三手﹂
ヒュームの言葉で総一郎は視線だけをヒュームの顔を向けた。
﹁三手だけ付き合え﹂
総一郎は少し驚いてからいつの間にか首を縦に振っていた。
それから数十分後、二人は森の奥、ひらけた原っぱのようなところにいた。ヒューム
の服装は燕尾服のまま変わらず、総一郎もまた私服のカジュアルな和服から変化はな
い。
﹁良い刀だな﹂
最強の味
376
﹁ああ、名刀さ﹂
総一郎の腰には一本だけ、雨無雷音が差されている。
死闘とあの一振りを経験した成果を見せるに絶好の機会だ。だが、ようやく開きつつあ
しい蹴りである﹁ジェノサイド・チェーンソ﹂を甘んじて受けてしまった。今回はあの
前に立つは現代最強を名乗るヒューム・ヘルシング。前回は世界最巧と言うのに相応
一方、総一郎は待つ、と同時に自身の未完成さを感じ取っていた。
ヒュームは嬉しさ故に笑みを零れ、﹁フッフッフ﹂と声すら漏らしてしまった。
︵やはり百代と双対になるな⋮⋮そしてそして双頭とも⋮⋮︶
受けることが初手、総一郎は無意識にヒュームの攻撃を受ける気でいた。
ていく光景が見える。受けの初手││突っ込むだけが初手ではない、相手からの攻撃を
交える気概を感じはしない、だが彼の気が透き通り洗練され、それが円のように広がっ
そんな光景にヒュームは感嘆を覚えた。﹁いいか﹂と言われ﹁来い﹂と答えたが彼から
せていた。
音が聞こえなかったのは何故だろうか、一瞬の疑問も総一郎の思考からはとうに消え失
腰を低く、左手は少し鞘を支え、右手は静粛の間に刀を引き抜いていた。擦れた金属
﹁構わん、来い﹂
﹁三手、本気でいいか﹂
377
る扉を前に立ち止まっていた。
﹁どうした﹂
﹁いや⋮⋮どうしたものかな﹂
﹁馬鹿者が﹂
卜伝の叱咤が総一郎の体を突き抜けた、慌てて振り返るとそこに卜伝はいない。
だが││気が付けばその宮殿には少しの喧騒が広がっていた。鹿に熊、蛇に猪、栗鼠
もいれば狐も狸も。
﹂
﹂
扉からの光が総一郎の影をケモノたちに被せるように、まるで黄金の宮殿だった。
﹁││そうか、お前たちがいなかったのか﹂
﹁いいな
﹁││ああ、お願いします
﹁ジェノサイド││﹂
感覚が広がる││卜伝との死闘では味わえなかった、成長の実感だ。
!
?
いた。そして体についていた重しが土のように落ちて落ちて体が軽くなる、死にも似た
後ろを隣を皆が走っている、黄金の回廊を総一郎はとてつもない速度で駆けあがって
﹁塚原流││﹂
最強の味
378
感覚が快感で、遠く先の見えない回廊もまるで苦に感じない。││そしてそこは宮殿の
﹂
最上階ということを表すように玉座が見える。
﹁チェーンソ
﹁││其振り
﹂
燕が踊っていた
三人が感じ取り
少女が月に話しかけ
総理が頭を搔き
一子が呟き
由紀江が驚き
揚羽が髪を靡かせ
純一郎と信一郎が嬉しそうに月に向かい盃を掲げ
釈迦堂が静かに笑みを溢し
鉄心が眉を動かし
百代が振り向き
瞬間、全ての感情、感覚が殻を破り、そして杯からあふれ出す。
!
!
379
二つの奥義が重なる││それは川神以外の世界に力を知らしめるのには十分の威力
だった。
ヒュームは自分の奥義が止められたことに一切の驚愕を感じず、感涙の涙すら流す勢
いで二手目のジェノサイド・チェーンソを思いのままに放っていた。勿論それに反応で
きない総一郎などもうここに存在することは無く、完全に﹁それ﹂使いこなして蹴り、で
はなくヒューム自身に一振りを放っていた。だが、二つの攻撃は交差する。違う意図が
あるというのに二つは間違いを犯したように重なった。
研ぎ澄まされた総一郎の感覚は次の三手目で決着が絶対に着かないことを確信して
いた。それはヒュームに対して引けを全くとらなかった表れと同時にまだヒュームに
対して勝つことが出来ない証拠だ。だから、だからこそいまここで出来うる最強を放っ
ておきたい、自分の身を案じたヒュームに全てをぶつけたい、その一心で今、総一郎は
刀を上段から振り下ろした││
垂れる汗を拭うと総一郎は雨無雷音を納めた。
振り返って頭を下げるとヒュームは一枚の名刺を手渡してくる。
﹁ありがとうございました﹂
最強の味
380
﹁俺直通の名刺だ、暇な時稽古でも付けてやろう﹂
名刺に視線を落とし、また戻すとすでにそこに金髪老人の姿はなかった。
森の惨状は酷いものだ、だが前と違って身なりが酷いわけでもない。そして心は清々
しい。世界最強との三手、死闘との差は明らかにあるものの、そのきっかけは計り知れ
ないほど総一郎にとって有益なものだった。
張が一気に解けていた。
ら。殺されるのだろうかと心配をするも自分に気が付かないのか通り過ぎていくと緊
いた。ヒュームが玄関に歩いて帰ってくる、しかも﹁フッフッフ﹂と笑みを浮かべなが
九鬼財閥極東本社││今にもステイシーは震えあがって凍り付きそうな体験をして
日の総一郎だった。
リスの件がある。謝る気はさらさらないが箱根に行くことは妥協することに決めた今
れる百代からの追及にどう答えようか││それ以前に今まですっかり忘れていたがク
﹁さて﹂と呟いて町へと総一郎は歩みを進めた。今日はないだろうがこれから予想さ
﹁やはり年長者のいうことは聞いておくべきだな⋮⋮半分だけ﹂
381
﹁⋮⋮なんだあ
さっきの奴と関係があんのか﹂
﹁まあ、そうですね﹂
﹁何、久しぶりに心が震えただけです。クラウは気が付いていただろう﹂
あしらうこともなくヒュームは話を続けた。
﹁そうですね、気持ち悪いぐらいに上機嫌ですね﹂
﹁あれ、ヒュームご機嫌じゃん、どうしたの﹂
ヒュームが上機嫌に歩いているとクラウディオと九鬼帝が正面から歩いてくる。
?
三人の上機嫌さは夜の九鬼ビルに││夜のbarに響いていった。
﹁え、俺だけ蚊帳の外かよ、そういうの止めようぜ﹂
最強の味
382
雑談の後
箱根、それに向かうロマンスカーの一角に座るは総一郎、大和、京、クリス。はしゃ
ぎ喚くクリスの子守をするように大和は嘘吐き虚偽吐きの連発で、それを見ている総一
郎は後からの仕返し、そしてその弊害が自分に来るのではないかと恐怖にも似た感情を
抱いていた。あれからクリスと一応の謝罪を交わしはしたが、人間そのように変わるこ
とが出来ないと総一郎は理解している。
ロマンスカーから見える景色、一体それがなんなのか全く知らないが良く考えてみる
と新幹線を合わせてこちら側の景色を特急列車から見るのは初めてだった。
﹁なんで駄目なんだ⋮⋮﹂
﹂
子守の合間を縫って向かいの席で項垂れて居るガクトに大和は声を掛けた。
﹁どうしたガクト﹂
﹁なんでモモ先輩は良いのに俺は駄目なんだ
上げていた。
聞かなければよかった││そんな受け答えをしているうちにガクトが更なる悲鳴を
﹁⋮⋮ああ﹂
!
383
﹁今度はなんだ﹂
その視線の先には移動売店に飲物を買いに行った総一郎が恐らくOL年代のような
顔の整った女性三人の席へ引っ張られていく一部始終が視界に入った。
﹁なんで⋮⋮だ﹂
﹂
!
失神寸前のガクトに先程まで女子大学生と楽し気にしていた百代が加わり、大和はク
﹁くそ、あいつめけしからん奴だ。あんな美女達とイチャイチャするとは⋮⋮
﹂
宿まで競争よ
﹂
リスの子守の方が楽そうだと気が付いて景色の説明をするのだった。
﹁クリ
﹁望むところだ
!
﹂
な時間が訪れる。
かないがバスの中は電車よりも窮屈だ、少し景色を見つつ緑豊かな自然に囲まれて静か
この二人だろう、大和は厄介者がいなくなり一安心といった所か。バカ騒ぎとまでは行
駅からバスで少し山奥の旅館へ行くファミリー一行。早速旅を満喫するのはやはり
!
!
?
少し乗り物に酔ったモロは顔を白くさせながら気が付いた。隣で話していたガクト
﹁あれ、総一は
雑談の後
384
も気が付いていなかったようだ。
それに答えたのは京。
﹂
?
♦ ♦ ♦
も少ししてから三十分ほどの眠りにつくのだった。
目当ての女性がいないのか目を瞑って寝ている百代はそう呟いた。そして大和も京
﹁まあ、好きにさせたらいい﹂
は掛かる。
らばまだいい、二人の体力であれば一時間ほどで着くだろう。だが歩くとなれば数時間
走る││ならばわかる。駅から旅館までかなりの距離があるため走って競争するな
﹁うん、景色見ていくって﹂
﹁駅からか
﹁旅館まで歩いていくって﹂
385
﹁なんで総一が先についてるのよ
﹂
﹁我々よりも後に出てしかも歩いていたのでは⋮⋮
﹂
リューベックでは免許がいるのだが日本では要らないらしいな﹂
﹁あ、ここの川で釣りとかいいですね﹂
その後はついでに、ということでファミリーで山の散策をしていた。
機嫌をぶつけていた。
大和は苦笑で腹を抱えそうだ。二人は同着したことを忘れるかのように総一郎へ不
﹁鹿と会ってな、競争してた﹂
基調の服には土汚れの一つもない。
旅館先の玄関口で二人を待っていたのは大和と全く汗をかいていない総一郎だ。白
?
!
﹂
?
観られる。
モロの返答に口を詰まらせながらも由紀江は答えた。その顔には少し安堵の表情が
﹁は、はい、精神鍛錬の一環でやったりしてました﹂
﹁まゆっちの実家では釣りとかよくやってたの
かったが、今ではファミリーの一員だ発言すれば返答がある。
意を決して由紀江は漸く口を開いた。今まではそんな言葉すら汲み取ってもらえな
﹁おお、釣りか
!
﹁まゆっちのテクニックは目を見張るぜー﹂
雑談の後
386
腹話術││付喪神である由紀江のマスコット﹁松風﹂も然り、そしてそれに対する皆
の反応も然り、だ。
﹁ま、釣りは明日しっかりだな﹂
﹂
少しずつ夕暮れに近づいている。一斉に上を向くと木々の合間から夕日が差し込ん
でいる。
﹁さあーて、帰って温泉に入るぞ、そして飯だ
﹁京は本当に大和一筋なんだな﹂
つまりは大和のことだ。京からしたらこの箱根は一大イベントだろう。
﹁だから是非ともお力を⋮⋮﹂
﹁お、良いことを言うではないか京﹂
﹁そういうモモ先輩が一番﹂
リーメンバーしかいない。少し早めに入ったのが功を奏したようだ。
卑猥な手の動きと共に百代は二人に襲い掛かった。現在温泉には男女ともにファミ
﹁まゆまゆもクリスも良い体をしているなあ﹂
キャップの一声、キャップの駆け出し、それに一子が続き、皆が続いた。
!
387
﹁当たり前﹂
京とクリスの会話に前ほどのぎこちなさはない。意識外のことだがすこし百代は安
心した。
﹁で、でも総一郎さんとも結構仲いいですよね﹂
まゆまゆの一言に京は少しだけ反応が遅れる。
そんな光景を百代は見逃さなかった。
﹁お、京、まさかまさか﹂
は彼女いるよ﹂
﹂
﹁違うよ⋮⋮ま、眼中にないわけじゃないけど。大和が最高に変わりはない、それに総一
﹂
前のは冗談だと思っていたのに
一瞬間が空いて、三人は目を見開き││
﹁なんだとー
﹁そそそそ、そうなんですか
﹂
!
ばせた。
一体クリスは何を想像したのか││京は湯船に口を浸からせてブクブクと泡を浮か
﹁そうなのか⋮⋮は、はれんちだぞ
!
!
!
︵ごめんね総一、逃げ口上で口を滑らせた︶
雑談の後
388
﹁││俺様のはバズーカ砲だぜ、一発ドーンとな
﹁まだ未使用だけどね﹂
﹂
﹁そうそう、だから毎日砲身を磨いて││って何を言わせんだ
!
﹂
!
﹁正気を保てー京ー﹂
﹁││っごくり﹂
﹁グリズリーを倒せる﹂
﹁││モモ先輩、マグナムってどれ位
﹂
﹁俺はマグナム、強いのを五発ほどドーンだ﹂
り付きたいらしい。
﹂
らめて﹁は、はれんちな﹂とクリスが言うが由紀江はどちらかと言えばどうやら壁に張
百代は楽しそうに、後でネタにでも使ってやると意気込む。クリスと由紀江は顔を赤
や隣は女子風呂である。京は木の壁にへばり付いて大和の番を今か今かと待っていた。
ガクトが大声で突っ込んだとしても今ここには誰がいるわけもない││とも思いき
﹁上手いこと言うな
﹁何ってそりゃナニだろう﹂
男子風呂はお下劣な下の話、キャップはあまり興味なさそうにお湯につかっている。
!
389
?
想像が妄想を呼んで今にも蒸発しそうだ。
﹁モロは皮のホルスターに入ってるもんな﹂
﹂
﹂
?
﹁わわわわ、私も失礼します
﹂
そそくさと立ち去る二人の背中を見て百代が不敵な笑みを浮かべた。
!
﹁先に上がるぞ﹂
クリス、由紀江はお互いに顔を合わせて赤面、そして少しずつ蒸発していった。
いうのか、そんな表情をしていた。
声を聴く限りそう答えたのは総一郎だ。京は特に興味はないがそんなものがあると
﹁やめれやめれ、恥ずかしいだろ﹂
﹁た、大陸間弾道ミサイル⋮⋮だ、と
めないうちにお湯に入ろうと││したとき、ガクトの大声で女子一同は絶句した。
キャップの一物の話にもなるがすでに京の興味は薄れて壁から意識が離れていく、冷
がそれを制止したくだりはよくわからなかったが。
モロが叫び出すと京の思考も少し醒めてくる。キャップが何かを言おうとして大和
﹁急に暴露しないでよ
!
﹁多分まゆっちはムッツリだね﹂
﹁初々しいなあ﹂
雑談の後
390
カコンッ││と鹿威しが鳴った。
飯の席、川神水の席とでも言おうか。
風呂から上がるとすぐに食事が運ばれてきた。大きな一室を借りているため全員同
じ部屋で食べて寝る、鎌倉野菜や地元の名産品の物が次々と運ばれてくる。恐らく一番
満喫しているのはクリスに間違いはない、一つ一つの動作が全力で嬉しさを表してい
る。
勿論、他のメンバーも然りだ。キャップや一子などはすごい勢いで胃袋の中へ、小食
のモロですら箸が進んでいる。
そして百代がある物を取り出した。
﹂
!
が九本、川神水と書かれているが見てくれは完全に日本酒だ。
?
正義のクリスがそれに反応しないわけがない。
﹁む、未成年の飲酒は禁止されているぞ﹂
瓶に入った水
﹁おお、モモ先輩やるじゃん
﹁じゃじゃーん、川神水です﹂
391
﹁これはお酒じゃないのさクリス、川神水といって場に酔うだけでアルコールは入って
いない﹂
﹂
説明したのは大和だった。だが信用できないのかクリスは百代にアイコンタクトで
真理を求める、すると苦笑気味に百代は頷いた。
それから一時間後である。
クリスティアーネ・フリードリヒであるぞ
﹁まあ、それならばいいか。私も飲んでみよう﹂
﹁あはははははは、私は暴れん坊騎士
!
﹁どこ
﹂
﹂
一番人気でありまして名は﹁大和姫﹂と申します﹂
﹁ま、楽しいではありませんか京殿。ささ、あちらに遊女を待たせております。当旅館の
﹁しょーもない﹂
の口上を盛り上げているようだ。
一子は既に酔いつぶれて就寝中、キャップも同様。モロとガクトは少し酔ってクリス
!
少し顔は赤いが酔っているという雰囲気ではない、陽気に間違いはないが。
端っこで行われている。もちろんそれをけしかけたのは他ならぬ総一郎自身なのだが。
少 し 酔 っ て ふ ら 付 く 大 和 と 酔 っ た お か げ で 歯 止 め の 利 か な い 京 の 取 っ 組 み 合 い が
!!
!
﹁やめろ総一
雑談の後
392
﹁楽しそうだな﹂
すると百代が由紀江の隣に座った。右手は尻、左手は太腿に伸びていく。由紀江は体
﹁この世界には法律もくそもあったもんじゃないな﹂
﹁わ、私もやはり飲まされることが多くて⋮⋮﹂
﹁良く手に入るしな、本物はあまり飲まないからわからんがこれなら結構いけるぞ﹂
るように飲み干した。
よく見ると百代も既に一瓶、空いたグラスに総一郎が注いでいく。するとそれを浴び
﹁い、いえ⋮⋮モモ先輩もお強いですね﹂
﹁流石北陸の娘、大成さんの娘さんだね﹂
まった。
その視線の先には由紀江が座っている。二人からの視線を浴びて急に縮こまってし
のがいるじゃないか﹂
﹁まあ俺は飲む機会も多いからな、武士は飲めねばやってられん。それに俺よりも強い
いる。
ちびちびと川神水に口をつけているが総一郎は既に一子の分の瓶を半分まで飲んで
﹁余り酔っている様には見えんがな﹂
﹁結構酔うんだなこれ﹂
393
を震わせた。
﹂
﹁酔いつぶれてくれればいろいろできたのになー﹂
﹁もももも⋮⋮
﹁⋮⋮は
﹂
﹁そういえば総一の彼女の話聞きたいな﹂
いつの間にか上機嫌に総一郎は鼻歌を歌っていた。
百代と由紀江。
やさないモロ、追われ追い襲い襲われの大和と京、寝る一子とキャップ、弄り弄られの
だろうか。既に呂律は廻っていないクリスやそれを煽るガクト、皆を見て常に笑顔を絶
総一郎はグラスに川神水をポトポト注ぐ、既に料理は平らげているため肴はこの風景
﹁ほどほどになー﹂
﹁これ以上先はどうしてもガード堅いし⋮⋮ま、これで我慢しよう﹂
!?
百代の一言に最も反応したのはガクトだった。見るからに酔いはもう醒めたようだ。
﹁え、総一の彼女ってあれ冗談じゃないのか﹂
?
!
﹁⋮⋮﹂
﹁なんだとー
てっきり冗談だと思ってた⋮⋮じゃあ大陸間弾道ミサイルは既に発射さ
﹁京がいるって言ってたぞ﹂
雑談の後
394
れているのか
﹂
童貞どもは俺にひれ伏せ
﹂
をしたことを悔やむ日が来るなど思わなかった。
女がいると言ったが完全に冗談だと思われていると思っていた。以前京とそんな会話
総一郎は京に抗議の視線を向けた、見事に京はそれを逸らした。だいぶ前に軽口で彼
!
!
!
﹁まあ⋮⋮中学の同級生だよ⋮⋮﹂
京、やっちまいな
!
﹁うわあ、嘘っぽい﹂
﹁ええい、うるさいうるさい
﹂
ない。と││今考えたわけではないが川神に帰ってくるときに考えたことだ。
そうなれば総一郎と燕が付き合っていることを無暗に知られてはいけないのかも知れ
予定である。唐突に川神に来るわけもなく、大方何かの仕事関係であることは明白だ。
さて、燕は有名人である。無暗に教えることはできない。更にもう少しで川神に来る
持ちが手に取るようにわかる。
何故か余裕の大和は更なる追及を掛けてくる。というか京から意識を遠ざけたい気
﹁で、どんな奴なんだ﹂
は驚愕の顔を維持したまま眠りについた。
最低の一言であるが酒││基、川神水の席だ問題はない。効果は覿面のようでガクト
﹁うるせえ
!
395
﹁roger﹂
総一郎は奥の手で大和を黙らせることに成功したが、その後百代はどうにもできない
のだ。
♦ ♦ ♦
﹁クリスーまゆっちも無視↑虫 苦手みたいだからやらせるなー﹂
河川敷でファミリーは釣りや稽古、水切りなどで各々の箱根を満喫していた。かくい
﹂
う総一郎も久しぶりの上流で心を躍らせていた。
﹁すまないまゆっち﹂
﹁い、いえ﹂
﹁ところで総一は何を作っているんだ
﹁釣り竿⋮⋮ですかね﹂
竹と木の皮木の枝を持って総一は﹁ふふーん﹂と更に上流へ去って行った。
?
のように動物たちがいるわけではない、やはり土地が違えば勝手は違うのだろうか。
少しずつ木の先が水面に近づくような上流に総一郎は腰を掛けていた。だがいつも
﹁流石武士といった所か⋮⋮﹂
雑談の後
396
単に百代が来ていただけだった。
た。
川縁の網に岩魚を入れると二人は違う方向に、そして姿は一瞬にして見えなくなっ
﹁ふん、任せろ。そして任せた﹂
﹁百代に任せる、俺は戻るよ。非戦闘員もいるし﹂
立ち上がりながら総一郎は釣り竿を上げた。そこには一匹の岩魚が。
﹁秘められながらも撒き散らしたくてしょうがない殺気、軍人かな﹂
麦わら帽子の総一郎は百代の言葉に間をあけて顔を見上げた。
﹁なんだかおもしろいことになってるな﹂
釣り竿を手に取る。総一郎の隣まで行くがそこで百代は座りはしなかった。
完璧な精神統一。百代はその姿に少しばかり感銘を受けてただ黙ってそこにあった
送ろうとも反応は一切なかった。
総一郎は言葉を交わす、だが一向に振り向くことは無い。百代がいくら怪訝な視線を
﹁釣る気ないからな﹂
﹁釣りねえ││これ⋮⋮釣り針が真っすぐだぞ﹂
﹁ももちゃんもやってみれば、そこに釣り竿あるよ﹂
﹁よう、暇そうなことしてるな﹂
397
赤い髪と父の乱
一子と京は大和達から離れた山中、旅館に通ずる開けた道で組み手をしていた。
﹁やっぱりワン子、かなり強くなってるね。もう敵わない﹂
﹁えへへへ﹂
組手なので圧倒的に一子が勝つなんてことはないが京の消耗は見て取れる。平然と
しているが京の汗はかなりのもので、一方の一子は笑顔のまま大した汗をかいていな
い。
﹂
一段落ついた組手はそのまま休憩に変わろうとしていた。
﹁⋮⋮
切り株に腰を掛けようとして居た二人、だが一子はその場で振り返った。京は一瞬一
?
﹂
子を不思議な眼で見ていたが、すぐに危険な香りを感じ取った。
!?
とを容易にさせている。京にそこまでを感じ取ることは出来ないが一子は﹁豹﹂として
その眼光はまさしく狩人、秘められた闘気は解放された時の強大さをイメージさせるこ
一子は叫んだ││すると木陰から一人の女性、黒く赤い戦闘服を纏った赤髪の眼帯、
﹁誰
赤い髪と父の乱
398
の感受性が彼女の強大さをその身で感じ取っていた。
の攻坊は繰り広げられた。
様な集中力、そして﹁待つ﹂
﹁観察﹂するだけではないその速さ。京が動く暇もなく二人
精神を集中させクリスとの戦いの時のような状態、つまり﹁六徳の観﹂である。豹の
野兎のように見ていた。だが、ここで怯む一子ではない。
途端、女の瞳孔が開く。獣ではない、狩人だ。一子は豹だというのにまるで二人とも
﹁ほう⋮⋮なかなかです。特に髪の長い方は少しやれるようですね││﹂
も見える。
しかし浅かった、女は当たったというよりもその力を利用して後ろに下がったように
に入る。
ジャブのようなものなので簡単に避けられるがこちらには京がいる、京の蹴りが女の腹
はない、女の得物を寸で躱した後に掌底ですぐさま顎を狙いに行く。ボクシングでいう
京が入る前に女と一子が一手交える。一子も薙刀を持っていないが総一郎に抜かり
は一子との組手の後で体も良く動く、京も武士娘に変わりはない。
く、普段の得物である弓は持ち合わせていないが、普段から組手も疎かにしておらず今
軍服の女は目の色を変えて一子に襲い掛かった。それと同時に京も女に向かって動
﹁気付かれましたか││面白い﹂
399
﹁⋮⋮すごい﹂
息を飲んだのは京だ。自分よりも明らかに格上の軍人に対して互角に渡り合う一子
を見てそう言った。組手の時は力を抜いていたわけではない、本気の一子の姿を彼女は
見た。
だが、豹は豹、獣でありそれは一子の目指す通過点であって未完成である。
相手は軍人であり場数が違う、特に彼女は﹁狩る﹂ということを生業としている。例
え一子と互角であろうと一子の方が上であろうとも、その差が完全なるものでなければ
﹂
いくらでも埋められる││一子は次第に手数を減らしていた。
﹁くっ
﹂
!
﹂
ファーに変わりはないが、一子の焦りに反応してガードの薄い箇所を狙ったものだ。
先程から打たれていたトンファーとは重みの違う攻撃が放たれた。間違いなくトン
﹁Hasen jagd
きた。一子が呻くとまるでそれを待っていたかのように女はそれを口にした。
傍から見ればそれほどの差はない、だが少しずつ、少しずつ一子の額に汗が噴き出て
!
!
る。
後方へ思いっきり吹き飛ばされた一子、森であるためそのまま大木に叩きつけられ
﹁ぐうっ
赤い髪と父の乱
400
﹁ワン子
た。
﹂
一子はすぐに立ち上がることは出来なかったが意識はあり、上体はすぐに起こせてい
京がすぐに駆け寄った、女からの追撃はない。
!
﹂
!
﹁クリスの関係者ですか﹂
国人││一つの結論が出た。
一方軍師こと大和は冷静な分析を心掛けていた。一子を倒せるほどの実力、軍服、外
していた。
方が悪い、女に興奮したのではなく、物騒なことが起こるかもしれないこの状況に高揚
軍服を着て武器を持っている女を見てキャップが興奮しないわけがない。いや、言い
で行って無事を確認すると女に視線を向けた。
ほぼ四人同時にそう叫んだ。走り寄ったのはモロとガクト、キャップと大和は近くま
﹁ワン子
そんな睨み合いが続くと走って大和達が来る。
を女に向けた。そんな様子を女はただ鼻で笑う、口角を上げずに。
女は二人を見下す形でそう一子を評した。一子は悔しそうに、京は憎悪を含んだ視線
﹁実力はありますが経験が足りませんね、それに相性にも左右される﹂
401
女は少し目を窄めた、それはどちらかと言えば称賛するような視線だ。そしてそれを
肯定するように男は現れた。
男はフランク・フリードリヒ、クリスの父親だ。転入してきた時ファミリーは面識が
﹁よくわかったね。確か直江大和君といったか、素晴らしい観察眼だ﹂
あった。非常に穏やかな表情をしているが、こちらとしては急に襲われたので緊張感が
解ける筈もない。
フランクが来た理由は単純明快、クリスが旅行するというのでやってきたわけだ。し
かも一緒に男が居るとなれば超過保護のフランクとしてはいてもたってもいられない、
戦闘機でここまで駆け付けたというわけだ。そして護衛として連れてきたのがこの女。
﹁マルギッテ・エーベルバッハです﹂
﹁彼女はドイツ最強の部隊﹁猟犬部隊﹂を率いる優秀な部下だ﹂
我が愛しのクリス
﹂
それに父様も
﹂
と、説明が入っていると遠くからクリスの声が響いた。
﹁おお
﹂
!
!
!
笑顔を見せている、まるで姉のようだ。少し和んだ空気に大和達も緊張の糸が切れてい
クリスはマルギッテに飛びついた。マルギッテも嬉しそうに先程とは明らかに違う
﹁お嬢様お久しぶりです
!
!
﹁マルさんじゃないか
赤い髪と父の乱
402
く。
一子も早速マルギッテに再戦しようとしているしガクトとモロはマルギッテの美貌
に驚いている。キャップは﹁あの銃触らせてくれないかな﹂などとマルギッテの腰につ
いているハンドガンに目を輝かせていた。
大和も﹁はあ⋮⋮﹂と息を吐く、京も大和の所に寄り添い﹁怪我しちゃった﹂と言え
ば大和に﹁絆創膏は自分で貼れよ﹂なんて会話ができるようになった。
だがそんな雰囲気は一人の男の登場でかき消された。
マルギッテが本能的に振り向き、殺気をばら撒いた。
依然として警戒心が強いマルギッテだが、殺気は納めている。
一瞬だけまた険悪になった雰囲気はほのぼのとした彼によって温和なものに変わる、
総一郎はゆうゆうとマルギッテの横を通り過ぎてファミリーの所へ歩いて行った。
﹁赤い美人さん、殺気を納めてください﹂
フランクは何も感じないのかマルギッテだけが総一郎へ敵意を向けていた。
﹁塚原総一郎です。どうも﹂
﹁君は確かサムライ⋮⋮﹂
マルギッテの先に居たのは雰囲気穏やかな総一郎だった。
﹁あら。もう大丈夫なのかね﹂
403
そして少しするとフランクがクリスに旅の内容を尋ねる。勿論大したことはない、沢
で遊んだり湖に行く予定があるくらいで、遊びすぎれば今後の勉学に影響が出てしま
う。大和の計画に抜かりはない。
﹂
少し気が緩んだせいなのかそんな雰囲気の中大和は冗談で﹁まあ、間違いなんて起き
ませんよ││お父さん﹂なんて口走ってしまう。するとフランクは﹁何か言ったかね
と銃口を大和に向けてきた。
﹁おい、どこにその薄汚え鉄の塊を向けてんだ
﹂
せいではない。そして少し違ったなんてレベルではなかった。
普通であれば大和は﹁冗談ですよ﹂なんて言うものだが、今回は少し違った。大和の
?
愚行に気が付いた。父同然の上官に刃物を突き付けられていることを何故一番に考え
全く反応ができなかった││マルギッテはそんな思考を一番に浮かべて、そしてその
いた。寸止めなどではない、薄皮一枚切れて一滴血が垂れている。
ドガンは切り刻まれ、総一郎がいつの間にか抜いた刀はフランクの頸動脈に刃を当てて
フランクの気が付いた頃には││マルギッテの気が付いた頃にさえフランクのハン
?
なかったのだろうか。本人は気が付いていないが理由は簡単、実力差だ。
﹁父様
﹂
﹁貴様││﹂
赤い髪と父の乱
404
!
フランクは右手で二人を制した、命欲しさではない。マルギッテよりも死地を乗り越
えてきた猛者であるフランクはそこに居る二人││そこにいる大和達よりも度胸があ
る。額に脂汗一つ掻かず、顔色一つ変えず視線だけを総一郎に向けていた。
﹂
?
││おたくら少々日本にきて平和ボ
?
不機嫌そうに眼を瞑る総一郎、意地悪笑みの百代、ガクトとモロと一子はビビッてい
﹁え﹂
﹁さて、後はまとめろ弟﹂
ポンと叩いて総一郎を諫めた。
少し見つめ合って、そして総一郎は緩やかな動作で刀を鞘に納めた。百代は背中をポン
その声はいつの間にか総一郎の刀を掴んでいた。少し真剣な表情の百代だ。二人は
﹁おいおい、はしゃぎ過ぎだぞ総一、それくらいにしとけ﹂
マルギッテは押し黙った。言葉にではなく総一郎の瞳に、真っ黒な瞳に。
ケでもしてるんじゃないですかね﹂
﹁それを制空権内に入ってきた爆撃機に言えるか
﹁止めなさい、中将の命令に背いて交戦したのは私です。その刀を││﹂
かってるよな
た奴がいたんで、今しがたあしらってきたが、普通そんなことをすればどうなるか分
﹁急にワン子を襲ってきて、更には銃口を大和に向ける。俺も三人ほど突っかかってき
405
るしクリスは敵意を総一郎へ向けている、京は悲し気に総一郎を見て││正気なのは大
和だけだった。
と大和は手を叩いてそう呟いた。
!
だが。
ば元も子もないが、そんな狡猾さをどうにか認めさせようとしていた。
して卑怯な手を使うこともあるだろう。そして自分の卑劣さ││なんて言ってしまえ
尋問だ。フランクが軍人であることを認めさせ、その軍人は任務のために策を練る、そ
らった大和はクリスと何度目かによる仲直りのアプローチをかけていた。巧妙な誘導
日も少しずつ落ちてそろそろ夕焼けを迎えるだろうか。そんな心休まるときを見計
ファミリー一同は何事もなかったように川岸へ戻った││総一郎は居ないが。
♦ ♦ ♦
パンっ
﹁えー⋮⋮お開きです﹂
赤い髪と父の乱
406
るだろう。何とか策を練っていたがそれももう無意味と化していた。
かない。辛うじて頭をどうにか、という所だが、体力勝負は恐らく殆ど敗北が待ってい
解熱剤を服用したが、咳や鼻水などよりも性質が悪い、体が火照って体が思うように動
コンディションは最悪、決戦を前にして最悪の状況だった。酷いのは熱、とりあえず
大和は風邪を引いていた。
明日、大和の矜持を認めさせる決戦が行われる。
を了承した。
く、運も実力の内である。クリスも川神院の名に賭けた百代に不満を抱くこと無くそれ
本連取しそれが全て大和寄りの競技だとしても、川神院の名を賭けた百代に不正はな
技は籤で決める。勝負は五本先取の九回勝負、知恵の大和と武のクリス、例え大和が五
知恵、体力、感性、度胸、それら全てをお題として競技を何個も決め、実際にやる競
物である﹁川神戦役﹂による決闘を申し出る、クリスもそれを二つ返事で申し受けた。
もこれは聞き捨てならない。落とし前を付けるべく、大和は百代立ち合いの下、川神名
近くに京か総一郎がいれば秘密基地の再来があってもおかしくないような発言、大和
﹁なんだか気に食わない﹂
407
この事実を広めることを大和は良しとしなかった。幸い居なかった女子連中、ガクト
とモロ、キャップ、総一郎に口止めはしたが、たまたま帰ってきた由紀江に事実を聞か
れてしまう。頭を下げてどうにか口止めはさせたが、どうなるかは分からない。
だが、昨日知らぬ間にそんなことが決まっていた総一郎は何故か彼に同情できなかっ
た。
大和は女風呂を覗きに行って失敗し、そして夜中の川に落ちたらしい。
それまでは真剣な眼差しだったが、総一郎は事態が事態だったので出来うる限り大和
を蔑んでやった、無言で。
﹁まあ、どうせ百代にはばれる。それに京にも⋮⋮じゃあ知らないのは一子とクリスだ
けかよ﹂
九人中七人が知ってしまっている現状はいかがなものか分からないが。総一郎もこ
れ以上なにかを言うことはしなかった、大和の男気に口を挟む程野暮ではない。
ガクトもモロもキャップも何だが格好いい笑みを大和に向けていた。
止めてやるよ﹂
﹁言うわけがなかろう。我が軍師が男を見せるって言っているんだ、無理して勝ったら
﹁無理するなとは言わないんだな﹂
﹁無理したら止めるからな﹂
赤い髪と父の乱
408
﹁じゃ、俺は野暮用があるんで﹂
﹂
!
開放される。
マルギッテはその問いに答えず、そして応えた。ただ眼帯を取る、すると動の闘気が
味も道理も﹁今﹂はもう持ち合わせていない。
決まっている、決闘だ。彼女ならば死闘を望むかもしれないが総一郎は格下を殺す趣
﹁何をご所望か﹂
ギッテ・エーベルバッハがそこに居た。
視界に映ったのは赤い髪が靡く姿、それを捉えると眼帯を付けた赤髪の軍人、マル
歩いて、ただ止まった。そしてただ振り向いた。
名もない山の麓、あっても総一郎に関係はなかった。少し拓けた森林、総一郎はただ
♦ ♦ ♦
ズキリ││と怒声で大和の頭が裂けた。
﹁止められないだけじゃねえか
409
この場で危惧するのはこの気に反応する百代だろうか││問題はない、百代には断っ
てきている、それに彼女は今日弟の決闘を見届けなければならない大事な用がある。昔
であればもしかすれば総一郎の方を優先するかもしれないが、今は違う。
﹁では、雨無雷音でやろう﹂
﹁両方抜きなさい﹂
も、マルギッテは腹に一撃を受けてそのまま地面を滑り、そして転がり二十メートル先
しかし、三合││利き手のトンファーが最速と最強を以て総一郎を捉えようとする
たキックだ。それでもけりはつかない、だが総一郎は考えることもなくただ防御した。
意外、それに総一郎は手を抜いていない。そして打ち合いは二合、トンファーを囮とし
うか││そんなことはどうでもいい、勝負はそこでけりはつかなかった。意外と言えば
マルギッテの先手に間違いはない。総一郎が先を取ることはこれから先あるのだろ
けだ。
が完全に構える前に交わった。不意打ちではない、マルギッテが問題ないと判断しただ
二人の交わりは総一郎が長い大太刀を擦れる金属を最後まで鳴らしきった後、総一郎
マルギッテはただ頷くこともせず、沈黙を貫き、そしてトンファーを構えた。
ない﹂
﹁実力を知れ、お前ひとりじゃ相手にならない。俺は出し惜しみをするような人間じゃ
赤い髪と父の乱
410
の大木に体を思い切り激突させた。
三合││それで決着は付いた。
その意味を知らぬマルギッテはそれが称賛なのか理解できないまま意識を手放した。
﹁強いね、後の先じゃまだけりはついてない﹂
﹁こ、これが⋮⋮﹂
411
∼交流戦は突然に∼
﹁おう、キャップ何してる﹂
今すげえ盛り上がってるぞ
﹂
!
﹂
?
の試練である川神レースをすることになったらしい。大和としては最悪の種目に変わ
堪えきれなくなった由紀江が大和の体調不良を公表すると、残りの試合を省いて最後
いつの間にか││勿論、総一郎は気が付いていたが、百代はそう言う。
﹁逆だよ﹂
﹁おお、流石軍師。あの体調でよくここまで行けたな﹂
﹁今まさに最終決戦の最中だ﹂
﹁あれ、大和とクリスのは、どうなったんだ
テンションの高いキャップだが総一郎はいまいち状況を理解できていない。
河原まで降りてきた総一郎はそこで仁王立ちしているキャップを見つけた。非常に
﹁あ、総一お前どこ行ってた
!
りないが百代が止めていないあたり恐らくは根性││川神魂で何とかしているのだろ
う。
﹁頑張ってるな大和﹂
∼交流戦は突然に∼
412
﹁ああ、特に最近は少し男らしくなってきた﹂
﹂
?
﹂
!
大和はゴールであるキャップに飛びつくと同時に意識を手放した。
も彼の本気はこの僅差を埋める糧となったことは間違いない。
る。根性だけクリスは勝てる相手ではない、大方は大和の策略に間違いはないがそれで
う根性でかなりの熱がある中、最短ルートにて川を渡って来ていた。勿論ずぶ濡れであ
大和は出来うる限りの知恵を導入し、普段であればやらないような﹁無理やり﹂とい
﹁まじか﹂
﹁キャップ避けるなよー﹂
﹁まさか川の中から現れるとは⋮⋮﹂
朧とする意識の中、ただの信念だけで走っていることが分かる。
逆方向からはクリスも走ってきているが少し大和が近いか、足取りと様子からみて朦
﹁あ、大和だ
そんな無言の会話をしていると。
言ったまでに過ぎない、だが彼女がそんなことを言うだろうか。
そ ん な 総 一 郎 の 意 図 を 百 代 は 本 当 に 理 解 で き て い な か っ た。彼 女 自 身 は 姉 と し て
﹁⋮⋮なんだよ﹂
﹁お
413
﹁うわ、すげえ熱だ。モモ先輩
﹁任せろ﹂
﹂
﹁総一殿﹂
﹂
リスが後をついて少し距離を取るように歩いた。
クリスは落ち込んでいるのか、気まずいのか、それとも反省しているのか。二人はク
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
﹁さ、俺達も行こうか﹂
まま皆と合流するのだろう。
百代は大和を背負うと颯爽と消えて行った。キャップも森を駆けていく、恐らくその
!
切り株に掛けていた。
気まずいところで休みたくはなかったが﹁山を舐めるな﹂という総一郎に諭されて腰を
山の中腹あたり、体力が減っていたクリスは総一郎と共にそこで休んでいた。そんな
﹁ん
?
﹁それが問題か
﹂
クリスは突然彼から肯定され困惑した。真ん丸な目で総一郎と視線を合わせた。
﹁正しくない﹂
﹁大和は正しいのだろうか﹂
∼交流戦は突然に∼
414
?
﹁問題だろう
﹂
!
今回の箱根でクリスと由紀江はこの川神魂を初めて受け取った。それは由紀江の勇
揺ぎ無い意志を糧として、闇の旅を進んでいく
奇跡もなく、標べもなく、ただ夜が広がるのみ
光灯る街に背を向け、我が歩むは果て無き荒野
♦ ♦ ♦
総一郎は初めてクリスに笑顔を向けた。
﹁クリスの正しさ、俺の正しさ、大和の正しくなさ。これから分かって行こうぜ﹂
クリスは黙った。論破されたわけじゃない、反論するところがただ無かっただけだ。
く、行為は正しい、俺はこれを問題なのかどうか判断できない﹂
﹁正しくないことを理解して大和はそれを実行している、皆の為にな。手段が正しくな
415
気が認められたことでもあり、クリスと大和が互いを認め合ったからでもある。
そしてそれはこの二人が﹁ファミリー﹂の一員として正式に認められた裏付けでもあ
る。
クリスと京の間に多少の齟齬はあるが京も拒絶はしない、ただ二人とも距離感を掴み
そこなっているだけだ。由紀江は相変わらずの人見知りでマスコットの松風と遊んで
いる、もちろんファミリーとも。更にはクラスに一人だけ友達ができたとか、その日の
島津寮夜は大層賑やかだったらしい。
そんな箱根旅行から日が経ち、その後一つ目の土日が過ぎた月曜日の朝会だった。
﹁てなことで、次の土日で福岡にある天神館から修学旅行生が来るそうじゃ。そこで天
﹂
﹂といい、ある者は﹁あんまり僕には関係
神館と学年対抗の交流戦││東西交流戦をすることになった。皆楽しみじゃろう、存分
に暴れていいぞい﹂
全校生徒が騒然となった。
ある者は﹁俺様の力を見せる時が来たぜ
ないかな﹂という者も。
一方百代と総一郎は。
!
というか俺は流石に出れないよな大和
?
﹁天神館か⋮⋮確か鍋島さんが││ふふ﹂
﹁⋮⋮これの事か
?
∼交流戦は突然に∼
416
久々に燃え上がる百代の戦闘意欲、総一郎は反対に大した反応を見せなかった。
百代は未知の者との邂逅、そして川神院の弟子でかつては武道四天王の一人だった壁
を 超 え た 存 在 で あ る 鍋 島 正 と 戦 え る か も し れ な い 事 に 興 味 を 抱 き。総 一 郎 は ど う せ
戦っても大したことは無いだろうという思いと、もし燕がこれにゲストで参加するなら
ば二年生である自分に関わりがないことを残念がっている。
﹁学年対抗で行う、じゃから編成は任せたぞい﹂
鉄心がそういうと朝会は終わる。
三年は百代を中心に各部活の部長などの連合、一年生は派閥を仕切ってる武蔵小杉と
いう一年生が仕切ること決まる。
だが、二年生は事情が少し違う。この学年はFクラスとSクラスの派閥がでかく、逆
に言えばそれ以外が地味で普通である。でかい派閥が二つ、しかもアウトローな落ちこ
ぼれでありながらも実力を持つFクラスと金持ちでエリート、しかも実力は一部が突出
しているFとは違い平均的な能力が高いSクラス。
﹂
諍いが起きることは必然と言ってもおかしくなかった。
﹂
﹁なんでSの連中といっしょにやらなきゃなんないのよ
﹁それはこっちの台詞じゃ、この猿共
Fクラスの小笠原千花と鼻につく不死川心の言い争い。個人同士のものだが、ある意
!
!
417
味クラスの総意といっても過言ではない。クラスの三分の二はそのような感情を持つ
だろう。
﹁まあ、チカリン落ち着いて﹂
﹁そうです、不死川さんもここは引いてください﹂
二年生は統率を取ることが難しい。だからか、他のクラスはこのFとSに指揮権を丸
投げし、指揮権の統一を図る双方は軍師こと侍中の大和、学年一の天才である軍師こと
謀略家の冬馬が今後について空き教室で会談しているところだ。
Fは大和、一子、クリス、ガクト、モロ、京、千花、甘粕真与、源さん。
Sは冬馬、準、小雪、心、そしてつい先日転入してきた││マルギッテである。
そんな彼女は何食わぬ顔で総一郎をに視線を向けていた。非常に総一郎はこの数日
迷惑で仕方がない。
﹁では、将軍として総一郎君を任命しこちらの傲慢とそちらの不満を取り除きましょう﹂
いた。
一瞬冬馬は総一郎を見た。彼はマルギッテの視線が鬱陶しく窓の外、夕焼けに黄昏て
﹁なるほど、軍師は我々としても纏まるには些かこちらの傲慢さが障害ですね⋮⋮﹂
指揮は必然的にこちらに偏る、それがこちらとしての譲歩であり、不安要素でもある﹂
﹁大将は英雄、これはこちらとしても意義はない。ただ武闘派はこちらが多いから隊の
∼交流戦は突然に∼
418
﹁お、それでいこう﹂
まるでコントのようにズコーン
﹁まてまてまて﹂
二人の間に総一郎は割って入る。二人とも﹁何だ﹂
所に頭を抱えてそれにいちゃもんを付けることも叶わなかった。
行け京
!
﹁そうだ総一、天神館のこと教えてくれ﹂
﹂
!
﹂
異議なし││とこの場の人間全員に言われてしまえば、総一郎は民主主義の長所と短
﹁平和の為です、骨を折ってください﹂
﹁不死川さんや九鬼とも仲がいいし適任だろ﹂
﹁何故俺だ﹂
という表情をしている、いや他に居たメンバーも同じような顔だ。
!
﹁⋮⋮知らん自分で調べるか京に教えてもらえ、体でな
﹂
﹁大和ぉぉぉぉぉ
﹁なんでぇ
!?
!
419
♦ ♦ ♦
暗く、そして幻のような明るさ、月明かりを霞ませるこの明るさは人類が開発した蛍
光灯のものだ。何重ものパイプ管と巨大な丸いタンク、その隙間にある人が一人通れる
位の隙間、そこに光が差し込みこの九鬼が所有する工場は観光名所として公開できるほ
どには素晴らしい場所であった。
今日土曜日、そして今夜、西は天神、東は川神、学年対抗の東西交流戦と名を打った
戦が始まる。
﹁ゔへあ﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
﹂と突
一年の部は天神館の勝利。あの剣聖の娘である黛由紀江を擁した川神学園がまさか
負けるの大波乱││だが、実際は対象である武蔵小杉が何故か﹁プレミアーム
!
出したところを単純に袋叩きにされただけだ。活躍して友達を増やそうとした由紀江
﹂
﹂
は相も変わらず苦労を知るままだ。
﹁天神合体
!
﹁川神││波
!
∼交流戦は突然に∼
420
三年の部は生徒会長を始め部活連合や言霊を操る京極彦一の連携により互角以上の
戦い、そして生徒が何故か合体し、百代に挑むが結果はいつもの通り、ビームによって
巨大な合体生物は消し飛んでその後アッという間に勝負は川神学園の勝利となった。
これで一対一、残るは明日行われる二年生の勝負によって勝敗が決まる。
力は八人みたいだが兎に角要注意だ﹂
﹁ええ、こちらの将を当てることとしましょうか﹂
大和は頷いた。
?
返事がない。
闇討ちに気を気張るため二人の近く︵冬馬対策でもある︶に総一郎控えていた。だが、
﹁総一、お前は本陣の守りをしてもらうけどいいか
﹂
喜多秀美﹂情報戦のプロ﹁大村ヨシツグ﹂広告塔のエグゾエル﹁龍造寺隆正﹂││実戦
五弓の﹁毛利元親﹂瞬間移動する﹁尼子晴﹂汚い忍者﹁鉢屋壱助﹂金にうるさい巨漢﹁宇
﹁大友焔﹂なんでも大砲使いとか。凄まじい攻撃力を持つ﹁長宗我部宗男﹂京と同じ天下
﹁大将は十勇士最強の男﹁石田三郎﹂そしてその側近である槍使い﹁島右近﹂特攻隊長の
大和と冬馬は足場の上で工場を見渡しつつ明日の策と情報の共有を行っていた。
﹁ああ、西に手を回しておいて良かった。名前と写真もある﹂
﹁西方十勇士ですか﹂
421
﹁総一
﹁ん
﹂
あ、悪い、聞いてなかった﹂
﹁総一﹂
が大和は不気味そうにもう一度声を掛けてみる。
いてみると深く考え込んでいる彼がいた。聞き取れないほどの声で何かを呟いていた
確かにそこに居るが総一郎から中々返事が帰ってこなかった。恐る恐る大和が近づ
?
﹁いや、通さないでくれ、あっちには忍者居るぞ⋮⋮どうかしたか
﹂
それについてじゃなかったので総一郎は特に不自然さを見せることなく首を振った。
大和が不安そうな顔をする。彼の不安定さを心配してのことだろう、今考えたことは
?
﹁ああ、了解した。ネズミぐらいは通してやろう﹂
﹁明日は本陣を守ってもらいたい、忍足さんと二人で守ってもらうことになる﹂
?
なかったのか、何事もなかったかの様にその日の作戦会議は終了した。
大和は京ほどの観察眼があるわけじゃないがとりあえず総一郎の様子に異変を感じ
﹁そうか﹂
ら聞いたことあるだけだろう、問題ない﹂
﹁いや、何でもないよ。ただ大村って名前に聞き覚えがあっただけで。多分西の方だか
∼交流戦は突然に∼
422
に負け辱めるか
﹂
﹁貴様等、選ぶが良い
学び舎の名を高めるか、それともバラバラに戦い一年生のよう
Sに負けることか
﹂
﹂
Fに負けること
?
出陣だ
ならば彼らにとって最もな屈辱とは何か、テストで負けることか
か
﹁うおおおおおおおお
否││我らが最強であることを覆されることである││
?
我らの全てを西の者共に見せつけてやれ
!
その叫び声こそが総意である。
﹁行くぞ貴様等
!
?
﹁はい、御大将。向こうの大将は九鬼英雄、名将でしょう﹂
﹁ふん、東の者も力が入っているな﹂
ど、金属のパイプに振動としてそれは天神館にも伝わってた。
一年でも三年でも無かった、まるで戦であるその豪声はまるで地響きと錯覚するほ
!
の川神学園である。自らに従うのがその生徒達である。
が下か。くだらない││と言ってしまえない、ここはどこまでも競争する学園である東
ある煽りだ。己達のプライド、それがFとSの対立を生んでいる。どちらが上でどちら
啖呵、と言うには少し、鼓舞、と言うには少し相違がある。これは世界で最も効果の
!
!
!
423
﹁ああ、それは認めよう。だが
﹁十勇士がいない
﹂
この石田三郎の前では無意味だ
東西交流戦最終戦、今ここに最高潮で始まる││
!
行け
!
﹂
!
彼も頷いた。冬馬の方にもそういう連絡がいっているようだ。
大和は一子たちの報告を受けると隣に居た冬馬に視線を向けた。すると視線が合い、
?
に駆られていた。
だが、指揮権を一般生徒に任せて全ての十勇士がいないとなれば大和は凄まじい不安
寄せたガクトがいる。最悪逃げれば近くには源さんがいる。
自分たちの身の心配は取りあえずない、隣にはテコンドーの使い手である小雪と呼び
大和は電話を切ると思考に耽った。冬馬も同様だ。
﹁わかった、とにかく敵兵を減らして大将を見つけてくれ﹂
∼交流戦は突然に∼
424
﹁大和君大丈夫ですか
﹂
?
本陣に⋮⋮分かった援護に回ってくれ﹂
?
﹂
?
﹁はい、少し見てきます﹂
﹁少し雰囲気がおかしいな﹂
といってもあずみは完全に英雄の直衛、総一郎はネズミ捕りのようなものだ。
が組まれていた。
遡ること十五分前││本陣の守りは総一郎をとあずみを主体とした体格のいい編成
友軍すべてに本陣への急行を命じた。
﹁マルギッテさん﹂
﹁クリスか
冬馬と大和は顔を合わせて。
﹁⋮⋮やられた││京か
﹁確かに想定外ですが本陣は総一君が⋮⋮なるほど﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
425
英雄は何かに勘付いていた。何かと言えないがそれは天下人としても勘だろう。逆
に完全に察していたあずみは離れすぎない位置に居る総一郎の元へ向かった。
⋮⋮じゃあもうす
だが何の異常も今はない、総一郎にあずみは声をかけようとした。
﹁おい││﹂
ぐだね。直輝
あいつも来るのか、いい経験になるよろしく言っておいて、じゃあ﹂
﹁そうか⋮⋮いや、助かった、急なお願いで悪いね。こっちには何時
?
をかいて居た。
の刀と同じに染まっていった。模造刀だというのにまるで真剣のよう、あずみは冷や汗
そして再度声を掛けようとしたとき、総一郎が刀を抜いた。がらっと彼の雰囲気がそ
まであずみも読み取ることはできない。
総一郎の電話、それは間違いなく外部からだったことが分かる。恐らく燕、だがそこ
?
﹁
⋮⋮ここは任せたぞ
﹂
!
閃を総一郎はいなした。
閃光が一閃、そして二閃、三閃と連続した。その勢いを削ぐように、返しはしない、三
あずみが消えた時点、そこから本陣は戦場に変わる。
﹁ええ││任されます﹂
!?
﹁あずみさん、英雄の所へお戻りください。鉢屋が来るかもです﹂
∼交流戦は突然に∼
426
それだけではない、総一郎は十人の勇士に囲まれていた。
める彼││大村ヨシツグは武人そのものだった。
姿を現したのは写真で見た病弱な彼ではない。背筋を正してこちらを真っすぐ見つ
﹁間違いないその技、彼の暗殺拳か。大村君﹂
427
電気羊でも、二頭の羊でもない
﹁驚いた、まさか壁を超えているか﹂
総一郎の正面を取るは先程の攻撃を発した大村ヨシツグ、視界の端に見えるは長宗我
﹁ああ、おかげさまでな﹂
部宗男と大友焔、気配でその他がいることも確認できる。
︵レスリングのパワーと大砲の遠距離か⋮⋮︶
﹁新当流総代││武術家として黙っているわけにはいかない﹂
総一郎は構える││が中々ヨシツグ基、十勇士はこちらに手を出してこなかった。
﹁偶然のよしみか、新当流の系譜を齧る大村⋮⋮来いよ﹂
るはずだ。
れることはないという利益計算をしているわけだ。総一郎対策の戦法も考えていてい
れだけの奇策、私情と同時に全体の負けを認めながらも総一郎を討ち取れば名が辱めら
誰から動くか││読まなければならないのは総一郎一人のみだ。向こうとしてはこ
二人か、堅実な中衛一人、遠距離火力持ち、未知数の男一人、鉢屋は⋮⋮わからん︶
︵壁越え一人、準壁越え未満一人、京と同じくらいの弓兵にパワー系二人、早いのが⋮⋮
電気羊でも、二頭の羊でもない
428
負けは無い││総一郎はその事実とは裏腹に額に脂汗をかいていた。
の方へ歩く││その後ろから尼子の双子がヨシツグと共に攻撃を開始した。少し遅れ
足音がした。そんなことを考えていられるほどゆっくり長宗我部と宇喜多は総一郎
そして彼らは己の全力を向けてくる、慢心をせず。
詰まる所その総代であり、塚原の当主である総一郎は最高位の名誉である。
西の者は最大の警戒心をもって新当流に当たり、それを倒すことを最も名誉とする。
ことは時代の年月が証明している事実も理解している。
この事実は西の者にとって受け入れ難いものでありつつも、塚原が最強の部類である
最強は新当流││
物である。
だ。直接は関係ないがその系譜を継ぐ雲林院や上泉、北畠は乱世最強を名乗るような人
戦国時代で彼らが台頭してくる頃、塚原卜伝は既に余生を送るか死去していたころ
闘派、九州や中国地方は戦争戦争の連続で武勇で言えば西が上であった。
も主人公は東に偏ることも。勿論この人物たちの逸話も大したものだが、西は相当な武
条氏政など東に人気が偏ることが多い。そんなことはないのだが、近年のゲームなどで
戦国時代と言えば上杉謙信や武田信玄、織田信長、伊達政宗、豊臣秀吉、徳川家康、北
︵西の十勇士か⋮⋮迂闊だった。西にとっての塚原を忘れていた︶
429
てくるパワー攻撃は性質がものすごく悪い。
勿論それを防ぐことは出来る。だが十人の手練れ、それに差はあるものの壁越えが混
じっていることが非常にやりにくい。
しかも何の準備もしておらず、未完成な精神の宮殿は意図的にすぐ発動できるもので
はない。後の後、ではなく後の先において全ての攻撃を総一郎は往なしていた。攻撃に
回るには読みが荒い、どうにか呼吸を落ち着けるように防御に専念する。
﹂
すると視界の隅にマルギッテとクリスの姿が見える。
暗黙の了解である。
﹁手を⋮⋮だすな、これは西の戦いだ
知らぬ間、川神学園の生徒が彼らを囲んでいた。
クリスもマルギッテも総一郎の剣幕に怯む、だがそれ以外の技量にも驚愕していた。
!
﹁総一⋮⋮﹂
﹁これが⋮⋮﹂
彼らは声を上げることを自重していた。
の感嘆と百代に勝ったという総一郎に食らいついている十勇士への感嘆。無意識的に
誰かがそう呟いて一同が息を飲んだ。素人目から見てだが、手練れを往なす総一郎へ
﹁すげえ⋮⋮﹂
電気羊でも、二頭の羊でもない
430
﹁⋮⋮すごい﹂
﹁⋮⋮やべえな﹂
﹁サムライ⋮⋮﹂
﹁総師の本気⋮⋮﹂
戦場の外でも。
﹁これが総一さんの実力⋮⋮﹂
﹂
無意識に震えていた由紀江を優しく百代は抱きしめた。一瞬狼狽える由紀江も百代
﹁違うぞ、まゆまゆ﹂
自身の震えを感じた。
﹁あいつの本気はこんなものじゃない、さあ見せてくれよ││総一
そんな小さな声は届かない。
だが、対応できる││
れに総一郎は気を少し取られた。
そしてこのタイミングで石田は気を爆発させた。彼の必殺技﹁光龍覚醒﹂である、そ
手数と尼子の速さも合わさり、そこに来るのは怒涛の長宗我部と宇喜多。
毛利の弓と龍造寺の大したこと無いダーツがヨシツグと大友の大砲に合わさる、島の
!
431
そこに忍び寄ったのは一人だけだ。決して失念はしていない、だが居ない者は居ない
と全てが重なった瞬間、意識の外へ出てしまった。
忍者││鉢屋だ。
そんな小さな声だったが、扉を開くには些か過分││
﹂
全てを己の精神に任せた思考はいともたやすく十の攻撃を弾いた││
!?
きていて、まるで機械のようでもある。
高い制空権であり広大である。最も効率よく敵の攻撃を弾き、そして反撃するようにで
思が全くない様に感じられる。だが、分かる。これは制空権だ。信じられない程精度の
見るからに流体を纏ったような彼、それは全て静の気であり、どこか彼の気は敵対意
その手練れたちの視線はただ一人、彼のみに集まっている。
ちであった。
辺りはついに騒然と化した。逆に腕に覚えがある者は驚愕の中に彼らと同じく棒立
はその場で棒立ち、しかし総一郎は攻撃を仕掛けなかった。
残ったのはヨシツグ、石田、島、大友、毛利、龍造寺だけだった。それから二分、彼
人は再び攻撃を弾かれて数刹那の中に気を失った。
ヨシツグの言葉だっただろうか、その言葉の後は連携が崩れた。突出してしまった数
﹁な、なんだと
電気羊でも、二頭の羊でもない
432
しかし、彼は動かない。皆共はそれが理解できていなかった。
﹂
?
﹁わわわ、凄いな。あんなに空を飛んでいる﹂
﹁そうだ﹂
﹁じゃああれが川神百代
﹁ふん、百代め好敵手の成長が嬉しくて悔しくて仕方がないらしい﹂
﹁なんだあれは﹂
表情、口元の綻びから言って間違いはなかった。
叫んでいるようにも見えるが、自らの移動速度によって声がかき消される。だがその
﹁││﹂
鉄心は遥か先の上空を見た。するとそこには彼女が飛んでいた。
﹁モモめ⋮⋮嬉しかろう﹂
あの気の抜けた、まるで期待外れだったような声は││
と共に由紀江はただただ疑問を抱いた。
まさか││と総一郎へ再び視線を向けるも、彼はまだ微動だにしていなかった。安堵
重はまるで気のせいだったかのように消えていた。
由紀江は百代がそう呟いたのを聞いた││が、自分の肩にのしかかっていた彼女の体
﹁はっ││﹂
433
﹂
そんな上空の会話など気にも留めず、百代は川神山の頂上、その木のてっぺんから川
神を見下ろしていた。
今度はちゃんと彼女の声が聞こえた││その笑い声が。
﹁はははあはははははははははははははははははああははっはははははは
!
それが今のお前の本気か
ならば私では勝てない
どうしよ
息継ぎも碌にしていない、辛そうな笑い声だ。それでもそれを止められはしなかっ
すごいぞお前は
!
!
た。
﹁総一
﹂
!
次も次もだ
﹂
!
﹁ヨシツグ、お前は壁を超えた力に固執しすぎている。島、お前には器用以外がない。毛
つい口元が綻んでしまった。総一郎と相対している彼らは少し嫌悪感が沸き上がる。
﹁⋮⋮ふふ﹂
人だけにしか伝わらないから。
百代の言葉は木霊することなく、町の喧騒に消されていった。何故ならこの言葉は一
!
り、次に彼に勝てるのならばそれでもいい。
事のように総一郎を褒めちぎった。今すぐにでも戦って負けたい、それが自分の糧にな
実力差を実感したというのに彼女は笑い飛ばした。嬉しすぎたのだろう、まるで我が
うか
!
!
﹁だが、その次も私は勝つ
電気羊でも、二頭の羊でもない
434
利、お前の技はただの小手先だ。龍造寺、うざい消えろ。大友、戦い方を考えろ。石田、
伸びしろがあるのだからもう少し努力しろ﹂
総一郎は刀を納めた。
﹂
それを見た十勇士は怒りに塗れる。
﹁貴様
﹁くっ、貴様何者だ
﹂
お前に構っている暇はない
﹂
﹁義経は源義経、悪いが倒させてもらう
黒髪の少女はそう名乗った。
﹁お前も名を受け継ぎしものか
﹁違う、義経は義経だ﹂
﹂
!
﹁俺と戦え
﹂
するとただ一人誰とも戦っていないヨシツグがじっと総一郎を見つめていた。
問答になっていない会話は数舜のうちに無言の戦闘となった。
!
!
!
すると石田の怒りが隅へ追いやられるように各々の獲物が相対した。
六人を囲んでいた者達は武器を構えた。そして上空からも人影が急接近、それが着地
造寺は後ろに気を付けろ﹂
﹁相手にならん。一子は島、大友はマルギッテ、毛利は京、石田は上に気を付けろ⋮⋮龍
!
435
!
総一郎は無言のまま彼に背を向けた。
﹁この状態でお前が俺に勝てる自信があればやってろうか﹂
背を向け、壁を超えた者に対する発言とは思えない。侮辱にすら値するものだ。だ
が、ヨシツグはどうしてもそこを動けなかった。
勝てる││そういう気概を心から思えなかった。
ヨシツグは膝をつき、総一郎は真っすぐ歩みを進めた。
そして少し後、一子の勝鬨でこの東西交流戦は幕を閉じた。
♦ ♦ ♦
﹁ああ、私も結構疲れた﹂
﹁あー体痛てええ﹂
電気羊でも、二頭の羊でもない
436
朝食、島津寮の朝だが大和と京、キャップはまだ居間に降りてきていなかった。昨日
の東西交流戦の疲れが残っているのだろうか。大和はその前から情報収集で疲労がた
まっていたし、一度がものすごく疲れる京も流石に、といった所だろうか。ちなみに
キャップは恐らく爆睡。
だが少しして二人は同時に降りてきた。
﹁静かにしろクリス﹂
﹁この音ってなんだか不気味だよなー﹂
速報の緊急音が鳴り響いた。
﹁いただきます﹂と大和はすぐに卵焼きを口に入れた。すると朝のニュース番組から
やはり京も疲れている、追い打ちがない。
﹁うん﹂
﹁京、今は勘弁してくれ﹂
﹁昨日は大和が寝かせてくれなくて⋮⋮﹂
電気が眩しいのか目を擦って大和は右手を上げた。
﹁お、おはようございます、大和さん京さん﹂
﹁おはよう大和、京。流石に昨日は疲れたな﹂
﹁おはよう﹂
437
﹂
大和はいつの間にか目をぱっちりさせていた。クリスは少し頬を膨らませた。
﹁もしかして昨日九鬼が言ってた奴か
ドーン
と、こっちにまで音が聞こえそうな威圧感ある登場。リポーターが居るため
﹃九鬼揚羽降臨である﹄
大和が﹁あ﹂と言うとそこには揚羽が映し出されていた
に視線を向けた。
静かにたくわんを食っていた源さんだったが、興味が少し湧いたのか箸を止めてそこ
?
全員がテレビにくぎ付けとなる。
体が明かされるとのことだった。
名乗る人物の事が話題となった。それに答えたのが英雄で、今日のニュースで彼女の正
東西交流戦の後、総一郎の話は勿論だが、乱入してきた謎の美少女、基﹁源義経﹂と
電波ジャックではないようだ。
!
﹄
?
だが、それは容易い事ではない﹄
﹃簡単に言えば若い者が切磋琢磨し、世界的な人材不足を解消させるのがコンセプトだ。
﹃ほう、一体どんなものなのでしょうか
﹃ああ、九鬼の新しいプロジェクト﹁武士道プラン﹂を発表させてもらう﹄
﹃重大な発表とのことで﹄
電気羊でも、二頭の羊でもない
438
﹃そうですね、教育の問題もあります﹄
﹁うわ、凄いぜやっぱり﹂
﹁ヨンパチも既に来てるよ﹂
﹂
﹁そりゃそうだろ、何て言ったってクローンだぜ
!
ガクトとモロとキャップはそれぞれの思いを持っていた。
!
一体どんな奴が出てくるんだろうな
校庭にはまだ余裕があるというのにほとんどの生徒が集まっていた。
かなり浮足が立っていた。
普段であればこのまま教室へ向かうが今日は校庭で朝会がある。だが今日の学園は
た。
リーはモロや百代、一子と合流して変態がでる橋を改めて実感しながらそこへ向かっ
川神学園に通ずる道は少しばかり賑やかさを増しながらいつも通りだった。ファミ
﹃だがこの武士道プランの要がそれを可能にする││偉人たちのクローンによってな﹄
439
︶
︵義経はすげえ可愛かったし、もしかしたらもっとすごいのが││︶
︵義経の髪、凄い綺麗だったな││︶
滅茶苦茶かっこいい信長とか出てこねえかなあ
!
ろうか。
そんな者はいない。
?
S組でさえ、総一郎だって興味が湧いていた。
あの立ち回りをしてたお前が言うほどに
?
大和を助けるようにマイクの嫌な共鳴音が校庭に響く、穏やかだが存在の大きい鉄心
﹁あ﹂と、大和は総一郎の顔を見た。嫌な笑みを彼は大和へ向けていた。
﹁マジか⋮⋮また一波乱きそうだな﹂
﹁⋮⋮まあそれは置いといて。壁越えは確実、しかも何か残していそうだ﹂
﹁そんなにか
﹂
もこの学園に転校してくるなどと、はちゃめちゃな展開を誰が興奮せずにいられるのだ
いない技術を使い、人間││しかも偉人のクローンを作る、そしてそのクローンが四人
は興味津々であった。そもそもクローンなどという未だ人権の問題以前に確立されて
者を成長させるという所、しかも偉人のクローンであるという突拍子もない事柄に生徒
九鬼が発表した武士道プラン││いや、その本筋であるクローンとの競合によって若
︵く∼
!
﹁源義経、かなりの腕だった﹂
電気羊でも、二頭の羊でもない
440
が現れた。
﹂
その後ろには隠れて良く見えないが五人の転入生らしき者たちがいる
﹁あれ、四人じゃないっけ
モロがそう呟いた。
﹁まじか、弁慶って誰得なんだよ﹂
男たちの歓声は途絶えた。
﹁次は弁慶じゃ﹂
う。
主に男たちの声だ、黒髪の和が際立った義経は間違いなくファンクラブができるだろ
刹那置いて││歓声。
らうれしい⋮⋮﹂
﹁み、み、源義経だ。せ、切磋琢磨できるように頑張る。皆義経たちと仲良くしてくれた
細々とした声がマイク越しに聞こえてくる。
﹁ほれ、挨拶しなさい﹂
モロの呟きには誰も反応しなかった。
﹁あれ、今度は一人増えた﹂
﹁皆知っていると思うがこの度武士道プランによって転入生が六人入ることとなった﹂
?
441
﹁女にしても羽黒みたいなやつが出てくるぞ﹂
ガクトとヨンパチの会話、非常に下種である││が、彼らはすぐにそれを改めること
となる。
﹁あー武蔵坊弁慶らしいです、一応﹂
胸元は開け、ワカメのような艶美な髪の毛、何故かひょうたんを持っていて頬が赤み
﹂
﹂
かかっている。男たちの性をそそるエロいねーちゃんだった。
﹁結婚してくれー
ガクトとヨンパチは下種である。
﹁死に様を知ってた頃から愛していましたー
完全な無反応だった。まったく聞いたことのない名前、Sクラスの連中も首を傾げて
﹁次、葉桜清楚﹂
コホン││とあり得ない音で鉄心が咳払いをすると完全に静粛となった。
義経の可愛さがその場の騒然を消し飛ばす。
﹁よ、与一は、悪いやつじゃないんだ。どうかみんな怒らないでくれ﹂
総一郎は感じる。そこはかとなく金髪老人の気配もした。
と、学長が言う。だが彼は出てこなかった。すると屋上の方で少し気がはじけたのを
!
!
﹁次は那須与一じゃ﹂
電気羊でも、二頭の羊でもない
442
いた。しかし、名前に意味などない。それを知らしめるが如く、彼女が名を名乗ると生
徒たちは男女を問わず歓声を再び復活させた。
歓声。
!
﹁スリーサイズを教えてください
﹂
⋮⋮すまないうちのクラスが﹂
!
﹁大丈夫か塚原
﹂
をしているのか分からなかったようだ。その後すぐに大和は梅子を呼ぶ。
があることが分かる。まさか総一郎の体調が悪いとは大和も思わなかったのか、一瞬何
大和が声を掛けた彼はもの凄く顔色を悪くしていた。口元を抑え、はっきりと吐き気
﹁すごい歓声だな、なあ総一郎﹂
ンクラブ結成の確定をさせた。
顔を赤らめる清楚、困惑しながらも﹁ご想像にお任せします⋮⋮﹂と言う発言でファ
すぐに梅子の鞭によって彼は昇天した。
﹁この俗物が
!
ように言った。
そう、声を勇ましく上げたのは川神学園の勇者ことヨンパチ。それが許されると叫ぶ
﹁先生質問があります
﹂
﹁葉桜清楚です。クラスは多分三年S組に入ることになります、よろしくね♪﹂
443
?
﹁⋮⋮ええ、大丈夫じゃないです﹂
﹁そうか││紛らわしい言いかたをするな。直江、後は私に任せろ﹂
総一郎が梅子に連れていかれる姿をみて大和はかなりの不自然を覚えた。先程チラ
見した時はなんともなっていなかった。だが、清楚の紹介の後見てみれば青いというか
酸欠の様に顔が白くなっていた。
﹂
思考に耽る前にキャップが声を掛けてきた。
﹁見ろよ大和
﹂
!
左に刀を携え、彼は自信なさげに壇上にいた。
﹁ん
?
京に大和は﹁それはいい案だな﹂と言おうとするもその一瞬、ドタバタと無数の足音、
﹁まゆっちに紹介しきゃね﹂
﹁久しぶりだなあ、後で挨拶しにいこう﹂
がる。少し照れ気味に彼は俯いて壇上をそそくさと降りた。
全くと言っていいほど男の歓声はなかったが︵少しはあった︶逆に女の黄色い声が上
直輝がそこにいた。
よろしく﹂
﹁えーと僕はクローンじゃないですけど、一応足利の末裔なので勉強の為にきました。
電気羊でも、二頭の羊でもない
444
そしてトランペット。
﹂
人間でできた橋を渡った少女は威圧感丸出しで豪声をあげた。
﹁九鬼紋白、顕現である
小学生くらいの彼女の声と姿にある男は正気を失ったという。
!
445
スーパーヒーロースワロー
九鬼のスーパー幼女が颯爽と生徒の前に出ている最中、梅子に連れられて総一郎は保
健室へ、入った途端気分は最低頂に達した。
﹂
﹂
そのまま総一郎はソファに横たわった。
﹁大丈夫か塚原
﹁⋮⋮早退してもいいですか﹂
﹁ああ、そうだな。一人で帰れるか
うのに疑うわけがない。
梅子は取りあえず首を振った。別に仮病を疑うつもりはない、目の前で吐かれたとい
彼が何故急に体調を崩したのか。
中、梅子は一つの疑問を抱く。あれ程頑丈で今日も見た時もいつも通りの総一郎だった
梅子は頷き、後は保健の先生に任せそのままホームルーム教室へ向かった。向かう際
﹁少し休んでから帰ります⋮⋮﹂
?
?
が悪いみたいだから見舞いは放課後にしろ││では出席を取るぞ﹂
﹁よし、皆揃っているな。先に言っておくが塚原は早退する、今は保健室だがかなり体調
スーパーヒーロースワロー
446
ファミリーのメンバーは顔を合わせた。勿論心配だがそれほどのものでもないだろ
う、友達が抱く一般的な心配を抱いたまま彼らは一時間目を迎えた。
﹂
二時間目が始まる少し前、大和が京と共に保健室へ行くが、既に総一郎は早退した後
だった。
﹁総一はどうでした
うにか総一郎は島津寮まで帰って来ていた。
一体誰に悪態を付いているのかその言動だけではどうも読み取れない。壁伝いでど
﹁最悪だ⋮⋮なんだよあの女﹂
♦ ♦ ♦
食中りか、風邪か。いずれしろ今日の放課後は直帰で話が決まった。
帰らせたわ﹂
﹁彼ねぇ⋮⋮すごく吐きまくりだったわ。でも少し良くなったみたいだから今のうちに
?
447
不審な音にクッキーと麗子が気が付き、部屋までは運んでもらう。クッキーの敷いた
﹂
布団で寝て、麗子が作った粥をどうにか食べれるようになったのは午後一時過ぎの話
だった。
﹁大丈夫かい
﹁ありがとうクッキー、愛してるぜ﹂
?
外されたもの、彼女が腹黒いとかそういう話ではない。
そうとしている視線。目も合わせていないというのに、しかもそれは彼女の意識からは
の気が一杯でアンバランスもいい所、そしてその内からまるで自分の精神の扉をぶち壊
彼女から感じたことは二つ。外面の真っ白な気と内にある無意識がドスの効いた動
はない、探知は確かにできるが、それも集中すればの話だ。
何故自分だけが││彼は確かに気の扱いが上手い。だがそこまで敏感というわけで
たちも彼女のちぐはぐさを少しは実感しただろう。だがそこで少しばかり疑問に思う。
束の間、彼女を黙視した段階で嘔吐感が体の底から湧き上がってくる。恐らく他の達人
天井を見上げて思考していたのは今朝の事、弁慶という女の事が少しきになったのも
く寝ることを彼は選択した。
未だに顔色は悪いが気持ち悪さ以外に症状はない、熱を測っても平熱のまま、とにか
﹁ふふ、どういたしまして﹂
スーパーヒーロースワロー
448
﹁葉桜清楚⋮⋮か、その本名になんかあるわけだな﹂
花の髪飾りを付けた黒髪の美少女は総一郎にとって、現段階で最も厄介な存在となっ
た。
そんな呟き、ある一人の少女は窓に耳をぴっとつけて聞いていた。
所へ挨拶をしに行ったり。
り。大和達に連れられ嫌なS組へ恋敵のようなエロいねーちゃんと癒し系の武士娘の
煩いブルマの一年生を連れた煩いバッテン少女がヤバイ金髪一年生執事を連れてきた
いた。彼女はもちろんだんまりを決め込んでファミリーと行動しているが、煩いハゲと
場面変わって川神学園放課後。京は今日も一日孕んで││基、波乱であったと考えて
♦ ♦ ♦
それはそれは納豆の似合う美少女だったという。
﹁ありゃ、誰かなその女の子は﹂
449
結構ストレスの溜まる一日だった。更に総一郎が体調不良で早退したことも他の人
以上に気にかかっている。好意とかそういう話じゃない。ファミリーの一員であり、よ
く自分を心配し、協力者でもある彼はもう友達以上恋人未満のような盟友である。他の
クラスメイトだって心配はするが、総一郎は頑丈で大したことがないと思っている。だ
が京は逆に考える。
﹁逆にそれは重症って事とも考えられる﹂
﹁⋮⋮一理あるぜ﹂
フ ァ ミ リ ー で の 登 校 は 毎 日 だ が 全 員 で の 帰 宅 は 珍 し い。目 的 は 総 一 郎 の 見 舞 い だ。
﹁一理あるね﹂
そんな京の考察に一同は少しばかり歩みを速めた││走った。
必然とモロは一分ほどでこけるがお約束でガクトが背負う。京が親指を立てていた。
なんやかんやで島津寮に着く、男連中は汗だくだが女性陣は何故か余裕があるよう
だ。
雪 崩 の よ う に フ ァ ミ リ ー は 総 一 郎 の 部 屋 に 駆 け 込 む │ │ が そ こ に 彼 は 居 な か っ た。
敷きっぱなしの布団、粥、ここに居た形跡はあるが布団の温かさから彼がいなくなって
二時間と言った所だろうか。大和はそう逆算する。
﹁何してんだ﹂
スーパーヒーロースワロー
450
不意に後ろから声がした。
﹂
﹂
ココアを持った総一郎である。
﹁総一⋮⋮
﹁あれ、体調は
珍しく突っかからず由紀江が会話に参加するぐらい││総一郎は幸せを噛みしめて
﹁昨日の疲れが出たのかもしれません﹂
﹁さあ、酸欠じゃないか﹂
﹁結局どうして体調が悪くなったんだろうか﹂
視線を浴びせられたが、漬物が美味かったようなので彼は無視をした。
らな﹂と割と良い商店街の漬物セットをいつもの調子で手渡す。何故か大和から嫉妬の
だで心配した源さんは夕食の時間に﹁ほらよ⋮⋮味気がなくて文句言われても迷惑だか
夕食。食欲がまだ戻らない総一郎は引き続き一人だけ粥を食べていた。なんだかん
﹁そういうときもある﹂
全員の視線が京へ集まった。
﹁あ、ああ。もうすっかり良くなったよ、心配かけたな﹂
?
?
451
いた。
﹁そう言えばカガは挨拶に来たか
﹁あ、ありがとうございます
﹂
実はもう声をかけていただいていて⋮⋮﹂
﹁へぇ⋮⋮仲良くするように伝えとくよ﹂
﹁まゆっちと同じクラスらしいよ﹂
るとどうやらまだ詰まってしまうらしい。
大和はチラッと由紀江に視線を送った。先程は自然な会話をしていたが、いざ振られ
﹁ああ、直輝君ならF組に来たよ、菓子折り持って﹂
?
なってきているらしい。
本当か
﹂
﹂
!
?
﹁ああ、俺の一番弟子。室町幕府将軍家の末裔だぞ
﹁何
!
唐突にクリスはトリップして﹁明日サインを貰おう、本物の将軍にやっと会える﹂な
!
﹂
なので思わず笑ってしまった。彼は京との秘密協定でどうやら揶揄うのが相当自然に
をみてニヤニヤしたり、総一郎の発言に頷いたり。総一郎もそれを意図して言ったわけ
総一郎の言葉に由紀江はみるみる赤みを帯びていく、逆にファミリーメンバーはそれ
﹁うわあ、あいつ手を出すの早いな﹂
!
﹁直輝殿は総一の弟子らしいが、本当か
スーパーヒーロースワロー
452
んて上の空だった。
﹂
?
﹂
!
由紀江は取りあえず松風で逃げる。
﹁総ちゃんが滅茶苦茶弄ってくるぜ⋮⋮﹂
﹁はうっ
﹁カガは彼女いないよ、俺としては由紀江ちゃんが理想だと思うよ﹂
れ以上突っ込まなかった。
一瞬総一郎が陰んだ。人の所にはいくつかの事情がある、度胸もないので由紀江はそ
言っていいほど負ける。それに││まあ、後は自分でやりあってみな﹂
﹁そ う だ ね ⋮⋮ カ ガ は 強 い。だ け ど も 真 面 目 過 ぎ る、相 手 と の 相 性 が 悪 け れ ば 必 ず と
だ。
普段闘志を全く出さない彼女も同級生でもある彼には些か本能を抑えきれないよう
足利興輝は古い仲である。
一番弟子である彼、しかも足利。彼女自身は交流がないようだが、二人の父、黛大成と
控えめな声だが由紀江から武士の声が聞こえる。やはり天下に名高い塚原総一郎の
﹁あの⋮⋮直輝さんはどれ位お強いのですか
453
♦ ♦ ♦
いつもの川神、いつもの河川敷。朝食をよく食べた彼はもう体調に関しては問題な
と疑っている。彼の師匠である村雨が呪いによって急死したことを
かった。合流組の三人からは何度も心配された、特に全く風邪を引かない百代は内心彼
が重病なのでは
﹁あれは⋮⋮九鬼の車だな﹂
﹂
!
心から待ち望んでいた。
誰もそんなことに気が付くことなく、総一郎は対葉桜清楚用人型決戦兵器が来るのを
なかった。寧ろどこか嬉しそうな表情にも見えなくはない。
すれ違ったりする可能性が高い、高すぎる。だというのに彼は何故か不安な要素が全く
だが、よくよく考えてみれば彼は今日清楚と直接会うことはなくても遠目で見たり、
食したというだけ、それも今は問題ない。
まあ、勿論それは未来永劫彼女の杞憂だ。葉桜清楚が放つ謎の不自然が彼の根底を侵
いつどうなるか分からないのが呪いだ。
知っているからだ。しかもその呪いは彼の家系が持つもの、今はもう断ち切った呪だが
?
﹁お、何かすごい車が止まってるぞ
スーパーヒーロースワロー
454
﹁ということは⋮⋮
﹁ふあははははは
﹂
我、顕現である
﹂
想外に身長が小さい娘がぴょこんっと降り、こちら││もっと言えば総一郎に向けた。
メガネの紳士執事、クラウディオが後部座席のドアを開く、ともすれば思ったより予
?
!
やめろ、我は││﹂
!
﹁││九鬼紋白だろ 揚羽さんから話は聞いてる、とても良くできたこの世で最も大
﹁ふにゃ
﹁可愛いな⋮⋮﹂
総一郎は彼女の頭に手を乗っけた。
彼だけだろう。少しの間、有体にいえば白けた雰囲気、ヒュームが居れば最悪だった中、
総一郎以外は大したリアクションをとっていない。恐らくこの学校で知らないのは
!
455
﹂
事で可愛い妹だそうだ。ただ⋮⋮﹂
?
たらしい。この笑顔には幾つもの感情が渦巻いているが、まさしく﹁喜﹂の感情が九十
テン印しは九鬼のお決まりだが、妾の子である彼女はそれを自分で引き取られた頃つけ
パッと明るくなる笑顔はまさに揚羽そのもの。同じ髪の色でかなり長い髪、額のバッ
﹁もう少し甘えてくれると嬉しいらしい﹂
紋白はもの凄く不安な顔、しかも自然的に上目遣いで総一郎を見上げていた。
﹁⋮⋮ただ
?
九%を占めていた。思わず総一郎も屈託のないこの笑顔に口元が綻んでいた。
村雨殿なら一度だけあっ
﹁塚原総一郎、俺の師匠が昔九鬼に世話になったらしい。よろしくな﹂
﹂
ふ、ふあははは。九鬼紋白である、よろしくしてやろう
たことがあるぞ
﹁
!
││が。総一郎は後ろから光に声を掛けられた。
﹁総一、久しぶりにキレちまったぜ⋮⋮屋上行こうぜ⋮⋮
﹁わー﹂
天誅
﹂
!
小雪の膝蹴りである。
後頭部へ蹴りが飛んできた。
急な出来事だったので適当な返事のまま総一郎は準の腹にパンチ、その数秒後、準の
﹁とー﹂
!
総一郎はずっと手を紋白の頭に乗せていたが、紋白は結局振りほどきはしなかった。
﹁そうか、では尚更よろしく﹂
!
!?
ばすな﹂
﹁おはよう雪、今日はチョコマシュとアンコマシュマロを持っているぞ。お前は手を伸
﹁すいませんね総一君﹂
﹁チョコマシュを困らせるなー﹂
スーパーヒーロースワロー
456
﹂
﹁初めて見たー、なんか卑猥﹂
﹁おや、いけずですね﹂と二人は気絶した準を連れてそ
のまま校門をくぐって行った。
割とバイオレンスな出来事だったので紋白は目をぱちくりしていた。
﹁さ、入ろう。邪魔になる﹂
﹁おお、そうだな﹂
﹁総一郎様、中にヒュームがいますが教室まで送ってもらっても良いでしょうか
﹁ええ、構いませんよ﹂
﹁お願い致します⋮⋮では紋様、お気をつけて﹂
﹁うむ﹂
紋白を先頭に総一郎とファミリーは校舎内へ入っていく。
﹂
!
﹂
!
﹂
!
だが事情を話せばわかってくれる。少し恥ずかしがりながら紋白はその場で握手し
紀江、紋白は思わず総一郎の後ろに隠れてしまった。
恐らく笑顔││だが完全にガンを最大限につけた不良みたいな表情になっている由
﹁ふにゃ
﹁は、は、ははははい
﹁ふむ⋮⋮北陸の黛か。いいだろう、よろしくな
﹁そうだ、この娘黛由紀江って言うんだけど極度のあがり症だから仲良くしてあげて﹂
?
457
た。
大和のことも紹介しようとしたが、どうやら風間ファミリーは既にほとんど挨拶して
いるらしい。大和や京は名刺もゲットしてる。紋白曰く良い人材はすかさず勧誘する
らしい。
だが、どうも川神姉妹には良い感情を抱いていないらしい。総一郎はなんだかそこの
事情をよく理解できていなかったが、特に触れはしなかった。
﹁師匠﹂
Sクラス付近で総一郎をそう呼ぶ声がした。
直輝だ。
のでそちらにお邪魔するの良くないと思いまして。お体は
﹂
﹁お久しぶり⋮⋮でもありませんか、ご挨拶遅れました。昨日は体調が悪かったような
?
﹁はい、紋様ですね。昨日挨拶いたしました﹂
﹁あ、こちら﹂
相応、一定の若さは兼ね備えているようだ。
取引先の社長に無理を言われたように直輝は言葉に詰まってしまった。だが彼も年
﹁いや⋮⋮一門ですから﹂
﹁ああ、もう大丈夫だ。しっかし堅いなあ、俺が浮くだろう﹂
スーパーヒーロースワロー
458
﹁うむ、もう我々はめるともだ﹂
今更総一郎は気が付いたがどうやら皆は﹁紋様﹂言うらしい。何だか直輝がそう言う
と本当に付き人みたいに聞こえる。
⋮⋮はい、願ってもないことです。由紀江さん、よろしくお願いします﹂
!
﹁⋮⋮ふむ、決闘だな﹂
に生徒が校庭に居る方が問題である。
ホームルーム中の発言、通常であれば梅子の鞭が問答無用で炸裂するが、こんな時間
﹁あれ、お姉さまが校庭にいるわ﹂
が││
ヒュームの出現により、各々は各教師へ散っていった。
﹁そろそろ時間だ、散れ。総一郎、礼は言っておく﹂
た。
恥ずかしがっている、顔を赤らめて。総一郎は視線で京に確認をとる、そして頷かれ
﹁え、あ、う、はい⋮⋮﹂
﹁
かなりいい刺激なる﹂
﹁⋮⋮まあいいや。カガ、今度由紀江ちゃんと手合わせしてやれ、同年代で同じ実力だ、
459
梅子はそう呟いて。一同は窓に張り付いた。
﹁外にはでるなよ、見るだけなら許可する﹂
窓から乗り出してみると他の教室も同じように校庭を見ていた。
一瞬だけ教室の視線が総一郎に集まるが、直ぐに校庭へ戻る。総一郎との決闘と思っ
たらしい││というかそれ以外はあまりあり得ない。この学校で百代に挑もうとする
者など居るわけもない。いや、もしかすれば武士道プランのメンバー、ヒュームの可能
性もある。だが無暗に戦う連中でもないだろう。
実際に決闘禁止令が出ている。
﹁なんかあの子見たことあるぞ俺様﹂
そんなガクトの言葉、それと同時に百代に対峙している女生徒は地面に置いてある薙
刀を手に取って打ち合った。その次に槍や刀など幾つかの武器をとっかえひっかえし
ていた。ただ一つ分かるのは││
一 子 の 冷 静 な 分 析、だ が 少 し 悲 し そ う な 表 情 を し た こ と を 総 一 郎 は 逃 さ な か っ た。
ず、凄い使い手ね﹂
﹁手合わせだから本気は出さないだろうけど⋮⋮それでも昔みたいに力は抑えてないは
キャップの言葉が衝撃を改めて伝えていた。
﹁すげえな、モモ先輩と対等に打ち合ってるぞ﹂
スーパーヒーロースワロー
460
きっと新たな格上、しかも百代と打ち合っている姿が悔しかったのだろう。
た。その問いに答えたのは他でもない彼。
急いで携帯を探った。ガクトやスグル達も頭を抱え、喉まで出かかっている様子だっ
﹁あれってもしかして﹂
と、ある時モロが口を開いた。
百代と彼女は遺恨なく笑顔を交わした。
﹁あぶなかったあ⋮⋮聞いてた通りだね﹂
﹁やるな⋮⋮﹂
女は最も得意とする村雨流近接術で百代の蹴りに合わせて腹へ返しを見事決めた。
すると、対峙している彼女は待ってましたと言わんばかりに刀を百代に放り投げ、彼
防御が一番厚い所、だが意識の薄いその箇所へ蹴りを繰り出した。
貰ってもいい││百代は一瞬だけ力を抑えなかった。
こと。もちろん自分の方が強いと感じるが相手も何かを隠しているとも思う。小言を
百代は新鮮な感情を覚えていた。総一郎の時とは違う初めて戦う相手が互角である
そして校庭へ視線を移した。
一 子 と は 反 対 に し っ か り と 分 析 で き て い る 彼 女 に 対 し て 総 一 郎 は 少 し 嬉 し そ う だ。
﹁だけど刀以外はなんだか使い慣れてないみたい、もちろんレベルはすごいけど﹂
461
﹁納豆小町だろ﹂
そしてその今後を聞いた彼らは﹁それだ ﹂と一斉に声を上げた。大和も聞いたこと
よく言う。
﹂
そう、毎日この松永納豆を食べているからです
お一つどうぞ、今なら試供品配ってまーす
まで戦えたのはまさに粘り
!
だ。
皆さんも
くっ付こうとしたり、尻を触ろうとするが全て叩かれている。それだけでもすごい光景
校舎側に二人は歩いてくる。思った通り、百代は彼女が気に入ったらしくべったり
る。だが、総一郎にとっては幾度となく見た光景、彼女の努力の賜物だ。
つまり営業である。なのに生徒からは歓声が上がった。なんともおかしな光景であ
!
﹁どうも皆さん、納豆小町こと今日転校してきた松永燕です
私が川神百代さんとここ
またか││と総一郎は呟いた。校庭にいる彼女はマイクを貰うと校舎に向けて元気
﹁あ、何か言うみたいだ﹂
﹁やっぱり西の方が有名か、総一も知ってるくらいだしな﹂
あるな││と漏らしていたし、女子の何人かも知っているようだ。
!
!
!
俺様に手を振ったぞ
﹂
すると窓の外に乗り出していた総一郎に気が付いたようで彼女は手を振ってきた。
﹁おおおおお
!
!
スーパーヒーロースワロー
462
﹁そんなわけがあるはずないよ﹂
BATの文字を提示されたガクトは真面目に落ち込んでいたが、良く見ると隣で総一
郎が小さく手を振っているではないか。
それでも燕はこちらに手を振っていた、屈託のある笑顔で。
京の爆弾は女性の甲高い悲鳴を連鎖させる最悪の爆弾だった。
﹁でもどう見ても彼女という雰囲気にも見えるね﹂
大よそ同じメンバーの悲鳴が木霊する。
﹁幼馴染、塚原門下だよ﹂
︵まあ、彼女とは言えんわな︶
一斉に視線が集まる。
﹁⋮⋮総一、どういうことだ﹂
463
ワカメの友
休憩時間が十分とはいえ何かやりたくなるのが学生というものだ。体育や移動授業
であれば時間もあまりとれないが、ホームルーム教室ならばきっちり十分時間を有効活
用できる。
勿論、裁判だろうとも。
裁判長はヨンパチ、裁判官は殆どの男子生徒、検事はガクト。傍聴人は女子。被告は
﹁被告人塚原総一郎の裁判を始める﹂
総一郎、弁護人はいない。
﹁有罪、死刑﹂
﹁まてまてまて﹂
三日裁判ならぬ三秒裁判。十分もあれば一体何十回の裁判が行えるだろうか。何十
回でもやってるという意気が男子生徒からは駄々漏れだった。
﹁︵なんだか嫌な予感がしたので擦り付けておきました︶﹂
﹁お、落ち着け││︵てめえ、京てめえ︶﹂
﹁さて、E組に放り込んでやるよ﹂
ワカメの友
464
﹂
!
!
彼は逃げ出した。
男子連中は﹁待て
﹂
!
﹂
﹂と彼を追いかけていくが、後五分もすれば授業が始まること忘
ン子にバラしてやるからな⋮⋮憶えておけよ
﹁大和、月夜の晩ばかりと思うなよ⋮⋮キャップは部屋に気をつけろよ⋮⋮源さんはワ
友情など儚いもの、薄情と同義ということを彼は実感した。
﹁⋮⋮知らねえ﹂
﹁んーよくわかんねえや﹂
﹁悪い、俺もお前の敵だ﹂
残る救援先はこの三人、年上に人気の彼とエレガント・チンクエの二人。
﹁や、大和⋮⋮キャップ⋮⋮源さん⋮⋮﹂
何故か拍手が男子から起きるが、もちろん女子からは蔑んだ視線が送られた。
清々しいほどの最低の理由、まるで少年のような表情でヨンパチは心の内を叫んだ。
んてことをな
﹁お前は俺達童貞にとって一番酷いことをしたんだ││イケメンが美少女と付き合うな
!
無言の会話の後、総一郎は必ずの報復を抱きながら叫んだ。
ガクト俺に逆らうと大変な目にあうぞ
!
ガクトが一歩引いた。しかしヨンパチが前へ出る。
﹁うるせえ、うるせえ
465
れているようだ。きっと梅子の鞭をこれまでかというほど打たれることになるだろう。
それとは別、ある男子三人は謝罪の言い訳を熱心に考えていた。
無断欠席はもちろん利がない。総一郎は昨日も早退をして欠席していたわけだから
結構な痛手だ。だが自衛の為と思えばなんの不安もない。
取りあえず放課後まで時間を潰そう││彼は屋上へ足を運んだ。もちろんそこには
誰もいない、ニュースでも見るか、携帯電話を見てもそう長続きはせず、結局ベンチで
寝ることに決めた。よく考えればなんで屋上にベンチがあるのだろうか││そうかこ
こは川神学園だ、と納得したところで彼は眠りに落ちた。
﹂
そんな彼が目を覚ましたのは太陽光のせいでも地面の固さが理由でもない。
彼氏だろ﹂
?
?
脇腹を不自然なリズムでつつかれ、更に聞き覚えのある声が彼の睡眠を阻害した。
﹁いいよん♪﹂
﹁いいのか
﹁つんつん、つんつん、ほらモモちゃんもやってみれば
ワカメの友
466
﹁あ、起きた﹂
彼は寝ぼけて﹁あー﹂と燕に寝転がったまま擦り付いた。
俺が彼氏だって公表しても﹂
?
いえば超人クラスである。
まるで殊勝な言い方だが、結局は正面切っての戦いなどはしない彼女、実に腹黒さで
ど、正々堂々戦おうかなって﹂
﹁あー⋮⋮うん。本当はモモちゃんの弟に近づいて揺さぶりつつ倒そうと思ったんだけ
﹁そういえば良いのか
分が悪い彼は話題転換に勤しむ。
いる、良く見れば燕も百代と同じような笑みを浮かべているではないか。
確実な失態を犯した彼はどちらかと言えば悔しさよりも恥ずかしさの方が上回って
﹁ま、誰にも言わないさ。葛餅パフェな﹂
﹁く、殺せ﹂
ようとしていた。
は既に時遅し出来うる限りの速さで燕から離れても百代はこちらを見て悪だくみをし
総一郎が覚醒したのはそんな時だった。百代の意地悪い声が聞こえた時、しかしそれ
﹁⋮⋮ははーん、いいものを見た﹂
﹁ちょっと総ちゃん﹂
467
﹁おいおい、私を倒すのか
﹁持ってる﹂
﹁納豆欲しい
﹂
﹂
﹁お前らなあ⋮⋮まあいいや、頑張る。教室に戻るわ﹂
﹁更に抹茶ぜんざいを付けてくれればガクトを〆てやろう﹂
﹁あれま、大変だね﹂
してる。女子は陰であれかもしれんが男子は信念に忠実だからなあ﹂
﹁それはそうと大変だぞ、つーちゃんと付き合っていることがバレたせいで男子が暴走
を合わせて双方が頷いた。
百代が一歩引いた、その笑顔の裏に隠された真実を読み取ったのだろう。総一郎と目
﹁うん、そうだよ。夜道に気をつけてね♪﹂
?
生活の話から鍛錬の話まで、そして総一郎の話へ進んで行った。
百代も思うところがあるようだが取りあえず新たなライバル登場が嬉しいようで、私
食事をするようで、先程まで総一郎が寝ていたベンチに腰掛けた。
軽やかに起き上って彼は酷い姿勢で後にした。百代と燕はどうやらこのまま屋上で
?
﹁うん、相当長いね﹂
﹁じゃあ本当に幼馴染なんだな﹂
ワカメの友
468
まあ大変だったね﹂
燕からもらった納豆を食べる百代、一口食べて驚いていた、どうやらお気に召したら
﹂
しい。そんな反応に燕もご満悦だ。
﹁あの頃の話はしても良いのか
﹂
﹁あー⋮⋮総ちゃんが話してるんだからいいかな
﹁どれ位荒れてたんだ
﹂
?
燕らしくない、本音を今から倒そうという相手に意図が全くなく明かしていた。
﹁初めて会った時から好きだったからねー﹂
だ
百代は燕の俯いた顔を覗き込んだ。﹁なんだ﹂と思った、燕は少し顔を赤らめていたの
﹁⋮⋮あいつを嫌いにならなかったのか
総ちゃんは怖かったなあ⋮⋮村雨さんと言い合いになって一触即発だった﹂
﹁見たこともない表情で私を本気で殴って来た時、それで骨が折れたんだけど、あの時の
ることが出来た。
初めて燕が見せた暗い顔だった。笑顔だったけれどもそこにある暗がりで全てを悟
言葉は聞かなかったねぇ⋮⋮一番辛かったのは﹂
﹁稽古の時はいつも痛めつけられてたし、人の好意は邪険にする。殆ど村雨さん以外の
?
?
?
469
♦ ♦ ♦
戻るやいなや男子からの追及││を睨み倒して跳ねのけ、鞄から弁当箱を取り出し
た。まだ時間があるのでそのまま食堂に向かうと一部テーブルに人だかりとそこに集
中している視線があった。
どうやらそこには大和もいるらしく、総一郎もそこへ向かうことにした。
しかし、総一郎は思いがけない出会いをするのだった。
﹁おう、大和。ぶっ殺しに来たぜ﹂
﹁ま、待ってくれ。何でもするぞ﹂
﹁よーし、E組に放り込んじゃろう﹂
兎に角平謝りの大和の隣に総一郎は座ろうとするとその向かい側に彼女達と一人の
﹁⋮⋮ごめん﹂
﹂
男は居た。義経と弁慶と与一である。
?
﹁あ、ああ、こいつが塚原総一郎だよ﹂
﹁な、直江君、彼は
ワカメの友
470
﹁な、なんと
初めまして、源義経だ。話に聞く塚原家の当主⋮⋮
﹂
?
⋮⋮
﹂
﹁ど、どうしたのだろうか直江君。塚原君と弁慶は何故見つめ合っているのだろうか
おける重大な事だった。
だがそれは一目惚れなどの類ではない、まさに驚愕、二人が生きてきた中で私生活に
否、それは適切ではない。見つめ合っている、が正しいか。
総一郎は義経の隣、自分の正面、与一ではない彼女に視線を一点集中させている││
!?
﹂
!?
﹂
!?
たのだろうか
﹂
﹁ま、まさか生きているうちに会えるとは思わなかった、何故朝会の時に気が付かなかっ
二人は離れて言う。
﹁ああ、多分⋮⋮﹂
﹁あ、姉御
﹁どどどどどうした弁慶
その場にいた全員が言葉を失った後に絶叫した。
二人震え出して熱い握手を交わし、抱擁した。
﹁⋮⋮もしかして﹂
﹁あ、姉御のこんな顔は見たことねぇ⋮⋮これは前世の││いやそれはないか﹂
?
?
471
!
﹁こ、この苦悩が分かる人と出会えるとは⋮⋮
││ワカメ髪の同類に││
﹂
﹁塚原総一郎だ、総一と気軽に呼んでくれ。何かあればいつでも力になる﹂
その場は静粛に包まれた。明らかに奇人を見る目が集まりだす。
!
﹂
慕ってもいいか
﹂
﹁知ってると思うけど武蔵坊弁慶だ、弁慶でいいよ。私も出来うる限りを││いや、兄と
﹁べ、弁慶
?
その後二人は存分にワカメを分かち合った後、咳払いをして顔を赤らめていた。
殆ど髪の毛のせいであるが。
いくら川神とは言えこの光景は異常だった。だがよく見ると二人は確かに瓜二つだ、
﹁良いぜ、よろしくな﹂
﹁義経、これだけは許してくれ││いいかお兄ちゃん﹂
したらよいのか分からずあたふたしている。
慌てて二人の間に義経が割って入った。与一は混乱状態である。しかし義経はどう
!?
総一郎は姿勢を正し弁当を、弁慶は川神水をちょびちょび。
﹁私も騒ぎ過ぎた、義経ごめん﹂
﹁すまない、はしゃいだ﹂
ワカメの友
472
﹁言ってたもんな﹁ワカメ髪の人間と出会ったら生涯の友となる﹂って、よかったじゃん﹂
?
﹂
?
大和に疑問を呈されたがどう説明すればよいか、彼は困惑した。恐らくここまで敏感
﹁⋮⋮言わねえよ﹂
﹁彼女の方が可愛いとか言わないでね﹂
﹁⋮⋮いやあ﹂
﹁どうしたんだ
はあからさまに顔を顰めていた。そんな姿に二人は首を傾げた。
大和、京と帰りの河川敷を歩いている最中、あまり聞きたくない名前を聞いて総一郎
﹁そういえば総一、清楚先輩には会ったか
﹂
同年代、しかも壁を超えた武士との戦いに彼も少し心を躍らせるのだった。
れの後、明日の放課後に行うこととなった。
の手合わせを希望して彼はそれを了承した。今義経は対戦希望者がかなり多いためそ
時間も時間、四人は自己紹介を済まして教室へ戻っていく。その際に義経は総一郎と
二人のフォロー、それが今は痛かった。
﹁う、うん。弁慶が嬉しいなら義経も嬉しいぞ﹂
473
になっているのは自分だけ、しかも大和は気をあまり感じられない普通の人である。
それに﹁あの人を見ると吐き気がする﹂なんてとてもじゃないが言えない、もしガク
トが相手であればまた面倒くさいことになるだろう。
﹂
﹂
﹁なんかあの人を見ると違和感を感じるんだよな、ちぐはぐな気を感じる﹂
﹁ちぐはぐ
﹁ていうかあの人は気とかあるのか
﹂
た。体調が悪くて全く気が付かなかった総一郎は度肝を抜かれて嘔吐感に再び襲われ
気持ち悪さのピークも過ぎて少しばかり楽になってきた頃に燕は窓から侵入してい
遡ること昨日の事││
定してほしかった。
今日会わなかったのは間違いなく幸運だった、だからこそ早く燕には彼女の正体を特
いだろう、寧ろ歓迎して塚原よりも縁のある直輝と仲良くなることもある。
斎、それならば寧ろ確率が高い。だが塚原に縁のある細川幽斎ならば嫌悪することもな
確実に何らかの偉人、しかも明らかに文化圏の人間ではない。あるとすれば細川幽
﹁あるよ、ただならぬ気を持ってる﹂
?
?
あれま、あれま
!
ていた。
﹁あああ
!
ワカメの友
474
流石に彼女の方へぶちまけることは無く、クッキーの用意していた嘔吐箱に間に合っ
た。
﹂
?
﹂
?
燕もそんな人物に興味を示した。これから通う学園にそんな女が居るとなれば策士
﹁ふーん﹂
優れているわけでもないのに何故かこうなっている﹂
﹁⋮⋮多分な。だけど他に体調不良を起こした人間はいないみたいだし、気の探知が超
﹁⋮⋮その不自然な気で体調を崩したの
││それ以上だな、多分内面が彼女の本性だろう﹂
﹁葉桜清楚││なんかよくわからんが誰かのクローンらしい、表面の柔い気と内面の剛
ば一つとしてやましいことは無かった。
総一郎も別にやましいことはない、ただ女をみて吐き気を催しただけだ。考えてみれ
いなかった。
女という単語に反応したが別にそんなつもりはない、単純に燕は何のことか分かって
﹁女
﹁いや、ただ気持ちが悪いだけなんだよ。あれもあの女のせいで﹂
﹁ごめんごめん、そんなに体調悪かったんだ⋮⋮﹂
﹁つーちゃんに介護してもらう時がもうくるとは⋮⋮﹂
475
である彼女としては放っておけるわけもない。
﹁つーちゃん、葉桜清楚の正体を探ってくれ。九鬼にバレないように﹂
総一郎が言わなくても燕は自ら行動を起こしていただろう。別にデータベースに潜
﹁いいよん♪﹂
り込むとか九鬼本社に忍び込むとはではない、清楚の好き嫌いや苦手なものなどから人
物を絞っていくだけだ。
そして燕は笑顔のまま総一郎の布団へ入ってくる。
﹁なんだ﹂
﹁温いねえ♪﹂
﹁⋮⋮二時間ぐらいで寮の奴らが帰ってくるからな﹂
﹁平気平気、私もあと一時間ぐらいで戻らないとだから﹂
溜息をつく総一郎だが心なしか嬉しそうだ、燕がぴったりと彼にくっついている。
﹂
﹁昼間からくっつくのもこの時期までだな﹂
﹁そう
?
││大和達が帰ってくる一時間前の事だった。
﹁そうだ﹂
ワカメの友
476
﹁しっかしまさか納豆小町と付き合っているとはなあ﹂
﹂
?
﹂
!
♦ ♦ ♦
変わらぬ関係であった。
﹁随分と浅いな、おい
恨みは深いぞ││あと二十四時間は何もせん
﹂
﹁大方、俺に助け船を貰って大和に愛を伝えるのを待っているのだろう。言っておくが
京がビクッと震えた。一瞬大和の脳裏を良くない考えが過ったが勘違いに違いない。
﹁な、なんでもないよ﹂
恐る恐る大和は聞いてみた。
﹁どうした京
じもじしている。今回ばかりは大和も心当たりがない。
平然とそういうことを言える総一郎に驚愕する大和だったが、一方京と言えば少しも
﹁⋮⋮すごいな﹂
﹁昔道場に来た時、負けなしで驕ってたつーちゃんをボコボコにしたのが出会いだった﹂
477
!
京と大和は途中で出会ったクリスと共に学園側へ引き返した。通りの葛餅パフェを
食べるためだ。総一郎も一緒に行くつもりだったが、なんとそこへ燕が登場した。これ
は悪いと思った大和は気を利かせて三人でその場を後にした。後から﹁これでちゃら
に﹂なんてメールしてきたが総一郎はそんな妥協をするはずもなく﹁うるせえ﹂と一言
だけ返すことにした。
その夜の寮で総一郎をチラチラみる大和が目撃され、京が顔を赤らめる原因となる。
﹁分かったよん♪﹂
燕は河川敷で清楚の特徴を総一郎へ伝える。正体を明かす前に彼女の身辺について
﹁早いな﹂
﹂
見た目よりも腕力が高い、芸術系が苦手⋮⋮この時点
教えて欲しいと総一郎が願ったからだ。それは単純に精度を上げる為とただの見栄だ。
で細川幽斎はないか││
﹁杏仁豆腐が好き││中国系か
?
元に手を当てていた。
燕のメモの最後、それを見た彼は驚きと共に視線を燕に向けた。彼女は﹁ふふ﹂と口
!?
﹁虞美人草││覇王で西楚││項籍とは驚き⋮⋮なるほど、あちらの表面と俺、あちらの
ワカメの友
478
内面とこっちの爺さんが呼応していたわけか。これは久しぶりに対話しないとな﹂
﹂
?
燕は明らかに不機嫌な顔をしていた。
﹁ああ﹂
﹁⋮⋮寮で食べるの
ゆっくりと歩いて行った。
夕暮れの河川敷、左腕にくっついて燕は総一郎と共に通りとは反対側、島津寮の方へ
﹁仕方あるまし﹂
﹁奢ってね﹂
﹁ああ、頼んだ。あーメンドサ、つーちゃん飯でも食うか﹂
﹁取りあえず対策は講じておくね、一先ず刺激しないことにしておくよ﹂
479
宮殿を侵略するは崖からの侍
川神学園の特質性、もしくは異常性と呼ばれる実態は普通では非難されるものであ
り、大手新聞社の一面を飾るに相応しいほどのものである。
例えば決闘は暴力を伴うものが多く保護者からの非難もあるだろう、中には体
罰を行う教師もいる。認められてはいないが賭場なるものも存在する。 この学園で
認められてないなんてことはない、つまり放置されているわけだ。賭けマージャンや賭
けポーカー、賭けブラックジャック、中にはこの場で決闘をする者もいる。大和とか冬
馬とかキャップとか。
他にも詳細は全く明かされていないが何故かガサ入れのない明らかに怪しい﹁魍
魎の宴﹂なるものも開催されているらしいが、それは触らぬ神に祟りなしだ。
そしてこの学園にもう一つの異質、それは三階廊下突き当りにある茶室だ。その中に
ある気配は四つ、だが穏やかな気配だ。
そこにはヒゲこと宇佐美先生と大和、弁慶、そして総一郎の四人が川神水を片手に寛
いでいた。
﹁いやあ、良いですなあ﹂
宮殿を侵略するは崖からの侍
480
﹁くー
最高
!
﹂
!
﹂
?
﹂
?
﹁ちくわ﹂
転がると鼾をかき始めた。
さも当然のようにに答える二人に、宇佐美は困惑したという体をとってその場に寝っ
﹁﹁義兄妹﹂﹂
﹁え、二人はどういう関係よ﹂
そんな弁慶との会話に宇佐美は遅れて突っ込むことになる。
﹁延期、なかなか終わらないからね﹂
﹁あれ、お兄ちゃんは主と決闘じゃ
だからと言って総一郎達が飲んでいいわけではないが。
で学園内に持ち込んでいる。
試験で4位までに入れば川神水を飲んでも良く、それ以下であれば退学という条件付き
許される川神学園。そもそも学園内で川神水を飲んでいるのがおかしいのだが、弁慶は
放課後であるが教師が川神水を学園内で飲んで寝るなど頭がおかしいだろう、それが
﹁思ってないわ、寝ちゃーお﹂
﹁本当にそう思ってる
﹁オジサン教師なのにこんなことして良いのかねえ⋮⋮﹂
481
﹁ほいよ﹂
﹁俺にもくれ大和﹂
現在四時半を回った所、恐らく義経と戦っている人の雄たけびがだらけ部の子守歌
﹁ほい﹂
だ。人が頑張っている間、畳みのいい香りそして川神水を飲んで寝っ転がっているとい
﹂
?
う快感に酔いしれているわけだ。
﹂
﹁そういえば総一はなんで義経の挑戦を受けたの
それは一体どういう意味
?
事情を知らない弁慶はすぐさま問いかけた。
﹁ん
?
﹁んー⋮⋮奥底が凄そうだから
英雄とは違う大将の器みたいな奴が義経からは感じら
﹁へえ、まあ二人ともあれだけ強いのに更に隠し玉があるとなれば総一もその気になる
﹁⋮⋮まあね﹂
れる。ていうか強い奴なら戦うよ、弁慶だって隠してるものがあるし﹂
?
の答えを待った。
武士の勘だろうか、余り詮索しない方がいいと思った彼女はそんな相槌程度で総一郎
﹁へえ⋮⋮﹂
﹁ああ、弁慶は知らないっけ。総一は決闘を大体断っているんだよ﹂
宮殿を侵略するは崖からの侍
482
か﹂
﹂
?
⋮⋮いかんいかん﹂
?
そう言うと総一郎は横にパタっと倒れて数秒後に目を開けた。ゆっくりと体を起こ
﹁お
﹁総一郎⋮⋮
大和はそこで何かおかしいことに気が付いた。
﹁儂と本気でやらんとは傲慢よ﹂
も留めなかった。
弁慶はムスッとした顔で今度は睨みつけていた。しかしそんなことを総一郎は気に
盃をちょびっと傾けて総一郎は反論した。
じゃ俺に勝てないよ﹂
﹁俺は準備すれば本気が出せるけど、そっちは本気出さないだろ。壁を超えているだけ
い。
弁慶は起き上ると壁に寄り掛かっている総一郎を見た。睨みつけているわけではな
﹁ちょっとそれは聞き捨てならないね﹂
忠臣であることに間違いはない。
総一郎の何気ない一言、それが弁慶の忠誠心を刺激した。こんな体たらくでも彼女は
﹁そう思ってくれ││まあ負けるわけないけど﹂
483
すと目をパチクリして何だか状況が分かっていない様子、大和と弁慶を交互に見ると二
﹂
人とも自分を訝しげに見ている、逆に総一郎はそれに疑問を抱いた。
﹁どうした
﹁寝ぼけてる
﹂
﹁え、いや⋮⋮﹂
?
合わせ顰めると宇佐美が口を開いた。
そんな姿をいつの間にか起きていた宇佐美合わせ三人はただ目で追った、その後顔を
総一郎は言ってから三秒で立ち上がって割とフラフラの足で帰路についた。
﹁あー⋮⋮かもしれない、帰る﹂
?
とはあり得ないと首を振った。総一郎は樽杯の中で寝ていたことをあるくらいだ、しか
和達と川神水を飲んでいたはず、酔いつぶれるまで飲んだのか││と考えたがそんなこ
にして天井を見上げてから二十分ほどしてその事実に気が付く。最後の記憶は確か大
零時、その日の零時、総一郎は知らぬうちに自分の部屋にいた。布団をぐしゃぐしゃ
﹁あれは酒癖とかじゃないでしょ﹂
﹁ありゃ酒癖が悪そうだ﹂
宮殿を侵略するは崖からの侍
484
もその時はしっかりと記憶を残している。
冴えた頭で下に降りていくと大和とクリス、キャップ、京の四人がテレビを見ている。
クリスの好きな時代劇だ。総一郎が居間にきても気が付かなかったが彼が冷蔵庫を開
けると始めにキャップが振り向く。﹁おはよう﹂と総一郎は言おうとしたがキャップが
﹂
青ざめた表情で総一郎を見ているではないか、続いて大和と京も振り向いて同じ顔をし
ている。
﹁なんだよ﹂
﹁⋮⋮憶えてない
﹁なんだ﹂
視界に庭が少し入った時点で見るのを止めていた。
すると大和は顎でそこを示した、庭だ。ゆっくりと総一郎もそちらを向こうとするが
京の質問は総一郎にとって全く意味の分からないものだ。
﹁何が﹂
﹂
訝な顔で見返した。
とも愛らしい、だがそんなことを考えることもなく総一郎はこちらを見つめる三人を怪
アクション付きで意気揚々と画面の中にいるキャラクターを応援するクリスはなん
﹁いけえー大和丸
!
?
485
﹁帰って来てから暴れた﹂
キャップが小刻みに震えて手に持っているコーラが零れている。
意を決して勢いよく庭を見てみる、そこに広がるのは一言でいって惨状である。庭の
残骸が総一郎の意識を居間に戻した。
手慣れた動作でお茶を淹れると何食わぬ顔で椅子に座るが直ぐに三人が脇を固めた。
﹁お茶が美味い﹂
キャップと大和は既に総一郎の両脇を掴んでいる。
﹁逃避しない﹂
﹁ごめんなさい﹂
そのまま総一郎は三人に引きずられて夜の島津寮に消えて行った。
﹁うーん⋮⋮﹂
だがそれを一過性のもので今はただ仲良く納豆を囲んでいる。
に居るのは燕の弁当が羨ましかったのと義経と総一郎が戦うのが羨ましかったからだ。
屋上にて三人は燕が作ってきた納豆弁当を囲み昼休みを過ごしていた。百代がここ
﹁酔いつぶれたんだろ、庭しっかり直したか﹂
﹁││ということがあった、どう思いますか燕さんに百代さんや﹂
宮殿を侵略するは崖からの侍
486
﹁どうした燕﹂
燕が顎に人差し指を置いたことに気が付いた百代は納豆揚げを口に運びながら何気
なく疑問を呈した。
﹂
?
百代がそう言うと総一郎はすぐに顔を顰めた。
﹁ああ、大和がそう言ってたぞ﹂
﹁口調が変わってた
たのですぐに取りやめている。
本物の酒を飲んでいるのか百代は茶々を入れようとするが、もの凄く二人が嫌な顔をし
い。酔っている雰囲気すら見せず次の日二日酔いになったこともない。そもそも何故
かも飲んでいる量は弁慶よりも少なく、今まで本物を飲んだとしても暴れたこともな
総一郎の呈した疑問は燕が言ったものとほぼ同じようなものだ。川神水ごときで、し
話を続ける。
百代が総一郎を化け物のような目で見ていた。そんな話を誤魔化すように総一郎は
﹁やめい﹂
﹁酒樽に一晩入れられて次の日空になった酒樽で寝てるような人だから﹂
﹁そういえば箱根の時も大して酔ってなかったな﹂
﹁いやー総ちゃんは川神水で酔うような下戸じゃないんだけどな∼﹂
487
﹁どんな感じだって
﹁爺臭い口調﹂
﹁へ
﹂
﹂
﹂
﹁前にもいったろ、今俺にはうちの先祖がとり憑いているんだ﹂
雷であることに気が付きもしなかった。
関係に腹がたったのか百代はすぐに二人を問いただす。が、それは彼女の意図しない地
更に顔を顰めたがどうやら総一郎と燕は事の顛末を理解したようだ。そんな二人の
?
燕が気が付くころ、百代は顔を真っ青にして体を震わせていた。
﹁塚原卜伝がね⋮⋮あれモモちゃんどうしたの
?
?
﹂
!
♦ ♦ ♦
断末魔、衝撃波の両方が川神学園を襲った。
﹁やーめーろー
﹁なるほど⋮⋮あ、モモちゃんの後ろ﹂
﹁そうだ、モモちゃんは幽霊が怖いんだ。よく覚えておけよ燕、攻略の糸口に繋がる﹂
宮殿を侵略するは崖からの侍
488
放課後を告げる鐘が鳴ると校庭にて決闘が始まる。別に毎日それが行われている訳
ではない、今回は義経がいるためにここまで規模が膨れ上がっている。昨日までに五十
人程の挑戦者が現れ全て撃退されている。壁を超えている義経からすれば当たり前も
いいところだが一切邪険にすることなく笑顔で受け、真剣に戦い、最後は讃える。彼女
の人気が上がる要因の一つであり、新たな挑戦者を生む原因ともいえる。
だがそれも昨日までの話だ。今日はいつも居た挑戦者の列がない、代わりに割りと離
れた所にギャラリーが輪状になって義経たちを囲んでいる。
今は丁度クリスの挑戦が終わった所だ、無論義経は無傷でクリスは膝を着いている。
﹂
﹂
義経は手を伸ばしてクリスはそれに受けとった。特に蟠りもなく二人とも笑顔だ。
﹁手も足も出なかった、流石だ﹂
﹁フリードリヒさんも鋭い突きだった、義経は感服した﹂
よろしく頼むクリス
﹁ありがとう。それと私の事はクリスでいい、もう私たちは友達だからな
﹁友達⋮⋮うん
!
友達という言葉に義経は飛び切り輝く笑顔を見せた。
!
!
489
クリスの決闘が終わると次は総一郎││ではなく、そこには穏やかながら薙刀を、し
かも普段よりも二十cmほど短く大きい物を持って闘志むき出しのまま近づいて来た。
一子は先手を取る義経の領域を定めるとその瞬間に瞼を閉じた。
それが彼女の感覚を次へ││二十秒のみ。
起因する。差を実感する一方それをチャンスと捉える自分がいるわけだ。
は絶対に勝てない人間がこの川神に居るのとそれが続々と川神に集まっていることに
付くかもしれない。だが彼女は焦りと落ち着きを今現在両方持ち合わせている。それ
これは総一郎との相談で決まったものではない、完全な独断で下手をすれば負け癖が
しかも自分の負けによって。
ば彼女は一分でこの決闘に幕を閉じさせるつもりだ。
いる。状況が良くなければマルギッテと互角程度でしかない、ならば短期でもっと言え
回ることを良しとするわけもない。それにこの決闘に勝ちはまずないと彼女も感じて
意外にも読み合いはなくしかも義経からの先手である、だからと言って一子が防戦に
審判はルー、説明などもう必要はなく、只右手が振り下ろされた。
その後二人の間に会話はない、クリスが急いで退き、ギャラリーも一歩下がる。
そう言って義経も気を昂めた。
﹁川神さん﹂
宮殿を侵略するは崖からの侍
490
義経はそんなことを気にすることもなく速度は落とさない、感覚に頼る猛者と
戦ったことは勿論ある、そして弁慶やヒューム、クラウディオによって対策もしている。
自分が一子よりも実力が上であることも理解しているし、それで驕ることもない。実直
である義経の強みだ。
この際それ故に存在する彼女の弱点を語ることもない、何故なら彼女が一子から
一撃を貰うのは驕りや油断などによって引き起こされたものではなかったからだ。
一子が義経に確実と言える一撃を与えたのは義経にとっても一子にとっても一手目
である。
義経の袈裟切りが一子に直撃するのと同時、一子の薙刀は最も深い位置にある義経の
足、それも足の甲を捉えていた。
それによって一子は勿論戦闘不能となる、だがそれは結果だ。経過に置いて壁越えの
相手に一子は一撃を喰らわせ、しかも躓いた状態になっている義経は一子の斜め後ろに
倒れ込んでいた。勿論義経は殆ど無傷、一子は肩を大きく打たれてその瞬間ルーによっ
て義経の勝利宣言が下される。
一子には笑み、義経には驚愕が、双方ともあり得ない経験を手に入れた。
﹁えへへ⋮⋮勝負にも試合にも負けちゃったけどね﹂
﹁意識外を無理やり狙ったか、無茶をするがよくやった一子﹂
491
﹁自分に勝ったろ﹂
﹂
一子のすぐ後ろには総一郎が立っていた。一子はもう気配で彼に気が付いていた。
﹁義経大丈夫
許せないわ
﹂
﹁そんな大げさな⋮⋮あ、名前でいいよ 私達はもう友達、というかクリだけに友達何て
思った﹂
﹁⋮⋮ああ、ありがとう川神さん││しかし見事だった、義経は負けてしまったのかと
?
!
!
湿った風が肌に掛かるが結局は涼しくならない、今日は暑い、義経が今日クリスと一
告げる様子はない、右手を振り下ろす気もないようだ。
校庭の真ん中には構えた義経と一本の刀、雨無雷音を片手に持つ総一郎。ルーは何も
退散していく。
りの彼だ。そんな二人の真剣な感覚はギャラリーに伝わったのか一子含め校庭の脇へ
をしていた義経が完全な戦闘状態へ移行している。対峙しているのは先程現れたばか
され憤りを感じたが、振り向いた一子の視線にすぐに気が付く。先程まで穏やかな表情
傷した一子を保健室へ連れていこうとするが、一子はそれを拒否した。クリスは邪険に
クリス同様に二人は握手を交わしている。そして友情に喝采が起きるとクリスが負
﹁そ、そうか、一子さんありがとう。義経はすごくいい経験になった﹂
宮殿を侵略するは崖からの侍
492
子と戦ったのは偶然だがそれは幸運だった。二人には申し訳ないが総一郎と戦うため
のウォーミングアップに他ならない。総一郎もクリスや一子の戦いぶりを屋上から見
ていた。クリスはまだまだ愚直の域を出ていないし一子も二十秒だけでは意味が無い。
彼は笑った、準備は完全、体調も万全││構え・地擦り八双││
今出せる全力、義経は神速の斬撃を以て総一郎の制空権に侵入した。侵入ならばいく
らでもと言わんばかりに総一郎は迎え撃つ││だが、ただ迎え撃つわけではない、宮殿
にて彼女の一撃を待つのだ。
︶
義経は先日見たあれを今まさに身をもって体験した。
︵これが⋮⋮
たどり着けないと感じてしまっている。
二人とも素直にすごいとは言えなかった。一子は差を実感しているしクリスは到底
﹁⋮⋮﹂
﹁すごい⋮⋮な﹂
見切る、二人の額に焦りの証拠はまだ浮かび上がっていない。
二撃三撃四撃││弾かれ見切られはするがそれは義経を同じだ。反撃されれば弾き
神速が今弾かれたがそれでも攻撃の手を止めることは無かった。
だが今更足を止めることもない、生地であれば負けは無く死地にしか勝ちは無い││
!
493
﹁二人とも生き急ぐな﹂
﹁そうそう、総ちゃんが最も優れていたのは環境だから﹂
二人を挟み込むように百代と燕は現れた。
この奥義が相手の潜在能力を上げて引き出すことに総一郎は漸く気が付いたようだ。
を覚えるのだ。そして義経の技量よりも適応能力に驚愕を覚えていた。
逆に総一郎は焦りを覚え始めた。負けることは無い、だが余りにも拙い完成度に不安
と対峙していた。
だからこそ義経は今彼に食らいついている、普段以上の実力を以て総一郎の全て
のに追従しようとも思わない。
ターである読み合いに関して全く歯が立たない、感覚と集中による意味の分からないも
もそうだが宮殿というよりは迷宮に迷い込んでいるような感覚だ。侍の重要なファク
義経は焦りを持たなくともかなり難儀していた。攻略の糸口をまだ掴めないの
技のようなものは見受けられる。だがそれを意味としないのが後の後である。
﹁だからよーく見ておけ、私と並ぶ最強の一人だ﹂
宮殿を侵略するは崖からの侍
494
ならば││
││否︶
?
付けば首元には刃先がある。
最後の攻防は自分の攻撃があしらわれて総一郎が自分の後ろに抜けていった。気が
打ち込まれ、意識していない箇所すべてが斬られる錯覚に陥る。
いる感覚に囚われた、そしてどんどん防ぎきれなくなっていく、やり辛い体勢や角度に
まるで詰将棋││義経は自分の防御する刀があたかも総一郎の刀に吸い寄せられて
十秒持たせた原因だろう。
防戦に回ってしまう。それが完全なる悪手であることに気が付いたことが後彼女を三
そんな突然、義経は悪寒と共に自分の首を総一郎の刀が掠めたことを理解し、思わず
呟いたのは百代だった。
﹁変わった﹂
悟った。
それに気が付いた総一郎は自分の愚かさを呪い、あのままでは負けていたと全てを
宮殿に来たものを何故攻撃しない││
そうだ、守り切るなど阿保垂れめ││
間。まだまだ本気ではない、守り切れるか
︵こちらも上げていくしかない。ここは宮殿、相手は彼源義経、馬で崖を下るような人
495
宮殿を侵略するは崖からの侍
﹁塚原流・首極﹂
496
え、二日後
歓迎の剣舞
﹁歓迎会
﹂
!?
か、可能だろうか。
九鬼ならば明日にも歓迎会を開くことが出来る││だが生徒だけならばどうだろう
雄を頼らないところを見るとどうやら迷惑を掛けたくないと総一郎は思考した。
うわけだ。今ここに紋白がいるということは勿論彼女が依頼人なわけだが、真っ先に英
の誕生日であるという。金曜日の放課後までに準備を完了して誕生日会兼歓迎会を行
そしてそこで大和から歓迎会について聞かされる。三日後が義経、弁慶、与一、三人
のだ。
スと紋白、そしてこちらを問答無用で威圧してくるヒュームがいた。非常に鬱陶しいも
総一郎が大和に呼び出されて見ればそこには美味しそうに餡蜜パフェを頬張るクリ
?
﹁よし、つーちゃんにも声を掛けとく。後は京極先輩とココちゃん、チンクエの知名度は
んである、冬馬も手伝ってくれるはずだ﹂
材の手配。一年生は紋様、三年は姉さんに、二年はネックのSがあるけど井上にもう頼
﹁会場の手配は梅先生に頼んだ、料理部とまゆっちには食事とケーキ、クマちゃんには食
497
伊達じゃない﹂
﹂
﹂
﹁助かる││それとお願いがある﹂
﹁なんだ
﹁剣舞をしてくれないか
戯れている。
因みにそんな雰囲気を目の当たりにした紋白は足が竦みあがり、クリスは未だ餡蜜と
代くらいだ。
が抱く闇は確かに知識としてあるがそれを完全に理解できるのは燕か拳を共にした百
そんな反応をする彼に大和は少し焦りを抱いていた。不味いことを言ったか││彼
ていた。 親に言われたこともない、言われてやったかどうかは分からないが完全に意表を突かれ
は剣舞の経験が全くないだけだ。今まで頼まれたこともないしそんなことをやれと父
突然の申し出に総一郎は沈黙した。別に不快感を覚えたわけではない、単純に総一郎
?
?
だが総一郎の意識を戻すことには成功している。
る、それに気が付いてない。
そんな雰囲気を霧散させたのは主を思うヒュームだ、だが逆に彼が紋白を驚かせてい
﹁おい、紋様が怯えている、何か言え﹂
歓迎の剣舞
498
﹁ああ、すいません。実は剣舞とかやったこと無いんで﹂
﹂
!?
﹁むむむ⋮⋮そうだ
総一はなんで十勇士と因縁があるのだ
﹂
!
手段で第三者がそれを卑怯と言うことは許されないんだ、そして塚原はそれを拒否する
超えるべき者なんだ。あらゆる手を使って倒す、それは今まで塚原を倒せていない故の
その中でも武家の末裔や武士精神を持つ者にとっては塚原の当主は挑戦すべき者で
る塚原門下が多いことに由来するんだ。
力はない││だけども西という地域に関しては中堅クラスの権力を持つ、それは歴史あ
いけれども強いパイプを持つ。塚原家も名家ではあるけどそれは主に名家にしか影響
﹁東の川神はどこにでも影響力がある、九鬼、不死川、綾小路などの最大権力には及ばな
というか大和、そしてクリスも手を止めてその理由に興味を示していた。
急な話題転換であるが三人とも微笑んで何もいうことは無かった。
!
ヒュームが怒るかと思ったが彼もそんな姿に微笑んでいる。
餡蜜を食べようとしている紋白に視線送ると食べかけの状態で彼女は頬を赤らめた。
﹁頑張るさ、モンプチの為だしな﹂
﹁できるのか
﹁ま、やるけどな﹂
﹁え、そうなのか⋮⋮経験者だと勝手に思い込んでいた、急に変なこと言って悪いな﹂
499
ことが出来ない。
まあこの前は最終的に彼らを突き放したけどあれは余りに戦力差があったからね﹂
饒舌に話すとそれにヒュームが口を挟む。
﹁半ば怨念のようなものです。今の時代は壁越えがかなりの数台頭していますが、少し
前からすればそれは手の届かない存在、この壁越えが集まっている川神がおかしいので
す﹂
コクコクと紋白は頷いて納得したようである。だがここぞとばかりにクリスがある
疑問を呈してくる、もしくは苦言だろうか。
﹂
﹁ふむ⋮⋮しかし大人数で一人を倒す、戦闘中に背を向けるなどというのは武士道に反
しないか
﹂
だからこそ俺は大人数で仕掛け、返り討ちにあった奴らに背を向けたわけだ﹂
りはなく、超えることで栄誉を得る。
とを塚原に挑むものは甘んじるわけだ。塚原を今まで超えられなかったことで既に誇
﹁そこは事情という物さ。当事者たちにしかわからない問題、恥を忍んで勝利を得るこ
ば気分を害することなく総一郎の返答を期待できる。
だが変化はある。クリスの呈したものは飽くまで疑問、否定ではなかった。これなら
?
﹁ふむ⋮⋮それもまた侍というわけか
?
歓迎の剣舞
500
﹁⋮⋮そうだ、よくわかってるじゃないか﹂
理解を示す反応に総一郎は一瞬だけ心の片隅に余裕ができたことを感じた。
やはりクリスに嫌悪感を示していた自分がいたことを認識したのだった。
楽 し む こ と し か 考 え て い な い 二 人 の 笑 み は 世 界 で 最 も 悪 い こ と を 考 え て い る 様 で
﹁ふむふむ、一体何かなあ﹂
﹁積もる話があってね﹂
﹁ありゃ、総ちゃんどうしたの﹂
れている。
リートの階段で家主を待っている。表札を見れば一目瞭然、弾正少弼久秀の苗字が書か
割と大き目で新築のアパート、そこの家の鍵を持っているわけではないのでコンク
座っていた。
で予定を詰めるらしく、とりあえずやることの決まった彼は帰路ついでにある家の前に
一足先に紋白は帰宅し、その後すぐに総一郎も帰路へ着いた。大和とクリスはその場
﹁助かる﹂
﹁じゃあ、こっちはこっちでやるよ。そっちに合わせるから剣舞の持ち時間とか﹂
501
歓迎の剣舞
502
あった。
♦ ♦ ♦
直江大和は久しぶりに忙しない一日を過ごしていた。上に下に右左、まさしく右往左
往といったばかりか手足はまるで千手観音である。
救いがあるとすれば難しい事柄でない事だろうか、日頃の人脈作りが功を奏して彼の
作業は大変である││というだけに留まっている。しかも手足のように動いてくれる
者達が有能であることも彼の負担を減らしているだろう。
昨日の内に全てを済ましているとはいえ料理の準備や会場の設営、出し物、人員の確
保を一日で行うのは至難の業、これを実行できているのは単にF組とS組の共闘が主た
る理由である。
大和の指示で準や冬馬が筆頭として動き、クリスの要請でマルギッテや総一郎の願い
で心も動いている。手の届きにくい三年生の女子は京極に付いていき、男子は百代や
燕、清楚に弓子を中心に動いている。
﹁紋様
井上準、今参りました
﹂
!
﹁も、紋様が⋮⋮俺を⋮⋮頼りに⋮⋮
﹁うむ、よく来た。頼りにしてるぞ﹂
!
﹂
﹂
﹁ええ、準やマルギッテさんが頑張ってくれていますから。料理の方は
?
﹂
?
﹂とただ返すだけだ。
?
見通しが付くならリハとかしたいんだけど﹂
?
﹁ああ、まだ何もしてない﹂
﹁剣舞はどうだ
で挨拶などはない、﹁どうした
﹂
総一郎は何の変哲もなくただ声に反応して振り向いた。三時間目の中休みだったの
﹁総一﹂
入った総一郎を見て彼は声を掛けた。
一時間前の事である。大和は中休み中にメールで指示を飛ばしていた。ふと視界に
﹁⋮⋮﹂
﹁そうですか││総一郎君の方は
れとカガが思ったよりも料理できるみたいだから問題はない﹂
﹁料理部が頑張ってるけどクマちゃんとまゆっちが居なかったら少しきつかったね、そ
?
﹁人員は問題ない
設営の指示をしている時大和は少し離れた所から気合の入った雄たけびを聞いた。
!
503
唖然と絶句のダブルチッキ、非難を覚えることもなく気が付いたら﹁そうか﹂と声を
出して現実逃避をするかのようにメールに勤しんでいた。
﹂
そして気が付けば放課後である。無我の境地に達した大和は完璧な体制で歓迎会の
準備に勤しんでいた。
﹁で、総一郎君は今どこに
﹁帰った﹂
冬馬は優しく微笑むがその奥にどうしようもない呆れを感じていることは明白であ
?
﹂
る。二人の間に沈黙が流れると││冬馬は大和の尻を撫でた。
﹁てめえ﹂
﹁夫失礼﹂
﹁京みたいに変換するな
!
﹂
するとまるで蜜に釣られるかのように京が急に現れると大和の右腕を掴んだ。
﹁乙失礼﹂
﹁変な所に持ってくな
!
﹁大和以外なら許すよ﹂
﹁上手いですね、私も今度使ってみます﹂
﹁蜜に釣られたので私の蜜をあげようかと思いました。そう││秘密の場所﹂
歓迎の剣舞
504
冬馬と京は大和の苦労も知らず、セクハラの境地に立っていた。
﹂
?
﹂
?
﹂
とんっ
﹂
﹂
﹂とまた小走りで燕が去って行きとき、あることに気が付いた。
﹁燕さん
﹂
﹁問題ナットウ
燕は微笑んで一言。
﹁あー﹂
﹁あの、総一のこと何か聞いてません
﹁ん
!
?
決めの仮面ライダーポーズで彼女は去って行った。
!
?
!
男でしかない。一瞬ドキリとして京にツーンとされるとそれを快く了承した。﹁ありが
一々男の何かを刺激するような仕草をする燕、総一郎の彼女だと知っていても大和は
な
﹁これからちょーっと用事があるんだけど、できることはやったから後任せてもいいか
﹁どうしました
いが割と重要なことだったのだろうか、一頻り大和を探した後のようであった。
そんな彼を多少マシな状況にしたのは小走りで来た燕だった。別に息は切れていな
﹁あ、大和くーん﹂
505
﹂
﹂
﹁燕さんに色目を使っていたと告げ口をしよう﹂
﹁やめい﹂
﹁じゃあ結婚
それに対して義経は既に涙目、そわそわする姿に弁慶は慈愛の目と共に与一に対す
だが歓迎会開始十分前、主賓である与一がまだ会場に来ていなかった。
加するので八時くらいまでならば騒げるのだ。
幸いその後の時間に関しては問題ない、この歓迎会には鉄心やルー、九鬼の面々も参
ていた。各準備が最終的な詰めに入っている。
歓迎会当日の金曜日、放課後から少し余裕を持ち、授業の一時間後が開始時刻となっ
♦ ♦ ♦
大和の心労は何時になっても絶えないのだった。
?
!
﹁あ、私も立候補してもよろしいですか
歓迎の剣舞
506
る憤怒の感情をむき出しにしていた。
そんな姿を見た姉貴分である清楚も少し心配気味であった。
だが与一に居場所が分かると大和が会場から駆け足で出ていく、彼を知る人間ならば
わかるであろう、自分が担当したこの会を中途半端にする気は更々ない気持ちに。
そんな姿を見た清楚は隣にいる弓子でもなく、虎子でもないましてや百代でも燕でも
ない彼に大和について聞いていた。
はい、どうしま││﹂
﹁あの⋮⋮﹂
﹁ん
﹁大和君のお友達⋮⋮塚原君だよね
﹂
?
﹁なットゥ
正気を保つ
﹁ぬぬぬぬ﹂
!
﹂
て嘔吐物を総一郎はぶちまけていたかもしれない。
その光景を始めに見た人物がいなければどうなっていたことだろうか、清楚に向かっ
一目瞭然の狼狽である。思わず清楚も困惑した。
この前の義経ちゃんとの││あれ
女が自分に話しかけてきてしまったのか考える間もなく、狼狽していた。
ビッグピンチ、ピンチは最大のピンチ、あ、信管作動してる││総一郎はどうして彼
?
﹁アババババ﹂
?
507
!
前髪を上げ、でこを叩きまくる燕。意味の分からない療法であるが効果は覿面、総一
郎の胸にあった不快感はすぐに取れていた。
そんな二人を見て清楚はもの凄く申し訳なさそうな顔をしてる。まったく彼女は悪
くないというのに。
﹁あ、清楚ちゃんは何の問題もないよ﹂
﹁で、でも、私何か気に障ることでも││﹂
﹁せーいーそー、あっち行こう﹂
清楚の後ろから胸を揉みしだきながら百代は彼女を連れていった。そんな姿をみて
﹂
総一郎は後でわらび餅でも奢ってやるか││なんて思い、燕に介抱されながらギリギリ
で到着した与一と大和を見つめるのだった。
﹁みんな、義経たちの為にこの様な会を開いてくれてありがとう
﹁んー素直にありがとうと言っておこう﹂
﹁ふん、別になんともないさ﹂
!
会場にはホテル顔負けの料理が並んでいる。
会﹂は始まった。
そんな準のツッコミによって労力と善意によって﹁義経、弁慶、与一誕生日会&歓迎
﹁へいへいーい、照れがあるぜ与一﹂
歓迎の剣舞
508
ローストビーフ、中華一式、ラザニア、何故か冷めてもサクサクのから揚げ、煮物│
│厨房にはクマちゃんと料理研が中心に、そしてまゆっちと直輝が﹁かなり﹂仲良く和
物を中心とした料理をしていた。ちなみにそんな二人の隣でまゆっちの友達である大
和田伊予は細々と盛り付けや皮むきをしていた。
﹁あれ
総一は
﹂
?
も無くなっていく。
なんだなんだ││と声が聞こえる。だがそれも小声でその状態が続くと次第にそれ
の他は明かりが落とされた。
キャップの一言がまるで合図だったかのように会場の奥にある舞台に光が集まり、そ
?
﹁そそそそそ、そんなわけないだろ﹂
﹁どうせ手が握れるとか考えてるんでしょ﹂
﹁俺様も弁慶の所で腕相撲してこよっかなあ﹂
﹁うん、まゆっち友達どころかこのままだと彼氏獲得かもね﹂
﹁お、マジでいい雰囲気じゃん﹂
思わず由紀江は普段見せない笑顔を振りまいていた。
﹁あ、はい、分かりました。お吸い物は任せてください││直輝さん﹂
﹁由紀江ちゃん、お刺身は僕がやるよ﹂
509
︵⋮⋮頼むぞ総一︶
大和は舞台の方を見て不安を覚えていた。総一郎は二時間前に﹁やるぞ﹂と言っただ
けでリハーサルも何もしていないのだ。
舞台だけセッティング、スポットライトを当てるだけの照明、大和は万が一を考えて
いた││がそれもまさしく杞憂でしかなかった。
舞台袖から出てきたのは完全な正装に包まれた総一郎││正装だけではない、雰囲気
から全てが礼節に準ずるまさしく誰もみたことのない総一郎と言える。足運びから、袖
の動かし方に至るまで、まだ彼は動いているだけだというのに会場を掌握していた。
すると大和は完全に虚を突かれた││逆の袖からはこれまた見たことの無い、新当流
の正装に包まれた燕の姿がある。
二人がそれを抜き切るとそのまま背を合わせるように同時に後ろを向いた。
を抜く音を広めていった。
丁寧の足運び、舞台中央に会いまみえると二人は静かなこの会場に染み渡るような刀
総一郎と燕、綺麗という言葉は今どちらにも当てはまる言葉であった。
は無い、誰もが思ったことを一人が一言で表した、それだけだ。
誰かが溢した一言、それで総一郎と燕の気を散らすことや観客の気を削ぐようなこと
﹁綺麗﹂
歓迎の剣舞
510
││そして振り向き一閃を放つ││がそれは交差しなかった。思わず大和は息を飲
んでしまった。失敗したのかと思ったのだ。
だが、燕も総一郎も一向として刀を交わせることはしなかった。
それどころかその剣舞はまるで﹁誰か﹂と戦っているようにも見えた。
そんな姿を見た百代は聞いた話の人物、幽霊の塚原卜伝かと思い背筋を凍らせる。だ
︶
がそれが勘違いであることにすぐ気が付いた。
││一つだけ覚えているだろ
││村雨師匠の思い出を││
││ああ、忘れることを俺は許さなかったからな。
││嘘つき、実は覚えてるでしょ
││俺はそうでもないけど。
││うん、身に沁みついてる。
?
百代にはそう見えた。そしてそれは正解である。
︵稽古⋮⋮
?
511
歓迎の剣舞
512
二人の刀が弾かれると歓声が満ち溢れていた。
すごいケーキなのだあ
河川敷に一閃と風
﹁おお
﹂
!
一言だけ呟いたその柔らかい言葉に心は何か不思議に感覚を覚えた。
﹁⋮⋮ありがと﹂
じゃった﹂
﹁ぬ う ⋮⋮ ま あ よ い わ。お 主 先 程 の 舞 は 見 事 じ ゃ っ た ぞ。異 様 で は あ っ た が 美 し い 舞
﹁おお、ここちゃん﹂
﹁おや、塚原君どうしたのじゃ﹂
を見て楽しんだり料理部とまゆっちなどの力作である料理を食べたり。
笑ましく見守る京極と談笑する弓子、千花と真与、羽黒の三人はエレガント・チンクエ
最大の功労者である大和を中心に風間ファミリーに紋白が礼を言ったり、会場全体を微
弁慶が義経にケーキの﹁あーん﹂をねだったり、初々しく二人で食べる由紀江と直輝。
ていた。
そんなケーキに対して皆が駆け寄るなか総一郎は壁に寄り掛かって皆の姿を観察し
小雪のはしゃぎようはすごいものだ、準も大変そうだがどこか嬉しそうでもある。
!
513
﹁初めてやったけど楽しいもんだ﹂
﹂
﹂
﹁ほう、なら今度はうちでもやってもらおうかのう﹂
﹁いくら
﹁金を取るんかい
ハハハ││総一郎はただ笑っていた。心の底から笑って心を見ていた。
!
?
たのは十時頃であった、会に尽力した風間ファミリーは疲れ果てて少し早く帰してもら
夕暮れを通り越して歓迎会は行われた為に簡単な片づけを合わせて皆が帰路に就い
♦ ♦ ♦
び切りの笑顔であった。
憤慨して去って行く心はふと振り返えると嬉しそうにそう言っていた。また心も飛
﹁やっと昔のような顔になった﹂
河川敷に一閃と風
514
い打ち上げも翌日に持ち越しとなった。
疲れ果てていた島津寮組は居間でテレビを囲み、茶を飲んでゆったりしていた。
﹁源さん設営の監督ありがとうね﹂
﹁はっ、あれ以上しつこく頼まれても迷惑だからな﹂
﹂
と言っているがそんな彼もソファに寄り掛かかり疲れているのか中々部屋に戻ろう
ともしなかった。
﹁明日、秘密基地で打ち上げするんだけど源さんもどう
﹁いかねえよ﹂
﹁いーじゃーねーかーよー、そろそろ折れてくれよ﹂
﹁総一郎は⋮⋮
﹂
そしてあることにクリスが気が付き呟いていた。
立てて深夜の島津寮は時間に似合わずまるで歓迎会のようであった。
とお茶を注いでいる由紀江、その周りを鬱陶しく二人を払う源さんと大和、翔一が騒ぎ
停止、驚愕の後、大和と翔一は歓喜した。既にクラクラしているクリスを介抱する京
﹁うるせぇ⋮⋮まあちょっとぐらいなら顔出してやるよ﹂
?
515
?
﹁疲れたー﹂
﹁頑張ってたもんねー﹂
﹁つーちゃんも人材確保で頑張ってたんだろ、大和が後でお礼するって﹂
寝間着で畳に寝っ転がる二人、燕はノートPCで仕事を総一郎は燕にくっついて瞼を
﹁いいこと聞いた。ま、かなり納豆も使ってくれたからいいけどねん﹂
重くしている。
だがこれから発展していくことはない、直ぐ近くに燕の父である久信がいるからだ。
﹂
﹁いやあごめんね、おじさん邪魔だよね﹂
﹁オトン
のは恥ずかしいはずだ。
総一郎の言葉に燕は﹁むー﹂と口を尖らせた。幾ら彼女でも父の前でそんな話をする
﹁どちらにせよ今日は無理﹂
﹁あ、いや、ごめんなさい﹂
?
﹁いやあ本当にその節はありがとうね、総一郎君が居なかったらと思うと⋮⋮﹂
﹁ま、軌道は乗ったからねえ﹂
﹁どうじゃ、納豆は﹂
河川敷に一閃と風
516
久信の泣き声は嘘に見えるが聞こえはしない、だがその片手にはビールが握られてい
る。松永家ルールのビールは二本までである。
﹂
?
だ。もう二度と戻らないあの総一郎、だからと言ってそれを口にもしない。
うことではない、彼を苛んできた枷と重石と呪いが彼の素を変えて行ってしまったの
幼少期に見たあの顔はもうどれほど見ていないか。大人になったから見れないとい
一郎だ。何度も見てきた寝顔、だが其度に思っていたことがある。
どで見せるお道化た顔ではない。完全に気を許しているからこそ出せるまさに素の総
わず心が昂っていた。無防備で柔らかい表情、刀を振っている時の凛々しい顔や学校な
燕のお腹にしがみ付いて総一郎は静かな寝息を立てていた。そんな彼の姿に燕は思
﹁⋮⋮﹂
﹁総ちゃん
半身が重いことに気が付いた。
現在十二時、仕事もそろそろにしてパソコンを閉じ、布団でも敷こうかと思ったが左
う。
燕のビシっとした声で一瞬だけ久信も正気に戻る、だが十分もすれば酔いが回るだろ
﹁はい、すいません﹂
﹁オトン気を付けてね﹂
517
どうしたの
﹂
だからこそ、だからこそ今総一郎が燕に見せた表情が嬉しくて嬉しくて││
﹁燕ちゃん
?
﹂
♦ ♦ ♦
右手で彼の髪を撫でる細い指は愛しさと切なさを兼ね備えた慈愛に似ていた。
﹁おやすみ﹂
かった。
嬉しくて││気が付いた、燕もまた変わっていたのだ、心の素を出すことができていな
いつの間にか涙が出ていた。これっぽっちも悲しいことはないというのに、嬉しくて
﹁え、え、いや、なんでもないよオトン﹂
?
﹁カンパーイ
!
河川敷に一閃と風
518
キャップの声が聞こえてきたのはある廃ビルの屋上、わざわざ説明する必要もないが
秘密基地である。
歓迎会の打ち上げでテーブルの上には大量のお菓子とジュースとケーキ、そして何故
﹂
かある寿司。何といっても普段は居ない人物である源さんが居る。それだけでキャッ
ポテチは
プと大和はテンションが高い。
﹁源さんジュースは
?
だがなんだかんだと言っても源さんもまんざらでもない。
て睨みを効かすが大和、京、総一郎の三人はそれでもやめることは無かった。
一部の人間はそのやり取りに対してニヤニヤが止まらない、源さんもそれに気が付い
﹁⋮⋮おう﹂
﹁でも嬉しいわたっちゃんが来てくれて﹂
﹁⋮⋮うるせえ﹂
﹁あれだけ渋ってたのにねー﹂
﹁でもまさか源がくるとはな﹂
そんな三人の関係に京の息も必然的に荒くなっていく。
﹁うるせえ﹂
﹁源さーんこれからもこいよー﹂
?
519
﹁クリス、コーラ飲むか
﹂
一度とり逃してもう一度かけると相手は紋白だった。
真意は読み取れなかった。
心なしかいつもよりも当たりが弱い。何故だろうか
総一郎はその変化に気が付くも
わりたがっているが話が終わると大和はすぐに電話切ってしまう。憤慨する百代だが
姪っ子に微笑えむような総一郎はそのまま大和へ携帯電話を貸す。百代も何故か変
?
﹁おう、モンプチ﹂
﹂
﹃モ、モンプチ⋮⋮まあよい、直江の携帯に繋がらなかったのだがそこにいるか
﹁ああ、変わるか
﹄
一子を撫でつつ百代がつぶやく、その隣では総一郎の携帯電話に着信が入っている。
﹁随分と馴染んでるな⋮⋮﹂
﹁あ、あ、ありがとうございます﹂
﹁ほらよ﹂
﹁HEY,GENBOYオイラにも一杯注いでくれぇ⋮⋮﹂
﹁ああ、ありがとう源殿﹂
?
﹁あ、待て、総一にも礼を言いたい⋮⋮あ、ありがとう﹂
?
﹁⋮⋮ふふ、どういたしまして﹂
河川敷に一閃と風
520
?
彼女以外は。
﹂
?
告知という文言はこの川神では唐突とほぼ同義である。
♦ ♦ ♦
新時代はとっくに幕を切っているというのに。
不吉以外の何物でもないその言葉は言うには遅すぎる言葉だったかもしれない。
﹁波乱⋮⋮か﹂
あたっていた。
いた。それから京の様子がおかしいと総一郎も考えだす、すると彼も一つの答えに行き
京の狼狽は分かりやすい、幸い大和も百代も気が付いていないがモロはすぐに気が付
﹁どうしたの京
﹁なん⋮⋮だと⋮⋮﹂
521
幾度となく語られてきた川神学園の伝説もここに極まりといった所か、これから先川
神の異常性が驚かれることもなくなっていくのではないだろうか、日本最後の童心であ
る心ならばと日本国民は淡い希望に浸るかもしれない。
体育祭を控えつつ、生徒は夏休みを待ち望む。だがそれは試験が刻一刻と迫る危険な
思想でもある。
そんな歓迎会後の土日を挟み終わった月曜日、生徒の表情は期待と不安が入り混じ
る、もしくはそのどちらかで満たされていた││否、満たされてなどいない。
げえいいことだ。だからこそこのままで終わるわけはねえな
商業的にも悪くない、出資者も募れば幾らでも出てくるだろう川神。そんなところに
?
﹁じゃあ俺から言わせてもらうぜ││今の川神は近年まれにみる程活気に溢れてる、す
を不安に思わないのだろう││杞憂である。この世で最もな愚考である。
表される何かを知っている様子だ。だが序列一位として帝がこんな壇上に上がること
ふと大和は英雄の隣に居るあずみを見た。その表情に狼狽はなく、彼女はこれから発
九鬼兄妹はその姿を見るなり声を上げている。
!
﹂
﹂
壇上には鉄心と││帝の姿があった。
﹁父上│
!
父上ではありませんか
﹁ぬおう
!
河川敷に一閃と風
522
目を付けたのが俺なわけ﹂
﹁えらい勿体ぶるのう﹂
﹁こういうのは大切なんだよ││東西交流戦、すげえ疲れたと思うが楽しかっただろ
模擬戦は総大将を六人決め、一チーム百五十人、補欠合わせ二百人で行う団体戦。総
品と武神﹁川神百代﹂への挑戦権が貰える。
タッグマッチ。予選を二人一組で勝ち抜き、決勝トーナメントで優勝した者には豪華賞
若獅子タッグマッチトーナメントは全国の二十五歳以下もしくは学園の生徒による
﹁やっと出番じゃな﹂
る、ルールは鉄心の爺さんからだ﹂
﹁最 後 の 一 つ は ま だ 言 え ね ー け ど 上 の 二 つ は 夏 休 み に 入 っ て か ら や る こ と が 決 ま っ て
???
模擬戦
若獅子タッグマッチトーナメント
それが││﹂
閥、地元有力者や全国から出資を募り、大規模なイベントを開催する。
動画見てたら﹁俺もやりてえ﹂って思わず思っちまった、だから今年は川神院と九鬼財
?
523
河川敷に一閃と風
524
大将が六人なので必然的に六チームができ、総当たり戦により最終的な順位を決める。
これにはしかも特別ルールがある。
戦闘を好まない学生には酷な話かもしれない││と思われがちだが勝てば成績にも
反映する。また強制参加ではなく、辞めることも簡単だ。
そう聞いた主にS組の生徒は安心感に包まれた。ハングリー精神で武闘派の多いこ
の学園でも学問からのアプローチによる優秀なハングリーを持ち合わせた生徒は多い。
学生の本分である半分をしっかりと持っているのだ。
だからこそ、その話を聞いた時、ここに居る全ての武闘派が││震えた。
武者震いもしくは強者の気に当てられ当て返し、そこは気が乱れる世界でも恐ろしい
場所となっていた。だが、鉄心やヒュームにとっては心地よく、ここまで生徒たちが高
揚できると感じられると年長者として嬉しさも増してくる。
そしてその渦中に居たのが何を隠そう││隠せはしない、川神百代である。
精神修行の成果により戦闘衝動は収まりつつあるが、武を極めんとする者にとってこ
こで抑えろというのは余りにも酷であり、ここで抑えられないのならば寧ろそれは問題
である。
そう、問題である。
燕、源氏組、名も知れぬ闘気、直輝や由紀江、一子、マルギッテ、ガクト、しまいに
は自分の力を本当に試すときが来たと感じた大和も拳を胸の前で強く握っている││
だが。
総一郎は全く昂っていなかった。
ここまで昂らないことはない。百代と戦う時や東西交流戦の時も、義経の時も少しは
気分が上がってたはずだ││総一郎は自分でも動揺していた。
ここまでか││と寧ろ下がる一方だった。
その日の総一郎は放課後まで気持ちが落ち込んでいた。
六時限目が終わると帰宅する前に帰宅部の部室へ足を運ぶ、するとそこには大和も宇
佐美もいなかった。
代わりに一人、弁慶が盃を傾けていた。
﹁ぬわあ﹂
﹁ん、どうしたのお兄ちゃん﹂
部室に入り挨拶を済ませると、靴を脱いでスライディングするように畳に寝転んだ。
﹁たこわさ﹂
﹁ちーかま﹂
525
畳に突っ伏したまま総一郎は弁慶に相槌を、そんな彼を邪険にすることもなく彼の傍
﹂
﹂
にただ川神水を注いだ盃を置く。
﹁美味い﹂
﹁どうしたの
﹁弁慶は今日の話しどう思った
﹂
﹁ああ、めんどくさいなって﹂
﹁武術家としては
?
には足りない。
変わったのは確かだ││だが変化に何もかもが追い付いていない││いや、何かが彼
間違いなく使えない。それどころではない、この状態が続けばその間彼は弱体化する。
門前払い。総一郎は精神的にかなり手詰まりだった、今の状態であれば精神の宮殿は
帰れ馬鹿者││
ている。
現実へ引き戻された。驚いて起き上り弁慶を見ると彼女も総一郎の奇行に目を見開い
茶室独特の天井と鼻に優しい匂いが総一郎を彼を心の奥底に誘う││が彼はすぐに
総一郎は仰向けで天井を見上げた。
?
?
﹁⋮⋮そりゃ少しは﹂
河川敷に一閃と風
526
それに彼は気が付かない、だからこそ不安なのだ。
﹂
総一郎は知らぬ知らぬうちに一筋の涙を流していた、弁慶がそこにいること失念し
て。
﹁総一
精神は澱んでいる、手練れに襲われれば今どうなるだろうか。
と歩いていた。
らよりも近くで見た方が綺麗、この町は道が暗い。そして彼は暗く、未知の領域を混沌
夕暮れを過ぎるその時間がこの町で最も美しい時間だ。工場地帯の明かりは遠くか
♦ ♦ ♦
その姿に右手が伸びていた。
その後、彼は何も言わず千鳥足で茶室を後にする。その後をただ眺める弁慶は思わず
彼女も思わず名前を呼んでしまっていた。
?
527
答えは今まさに彼にあった。
その唐突はこの道が暗く視覚に頼らず歩いて来たこと、何よりも彼に染みついた十七
年間、そして何日も卜伝と戦った経験がそれを││間一髪、倒れ込むように総一郎はそ
の一閃を避けた。後ろ髪は空に舞う。
﹁避けたのね、当たると思った﹂
﹁⋮⋮﹂
二閃目はない、試したかのように閃の持ち主は次を打ってはこない。どうしてだろう
私の正体がわかるの
﹂
かと考える前に総一郎はその正体に心当たりを見つけていた。
﹁あら
?
﹁まてよ﹂
﹁そう、でももう少し秘密にしておいてね﹂
﹁ま、刀を使う奴を見分けられなかったら話にならないからね﹂
?
﹁まだまだ増える、ならば││﹂
七まで数えて総一郎の指は止まった││そして風が吹いた。
﹁⋮⋮一人、二人、三人、四人、五人、六人、七人﹂
謎の剣士、彼女は暗闇に溶けて消えて行った。
﹁いやよ﹂
河川敷に一閃と風
528
529
戦えるだけ戦うか
決意は手練れによって満たされた。
新章・塚原十二番篇
塚原拾弐番篇
初戦││努力対未熟││
総一郎は自身の精神状態を危うんでいた。
躁と鬱が入り乱れ、このままでは剣士として全てを失ってしまう。
そこで彼はあるヒントからその答えを導きだした。
塚原拾弐番││
る。
百代の口が曲がっているのは今の話のせい、そしてこの話を二人にする為ここ来てい
た。今は百代の部屋で寛いでいるが彼は鉄心とルーの帰宅を待っていた。
今年の体育祭が水上体育祭になったと発表された日、総一郎は川神院へお邪魔してい
﹁モモちゃんは無しで﹂
﹁お、じゃあ私から﹂
﹁ま、つまり手練れ十二人と勝負して倒す、負けてもいいけど﹂
初戦──努力対未熟──
530
だが急な話だ││百代はよくよく考えてその思考に至った。夏からはたくさんのイ
ベントがある、それに関係してるのかとも考えたが彼女は心の中で首を振った。彼に
限ってそれはないだろう。
﹂
その思考は正しい││ではなんだろうか、百代は問いただすことに決めた。
﹁急にどうしてだ
?
﹁爺かぁ⋮⋮というか私がやりたい奴らと大体一緒だな﹂
﹂
﹁モモちゃんは壁越えなら誰でもいいでしょ。他に戦えそうな人いない
﹁うーん⋮⋮ヒュームさんは
﹁もうやった﹂
?
﹂
﹁まあそれは置いておけ。あと弁慶と揚羽さん由紀江ちゃんと後は⋮⋮鉄っさん﹂
﹁まてまて、お前釈迦堂さんと知り合い⋮⋮辰子ってだれだ﹂
﹁今の所戦ってみたいのはルー先生と釈迦堂さんと辰子さん││﹂
だった。
たのかもしれない。燕と比べ過ごした時間は少ないが交わした意志の質は相当なもの
彼女にしては早い理解││いや、だからこそか、彼女だからこそ総一郎の事を理解し
﹁⋮⋮なるほど﹂
﹁このままじゃ俺は武士として全てを失うかもしれない、だから戦うんだ﹂
?
531
﹁なんだと
﹂
ど、橘さんなら⋮⋮でも今は四天王の称号を剥奪されてどこに居るか分かんないけど﹂
﹁乙 女 さ ん は も う 現 役 を 退 い て る か ら 揚 羽 さ ん と 違 っ て 戦 っ て く れ る か 分 か ら な い け
﹁橘天衣さんと鉄乙女さんか⋮⋮﹂
戦ったことがないが一人はかつて武道四天王だった者。
そんな彼を他所に百代は改めて思い当たる人物を思い浮かべた。すると二人、一人は
て視点が定まらないなか、更に痛みが総一郎へ追い打ちをかけていた。
と、呟く。そうすると最悪の形で手が離されて床に頭が打ちつけられた。クラクラし
﹁うげえ、やめてー﹂
わーわー百代が叫ぶのに比例して彼の脳みそもぐわんぐわん混ざられていく。
失言に気が付いたのは胸倉を百代に掴まれてからだった。
!?
る様だった。
総一郎はすぐに玄関へ向かう。心の奥底にある焦りからその足取りは殆ど走ってい
二人の気配が川神院へ入ってきた。
総一郎が頭の中にメモをして頷いているといつの間にか六時、一子の元気な声と共に
知ってるだろう﹂
﹁なるほど⋮⋮じゃあ鉄さんに当たってみる。橘さんはヒュームさん辺りに聞けば何か
初戦──努力対未熟──
532
﹁おや、総一郎﹂
一度も傷を負うこと無く死ぬ間際、小刀で指を切ったあと直ぐに天に召したなんて逸
刀傷はほぼなく、鏃が殆どだった。
塚原卜伝は一度も負けなかったという。決闘、戦、全て合わせ傷を負ったのは六つ度、
♦ ♦ ♦
唐突、そして切実さ、そんな姿の総一郎を一子と百代は複雑な表情で見ていた。
く下げていた。
﹁お願いします﹂と小さく呟く彼はそれ以外の方法を知らない、そんな様にただ頭を深
﹁ルー先生、鉄っさん、俺と本気で勝負して下さい﹂
かける寸前で停止した。遅れて百代もやってきた。
一子も総一郎の元に寄っていくが、すぐに彼の様子がおかしいことに気が付き、話し
﹁来ていたのかイ﹂
533
話を持つ者もいたが、その二人が出会うことはなかった。
塚原卜伝が臨終を迎えたのは当時ではあり得ないほど高齢の八十二歳、しかも死ぬま
で現役。十七歳の時、清水寺で相手を斬り殺すとその後二百十二人もの相手を葬ってき
た。そんな卜伝は慎重な人間でもあり、血気盛んな若者との戦いは頭を使い避けること
もあった。
塚原卜伝も一度も傷を負うことはなかった本多忠勝も結局は一度も負けなかった。
それがかっての百代であり、今の総一郎だ。
だが。
百代はそれを楽しんだ上で自分を倒せるような者を望み、中々それに出会えなかった
が総一郎と出会い彼女は変化した。
総一郎はそれに何一つ感じず、自分を倒す者を望むこともしなかった。そして彼は変
化したが意識と心が連動せず、精神的に壊れかかってしまった。
自我を手に入れたかと、心を強くしたかと思った矢先、彼の精神を襲ったのは拭いき
れない過去、息の詰まる重圧││塚原の呪いは最後の最後まで彼を苦しめた。
しかも皮肉なことにそれを語らずに感じ、黙って了承できるのは武を極めた者のみで
あった。
﹁では明日来なさい﹂
初戦──努力対未熟──
534
門の前で総一郎はそう言われると黙って頭を下げた。
その足で彼は帰宅する前に大急ぎである場所へ向かった、考えてみれば会うのは何時
﹂
振りだろうか。殺風景な工場地帯、東西交流戦とは違って碌な明かりもない、まだ七時
半過ぎだというのに窓から洩れる光すらない。
だからこそ総一郎はすぐにその家を見つけることが出来た。
呼び鈴を鳴らす││出ない││呼び鈴を連打した。
何時だと││あれ、総一じゃねえか久しぶりだな
!
釈迦堂さん仕事してんの
しかも梅屋
﹂
!
ることになった。
﹁ええ
!
﹁ああ、それは││﹂
﹁そういえばなんで来たんだ
﹂
おたまを片手に納得する彼の表情は冴えない。
﹁⋮⋮ああ、なるほどね﹂
﹁マジだぜ。ちょっと前に金髪の爺が来て師匠はなんかぶっとばされちまったんだ﹂
!
だが生憎二人とも留守であった為、取りあえず天にせがまれたので総一郎は晩飯を作
郎は半年ぶり位にこの板垣家へ││基、釈迦堂と辰子へ挑戦状を叩きつけに来ていた。
赤毛のツインテール、前に会った時とちっとも変わらない彼女の名前は板垣天。総一
﹁うるせぇぇぇ
!
535
?
初戦──努力対未熟──
536
と、卓袱台の所にいる天の方へ振り返る、そうするとタイミング良く板垣家の玄関に
四人の姿。もっといえば彼が来た目的の二人が鼻をスンスンと鳴らし、甘い醤油の香り
を放つ金目の煮付けに視線を向けると必然的に二人と総一郎は目があってしまう。
近寄って抱き付く辰子とは裏腹に、釈迦堂は総一郎の意図を汲み取り、ただ獰猛な笑
みそしてただ歓喜を噛みしめるかのように中指を鳴らした。
初戦││ルー・イー
弐戦││板垣辰子
参戦││武蔵坊弁慶
肆戦││黛由紀江
伍戦││釈迦堂刑部
陸戦││九鬼揚羽
漆戦││未定
捌戦││未定
玖戦││未定
拾戦││橘天衣︵仮︶
拾壱戦││謎の変態女X
終戦││川神鉄心
その日の夜から朝にかけてまで総一郎は一切睡眠をとることが出来なかった。興奮
││戦闘意欲││どれでもない、まだ遠足前の方がワクワクしていた。
体が温まらない、布団をどんなに羽織ってもこの梅雨時期に体の冷えが治まらない。
恐怖か、殺し合いの恐怖が彼を襲っているのだろうか。
風呂に入ることも忘れ、食を拒み、彼特有の癖っ毛は弁慶が顔を顰める程酷い者で
あった。
だがそれでも彼に声を掛ける者は一人もおらず、彼もこの日は全く何にも手が付かな
かったのでそれはありがたかった。彼を陰から見ていた百代が計らったようだが、彼が
それに今気が付くわけもない。
だが、そんな彼の事を気にも留めず、進んで声を掛けようともしない者が居た。百代
から全員が不自然に思っているだろう。
まった。怒りは覚えない、彼女だからこそ思うこと、知っていることがあるはずだ。
納豆の唄を口ずさみ納豆を練り売り歩いている燕を見て、思わず百代は声をかけてし
﹁燕﹂
537
﹁ん
どうしたのモモちゃん﹂
﹂
﹁あ、いや⋮⋮総一郎の事はいいのか
何が
に聞かせた、心の中で。
﹂
目に止まれば必ず見た。みすぼらしい彼の姿、それに嫌悪することもなくただ思いを彼
燕が彼になんとも思っていないわけがないのだ。今日一日中、彼女は彼を探しながら
﹁知ってるから﹂
燕はすぐそこの廊下、一瞬だけ通った総一郎に視線を合わせた。
少し語気が強くなったかもしれない。百代はそんな思いを抱きながら名前を呼ぶが、
﹁燕││﹂
としても彼の状態から何か感じ取るのは容易なはずだ。
知らないのか││という思考は直ぐに消えた。塚原拾弐番の話を聞いていなかった
﹁え
?
?
?
?
燕はいつもの意地悪い笑みを溢した。
﹁うん。恐怖で寝て無かったら学校何て来てないよ。きっとあれだね││﹂
﹁それが最悪じゃないのか﹂
いんでしょ、あと夜朝の髪の手入れをしてない﹂
﹁最悪はもう総ちゃんには無い。多分寝てないのと風呂に入ってないのとご飯食べて無
初戦──努力対未熟──
538
﹁楽しみで仕方ないんだよん♪﹂
総一郎は生まれてこの方、遠足にいい思い出などないのだから。
♦ ♦ ♦
時は戦国也││ルーと総一郎の決闘を見届けに来た大和はそんな思いを抱く。
遡ること一時間前。放課後に呼び出された大和、モロ、京、ガクトは目的地の川神院
へ来ていた。
だが門前にて早々、ガクトの表情を曇りだし、震えていた。モロも少し小刻みに揺れ
ている。
中には恐らく臨戦態勢の総一郎がいる。ずぶの素人ながら気に晒されてきた彼にす
﹁とんでもない気、総一郎だね﹂
﹁⋮⋮なんかすごいな﹂
539
初戦──努力対未熟──
540
ればまだまだ大丈夫であるが、右足が早くも引いている。どさくさで腕を絡め、胸を押
し付けてきた京に縋るしかない。
そんな大和はふと気が付く。この中に居る筈の百代の気が感じられない。すごい勢
いで京を抱きしめ︵抱き付いている︶彼女の胸を触っていることに気が付いていない大
和は恐らく彼女の悶絶具合も知らないだろう。それぐらい百代の気が感じられないの
は奇妙だ。いくら成長したとは言え百代が││一切││気を発しないのはおかしい。
その答えも武道場に着くとはっきりした。
ルーと鉄心、総一郎と百代。それぞれが右端左端に別れ、当事者ではない二人はセコ
ンドを兼ねているようだ。
ルーの状態は非常に穏やか、だが鋭くその表情に笑みは一切ない。鉄心がセコンドで
あるがそれは殆ど形式上の問題だろう、ルーはベテランの武闘家、総一郎がどこまで力
を出せるか分からないがただで勝つことも負けることもしない。教え子の為、ルーは本
気を出すつもりだ。
そして反対側の総一郎と百代。百代は大人しく、総一郎も大人しい││と勘違いはす
ぐに正される。総一郎の気は凄まじいほどに獰猛であった、いつもの彼ではない。
百代はそれを刺激せず、いつもの彼に戻す努力をしていた。その為、彼女は気に呼応
せず笑みを浮かべながら総一郎をリラックスさせていた。
﹁姉さん⋮⋮﹂
﹂
!
これは決闘だ。
﹁始め
四人は心構えが足りなかったと気が付いた。
命傷でも止めぬ﹂
どちらか一方が倒れるか降参するまで続ける、良いかくれぐれも忘れるでないぞ││致
﹁結界は既に張っておる、気にせず戦うといい。両者ともできる限りの力を出すように。
少し遠巻き、大和一行も観戦体勢に入った。
それを察した鉄心も次第にルーから離れていった。
した。そして百代が頷くと彼から離れていく。
少しずつ収まっていく獰猛な気、それに入れ替わる形で緩く鋭い静の気が彼を纏い出
ていた。
遠くで見ている四人は百代と総一郎が深呼吸をして気が落ち着いていくところを見
﹁すごい成長具合﹂
541
総一郎は難なく精神の宮殿を発動していた。ここまで昂った闘気、百代にも宥められ
て体調万全だった。これならば負けることもない、ルー程度ならば本来は負ける筈もな
い。
だが、そう上手くいかないのが決闘である。十分に理解している総一郎は││いや、
経験則だ。だからこそルーが今の自分よりも強いと認識した上で対峙した。まだまだ
伸びる実力、糧としながら迎撃を決める。
ルーは川神院の人間であるから当然であるが川神流を使えるわけだが、彼ほどになれ
ば自己流もあるし母国の物である中国拳法もお茶の子さいさいである。
流れるような、そして日本ではあまりない動きの中国拳法。静の極みである精神の宮
殿に引けを取らず彼は果敢に攻めてきた。真剣を使う総一郎も出してくる突きに合わ
せようとするが研磨と洗練された読みが彼の読みに被さってくる。
かないヨ
︶
︵凄まじいネ
!
こうも容易く捌かれるとは⋮⋮でも何も教えられずに終わるわけにはい
︵技量⋮⋮見てきた武術家の違いか︶
初戦──努力対未熟──
542
!
流れが変わったことに総一郎は気が付いた。一挙一動見逃さない、防戦になる故の弱
みであるが極めれば弱みなど無くなっていく。
感覚が危機を察知した││突き出された両拳から気を変化させた炎が殆ど零距離で
彼を襲う。知らない技ではない、勿論総一郎も対処する。少し袖が焦げたがそれだけ、
すぐさま反撃││右手の痺れがそれを遮った。反撃が遅れたということは追撃がある、
総一郎は竜巻に飲まれた。
﹂
手ではない。殆どの戦いで傷つかない総一郎にあろうこともかなりの傷をつけている。
待ちの総一郎が攻勢に出た││だからといって一気に優勢を勝ち取れるほど甘い相
徐々に間合いを詰めていた。
ルーもすぐに次なる一撃、光線を目から放つもそれはいとも容易く避けられ総一郎は
火傷を負ったボロボロの総一郎が姿を現す。見た目とは裏腹に体はピンピンしている。
すると竜巻を唐竹割にされた様に裂け、そこからは煤だらけで切り傷と少しばかりの
ように燃え上がった。合わせ技ともなれば中にいる総一郎は堪らない。
値を与えるかのように先程と同じように炎を放つ、それが竜巻にはいるとまるで業火の
い。大和の心配を掻き消すかのようにルーは更なる追撃を止めはしない、竜巻に付加価
大和は叫んだ。これでやられるような男でないと知っているが叫ばずには居られな
﹁総一
!
543
︵よく分かった、俺は弱い。少なくとも開祖爺さんと戦った時の実力は出せない、俺は弱
くなった。感謝するぜモモちゃん︶
ルーとの決闘前、最後に掛けられた言葉が脳裏に焼き付いている。
﹁強いお前と戦いたい、交流戦のお前は今のお前よりは魅力的だったぞ﹂
あろうことか、総一郎はルーの間合いに入った時点で息を吐いた。筋肉の緊張をこの
ような場所で抜く馬鹿がどこに居るというのか。
﹁それとな、多分お前は呪われてるぞ﹂
罠でも何でもない、これは好機でしかない。ルーは全身全霊を以て総一郎へ攻撃を仕
掛けた。終わらせるつもり、息の続く限りの近接戦を仕掛けた。
年甲斐もなく高揚して自身の実力以上を総一郎にぶつけていた。
どこからともなく聞こえてくるその声、音はないというのに誰からの声かはすぐに分
││頑張れ││
考、知っている癖にと自分に悪態吐くとその道を駆けあがっていた││
王座の後ろに階段が見える、前には無かったはずだ。どうしてだろうか││そんな思
に意識を投じた。
右手に持つ其我一振が地面に着くと総一郎は刹那にも満たないその時間││無││
﹁お前はなあ、戦う相手の潜在能力引き出すんだ。多分手強いぞ﹂
初戦──努力対未熟──
544
かる。
だからわざわざ答えることもなく、ただ右手に力を入れた。
﹂
あとでキスでもしてやろうと思いながら││
♦ ♦ ♦
﹁ありがとうございました
﹂
!
笑顔が眩しく、二人を照らす夕日がちんけに映える。
ルーと握手を交わす、総一郎もルーも傷だらけだ。だが双方とも年齢の垣根を超えた
﹁うん、頑張りなさイ﹂
﹁喜んで。正直まだまだ心のシコリはありますけど夏までにはスッキリさせてみます﹂
﹁そうかイ、私も精進してまたいつか戦いたイ
﹁はい、戦いの﹁た﹂の字を教えてもらいました。これからも精進します﹂
!
!
にも教えられたならすごく良かったヨ
﹂
﹁うん、私も久々に本気をだせたヨ 負けたのは悔しいけどまた得る物があっタ、総一郎
!
545
決闘の行方は総一郎の勝利で幕を閉じた。
最後の近接戦、互いに技の変容と数で凌ぎを削り、その時間は大凡三十分にもなって
いた。一番激しく長い打ち合い。最後は総一郎の柄頭がルーの胸部分にある正中を捉
えルーが膝を着いた。
どちらとも息を上げて肩が上下して﹁参りましタ﹂とルーが降参した。
激しい戦いを賛辞するように大和達は思わず拍手をしていた。あまり褒められた行
﹂
﹂
為ではないが、腰を床に下ろした総一郎は笑っていた。
﹁いやあ凄かったな
﹁来れなかったキャップは怒りそうだよね
一方総一郎は大和と京に肩を貸してもらい。
河川敷を歩いている。モロは帰る家が違うのに何故か島津寮へ歩いている。
疲労感に襲われる総一郎を他所にガクトとモロは少年心をくすぐられて興奮気味で
!
!
次は辰子、ルーとはタイプの違う相手、夕陽を見ていたら何故かクシャミがでた。
結局は邪険にされているがその顔は限りなく満足した顔だ。
﹁うるさい﹂
﹁うるさいよ﹂
﹁あーつーかーれーたー﹂
初戦──努力対未熟──
546
そんな日の川神院、武道場は門下生によって修繕されていくが被害がすごいので明日
へ持ち越しとなった。
だが、そんな日の夜。川神院のある他の武道場ではブンブンと空気を斬る音が何時間
﹂
﹂
も鳴りやまなかった。
﹁│││││││め
﹁││││じゃあだめ
!
には居られなかった。
!
のものでしかなかった。
どんなに声を張っているように見えても彼女の声は夜の静けさにかき消されるほど
﹁│││││これじゃあだめ
﹂
月夜に照らされ、汗が滴る、床は汗で滑って仕方ないがそれでも彼女は薙刀を振らず
!
547
時が経つに連れ総一郎は一つの不安を覚えた。夜の決闘には慣れている││思い出
無いとは言い辛いというのにあと五分もすれば誤魔化すことは難しくなる。
この後に辰子と戦うことになるならば間違いなく日が落ちた後、今ですら日が落ちて
釈迦堂もいないのでこの場で時間を潰すしかなかった。
が来るわけがないという結論に至った。大きく肩を窄め息を吐くが、今日に限って天も
い。記憶をたどり彼女の職種を思い出してみるが、思い出したところでこの時間に亜巳
辰子戦の立ち合いには亜巳が来ると聞いている総一郎だが、そもそも亜巳すらもこな
彼是二時間、総一郎は日が傾き終わるそこに立ち尽くしていた。
ばれた総一郎であったが、一向に辰子は現れなかった。
で恐らくは修行場なのだろう、辰子と戦うためにルー戦の次の日にわざわざここまで呼
ここは工業地帯付近にある木に囲まれた謎の草原地帯。釈迦堂の家の近くにあるの
良いのは山位である。
きい
京都ではここまでの原っぱはあまり見かけなかった。川はあっても多馬川の方が大
弐戦││原石対金属││
弐戦──原石対金属──
548
したくはあまりない││が、問題は自分ではなく辰子の方である。対戦相手に辰子を指
名した総一郎がそう思うのは少しおかしいが、実際辰子の実力を彼は測り損ねていた。
途轍もない原石、動の気を持つ者としては世界でも類を見ない程強大である││と、考
えてはいるものの、一体どこまでの実力があるのか、どれほどのもの隠しているのか、完
全に感じることは彼でも難しかった。総一郎は百代でもキツイと踏んでいる。
つまり総一郎はこの夜の中、しかも大して明かりもないこの原っぱで辰子はどこまで
戦えるのかそれが心配であった。
梅屋のバイトから帰宅中の釈迦堂は何故か親不孝通りをフラフラ歩く青い髪の辰子
﹁あれ、辰子お前⋮⋮今日総一郎と決闘じゃなかったっけ﹂
とばったり出会った。釈迦堂としては間違いなく﹁何故こんなところに居る﹂という表
﹂
情であるが、辰子の方はまるで意味を理解していない。眠そうに首を傾げている。
﹁警備のバイトだったんだ∼﹂
じゃあ急いで戻らなきゃね﹂
﹁いや、亜巳が立会人でお前が俺の前に戦うっての今日じゃなかったか
﹁あれ、そうだっけ
﹁亜巳はどうした﹂
?
?
549
﹁仕事だよ
﹂
者、亜巳に特殊能力でもあるのか、それとも律儀な人間なのかもしれない。
を抱く。釈迦堂では駄目だったのだろうか、寧ろ立会人としては最高の部類に入る実力
夕飯の理由以外にも立会人の亜巳が帰っていないことがあったが、総一郎微かな疑問
辰子の手料理だというのでご馳走になったが気が付けば十時を過ぎていた有様だ。
呆気にとられながらも総一郎は長時間待たされたせいで腹が減っていた。
あった。釈迦堂家が全員帰って来たのはいいがなし崩しに夕飯の状態へ移行していく、
総一郎が漸く愛刀に手を駆け始めたのは更に数時間、深夜に掛かる十一時のことで
♦ ♦ ♦
情するのだった。
約束の時間が四時過ぎ、今は八時。四時間ほどが経過している、釈迦堂は総一郎に同
?
﹁まあお前の方が間違いなく強いが││万が一おちるなよ﹂
﹁なんすか﹂
﹁総一﹂
弐戦──原石対金属──
550
釈迦堂は総一郎が愛刀に手を掛けたその時に不吉なことを囁いてきた。師匠なりの
揺さぶりだろうか、それとも総一郎の見立て通り内なるものがあるのだろうか。
眠そうに立っている彼女とそれを注意している亜巳。
﹂
間違いなく総一郎は幾つかの要因のせいで気が緩んでいた。
﹁じゃ、始めるよ﹂
﹁辰姉まけんなよ﹂
﹁辰姉、総一郎何てぶっ殺してやれ
﹁う∼ん∼﹂
﹂
!
﹁本気出していいよ、辰﹂
入っていない不自然な状態に気が付かなかったのだ。
気が緩んでいた。穏やかな時間を短い間に過ごし過ぎた為、辰子が未だ戦闘状態に
それが悪手であったことは明白だ。
の本性を暴きだそうとしたのか。
と、亜巳が声を掛けると総一郎は飛び出した。小手調べの為か、得体の知れない辰子
﹁はじめ
をすって筋肉を強張めた、愛刀である雨無雷音に気を込めた。
やれやれ、総一郎は純粋な天の様子を見て一瞬体の力を抜いたが、いつも通り軽く息
!
551
弐戦──原石対金属──
552
プツン││幻聴か、それとも実際に聞こえたのか。ダムが決壊したように溢れ出る気
を、自分の間合いで感じた総一郎は戦慄するほかなかった。自分の間合い、そして相手
の手が届く範囲、陣地の奥深く迄入り込んでいた彼は物理と気のカウンターを顔面に甘
んじて受けてしまった。
幸い宮殿は発動している、威力は三割減で抑えられたが如何せんクリーンヒット。辰
子と距離が空いてから分かること、気の総量は異常であるが実力で言えば壁越え初期程
度、ヨシツグより上に間違いはないが、総一郎が苦戦する相手ではない。しかも相性も
良い。
それでも顔面への攻撃を許したのは気の緩みにほかならず、今思えば遅刻や団欒など
は意図していないとしても塚原卜伝が取るような心理戦に他ならない。
直撃の代償は総一郎の戦力四割減、脳震盪により精神の宮殿を使えるほど集中力を高
め、精神を安定させるには三十分は必要であった。
百代の瞬間回復や頑丈な体を持つ者、動の気を暴走させるような辰子であればあの一
撃でここまで苦労することもないが、壁越えの者であっても防御力に自信がない者もい
る。ボクシングで言えば一発TKO、柔道で言えば一本勝ちの様な一撃が辰子の放った
一撃と同等だと考えてもおかしくはない。
多少揺れた視界、今はもう治まってきているが、総一郎は初心の初心、明鏡止水と無
我の境地に己の剣技を落とし込むことに決めた。
いつまでも両者の距離が縮まらないことがある筈もなく、まず初めに辰子が動き出し
た。総一郎は勿論それに準ずるが如く対応する、後の先を一度は極めた彼ならば今それ
を鋭く研げば最も後の後に近い者にもできる筈。
しかし辰子は後ろに歩き始めた、その先には沢山の木が生えている。
離れれば木が飛び道具になり、近づけば斬馬刀の五倍のような近接武器が襲い掛かる。
い破壊力を持つ武器。避け、避けきれなければ斬る、だが無尽蔵に木はある。辰子から
上が経った時だった。大振りでしかないが一撃喰らえば顔面とは比べものにもならな
そう無駄な思考に耽りかけていたのは辰子が全く別人の形相をこちらに向け、五分以
︵二年後は軽く壁越え上位だな︶ 辰子は生えている気を二本引き抜いて総一郎の方へ振り返る。
にか倒した。
げてきたのだ。焦ってその時は自分の刀を落としたがこちらも死ぬ気はないのでどう
持つ男。刀が折れたと思ったらその男は後ろに走り、自分の二倍はある石をこちらに投
まで殺してきた剣客のなかに居た、死に物狂いで気にかかってくる辰子と似た動の気を
額から右の眼がしらの横を通って汗が垂れた。分かりやすい動の気、思い出すのは今
︵⋮⋮分かりやすい動を持つ者だな︶
553
ルーは違い近接戦、しかも技の数で対応する勝負ではないと総一郎も勿論理解してい
た。ならば一閃で決める、それしかないのは明白であるが、殺さぬ限り辰子は止まらな
い。川神院や釈迦堂ならいざ知れず、辰子に死を覚悟させるのは無理だ、しかもこの現
状がなにであれ格が下であるのは事実であり、そんな相手を殺して倒すなど意味は全く
ない。この戦いは総一郎に纏わりつく呪い滓を取り除くのが目的だ。
︵⋮⋮あれか︶
思い出した││それと同時に彼は構えた。切っ先に左指を添え、刀は出来るだけ後ろ
に引く。牙突の形である。
だが、このまま放てば辰子は死ぬ、これは心臓を貫く必殺である。
そうだ、狙いは別の場所でありただ近づく為の移動でしかない。獰猛な攻撃をかいか
ぐり、辰子のこめかみ横を狙わなければならない。十分引きつけ出来うる限り集中力を
﹂
高める。普段はこれほど簡単なことはないが、気を緩めれば視界がブレるこんな状況で
は至難の業である。
!
︵そこだ︶
いるのだ。
辰子の咆哮が総一郎の感覚を研ぎ澄ませる、今まさに大木が彼に襲い掛かろうとして
﹁ゔわわあわああああ
弐戦──原石対金属──
554
屈伸も見えずホバー移動したような残像が残った。
﹂
ただ一つだけ確かに見えたのは右肩が前に出る動作だけはどんな人間にも見えただ
ろう。
﹁辰姉
雲林院流脱剣術﹁大太刀代わり﹂
辰子の腕は刀を手放した総一郎の両手に掴まれていた。
直ぐに分かった。
何故自分が馬鹿にされたのか、何故この間合いで自分よりも余裕な調で呟いたのか。
総一郎は辰子に聞こえるぐらいの声で呟いた。
﹁ばーか﹂
が一般人から見れば豪速で掴みかかっているようにしか見えない。
らぬ。辰子は好機とかではなくただそこに敵がいたので手を伸ばした。言い方は緩い
だがそれがどうしたのか。辰子の素手が届く間合い、突き刺した刀は一度引かねばな
こめかみを掠っていた。
真横から見れば総一郎の刀が辰子の頭を貫いているようにも見える、だが刀は見事に
である。
天が叫んだ、つまり総一郎を視認できた証拠であり、辰子に危険が迫ったことの表れ
!
555
つまり背負い投げである。相手の腕を取り、大太刀を振るうが如く投げる。
辰子は地面に叩きつけられると次の行動を封印されるように息が出来なくなってい
た。総一郎の右足が自分の首を圧迫していたのだ。
﹁近接の練度ではつーちゃんに劣るんだけどね﹂
辰子は落ちる寸前に暴走状態が解け、そのまま眠りについていった。
♦ ♦ ♦
ふうに思いながらもそこまでの悔しさはない。だが、今までにはない高揚感が芽生えだ
布団の中に入ると先程の出来事が鮮明に過った。拙い戦いをしたものだ││そんな
幸い誰も起きては居らず、シャワーだけ浴び、忍び足で部屋に戻った。
時である。
脳震盪の後遺症はなく、ただクラクラする頭を抱えながら島津寮に着く、既に深夜二
釈迦堂の見送りで総一郎は帰路に就いた。
﹁はっ、楽しみにしてるぜ﹂
弐戦──原石対金属──
556
していることにも気が付く。
ルーと辰子、まだ二人しか戦っていないが、努力家のテクニックと天才の粗削りなパ
ワーという正反対の猛者を経験した。一戦目は己と相手に実力差がありつつも苦戦し、
二戦目は実力差故の慢心に苦戦した。
百代から言われた通り﹁相手の実力を限界以上に引き出す体質﹂というものが働いて
いることも彼はこの二戦で実感している。そして自分の弱体化、肉体的なものではな
く、あの河川敷で本気を出した時の気持ちや、卜伝と戦った時に沸き上がった生存本能
というものがまるでなく。更には単純な高揚感というものが無い為、それ自体が己の実
力を押しとどめている。
だが間違いない。
罪悪感に駆られながら多馬大橋近くの河川敷へ急ぎ向かった。
傍らこれ以上延期もできない、この後の対戦相手もいるので、ファミリーに﹁ごめん﹂と
の相手である弁慶へ延期の申し入れをする。金曜集会には出れなくなるが、頼んでいる
辰子戦から二日後の金曜日。脳震盪の後では流石に体調が優れない総一郎は三戦目
水上体育祭が迫りつつあるそんな水曜日の夜の事であった。
﹁⋮⋮楽しかった﹂
557
この時にファミリーから声援を貰ったのはすごくうれしかったらしい。
目的地に着くと弁慶は勿論のこと、義経と与一、そしてチラホラと九鬼従者部隊が野
次馬が集まらないように周りを囲んでいた。
﹂
すると総一郎の進行方向に二人のメイドが待っていた。
﹁ロックンロール
﹁どうも﹂
﹂
っ て こ と を 伝 え る た め に 待 た さ れ て ん だ よ、
﹁この周りは九鬼の従者部隊が百人態勢で囲んでいます﹂
とも武装しているが敵意が無いのでそういうつもりではないようだ。
偶然そこに居た、というよりも恐らく二人は総一郎の為にそこに居たのだろう。二人
﹁あ、ステイシーさんと李さん﹂
!
﹁だ か ら 気 兼 ね な く や っ て い い ん だ ぜ
ファック
!
!
弁慶と義経は総一郎に気が付くとすぐに声を掛けようとする。だが流石は武士娘、与
その視線の先にはセコンドに二人を付けている弁慶であった。
るがその時既に総一郎は臨戦態勢であった。
そう微笑んで降りていくと後ろから﹁ロック⋮⋮﹂
﹁シュウマイ⋮⋮﹂と小声が聞こえ
﹁ああ、なるほど。じゃあ後でハンバーガーとシュウマイ奢りますよ﹂
弐戦──原石対金属──
558
一も合わせ直ぐ臨戦態勢をとり、弁慶以外の二人は橋の上まで移動する。
二戦を経た総一郎を見た義経、彼女は直近で彼を最も知る存在であろう。
にはやるさ、私なりにね⋮⋮
︶
︵だらけ部にあるまじき真剣な眼差し⋮⋮ま、それが総一の良いとこか。頼まれたから
錫杖をブンっと一振りしてから弁慶は握り直した。
締めないと瞬殺されるね︶
︵あーこれは主に聞いていた総一じゃないね。というか印象違いすぎ、これは気を引き
そして当人もそれを理解していた。
だがそれはあくまでも前の総一郎である。
の重みが違う弁慶であれば数発当てることも可能だ。義経はそう考えていた。
の人間、しかも見てくれはパワー主体でありそれを生かすための二つである。一撃一撃
ニックが主体の義経とは違い弁慶はパワーとテクニック、スピードを兼ね備えた中衛型
弁慶への助言、果たして正しかったのだろうか。総一郎の癖や慢心、スピードとテク
与一の言葉はまだまだ続いていたが義経は違う視点で総一郎を凝視していた。
の業火││いや、もっと強大な、まるで超新星のようだ﹂
﹁ああ、纏ってるオーラが違う。前はもっと禍々しく霞んで見えていたが⋮⋮今は地獄
﹁あれが塚原君⋮⋮前とは全く違う﹂
559
!
弐戦──原石対金属──
560
どこから聞こえたわけでもない開始の合図は二人のぶつかり合いによって始まった
参戦││金剛対総閃││
この日の総一郎は違った。慢心はせず初めから精神の宮殿を発動。防御に重きを置
いた初心に帰るような戦法をとる。
弁慶がその一見華奢に見える腕から途轍もないパワーを出すこと、そしてそれを助長
するテクニックとスピードがあることを理解していた。そして彼女が義経よりも下で
あることを理解してもいる。
そんな相手に対して今出来る最大限の初動で迎え撃った。
︶
!
川神に錫杖のチャランチャランという音、刀と交わる金属音が複雑に広がる。
如く瞬間的な力が働いている。
流れるような錫杖、その一撃には濁流などという小さなものではなく、ダムの決壊の
︵主の言っていた癖、それにいければ⋮⋮
休めようとは思わない、今のうちに情報を読み取ろうとしていた。
その慎重さに呼応するかの如く弁慶の攻めも怒涛とはいかなかった。それでも手を
︵うわあ。通らないね、実力差が聞いていたよりも開いてる︶
︵重い⋮⋮衝撃がこっちにだけくるようにしてるのか︶
561
参戦──金剛対総閃──
562
その時に弁慶が仕掛けた。
防に重きを置いている総一郎、そこに緩急の付かない、しかし外見の変わらない一撃
が、義経が弱点とするそこへ放たれた。錫杖の丸い先穂が殆ど同じ長さの大太刀の鍔、
踏み込んだ先は相手の陣地、入った分穂先は先に届く。先が重ければ振りも大きくな
る、それはつまり遅くなるということだが弁慶に限ればそうでもない。大きい振りこそ
早い、それが弁慶の強み。しかも相手の体を狙うのと武器を狙うのでは意識の差が違
う、武器というものの意識が低ければ低い程その攻撃は有効である。義経はそれを弱点
と呼んだ、総一郎の武器への散漫を癖と呼んだ。
この日の総一郎は違った。それが弁慶││いや、この場合は義経の誤算。総一郎の心
境がこの短期間で変わるかどうかそれを予測できなかった、しなかったというのが正し
いかもしれない。
錫杖に足が出た。
弁慶の攻勢と総一郎の防勢。奇妙な位置関係はジリジリと変化していく、それは何の
変哲もない事へ変わっていくのだ。
弁慶の防戦と総一郎の攻勢。正しい位置関係になった。
しかしおかしい。総一郎は畳みかけなかった。それは慎重になり過ぎているわけで
はなく、辰子とは違うパワーの使い方が彼に違う戦い方をさせていた。
浮遊しているような錯覚に陥る。当の彼女自体には外見以外変化は見当たらない、どん
黄金の気に纏われた彼女は波状の黒い髪の毛が際立ち、逆毛立ってはいないが何だか
顎を撫でているようなものだ。
ない、今の彼にとって弁慶の間合いに居ることは全身に肉を纏わりつけてライオンの下
に弾かれたのか、そんな程度のことは気にしている暇もなかった。距離を取らざるを得
瞬間に爆発した気は百代と対峙した時の彼と同等。気に弾かれたのか、それとも錫杖
その時、日本にいる全ての武人は振り返った。
だから総一郎の決め手が弾かれようとも、彼の驚愕する権利を侵すことは出来ない。
てられても、それ以上を考えることなど妄想でしかない。
もしそれが間違いだとすれば責められるものじゃない、もしかすればという予測は立
能だ。それは慢心ではない、事実だ。
ある。違和感、総一郎はすぐさま攻撃を仕掛けた。殺すことはしない、実力差がある可
防戦一方にしては少し余裕のある弁慶、刀傷はないが当て身による打撲は間違いなく
︵足で躱されるとは思わなかった。不味いね︶
︵鋭かった。辰子とは違い機を見た︶
563
なに高揚しても変化がない彼女の性格が起因しているのだろう。
﹁金剛纏身﹂
見た目はともかく。その力は金剛を纏ったに相応しい、この場に居る猛者全てが同一
の意思を持っただろう。
その力は壁越え上位まで引き上げられていた。
︵まじかよ、ないわ︶
これほどの爆発的成長。一時的なものにしても異常である。なんらかの条件下のみ
で発動すると総一郎は考える、同時に九鬼の恐ろしさも伺える。
距離がある。二人の間には少なくとも十メートルの間が出来ている。双方の間合い
ではない。大太刀を使う総一郎の間合いが六、弁慶が五だとして被るのは一。長物同士
であればこれぐらいの重なりで瞬間的な動きをすることはない。
そんな少しの冷戦状態。総一郎が危惧していたのは弁慶の成長がどこに振られたの
だろうかということだ。テクニックかスピードか、それともパワーだろうか。
は義経であり、入ってからの攻防はルーである。武器を合わせた時の力は││
その時動いた状況によって一つの予想が外れたことを認識した。間合いを詰める足
おおむね総一郎の予想は当たった。
︵テクニックはルー先生、スピードは義経、パワーは辰子︶
参戦──金剛対総閃──
564
百代である。
受けた力は防御の上からも衝撃として総一郎に直撃した。外傷なる外傷はないが、三
十メートルを刀と共に吹き飛ばされた。河川敷に浅く跳ねる彼の姿は滑稽には見えな
い、少なくとも四回跳ねた後は完全な受け身を取っていた。
予想が外れたことに対した焦燥はない。だが外れた先が百代ならば違う視点から焦
慮を抱くだろう。気が付くころには額から汗が垂れ始めていた。
二人の距離は大凡四十メートルほど。壁越え同士であればなんら意味のない距離だ。
﹂
!
︵そろそろ金剛纏身も切れてきそうだと思ったけど⋮⋮まだ大丈夫みたいだ︶
一閃一閃の間隔が長い。そのせいか対戦時間も必然的に伸びつつある。
ていない。
弁慶の一打が彼を襲う。受けるならば万全で、無理ならば避ける。まだ宮殿は手放し
﹁そおい
よ初めて万全で挑み、そして苦戦している。
袖で額を拭うと袴も茶色くなる。汗の染みかそれとも土が跳ねたのか。どちらにせ
ルラウンダーだな︶
︵反動もすべて合わせてこっちに力を流しているのか。腕が痺れてやがる。究極のオー
565
自分の奥義にある限度。何故かそれがいとも容易く超えていることに少し驚く弁慶
だが、先程から表情は変わらない。
総一郎も余裕ある。それに彼も防戦一方というわけではない。彼なりに対応が出来
つつある。
そんな時総一郎が止まった。
︵やるか︶
︵⋮⋮︶
それを注視するだけで弁慶も仕掛けない。
総一郎はただ、右手を上げた。
三百メートル先の屋上、キラリと光る何かが呟いた。
る。
塚原総閃流││日本の大太刀を操る彼のみがそれを持つ、彼が生み出した新流であ
右手には其我一振、左手には雨無雷音。
﹁⋮⋮いいよ別に、総一の為にやってるから﹂
﹁悪いな弁慶、マナー違反だ﹂
その言葉の二秒後には総一郎の立ち位置が変化していた。
﹁ありゃ、出番かね﹂
参戦──金剛対総閃──
566
567
鞘を持ち歩かない総一郎はその場に突き立てた。投げ捨てないところに愛着を窺え
る。小太刀の二刀流や二天一流が有名どころであるが、二メートルの大太刀を携えた二
刀流は殆どないだろう。その姿は異様ではなく異形と言える。弁慶に向けられた雨無
雷音、後ろに引いて地面に付けられている其我一振。素人が見ればかっこいいと思うだ
ろうし少し齧った者から見れば阿呆に見える。
弁慶も義経との違いに違和感を覚えていた。
一本の刀を両手で持ち素早く堅実な義経、対して珍しい二刀流で義経よりも倍近く長
い刀。今までの打ち合いでも多少の違和感があったが、槍と戦っているよう、弁慶も錫
杖を使っていたので﹁有る﹂程度であった。だが二本になった途端それが鮮明になって
いった。
義経も思った。まず動かし辛い。刀を使う者ならばわかるが視界を超えていく刀が
どれほど扱い辛いか、刀身が倍になるだけでどれほど重くなるか。適切な筋力とテク
ニックがなければ刀に振られてしまう。それをいとも容易く扱い、片手で一本、両手で
二本扱う、それは既に常識の範囲外に存在することだ。総一郎の技量がどれほどだとし
ても想像がつかない。見たことがないのだ。
右の大太刀が地面から浮いた。構えた弁慶は自分がそれだけで防戦になっていると
気が付かなかった。近い間合いでは振りの大太刀に守りはあり得ない、瞬間的なパワー
が上回っているならば陣地を侵すことが最優先だ。しかも大太刀は二本。
悪手に気が付いたのは思わず﹁あっ﹂と呟いた義経だけだ。
間合いを詰めた総一郎の雨無雷音が弁慶の胴体を狙う。斬られるわけもない、弁慶の
錫杖がそれを待ち受けた。
そんな時弁慶は途轍もない痺れを腕に感じた。パワーで上回っているはずの自分が
衝撃を跳ね返された、状況が上手く理解できていない。
﹁正しい使い方だ﹂
﹁なるほど⋮⋮フタ〇ノキワミか﹂
決着は瞬く間に決まって行った。
多い、そしてバリエーションが多彩であった。
そして予想外││いや、そもそも予想は出来ていないのだが。総一郎の手数が非常に
め対応もうまくできない。
総一郎の猛攻、その全てではないが所々同じような攻撃が混ざっていた。不規則なた
義経が言った通り弁慶はその現象にばったり出会った。
全に無防備の所にそんなものを喰らえば⋮⋮すごい技量だ﹂
﹁コンマ何秒後により強い力を加え、相殺されつつある衝撃の上からそれを重ねる。完
参戦──金剛対総閃──
568
♦ ♦ ♦
﹁うー痛い、怠い、川神水、ちくわ﹂
﹁はい、はい、大丈夫か弁慶﹂
﹁川神水が体に染みるうううう﹂
﹁大丈夫だな﹂
﹂
義経に膝枕されながら総一郎のお酌を貰っている。一歩も動けないと言いながらも
しっかりと川神水を傾けている。
﹁二人とも凄い戦いだった。義経ももう一度戦いたい﹂
﹁願ってもないね。義経が本気出してくれるなら﹂
﹁あ、それは⋮⋮し、下に見ているとかそういうことではないぞ
﹂
﹁義経はそんなふうに俺を見ていたのか⋮⋮﹂
﹁ち、違うぞ塚原君
﹁あ∼慌ててる主で飲む川神水最高∼﹂
!
!
569
﹁それは良かった﹂
嵌められたことに気が付いた義経は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
弁慶が横になっているところを見れば勝者が総一郎だと分かる。弁慶の外見こそ大
した怪我ではない、だが体のダメージは隠しきれないし金剛纏身の反動も凄まじい。体
力を回復するには義経の膝がもってこいなのだ。
﹁しかしあの二刀流⋮⋮まるで御庭番の如く鬼神であったな﹂
﹁うん。確かにあの二刀流は凄かった。あんな大太刀を二つも使うとは⋮⋮﹂
与一の言葉に義経も反応した。
﹁ああ、確かに初めは大変だったけどな。実戦も殆ど初めて。最初から使わなかったの
はそれが理由だ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁今日はありがとう。ゆっくり休んでくれ、大吟醸川神水とちくわ持ってくから﹂
弁慶の頭に手を乗せていたのは総一郎だった。
と不意に頭が重くなる。義経に手で置かれたかと考えて目を開けた。
ていたのかもしれない。少し目を閉じて口の中央から意識とは別に息が漏れた。する
短く弁慶も呟いた。心のどこかで自分の力を下に見られて手加減されていたと感じ
﹁なるほどね﹂
参戦──金剛対総閃──
570
﹁弁慶
﹂
?
すると由紀江が二階から降りてきた。オドオドして目を回している何時もの彼女で
らおかしくはない。
こ、源さんはバイトで京と大和は同じ部屋で勉強だろうか。キャップが居ないのはなん
ま﹂と玄関先で声を掛けるが返事はない。テレビの音が聞こえるので恐らくクリスはそ
夜の七時頃、疲れがドっと襲ってきた総一郎は千鳥足で島津寮に帰宅した。﹁ただい
♦ ♦ ♦
総一郎と同じ髪だった。
そんな後姿を弁慶は見て頭に自分の手を乗せた。良く知った癖っ毛の強い自分の髪、
﹁じゃあ、また学校で﹂と総一郎は去って行った。
﹁あ、ああ。楽しみにしてるよ﹂
571
﹂
はない。何となく総一郎もその表情に察しがついた。
本気の顔だ。
﹁ちょっと早くない
﹁はい﹂
﹁悪いけどさ﹂
座ったままだった。
今この場で決闘できるような雰囲気の由紀江。それとは裏腹、総一郎は今その場に
﹁はい、分かっています。総一さんの気も鋭かったです﹂
﹁あれは弁慶だよ。流石に疲れた﹂
﹁⋮⋮凄まじい気だったので﹂
?
﹁立てないから肩貸して﹂
﹂
?
﹁は、はい
すいません
!
﹂
!
﹂
﹁いや、大丈夫だよ。焦らないで、俺の部屋まで運んで⋮⋮いや、大和の部屋までお願い﹂
﹁あああああ、す、すいません
由紀江は自分が一人だけ先走っていることに漸く気がついた。
﹁凄い疲れてて⋮⋮﹂
﹁⋮⋮え
参戦──金剛対総閃──
572
!
後ろから肩を入れると由紀江は顔を真っ赤にしていた。総一郎にくっ付いているか
らではなく単純に恥ずかしいのだろう。
﹁今からでもやるか ﹂という言葉を期待していたように由紀江は気を張り詰めてい
﹁お帰り﹂
﹁あれ、総一お帰り。どうしたの
﹂
たが、総一郎が明らかに消耗していることに気が付きもしなかった。
?
た﹂
!
﹂
!
自分の羞恥なんて無かったかのように由紀江の一瞬は過ぎて行った。
﹁﹁うるさい﹂﹂
﹁百点
﹁ああ、分かった﹂
れ﹂
﹁で、大和。俺は風呂に入りたいから着替えを持ってきて、あと風呂まで肩を貸してく
﹁は、はい。その通りです
﹂
﹁い や あ 弁 慶 と の 決 闘 が 思 い の ほ か 体 に 来 て ね。由 紀 江 ち ゃ ん に 肩 を 貸 し て も ら っ て
珍しく京がくっ付いて二人は床で漫画を読んでいた。
?
573
皆が寝静まる頃、許可なしに二階へ上がれない総一郎は階段の所でお茶を飲んでい
た。
﹁あ、総一さん⋮⋮﹂
そこに由紀江が来る。特にメールで呼び出したわけではない。来るかもしれない程
度の賭けをしてそこで待っていたのだ。
先程は碌に動けなかったが風呂に入って源さんがマッサージを施したので八割方回
復したところだ。
﹂
?
明日は精々善戦してくれよな││由紀江の心に炎が灯った。
﹁ああ﹂
﹁な、何か
﹁やあ、由紀江ちゃん﹂
参戦──金剛対総閃──
574
燕の囀り
朝。朝も朝である。今日は土曜日、総一郎は朝の八時から島津寮の温泉に浸かってい
た。本来は由紀江との決闘が組まれている日であるが、予想以上の疲労で﹁無理﹂と戦
闘態勢の由紀江に申し訳なさそうに布団の中から這い出た状態で謝っていた。流石の
大丈夫です、私も万全な状態がいいので
﹂と気にしていないようでもあったが、彼
由紀江もポカンと口を開けていた。意識を取り戻していつものように﹁そ、そうですか
!
た。
そんな中一番落胆し、心苦しい気持ちに囚われていたのは他でもない総一郎であっ
女にも少しばかりの落胆があったようだ。
!
﹂
?
﹁まあ、一人で動けるぐらいにはなったかな﹂
大和が心配して風呂場に入ってきた。
﹁総一郎。大丈夫か
いにも程がある。この温泉も大和の力添えがなければ来れなかった。
当日のドタキャン。しかも昨夜にアレだけ啖呵を切っておいてこれである。情けな
﹁マジで申し訳ないなぁ﹂
575
﹁そうか。着替え置いておくからな﹂
由紀江が総一郎の様子を見に来たのが六時。温泉に入ったのが六時半。かれこれ一
時間半も湯船に浸かりっぱなしである。
流石に筋肉もほぐれ、湯船から出てソファでのんびりしても良い頃合いである。そう
思って居間へ行ってみると、由紀江がこちらを見て気まずそうに、そして何故か燕が居
た。
﹁なあぜえ﹂
﹁そんな風に言われるなんて、シクシク﹂
﹁根詰めているようでしたので僭越ながら呼ばせてもらいました﹂
ドタキャンした人間に対する事とは思えない計らいに今度は総一郎の口が塞がらな
かった。流石の由紀江でも怒ると思っていた。
そして根詰めているという言葉が何よりも総一郎には響き、燕の顔が眩しく見えだし
た。
﹁さて﹂
と、燕はソファから立ち上がった。
﹁デーとするよん♪﹂
燕の囀り
576
決闘をすっぽかしてデートと言うのも気が憚れるが、由紀江自身が燕を呼んでいたの
で少し気が楽。よく考えてみれば燕とこちらでデートするのも初めて。最近は決闘で
総一郎も忙しく、燕もそれを邪魔しないようにビルの上から刀を投げるぐらいの事しか
ホテル
﹂
出来ていなかった。確かに休息が必要なのかもしれない、総一郎はそう思って口を開い
た。
﹁どこ行くんだ
?
﹁珍しいことにこのモールは九鬼が関わってないんだよな﹂
﹁よし、松永納豆は売ってる﹂
いものはないだろう。
設である。服や雑貨は勿論、映画館や電機屋も一通り揃っており、恐らくここで買えな
スモール湘南である。川神よりは少し遠いところにあるが、神奈川最大級の複合商業施
そんないつも通りの二人が向かった││燕が総一郎に一任され、足を運んだのはペタ
﹁それは僥倖、僥倖﹂
﹁納豆は毎日食ってるよ、燕の写真がのってる松永納豆を﹂
﹁俗物的すぎる発言だね、やっぱり納豆が足りてないみたい﹂
?
577
﹁ここに出資してる片瀬さんと私知り合いだよ。何故だか片瀬の御嬢さんには嫌われて
るみたいだけど⋮⋮﹂
﹁へえ。甲高い声で何か気に障るようなこと言ったんだろ﹂
﹁地味にひどい事言うね⋮⋮﹂
食品売り場からエスカレーターで上がっていく。まずは二階から、ファッション系が
主に並ぶ二階は女性物が多いが、店によっては女性物と男性物の両方を扱っている所も
多い。 因みに燕は全く変装をしていない。川神学園で知れ渡ってから殆ど全国的に広まっ
てしまった。
この世界的ファッションチェーン店であるGARAPにはいるなり何人かの客と店
員がこちらに視線を向けてきた。張本人の燕は総一郎の左腕に絡みついている。総一
郎は一刹那だけ﹁めんどくせえ﹂と思ってしまった。そして良く感じてみると自分に対
する視線も多い。男性からは敵意、女性からは生温いもの。川神学園が世界の縮図であ
ることを理解した。
﹂
?
にでも似合う。なので今燕が勧めてきたロック調のTシャツに色付きの薄いシャツと
総一郎は身長が高い。ガクトよりも数センチ低いが体格は筋骨隆々ではないので何
﹁たまにはこういうのも来てみたら
燕の囀り
578
579
いう、高校生かちょっとばかり若い社会人が着る服でも着こなしてしまう。ハットなど
被れば人生お茶の子さいさいである。
総一郎はそのチョイスに﹁ふむ﹂と考えだした。
彼の普段の服装は和服と洋服を混ぜたようなものだ。一見奇抜だが和服の色気と洋
服の甘美さがマッチしている。そしてそれを着こなしている。袴にベルト、上はガラガ
ラのシャツと和服の上着が訳の分からないことになっている。どうすれば着こなせる
のか││燕も大和も百代も会うたび全員が思っていた。
ガクトはタンクトップを着てもダメであるが、総一郎ならば大丈夫。
ガクトが総一郎と同じ服装をしてもダメだが、総一郎ならば大丈夫。
そこにあるのは真理であり。気が付かないのはガクトだけであった。
その後金の許す限り総一郎は夏物の服を買った。燕の物も二人で選んだり、夏と言え
ば水着なので海を買ったり││もちろん、燕に内緒で買うプレゼントは抜かりがない。
三 階 へ 行 く と 大 型 雑 貨 店 や 飲 食 系 の 店 も 増 え て く る。そ こ で は 主 に 燕 の 買 い 物 と
なった。総一郎は部屋に小物を置かないからだ。不要な押し付けはしない、燕も良く理
解して代わりに自分の我儘を通すのだ。総一郎が荷物を持ち、燕に付き合う。別に苦に
もしていないが総一郎もそれで燕が喜ぶのであればまさに僥倖であった。
後はクレープなんかを食べ、各々の行きたいところに二人で行く。映画見るか││と
終わればもう午後四時である。
そのまま二人は江の島へ足を運んだ。
磯の香り、夏独特の風から感じる気持ち良さはその展望台から見る景色に比例した。
﹁おお、凄い綺麗﹂
﹁解放感あるよな、京都と違って﹂
﹁仕方ないでしょ、あっちは山とか建造物も合わせて景色なんだから﹂
﹁はいはい、分かってます﹂
人もいない。燕は風で揺れる髪を抑える。総一郎は前かがみで手摺に持たれながら
﹂
も燕の言葉に笑みを絶やさなかった。
﹁疲れた
ではないことを理解している。二人の夕日に照らされた笑顔が証拠だ。
リフレッシュに来て疲労が溜まっては意味が無い。だが二人ともそれがただの疲れ
﹁疲れた﹂
?
﹁げ、あれ、美味しくないよ﹂
﹁さーて、シラスソフト食って帰るか﹂
燕の囀り
580
﹁恋人同士で食って不味いっていうのもいいんじゃない
﹂
﹂
?
﹂
!
喧嘩に巻き込まれていた。
﹂
!
﹁川越田総本部毘沙門天、総長の玉井川だ
彼女連れて歩きやがって
てめえら江乃死魔だな
そこは弁天橋の近くにある砂浜。帰ると言っても多少寄り道していた二人は見事に
理解できていなかった。
湘南という所がどれほど治安の悪いところであるか。新参者の総一郎と燕にはよく
♦ ♦ ♦
総一郎は﹁置いてくぞー﹂と常人ではあり得ないスピードで駆け下りて行った。
﹁⋮⋮流石に意味わからないよ
?
嘘ついてんじゃねえよ
!
﹁いえ、違います﹂
﹁ああん
﹁嘘ついてないデス﹂
!
!
581
﹂
何故か族と間違えられた総一郎に隠れた燕は怖がる振りをして大爆笑していた。
﹁何笑ってんだてめえ
︵あ、ばれた。てへ︶
︵お前なあ⋮⋮︶
︵もうヤケだ、燕こちらからの攻撃は無し、その代り向こうの攻撃は全部避けろ︶
人ほどの不良が二人を囲んでいた。
とにかくことを大きくしないように善処しようとした総一郎であったが、既にもう十
置いたようである。
燕の行動がバレると火に油というよりはもう油に火を着けてダイナマイトを近くに
!
こちら側からも同じことであった。
無論、総一郎も燕も不良の攻撃を受けるつもりは一切なく、女であろうが男であろうが
先程言っていた江乃死魔という族の総長が女性であればそう考えてもおかしくはない。
も 族 で あ れ ば 容 赦 は な い。も し か す れ ば 百 代 の よ う に 強 い 女 が 居 る の か も し れ な い。
遅いのではないかと感じる。燕の方にも不良が二、三人。流石は不良の国、女であって
││遅い││素直な感想。壁を超えている人間としては当たり前だ。ガクトよりも
燕が頷くとすぐに玉井川という男の拳が総一郎の眼前に迫った。
︵了解だよん︶
燕の囀り
582
警察が来るのを待つ。二人は武術家としてもそれを待つ他ないのだ。
数分すると向こうの息が上がりだした、こちらは何もかも乱れている所はない。だが
向こうが興奮してアドレナリンの多量分泌、それによって疲れがマヒしていることも分
かっていた。だからと言って何をすることもないが、そこで乱入者が現れた。
﹂
あんな立ち回りしておいて何が一般人だ﹂
?
﹁あ。こ の 女 は 納 豆 小 町 よ
アイドルのくせに武術家で負けなしとかいうチート野郎
﹁いえいえ、この不良さん達が弱いだけで﹂
﹁ああん
﹁不良に絡まれていた一般人です﹂
﹁何者だ﹂
そしてその三人が少し引き気味の総一郎と燕に視線を向けていた。
あるが風貌だけな気がしなくもない。燕が小声で﹁あれ片瀬のお嬢さんだよ﹂と呟いた。
う一人、遅れてやってきた赤神のツインテールは息を切らしている。どう見ても不良で
鋭い目つきとは裏腹に尋常ではない美貌を持つ、こちらも動の気を持つ女性。そしても
一人は獰猛な牙を持つ青髪、見るからに動の気を纏う女性、そしてもう一人は栗毛で
そしてもう一人そちらもかなりの怒気を孕んで残りの不良は海の藻屑と消えて行った。
豪 速 球 が 唐 突 に 打 ち 込 ま れ た か と 錯 覚 す る ほ ど 鋭 い 一 撃 が 不 良 共 に 浴 び せ ら れ た。
﹁うるせええんだよ、このクソがああ
!
583
!
﹂
﹂
!
﹂
!
いた。彼ほどではないが本能的にかなりの実力者であることを悟ったのだ。
総一郎がこの二人の実力を測ったのと同時にまた二人も総一郎と燕の実力を測って
堂のようになるか、もしくは武人になる前に辞めるだろう。
ただ、ここまで動の気を解放していれば純粋な武人になることは難しいだろう。釈迦
こちら側に来ることは間違いない。
原石で壁を超えている辰子と違い、多少才能の面で落ちたとしても適切な修行を積めば
て い る。今 で こ そ 一 子 と 同 等 と 言 え る が 一 昔 前 で あ れ ば そ れ も ど う だ か わ か ら な い。
だが問題はこの二人である。壁越えは無いが少なくとも壁越えが可能な能力を持っ
人と対等であることから大器であることが伺える。
瀬のお嬢さんは大した実力が無いようであるが、轟々と動の気を垂れ流しているこの二
総一郎はここに居る三人が湘南を張っている三人であることを直ぐに理解した。片
﹁舐めた口ききやがって
﹁止めろ、ツァーリボンバーに引火するな
﹁こんな弱弱しい私を野郎なんて、シクシク﹂
!
家だ。俺達は君らが今吹き飛ばした奴に因縁を付けられた、どうやら江乃死魔という組
﹁オーケーオーケー。俺は一般人ではない、剣術家だ。後ろに居るのは俺の彼女で武術
燕の囀り
584
織に間違えられたらしい、心当たりは
﹂
二人の視線は片瀬のお嬢さんへ視線が集まった。
?
﹂と呟いていた。
!?
さん
﹂
﹁辻堂さん
﹂という声が聞こえる。青髪が腰越、栗毛が辻堂、赤髪が片瀬。名
!
前が分かったからなんだと思うが、その時総一郎は初めて百代の気分を味わった。
!
だが、面倒なことにもう一人、栗毛の女が﹁へえ﹂と前に出てきた。遠くの方で﹁愛
腰越と呼ばれていた女はすぐに引いた。
﹁⋮⋮はっ﹂
﹁悪いけどこっちは一般人に手は出せないから勘弁してちょ﹂
の一撃を⋮⋮
それがあり得ないことだったのだろう、いつの間にか増えていた何人かが﹁あの腰越
ない。
獰猛な表情をした青髪の拳をいとも簡単に燕は受け止めていた。もちろん反撃はし
る。彼が動かなかったのは燕が前に出たからであった。
風というよりは雷鳴。素人には瞬間移動に見えても総一郎には見える、早いのも分か
﹁関係ないね﹂
﹁そうか。まあ、それは良い。それで俺達は帰宅途中だったわけだ、できれば帰りたい﹂
﹁⋮⋮あ、あたしの組織よ﹂
585
様々な不良に絡まれて手を捻るだけで相手を沈めてしまう。面倒でもあり、怖いもの
知らずな彼らの気質は心地よくもある。
フフ││総一郎の溢した笑いは果たして相手にとってどうであっただろうか、総一郎
は前に出た。
﹁││分かった、俺が相手してやる。かかってきな﹂
﹁ちょ、ちょー﹂
帰路は軽かった。
♦ ♦ ♦
戦うことが疲労回復につながるなど││
た。
今日はよく眠れそうだ││総一郎は今までではあり得ないような感覚に囚われてい
だ﹂
﹁へーきへーき。なんかあれば百代に感化されって言えばいい。それに明日の予行練習
燕の囀り
586
島津寮には戻らず、毎度の如く何故か久信が家に居ないので松永家へ。由紀江に感謝
のメールと明日の決闘の細部を詰めた。その後もう一人に電話をしていたが誰かは分
からない。
燕と二人きり、内緒で買っていたプレゼントを渡し、ブルジョアの総一郎は寿司の出
前を頼んでいた。
﹁よっ太政大臣
よっ悪代官
﹂
?
よっイケメン
!
﹂
!
礼儀として名を名乗ったが、果たして川神に来るかは分からない。
が二人を海に沈めた。
二人を煽るように﹁ほれほれ﹂と呟いていたが、遂に二人は息を切らし、最後は総一郎
あの後、腰越と辻堂が挑んできたが、一撃も喰らうこと無く相手を翻弄した。苛立つ
誉め言葉ではないものを貰ったがそれでも総一郎の機嫌はすこぶる良かった。
﹁悪代官⋮⋮
!
﹁いくらでも言いたまえ、寿司を食いたくないならばな﹂
﹁浮気男﹂
﹁ま、ワン子なら食べさせてもいいが﹂
﹁意地悪男﹂
﹁ガクトとワン子が羨ましがるだろうな﹂
587
ともかく総一郎の足取りは軽く、機嫌は良い。
明日のリフレッシュになったかな││燕は安心して納豆巻きを頬張るのだった。
﹁松永納豆の方が美味いな﹂
﹁松永納豆の方が美味しいね﹂
燕の囀り
588
肆戦││剣人対剣神││
決闘の場は例の如く草原││ではなく川神院で行われることになった。昨日総一郎
が燕と湘南へ行っている間に鉄心から由紀江に対して打診があったそうだ。少し前に
ルーとの決闘で滅茶苦茶にしてしまったので少し場から後ろめたさが彼にはあったが、
場所を貸してくれるというのならば借りる。差し伸ばされた手は引き込みながら受け
取るのが彼の潔さでもある。
それに今回は自分の修行と由紀江に対する稽古、そしてもう一人直輝に対する手解き
の側面を持つ。総一郎としては由紀江に稽古して直輝にはそれを観察させる、そこから
自分も違う視点から新たなものを学ぼうと考えたわけである。
卜伝との決闘から何度か総代としての役割を果たしたが、今回はその時ともまた状態
が違う。由紀江がまだまだ伸びることを確信しつつ、直輝が燻り、そしてその理由が自
分であることも理解している。
だからこそ、剣術家としてしか出来ないこと。由紀江や直輝には鉄心やルーではでき
﹂
ないこと、それを教えなければならない。
﹁剣術家にしか出来ない事、分かるか
?
589
由紀江が対峙、直輝は外野として正座している。無論、今の言葉は由紀江だけではな
く直輝にも向けられた言葉だ。
直輝は微動だにせず話を聞く。いつも言われていることなのだろうか、由紀江はゆっ
﹁それは剣術家に教えることだ﹂
くりと頷いた。
﹂
﹁拳では教えられない事を剣術家に教えるのが剣術家にしかできないことだ。いいか二
人とも自分たちに無い物は何だと思う
先に答えたのは由紀江だった。
﹁人を斬る心でしょうか﹂
漠然とした質問だ。流石の直輝もすぐには答えなかった。
?
を決める為の集中力││二人にはどれもある﹂
勘、いざ斬らねば成らぬ殺意、一撃を喰らわぬために一合一合に必要になる技術、一撃
﹁長い刀を刹那に振る瞬発力、機を待つ忍耐力、懐に潜り込む速度、駆け引きを呼び込む
せるが如く目を逸らされた。
直輝は未だ口を開かなかった。総一郎は求めるように彼を見たが分からないと悟ら
だが即断されてしまった。
﹁違う﹂
肆戦──剣人対剣神──
590
ではなんだ││二人は、特に直輝はその答えを声に出さず求めた。その心境を総一郎
が分からないわけもない、視線をやり、焦るなと窘めた。
殺である。だけど何時使うんだ
﹂
﹁師匠、もどかしいです、ハッキリ言ってください﹂
初撃に必殺の抜刀を打ち込むのか
らは相手が力を溜める時間を待ってくれると思っているのか⋮⋮﹂
﹁初撃に那由多の一撃をぶち込むのか
?
打ち込むには力を溜め、最後の一撃ではないと簡単には行かない。塚原の始祖ですら最
﹁必殺を打たれれば俺だとしてもただでは済まない。だが百代ですら最大威力の一撃を
だが二人は総一郎の言葉を理解するとその侮辱を物ともしない恥辱に塗れた。
?
?
総一郎は怒気を孕むこともなく鼻で二人を笑った。侮辱である。
なんだお前
﹁それが那由多の一撃、勝つことのみを求めた抜刀。確かにそれは最高の一撃であり必
だが総一郎の言いたいことはそういうことではなかった。
い気持ちにはなれない。
ないかもしれない、だがそれでもそれが二人にとっての全力である。それを否定され良
かり総一郎にも届きうる抜刀術を持つ。確かに壁越え上位の人間にとっては決め技で
由紀江は那由他に達する神速の一撃を持ち、直輝も百代にやられた時よりも磨きがか
﹁それは決め技だ﹂
591
高の一撃を放ってきたのは最後だけだ﹂
由紀江の視線は自らの収まったままの刀に向いていた。
﹁決め技⋮⋮﹂
﹁八十%の力で出せる勝負を決める技だ﹂
♦ ♦ ♦
川神院に緊張が走った。
戦いが始まったかと錯覚する鋭い静の気が川神院を覆う。
﹂
?
様に笑った。
がったのだろうかと百代は考えた。すると唐突に鉄心が﹁フォッフォッフォ﹂と長老の
に似ていた。だが由紀江の怒気というのも初めて感じ、これ程の憤怒は一体何故沸き上
心当たりのない気だったので確信はないが、それなりに付き合いの長い由紀江の感覚
﹁これは⋮⋮まゆまゆ
肆戦──剣人対剣神──
592
﹁総一郎め、中々師としてのやり方が分かってきたな﹂
﹂
?
由紀江はそんな自分をみる総一郎に疑問を呈していた。
ていても武人としての由紀江は少なくとも感嘆を受ける資格が優に有る。
るが義経と瓜二つだ。厳格の父の下で育ち、大人しさが拍車をかけ対人ではオドオドし
心を強くして由紀江は刀を抜いた。真っすぐ一本通った凛々しい静の気、一目で分か
るが今は外野に置かなければならない。
直輝も見ている、この決闘を通じて彼にも糧にしてほしい。もちろんそれ以外の心もあ
ないと悟る。相手は格上、万が一勝てるのか、無様は見せられない。同じ実力者である
総一郎との問答に詰まると由紀江はこれ以上言葉は要らず、戦いの中で見つけるしか
遡ること数分前。
﹁通過儀礼じゃ﹂
総一郎が武人の心を煽った、由紀江に自分を殺させるために││
﹁誰が、何故﹂という問いには答えられる。
何故由紀江が激怒しているのか││その問いに鉄心は答えることは出来ない。だが
﹁爺
593
﹁何故抜かないのですか﹂
既に抜刀している由紀江。総一郎が抜刀術であるならば文句はないがそんな様子も
ない。左腰に差している刀に触れてすらいない。
どんな武人にも通過儀礼がある。総一郎の場合それは最悪のであったが、普通であれ
ば師匠による手解きがある。肉親の場合はどうしても情が残るので変装や相手の実力
まで落とし且つ殺意を込めるなど。百代はないようだが普通はある。
由紀江もあったのだろう。だが一回か二回、三回目はどうだろうか。総一郎は由紀江
に対して通過儀礼を施すつもりだった。
﹁抜いてください﹂
澄んだ心、澄んだ瞳、誠実な気、誠実な剣先││淀みがない。それがいけないと総一
郎は考えた。
﹂
?
﹁素手で相手してやる、俺を殺してみろ﹂
一度心の底から憤怒に塗れさせてやろう││
﹁そんなものは抜かない﹂
くないかと聞けば十中八九、正しいと答える。
だから一度歪ませなければならない。弟子を持つ師に総一郎の行為を正しいか正し
﹁刀⋮⋮
肆戦──剣人対剣神──
594
スンッ││怒る姿もまた誠実である。直輝は体を切り刻まれたような感覚に陥る。
由紀江が剣術家としての根底を侮辱され激怒した初めての日であった。
♦ ♦ ♦
日本刀に対する無手の技、それだけ聞くと専門的な技にも聞こえるが空手や柔術もそ
れに当てはまる。鉄砲が伝わっていても槍や刀、弓が主流の戦場で武器を失えばそれは
致命的だ。その為に作られた対武器の流派、それは無手と武器を極めた者でしかなせな
い技だ。雲林院村雨は剣の道は勿論であるが無手の実力も同等の物を持っていた。あ
の頃の総一郎に勝つくらいの実力を兼ね備えていた。それはヒュームにも認められる
程で、彼の作った雲林院脱剣流は門外不出である。
﹂
と言っても、雲林院脱剣流を伝承しているのは総一郎と燕だけである。
﹁キレるのは良いが、それでどう俺に一閃浴びせるつもりだ
?
595
脱剣流の特徴は対剣術でない事にある。あくまでも﹁脱﹂剣にある。その心は剣術に
あり、足運びから捌き、剣術家を知っているからこそ出来る動きがある。振り下ろされ
る刃の側面に滑り込ませた手刀は相手の小手を目指し、突きは掌と掌に挟み込まれて最
終的に日本の手刀が由紀江の体を襲おうとしていた。
由紀江にとってこの上なくやり辛いだろう。無手の相手という認識が全てを阻害さ
せる、相手は無手の皮を被った剣術家でしかない。
だがそれに気が付かない、それだけで彼女の精神状態が分かる。
壁越えの一撃一撃を余裕で捌いていく自分の師に直輝はただ感銘を覚える他なかっ
﹁冷静に憤怒しろ、やれ﹂
た。それにこれは明らかな稽古である。これ程までに実戦形式の稽古││彼には通過
儀礼だと分かる││自分が受けたことの無い事、つまり自分がまだその段階ではないと
いうことの裏返しだ。
﹁はあ、はあ、っはあ﹂
が直ぐにやられると気が付いて避けたからだ、それも尋常ではないことだ。
に縦横無尽に動く人差し指が由紀江の眼球を追尾した。総一郎が追尾したのは由紀江
三閃が放たれた。それに総一郎が対抗したのは立った一撃。三閃の合間を縫うよう
﹁まじめにやれ﹂
肆戦──剣人対剣神──
596
﹁やっぱりだな﹂
言葉を続ける総一郎を他所に由紀江は不意打ち││がいつの間に自分が転がってい
た。
﹁聞け﹂
﹂
総一郎が何かしたのだろう。だが由紀江が転びながらも意識を失っていないことか
ら大したものではないさそうだ。
﹂
﹁目に見えた怒り、だがどこが中途半端だとは思わないか
﹁何がでしょうか⋮⋮
り前だ。それぞれの長所を兼ね備える気はそれだけで矛盾を生む、矛盾の中にあるリス
る。ただの気合でないその気は半ば超常的な半面を持つ、その為リスクが伴うのは当た
静と動は共生できない。気というものに触れる者ならば誰でも知っている常識であ
﹁君は静の気を持つ者ではない、動の者だ﹂
その言葉は通過儀礼というよりはもっと前の段階で言うようなものであった。
からこそその意味を理解できたのだろう。
直輝の表情が変わった。多様な実力者を見てきた彼だからこそ、一番弟子である彼だ
身がブレている﹂
﹁俺とは明らかに違うんだよ。鋭き冷静な怒りであるはずがどこか溜め込んだように刀
?
?
597
クは体を蝕む。気を爆発させる動と気を制御する静、それを強制させることは途轍もな
い瓶の中でダイナマイトを爆発せているようなもの、決して壊れない故にダイナマイト
は爆発し続ける。
外見は保てても体はいずれ崩壊していく。
だが総一郎は由紀江が静の気ではなく動の気の者だと言った。
おかしい││由紀江はそれを口にした。
﹁勘違いするな。静と動は共生は出来ない。だが片方だけ、もしくは両方ということな
らば使える。動を一切出さなければ静を出せる、両方を混ぜさせしなければどちらも使
える。ただ相当な技量が必要だけどな﹂
﹁私にそんな技量はありません﹂
﹁知ってる。だが動の気を一切出さなければ静を出せる││君が静の気を持つ者として
﹂
生きてきたならばあり得ないことじゃあない。環境と思い込みが動というものをない
事にしていたんじゃないか
い││由紀江は不安に駆られた。
が速まっただろうか、言われからもしかしたら動の気が奥底から湧き出たのかもしれな
唾をのみ込んだ音が体内で木霊した。自分が動の気を持つ者かもしれない││鼓動
?
﹁いいか。静は自分の気をコントロ│ルしてそれを鋭さに変え、時には流れる川のよう
肆戦──剣人対剣神──
598
にする、それはまるで水だ﹂
由紀江の変化を見た総一郎はまるで師のようだ。しかしあくまで決闘である、総一郎
の警戒心は未だ健在。
﹂
!
の獰猛さを﹁毒﹂と評した。
燥から来るものではない、眠れる獅子││この場合は少し違う。総一郎は悟らせないそ
だが、正面で対峙している総一郎は一筋の汗を掻いただけだった。そしてその汗は焦
に最悪が過った。精神の崩壊、廃人への近道、どれもが直輝の焦燥を誘った。
り、爆発的とは感じられなかった。もしかすれば失敗したのかもしれない。直輝の脳裏
その姿からは動という気を察することは出来ない。気の解放状態は湯気のようであ
うべきだろうか。その姿勢からゆっくりと元の体制へ戻っていく。
体勢が崩れた││だが完全に倒れきる前に彼女は動きを止めた。いや、止まったとい
えぬ物は湧き上がってくる。
由紀江の息が止まった。心臓も止まる。体の奥底ではないどこからか、その何とも言
変えろ
吐のようだ。奥底にある全てを出せ、受け止める相手を考えるな、お前の気で真っ白を
途半端が一番危険。イメージしろ、それは超新星のようであり苦しくて仕方ない後の嘔
﹁だが動の気は爆発だ。何をも縛れない爆発。囲いも何もない、爆弾程度じゃだめだ、中
599
隠された凶暴さ。動であることは間違いがない。たが穏やか。その本性に触れてし
まえば最後。
由紀江はゆっくりと息を吐き、そして吸った。
吐いたと同時に踏み込んだ。
速い││枷が無くなったのだ、それは当たり前である。だからといって総一郎がそれ
に遅れを取るわけでもない、まだまだ未完成の気、だが全体の底上げは勿論の事だが特
にパワーは桁違いの物となっていた。掠れば太い血管まで断ち切ってしまうような風
を切る鋭音が総一郎の耳に通り、当たってしまえば││という発想を嫌でも想像してし
まう。更に切っ先は振動しているのか、もしくはただ揺れているのか。最終的に刃が通
る場所が予測し辛い。
静に染まっていた動。両生できない二つだが、彼女には鋭さだけ残滓として残ってい
た。
だが勿論、彼女も勝てるとは思っていない。体には違和感だらけ、ぎこちない関節が
もりは無かった。
と戦ってきた総一郎。いくら弱体化したとはいえ目覚めたばかりの赤ん坊に負けるつ
人生最大の強敵であり強敵である百代、更に乗り越えなければならない先祖。それら
﹁百代の方が怖いね﹂
肆戦──剣人対剣神──
600
601
もどかしい。
だが、何かを示さねば、見せなければならない。
決め技││それが脳裏に過った。
横に薙ぎ払うつもりであった刀がいつだいつだ、と囁く。由紀江は遂に刀を振ること
なく総一郎の横を突き抜けた。
虚を突かれた総一郎。殺意、敵意なく制空権を通過していく由紀江に唖然。由紀江は
振り返らなかった
後ろへ突く││直輝にはその姿が切腹にも見えた。
自身の右脇腹を掠めるように相手の脇腹を貫く。名を付けるならば無理心中であろ
うか。虚の虚を突く、意識外の攻撃に関しては必殺にも匹敵する決め技である。駆け引
きを極めれば極める程決め技として高みを目指せるだろう││総一郎は最速を以て脇
腹を捻り由紀江の首筋に本来は致死性のある手刀を捻じ込んだ。
♦ ♦ ♦
川神院の一室で由紀江の目は覚めた。知らない天井とは思わない、意識を失う寸前に
見た木造と同じ作りだ。寧ろ一番新しい記憶だ
顔のすぐ横から食べたいという衝動に駆られる桃の香りがした。香りの正体に視線
を送ろうとする途中、そこには直輝の姿があった。こちらを微笑んでいる。
﹁良かった。意識が戻った﹂
そこまで喜怒哀楽の強い人ではない直輝の微笑みと言うのは程よく乙女に効果的で
ある。しかも夕日が背景にあるため甘いマスクではなく男らしい彫りが強調され、武士
娘の心をくすぐられる。夕日のせいだ││と思いながら由紀江は頬を紅潮させた。
だが、少しずつ直輝の表情は陰りだす。心境の変化を表すように雲が機を見るに敏、
夕陽を半分ほど隠してしまった。
﹂
?
﹁勝てます﹂
﹁僕は一生勝てないのかな、師匠に⋮⋮君にも﹂
次の微笑みは嘘だとすぐに分かった。
﹁⋮⋮僕は師匠にどう思われているんだろうか﹂
﹁直輝さん
肆戦──剣人対剣神──
602
考える暇もなく、直輝の心境なんて考える暇もなく答えていた。だが疲労感が溜まっ
ているのだろうか思ったよりも声が張れない。強く伝えたい気持ちを由紀江は表面に
表せなくてモヤモヤしていた。
﹂
!
﹁決め技か⋮⋮﹂
♦ ♦ ♦
由紀江は卒倒した。
﹁││きゅう﹂
﹁⋮⋮ありがとう。由紀江ちゃんも││綺麗だよ﹂
れが由紀江の羞恥心を誘ったし直輝の笑い││そして羞恥心を覚えさせた。
細々した声、だが強調された言葉が剣術家としての誉め言葉には合ってなかった。そ
しさに比例して静の気も凍えるようで⋮⋮それに凄く優しくて││カッコいいです
﹁直輝さんは素晴らしい剣術家です。凄く鋭い抜刀術も使えます。集中力も凄くて凛々
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肆戦──剣人対剣神──
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相手を殺す必殺も勝負を決める決め技も持ち合わせていながら総一郎はその自答を
精神、もしくは卜伝、または心、自分を自分たらしめる物に投げかけていた。どれから
も返答はない。
彼がそう呟くのには理由があった。散々講釈を由紀江にたれた訳であるが、本物の最
強と本物最強が戦った場合その決着は決め技によってつくのだろうか。新当流、足利
流、新陰流、そして自身だけが受け継ぐ塚原流、その数だけ奥義がある。その奥義は決
め技となり又必殺となりうる。
しかし、最強と最強の決着は駆け引きや一瞬の出来事によって終わるのだろうか。
││最強の最大と最強の最大││
それがぶつかり合う時、それが彼らの決着だ。
それは過程であり結果、最大と最大がぶつかり合わなければ決して勝負は終わらな
い。
果たして自分がその最強として最大を放つ時が来るのだろうか。
その相手は誰なのだろうか。
鉄心かヒュームか、それとも無手と武器の長だろうか││
風が運んできたのは黒髪の好敵手の面影であった。
水上体育祭前最後の決闘、突如釈迦堂から延期の知らせが総一郎に入った。それと同
時に九鬼から揚羽戦の日程変更が告げられた。
二日後の水曜日、丸一日を使った決闘が九鬼完全動員によって川神郊外の採石場で行
うことになった。自身も予定変更を良くしているので総一郎は特に驚かなかったが、島
﹂
津寮に届いた豪勢な招待状が届いた。
﹁なんて
総一郎が炎に包まれた
塚原純一郎、塚原信一郎、足利興輝、上泉藤千代。
同封された写真には膝を着いた武人の姿。
熱い果たし状。
ていてな、お前に必ず黒星を進呈しよう。待っているぞ﹄
けを知るべきだ。安心しろ、我も万全な状態で仕上げた。少しばかり我も決闘の旅に出
﹃最近調子に乗っているようだな。百代の戦闘衝動を止めたのは良いが今度はお前が負
朝餉の時間。それを開いた総一郎は口角を上げそれを握りつぶした。
?
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