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基調講演 ・街並みの美学 武蔵野美術大学教授
基調講演・街並みの美学 ★基調講演★ 街並みの美学 芦原義信 武蔵野美術大学教授 たな﹂などと思います。わが家は戦後金融公 なかったかな、よくこんなところに住んでい かったり、トイレが狭かったり台所が汚なら 庫の融資で建てたのですが、なんか天井が低 しかったり、そういうことで改良に改良を重 かしその家の中にはけっこう電気機器なんか ね、十何回か改装して今日に至ヴ、ました。し もありまして、ウサギ小屋といっても相当な おります。 文化程度はもっているのではないかと思って 家の中を考えて 外を考えない日本人 いろいろ考えてみますと、われわれは伝統 る一方、外観の方はそれほどでもない。例え 的に家の中を非常に大切にするという面があ ばわれわれの祖先から伝わってぎた床の間を り、花を飾ったりしますし、また塵一つ無い 家の中に設けて、四季折々の掛け軸を掛けた ようにぞうきんがけをしたりして、家の中を 整備するという習慣があります。ではゴミは し、あとは役所かどこかがやってくれるだろ どうするかというと、ばっぱっと外へ掃き出 われたときはなにくそと思ったのですが、そ 事実だと思います。特に﹁ウサギ小屋﹂と言 の間が家の中から外に出ています。例えばイ ところがヨーロヅパに行ってみますと、床 ると﹁あれ、こんなに狭くて天井が低くて汚 一週間か二週間すごして自分の家に帰ってく で、われわれの床の間と同じ感覚で彫刻があ ら、都市を修景的につくるということが盛ん タリアの広場などでは、ルネヅサソス時代か す。 なくとも世界第一線のところまできています よく﹁衣食住﹂と言いますが、衣と食は少 う言われてみると確かにそうも見えます。 うという面が無きにしもあらずということで が、住とか、住が集まって街並みになり、さ とになると、やはりわが国はその面では他の 私も何回か外国に行った経験がありますが 整 らにそれが集まって都市環境というようなこ 「 ド’直、’ 欧米先進国と比べて見劣りがするというのは 一5一 灘1 れません。 打たれるわけですが、とにかく建物があると つたり噴水があったり、とにかく家の外を整 備しようという考え方があったようです。 トルまではそで看板を出していいということ ですが、そで看板というのは景観上非常に目 そで看板が出ています。東京都条例で一メー 立つわけで、特に歩道を歩くとき、そで看板 空間があって、その内部空間とか坪庭などを 見ますと非常にすばらしい。大徳寺の孤寺庵 京都などへ行ってみますとすばらしい内部 り障子が上の方にあって視線を下げるとばっ ・忘笙の間などは本当にすばらしくて、明か わが方はどちらかというと、本当は実力が あるにもかかわらずちょっとアンダーエステ ィメイトされるというか、少し低めに見られ るというのがいいようで、例えば着物でも裏 なくなるわけです。 が一メートルも出ていると建物の壁面が見え つくばいなどが置いてあってすばらしい景観 われていますが、日本では建築の外観を見よ と庭が見えます。そして小さな織部の灯籠や うとしてもそで看板が出ていて外壁がまず見 に見せたり、相当の秀才が控え目な発言をす ると、同じ日本人がとにかくすごい建築をつ えない。そこにまた百貨店などは垂れ幕を常 地をよくするとか、また本当は強いが弱そう くりまして、そこにいろんなものを付けてい 時五、六本掛けており、屋上には回転ネオン では建築の外観によって規定されているとい ます。今まで京都の町では、同じ技術で同じ ところが街の印象というのは、ヨーロヅパ ていましたが、われわれの時代になって、いわ 材料を使って一つの統一ある街並みをつくっ れば緑もあり、ザラザラもあればピカピカも クスチャーの材料を生産しています。赤もあ に﹁○○電気﹂とかすごいのが載っかってし ンがいいかなと一生懸命設計しているところ が折角この建物はこのくらいのプロポーショ あり、いろんな材料があって、まちの機能も のものもある、赤いのも青いのもある。歩道 ってきて外観がピカピカのもあればザラザラ でなく、住まいもあれぽホテルや飲み屋、劇 トランスがあり、道路には置き看板、もうと に出ると電柱があって、電線があって、柱上 まう。しかもそれが回ったりする。そこへも 場もあり、高く低くいろいろな形の建物が工 にかくごちゃごちゃになっているわけです。 ういうことになったのかなということになり 先程の大徳寺孤蓬庵から考えますとこれはど ます。 街並みの表面に出てくるもののうち、本来 うに定義して、街並みを見るときわれわれの いている諸々のものを第二次輪郭線というふ の建築の外観を第一次輪郭線、それにくっつ ますと、溢れ出るエ.ネルギーにはとても心を 新宿の歌舞伎町のようなところへ行ってみ 東京の街並み 建築の外観が見えない なってきました。 てつくるということは、もはや非常に難しく になってきました。これを統一ある景観とし 業製品によって形作られるというようなこと 京都のように単一の住まいのまちということ ゆる高度の工業社会に入り、いろんな色やテ 塔あるいは巨大な広告塔があります。建築家 です。それが東京のいわゆる都心、繁華街を見 る。人間の精神的価値の方を重要視している ようです。そのへんのところが日本の住環境 あるいは都市環境にも表われているのかもし 大沼寺 孤再三忘筆の間(京都) 一6一 基調講演・街並みの美学 情けない状態になっているわけです。 と思う。ところが家へ帰ると、道路が狭くて 垂れ幕で覆われた建物︵新宿・歌舞伎町︶ 新宿の歌舞伎町ヘアメリカやヨーロッパの 建築家や都市計画家を連れていくと﹁オー・ ワンダフル﹂ということに大体なる。たまに 行くとあれはいいけれど、毎日行っていると とてもじゃない、刺激が強くてどうにもなら ないということです。そうかといってあれが 急に整然としたら淋しくなってしまってどう にもならないという考え方も一方ではあるの で、私が考えているのは、ああいうところは そのままにしておいても、家の方へ帰るとも そこにコンクリートブロックの塀をずっと建 う少し落ち着いた感じになるというのがいい パの都市は第一輪郭線で街が形成されている て、最近は減りましたが、ビール瓶を割って 視界に入るものを計量してみると、ヨーロヅ 塀の上に立てるやつまでいるわけです。こん なのは世界中で見たことはないのですが、自 のに対して、わが国では第二次輪郭線で決め 分の家だけ泥棒が入らなけれぽいいというの られている。第二次輪郭線というのは、ひら っきりしなかったり、あっち向いたりこっち 自分たちの街を みんなで か、全くどうかなと思います。 ひら動いたり昨日と今日と変わったり形がは 向いたりしているもので、印象に残り難くか つ絵にもなりにくいものです。だから日本の 画家がパリに行きますとみんな藤田嗣治の臨 つくる必要 みたいにうまく描けるのですが、日本に帰っ てきて描こうとするとなかなかうまくいかな それでも最近は、自分の内部空間を整えよ れいな絵タイルを作って、そこに店の屋号を いれるとか、コーヒー店ならおいしそうなコ ーヒーのカップをいれるとかすれば、自分の 張したということになります。さらに隣の人 家の内部空間を家の前まで空間領域として拡 ん町全体が自分たちのまちという意識革命が もやり、皆がそういうふうにやると、だんだ 起こるのではないか。そこへ役所の方も街路 樹を植えようということになると、その前の でどうかひとっこの樹木の管理をお願いいた 家と管理契約でも結んで﹁年間五百円くらい て渡しておく。するとこれは自分の家の庭の します 都知事鈴木俊一﹂というふうに書い たいへんだ、夏は水がなくなったから水をや 木という意識が生まれてきて、台風がきたら に対する意識が少しずつ外の方にまで向いて ろうということになり、自分の家の内部空間 これを私は、自分の家の内的秩序の拡張とい くるのではないかという考え方があります。 うふうに考えています。 とにかく我々日本人は、自分を含めて反省 で、例えばタウンハウスを建てれば土地利用 しますと、協同するということがどうも苦手 うという意識を外の方にまで及ぼすという考 でやろうかということになると、隣の人と話 い。それほど今、印象に残る街並みをつくる のが難しくなっている。 え方もだんだん出てきています。そんなこと して両方の壁を共用しようかとか、いろいろ 協力してやるということはうまくいかないの ててしまおうということになり、どうしても 悩んだりするのは面倒臭いから自分だけで建 いっても非常にうまいと思うのですが、自分 街というのはやはり人間形成をしていくに で私も最近言っているのは、例えば商店街な からいっても、冬の暖房等の効率の良さから あたって、自分の生まれたまち、山河が心に ると危いですからこれをまずよして、その代 んかで、そで看板は地震や台風で落ちたりす いますが、こんなところで生まれると、こう わり自分の店の前に三〇センチ角くらいのき 焼きつくようなものでなければならないと思 いうことだけしか覚えて心ないという極めて 一7一 きれば道路から一メートルほど塀をひっこ それだけでもかなり清々しくなってくる。で えることで相当よくなります。例えばアメリ していったらどうだという、情けないといえ カの郊外住宅地は五メートル建築を下げてき です。今度の布佐のように、最初からきれい ては街並みなんていう言葉は都市計画の言葉 並みというような言葉が出てきました。かつ の家かわからないように隣までずうっとつな れいな芝生を植え、どこからどこまでが自分 め、その一メートルにきれいな花とか芝を植 ではなかった。極めて所帯じみた言葉である ば情けないのですが、現実的な都市計画の考 だん土地を細分化していくわけです。 が国の都市は自然発生的にできており、だん かと思います。少なくとも十年前には﹁文化 に分割して、そこに計画に従って建てるよう とにかく土地の形が悪くて小さいと、建築 ないというのは考えなくてはいけないのでは がっています。アメリカでできて日本ででき え方も出てきたわけです。こうした背景で街 家がいかにがんばっても、歯茎の悪いところ 的なまちづくり﹂あるいは﹁うるおいのある な場合はいいのですが、どちらかというとわ にいい歯がはえないように、どんなにしたっ ころがなくなってしまうからせめて一メート ないか。五メートル下げてしまうと建てると まちづくり﹂﹁アメニティのある街﹂、そうい ところ急に出てきて、富士山麓へ行ってしま ドラム罐を置いたり汚ないものと捨てたりす けをきれいにする法律はできないか。そこに ルくらい、道路から少なくとも一メートルだ また、われわれの祖先がやってきた江戸時 です。 おうかとかそういう話は急に減ってきたわけ った言葉は出てこなかったのですが、ここの ていろんなのが建ってこざるをえない。です から街並みをうまくつくるということは今の のように最初から一つの建築協定とか何かの 日本ではなかなか容易ではなく、今度の布佐 ておかないとなかなかうまくいかない。 規定によってきれいになるような手段を構じ 投資をしたものをばっと捨ててどこかへ行っ かし、よく考えてみるとこれだけ膨大な公共 話が真剣に論じられたこともありました。し してしまおうというような極めて大がかりな く、ちょこちょこやるだけでも良くなる、文 ましょうか、あまり大掛かりな大手術ではな ておりますが、町医者的都市計画とでもいい る。私はよく言うのですが、極めて所帯じみ 住めるのではないかというようなこともあ この道一本だけでもちょっとよくすると結構 ある。それから自分の家の周囲を見回しても ストをよく読みとりますと結構いいところも クストとでも言いましょうか、そのコンテク です。祖先がやってきたまちの文脈、コンテ 家はこんな格好をしている、家の前はもう少 に立って眺めていただきたい。そして自分の にお願いしたいのですが、今度自分の家の前 かというのを知らない人の方が多い。男の方 い。だから自分の家がどんな格好をしている 遅く帰ってきて自分の家をよく見たことがな ば御主人は朝は慌てて会社に飛び出し、夜は てもうちょっと気を使ってもらいたい。例え 少なくとも道路と自分の家の間の空間に対し な条例でもつくっていただくとか、とにかく ゃないですか﹂と言ってもいいとかいうよう てしまうというのはなかなか言うは易くして かなというような反省をそれぞれの人がする し塀を下げようか、生け垣にするとよくなる ると、近所の人は﹁ちょっとお宅汚ないんじ できないことで、高度成長期にはそれがすば 脈主義とでもいいましょうか、そういった考 と、その道路ぞいの街並みだけでも結構よく うわけではなく、結構いいところもあるわけ らしく聞えたのですが、低成長時代になりま え方もでてきます。 なってくるのです。そうするとジョギングな 代からのまちをよく見ますと全部がだめとい すととてもそれは無理で、できたにしてもわ ク塀はよそう、生け垣にしょうじゃないか、 例えば、この街ではコンクリートのブロッ 町医者的手法で 街を美しく楽しく れわれが生きているうちには間に合わない。 京湾上に移そうとか、筑波山か富士山麓に移 非常に大がかりな都市計画、例えば東京を東 今から二十年くらい前、一九六〇年代には それだったら自分の家の周りを少しずつよく 一8一 基調講演・街並みの美学 どしながら、あそこの家はバラがある、あそ ではない。建設省あるいは横浜市にしても道 うことでまず難しい。火事の時に消防車が入 通るところだ、なんで車を入れないんだとい れないから消してやらんぞなんて言われると 路関係の人というのは、道路というのは車が ことになってくるとだんだんまちがさつきの これはまた困る。それを何とか救急車は入る こにはコブシがあっていいな、ということに 文脈主義的な意味で、町医者的で恐縮ですが が普通の車はシャットアウトし、そして舗装 なり、自分の家も何か協力しなくてはという よくなってくる。 ると汚しては申し訳ないというような気がす それから駅前の商店街なんかでも、ちょっ る。床あるいは歩道をきれいにすることによ イル模様をやったわけです。床をきれいにす に、ショーウインドのシャヅターを店が終わ のように感じられ、そこに自分の屋号が入っ をきれいにしょうというのであのきれいなタ ると閉めてしまわないで、夜も商品のきれい ていれば、ますますそういう感じがしてく と工夫することによってよくなってくる。秋 ・なものを並べて、街を歩いてウィンドウショ ヅピソグを楽しめるようにする。そのへんか になるとモミジのヒラヒラを付ける代わり ・らまず改革していただくと同時に、歩道をよ る。そうすると店の方ももう少しきれいにし と、屋外にデザインのいいストリートファニ と魅力的にしなければと皆がそうなってくる 埋め立てなくたって間に合うわけで、銀座通 力してやれぽ、大きな計画をもって東京湾を 生きているうちに間に合うわけです。皆が努 横浜の例のようなことですと、われわれが きています。 って、街が急に自分の家の居間の三品の模様 れる。これをやったのは横浜市が初めてだと くしていただく。歩道にいろんなタイルを入 なくてはいけない、ショーウィンドウももっ 思います。 チャーを置いてみよう、電話ボックスも洒落 時計台みたいなことが起こる。そして市の方 形が動き出し、ベニスのサソ・マルコ広場の るわけです。 力しているうちに少しずつよくなってきてい てきつつあり、市民や行政が手を合わせて努 が、最近は東京も満更でもないという方も出 ています。東京は二十年前は絶望的でした りでも丸の内の通りも結構きれいになってき たやつにする。十二時になると時計の中の人 もそれなら地図を出そう、それもただ紙の地 横浜伊勢佐木町など 各地で試み こういう小さな身近な計画についても相当が 横浜は大きな計画でも頑張っていますが、 図ではおもしろくないからきれいな盤にしよ う。屋外ベンチももう少し気のきいたものに いうのがありますが、これは横浜の行政力も しよう。とだんだんよくなってきて、伊勢佐 んばっています。例えば伊勢佐木町モールと さることながら、有隣堂という本屋のご主人 木町モ:ルというのは今では日本での代表的 われわれ日本人は気がつけばやる。こうい されている。これはアメリカのニコレットモ ろやっているわけで、北から南まで全国まち うシンポジウムや文化的まちづくり等いろい が非常に熱心で、この町をよくしようと努力 ており、これは旭川の買物公園とか稚内、仙 づくりのオンパレードで急によくなり出して なペデストリアン・モールということになっ 台をはじめ北から南までそういったものがで ールなどを参考にされたと思いますが、まず 車を入れないペデストリアンモールにする。 歩行者専用にしょうということだけでも容易 一9一 歩道に絵タイルをはめ込んだ伊勢佐木町通リ(横浜) 置こうということになり、仙台市はエミリォ きました。.最近は市長さんもわが街の彫刻を んなふうにわれわれ市民の側もかなり意識革 いるのが見られるようになってきました。そ つくりたい 入隅みの母なる空間 街や住宅地をよくしていく方法というのは 命が行われ、外の方までも自分の家の延長の いくらでもあると思うが、一つには入隅みの ・グレコの裸燥を置きました。わが市は何に つつあるようです。戦後何もない東京をこれ ように整えていこうというアイデアが生まれ みというか、一升枡の外側みたいな空間しか で落っこちても困るから、学識経験者に聞い ないわけですが、ヨーロッパの都市では粉の しよう、あまり変なのを買ってしまって選挙 きるのではないかと確信するわけです。 内側の空間のようなところがある。例えばパ いうことかというと、今の街ではみんな出隅 やはりわれわれの生きているうちに少しで リのバンドームの広場など、八角形の対称的 空間を街の中につくっていくことです。どう けば街がよくなると安易に考えられても困り われわれの代でいったい何をしたんだと言わ もいい街にして次の世代に譲っていきたい。 だけにつくり上げてきたわれわれ日本人です ますが、無いよりはよいのではないかと思い な空間が入隅みになっており、そこにちょっ ておかなくてはいけない、美術評論家も忙し ます。 れると恥しくなります。今わが国で﹁いいな﹂ から、やろうという気になれぽそれは絶対で 私もひとつ屋外に床の間を作れないかなと といわれている文化財は、江戸時代あるいは くなってきた。これはヨーβッパではルネサ 思ったことがありまして、今から二十年ほど で胸を張れるものはあまりない。城、寺、茶 それ以前にできたもので、その後できたもの ンス時代からやっているわけで、彫刻さえ置 前に数寄屋橋にソニーピルを設計する機会が これからは時計台一つでがんぽるのではな 他はどうもあまりいいものがないわけです。 間ができにくい。建物を通りから少しひつこ に楽しい空間ができる。日本ではそういう空 としたカフェ・テラスを設けたりすると非常 あって、あの角を十坪ほど三角にあけてみた うのは皆古いものばかりです。 丸の内に来ると﹁ああいいな、美観地区は 室、京都、奈良、鎌倉など、いい街並みとい ここくらいかな﹂と思うのですが、これも江 いと思い、ソニーの方に﹁これを屋外の床の間 わけです。クリスマスにはクリスマスツリー どうですか﹂と提案し、ソニー広場を作った なんでこんな簡単な木造建築のために高い飛 戸城です。札幌の時計台だけは今世紀です。 にして四季折々の季節に合った催しをしたら を、お正月にはお正月の飾りをしたり、お相 はり見るとなかなかロマンチックでいい。時 行機代を払ってまで行くかと言いますが、や 撲さんがお餅をついたり、あるいは北海道か ップが来たり、昨日は中曽根総理が緑化推進 らスズランが来たり、オランダからチューリ になるとツリーの豆ランプが屋外の方を向い と共にがんばってきた感じがしますが、その てつけられ、その後ろにカーテンがあって、 く、○○通りというような一つの街区で、街 計台などは﹁ボーイズ・ピー・アンビシャス﹂ 家の中からは見えないが外からは見えるよう えなくてはいけないのではないかと思う。 並みでがんばっていくというようなことを考 のためにあそこで苗木をくばったようです。 になっていたり、あるいはきれいな花や彫刻 最近マンションの窓でも、クリスマスの頃 などが、出窓のところへ外に向いて置かれて パーレイ・パーク(ニューヨーク) 一10一