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「人権」 に視点をおく小学校社会科歴史学習の研究

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「人権」 に視点をおく小学校社会科歴史学習の研究
学位論文
「人権」に視点をおく小学校社会科歴史学習の研究
兵庫教育大学大学院 学校教育研究科
教科・領域教育専攻社会系コース
MO1162E 岡澤順治
2002年12.月20日
目
序章
次
研究の目的と方法
1
3
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
第1節 人権教育の今日的状況
3/
第2節 普遍性を主張する人権論
5
第3節 普遍性を超える人権論
22
第4節 歴吏学習としての人権理論
3g
「人権」に視点をおく歴史捜業実践の分析と考察
第2章
第1節
分析の視点と方法
第2節
具体的な先行授業実践の分析
第3節
分析結果の考察
第3章
33
35
44
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
第1節
授業構成の方法原理
51
第2節
授業モデルの設計
58
終章
謝辞
研究の成果と課題
33
88
51
序章 研究の目的と方法
序章 研究の目的と方法
1 研究の目的
1995年頃より、人権教育が教育現場で盛んに実践されるようになってきた。同時に、
従来の同和教育は、「再構築だ」あるいは「深化だ」と言われながら、内容はどこかへ
飛んでいってしまったようである。人権が声高に言われるようになったのは、国連が
1995年(平成7年)から2004年(平成16年)までの10年間を「人権教育のための
国連10年」と定め、人権教育の幅広い推進を提言する決議を採択したことも理由に挙
げられるだろう。一方で、部落差別解消を目指して取り組んできた同和教育は、その
道25年方向の転換を迫られることになる。同対審答申後の昭和43年、兵庫県教育委
員会は、同和教育の本質を「人権尊重の精神に徹し、目本社会の歴史的発展過程にお
いて形成された身分制度に基づく差別や、現代社会の矛盾からくるもろもろの差別に
ついて正しく認識し、その解消に積極的な意欲をもった人間を育てることである。」と
し、以後学校現場では、教育格差是正の取り組み、部落差別意識の払拭のための実践
が教育活動全領域で行われ始める。
この取り組みは数多くの成果をあげたが、上の2点の課題を含めて部落差別の完全
解消には未だ道半ばであるという評価が妥当であろう。同和教育は徐々に人権教育に
包含されながら、差別解消への取り組みを続けることになる。
本稿は、同和教育の成果と課題を論じる事を趣旨とはしない。「同和」が「人権」と
いう名に変わり、人権教育の実践の内容を概観するとき、人権なる言葉が、理念的に
走り過ぎている現実、何でもかんでも気安く叫ばれている人権のインフレ状況、そし
て教育の現場においては、絶対的な価値を持つ言葉として認知されてしまっているこ
とを懸念することをまず問題意識としたい。「人権」が21世紀の社会にどのようなも
のとして位置づけられ、学校教育、その中でも社会科歴史学習においてどう実践する
かを一つの理論(仮説)として提起するのが本稿の趣旨である。
人権教育は新学習指導要領実施後も総合的な学習を中心に、様々な教科・領域で実
践されることになろう。本稿では、従来の絶対的な価値をもつ普遍的人権の名の下に
実践される人権とは解釈の異なる理論(仮説)を提起し、その理論に基づき、社会科
歴史学習の授業モデルを設計することを目的としているのである。
一1・
序章 研究の目的と方法
2 研究の方法
上記の研究目的を達成するために、以下の方法で研究を進める。
(1)人権に関する先行研究の成果より人権理論を提示し、「人権」に視点をおく社会
科歴史学習の授業設計の仮説を立てる。
(2)社会科における部落史学習、農民史学習、近代史学習の現状と課題を、先行授
業実践の分析を通して明らかにする。
(3)以上の分析より、「人権」に視点をおく社会科歴史授業設計の方法を明らかにす
る。
(4)(1)から(3)の研究成果をもとに、小学校社会科歴史学習授業モデルを設計
する。
一2’
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
第1節 人権の今日的状況
1 人権は今
戦後の日本では、「人権」そして「平和」「民主主義」は絶対的価値をもつ言葉とし
て取り扱われてきた。他方、近年こうした日本の戦後社会で形作られてきた「価値を
もつ言語」に対して疑義を唱える声も聞かれる。本研究における筆者の立場は、こう
した疑問の声に対して人権を相対化したり、教育における取り組みを否定的にとらえ
たりする立場にはない。
しかし今日人権は、昨今様々な解釈や取扱いがなされ、○○権といったように多種
多様な権利が人権の名のもとに主張され、「人権のインフレ化」傾向が起こっている。
また先述のように、そうした状況を郷楡するがごとく、フランス人権宣言から200
余年、欧米先進国の国民国家形成の主要な役割を果たしてきた人権の歴史的意義を疑
う言説も広がりをみせ、発展途上国の為政者からは「人権は相対化してみるべきだ」
とする考えが発せられているのである。
2 兵庫県の人権教育
では現在の人権教育の状況はどうなのか、具体的に兵庫県を例に概観する。本県で
は、人権教育として以下の四点をあげている。
1)人権としての教育
2)人権についての教育
3)人権を尊重した生き方のための資質や技能を育成する教育
4)学習者の人権を大切にした教育
*1
1)についてはく自己についての肯定的な認識の形成〉をあげ、自尊感情の形成を
促すとともに、自分や社会についての確かな認識を培い、アイデンティティを確立す
一3一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
ることを支援するとしている。
2)についてはく人権意識の高揚〉をあげ、生命の尊厳を基盤として憲法、人権の
歴史、平和と人権にかかわる問題、国際的な人権思潮などの認識を培い、人権意識を
育てることをあげている。
3)についてはく思いやりの心の育成〉をあげ、さまざまな個性を持つ人々との交
流を通して、自他の違いを認め合う態度や豊かな人間関係を築くための資質、技能を
身につけさせることをあげている。
4)についてはく一人一人を大切にした教育指導〉をあげ、学習者の興味や関心な
どに応じて、自主的、主体的な学習を促す教育指導に努めることをあげている。
以上は教育活動の全領域を通して実践されることを意図するものであるが、この中
で特に2)と4)の内容が社会科教育、そして歴史学習とも関連が深いと思われる。
そこで本稿では、こうした人権教育の内容を社会科教育において有効に実践してい
くために、人権論の先行研究の読みとり、歴史授業の先行実践あるいは先行研究の分
析及び考察を通して、「人権」に視点をおく社会科歴史学習の理論を構築していきた
い。
一4一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
第2節 普遍性を主張する人権論
1 権利としての人権論
人権とはいったい何なのか。人間はどのように人権と関わってきたのか、このよう
な問題意識を持って人権とは何か探っていくことにしたい。人権という言葉は辞書に
おいて「人間が人間らしく生きるために生来持っている権利→基本的人権」*2と書
かれている。あるいは「人類が生まれながらにして共有する自由平等の権利、即ち、
天賦人権である」という記述も多い。しかしこの「生まれながらに有している」とい
う言い方は一見確固とした意味にもとれるが、具体的にどういう権利を生まれながら
に持っているのかと問う時、人権は何とも不安定な言葉としても映る。さらに「人間
が人間らしく生きていけるための最低限の法的保障」*3とも書かれているが、これ
も先ほどの心もとない言い様を「法的保障」という言葉で補ったものである。
人権とは法的に定あられたもののみを言い表しているのだろうか。先述の「人間は
生まれながらにして」は「天賦人権説」という考えで、ブランス革命時の「人権宣言」
に始まった考え方である。その考えは「すべての国政が、人権の尊重、つまり人々の
幸福を実現するためのもので、政府や国家はそれを確保するための手段にすぎない。
閣僚をはじめ国家の公務員は個人の幸福を実現するための公僕である」*4とするも
のであった。一方「人間が人間らしく… 」の内容について宮崎繁樹は「権利とし
ての人権」*5において説明しているので、以下にまとめることにする。
人間が人間らしく生きていくための第一の前提は「人間として尊厳される
ことだ」としている。人は優越感を抱くことによって一種の生きがいを感じ
幸福感を抱くのが通常で、それ自体は非難すべきことではない。しかし、他
人を低く見たり、侮辱的な感情を抱くことは好ましくない。ましてや本人が
他人から言われたくない身体的な特徴、職業、出身、経歴などについて指摘
することは許されるべきでない。
第二の前提は「自由であること」であるとする。人間が自由に生きていけ
ることは理想の姿であるとし、日本においては真に自由が国民に認められた
時期はなく、「自由には制限がある」という留保がついてまわり、特に「公
一5一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
共の福祉による制限」は当然のことと考えられている。もちろん、限界なき
自由は認められず、自分の自由の尊重と同時に隣人(他人)の自由も尊重さ
れねばならない。
人権の尊重において重要な第二は、平等の実現、不当な差別の排除である。
人間は、人種、皮膚の色、性別、信条、言語、宗教の相違、社会的身分、門
地、などによって差別されることなく、平等に取り扱わなければならず、国
家機関は、平等に人権が保障されるように確保する責任を負う。平等の反対
が差別であり、差別的な取扱いは重大な人権侵害である。国連においても
1965年に「人種差別撤廃条約」が、1979年には「女性差別撤廃条約」が批
准され、日本もそれぞれ1996年、1985年に条約を加盟している。
人間らしさ、人間の尊厳という点から、宮崎は「自由、平等という権利」をあげ、
以下に示す三つの人権を述べている。この人権分類は国際人権規約に依拠しているよ
うだ。
一つ目は、自由権的人権である。身体の自由、思想・言論・集会・結社
の自由などの人権であり、市民的人権とも呼ぶ。刑事的人権や参政権も含み、
第一世代の人権と呼ばれている。
二つ目は、社会的人権である。自由権的人権だけでは、貧困のために餓死
寸前という状態では「入間らしい」とは言えない。「人間が人間らしく生活で
きる」社会保障を受ける権利、教育を受ける権利、労働者の団結権などを言
う。このような権利は第1次世界大戦後のドイツのワイマール憲法で初めて
法文化され、別名生存的人権とも言われ、第二世代の人権と呼ばれている。
三つ目は、最近開発途上国を中心に「第三世代の人権」と呼ばれるもので、
入類が死滅し、または集団として従属的・植民地的状態に置かれていては、
人権を享受できず人間らしい生活はできないとして、先の2つの人権の前提
基盤なるものとして、自決権、平和的生存権、健全な環境を保障される権利、
発展の権利、などが主張されている。*6
最後の第三世代の人権については、第一,二世代の人権である自由権、社会権的人
一6一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
権の保障によって足りるという説もある。確かに最近の傾向は「人権のインフレ化」
であり、第三世代の人権については、特に先進諸国では批判的な態度をとる意見が多
い。
宮崎も「政府や行政機関によって条項が守られず、人権侵害が横行するようでは、
人権は「絵に画いた餅」に終わる。」「人権は与えられるものではなく、絶えず、個人
が目を光らせ、手を組んで、守り育てていかなければならず、それを怠れば、容易に
侵されかねないもの」*7と述べている。
わが国の人権状況はどうかというと、確かに危ぶむべき現実に突き当たる。憲法に
は人権保護規定が定められているが、具体的な内容が規定されていないと現実には保
護されていないという傾向がある。行政機関には不信、人権擁i護委員には不安を抱き、
人権侵害に対して泣き寝入りしている事例が多く見られるようだ。
しかし政府は、国際人権規約で義務付けられている報告において「日本では完全に
規約の条項は守られており、全く問題はない。」というような報告をする。最近ようや
く「わが国についても、児童、アイヌの人たち、外国人について問題が残り、また、
日常生活・雇用の面において私人間で依然差別が見られる」ことを認め、同和問題に
ついては「心理的差別についてもその解消が進み、その成果は、全体には着実な進展
を見せているものの、結婚、就職等についての差別事件は根絶されていない」*8と報
告されている。
政府の姿勢はもちろんだが、われわれ一人ひとりの人権認識がまだまだ鍛えられて
いない現実をみる思いである。
一7一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
2 プロセスとしての人権論
フランス思想を専攻する増田一夫は、人権をプロセスとして語る。すなわち現在に
おいては、「人権は普遍か?」という問いに対して、「人権は普遍的に護られているに
はほど遠い。しかしその半面、人権の侵害は正真正面に普遍的だ。」*9と言う。人権
概念の有効性への疑問は人間の尊厳を願う人々も抱くものである。
増田は「人権を護る」という考えとはややちがう立場を提唱する。人権はむしろ常
に「獲得していく」ものであり、「動的な獲得のプロセスを起動するものj*10である
と述べハンナ・アレント*11を紹介する。アレントの結論は「人権は役に立たないと
いうこと。そしてけっして失った人間にとって、人権などはいわば絵に描いた餅にす
ぎず、その人間は普遍的な排除の対象にしかなりえない」*12というものだった。人
権の排他性については、ヒトラーの「法とはドイツ国民にとってよきものである」と
いう言葉が象徴的である。人権は冷酷な現実を覆い隠す欺哺に過ぎないのだろうか。
増田はグローバル化が進む今日の人権の状況を、開放性と閉鎖性の対極する二面性
が拡大されたと説く。さらに「人権の主張と現実が完全に一致するという:とは原理
的にありえないし、人権は自然にもとつく不動の権利ではなく、歴史と共に伸張し自
己補完していく何かなのだ」と主張する。
不明瞭な結語ではあるが、自然に与えられた既存のものではないとする考えには同
意できる。従って外交おいて「わが国では人権は完全に尊重されている。あなたの国
もわが国のようになるように努力しなさい」という直接的な言い方は、学校において
も人権概念の押しつけことになり、まちがった人権認識を子どもたちに植えつけるこ
とになる。
増田は国家主権の相対化にともなう未曾有のグローバル化こそ、そして地域紛争、
経済競争の激化、グローバルスタンダードという名の画一化という今日の状況こそ、
人権概念の実効的な適用を希求している人が多数いるのではないかとして、その活路
を「よりよい共生のあり方を考える自由の技法の政治」*13に求めている。
人権のプロセス性を歴史性とも読みとり、時代を遡って「人権宣言」が出された頃
の欧米をもう一度見てみることにする。
「人権宣言」は当初から、保守主義者や実証主義者*14らによってその抽象性が指
一8一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
摘され、多くの批判も受けていた。
さらに19世紀における社会主義思想家の代表であるマルクスは、論文「ユダヤ人
問題によせて」(1843年)において「人の権利が、利己的な人間の権利にほかならな
いという事実である。」*15と述べ、市民の権利と区別された人の権利が「利己的人間
の権利」に他ならず、『私的所有という人権』に収敏されることも指摘した。マルクス
はこの権利を「利己の権利」とし、資本主義社会において国家は、私有財産の安全を
保障する機関に成り下がっていると批判した。この考えは、20世紀において社会主義
思想に基づく国家が生まれた後も、社会主義を標榜する指導者に引き継がれ、資本主
義諸国との間で人権観についての相違を生み出している。
もう一つの大きな批判の潮流は、女性からの人権宣言批判である。その代表的人物
としては、1791年に『女性の権利宣言』を発表したオランプ・ドゥ・グV・一・Lジュと1792
年に『女性の権利の擁i護』を公刊したメアリ・ウルストンクラフトがあげられる。グ
ージュは「人権宣言」(Declara七ion of七he Rights of Man and of the Citizen)が男性
だけの権利宣言であるとして、「女性および女性市民の権利宣言」という請願をマリ
ー・
Aントワネットに提出する。内容は「人権宣言」(!)前文や各条文にそってそのま
ま取り入れたものや書き変えられたり、文章を追加したりしたものだが、男女の平等
を基本にしており、女性の自由を抑圧している男性の暴虐性が指摘され、女性の参政
権、結婚後の財産権、また子どもと父親の嫡出関係の確保に伴う言論の自由などが主
張されている。またウルストンクラフトはその著書で、タレーランの「女性は家庭に
とどまることが男女双方の大多数の幸福につながるとし、教育も女子は8歳まで、あ
とは家庭に入れ」という主張に対し、男女平等の原理をつらぬくべきだと主張する。
ルソーの『エミール』も男子の教育論であり、その論は「女子はますます不自然で弱
いものにするために、またその結果、女性はますます社会の役に立たないものにする
ために、ひたすら貢献してきたのだ」として批判する。ウルストンクラフトは平等に
ついて体系的には示していないが、「何よりも重要なのは女子教育の確立であり、さら
には選挙権も認められるべきだ」*16と主張した。
それ以後の人権は、19∼20世紀における戦争の時代を見てもわかるように、その保
障が充実、発展したとは言えない。ようやく1945年第二次世界大戦の終結を待って、
国際社会においても人権が重要な問題として語られるようになった。各国の国内法や
国際条約・宣言によって様々な表現が用いられているとはいえ、国際的には国連憲章、
.9’
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
世界人権宣言、国際人権規約などのように正当性を認められる文書が発効され、「人権」
の観念については、現在において世界中で広範な一致が認められている。
臼本においても、「基本的人権の尊重」は日本国憲法によって保障され、平和主義、
国民主権とともに憲法の三大原則として今日に至っているが、その内実は国内的にも
国際的にも様々な問題を有している。
例えば「人権は普遍的なものなのか、あるいは、文化、経済、政治それぞれの体制
により様々に解釈され、運用されうる相対的なものなのか」「人権は経済の発展や政治
の安定よりも優先され、保障されるべきか、否か」「人権の保障については、身体の自
由・・表現の自由といった自由権を優先させるべきか、生存権を中心とする経済的、社
会的権利が優先されるべきか」などのように、90年代初頭から国際社会においてもこ
の論争は華々しく展開されてきているが、次項では、こうした国際間の人権に目を向
けた大沼保昭の人権論を見ていくことにしたい。
一10一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
3 文際性としての人権論
(1)「人権の普遍性と相対性論議」を超える大沼論
大沼保昭はその著書*17で、人権の普遍性と相対性の議論が起こった理由の一つと
して「冷戦の終結」をあげている。前項でも社会主義思想の人権批判について概観し
たように、資本主義と社会主義の代表国であるアメリカとソ連の冷戦体制がソ連の崩
壊を機に終結し、西側諸国は「市場経済、自由民主主義体制の勝利」という形で総括
し、西側諸国の入権理念も国際政治の場で、民主主義という言葉と共に強く主張され
るようになったとしている。
大沼は理由の第二として「米国における人権問題の重要性の高まり」をあげている。
80年代後半から米国の学界では人権問題についての研究が広範囲に行われ、学問以外
でも様々な人々が人権問題について論じるようになった。「人権外交」というアメリカ
外交のキャッチフレーズにも見られるようにアメリカの巨大な国際的影響力と相まっ
て、人権が国際的に論じられるようになってきたのである。本稿の序でも記したよう
に、わが国の人権教育もこうした欧米諸国の先行実践を輸入する形で、国際理解(異
文化理解)教育、開発教育、グローバル教育といった呼び名で広く実践されていくこ
とになった。
さらに大沼があげる第三の理由は「米国人権外交による途上国人権侵害批判に対す
る特に東アジア諸国の反発jである。東アジア諸国のリーダーたちは欧米の経済理論
や政策の導入の意義を認める反面、自国の宗教や文化的価値が、安定した調和的な社
会の確立に肝要であると主張する。欧米の個人主義や法による社会規範、欧米など近
代国民国家を思想基盤とする人権モデルは、必ずしも普遍性を持ち得ないとする考え
方である。大沼は「このような主張と上手に付き合わずして、西洋型の人権理論だけ
を振りかざしても、普遍的な「人権」は広がっていかないであろう。」と述べる。
大沼は最後の指摘として、国連主催で行われた「1993年ウィーン世界人権会議」を
紹介する。この会議は人権の「普遍性対相対性」の論議が熱心に行われ、欧米諸国は
普遍主義的な人権観のより具体的な明確化を望んだが、途上国や東アジア諸国の多く
はこれに強く抵抗したのであった。*18
次に大沼の主張を解釈しながら、人権の「普遍性対相対性」あるいは「普遍性対特
一11一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
殊性」について考察していきたい。人権概念は本稿でも見てきたように、西欧におい
て「近代」国民国家を確立した国々によってもたらされたものである。ところが世界
の8割以上を占める国々において、2i世紀が始まった今まさに「近代化」が始まろう
としているのである。従って、今まで見てきたような西洋の人権観は世界規模で考え
るとほとんど理解されたこともなげれば意識されたこともないのであり、こうした状
況においては人権強制への反発も自然な流れといえる。
大沼はこうした人権認識における差異に対して「文際的アプローチ」を試みる。す
なわち、「今日、人権を考え、論ずることは、自然環境、歴史的背景、経済水準、政治、
文化、社会のあらゆる面で異質かつ多様な200力国近い国々における人権あ観念とそ
のあり方を最低限、頭の片隅に置くことにより自らの人権観を対象化し、先進国の脱
近代化と途上国の近代化が並行して進行するであろう21世紀の世界における人権の
意義と役割を含めて、多面的かつ包括的な形で人権を捉えることでなければならない」
*1gと主張する。これが大沼の主張する「文際性としての人権論」である。
次に先述の「普遍性対相対性」を考察するため、大沼の同著書「第4章 人権の普
遍性対相対性論争と現行人権基準の問題性」及び「第6章 人権の普遍化と非欧米諸
国」から見ていくことにする。
第4章冒頭は、「人権とは本当に普遍的概念か」という問いが「これまで実際に法
哲学、道徳哲学、人類学などの分野で、さまざまな相対主義からの問い、批判として
提起されてきた。」と記されている。*20この主張は90年代以降特に政治家、学者、
マスコミなどによって目立つ形で提起されている。果たして人権の普遍性は、今後21
世紀の国際社会において「広まっていくのか」「広まっていくべきなのか」という問い
がよく出されているが、人権の相対性との関連においては「現在の普遍的人権観自体
を相対化する形で将来地球的規模に普遍化すべき普遍性とは何かを考察しなければな
らない」*21としている。
原点に返って人権とは何かを考える時、先進諸国を中心とする支配的言説からは
「人権は、人が人たることによって有する権利」と解されてきた。但しこの「人」に
ついては、第二次世界大戦が終わるまで概ね「人=男性」だったということを忘れて
はならない。「人」が性、貧富、人種、皮膚の色、宗教、文化などの差異を乗り越えて
「人間一般」に普遍化されたのは1948年の世界入権宣言においてであり、さらなる
人権の拡張、権利保障は、公民権運動、植民地独立運動、女性解放運動を通してであ
一12一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
るように、時代的にはごく最近のことなのである。大沼は「人権の歴史は、ある観念
が理念としての普遍化可能性を持つ限り、それが限定された主体の利益を擁護するイ
デオロギーであったとしても、そうした主体の個別的利益を乗り越えていくという、
普遍的一というより、正確にはむしろ普遍化可能な(Universalizable)一理念の歴史
のダイナミズムを示している。」*22とまとめている。
筆者も人権については、現在においては普遍化可能な段階にあり、「人権」は絶対
化されるべきものではなく、歴史的に探求され、鍛え上げられていくべきものという
認識に立っている。
人権の歴史を振り返るとき、人権の普遍性は被支配側から支配側に対して主張され
るのが常であったが、90年代の論争は欧米諸国が人権の普遍性を唱えるのに対し、ア
ジア・アフリカ地域を中心とした非欧来諸国は相対性を主張しており、今までの歴史
と「正反対のねじれ」を示していると述べている。
さらに大沼は「屈折したねじれ」を紹介する。どういう事かと言えば、もし仮に「人
権は近代ヨーUッパ文明の産物か、他の文明(自己の属する文明、文化、宗教など)
にも人権が存在していたのか」と問うた時、途上国の知識人は欧米諸国の唱える人権
の普遍性には否定的ながらも、自国の人権存在には肯定的に答える者が多いという。
大沼はこの質問自体が誤りであると指摘し、「人権が」ではなく「人権に相当する思想
的・機能的等価物が」という主語の質問にすべきだという。ここにも現在の人権認識
への際立った国際間における差異が見られるのである。大沼は人権の「普遍性対相対
性」の論議が国際社会においてねじれや政治性を無視したまま、対立の構図を専生産
する事は好ましくないとし、大切な事は「各国が人権状況を一致できる基準で客観的
に評価して、国際社会の限られた資源を最大限効果的に人権状況の改善に投入するこ
とである」*23と述べている。
大沼の主張の後段部分はやや具体性に欠けるように思うが、前段の欧米諸国と非欧
米諸国が人権について一致できる基準を見つける取り組みこそ、「人権への文際的アプ
ローチ」であると解釈したい。すなわち、「長期の歴史展望に立ち複数の文明の視点を
導入することが、三際性を有し、普遍化可能な人権の認識と実践を深めていくことに
なろう」*24と主張している。
第6章冒頭で大沼は、「途上国においても概ね20世紀前半まで被治者の利益を保護
する制度は存在し、多様な歴史的社会には多様な権力抑制メカニズムが存在し、それ
一13・
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
それの社会において一定程度機能していた」と述べている。「近代化はこうしたメカニ
ズムを破壊し、国家の指導者は暴力装置を独占し権力を行使する。指導者は武力抗争
に従事し、住民たちはその犠牲となる。」「こうした現象は第二次世界大戦後独立した
国々に多く見られた現象であり、こうした国々における人権侵害状況をもたらしてい
る根本的要因は、先述したような前近代的なメカニズムの崩壊と近代的メカニズムの
未発達という過渡期的性格に他ならない。」と述べている。*25
大沼は「人権は、近代主権国家という歴史的理念・制度と表裏一体をなす理念であ
り、制度である。(中略)歴史上試みられてきたさまざまな理念や制度の中でこれまで
のところ最も効果的な被治者保護のメカニズムであった。」*26と述べ、現代の途上国
が「一方で、主権国家という近代の所産を利用しつつ、他方で人権という所産を拒否
するのは、権力者にとって最も都合のよいっまみ食いであって、とうてい許されるも
のでない」*27と語気を強めている。
確かに途上国の指導者は自国を先進国の軍事的、或は経済的圧力の下に置かれた弱
者として位置づけ、先進国からの防御的手段として自国の国家主権を主張する。なら
ば自国の被治者の人権についても最大限尊重するのが近代国民国家のルールというこ
とが言えるだろう。ここに人権の相対性(文化相対主義)を主張する側の矛盾が露呈
している。
しかし、欧米先進諸国やアジアとの関係を重視したいわが国にとって、その矛盾を
ことさら大きく取り上げて「人権の普遍性」を主張するのみでは、グU一バルな「人
権の普遍性」にはつながらないだろう。大沼は現在の欧米中心主義、南北問題、過去
の植民地支配における負の遺産、今日特に顕著な資源浪費型生活様式を改善していく
必要性についても言及している。
また、アジア・アフリカ諸国の指導者には、文化、宗教、伝統、道徳、さらに文明
の違いを理由に人権を拒否する状況が見られるが、大沼は「一国の文化、宗教、道徳
は、時代と共に変化する。今日「伝統」と呼ばれるものは、数十年前、数百年前に外
から持ち込まれ、次第にそれ以前の「伝統」をあるいは駆逐し、あるいは変化させて
定着したものが少なくない。なかには作為的に創られた伝統さえある」とボブズボウ
ムの著書『創られた伝統』の一節を引用しながら「伝統」について言及している。長
い歴史を誇る宗教にしても、その教えの解釈は時代や地域や集団により変化しつつ時
間をかけて定着している。この間の様々な努力には自国の社会の人々自身のものばか
d14一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
りでなく、文化、宗教、伝統を再解釈する環境を作り出すための外部からの働きかけ
も必要であり、大切である。しかしこのことは、先進国側から途上国側への一方通行
であってはならないだろう。先進国側にあっても「人権外交」における二重基準や経
済的搾取構造を改める必要があろう。過去の植民地支配や帝国主義政策に対する途上
国側の不信感を払拭し、現在の外交政策や経済的行動においても、真摯な反省に立っ
た実践が望まれる。
(2)戦後日本の人権への取り組みへの経緯と文際的人権論
こうした「人権の普遍性対相対性」を論じ合う意義について、大沼は90年代以前
の「人権にかかわる言説がいかに欧米中心的で一面的なものだったかを、多様なメデ
ィアを通じて多くの人々に認識させる意味で」きわめて重要だったこと指摘している。
90年以後の論争においては、欧米の憲法学者や国際法学者を始め多くの人々に普遍
主義的人権観の問題性を意識させることができ、こうした「人権は普遍的か」という
問いの広まりは、人権理論の分野でも「文化横断的人権論」あるいは「非西洋文化(宗
教)による人権の基礎づけ」といった研究や提起を生み、全地球的妥当性をもつ人権
評価の枠組みの理論的手がかりとして歩み始めている。*2s
確かに現代においても政治経済、文化情報など多くの分野で欧米中心的な空間が広
がっている。こうした歴史的な状況については欧米諸国、非欧米諸国双方に様々な歴
史的要素があり責任があるという立場で考察してきたが、ここでアジアにおいて唯一
欧米諸国の仲間入りを果したとされる、日本の人権への取り組みの経緯や今後の課題
について考察したい。
目本において「人権」という言葉は、明治時代の自由民権運動の頃から「民権」と
共に一部で使用されていたが、社会的には人権への関心は乏しく、普遍的な人権とい
うような意識はないに等しかった。
戦後日本国憲法において、「基本的人権」が保障された頃からようやく学界や法曹
界において関心が芽生え始めた。しかし80年代に入る頃までの日本の人権に対する
取り組みとしては、学界においては「進んだ国際人権保障のメカニズムにより、遅れ
た日本の人権(=自由権)状況を批判的に検討し、その改善に資する」といったよう
な段階にあり、また一部の人権活動家、ジャーナリストにおいては、韓国軍事政権の
.15一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
厳しい人権弾圧を批判し、民主化運動に協力する姿勢も見られた。一方政府側は、こ
うした取り組みを「観念論」「単なる理想論」として退け、人権に価値をおいた外交姿
勢は全く見られず、外交自体はアメリカだけを視野に入れた二国間外交そのものであ
った。
70年代後半、ベトナムからの難民受け入れ問題で無関心を決め込んでいたのを国際
社会から轟々たる批判を浴び、政府はようやく思い腰をあげる。70年代末から主要な
人権条約への批准も行われ、1979年国際人権条約が、1981年難民条約が相次いで批
准された。80年代に入り、政府は表向きには人権に関わる日本の国内法をすべて人権
規約に適合するよう努力し始めるが、不備も多く、国内の在留外国人、労働組合、人
権団体などは政府の様々な人権規約違反を指摘し、法的な争いが展開される
こうした動きに呼応するように、社会的にも在日韓国・朝鮮人(特に外国人登録制
度の指紋押捺制度)、アイヌ人、刑事被告人、発達遅滞者、女性などの地位向上、権利
保障に向けた取り組みが活発化する。また経済大国化により、政府はODAなどの途
上国への援助も行うが、必ずしも民衆レベルへの権利保障になっておらず、一部の有
力者の懐を潤すだけの結果に陥っていることも指摘された。こうした事態に対し、欧
米諸国からは、途上国の国内人権状況に目をつむったままの援助だとの批判も受ける。
80年代後半は日本国としての人権感覚が問われる時代でもあった。
この状況は90年代に入っても継続される。大沼は中国で起こった天安門事件や
ODA大綱を例に挙げ、人権を内包する外交問題への日本の対応を一定程度評価する。
天安門事件では「西側の立場」にもはっきり立てず、また戦争に対する中国の反擾を
気にしながら進めるやり方を、折衷主義的対応としながらも一定の成果はあったと評
価する。またODA大綱については、それまでの欧米諸国の主張を踏襲するだけのも
ので、抽象的な指針に留まる内容であったとしている。
また大沼は、NGOが人権外交に関与する重要性についても述べている。政府によ
るNGO拒否姿勢を転換し、不信感をぬぐうよう主張しているが、その成果は充分で
ないこと、NGO側も「政府=悪、人民=善」という図式を乗り越えることを通して、
文際的正当性をもつ国際人権政策の基礎作りに貢献する可能性を期待している。
最後に、大沼の文際的人権観についてまとめていくことにする。*2g
文際的入旧観は、欧米先進諸国の主張する普遍主義的人権観の立場にも、それと対
峙する相対主義的人権観の立場にも立たない人権観である。これまでの議論で大沼は
一16一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
「民族文化や宗教、社会的習慣などが時代と共に変化するように人権も変化する」*
30として、普遍性、相対性の両者の主張やその矛盾、限界を記してきた。
大沼は、世界人口の80%以上を占める途上国の人々が、人権を享受しなければなら
ないとして普遍性の立場に立つ一方で、異なる価値体系と人権の併存を受け入れ、相
互批判と受容の過程で様々な差異を統合し、克服することを目指す立場から、絶対的
な普遍性の立場とは異なるという。
大沼の示す人権論は「人間が物質的にも精神的にも満たされるという、人類がその
さまざまな文明の歴史で追求してきた目的を実現する一重要ではあるが一ひとつの手
段であり、それ自体目的ではない」*31というものである。
「手段」は、人権軽視とも受けとめられない危険な言い方ではあるが、大沼は「人
権が近代の主権国家と資本主義経済による人間の:尊厳破壊に対する最も効果的な防禦
手段であった」と主張し、また「近代欧州が生んだ歴史的思想・制度にすぎないが、
人類が近代主権国家体制の下で、個人の利益と価値を守るために人権以上に優れた思
想・制度は未だに見出していない」*32として、人権を普遍化可能な概念と位置づけ
る。
筆者もその立場に全面的に依拠したい。歴史を振り返ってみても、これまで人権理
念を取り入れてきた諸国における経済的繁栄、少数者の利益、貧富の格差、平均余命、
抑圧者や不当な投獄による死者数などを取ってみても、人権の全世界的妥当性を主張
するに充分なものといえるだろう。保守主義の立場や人権の自国への不適用や不採用
を主張する立場からは、主権国家における強大な権力、社会的差別や抑圧、企業権力
からの個人の保護を人権以外の方法によって実現することを論証する必要があるだろ
う。人権のある一面において持つ弱点をさらけ出すだけでは、21世紀の人類、国家、
社会を構築するテーゼの提示とはなりえず、人権の普遍化への批判や攻撃は、主権国
家による個人の価値領域への侵害を正当化するイデオロギーと解釈されることになる
だろう。
大沼はこれまでの人権論において、特に米国による自由権中心主義についてもその
問題性を指摘してきたが、これも歴史的には一定の役割を果たしてきていると述べて
いる。ただ、21世紀の人権理論の発展には自由権中心主義からの脱却が肝要としてい
る。さらに大沼は、第二,三世代の人権について危惧も示している。その一つは、「本
来「人権」という構成に適さない価値まで人権化することにより、人権の法的権利性
一17一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
そのものへの疑問を招き、その規範性を弱めるおそれがある」*33ことである。さら
に「法的メカニズムになじまない価値の人権化は人間生活を過度に「権利」の言葉で
発想、表現することになる。権利依存の社会は、権利という言葉がもつ自己主張的、
対決的、強制的性格という色彩を帯びたものになるだろう」*34とし、人権理論は単
なる人権の増加や雑多な価値の人権化をして、「進歩」「発展」としてはならないとす
る。筆者はその主張に対しても支持を表明したい。
さらに大沼は、「人権が今後とも最も有効な手段であることを保障するものではな
い」とし、「その欠陥が深刻となり、他にもっと有用性の高い方法が見つかるなら、人
権もそれにとって代わられるか、少なくともその内容が是正され、他の有用な手段に
よって補足・代替されなければならない」とする考えを明らかにしているが、筆者は
「人権」が歴史的な性格を持つものであると捉える見方にも同調したい。この理論が
本稿第4節において示す社会科歴史学習の授業理論として提示することも期待したい。
大沼は最終項において、ロールズやドウオーキン、あるいはセン、ハーバーマスな
どの学説・理論を優れたものであると評価し、これらが今まで取り交わされた国際人
権規範文善を、「三際的・民際的視点から批判的に分析し、解釈し、補足し、修正して
いく上で重要な理論的視点を我々に提供してくれた」*35としながらも、これらの疑
問や限界性についても言及している。
大沼はいずれの概念、認識枠組みを用いるにせよ、「われわれが共有する無意識の
前提からわれわれが解放され、それを疑ってみることができるようになることである」
*36と述べ、「人権という、近代ヨーロッパが生んだ偉大な観念を扱う上で、われわれ
に深く染みついた欧米中心的発想、さらに米国中心的発想から自己を解放し、しかも
単なる欧米中心主義へのイデオロギー批判にとどまらない、建設的な人権観を構想し、
それを説いていくことは、今日人権問題にかかわる者ひとりひとりが負っている、現
世代と将来の世代に対する公共的責任である」*37として、「文際的人権観の試みは公
共性の一環を担うべきものにほかならない」*38とまとめあげている。
’18.
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
【注1
*1
兵庫県教育委員会編「人権教育推進資料」兵庫県教育委員会、1998年
*2
新村出編『広辞苑 第5版』岩波書店、1998年
*3
前掲*2
*4
宮崎繁樹「権利としての人権」 磯村英一、宮崎繁樹編『現代の人権と同和問題』 明石書
店、1996年P.19
*5
前掲*4 pp.19−23を筆者がまとめた。
*6
前掲*4 pp28−30を筆者がまとめた。尚、この「一世代の人権」はよく耳にする言い方
であるが、同義ではあるが別の表現もある。曽和信一『人権問題と多文化社会』明石書店1996
では、「世代」を用いた表現が、前の代からおのおの続いてくるものであり、次の代が前の
代にとってかわるというイメージがあることから、世代にかえてカテゴリー(範疇)という
捉え方で人権を考えていこうということで、「カテゴリー(範疇)」という表現を用いている。
*7
前掲*4 p.30
*8
同対審答申:1960年(昭和35年)に発足した同和対策審議会が、65年8月11日に提出し
た総理大臣の諮問く同和地区に関する社会的及び経済的諸聞題を解決するための基本的方
策〉に対する答申。以後、同和行政の基本的指針たる役割を果たし、現在も、政府、地方公
共団体はもちろん民間運動団体でも、この同対審答申について積極的評価を与えている。答
申は、前文、本文、結語からなり、本文はさらにく第1部 同和問題の認識〉<第2部 同
和対策の経過〉〈第3部 同和対策の具体策〉に分かれている。(秋定嘉和他監修『新修 部
落問題事典』解放出版社、1999年より)
*9
増田一夫「プロセスとレての人権」小林善彦・樋口陽一編『人権は「普遍」なのか』 岩波
フ“
bクレットNo.480、1999年 p.15
*10
前掲*12 p.16
*11
ハンナ・アレント(1906∼1975) ハノーファー生まれの政治思想家。マールブルク大学、
フライブルク大学、ハイデルベルク大学でM・ハイデガー、E・フッサール、 K・ヤスパー
スらに師事。ナチス政権が成立した1933年ユダヤ系ドイツ人のアーレントはパリに亡命。
1941年にはナチスがパリを占領したことから渡米した。終戦後もアメリカに留まり、1951
年に市民権を取得。以後、アメリカの諸大学で講義を行うほか、精力的かつ多面的な執筆活
動を展開し、現代社会の思想的諸問題について考察した。主著に『全体主義の起源』『人間
の条件』『イェルサレムのアイヒマン』『精神の生活』などがある。(この註は、中村雄二郎
一19一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
×野家啓一『21世紀へのキーワード 歴史』岩波書店、2000年、p.155より抜粋した。)
*12 前掲*12 p.17
*13 前掲*12 p.21
*14 代表的な人物として、保守主義者であるエドマンド・パークについては後述し、実証主義者
としてはオーギュスト・コントをあげる。彼は、『社会再組織の科学的基礎』(1822年)に
おいて新しい社会の模索の一つとして、人民の企てが考えられるが、これは誤りである。な
ぜならこの企ては封蓮的・神学的な組織を破壊するのに有効だった批判的原理をそのまま新
しい組織原理としょうとしているからだとして、その例として、信仰の自由という原理は、
神学的信仰の強制を破壊するには有効だが、社会の存立に必要な「一般的な観念の体系」を
つくるには障害となる。ここでいう「一般的な観念の体系」とは「共通の価値観」にあたる
ものと解釈される。つまるところ、各個人の主観的な判断が最高のものとして、どうずれば
「共通の価値観」を作り出せるかは至難の問題といわざるを得ないとする。(浜林正夫『人
権の思想史』吉川弘文館、1999年、pp.60−63 を筆者がまとめた。)
*15 辻村みよ子「人権の観念」樋口陽一編『講座 憲法学3』日本評論社,1994年、p24
*16 グージュとウルストンクラフトの業績については、前掲*17 pp.85−88及びpp202−206
を参考に筆者がまとめた。
*17 大沼保昭著『人権、国家、文明』 筑摩書房、1998年
大沼の言う 「文際性」とは、「欧米諸国と非欧米諸国が人権について一致できる基準を見つ
ける取り組み」であるとしている。
*18 この会議の報告については、萩原重夫「人権は一つ? それとも二つ?」憲法理論研究会編
『人権理論の新展開』 敬文堂、1994年にくわしい。
*19 前掲*20 PP.9−10
*20 前掲*20 p。141
*21 前掲*20 P.142
*22 前掲*20 p.144
*23 前掲*20 PP.150−151
*24 大招は、この文際的アプローチは人権のみならず、安全保障、環境、経済などの国際問題に
おいて試行されねばならず、またその過程で方法として批判され、確立されるべきものであ
ると註で述べている。(前掲*20 pp174・175)
*25 前掲*20 pp.236−237を筆者がまとめた。
一20”
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
*26
前掲*20 p.237
*27
前掲*20 p.237
* 28
この段落については、前掲*20 pp.250−251を筆者がまとめた。
*29
この段落は、前掲*20pp.254−268を筆者の考察を含めてまとめた。
*30
前掲*20
p .289
*31
前掲*20
p .294
*32
前掲*20
p .295
*33
前掲*20
p .300
*34
前掲*20
p .300
*35
前掲*20
p .333
* 36
前掲*20
p .336
*37
前掲*20
p .337
* 38
前掲*20
p .337
一21一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
第3節普遍性を越える2つの人権論
本節は、第2節で紹介した普遍性を主張する人権論を超える2っの人権論を紹介し、
人権教育あるいは、社会科人権学習に生かす可能性を探っていきたい。
1 感傷性としての人権論
この人権論はリチャード・ローティ*1に依拠するものである。従来実践している
人権教育において教科・領域名を挙げるとすれば、国語あるいは道徳(特に情緒面に
おいて)におけるアプローチとして有効と思われる人権論であると考える。さらに社
会科歴史学習においても歴史のわかり方の一つとされる「共感」に対応する理論とし
て、従来の人権論を一段バージョンアップした人権教育カリキュラムを構想する大切
な提起となる。そこで、ローティの「人権、理性、感情」*2をもとに論じる川本隆
史氏*3の「人間の権利の再定義」*4により若干の考察を試みる。
ローティ論の顕著な特徴は、人権の理論的基礎を人聞の合理性(普遍的な理性使用
の能力)におくのではなく、感傷性に訴えることが人権文化の伸張につながるとする
ネオ・プラグマティズムの考え方にある。彼の考えの基盤となる出来事は、ボスニア・
ヘルツェゴビナの内戦における人権意識の全くない残虐行為であった。彼はお互いが
それぞれの人権を全く自覚しない戦闘においては理性が働く場面はないことから、人
間の理性使用の能力に疑問を呈している。すなわち人間の合理性は、非常時や緊急時
には役に立たないというのである。
ローティはアルゼンチンの法律家で哲学者であるエドアルド・ラボッシの「人権基
礎づけ主義は時代遅れ」だとする説に依拠しており、「人権をホロコースト後の世界に
やっと形成された「文化」だと捉え直し,その陶冶・育成を推進するのが先決なので
あって、人権を没歴史的な人間性や合理性によって基礎づけようとする路線はもはや
時代に遅れている。」*5としている。
ローティは人権の基礎に関する道徳上の知識を押し広げるよりも、人権を奪われた
人々の悲しい感傷的な物語を聞かせることによって、「私たちと同類」とか「私たちの
ような人々」という言葉が持つ指示対象を拡張することができるという仮説を打ち出
している。そして、「どうして私は親戚でもない、不愉快な習慣を持つ、赤の他人のこ
一22一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
とを心配しなければならないのか」という疑問に対して、「相手が人間なら誰だって心
配すべきなのだ」とする従来の説得力のない回答を見直すべきだとしている。
この回答については満足するものが提示されていないように思えるし、ローティ論
は人権を見直す一つの提起ではあっても重要な柱とはなりえないという感がする。そ
れは近代人権思想が「合理性」という点で限界性を露呈している事態はあるものの、
かといって人権を「感傷性」のみによって論じるのはあまりにもバランスを欠いた主
張であり、人権教育においても、人権の「合理性」という歴史的な認識と「感傷性」
という共感の両面を保ちつつ、人権の「普遍性」の探求を試みていくべきではないか
と考える。
2 思想性としての「人権」論
比較憲法学を専攻する樋口陽一氏は、現在一般的に使用されている入権という言葉
は、Human Rightsというふうに、 humanが形容詞で使われていることに注目してい
る。*6
一つ目の人権論として樋口は、人権を「人」権として表記し、「人」の解釈から始
める。「人」権とは「いちばん厳格な意味では、権利の性質を形容する言葉ではなく、
権利の主体を指していたはずである。」*7という主張である。
トーマス=ペインは《Right ofMan》と表したし、人権宣言も《Droits de l’homme
et du citoyen=人および市民の諸権利の宣言》であったとする。樋口は「主体として
指された「人」は、身分社会の網の目から解放され、そのかわり保護の楯からも放り
出された、人一般としての個人に他ならない。」*8と述べ、人権から「個人」という
西洋近代の理念が生まれたとする。近代以前は、神の意志がなんらかの基本的価値を
人々の届かない所に置いていたが、近代においては、個人の尊厳=「人」権を設定し
たとしている。
こうした「人」権を狭義の“人権”ととらえ、人一般としての個人あるいは個人を
享有主体とする人権という観念は、特殊フランス的であるとする。このことによって
「近代」が表現され、また集権的国民国家が中間団体を解体して「個人」を掴み出し
た所にこそ「主権」という本来的な意味があり、「主権」もまた特殊フランス的である
一23一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
ことによって“近代”の表象なのであるという。樋口は「こうした特殊フランス的で
あることを自覚したうえで、“特殊なるがゆえの普遍”という文脈をつかみ出すことが
必要である」*gと述べている。
広義の人権の観念は、歴史貫通的なものとされ、法制度化される過程においてもく
civil rights>(古典的自由権)→〈political rights>(参政権)→<social rights>
(社会権)へと拡大したとされるが、本稿においては人権を狭義にとらえたい。すな
わち、「共同体への帰属から解放された人一般となった個人を主体とするもの(droits
de 1’homme)」*10であり、権利といえば、市民の権利(droi七s du citoyen)なのである。
樋口は、この歴史的な狭義における入権の観念は「解放された意志主体であるが、
何の保護も受けず、自己決定という結果に耐えることのできる自律的個人が想定され
た」*11ことを重要視する。もちろんこの「自律的個人」は現実には考えにくいので、
樋口は「強くなろうとする弱者」を想定し、「強者たらんとする弱者」の団結、共同体、
エスニシティへの言及は意味を持つものとする。もし「強い個人」「個人の尊厳」を貫
徹するならば、現在の日本国憲法の解釈からすれば、第24条は家族解体条項として
の論理的含意をも備えているという。*12
繰り返しになるが、樋口は「強い個人」を現実のものとしようとしているのではな
い。「人権という観念のほんとうの「ウラ」、すなわち、その観念の内部自体に組み込
まれてしまっている緊張要因をめぐる問題」こそ、大切にしなければならないとする。
では人権の「ウラ」とは何か。樋口は「人権の形式と内容との間の緊張に他ならな
い。」*13と述べ、また「“近代”そのものに内包されている緊張の反映」*14とも述
べて、例として現代の生命科学の急展開における尊厳死の問題をあげる。すなわち問
いとしては「強い個人」の意思は生命までも否定できるのか。さらに「強い個人」の
意思は「生命を操作し、生産することまでできるのか?」というのである。一方で「自
己決定できない弱者」は、人権の主体ではなくなるのかという問題が緊張関係として
内在しているという。r自己決定の原理を支える「近代」の論理は、主知主義、合理主
義、世俗化であり、近代法はそれに対応して、諸個人の意志の自立と自律である意志
主義(voluntarism)を原則とする」*15一方で、「近代法は、人間意思によって左右
されない個人の尊厳という価値を、その倫理的前提としてもいる」*16といった緊張
に満ちた複合が人権なのだとしている。
この人権の形式と内容に疑義を唱える一つに長谷川三千子氏の論がある。すなわち、
一24一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
1776年のアメリカ独立宣言では、「神」によって与えられた奪うことのできない権利
と宣言しつつ、1788年憲法前文では「人民」が憲法を制定し確立したと規定するのは
「閉め出したはずの神様を、こっそりと裏口から引き入れ」*17ことになると評して
いる。これに対して樋口は長谷川の「ゴマカシ」はその意味においてはあたっている
としたうえで、「もっとも、その「引き入れ」方は「こっそりと裏口から」というより
は、正門から堂々と「宣言」しながらといったほうがよいだろう」と述べ、「そのよう
なフィクションのうえにこそ「人」権が築かれてきた、ということの積極的な意味あ
い」に注目すべきだとしている。このように「危ない綱渡りを宿命づけられていた「近
代」」*18においても、人権は批判と論難がよせられた。
樋口の二つ目の人権論の趣意は「人権の普遍性について、もう一度考える」である。
この見方は、前節で紹介した大沼の人権論とも共通するが、樋口は「「絶対的な相対
主義」は「あらゆる文化が等価だ」とすることによって、かえって対話交通の途を閉
ざしてしまう」*1gとして「普遍を、どんな具体的な歴史的実在とも混同しないこと
であり、一つの基準、一つの願望、一つの分析道具、一つの指導理念として位置づけ
ることである」*20としている。さらに対外的には「相違への権利」を主張する文化
相対主義者は、自分たちの文化単位では内側の相違をしばしば禁圧するとして、批判
の自由と異論の存在をみとめない文化と共存することは、論理上不可能であるとして
いる。樋口は、「自己懐疑の能力という、人間の知のいとなみにとって最小限必要な前
提を共有するものと、しないもののあいだにあるのは、普遍と特殊の関係というほか
はない」*21と主張している。
文化相対主義者においても「人権」の中身を「人間らしく生きる」ことについては
同意するだろう。が、何をもって「人間らしく生きる」かについては様々な解釈が成
り立つとしてf「こと挙げをせず」「まわりと溶けあって」「持ちつ持たれつ」やって
ゆくくらしの方が、自分たちのものの考えや信条にこだわって生きるより「人間らし
い」と考える人は、少なくないのではないか」*22として、もはや「単純に西洋近代
をモデルとして想定された普遍主義の立場をとることはできない。しかしまた、人権
に関するかぎり、単純な文化相対主義に助けを求めることもできない」として花崎皐
平氏の所論を紹介する。*23
「人権と民主主義」にもとつく秩序をめざすことと西欧化=近代化を目標
一25一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
とする自由主義イデオロギーとを区別し、前者を実現の道の、地域的、民族
的、システム的多様性を探究することが重要で、諸社会、諸民族の伝統と文
化に内在する普遍的な要素=契機を相互に照合しあうような共生の倫理を
獲得しなければならない。人権と民主主義とかは、人が人としてちゃんと生
きようとしていることにはかならず息づいていて、発現をもとめているのだ
から。
樋口は花崎の「「一人一人の個人のアイデンティティ問題」と「エスニシティの問
題」とが「むすびつきだしてきている」として(中略)「各人が自覚して自分の帰属
とか愛着の関係を選び直すあり方」が「現在は登場してきている」」という主張を紹
介している。
樋口は現在進行しつつある「文化」多元主義においても、「自然としての文化」と
「人為としての文化」は区別されねばならず、言語や宗教などの「自然としての文化」
は、個人が「選びなおす」ことによって「人為としての文化」となり、このことより
「個人一人一人」の「選びなおし」に開かれている文化と、そうでない文化は等価で
はありえず、「選びなおし」を可能にする文化こそ、「人権理念の普遍性」ということ
の意味だったと述べている。*24
樋口の三つ目の人権論は「国家というものをどう考えるか」である。樋口は「もと
もと一人ひとりが丸裸になることによって国家という一ヶ所に力を預ける、そのこと
によって個人の生活を保護してもらうというのが、社会契約論の論理そのものだった
はず」として国家の役割を社会契約的にとらえ、現在の日本社会において国家はその
機能を果たしていないのではないかと説く。「近代以前の身分制というがんじがらめ
のしがらみ、それから宗教という人間社会をもろに全部覆い尽くしてしまうような巨
大な力、こういうものに対抗しながら、近代国家というものが出てき」、「その近代国
家が身分制を壊し、宗教や政治のかかわりを整理することによって個人を解放する」
というのはフィクションの論理ではあるが、「「個人」を封じ込めていたものを国家が
ばらばらにして、いわば「個人」を創り出した」としている。
樋口は「国家は、個人にとってまず解放者だった」が「全面的な支配者になりかね
ない」ので、個人は「国家からの自由jが必要になり、「個人の方から様々なルール
をつくり国家を縛る」立憲主義が、近代社会の描くモデル的なイメージだとしている。
一26一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
また国家と「民族」の違いについてもはっきりさせる必要を説いており、国家が戦
争の為に「民族」を持ち出すことを懸念している。日本は単一民族国家ではないとい
うことは立法府や裁判所においてはっきり法的に確認されているし、近代国家をつく
っているのは民族ではなくて「国民」であることを大前提としていない所に問題があ
るとも指摘している。
最近の日本における国家の状況については「国家が出てくるべきところで出てこな
いで、本来出るべきところでないところにでしゃばる」として、薬害エイズの問題(国
家が国民の安全を確保するという点から)、大災害や犯罪に対する対応については「国
家はもう何もしないよ。みんな自助努力でやりなさい」として、肝心な国家がどこか
へ行ってしまっており、逆に「国旗・国歌法」については「ちゃんとやらなくちゃだ
めだよ」と上からのしかかってくると指摘している。90年代に入り、強い立場にある
人が「自己責任」ということを説いているのだが、本来は弱い立場にある人が弱いか
らこそ、個人の尊厳ということを主張する必要があるのであり、樋口はこうした本来
の姿とは違ったねじれ現象を解きほぐす必要があることを説いている。*25
一27一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
【注】
*1 R・M・ローティ(1931∼)二za・一ヨーク生まれのアメリカの哲学者。シカゴ大学、エール
大学大学院で哲学を学んだ後、プリンストン大学助教授、同大学教授として活躍。バージニ
ア大学教授を経て、現在スタンフォード大学教授。1979年、ヨー・一Lロッパ哲学の伝統的思考
や近代哲学の発想に異を唱え、プラグマティズム的転回の遂行を主張した。『哲学と自然の
鏡』が論議を呼び起こし、様々な批判を受ける。以後、『哲学と自然の鏡』で展開した論考
をさらに進め、『哲学の脱構築一プラグマティズムの帰結』などにその研究成果を肇表して
いる。主著は他に『連帯と自由の哲学』『偶発性・アイロニー・連帯』『哲学と社会的希望』
などがある。(中村雄二郎x野家啓一『21世紀へのキーワード 歴史』岩波書店、2000年、
p.66より要約)
*2 ジョン・ロールズ他オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ『人権について』ステイーヴン・
シュート/スーザン・ハーリー編 中島吉弘・松田まゆみ訳、みすず書房、1998年
*3 川本隆史(1951∼)広島生まれの倫理学者。東京大学文学部倫理学専攻を卒業後、同大学大
学院人文科学研究科へ。跡見学園女子大学助教授、同大学教授を経て、現在、東北大学文学
部教授。専攻は倫理学、社会哲学。1995年発表の『現代倫理学の冒険一社会理論のネット
ワーキングへ』は政治哲学、経済哲学、法哲学とのネットワーッキングの試みとして、倫理
学を構想とした意欲作。主著は他に『マイクロ・エシックスー小銭を払う倫理学』(編著)『現
代思想の冒険者たち23 ロールズー正義の原理』、訳書に『合理的な愚か者一経済学=倫理
学的探究』(共訳)などがある。(中村雄二郎×野家啓一『21世紀へのキーワード 歴史』岩
波書店、2000年、p211より要約した。)
*4 川本隆史「人権の権利の再定義一三つの道具を使いこなして」野家啓一編集責任『岩波講座
新哲学講義 別巻 哲学に何ができるか』岩波書店、1999年
*5 前掲*4 p,162
*6
阿久澤麻里子氏が行なったアンケート調査(阿久澤麻里子「今、人権教育に求められてい
ること」『部落解放』解放出版社、2000年12月号より)によれば「学ぶべきと考えられて
いる「普遍的人権の概念」とは、思いやりややさしさ、あるいは、義務を果たすことだとと
らえられているらしい。」という。この結果から推察されるように、現代日本において人権
は、形容詞的に解釈されている傾向にあるようだ。
阿久澤氏は「人権」なる語がここ数年、相当広がったにも関わらず、その意味するところ
は、十分に議論されずに抽象的なイメージとして認識され、教育実践されているのではない
一28一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
かとする。アンケートの概略を示すと、
対象:人権教育研修会参加者(教員、行政職員、人権啓発推進委員、企業の啓発担当者)
人数:1736名
問い1 人権教育はどのように行なわれるべきか?
回答1位:普遍的な人権の概念や内容を学ぶべき・…
60
回答2位:多様な課題を多様な手法で・・・・・・…
16
回答3位:同和教育の成果を中心に・・・・・・・…
16
問い2 人権教育によって同和問題が薄まったり、拡散したりするか?
回答1位:そうは思わない・・・・・・・・・・・… 60
回答2位:どちらとも言えない・・・・・・・・・…
25
回答3位:そう思う・・・・・・・・・・・・・・… 15
回答傾向:「普遍的人権の概念を学ぶべき」と回答した人に「薄まらない」と答える相関
がある。
氏はこの回答に注目する。論旨は後述する。
問い3 人権教育についてA「権利だけでなく、義務についても十分教えるべき」B「人
権教育は権利が何かというよりも、人への思いやりを教える教育である」という2つの意
見についてどう思うか?
回答1位Aについて「そう思う」・・・・・・・…
90
回答2位Bについて「そう思う」・・・・・・・…
70
回答傾向:問い1で「普遍的な人権の概念を学ぶべき」と答えた人に、「人権教育は思い
やりを教える教育である」と答えた人がかなり多かった。
すなわち、先述の回答とコミットさせると「人権は思いやりを教えることであり、その思
いやりを育てることが同和教育にも有効である。」と考えている指導的立場にいる人商が多
いということである。さらに自由意見として、「人権は権利主張に偏る。わがままをはき違
えている者が多い。」(50人)「他人を思いやる気持ち、やさしさを教えるべきである。」(48
人)という書き込みが目に付いたという。先述のとおりアンケートから、人権は思いやりや
優しさ、あるいは義務を果たすことだと学校や社会における人権教育指導者には捉えられて
いるらしいと紹介している。
人権は歴史的産物であると解釈しようとするならば、アンケートに見られる人権認識でい
くら普遍的な人権の概念を教えてもその内容は「形容詞的な解釈」にとどまり、人権の歴史
一29t
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
的、社会的な認識には至らないであろう。そうなればますます現実の社会において人権は形
容詞的に認識され、昨今はびこる「誰でも何でも人権」によって、人権の肥大化が進み、や
がて人権の「バブル現象」が起きる事は目に見えていると筆者は考える。
*7
樋口陽一『憲法と国家』岩波新書、1999年、p.102
*8
前掲*8 P.103
*9
本段落については、樋口陽一「人権主体としての個人一“近代”のアポリアー」憲法理論研
究会編『人権理論の新展開』敬文堂、1994年、pp.19−20を筆者がまとめた。
*10
前掲*9 P.23
*11
前掲*9 P.23
*12
前掲*7 pp.108・110を筆者がまとめた。
* 13
樋口陽一著『一語の辞典 入権』三省堂、1996年、p.57
*14
前掲*13 P.57
* 15
前掲*13p.57
* 16
前掲*13 P.57
* 17
前掲*13 P.58
*18
前掲*13
* 19
前掲*7 p.59
* 20
前掲*7 P.60
*21
前掲*7 p.62
* 22
前掲*13 pp.67−68を筆者がまとめた。
*23
花崎皐平「エスニシティとしての日本人一共同性からの解放と獲得と一」『世界』、岩波書店
p.59
1993年9月号)より引用した。
* 24
前掲*13 pp.68−72を筆者がまとめた。
* 25
以上樋口陽一の第三の人権論については、樋口陽一『個人と国家』集英社新書、2000年、
pp.55−67「国家というものをどうとらえるか」を筆者がまとめた。
一30一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
第4節歴史学習としての人権理論
前節までは「普遍性」を主張する立場をもとに、「普遍性」を超えると考える人権
論について述べてきた。
本節は、これまでの人権論の解釈を手がかりに昨今学校現場で実践されている人権
教育における人権の意味を見直すための新たな「人権」理論(仮説)を提起すること
によって、「人権」に視点をおく社会科歴史学習の新視点を構築しようとする試みであ
る。
これまでの人権論の考察より、本稿では樋口陽一の人権論を手がかりに、彼の主張
する論理から人権理論(仮説)を引き出すことにする。それは樋口の人権論が以下の
理論に示すように、歴史学習にも生かす上で最も有用な指摘をしていると考えたから
である。
再度、樋口の主張を繰り返すと、以下の三点に要約することが出来る。
まず「人権は「人」権」である」という主張である。樋口は人権における「人」は、
権利の性質を形容する「やさしさ」「思いやり」「人間らしさ」といった言葉ではなく、
権利の主体を指す言葉であると述べている。
次に「人権については、もう一度普遍を考える」という主張である。この視座は、
先述の大沼論とも共通するが、樋口は「単純に西欧近代をモデルとして想定された普
遍主義の立場をとる」ことや「人権に関するかぎり、単純な文化相対主義に助けを求
める」ことに否定的な見解をとっている。「「絶対的な相対主義」は「あらゆる文化が
等価だ」と主張することによって、かえって対話交通の途を閉ざしてしまう」と述べ
ている。
最後に「人権は個人から国家へ、あるいは国家から個人へといったような一方通行
的なものではなく、個人、国家両者に開かれており、個「人」の論理と国家の論理双
方より補完しあいながら、人権理念を高めていかなければならない」とする主張であ
る。
樋口は、国民「主権」の成立によって初めて「人」権主体としての「個人」が成立
した点を大切にしている。樋口は「国家が相対化されてゆけばゆくほど人権は拡大す
るのか。」「「人」権の主体となる個人を作り出すために、中間団体を解体していった国
一31一
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
家の役割は、完全に使命を終えたのか」と問いかけ、「昨今の「民族」紛争の悲劇は、
国家が強すぎるからではなく、社会契約の論理でとらえられた姿での国家が弱すぎる
ために起こったのではないか」と述べている。また国家からの形式的自由」として自
由権を、「国家による実質的自由」として社会権を「切り札性としての人権」として打
ち出し、昨今の膨張的な人権を牽制していることも彼の人権論の特徴と言えるであろ
う。
以上の彼の主張より、以下に示す人権理論(仮説)を提示する。
A 人権は「人」の権利であり個「人」の権利として獲得されていくもの
一 人権の〈個別性〉 一
B 人権は歴史的産物であり、普遍性に向けて探求されていくもの
一 人権の〈探求性〉 一
。 人権は、個人の論理、国家の論珪双方より認識されていくもの
一 人権の〈解釈性〉 一
以上の理論(仮説)は、社会科人権学習の目標、内容、方法に関わる大きな柱とな
る理論である。しかしこの提示ではあまりに漠然としていると思われる。
第2章の「人権」に視点をおく先行歴史授業分析おいては、この理論を活用して分
析を試み、次の第3章において、授業構成に関わる人権理論として具体的に提示した
い。
一32一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
第2章「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
本章では「人権」に視点をおく先行歴史授業実践の分析を通して、各事例における
成果と課題を明らかにしたい。又、前章で示した人権理論(仮説)をもとに、抽出し
た事例を数値化し、その分析と考察を試みることにする。
第1節 分析の視点と方法
1 分析の対象
分析事例は小学校を主とし、歴史学習の内容から部落史学習、農民史学習、近代史
学習に位置つく実践あるいは研究を各10事例ずつ抽出した。
部落史学習については、時代ごとの特徴も明らかにするため、1冊の研究誌あるい
は書籍から2,3事例抽出したものもある。また時代については、江戸時代が6事例あ
り、やや偏った。これは、江戸時代における支配構造をもって部落の起こりとする、
いわゆる「近世政治起源説」に基づく実践の傾向を明らかにしょうとしたことや、江
戸時代においては差別支配の状況が時代の前半と後半とでは違っているのではないか
と考えていたことも原因の一つにあげられよう。
農民史学習については、農民という概念を明らかにした上での実践の抽出ではない
が、教科書記述されている「農民」から求めた。抽出では多様な研究団体、実践年代
や取り上げる時代範囲も広くと考えたが、時代では、古代、鎌倉そして近代以降の事
例は抽出できず、室町期5、江戸期4となった。
近代史学習については、近代を明治時代以後とし、人権概念が移入され、国民国家
が形成された時代ととらえた。そこで近代史の「人権」に関する代表的な素材を、明
治期の「自由民権運動」に求め実践例を7例抽出した。他の事例として、関東大震災
時の在日朝鮮人や米騒動期の水平社運動、大正末期の普通選挙運動の3例を抽出した。。
事例については、次頁【表2・1】に一覧表としてまとめた。
一33一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
【表2・1 歴史授業先行実践の授業名と出典名】
授
Nα
業
名
出
典
名
1
被差別部落の形成
大阪府同和教育研究協議会編『まち ひと くらし』1992年
2
竹皮値下げの戦い
大阪府同和教育研究協議会編『まち ひと くらし』1992年
3
新しい世の中へ
大阪府同和教育研究協議会編『まち ひと くらし』1992年
4
久兵衛さんの太鼓
福岡県同和教育研究会編『チャレンジ 部落史発見』2001年
5
四民平等
芥子芳雄編『同和教育と社会科』明治図書、1978年
6
近世の社会と差別された人々
外川正明著『部落史に学ぶ』解放出版社、2001年
7
明治維新と差別された人々
外川正明著『部落史に学ぶ』解放出版社、2001年
8
近代の被差別部落
板倉聖宣著『差別と迷信 被差別部落の歴史』仮説社、1998年
9
農民支配と身分制度
朝倉隆太郎編『日本の歴史の学習②』研秀出版、1991年
10
民衆からみた被差別部落の成立
冨田真由美著『民衆の生きる姿に学ぶ部落史学習』2000年
11
逃げるか、訴えるか
歴史教育者協議会『歴史地理教育』Nα473 1991年6月号
12
農民の成長
歴史教育者協議会『歴史地理教育』Nα44 1959年7月一号
13
立ち上がる民衆
歓喜隆司編『社会科教育の理論と展開』第1法規、1980年
14
農村の変化と農民一揆
朝倉隆太郎編『日本の歴史の学習②』研秀出版、1991年
15
正長の土一揆
大阪府同和教育研究協議会編『まち ひと くらし』1992年
16
寄合
長岡文雄著『子どもをとらえる構え』黎明書房、1975年
17
江戸時代の農民のくらし
有田和正著『学級づくりと社会科授業の改造』明治図書、1985年
18
農民の成長
月刊『社会科教育』Nα243 明治図書、1983年
19
江戸の農民一大庄屋中筋家で一
『社会科の初志をつらぬく会授業記録選士3集』明治、1979年一
20
出雲平野の開拓と農民のくらし
吉崎朗『共感から分析へいたる歴史学習システムの開発』1989年
21
自由民権運動
芥子芳雄編『同和教育と社会科』明治図書、1978年
22
自由民権家がんばる
山本典人著『小学生の歴史学習(下)』あゆみ出版、1985年
23
自由民権運動
香十二編『社会科学習構造化指導細密』明治図書、1969年
24
自由民権運動
25
自由民権運動と国会開設
朝倉隆太郎編『日本の歴史の学習②』研秀出版、1991年
26
自由民権運動
月刊『現代教育科学』Nα377、明治図書、1988年4,月号
27
自由民権運動と明治憲法
本間昇著『小学校の歴史教育』地歴社、1980年
28
関東大震災における朝鮮人虐殺
29
労働運動と水平社の創立
歴史教育者協議会『歴史地理教育』晦374、1984年11月号
30
もえあがる普選の火
歴史教育者協議会『歴史地理教育』恥320、1981年1月号
『小学校社会科実践講座 日本の歴史H』教育出版セ、1990年
『社会科教育』Nα373、明治図書、1993年2,月号
d34一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
2 分析の方法
本稿のテーマである“「人権」に視点をおく”歴史学習に迫り、どういう内容と
どのような方法を用いて授業がなされているかを、フレームワークを用いて分析
するため、視点を認識内容と認識方法にしぼって、以下のように設定した。
教師は目標に向けて、何をどう指導したか。(認識内容)
視点1
@ 本官の目標、主発問(型)、教授活動
視点2−A
子どもはどのようにして、目標に到達したか。(認識方法)
@
視点2−B
学習活動、わかり方(型)、コメント
歴史のわかり方として、教授資料はどう活用されたか。
@ 教授資料、活用方法(型)、コメント
各視点では、主発問、わかり方、活用方法について、以下のような類型化をし
て分析し、第1章で示した人権理論と合わせて考察した。
視点1
What型、 How型、 Why型、
主発問
@ Which型、 Who型
視点2−A
追体験型、共感型、問題追求型、
わかり方
ネ学的認識型、科学的説明型、
視点2−B
活用方法
事象理解型、事象調査型、仮説検証型、
分析フレームワークについては次頁【表2・2】に、30事例の類型化一覧表につ
いては次々頁【表2−3】に掲載した。
一35一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
【表2・2 分析フレームワ・一一・一ク】
Nα□
○○史学習事例□ (実践 研究)
校種 □学校
出典名
実践者
授業名
w導計画
祖京1’飾な’勿’を、働禦/ご」句〆プでどう着導したのか。傭識ソタ刎
本時の目標
主発問(型)
教授活動
裾.点2−z4’子どらなどのようκしで、厚癖!こ鍵したのか。 r認識方法ノ
学習活動
わかり方(型)
追体験型 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@コメント
視学2一β!鍛の,わかク方としで、教疫1資料な’どう膏燗さカたのか。
教授資料
活用方法(型)
:事象理解型 事象調査型 仮説検証型
@コメント
d36一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
【表2−3 先行授業実践の主発問、わかり方、資料活用の類型化など一覧表】
実践事例
校種
時代
主発問(型)
わかり方(型)
資料活用(型)
How
How
Why
What
What
How
How
How
Why
追体験
事象 理解
共感
事象 理解
共感
事象 理解
共感
事象 理解
問題追求
事象 調査
問題追求
事象 理解
共感
事象 理解
科学的認識
事象 理解
科学的認識
事象 理解
Which
Which
問題追求
仮説 検証
追体験
事象 理解
How
Why
How
Why
Why
Why
Why
Why
Why
What
How
Why
How
Why
Who
How
How
How
How
問題追求
事象 理解
科学的認識
仮説 検証
共感
仮説 検証
共感
事象 理解
問題追求
事象 理解
問題追求
事象 調査
科学的説明
仮説 検証
問題追求
事象 調査
科学的説明
仮説 検証
追体験
事象 調査
共感
事象 理解
科学的認識
仮説 検証
共感
事象 調査
共感
事象 調査
問題追求
事象 理解
追体験
事象 理解
追体験
事象 理解
問題追求
事象 理解
問題追求
事象 理解
部落史1
小
戦国
部落史2
小
江戸
部落史3
小
明治
部落史4
小
江戸
部落史5
小
明治
部白土6
小
江戸
部落史7
小
明治
部落史8
小
江戸
部落史9
中
江戸
部落史10
中
江戸
農民史1
小
平安
農民史2
小
室町
農民史3
中
室町
農民史4
小
江戸
農民史5
小
室町
農民史6
小
室町
農民史7
小
江戸
農民史8
中
室町
農民史9
小
江戸
農民史10
小
江戸
近代史1
小
明治
近代史2
小
明治
近代史3
小
明治
近代史4
小
明治
近代史5
小
明治
近代史6
小
明治
近代史7
小
明治
近代史8
小
大正
近代史9
小
大正
近代史10
小
大正
.37一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
第2節 具体的な先行授業実践の分析
本節では具体的な歴史授業の先行実践の分析を行う。以下先行授業について部落史、
農民史、近代史の順に分析した。
1 部落史学習の分析
(1)分析の観点
序でも述べたように、本研究の問題の所在の一つは、21世紀においてもなお残る部
落問題を子どもたちにどう認識させ、差別解消のための実践的態度をいかに形成して
いくかということである。70年代より取り組まれてきた同和教育は、90年代に入り
人権教育と名前を変え、同和問題を含めた様々な人権に関する実践がなされてきてい
るが、同和融育にしぼってみれば、“部落の歴史的事象に対する科学的な社会認識を通
して、部落差別を解消しようとする資質を形成する”という目標達成には未だ近づい
ていない状況にある。そこで本節では、部落史学習の先行授業実践の分析を通して、
部落史学習の現状と課題を明らかにしたい。
部落史学習への問題意識は、部落の起こり(身分制度が「いつ」「誰によって」「ど
んな目的で」つくられたのか)を科学的に認識させると称して、今日の部落史研究か
らみれば少数派である「近世政治起源説」「民衆分断支配」が、教育の現場では、依然
広く実践されているのではないかということである。
池田正光編著『子どもを生かす社会科学習活動の工夫』明治図書、1984年では、
幕藩体制の確立に向けた民衆分断政策によって、被差別民が作られたことが教授され、
厳しい身分制度を強調することにより、その反擾としてく圧制への抵抗〉として島原
の乱、〈人間性への目覚め〉として町人文化の興隆、〈人権意識の高まり〉として大
塩平八郎の乱や渋染一揆、〈人権と平和への願い〉として開国や国内の動きが位置つ
いている。今日でもよく見られるこのような実践では、江戸時代を通しての幕府対民
衆といった固定的な歴史観が形成されるのではないかと考える。
そこで、部落史学習の分析の問題意識としては、「部落史の指導内容:が、部落史研
究の成果に基づいたものであるか」を見ていくことにしたい。
・38一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
(2)事例の分析
部落史学習として10事例を抽出した。校種別では、小学校8事例、中学校2事例、
また、実践・研究別では実践9、研究1となる。抽出にあたっては、様々な教育団体
あるいは個人による実践を取り上げようとした。部落史の問題点を浮かび上がらせる
ために、時代的な要素、内容的な要素、方法的な要素といったことも念頭に置きなが
ら事例を選んだ。
部落史学習については「歴史学の研究成果に基づいた実践がなされているか」とい
う認識の科学性を分析の観点としてあげた。この観点に立つとき、10の事例は2つの
グループに分けられる。
研究成果を取り入れている事例としては事例1,2,3,4,5,9の6例が、取り入れていな
い事例として事例6,7,8,10の4例がこれに相当する。
前者をさらに分類すると、同和教育として事例1,2,3、物語教材として事例4、社会
科学習として事例5及び中学校実践事例9となる。但し後者の実践例が「学問的に間
違った研究成果を教授している」実践ではないことは確認しておきたい。
部落史においては事例1,9に見られるような「近世政治起源説」が広く実践されて
きたが、この「近世政治起源説」への疑問や他の「起源説」も主張されてきたが、現
時点では部落の起源についての定説はないと言える。しかし教育現場においては「近
世政治起源説」が流布し、明治期においては、解放令という法令は発布されるが、真
の部落解放に向けた諸政策を政府は実施しなかったという「新政府無策説」も力強い。
また事例4に見られるような物語教材も広く実践されているが、歴史認識は共感的
理解の域を出ず、物語として記述された事実の獲得がなされているに過ぎない。共感
的理解も大切であるが、部落差別解¥削こ向けた認識は、さらに高い質の知識の獲得が
必要ではないかというのが本稿の仮説である。
そうした仮説をもつ時、事例6,7,8,10は部落史研究の成果を意識した実践になって
いる。それぞれの実践にはフレームワークにも記載した課題もあるが、部落史の研究
の成果を授業で実践しようとした点に意義を認めることができる。
一39一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
(3)代表的実践例
部落史学習については、【表2・4】の「近世の社会と差別された人々」及び【資料編
とがわ
事例No. 7】の「明治維新と差別された人々」、いずれも京都府の外川正明氏の実践を取
り上げる。
外川は部落史学習の今日的状況について、80年代以降の中世史研究、とりわけ網野
善彦氏や横井清氏の業績をあげ、「中世においても多様な被差別民が存在し、そういっ
た人々がさまざまな形で日本の文化や社会に関わっていたという事実、それらの民へ
の卑賎視が近世における部落差別の社会的根拠である。」という研究成果が少しずつ教
育現場で実践されていることを評価している。
外川は部落史学習を「三つの部落差別の成立」として内容構成しており、事例No.・6
は江戸時代の「制度的な成立」、事例No.・7は明治時代の「社会問題としての成立」につ
いての実践である。差別の成立を3つの時代に分けることで認識内容を明確になって
いる。ただ、〈出合い・探求・見つめ直し〉のく探求〉という学習活動における認識
内容についてはさらに明確にする必要がある。
【表2・4 事例No. 6「近世の社会と差別された人々」の分析フレームワーク(一部)】
蕩㌧点1’獅な’何を、厚凝に向けでどう1i9導したのか。儲1識ノタ著9
主発問(型)
What型 睡Why型 Which型 Who型
キ別が制度化されていったことを探ろう。
教授活動
説明する→問題を提起する→学んだことを振り返りながら問う
擁点2一.4!子どらな’どのよう〆ごしで、β癖〆ご鍵したのか。r認識方法ノ
学習活動
わかり方(型)
人々と出会う→人々のくらしを探る→学びを振り返る
追体験型 共感型 魎唾四型 科学的認識型 科学的説明型
点点2一β’製のわか久方どしで、鞭贅料はどのよう〆ご∼開さカたのか。
教授資料
文章「ある裁判」「江戸中期の諸藩の政策」「江戸時代の役負担」
カ章と絵「差別された人々がたずさわっていた仕事」
活用方法(型)
匡麺 事象調査型 仮説検証型
一40一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
2 農民史学習の分析
(1)分析の観点
本稿のテーマである「人権」に視点をおく社会科歴史学習は、被差別者、被支配者、
少数者といった「人」を対象とする学習としたい。そこで従来の歴史教育において、
農民がどう解釈され、理解されてきたかを分析していきたい。
ところで「農民」という語句であるが、従来歴史教育で扱われている「農民」と歴
史学で使われている「農民」とはその意味に違いがあるようである。 文部省刊行の
98年版学習指導要領解説社会編によれば、第6学年の内容の項においては、ア∼クに
示された内容の文章記述において、農民という語句は一度も出てこない。同様に「人
権」という語句も、6年の内容において見つけることはできない。『要領』の内容にお
いて、本稿の研究と多少とも関連する内容項目をあげると、
ア、農耕が始まった頃の人々の生活や社会のようすがわかる。
オ、身分制度が確立し、武士による政治が安定したことがわかる。
カ、廃藩置県や四民平等などの諸改革を行い、欧米の文化を取り入れつつ近代化を
進めたことが分かる。
キ、明治政府が発足後20年程で憲法を制定し、立憲政治を確立したことが分かる。
ク、戦後我が国が民主的な国家として出発したことが分かる。
となるが、この内容:は、本稿における社会科歴史の内容あるいは歴史的な見方考え方
とはかなりかけ離れているといえる。
農民史学習において問題なのは、「農民は貧しい、苦しい、そして闘う」という貧農
史観に陥りがちなことではないか。確かに従来の農民像を全く否定するのは誤りであ
ろうが、多様な史資料により、農民に対して自由な解釈を保証していく必要があるの
でないか。歴史学において百姓や農民の言葉の違いが指摘されて久しいが、歴史の授
業においては、まだまだ農民に対する固定的な見方考え方を伝達し、固定的な農民像
を形成していないかという点を分析を通して見ていきたい。
d41一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
(2)事例の分析
部落史学習同様、小学校8事例に中学校2事例の合計10事:例を分析対象とした。
農民史を扱った時代としては、平安期1、室町期5、江戸期4となり、奈良期まで
と明治期以後の事例はなかったのは反省点としてあげたい。
10事例については、特に主発問に特徴が見られた。それは10事例のうち7事例が
Why(なぜ)型の発問をしていることである。これは:事実伝達的または価値注入的な
歴史学習にはならないように、教師は探求的な学習を試みようとしている表れではな
いか。しかし分析の結果、教師が一定の意図する学習内容(理論)を想定して、子ど
もの探求を保証している事例は、6,8,10の3例に留まった。
事例3は理論ははっきりしているものの、理論を子どもが探求するのではなく、資
料を用いて順次教授していく学習過程をとるに留まっている。
事例4,5に見られるように、江戸後期の困窮期における一揆、あるいは室町期にお
ける徳政一揆については、農民の心情に共感させる形で歴史事象の理解がなされてい
る。
また事例1,2,7,9は、子どもの追求する活動は十分保証されているが、説明的な知
識の獲得を意図する学習展開とはなっておらず、事例1,2は常識的な知識の獲得に留
まっている。
また事例9は、自分の掲げた諜題について、調べ学習を通して追求している実践例
として評価したいが、江戸の農民像をどう描いていくかについては、教師がその理論
を持ち合わせていない展開となっている。
一42一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
(3)代表的実践例
農民史学習については、各事例に特徴があり、多くの教示を得た。とりわけ【表2・5】
の吉崎朗氏の研究は、本研究における大きな転換点となった。なぜかというと、修士
論文のタイトルにも示されている「共感から分析へいたる」学習過程を本稿における
授業設計においても用いるきっかけとなったからである。
吉崎の授業モデル「出雲平野の開拓と農民のくらし」の第3時は、第2時で願い実
現のために農民達と大梶七兵衛の思いを重ね合わせた後の学習であり、大梶七兵衛と
農民達は「なぜ大規模な開拓ができたのか」を追究する学習となっている。仮説を立
て、資料を探求的に読み取り、そこで獲得された知識をもとに、開拓を可能にした原
因を理解する学習展開は、農民たちの願いが実現された要因を、資料の探求的に読み
取ることにより認識される展開となっており、従来よく見られるような「貧しい」「苦
しい」「闘う」農民像とは異なる歴史認識を獲得する事例になっている。農民の主体的
な行動が、分析的な学習を通して子どもたちに理解されたことであろう。
【表2・5 事例No.20白雲平野の開拓と農民のくらし」のフレームワーク(一部)】
授業名
「出雲平野の開拓と農民のくらし」(中単元:武士の世の中)
P 「出雲平野の開拓と大梶七兵衛」2 「農民のくらしと願い」3 「出雲平野の開
ャ単元指導計画
ができたわけ」(本時)4 「全国の新田開発」
蕩.点1ノ獅な勿を、β撰た:、句けでどク拷導したの汐≧。儲1誠,勾刎
主発問(型)
教授活動
What型 How型 匝型Which型 Who型
発問する→予想させる→検証を支援する→説明する
蕩.点2一A’子どちなどのよう〆ごしで、昂禦に撫したのか。ビ認説方法ノ
学習活動
学習問題を把握する→予想し、仮説をもつ→検証する→説明を聞く
墲ゥり方(型)
@追体験型 医璽型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
裾、京2一β!製のカかク.方(を乙で、鞭贅料などラ膏燗さカたのか。
教授資料
文章:「田畑永代売買禁止令」「松江藩の新田開発」「藩の開拓に関する示達」「技
pの進歩」
活用方法(型)
事象理解型 事象調査型 医麺藝到
一43一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
3 近代史学習の分析
(1)分析の観点
最後に近代史学習の先行授業実践を10:事例取り上げる。
「なぜ、近代史学習なのか?」といえば、我が国に「人権」概念が移入されたのは
明治時代であり、近代国家創設期に関する歴史学習がどのような論理でなされている
かは、本稿においても大切な観点となるからである。
この時代の学習について学習指導要領(98年版)は、
力 黒船の来航、明治維新、文明開化などについて調べ、廃藩置県や四民平等など
の諸改革を行い、欧米の文化を取り入れつつ近代化を進めたことが分かること。
キ 大日本帝国憲法の発布、目清・日露戦争、条約改正、科学の発展などについて
調べ、我が国の国力が充実し国際的地位が向上したことが分かること。
と記述され、「日本国家」「明治新政府」を主語とする内容であると解釈できる。
本稿は、学習指導要領に見られる「日本国家を主語とする歴史学習」とは別のアプ
ローチとして、人権理論として抽出された様々な「人」〈個別性〉の視点から、明治
以降における「人」を主語とする歴史的事象と、「日本国家」「政府」を主語とする歴
史的事象との両面から子どもたちに解釈させる歴史学習づくりを試みたい。
分析の観点として「近代史学習は、『日本国家』『政府』からの視点だけで実践され
ていないか。」をあげたい。また、子どもの主体的な活動がどのように保証されている
のかも見ていくことにしたい。
一44一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
(2)事例の分析
近代史学習を「人権」に視点をおいて考える時、人権獲得の過程としての自由民権
運動という歴史的事象がどう学習されているかを分析することは重要であり、7事例
「自由民権運動」に関係深い授業実践を取り上げた。
他の3:事例としては、「関東大震災(在日朝鮮人)」「水平社運動(被差別者)」「普
通選挙権(選挙権を有しない人々)」という「歴史的事象」を扱った事例を取り上げた。
近代史学習の実践例はもっと多様な歴史的事象の素材があり、この抽出には偏りが
あることは否めないが、自由民権運動を中心に、子どもの学習への主体的な活動を中
心に分析した。子どもの主体的な活動としては以下の3つをあげた。
①調べる活動を取り上げている事例
…3例
②解釈する活動を取り入れている事例 …2例
③予想をたてる活動を取り入れている事例 …1例
調べる活動の事例No.1,4,5は、いずれも事実を発見し事象を確認するための活動であ
り、調べる活動を通して、仮説を検証する活動とはなっていない。
解釈する活動の事例No.2,6は、両事例とも絵新聞で描かれた政府演説会における人
を解釈する活動となっている。絵という資料を解釈する活動は、子どもの歴史への関
心を高める上でも有効である。両事例とも子どもの多くが、最初本来の解釈とは違っ
た解釈を行うが、これこそ歴史授業の醍醐味であり、討論や話し合い活動を通じて、
歴史的事象の意味を獲得する活動となっている。こうした活動により、子どもの主体
性は保証されていくといえよう。
予想をたてる活動の事例N・.3は、「厳しい政府の取締りのなか、なぜ自由民権運動が
拡大したか」という問いに対して予想を立てている。どのような予想が立てられたか
は記録にないが、言論による運動の有効性が意見のひとつとして取り上げられている
ようである。検証では士族の論理が農民、地主、商人にも受け入れられる展開を通し
て、運動拡大の原因を獲得させる内容となっている。資料も提示されているが教師の
解釈に留まり、子どもの認識への主体性は閉じられたものになっているといえる。
残りの事例No. 7,8,9,10は、教師主導で問題が追求される学習過程をとっており、子
どもの認識への主体性は閉じられたものとなっている。
一45一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
(3)代表的実践例
近代史学習については、【表2−6】の村井俊之氏の実践を取り上げる。本実践は指導
計画も本時の目標も明記されていない事例であるが、「お客さんたちは、誰に物を投げ
ていますか」という主発話について、政治演説会の絵を解釈したり、発問について討
論したりといった、子ども自らが活動する場面を多く取り入れながら、自由民権運動
を理解していく学習内容になっている。
評価する点として、解釈する活動や討論する活動を取り上げている他に、お客さん
という学習の素材となる「人」がはっきりしている点、また学習後半で、植木枝盛の
「民権自由論」の一節を読むことで、「自由民権運動がなぜ当時の日本の運動として起
こったか」といった問いに対しての探求的な活動がなされている点があげられる。
【表2−6 事例No.26「自由民権運動」の分析フレームワーク(一部)】
裾、京1’獅な’β二二ご道〃プで、何をどク背導乙たのか。6認識ズタ創
二時の目標
主発問(型)
指導計画同様、記述されていない。
Wha七型 How型 Why型 Which型 匝型
ィ客さんたちは、誰に物を投げていますか。
教授活動
発問する
朔、京2一∠4’子どらなどのよク〆こ乙で、β禦〆ご醗乙たのか。ζ認護フケ法ノ
学習活動
討論する
認,京2−B’鍛のわか久方としで、教授贅料などう涯房されたのか。
教授資料
活用方法(型)
Rメント
絵:政府演説会、文章:植木枝盛「民権自由律」より
素麺藝到 :事象調査型 仮説検証型
@資料の絵を素材に、三時の主発問である「お客さんたちは、誰に物を投げてい
驍フですか。」について討論している。
@植木枝盛の「民権自由論」については、自由民権運動の理解を深めるために教
tが通読して、説明を加えている。
一46一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
第3節 分析結果の考察
30事例全体の分析については以下の観点を設けた。
① 教師は主発問において、どう問いかけたのか。
【表2−7】
② 教師は歴史のわかり方として、どのような方法をとったのか。
【表2・8】
③ 教師は解釈性のある資料を提示したのか。
【表2−9】
【表2・10、2・11】
④ 教師は「人」を明らかにした認識内容を目標に明示したのか。
以上の4観点について、フレームワークで類型化した主発問、わかり方、資料の活
用方法を数値化し、さらに人権理論としてあげた個別性、探求性、解釈性とも関連づ
けながら考察した。
観点1の主発問については、【表2・71が示すように、How(どのような)型、続い
てWhy(なぜ)型となり、「なぜ」型の実践が多い結果となった。
【表2・7 教師は主発問において、子どもにどう問いかけたのか。(探求性)】
What
How
Why
Which
Who
部落史学習
2
5
2
1
0
農民史学習
0
2
7
1
0
近代史学習
1
6
2
0
1
合計(%)
3(9)
13(44)
11(37)
2(7)
1(3)
観点2の認識方法については、次頁【表2・8】が示すように、共感型や問題追求型
が多く、歴史的:事象を因果的に、分析的に理解して知識の質を高めていく実践はほと
んどなかった6
観点3の資料の活用方法については、丁丁【表2−9】が示すように、資料の記述内
容をそのまま伝達するための活用が半数以上を占め、事象について資料を使って調べ
たり、仮説を検証したりする実践は少なかった。
・47一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
【表2・8 教師は歴史のわかり方として、どのような方法をとったのか。(探求性)】
追体験
共感
問題追求
科学的認識
科学的説明
部落史学習
1
4
3
2
0
農民史学習
1
2
4
1
2
近代史学習
3
3
3
1
0
合計(%)
9(30)
5 (16)
10(33)
4 (13)
2(8)
【表2−9 教師は、解釈性のある資料を提示したのか。(解釈性)】
事象理解
釈性はない、弱い
事象調査
釈性は認められる
仮説検証
釈性は強い
部落史学習
8
1
1
農民史学習
4
2
4
近代史学習
6
3
1
6(20)
6(20)
合計(%)
18(60)
観点4の分析については次頁【表2・10】及び次々頁【表2・11】に示した。
【表2・10】の左に個別化された「人」として、農民や被差別民、あるいは秀吉など
の「人」をあげ、その右にフレームワークの目標に記述された「認識内容」を抜き出
してみた。そして、個別化された「人」を主語とした「認識内容」がはっきり示され
ている事例を○、「人」のみが明らかなものは△、「人」の明示がないものを×として
30事例を評価すると、「個別性」という人権理論から○の評価をえた実践は、250/。に
満たないことが明らかになった。
【表2・11】からもわかるように、教師が認識内容をどのような主発問から習得させ
ようとしたかについては、「なぜ」疑問型の実践が多かったが、獲得された知識は記述
的で、共感的な認識に留まる実践が多く、個別性、探求性、解釈性という「人権」理
論から考察すると、認識内容が不明瞭な実践が多かった。
また認識方法については、共感型の実践が多く、子ども自らが探求するような資料
を活用した実践は少なかった。
一48一
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
【表2・10 個別化された「人」を主語とする認識内容の明示性の一覧表】
注 評価について:「人」「認識内容」ともに明示(○)どちらか一方(△)明示なし(×)
実践事例
部落史1
部落史2
部落史3
個別化された「人」
秀吉
被差別民
農民、被差別民
部落史4
部落史5
久兵衛さん(被差別民)
政府
部落史6
部落史7
差別された人々
差別された人々
目標に見る認識内容
評価
秀吉が・… 民衆を分断させ、権力を保った。
たくましく生き抜いた姿をとらえる。
「解放令反対一揆」は農民の苦しい生活からく
驍烽フであることを知る。
久兵衛さんの願いを知る。
△
四民平等の実態は、新しい差別の構造を持って
X
○
△
△
「た。
たくましく生きてきたことに気づく。
生活を高め、差別をなくそうと努力したトとに気づ
△
△
ュ。
部落史8
部落史9
「人」へは焦点化されていな
記載なし
×
部落差別は政治的につくられたものだと理解す
×
「
「人」へは焦点化されていな
「
驕B
部落史10
村の人々
農民史1
農民史2
農民史3
農民
時代理解
室町時代は、人民大衆の連帯闘争の新たな発展
ェ起こった時代であることを把握する。
農民史4
農民史5
農民
農民
農民は必要な食べ物を求めて、一揆を起こした。
○
支配層に不満を持つ農民が団結して立ち上がっ
△
知恵を働かせて生きていく人々の姿に迫らせた
△
「D
灰民
農民がどのような行動に出たかを知る。
農民の願いについて考える。
△
△
×
ス。
農民史6
農民史7
農民史8
寄り合い
農民
農民
寄り合いについて推測する。
農民は人糞を肥料にし、増産のために努力した。
農民史9
農民
農民のくらしぶりについて調べ、問いを追求す
農民は生産力を高め、自治的な惣をつくり、団結を強
×
○
○
゚た。
△
驕B
農民史10
近代史1
近代史2
近代史3
農民
「人」へは焦点化されていな
「
自由民権家
国民
農民と寸寸七兵衛は、藩の全面的な後押しによ
チて、大規模な干拓事業を行った。
自由民権運動は日本最初の民主主義運動であっ
○
×
ス。
民権家の願いを表現しよう。
△
国民は自由民権運動を進めたので、政府は、国会を開
○
ュ約束をした。
近代史4
近代史5
近代史6
近代史7
近代史8
政府
自由民権運動を進めた
l々
お客さんたち
代表的な人物
朝鮮人
政府は、自由民権運動におされ、憲法を
ツくり、国会開設の約束をした。
…の人びとが尊敬されるようになったわ
ッを調べ、考えをまとめる。
〈記述されていない〉
〈記述されていない〉
朝鮮人の虐殺には、一般市民が加わっていたことに気
×
△
△
×
○
テく。
近代史9
労働者や被差別民
めざめあって、色々な社会運動が高まったことがわか
△
驕B
近代史10
労働者、農民、被差別
ッ
運動や考え方がさかんになり、普選運動を前進させ
ス。
一49一
△
第2章
「人権」に視点をおく歴史授業実践の分析と考察
を主語とする認識内容を、目標に示したのか。(個別性)】
【表2・11 教師は「人」
「人」「内容」とも明示
「人」のみ明示
「人」が明示されていない
@
@ △
@
○
×
部落史学習
1
6
3
農民史学習
4
4
2
近代史学習
2
5
3
合計(%)
7(23)
15(50)
一50一
8(27)
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
第3章「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
第1節 授業構成の方法原理
1 歴史授業構成と人権理論
本節では、第2章における歴史授業の先行実践の分析と考察で明らかにした視点に
基づき、社会科歴史学習の授業構成と人権理論の関係を説明する。
ここに示す個別性、探求性、解釈性については、それぞれを独自にとらえたり、ま
た個別性から探求性、解釈性へと発展段階的にとらえたりするものではなく、人権認
識獲得のための歴史学習における目標、内容、方法に関わる理論としてとらえている。
この理論から歴史授業の設計においては、歴史認識が人権認識へと高められるよう
な学習内容であること、また子ども自らが歴史を解釈し合い、自らの認識を多様に表
現し合うような学習方法を取り入れることが肝要であると考える。
【表3・1 社会科歴史学習の授業構成と人権理論】
個別性
探求性
解釈性
ロ
権力の周縁に位置する}従来の普遍性としての1 歴史とは事実ではなく解
じ
「人」に着目し、その「人」!人権ではなく、個々の歴史1釈であることを、歴史学習
l
I
目標
ほ
を主語とする認識内容をi的:事象を探求することをiを通して理解することによ
ロ
明らかにした目標にする!通して、人権認識の形成を1り、開かれた価値観形成を
l
l
ことを図る。
「人」
i図る。
:
i図る。
「歴史的事象」
: 「歴史的社会問題」
農民、異国人、女性、子1 自由民権運動、大日本帝i 部落問題、民族問題、障
内容
どもなど、被支配者や二二{国憲法、普通選挙法、日本:害者問題、女性問題、など
に
ヨ
別者といった「人jを取りi国憲法などの「事象」を探iの「現代に残る歴史的社会
ぱ
上げる。
1求的に取り上げる。
1問題」を取り上げる。
子ども自らが個々に豊i 人権認識を高める説明i 事象を解釈する歴史学習
方法
かな社会認識を獲得するi的な知識獲得のため、「探iとするため、「話し合う」学
ため、「表現する」学習方1求する1学習方法を用い1習方法を用いる。
I
I
法を用いる。
iる。
i
一51一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
2 「人権」に視点をおく小学校社会科歴史学習の方法原理
本項では前頁で示した【表3・1 社会科歴史学習の授業構成と:人権理論】について、
順次説明していくことにする。
(1)目標
小学校の歴史学習は人物学習が中心であり、偉人と言われる人物の見方で考えがち
である。小学校においても、権力の周縁に位置する人々を主語とする歴史認識が必要
である。
「歴史がわかることが人権認識の形成につながる」という仮説に立つとき、歴史学
習は探求性を有することが肝要だと考える。先人の業績や優れた文化遺産へのアプロ
ーチも大切であるが、人権認識に関わる歴史的事象の探求的な学習も目標のひとつに
据えたい。
小学校においても、歴史的事象は見方によって異なる解釈が成り立つことを目標に
あげたい。例えば、「人」と「国家」の双方から事象を探求し、歴史は解釈であること
を理解することにより、開かれた価値観形成を図ることも可能となる。
(2)内容:
「人」については、カリキュラム構想には至っていないが、例えば、渡来人、律令
制社会の人々、中世社会の人々、差別された人々、アイヌ民族、朝鮮人、沖縄(琉球)
の人々、なども取り上げたい。教科書(大阪書籍、東京書籍 本年度版)から、【表
3・2】のような「人」を抽出してみた。
「歴史的事象」については【表3・3】において、【表3・2】で示した太字の「人」を
主語とする歴史的事象を教科書記述で一部記してみた。
「歴史的社会問題」については、上記の内容から、民族問題、部落問題、女性問題
など人権に関する歴史的事象を抽出し、その内容知を構造化することが人権認識に結
びついていくのではないか。
(3)方法
本研究では、歴史学習の小単元を設計する。その学習過程は「共感」「分析」「表
現」の1小単元(4時間)とし、「共感」(1時間)、「分析」(2時間)、「表現」(1時間)
となる。
「共感」は、史実に基づく物語を通して、歴史的事象を自らの生き方や考え方に引
き寄せ、歴史上の「人」と自分とを結びつけることができる点に有効性がある。第1
章の人権論におけるローティ説は「このような学習」を通して、「われわれのような
’52一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
人々」の拡大を説いていたが、共感的な理解だけでは歴史認識は主観的な解釈だけに
留まり、授業者の設定した「人」「事象」からなる認識内容は価値注入的となり、子ど
もが獲得する知識も一面的で、閉じられた価値観形成に陥る危険性を孕んでいる。
そこで「分析」では「共感」の一面性を補うために、事象を客観的に「分析」し、
事象の因果や社会のしくみを探求することにより、新たな理論を発見できる点に有効
性がある。「分析」2時間のうち前半1時間を、事象への「人」からの解釈、後半1時
間を「歴史的な人物」「政府」「国家」などからの解釈により、「事象」を複眼的に見て
いくことにする。「共感」における主観性、「分析」における客観性を通して、歴史理
解は深化されていく。こうした学習過程の最後として「表現」を位置づけたい。
「表現」は、「今(現在)ここにいる自分(学習者)」が「昔(過去)そこにいた人
(学習の対象となる歴史的人々)」を自己の内面に取り込み、やがては主権者としての
資質を獲得するため、認識内容を自己の外部に向けて発信する活動を意図している。
具体的には、新聞づくり、まとめ作文、二人(二つの立場)芝居、劇(シナリオづく
り)などの自ら活動する方法を想定している。言うまでもないが、「表現」における指
導と活動の関連は、子どもに活動を任せてしまうのではなく、今までの「共感」「分析」
の学習において蓄積された認識が俵現」において生かされるよう、子どもの活動に
関わる教師の指導性を大いに必要とする。教師は、子どもの個々の解釈を生かしなが
ら、どう表現させるかがこの学習過程の根幹である。
さらに「表現」は、表現者の一方通行に終わらないようにするために、学習参加者
が表現者と批判者に分かれて、相互に交流しあう活動が大切であり、表現し、伝え合
う活動によって、学習空間に「人」と「人」とが理解し合うという人権認識が形成さ
れるのである。
第2節における授業モデルの設計については、
(1)小単元名
(2)主題設定の趣旨
(3)小単元の構成
(4)小単元の目標
(5)教授=学習の展開
(6)教授資料
という順に提示していくにする。
一53一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
【表3・2 本年度版教科書(2社)に掲載されている「人」】
時代区分
平成14年度版
(大阪書籍)
平成14年度版
(東京書籍〉
歴史の始まりから
1万年前の生活者(p9)
大昔の人(6)
平安時代まで
米作りをする人々(9)
朝鮮半島から移り住んだ人々
(古代)
倭の人々(11)
(9)
大きな古墳をつくった人々
豪族(10)
渡来人(11)
(13)
豪族(13)
農民(19)
渡来人(14)
多くの死者たち、遣唐使(22)
貴族(19)
僧(22)
農民(19)
貴族(24)
兵士(23)
遣唐使(24)
僧(24)
地方の役人(30)
武士(30)
鎌倉時代から江戸
御家人(35)守護・地頭
武士(30)
時代以前
大名(40)
農村や漁村、山村に住む村人(百
(中世)
うやまわれつつ、社会からは
姓)(32)一
とおざけられていた人々(42)
大名(40)
町の人々(43)
村人(44)
商人(50)、
江戸時代
朝鮮の人々(53)
身分の上で差別をされていた
(近世)
朝鮮通信使(62)
人々(41)
アイヌの人々(63)、
民衆(43)
百姓(おもに農民)(64)
町人(48)
(農民や町人からも)差別さ
僧侶、神官など(57)
商人(56)
れた人々(64)
朝鮮通信使(60)
一54一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
明治時代から現代
女性(地位の低さ、工場で働
アイヌの人びと(61)
まで
く、選挙権獲得を訴えるなど)
新しい知識や技術を日本に役立
(近現代)
てようとする人々(66)
(83)
平民(83)、
皇族、華族、士族(75)
小学校へ行くことができない
平民(75)
子ども(84)、
労働者(78)
小作人(86)
国民(81)
国民(88)
軍人(87)
日常生活で差別されていた
歌人(87)
人々(98)
朝鮮の人々(88)
朝鮮の人々(98)、
中国人(88)
兵士(101)
女性(91)
沖縄県民(108)
疎開小学生や戦争孤児(99)
アジア・太平洋の人々(109)
児童(106)
兵器工場で働く女学生(112)
就職する若い人たち(109)
公害被害にあった住民(123)
国際社会でかつやくする日本
人(125)
一55一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
【表3・3 「人」の歴史的事象についての教科書記述(一部)の例】
歴史的事象に関する教科書記述(一部)
「人」
渡来人
・大柚朝廷は、朝鮮や中国から日本に移り住んだ渡来人も朝廷のだいじな役
につけ、国内の技術や文化を高めていきました。(大阪書籍:以下大阪 p14)
・米づくりが広がったころ、朝鮮半島より日本にわたってきて住みつく渡
来人が大勢あらわれました。吉野ヶ里遺跡からは、渡来人が伝えたと思
われる、鉄器、青銅器や、麻や絹でつくった布、南方の貝がらや丸木舟
の模型などが出土しています。(東京書籍:以下東京 p11)
被差別民
・これらは、そのこううやまわれつつ、社会からはとおざけられて吟た人々に
よって完成されました。(写真:石庭の説明、大阪 p42)
・銀閣には、美しい庭園があります。この庭園は、このころの身分の上で差
別をされていた人たちがっくりました。(東京 p41)
・さらに、農民や町人からも差別された人々もいました。(大阪 p64)
・多くの身分の中で、村人や町人とは別にきびしく差別された身分の人々も
いました。(東京 p56)
朝鮮人
・秀吉の朝鮮への侵略は、朝鮮の人々に多くの犠牲者を出し、朝鮮の国土を
あらしました。(大阪 p53)
・徳川家康は、対馬藩(長崎県)の宗氏を通じて、朝鮮との友好関係を取り
もどそうとしました。(略)貿易もはじまり、通信使という朝鮮使節が、
江戸時代を通じて12回も日本に来て、交流をはかったそうです。(大阪
p62)
・貿易は対馬(長崎県)を通じて行われ、将軍が代わるごとに、朝鮮からの
お祝いと有効を目的に500人目の使節団が江戸をおとずれました。(東京
p60)
アイヌ人
・17世紀の中ごろ、不正な取り引きに対する不満がばく発し、シャクシャイ
ンを中心に多くのアイヌの人々が立ち上がりました。(大阪 p63)
・政府が北海道の開たくに力を入れたため、開発が広い地域に広がり、アイ
ヌの人々は、土地を奪われました。(大阪 p83)
・17世紀の半ばすぎ、シャクシャインに率いられたアイヌの人々は、不正
な取り引きを行った松前藩を相手に戦いました。(東京 p61)
女性
・女性の地位を低くみる考え方やならわしは、明治時代になってからも根強
く残りました。(大阪 p83)
・男性より低く見られ、差別されてきた女性も、(略)女性の権利と地位向
上をめざす運動を進めていきました。(東京 p91)
一56一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
第2節 授業モデルの設計:「差別された人々と解放令」の授業計画書
小単元名:差別された人々と解放令(4時間配当)
二 小単元のねらい
「差別された人々」が解放令の知らせを聞いて喜ぶ思いに共感する。一方農民は今
までの差別意識を払拭できず、また明治新政府の諸政策に反対して一揆を起こす。一
連の運動の矛先はやがて「差別された人々」へ向けられ、解放令反対一揆が起きる。
「解放令」や解放令反対一揆という歴史的事象を「差別された人々」と農民、そ
して「明治新政府」それぞれの立場から理解する。
最後に、理解した内容を「自分」の解釈を生かしながら、表現する。
三 小単元の構成
(1)歴史的物語へ共感する時間(1時間)
a1:解放令とはどのような法令であったのか。
a1−1 「差別された人々」は「解放令」の知らせを聞いて、どのよう気持ち
になったのか。
a1−2 「差別された人々」以外の人々は「解放令」の知らせを聞いて、どの
ような気持ちになったのか。
a2:解放令反対一揆とはどのような一揆だったのか。
a2−1 「解放令」に反対する農民の思いはどのようなものだったのか。
(2)歴史的事象を分析する時間(2時間)
b1:農民はなぜ、解放令反対一揆を起こしたのか。
bl−1 「解放令」発布に、「差別された人々」はどのように行動したか。
b1−2 「差別された人々」の行動を、農民はどのように思ったのか。
b1・3 農民はなぜ、「差別された人々」を襲ったのか。
b2:明治新政府はなぜ、「解放令」を出したのか。
b2・1 明治新政府はどのような意図をもって、急いで「解放令」を発布した
のか。
・57一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
b2−2 明治新政府の近代化政策は、人々にどのような意識をもたらしたのか。
b2・3 明治新政府は、「解放令」後、どのような具体的な差別解消の政策を
実施したのか。
b3:「差別された人々」への差別はなぜ、「解放令」後もなくならなかったの
か。
b3−1「解放令」後の社会から、「解放令」の歴史的な意味を考えよう。
b3・2「解放令」後もなぜ差別がなくならなかったのかを自分のことばで書
き表してみよう。
(3)わかった内容を表現する時間(1時間)
c1:「差別された人々」を中心に表現しよう。
c2:「差別された人々」を襲った農民を中心に表現しよう。
c3:「解放令」を出した明治新政府を中心に表現しよう。
c4:上記3つを複合して表現しよう。
四 小単元の目標
A:共感の前提をなす事実的知識
A1 「解放令」とは、1871年8月28日太政官布告によって出された文書である。
しかし、その法令は明治政府の政策の意図と法的拘束力を合わせ持っていた。
Al−1 「差別された人々」は、「解放令」の知らせに喜んだが、農民が起こし
た解放令反対一揆によって襲われた。
A1・2 「差別された人々」以外の人々は、「解放令」の知らせに不安と憤りを
おぼえた。
A2 「解放令」反対一揆とは、「解放令」反対や身分平等反対をスロV・一一Lガンとし
て掲げ、部落を直接攻撃し、殺傷や焼き討ちなどの暴挙に及んだ一揆をいう。
1871年10月から1877年3月にかけて21件が記録されており、一揆は西目
本に集中している。
A2−1・1 農民は「解放令」反対一揆を、「解放令」反対だけでなく、徴兵令反
対、学制反対、雑税反対など明治新政府の近代化政策に反対して起こした。
A2−1−2 農民は「解放令」反対一揆を、新政府権力への反発と「解放令」後の
差別された人々の増長に対する激しい反発として起こした。
一58一
第3章
「人権」に視点をおぐ社会科歴史学習の授業設計
A2−1−3 山中の寒村の農民は、「解放令」によって「差別された人々」が自分
たちと同じ職業に従事するようになるなどの不安を持った。この事と新政
府の政策に強い不満を持っていたことが大きな原因となり、その欝憤のは
け口を「差別された人々」に叩きつけた。
B:事象を分析させることによって習得させたい説明的知識
B1:明治初期、農民は政府の諸政策に反対して、大規模な運動を展開した。
B1−1 解放令反対一揆の原因には、新しい時代への農民の不安と大きな怒りが
あった。農民の攻撃の矛先は富裕者ではなく、末端の官吏、役場、学校に
も向けられ、その最たる例が「差別された人々」であり、最も陰惨で多く
の死者を出す結果となった。
B1−2 「差別された人々」は「解放令」により平民となり、苗字を名乗ること
や華士族との通婚も許され、職業や移転の自由も認められたが、新政府は
具体的な経済的、社会的政策をとらなかったため、民衆には新たな差別意
識が広がった。
B1−2−1
「差別された人々」は版籍奉還により、「平民」に編入された。
Bl−2−2
「差別された人々」は、編入された戸籍において「新平民」と記入
されるなど、社会的差別は残存した。
「解放令」発布後、「差別された人々」は、差別からの解放をめざ
Bl−2−3
して、具体的な要求(神社への氏子加入や祭礼への参加、学校への
子どもの就学など)、行動を起こし始めた。
「差別された人々」は「解放令」発布により、独占的権利としての
Bl−2−4
へいぎゅうば
しょりけん
廃牛馬「処理権」や警察役も廃止され、生活は貧困化していった。
B1−3 「解放令」発布まで、身分も違い、結婚もしない、住む所も違うといっ
たように、習慣の違いを意識させられ生活してきた農民は、「身分・職業
とも平民と同じ」と政府に言われても、とても実感として受け入れられな
かった。
B1−3−1農民は、平等を求めて立ち上がった「差別された人々」の行動に対
し、「一般農民を軽蔑する思い上がりだ。」「もとの身分のごとくせよ。」と
いう意識にいたった。このことが多くの部落に火がつけるという行為につ
ながつた。
一59一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
B2:明治新政府は近代化の必要上「解放令」を発したのであり、封建的な身分
差別は制度上なくなったが、身分制度そのものを撤廃する意図はなく、社会に
は、新たな近代的な差別が生まれた。
B2−1−1 新政府は、国家形成の前提となる権利と義務の平等化を進めるため、
「解放令」を発布した。
B2・1−2 新政府は、近代国民国家建設のため、身分制度のようなマイナスイメ
ージを外国に対してなくす必要から、「解放令」を発布した。
B2−1−3 新政府は、地租改正政策の一環として財源の安定を図るために、「解
放令」を発布した。
B2−1・4 新政府は、それまで「差別された人々」の持っていた土地から年貢を
取り立てるため、「解放令」を発布した。
B3:明治新政府の近代化政策は民衆の生活レベルとはかけ離れたものだった。ま
た「解放令」は国民の身分意識や職業観念などを考慮せず、一方的な理念の宣
言の法令だったため、農民など民衆へは理解されず、差別はなくならなかった。
B3−1 「解放令」は、明治新政府による政治的意図をもった法令であり、農民
などの民衆、国家双方とも「差別された人々」を解放する意図は見いだせ
ず、差別は社会的なものとなった。しかし「差別された人々」は「解放令」
発布を契機として、解放に向けた取り組みを一歩一歩進めることとなる歴
史的意義をもつものであった。
B3・2 省略
・60一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
五 授業の展開(◎主発問、○副発問)
〈1時問目〉 歴史的物語へ共感する学習(1時間)
発問・指示
資 料
教授=学習活動
○今日は、「解放令」と
T:説明する
いう明治新政府が出し
S:聞く
予想される反応と獲得させたい知識など
・「解放令」が「」表示されているのは、
発表当時はそのような名前で呼ばれて
た法令に関する物語を
おらず、後から名づけられた歴史用語で
読んでいきます。
あることを説明し、学習では「解放令」
という言い方で進めていくことを知ら
せる。
○まず、「解放令」がい
S:発表する
(1871年8月28日に出された。)
つだされたのか確認し
ます。
○「解放令」がどんな文
①
S:読む
・わずか1文であるが、新政府最高機関
T:内容を簡単に
の発令であり、政府の意図を示すととも
説明する。
に、法的拘束力も併せ持っていた。
T=指名読みする
・教師からの説明は加えず、わからない
でいきましょう。
S:読む
語句を聞くぐらいにして進めていく。
○「解放令」を関いた
T:問いかける
(本当にうれしかったことだろう)
人々はどんな気持ちだ
S:発表する
(これで差別がなくなるだろう)
書だったのか、見てみよ
う。
○最初の物語から読ん
②
ろうか「自分」のことば
(この法令が出たので、今まで一緒にで
きなかった行事へも参加できる)
で発表しよう。
(長い間、差別されてきたんだ。農民の
差別する気持ちはそう簡単になくなら
ないんじゃないかな)
○政府の出した「解放
T:問いかける
令」について、どう思い
S:発表する
(新しい世の中にふさわしいすばらしい
法令だ)
(解放令によって、差別のない社会がで
ますか。発表しましょ
・61一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
きればよい)
う。
(政府は、本当に差別のない社会にする
ために、解放令を出したのだろうか。)
○ところで、「解放令」
T:問いかける
の知らせを関いた農民
S:想像したこと
はどのような気持ちに
なるのだからうれしい)
(今までの習慣を変えないといけないの
を
なっただろうか想像し
(新しい世の中になって、みんな平等に
で困る)
発表する
(差別された人々と同じ生活様式で生活
よう。
したくない)
(新しい世の中になっても生活は楽にな
らない。なのに、どうして今まで差別し
てきた人々と同じ身分にならないとい
けないのか)
○解放令が出される前
教科書
T:指示する
に身分についての法令
など
S:調べ、発表す
がでていたね。確認しよ
・教科書、教授資料などより、発表させ
る。
る。
う。
○「解放令」発布後、か
T:問いかける
つて差別された人々は
S:自分の考えを
(新しい世の中になり、人々の意識も変
わり、差別は少なくなっていった。)
差別されなくなったの
発
(平民になった人々は、なかよくなった
だろうか。自分の考えを
表する。
が、身分の上の人は特権意識が強く差別
発表しよう。
はなくならなかった。)
(差別された人々の運動によって、差別
意識は少なくなっていった。)
(差別された人々に対する偏見はいっそ
う激しくなり、江戸時代とは違った差別
が生まれてしまった。)
○教科書にはどう書か
れているだろうか。
教科書
T:問う
・「しかし、政府の差別をなくす積極的な
S:教科書の記述
政策がなかったこともあり、結婚や就職
など、日常生活での差別はなくなりませ
を
読んで、発表す
一62一
んでした。」(大阪書籍編『小学社会6年
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
上』P71より)
る。
○どうやら、政府が出し
た「解放令」の後の世の
③
T:指名読みする
・史実が忠実に書き記した物語であるこ
S:読む
とを知らせる。
・教師からの説明は加えず、わからない
中においても、かつて差
語句を聞くぐらいにして進めていく。
別された人々への差別
はなくならなかったよ
うだ。
さて、教科書にも書か
れていないし、最近まで
あまり知られていない
歴史がギ解放令」が出さ
れた後にあったような
ので、「かしの木のひと
りごと」という物語を読
んでいくことにしよう。
◎この物語で、差別され
T:問いかける
た人々はどんな思いだ
S:考え、自分の考
つたのか想像してみよ
えを述べる
(われわれのことをいつまで差別し続け
れば、気が済むんだ。)
(こちらは何もしていないのに、ひどい
ことをするなあ)
う。
(せっかく農民となかよく交流して、社
会をよくしていこうと考えていたのに、
これではむずかしくなるなあ)
○次時は、農民がなぜ、
T:話す
部落を襲う一揆を起こ
S:聞く
したかを考えていきま
しよう。
・63一
第3章
〈2時間目〉
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
歴史的事象を分析する時間(1)
発問・指示
資料
教授=学習活動
予想される反応と獲得させたい知識
,
○二時は二時で学習し
T:言忌の学習に
【個別性】
た物語「かしの木のひと
ついて、話す
・農民の行動を中心に解放令反対一揆に
り言」を思い出しなが
ついてその原因を探求していくが、「人
ら、学習を進めます。そ
権」理論における「人」は「差別された
して、農民がなぜ「解放
人々」であることを明らかにしておく。
令」反対一揆を起こした
のかを考え、差別された
人々は、なぜ襲われたか
について考えていきま
す。
○解放令反対一揆は、だ
T:物語より、確認
れが起こしたのですか。
する。
(農民)(百姓)
・この事例は1873年、福岡県で、百姓
S:発表する
すなわち農民が起こした事件であること
を確認する。
○農民は、明治新政府の
丁澗いかける
政策をどのように思っ
S:自分の考えを
ていたのでしょうか。
発表する。
(農民による多数の新政府の政策に反対
する一揆が起こっている)
(平民となったのに、生活は向上しない)
明治新政府の行った
政策をもとに具体的に
考えましょう。
○農民は「解放令」にっ
④⑤
T:問いかける
いてはどのように考え
S:資料や文書を
ていたのでしょうか。
読む。
T:指示する
畢
E用水・山林の利用や村の寄り合い・冠婚
時、差別された人々がど
S:自分の考えを
葬祭への参加を要求する。
のような行動をとった
まとめ、発表す
・学校での共学をなどの権利を要求する。
のかを資料や当時の様
る。
○「解放令」が出された
教科書
・飲食店、酒屋、風呂屋へ入っていく。
子を書いた本から見て
・戸主や地主に土下座しない、集まりに
’64.
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
も同じ席に座る。
いきましょう。
・氏神祭りの御輿や行列を部落の中へも
通すように要求する。
○こうした差別された
T:問いかける
【解釈性】
人々の行動や要求を農
S:考える
(腹が立つ)
(差別された人々も頑張って色々な要求
民はどのように感じて
を出しているなあ)
いたのでしょうか。
(今まで差別されていて、別々に生活し
てきた人々と一一・ vaに生活するのはいや
だ)
(人間は平等だから、差別された人々の
行動は理解できる)
○このような農民の気
T:説明する
【探求性1
持ちから、農民がなぜ
S:聞く
(自分の生活が向上しないことへの腹い
「差別された人々」の村
せから)
(差別された人々だけが優遇されるのは
を襲ったのか考えてみ
おかしいと感じたから)
ましょう。
(差別された人々が農民の生活を槽かす
から)
(差別された人々とは交流したくないの
に強制されそうだから)
T:説明する
・増長説…差別された人々は、「解放令」
県で起きた「解放令」反
S=説明を聞き、自
によって、明らかに増長した。こうした
対一揆を例{こ、農民の行
分の考えをつく
考えは、改めなければならない。
動の原因について、以下
る
○ある歴史学者は、岡山
@
・交流忌避説’・・「解放令」によって、被
のような原因をあげて
差別民との交流を強制されると、それま
ミ
での農村の秩序が壊されるとじて、そう
います。
・増長説
した状況への危惧から一揆を起こした。
・交流拒否説
・経済打撃説… 「解放令」にも書かれて
・経済打撃説
いるように、職業が自由になると今まで
・襲撃説
の農民の既得権が脅かされることになる
ので、それへの反発から一揆を起こした。
一65一
第3車
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
・部落襲撃説…明治新政府の政策に対し
て、様々な流言が広がり、差別された人々
が村を襲撃するという噂が広がったこと
から、それへの反発から一揆を起こした。
◎この考えについて、あ
T:問いかける
なたはどの考えに近い
S:考え、自分の考
上の説を参考に、原因をはっきりさせな
でしょうか。自分の考え
えをつくる。
がら、農民の行動を分析する。
【解釈性】
をつくっていきましょ
γ
つ。
○この歴史学者は、どの
T:説明する
ように考えているのか
S:聞く
・この「解放令」反対一揆は、差別され
た人々の行動がしっかりしている所で起
を話します。
きている。したがって、農民がもともと
抱いていた差別意識のみで一揆を起こし
たのではなく、立ち上がった部落民に対
して、自分たちの環境をこれ以上悪くな
らないよう防御するために襲撃を行った
のではないかを思われる。先ほどの四つ
の説でどれが正しいとは言い切れない。
◎本時で学習した内容
T:指示する
【解釈性】
を「差別された人々」を
S=まとめる
・本時で学習した内容を解釈し、自分の
主語として、自分のこと
ことばでまとめる。ここでまとめたこと
ばでまとめましょう。
を4時間目のく表現〉の時閲に役立てる
ことを知らせる。
一66一
第3章
〈3時問目〉
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
歴史的事象を分析する時間(2)
発問・指示
資料
教授=学習活動
予想される反応と獲得させたい知識
○本時は、明治新政府が
T:話す
・明治新政府から歴史を解釈していくこ
なぜ、「解放令」を太政
S:聞く
とにも少し触れる。
Tl問いかける
・1869年には天皇・皇族・華族・士族・平
官布告という法令によ
って出したのかを考え
ていきましょう。
○年表から、新政府の政
⑩
策を確認していこう。
民の新しい身分が構成され、翌1870年
S:答える
・身分制度の変更
には平民に姓(苗字)が許可される。
・廃藩置県
・1871年分は廃藩置県が実施される。
など
・全国に出された短い全文と各府県の行
政担当者に送られた二種類の「太政官布
告」がある。
○同じ年の8月28日、
⑩
T:確認する
①
T:問う
「解放令」が太政官布告
によって、出されたんだ
ね。
○「解放令」は非常に短
い法令だけれども、どの
(○○・○○○にはどんな言葉がはいる
S:発表する
んだろう。)
ような感想をもちます
(すぐに差別はなくなるんだろうか。)
か。
(身分・職業とも平民と同様にすると
色々問題が起きるのではないかな。)
○では新政府は、それま
T:問いかける
【探求性】
で差別していた人々を
S:考える
(明治時代になって、新しい垂の中にな
なぜ、平民にする必要が
つたから)
あったのか考えていき
(身分の低い人々が一揆を起こし、政府
ましょう。
の意図する政策が実行できないと困るか
ら)
一67一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
(新しい国家を作るために、国民の数を
増やすため)
○歴史学者は、明治新政
@
T:説明する
【解釈性】
府の出した「解放令」の
S:自分の考えを
・海外体面説… 従来の封建的身分制度で
意図について、三つの説
つくる
は、近代国家としての日本を海外ヘアピ
をあげています。
ールするのに障壁となることから「解放
・海外体面説
令」を発布した。
・人民闘争説
・人民闘争説… 江戸末期以来の被差別民
・財源確保説
の闘いや、明治期になっても賎称廃止嘆
願の動きを無視することはできないこと
から「解放令」を発布した。
・財源確保説… 明治新政府は、資本主義
の発展(殖産興業)と近代国民国家の建
設(富国強兵)のため、それまで免税さ
れた人々も国民として位置づけ、広く税
を徴収する必要から「解放令」を発布し
た。
O自分の考えを発表し
T:話し合いをリ
【解釈性】
よう。
ードする
・上の3つの考えのどれが正しいかを発
S:話し合う
見するためのものではなく、それぞれの
説について、質問や意見を出し合い、批
判的に話し合わせる。
○ここでは、ある歴史学
@
者の説である「財源確保
T:説明する
【探求性】
S:聞く
説」から政府の「解放令」
の意図を探っていくこ
・$
とにする。
○新政府が「解放令」を
発布したのには、新しい
@
T:説明する
・明治新政府は、新しい税制について数
年前から着手しており、江戸時代の税制
S:聞く
税制問題が多く関与し
度とのギャップを埋めることが、政府に
ていたという。・
とっての最大の事業であった。
・68一
第3章
○さらに「解放令」発布
直前、政府は江戸時代に
⑩
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
T:説明する
・江戸時代の免税地はきわめて広範でし
S:聞いて理解す
かも複雑に入り組んでいて、明治政府は、
る
苦慮したと言われる。なお、差別された
も
税を免除されていた土
地を整理する。
人々の屋敷地については、すべてが免税
地であったわけではない。
○そしてこのことを、的
T:説明する
確に表しているのが資
S:聞いて理解す
地に税が課せられていなかった「差別さ
料⑩である。
る
れた人々」を、一般民籍に編入すること
・これまで一般民二二にあったため、宅
によって、地租その他の税を徴収するこ
とにしたのである。
○以上の説明が、政府
T:説明する
が、「解放令」を発布し
S:聞く
・以上のように考えるならば、「解放令」
は、いわゆる「解放」ではなく、明治政
た理由である財源確保
府の近代化政策、特にその財源確保政策
説である。
の一環として行われたものと解釈するこ
とができる。
03時間かけて「差別さ
T:問いかける
れた人々」にとっての
S:考え、自分の意
「解放令」、農民にとつ
見をまとめる。
・「差別された人々」からの視点としては、
「解放令」後の諸行動を通して、解放に
向けた運動を続けていくきっかけとなっ
ての「解放令」そして、
た画期的な歴史的出来事であったこと。
明治新政府による「解放
・農民からの視点としては、「解放令」は
令」の意図をみてきた
明治新政策の一つとして、自分たちの生
が、「解放令」発布につ
活意識とはかけ離れており、同意しかね
いての自分の考えをつ
る内容であったこと。
くっていこう。
・明治新政府の視点としては、解放令発
布の一つの意図として「財源確保説」が
あり、「差別された人々」を国家の支配機
蒼
¥に組み入れようとしたものであったこ
と。
○次時の予告
・「表現」の時間の予告をする。
一69一
第3章
〈4時間目〉
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
わかった内容を表現する時間(1時間)
発問・指示
資料
教授=学習活動
予想される反応と獲得させたい知識
○本時間は、学習した内
T:説明する
【個別性】
容について、自分(グル
S二聞く
・発表時にメモをとり、質問や自分
一プ)の解釈をもとに表
の考えとの違いをまとめておく。
現する時間にします。
・発表や発表のしかたについての感
想については若干触れるにとどめ、
話し合いは、発表された歴史の内容
に対する学習参加者それぞれの解釈
を交流することに教師は留意した
い。
OWさんグループは、
⑬
「解放令」発布前の被差
T:適宜支援する
【個別性】【解釈性】
S:表現する
別身分の廃止に向けた
S:表現された内容に
様々な動きについて、発
ついて、批判する
表します。
OWさんの発表をもと
T:話し合いをリード
に話し合いましょう。
する
(解放令は、様々な藩からの要望も
あって出されたことを初めて知っ
S:質疑応答する
た。)
S:質問や意見を発表
(差別された人々も、各地で差別撤
し、それぞれの表現に
廃についての運動をしていたんだな
ついて話し合う
あ。)
・一 ツひとつの発表ごとに5分ずつ
話し合いの時間をとる。
OYさんグループは、農
⑭
T:適宜支援する
(農民の気持ちがよく出ていている
民と差別された人々の
S:表現する
が、暴力をふるうのはさ諺せいでき
立場にそれぞれ別れ、
S:表現された内容に
ない。)
「解放令」発布後に起き
ついて、批判する
(農民たちも身分差別で苦しめられ
た出来事をシナリオ風
ており、農民にとって「解放令」は
に表現しました。
受け入れられないものだったのだろ
一
一70一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
う。)
(お寺はみんなの心の拠り所だった
ら
だろうに、お寺の人から差別的な扱
いを受けるとは、当時の差別は厳し
いものだったのだなあ。)
OUさんは、先生から紹
⑮⑯⑰
T:適宜支援する
(「解放令」反対一揆については、「か
介された本をもとに「解
S:表現する
しの木のひとりごと」の物語しか知
放令反対一揆」が国本の
S:表現された内容に
らなかったが、こんなにあるなんて
どこで起きたかを地図
ついて、批判する
知らなかった。)
で表し、その特徴を発表
(殺された人もいるし、当時の人々
の差別意識を考えると、ぞっとする
します。
が、現在でも差別は残っていると思
う。)
OAさんは、明治新政府
⑱
T:適宜支援する
(Aさんの考え方もわかるけれど、や
の「解放令」発布の要因
S:表現する
っばり授業で習った「財源確保説」
を海外体面説に求め、解
S:表現された内容に
が理由の一番じゃないかと思いま
放令発布後に起こった
ついて、批判する
す。)
次のような事件を紹介
(でも、当時の日本は長い鎖国を終
し、歴史の解釈を自分流
えて、新しい国づくりのために、海
に表現しました。
外との関係も大切にしていたことが
よくわかった。)
OBさんグループは、解
⑲
T:適宜支援する
(差別された人々は、「解放令」後も
放二二の差別された
S:表現する
自分たちの生活改善に向けて、県に
人々の貧困や差別の様
S:表現された内容に
要求していったんだ。)
子を新聞の記事風にし
ついて、批判する
(みんなが楽しみにしているお祭り
などからも締め出されるなんて、差
さ
て表現しました。
ハする人の気持ちがわかりません。)
○「解放令」発布や「解
放令」反対一揆を通し
て、色々な見方が学べま
したか。
一71一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
六 授業資料
資料① 1871年(明治4年)8.月28日の太政官布告(いわゆる「解放令」)
〈原文:一部略〉
「○○・○○(差別された人々)等ノ称廃セラレ候条、自今身分・職業共平民同様
タルベキ:事」
〈やさしく解釈した文〉
「○○・○○など(差別された人々)の名称が廃止されたので、これからは身分・
職業ともに平民と同様であるべきこと。」
(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p56を参考に作成した。)
資料② 物語「喜びで迎えられた解放令」
明治4年「解放令」が出されたときのことです。大和にある村の庄屋坂本清兵衛
のところへ、ある日の夕方「おふれ」が来ました。清兵衛はそれを見ると、「こりや
ありがたいことだ… 」と、とてもよろこびました。子どもの清三郎が、「どうし
て、そんなにありがたいのです?」とたずねると、清兵衛は「『あす朝十時村役場に
出頭せよ』と言ってきたんだ。十時のお呼び出しというのは、必ずよいことに決ま
っているのだ」と答えました。
あくる目、清兵衛は、すその短い小紋の羽織にぞうりばきという姿で、村役場で
あるもとのお城へと急いで歩いて行きました。 お城につくと、これまで絶対にく
ぐらせてもらえなかった大門が、八の字に開かれていて、門番がそこから入るよう
にいうではありませんか。清兵衛はいったい、これはどうしたことだろう、みょう
なこともあるものだと首をかしげながら、その門をくぐりました。 土間にしいた
むしろの上に、ひざまついて頭をさげていた清兵衛は、部屋の奥から、「これからは
身分も職業も平民と同じである」という「解放令」を読みあげる役人の声を聞きま
した。清兵衛は、思わずそこにはいつくばり、「ありがとうございます。ありがとう
ございます」と涙声で叫びました。清兵衛は帰り道を急ぎましたが、自分の足が、
土の上を走っているようにはどうしても思えません。夢のなかで走っているような
感じなのです。家に帰り着くと清兵衛は、村の人を集めて「解放令」のことを伝え
ました。みんなは、男も女もワッと声をあげて泣き、抱き合って喜びました。
(土方鉄『被差別部落のたたかい』新泉社、1972年 を参考に作成した。)
一72一
第3章
「人権」に視点をおく社:会科歴史学習の授業設計
資料③ 物語「かしの木のひとりごと」
わたしは、150年以上も前から、この村の神社の境内に立っているかしの木です。
ここは村の高台にありますから、あたりの様子が一目でわかります。今では高さが
20メートルほどの大木になっていますが、こんなに大きくなるまでの長い間、村の
出来事をずっと見てきました。どちらかといえば、楽しいことよりも、苦しいこと
の方が多かったように思います。なかでも、今から130年ほど前の1873年(明治6
年)に起こった時の出来事で、この村が丸焼けになったときのことは、今も忘れる
ことができません。
それは、むし暑い日の続く6月中ごろのことでした。夕方近く、だれかが何かわ
めきながら坂道を駆け上がってくるのが見えました。
「お一い。おおごとそ一。一揆が来よるぞ一。」
その人は坂の中ほどに立ち止まって、村中に聞こえるように大声で叫びました。
その声に驚いて、家の中から、男も、女も、子どもも飛び出してきました。
「源さん、なにごとな?」
「えっ?一揆が来よるって?」
「どこまで来よるとな?」
源吉じいさんを取り囲んで、みんなは口々にたずねます。
「一揆が下の方の部落ば、かたっぱしから焼きよる。おら、いま、逃げた人から聞
いてきた。」
源さんは、ハアハアいいながら答えました。
「こらあ、おおごとそ。ぐずぐずしとらんと、とにかく、おんな子どもは大事なも
んぱ持って、はよう裏の山さ行つとれ。」
いつの間に来ていたのか、世話役の直吉じいさんが、後ろからどなるように言い
ました。この2,3日、村の様子が何だか変だなあと思っていましたが、
「一揆が攻めて来る一。」
という源吉じいさんの言葉で、わたしにはわかりました。
がけの上の男たちは、かかえてきた麦わらに火をつけると、
「そ一ら、燃えろお。」
と声をかげながら、真下の家めがけて投げ下ろしました。日照り続きで乾ききって
いたわら屋根ですから、火はすぐに燃え広がりました。みんなが、そっちの火を消
そうと必死になっていると、今度は、村の入り口の方からやはりほおかぶりした者
が10人ばかり、たいまつをかざし、竹やりを振り回し走りこんで来ました。そして
見張る者のいなくなった家の一軒、一軒、たいまつで火をつけまわっているのです。
せまい谷あいに、重なるように建っているわら屋根の家ですから、村中がみるみ
一73一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
るうちに燃え上がりました。手のつけようがありません。
「燃えれ一。燃えれ一。家も人間も。」
そう叫びながら走り回る男たちの顔は、ほのおに照らされてまるで赤鬼のようでし
た。
ほおかぶりをして顔をかくしていても、みんなこの近くの百姓であることはわたし
にはよくわかりました。とても人間とは思えません。
年寄りや女、子どもは裏の山に避難していて、幸い死んだ人やけがをした人はい
ませんでした。減たちもはじめの間は火を消そうと一生懸命でしたが、村中が火の
海になってしまっては、もうどうすることもできず、とうとうあきらめて、炎の中
からやっと裏山にのがれました。
せまい谷間の村が、真っ黒こげの燃えカスと灰で埋まってしまいました。高台に
立っている私も、足元から吹き上げてくる炎で、幹が黒焦げになり、このまま焼け
究ぬのではないかと思いました。枝や葉は焼け落ちてしまいましたが、火とは反対
の方の幹は焦げなかったので、どうにか焼け残りました。
(黒松定心『かしの木のひとりごと』を参考に筆者が作成した。)
資料⑤ 解放令後の農民の反応
「四民平等」の法令が出された時、ある地主は、家来のように扱っていた小作人
こえおけ
が平等を喜んでいるのに対して、祝賀会の名目で集めて、肥桶に酒を入れて出しま
した。地主は「汚いものは、洗っても汚く思う通り、お前たちも同じだ」と、けし
からんことを言ったそうです。
また、1871年8月、「解放令」が出された時も、ある地主が寄合の時に、部落の
人たちだけは、便器を洗って、それへ酒をそそいで出し、「お前たちと同じように、
便器も洗えば同じで汚くないだろう」と言い渡しました。その揚にいた本村の農民
たちは、地主の言葉に拍手し、部落の人々(差別された人々)は、怒って席を立っ
たのです。
(久保井規夫著『近代の差別と日本民衆の歴史』明石書店、1998年、p15より引用した。)
一74一
第3章
資料⑥
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
「解放令」反対一揆の原因についての歴史学者の考え
・増長説……差別された人々は、「解放令」によって、明らかに増長した。こうし
た考えは、改めなければならない。
・交流忌避説…「解放令」によって、被差別民との交流を強制されると、それまで
の農村の秩序が壊されるとして、そうした状況への危惧から一揆を
起こした。
・経済打撃説…「解放令」にも書かれているように、職業が自由になると今までの
農民の既得権が脅かされることになるので、それへの反発から一揆
を起こした。
・部落襲撃説… 明治新政府の政策に対して、様々な流言が広がり、差別された人々
が村を襲撃するという噂が広がったことから、それへの反発から一
揆を起こした。
(上杉聡「新段階をむかえた「解放令」反対一揆研究」好並隆司編『解放令反対一揆の研究』
明石書店、1987年、pp.199・202 を参考にして、筆者が授業用に文章作成した。)
資料⑦ 明治新政府の「解放令」発布の意図についての学説
1、海外体面説
封建的身分制度の存続が、近代日本の体面をそこなうという論議により、「解放令」
発布の気運が盛り上がった。
2、人民闘争説
幕末から明治初年にかけての、身分差別反対の闘争や賎称廃止嘆願の動きによっ
て「解放令」が出された。
3、財源確保説
明治新政府は、資本主義(産業)の発展と国民国家の形成のため、近代的諸政策、
とくにその財源確保政策の一環として、それまで免税されていた「差別された人々」
の土地からも税を徴収するため、「差別された人々」を平民として扱う必要上、「解
放令」を発布した。(地租改正の前提としての政策)
(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p56を参考にして、筆者
が授業用に文章作成した。)
一75一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
資料⑧ 地租改正前の政策(有馬敬重『本邦地租の沿革』〉
地租改正のしたくをしておる時、旧藩時代の土地を調べてみると、各地でバラバ
ラな課税方法をとっており、明治政府も、これには困りはて、なんとか工夫して、
一律にしなければならないということで、小改正というものが始まりました。つま
しゅくえき
り、地租改正を始める前に、もとの市街、宅地、旧城下、宿駅などで、税を免除さ
れていたものについて、まず税を課すのがよかろうということになったのです。
(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p54より引用した。)
資料⑨ 江戸時代に税を免除されていた土地(1871年8月19日 大蔵省の布告案)
・柾磁界
・旧領主、旧武将の由緒ある土地
・「えた」「ひにん」等の屋敷地の一部
・江戸、大阪、京都などの市街地
(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p54より引用した。)
資料⑩ 地租改正と解放令(大蔵省明治財政史編纂会『明治財政史』より)
各藩内の「○○」「○○○」などは、従来、一般民籍の外であって、その宅地には、
租税を課したものや、租税を課さないものなどがあり、一定ではなかった。そのた
め、明治4年8A28日の太政官布告によって、「○○」・「○○○」など(差別され
た人々)の民衆を一般民籍に編入し、地租その他の税を徴収することにした。
(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p55より引用した。)
資料⑪
「差別された人々」の社会進出としての要求年表
1871年9,月
奈良県で、祭礼参加を要求する。
1872年6月
滋賀県で、氏子加入を要求する。
1875年8月
1876年8月
群馬県で、氏子加入のための訴訟をおこす。
長野県で、部落民児の就学を要求する。
(筆者が作成した。)
一76一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
資料⑫ 明治新政府の近代化政策に関する年表
年
1869
12月
武士を士族とし、農工商を平民とする。(天皇・皇族・華
族・士族・平民という新しい身分が構成される。)
(明治2)
1870
出来事
月・日
9月19日
平民に苗字使用を許す旨の布告が出される。
1月
平民に職業、住居、婚姻の自由は認める。
(明治3)
1871
寺社の土地を没収する。
(明治4)
3月
弊牛馬勝手処置令」(「差別された人々」以外の者も死
馬・食肉を自由に処理できるようになった。)
7月
8月9日
散髪・脱刀・服装の自由が認められる。
8,月23日
華族から平民に至る相互の結婚が許される。
8,月28日
1872
(明治5)
「廃藩置県」が実施される。
「解放令」が出される。
12,月
家族・士族に、農業・工業・商業の営業が許される。
1月
全国的な戸籍調査が行われる。(壬申戸籍)
2,月
田畑の売買を自由とする。
7,月
大蔵省に二二改正局が置かれる。
8月
職業の自由が認められる。
「学制」が施行される。
1873
(明治6)
1875
12月
「太陽暦」が施行される。
1,月
「徴兵令」が施行される。
7月
「地租改正条例」が布告される。
3月
岡・島根・岐阜・大分など地租改正反対一揆が起きる。)
(明治8)
1876
(明治9)
内務省・大蔵省、地租改正事務局を置く。(この年、福
5,月
和歌山県で地租改正反対一揆が起きる。
12月
茨城・三重・愛知・岐阜・堺などで地租改正反対一揆が起
一77一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
きる。
1877
1月
地租が100分の2.5に軽減される。
7月
愛知県・神奈川県で地租改正反対一揆が起きる。
(明治10)
1878
(明治11)
(筆者が作成した。)
一78一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
資料⑬Wさんグループの発表
ぼくは、明治新政府が「解放令」を出すまでの動きを調べました。
1869年(明治2年)3.月、戊辰戦争が戦われる中で、政府は諸藩の意見を聞くた
めに公議所を設けました。
4月、この公議所で、諸役・税を免除している特例をなくす為に、被差別身分の
廃止が論議されました。
「寺社や『えた』(差別された人々)の屋敷地が免税になって、課税の里数に加えて
いないのを改めるべきだ。」
(福知山藩 中野斎)
「その通りだ。諸役を免除すべきでない。『えた』(差別された人々)の身分を廃止
して一般と同様にしてはどうだろうか。j
(武蔵六浦藩 宇田菊之助)
「『えた』(差別された人々)を平民に加える法律を論議しよう」
(出雲松浦藩 雨森謙三郎)
「『えた』(差別された人々)の名を革屋組・革屋職と変えて、百姓、町人との結婚
もできる、同様の扱いをしてはどうか」
(松本藩 内山総助)
「『えた』(差別された人々)も同じ人間である。これからは一般の者といっしょに
して助郷なども勤めさせるべきだ。」
(日向飯肥藩 稲津清)
「『えた』(差別された人々)を平民として、蝦夷地(北海道)に移して、開拓を防
衛につかせると良い」
(豊後日之出藩 帆足亮吉)
と様々な意見が出されたのですが、廃藩置県により藩がなくなると、公議書は廃止
されてしまいました。
部落の人々から訴えもありました。
もと え も ん
1870年1H山城国蓮台野村の年寄の元右衛門は、京都府に対して次のように願っ
たそうです。
「神国の国民なのに、『えた』(差別された人々)の名をつけられているのは残念で
す。私たちは、御所の掃除の役目も勤めてきました。皮革の仕事も、お国の役に立
っています。農村では、農業をしている者がほとんどです。私たちは、新政府の為
につくそうと思っています。古い間違ったことを直されている時ですので、『えた』
(差別された人々)の身分を廃止してください。」
また東京府でも、関東の部落総頭の弾左衛門が願いで、被差別身分の廃止の意見
が政府にあげられました。そして、京都・東京の府知事から意見が出された後、神奈
川県令大江卓は》参事の大隈重信や民部省の大木民平に働きかけながら、1871年(明
治4年)1月、民部省に被差別身分廃止を提案したそうです。
以上で発表を終わります。
(久保井規夫編『近代の差別と日本民衆の歴史』明石書店、1998年、pp16・17を参考にして、筆
者が発表形式にまとめた。)
一79一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
資料⑭ Yさんグループの農民、被差別民らのシナリオ
「解放令」後、村石起き二二ざ。ざ後の場面
何事が起こったか、まだ知らない者たちに、酒屋での一部始終が説明された。
「平民になったいうて、昔の自分たちの身分をもう忘れやがって」
「このまま放っておいたら、あいつらもっと増長するぞ」
「家も焼いてしまえ」
「待て待て。その前に戸長のところにいこう。このことは、わしらだけの問題じゃ
ない。この郷全体の決定にせにやならん。」
「奴ら(差別された人々)が増長を始めた。新政府が何か恐ろしいことを始めると
いうのは本当じゃ。」
む ら
(上杉聡『部落を襲った一揆』解放出版社、1993年、pp 184−188を参考に筆者が作成した。)
「解放令」後、福岡・博多の町の路地竃の場面
「風呂屋に奴ら(差別された人々)が入った。」
銭湯の中にいた町人たちは、恐ろしいものでも見たかのようにして、急いで風呂屋
を去った。なぜかというと、人びとは穿れがうつるのも怖かったのだ。
「どうして奴ら(差別された人々:以下同じ)が風呂に入るのを許したんだ。」
「商売だからといって、奴らと一緒に風呂に入れというのか」
「ならば、わしら町の若者全部が行かぬことにしよう」
町の主だった者数人が、湯屋の主人にかけ合った。
「もし奴らを一人でも入浴させたら、町内全員が二度とその湯に入らない」
と告げた。主人は困った末、「この町の者だけの湯」という理由で断ることにした。
む ら
(上杉聡『部落を襲った一揆』解放出版社、1993年、pp246−250を参考に筆者カミ作成した。)
差別され鳶A々の寺院への期待の場面
差別された人々は、世間に対して、自分たちを平民として認めさせる行動を、ゆ
っくりと開始しました。農家へ行き雇い主に、
「これまでのおこなわれていた待遇を改めて欲しい」
と言いました。
「一般の農民ならば、座敷などでも食事が出来るのに、我々に対しては、土間や屋
外で、むしろをしいて食事をさせていたのを改め、椀や茶碗、箸なども、農民と区
別しないようにして下さい。」
と申し入れに行きました。
「平民になったのだから、このような差別はやめて欲しい」
一80・
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
と差別された人々は訴えました。
「それが受け入れられなければ、もう働きには来ない」
とも言いました。
差別された人々の願いは、寺院にも向けられました。
ほうおんこう
「今年は、報恩講に、檀家の皆様と同席してもよろしゅうございますか」
例年は、本堂の板の間に薄いござをしいて、一般門徒と別の席を設けていた。
住職は、
「その希望はごもっともなこと」
とうなずきながらも
「じゃが、寺というのは、住職の思い通りにはゆかぬもの。本堂の修理、畳替え、
みな門徒衆がきめ、門徒衆に世話になること。わしは、いわば寺を預けられておる
ようなものじゃ。しょせん、何事も門徒衆の心まかせ。まず、そちらに相談せねば
ならぬ。それに、どこの寺も同席するというのなら、この寺も文句はないそ。まず、
その方から、他の寺にもきいてもらえぬか。」
差別された人々が、他の寺に行って同様なことを尋ねると、
「他の全部の寺が許せば」
と同じように答えるだけで、差別された人々の願いは、見事に裏切られたのです。
む ら
(上杉聡『部落を襲った一揆』解放出版社、1993年、pp250・252を参考に、筆者が発表形式
に作成した。)
一81一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
資料⑮ Uさんによる「解放令」反対一揆研究に関する発表内容
私が、この「解放令」反対一揆について調べようと思ったのは、つい最近まで、
歴史の出来事として知られていなかったことです。どうして知られなかったかとい
うとこの出来事の中心である農民、その子孫の人々が話したがらなかったことも一
因にあるらしいのです。「先祖がそんなことをしたなんて信じられない」という気持
ちが強くあったということです。わたしがもしそういう立場だったら、同じような
気持ちになったことでしょう。ようやく最近、地域の人びとの調査や研究によって、
事実が明らかになってきました。確かにこの一揆の内容は悲劇的な部分も多く、気
持ちが暗くなりますが、こういう事が二度と起こらないようにしっかり調査研究す
ることが必要であると思いました。
さて「解放令」反対一揆は、今わかっているもので21件あるそうですが、資料
⑯からもわかるように、一揆はすべて西日本に集中しています。一番東で京都府、
西では福岡県で起きています。四国では、香川県と高知県での出来事が明らかにな
りっつあるようです。とりわけ、中国地方の山間部で多く発生しているようです。
「解放令」反対一揆は、一揆のスローガンとして「解放令」反対や身分平等反対
を掲げたり、部落を直接攻撃し、殺傷や焼き打ちなどの暴挙に及んだものをいうそ
うです。出来事のすべてが一揆の名前に値しないものもあるようですが、一応出来
事すべて一揆の名前で調査研究を進めているそうです。
この「解放令」反対一揆の研究家によれば、一揆を起こした丁々は、山中の小さ
な村が多く、田畑は狭く、「差別された人々」の住む部落同様、貧困にあえぐ村々が
多かったようです。たぶんそうした人びとも江戸時代からそして、明治時代に入っ
ても政府の新政策に、あるいは、社会の身分差別の中で様々な迫害を受けてきた人々
なのでしょう。
「解放令」反対一揆は、「解放令」反対のみを掲げていたわけではありません。徴
兵令、学制反対、雑税反対などを並べて、「解放令」反対が叫ばれています。つまり、
この時期の一揆は、明治政府の近代化政策に反対して闘われており、「解放令」反対
一揆も例外ではないことがわかりました。「差別された人々」だけでなく、鉱山が焼
かれたり、県庁が攻撃されたりしているのは、攻撃されたところが、権力の象徴で
あったからではないかと思いました。
「解放令」反対一揆を調べていくうちに、「かしの木のひとりごと」の一揆にも出
あいました。この一揆は俗に「筑前竹槍一揆」と呼ばれる一揆を描いたもので、福
岡に伝わる史料をもとに現代風に書き改めたものだそうです。
((稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、pp60−61を参考にし
て、筆者が発表形式に作成した。)
一82一
第3章 「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
資料⑯
Nα
「解放令」反対一ec 21件の概要
明治年・月
事 件 の 概 要
現在府県
@名
1
4・10
兵庫
解放令に反対した一揆は県庁に侵入、要求をのませる。
2
4・10
広島
酒を飲みに来た若者二人を殺害する。
3
4・io
岡山
部落の青年を打撲させる。県は「解放令」を撤回させる。
4
4・i1 [
愛媛
道後温泉に入浴したため、町中で打ち払う。
高知
煮売り店での差別待遇をめぐる対立がきっかけ。部落を襲うが、
5
4・不明
迫資、が入牢させられる。
6
4・12
高知
口論を機に、鉄砲数百丁で部落襲撃。部落側が逮捕される。
7
4・末頃
高知
地界網代をめぐる喧:嘩から、部落に押しかけ、4人を半殺しにす
驕B
8
4・12∼5・
高知
「解放令」に反対し、番人宅を襲撃しつつ高知に向うが途中で自
P
9
5・1
する。
岡山
「賎業拒否の部落に対して、部落民を呼び出して暴行。殺害の後、
S砲・竹槍などで部落を襲撃する。
10
5・1
岡山
上の事件が拡大し、鉄砲・竹槍を携えて部落を襲撃する。
11
5・7
愛媛
部落民ひとりを暴行し、家屋を破壊し、御上に訴訟する。
12
5・9∼10
宮崎
いくつかの要求を掲げて、各地で断続的に屯集・示威する。
13
5・12∼6・1
大分
市内各地を打ち壊し「屠牛反対」「物価引上げ」の運動を起こす。
14
6・5∼6
岡山
部落に詫び状を強制、拒否した村を放火・殺鐵す.
15
6・6
福岡
各地で正副戸長調所・学校・商家・部落などを焼きっっ、県庁も占
秩B官員の必死の反撃で沈静化する。
16
6・6
香川
各地で農民を参加強制しつつ、区戸長事務所・学校・部落などを焼
ュが、武力により鎮圧される。
17
6・7
広島
「差別された人々」の行動への不満から、神社に集合した後、屠
刻黷
襲撃する。
18
6・7
京都
最も強硬な村が、「新平民を○○に改めよ」と要求する。
19
6・7
広島
西城川の漁に託して集まった川筋村民が「新民傲慢」として部落
フ襲撃に向う。
20
6・8
広島
「新民征伐」の風評が高まるなか、盗人が部落に潜伏する噂に襲
b
21
10・2∼3
熊本
始める。
西南戦争が激化する中、皮革所などを襲う。
一83一
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
む ら
(上杉聡『部落を襲った一揆』解放出版社、1993年、pp305・307を参考に、筆者が作成した。)
資料⑰ 各地に広がった「解放令」反対一揆
一揆:「稜多は従前どおりの事」
佐渡
注
明年
治表
編お
ノ鳥
4人虐殺
{
125戸焼失
4戸破壊・放火
、.
、岡
轡
騒擾1「新平民驕傲,山
42ケ所 、
.四
屠牛場破壊・焼失
福岡
巻
ヨ
佐
渡
年
代
記
続
輯
』
巻
之
七
佐賀
長’、
〈
戸
r 大分
」
火
騒擾
暴行
ζ屠牛所焼失
ノ
1人暴行
炉放火
Sv
ー揆:「屠牛反対」 熊本、 宮崎
∼
コねコへ
一揆:「屠牛反対J
’NY
x.
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ー揆:「種多は是迄どおりの事」
銭へ移
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愛媛 .v.y一
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高知
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40戸放火
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1
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一揆:「薇多平民に相成る
は「a服せざるの事・_揆:・肉食による予価高騰反対J
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67戸破壊
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皮革所破壊・焼失
部落へ発砲
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香川
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暴勤;「新百姓征伐J
2人殺害
1,530戸.s.失・破壕
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7戸焼失
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広島
一揆:「磁多平民区別の事J
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ii
紛擾の動き
動揺
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成代
2 落焼打ち未遂
Q
島根
騒動:「新民駿傲」「新民征伐l
年よ
』隔聯
一揆:「新平民を種多に改めよJ
t4戸破壊・1戸焼失
2戸破壊
’
鹿児島.\
、
.一.
新
⑳一揆・鋤馴・綴等が発勤た地域
強訴:「屠牛反対J
聞
「 J 括弧内が一揆の要求(一部)
集
成
●
被差別部落の被害があった場所
O
被差別部落が詫状を取られた所
春
む ら
(上杉聡『部落を襲った一揆』解放出版社、
・84一
1993年、p308から引用した。)
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
資料⑱ A君の発表内容
ぼくは、解放令が出された原因の学説の中で、海外体面説に関心をもちました。
なぜかというと、長い間鎖国を続けていた日本が開国して、新しい国づくりを始め
るとき、それまでの国の仕組みを改めて、近代国家にふさわしい社会を海外に知ら
せようと「解放令」やその他の法令を短い期間のうちに次々発令したのではないで
しょうか。 以下に示す事件は「解放令」発布後に起こった事件ですが、当時の明
治新政府の、海外を意識した国づくりの一端がうかがえる有名な事件がありました
ので紹介したいと思います。
1872年(明治5年)7月、ペルーの帆船マリア=ルーズ号の船主リカード=ヘル
ク リ
ローがマカオにおいて中国入230人を苦力として買い求め、ペルーに向う途上、船
の故障で横浜に寄港しました。このとき虐待されていた苦力が船から脱出して、イ
ギリス船に助けを求めました。そのためことが表面化したのです。
そえじまたねおみ
英国代理公使アル=ジー=ワットソンはこれを外務卿副島種臣に通じ、その糾明
を申請しました。当時、日本は中国・ペルーと条約を結んでいなかったので、日本に
法権があるとし、副島は神奈川県参:事大江卓(W君グループの発表にも出てきた「解
放令」発令に尽力した人物)に事情を調べさせました。臨時法廷が神奈川県庁で数
回開かれ、審問の結果、中国人は本人の意志によるものではなく、強制的に奴隷と
して売買されたことが判明しました。そこで、この船の中国人はすべて中国に返し、
船は抑留、船長は一応無罪となりました。これに対し、マリア=ルーズ号の船長は、
日本の公娼制度を指摘し、事実上の人身売買であると反論して政府をあわてさせま
した。ペルー政府も条約未締結国の裁判は成立しないと主張し、イギリス領事をの
ぞいた各国領事からも異議がでました。
ペルー政府は翌年2月ガルシアを遣わし、損害賠償とペルー国旗侮辱に対する謝
罪を要求し、国際問題になりました。uシア皇帝アレキサンドル2世の仲裁審判を
受けることとなり、1875年(明治8年)6A、日本の処置は適切で、ペルーに対し
賠償を支払う義務はないとの勝訴となりました。
政府は1870年(明治3年)8,月と1872年(明治5年)2,月の両度にわたり、各
港に在留する中国人中、ひそかに日本の男女児童を買い取って海外に売り渡そうと
したものを逮捕したとし、人身売買を取り締まると公布していたのです。
このような国際関係を考えるとき、ぼくは明治新政府が「解放令」を出した理由
のひとつに海外体面説があるのではないかと考えます。確かに政府は地租を改正し、
財源を確保するために「解放令」を発布したという財源確保説もわかりますが、国
際的な近代国家をつくるうえで、「解放令」も大切な役割を果したと思います。(小
林茂編『人権のあゆみ』山川出版社、1990年、pp244・245を参考にして、筆者が作成した。)
’85.
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
資料⑲ B君グループの発表
∬屠κ郡7「朔M、H娯へ塗居撲助の瓦書を腰の雌る。
「解放令」発布からまもない時、部落民Mたちは兵庫県に対して、以下のような
嘆願書を提出した。
だ さ
おおせ
い れ
「死牛馬の売買については持ち主が自由に行えるように仰せ出だされ、以来「差
別された人々」も一般庶民になったということは、本当にありがたいことです。し
かしながら、わたしどもの村は、石高の少ない貧村であるうえ、さらに死牛馬売買
の仕事が廃止になりますと、たとえ差別はなくなっても、生活は困り、苦しむもの
があらわれ、なんともなげかわしいことでございます。なにとぞ、極貧のものの生
活がなりたつよう、扶助をお願いいたします。」
彼らの願いは、県に届くのだろうか。
(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p62を参考にして、筆者
が新聞記事風に作成した。)
浅章’の弾直樹の苦労空し
1871年(明治4年)にいち早く、アメリカ人チャールズ=ヘニンゲルを技術指導
に招くなどして西洋靴の製造に着手していた浅草の弾直樹であったが、士族や華族
が、その莫大な資本をバックに、皮革工場経営に乗り出すや、弾の工場はたちまち
暗礁に乗り上げ、倒産を余儀なくされてしまった。
そしてその経営権は政商三井に奪われてしまうことになった。このため弾の皮革
生産は多くが挫折し、大資本の経営する皮革工場の下請けや労働者として、かろう
じて生き残ることになってしまったということだ。
(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p64を参考にして、筆者
が新聞記事風に作成した。)
禁クの縁β、から締め左1される嵯i錫4さノτた入々ノ
1876(明治9)年、浅草:寺などの大きな寺社の境内では、芝居小屋の興業や出店
は、鑑札(許可証)制度にされて場所も制限され、門付け芸・大道芸は禁止される
ことになりました。それまでは出店が並び、芝居小屋や大道芸が繰り広げられ、人々
を楽しませていましたが、この「にぎわい」は、「近代的な首都づくり」を進める東
京府から、「美観を損ねる」として弾圧されたのです。
一86.
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計
多くの芸人・行商が都を追われて、地方回りの旅をしながら暮らさなければなら
ない、芸能の冬の時代が始まりました。
(久保井規夫編『近代の差別と日本民衆の歴史』明石書店、1998年、p31より引用し、筆者
が新聞記事風に作成した。)
H廓r溶.の:生房爾窮「i冤契丑∫!!
H県H部落を例にとり、一般地域との比較から、部落の困窮化を見ていこう。
下のグラフで部落の借地は、1874年(明治7年)と1884年(明治17年)では2
割近く増加している。戸数では19軒から25軒である。反対に、自分の屋敷をもっ
ていたものは、1874年には5軒あったものが、1884年には1軒に減っている。
これは困窮のため、自らの土地を手離さざるをえなくなった人びとが、部落では
増加していることを表している。一般地域の数字と比較すれば、その困窮の度合い
は、ある程度類推しうるであろう。
やはり明治時代に入って、部落の人々の貧困化が進んだのは確かなようである。
(稲垣・寺木・中尾著『部落史をどう教えるか』解放出版社、1989年、p64を参考にして、筆者
が新聞記事風に作成した。)
(グラフについては、安達五男『資料と教育』清水書院、1991年、p319から数値を引用した。)
借
自分の屋敷
聞 5(・・8)
地
19(79.2)
部
Xs
落盟[[一=======コ
(3.8)
自分の屋敷
聞
借
16(57.1)
護
難
t
聾
地
12(42.9)
ユ5(50.0)
t
t
ユ5(50.0)
一87・
部落史学習事例1(医聖 研究)
Nα1
出典名
下種
小学校
大阪府同和教育研究協議会編『まち ひと くらし∼人権学習の新しい
W開をめざして∼』高学年編、1994年
実践校
授業名
w導計画
貝塚市立葛城小学校
「被差別部落の形成」(第3次:秀吉の民衆支配5時間の4時問目)「
P元名:中世から近世へ(全17時間)
裾、京1」三二二二を、身癖〆ご句ノブてどう拶二二たの,か。6認識二二
本時の目標
秀吉が川田村をつくり、民衆を∠断させ、自∠の権力を保っていたことをわか
らせる。
What型匡憂璽到Why型Which型Who型
主発問(型)
セれがどのようにして部落を作ったのか。
教授活動
資料を提示する→発問する。
Rメント
@1585年と1604年の検地帳を比べ、この間に村が一つ増えたことを示すことにより、
G吉によって被差別部落が作られたことを理解させようとするが、秀吉が作ったかとい
、とそうではないことが歴史学の研究成果からも指摘されている。いわゆる「秀吉が部
獅
チたユという犯人説はあてはまらない。
祖点2一.4’ヂどらな膠どのようκ乙で、β癖〆ご鍵{し;をのか。で潔四方瑳ノ
学習活動
わかり方
発表する
匝響町 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@(型)
@資料を読みとり、豊臣秀吉の行為を因果的に理解する。本学の学習に見られるように、
蜒<塔g
P時聞の授業の中で「被差別部落の形成」を扱うことには無理があるのではないか。
視,京2一β’歴史のわかク方と乙で、教授」工料はどう二二されたのか。
教授資料
貝塚市の検地帳
?p方法
@ 匡璽 事象調査型 仮説検証型
i型)
@コメント
@小学校においても、中世から様々な人々に視点をあて「差別された人々」の存在にも
?レさせており、本時のような部落形成の主役を秀吉犯人説の:方法には無理があるので
ヘないか。しかし実際にはこうした授業が数多く実践されており、教科書の記述も民衆
ェ断政策によって部落が形成されたかのような記述となっている。
一1一
部落史学習事例2 (医國研究)
N6.2
出典名
小学校
校種
大阪府同和教育研究協議会編『まち ひと くらし∼人権学習の新しい展開をめざ
オて∼』高学年編、1994年
実践校
貝塚市立東小学校
授業名
w導計画
「竹皮値下げの戦い」(第4次において3時間扱い)
ャ単元名=江戸時代(全27時間)
P次:江戸時代の学習設定(3)、2次:人々のくらしはどうなったか。(7)3次:家
Nの調べ学習を通して政策について考える。(3)4次:支配から立ち上がる人々(13)
T次:まとめ(1)
裾、点1’教蕨は何を、β禦〆ご!吻ノブでどう三巴乙たの,ψ譜。6認識内創
同時の目標
。落の 々が、厳しい身分差別と苦しい生活の中で、
?
自分たちの生
守るために、「竹皮値下げの闘い」を勝ち取った事実から、巡
ましく生き いてきた’をとらえる
主発問(型)
Wh・t型匡璽I Why型Whi・h型Wh・型
迫獅フ人々はどのような行動をしたのか。
教授活動
資料を提示する→発問する→感想を聞く
祖点2一4’子どるな凸どのようκしで,働票κ到彦し;をのか。ζ認識方法ノ
学習活動
答える→感想を発表する
わかり方
追体験型 医同等1 問題追求型 科学的(認識・説明)型
鴻<塔g
@資料の読み取りを通して、部落の人々の行為を共感的に理解する。
@学習の意義は、特に対象地域児童が在籍している学校においては被差別部落への差別
I扱いを資料に従って追体験することによって、差別への憤りや三差三民の対する共感
I理解が得られることにある。
視.点2一β’歴史のわかク方どしで、鞭葺料ぱど㌧ラ房)男さ虎たのか。
教授資料
部落の人々の行為が記されている学習プリント
?p方法
@ 芋麺藝到事象調査型 仮説検証型
i型)
@コメント
@資料からの読み取りで、被差別民の貧しさ、厳しさ、つらさ、苦しさのみを価値注入
キるだけでは、誤った部落認識につながりやすくので、留意すべきである
一2一
餌α3
出典名
部落史学習事例3 (医國 研究)
校種
小学校
大阪府同和教育研究協議会編『まち ひと くらレ人権学習の新しい展開をめざ
オて∼』高学年編、1994年
実践校
授業名
w導計画
貝塚市立中央小学校
「解放令反対一揆」(十時は2次:10時間のうち9時十目)
P元名=新しい世の中へ(全16時間)1次:明治時代(1) 2次:明治政
{の出した様々な方針(10) 3次;自由民権運動(1) 4次ニアジアへの進出(3)
蕩.京1’教砺な何を、β禦に1吻!プτどう瘡回したの,か。窃謬三三刎
本時の目標
・「解放令反対一揆」は農民の心の奥深く根づいている差別意識と、農民の苦し
「生活からくるものであることを知る。
E同じ人間同士、理解し合うことがいかに大切なことかを考える。
主発問(型)
Wh・t型H・w三二Whi・h型Wh・型
ネぜ、農民は解放令反対一揆を起こしたのか。
i教授活動
発問する→感想を聞く
蕩〔、点2一.4’子どらな’どのよう〆こ「乙で、厚癖7ご鍵したの,か。ζ認識方法ノ
学習活動
わかり方
答える→感想を発表する
追体験型 医璽塑 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型’ 資料の読み取りを通して、人々の行為の原因を認識し、凹々の思いを共感的に理解す
@(型)
Rメント
驕B本時の「解放令反対一揆」では、小学生にとって当時の農民のイメージから、農民
ノ同情的な気持ちを抱きやすく、一方で被差別民の存在へも目を向けさせた時、子ども
スちはこの問題の状況をどう克服して、自分なりの解答を見いだしたらよいか悩んでし
ワうだろう。両者の立場を対立的に扱うのではなく、オープンエンドが望ましい。
蕩.点2一β’歴史のわ,か久方くをムで、鞭〕姿料などク居房されたの,か。6潮の方法ノ
教授資料
活用方法
@(型)
解放令反対一揆を起こしたりーダーの自供書
匡璽到 事象調査型 仮説検証型
梶[ダーの自供書から、解放令反対一揆の原因を考えさせている。
Rメント
一3一
N),4
出典名
部落史学習事例4 (実践 國)
小学校
福岡市部落史専門委員会編『部落史発見』福岡市同和教育研究会、2001年
実践団体
福岡県同和教育研究会
授業名
「久兵衛さんの太鼓」
w導計画
校種
送ソに記載されておらず、詳しい内容は不明である。
裾,点’1’教師な何を、β癖〆ご!酬ナでどう拷導潤たのか。携琴,内刎
本時の目標
主発問(型)
久 出さんの いを知る
州民圏H・w型Why型Whi・h型Wh・型
v兵衛さんはどんな願いを届けようとしていたのでしょうか。
教授活動
本時の展開例が不明であるが、従来の歴史的事象ばかりで、暗記主義的な歴史学習か
迺E却する一つの取り組みとして物語教材がある。物語教材の扱いについては、歪めら
黷ス歴史認識を植えつけたり、国語科の読み取りと変わらない展開が指摘されている。
蕩、京2一.4’子どらはどのよう〆ご乙て、β癖〆こ醗ぎしたのか。偬識方法ノ
学習活動
わかり方
発表する→感想を述べる
追体験型 医璽璽1問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@(型)
@資料の読み取りを通して、久兵衛さんへの願いを共感的に理解する。
Rメント
@実はこの物語は、創作であることが近年になって分かる。もちろん全くの創作ではな
ュモデルとされる太鼓は実在するのだが、授業の中でτこれは作り話だよ。」と子どもに
fって授業をしない限り、これを歴史的事実として受けとめよう。
@さらに、物語教材では、子どもたちに認識させたい結論が本文中に登場している事が
?ーられる。子どもの認識は閉じられ、国語的な読み取りの答えである「久兵衛さんは
d事に誇りをもって生きた」と答えた子が社会認識も獲得したと教師は錯覚してしまう
フである。こうした反省を求めることを意図として上掲書では本例が取り上げられた。
蕩、京2一β!歴史のわ,か〃方としで、教授費『料などラ房燗さ轟たの,か。
教授資料
活用方法
Rメント
物語資料「久兵衛さんの太鼓」
匿麺 事象調査型 仮説検証型
@物語が資料として扱われ、その内容を読み取りながら、久兵衛さんの願いを
、感的に理解させるために活用されている。
一4“
No.5
部落史学習事例5 (医國研究)
校種
小学校
出典名
芥子芳雄編『同和教育と社:会科の課題』明治図書、1978年
実践者
大阪市小学校教育研究会社会科部会
授業名
w導計画
「四民平等」(大単元『わたしたちの生活と歴史』より)
?P元:明治の世の中(全12時間)
P「明治維新と新政府」2「四民平等」(暫時)3「富国強兵」4「農民一揆」5「自由民
?^動1」6「自由民権運動2」7「憲法制定と議会政治」8「日清・日露:戦争と人々の
ュらし」9「条約改正」10「韓国併合」11「近代産業の発達と人々のくらし」12「明治の
カ化と人々のくらし」
裾、点1ノ獅な何を、β禦ノご!酬プでどう着導乙;をのか。開講内創
二時の目標
・新政府が封建的な身分制度を廃し、四民平等としたことを気づかせる。
E四民平等の実態は部落差別を温存したものであり 新しい差別の構造を持つ
ていたことに気づかせる。
主発問(型)
What型匡璽到Why型Which型 Who型
l民平等とはどのようなものか。
教授活動
発問する→調べ活動の課題を決める→話し合う課題を設定する
朔、京2一ノiL!子どらなぞのよう〆ご乙て、四獣隔!ご動讐乙たのか。ζ認離方法ノ
学習活動
わかり方
i型)
@:コメント
答える→調べ活動をする→話し合う
追体験型 共感型 樋垂璽 科学的認識型 科学的説明型
@江戸時代の身分制度を復習した後、四民平等を理解するために、調べ学習を
キる。調べたことを発表しあいながら、解放令後も続く身分差別の構造を理解
オなカミら、政府の意図した四民平等の意味を考える展開となっている。
祖京2一β’澱のわかク凹ましで、教授贅料ぱどう∼葎房さカたのか。
教授資料
活用方法
i型)
Rメント
グラフ:江戸時代の身分別人口の割合、文章「水のしずめに」
魎 事象調査型 仮説検証型
@資料を通して、四民平等について調べ、意見交流しあいながら理解する。認
ッ性は弱い。
.5“
Nα6
部落史学習事例6 (医國 研究)
工種
出典名
外川正明著『部落史に学ぶ』解放出版社、2001年
実践者
外川正明
授業名
P元目標
小学校
「近世の社会と差別された人々」
@近世の幕藩体制は、人々の中にあった賎視観を基盤に、身分制度を政治的制
x的に確立し固定化したこと、そのなかで、選別された人々は、土会や文ヒを
支えてたくましく生きていったことに気づく。
南京1ノ高鍋砺rを、β禦ノこ向グてどう函南∠.たのか。ζ認識灼刎
本時の目標
幕藩体制のもとで身分制度にしだいに確立されていったなか、差別されていた
l々は厳しい差別の中をたくましく生きてきたことに気づく
主発問(型)
Wha七型睡Why型Which型Who型
キ別が制度化されていったことを探ろう。
教授活動
Rメント
説明する→問題を提起する→学んだことを振り返りながら問う
@差別された人々との出会いではf裁判所である奉行所まで差別する」ということを抑
ヲ、では、そうした差別された人々がどのような暮らしをしていたかという発問から資
ソを使って差別された人々がどのような仕事に携わっていたかを知り、その生産物が生
_の必需晶であり、差別された人々は様々な仕事に従事しながら人々の生活を支え、自
轤フ生活も支えていたことを理解させている。見つめ直しで子どもたちに感想を書かせ
トいるが、従来の「鴛やったらどうする?」型の感想は問うていないことが特徴である。
蕩.点2一.4ノヂ、どちなPどのよう〆こ乙で、β癖7ご鱒乙たの,か。6謬鋤ケ法ノ
学習活動
わかり方(型)
@コメント
人々と出会う→人々のくらしを探る→学びを振り返る
追体験:型 共感型 匝即下至璽 科学的認識型 科学的説明型
送ソを通して、差別された人々のくらしを共感的に理解する。
裾点2一β’歴〕望の,わか〃方と乙で、鞭」肇稗などのよう〆ご潜房さ轟たの,か。
教授資料
文章「ある裁判」「江戸中期の諸藩の政策」「江戸時代の役負担」
カ章と絵「差別された人々がたずさわっていた仕事」
活用方法(型)
@コメント
事象理解型 事象調査型 仮説検証型
Sつの文章資料を使って被差別者の生活理解を目的としている。
一6・
Nα7
部落史学習事例7 (日義研究)
校種
出典名
外川正明著『部落史に学ぶ』解放出版社、2001年
実践者
外川正明
単元名
「明治維新と差別された人々」(全5時間)
テメント
小学校
@明治政府の諸政策が新たな偏見が生み出されたという仮説が、歴史学轡として正しい
ゥ、あるいは妥当なものか新たな部轄史学師旅を考えるうえで大切であると考える。
w導計画
P「明治政府の政策を調べる」2「明治政府は国づくりについて考えよう」3「明治維新
ヘ人々を等しく豊かにしたか。」4「明治維新によって差別された人々の生活はどのよう
ノ変わったか」5「差別された子どもたちの生活を調べよう」
裾庶1」教砺は何を、β軽量ご1酬プでどク拷面したのか。劔識殉創
本時の目標
解放令は出されたが、差別は残り強められたこと、差別された人々は 生活
め
別をな ぞ’と 越したことに気づく
主発問(型)
Wh・哩砂鉢璽Why型Whi・h型Wh・型
キ別された人々の村の生活の様子を探ろう。
教授活動
説明する→問題を提起する→学んだことを振り返りながら問う
@被差別者の村のくらしの変化を、皮産業を例に進める。予想は「人々は洋服を着るよう
ノなり、革製品は多く売れた』だが、資料で官営製靴工場設立より、村の生活は一変する
鮪タを理解する。明治から昭和にかけての50年間に人口が3倍に増加した:事実を示し、
@差別部落の人口増加の内実を探らせる。
祖京2一∠4’子ど6などのよ懐こしで、厚擦ノこどう鍵転たのか。6認識ラケ法ノ
学習活動
わかり方(型〉
@コメント
問いに答える→発表する(出会う→探る→見直す)
追体験型 医璽i璽 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
キ別された人々の努力する姿を共感的に理解する。
蕩京2一β’歴史の,わか久方とムで、鞭贅料はどう房燗さ九たのか。
教授資料
文章「喜びで迎えられた解放令」「差別された人々の村の様子」「官営製靴工場
フ成立」表「差別された村の人口の変化」
活用方法(型)
@コメント
匡麺 事象調査型 仮説検証型
柾ロの理解のために、探求的に活用されていることが評価できる。
一7一
Nα8
出典名
部落史学習事例8 (実践 圃)
校庭
小学校
『社会の科学入門シリーズ 差別と迷信 被差別部落の歴史』仮説社、1998年
研究者
住本健次・板倉聖宣
題材名
近世の被差別部落(授業書「差別と迷信・被差別部落の歴史」より)
w導計画
P「ほとんどの藩にいた「えた」「ひにん」身分の人々」2「差別法令が多く出されたの
ヘ、江戸時代の終わりごろ」「最初の差別法令は、江戸時代のなかば」「停滞の時代と差
ハ法令」3「江戸時代の百姓一揆」4「被差別部落の起源について、いろいろな説」5
u差別をおこなった近世の宗教」6「「えた」身分の人々はお金持ち?」「被差別部落の
l口は増加」「被差別部落の人びとの仕事」
疲1点1’教師は何を、β漂κ向グでどク指導したの,か。6認識殉創
三時の目標
主発問(型)
@コメント
記述なし
What三二璽Why型Which型 Who型
@差別法令が最も多く出されたのはいつ頃か。②差別法令が最初に出されたのはいつ頃
ゥ。③被差別部落ができたのはいつ頃か。④お寺は「えた」にどのような態度をとった
ゥ。⑤「えた」の生活はどのように描かれたか。⑥被差別部落の人口はどう変化したか。
教授活動
解説する→問題を提示する→説明する
朔.点2一ノ1’ヂど6な’どのよクノこしで、β高唱ご鱒{したの,か。6高高法ノ
学習活動
わかり方
解説を聞く→予想する(発表する)→説明をきく
追体験型 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@(型)
@ 解説を踏まえて、問題が提示される。予想をたてた後、説明を聞き、歴史
Rメント
wの研究成果としての歴史的事実を理解する。
2一βゐ歴史のわ,かク方と乙で、教:授〕聲料ぱ(どう活房されたの,か。
教授資料
図「明治初年のえた・ひにん身分の人口比率」
Oラフ「百姓一揆の件数」哺王子村の人口の移り変わり」
活用方法(型)
@コメント
細身垂璽型 :事:象調査型 仮説検証型
迫試jの研究成果も取り組み、子どもたちにとっても関心を持ちやすい。
一8一
Nα9
部落史学習事例9 (医國研究)
校種
中学校
出典名
朝倉隆太郎編『現代社会科教育実践講座9日本の歴史の学習①』研秀出版、1991年
実践者
川崎英一(京都府)
授業名
農民支配と身分制度 (単元名:江戸時代の身分制度(2時間))
w導計画
P「身分制度と士農工商の生活」2「農民支配と身分制度」(二時)
祖京1’三二は何を、働螺!ご,向ノブでどう二二乙たの,か。6認識,勾刎
二時の目標
・麹被支配階級である庶民を分裂、対立させることにより、農民支配を容易にし
@ようとするものであったことを理解させる。
E現在もなお存在する。
別は江戸時ざに 府や によって政治 につくられたもの
であることを認識させる。
主発問(型)
Wh・t型H・w型匝亙璽Whi・h型Wh・型
Eなぜ庶民が対立するような支配のしくみにしたのか。
E最下三民をつくり、厳しい差別政策を行った理由は何か。
教授活動
学習課題を提示する→説明する→発問する→説明する
擁.京2一4’子、どらなどのよう〆ご乙で、β癖〆こ到摩したの,か。ピ財物i方法ノ
学習活動
わかり方
課題を確認する→調べる→説明を聞く→考える→説明を聞く
追体験型 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@ (型)
@二時は、部落差別が幕藩体制の推進・維持のため、政治的に作られたことを
Rメント
F識させることを目標にしている。農民の生活を想起しながら、幕藩体制の意
}を探求的にアプローチさせているが、この政治起源説は、歴史学の研究成果
謔閨Aその改善が指摘されている。
菟京2一β’歴史のわ,かク方として、鞭」肇押などク膏房さ轟;をのか。
教授資料
活用方法
@(型)
記述なし(板書で示される差別の構造図が図式化されている。)
匿璽璽璽璽事象調査型 仮説検証型
@史料の活用は明示されておらず、教科書と資料集からの情報をもとに、板書の図を書き
謔骰?ニを通して、部落差回の意図を理解する。
Rメント
・9一
Hα10
部落史学習事例10 (医國 研究)
校種
中学校
出典名
冨田真由美『民衆の生きる姿に学ぶ部落史学習』2000年
実践者
冨田真由美(徳島県)
授業名
江戸時代前半における民衆の関係性からみた被差別部落の成立
w導計画
L述されていない
蕩.京1’辮は何を、β探〆こ,句グτどう引導{したのか。6謬識殉創
本時の目標
江戸時代の社会の変化が、そこで生きる人々の生活を変え、人々の関係や意
ッまで影響を与えたこと、差別が人間集団に向けられていく状況のなか、墨
働かせて生きていく人々の に泊らせたい
主発問(型)
What型How型Why型
hich型 Who型
送ソ18のグラフ、新村がA村、B村どちらかを話し合おう。
教授活動
資料を提示し、発問する→説明する→発問し、考えさせる→発問し、話し合わ
ケる→まとめさせる
祖京2一.4’子ど6な回どのよラ!ご乙.で、β癖〆ご勢門乙、たのか。傭馬方誉ノ
学習活動
話し合う→既習事項を確認する→説明を聞く→問いへの回答を考える→話し合
、→学習内容をまとめる
わかり方
追体験型 共感型 適璽i亘璽到 科学的認識型 科学的説明型
@(型)
@かわた村と百姓村を設定し、百姓村の3人の農作業の行動を追いながら、3
Rメント
lの関係を把握し、新村がA村、B村どちらなのかを話し合う。差別意識が生
ワれる様子を理解させながら、知恵を働かせて生きていく人びとの姿に迫ろう
ニしている。
視京2一β’鍛のカ,かク恥くをしで、教:授贅稗ぱ‘どう膏舅さ轟たのか。
教授資料
グラフ「江戸時代のA村とB村の人口の移り変わり」
G画「職人図絵」
活用方法
事象理解型 事象調査型 轡型
@(型)
]戸時代のかわた村と百姓村の人口の推移のグラフを読み取りながら、3人の百
Rメント
ゥの生活を具体的に認識させ、予想する程度の仮説をたて、それを検証しなが
轣A百姓村の人びとに生まれる差別意識を理解させようとしている。
・10一
Nα11
農民史学習事例1 (医國 研究)
校種 小学校
出典名
歴史教育者協議会編『歴史地理教育』Nα473、1991年6月号
実践者
早川寛司
授業名
w導計画
「逃げるか 訴えるか」
L載されていない。
視点1’教師は何を、19躍〆ご句ノブでどう指}・導したのか。6凹凹内容フ
本時の目標
藤原元命の圧政に対して、農民はどのような行動(逃げたのか、訴えたのか)
ノ出たのかを知る。
主発問(型)
Wh・t型H・w型Why型睡Wh・型
ウて、尾張の農民は逃げたのか、訴えたのか。
教授活動
資料①を出し、説明する→発問する→資料②を読み、説明する
高高2磁’子どらな’どのようκしで、βF漂7ご鍵乙たのか。二二方法ノ
学習活動
わかり方(型)
@コメント
問題を聞く→予想する→問いに理由をつけて発表する→説明を聞く
魎 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@本時は、解答として示される資料(史実に基づく物語)から、歴史的な判断力
育てる活動も取り入れながら、圧政に苦しむ農民の姿を理解する学習であると
「える。
視,京2一β’巌のわか久方ま乙で、教授贅料はどう醐されたのか。
教授資料
①日本書籍の教科書と『愛知の歴史物語』(日本標準)を参考に作成し
@たプリント(元高の自分勝手な政治の様子を表した文)
A『愛知の歴史物語』より「国司をやめさせた農民たち」の後半部分。
活用方法(型)
@コメント
匡麺 事象調査型 仮説検証型
@話し合いの後、問いと同様の資料が提示され、農民の行動を理解する内容にな
チている。提示された資料を根拠に農民の行動の要因を探らせるねらいがあると
vわれる。
・11一
農民史学習事例2 (丁丁研究)
Nα12
校種
小学校
出典名
歴史教育者協議会編『歴史地理教育』Nα44、1959年7月号
実践者
山本典人
授業名
農民の成長(上記出典には2時間分の授業記録が掲載されている)
P元展開
i1)農民は生産用具や生産方法を工夫し、生産性を高めてきた。
i2)年貢や利子のため、農民の生活は相変わらず苦しかった。
i3)アテガワの荘の訴状について話す。
i4)農民は一揆をおこして闘い、自治を勝ち取った国もある。
@2時間分紹介されているが、(1)から(4)の内容を概ね含む内容になってい
驕B
蕩.京1’粋な’何を、β漂ノこ向グでどク拷刑したの,か。6認墜下刎
等時の目標
一揆について農民はどのような行動を起こしたかを意思判断を含
゚て話し合い、農民の願いについて考える。
主発問(型)
Wh・t型睡Why型Whi・h型Wh・型
_民は、どのような願いをもって行動を起こしたのだろうか。
教授活動
発想する→子どもの考えを確認する→子どもたちに意見を促す
菟:.京2一4’子‘どらな’どのようκしで、β7禦‘!ご到達ムたのか。r謬識方法ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
発表する→自分の考えを決め、討論に参加する
追体験型 共感型 匝璽垂璽 科学的認識型 科学的説明型
@当時の農民の願いについて発表し、一揆について、自分の考えを表明しなが
轣A一揆について問題追求し、理解を深める。一揆を起こすかどうかについて
モ思決定もさせている。
凋.点2一β’巌のわか久方としで、教授贅揮はどク∼醐さ轟たの,か。
教授資料
自作の絵画資料(大昔と中世の農民の様子を比較するため)
カ書資料『日本史概説』(岩波全書)(実践者が改変し、読み聞かせる.)
活用方法(型)
匡璽 事象調査型 仮説検証型
鴻<塔g
業の導入部では、自作の絵の資料が提示され、子どもたちの関心を高める。
・12一
Nα13
農村史学習事例3 (医國 研究)
校種
小学校
出典名
歓喜隆司編『社会科教育の理論と展開』第一法規、1980年
実践者
山谷彰治
授業名
w導計画
i要約)
「立ち上がる民衆」
PA:生産性が向上し、余剰生産が生み出された。1B;金融業者が大きな力をもった。
QA:室町幕府の支配構造は脆弱であった。
QB:幕府は、±:倉・酒屋を保護した。3A:農民の結合体として惣が生まれた。3B:
w?燉Z業者のために、負担に苦しむ者が現れた。4A=室町時代には、一揆が多発し
ス。4B:農民が惣を中心に達帯意識を発展させた。
汐鉱物’1’教:甥瀦一句』を、厚務豹吻ケで、どク携λ導したの,か。 乙認:識防1.容フ
本時の目標
室町時代は単に支配層における政治の混乱期であっただけでなく、人民大衆の連帯闘
?フ新たな発展が起こった時代でもあった、ということを把握させ、とくに土一揆の歴
j的に新しい質を認識させる。
主発問(型)
Wh・t型H・w型匝型Whi・h型Wh・型
ネぜ、酒屋、土倉が襲われたのか。
ネぜ、このような歴史的に新しい質の闘争が可能なのか。
教授活動
説明する→資料をもとに発問する→説明する
蕩.点2−74’子‘どら/ま、どのよう〆ごして、働禦7ご須獲乙,たの,か。6門門レ下帯ノ
学習活動
わかり方(型)
Fコメント
説明を聞く→資料をもとに発問に対して考える→説明を聞く
追体験:型 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@なぜ酒屋や土:會が襲われたのか、あるいは土一揆の新しい質的な闘争を可能にした原
を探らせることにより、日時までの認識から土一揆の原因と一揆の新しい質の内容を
F識させている。
朔,点2一β’歴史のわ,か久方’と乙で、教授贅料ぱどう∼三二されたの,か。
教授資料
活用方法(型)
Rメント
文書「大乗院日記目録」
事象理解型 事象調査型 医麺
@資料を吟味することを通して、室町幕府を人民大衆の連帯意識が新たな段
Kに入った時代と捉えることを目的とした授業である。
一13一
Nα14
出典名
農民史学習事例4 (実践 研究)
同種
小学校
朝倉隆太郎編『現代社会科教育実践講座10日本の歴史の学習②』研秀出
ナ1991年
実践者
授業名
P元計画
冨田敦
「農村の変化と農民一揆」 単元名:「くずれゆく江戸幕府」(5時間)
P「土地を失う農民についての話し合い」2「なぜ農民は一揆を起こしたか」問を設定
キる3「予想し学習の見通しをたてる』4「農民の姿をとらえる』5「農民の一揆の広
ェりを理解する」
祖京1’獅な’何を、働螺∼ご1吻けでどう指導∠.;をのか。6課識内噂リ
本時の目標
大深内の村々の農民達は、うち続く不作と重い税によって必要な食べ物さえ
烽ネかったので、一揆を起こしたことを、資料を使って調べ、生きていくため
K死に行動する農民の姿をふき出しに書くことカヌできる。
主発問(型)
What型 How白白Which型 Who型
ネぜ、農民たちは一揆を起こしたのだろう。
教授活動
課題を持たせる→調べさせる→発表させる
蕩,京2’子ど適な’、どのようκしで、β漂κ到達したのか。r認讃方法ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
学習課題をもつ→調べる→調べたことを発表する→願いを書く
追体験型 [i璽 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@地域の農民が必死に生きていこうとするイメージを豊かにとらえさせ、農民
フ起こした一揆を通して、郷土に対する理解や愛情を深めさせている。
祖点3’籔のわかク方ましで、教疫1贅揮な國{どう房湧アされたのか。
教授資料
図「収穫量と年貢の割合」表「凶作年表」
タ物「茶碗1杯半の米」文章「嘉永6年大深内の村々が参加した一揆」
uふき出し」
活用方法(型)
Rメント
事象理解型 事象調査型 白白
_民たちが起こした一揆の原因について仮説をたて、検証するための資料と
オて扱われている。
一14一
農民史学習事例5 (医國 研究)
Nα15
出典名
校種
小学校
(大阪府同和教育研究協議会)編『まち ひと くらし∼人権学習の新しい展開
めざして∼』高学年編、1994年
実践校
授業名
w導計画
貝塚市立東小学校
「正長の土一揆」 単元名=立ち上がる民衆(全8時間)
P「室町幕府」「応仁の乱から下剋上へ」(2)2「民衆の団結」(惣の形成・農民のく
轤オ・正長の土一揆(本時)・国一揆・一向一揆(5)
R「民衆文化のおこり」(1)
高点1’獅は何を、β癖だ句〃でどう指導したのか。6認識殉刎
十時の目標
・支配層への不満を持った農民が団結して立ち上がったことを資料から読み取
@る。
E農民たちの団結した行動が、幕府に要求を認めさせたことがわかる。
主発寒(型)
What型 H:ow型画Which型 Who型
ネぜ、徳政が認められたのだろうか。
教授活動
発問する→説明する
祖点2一、4’子どらなどのようにしで、働禦γご鱒乙たの,か。ζ認識方法ノ
学習活動
わかり方(型)
コメント
発表する
追体験型 医璽到 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
なぜ、徳政が認められたかについては、子どもの常識的な知識から、「たく
ウんの農民が力を合わせたから」「農民の勢いが強かったから」を引き出し、
_民の願いに共感させている。
蕩点3’巌のわかク方としで、教疫E葺均【な’どク蕎湧「さ轟たのか。
教授資料
不明であるが、出典資料からの推測
カ書「1428年の様子ユ「農民の行動の様子」「徳政令」図「1428年の一揆」
活用方法(型)
Rメント
匡麺藝到 事象調査型 仮説検証型
@農民の行動の様子を資料によって、理解させている。主発問への検証として
フ資料の提示にはなっていない。
・15・
Nα16
農民史学習事例6 (医國研究)
校種
出典名
長岡文雄著『子どもをとらえる構え』黎明書房、1975年
実践者
長岡文雄(1966年実施、奈良女子大学付属小学校)
授業名
w導計画
小学校
「寄合」(全3時間)
P 「本時の・・以下で詳説」
Q「第ユ時の授業にもとつく考えの発表のしあいと教師からの「寄合の掟」の
送ソ提供にもとつく話し合い」
R 「たちあがった農民の力について」
蕩.点1’獅な病7を、β凝〆ご,嗣げでどう指導乙たのか。儲談応創
本時の目標
・寄り合いについて推測する。
E現在に残る座の様子に関心を持つ。
E山城国の桂川之図西岡諸荘をもとに確かめる。
主発問(型)
Wh・t型H・w型匝新型Whi・h型Wh・型
_民はなぜ寄り合いをしたのか。
教授活動
子どもによる学習の進行を支援する形で発問する。
w習の進行の方向を指示する。
魂点2一4’子どらは‘どのようノごしで、β堅調こ鍵したの,か。6認識1方法ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
学習を進める→発表する→質問する
追体験型 共感型 魎 科学的認識方 科学的説明型
@子どもたちが自主的自発的に学習を組織してゆき、一見教師は補助的なアド
oイスのみの役割であるかのようである。問答形式ではあるが、授業は本時の
レ標へと向って進んでいっており、こうした所に長岡実践のすごさがある。
虜,京2一β’鍛の,わかク方ま乙て、教授帯解はどう∼琵)男さ九たのか。
教授資料
活用方法(型)
鴻<塔g
山城町の桂川の図
匪魏 事象調査型 仮説検証型
@授業記録には明示されていないが、寄り合い理解のための事例として取り上
ーられている。
一16一
Nα17
農民史学習事例7 (憎憎研究)
校種
小学校
出典名
有田和正著『学級づくりと社会科授業の改造』明治図書、1985年
実践者
有田和正
授業名
w導計画
「江戸時代の農民のくらし」(大単元名:日本の歴史)
{時は「農民のくらし」の第1時
視点1’獅i何を、β癖!こノ向けでどう指導したのか。傭1識内容ノ
本時の目標
四国の祖谷地方の農家の間取りを見せ、南向きの一番日当たりのよい場所に、とび出
キように「便所」が造られていることに着目させる。この便所は「人糞や汚水をためて
ュ酵させ、こやしとして利用するためのもの」であり、それは、増産に努める農家の人々
フ生活の知恵であることを考えさせる。
主発問(型)
Wh・哩H。w型魎Whi・h型Wh・斜
ネぜここのトイレは、南向きで一番よい場所に作られているのか?
教授活動
ノートに記録させる→発問する→話し合わせ、考えさせる→話し合わせ、考え
ウせたことをもとに潜時のまとめを話す
認点2一‘4’子どらなどのよう〆ごムで、厚癖!ご4毅ぎ乙たのか。傭ll離方誉ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
ノートに記録する→話し合う→考える→話し合う→響く
追体験型 共感型 匠亘璽到 科学的認識型 科学的説明型
@本時での追求課題は、江戸時代の農民のくらしをクローズアップさせること
ナある。子どもたちは現代のトイレの構造、役割と比較したり、他の社会現象
ニ関連づけたりしながら、南向きで一番よい場所にあるトイレの意味を追求し
トいっている。
裾.京2一β’鍛のわか久方としで、教授贅揮はどう∼替舅さ轟たのか。
教授資料
絵「四国祖谷地方の農家の見取り図」
カ書「慶安のお触書」(第10条)
活用方法(型)
Rメント
事象理解型 屡璽
仮説検証型
@資料は限られているが、京都などの町でも同じであったことなどを補説し
ネがら、南向きが一番発酵しやすいことや農民が自らのつくったことにも気
テかせようとしている。
・17一
農民史学習事例8 (医國 研究)
Nα18
出典名
月刊『社会科教育』Nα243、明治図書、1983年
実践者
菊川昌二
授業名
w導計画
校種
中学校
「室町時代一農民の成長」
L載されていない。
裾点1’辮な百醐汁ご!吻!プで、何を、どク瘡導乙たのか。傭識、内創
本時の目標
農民は農業技術を発展させて、生産力を高め、それを背景に商工業も発展し
スのだが、このような生産力の発展のもとに農民は、自治的な惣をつくり、団
汲
主発問(型)
強めていったことをわからせる。
What型 How型匝璽到Which型 Who型
_民はどうしてこんなに厳しいきまりをつくったのか。
教授活動
事実を認識させる→問題を意識化させる→学習問題を設定する→
w習問題を説明する
薄葉2一η4’子どらなどのよクにし.で、β塾長ご鍵乙たのか。ご認識方濫ノ
学習活動
事:実を認識する→問題を意識する→学習問題を聞く→学習問題を理
する
わかり方(型)
追体験型 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
Rメント
_民の成長の原因を刈草や施灰、人糞尿などの施肥などの進歩にあることを
l糞尿という生徒の関心が高いと思われる素材を使って、理解させようとし
トいる。本素材は系統的に農業の発達をおさえる必要がある点で認識の科学
ォとも関連が深い。
一点2一β’鍛のわかク方としで、鞭贅料はどク膏房されたのか。
教授資料
活用方法(型)
Fコメント
室町時代の産業分布図。田植図。近江国今堀郷の村の掟。
事象理解型 事象調査型 幽幽
{時の主発問への仮説検証を行う資料として活用された。
一18一
No,19
農民史学習:事例9 (医國 研究)
同種
小学校
出典名
『社会科の初志をつらぬく会の授業記録選第3集』明治図書、1979年
実践者
片桐清司く昭和51年、和歌山市湊小学校で、児童数:33名)
授業名
w導計画
「江戸の農民」一『大庄屋中筋家で』を通して考える一
P「子どもの意識調ぺ∼江戸時代の農民の見方∼」
Q「導入の学習」①中筋家の見学②感想の話し合い③追求の糸口を探る④「なぜ四つも
蛯ェあるのだろうか」⑤「どのような人がどの門を使ったのだろうか」
R「調査活動→グループでさせる14「発表」5「学習をふりかえって」
祖点1’教廓「な吻「を、β虜野ご句!プでくどう指導乙たの、か。6認識,内創
本時の目標
江戸時代の農民のくらしぶりについて、中筋家を通して調べ、問いを追求す
驩ロ題を見つける。
主発問(型)
Wh・t型H・w型唾型Whi・h型Wh・型
?リ家にはなぜ、四つの門があるのだろうか。
教授活動
発問する→追求課題を見つけさせる→発表会を設ける
裾、京2一4’子どらなどのように乙で、β癖ノこ勇猶したの,か。で認識方蹉ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
発表する→追求課題を見つける→追求した内容を発表する
追体験型共感型塵亟型科軸識型科学的説明型
@なぜ問いを追求の糸口に子どもたちは、「門からどんな人が出入りしたか」
ニいう問いを設定する。追求はグループにおける調査活動を通して行われる。
イ査施設は、中筋邸、お城、図書館、市史編纂室、校区の農家などである。
2冤点2一β’歴史のわかク方としで、鞭贅揮などク∼活)糎さ轟たのか。
教授資料
資料はなく、素材として徳川藩政期より大庄屋として、名字帯刀を許され、約200
N間紀北地方の13か村を管轄していた中筋家が本学習の素材である。建物は、江戸末
冾ノ建てられたもので国の重要文化財に指定されている。
活用方法(型)
Rメント
事象理解型 匡墓錘藝到 仮説検証型
繼L施設における資料をもとに調べ学習が進められる。
一19一
農民史学習事例10 (実践 圏)
Nα20
出典名
研究者
授業名
校種
小学校
『共感を通して分析へいたる歴史学習システムの開発』兵庫教育大学修=ヒ論文1989年
吉崎朗
「出雲平野の開拓と農民のくらし」(中単元:武士‘?世の中)
P「出雲平野の開拓と大梶七兵衛」2「農民のくらしと願い」3「出雲平野の
ャ単元指導計画
J拓ができたわけ」(引時)4「全国の新田開発」
裾、京1’教:鰍ま病7を、身潔『∼ご1吻げでどう∼簿蓉國乙たの,か。6予予内P倒
本時の目標
・大規模な干拓は①世の中が平和になり、藩の政策の中心が耕地開発による年貢米の増
福ニ小農経営の自立、維持という農政に移ったため、藩の全面的な後押しを受けるこ
@とができたこと。②戦国期以来の様々な進歩が、大量の原料鉄の供給を可能にし、測
ハ、開削などの土木技術の発展をもたらしたこと によってできたことを理解する。
E大乱七兵衛の業績を藩の政策との関わりでとらえ直し、大国七兵衛に共感することに
謔チて、大規模な出雲平野西部の開拓が可能になった社会背景や社会のしくみ・時代
怩
主発問(型)
追求することができる。
What型 How型睡Which型 Who型
蜩ェ七兵衛や農民達に、なぜこのような大規模な開拓ができたのだろうか。
教授活動
発問する→予想させる→検証を支援する→説明する
裾、京2一η4ノヂどらノまどのよク〆ごしで、β潔r〆ご判子たの,か。6謬繍ケ法ノ
学習活動
わかり方(型)
jコメント
学習問題を把握する→予想し、仮説をもつ→検証する→説明を聞く
追体験型 [璽璽 問題追求型 科学的認識型
科学的説明型
@二時前で農民たちの願いに共感した後、二二七兵衛と農民たちはなぜ大規
ヘな開拓ができたのかを追求する形をとっているが、仮説をたてた後、資料
フ読み取りを通して、仮説の検証がなされている。
朔、京2一β’歴更のわ,かク方’ま乙で、教授1費「押ぱどう膏燗さカたの,か。
教授資料
文章:「田畑永代売買禁止令」「松江藩の新田開発」「藩の開拓に関する示達」
u技術の進歩」
活用方法(型)
Rメント
事象理解型事象調査型塵
シ説の検証のために活用され、関係認識の獲得をめざす。
一20一
Nα21
近代史学習事例1 (医國研究)
校種
小学校
出典名
芥子芳雄編『同和教育と社会科の課題』明治図書、1978年
実践者
大阪市教育研究会社会科部
授業名
w習計画
「自由民権運動」 大単元『わたしたちの生活や歴史』
?P元『明治の世の中』(全12時間)1「明治維新と新政府」2「四民平等」3「富
窓ュ兵」4「農民一揆」5・6「自由民権運動」(等時)7「憲法制定と議会政治」8
u日清・日露戦争と人々のくらし」9「条約改正」10「韓:国併合」11「近代産業の発
Bと人々のくらし」12「明治の文化と人々のくらし」
黒点1’教砺は病7を、β禦〆ご1吻ノナでどク指導乙たの,ψ詣。眼識特輯
本時の目標
民衆の人権意識の目覚め、西欧民主主義思想の影響、明治政府への不満が原因で、自
R民権運動という言論による政府への反対運動が生じ、全国に広まっていったことと日
{で最初に起こった民主主義運動であることを筆返五
@自由民権運動に対する政府の弾圧のきびしさと、それにもめげずに つた人々のたく
ましさを福島事件(福島自由党に対して県令三島通庸が行った大弾圧)
を麺ことに
よってわからせ、自由民権運動の意義について盤一
主発問(型)
匝i亟璽H・w型Why型Whi・h型Wh・型
ゥ由民権運動の背景や原因を調べ、話し合おう。
ゥ由民権運動の意義を話し合おう。
教授活動
発問する→調べさせる→話し合わせる
裾、点2」「‘4’子どらなどのようにしで、β癬ノご鍵ムたのか。偬識ll方滋ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
発表する→話し合う→調べる→話し合う
匝璽 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
イべたことを話し合いながら、自由民権運動について理解する。
菟点2一β∴歴史の,わか〃方と乙て、搬贅料はζξ“ラ∼葎房さ九たの,か。
教授資料
年表「自由民権運動」「士族の乱」
活用方法(型)
事象理解型 匡麺 仮説検証型
Rメント
u自由民権運動」について調べ学習をするための資料として、活用される。
一21“
Nα22
出典名
実践者
授業名
w導計画
近代史学習事例2 (医國 研究)
校種
小学校
『小学生の歴史教室(下)』あゆみ出版、1985年
山本典人
「自由民権家がんばる」
P「憲法をつくれ、国会をひらけ」2「「自由民権家」になって」
R「さあ、署名をしよう」
蕩、点1’獅は何を、働響κ向げでどク拷導乙たのか。で認識内創
本時の目標
『絵入り新聞』から、民権家・聴衆・警官がそれぞれかかわりあっている自
R民権演説会場の様子をつかむ。
主発問(型)
What型睡Why型 Which型 Who型
ゥ由民権運動はどんな運動なのか話し合おう。
ゥ由民権家の願いを表現しよう。
教授活動
発表させる→発問する→発表させる
蕩、点2’子どらな’‘どのよう〆ご乙で、β漂ノご到達乙たの,か。で認識方滋ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
発表する→表現する
追体験型 医聖璽 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@話し合いながら自由民権を理解し、表現しながら理解を深める。教師は「注意」「中
」「解散」などとさけんで演説会を妨害したことを話す。そして、「国会を開け」f憲
@をつくれ」『税金を安くしろ」から、政府への要求の言葉を出させようとするが出て
アない。そこで、(1)自由民権運動は景気よくやること(2)「政府よ!」ということ
ホを冒頭につけて要求することを条件にして発表させる。
裾京2−B’趣ぎのわかク方としで、鞭贅料などラ∼替房さカたのか。
教授資料
活用方法(型)
Rメント
絵入り新聞
雇璽 :事:象調査型 仮説検証型
@絵入り新聞を使って、自由民権運動での弁士、警官、聴衆者の関係を理解
ウせる。当初の予定にはない展開となっている。
一22一
近代史学習事例3 (医國 研究)
Nα23
出典名
実践者
授業名
校種
小学校
『社会科学=習構造化指導細案小学56年』明治図書、1969年
香川県社会科教育研究会
「自由民権運動」
w導計画
L載されていない
1菟、京1’獅な’侮を、β虜郭ご句けでどう茄尊したのか。o認讃殉容ノ
本時の目標
政治に不満をもった国民は、自由民権運動を、次第に高めたので、政府はそ
黷
主発問(型)
抑えきれず国会を開くことを約束した。
What型 How下聞到Which型 Who型
ュ府の取締りのなか、なぜ、自由民権運動をすすめていったか。
教授活動
説明する→話し合わせる→予想を立てさせる→説明する
蕩,点2一‘4ノ子ζどらなどのよク〆こしで、厚癖7ご到彦乙たの,か。♂認識方法ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
説明を聞く→話し合う→発表する→説明を聞く
追体験型 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@本実践は2つの絵をもとに、自由民権運動の外郭をまず理解させている。話
オ合いも入れているが、授業の流れは固定化されているようで、主発問理解に
?ッて、地図や年表を読みとりながら、自由民権運動における学習内容を一つ
クつ理解していく展開となっている。歴史事象をていねいに教授していく学習
菇@であるといえる。
裾,京2一β’歴史の,わかク方としで、教授贅料な凸くどク∼醐さ拠たのか。
教授資料
絵:政府演説会、新聞・雑誌の発行を取り締まる絵、地図、年表
活用方法(型)
事象理解型 事象調査型 二三
Rメント
n図や年表を読みとりながら、政府の取締りがきついなか、自由民権運動を
iめた理由を理解する。
・23一
Nα24
出典名
実践者
授業名
w導計画
近代史学習事例4 (医國研究)
歯種
小学校
『小学校社会科教育実践講座 日本の歴史H』教育出版センター、1990年
富井正嗣(東京都)
「自由民権運動」(全5時間) 単元名:「明治の国づくり」
P)民衆が自我に目覚め、自由民権運動の意義を意識して運動を進めていったことを、
@三多摩を例にして学習問題をつくる。
Q)三多摩(五日市)に自由民権運動が起きてきた背景や原因をとらえさせる。
R)どんな人が自由民権運動に参回目たのか。人々の要求は何だったのか理解させる。
S)五日市憲法のおもな特色を理解し、人々の願いを理解させる。
T)人々がつくった憲法を取り入れず、新政府は大日本帝国憲法を発布した過程を理解
@し、大日本帝国憲法の内容とともに話し合い、自由民権運動を進めた人たちの気持ち
@を理解する。
裾.点’1’教:莇は勿を、β揆7ご1吻〃でどう茄蝉’したのか。6認讃1夕刎
本時の目標
・明治新政府への不満が、自由民権運動として全国的な広がりをみせたことを理解する。
E明治新政府は、次第に自由民権運動におされ、大日本帝国憲法を発布し、国会を開設
@し、近代国家の体制を整えていったことを理解する。
主発問(型)
What型睡Why型Which型Who型
ワ目市憲法を調べながら、人々の願いを考えていこう。
教授活動
話し合わせる→予想させる→調べさせる→発問する→書かせる
鋸.点2一孟’ヂど“らばどのよう〆こしで、厚4禦『!ご易健喜乙たのカ㌔ で認識:方法ノ
学習活動
わかり方(型)
@ コメント
話し合う・討論→予想する→調べる→発表する→書く
追体験型 医国璽到問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
@様々な資料について話し合いながら理解し、主発悶については予想をたて
ト調べ、発表するという過程をする。、
裾.京3’歴史のわ,かク方と乙で、二三瞥料ん∼どう肩「湧1さノτたの,か。
教授資料
活用方法(型)
@ コメント
絵、地図、文章、TP、ふき出し、年表、スライド
事象理解型 事象調査型 仮説検証型
w習内容を理解し、心情面での理解を深めるのにも役割を果たしている。
・24一
Nα25
出典名
近代史学習:事例5
(医國 研究)
校種
小学校
朝倉隆太郎編『現代社会科教育実践講座10 日本の歴史学習②』研秀出版、
P991年
実践者
授業名
碓井欣一
「自由民権運動と国会開設」
w導計画
P)板垣退助らによる自由民権運動が全国的な広がりをみせ、政府が国会を開くにいた
i全4時間)
チた経緯の概略をつかむ。2)「国事犯高田事件記念碑」を見学し、追究すべき課題を
揩ツ。3)高田事件について調べ自由民権運動の主張と弾圧された訳を理解する。(本
栫j4)国会開設を約束した政府の動きを調べ、自由民権運動の役割についてまとめる。
裾,京1’灘な’晶晶〆ご向グで、何をどク二二したのか。で認識内容ノ
本時の目標
高田事件について、読み物資高等を手がかりにして調べさせ、自由民権運動
進めた人々が、弾圧を受けたわけと後世の人々に尊敬されるようになったわ
ッについて、考えをまとめることができるようにする。
主発問(型)
What型How型匝型Which型Who型
sc事件で、どうしてりっぱな記念碑が建てられていたのだろう。
教授活動
めあてをつかませる→調べさせる→発問する→まとめさせる
蕩点2・r‘4’子ζどらな’どのよう〆ご乙で、β漂κ到達レをのかゆr認識方法1ノ
学習活動
わかり方(型)
?<塔g
めあてをつかむ→調べる→発表(討論)する→まとめを書き表す
追体験型 医二型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
¥想し、調べ、討論しながら、高田事件の内容を理解する。
点点3’鍛のわかク方としで、教授贅料はどう∼翻されたのか。
教授資料
活用方法(型)
Rメント
地図、表、写真、文章(「くびき物語」)、記念碑見学メモ帳、TP
事象理解型 [麺 仮説検証型
@「くびき物語」を使って、自由民権運動に対する周囲の人々の当時の考え方
調べている。
一25一
Nα26
近代史学習事例6 (白白 研究)
校種
出典名
,月刊『現代教育科学』M377、明治図書、1988年4月一号
実践者
村井俊之(岐阜県)
授業名
「自由民権運動」
w導計画
小学校
{幕の内容のみの記載である。
裾京1,獅な百凛7ご向げで、何をどク指導乙たのか。6認識」内,容ノ
本時の目標
主発問(型)
指導計画同様、記述されていない。
What型 How型Why型 Which型 匝同型
ィ客さんたちは、誰に物を投げていますか。
教授活動
発問する
蕩,点2一ん子どらなどのよ列こしで、βア癖!ご鍵乙たのか。で認識方渕
学習活動
わかり方(型)
Rメント
討論する
追体験型 共感型 魎璽垂璽科学的認識型 科学的説明型
@絵を解釈したり、討論したりしながら、学習内容を理解する。特に討論さ
ケる活動においては、村井氏は、発問によって、二つの立場をつくり、学習
?ョを活発化させる手法をとっている。
鋸、京2一β’歴史のカかク方と乙τ、鞭葺稗はどう∼活月されたのか。
教授資料
活用方法(型)
Rメント
絵:政府演説会、文章:植木枝盛「民権自由論」より
匡麺璽到 事象調査型 仮説検証型
@資料の絵を素材に、臨時の主発問である「お客さんたちは、誰に物を投げ
トいるのですか。」について討論している。
@植木枝盛の「民権自由論」については、自由民権運動の理解を深めるため
ノ教師が通読して、説明を加えている。
一26一
餌α27
近代史学習事例7 (実践 圃)
校種
出典名
本間昇著『小学校の歴史学習』地歴社、1980年
実践者
本間昇(東京都)
授業名
w導計画
小学校
「自由民権運動と明治憲法」
チに記載されていない。
菟点1’灘はβ禦〆ご1酬プで、何をどう捗攣乙たのか。旧識内創
本旨の目標
主発問(型)
特に記載されていない。
What型亟到Why型Which型 Who型
ゥ由民権運動とはどのような運動だったか。
教授活動
発問する→指示する→説明する
祖京2一!1’子ど6などのよう〆こしで、β凝γご購{し、たのか。で認説方法ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
発表する→調査する→説明を聞く
二二三二 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
纒¥的な人物について調べ、その行為より自由民権運動についての
燉eを理解する。
蕩、京2一β’鍛のカかク方ζξしで、鞭贅料ぱどう∼匿燗さカたのか。
教授資料
活用方法(型)
Rメント
政府演説会絵入自由新聞、民権かぞえ歌、植木南南の文章資料
匡麺 :事象調査型 仮説検証型
@絵入り新聞で運動の様子を理解させる。植木三盛の文章資料により、民権
ニの主張を理解する。民権かぞえ歌は資料として挙げられているが、授業の展
Jでは示されていない。
一27一
Nα28
近代史学習事例8 (医國研究)
校種
出典名
月刊『社会科教育』Nq373 明治図書、1993年2月号
実践者
鈴木隆夫(神奈川県)
授業名
w導計画
小学校
「関東大震災における朝鮮人虐殺」
{時1時間
萄P,京1’獅は働螺〆ご句げで、何をどう摘蓉’乙たのか。6認識内,容ノ
本時の目標
・子どもに事実を知らせる。
E地震の被害を丁寧に扱うことで、虐殺の印象を強める。
E虐殺には一般の市民も加わっていたことに気づかせる。
E朝鮮人が大勢殺されたわけを考えさせる。
主発問(型)
What型匡垂≡三三Why型 Which型 Who型
ゥ鮮の人をどんな人が殺し、どんな人が助けたか。
教授活動
発問する
裾,京2一4’子どらはどのよう〆ご乙で、厚禦7ご到尻目たのか。で認識方滋ノ
学習活動
わかり方(型)
@コメント
発表する
匪璽 共感型 問題追求型 科学的認識型 科学的説明型
Gから問題意識を起こし、質問に子どもが答え、それを説明していきながら理
していく。
祖点2一β’歴史のわか久方と乙で、鞭費料な’どう湾舅されたのか。
教授資料
写真①(関東大震災当時の様子を写した写真)
ハ真②③(「絵はがきが語る関東大震災」所収の写真2枚)
活用方法(型)
@コメント
屋麺 事象調査型 仮説検証型
@本学の「人」である在日朝鮮人が関東大震災時にデマによって、多数殺さ
黷ス歴史的事象を理解させるために用いられている。
一28一
Nα29
近代史学習事例9 (医國研究)
校種
小学校
出典名
歴史教育者協議会編『歴史地理教育』Nα374、 1984年11,月号
実践者
池沢泉(京都府)
授業名
w導計画
「労働運動と水平社の創立」単元名:アジアへの進出(全13時間)
P「第1次世界大戦と日本(1)」
Q「大正の民主主義(4)」①「米騒動と小作争議(2)」②「労働運動と水平社の創立
i1:本時)③「普通選挙法(1)」
R「日中戦争への道(3)」4「太平洋戦争(5)」
裾点1’獅な百漂幽〆ご、句げて、何をどう瘡堕したのか。で認識幽晦フ
本時の目標
労働者や部落差別に苦しむ人々がめざめあって、いろいろな社会運動が高ま
チてきたことがわかる。
主発問(型)
Wh・t型匡i亙璽Why型Whi・h型Wh・型
l々はどんな生活で、どのような運動をしたのだろうか。
教授活動
発問する
祖点2一4’子、どらな’どのよう〆こしで、働螺κ到達したの,か。6謬識方法ノ
学習活動’
わかり方(型)
Rメント
発表する
追体験型 共感型 魎到 科学的認識型 科学的説明型
カ章やグラフから当時の生活を類推し、人々の運動を理解する。
視、京2一β’鍛のわ,かク方と乙て、鞭経料はどう∼琶房さカたの,か。
教授資料
文章:八幡製鉄所の労働者の要求書、グラフ「労働争議・小作争議の件数、
J働組合と組合員数」
活用方法(型)
Rメント
匡璽到 事象調査型 仮説検証型
タ践者は、当時の生活をより理解を深める資料提示の必要性を述べている。
一29一
Nb.30
近代史学習事例10 (丁丁 研究)
校種
小学校
出典名
歴史教育者協議会編『歴史地理教育』Nα320、 1981年4,月号
実践者
浜田博生(奈良県生駒南小学校:当時、実践目1980年12月6日)
授業名
w導計画
「もえ上がる普選の火」(単元:新しい世の中 全23時間)
P「明治維新」(3)2「自由の叫びと帝国憲法」(3)3「日清・日露:戦争と朝鮮」(3)
S「野麦峠」(2)5「第1次大戦と米騒動」(3)6「もえ上がる労働者、農民、普選
フ火」(4)①「地主と小作」(1)②「片桐の小作争議」(2)③「もえ上がる普選の
ホ」(1:本時)7「戦争への道」(2)8「太平洋戦争j(3)
蕩.点1’獅はβ三戸ご!吻げで、何をどク着導乙たのか。型置内空
本時の目標
働く労働者や農民のくらしや人間らしい権利を守る運動(や考え方)がさか
になり、その要求を実現させるため、働く者、貧しい者にも選挙権をという
£ハ選挙権運動が前進したことを理解させる。
主発問(型)
What型口塞璽Why型Which型Who型
l々は、どのようにして普通選挙運動を前進させたか。
教授活動
発問する
蕩点2一沼’子どらはどのよう〆ごしで、厚潔κ到達したのか。ζ認識方誉ノ
学習活動
わかり方(型)
Rメント
発表する
追体験型 共感型 置垂璽 科学的認識型 科学的説明型
セ治時代からの歴史を追いながら、選挙権拡大の過程を理解する。
裾,点2一β’鍛のわかク方として、鞭四一はどう∼汚湧アさ初たの,か。
教授資料
活用方法(型)
Rメント
文章、グラフ
匡璽 事象調査型 仮説検証型
送ソは、問題を追求し、事象を理解するために用いられている。
送ソを解釈しながら、普通選挙権が認められていく過程を理解する。
一30一
「人権」に視点をおく小学校社会科歴史学習の研究
教科・領域教育専攻
社会系 コ ース
M O 1 1 6 2 E
岡 澤 順 肝
1 研究の動機と目的
日本では戦後、「人権」「平和」「民主主義」は絶対的価値を
油2章
「人権jに視点をおく歴史授業実践の分析
と考察
もつ言葉として取り扱われてきた。しかし、近年こうした日
第1節 分析の視点と方法
本の戦後社会で形作られてきた「価値をもつ言語」に対して、
第2節 具体的な先行授業実践の分析
疑義を唱える声も聞かれる。筆者はこうした疑問の声に対し
第3節 分析結果の考察
て人権を相対化したり、教育における取り組みを否定的にと
らえたりする立場にはない。本研究は人権という言葉が氾濫
するなかで、現場で実践されている人権教育を再考し、「総合
第3章
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授
業設計
的な学習の時間」も導入されるなか、社会科教育固有の役割
第1節 授業構成の方法原理
とは何かを考察しながら、新たなf人権」理論にたった社会
第2節 授業モデルの設計
科歴史学習を探求することを目的にしている。
終章 研究の成果と今後の課題
■ 研究の対象と方法
上記の研究目的を達成するために、以下の方法で研究を進
めた。
(1)人権に関する先行研究の成果より人権理論を提示し、
「人権」に視点をおく社会科歴史学習の授業設計の仮
説を立てる。
(2)社会科における部落史学習、農民史学習、近代史学習
N 研究の概要
本研究は、「人権教育における「人権」の再解釈の必要性」
から始まった。すなわち、今日「人権」は普遍的で絶対的価
値を有する言葉として教授され、価値注入されてきたのでは
ないかという問題意識である。
そこで第1章では、社会科学研究における人権論を読みと
の現状と課題を、先行授業実践の分析を通して明らか
き、その理論を社会科歴史学習へ生かす試みを行った。まず
にする。
人権の普遍性を主張する論者として、宮崎繁樹、増田一夫、
(3)以上の分析より、「人権」に視点をおく社会科歴史授業
設計の方法を明らかにする。
(4)(1)から(3)の研究成果をもとに、小学校社会科歴
史学習の授業モデルを設計する。
大沼保昭を取り上げ、それぞれの主張の意図を読み取った。
さらにこの3つの人権論を超える理論として、ローティと
樋口陽一の論旨を読みとった。2人の理論には、人権教育に生
かす理論が含まれているという考えに至ったからである。
ローティの感傷性としての人権論は、人権の理論的基礎を
1皿 論文の構成
人間の合理性にではなく、感傷性におく。つまり、人権の基
序章 研究の目的と方法
礎に関する道徳上の知識を押し広げるのではなく、感傷的な
第1章 社会科歴史学習に生かす人権理論
物語を聞かせることによって、「私たちのような人々」という
第1節 人権の今日的状況
指示対象の拡張が可能となるという説である。この理論は国
第2節 普遍性を主張する人権論
語や道徳などでの物語の読み聞かせに生かせるが、本研究の
第3節 普遍性を超える人権論
主題である社会科歴史学習に生かす人権理論としては、樋口
第4節 歴史学習としての人権理論
陽一の理論に着目した。そして、樋口の思想性としての人権
論より、以下の3つの人権理論を抽出した。
①「人権」は「人」の権利であり、個「人」の権利として獲
自己の内面に取り込み、その認識を、やがては主権者として
得されていくものである。
自分の生き方に生かすため、認識内容を自分の解釈とともに
②「人権」は歴史的産物であり、普遍性に向けて探求されて
外部に向けて発信する活動を意図した。具体的には、新聞づ
いくものである。
くり、まとめ作文、こ人(二つの立場)芝居、劇(シナリオ
③「人権」は個人の論理、国家の論理双方より認識されてい
づくり)など子どもが自ら活動する内容を想定している。言
くものである。
うまでもないが、「表現」における指導と活動の関連は、子ど
この3つを順に、〈個別性〉〈探求性〉〈解釈性〉と名づ
け、社会科歴史学習に生かす人権理論(仮説)とした。
第2章では、先行歴史授業の分析と考察を行い、「人権」に
視点をおく社会科歴史学習の現状と課題を明らかにした。
もに活動を任せてしまうのではなく、今までの「共感」「分析」
の学習において習得された認識が「表現」において生かされ
るよう、子どもの活動に関わる教師の指導性が大いに必要で
ある。
まず先行授業として部落史、農民史、近代史学習より各10
さらに表現する者の一方通行に終わらないように、学級が
事例ずつ抽出した。部落史学習においては近年の部落史研究
表現する者と批判する者に分かれて、相互に交流しあう活動
の成果をふまえることの必要性を、農民史学習においては固
が大切である。表現し伝え合う活動によって、学習者がお互
定された貧農史観を脱し、より広い農民像の形成をめざす歴
いの解釈を理解し合うという人権認識が学習空間に形成され
史学習の必要性を、さらに近代史学習においては「国家」「政
ると考え、授業設計に生かした。
府」あるいは「偉人」の論理からの歴史教授に偏るのではな
V 今後の課題
く、歴史を多角的に見ることの必要性、子どもの主体的な活
動を保証する歴史学習の有用性を明らかにした。さらに30事
例すべての分析から、実践事例の主肋間は「なぜ」疑問型の
実践が多いこと、それにもかかわらず記述的で共感的な認識
設計した授業モデルは、あくまでモデルにとどまっており、
現場での実践がなされていないという限界がある。
に留まる実践が多く、個別性、探求性、解釈性という「人権」
共感から分析を通して表現にいたる4時間の学習過程は、
理論によれば、認識内容が不明瞭な実践が多かった。また認
歴史上の「人」を明らかにして「歴史的事象」を探求し、事
識方法についても共感型の実践が多く、子ども自らが探求す
象については、二つの立場から解釈することによって「歴史
るような資料を活用した実践は少ないことが判明した。
的社会問題」を現代の課題として受けとめられるようになる
そこで第3章では、社会科歴史学習の授業構成に関する人
ことを目標にしている。この理論は今回の授業モデルの他に、
権理論を提示し、その方法原理に基づく授業づくりを試みた。
朝鮮人、女性などを「人」とする授業にも応用する必要があ
授業の設計においては、歴史認識が人権認識へと高められ
る。
るような学習内容であること、また子ども自らが歴史を解釈
またこの単元構想は、年間カリキュラム構想との対応が必
し合い、自らの解釈を自由に表現し合うような学習方法を取
要である。現行の社会科の学習時間に適した「人権」に視点
り入れることが肝要であると考え、授業設計に生かした。
をおく歴史学習を構想することカミ今後の課題である。
授業は小単元構成(4時間)とし、学習過程は「共感」(1
時間)「分析」(2時聞)「表現」(1時間)の3段階とした。
「共感」は史実に基づく物語を通して、歴史的事象を自ら
の生き方や考え方に引き寄せ、歴史上の「人jと自分とを結
びつけることを目指している。
「分析」では「共感」の一面性を補うために、事象を客観
的に分析し、歴史的事象の因果関係や社会のしくみを探求す
ることにより、新たな歴史理論の発見を目指した。
「表現」は、「今ここにいる自分」が「昔そこにいた人」を
主任指導教官
原 田 智 仁
指導教官
原 田 智 仁
謝
辞
ここに、兵庫教育大学大学院における2年間の研究成果として、本論文をま
とめることができました。指導教官である原田智仁先生には、研究の出発から
まとめの段階に至るまで、懇切丁寧なご指導と温かい励ましのお言葉をいただ
きました。また私の歴史教育研究に対する認識の甘さから、多大なご迷惑をお
かけしました。心よりお礼とお詫びを申し上げます。
岩田一彦先生や中村哲先生、橋本康弘先生、藤井徳行先生からも、研究の心
構えや研究方法、論文の内容について貴重なご指導をいただきました。さらに、
本学社会系の諸先生方には、講義その他の機会を通じて、多くのものを学ばせ
て頂きました。厚くお礼申し上げます。
歴史教育・社会科教育研究室の皆様には、ゼミにおける議論や対話を通じ、多
くのものを学ぶことができました。今後とも親交を深めていただきたくお願い
申し上げます。
最後に、長期にわたる研修の機会を与えて頂きました兵庫県教育委員会、西
宮市教育委員会、並びに在勤校である西宮市立安井小学校の小河健一校長先生
をはじめ、教職員の皆様に深く感謝申し上げます。
2003年2月20月
岡 澤 順 齢
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