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お別れの言葉 - 日本福祉大学
青木美智男先生とお別れする会 お別れの言葉 青木美智男先生の、歴史学研究者としてのそうそうたる研究業績と日本福祉大学に知多 半島総合研究所を設立されて「知多学」を創出・発展させられたご業績、および本学経済 学部教授・経済学部長としてのご業績は、それぞれ福岡猛志先生と上田和宏先生が詳しく お話しされました。 私は、青木先生が本学でさまざまな教学役職者として果たされた役割と功績について、 個人的経験を交えてお話しすると共に、本学の近況と今後予定している事業展開について 簡単に御報告します。それにより、本学の発展に役職者としても多大のご尽力をされた青 木先生に対する、学長としての「お別れの言葉」にしたいと思います。 青木先生は1975年度に本学に赴任され、1997年度に専修大学に移られるまで、22年間勤 務されました。その間、教務部長、図書館長、就職部長、および経済学部長の要職に就か れ、本学の教育改善と管理運営改革に尽力されました。 私は1985年度に本学に赴任したのですが、その時、先生は教務部長で、島田豊全学教授 会議長・執行部を支える、有力幹部の1人でした。当時、本学は社会福祉学部と経済学部、 および女子短期大学部の3学部から構成されていたのですが、現在と異なり、各学部教授 会よりも全学教授会の方が権限が圧倒的に強く、毎回、長時間、執行部と反執行部側の教 員との間で、熱い、しかし多分に感情的な論争が繰り広げられていました。私自身は、医 学生運動の経験もあり、医師の中では弁が立つ方と自認していたのですが、教授会での激 しい議論の応酬を聞いて、上には上があるものだと驚きました。そんな中にあって、青木 先生の「福島弁」丸出しの一見木訥な、しかし非常に行き届いた発言により、全体の議論 が一つの方向にまとまったことを、何度も経験しました。 さて、日本福祉大学は、本年、創立60周年、美浜キャンパス全面移転30周年を迎えまし た。私が赴任した当時は、先に述べたように、短期大学部を含めた3学部でしたが、先生が ご在籍中の1995年度に半田キャンパス・情報社会科学部を開設し、さらに先生が専修大学 に移られた後の2001年度に通信教育部(現・福祉経営学部(通信教育))を、2003年度に 経済学部から分離独立する形で福祉経営学部を開設しました。さらに、2008年度には子ど も発達学部と国際福祉開発学部を開設すると共に、情報社会科学部を健康科学部に再編し、 2010年度には、福祉経営学部と経済学部を再統合しました。その結果、現在、本学は6学部 9学科、4大学院研究科を有する「(平仮名の)ふくしの総合大学」に発展しています。さ らに、2年後の2015年度には、名鉄太田川駅前に都市型の「東海キャンパス」を開設し、7 番目の学部として看護学部を開設するとともに、現在、美浜キャンパスにある経済学部と 国際福開発学部を移転する予定です。 本学の自己規定は、この60年間に、社会福祉の単科大学から「人文・社会科学系の総合 大学」へ、さらには「ハートウェア・ユニバーシティ」・「人間福祉複合系」へと変わっ てきましたが、2009年度から、渡辺照男理事長・加藤幸雄学長の発案で、新たな学部の開 設とこの間の福祉の概念と領域の拡大を踏まえて、平仮名の「ふくしの総合大学」と称す るようになりました。この経過については、お配りした「学園報」85号掲載の拙論「(漢 字の)『福祉』から(平仮名の)『ふくし』へ、そして『ふくしの総合大学』へ」をお読 みください。さらに、今月の理事長・学長会議および大学評議会で、「ふくしの総合大学」 の内実と各キャンパスの役割を視覚化した新しい「大学コンセプト」(地域に根ざし、世 界を目ざす『ふくしの総合大学』」)を決定しました。 このコンセプトは、現時点では、多分に「宣伝」「広報」の要素が強いのですが、丸山 悟理事長と一致団結し、東海キャンパス開設と既存学部の整備を成功させることにより、 これが「実態」でもあるようにしようと決意しています。 青木先生、私たち残された者は、先生が愛された日本福祉大学をこのように発展させて いきますので、安らかにお眠り下さい。終わります。 2013年9月29日 日本福祉大学学長 二木 立