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10 1990 年代のアメリカ経済の好調

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10 1990 年代のアメリカ経済の好調
26
10 1990 年代のアメリカ経済の好調
10.1
クリントン政権の経済運営
クリントン政権下 (1993-2001) のアメリカ経済はいろいろな点で極めて好調に推移した。
まず第一は、クリントンが長年の懸案であった財政赤字の解消に大胆にまた本気で取り組み、実際にその解
消に成功したことである。巨額の財政赤字がいずれ金融危機につながるというクリントンの恐れは、必ずしも
十分な根拠のある話とは思われないが、長年経済政策の手足を縛っていた財政赤字問題からアメリカを解放す
ることで、経済政策に対する信頼の回復が進んだし、何よりも政策選択の幅が広がった。クリントン政権の最
後の 2000 年には連邦財政は巨額の黒字を記録するまでになった36 。
第二に、マクロ経済が好調に推移したのは、連邦準備制度理事会 (Fed) のグリーンスパン議長による巧みな
金融政策の運営もあったからである。たとえば 1990 年から 91 年にかけての軽微な景気後退の後、アメリカ
経済は 1993 年には既に景気は力強く拡大していたが、まだ目に見える形ではインフレは脅威にはなっていな
かった。しかし、Fed はインフレの芽を摘むための予防的な利子率引き上げに踏み切る決定をした。このグ
リーンスパンの予防的金融引き締めは政治家を含め各方面の反発を招いたが37 、1995 年末には、インフレを抑
えながら完全雇用状態へ軟着陸させるという Fed の目論見が成功したと見られるようになった。グリーンスパ
ン議長の金融政策運営の手腕は以後とくに金融界から絶大な信頼を得ることになる38 。
10.2
アメリカ経済の好調と New Economy 論
消費者物価上昇率は落ち着いたまま、失業率は 1990 年代を通じて一貫して低下を続けた。近年アメリカの
自然失業率あるいは NAIRU39 は 5% 台であるというのが経済学の共通の了解であった。しかし、失業率はこ
の水準を超えて低下を続け、1999 年末には 4.1% という近来まれな低失業率に到達したにもかかわらず、物価
はむしろ非常に落ち着いた状態を維持し続けていたのである。
このようなアメリカ経済の良好な状態を背景に、アメリカ経済がある種の質的飛躍を成し遂げたのではない
かという観点から、New Economy (あるいは New Paradigm ) 論が主張されるようになった。アメリカ経済が
この時期好調を維持したことは疑いないが、彼らはさらにアメリカ経済が一種の革命的変化を遂げているのだ
と主張したのである。しかし彼らの一部にあった「アメリカ経済はもはや景気変動からも脱却した」というい
ささかバラ色に過ぎる議論は、2008 年に起きた Great Recession を見れば誤っていたことは明らかである。
とはいえ、Fed のグリーンスパン議長も議会証言で、慎重な姿勢を維持しながらも、アメリカ経済の質的な
変化の可能性について触れている。グリースパンは技術革新およびそれと関連する労働市場の弾力化を強調し
ている。とくに 90 年代に飛躍的に進展した情報通信技術 ICT (Information and Communication Technology)
によって、アメリカ企業の在庫管理能力が向上したこと、またそのような技術革新は労働者の技能 skill を常に
陳腐化する可能性を生み、労働者の賃金引上げ要求と物価上昇への圧力を弱めたのではないか、と述べている。
情報通信技術の発展が、90 年代のアメリカ経済の好調を支える重要な要因であったことは間違いないだろう。
36
財政赤字削減をもたらしたもう一つの大きな理由は、冷戦の終結とソ連の崩壊による国防費の縮小であった。
当初クリントン大統領はこの引き締めに対する強い不満を閣内で漏らしたそうだが、政権内のエコノミストはこの利上げを不可避
かつ適切と考え、大統領に Fed を公に批判しないように助言し、大統領はその助言に忠実に従ったそうである。
38 ただし、
「予防的」政策は正確な予測を前提しており、きわめて難しい。後の 2007 年からの不況に関しては、グリーンスパンは予
測を誤り、市場のバブル状態を見抜けず 2008 年秋からの金融危機を招いたとして、一部の人から強い批判を受けることになる。
39 NAIRU とは、インフレを加速しない失業率 Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment という意味である。
37
27
10.3
個人貯蓄の減少と経常収支の悪化
長い目で見れば、この時代の情報通信技術の発展が、経済全体に大きな影響を及ぼしていることは疑いのな
いことであろう。しかし、この時期の過度に楽観的な経済見通しと高揚感は、“irrational exuberance40 ”(根拠の
ない熱狂) となってその後の (資産) バブルにつながり、その意味で金融危機の遠因にもなったものと思われる。
U.S. Personal Saving and Current Balance
Personal Saving (% of GDP)
% of GDP
Personal Saving (% of Personal Income)
Current Balance (% of GDP)
12.0
10.0
8.0
6.0
4.0
2.0
0.0
1965
1970
1975
1980
1985
1990
1995
2000
2005
2010
-2.0
-4.0
-6.0
-8.0
図 11
Clinton の時代に財政赤字は顕著に縮小し、ついには大幅な財政黒字を生み出すようになった。それは
Reagan 時代の経常収支赤字の主要因である政府の貯蓄不足を解消したものであるから、経常収支赤字もそれ
に伴い縮小していってもおかしくない。しかし、経常収支 current balance は、90 年代後半から赤字を急速に
拡大した (図 11)。実はこの間、民間では個人貯蓄率が顕著に低下していたのである。
NYSE Composite
Historical stock prices
Dow Jones industrial
average
14,000.00
12,000.00
10,000.00
8,000.00
6,000.00
4,000.00
2,000.00
0.00
㻝㻥㻣㻜
㻝㻥㻣㻡
㻝㻥㻤㻜
㻝㻥㻤㻡
㻝㻥㻥㻜
㻝㻥㻥㻡
㻞㻜㻜㻜
㻞㻜㻜㻡
㻞㻜㻝㻜
図 12
図 12 には代表的な株価指数を示している。株価指数は 1980 年代半ばから上げ足を速めたが、とくに 1990
年代後半には急上昇している。これは株式市場に一種のバブルが発生したからであるが、同様に 1990 年代後
半からは住宅価格も上昇し始めており、この頃から全体に資産価格のバブル現象が発生し拡大したのである。
この資産バブルによって、アメリカでは貯蓄によることなく人々の資産が次第に増大していくという現象が
現れた。節約 (貯蓄) して将来のために資産を蓄積しなくても、資産価格の上昇によっていわば自動的に資産が
ふくらんでいくなら、節約など忘れて消費生活を楽しめばよい。そのような楽観と高揚感が人々の経済観を支
配していったようだ。これは支出の増加 (民間貯蓄とくに個人貯蓄の減少) を通じて経常収支を悪化させた。こ
の資産価格のバブルはやがて破裂することによって 2008 年の金融危機を生み出すことになる。
40
この言葉は Robert Shiller がつかい、後に Greenspan がそれを使うことによって有名になった。
28
11 2008 年の金融危機 Great Recession
2008 年 9 月 15 日アメリカ第 4 位の証券会社 (投資銀行) リーマンブラザーズ Lehman Brothers が経営破綻
した。すでに 2007 年からサブプライムローンの問題がアメリカの住宅バブルを崩壊させつつあったが、リー
マンの破綻を契機に、一挙に大恐慌以来の金融危機に発展した41 。アメリカと同様にヨーロッパでも住宅バブ
ルが発生していたが、これもほとんど同時に崩壊し、世界的な金融危機に発展した。
11.1
金融危機の基本形—銀行の取付騒ぎ bank run
銀行は預金を預かり、これを企業への貸出や証券投資で運用する。銀行預金の主要部分は、要求払い預金
demand deposits といって、取引企業などが小切手の発行を通じて取引の決済に使うものである。要求払い預
金は貨幣供給 money supply の中心を構成するが、その性格上、頻繁に持ち手を替える短期資金である。
銀行は、預金の一部を預金の引出に備えて (利益を生まない) 現金等の預金準備として置いておくが、残りは
貸付や証券投資に運用して利益を稼ぐ。通常 (企業を中心とした) 預金者は数多く、預金の引出も多いが預け入
れも多いから、差し引き銀行から引き出される (あるいは預け入れられる) 預金は通常小さな割合に過ぎない。
そのため準備の預金に対する比率 (預金準備率) は小さくてよい。
しかしそのような状態が維持されるには、預金者から銀行が信用されていなければならない。銀行が預金総
額に等しい準備金を持っていないことは最初から明らかなことであるから、もしも預金引出に対する不安が発
生すれば、預金者は、(他の預金者より先んじて) 自分の預金だけは引き出そうと銀行の窓口に殺到する。これ
が銀行の取り付け騒ぎ bank run である。
この取り付け騒ぎは根拠のない噂からでも発生しうる。たとえ健全な経営を維持している銀行でも、危ない
という流言が広がると、人々は預金引き出しに殺到し、十分な現金を持っていない銀行はそれに対応しきれず、
倒産することもある。
多くの企業や個人が銀行を通じて相互の取引を決済しており、その結果多くの銀行が互いに取引関係に入
り、銀行同士のネットワーク関係が構築されている。そのなかのひとつの銀行が倒産すると、その銀行に債権
を持っていた他の銀行もその債権が不良化し、それは金融のネットワークが連鎖反応的に危うくなり、銀行間
の資金取引をも難しいものにする。
そのような危険な状況になると、銀行は資金 (現金) の回収を図ろうとして、一方で企業等への貸し出しを制
限し、他方で既存の貸し出しの繰り越し (roll-over) を制限する。貸し出しやその繰り越しを断られた企業は資
金繰りが困難となり、倒産する危険に直面するし、銀行の貸し付けは多く不良債権となる。また資金回収のた
めに銀行が証券を市場で大量に売却すると、それ自体証券価格を引き下げ、銀行の保有する資産価値自体を減
少させてしまい、債務超過を発生させてしまう。すなわち銀行のバランスシートの悪化である。
こうして連鎖反応的に銀行危機が広がっていき、ついには銀行恐慌にいたる可能性がある。ただしこれは預
金を受け入れている銀行についての話である。
11.2
銀行の規制と保護
アメリカでも歴史的には度重なる金融恐慌が発生し、多くの銀行が倒産した。このような銀行の倒産と金融
恐慌を防ぐために金融制度改革がおこなわれてきた。その代表は、1913 年の連邦準備制度 FRB(または Fed)
の創設と、1933 年の Glass-Steagal Act である。大恐慌の中で成立した Glass-Steagal Act では、預金保険のた
41
これを今日では (1930 年代の Great Depression と対比して) Great Recession と呼んでいる。
29
めの連邦預金保険公社 (FDIC) が設立され、銀行を商業銀行と投資銀行に銀行を二分し、預金を受け入れる商
業銀行には (リスクの大きい) 証券業務を禁止し、他方で緊急時には FRB からの融資を受けるという保護を与
えた。しかし預金を受け入れない投資銀行は従来通りリスキーな投資もできた。このような規制策導入の目的
は、金融恐慌が起きる理由は銀行に対する信用不安からであるから、(預金を受け入れる) 銀行にさえ保護と規
制の網をかぶせておけば取り付け騒ぎも起きず、したがって金融恐慌も避けられるということにあった。
しかし問題はそう簡単ではなかった。Glass-Steagal Act によって銀行の手足が縛られている間に、その銀
行組織の外側に、政府の規制に服さない投資銀行すなわち「銀行でない銀行」non-bank banks が業務を急速
に拡大していった。このような金融機関は、実質的には商業銀行のような業務を行っていたために影の銀行
shadow banking とも呼ばれた。景気が好調な間、とくにバブルの時期には、自由に振る舞うことのできる金
融機関の方がしばしばよりよい成果を上げる。その影響もあり、近年は金融の自由化がかなりのスピードで実
現していった42 。この状況下で、金融危機の直接の引き金になったのがサブプライムローンであった。
11.3
住宅バブル と Subprime Loan
サブプライムローン subprime loan とは通常の住宅ローン (プライムローン) の審査には通らないような、債
務履行の信頼度の低い人向けの住宅ローンである。住宅バブルの時期 (2001 年頃から 2006 年頃) には、借り手
として危険な人々に対してこのサブプライムローンがどんどん貸し込まれていったのである。
その第一の理由は住宅価格の上昇である。金融バブルに先んじて、1990 年代後半から経済全体の好調を背景
に、住宅価格が値上がりを始めた。IT バブル崩壊による 2001 年の景気後退にも住宅市場は余り影響を受ける
ことはなく、FRB は景気拡張のために、金利を引き下げ、経済全体に潤沢な資金を提供したが、むしろ例外的
に好調であった住宅ローンの分野にその資金が流れ込み、さらに住宅価格の上昇を加速することになった。こ
の価格の急上昇は住宅の担保価値を高め、サブプライムローンの借り手 subprime borrowers の返済能力と信用
を高めた。かりに返済が困難になっても、価値の増大した自宅を売却してしまえば、十分に返済可能となる。
サブプライムローンの借り手でも何年か後には、信用度の高いプライムローンの借り手として、住宅ローンを
安い金利で借り換えることさえ予定された。こうしてサブプライムローンは増加したのである。
第二の理由は、証券化 securitization という住宅ローン債権の危険分散の手法にあった。借り手の低い返済
能力は、ローンの貸し手にリスクを負わせる。しかしサブプライムローンの場合、原貸し手はリスクを自ら負
担するかわりに、この危険な債権を債務担保証券 (CDO: collateralized debt obligation) と呼ばれる特殊な証券
に変換し、多くの投資家たちに売却した (危険分散)。こうしてリスクは証券の買い手 (投資家) に移った。サブ
プライムローンは原貸し手にとってリスクのない取引となり、貸し込んでいけばいくほど貸し手の手数料収入
が増える仕組みになっていたのである。
それでは (最終的な) 投資家たちはなぜこのような危険な証券を購入したのだろうか。それはこの CDO が
(当時のブームの状況の下では) 危険ではないように見えたからである。サブプライムローンの証券化とは、サ
ブプライムローンだけでなく、自動車ローンなどきわめて多種多様なローンを混ぜ合わせ、それをこま切れに
して少額証券として売却したものである。この手法は危険分散という考え方によるもので、異なる危険を混ぜ
合わせれば、それらは確率的に打ち消しあって、かなり安全な資産となる。そのような証券の優良な部分に対
して、格付け機関は極めて高い AAA という評価さえ与えた。この評価の高い CDO を投資家は競って購入し
たのである。こうして住宅市場は拡大し、住宅価格は上昇を続けた。
ところがこのような資産バブル (住宅バブルもその一種) は「自然発生的なネズミ講のようなもの」で、バ
ブルはいつまでもは続かない。住宅バブルが値上がり期待によって投機的買いを引き寄せるほど、投機的な売
42
1999 年には Glass-Steagal Act が撤廃された。
30
りのための住宅在庫が増加し、住宅市場での売り圧力は確実に増えていく。住宅需要の拡大はいずれ天井を打
ち、住宅価格も頭打ちになり崩れ始める。実際に 2005 年には住宅価格は天井を打ち、次いで値下がりを始め
た。バブルの崩壊の始まりである。
住宅価格の下落が始まると、優良な借り手に見えた subprime borrowers が突然本来の返済能力の低い借り手
に戻ってしまう。あちこちで住宅ローンの返済不能が発生し、差し押さえが始まる。しかし差し押さえ自体か
なりのコスト負担を伴うから、差し押さえた側にとっても債権は資産価値が低いものになり、それはサブプラ
イムローンを担保にしていた証券 (CDO) が非常に劣悪な投資になったことを意味した。
それらの証券 (CDO) を購入していた投資家や金融機関は、価値下落するそれらの証券をいっせいに手放そ
うとし、それがさらに CDO の価値を下落させていった。こうして CDO に投資をしていた投資家・金融機関
のバランスシートが悪化して、倒産が相次いだ。どの投資家、投資銀行も目の前で資産価値の崩れていく証券
を売り逃げ、安全な資産とくに貨幣に乗り換えようとした。これは銀行預金の問題ではなかったが、本質的に
銀行の取付騒ぎと同じ現象であった。こうして、サブプライム住宅市場の崩壊は、証券化を通じて瞬く間に金
融市場全体に波及し、大恐慌以来といわれる金融危機に発展したのである。
11.4 Shadow banking と金融危機
今回の金融危機の特徴は、銀行の外側にある金融機関 (投資銀行) が近年急速に拡大し、それが危険な
subprime borrowers を巻き込んで、金融市場全体をバブル化していったことである。
これら投資銀行と呼ばれる金融機関は、銀行のように預金を預かるわけではないが、短期資金を取り入れて
それを長期に運用するという点では、基本的に銀行と同じ性格を有している。(その意味でこの分野は shadow
banking と呼ばれた。) 投資銀行は subprime borrowers などの危険な相手に長期資金を貸し出し、それを証
券化して多くの投資家がそれを購入した。その証券 (CDO) は市場性が高かったから、多くの投資家は資金を
CDO の購入により短期的に運用し、やがて資金が必要になればそれを市場で売却すれば良かったのである。
ただしそれは CDO の市場に厚みがある (大規模に売買される) 限りのことである。もしも投資家がいっせいに
その CDO を市場で売却しようとして買い手がいなくなれば、市場は機能を停止し、短期資金を必要とする投
資家がみな資金を調達できなくなる。これは銀行取付騒ぎと本質的には同じことだった。
以前の金融危機の結果金融機関が規制されると、その外側に規制を逃れる新たな金融機関の活動が現れ、規
制の負担がないだけより低コストで有利に金融取引をおこなうことができるようになる。このような規制の外
側でおこなわれる取引は、市場が好調な間は高収益を挙げ、それゆえ (いずれ危険が生じると分かっていても)
その分野から手を引くことは難しい。しかしいったん市場に何らかの不調が訪れるとこのような取引は危険に
満ちた取引に早変わりする。すべての機関が危険な資産から売り逃げようとして、さらに資産内容を悪化させ
てしまう。そしてついには市場そのものが崩壊してしまうのである。
結局、規制される銀行の外側にある、shadow banking と呼ばれるような規制のない分野の取引を、正確な情
報の把握と認識を欠いたまま野放図に拡大させてしまったことに問題がある、といえそうである43 。しかし当
時のブッシュ政権はその保守的なイデオロギーから、金融機関に新たな規制を加えることには一貫して反対し
てきた。その点政治にも大きな責任があることは否めない。
他方で、新たな分野に規制の網をかぶせれば、そこには必ずといって良いほど非効率が発生し,「規制が規制
を生む」という悪循環が生まれる。長期的に見て金融市場の効率性をどう高めていくかという問題と、その金
融市場のバブルによる崩壊をどう避けたらよいかという問題は、なかなか簡単には解決できないディレンマで
あるといえる。
43
Paul Krugman, End This Depression Now!, W.W.Norton, 2013.
31
図 13 Rising Home Prices
——————————————————————————–
定期試験の問題から 2 問をあらかじめ以下に提示しておきます。関連する事項をすべて書き込もうとはしな
いように。材料を取捨選択して、出来るだけ論理的に明快にまとめるようにすること。
1. 以下の問に答えよ。
(a)戦間期の国際金本位制への復帰の試みが、1929 からの不況を世界的な大恐慌にしてしまったという
主張を簡単に説明せよ。
(b)第二次大戦後の国際経済の円滑な再出発に向けてアメリカが果たした役割を説明せよ。
2. 2008 年の金融危機はどのような特徴を持っていたか。諸君が重要と思う論点を明確にしてまとめて
みよ。
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