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(III) 黎明期における代数的整数論の諸相

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(III) 黎明期における代数的整数論の諸相
ク ロ ネ ッカーの数論 の解明
Ⅲ.黎 明期における代数的整数論の諸相
高瀬 正 仁 (九 州大学 )
は じめに
1.代 数的整数論 の黎明期 の概念
2.さ まざまな理論の萌芽の提出
3.無 限小解析 の数論へ の応用
4.ク
[ヤ
コビの数論]
[デ ィリクレの数論]
ロネ ッカーの学位論文 と一般理論への道
は じめ に
複素整数の概念の自党的認識
ビエ ール・ ド・フェルマ
(1601‐
1665)の 名高い「欄外 ノー ト」 に始
まる近 代的整数論 の流 れの 中で、 カー ル・ フ リー ドリッ ヒ・ ガウス
(1777‐ 1855)の 著作 『整数論』
(1801年 )の 出現は、真 に画期的 とい
う言葉に値するめざましい 出来事であ った。 ガウスはこの大著を皮切 り
に息の長い究明を続け、雄大な数論的世界を建設 したが、その眼 日は、
一般的に措定された高次合同式の舞台 の上に、何かしら相互法則 の名に
ふさわしい法則 を発見 して確立することにあったと見るのが至当である。
1801年 の著作『整数論Jの 段階では、発見され、証明された相互法則 は
なお平方剰余を対象 とする場合 に留まっていた。 しかし1828年 の論文
-135-
[G‐
1]
四次剰余の理論 第一論文
[ガ ウス全集 2,pp.65‐ 92
1825年 に概要が報告 され、1828年 に公表 された。]
と1832年 の論文
[G-2] 四次剰余の理論 第二論文 [ガ ウス全集 2,pp.93-148.
1831年 に概要が報告 され、1832年 に公表 された。]
に進むと状 勢 は明 らかに新段階に到達 し、一段 と深みのある深ま りを見
せてい る。実際、 これらの二論文 では四次剰余相 互法則の究明の具体相
が詳細 に叙述されてい るが 、その歩みにつれてお のず と、「整数域の拡
張」 とい う鮮明な事態が生起 した。そ うして四次剰余相互法則 とい うも
のが生 い立 つべ き本来 の場所、言 わば「存在領域」 と して、 ガウス整数
域が設定されるに至 ったのである。 これに関連 して、 ガウス 自身、「第
二論文」 ([G‐ 2])の 中で こんなふ うに語っている。
マに向けて心を傾け始めたが、そ
・・・我々は1805年 からこのテ‐
のときただちに、一般理論 の真の泉 はアリトメテイカの拡大され
た領域の中に探 し求められるべ きであることを我 々は確信 した。
す なわち、 これまでに探究されてきた諸問題 では、高等的アリ
トメテイカは実整数だけの範囲内に限定されてい るが、すでに第
一節 において示唆 した ように、四次剰余に関す る諸定理 は、アリ
トメテイカの領域が虚の量にまで拡張 されて、α+わ ′ とい う形の
数が制限なしにアリトメテイカの対象 となるようになって初めて、
最高の単純 さと真実の美 しさをもって光 り輝 くのである。 ここで
-136-
j
V-1
は習慣 に従 つて虚量
を表 わす。 また、α,ル
は ―∞
と ∞ の間 のあ らゆる不定整 数 を表 わ してい る。我 々 はこの よ
うな数 を複素整数 [=ガ ウス整数 ]と い う名 で呼 びた い と思 う。
[ガ ウス全集 2,p.102]
さらにこの言葉 には次 の ような脚註が附 されてい る。
ここで通 りすが りに、少 な くとも、 このよ うに して確立された数
域 は、わ けても四次剰余の理論にとつてふ さわ しい ものであると
い う事実 に注意 を喚起 してお くのが 時宜 にかなっていると思う。
それ と同様 に、三次剰余の理論 は α+bみ
とい う形 の数 の考察
を土台 として、その上に建設されるのが至当である。 ここで あ
3_1=。 の
は方程式 み
虚根、 たとえば た=一 分+/暑 ・j であ
る。 また同様に、高次幕剰余 の理論 のためには、他の虚量の導入
が必要 とされるであろ う。
[同 上]
こうして相互法則の一般的究明 は代数的整数 とい うものの 自覚的認識
を呼 び起 こ し、 ここに代数的整数論の端緒が開かれた。 ガウスの言葉は
それ自体 としては断片的な数語 にす ぎないが 、 この間の事情 を端的に物
語って 、間然す るところが ない。数論 における新理論 の誕生 を告げる歴
然たる証言 と言わなければならないであろう。
代数的整数論の黎明期
ガウスの数論 はガウスに続 く世代に所属す る数学者 たちに深い影響 を
。
与え、その後の100年 余の数論史の方向 を決定 した。アン ドレ ヴェイユ
-137-
(1906‐
)は シモ ーヌ・ ヴ ェ イユ
(ア
ン ドレの 妹)に 宛 てて書 かれた
1940年 3月 26日 付 の書簡 の 中で、 ガウスの「整数論』 に触れて、
彼 [=ガ ウス]の F整 数論』は1820年 ころになってや っと、ア ー
ベ ル、ヤ コビ、 レジューヌ 。デイリクレに読 まれて理解 されるよ
うになったが、 ほぼ一世紀 に渡 つて数論家 のバ イブルであ り続け
た。
[ヴ ェイユ全集
1,p.244]
と語 っている。ニールス・ヘ ンリ ック・アーベ ル (1802-1829)、 カー
ル・ グス タフ・ヤ コプ・ヤ コビ (1804-1851)、 ペ ー ター・ グス タフ・
レジューヌ 。デイリクレ
(1805‐
1859)は みな『整数論Jの 刊行 に踵 を
接するようにして世に現われて、それぞれに独自の仕方でガウスの継承
者であろう とした同世代の数学者 であ る。代数方程式論 と楕 円関数論の
扉を開いてガウスの数論 的世界に分け入ったアーベルはひとまず措 き、今、
相互法則 と代数的整数論に着 目す るならば、 ガウスの継承者 として指 を
屈 しなけれ ばならないのは まずヤ コビとデイリク レで あり、続いてエル
ンス ト・エ ドヴァル ト・クンマー
(1810‐ 1893)、
トホル ト・マ ックス・アイゼンシュタイン
クロネッカー
(1823‐ 1891)、
フエルデ イナン ト・ゴ
(1823‐ 1852)、
レオポル ト・
それにユーリウス・ ヴイルヘ ルム・ リヒヤ
ル ト・デデキ ン ト (1831-1916)で ある。 これらの六人の数学者の うち、
クロネ ッカーとデデキ ン トは代数的整数の一 般理論の建設者 として名高
いが、一般理論の 出現 とい う大がかりな出来事 に先立 って、代数的整数
論には黎明期 とも称す るべ き時代 が確 かに存在 した。そうして我 々は、
そのような時代を指摘 して概観 しようとする作業の中から、特 にクロネッ
カーの代数的整数論の解明 を進めてい くための、有力 な手がかりを取 り
-138-
出す ことができるであろう。それが本稿の 日標 である。
1.代 数 的 整 数 論 の 黎 明 期 の 概 念
代数的整数論の黎明期の叙述を行なう前 に、もう少 し精密 な概念規定
を語ってお きたい と思 う。 上述の ように、代数的整数論 とい うものの成
立基盤は、 「数域 の拡張」 、すなわち、整数概念 の適用域を複素数の領
域へ と押 し拡げてい くとい う思想 であ る。 ガウスは四次剰余相互法則の
確立に当た ってこの基本思想を具体的な形で表明 したが、ガウスの継承
者たちは、ガウスが敷 いた路線の延長線上に、一般的な高次幕剰余相互
法則 の建設 を試みた。す ると必然的に、ガウスの場合 にそ うであ ったよ
うに、「相互法則 の存在領域」 とい う概念に遭遇す るが、それに伴 って、
相互法則 の建設のために前 もって確立 しておかなければならない二つの
基礎理論の存在が明らかになる。それは、複素単数の理論 と理想素因子
の理論 である。 これらの理論 はガウス 自身の数論的世界 の中 にすでに芽
生えていたと見 てよい
(た
とえば、論文 [G-2]に おけるガウス整数域 の
単数に関す るガウス 自身の叙述は、複素単数論の言わば雛形 を与 えてい
る)が 、ヤ コビ、 デイリクレ、ク ンマーの手 を経て急速に生長 し、やが
て高い完成度 をもつ まとま りのあ る理論体系が出現 した。ク ンマーはこ
の確固 とした土台 の上に相 互法則 の究明を押 し進 め、正則円分体 におけ
る幕剰余相互法則 の確立 とい う、大 きな成果を獲得 した。その様子は
1859年 の クンマーの論文
[Ku‐
1]
素次数の幕の剰余および非剰余の間の一般相互法則について
-139-
[ク
ンマー全集 1,pp.699‐ 839]
の中に詳細に描かれているが、 ここにおいてガウス以来の一連の究明は、
なお大団円を迎 えたとは言 えない まで も、19世 紀の数論史 の大 山脈 を形
成する峰 々の一つ にた どり着いた と考 えられ るのであ る。 ガウスの「整
数論Jの 刊行に始 まり、ク ンマーの論文
[Ku‐
1]の 出現に至 るおよそ60
年の数論史。それが代数的整数論の黎明期であ る。
この ような黎明期 とい う時代区分はだれの 日に もお のず と気付 かれる
もので あ り、別段、そ れ自体に独 自性が認め られるわけではない。 しか
し今、 クロネ ッカ ーの数論 を代数的整数論の方面 から見て解明 しようと
い う企図 を抱 くとす るならば、黎明期への着 目はにわかに重要な意義 を
帯びて くるように思われる。 なぜなら、1845年 の学位論文
複素単数 について
[Kro-1]
[ク ロネ ッカー全集 1,pp.5-73.本 文
は pp.9-71.全 20章 から成るが、第 16章 までが 1845年 の
学位論文である。残 る四つの章は
1882
年 に書 き加 えられ
た。]
に象徴 的に表明 されているように、ク ロネ ッカーの数学者 としてのキヤ
リアは黎明期の代数的整数論 に始 まっているからであ る。 この学位論文
の段階 では、クロネ ッカーは完全 にク ンマ ーの影響の もとに置かれてい
る。 しかし1881年 の大作
[Kro‐
2]
ー全
ロ
代数的量のアリトメテイカ的理論の概要 [ク ネ ッカ
集 2,pp.239‐ 387.1881年 .]
-140-
に至 る と状勢 は一 変 し、今 度 は楕 円関数の特異 モ ジュールの 数論 的特性
の解明をめ ざして、独特 の一般理論の構想が表明されるに至るのであ る。
クロネ ッカ ーの代数的整数論 は明 らか に三分 され、その前半期 は まさし
く黎明期 に包摂 されて い る。そ こで私 は、ク ロネ ッカ ーの数論の 本質が
顕 わになる後半期 の考察に先立 って、言 わば その ための準備 と して、黎
明期 の全体像 の 中 にク ロネ ッカーの学位論文 を正 しく位置付 けてみたい
と思 ったのであ る。
2。
さまざまな萌芽 の提 出
[ヤ
コビの数論 ]
ヤ コピか らルジャンドルヘの 1827年 8月 5日 付書簡
クンマーは、雄篇
[Ku‐
1]の 冒頭に附されている長大な序文の中で、代
数的整数論 の黎明期におけ る相互 法則 の究明の様相 を詳細 に叙述 してい
る。以下 しばらく、若千の文献 を補いつつ、クンマーの言葉 に耳 を傾 けた
い と思う。
相互法則究明とい う、ガウスの数論 の基幹線を継承 しようとす る試み
が具体的に開始 されたのは、 ようや く1827年 のことであった。 ガウスの
「整数論 Jの 刊行の年 から数 えて、実 に26年 後の出来事で ある。先鞭 を
つけたのはヤコビであ った。ヤ コ ビはこの年 の 8月 5日 付でルジ ャン ド
ルに当てて一通の書簡
(ヤ
コビ全集 1,pp.390-396)を 送っている。 こ
の手紙 は、楕円関数の変換理論におい てルジャン ドルの限界 を大 きく打
ち破 った新発見の第一報 と して数学史上に名高い が、それに続い て、ヤ
-141-
コビは平方剰余相互 法則 の新 しい 証明 を報告 したのであ る。し ヤ コビの
証明 はガウス 自身 による第 六証明 (第 四証明 と同様、 ガウスの和 の考察
に基づ くが、その符号 の決定 を必 要 と しない とい う点 におい て、第四証
明 とは異 な ってい る)の 単純化 とみな される ものであ った。文面 は下記
の通 りで あ る。
′ は奇素数 とし、χ は方程式 峯讐十 =0 の根、g は合同式
1-1目 0 (InOd。
g′
′) の原始根 としよう。すると、
1)午 ′
χ―χ8+χ 82_χ 83+ … ._χ 8「
2=+件
となる。
同様 に、一般 に
\ 軍
1滞宵了∫ 辞 1輩
二、
二if.1981]稚 littLi=畔寧論
χ
_γ
:λ [「
I『
となる。
上ヨ
1
それ故、(-1)≒ ヂ ′≒ を
であるか、あ るいは
-1
理そのものである。
[ヤ
9
で割るときの剰余が
+1
であるのに応 じて、9 は ′ の [平
・
方]剰 余 もしくは [平 方]非 剰余になる。 ところが、これは相互
法則、あるいは、ガウス氏にならえば、平方剰余 に関す る基本定
コビ全集 1,p.394]
い)ル ジヤン ドルは著作 f数論の試み』第二版 『数論1に 、このヤコピの証明
を臓 した。
-142-
クンマー [Ku-1]の 伝 える ところによれば 、オギ ュス タン・ ルイ・ コー
シー (1789‐ 1857)と ヨセ フ 。ルイ・ リユーヴ イユ (1809‐ 1882)も 、
ヤ コ ビの証明 と類似 の証明を与えた とい うことであ る。
しか し数論に関するヤ コ ビの報告 は平方剰余 の 理論 に限定 されていた
わけで はな く、それ自体 は広 く高次幕剰余 の 理論 に及 んでい る。実際、
ヤ コ ビは数論 を物語る前に、 まず初 めに、
「整数論』第 7章 においてガウス氏の手で提示 された円周 の等分
に関す る新 しい理論か ら出発 して、私は三次剰余、四次剰余、そ
れにいっそう高次の幕剰余の理論 に関す る基本定理へ と私を導 い
て くれる、一つの方法 を発見 しました。
[同 上。太字 による強調
は私が行 なった。]
とい う注 目すべ き言葉を口に した。1827年 とい う時点では、四次剰余の
理論に関す るガウスの二論文
[G‐
1],[G-2]は まだ日の 目を見ず、わず
かに [G-1]の 概要のみが二年前 (1825年 )に 公表されていただけにす
ぎなか った。 ところが、真 に驚嘆 に値 することと言わなければならない
が、ヤ コビはそのささやかな示唆の中からガウスの真意を正 しく汲み、
三次、四次をも超えて一挙 に一般の高次幕剰余の理論への見通 しを語っ
たのである。ヤコビの言う「新 しい方法」のいかなる ものかは、 この手
紙の記述だけではまだ明らかではないが、 ともあれガウスの円周等分論
に根ざしていることは疑い を容れない事実である。上記の平方剰余相互
法則の新証明も、その方法 の基本 となるアイデアを簡潔に示そうとする
意図をもって表明されたのである。
ルジ ャン ドルヘ の手紙では、三次剰余の理論に関す るい くつかの定理
-143-
を得たことが報告 されて、それらはみな「ある同一の原理」
(ヤ
コビ全
集 1,p.395)か ら導出されるとい う指摘 とともに、「 この種の ものとし
ては最初 の成果である」 (同 上)こ とが明確 に宣言されてい る。具体的
に例示 されてい るのは、あ る素数が他 の素数 の三次剰余であ るか否かの
判定を可能にす る一つの著 しい定理である。それを見よう。
6″
+1
とい う形の素数 ′ が与えられたとしよう。このとき、
もう一つの任意の素数
9
L2+2792』
について、4′ は
2,92L2+27Л ′2
ビ
とい う二通 りの形状 のいず れかであるとす るな ら、そのと きつね
は ′ の三次剰余 で あ る。 ただ し、9=2
お よび
の場合 には、後者の形状 は除外 しなければならない。
よ は
が は
2 8 H
1
5
8
2
7
3
11
6
9
13 11
7
12
は
たとえば、4′
2+3696M2, 1369112+27M2,
こ
-144-
′ 9 て
し
9
9=3
に
2,(37K+9″
2,
)2+27″
(37K+3″ )「 +27″
+7〃 )2+27″ 2,(37κ +12″ )2+27〃 2,
(37κ
2
(37K+81イ )2427ハ イ
とい う 7通 りの形状 の一つであるとすれば、そのときつねに 37は
′ の三次剰余であ る。
は上記 の定理 で定められた形状のどれにも包摂 されな
数 4′
い とす ると、その場合 には
い。
[ヤ
クンマーは
9
は ′ の三次剰余ではあ りえな
コビ全集 1,p.395]
[Ku‐
1]に おいて、1827年 に生起 したヤコビの数論上の発
見 に言及 し、
1827年 に、ヤ コ ビは円周等分の理論 を著 しく簡易化 して構成 し、
この理論 の中に幕剰余相互法則の豊かな泉 を発見 した。そ の泉か
ら、彼は、上に言及が なされた平方剰余相互法則 の証明のみなら
ず、 クレルレ誌 2,p.66に お いて、彼の手 で提出された三次剰余
に関す る諸定理 をも導 くことができたのであ る。
[ク
ンマー全集
1,p.705。 太字による強調は私が行 なった。]
と評 している。 ここで、「クレルレ誌 2,p.66」 とい う指示語の対象は、
末尾に「1827年 6月 22日 」 とい う日付 をもつヤコビの論文
L‐
1]
三次剰余に関するさまざまな究明
237, 1827年 ]
-145-
[ヤ
コピ全集 6,pp.233‐
である。 この論文 に提示 されている二つの定理 は、なお完全 とい うには
遠い とはい うものの、その志向するところが三次剰余相互法則その もの
にあつたことは明白である。そればか りではない。クンマー
[Ku‐
1]の
伝 えるところによれば、円周等分の理論の中に「幕剰余相互法則の豊か
な泉」 を発見 した後に、ヤ コビは「この泉から、彼はしばらく後 に、新
しいガウスの原理を用いて、三次 と四次の剰余 に対す る完全な相互法則
を、その最 も簡明な姿形のもとで導出して証明 した」
(ク
ンマー全集
1,pp.705‐ 706)と い う。 ここで言われている証明は公表はされなかつ
たが、「数論 に関する講義の中で、ケーニ ヒスベ ルク [大 学]に おける
彼の聴講者たちに報告J(ク ンマー全集 1,p。 706)さ れ、「講義 ノー
トを通 じて広まっていつた」
(同 上)の である。
後 にアイゼンシュタインは、論文
[E‐
1]1の 三乗根 を用いて作 られる複素数における、三次剰余に対する
相互法則 の証明
[ア イゼンシュタイン全集 1,pp.59‐ 80.1844
年]
[E-2]相 互法則 複素数の理論 における四次剰余 に関す る基本定理 の新
しい証明。 四次剰余 に関す る基本定理 の証明。 四次指標 に関する
最 も‐般的な定理。それは特別の場合 として基本定理 を包摂す る。
[ア
イゼンシュタイン全集 1,pp。
126‐ 140。
1844年 ]
におい て、それぞれ三次剰余相互法則 と四次剰余相互法員1の 第一 証明を
ンの証明はい
与 えた (三 次 と四次の相互法則 に対す るアイゼンシュ タイ
こ
よれば、それら
くつか知 られている)。 しか しク ンマ ーの見 ると ろに
ン
の
は「ヤ コピが10年 以上 も前 に発見 した証明 とまつた く同 じも 」 (ク
-146-
マー全集 1,p.706)に す ぎなかったとい うことである。
ク ンマー も明記 してい るよ うに、ヤ コ ビの成功 はガウスの第 二 論文
[G-2]を 踏 まえたうえでの出来事 である。そうしてクンマーの言う「新
しいガ ウスの原理」 とは、「数域 を拡 大 して、相互法則の存在領域を正
しく設定す る」 とい う、あ の基本思想 のことにはかならない。既述のよ
うに、 この基本原理 の表明がなされたのは1832年 の論文
[G‐
2]、 あ る
いはその前年 (1831年 )に 公 表 された [G-2]の 概要 にお いての ことで
ある。 しか しその土台 の上 に次 々 と築 かれてい くべ き高次幕剰余相互法
則の種 々相 を見れば、 ガウス 自身の寄与は四次剰余相 互法則 の提示 に留
まり、証明が与 えられたのはわず かに二つの補充法則 に対 してのみにす
ぎなかった
(第 一論文
[G‐
1])。 この よ うな一般的状勢 を背景にして観
察するとき、ヤ コビの足取 りの力強さは群を抜い て際立って いる。 ガウ
スの円周等分方程式論 の基本精神 を継承 して楕円関数 の等分方程式論 を
展開 したア ーベルとともに、ヤ コ ビこそは、数論 におけるガウスの継承
者たちの中で、まず初めに指 を屈するべ き人物であ る。
ヤ コピの数論
数学者 ・数理物理学者 と してのヤ コ ビの広大 な業績 の中で 、純粋 に整
数論 に所属す ると見 られる部分 はご くわずかである。 全 7巻 から成 る全
集 を概観 しても、「数論に関す る諸論文」 として分類 されている論文は
二篇の遺稿 を含 めて13篇 であ り、 ようや く第 6巻 の半分弱 を占めるにす
ぎない。 しかもヤ コビが示 したのは大 きな完成された理論 とい うわけで
はな く、個 々の興味深 い定理の証明で あった り、歩むべ き道筋のスケッ
チであ つた りした。 だが、それらはみ なはなはだ示唆 に富み、引 き続 く
理論展開のための第一着手 として非常 に有効 に作用 した。私 はここで、
-147-
特に代数的整数論形成史 とい う観点か ら見て、ヤ コピの数論 の小 さな世
界が引 き起 こ した三つ の影響 を指摘 してお きたい と思 う。そ れらは、ま
ず既述のように、
I.ア イゼンシュタインの相互法則研究
に対 して具体的な動機を与えた こと、次 に
Ⅱ.デ イリクレによる二 次形式 の類数公式 の確 立 と、その複素 二次形
式への拡張
の理論的可能性を明示 した こと、最後 に、
Ⅲ.ク ンマーによる理想素因子の発見
を導 くに足 る予備的考察 を行 なったことであ る。本稿 のねらいは、主と
して Ⅱ と Ⅲ の上に及 ぼされたヤ コビの影響 の様相 を観察することであ
る (1)。
さて、数論に関す るヤコビの 13篇 の論文の うち、代数的整数論への直
接的な寄与 と判断されるのは、上掲の
[J‐
1]を 含めてわずかに 3篇 で あ
る。他の二篇は下記の通 りである。
l D‐
2]
円周等分 とその数論への応用
[ヤ コビ全集 6,pp.254‐ 274.
1837`「 ]
[J‐
31 5次 、 8次 および12次 の幕剰余 の理論 において考察す るべ き
複素素数 について
[ヤ コビ全集 6,pp.275‐ 280。 1839年
我 々は後者 の先鋭 な数学的エ ッセイ
:の
D‐
.]
3]の 中に、本稿 における我 々
考察めための具体的な指針を求めたいと思う。
0
アイゼンシュタインの独自の数論については、稿をあ らためて詳細 に論 じ
たいと思う。
-148-
理想素因子の理論への寄与
クンマーは
[Ku‐
1]│こ おいてヤ コビの二論文
D‐
2]と
D‐
3]に 言及 し、
「ヤ コビは当地 [=ベ ル リン]の 学士院において、1837年 と1839年 に、
これらの定理 [=二 次 と四次の幕剰余相互法則]に 関 して三 度に渡 る報
告 を行な った。 ・・ 。それらの報告の うちの 後者 [=[J‐ 3]]の 中で 、
彼は、同 じ泉から五次と八次の幕 に対する相互法則を取 り出せるのでは
ないか とい う期待 を表明 している」
(ク
ンマー全集 1,p.706.太 字 に
よる強調 は私が行 なった)と 述べ てい る。そ こで我 々はヤコ ビ自身の言
葉に注 目したい と思う。ヤ コビは論文
D‐
3]の 末尾でこんなふ うに語 つ
たのである。
これらの素数 バ α)の 間で、5次 、8次 および 12次 の幕剰余
の理論において、相互法則 を捜 さなければならない。それらを帰
納的観察のみを通 じて見つけるのはおそらく可能であろ う。 しか
る後 に、 もしそのような帰納的観察がそれほどやつかいなもので
なければ、相互法則の真 の形状が知 られるのである。私が以前、
学士院に報告 したノー ト [=[J-2]]に おいて二次、三次お よび
四次の剰余 に関して行なったのと全 く同様 にして、相互法則 を合
成数 にまで及はそうとす るなら、円周等分の理論から即座 に、、
一方の数が実数 とい う特別 な場合に対 して、5次 、8次 および 12
次の幕に関する簡明な相互法貝Jが 導出される。新 しい技巧 を用い
ることにより、同じ泉から、二つの複素数に対するいっそう一般
的な諸定理を導くのは可能かどうかという点の判断については、
今後の研究を僕たなければならない。
-149-
[ヤ
コビ全集 6,p.280.
太字による強調は私が行なった。]
ヤコビが発見 した「幕剰余相互法則の豊かな泉」は、四次を越える次
数の幕剰余相互法則のためには無力であ り、クンマーの言う「ヤコビの
期待」はついにかなえられることはなかった。 しかしそれにもかかわら
ず、論文
D‐
3]の 重要さは不変である。なぜならここには、上に引用 し
たヤコビの言葉の冒頭の一語「これらの素数 ノ(α )」 に象徴 されている
ように、5次 、8次 および 12次 の幕剰余相互法則の確立に当たちて、そ
れらの相互法則の真実の対象 として設定されるべ き「何かある素なるも
の」に肉薄 しようとする、斬新 な考察の足跡が認められるからである。
ヤコビの探索に具体的な手がかりを与えたのは、またしてもガウスの
第二論文
[G‐
2]で あつた。ヤコビはまずガウスによるガウス整数の究明
に言及 し、続いて、「アリトメテイカのさまざまな方法 と結果のうち、
このような複素数に対 しても有効性を保持するものを報告する作業が残
されている」
(ヤ
コビ全集 6,p.277)と いう広汎 な見通 しを指摘 した。
範例 として挙げられたのは、有理係数をもつ二次形式に関するラグラン
ジュとガウスの理論の適用域 を押 し拡げて、ガウス整数域 を係数域 とす
る二次形式、すなわち複素二次形式の理論を展開することであつた。す
なわち、ヤコビは、「たとえば、たやす くわかるように、二次形式を還
元するラグランジュの方法は、′yッ +9ッ z+″ ZZ,こ こで ′,9,r,y,z
は上に指定 された通 りの複素数 [=ガ ウス整数]を 表わす、 とい う表示
式に拡張 される
(ヤ
コビ全集 6,p.277)と 明言 し、二次形式の還元理
論の拡張を提案 したのである 。
後にデイリクレは、1842年 の論文
-150-
[D‐
1]
集
複素係数 と複素不定数 をもつ二次形式 の研究
[デ イリク レ全
1,pp.535-618.]
において、ヤ コビが提起 した複素二次形式の還元理論を詳細に展開 した
(デ ィリク レに及ぼされたヤ コピの影響
(1))。
この複素二次形式の還元理論から、やがてクンマーの手に継承 されて
完成 されることになる理想素因子の理論の端緒が開かれていった。今、
ヤコビの指示 に従 って、
y2_√ _122
とい う、非常に単純 な形状 をもつ複素二次形式 を取 り上げてみよう。す
ると「この ような形式
[の 二つの不定数にガウス整数 を与えることによっ
て表現される数]を 割 り切る [ガ ウス整]数
α+by_1 はどれ も、再
び同 じ形状をもたなければならないこ とが証明される」
(ヤ
コビ全集 6,
p.277)。 その証明はヤコビの言う「拡張された還元理論」の応用例で
あり、「形式 y yttzz[の 二つの不定数に有理整数を与えることによっ
て表現 され る数]を 割 り切 る数はどれ も、ふたたび二つの平方数の和で
)の 完全な類似物」 (同 上)な のである。特 に
あるとい う周知の定理 い
′=α
2+ら
2(こ れは、ガウス整数
α+bイ ー1 のノルムと呼ばれる有理
整数である)は 8″ +1 型の素数になるものとしてみよう。するとガウ
ス整数の理論の初歩から即座に、「
V-1
は α+by-1 の平方剰余で
あ る こ と、 あ るい は、 同 じ ことに なるが、 α+by-1
は形 式
ツツーy-l ZZ [で 表現 される何かある数]の 約数であること、従 って、
今 しがた注意がなされた定理 によ り、それ自身、 この ような形をもつこ
と」
)が示 される。
(同 上
(1)フ ェルマ が言 明 し、オイラ ーが証明 した。
-151-
√T
ここで、最後 に主張 されている事実、す なわち
′=α
2+b2
が 8″
+1
はノルム
型であるガウス整数 α+bV-1 の平方剰余で
あるとい う事実 は、ガウス整数域における平方剰余相互法則の第一補充
法則の 、あ る一つの特別の場合 にはかならない。デ イリクレは論文
[D‐
1]の 中で、複素二次形式論の展開に先立 って、ガウス整数を対象 として、
二つの補充法則 を伴 う平方剰余 (「 四次剰余」ではない)相 互法則 を確
立 した。 このような点にも、デイリク レの数論の上に及ぼされたヤコビ
の影響 の深 さが見 て取 れるように思う。ヤ コ ビが言及 してい る事実 につ
いては、デ イリクレ全集 1,p.556参 照。
さて、あらためて α+by-1=y2_J_l
子 y+1に
lz
と y-1に
lz
z2
と置き、右辺 を二つの因
に分解 しよう。そうして y',y",z',`"
は有理整数 を表わす として、
y=y'+ッ "V-1,z=z′ +Z"V-1
と催iけ │∫ 、α+by-1
は
写y"何 +何 卜 z"何
ッ
″ 何 z"何
y■ ッ何 ―
卜
l,
│
とい う二つの因子 に分解 されることになる。 これ らの因子は有理整数 と
1の 8乗 根、す なわち α=√ 二1 とを用いて組み立てられてい る。そ こ
で今、
″
3
ψレ)=y'十 ッα2+z'α +Z″ α
と置けば、簡単 な計算 により、
α+♭ V-1==α 十♭α2==ψ
(α )9(α
5)
とい う分解が得 られるであ ろ う。 こうして「8■ +1型 の素数 ′=α α+ら わ
-152-
はつねに、四つの複素数の積
‐
9(α )ψ
3)ψ
(α
5)ψ
(α
7)
(α
コビ全集 6,p.278)。 この分解から、8″ +1 型の素数の
)に 関する周知の事実が取 り出される。すなわち、す ぐにわ
平方的形状 い
になる」
(ヤ
)に 、希
かるよう
苛 ψ(a)99(α 3)
ψ(α )9(α
7)は `+=‐
は c+ご V-2
とい う形 をもつ
(こ
とい うヂ
多をもち、わ
責
こで c,ご
,ι ,ノ
は有
理整数 を表 わしている)。 ようて、四 つの因子 を二つずつの組 に整理す
2,c2+2′ 2,′ 2_2ノ 2
る仕方のあれこれに由来 して、同 じ素数が α2+ら
とい う、三通 りの形で表現 される ことがわかる。 これ らの事実は「ある
共通の泉から取 り出された」
(同 上)の である。
全 く同様 にして、「12″ +1 型の素数は、 1の
12乗 根か ら成 る四つ
の複素数 に分解 される」 (同 上)こ とが証明 される。そうして この場合
にも、 この分解 か ら、素数 の平方的形状 に関する知識 が取 り出される。
すなわち、それらの四つの 因子 を二つずつ組 み合 わせ る三通 りの仕方の
2+ら 2,c2+3ご 2,ι 2_3ノ 2 と
各々の応 じて、 12″ +1 型の素数の、α
い う三通 りの平方的形状が得 られるのである。
この ような二つの印象の深い事例 を提示 した後 に、ヤ コビは もう一つ
の話題へ と話 を転 じてい く。新 たな議論の糸日 となるのは、′ は素数 と
し、λ は ′-1の 約数 とす るとき、「素数 ′ は
1
いて作 られる二 つの複素数の積 と して表示 される」
279)と い う、論文
(ヤ
コビ全集 6,p.
2]に おいてすでに書 き留められていた事実で あ
①あ
ゞ
1
軍
為彩
♂,3了 呪」
鳳。
′こ
[J‐
の λ 乗根 を用
理
論
は、ガウス以前の近代的整数論、すなわちフェルマ、オイラー、ラグラン
ジュ、ルジャンドルという四人の数学者の手で形成された数論の大きなテー
マであった。
-153-
る。 ここで言われてい る積表示 は必ず しも一通りに限 られるわけではな
く、幾通 りかの相異なる仕方で行なわれるのが普通である。 ところが、
「その ような複素数のい くつかを互い に乗 じて、その積を再 び他 のい く
つかの同種 の複素数で割るとき、分母 と分子の双方の複素数が どのよう
に通分 されるのかとい う点がはつ きりしなくても、その商がやは り複素
整数になる」
(同
上)と い う事態が生起することがある。ヤ コビは「 こ
の注 目すべ き状勢に導かれて、素数
P
のこれらの複素因子は、それら
自身、一般に再び合成物でなければならないという確信を抱くに至った」
へ
(同 上)の である。このヤ コピの確信 こそ、理想素因子の理論 の扉 を
開く、決定的な鍵なのであつた。
もしヤコビの 口が正 しく見ていたとするなら、上にワ1用 したヤ コビの
言葉の中で言われている「複素因子」 の因数分解 をさらに押 し進め、
「真の複素素数」
(同
上。太字の語句 は、原文ではイ タリック体 で記 さ
れて強調されてい る)に 達するまで続けていけば、「分母の諸因子を形
成する複素素数は、分子の素因子 により個々に約分 される」 (同 上)こ
とになる。そうして上述の ような「注 目すべ き状勢」 の中に認め られる
意外性 は、首尾 よく解消されるのであ る。我 々が初めに見たように、す
でにヤコビは「全 く別の道をたどつて、λ=8お よび λ=12に 対して、
この結果に到達 していた
(同 上)。
の折れ る試 みを遂行 した」
て設定 した 5■
+1
そ こで思い切 つて「 このいささか骨
(同 上)と
ころ、実際 に、「試行 の対象 とし
という形の素数に対 して、双方 ともに
1
の
5
乗根 を用いて作 られる因子 の各々を、再び二つの同種 の整因子に分解す
ることに成功 した」 (同 上)。 そうして「それに続いてこのような分解
つ
が可能であることの一般的証明を見つけるのはむずかしいことではなか
とい
た」 (同 上)と い うのである。かくして「5“ +1,84+1,12"+1
-154-
う形の素数は、各 々
1の 5,8,12
数の積 として表示 される」
(同 上 )こ
乗根から作 られる四つの複素整
とが判明 した。 この よ うな思考の
プロセス を経て我 々の認識 の網の 目にかかる複素整数 は実際 に素数であ
ることが示 される。そ こでヤ コビはそれらを対象 と して、 5,
8,12
次の幕剰余相互法則の発見 と証明 を企図 したのであ る。
今 日ではその理由と併せて広 く理解 されて いるように、ヤ コビの期待
は結局、かなえられなかった。 しかし影響 は大 きかった。実際、クンマ
ーはヤ コピの指針 を忠実に踏襲 し、素 因子分解の 手続 きをもう一 歩深い
地点まで掘 り下げて、相互法則の真の対象をなす理想 素因子 の鉱脈を発
掘す る ことに成功 した
(ク
ンマ ーに及ぼされたヤコピの影響
(1))。
ヤコビが明示 した道筋は、正 しく正鵠 を射ていた と言 わなければならな
いであろ う。
3.無 限小解析 の数論へ の応用
[デ イリク レの数論 ]
アーペルからホルンポエヘの1826年 10月 24日 付書簡より
1826年 の秋、パ リに滞在中のアーベルは、友人ホルンポエ に宛てて書
かれた10月 24日 付の手紙の中で、デイリクレとの出会いを簡潔に伝えて
いる。アーベルによれば、デイリクレは「先日、ぼ くを同郷の人間と思つ
ーベル全集 2,p.259)で ある。
そうしてデイリクレが「ルジャン ドル氏 とともに、方程式 χ5+ッ 5=z5
ては くに会いにきたプロシア人」
(ア
を整数を用いて解 くのは不可能であることを証明 した」
報告 し、ディリクレは「大 きな洞察力 をもつ数学者」
(同
上)こ とを
(同 上)で あると
述べている。 ここで言及されている「ディリクレの証明」は、数学者と
-155-
してのデイリタレの経歴の第一歩に位置するものであり、この年の前年、
1825年
7月 11日
に、「二、三の五次不定方程式の非可解性 について」 と
いう標題でフランスの科学学士院に報告されてい る。 デイリクレの歩み
は不定解析 に始まるのである。
アーベルの言葉の中で、「ルジャン ドル氏 とともに」 とい う一語につ
いては多少の説明 を要すると思う。学士院での報告の段階では、デイリ
クレの証明はなお完全 とは言えず、一つの論点、すなわち「 三つの不定
数
x,y,z
の一つが
5
で割 り切れて、しかもその
5
で割 り切
れる不定数が奇数になる場合Jの 考察が今後の課題 として残されていた。
その後、ルジャン ドルはこの不備 を補 い、著作『数論 の試みJの 第二版
「数論Jの 第二の補遺 に中で、「 5次 の幕に対す るフェルマの定理」の
完全な証明を公表 した。それを受けて、デイリクレはデイリクレな りに、
し
ルジャン ドルのものとは別の証明を完成 した 。
1825年
7月 11日
の学士院報告が公表 された 1828年 のクレルレ誌第三
た
参には、
[D‐
2]
あ る種 の四 次式 の 素 因子 の研 究
65‐
0
[デ イリク レ全 集
1,pp.
98]
デイリク レ全集 (全 二巻)の 第一巻の冒頭の二論文 はいずれも、1825年
7月 11日 の学士院報告 と同一の標題 をもっている。後者の論文 (デ イリク
レ全集 1,pp.23‐ 46)は 学士院報告その ものだが、クレルレ誌 3(1828
はこ
年)に 掲載 された時点で「補足」が書 き加え られた。デ イリクレの証明
た
れで完成 したのである。前者 の論文 (同 上,pp.3‐ 20)は その完成 し 証明
の中か
レの
遺稿
イリク
のであ
り、デ
を新たに書 き下 して統一性 をもたせた も
よう
の
の中にそ
ら発見 されたとい うことである (デ イリクレ全集 1の 日次
された定
に記 されている。p.II参 照)。 どちらの論文で も、最終的に獲得
る一般
マの
を包摂す
ェル
理」
るフ
定
の
に対す
理 はそれ自体 としては「 5次 幕
的な形で提示 されてい る。
-156-
とい う、デイリクレの もう一つの論文 も掲載 されている。 クンマー
[Ku‐
1]は この論文 について こんなふ うに語 つている。
上述のガウスの二 論文の うち、第一論文がまだ公にされず、そ
の予告 だけが前 もってグ ッテイ ング ン通報 にお いて公 表 された と
き、そこか ら知 りうることはといえば、ある数がある与 えられた
素数 の四次剰余 であ るかどうか とい う問題 の解決は、ある種の二
次形式、すなわち、法 をその形 に設定可能 な二 次形式 の不定数の
り みであ つた。 その 時点で、 デイリ
数値 に依存する とい う状勢。
クレ氏はクレルレ誌 3,p.35に おいて四次剰余 に関する論文 を公
表 した。その論文の 中で、彼は、まだ知 られて いなか った複素数
に関するガ ウスの新原理 を使用することができず、ただ二 次形式
と平方剰余 の理論だけを使用 して、四次剰余の理論の 中に深 く分
け入 つていつた。 しかし四次相互法則 を発見す ることはできなかっ
た。
[ク
ンマー全集 1,p.705]
クンマーの言うように、論文 [D-2]の テーマは四次剰余の理論である。
この時点ではまだ、ガウス整数の導入 とい う「ガウスの新原理」 に依拠
することはで きず、四次剰余相互法則 を独 自に確 立 しようとするデイリ
クレの試みは成功 には至 らなか った。 しかし四次剰余の理論への着眼が、
ガウスの第一論文
[G‐
11の 直後にすでに始まっているとい う事実は注 目
に値す る。 デイリクレ もまた数論におけるガウスの継承者のひと りであ
0
ガウス「四次剰余の理論 第一論文」 における二定理 の うち、第一定理。
2+2“ 2 と
置 く。 このとき、′ が
′ は 8″ +1 型の素数 として、′=′
8“ +1,8′ :+7 型であるか、あるいは 8″ +3.8‖ +5 型であるのに応 じ
て、±2 は ′ に関す る四次剰余 もしくは非四次剰余 にな る。
-157-
り、ヤ コピのように、 ガウスに触発 されて相 互法則へ の道を歩み始めた
のである。
無限小解析の数論への応用
相互 法則 の究明 に寄せるデイリクレの多大 な貢献の 中で、最 も本質的
と考 えられるのは、 フーリエ解析 の数論へ の応用 とい う、斬新 な技術上
の着想 の導入であ る。 しか もこの着想 の芽生 えは非常 に早 く、ほ とんど
数学者 としての出発の時点 にまで さか のぼることがで きるよ うで ある。
実際、 デイリクレのアイデアが実現 されるためには、何 よりもまず、数
論への応用 を見越 して構想 された独自のフー リエ解析 が確立 されていな
ければならないが、論文
[D‐
2]が 公表 された年の翌年、 1829年 のク レ
ルレ誌第四巻にはすでに、 フー リエ級数の収束性 を論 じる有名 な論文
[D-3]与 えられた限界の間で、任意の関数 を表示するのに使われる三角
級数の収東 について
[デ イリクレ全集 1,pp.119-132]
が現われているのであ る。 そうして この論文 の数年後 には、 フー リエ解
析の数論へ の応用 が具体的 に開始 され、鮮明 な印象の伴 う数 々の成果 に
結実 した。その様子を一瞥 したいと思う。
まず1835年 の論文
[D‐
4]有
限級数 もしくは無限級数の総和 へ の定積分の一 つの新 しい応
用について
[デ イリク レ全集
1,pp.239‐ 256。
]
の
では、 ガウス 自身の方法 とは全 く異 なる方法 で、 ガウスの和 符号決定
-158-
問題が解決 された。論文の標題 に見 られる「 有限級数」 とは 、 ガ ウスの
和の こ とにほかな らない。 この論文 は もとよ り相 互法則究明 の一 環 をな
す ものであ る。 なぜ な らこの問題 の解 決の意義 は 、そ こか ら平方剰余相
互法則 の証明が取 り出され るとい う点に求められるか らである。
1837年 の論文
[D‐
5]初
項 と項差が約 数 を共有 しない無限等差数列 はどれ も、無限に
多 くの素数 を包含す るとい う定理 の証明
[同 上 ,pp.315-
342.]
では、 ルジ ャン ドルが提示 した等差数列の素数定理が、初 めて厳密な仕
方で確 立 された。周知 のように、 この定理があれば、 ルジャ ン ドルによ
る平方剰余 相 互 法則 の 欠陥 (の 一 つ)が 除去 され るので あ るか ら、
「デイリクレ氏 この名高い研究 は、そ の由来 を相 互法則の究明に負 って
いると考 えられる」
(ク
ンマー
[Ku‐
1].ク ンマー全集 1,p.700)の
である。
1839∼ 40年 の論文
[D‐
6]
無限小解析 の数論への種 々の応用 に関す る研究
413‐ 496.1839年 の ク レルレ誌19と
[同 上 ,pp.
1840年 のク レルレ誌21に 分
載 された。)
は、デ イリクレの数論 を代表す る大作 である。 この論文では二次形式の
類数公式の確立 とい う、著 しい成果が獲得されたが、デイリクレに先立っ
て、ャ コピは1832年 の論文
-159-
D‐
4]二 次形式 yッ 十五ZZ,こ こで
ハ は 4″ +3 型の素数を表
わす、の因子類の個数に関する所見 [ヤ コビ全集6,pp.240‐
244.]
においてすでに、非常 に特別な一つの場合 を対象 として類数公式 という
ものの 範例 を与 えて い る (デ ィリク レに及 ぼされたヤ コピの影響
(2))。
二次形式 の類数公式 の確 立 とい う出来事 は、ガウスの『整 数論』 にお
ける二次形式論 を補完す る働 きを示す ものであ り、相 互法貝1の 理論 との
間に直接的 なつ なが りが認 められるわけではない。 ところがクンマーは
デイリクレの手法 を用 いて 円分体 の類数公式 を確 立 し、その観察 を通 じ
て「正則な素数」 とい う概念 を設定す るとともに、正則円分体 における
高次幕剰余 相互法則 の発見 と証明 に成功 した。まさしくそれ故 に、デイ
リク レの技巧上のアイデアは、相 互法則の究明の流れの中で本質的な役
。
割 を果たしたと言えるのである し
1841年 の論文
[D‐
7]
複素数の理論の研究
[同 上 ,pp.511‐ 532.]
に移る と、等差数列の素数定理が ガウス整数域に拡張 された形で設定 さ
こ は 「ア
れ、論文 [D‐ 5]に おけるのと同 じ手法で証明 されている。 れ 、
リトメテイカのさまざまな方法 と結果 の うち、 このような複素数 [=ガ
0 デイリクレの技巧はクロネッカーの構円関数論にも深い影響を及ぼした。
この論点については、後に詳細に論 じたいと思う。
-160-
ウス整数]に 対 しても有効性 を保持するもの」
(ヤ
コビ全集 6,p.277)
を列挙するとい う、ヤ コビが明示 した指針に沿う作業であ る。
この作業 は、1842年 の論文「複素係数 と複素不定数をもつ二次形式 の
研究」
([D-1])に も継承 された。 この論文では、まず ガウス整数域 に
おける平方剰余相 互法則が確 立され、続 いてその土 台の上に、論文
[D―
6]と 同様 の道筋をたど りつつ、ガウス整数を係数 とする二次形式の類数
公式が築かれてい く。そう してそのよ うにして最終的 に確定 した結果 を
踏まえて、デイリクレは「複素判別式 に対 しては、形式の個数は一般 に、
モジュールが
/告
の第一種完全楕 円関数の等分、あるいは同 じこと
になるが、レムニスケー トの等分 と関係があることが半J明 す るのである。
ただし、等分の除数、す なわち等分 して生 じる部分の個数は複素整数で
ある」 (デ イリクレ全集 1,p.538)と い う観察 を表明 した。理論的に
は、複素二次形式 の類数の考察はガウス数体 上の二次数体の類数 の考察
と同等 であ る。 デイリクレはこの ような考察 を通 じて、アーベルの虚数
乗法論に接近 していつたのである。
4。
クロネ ッカーの学位論文 と一般理論へ の道
複素単数の理綸
複素単数 の理論 は、理想素因子 の理論 とともに、相互法則 の確 立のた
めに欠 くことので きない基礎理論 であ る。 この理論の意義は、下記のク
ンマー
[Ku‐
1]の 言葉に尽 きていると思う。
ここで言及がなされた多様かつ明敏 な方法、 しかも二次、三次
-161-
お よび四次剰余を対象 とす る場合には まことに適切 な方法 は こと
ごと くみな、 よ り高次 の相互法則 の探究のためには全然適用する
ことがで きない。あ るい は、せいぜいのところ非常 に限定 された
適用が許 されるにす ぎない。その真の理 由は、四次を越えるや否
や、 この法則の根底をなす複素数を対象として生起するある特 有
の事情、すなわち、無限に多くの単数の存在 にある。複素素数 は、
それが剰余、非剰余 の どちらなのかとい う点 では、附随 しうる単
数 と して別 の もの を選 ぶ と、それに応 じて全 く異なる特徴 をもつ。
まさ しくそれ故に、最も簡明な相互法則というものは、これ らの
単数を整然たる秩序のもとに制御 したとき、すなわち、取 り扱 う
べき複素素数を当面の問題のため に最 も適切な形に選定するとき
に初めて提示されるので あ る。
[ク
ンマー全集 1,p_707‐ 708.
太字 による強調 は私が行 なった。]
クンマー自身、 1844年 の論文
[Ku‐
2] 1の 幕根 と実整数から作 られる複素数に関する研究 [ケ ー
ニ ヒスベルク大学 300周 年記念に寄せるブレスラウ大学の祝賀
論文。クンマー全集 1,pp.165‐ 192.]
において複素単数論に着手 したが、このクンマーの研究を受けて、1845
年にクロネッカーの学位論文「複素単数について」 ([Kro‐ 11)力 耀Fか
れている。 しかし「単数 を整然たる秩序 の もとに制御」するためには、
最終的には「デイリクレの単数定理」の確立をめざさなければならない
であろう。デイリクレはこの複素単数論の主問題を、1846年 の論文
-162-
[D‐
8]複
素単数の理論
[デ イリク レ全集 1,pp.641‐ 644.]
におい て、「きわめて一般的な、 しか も遠 くまで見通 しの きく様式で、
驚 くべ き単純 さをもって」 ([KrO‐ 1]の 序文 におけるクロネ ッカーの言
葉。クロネ ッカー全集 1,p.6)確 立 したのである。
クンマーの数綸
高次幕剰余相互法則 の究明はヤ コビ、デイリク レ、アイゼ ンシュタイ
ンによつて さまざまな仕方 で試み られたが、その過程 を通 じて生起 した
最 も本質的 な出来事 は、二つの基礎理論、す なわち複素単数 の理論 と理
想素因子の理論の重要性が、非常 に明確 な形で認識の網の 目にかかつて
きた とい う一事 であった。 クンマーは円分体 を舞台 として これらの二つ
の理論 を構成 し、その土台 の上に、先行す る三人の数学者の研究 を受け
て、言わば集大成のような形で一般相互法則 を確立 した。1859年 の クン
マーの論文「素次数の幕の剰余お よび非剰余 の間の一般相互 法則 につい
て」
(「 Ku‐ 1」
)は その全容を詳細 に描写す る雄篇で あ り、 ガウスに始
まる代数的整数論 の流れの 中に打 ち立てられた金字塔 とも言 うべ き作品
である。 クンマーが確立 したのは「正則円分体 における幕剰余相互法則」
であるから、考察 の対象 と して取 り上げられてい る相 互法則 の次数 は任
意ではな く、「正則 な奇素数」 とい う限定条件が課 されている。それは、
クンマーが依拠 した方法、す なわちク ンマ ー数体 における種 の理論 とい
うものの本質に起因 して発生す る条件 である。本稿 ではこの正月1性 条件
それ自体の吟味 ① は行 なわないが、クンマー数体への移行 とい うクンマ
(D これについては、高瀬正仁 『ガウスの遺産 と継承者 たち
-163-
ドイツ数学史の
―のアイデアの中に、「数域の拡張」 とい うガウスの基本思想が生 きて
働いてい ることを、ク ンマ ー自身の言葉 に即 して ここで指摘 しておきた
い と思う。
もとよリクンマー数体 とい う用語それ自体 はクンマーとは無縁 である。
クンマー自身はまず「 二段重ねになっている二つ の複素数の理論 」 を用
いるとい う構想 を表明 し、続いてその意義 を語 つている。 ク ンマーの言
葉は下記の通 りである。
私 は、当面の 目的のために、二段重 ねになっている二つ の複素
λ
数の理論を用い る。下層部 をなす理論は方程式 α =1 の根のみ
を包含す るものであ り、私 の先行す る研 究 により既知 とみなして
よい。上層部 をなす理論は、 このような 1の
λ 乗根のほかに、
ある λ 次方程式の根 を含 んでい る。次に、 この複素数の上層理
論 は さらに三つの相異 なる階層 に分かたれ る。 それらの相 互関係
は、原始 目に対する導来 目の関係 と同一で ある。その 関係 は複素
数の理論では固有の意味をもっている。す なわち、低階層 では実
在の整数 としては表 わされず、実在 の分数 としての表示だけ しか
可能 ではないあ る種 の複素数、それ故に理想数 とみなさなければ
ならないことになる複素数が、高階層 の中では実在の複素整数 と
して表わされるのである。
[ク
ンマー全集 1,p.711.太 字で表
記 した二語 に対応す る原語 は、字間をあけて強調されている。]
さらにタ ンマーは言葉 を継いで 、 この「相 互に積み重 なりあうさまざ
まな複素数 の理論 の適用 を根底 に据えるとい う考 え」 はガウスそ の人に
構想1(海 鳴社
1990年 )参 照。
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由来することを打ち明けている。
この 、相互に積み重 なりあ うさまざまな複素数 の理論 の適用を根
底 に据えるとい う考 え。す なわち、通常の 数に関す る理論 の中で
は見 い出す のが困難 であるか、あるい は、おそ らく全 く見 つから
ない もの を、正 しく選定された複素数 の理論の 中で探 さなければ
ならない とい う考 え。 また、た とえ与 えられなかった としても、
さらに歩を進 めてい っそう高い レベ ルの適切な理論を求めてい く
べ きであ り、そのよ うにして、提示 された 目標 が達成 されるまで
歩みをやめない とい う考え。 このよ うな考えは、複素整数の導入
とい う元来のガウスの考えの簡単な帰結にすぎな い と見て さしつ
かえない。
[同 上。太字 による強調は私が行なった。]
ガウスとクンマーを結ぶ線上に位置 して、クンマーに具体 的な示唆 を
与 えた人物 も存在す る。それはヤ コビであ る。
ある複素数 の理論か ら、いっそ う高い レベ ルの理論へ の上 昇の例
もす でに存在す る。実際、たとえば三次剰余相 互法則 のヤ コビの
証明において、α3=1,χ ′=1
とし、′ は 6″ +1
素数 としよう。す る と、二根
α と χ を同時に含 む、円周等
とい う形の
分の ラグラ ンジュの分解式の適用 は、α のみを含 む複素数か ら、
根
α と χ を含 むいっそうレベ ルの 高い理 論へ の上昇 以外 の
何 もので もないのである。
[同 上]
ここに言われている通りの状勢ではないが、ヤコビの論文
-165-
D‐
2]の 中
には確 かに、クンマーの言う「いつそう高い レベルの理論への上昇の例」
が現われている
(ク
ンマ ーに及ぼされたヤ コ ピの影 響
(2))。 理想素
因子の理論 のみにとどまらず、我 々は ここで もまた、代数的整数論の形
成に寄せるヤコビの本質的な貢献に出会 うのである。
一般理論への道
円分体上のクンマー数体 の理論 と正則円分体 における幕剰余相 互法則
が手中にあれば、それらを言わば雛形 として、代数的整数に関す る一般
理論へ の道はおのず と開かれて くるであろう と私 は思 う。デデキ ン トと
クロネ ッカーはその方向に向かつて実際 に歩 を進めたのである。その際、
理論的な主柱 となるのは、複素単数の理論 と理想素因子の理論の構成で
ある。 また、数論 の立場か ら見 て本質的な指針 と して作用す るのは、幕
剰余相互法則の存在領域 であ りうるような完全に一般的な数体において、
幕剰余相互 法則 を確立 しようとす る意志であ る。特 にクロネ ッカ ーの場
合には、楕円関数 の特異モジュールに備わつてい る著 しい数論的特性の
解明が、デデキ ン トには見 られない クロネ ッカーに固有の課題 として課
されている。「クロネ ッカーの数論の解明」 とい う視点に立脚す るとき、
特異モジュァルと相互法則 の間に認め られる密接 な関連の考察は、黎明
期以降の代数的整数論 の諸相の観察 を通 じてつねに中核 に位置 し続ける
であろ う。 それは同時に、本稿 の続篇 における最 も基本的なテーマであ
る。
[平 成
-166-
7年 (1995年 )4月 10日 ]
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