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「霊性」の論理と公共性

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「霊性」の論理と公共性
【報告・紹介】
「霊性」の論理と公共性
――公共哲学部門対話研究会(第 6 回平和公共哲学研究会)報告
千葉大学公共研究センター フェロー
一ノ瀬 佳也
2004 年 12 月 23 日、東京の神田にて、第 6 回平和公共哲学研究会が開かれ
た。この研究会は 2004 年 2 月 28 日より、
「地球平和公共ネットワーク」と
いう市民団体が主催して始められたものである。これまでの研究会において
は、イラク戦争などの状況を批判的に考察しつつ、「平和」の構築のための議
論が行われてきた。その成果は、
「デモかパレードかピースウォークか――世
代間対話の試み――」という第2回の研究会の記録が、『別冊世界――もしも
憲法9条が変えられてしまったら――』
(岩波書店)に掲載され、大きな反響
をよんだ。今回の研究会は、千葉大学 21 世紀 COE プログラム「持続可能な
福祉社会に向けた公共研究拠点」と地球平和公共ネットワーク(活動の詳細は
http://global-peace-public-network.hp.infoseek.co.jp/ を参照)が共催して行
う初めての試みであり、大学、市民団体、NPO との連携を深めることを目的
とした「対話研究会」のひとつとして開催された。
第6回研究会においては、
「地球平和公共ネットワークの思想と運動」をテー
マに掲げ、この市民団体の発足時の世話人であった4人による報告が行われた。
第一報告は、京都造形大学にて宗教学を教えている鎌田東二によって行われ、
宗教的な観点から議論が提起された。第二報告は、国際基督教大学にて政治思
想史を教えている千葉眞によって行われ、政治学的な観点からの議論が論じら
れた。第三報告は「Be Good Cafe」
(詳細は http://www.begoodcafe.com/)の
幹事である西田清志によって行われ、市民の立場からの意見が述べられた。第
四報告は、千葉大学において政治哲学・比較政治を教えている小林正弥によっ
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千葉大学 公共研究 第1巻第2号(2005 年 3 月)
て行われ、公共哲学の観点からの考え方が示された。各論者は、それぞれの観
点による独創的な理論を市民にわかりやすく語り、お互いの議論を交わしなが
ら新しい平和運動の展望を練り上げていった。
宗教による精神性の回復
まず鎌田は、自らの直観を紹介しつつ、
「平成」の時代がその名に反して「乱
世」になっていることを指摘した。1989 年にベルリンの壁が崩壊したことに
よって、確かに冷戦体制は終わったかもしれないが、アメリカの一国主義の
下での「環境への負荷」や「武力による抑圧」がより顕著なものとなっている。
また日本国内においても、オウム事件や酒鬼薔薇事件といったような凄惨な出
来事が起きた。これらの出来事においては、むき出しの「武力」がふりかざさ
れるようになってしまっている。鎌田は、こうした「争い」や「対立」という
社会の傾向に歯止めをかけるために、宗教における精神的な次元の論理をうち
たてる必要があると指摘した。その際には、
「芸術」が大きな役割を果たし、
「万
人が共感できる」道が目指されるべきとなる。鎌田は、近代の科学だけでなく、
さらに「文化」に内在する人間の精神を語るものとして宗教的発想の重要性を
提起したのである。
公共的理性、公共的感性、霊性の公共的次元
次に千葉は、
「公共的理性、
公共的感性、
霊性の公共的次元」という報告を行っ
た。千葉は、イマニュエル・カントの議論などを紹介して、市民による「公共
的理性」の行使の重要性を説いた。さらに千葉は、
「もうひとつの力」
(another
power)として「感性」についての議論を展開した。千葉によれば、政治思想
(憐れみの情)や「コンパシオ compassio」
(共
史においても「ピティエ pitié」
感)が論じられることがあり、政治的共同体の形成に一定の作用を及ぼしてい
る。なかでも千葉は、
「世界への愛 amor mundi」というハンナ・アーレント
の概念によって、
「公共的感性」の存在を強調した。
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「霊性」の論理と公共性
最後に千葉は、
「霊性 spirituality」についての公共的な次元の存在を認めな
がらも、政治によって利用される危険性について注意を促した。「霊性」にお
いては、各宗教に「差異性」と「独自性」を承認した上で、その連帯を模索す
ることが必要になると千葉は主張した。千葉にとって「霊性」とは、「人間の
社会のエートス、モレース、心の習慣 habits of the heart を作りあげる原基」
として解されるものであった。さらに千葉によれば、霊性は第一に、神や天と
の垂直的次元にかかわる人間の内面的資質(sui generis)である。したがって、
「公共的霊性」という表現には違和感があり、
注意を要する。ゆえに千葉は、
「公
共的霊性」よりも「霊性の公共的次元」ないし「霊性の公共的意義」という表
現を好むと述べた。
「真剣な感性」を持つこと
西田によって行われた第三報告は、初めから予定されたものではなく、当日
に急遽組みいれられたものである。西田は、自然にある人間の存在を自ら理解
するためには、身体性を通じたわずかなサインを見逃してはならないと訴えた。
西田が言うところの、
「生きるという力」を自覚化するために、それぞれの細
胞を開き、感覚をみがく。そのためには、ハレ(非日常)とケ(日常)の、日
常であるケをどのように生きるかが大切である。ケという普段の日常の中でど
う感性をみがいていくか? 日常における「真剣な感性」をどう生きるかが求
められてくる。それによってこそ、現代のような複雑な社会においても、「生
きる」ということを実感できるのである。
「もうひとつの世界=友愛公共世界」に向けて
最後に小林は、
「新時代の平和運動を目指して――地球平和公共ネットワー
クの主体的発展」というテーマを掲げ、新しい平和運動のあり方を提起した。
小林は、旧来の左翼による平和運動に対して、
「左右の既存の対立を超えた公
共的平和主義」
の確立を論じた。小林によると、
この新しい平和主義においては、
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千葉大学 公共研究 第1巻第2号(2005 年 3 月)
マルクス主義の唯物的な人間観に代わって、
「精神性・霊性」という観点が導
入されるべきである。小林は、
「墨守・非攻」という現実主義的な側面と、「深
層平和 deep peace」という「精神的・霊性的側面」の双方から、「理想主義的
現実主義」を打ち立てようとする。前者は、
憲法 9 条の解釈転換の主張である。
後者は、原子論的な発想に対して、
「普遍的な自己」という全体論的な発想に
基づくものであった。小林は、このような思想に立脚して、「地球的・地域的」
(グローカル)なものとして、
「平和」を考えることが可能になると論じた。小
林の議論においては、
「自由・平等」に加えて「友愛」の価値が強調され、「全
一論的な超個的・普遍的友愛(ディープ・ラブ=深層愛、無私の愛)」によっ
て成り立つ「もうひとつの世界=友愛公共世界」の構築を目指すことの必要性
が説かれた。
求められる現代の「霊性」の論理
上記のように、この研究会では「霊性」をめぐる議論が展開された。まず千
葉は、政教分離の原則から、宗教的な論理を直接に政治論へと導入することの
危険性を指摘しつつも、この原則を柔軟に考えていく可能性を示唆した。ヨー
ロッパのキリスト教文化圏においては、長きに渡る宗教戦争を経験してきた。
その結果として、政治の「公的領域」においては、宗教におけるそれぞれの論
理を直接に持ち出すことなく、諸宗派の「寛容」こそが説かれることになった
のである。
これを受けて鎌田は、国家神道のように、宗教権力の制度化こそが暴力性を
生み出した要因であると指摘した。
鎌田によると、
そもそも宗教の精神には、
「霊
性」についての多様性を認める論理が存在する。日本神道にも、まさに「八百万
の神々」がいるのである。
最後に小林は、物質的である表層的な社会の他に、その深層にある精神的な
次元の「霊性」に注目する必要性を主張した。近代社会における原子論的な発
想では、
「対立や争い」を根本的に乗り越えることはできないのであり、全体
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「霊性」の論理と公共性
論的な観点からグローカルなコミュニティを考えていくことが必要となる。そ
して、
「公共的霊性」の概念を平和運動に提起し、
「公共哲学」としての発想を
もってこそ「霊性」も公共的な観点から捉えうることを示した。
以上のようにして、
この研究会においては、
これまでの見過ごされがちであっ
た「霊性」についての論理の重要性が確認された。この「霊性」は、近代以降
も「文化」という形態の中に含まれて、様々な作用を及ぼしている。そのため、
この「霊性」についての議論をしっかりと捉えていかなければ、社会理論にお
いても様々な歪みが生じることになってしまう。
「霊性」の論理は、社会の根
底に存しているのである。これを明らかにしていくことこそが、現代の課題と
みなされた。まさに「霊性」とは、学問的な知識についての新たな地平を切り
開くものといえる。
(いちのせ・よしや)
(2005 年2月2日受理)
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