...

19.中国・黄山(2005) PDF

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

19.中国・黄山(2005) PDF
中国・黄山紀行
中国の仙境~黄山を見ずして山を語る事なかれ
2005年5月6日(金)
6時10分日暮里駅に到着。京成の切符売り場で予約番号を示し切符を入手。インターネット
予約は15分前までに行かないとキャンセルされてしまう。出発まで時間があるので休憩室でし
ばし休み、10分前になってホームへと下りていく。日暮里で乗る時は列の前の方に並んでいな
いと荷物置き場が満杯になって置けなくなってしまう。6時35分にスカイライナー1号がホー
ムに到着する。もう荷物が結構入っていてスペースがあまりない。朝一番の特急列車ということ
もあって混んでいる。列車は通勤ラッシュで混雑する駅々を横目で見ながら都心を離れ、水田の
水が入り始めた田圃を見つつ、定刻少し遅れの7時28分に第2ターミナルに到着する。出発ロ
ビーまではエレベータで移動する。普通、手前のエスカレータに乗ってしまうが、実はこちらの
方が早い。集合時間の7時35分というのは、いかにも中途半端だがこれは列車の到着時刻をも
とに決めたのであろう。ほぼ同じ時刻に成田エクスプレスも到着している。急いで団体カウンタ
ーGの14へ向かう。相変わらずHISには長蛇の列ができている。阪急のカウンターで係の人
からチケットを受け取る。発券されていないので自分で搭乗手続きをすることになっていて、す
ぐにJALの団体カウンターMへと向かう。いったん外に出るような形になっている仮設の別室
のようなところ。まず荷物をエックス線に通してからカウンターでチェックイン。杭州はハンジ
ョウと言うようだ。発券の際、通路側の席を示されたが、特に異議はなかったのでそのままに。
出たところにマイレージの登録機があるので、ここでマイル登録の手続き。今日は時間があるの
でラウンジで休憩する。朝なので空いている。喉が渇いているのでまずコーラ、次にコーヒー。
8時40分少し前にラウンジを出て出国手続きへと進む。最初はエックス線検査だ。今回、カ
メラのシールドケースをボックス型のものにしたところ引っかからなかった。中に入ると出国審
査場はゴールデンウィークが終わったにもかかわらずかなりの列ができている。出国後、免税店
をちょっと見てからモノレールに乗ってターミナルを移動する。反対からくるモノレールはかな
り混んでいて、やはりゴールデンウイークの影響を思わせる。
サテライトに入って右へ曲った1番最初のD92が出発ゲートだ。待っている人はあまりいな
い。JL-635便は、9時15分に搭乗開始。搭乗口にいた人たちはすぐ機内に入ってしまっ
た。少し遅れてゆっくりと機内へ。機内に入るとガラガラといった感じである。この飛行機、新
しい匂いのする767-300である。767では最新型となるものだ。乗客は後方に少々いる
程度で、あとは見渡す限り人がいない。フライトは2時間55分であるというアナウンスがある。
定刻より早く9時25分に機体はうしろへ動き出して、しばらく動いたり止まったりの状態。く
ねくねした道を通って滑走路に出て、9時45分に離陸した。水田には水が入ってきれいに光っ
ている。すぐに雲に入ってしまう。日本には低気圧が近づいており、大雨が予想されているとい
うニュースをやっていたので、揺れが心配である。
確かに飛行機はずっと揺れていて、眼下には白い雲が厚く敷き詰められている。10時を過ぎ
ると揺れが収まり、それにあわせて飲み物が配られ始める。ビールを注文すると、ちゃんと4社
そろっているという。さすが日本の航空会社である。客があまりいないのでドリンクのあとすぐ
に食事が出される。サフランライス、魚に衣がついたもの、サラダにはドレッシングが付いてい
て、鮭寿司にポテトサラダとシーフード、デザートは杏仁豆腐風の甘いものに赤く着色された桃
のようなものがのっているもの、そして白パン。ビールをもう一本どうかと飲み物の追加を聞い
てきた。お腹もいっぱいになるので白ワインをもらった。小さな瓶であるが結構酔ってしまう。
スチュワーデスは、暇なのか何回もやってきてサービスする。客が少ないというのもいいものだ。
最初にお茶、そしてコーヒーは2回もお代りした。
中国の出入国カードと検疫のカードは座席の前のポケットにビニール袋に入っている。これは
英語の面に記入することになる。裏面の漢字表記の方は中国人用だ。こっちも何となく意味がわ
かるので、ここに書きたくなるのだが、間違えて書いてしまうと面倒なことになることがあると
いうのは成都の時に学んだとおりだ。12時15分に飛行機は降下を開始する。35分には雲突
き破って、ようやく下界が見える。大きな川が見え、平たい青色の屋根の工場のような建物が立
-1-
ち並ぶ。そして同じ形をした団地が続く。一般の民家はどれも三階建てか四階建ての直方体で、
屋根には鐘楼のようなものが乗っている。12時40分ごろ着陸。時差があるのでマイナス1時
間。現在は11時40分である。雨が降ったのであろうか駐機場には大きな水たまりができてい
るが、現在は雨は降っていないようだ。
乗客が少ないのですぐに飛行機を降りることができた。ガラス張りの通路を通って、検疫では
カードを渡すだけ。入国審査も特に問題なかった。ターンテーブルの荷物はちょうど目の前を通
り過ぎたばっかりだったので、一周回ってくるのを待った。そして出口に向かう。私が最後のよ
うであった。現地添乗員が待っている。担当旅行社は上海の会社だそうで、朝、上海を出発して
ここにやってきたという。ツアーはたったの6人。現地添乗員の林さんに聞くと、当初はもっと
多かったようだがキャンセルしてしまったとのこと。やはり連日報道されている中国の反日暴動
が効いているようだ。
移動に使うバスは小さなバンである。スーツケースなどの荷物も積むのでかなりきつくなる。
車は高速道路に乗り、まず南京の方向へと向かい途中から分かれる。シートベルトもない2列目
真ん中に乗ったので、正面はフロントガラスでかなり怖い。高速道路の両側は工業団地になって
いるようで、東芝や矢崎といった日本企業の看板も見える。花火工場があってテストで打ち上げ
ているのはおもしろい。工業団地は幅の広い直線道路が縦横に走っている。中国はこうした急速
な経済発展のおかげで今年から農民の税金がなくなったという。一部の金持ちによりこの国は運
営されようとしている。
途中、ガソリンスタンドへ寄る。価格は日本の4分の1という。リッターという言い方は当然
せず、単位は升を使う。ガソリンには税金が入っていない。税金は車に対して掛かる仕組みだ。
走っている車を見るとフォルクスワーゲンのパサートが圧倒的に多い。かなり昔から上海に合弁
企業として進出しているからである。また、フォルクスワーゲン・グループは金持ち向けにアウ
ディーという別ブランドも投入している。その他の車では、広州に合弁企業を展開するホンダ、
低価格と日本車に負けない品質で世界的に急成長を遂げている韓国のヒュンダイが多く見られ
る。高速道路には料金所がところどころにあって、料金体系がわかりにくいが、基本的には各省、
市などが別々に徴収しているとのことだ。道はなかなかきれいだが、路面に継ぎ接ぎが多く、乗
り心地は悪い。トラックは速度がかなり遅く交通の邪魔になっている。
黄山までの道は、高速道路も出来てかなり良くなったという。杭州と黄山の入り口の屯渓の間
は250キロ程度だが、昔は飛行機を使うか、くねくねとした道を一日掛かりで行くしかなかっ
たという。道路の周りの畑は、茶の産地らしく茶畑が広がる。高速道路を降りて国道を走り、地
方都市の臨安市というところの中心部にあるホテルでトイレ休憩。地方ではトイレの事情が悪い
のでわざわざホテルに入るわけだ。ホテルのラウンジで林さんからコーヒーをご馳走になる。こ
ちらは田舎なのでコーヒーもあまり飲まないといい、そのせいかグラスが足りなくてガラスのコ
ップに入って出てきた。味はとてもコーヒーとはいえない代物である。
トイレ休憩が終わり、再び車に乗り込み出発する。道路の車線は多く、右折、左折のレーンが
あるため、真ん中の車線を走っていないといけない。かと思うと信号無視して人や自転車が飛び
出してきたり、突然逆送してきたりする車がって危険きわまりない。途中、林さんはスーパーの
ようなところで車を止め、ミネラルウオーターを箱で買い込んだ。自由に飲んでいいとのこと。
臨安市を後にして、広々とした国道を進む。対向車線にたくさんの花をつけた車が見えるが、
これは結婚式だそうで、やはりこちらもゴールデンウィークに挙式する人が多いのだろうか。こ
ちらのゴールデンウィークは5月1日のメーデーから一週間ということで、明日には終わりにな
る。そのためか対向車線にはバスが多く、連休の帰りを思わせる。車は浙江省から安徽省へと入
っていく。
車は80キロで走行しているが、ものすごいスピードで抜かれることもしばしば。こちら中国
では衛星を使って取り締まりをしてるということだが。ここは一般道であるので、ところどころ
横断歩道があるのだが、その手前には鋲が打ってある。高速で通過すると振動が激しく、このよ
うにして無理矢理減速させる手段をとる。車は再び高速道路へ。山の景色は日本のようだ。高速
道路の遙か下にはかつて黄山観光で使われたであろう旧道が走っていて、それに沿って古い街並
みが見える。高速道路にはサービスエリアがなく、トイレに行きたくなった人がいて困った。い
くつかガソリンスタンドがあったが、どれも工事中である。ようやく営業しているガソリンスタ
-2-
ンドがあってトイレ休憩。そこからは急斜面を茶摘みしている光景が見えた。お茶は山の上まで
びっちりと植わっており、手作業で摘み取られてる。林さんは携帯電話を使っていたが、中国で
はこんなところでも携帯電話が使えるほど進んでいる。3年前に衛星を使って全国での利用が可
能になっており、未だ山岳で使えない日本と比べると差が付けられている。
高速道路は途中で終わり、再び直線のきれいな国道を進みようやく屯渓の町に入る。5時にホ
テル、黄山建国商務酒店に到着する。黄山と名が付くが黄山からはまだ遠く、単に黄山市にある
というだけのようだ。このホテル、格式もあり大きなホテルであるが、町の中心からは離れてい
るようで、周りにはなにもない。パスポートを預けるようになっていて、カード式の鍵を受け取
る。部屋に入ると新しい建材の匂いがする。チーク材がふんだんに使われていて、それに金の装
飾がされ、おしゃれな造りである。洗面所もきれいでアメニティーも充実しているが有料のもの
もあるのでその点には注意が必要だ。洗面台は全面鏡張りのTOTO製。飲料水用の蛇口もつい
ているが、飲む勇気はないので、さっき買ってもらったミネラルウォーターを使う。テレビは立
派なものが付いているが日本の衛星放送は映らない。ドラゴンボールという日本のアニメを中国
語吹き替えでやっていた。ホテルから見る風景は、大きな川が流れ、のどかな田園風景である。
手前に黒いビニールハウスが並んでいるのだけが残念だ。山は起伏が多く、どこか桂林のような
感じさえする。今日の天気は、空港の雨からはじまって途中から晴れ、今では青空が見えるほど
に回復した。問題は明日の天気だ。
しばらく部屋で休んでから6時にロビーに集合。地図がないのかという要望に応えて、林さん
はわざわざフロントで地図を買ってきてくれた。コーヒーもそうだし、ミネラルウオーターもそ
う、結構至れり尽くせりで親切である。阪急の締め付けが結構厳しいのであろう。このホテルで
は結婚式が何組かあるようで、正面玄関前で新郎新婦が並んで写真を撮っている。
さて食事へと出発。明日から黄山観光のガイドとして加わる黄さんが自己紹介する。日本人で
もこれほどすらすらとは言えないような非常に丁寧な挨拶をしてみんなを驚かせる。黄山観光は
やはり地元のガイドを使わなければならないようだ。我々のレストランは、ホテルから少し離れ
たところにある。橋を渡り少し道をそれたところだ。1階は土産物売り場になっていて、そのま
ま2階へと上がる。円卓を囲んでの夕食。ボソボソのご飯、味のちょっと変わったマーボー豆腐、
タケノコやチンゲンサイ、ニンニクの茎など炒め物は油がきつい。卵焼きはおいしかった。豚肉
の脂身の薄切りにしたものの下にはシソの漬物が山盛りになっている。そしてトマトのスライス、
卵スープ、ゼンマイ。林さんは、これは田舎料理であるといっていたが、食事は全体に脂っこい。
アルコール3.5度の地ビールは水のような感じだ。グリーンのボトルと茶色のボトルがあった
が中身は同じもの。ビール、ジュースは1本サービスであるがとても足りない。今回は同じツア
ーの人が何本か追加して取ってくれたのでご馳走になった。
店のオヤジが店の壁に並んでいる掛け軸の講釈を垂れながら売り始める。1万2000円を1
万円にするというが、みんな買う気がないのを見て、今度はカウンターからバイアグラを持ち出
して一番の年配男性のところへ。食事が終わり1階の土産物を見ていると、これまた売り子がし
つこい。さすが黄山観光の中継基地である。売っている物は黄山の写真集、墨、硯、シルク製品
といったものだ。
ほろ酔い加減でホテルに戻って風呂。風呂桶は浅いが入りやすかった。シャンプー、ボディー
ソープは匂いがきつい。お湯の調整が難しい。
ホテルの噴水の音がうるさく、またホテルのレストランは結婚式の宴たけなわのようで賑やか
だ。明日はスーツケースを置いていくので1日分の着替え等をリュックに詰めておく。林さんに
よれば明日の天気は雨だという予報がでているとのこと。今日の青空の続くことを願って早々と
寝る。
5月7日(土)
6時半のモーニングコールで食事は15分後に行く。あんまん、肉まん、何も入っていない饅
頭。もやしの漬物はおいしい。目玉焼きを作ってもらったが油の中に浮いているようだ。そして
お粥。食事を終えて、預けるスーツケースと山に持っていくリュックを担ぎロビーへ。ロビーに
-3-
は韓国人の団体客がたくさんいて大型のバスに乗り込んでいる。杭州に韓国からの直行便が入る
ようになった影響であろうか。やはり韓国も水墨画文化圏なのだろう。
屯渓はみごとに晴れている。あとは黄山まで保ってくれればいいのだが。黄山まで車で100
キロ、1時間半の距離。7時45分に車は出発する。黄山までの道の両脇には4月上旬まで黄色
い菜の花が一面にあったそうだが、もうすでに摘み取られていて何も残っていない。ここに咲い
ていれば絶景であっただろう。農村の道を上っていく。現在屯渓から黄山まで高速道路を作る計
画があって、これができれば30分ぐらいで到着できるとのことである。ガイドの黄さんはとて
も勉強している。黄山との比較で持ち出した日本の富士山の標高などもすらすらと言い、黄山市
がお茶の産地ということに関連して、日本の三大産地まで記憶している。八女茶を言える日本人
がどれほどいるであろうか。ガイドの試験はかなり難しいようで、受験者の5%くらいしか合格
できないという。黄さんも一度落ちたそうだ。奥さんもガイドだが、二人とも日本には行ったこ
とはなく、日本に連れて行く約束で結婚したので、早く日本に行って富士山に登りたいとのこと。
ちなみに林さんの方は大阪の大学で日本語の勉強をしたということだ。
黄山の名は、伝説の皇帝、黄帝が不老不死の薬を調合して仙人になったという話に由来する。
中国には五岳という有名な五つの山があるが、黄山はこれには入っていない。五岳を超越する山
であり、黄山に登ればほかの山に登る必要がないという。「黄山を見ずして山を語る事なかれ」
だそうだ。黄山市は青森県と同じくらいの面積、そして人口である。黄山市の下に三つ県がある
が、中国と日本では、市と県の地位が異なる。以上、黄さんの教養から。黄さんは、以前日本の
BSに出演したと言っていた。
途中、黄山の麓の土産物屋に寄る。黄さんはツアーなので勘弁して欲しいと謙虚に言っていた。
まず入るとお茶を出してくれる。これは野生のお茶だという。葉っぱは鼻くそのように丸められ
ているのがおもしろい。甘くおいしのだが100グラムで1000円と高めだ。この地域の名産
は紅茶だそうで、セイロン、ダージリンに並ぶ世界三大産地の一つであると黄さんは言っている。
しかしながら味はあまりなくてそんなに大したものではないように感じる。どちらかというとウ
ーロン茶に近い感じだ。この土産物屋にはいろんなものがある。特に石が豊富である。黄山の景
色が浮き出したような貴石、花のような模様の石、珍しくもありきれいでもあるのだが重いので
買わない。古い物に興味あるか、と言われて連れて行かれた部屋には、どこかの寺院からかっぱ
らってきたような朽ちかけた古い仏像やら、寺院の扉、柱、掛け軸やらが並び、まるで盗品市場
のようであった。
車は黄山に入り、赤い煌びやかな中華式の門、黄山大門を通過する。ここに黄山が世界遺産に
登録されていることを示すプレートがある。そこに小屋があって料金所となっており入山料を徴
収される。車は山を登りはじめて標高を上げていく。温泉の看板が見える。黄山の麓には温泉が
湧いている。黄山観光は冬季の2ヶ月だけは登る手段がなくなるとのこと。落差の大きい滝が見
える。これは百丈滝という。
そして車は、ロープウェーの下の駅、雲谷寺駅の前で止まる。物売りがすごいと聞いていたが、
寄ってきたのは、登山のための杖を売る人と笠を売る人。ツアーの年配のカップルが杖を値切っ
て2本買っていた。持って帰るのが邪魔だろうと思ったが、捨てていくからかまわないとのこと。
林さんとはここでしばしのお別れ。林さんと運転手は下に泊まって山の上には行かないようであ
る。青空なのに、雨、雨と言っているくらいの雨男なので上まで行かないのはラッキーなのだが。
最後の最後まで山の上の天気はわからないと言っていた。
ガイドの黄さんはロープウェーの予約を入れていたようで、券を受け取ってからすぐにターミ
ナルの2階、貴賓室へと向かう。中はソファーが並び、壁には黄山の美しい写真、そしてビデオ
が流れている。受付の女性の他に数名の女性がいるが、別にお茶をいれるでもなし、ただの出迎
えだけで、これだけの人数がいる必要があるのかどうか疑問に思う。人件費は安いのであろうが、
ただいるだけで無駄に思えてならない。
今日の待ち時間は20分ぐらいだという。連休初日の5月1日はとても混んでいて予約を入れ
ていても一時間半待ちだったという。予約なしだと何時に乗れるかわからない状態だったそうだ。
しばらく待っていると受付嬢のところに電話がかかってきて、出発時間であることを告げる。階
下へ降りることなく、そのまま通路を使ってロープウェーの乗り場へ出れる。ロープウェー乗り
場では下から上がってきた庶民と一緒になるのだが。言葉を聞くと韓国人が多い。このロープウ
-4-
ェーは、50人乗り。ぎゅうぎゅうに詰められたため外が見え難い。このロープウェーは雲谷寺
ロープウェーと呼ばれていて、標高差773メートル、長さは2808メートルある。わずかに
見える景色は山梨の昇仙峡をさらに大きくしたもの、という感じだ。黄山は、大小72の峰の総
称である。1億年前隆起した花崗岩を氷河が削り風雨が現在の形に作り上げた。山間には延々と
階段が続き、人々が登っている姿が見える。階段の数は全山で6万段にもなるという。
8分間で上の白峨嶺駅に到着する。標高は1667メートルである。山の天気は変わりやすい
が、今のところ晴れ。駅からは幅の広い整備された階段を下っていく。鳥の鳴き声にほっとする。
黄さんは、ナナオンドリがいる、と言っている。たぶんいろいろな音を発するという意味で七音
鳥と言っているのではないかと思われる。そして植物では、今、盛の花、シャクナゲがとてもき
れいだ。花は薄ピンクをしており、この花は次第に白くなっていくという。下っている間は、黄
山らしい荒々しい山肌はまったく見えない。まず黒虎松と出会う。虎のような勇ましい姿の松で、
なかなか枝ぶりがいい。黄山の名物は、奇松、怪石、雲海、温泉の「四絶」と言われるが、まず
はその奇松から。黄山の松は、花崗岩の岩山、風雨、低温といった厳しい自然環境の中で育つた
め盆栽の松のような姿で岩肌にしがみついている。この黒虎松も横に広がっていて、その厳しい
自然環境が想像される。しばらく歩いていくと茶屋があってその先に連理松がある。これは2本
の松がくっついて1本になったという松で、その姿から仲むつまじい男女が連想、これが縁結び
信仰と結びついている。松の周りに柵があるが、これには無数の錠前がぶら下がっている。カッ
プルたちはここで祈りながら錠前を掛けて、その鍵を谷底へと投げてしまう。すると永遠に結ば
れるという。錠前は茶屋や売店などで買うことができる。
階段を登っていく。道は急になり息が切れ始める。次に現れた臥龍松。この特徴は根にあり、
龍の爪のようにのたくっている。松と松の合間には、猿が峰の上にちょこんと乗り、下界を眺め
ているような猿子観海と呼ばれるかわいい岩山が見える。急な坂道の階段をどんどん登っていく
と平たいところに出て視界が開ける。絶壁に生える探海松があって、そこから見える峰が始信峰
である。迫り上がった岩山、それに取り付く松、遙か向こうに見える下界、手前のピンクのシャ
クナゲ。快晴すぎて、雲一つないのが残念だ。四絶の雲海がないとただの岩山に過ぎないかもし
れない。雲から付きだした峰、それに松、それこそが山水画の世界なのだ。少し下っていくと、
始信峰でのビューポイントがあるが、ここで断崖に身を乗り出し写真を撮りあっているのは韓国
人であった。
黄色い帽子をかぶった中国人の一行がこの展望台にいたが、その中に日本人が混じっていた。
上海に留学している学生だという。それにしても中国の団体は、ガイドもマイクで怒鳴り、人々
も喧嘩しているようにピーチクパーチクとうるさい。
始信峰から今来た道を下っていって、途中でさらに別の方向へと下っていった。再び開けたと
ころに出ると、そこはテラスのようになっていて、雄大な峰々が連なっているのが見える。確か
にすばらしい絶景だが、やはり雲海が欲しいところ。テラスの上にはホテルがあり、それが我々
の泊まる予定の北海賓館というホテルであり、これから昼食をとるところでもある。北海賓館は、
山の上にあるとは思えない立派なホテルである。正面は宮殿のようであり、赤い絨毯が布かれ旗
が翻っている。さすが4つ星のホテルだ。パスポートを預けてチェックインする。カード式の鍵
をもらい5階の部屋に向かう。部屋は展望の利かない中庭向きであった。ドアには鍵を差し込む
ところがなく、そのカードの説明を見ると、ノブの部分にかざすように描かれている。その通り
にやると鍵が開く。ICチップを埋め込んだ非接触型の鍵である。中はまだ掃除中のようで用具
の入ったワゴンが置かれていた。とりあえずリュックを置くだけで、再びロビーに下りる。
昼食はこのホテルの食堂。エレベータを下りて左に曲がると売店やマッサージの店があってさ
らに奥が食堂だ。その廊下にはここを訪れた有名人の写真が並ぶ。レストランに入って円卓に座
るとまずニワトリの鶏冠の乾燥したものがたくさん皿に盛られているのに驚かされる。見かけは
グロテスクであるが、こりこりしていてビールのつまにはいい。今日は山菜料理となっていて、
やはりチンゲンサイなど葉っぱ類が多い。タケノコは硬い。卵のスープがおいしい。肉といえる
ものは鳥肉がある程度。小魚の唐揚は川魚なので骨っぽい。ビールは薄いのでグイグイいける。
これから登山だというのに結構飲んでしまった。
ほろ酔い加減で外にでる。風が心地よい。左の山々に高々とかかるロープウェーのロープが見
える。そしてホテルの裏から階段を登り始める。途中にある案内板のところで黄さんから午後の
-5-
予定について説明があった。各ポイントポイント2キロ、3キロとあり結構歩かないといけない。
二人で担ぎ上げる籠が登ってきた。この籠、なぜか写真撮影してはいけないそうだ。両天秤で荷
物を運んでいる人もいる。シーツや食材など、山で消費される全ての荷物はこうして運ばれる。
ホテルからトタンなどの廃材を運んでいる人もいたが、ホテルを作るときもこうして下から運び
あげたそうだ。
ひと山超えて下ると鼠色の立派なホテルが出現する。これが西海飯店である。北海賓館と同ク
ラスの立派なホテルで、こちらは夕日鑑賞には近いが朝日鑑賞には遠くなる。ホテル前の立派な
テラス、そして太鼓橋を渡って敷地を出て、さらに山道の階段を登っていく。そこにも土産物屋
兼ホテルがある。排雲楼賓館である。黄山のなんと宿泊施設が多いことか。さすが中国を代表す
る一大観光地である。
開けたところに出る。ここが排雲亭と呼ばれるテラス。大きく深くえぐられた谷、そそり立つ
岩山、剣のように尖る岩、そしてそれにしがみつくように生える松。岩々にシャクナゲが点々と
華を添え、燕が谷を舞う。ただただ雲海がないのだけが残念だ。我々はとんがった山々を峰と呼
んでしまうが、ここみ見られるような先のとがった峰は「岑」というらしい。
排雲亭から、さらにその深々とした谷に沿うような道を登っていくと、ロープウェー乗り場、
丹霞駅がある。昼食の時に黄さんにお願いして乗ることにしたロープウェーで、これは現地オプ
ション扱いとされ、手続きには承諾書にサインが必要である。料金は結構高く250元もする。
これは太平ロープウェーといい、東洋一の長さを誇り、標高差は1000メートル。ロープウェ
ーは駅の3階から乗るようになっていたが、券がないので入れてくれなかった。ようやく黄さん
がキップを買ってきてくれたので中に入れる。アメリカ人の団体が来ていて満杯である。こんな
に乗れるのかと思っていたが、このゴンドラは何と100人乗りだという。韓国製とのこと。
このアメリカ人の団体、テキサスから来たそうだ。ゴンドラが到着すると、どっと乗り込んだ。
体が大きいので外がなにも見えない。ロープウェーは動き出す。タワーが少ないせいかロープは
大きくたわみ、そのため、ロープを支える鉄塔を超えると急激に落下することになる。そのたび
ごとにアメリカ人たちは悲鳴をあげて楽しんでいる。下の駅、松谷駅に到着。大型のバスが並ん
でいるので、アメリカ人たちはこれで帰るのであろうか。我々は黄山の山々から流れ出す水流に
沿って下って行く。とてもきれいな川である。竹の黄緑色の新芽がきれいで、緑の濃い野生のお
茶と絶妙なコントラストを生み出している。川を下っていくと、大きな岩に詩が刻まれ、さらに
下ると小さな滝があり、岩山の上には水屋もある。中国の皇帝や文人は、せっかく岩肌に仏様や
文字を書いて、さらにに黄色や緑の色まで付けてしまう。自然の風景を人工のものに変えてしま
ってもったいない感じだが、これが中国のものの考え方なのだから仕方がないのだろう。岩のく
ぼみに水が流れ込む美しい緑色の澱みが翡翠池である。ここにも黄色の大きな文字が岩肌に刻ま
れている。翡翠池から再び戻るのだが、下ってきた手前、当然登ることになる。下界なので気温
も高く登り階段はつらい。
ロープウェーの駅、松谷駅でしばらく休憩。冷房がありがたい。売店でお茶を飲んで出発時間
を待つが、店主の売り言葉に誰も耳を貸そうとしない。時間になり5階の乗り場まではエレベー
ターで。乗り場にはテレビがあって白黒の記録映画を流しているが、どうも日中戦争物。もしか
して反日教育かもしれないと思った。すぐに乗車できて3時30分に出発。100人乗りのロー
プウェーに6人と黄さん、そして乗務員1人という、まさに貸し切り状態。今度は景色がかなり
よく見える。次々にあらわれる切り立った峰々の岩肌がとても迫力がある。我々が泊まっている
ホテルも小さく見える。丹霞駅に戻って、今来た道を下り、再び排雲亭へ。さらに下がってから、
今度は飛来石の方へと登っていく。ここからは、ひたすら登りの階段。そしてちょっと下ってま
た登り。下には比較的大きな湖が見える。ようやく飛来石のところへ。柿の種のような大きな岩
石が峰の頂の上に突き刺さる。まさに飛来したかのような石だ。そこを登って飛来石に左手で触
る。男は左手、女は右手で3度触るのが縁起がいいのだが、細い柵が頼りなく、結局岩にべった
りと両手でしがみつく。飛来石の地点から、さらに上に登っていく。遙か上には気象観測所のド
ームが見える。そこが目標である。
ようやく気象観測所のある光明頂へ到着。そこに売店があり、その前の碑では中国人たちが記
念写真を撮っている。遠慮しているといつまでも撮れない。ここは黄さんの出番で、次々と中国
風に割り込んでいく。小高くなった岩山に上がると下界がきれいに見える。正面に見えるのが蓮
-6-
の蕾のように上部が割れた山が蓮花峰である。そして切り立った峰々が続き、その峰の頂上にど
うやって行くのだろうか、なんとホテルが建っているのだ。堰き止めて作られた湖のようなもの
も見える。こうした湖は防火水の役割も果たすという。遙か遠くのほうには雲が押し出してきて
いる。風はとても強く、吹き飛ばされそうだが、とても気持いい。観測所には大きな電光掲示板
があって、気候や天気などの情報が赤い文字で表示されている。日没時間、日の出の時間及び見
える確率が表示されている。ちなみに明日の日の出が見れる可能性は60%と表示されている。
この先の道を進んで行くとテレビ等があって、さらにそこから下がっていくと我々のホテルに出
ることができるのだが、我々はサンセットを見るために今来た道を引き返す。下りの階段は結構
足に厳しく、ただひたすら下を向いて階段をどんどんと下って行く。登りには何度も振り返って
見た山々はちらっと見るだけ、遙か下に飛来石が見え、結構登ってきていたことを実感できる。
ようやく飛来石まで戻り一休み。そしてさらに下っていく。夕暮れ近くなり、シャクナゲも赤
さを増している。先ほどの排雲楼賓館のところの分岐点にたどり着き、また休み。地下で下水処
理をしているのか臭いがくさい。黄さんは日の入りの時刻を見ながら調整しているようだ。ここ
から日没の鑑賞地点である排雲亭へと少し進む。ここで当初サンセット鑑賞を予定していたのだ
が、ここでは太陽が見えないのではないかという指摘があった。確かに日は山の向こうの丹霞峰
の方に落ちる。そこで急遽、先ほどのロープウェーの丹霞駅まで登っていくことに。駅舎で日が
落ちる場所が見渡せるところを探し、じっと待つ。なにしろ見えるところは木の間の狭い範囲で
しかないのだ。あとから来た中国人たちは、仕方なく駅舎の上まで上っていった。結局、地平線
に厚く積もる雲のために日の入りは見ることができなかった。夕焼けもなかった。やはりカンボ
ジアと同様、サンセットは見れそうで見れない。
懐中電灯を用意してきていないので、日没の時間を過ぎるとすぐに山を下り始める。排雲亭へ
回らず近道を進む。排雲楼賓館へ出てさらに下り、西海飯店を通る。そこからひと山越えなけれ
ばならない。階段道を登りはじめるが、ここまでくるとかなり暗くなっている。ようやく階段が
何となく白く光って分かる程度だ。親切なことに道のところどころには電灯があるのは助かる。
これは日の出を見るため西海飯店の人たちがこの山を越えないといけないからだろう。薄暗い中
なんとか階段を下がっていくと北海賓館に到着する。疲れ切っているので正面に回る元気もなく
裏口からホテルの中へ。まず荷物を置きに部屋に戻り、すぐに食堂に下りて食事。
喉がカラカラなのでまずビール。雲海という名の地ビールでやはり薄い。名物のスープを追加
注文した。レストランの入口に大きな瓶があって、その中で作られている地元料理だ。瓶の中に
は小さな壺があり、その壺には松茸、山菜、その他山の幸もろもろが入ったスープが熟成されて
いる。中を見た人が食べるをやめたくらい変なものも入っているようだ。何か肝のようなものが
入っている。このスープは40元の別料金。食事は、インゲン、チンゲンサイ、タケノコ、鳥肉
とピーナッツ、鳥の足の入ったスープ、イモ入ったの入ったカレーのようなスープ。これは香辛
料がちょっと日本のカレーとは違う。ういろうのような食感の餅菓子、それから黄さんが特別に
追加してくれた川魚の雷魚。せっかくいただいたのだが、骨が多く青臭くあまり美味しいもので
はない。ライスがないので別途頼んでもらった。最初から付いていなかったようだ。最後はバナ
ナ。隣の西洋人のグループはバイキングになっている。こちらのフルコースより安いのであろう
が、焼きそばがあったりしておいしそうに見える。英語の出来る従業員と楽しそうに会話をして
いる。こちらを担当している女性は全く日本語を介さないので、ご飯を持ってきてもらうだけで
も大騒ぎであった。
先ほど荷物を置きに一時部屋に戻った時に内線電話が掛かってきた。すぐ切れてしまったので
出れなかったのだが他の部屋の人に聞いたところ、マッサージの案内であったそうだ。レストラ
ンの横に店があって、各種マッサージをやっている。全身で250元もするので、日本の料金と
あまり変わらない。日本人が泊まっているところだけ日本語で電話していたようだが、足の痛み
疲れに乗じたぼったくりのような気もする。足裏マッサージなら150元だ。
食事が終わり部屋に戻る。部屋のスイッチをいじってもナイトテーブルのつまみを回してもテ
レビが付かない。こういう場合は線が抜けていることが多いので、テレビをくるっと回して後ろ
を見るとやっぱりアンテナ線が抜けていた。風呂は栓が壊れて飛び出しており水が溜められない。
これを無理矢理押し込んでシャワーだけにした。山の上では水を大切にしたい。
明日は4時半のモーニングコールになっている。足も痛いので早く床につく。今日は1万段の
-7-
階段を歩いたという。階数にすると400階建てのビルを登ったことになるのだが。強い風が窓
を叩く。明日の天気はどうだろうか。
5月8日(日)
4時半にモーニングコール。5時にロビー集合。下りて行くと既に多くの観光客がいて、薄暗
い中を三々五々出発していく。ホテルの部屋のクローゼットにはオレンジ色の防寒着が用意され
ているが、それほど寒いとは思わなかったので着ていかなかったが、これを着込んでいる人が多
かった。玄関を出ると、風が強く吹いており、ホテル前の赤絨毯がめくれ上がっている。懐中電
灯を用意してきたが、もう白み始めており、階段がなんとなく白く光っていて必要は感じなかっ
た。どんどんと階段を上がっていく。昨日の疲れが残っていて足が痛い。しばらく上がっていく
ときれいな形の松が植わっているテラスに出る。その向こうには鋭い峰々が見え、下にはシャク
ナゲが咲いている。山と空の間には厚い雲がかかっており、日の出は期待できない感じた。
この場所からも日の出を見ることができるが、人々につられてさらに上へとあがって行く。上
に行けば行くほど人が多くなる。我々のホテルのジャケットはオレンジだが、黄色いジャケット
をきた西海飯店の宿泊客もいる。ここには中国人もいれば韓国人もいるようでいろんな言葉が飛
び交っている。東洋人は御来光好きなのか。峰の頂にはたくさんの人がよじ登っている。一応落
ちないように手すりがあるが、転げ落ちたらとても役に立たないような代物だ。断崖絶壁である。
この場所からは頂の上にちょこんと座った猿の形をした岩が見える。これが猿子観海である。
明るくなるものの雲はかなり厚い。6時19分の日の出の時間を迎えても御来光は拝めず。人
々は帰っていく。ようやく頂の上が空いたので、よじ登りそこから写真を撮ることができた。そ
こで自由解散のようになり各自ホテルへと戻っていく。写真を撮りながら下っていくと、谷に突
き出した石造りの細いテラスがあって、ここでは西洋人たちが写真を撮影していた。ここが朝日
の名所、清涼台のようである。西洋人の間に分け入って写真撮影。そのころようやく日が上って
くる。急にあたりは明るくなり、山々は何となく霞み、雲海とはいかないまでもいい感じになっ
た。黄さんの話によると、黄山は一年のうち80日しか晴れないという。1年に60回ガイドし
ている黄さんでさえも、そのうち晴れるのは五分の一で、さらに雲海が見えるのは5回ぐらいだ
という。そう言われてしまえば、快晴でもこれで良しとしなければならないだろう。
さらにホテルに向かって下っていくと、眼下に北海賓館の全景が見えるところに出た。山々の
見える谷側では逆光の中で三脚を構え写真を撮っている日本人の若い男性がいた。ホテルまで下
っていくと、その前でも中国人たちが日の出に向かって記念撮影している。食事は6時半という
ことでいったん部屋へ戻る。
朝食はバイキングだ。目玉焼き、小籠包のようなもの、何も入ってない饅頭、ゆで卵、甘い餅
のようなものに衣がついて揚げてあるもの。ホットのオレンジジュース、コーヒーはおいしくな
く、ソースは甘い。
7時45分にホテルを出発し、ロープウエーの白峨嶺駅に向かって階段を上がって行く。向こ
うからは建築資材を天秤で担いだ人たちが次々と降りてくる。ロープウェーではなく下から担ぎ
上げているという。
シャクナゲの咲き乱れる下を上っていく。今日の天気は曇りであるが、ロープウェー乗り場ま
ではかなりの登りで汗だく。後ろからは中国人や韓国人の若者の団体が追い抜いていく。中国人
は山道に強いのか、ピーチクパーチクいつもと変わらずうるさくしゃべっている。喧嘩をしてい
るような声は、やはり発声自体が呼吸になっているのだろう。息が切れないようだ。
白峨嶺駅に着く。かなりの人たちがいて、待たされるのではないかと不安であったが、しばら
くするとすぐに乗ることができた。やはり予約制なのであろう。入り口を入って通路を進むと、
奥の方から椅子が一列に並んでいるので順番に詰めて座る。ロープウェーが到着するとその部屋
を出て、さらに奥に進むのだが、途中でゲートを閉められてしまう。ようやく次の便で奥の待合
室へ。中国人たちが持っている券と我々が持っている券の色が違う。やはり外国人料金が存在す
るようだ。ようやくロープウェーが到着し中へ。中国人は容赦なく割り込む。やはり声がうるさ
い。.
-8-
ロープウェーは下り始める。ゴンドラに乗る乗務員がポップス調の音楽を流す。これまでその
ようなことがなかったので、果たして業務で決められたことなのかどうかわからない。それにし
ても中国の人たちは音楽好きなようで、鼻歌を歌っているような人をしばしば見かける。昇仙峡
のような景色が続き、標高を一気に下げていく。目をこらすと山の谷に沿って延々と階段が続き、
登っている人たちの姿が見える。
下の駅、雲谷寺駅に到着してガイドの林さんと車を待っている。黄山は地元のガイドを使わな
いといけないという話は聞いたが、林さんはどうして上に行かないのだろうか。たぶん山の上よ
りも下の方が滞在費が安いからと思われる。まあ、林さんはいつも雨、雨と言っている雨男なの
で、一緒でない方がいいのかもしれないが。おかげで今回は快晴であった。
車がやってくる。韓国人のグループの大型バスがあり、遅刻者か何かがいてそれを乗せるため
停車していた。我々の車はそのバスを追い抜いて、目の前に停車しようとした。その時、急にバ
スが動き出す。バスは直前に気がつき急ブレーキを掛けて止まった。その隙間はほんのわずかで
ある。長髪を結んだ大型バス運転手が下りてきて怒鳴りはじめる。それをバスの女性ガイドが止
めている。こちらの運転手はまったくの無視。少しニヤニヤしてるが顔はそちらに向けない。ウ
インカーを出さずに急に動き出したバスも悪いであろうしその前に入り込もうとした我々の車も
悪いので、どっちもどっちだ。衝突して余計な時間を取られなくて済んだのは幸いであった。
車に乗り込んで出発し坂道を下って行く。カーブの手前には段差が設けてあり、強制的にスピ
ードを落とさせるような仕組みになっている。途中、登りで見た滝、百状滝のところでストップ
して写真タイム。雨が降っていないので、水量はかなり少なくなっていて百丈と称えられるカー
テン状の滝は見られない。さらに下って、黄山入口の赤い門を通過、川に沿って下っていく。す
るとタンクローリーが横転している事故に出くわす。縁石を乗り越えて川に落ちたようだが、水
中に落ちなかったのは幸いである。引き上げるためのクレーン車などが動員されている。
途中で宏村へ向かうため右折する。この道は、江沢民が宏村を訪れた時に作られた道であると
いい、両脇には木が植えられているゆったりとした道だ。昔はこの道がなかったのでぐるりと回
る必要があった。この道ができてずいぶん早く行けるようになり約一時間ぐらいで到着すること
ができる。1カ所、崖崩れが起こっている場所があった。ブルトーザーで土砂を取り除きトラッ
クに載せるのだが、我々の車が誘導によりそこをゆっくりと通過する時も、上の方からぽろぽろ
と崩れている。
山を越え、部落を通り越していくと、宏村という村へ到着する。宏村は明時代から清時代の建
築137棟が残る中国安徽省古村群として登録された世界遺産の中心となる村である。駐車場か
ら水郷に囲まれた村へは石のアーチ状の橋を渡って中へ入る。その橋の手前に料金所があって村
人と思われる男たちがテーブルを並べて座っている。これだけの作業でこんなに男手が必要だと
は思われないのだが。橋のあたりの景色はとてもよく、子供達が水彩画を描いている。近隣の学
校の子供達だろうか。宏村の路地を順路の矢印どおり進んでいく。小さな水路が流れているが、
これがこの村の腸と称されているものだそうだ。村は牛の姿に例えられているという。路地に沿
って水路は腸のようにクネクネしている。矢印に従って進んでいくと真ん中に大きな池があって、
ここが胃袋だ。この池の周りに古びた情緒豊かな建物が並んで、それが水面に映るさまはこの世
のものとは思われない。建物の白壁は独特に苔むし、幾重にも重ねられた屋根は黄山の峰々のよ
うに、そして垂直に寄せ集めた独特の瓦。5月1日は、ここにも人だかりができていて押すな押
すなの状態だったという。池を半周歩いてさらに村の奥へと進んでいくと、この宏村でいちばん
有名な王さんの家というのがある。宏村の金持ちの家である。門のところにある大きな手鏡状の
2つの石柱は馬に乗るための台とのこと。家の中に入ると麻雀室、アヘンの部屋、父母の部屋、
自分たちの部屋とあって、順に回っていくが、各部屋の柱に施された細かな彫刻がとても美しい。
文化大革命当時はこの柱を守ろうと漆喰を塗って、その上に毛沢東万歳と書いて守り通したとい
う。おかげで今では世界遺産に登録されて、多くの観光収入を得ている。村をぐるっと回って先
ほどの駐車場へと戻る。
車に乗って30分。次は西逓という村に向かう。西逓村は面積では13ヘクタール、14世紀
から19世紀の祠堂3棟、牌楼、古民居224棟で、明時代から清時代姿を完全に保存している。
まず駐車場で下車し、料金所から中へ入る。その脇にあるのが観光用の櫓だ。昔、金持ちの女性
はこの櫓から玉を投げて、それを拾った男性と結婚した、という風習があったようで、民族衣装
-9-
を着たお姉さんが実演して見せてくれるというものらしい。我々は少人数なので何もやってくれ
ない。お姉さんたちは着替えをしていた。少し歩いたところに中国風の石の大きな門がある。牌
楼と呼ばれるものだ。ここにも赤い文字が薄く残っており、はやり毛沢東を讃える文字が書かれ
ていたという。そして円形にくりぬかれた門から村に入る。入ると家々の屋根の瓦の波が美しい。
宏村に比べ、漆喰の塀に囲まれた路地が古びて雑然としており、そのまま残されたという感じで
ある。韓国人の人たちが村を自由見学しているようで、あっちこっち歩き回っている。村をぐる
っと回る。先ほど入り口にあった櫓の本物が広場にある。実際に当時はこのようにして結婚相手
を決めていたようだ。一周して入り口近くにあるレストランへ。現地の人たちとともに食事かと
思いきや、奥の冷房の入った個室へと通される。ここの料理は田舎料理とはいえ味がとてもいい。
山菜が中心である。チンゲンサイ、そして冬瓜のスープがおいしい。ドジョウのスープはグロテ
スク。マーボー豆腐はライスと混ぜて食べられる。トイレは家屋からちょっと離れたところにあ
るようで、台所を通っていかないといけない。そこら辺には食材が並んでいてちょっと汚い感じ
だ。食材と思われるニワトリが歩いている。屋外にコックがいてこちらを覗いていたので、おい
しかったとOKの合図を送った。
西逓村を出て車は1時間かけて屯渓の町へと戻っていく。屯渓のメインストリート、老街に向
かい、車を降りて少し歩いて一軒の店に入る。そこでお茶を飲み、特産の胡麻を使った煎餅を食
べる。胡麻煎餅は薄く煎餅状のものと軟らかくて厚みのある湿った落雁のようなものの2種類が
ある。おいしかったので5つほど購入。数を頼むとおまけにもう1個付くのが中国流なので、ツ
アー参加の一人と合わせて購入し山分けした。あまりが出たので、それは車内用にする。この胡
麻煎餅はご当地名産で有名なのでまがい物が多いと黄さんは言っている。黄山市はその他、墨や
硯も有名で、土産物として並ぶ。お茶は紅茶が特に有名とのことで、しつこく進められるがただ
試飲するのみ。
屯渓の町は、交通の要衝であることを生かして富を得た。そのため古い豪商の民家が並ぶ。こ
の老街には古い家屋が数多く残っている。老街を散策。店を出てまず右方向へ。老街のビューポ
イントと言っていた門を目当てに歩いていくのだが。店先には中国の軍記物に出てきそうな幟が
出ていて、民家は2階建て、屋根は中国風の瓦屋根である。楼閣のあるところまで来たが門らし
きものはない。引き返して、今度は左側へ歩いていく。通行量の多い道を横切り、さらに進む。
店先が花で飾られた新装開店のレストランが見える。店先は紹興酒の匂いで充満している。割っ
たのか、撒いたのか。ようやく石で出来た門に遭遇。新しい牌楼で横浜中華街の門のような形で
あるが、色彩はまったくない。この古い民家の町並みがなかなかいい味わいを出している街であ
った。
最初の店へ戻る。ここで黄さんに予約注文しておいた DVD を受け取る。2千円である。この
ビデオは10年かけて黄山の四季を撮影したもので、詩の朗読なども含まれているとか。4カ国
語対応であり、土産物屋ではもっと高く売られているとのこと。直売なので安くできると売り込
んでいたものだ。値段も安いし記念に購入した。
老街を後にして川沿いの通りから車に乗り込み初日に宿泊した黄山建国商務酒店へと戻る。ロ
ビーには各部門別最優秀職員の顔写真入りのプレートがあることに気が付いた。中国でも競争原
理を取り入れようとしている。
黄さんとはこのホテルでお別れ。ここに預けていたスーツケースを車に積み込んで、一路杭州
へと戻っていく。約3時間かかる。高速道路へ入り車は淡々と進んでいく。丘には茶畑に混ざっ
て大きなお墓がよく見られる。石造りの立派なもので、舟形のものや沖縄のお墓風のものなど場
所場所によって特徴が異なる。共通した特徴としては真ん中に位牌状の大きな墓石があって名前
が書かれているところだろう。一方、家々の特徴は白壁と曲線の瓦屋根。この辺が古民居風致地
区と呼ばれているようで、インターチェンジの表示にも書かれている。運転席のスピードメータ
ーをふと見ると針が動いていない。どうも壊れているようだ。そしてトンネル。両側に車線規制
のため置かれたコンクリートの杭が置かれていて、接触しないかとっても冷や冷やものだ。
高速道路は途中、山間区間ということで60キロに制限されてしまう。ところがこの区間は他
に道がないのであろうか、人や自転車などが路肩を歩いていたりして危ない。高速道路は終わり
一般道へとつながっている。こちらの制限速度は80キロのようだが、所々に横断歩道があって、
その手前に鋲が打ってある。乗り越える時の振動が大きいので、それを嫌って車は横断歩道手前
- 10 -
で急減速をする仕組みだ。そのたびにドンドンと音を立ててながら乗り越えていく。歩行者は車
が来ようが来まいがゆっくりと横断していく。都会に近づいてくると次第にバイクや三輪オート、
自転車が道に混在してくる。そこにだんだんとトラックが加わる。そして高層のビルが出現し、
ようやく杭州の町へと入っていく。
杭州の町に入る。大きな都市であり、タクシーが急激に増えてくる。タクシーは緑とシルバー
に塗り分けられていて、おしゃれな感じだ。車種はフォルクスワーゲンのパサートとヒュンダが
ほとんど。このタクシーがとても危険な行動をとる。右に左にどんどんと割り込む。当然信号も
無視して突っ込む。歩行者の方も負けじと信号を無視。これらを交わしながら進んでいくのだが、
どうもタイミングが悪かった人たちもいて、道の真ん中に取り残されていて危ない。我々の車も
信号無視の自転車を引きそうになる。
車は道を少し間違えて迂回しているようだ。ドライバーは上海の人のようで、杭州はあまり詳
しくないのか、林さんがあっちこっち指示している。車線が複雑に入り組んでいて走るのは大変
そうだ。急ぐタクシーは反対車線に飛び出してまで遅い車を強引に抜いていく。タクシー同士も
競い合う危険な状態だ。我々の車も前の遅い車に対しパッシングを繰り返し威嚇している。追い
越して見ると女性が携帯電話をしていた。こちらでは携帯電話をしながらの運転がよく見られる。
これがまた実にいい加減な運転をするそうで、ゆっくり走っている車は、大抵電話をしながらの
人のようだ。中国では全国で携帯電話を使えるという話は前にしたが、中国人はふつう携帯電話
を2つ持っているという。私用、公用?と思ってしまうのは日本人で、実は固定式とカード式と
いうのが正解。
ホテルにチェックインする前に、まず夕食へと向かう。場所は西湖の近くで昔、杭州に泊まっ
たホテル百合花飯店の2階の食堂である。本日は杭州料理ということだ。牛の骨付き肉煮、野菜
などは脂が多いものの意外にあっさりとしているし、マーボー豆腐もなかなか美味しい。ライス
とは別に卵チャーハンが付いている。湖に近いということで川魚もあり、その他いくつか漬物も
ある。それからトマトスープ。ビールは杭州の地ビールだったが、味が薄いので青島ビールを注
文。しかしこちらもやはり味が薄い感じだ。中国はアメリカを抜いてビール消費量で一位になっ
ているのもアルコール度数が影響しているのかもしれない。デザートはパイナップルかと思いき
や、これが精巧に作られた甘いういろう状のお菓子であった。このホテルの味は日本人に合って
いるような感じがする。
食事が終わって本日宿泊のホテルへと向かう。またタクシーとカーチェースしながら進んでい
く。大きな橋を渡って右折、大きな道を進むと、住宅地のような団地街の前に屋台が延々と並ん
でいる。こんなところにホテルがあるのか心配になっていると、その一角にホテルが建ち並ぶ。
その中の一つ杭州皇冠大酒店、つまりクラウンホテルへと入る。交通の激しい大きな道の反対車
線を横切る必要があるので冷や冷やもの。とてもホテルとは思えないような、オレンジ系の照明
がビルに当たり、上部にはネオンの縁取り。日本で言えば郊外型のパチンコ屋、そんな照明であ
る。隣はショッピングセンターのようで1階にはケンタッキーがある。
ホテルの玄関に車が着いて、ロビーへ。思ったより広い。カードキーをもらい1105号室に
向かう。扉は古そうだ。中に入ると大きな部屋にダブルのベット。ツインタイプでないので、空
間があって広々としている。そして窓際には安っぽいオレンジ色のソファが置かれている。遠く
のほうで花火大会のようで、ポンポンという音が聞こえるが花火自体はかなり小さく見えるだけ
だ。部屋にあるカバーの掛かった体重計も不思議だが、値札が付いた男女の下着、そして靴下も
何だかよくわからない。
風呂は小さめであるがアメニティーもしっかりしている。残念なのは風呂にお湯を溜める時、
ボタンを押し続けなければいけないことだ。これは故障と思われるが、なかなかめんどくさい。
床につくと自動車の音が結構うるさいのが気になる。ホテルの下には大きな道路が走り、交通
量も多いのだ。やはりここは都会だ。
5月9日(月)
日本ではすでにゴールデンウイークを終了している。何となく心苦しい。さて、朝食は食券を
- 11 -
持って会場の3階へと降りていく。レストランの場所が分かりづらいが、チャイナドレスのお姉
ちゃんの並んだ少し怪しい看板のある方へ歩いていくと、赤い提灯の並んだ、いかにも中華!と
いう感じのレストランがある。目玉焼きを作ってもらったが、酢のような醤をかけてしまい失敗。
餃子もちょっと味が日本と違う感じだ。ハムも日本のものとはまったく違って独特の臭みがある。
焼きそばはかなり固い、あんまんはおいしい。口直しに中に何も入っていない饅頭。あとは野菜
を適当に。ニンニクの茎、チンゲンサイ。インゲンの炒め物は脂っこい。お粥は味がないので薬
味を入れるが、その薬味がおいしくなかった。オレンジジュース、粉っぽい牛乳、コーヒーはい
ずれもまずい。驚いたのは食事をしているこのレストランが揺れることだ。人が通るたびに落下
するのではないか思うような振動。たぶんかさ上げしてある床材が貧弱なのだと思うが。ウェー
ターがウェイトレスとおしゃべりばかりして仕事をしていないのが気になる。そして簡単な仕事
を2人がかりでゆっくりとやっている。一旦部屋に戻って、スーツケースに鍵をかけてからロビ
ーへと降りていく。
車は広州市内へと向かう。通勤ラッシュであろうか自転車が右に左に車の間を縫って走ってい
る。右折レーン左折レーンがはっきりしているので中央を走っていくのが基本だが、タクシーた
ちはそのレーンを無視して強引に抜いていく。また交差点が割り込みの絶好の機会であるようだ。
携帯電話を使っている人の車は遅い。その車を抜くために一旦反対車線へ飛び出し、正面から来
る車をものともせず直前で強引な割り込みを完了する。急に停止して U ターンするやつ、突然
ウインカーを出すやつ、ウインカーを出さずに曲がるやつ。そんな状態でも衝突が起こらないの
は、みんなそういう運転をしていて注意が行き届いているからだ。みんながルールを守るはずだ
と思いこんでいる国では絶対にできない。ロータリーバスが走っている。普通のバスもある。バ
スは1元、冷房付きは2元とのことで、交通機関の運賃はかなり安いそうだ。バスは女性運転手
が結構多い。
ようやく西湖の近くに出る。この近辺は中心部と違って車は比較的ゆっくりと走っている気が
する。我々の車は小さなバンなので12人乗り以下の車に制限されている道にも入っていける。
大型バスだと駐車場で降りて歩かなければならない。船着場のところまで車で行って降りる。そ
こから船をチャーターするため、林さんが船頭と交渉している。ようやく交渉成立。小さなツア
ーなので屋形船で十分なのだ。船頭のおじさんが一人、後で艪を漕ぐ。
船はゆっくりゆっくりと波のない静かな湖水を進んでいく。湖の中へと進み、右の蘇堤の弧橋
をくぐって、堤に囲まれた岳湖と呼ばれる水域へ。蘇堤は、東坡肉で有名な詩人、蘇東坡が築い
た南北12キロの堤で6つの橋がある。岳湖の楼閣のような建物の近くを通り、西里湖に出て、
さらに蘇堤に架かる櫓の乗った橋を通って再び西湖中心へと漕ぎ進む。途中お茶をご馳走になり、
のんびりとした時を過ごす。お茶はコップに茶葉を入れお湯を注ぐだけ。葉っぱが口に入らない
ように唇で押さえつつ飲むのが中国流である。開いた茶葉が美しい。そして、さわやかな風が吹
き抜け、蘇堤の柳並木の新緑がきれいだ。曇っているのが残念なところで、遠くの遠景が霞んで
いる。遙か遠くに雷峰塔が見える。大きな団体であればエンジン付きの船で湖の奥まで行くのだ
ろうが、このゆったりとした時間を味わうことはできまい。
遊覧中、林さんが中国各地で発生した反日デモの影響について話してくれた。このツアーもか
なりキャンセルが出てしまったという。そのためこの料金では往復の航空チケット代にしかなら
ないので大赤字だそうだ。中国人が反日デモで騒いでいると騒ぎ立てたのは実は日本のマスコミ
で、おかげでひどい迷惑を被ったとも言う。確かに騒いだ人もいるのだが、これは農村から出て
きて仕事が見つからなかったことに腹を立てた頭の少しおかしな連中だ、という言い方をしてい
た。ただし実際に見たわけではないので真相はわからない。
一周して船着き場へと戻る。印鑑に興味がある人がいないので篆刻の殿堂、西冷印社には寄ら
ないで、車に乗って霊隠寺へと向かう。霊隠寺へ到着して車を降りる。人がたくさんいて土産物
屋が並ぶのは、いかにも観光地という感じだ。いつもこんなに人が多いのかと聞いたところ、休
みの日はこの8倍はあるという。林さんが窓口に並び切符を買う。価格表を見ると成人と小人に
分かれており、小人は1メートルから1メートル30と記載されている。こちらでは子供は身長
で判断するようで、歳は見た目では分からないので、この方が合理的なのであろう。寺院の中に
入る。この寺院、東晋時代の建立だが建物は19世紀のものだ。仏教の一大寺院ということで修
業してる人たちも多く、そういった修行僧が岩山をくりぬいて石仏を作っている。ここにある飛
- 12 -
来峰と呼ばれる山は、石仏だらけで、ここだけ見るだけでも1日がかりだそうだ。今回はその触
りの部分だけで、トンネルをくぐって数体を見る。
再び入場料を払うゲートがある。ここからが霊隠寺の伽藍となるようで、寺域はなかなか大き
い。黄色の壁にオレンジ色の柱。中国風寺院だ。まず最初に四天王を参拝する仕組み。四天王の
顔はとても優しい感じで、特に琵琶を持っている人が穏やかである。ぐるりと廻って次が大仏の
鎮座するお堂。これはとても大きな黄金の仏像(釈迦如来像)で、中国一を誇る。写真を撮って
から撮影禁止ということを知った。次の建物が十二支に対応した観音像が並ぶお堂。信者は長い
線香を手に持ち、仏像の前の座布団に何度もひれ伏したり起立したり。このように信心深い人た
ちが多いのだが、特に若い人が目立つ。これは急速に普及した現代文明により若者たちの心が病
んできているので、救いを求めてここにやってくると説明を受けた。
寺は5つの伽藍で構成されている。我々は比較的新しい大きな彫り物のある壁のところで見学
を終える。その上には宝物館があり、さらにその上は三蔵法師を祀っている。堂の脇の歩道を下
っていくと、五百羅漢が祀ってある堂がある。こちらの五百羅漢は日本のものと違って、ユーモ
ラスというよりは500人の賢人たちの像という感じである。大きさもかなり大きく、しかも室
内展示。堂の形は卍型になっており、カギ手の付け根、真ん中の中央には塔があり各4面に中国
仏教4大霊山を象徴する仏像が置かれている。1番と500番の羅漢を捜し回り、そのうちさっ
き入ってきた所がわからなくなり右往左往、ようやく中心部で林さんと会うことができて外へ。
寺を後にして、西湖をぐるっと回って、お茶の販売店へ。杭州名産の龍井茶を飲ませて解説し
て売ってくれるのだが、ここは以前も来たところ。軍人の病院の敷地内にあるのだが、今回もな
ぜこの敷地内にあるのかは謎のままであった。林さんの話では政府の直営だからという説明だが。
まずお茶の試飲と種類の説明を受けてから、また5個買うと1個おまけ付きという販売方法。で
も今回は昔の土産がまだ残ってるのでパス。お茶なんてそう飲むものではない。龍井茶は、中国
茶の第一位に当たるお茶で豊かな香りを楽しむ。この店で売られているお土産も見ないでさっさ
と店を後にする。
杭州市内に戻って食事。繁華街にあるホテル。車は大胆にも歩道を走ってホテルの正面に。そ
して2階に上がり食堂へ。今回は小籠包もあったりで飲茶っぽい。ここの昼食はかなりおいしい。
焼きそばもいける。卵のスープ、もやしもまあまあ、チンゲンサイなどなど野菜類も上品な中華
料理になっている。卵チャーハンは少し脂っこい。デザートはパイナップルと思いきや、これが
パイナップルそっくりの餅菓子。洗練された都会の料理である。
車はホテルを出発し、逆流で有名な銭塘江の側にある六和塔へ。ここも依然きたところ。車を
降り、階段を登っていくと塔の前に出る。塔に登るのは自由とのこと。10元払って登った人た
ちもいるが、足も痛いことだし、一度登っているのでパスし下で待つことに。銭塘江から吹く風
が爽やかである。塔の前の公園の四角いテーブルで麻雀をしている老人たちがいる。公園内での
麻雀は禁止されているとのことだが、老人だということで大目に見ているようだ。公園での麻雀
が禁止されている理由は、昼間から麻雀に耽ってしまい働かなくなるからだという。パチンコも
同様に禁止されているとのことだ。こちらの麻雀は時間を決めてから始めるということで、日本
のように徹夜になるようなことはない。この四角いテーブルは売店のものらしく、座っていると
注文を取りに来る。何度も来るので席を立つ。
次ぎに博物館へ向かう。博物館は中心街の近く小高くなった山の中腹にある。屯渓の博物館と
同じように古物の土産物を売っている所と聞いていたので、実際に行って見ると驚きである。入
口はれっきとした博物館だ。チケット売り場や機械式ゲートなどもあって内部も近代的。展示物
はきれいなガラスケースに入れられて照明も美しい。実はここは2001年に出来たばかりだと
いう。日本語の出来る若い係の男性が案内役で石器時代から説明を始める。ツアーの男性が、質
問をすると答えに詰まってしまった。日本語はうまいが、結局、説明を暗記しているだけで日本
語自体を理解しているわけではなく、簡単な質疑さえ出来ないのだ。それを知ってのいたずらで
ある。貴重な玉器、秦の出土品など時代を追って説明していく。陶器のタイルを引き詰めた役人
の家の床が博物館の吹き抜けのホール真ん中に移築されている。別の部屋には高貴な女性の横穴
式の墓を実物大で再現し、そこから見つかった副葬品とともに展示している。2階へ上がり展示
室に入ると清の時代の民家の模型が置かれている。実際に残る金持ちの家の模型であり、塀が高
いのが特徴だ。庭園や客間、それぞれの部屋も高い塀によって仕切られているのがよくわかる。
- 13 -
火災が起こったときにはその一角だけが燃え、全体に燃え広がることがないようにする工夫だ。
庭には先ほど寺で見た海中から持ってきた穴だらけの石が置かれている。この石は何年たっても
崩壊することがないそうで、中国庭園の石の定番だ。
トイレ休憩の後、やはり別室へ。人民から集めた貴重なものがそろっているが展示スペースが
なく、館の運営費の補填ということから売却していると、同じ説明員が前口上。何かそんな話を
聞くといままでの解説までがうさんくさく思えてしまう。まず黒檀のショーケースを開けて、中
のメノウで出来た赤い壺、緑の玉の円盤、白檀を幾重にも彫り込んだ玉などを説明、最後にケー
ス含めて全部で送料込み70万円で売りたいと。すべてに保証書が付いているとのことだ。黒檀
の仏壇だってそれくらいするだろうから、この陳列棚が本当に黒檀であればかなり安い。これら
が全部偽物でもこの値段ならばお買い得であろう。しかしそんなに安ければバイヤーが買い付け
にやってくるはずであり、やはりおかしな商売であると感じる。どうして博物館がこういった商
売をするのか不思議でならない。インチキの土産ならいくらでもあるだろうが、ここは博物館で
ある。もしかすると中華人民共和国が出来た時のどさくさで、日本人や中国の富裕層から没収し
た民具を博物館が管理をしていて、運営費に事欠くようになったため売却しているのかも、とも
考えた。安い安いと口々に言うものの誰も買わない。
博物館を出て坂を下っていくと繁華街に出る。ここが河坊街というところで、土産物屋などが
並ぶ歩行者天国のストリートである。ここでの散策は1時間半ほど。通りを行って帰ってくる。
一番奥には屋台が並び地元の人たちが買い食いしているが、どれも汚い感じでおいしそうなもの
はなかった。通りにはお茶、薬、雑貨、民具、いろいろな店がある。道の中央には、絵を描く者、
彫刻を彫ってくれる者、自分で作った工芸品を売る者などがいる。お茶屋では、新茶の看板が出
ていて、さっきの龍井茶もこちらの方が断然安い。お茶には等級があるので、先ほどの政府がや
っている店と単純に比較は出来ないと思うが。お菓子類なども試食させてくれるので適当に摘み
ながらぶらぶらと歩き時間をつぶす。集合時間になって、ここから車で夕食へと向かう。
林さんは、小さな月餅や甘栗を車の中で配る。旅行社で扱ってる土産物の試食ということなの
だが、みんな食べなかったのでもったいなく思い、残りを平らげたためお腹が一杯になってしま
った。そんな中、夕食の会場へ到着する。入り口に高級車の並ぶちょっと高そうなレストランで
ある。みすぼらしい我々のバンがちょっと恥ずかしい感じだ。今回の食事が一番高価だと聞いて
いたので期待に胸がふくらむのだが満腹になってしまったのが残念。2階に上がり座席へ。まず
杭州の名物の東坡肉。豚肉を軟らくなるまで煮込んだ甘煮で、見た目ほど脂っぽくない。西湖の
草魚は骨がたくさんあって食べにくい。それから泥棒鳥と呼ばれるもの。これは泥棒が盗んでき
た鶏を地中に埋めておき、その上に火をつけたのが始まりという。包んでいる泥を割って食べる
ようだが、すでに割られたもので蓮か何かの葉っぱにくるまっているだけだった。アヒルは皮が
おいしい。杭州そばは煮詰まったそうめんという感じ。ビールは最初の一杯だけで、サービスで
出された紹興酒を飲む。ツアーの方が、ビールがおいしくないので紹興酒をさらに追加してくれ
た。このテーブルの担当の女性がいろいろ売り込みにやってっくる。まずは乾燥した梅。紹興酒
に入れるとおいしい。これもいくつか買うと結構安くなる。こちらは1000円。次ぎに紹興酒
を暖める真鍮と錫の容器。機能では錫の方がいいが、真鍮の方が装飾がいい。2500円で買っ
ていた人がいた。言葉が巧みで売り上手。他の店の女性たちがぼーっとただ立ってるだけなのに
比べ積極的に話しかけ確実に稼いでいく。この辺が能力差ということで、次第に所得差につなが
り、貧富の差が生まれる。食事の方は、卵チャーハン、そしてデザートのパイナップルで終わり。
最後はお腹がはち切れそうだった。
帰りの車は西湖の方向に向かっていく。夜景がきれいなので降りたいという人が。無理に車を
停車するとクラクションの嵐。そう、このあたりは駐停車禁止になっている。酔いを冷ますよう
に夜風に吹かれながら柳並木の西湖湖畔の遊歩道を歩いてゆく。カップルが多く、ベンチで抱き
合っている。見渡せば黒い水面とその向こうに中国風の茶屋の屋根に灯った明かりが美しく輝い
ている。湖畔の車道と大きな道が交差するバス停のところで車が回送してくるのを待つ。向かい
側には女人街のネオンサイン。女性ものの店が並ぶ通りだそうだ。我々が車道に乗り出している
ので客に見えるのだろうか、タクシーが何台も近づいては停まり去っていく。ここも本当は駐停
車禁止のようだ。ようやく車が来て、急いでそれに乗り込んでホテルへと帰っていく。ホテル前
の通りでは今夜も夜店が出ているようだ。
- 14 -
町の中にはマクドナルド、ケンタッキー、ハーゲンダッツなどが見られる。ホテルの横のショ
ッピングセンター1階にもケンタッキーがある。ケンタッキーは中国語で「肯徳基」となり、音
で表記しているようだ。カーネルおじさんのマークは同じである。ホテルに着いて、部屋までエ
レベーターで上る時、たくさんの中国人がどさどさと乗ってきた。みんな3階で降りてしまった
が、多分このホテルのキャバレーで飲むのであろう。
部屋に入る。部屋はきちんと整理されている。しばらくソファーでくつろいでいると電話が掛
かってくる。出たくもないのでほっておくとすぐ切れた。その後、扉をたたく音。マッサージか、
それともいかがわしい勧誘か、それともツアーの人が最期の夜だから飲もうというのか。面倒く
さいのでこれも無視して風呂へ。室内清掃で風呂の蛇口が壊れてることも気がついたようだ。き
ちんと修理されていた。ちゃんと引っ張るとシャワー、押すと蛇口からお湯が出るようになって
いる。これでお湯を溜めることができる。
風呂から上がると扉の下に何かが挟まっている。朝食券であった。そういえば2日目の食券は
部屋に置いてあるはずと言われていたが見あたらなかった。それに気が付きわざわざ持って来て
くれたのであろう。さっきのノックもこれだったのだろう。
外の車の音とこのホテルの何処かから聞こえるカラオケの音がうるさい。テレビを見ながら寝
てしまう。
5月10日(火)
7時モーニングコールで7時半に朝食、8時半にロビー集合である。朝食は昨日と同じ3階の
レストラン。目玉焼き、おやきの様な肉まん、焼きそば。スクランブルエッグにトマトの入った
ものはおいしい。野菜としてブロッコリーの炒めたもの。お粥で口直し。粉っぽい牛乳、暖かい
オレンジジュースはどうも口に合わない。天井を見上げると、布で覆われており、これは工事な
のか意匠なのかよくわからない。いったん部屋に戻って最終の荷造り。
車はスーツケースを積み込みホテルを出発する。朝のラッシュアワーであろう、自転車が車道
にはみ出し、無理な横断を強行している。その中を車は進んでいく。交差点の混雑はものすごく
なかなか進まない。緑にシルバーがタクシー共通色だと思っていたら、紫にシルバーという車も
あった。斜めに塗り分けている意匠は同じである。ようやく西湖の湖畔にまで達し、駐停車禁止
を避けるためか西湖大酒店という大きなホテルで降りる。JALのオフィスや日本語の焼き肉の
看板が出ている。ここで1時間半の自由散策である。
このあたりが柳浪聞鶯と呼ばれる風光明媚な公園。まずは柳の並ぶ外湖畔に沿って歩いていく。
歴史的な建物や新しい茶屋、太鼓橋、洒落たレストランが並ぶ。しばらく湖畔を歩くと高級そう
なホテル、湖上遊覧船の船着き場などが点在している。花がたくさん並べられている湖浜公園ま
で歩き、そこから引き返す。帰りは柳浪聞鶯の内陸側を散策。この地区にはたくさんのレストラ
ンが点在する。何しろ人気のデートコースだから。竹が植えられ、一方ではガラス張り、中国風
かつモダンなのが特徴だ。スターバックス、ハーゲンダッツなどもある。牛の彫刻が池の中にあ
るのは、何かの伝説に基づくもののようだ。10時半、再び西湖大酒店へ戻る。
車に乗り空港へ向けて出発する。市街を走って鉄道の線路を陸橋で越える。高くそびえるのが
杭州駅の駅ビルである。そして高速へ。道は銭塘江を越える。車は遅い車を次々にかわし右に左
に進路を変えて進んでいく。突然、クラクションが鳴って急ブレーキ。高速道路の流出路から逆
送して入ろうとしている車があった。いくらいい加減でもこれは危険である。11時に立派な波
状の屋根を持つ空港へ到着する。一番奥が国際線のゲートで、釜山線開設を祝う横断幕が掲げら
れている。中に入ると新しい。国内線の方にはたくさん人がいるようだが、国際線のこちら側に
はまったく人がいない。荷物チェックの前でガイドの林さんとはお別れ。スーツケースをXに通
すが、検査後封印されるわけではく、そのまま荷物を持ってJALのチェックインカウンターへ
と向かう。前に並んでいるリュック姿の黒人男性がかなり時間を食っている。係の女性も乗客名
簿一覧を広げ調べているようで、見るからに不審そう。たぶん同じ便のようなので気持ちが悪い。
隣のビジネスシート用のカウンターには日本人と思われるスタッフが並んでおり、そこへスーツ
を着た一団が現れる。数人の男性に囲まれた偉そうな小太りの男がいる。中国語を話しているの
- 15 -
で中国の要人のようだ。後ろには全員のパスポートを持っている秘書風の女性。JALのスタッ
フのリーダー格の人が、要人とおぼしき人に名刺を渡している。
チェックインカウンターでは、日本語で窓側か通路側かを聞いてきたので、通路側を指定する。
57Dの席を印字されたチケットを受け取る。そのまま出国審査場へと向かうと例の黒人がいて、
また時間がかかっているようだ。我々のツアーがそこに並ぶと、別の係官がもう一つ窓口を開け
てくれた。電算管理のようで、すぐに押印してOK。中へ進むと、がらりとしたターミナルに売
店が2つと、真ん中のスペースに仮設の土産物屋が店を広げている。ずっと奥には普通の喫茶店
とカウンター式のコーヒー店が見える。ガラス張りになっている滑走路側にはJAL機が止まっ
ているのが見えた。売店は、雑貨の店と酒たばこや菓子類を扱うカードOKの免税店がある。こ
の店で扱っている酒たばこはなぜか中国産のものばかりだ。この店で紹興酒を購入。8年物の花
彫酒だ。紹興の旅行記で詳しく述べているので分類については省略するが、紹興酒は寝かすほど
アルコールが飛び甘くなる。もちろん緑色の産地保証シール付きのものを探し、金額が手頃で量
の多い「国宴」ブランドを購入。
搭乗時間間際でもコンコースの人がまったく増えない。そしてJL-636便は、12時40
分、定刻どおり搭乗開始で、すぐに乗客は中へ入ってしまった。飛行機は行きとまったく同じ機
体番号で機種は767-300である。57Dは、2-3-2で真ん中の列左側、つまりBとい
う席は存在しないのである。見渡す限りガラガラの状態だ。
座席のモニターで機外カメラを選択する。定刻13時前、機体は動きだし後ろに下がった。5
分ぐらい走って滑走路手前で停止。13時10分に離陸。本日のフライト時間は2時間40分と
のこと。13時40分にドリンクが配られるのでキリンビールを。CMどおり、うまさに感動し
た。すぐに食事が配られる。ライスに卵の細切りが乗り、鶏肉とインゲンにあんかけ、サラダ、
鮭の押し寿司、デザートのケーキはクリームが柔らかくおいしい。ワインを飲めとばかりに白と
赤のワインがカゴに入れられてスチュワーデスが持って回っている。白をもらう。
真ん中の列は使い放題なので、自分の前のモニターでは映画を写し、隣の席のモニターには飛
行経路を写しておく。アレキサンダー大王の映画を見ていたが戦闘シーンは想像したほど多くな
く、だらだらと長くかったっるい映画、結局長すぎで全編見ることができなかった。飛行機は、
上海から東シナ海に出て、日本に入り、長崎、松山、紀伊半島と通過していく。名古屋のセント
レア空港が見えるとの声を聞いて窓際の席へ移動する。ガラガラなので移動は自由だ。下界には
伊勢湾が地図のとおりに見えて、そこに突き出たセントレア空港がはっきりと見える。伊豆半島
を通り、大島の脇をかすめて房総半島へ。ところがどうもぐるぐる旋回しているようだ。スチュ
ワーデスが雑誌を配り歩いているので、もう着陸では?と聞いたところ、空港混雑のため待機で
もうしばらくかかるとのこと。時間つぶしに雑誌をどうぞということらしい。窓から差し込む日
の光が右へ左へ、だんだん気分が悪くなる。
ようやく降下を始め、再度房総半島に突入。ところが高度は下がらず、真下を写す機外カメラ
に滑走路が見える。機長のアナウンスが入り、風のため滑走路が変更になり侵入をやり直すとの
こと。失敗ではないと思うのだが、事故続きのJALなので・・・でも人間と同じく小さな事故
を起こしているうちは、注意しているので大きな事故は起こらないだろうと思いつつ。
旋回してふたたび房総半島へと侵入し高度を下げる。日の光を反射した水田が輝き美しい。よ
うやく16時ちょうどに着陸。時計を1時間進め17時に進める。滑走路変更のお陰か、ターミ
ナルまでの移動時間は短くすぐに第2ターミナルのサテライトのブリッジと接続した。出口でち
ょっとだけ「これでは採算とれないですね」とスチュワーデスとお話して、足早に飛行機を出る。
モノレールで本館に移動、入国審査も特に並ばず。荷物もあっという間に出てきた。そもそも荷
物の量が少ないのである。
列車のカウンターに向かうと、5分後に出る17時37分発のスカイライナー28号がある。
乗車券を購入し、免税店で購入したおみやげをスーツケースに押し込んで、地下へ下りる。すぐ
に列車がやってきて3号車に滑り込んだ。第1ターミナルからの客が多いのには驚いた。第1タ
ーミナルで思い浮かぶのは大韓航空なので、やはり韓国ブームの影響もあるのであろうか。今年
のゴールデンウィークは、中国旅行が減って韓国が人気だと言う。スカイライナーは夕暮れの田
園を走り都心へと進んでいく。荒川からは、都心に沈む真っ赤な太陽が大きくきれいに映ってい
た。
- 16 -
Fly UP