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構造生物学におけるタンパク質結晶学の現状と将来・・・・・・・三木邦夫

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構造生物学におけるタンパク質結晶学の現状と将来・・・・・・・三木邦夫
放射光第 11 巻第 3 号
2
0
1
(1998年)
解説
構造生物学におけるタンパク質結品学の現状と将来
三木邦夫
京都大学大学院理学研究科*
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生命科学における構造生物学
あり,そのアミノ酸の配列(一次構造)によって個々のタ
生体を構成する主要な物資は,核酸 (DNA: デオキシ
ンパク質を識別したり,特定したりすることができる。し
リボ核酸, RNA: リボ核酸)とタンパク質である。これ
かしながら,タンパク賓が持っている間有の生理学的機能
らはヌクレオチドやペプチドが重合した高分子化合物(ポ
はアミノ酸の配列からは直接理解できない。なぜなら,タ
リヌクレオチドおよびポリペプチわである。分子生物学
ンパク賞はその鎖が折れ畳まれて三次元立体構造(三次構
はこれらの構造の解明と遺伝子の作用機構の理解の上に発
造)を形成して初めて,そのタンパク質が持っている国有
展した学問であるといえる 1) 。生物を形づくる細胞の進化
の機能,すなわち,タンパク質がつかさどる触媒反応に対
を考えれば,まず,遺伝情報を伝達する機能と実際の生体
する活性が発現されるからである。生体内反応、の触媒とし
反応を触媒する機能を両方持ち合わせる RNA の進化をあ
て働くタンパク質のほとんどは,アミノ酸が単に連なった
げることができる。その後,タンパク質が効率よく合成さ
鎖状で存在するのではなく,折れ畳むことによってコンパ
れる系が発達して,主な遺伝情報伝達機能は DNA に引き
クトな球状になるのである。その折れ畳まれ方には一定の
継がれ,タンパク質が主として皮応の触媒機能をつかさど
秩序があり,らせんやシートなどの特徴的な二次構造が集
るようになった。その結果, RNA はタンパク質合成を指
まることによって一つの立体構造が形成される。この結
令することを主たる機能とする仲介者としての役割になっ
果,一次構造の上では非常に離れた位置にある 2 つのア
た。よく知られているように,現存の生物細胞では,
ミノ酸残基が,立体構造を形成すれば極めて近い旺離にあ
DNA が遺伝情報の貯蔵庫, RNA がタンパク質合成の指
るということは,ごく普通に起こることになる。多くの場
令を行う仲介者,タンパク質が生体反応の高度な触媒機能
合,タンパク質がつかさどる触媒反応は,大きなタンパグ
の担い手という役割分担がなされている。
質分子のごく一部分がその中心的役割をもって働いており
私たち生物の生命維持の分子機構を理解するためには,
(活性部位とか活性中心とか呼ばれる) ,そのような部位は
生物の細胞内で起こる化学反応を分子論的に理解すること
一次構造の上でははるかに離れた何箇所かのアミノ酸残基
が必要である。上に記したように,タンパク質が生体内の
が集まって形成されていることが通常である。これが一次
反応を触媒しており,これを理解することはタンパク質が
構造だけからではそれぞれのタンパク質に間有な生理学的
つかさどる反応の機構を理解することに他ならない。
機能を理解できないとするゆえんである。
タンパク質は 20種類のアミノ駿が重合したポリマーで
*京都大学大学院理学研究科化学専攻
守 606-8502
したがって,タンパク賓の機能を理解するためには,正
京都市左京広北白川追分町
TEL 0
7
5
7
5
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[email protected]岨u.ac.jp
(C) 1998 The Japanese Society for Synchrotron Radiation Research
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放射光第 11 巻第 3 号
確な立体構造を,それも原子レベルでの三次元構造を知る
(1998年)
的研究を進めるという姿勢が前面にでるようになった。す
ことが不可欠である。「構造生物学 J というのは,生体高
でに示したように,タンパク繋の機能を理解するために原
分子の立体構造を基盤として,生物学における生体反応を
子レベルでの立体構造が不可欠であることは,生命科学で
理解する,
とするものであり,ここ数年,生命科学の分野
の普遍的な本命題であるが,ょうやくその王道的なアプ口
で特に注目を集めている学問であるといえる。このことば
ーチが表にでるようになったと言える。これが数年前にな
は,やや広義に解釈して使う人も見受けられるが,その意
ってようやく「立体構造から生物学を論ずる j という『構
義の原点は上記のようなものであろう。タンパク質の機能
造生物学J という概念があらためて認識されることになっ
の理解にその立体構造が不可欠ということは,生命科学に
た主たる理由である。この数年来,生物科学関連のジャー
おける普遍的な命題であることは明らかである。それにも
ナルには,毎号といってよいほど新しいタンパク質の立体
かかわらず, í構造生物学J ということばの出現ならびに
が決定されるとそのデータベースであるタンパク質データ
構造の報告が掲載されている。また,“Acta C
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" (1994年 1 月)など,
バンク, PDB (アメリカ合衆国@ブルックヘブン国立研
新しい生体分子構造に関する専門誌が近年相次いで創刊さ
究所)に原子座標が登録される。図 1 はタンパク質データ
れている。
脚光がここ数年のことであるのには理由がある。立体構造
バンクに年ごとに登録された立体構造の数の推移である。
図 1 に示されたエントリー数の合計は,現在では 7 , 000
この図で明らかなように,今からほぼ 10年前の 1980年代
を越えるまでになった。生体高分子の立体構造を決定する
半ばまでは,毎年新たな決定されるタンパク質の立体構造
ための有力な方法は X 線結晶解析と NMR 法であるが,
はわずか 30程度に過ぎない状態が続いていた。ところが,
7 , 000 を超えるエントリー数のうち,その歴史が浅いこと
これは 1980 年代後半から一変し, 1990 年代には指数関数
もあるが(初めての登録は 1991年) NMR 法による構造決
的にその数が増加している。この 2'"'-'3 年は毎年 1 , 500 を
定は十数%である。残り 80% 以上が X 線結晶解析法によ
越える立体構造が登録されている。すなわち,少なくとも
るものであり,これまでこの方法が圧倒的に多くの立体構
1980 年代まではタンパク質の立体構造を決定するという
造情報を提供してきた。したがって, 1980年代後半から
ことは決して身近なものではなしそう容易に取り組める
の立体構造エントリー数の飛躍的な増加も,この X 線結
研究ではなかったのである。この状況が変わってかなりの
品解析法の進歩に負うところが大きし、。 X 線結品解析法
数のタンパク質立体構造が毎年世に出されるようになり,
の近年の進歩の状況やその原悶に触れる前に,まず,この
生命科学の分野において立体構造決定を身近なものに感じ
方法の概要について述べる。
ることができるようになると,生化学,生物化学の研究者
の聞にも,ターゲットにしているタンパク費分子の立体構
2
.
X 線結晶解析法
造がないために自分たちのタンパク質の機能研究が行き詰
X 線結品解析によるタンパク賓の立体構造決定の道筋
まっていて,これを打ち破るためには立体構造を決定する
を図 2 に示す。ここでは極めて簡単にその流れを紹介する
ことが必要だという機運が高まってきた。まず,立体構造
ことしかできないので,詳しくは参考文献を参照された
を明らかにして,それから機能探求のさらに奥深い生化学
し \2-10) 。
X 線結晶解析を始めるには,まず目的タンパク賞を精
製することとが必要である。次の段階である結晶化におい
2000
ては,条件検索に大量の試料を必要とする場合が多い。タ
1800
ンパク賓の X 線結晶構造解析の道筋には,大きな障壁と
なる 2 つの本資的な問題があると言われるが,その第一
1400
は結晶化である 2-4) 。現在では,汎用的なスクリーニング
1200
試薬の利用など,いくつかの系統的な結晶化条件検索法が
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開発されてはいるが,根本的には地道な試行錯誤の繰り返
800
しに頼る部分が多く残されている。しかしながら,
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うな分子もそれ自身で整列する性質を持っているため,こ
の試行錯誤の繰り返しの結果, X 線結晶構造解析に供す
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ることのできる結品が得られることも多い。タンパク質の
結品化は,有機,無機化合物の場合と異なり,これを添加
することで溶液中のタンパク質の溶解度を低下させる沈殿
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Bank(PDB).
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期を用いて,その濃度を極めて微妙に制御することによっ
て結品に導く。もちろん,沈殿剤以外にも結品化に影響を
与える困子は多くあり,
McPherson11) によると表
i に示
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(1998年)
ングプレートなどの優れた検出器の出現,それらのコンビ
タンパク質の精製
ュータ制御法の開発など)とともに,ここでは,シンクロ
ト口ン放射光の利用が極めて大きな寄与をするようになっ
結品化
たが 10) ,これについては後で述べる。
次の段階は,もう一つの本質的な障壁と言われる位相決
定である。位相決定とは,いわゆる「構造を解く」という
|X 線回折ヂ一女収集|
ことを意味する。結品中の電子密度がそのフーリエ変換か
ら得られる結品構造因子は一般に複素量であるが,実験で
位相決定
得られる X 線回折強度からはその絶対値(構造振幅)だ
けが求められる。したがって,これに位相角を付けて複素
量にする必要があるため,位相決定と呼ぶのである。これ
電子密度の計算
については,
ê 的とするタンパク質に類似する構造が全く
存在しない場合と,類似の構造が存在する場合で分けて考
分子モデルの構築
えることができる。
一般に新しい未知のタンパク質の場合,類似構造は存在
構造構密化
しないかあるいはその存在がその時点ではわからない。こ
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の場合には位相問題解決の手段は,多重同型置換法
(MIR 法)の適用が長年唯一の方法であった。これが唯一
でなくなったのは,シンク口トロン放射光の汎用的な利用
による多波長異常分散法の登場によるのであるが,これに
表 1
ついても後で述べる。重京子多重向型置換法は,元のまま
タンパク質結品化に影響を与える因子(文献11 による)
の結品 (native 結晶と呼ぶ)とは加に白金や水銀などの
1
) 沈殿剤の濃度
護金罵原子を含む重原子化合物を付加した結晶(重原子誘
2
) タンパク賓の濃度
3
) 温度
4
) pH
導体結晶と呼ぶ)を作成し(通常 2 種類以上) ,その回折
強度の変化に基づいて元の native 結品の反射の位相を決
定するものである。この重原子誘導体結品の調製には通常
5
) 庄力
ソーキング法が用いられる。タンパク質結品の容積のほぼ
6
) 還元剤や酸化剤の含有度
7
)
8
)
9
)
1
0
)
基質,補酵素,配位子
半分は溶媒(水)分子に出められており,この溶媒分子は
タンパク質の純度(精製度)
束縛されることなく自由に結晶外の溶液と入れ替わるた
タンパク質の精製,貯蔵の仕方
め,タンパク質の結品 (native 結晶)を重原子化合物の
タンパク質(加水)分解
溶液に浸すと,重原子化合物は結品中に浸透して結晶中の
1
1
) タンパク質の新しさ古さ
タンパク質分子表面に結合するのである。この時,結品中
1
2
) 変性の謹度
1
3
) 按動や騒音
に浸透してタンパク費に結合した重原子化合物が,元の
1
4
)
native 結晶の結晶格子を壊さないことが重要な点で,そ
結晶化試料の量
1
5
) 金属イオン
の場合にだけ重原子の向型置換体として,“向型置換法"
1
6
) 種結品
に用いることができる。
1
7
) アモルファス沈殿
1
8
) 緩衝液
図 1 に示したように,多くのタンパク質の立体構造デー
1
9
) 清潔度
タが蓄積されてくると,結晶構造を求めようとするタンパ
2
0
) タンパク質が単離された組織や種
ク質と類似の構造が存在する場合がでてくる。これは,由
2
1
) 重力,対流
来が異なる同じ働きのタンパク質では一般に見受けられる
ことであるし,その場合を含めて,一次構造を比較すれ
ば,その立体構造の類似性を十分に高い確率で推測するこ
すものがそれに該当するとされている。京則的には,結品
ともできる。また,進化の過程では,新しいタンパク質
化に影響するそれぞれの園子を最適化することが必要であ
は,それまでに存在する機能的かつ合理的な構造をとって
り,これが結晶化を試行錯誤の伴う閤難な作業にしている
いる古いタンパク質の改造でつくられていることが多いと
といえる。
いえる。これは進化において,立体構造の保存性が一次構
結品が得られると,その結品の X 線回折データを測定
造の保帯性を上回っているという現象を示してきた。一次
する。実験室系の X 線田折装置の進歩(安定で強力な X
構造に顕著な類似性が観測されなくとも,その立体構造に
線発生源の確保, X 線ビーム集光技術の確立,イメージ
は明らかな相向性がある,すなわち,一次構造の類似性を
-3-
2
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4
放射光第 11 巻第 3 号
(1998年)
はるかに超えて,立体構造が相同なタンパク質が存在する
例は極めて多く見いだされている。したがって,そのよう
な構造に類似性があるタンパク質が春在する場合には,分
子置換法 (MR 法)と呼ばれる,類似の構造を最初のモデ
ルにしてターゲットの結品構造を解く,つまり,その位相
問題を解決するという方法が可能になる。
このように位相問題を解決することができれば,結晶内
の電子密度分布を手に入れることになる。電子密度のかた
ちは,そこに存在する分子の形状を反映することになり,
これに分子モデルを構築することが可能になる。近年のコ
ンピュータの進歩の中でも,高性能のグラフィックスワー
クステーションの汎用化が,この作業の困難さを軽減する
ことに大きく貢献した。この持,妥当な分子モデルが構築
できる電子密度を得るためには(これにはもちろん先に述
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べた位相がどれくらい正確に決まったかに大きく左右され
るのだが) ,分解能(測定された反射の最少の商間関)と
しては,一般的には 3.oA 程度が必要であると考えられ
る。
分子モデルが構築されると,これから各原子の座標を求
めることができる。これから結晶の回折強度データに相当
する構造因子の絶対値(構造振縞)を計算で求めることが
できる。これを最小自乗法によって測定された実測の値に
割問 (AS)
近づけるように,分子モデルの精密化を行う。最終的には
5 園 80/0
計算値と実測値の一致の程度を R 因子で評僻する。これ
が十分に高い精度であることを確認して,結品構造の決定
MAD
は完了する。
5 園 9 0/0
3
.
タンパク質結品学の近年の進展
1950 年代終わりに成し遂げられた Kendrew と Perutz
によるミオグ口ピンおよびヘモグロビンの結晶構造解析の
成功がタンパク費結晶学の歴史の始まりであるが,その後
の長い間,多くの悶難が伴い長い期間を要する研究法であ
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るという感が常につきまとった。そのため,タンパク質の
機能理解における立体構造の重要性にもかかわらず,生命
科学の分野において,立体構造に立脚した研究は遅れをと
一般的に大きなタンパク質の結品をつくることはたやすい
らざるを得なかった。タンパク質の三次元構造を知るとい
ことではないが,シンクロトロン放射光は,
うことには,一種の大きな障壁が長年存在したのである。
X 線では有為な回折強度を測定できない徴 IJ... 結品からの
この状況が 1990年代に入って大きく変化したことは,
高精度の測定を可能にし,また概して X 線の損傷を受け
実験室系の
先にタンパク質データバンクの立体構造数で示した(図
やすいタンパク質結晶に対して,致命的な損傷を受ける前
1)。このような X 線結晶解析による構造決定の急成長を
に迅速に測定を完了することも可能にしたのである。図 3
もたらした直接的な原国には,大きく 2 つのことが考え
には 1996 年に発刊されたの 4 種の主要なジャーナルにお
られる。 1 つは遺伝子工学の進歩であり,他の 1 つはシン
ける結品構造の報告で,どのような X 線源が使われて構
クロトロン放射光の汎用的な利用である。タンパク質結晶
造解析が行われたかという統計をとったものである。報告
化のためには十分に精製されたタンパク質標品を,他の物
の半分以上がシンクロトロン放射光によるものであるとい
理化学的な測定法に比して極めて多量に必要とする。遺伝
う結果は,ほとんどの研究者がその利用のためにはタンパ
子工学の技術は,生体内で極めて重要な役割をしているに
ク質結晶を持ち運ぶ旅行を強いられるというその立地的な
もかかわらず,本来細胞内の春在量が少ないがゆえに,そ
条件を考えると,現在いかにシンクロトロ γ放射光がこの
れまで X 線結晶学の対象になり得なかったタンパク質を
分野で汎用的なものになったかということを女口実に表して
量的に確保し,その結品化と立体構造決定を可能にした。
いる。
-4-
放射光第 11 巻第 3 号
2
0
5
(1998年)
さらに,シンクロトロン放射光の利用と遺伝子工学との
分子の会合構造とそれから導かれる新たな機能が,この分
融合がもたらした進歩として,多波長異常分散法 (MAD
野での研究対象となったきっかけであると思われる。近年
法)による位相決定をあげることができる。すでに述べた
の立体構造研究の成果に呼応するように,この数年はこの
ように,新規のタンパク禁の位相決定には,従来,複数の
ような超分子複合体の立体構造解析の大ラッシュであっ
重京子誘導体結品を調製する重原子多重向型置換法が唯一
た。 1994年8 月にはウシ心筋ミトコンドリアの ATP 合成
のものであった。しかし,波長可変なシンクロトロン放射
酵素 12) ,同じく 10 月には大腸菌のシャペロニンである
光の出現は,この状況を大きく変え,結晶構造解析にとっ
GroEL13) の構造が決められた。 ATP 合成酵素は文字どお
ての一つの大きな障壁を低くすることになった。シンク口
り我々の生命エネルギーである ATP を生産するもので,
トロン放射光を利用して,測定に用いる波長を自由に選べ
9 つのサブユニットからなり分子量は 30数万である。シャ
ぶことによって,異常分散効果を最も効率的に測定するこ
ベロニンは他のタンパク質の折れたたみを触媒するタンパ
とが可能になる。また,遺伝子工学の技術を用いて,大腸
ク質で,等しい 141闘のサブユニットからなり分子量は 80
菌のメチオニン要求株に目的タンパク鷺の発現系を作り,
万を越える。いずれも生体内反応の鍵を握る撞めて重要な
メチオニンの代わりにセレノメチオニンを含んだ培地でこ
超分子複合体である。 1995 年 4 月には古細菌のプロテア
れを培養することによって,タンパク質内のメチオニンの
ソーム 14) の構造が決められ,驚くべきことにその分子構
イオウ原子をセレン原子に置き換えたセレノメチオニンタ
築と形状はシャベロニンのそれに極めてよく似ていること
ンパク質を調製することもできるようになった。そのセレ
がわかった。プロテアソームは不要になったタンパク質を
ンの回折データを異常分散効果を効率的に検出する複数の
分解するというタンパク質分子の終駕に関与する複合体で
波長で測定して,位相決定へと導くのが多波長異常分散法
あるが,これが合成されたタンパク費が正しく立体構造を
である。セレノメチオニンタンパク質を用いるこの方法で
形成するのを助ける,すなわち,生まれたばかりのタンパ
は,ただ一つの結晶だけを測定に用いることで,結晶の同
型性が損なわれる危倶を全く排除して,質の高い電子密度
図を得ることができる。毘ヰには,国 3 と同じく 1996年
発刊のジャ…ナルでの統計で,
(
a
)
どのような方法が「構造を
解く J ということに用いられたかが示されている。これを
見ると,まず,立体構造の解析例の蓄積は,分子置換法に
よる位相決定を過半数にしていることがわかる。さらに,
未知の新しいタンパク質の解析の場合,これまでの重原子
多重同型置換法に加えて,異常分散効果の測定を必須とす
る単一向型置換法や上に述べた多波長異常分散法の割合が
増加している。多重向型置換法の場合でも,用い
誘導体の金属原子の異常分散効果が最も有効に測定できる
波長を用いることもごく一般的に行われるようになってい
る。このことを含めて,シンクロトロン放射光は,結品構
(
b
)
造解析の閤難な問題であった位相決定に,大きな解決の糸
口を提供した。
このように,遺伝子工学の進歩とともに,シンクロトロ
ン放射光の汎用的な利用が,タンパク質結品学の飛薩的な
進歩を導き 10) ,ひいては「構造生物学 J という学問分野
の認識を高めたのである。
4
.
タンパク質結晶学のさらなる飛躍
タンパク質結晶学の分野における今後の構造生物学研究
のターゲットとしては,まず,超分子タンパク質複合体の
構造決定をあげることができる。すでに述べたようにタン
パク質結品学は,このような臣大分子量の複合体の原子レ
ベルの構造決定に極めて有利で,最も強力な方法である。
生体超分子複合体は,複数のタンパク質サブユニットが会
合して,より高震な機能を発現する。すでに 20 年以上も
前のことになるウィルス結品学の始まりは,このような超
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放射光第 11 巻第 3 号
ク賓の生育にかかわる接合体と構造上よく似ているという
(1998年)
(
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)
ことは,生命の誕生と死についての自然、の運命的な支配の
ようなものさえ感じさせる。さらに 1995年 8 月には,呼
吸鎖の末端に位置してエネルギ一変換に重要な働きをする
酵素,チトクロム c 酸化酵素の構造決定が日独でそれぞ
れ独立に発表された(前者はウシ心筋ミトコンドリア由
来日),後者は土壌細菌由来日) )。図 5 に 13 のサブユニット
をもっ膜タンパク繋複合体であるウシ心筋ミトコンドリア
由来のチトクロム c 酸化酵素の立体構造を示す 15) 。同じ
く 1995 年 4 月に報告された光合成細菌の集光性アンテナ
複合体的と同様,生体膜中に存在する完全な膜タンパク
質であり,膜タンパク質の構造生物学の今後のさらな
要性を示唆している。すでに 10年以上前になる光合成反
応中心複合体における構造解析の成功 18) ,その後のポー
リンの構造決定19 ,20) に続いて,これらの膜タンパク質複合
体の構造が明らかになったことは,基本的には複雑な複合
体構造をとり,かっその結晶化に大きな国難が伴う膜タン
パク質への挑戦が,たゆまなく続いていることを示すもの
である。その後もこのような超分子(膜)タンパク質複合
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体の結品構造決定は着実に進行している。その主なものだ
けを紹介すると,ラン色細菌の光化学系 I 複合体21) , aュ
ヘモリシン複数の種由来のチロクロム bC1
酵母由来のプロテアソーム(古細菌のものと異なりヘテ口
な複合体構成をとっている )25) ,大腸菌のシャペロニン
GroEL とその補シャベロニン GroES との複合体26) ,タン
パク質と二重らせん DNA との接合体であるヌクレオソー
ム@コア 27) ,高度好塩菌のバクテリオロドプシン28) ,カ
リウムチャンネル29) ,古細菌のシャペロニン30) など多く
の例がある。決定できる分子の大きさに制限なく原子レベ
ルでの三次元構造が得られる X 線結品学では,膜タンパ
ク質を含む百大分子複合体における超分子機構の解明,超
分子が関与する生体触媒反応機構の解明こそ,その有効性
を最大に示すことができるものであると考えられる。
5
.
おわりに
構造生物学における超分子タンパク質複合体の構造が現
代の科学において大きな注目の的であることは,超分子複
合体の X 線結晶構造解析の成果に対して 2 つのノーベル
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賞が授与されたことからも窺うことができる。すなわち,
1988 年には図 6 に示す光合成反応中心複合体の構造決
定18) に対してJ. Deisenhofer , H.Michel ,
R
.Huber
に,昨
年 1997年には ATP 合成酵素の構造決定12) に対して J.
E
.
ンパク質結晶学のビームラインの極めて重要な貢献はここ
でも申し添えたい。図 7 には,図 3 ,図 4 と同様に,
1
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年発刊のジャーナルの統計によるタンパク質結品構造解析
Walker(
P
.D.Boyer , J
.C.Skou への共同授賞)に,それ
に用いられたシンク口トロン放射光施設を示している。こ
ぞれ化学賞が授与されている。この Walker らの受賞に関
れまでに高い評価を裏付けるように,フォトンファクトリ
して「タンパク費結品学における放射光利用とノーベル賞j
ーのビームラインが,その評価どおりの貢献をしているの
と題した本誌への短文31) で,我が盟の放射光施設におけ
が伺える。この時点ですでに,第三世代放射光である
るタンパク費結晶解析のためのビームタイムの現状も合わ
ESRF が出現しているが,これに加えて,我が国でも,
せて簡単に紹介したので,ご参照いただければ幸いであ
第三世代の大型シンクロト口ン放射光 SPr・ing-8 が昨年秋
る。ここでの重複は避けるが,フォトンファクトリーのタ
に稼働し始めた。ここでのタンパク質結品学のどームライ
-6-
放射光第 11 巻第 3 号
(1998年)
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ンも順調な立ち上がりを見せている。さらに,これまで静
的構造を対象としてきたタンパク質結品学に対して,時間
分割ラウ工法によって生体内化学反応の動的解析に道を聞
き,将来への大きな夢をもたらすことも可能であろう。今
後,タンパク質結晶学による構造生物学研究にますます拍
車がかかることが期待できる。
図の作成と統計に協力して下さった京都大学大学院理学
研究科の喜田昭子博土,大学院生の北野健,禾晃和,
藤橋雅宏の諸氏に感謝する。なお,本内容の一部は, í 高
輝度放射光がめざす戦略的応用研究-Technology V
ision
SR 2010-(尾嶋正治,太田俊明,神谷幸秀編著 )J (東京
大学 VSX 高輝度光源利用者懇談会· WORDS) に記載し
たものの改編を含んでいる。
参考文献
1
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2
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3
)
4
)
5
)
6
)
7
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胞の分子生物学,第 3 版,教育社, 1
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