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中国 に 何 が 起 こ っ て い る の か

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中国 に 何 が 起 こ っ て い る の か
中国との共生を考える
特集1 隣国
中国に何が起こって
いるのか
松本 健一
のことである。今、日本政府(=民主党政権)が、
麗澤大学教授
中国漁船による尖閣諸島周辺の日本領海侵犯問
題は、何を露呈したのだろうか。言うまでもなく、
「 こ こ( 東 シ ナ 海 ) に 領 土 問 題 は 存 在 し な い 」 と
尖閣問題が露呈したもの
それは中国の東シナ海における海上覇権(シー・
言っているのは、そういう歴史的経緯をふまえて
─
パワー)への強固な意志を表した。しかし、尖閣
のことである。
模のメタンハイドレートの埋蔵量を確認して以後
諸島の日本領土宣言は、明治 (1895)年に
早くもなされており、それから百年近く、正確に
それにもう一つ、今回の尖閣問題が浮上させた
のは、中国漁船の衝突映像の流出をめぐる日本政
とえ、その映像流出が一海上保安官の「憂国」的
は1971年まで、
台湾の国民政府によっても、大
こなかった。
序を揺るがす問題を惹起したのであれば、一個人
府(=海上保安庁)の情報管理の甘さである。た
台湾の国民政府、さらには大陸の中国政府が尖
閣諸島を自国の領土だと主張したのは、1968
の「憂国」的行動に拍手喝采を送るだけでは済ま
陸の中国政府によっても、領土的主張はなされて
年に国連が東シナ海に海洋調査船を出し、尖閣列
ないだろう。
じゃっ き
かっさい
感情によるものであっても、彼の私情が国家的秩
島の海域に石油や天然ガス、それに世界最大級規
25|中国に何が起こっているのか
28
明する」という強硬な主張をしたのである。加え
人権を著しく侵犯した。中国政府は強い抗議を表
ただ、その国家的秩序の問題と、一個人の「憂
国」的感情、つまり私情との関係については、結
て、 中 国 外 務 省 は 船 長 が 釈 放 さ れ た( 9 月
日)
局のところ、
日本の国内問題であって、
中国に何が
起こっているのか、そしてこれに対応すべき日本
と賠償を行わなければならない」と声明したので
後で、「日本側は今回の事件について中国側に謝罪
務大臣)が領土主権を主張することによって中国
題を処理していた。それが今回は、日本政府(外
実力行使をとるか、
捕縛して強制送還するかで、問
侵犯した中国漁船乗組員を日本領海から追い出す
こっていた。とはいえ、自民党政権下では、領海
間 だ け で も、 た し か 十 数 回 の 領 海 侵 犯 問 題 が 起
月 日)と拒否の立場を明らかにした。しかし、な
もちろん外務省は、中国政府が謝罪と賠償を要
求したことに対して、「全く受け入れられない」(9
れていないような気が、わたしにはする。
のことに対する日本外務省の分析がほとんどなさ
には、何らかの国内的理由がなければならない。そ
普段は温厚な温家宝首相がこれほどまでに強硬
な発言をし、中国政府として日本側を批判したの
ある。
人船長を逮捕・訊問したために、外交問題に発展
中国漁船が尖閣周辺の日本領海侵犯を行ったの
は、今回が初めてではない。小泉内閣当時の5年
外交のテーマではない。
25
島)は歴史的にも国際法的にも、わが中国の神聖
ちょっと常軌を逸していた。
「釣魚島(=尖閣諸
それにしても、日本が中国人船長を逮捕した後、
中 国 政 府 お よ び 温 家 宝 首 相 が 行 っ た 発 言 は、
したわけである。
のような強硬な要求をしたかについての背景の分
しているだけである。ここでも、中国側がなぜそ
国側の理屈に沿ったものだ」
(外務省幹部)と批判
領土であるという立場で論じている。あくまで中
ぜ中国政府がそのような強硬な要求をしたかにつ
いては、
「中国側の声明は、尖閣諸島が自分たちの
な領土である」とか、
「中国の領土と主権、国民の
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中国との共生を考える
特集1 隣国
その分析の公表をしていない。
析が、一切ないのである。少なくとも、外務省は
そういった中国の国内情勢が尖閣問題における
日本への強硬な対応と、どう関係しているのか。日
ていた。
日のように、温家宝首相に対する批判記事が載っ
ん ど 語 ら な か っ た。 そ こ で わ た し は『 東 京 新 聞 』
本のジャーナリズムやメディアはそのことをほと
軍部が海上覇権を強めている
尖閣問題をめぐって中国側が強気の対応を続け
ていた9月から 月にかけて、中国内部では権力
9月 日の「こちら特報部」で、温家宝首相の「強
銃口から生まれる」という毛沢東の革命思想以来、
の就任はすでに既定路線になっていたが、「革命は
席に決定している。つまり、習の次期国家主席へ
(5中総会)
では次期国家指導者が習近平国家副主
平ら江沢民グループ)と背後にいる軍部の暴発を
「胡錦濤国家主席、温首相は外交を重視するグ
ループで、軍への力が弱い。対立グループ(習近
た。
気な発言」の意味を次のように読み解いたのだっ
闘争が激化していた。 月 日開催の中央委員会
中国では本当の権力者は軍事委員会の主席(現在
ることとなり、文字通り次期国家指導者となるこ
て、習が胡錦濤の後で軍事委員会の主席に就任す
それが中央委員会の席上、習近平が軍事委員会
副主席に選ばれたことが公表された。これによっ
を強め、海軍力の増強を進めた結果である。
済大国」になったことを前提に、ナショナリズム
とである。軍部の力の強大化はむろん、中国が「経
沢民グループの批判に対抗できなかったというこ
である。
とが決定したのだった。ところがこの間、中国共
そして、中国が「経済大国」になればなるほど、
つまり、温家宝首相の「強気な発言」には、そ
うしなければ軍部の圧力を背景にした習近平=江
心配し、あれほど強硬な発言をしたのだろう」
25
は胡錦濤)に選ばれるかどうかが試金石になるの
15
産党の公的機関紙といえる『人民日報』には、連
27|中国に何が起こっているのか
10
10
る近海、すなわち地域的な海洋ではない。それは、
の場合、東シナ海というのは、中国にとって単な
人民解放軍だ」という意識が強くなっている。こ
の権益や、「シーレーンを守っているのはわれわれ
東シナ海におけるエネルギー資源、特に石油資源
うして2010年 月の広州アジア大会と国際的
年の北京オリンピック、2010年の上海万博、そ
いう瀬戸際にあるからである。中国は、2008
は共産党の一党支配が今後も続けられるのか、と
今なぜ権力闘争が熾烈になるのかといえば、それ
強固な意識が軍にあり、その軍の力を背景にした
れを中国人民解放軍(海軍)が守っているという
をめぐる、
とどのつまり、
海上覇権の場である。そ
との経済的な、また、東アジア諸国のシーレーン
軍事的な意味を持つ。そしてそれは、日本や台湾
アメリカや日本に直接的に向き合う外洋、つまり
ようにみえる。自信満々だからこそ、尖閣問題で
そして、これは共産党の指導がうまくなされた
結果であると、国家指導者たちは自信満々である
中で強烈な存在感を提示しているかにみえる。
誇り、国民の豊かさ、どれをとっても国際社会の
イベントを連続開催し、その国家統一、民族的な
てゆく過程にあっては、両刃の剣といった意味合
もあれだけ強い立場を取れたのだ、と。
外交とは、ある意味では「国際的な権力闘争」
(モルゲンソー)であり、とすればそれは中国に
いを持っている。というのは、中国が北京オリン
政治グループが国内の権力闘争で大きな勢力と
あっては、国内的な権力闘争に勝った上でのこと
ピックをてこに高度経済成長を成し遂げて「経済
なっているわけだ。
でなければならない。そのことが、国内的に熾烈
大国」となっても、その成果が国民に等しく及ば
0
な 権 力 闘 争 が 続 け ら れ て い る 現 在 の 中 国 の 場 合、
ず、都市と農村、沿岸部と内陸部、そうして富裕
0
特に顕著になるわけだ。
層と貧困層の経済格差が大きくなれば、それは共
し れつ
では、共産党の一党支配が行われている中国で、
だがこれは、中国国民が自らの国民的権利を要
求し、近代の一典型である国民国家の性格を強め
11
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中国との共生を考える
特集1 隣国
産党の指導がうまくいっていないという不満に一
の後半からである。これによって、学生や市民は
5年に日韓基本条約が結ばれた後、1970年代
かわざるを得ない。
光州事件を引き起こしたのである。そして、19
戒厳令拡大に反対し、軍事政権に対して民主的権
えん さ
転するからだ。すると、国民の怨嗟は共産党に向
胡錦濤体制が経済格差のない「和諧」社会をス
ローガンに掲げているのは、この国民の怨嗟を何
86年には戒厳令が解除され、軍事的独裁政権か
だった。
韓国で一人当たり国民所得が1万ドルを超えた年
なったのである。この戒厳令解除の1986年が、
ら大統領の国民投票による選出が行われるように
利を求める意識が強まった。それが1980年の
とか起こさせたくない努力なのである。
中産階級の民主化要求
今わたしは、中国国民が自らの国民的権利を要
求して、国民国家の性格を強めていく過程にある、
1988年にソウルオリンピッ
そうして韓国は
ハンガン
クを実現した。漢江の奇跡と呼ばれる経済発展は、
というたぐいのことを述べた。これはどういう根
拠に基づいているのか。
だったのである。
教や教育の自由への要求であり、人権の主張であ
をふまえての政治への参加要求であり、思想や宗
というのである。それは、経済的自由競争の成果
党)はその第2期目を、国民の直接投票によって
民党の一党支配が終わった。総統の李登輝(国民
年のことだった。戒厳令が解除されるとともに、国
また、台湾の国民政府が戒厳令を解除したのも、
一人当たり国民所得が1万ドルを超えた1986
このような国民の民主化要求と表裏一体の出来事
最近の社会学理論によれば、一人当たりの国民
所得が年1万ドル(およそ百万円)を超えると、そ
る。
選出される形で務めた。この第2期目にあっては、
の国の国民は必ず民主的要求を強めるようになる
例えば、韓国が経済発展を始めたのは、196
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ある。
李登輝が民進党からの支持も集めて当選したので
総統を国民の直接選挙で選出する方式を導入した
われる。
部の市民たちは共産党一党支配下の中国で民主化
ルの指標を超えつつある。これによって、大都市
市部では、いずれも一人当たり国民所得が1万ド
に達しているとみられる。上海万博が終わった上
0年には、広州の一人当たり国民所得は1万ドル
に達していた。広州アジア大会が行われた201
人当たりの国民所得が年8000〜9000ドル
そして、北京オリンピックが行われた2008
年、中国で経済発展が著しい広州や上海では、一
る。
生んだ。劉暁波氏は当時、北京師範大学文学部講
天安門事件は、1989年6月4日、北京の学
生たちのいわば早すぎる民主化運動として悲劇を
と涙を流したと伝えられる。
事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」
発表されたが、このとき彼は「この受賞は天安門
2010年のノーベル平和賞を受賞した劉暁波
は、この中国の民主化運動を代表する人物であっ
劉暁波のノーベル平和賞受賞
海ではやはり、1万ドル近くに達しているような
師として学生の民主化運動に参加し、その後、何
ラオ シャオボー
要求や、人権を守れという要求を強めてくると思
経済発展は国民の経済的自由競争に支えられて
行われるが、その結果、国民心理は経済活動の自
由ばかりでなく、政治的自由や民主化を求めるよ
うになるわけだ。その指標となるのが、一人当た
気がする。オリンピック当時、北京では7000
度も中国政府当局によって投獄されている。
り国民所得が年1万ドルを超えるあたりなのであ
〜8000ドルと言われていたから、北京でも2
た。劉氏のノーベル平和賞の受賞は、 月8日に
010年には9000ドルを超えているだろう。
2008年には、民主的立憲政治を求める「0
8憲章」を起草して拘束され、2020年までの
そうだとすれば、広州や上海や北京などの大都
10
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年 の 判 決 を 受 け て 服 役 中 で あ る。 ノ ル
ゼだったからだ。
このように、現在、都市の知識人層=中産階級
は、共産党の一党支配の下で国民国家体制にソフ
懲役
劉 暁 波 氏 に 今 年、 ノ ー ベ ル 平 和 賞 を 与 え た わ け
ト・ランディングしようとする胡錦濤路線に対し
ウェーのノーベル平和賞委員会は、その服役中の
だった。
だが、この「中華連邦国家」という構想は、共
産党の一党支配体制を維持しつつ、国民にある程
う、極めて画期的な提言となっていた。
立を容認した上で「中華連邦国家」を目指すとい
主義に対して、チベット民族やウイグル民族の独
方向であるが、後者は、漢民族中心の大中華帝国
前者は、中国の民主化を推し進める天安門以来の
同時に、
「中華連邦国家」構想も打ち出していた。
の終結、民主主義国家の実現」を唱えていた。と
や日本以上の厳しさかもしれない。日本の大学新
進学のために地方の都市に出した子どもたちは、
大学を出ても仕事がない。これは日本と同様、い
やっとの農作業しか待っていなかった。
へ 戻 っ て み る と、 そ こ に は 日 々 食 べ て ゆ く の が
ることを余儀なくされた。出稼ぎから地方の故郷
わってみると、都市への出稼ぎから再び農村に帰
ンピックや上海万博などの国家的イベントが終
の農村籍の人々や内陸部の農民たちは、北京オリ
いや、そういった異議申し立てを始めているの
は、都市部の学生や市民ばかりではない。農村部
て異議申し立てを始めている。
度の自由と民主化を与えようという国民国家体制
卒者の就職率は例年ほぼ %(2010年 月時
劉氏が中心になって起草した「08憲章」は、天
安門民主化運動の理想を受け継ぎ、「一党独裁体制
へのソフト・ランディングを目指していた胡錦濤
点での内定率は %で、就職氷河期より悪化して
11
それは、共産党の一党支配の下で漢民族中心の国
いるといわれる)だが、中国ではこの数年 %に
=温家宝路線にとっても、容認し難いことだった。
90
到達しないという。現在のグローバル経済の中で
31|中国に何が起こっているのか
11
家統一を強化しようとする路線へのアンチ・テー
57
70
中国との共生を考える
特集1 隣国
権問題デモであれ、この農村暴動の変形としての
語強制反対デモであれ、チベット・ウイグルの人
この数年、中国の農村暴動は年3万件を下らな
い。都会での若年層のデモは、
反日デモであれ、漢
いのである。
らず、韓国でも中国でも若者の雇用を生み出さな
は、一時期景気が少し良くなっても、日本のみな
らいである。
こ れ に 対 し て、 新 興 宗 教 の 問 題 は 北 京 オ リ ン
ピックの前に法輪功の規制が少し話題になったぐ
4万人を超えていた。
万人を数えるといわれる。2008年にも同じく
年間で汚職などの罪で処分された共産党幹部は4
美・忍」を理想に掲げ、健康な身体をつくろうと
法輪功は百万人程度の新興宗教団体、それも「真・
ただ、中国政府が法輪功をなぜあれだけ激しく
取り締まったのかという疑問は、依然として残る。
反政府デモにほかならないのである。
中国国内の不協和音
いう趣旨のごく穏和な修養・鍛錬団体であるかに
すること。第二は、官僚の汚職が激しくなり、権
なった時だった。第一は、地方に農民暴動が頻発
7千万人を超えるからだといわれる。健康な身体、
府にとって恐れるべき数であるのは、共産党員の
ところが、最近の情報では、法輪功の規模は8
千万人に達しているともいわれる。これが中国政
見える。
力が内部から腐敗すること。第三は、例えば白蓮
平穏な家庭、安定した社会を目指す、というスロー
中国が漢民族中心の大中華帝国主義を強める一
方で、
国内の不協和音はますます強まっている。中
教や太平天国や義和団などの新興宗教が勃興して、
ガンは、政府が「和諧」社会を掲げているにもか
国で歴代王朝が倒れるのは、必ず次の3条件が重
体制批判の受け皿となること、である。
たときには容易に反政府運動に転じる温床になる、
かわらず安定した社会をつくり得ていないと感じ
このうち、近年農民暴動が頻発していることに
ついては、すでに触れた。また、2009年の一
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中国との共生を考える
特集1 隣国
というわけだろう。
でもいつの時代でもすることだ。
る敵を叩くことで、国民のナショナリズムを高揚
が「その中国政府の統計は古い、地下教会のメン
は3千万人近くいると述べたところ、香港の学者
しが中国政府の統計を基に、中国のキリスト教徒
著な政治現象である。
チントンの罠”に落ちていた。今は中国のみに顕
めとして、世界各国が外に敵を作って叩く“ハン
これは、小泉内閣当時の中国胡錦濤体制も同様
だった。ただあのときは、ブッシュ米政権をはじ
させ、国内の不協和音を封じるのは、どこの政府
それに、かつては無神論的であった中国の中で、
今、キリスト教徒の数が8千万人に達していると
バーをふくめると8千万人いる」と訂正された。
これは中国国内に不協和音が大きくなってきて
いることの反映であろう。そして、現在の中国の
いうのだ。これについては、ある国際学会でわた
地下教会というのは、正式に洗礼を受けて教区
に登録された、つまり中国政府にも報告されたメ
場合、これに軍拡路線、膨張的大中華帝国主義が
33|中国に何が起こっているのか
ンバー以外のキリスト教徒のことである。
評論家・作家、麗澤大学教
授。内閣官房参与。1946 年
群馬県生まれ。東京大学経
済学部卒。1971 年に発表し
た『若き北一輝』で一躍注目
を集める。
「右」にも「左」に
もよらない独自の視点で、文
学・歴史・思想・政治と多方
面にわたる執筆活動を展開。
1995 年『近代アジア精神史
の試み』でアジア太平洋賞、
2005 年『評伝 北一輝』で
司馬遼太郎賞・毎日出版文
化賞をダブル受賞。近著に
『日
本のナショナリズム』
『海岸線
の歴史』など。
絡んでいるのである。
松本 健一
こ の 地 下 教 会 の メ ン バ ー は、 教 会 に 表 門 か ら
入っていかない。夜になると、教会の裏山からぞ
くぞくと降りて来て、そこで食糧や町で入手でき
ないペニシリンなどの医薬品を手に入れるのであ
る。やや現世利益的な入信の動機とはいえ、これ
がいつ政府批判に転じるかは誰にも分からない。
こういった中国国内の不安材料が、尖
ともあれ、
閣問題をはじめとして中国政府の対外的な「強気」
政策を生み出しているといえなくもない。外にあ
まつもと けんいち
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