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鷹島の石

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鷹島の石
鷹島の石
明恵上人は島がお好きでしたが、その島の浜辺にある小さな石もまた生きている、
心があると考えられたようです。明恵上人はこの苅藻島で小さな石を一つ拾って来ら
れました。これは胴がくびれたような形の石で、天竺(インド)の蘇婆河(そばがわ)に因
んで「蘇婆石」と名づけられています。美しい緑色の小さな石であります。
鷹島からは卵型の石を一つ拾って来て、これも大切にされました。上人の考えで
は、釈尊の生まれられた天竺の海もこの紀州の海に続いている。だとすれば、これら
の島の石も釈尊を偲ぶよすがとなるわけなのです。『伝記』はこのことをこうして記し
ています。
華宮殿の東の高欄(欄干)の上に一の石を置けり。是は先年紀州に下向(下っ
た)の時、海中の島に4∼5日逗留す。其の時西の沖に島のかすみて見えたる
を、天竺(インド)に思ひなぞらへて、南無五天諸国処々遺跡と唱へて、泣く泣
く礼拝をなす。多くの同法(同じ修行者)亦親族の男子等あり。同じく礼拝を進
めて告げて日はく(いわく)、「天竺に如来の千輻輪(せんぷくりん) の御足の跡を踏
み留め給へる石(仏足跡・石に仏の足の形を刻んだもの)あり、殊に北天竺に
蘇婆河といふ河の辺に如来の御遺跡多くあり、其の河の水も、此の海に入れば
同じ塩に染まりたる石なればとて、此の磯の石を取りて蘇婆石と名づけ、御遺
跡の形見と思ひ、7ヶ日の間、夜昼、松の嵐に眼を覚し、浪の音に声を調べて、
礼拝をなすに、いひしらぬ冠者原(かんじゃばら・若者達)までも涙を拭ひて、歓喜
の思ひを成さずといふことなし。誠に衆生は仏性の薫力(くんりき)あれば、是まで
も如来の慈悲の等流(とうる)なれば、因縁感動も理に覚ゆ。此の磯の石を持し
て身を放ち給はず(いつも体のそばから離さず)。仍って(よって)一首思ひつづ
け給ふ。
御遺跡を洗へる水も入る海の石と思へばなつかしきかな
晩年に上人はこの鷹島の石に向かって一首の歌を与えています。
我れなくて後に愛する人なくば飛びてかへれぬ鷹島の石
この一首で明恵上人が平生いかにこの石を愛し、撫で、さすり、眺めあかしたかが分
ります。その異常ともいうべき愛着、恋慕はひとえに釈尊に対する愛着・恋慕に出て
いるわけで、石の収集家の愛着とはおのずから異るものがあるのです。明恵上人は
釈尊が好きで好きでどうしようもなかったのです。
高信のまとめた『遺訓』の中にこういう言葉があります。
心の数奇(すき)たる人(風流の分る人)の中に、目出度き(よき)仏法者は、昔も
今も出(いで)来るなり。詩頌(しじゅ)を作り、歌連歌(うたれんが)にたづさはることは、
あながち(それだけでは)仏法にてはなけれども、かやうの事にも心数奇たる人
(心を寄せられる人)が、やがて仏法にもすきて、智恵もあり、やさしき心使ひも
けだかきなり。心の俗に成りぬる程の者は、稽古の力を積まば、さすがなるやう
なれども、いかにも利勘へ (かんがえ) がましき、有所得(しょうとく)にかかりて、拙き
風情を帯するなり、少なく(おさなく) よりやさしく数奇て(やさしく風流で)、実しき
(まことしき)心立てしたらん者(実直な気立ての者)に、仏法をも教へ立て見るべ
きなり。
明恵上人はまことに「やさしき心使ひもけだかき」人であったといえます。心が繊細で、
愛情にあふれ、海にも、石にも、花にもそのやさしい心を向けていった人であります。
桜の花や、島に恋文を書いても、少しもおかしくなく、大らかなその恋慕の心がさわ
やかで、聞く者の心が和むのです。そしてそれは、そういう恋慕の心、数奇たる心の
底に、釈尊への熱く深い思いがあったからなのです。
明恵上人のこういう心情を思うと、私はどうしても『法華経・寿量品』の「心懐恋慕(し
んねれんぼ)」の考えを思い出さずにはいられません。
もろもろの比丘、如来は見ること得べきこと難しと。この衆生ら、かくの如き語(こと
ば)を聞きては必ずまさに難遭(なんぞう・会うことができなくなる)の想ひを生じ、心
に恋慕を懐き、仏を渇仰(渇いた人間が水を求めるように仏を仰ぐこと)して、す
なはち善根を種ゆ(うゆ)べし。
*
この時にもろもろの子、父は背喪(はいそう・死んでしまった)せりと聞いて心大い
に憂悩(うのう)してこの念を作さく(なさく)、もし父在し(いまし)なばわれらを慈愍(あ
われむ)してよく救護(くご)せられまし。今我を捨てて遠く他国に喪(そう)したまひ
ぬ。自ら惟ふ(おもう)に、孤露(ころ・ひとりぼっち)にして恃怙(じこ・頼りとする人)
なし。常に悲感を懐いて心遂に醒悟(しょうご)し、すなはちこの薬の色・香・味い
美き(よき)ことを知って、すなはち取ってこれを服するに毒の病みな癒ゆ(治って
しまった)。
あるところに名医の父がいて大勢の子がいました。この父が遠くへ旅している間に、
この子供たちは誤って毒を飲んで大病に罹る。父の名医は飛んで帰って妙薬を調
合しました。素直な子はすぐにそれを飲んで病が癒えましたが、心の顛倒している
者は飲まないのです。そこで父は他国に行き、人を遣わして「父は死んだ」と言わせ
ます。守ってくれる者が死んでしまったという悲しみに打たれて、顛倒した心も元通り
になり、父の遺した薬を飲み、病が癒えます。そこへ父が姿を現わし、ハッピーエン
ドとなるという物語です。
明恵はもちろんこの話を知っています。幼くして父母に別れた明恵は、父を慕う気
持は釈尊に向け、母を慕う心は「仏眼仏母像」に向けたのでしょう。明恵は悲しみの
人です。父母の愛に餓えていた人です。明恵はしかし、その悲しみを大切に胸の中
にしまっておきました。
常懐悲感(じょうえひかん)
心遂醍悟(しんすいしょうご)
でした。常に悲感を胸に懐いていると、心が遂に目を醒まして悟りに至ると、明恵は
知っているのです。知っているのですが、どうにもならぬのです。(紀野一義)
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