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Title 近年のヨハンナ・シュピーリ研究の動 向 Author(s
Title Author(s) Citation Issue Date URL <書評・文献紹介>近年のヨハンナ・シュピーリ研究の動 向 川島, 隆 研究報告 (2005), 19: 177-190 2005-12 http://hdl.handle.net/2433/134455 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University 〔 書評 ・文献紹介〕 近 年 の ヨハ ン ナ ・シ ュ ピー リ研 究 の 動 向 川 島 隆 スイ スの小 説家 ヨハ ンナ ・シ ュ ピー リ(1827・1go1)は 事 実上、長篇 『ハイジ』二部作のみに よって後世 に名 を残 した作家 で あ る。 この作.q が ドイ ツ語圏 だけでな く国 際的に、特にアメ リカ と 日本 において翻訳 のみな らず 映 像化 作品 を通 じて圧倒 的な人気 と知 名度 を誇 つている ことは、 今 さ ら言 うまで もなか ろ う。 ただその反 面、シュピー リとその文学 についての研究 は、世界的に 見て も決 して盛 ん な分 野で はない。例 え}餓 が国の ドイ ツ文学 研究者 で、『ハイ ジ』 の原 題は何 か と間われ て即 答で きる者 が どれ ほ どいるだろ うか。1880年 に出版 され た第 ―部 が 『ハイジの 修 行日 … 推 と遍歴 時代1(HeidisLehr・und 成 果 を発揮 します』(伽 匝 ㎞ Wanderjahre)、 そ の翌年の第 二部が 『ハイジは修行 の 伽 〃誼θ鴎 ㎜ θ β8θ 舳 わ ちこの/」 ・ 説二 部作 がゲーテ に範 をとった 「 教養 」 説 飴 ∂∂ と名づ け られ てい ること、す な であ ることは、知 る人ぞ知る事 実である に もかかわ らず。 しか し近年、シュ ピー リ研 究を め ぐる状況は大き く変わ りつつある。 と りわ け作家 の没後100 周年 にあたる2001年 を挟 ん だ時期 に、質 ・量 ともに無視 しがたい一連 の論 考お よび評伝 力泄 に 間 われ た結果 として 、今で は 『ハ イジ』 とその作者につ いて の文献 リス トには一 定の充 実ぶ りが 認 め られ るのt そ こで新 たに確 保 され てい るのは、作品その もの ・作 者その人 についての情報 のみ な らず、シュ ピー リが生 きた当時 の社 会で、ひいて は我々の暮 らす現代社会 で 「 女性1や 「 子 ども」、そ して 「 文 学」の置 かれ た状況 を照射 ケる視 点である。そ の意 味で シュ ピー リ研究 は、 これ か らの児童 文学 研究 が歩む べ き道 を指 し示 す、一つのモデルケース とも見なす ことができる だ ろ う。 1.土 台の構 築(1969年 ∼89年) 以 下ではまず 最初 に、各国 で学生 運動 が高揚 した1960年 代の終わ りごろか ら1989年 の東西 ドイ ツ統 一へ と至 る時期 の研究 状況 を、簡 単に総括 してお きたい。 この約20年 間に、シュ ピー リとその作品を研究す るた めの前 提 が、おお よそ出揃 つた と言 える。その始 点に位 置づ け られ る べ きは、戦後 ドイ ツの児 童文学 研究 の水準を押 し上げた功労者 クラウス ・ド― デラー が1969年 の著 書 『児童書 の古 典一 批 判 的考察』 の うち一章を割 いて 『 ハ イジ』 を論 じた、 「ヨハ ンナ ― -177― シ ュ ピー リの 『ハ イ ジ 』 一 現 実 を 美 化 し た 怪 し げ な 道 徳 世 界 」1で は 、 『ハ イ ジ 』 に お け る 教 訓 … 議 や 「 都 会/田 あ ろ う。 そ こ で ドー デ ラ ー 園 」 の 単 純 な 二 項 対 立 図 式 、 さ ら に 宗 教 的=教 訓 的 テ ー マ で 社 会 問 題 が 隠 蔽 さ れ て い る 点 な どへ 批 判 を 展 開 し 、後 の 研 究 の 叩 き 台 と な る べ き 視 座 を 提 供 した 。 こ の 間 題 意 識 を 継 承 す る の が 、 ア メ リ カ の 研 究 者 ジ ャ ッ ク ―ザ イ プ ス に よ る 論 考 、 「ハ イ ジ を 打 倒 せ よ 、 も じ ゃ も じ ゃ ぺlタ 社 会 主 義 児 童 文 学 に 向 け て 」2で ー を 打 倒 せ よ 、 革 命 に 万 歳 三 唱 一 一 西 ドイ ツ の 新 た な あ る 。 現 在 、 グ リ ム 童 話 の 社 会 学 的 研 究 に よ っ て 日本 で も 知 ら れ て い るザ イ プ スは 、 こ こで は シュ ピー リ作品 を 「 幼 児 的 ・退 行 的 な フ ァ ン タ ジ ー 」 の 産 物 と見 な して 断 罪 す る 。 彼 は 作 中 で 説 か れ る キ リ ス ト教 道 徳 を 体 制 順 応 主 義 と して 、 自然 賛 美 の 要 素 を 現 実 逃 避 と して 指 弾 した 上 で 、 そ の 混 合 が 子 ど も 読 者 に と つ て 有 害 だ と説 く の で あ る 。 以 上 の よ う な イ デ オ ロ ギ ー 批 判 の 立 場 か らの 否 定 的 議 論 が 提 出 され る 一 方 で 、 こ の 時 期 に は 、 シ ュ ピ ー リ関 係 の 資 料 が 相 次 い で 出 版 され て い る 。 す な わ ち 、 同 時 代 ス イ ス の 作 家 コ ン ラ ー ト ・ フ ェ ル デ ィ ナ ン ト ・マ イ ヤ ー(1825―98)と ホ イ サ ー(1797-1876)の の 往 復 書 簡 集3お 手 に な る 『家 庭 年 代 史 』4で よ び シ ュ ピ ー リの 母 で 詩 人 の メ タ ・ あ る。 シ ュ ピ ー リ 自 身 は そ の 死 に 際 し て 所 蔵 の 書 簡 や 草 稿 類 を 焼 却 し て い る た め 、上 記 二 冊 は 一 次 資 料 と して 貴 重 な も の だ と言 え る 。 ま た1980年 代 に は 、 作 家 の 生 地 ヒル ツ エ ル の 郷 土 史 家 ユ ル ク ・ヴ ィ ン ク ラlが が 続 け て 数 冊 、 刊 行 され た 。5い 手 が け た伝 記研 究 ず れ も、 作 家 ゆか りの 地 の 写 真 な ど図版 を 多 数 収 録 してお り、 視 覚 性 を重 視 した作 りにな って い る。 lDodere蔦Klaus:Jbhanna Klassische Kinder Spyris undJugendb ,β[eidi"。 Fragw her. 駆 的 な シュ ピー リ批 判 の 例 と して 、教 育 学 者H・ らの 児 童文 糊(、0囲.助 他 に1960年 ηゴ ㎜ dige 71zgendwelt血verkl舐ter Krr'Lische Betrachtungen 圏rJ嘘 Wirklichkeit ヴォル ガ ス ト(1860―1920)の 四(濫'伽 朗1896)を 社 会 主 義 的 な]B童 文学 論 『我 ドー デ ラー は挙 げ て い る。Ebd。,5.125. 代 ま で の 『ハ イ ジ』 拙評 史 につ い て は 、ebd., S。130―133の 摘 要 を参 照dな は 、 例 えば シ ュ ピー リの 文 体 を 分 析 して アイ ヒェ ン ドル フ文 学 に な ぞ ら えたH・ 『ノvrジ1の In: Weinheim/Base11969,5.121-134.先 お ドー デ ラ ー の 議 論 キ ー ペ に 見 られ る よ うな 、 古 典 的 価 値 を追 認 す る風 潮 へ の 損判 を 意 図 して い る。 Kiepe,猛msl噂n:Landschaft Gottes. Zur Rolle der Verbzus舩ze in Johanna Spyris,,Heidi". In:W」rkendes Wort 17(1967),5.410―429. 2Zipes , Jack:Down with Heid1;Down with Slruwweltaeter, Tluee Cheers fr)rthe Revolution. Zbward a New Socialist(;hildren's Literature in West(臚rmany. In:6矧 ㎞ 枷'勲 伽5(1976), S.162―180.同 論 考 で ザ イ プ ス は 、H・ ホ フマ ン(1809-1894)の なrを も趾 峨 3Zeller , Hans und せ、 『ノ輔 と並 べ て 鷹 Rosmarie(H㎎):Johanna 絵 本 『も じゃ も じゃペ ー タ ー 』 の 暴 力 的 かっ 権 威 主義 的 獅 と して 扱 っ て い る。 服,5.164£ Spyri'und Conrad Fezdinand Meyer. Brieltiueclzsel 1877-1897.Kilchberg 1977.付 録 と して 、 マ イ ヤ ー の 姉 妹 宛 お よび 母 宛 の シ ュ ピー リの 手 紙 を 収 録 、 aHeusser―Schweizer ,Meta:Hazrsclunnik Kilchberg 1980.ホ イ サ ー の作 品 と して は 、詩 集 『隠 れ た 女 の 歌 』 (Liedereiner iTer6nrgenen)が1858年 に ライ ブ ツ ィ ヒ のHoltze社 か ら刊 行 され て い る。 そ の 増 補 版 で あ る 『詩 集 皿(Gedichte,1863)お よび 『第 二 詩 集 皿(Ge(lichte.2..Sammlung,1867)も 同 社 か ら。 5Winkler ,B g: lch mochte dirmeine Heimateinmalzeigen". Biographisches zu Johanna Spyn;Autorin des Heidi';α ηゴ 血 η 嗣 α●1わ 曲 丑H晩11982;Fr hlich, Roswitha/Winkler, J Spyri Momente einer Biographie, ein Dialog. Z ich 1986;ders.:勘a㎜ 助 力㌧4認(㎞ Heidi'"Aularirz R chlikon-Z ich 1986. -178一 g=勲 紐 五θ伽d㍑ ∂ 1980年 代 の 末 に 出 され た ハ イ デ ィ-M・ ミ ュ ラー 「ヨハ ンナ ・シュ ピー リの 『 ハ イ ジ』 遵 作 に お け る教 育 論 ― ― あ る 〈教 養 小 説 〉 の 文学 史 的座 標 」6は 、作 品 か ら読 み 取 られ る教 育 観 を 、 ル ソー 、ペ ス タ ロ ッ ツ ィ 、 ゲ ー テ の 思 想 と具 体 的 な レベ ル で 比 較 した もの で あ る 。そ の比 較 か ら 明 らか に な る シ ュ ピー リの 立 揚 は 、 自然 礼賛 一辺 倒 で も単 な る啓 蒙 主 義 で もな く 、そ の 中 間 に位 置 づ け られ る。た だ し、敬 度主 義的 な 宗 教 性 が突 出 して い る の が シ ュ ピー リの 最 大 の特 徴 だ と さ れ る。ミュ ラー の論 文 は 、そ れ ま で の 研 究 の貧 困 状況 へ 一 石 を 投 じ る こ とを企 図 した もの で あ り、 シ ュ ピー リの 精神 史 的 な 位 置 に つ い て の 基 本 的理 解 を示 す こ と に成 功 して い る 。 これ を も つ て 、 さ しあ た り研 究 は 新 た な 段 階 に 入 つ た と言 え よ う。7 2.読 み の 深 化(1990年 ∼2000年) 上 記 ミュ ラ ー 論 文 は 、 た しか に ドー デ ラーや ザ守 プ ス の戦 闘 的 な立 場 に は 距 離 を置 いて い る。 とは い え、学 術 的 な 厳 密 さを 求 め る方 向 は 、必 ず し も価 値 中 立 的 な 立 場 に 収 敏 して い くわ け で は な い。1990年 代 以 降 の 論 者 た ち は 多 かれ 少 な かれ 、 ドー デ ラー らの 提 示 した イ デ オ ロギ ー批 判 的 な観 意 を意 識 しつ つ 、 シ ュ ピ ー リ作 品 の 再 評 価 を試 み て い く こ とに な る 。そ こ で 新 た に脚 光 を 浴 び るの は 、―っ に は ジ ェ ン ダ ー 言 鋤 な糠 で あ る。これ をf稼 ・ 綿 硝 轍 に導 入 す る こ とで 、 それ ま で の 研 究 に お い て は 見 落 と さ れ て い た さま ざま な不 協 和 音 や亀 裂 を シ ュ ピー リの 文 学 は 内包 して い る こ とが 明 るみ に 出 され 、そ うい っ た 点 を あ え て ポ ジ テ ィ ヴに 評 価 して い こ うとす る 研 究 方 向 が 生 じて き た の で あ る。 これ は 現在 に 至 る ま で 大 き な 流 れ を形 成 して い る。 2―a― ジ ェ ン ダ ー 論 の導 入 そ の 文 脈 で 、ま ず ベ ッ テ ィlナ ・フ レル マ ンの 野 舶 勺な論 考 、 「 解 放 され た ミ ニ ョン の妹 」8を 視 野 に入 れ た い 。 そ こ で 著 者 は 、 シ ュ ピー リ作 品 の うち で 『ハ イ ジ 』 が 実 の と こ ろ 例 外 的 な ま で に 教 訓 主義 的 ・宗 教 的 要 素 の 少 な い 作 で あ る こ とを確 認 した 上 で、作 中 に 描 か れ た ハ イ ジ の 心 の 病 に つ い て 、顕 示 的 に 描 か れ て い る 宗 教 性の レベ ル とは 必 ず し も一 致 しな い 心 理 的 リア リテ ィー の 位 相 を指 摘 す る。 これ を フ レル マ ンは 、 自 らの結 婚 生 活 に お いて 深 刻 な 精 神的 危 機 に あ っ た と され る作 者 シ ュ ピー リの 体 験 が 反 映 され た もの と捉 え 、そ の 真 に迫 っ た 表 現 を高 く評 価 す る の で あ る。 そ して さ ら に 、 「 ハ イ ジ」 の 像 をゲ ー テ の 描 い た sM ler , Heidy Maigrit P臈agogik Koordinaten eines Bildungsromans". 「ミニ ョン 」 と詳 細 に 比 較 す る こ とで 、 in Johanna Spyris'Heidi'-B hern Literaturgeschichtliche In:乏勅 勉er1瞼 囎 励 θ 愈69(1989),5.921―932.[後 に.伽 飽 四劇 96!97(1992),5.13-174こ 醐 7そ の 他、1980年 代 までの先行 研究 につい ては、ebd .,S.929 Anin.2を 参 照の こと。 8H㎜ 】 皿ann Bettina:Heidi , Mignons erl steSchwester. In:Neue.Savlmlung33(1993)5.347-363.[後 dies.(Hrsg.):lf/assikerderKinder・und<lugendliteratur:Franldurt am Main -179一 1995,5.191-215に 再録l に こ の 論 者 は 『ハ イ ジ 』 の ア ン チ 教 養 小 説 と して の 側 面 を 大 胆 に 強 調 して み せ て い る 。 こ の 読 解 に よ り、19世 紀 当時 の 市 民 階級 の 女 性が 置 か れ た 地 位 を め ぐ る問 題 系 と、 そ の 市 民的 秩 序 か らの 「解 放 」 の モ メ ン ト と を 作 品 に 読 み こむ 道 が 開 か れ た と 言 え る 。 イ ギ リ ス の 研 究 者 ピlタ ー ―ス ク ラ イ ン の 『ハ イ ジ 』 謝 は 、 同作 に 関す る さま ざま な 問 題 を 包 括 的 に 論 じ て 高 い 水 準 に あ る が 、 こ こ に も ジ ェ ン ダ ー 論 的 に 興 味 深 い 指 摘 が 見 られ る 。 ス ク ラ イ ン は 作 品 の 主 な 源 泉 と し て 、 ドイ ツ で19世 (Dorfgeschichte)、 紀 中盤 に 流 行 した文 学 ジ ャ ンル で あ る 特 に 殉 レ トル ト ・ア ウ エ ル バ ッハ(1812-82)の を 挙 げ 、 そ こ で 見 ら れ る 類 型 的 ハ ッ ピ ー エ ン ドと して の 『裸 足 の 子 』(E贈 「村 物 語1 晦1856) 「結 婚 」 の モ チ ー フ が シ ュ ピ ー リ作 品 に お い て は 周 到 に 回 避 され て い る 点 に 、後 者 の ラ デ ィ カ ル な 特 徴 を 見 て 取 っ て い る の で あ る。ま た 、 後 世 に 書 か れ た 亜 流 作 品 と比 較 し た 場 合 に も 、 恋 愛 ―結 婚 を あ く ま で 排 除 す る 『ハ イ ジ 』 の 異 色 性 は 明 らか と な る と い う。10 ア ン ナ ・カ タ リー ナ ・ウ ル リ ッ ヒ 「教 育 の た め の 舞 台 背 景 と して の 自 然 一+父 た 母 た ち の 姿 」11は の 言 葉 で描 か れ 、 ス イ ス 児 童 文 学 の 古 典 で あ る 『ス イ ス の 家 族 ロ ビ ン ソ ン 』 お よ び 『ハ イ ジ 』 を 精 神 分 析 的 に 解 釈 し た も の 。 細 か な 言 語 使 用 の レベ ル に ま で 目配 り した 、着 想 豊 か な 論 文 で あ る 。 ウ ル リ ッ ヒ は シ ュ ピ ー リ 作 品 の 女 性 像 に 関 し て 、(老 年 以 外 の)成 に描かれてお り 機 能112が 人女 性 が しば しば否 定 的 「 母 」 が存 在 しな い 点 、そ の 代 わ りに男 性 の 登 場 人 物 た ち へ 「 女 性 的 ・母 性 的 な 付 与 され て い る 点 を 指 摘 して い る 。 こ の 他 に 、 トー マ ス ・マ ン の 研 究 で 知 ら れ る ゲ ル ハ ル ト ・ヘ ル レ も 、 『ハ イ ジ 』 を 反 ・教 養 ノ」説 つ つ 議 論 を展 開 した と 見 るB・ フ レル マ ン の 説13に 留 保 つ き で依 拠 し 「教 育 州 と し て の ア ル ム の 山 一 一 ヨ ハ ン ナ ・シ ュ ピ― リの 『ハ イ ジ 』 試 論 」 に お い て 、 市 民 階 級 の 女 性 の 教 養 プ ロ セ ス の 破 綻 を 描 い た も の と して 作 品 を 読 み 解 い て い る 。14 9Skdne ,Peter:Jbha㎜a Spyrfs.ぬ 漉In:β 励 曲o価 θ励 η地 血 η(胎乙砺 ㎜ 宅70£勘(ぬ θ兜r76, Nr.3 11994),5.145-164. io Ebd .,5.149ff ll Ulrich ,Anna Katharina Natur als Erziehungskulisse. Mutterbilder im Vaterwort. Psychoanalytische Deutungsversu(血e zu zwei Schweizer Kinderbuchklassikern. In;Nassen, Ulrich[et aU(Hrsg.); Naturkind, Landkind, Stadtkind Li(erazzsche Bilderwelten kindlicher Umwelt M chen 1995,5.9-24. ]2Ebd 。,5.18£ こ の母 親像 の欠 如 につ い てK・ シ ュ ピナ ー は、 『ハ イ 瑚 第+部 にお け る 「 飲 食 」 のモ チ ー フ のZ・_ に 口い を 分 析 す る こ と を通 じ、 作 中 で は(ヤ 「 母 」 例 幾能 を も担 っ て い る と論 じてい る。Spinner, ギ の 乳 な ど を 通 じて 表 象 され る)「 自然 」 力縦 替 的 Kaspar H.:Semiotik des Essens und T血kenn in Johaima Spyris Heidi In:Herwig, Henriette[et aLl(HTgg.):LeseZeichen. Semiotik undHermeneutik in Raum undZeit llibingen 1999,5.431-44D. ia Hurrelmann(1993) .注8を 参 照℃ 14H舐le , Gerha■d=Die Alm als p臈agogische Prc)vinz―Oder:Versuch er Johanna Spyris Heidi In:Rank, Bernhard(Hrsg.):F,iiolgreicheKinder und Tugendb her. Hohengehren 1999, S.59-86.ま た 、作 品表 層 に 見 え る キ リス ト教 的テ ー マ に対 して 、潜 曲 勺な1謝印の危 機 の 問 題 をヘ ル レ1ま指 摘 して い る。Ebd,, S.74―79. -180一 2-b.ス イス国家の そ して1990年 「 神 話」 代 に は 、 作 家 シ ュ ピー リの 政 治 性や そ の 作 品の イ デ オ ロ ギ ー機 能 に 着 目 した 研 究 が 、 特 に ス イ ス の 研 究 者 か ら 自覚 的 に提 起 され は じ めて い る。 例 え ば ロ― ラ ン ト ・リlス は 、 19世 紀 後 半 か らフ ァ シ ズ ム ―第 二 次 世 界 大 戦 の 時 代 に 至 るま で の ス イ ス と ドイ ツ の 文 化 的 な 関 係 を 、こ の 期 間 の ス イ ス の 児 童文 学 作 品 を 手 が か りに 考 察 した論 文15で シ ュ ピー リを扱 って い る。 そ の分 析 に よ る と、 シ ュ ピー リに は 強 く親 ドイ ツ 的 な傾 向 が あ り、作 品 内 で 牧 歌 的 な ス イ ス像 を 描 き 出 す 一 方 、ス イ ス特 有 の 言 葉 遣 い を周 到 に避 け て い る。 だか ら こそ ドイ ツ の 広 範 な 読 者 層 に ア ピー ル した と考 え られ る とい う。16 や は りスイ ス児 童 文 学 史 の 中 で シ ュ ピー リ作 品 の位 置 づ け を探 つた も の と して 、 ヴ ェ レー ナ ・ ル ッチ ュ マ ン 「 ス イ ス 児 童 文 学 に お け る 自然 と文 明 、ま た は進 歩 と郷 愁 」17が あ る。 そ こで 著 者 は、 「 ア ル プ ス」 の像 が 歴 史 的 に ス イ ス 国 家 の ナ シ ョナ リズ ム を 支 え る 「 神 話 」 と して機 能 して き た 経 緯 を踏 ま え つ つ 、児 童 文 学 作 品 に描 か れ た スイ ス の 駒 然 」 の 像 を、 進 歩 主 義 と文 明 批 判 の あ い だ の 緊 張 関 係 に お い て 捉 え て い る 。ル ッ チ ュマ ンが 正 し く指 摘 す る よ うに 、 シ ュ ピー リ作 品 に お い て は 文 明 批 判 的 な 方 向性 が 際 立 つ てお り、そ の 一 方 で政 治的 な 問 題 は 直 接的 に は回 避 さ れ て い る。 そ して 、 む し ろそ の 点 こ そ 、後 世 にお い て 「 ス イ ス 」 と い うイ メ ー ジ を固 定 す るの に 寄 与 す る こ と にな っ た の で あ る。 2―c.伝 1997年 記 研 究 ・小 説 と い う年 は 、 シ ュ ピー リの 伝 記 が 新 し く二 冊 、 刊行 され た年 で あ る。 そ の うち 、 キ リ ス ト教 徒 と して の 立 場 か ら作 家 活動 を 行 う児 童 文 学 者 レギ ー ネ ・シ ン ドラ ー に よ る 『ヨハ ンナ ― シ ュ ピー リ― ― そ の 足 跡 を求 め て 』18は 、か ろ う じて現 存 す るシ ュ ピー リ本 人 の 書 簡 や 彼女 の 母 メ タ ・ホ イ サ 』 の 手 記 な ど、 と もす れ ば 不足 しが ち な 資 料 を丹念 に 読 み こ み 、か つ 想 像 力 を駆 使 して シ ュ ピー リの 人 物 像 の 再 構 成 を試 み る。 と こ ろ ど ころ 「ヨハ ンナ 」宛 に 親 し く語 りか け る と い う体 裁 を とつた 捌 青的 な文 体 に は 賛 否 両論 あ るだ ろ うが 、伝 記 的 な側 面 か ら シ ュ ピー リ文 学 に 迫 ろ う とす る者 に は 必須 の 文 献 で あ る こ とは 間 違 い な い。 15 Ris , ・.. .:Vbm ,,Uerbr erungs``-Konzept Jbhanna Spyris zur ,,GeistigenI,a皿desverteidigung". Schweizerisch-deutsche Kulturbeziehungen im Spiegel der Sprache schweizerischer Jugendbuchautorinenn. In:Schweizerische Jugendbuch― 】nstitut(Hrsg):、 磁 吻 η如 ㎜ ゴ伽 ㎜. StandoziLiestirnrnung 加(血r働 磁'伽 孟励 翻 ㎜ 序Z眈h1994, S.33・74. 16こ の シュピー リの言 語使用上 の特徴は 、ス クライ ンも前 掲論文で指 摘 している。Sk血e(1994), S,151f nRutschmann Verena:Natur und Zivilisatic)n oder Fortschrittund Heimweh in der Schweizer Kinder und Jugendliteratur.In:Nassen(1995),5.25-44― 18Schiedler ,Regine:励 ㎜ 伽 励 α㎜ αcゐaZ血i6h 1997. -181一 も う―冊 、『架 空 の 天 空― ヨ ハ ンナ ・シュ ピlリ とそ の 時 代 坦19の 著 者 ジ ャ ン ・ヴ ィラ ンは 、 自 らシ ュ ピー リの 遠 縁 に 当 た る とい う。 こち らの 伝 記 は 、時 代 背景 へ の 豊 富 な 目配 りを そ の 特 色 とす る。 そ れ が 必 ず しもシ ュ ピー リ像 を 明瞭 化 す るの に は役 立 つ て い な い と して も、彼 女 本 人 に つ い て の 資料 が 量的 に きわ め て 限 られ て い る以 上 、周 辺 的 な事 柄へ と 目を 向 け て い くの は 次 善 の 策 と して 妥 当 な 手 段 と言 え る か も しれ な い。いず れ に せ よ ジ ャ ーナ リス テ ィ ック で 読 ん で 面 白い もの に仕 上 が つ て い る本 で あ る。チ ュ ー リ ヒに 亡命 して い た 作 曲家 リ ヒャル ト ・ヴ ァー グナ ー と シ ュ ピー リ夫 妻 の 交 友 関係 につ いて も一 章 が割 か れ 、 詳 し く語 られ て い る。20 研 究 の周 辺 的 な 事 柄 と して 、こ こ でノ 」 鋭 作 品 に も触 れ て お き た い。 まず シ ュ ピー リ本 人 に材 を 取 つ た 作 品 と して 、マ リア ンネ ・ヴ ァル トブ ル ク(1930―)の ヴ ァル トブ ル ク は 主 にJ・ 『明 るい 高 み 、暗 い 谷 』21が あ る。 ヴ ィ ン ク ラ ー の 伝記 研 究 ∼2に依 拠 して 晩年 の シ ュ ピー リの 姿 を描 き、 自 らが創 作 した 児 童 文学 作 品 の 明 る い世 界 とは裏 腹 の 、暗 い 内 面 を抱 えた女 性 と して 印 象 づ け て い る。 あ とE・ ハ ス ラー(1933―)の 『イ カ ロス の 翼 の 女 』23は 、 シ ュ ピー リの夫 の姪 に あ た る エ ミ リー ・ケ ン ピン=シ ュ ピー リ(1853・1901)の 波 乱 の生 涯 を扱 った もの 。彼 女 は1887年 に ドイ ツ語 圏 で初 め て 法学 を修 めた 女 性で あ り、盟 一 時 ア メ リカ に渡 っ て女 子 教 育 の分 野 で 先 駆 的 業 績 を上 げた が 、女 性弁 護 士 の 就 業 に 門戸 を閉 ざす 社 会 との 軋 礫 に苦 しみ 、最 後 は スイ ス の精 神 病 院 で早 逝 して い る。そ れ は奇 し く も、ヨハ ン ナ ・シ ュ ピー リが 没 した の と同 年 の こ とで あ つ た。 3。 作 家 ・作 品研 究 の新 た な 地 平(2001年 そ して没 後100周 年 にあ た る2001年 ∼) 、関 連 書籍 の 出版 や イ ベ ン トの類 が 相 次 ぎ、 シ ュ ピー リ 研 究 は 誰 の 目に も明 らか に 新 た な 局 面 を迎 えた 。 な か で も特 筆 す べ き は 、作 家 エ ル ンス ト ―ハ ル ター が 中 心 に な つ て編 まれ た 論 集 『 ハ イ ジ像 、 そ の立 身 出 世 』25と 、 同年7月 に チ ュ ー リ ヒで 開 かれ た 国際 会 議 「ヨハ ンナ ・シ ュ ピー リ、人 と作 品 」 で あ る。 前 者 のハ ル ター の 論 集 にお い て 19Vi皿ain,Jean:.乙 腰6臨 伽 伽 θ㎞ θZこ 励 ㎜ ヨ伽'磁(ノ 伽2窃 孟Z ich/Fraue】lfeld1997. 激)Eb己,5.173-211. zi Wartburg ,Marianne von:Lichte H hen― 、0嘘5盟 加31ゑ 伽(か σ励 ㎜ ヨ伽EgeLsbach 2000― 羽 注5をG 盤Hasle葛EMehne:Die Wachsfl elfrau Geschichte derEmilyKempin-Spyri Z ich/Frauenfeld 1991 . 泌 法律家エ ミリー ・ ケ ンピンが 当時 の女 性運 動 と行 つた共闘 とそ の挫折 にっいては 、】 莞lfbsse,Marianne: Emilie KempinSpyri(1853-1901). Ziirich 1994;Berneike, Christiane Die Frauenfrage istf?ecbtslrage. Die Juristinnen der deutschen Frauenbewegung und das b gerliche GeseG2buch Baden-Baden 1995, S,81―102;屋敷 二郎 「 エ ミリー ・ケ ンピン=シ ュピー リ研 究序説」:一橋大学怯 学部創立五十周年記念論文集 『 変動 期にお ける法 と国 際関渕 有 斐閣2001年 、83104頁;同 左 「 法律家 としてのエ ミ リー ・ケ ンピン =シ ュピー リ ドイツ民法 典と女 性運動をめ ぐって」:『一橋論叢』126巻1号(2001年)、37∼53頁;同 左 「 晩年のエ ミリー ・ケ ンピンeシ ュ ピー リ」:卜1翻 宏判1巻1号(2002年)、125-138頁 、 笏Halt磯Emst(Hrsg .):血 誠 舳 舳 θ加θrπ興Zt憤ch 2001.[以 下で は、Harr(2001)と 表記1 -182一 は 、作 家 ・作.pWQその もの へ の研 究 の み な らず 、受 容 史研 究 に大 きな スペ ー ス が 割 か れ て い る の が 目を 引 く。 そ こで は 、 さ ま ざま な言 語 へ の 翻 訳 ・翻 案 、輿 象化 、 さ らに は 観 光 産 業 の 問 題 に ま で 及 ぶ メ デ ィア 横 断 的 な視 座 が 確 保 され て お り、現 代 の 児 童 文学 研 究 に とっ て 一 つ の ス タ ン ダ ー ド が 示 され て い る と言 え よ う。 ま た 白黒 ・カ ラー 図 版 を多 数 収 録 して お り、 古 今 東 西 の 『ハ イ ジ 』 の版 に 添 え られ た イ ラ ス トの歴 史 が 概 観 で き る よ うに な つて い る。 ヴィ ジ ュ ア ル 的 に も魅 力 的 な -冊 で あ る 。 上 述 のチ ュ ー リ ヒ で の 国 際 会 議 に は 日本 か ら も板 東 悠 美 子 と高 畑 勲 が参 加 し、そ れ ぞれ 日本 で の 作 品 受 容 の 状 況 と 、 ア ニ メ ー シ ョ ン版TVシ リー ズ 『アル プ スの 少 女 ハ イ ジ 』(1974)の の 経 緯 につ い て 報 告 を行 つ た 。 同 会 議 の 内 容 は2004年 『ヨハ ンナ ・シ ュ ピー リ― 制作 、スイ ス 児 童 メ デ ィ ア研 究 所zsに よ って 人 と作 品 を読 み 解 く』27と して 世 に 出 され て い る。ハ ル タ ー の 論 集 とは 執 筆陣 が 一部 共 通 して お り、各 国 に お け る受 容 史 の 紹 介 に力 を入 れ て い る点 な どテ ー マ 設 定 も似 通 って い る面 が あ る。 強 い て 比 較 す る な らば 、全 体 と して 、前 者 よ りもや や専 門 性 が 高 い と 言 え るだ ろ う。さ ら に 「 付 録 」 と して シ ュ ピー リの親 戚 ・ 知 人 宛 の書 簡45通 を.m_ して お り、 資 料 集 と して の 性格 も あ る。 3―a.作 者 とそ の 時 代 以 下 で は 、上 で 紹 介 した 二 冊 の 論 文 集 を 中心 に 、現 在 の 研 究 状況 を概 観 す る。 ま ず 、 作 家 本 人 お よび彼 女 が 生 き た 時 代 に つ い て新 た に 提 示 され た 論 点 を総 括 しよ う。E・ ハ ル ター は 、 自 らが 編 ん だ 論 集 の 巻頭 を飾 る 「ヨハ ンナ ・シ ュ ピー リ とマ ル リ ッ ト、孤 児の 世紀 」29に お い て 、同 時 代 の 女 性作 家 マ ル リ ッ ト(本 名 オ イ ゲ ー ニエ ・ヨー ン 、1825―87)と シ ュ ピー リを比 較 しな が ら 時 代 背景 を考 察 して い る。 ご く保 守 的 な 傾 向 を もつ シ ュ ピー リに対 し、マ ル リッ トは 自由 主義 的 で 女 子 教 育 に も積 極 的 で あ っ た 。 そ の 明 らか な 方 向 性 の相 違 に もか か わ らず 、 作 品 内 に 「 孤児」 が頻 繁 に登 揚 す るの が 両 者 に 共 通 し て 見 られ る特 徴で あ る。 これ は19世 徴 を な す も の で も あ り、繁 栄 を きわ め た 「 市民の世紬 紀 の 欧 米文 学 全般 の 特 が 内 に抱 え る実 存不 安 を象 徴 して い るの だ とい う。 26略 称S㎜ スイス児 童 文学 連盟(Schweizerischer Bund f Jugendliteratur)と スイ ス児 童書 研究所 (Schweizerisches Jugendbuch・lnstitut)が 合 併 して2002年 に発 足 、シュピー リ関係の 出版物 や粁11資料 を多数納 めた 「 ヨハ ンナ ・シュ ピー リ文書 館」(」Ohanna Spyri-A1℃hiV)が併 設 されてい る。 ウェブサイ ト http=//wwwsikjm.ch/ rSchweizerfiches Institutf Kinder und Jugendmedien iHrsg .):。 励㎜ 伽'㎜ ゴ血'陥 炊 血 勲 且 Z ich 2004― シ ュピー リ著 作 目録 ・研 究 文献 目録あ り(S.274―283)。[以下、加 鵬 盟 と略記1 おEb己 ,5.223-273. 凶Ha1甑Emst:Johanna Spyri ,Marlitt und ihr verwaistes Jahrhundert. In:Halter(2001),5.9-27. -183一 バ ル バ ラ ・ヘ ル ブ リ ン グの 「 チ ュlリ ヒの 自 由 主 義 政 権 と葛 藤 す る保 守 的 家 族 」30は 、1848 年 前 後 の 激 動す る政 治状 況 の 中 に シ ュ ピー リを位 置 づ け る 。そ の 際 、ヘ ル ブ リン グ は主 な資 料 と して 、 ま ず 作 家 の兄 で 自然 科学 者 の ク リステ ィ ア ン ・ホイ サ ー(1826―1909)の る。 結 婚 後 に シ ュ ピー リが暮 らす こ とに な るチ ュ ー リ ヒで は1840年 手 紙 を用 い て い 代 中 ご ろ か ら 自由 主義 政権 が成 立 して い た が 、彼 女 とそ の親 族 は反 対 陣営 に 属 して い た 。 ま た 、作 家 本 人 が表 立 つて 政 治 の 世 界 に触 れ る機 会 は つ い に な か っ た も の の 、1852年 ピー リ(1821-84)は に そ の 夫 とな る弁 護 士 ベ ル ンハ ル ト ・シ ュ 、 保 守 系 の 『ス イ ス連 邦新 聞 』(Eidgen舖sische Zeitungiで の編 集 ・執 筆 活 動 を通 じ、活 発 に リベ ラル 派 への 攻 撃 を行 つ て い た の で あ る。 1997年 に新 しい シ ュ ピー リ伝31を 出 したR・ シ ン ドラ ー は 、 上 記 二冊 の論 集双 方 に寄 稿 して い る 。そ の うち 、「 『 ハ イ ジ』成 立 に 関す る ニ ュlス ― あ る女 性 の 生 涯 の 反 映 と して の 作 品 」32で は 、作 家 が愛 読 した ゲー テ や ドロス テ=ヒ ュル ス ホ フ、讃 美 歌 作 者 パ ウル ・ゲ ル ハ ル ト、 同 時 代 で 交 流 の あ っ た ケ ラ ー やC・F・ マ イ ヤ ー な ど 、 作 品 に影 響 を与 えた 可 能 性 の あ る文 学 者 た ち と シ ュ ピー リの 関 わ りが簡 潔 に総 括 され て い る。 間 テ クス ト性 に着 目 して 『ハ イ ジ 』 に ア プ ロー チ す る 場 合、 これ らの 記 述 が ―つ の前 提 とな るだ ろ う。 同論 文 に は他 に 、作 品 成 立 当時 の作 者 の交 友 関 係 に つ い て も若 干の 考 察 が あ る。また 「 作 者 と 主 人 公 一 ―ハ イ ジ は第 二の ヨハ ンナ か?」 詔 で シ ン ドラー は 、作 品 の登 場 人 物 ハ イ ジ と作 者 シ ュ ピー リの 単 純 な 同 一 視 を戒 めつ つ も 、作.q 内に 描 かれ た 家 族 像 と作 者 自身 の 家 族 関 係 を比 較 して み せ て い る 。 3-b.「 1990年 女 性 」 の視 点 か ら 代 に急 成 長 した ジ ェ ン ダー 論 的 な研 究 方 向 は 、今 や シ ュ ピー リ研 究 の うち主 要 な部 分 を なす 分 野 に 発 展 した観 が あ る。特 に国 際 会議 の記 録(2004)の ほ うで は 、序 文 でV・ ル ッチ ュ マ ン が 述 べ て い る とお り、訓 文 学 お よび 仕会 に お い て 「 女陶 が 果 た す役 割 とい う視 点が 、論 集 全 体 を 通 じて 前 面 に押 し出 され て い る。同 論 集 に所 収 のル ッチ ュ マ ンの 論 文 「 活 動 的 な 少女 た ち /感 受 性 の 強 い少 年 たち一 ヨハ ンナ ・シ ュ ピlリ の 児 童 文 学 作 品 に つ い て 」35が 、先 行 研 究 の 30Hei)lieg ,Barbara:Eine konservative Familie im Konflikt mit Z ichs libera]sm Regiment In:Lesarten, S.---44.付 録 と して クリステ ィア ン ・ホイサー の書簡を収録(S2゚一41)。 31注18を 参照℃ 詑Schiedler , Regine:Neues zur Entstehung von Heidi Das Werk als Spiegel einer Frauenbiographie. h1: 1ゑ伽 賜S45も2 Schindler,Regine Die Autorin und ihre Figux:Ist Heidi eine zweite Johanna?‐Ein Ger ht, an dem die Dichterin nicht unschuldig ist.Ixi:HalterX2001),5-47-63. Lesarten(Einleitung, S―7. 訪Ru曲 ㎜ ,Verena:Energische M臈chen-sensible Buben. Zu den Kindergeschichten von Johanna Spyri In:.乙 θ膿 鶏5.91―106― -184一 問 題 意 識 を 踏 ま え た ジ ェ ン ダー 論 的 考 察 と して範 例 的 な も の で あ る と言 え る。同 時 代 ドイ ツ の 児 童 文 学 作 家 オ ッテ ィー リエ ・ヴ ィル ダ ー ム ー ト(1817・77)や 同 時 代イ ギ リス児 童 文 学 との 比 鱒 を通 じて 浮 か び 上 が る の は 、作 者 シ ュ ピー リが 明 瞭 に 保 守 的 な 立場 を と つ て い た に もか か わ らず 、 そ の 多 くの 作 品 に描 か れ た 少 年 少 女 た ち が 、実 は 伝 統 的 な男 女役 割 の イ メー ジ を 逸 脱 ・破 壊 して い る とい う点 で あ る 。 同 論 集 に 収 録 され て い る ア リス ・エ ッ トヴ ァイ ンの 論 文37は 、女 性の 大 学 教 育 の テ ー マ を 少 女 ノ 」・ 説 の分 野 で 扱 つ た 先 駆 作 と して 、 シ ュ ピー リの 長 篇 『ジー ナ』(1884)を 取 り上 げ る。 医 学 を 志 しな が ら も夢 を諦 め て結 婚 す る 女 主 人公 を描 く 『ジー ナ』 は 、基 本 的 に は 同 時 代 の女 性解放 の 流 れへ の反 動 と見 な す こ とが で き る。認 ス イ ス の チ ュー リ ヒ大 学 で は1864年 か ら女 子 の 就学 が 実 現 して い た(こ れ は ヨー ロ ッパ で はパ リに 次 い で二 番 目に 早 い)が 、シ ュ ピー リは 大 学 で の 女 子 教 育 に反 対 して い た 。 しか し作 品 の テ ク ス トか らは 、単 な る保 守 性の み に 回収 され な い 作者 の 複 雑 な 立場 もま た 読 み 取 る こ とが 可 能 だ とエ ッ トヴ ァイ ン は論 じて い る。 19世 紀 市 民社 会 にお け る 「 女陶 集(2001)で の 地 位 と シ ュ ピー リ文 学 の 関 係 に つ い て は 、 ハル タ ー の論 も二 つ の 論 文 が 、特 に 「 医 学 」 とい う観 点か ら、光 を 当 て て い る 。 上述 の 伝記 作 者 J・ ヴ ィ ラ ン は 、論 説 「 早 くか ら 目覚 め た 、 医 学 へ の ヨハ ンナ の 関 心 」 釣 に お い て 、 シ ュ ピー リ 作 品 に頻 出 す る'L身 両 面 の 「 病 気jの モ チ ー フ を 、作 者 の 家 庭 環 境 お よび 市民 家庭 の抑 圧 的 な雰 囲気 と 関連 づ けた 上 で糊 観 す る。 ヨハ ンナ の父 と祖 父 は 医 師 で あ り、彼 女 は幼 少 期 か ら医 学 的 な もの に触 れ る機 会 が あ つ た と考 え られ る とい う。ω これ に 対 して イ ヴ ォ ン ヌ ・フルlリ 母 た ち 、傷 つ いた 父 た ち一 「 虚弱 な ヨハ ン ナlシ ュ ピー リの 児 童 文 学 作 品 に お け る 肉体 的 病 気 の 描写 と 機 能 」41は 、 シ ュ ピー リ作 品 に お け る 「 病 気 」 の表 象 を 伝 記 的 要 素 に還 元 す るの で は な く、文 学 的 に 特 殊 な 意 味 を担 わ され た モ チ ー フ と して 、文 化 ・社 会 史 的 に考 察 す る。 シ ュ ピー リの描 く女 性 が(病 名 の 詳 らか で な い)「 虚 弱 」 に 悩 み が ち な の に 対 し、男 性 は 事 故 な どで 負 傷 す る と され るケ ー ス が 多 い 。 これ は 、 フル ー リの 見 解 に よ る と、 ま さに 女 性 を 「 弱 き性 」 と して 表 象 す る 36上 述 のハ ル ター の論集 で もル ッチュマ ンは、やは りヴィル ダームー トとの比 較 を通 じ、『 ノ・ イ ジ:dの宗教 的 要素 を考察 してい る。Rutschmann, Verena:。Gott sitztim Regimente!Und f ret alleswohl"Zu den Kinderb 訂Ettwein hern von Johanna Spyri. In:Halter(2001),5.207-219. , Ahce:Jc)ha㎜ 旧Spyris 5吻 血m Kontext des zeitgen ssischen M臈chenbuchs. In:五θ 蜘 皿 5.63―89.にれ は2001年 の 匡際 会議 で発 表 された ものではな同 認 特 に、三 児の母で あったエ ミリー ・ケン ピン(注23,24を 参照 彼女は 当初 、医学部を志望 していた)が チュー リヒ大学へ入 学 した経 緯に触 発 され た可能性 を、」・ヴィランが示唆 して いる。Villain(1997),S―283. おVii皿ain ,Jean:Johannas fr erwachter Sinn flusME∋(iiziivsche. In:Harr(2001)5.65-81. 如 なお、そ の生育環境 が一種 の トラウマ を残 した可能 性につ いて、Fmhlich/Winkler(1986),5.17.39で 論 じ られ てい る(注5を 参照)。 41Fluri , Yvonne Schwache M ter, verletzteV舩er. Darstellung und Funktion physischer Krankheit in den I(indergeschichten Jbha㎜Spyr給. In=Halter(2001), S―83―93― -185一 19世 紀 約な 男 女 観 を 反 映 した もの に他 な らな い 。 3―C.ト ポ ス研 究 ジ ェ ン ダー 論 的 な 方 向 と並 ん で 重 要 な の は、や は り1990年 とい う文 学 的 トポ スが 担 う意 味 と機 能 を め ぐ る漣 代 の 研 究 の流 れ を汲 む 、「 アル プ ス」 の 考 察 で あ る。 これ に関 して は 、ハ ル ター の 論 集 に寄 稿 した スイ ス の 研 究 者 らが 力 を注 いで い る。 ゲ オ ル ク ・エ ッ シ ャー は 「山 に 名前 は な い ―l長 篇 『 ハ イ ジ』 に お け る地 理 的 ・社 会 的 ・美 学 的 な空 間 」姐 で 、作 中 に描 か れ た アル プ ス の 山 と都 会 フ ラ ン ク フル トとい う二 つ の空 間 の対 立 関係 に 注 目 しっ つ 作 品 を精 読 して い る。そ の 読 解 に よ る と、暗 黙 の うち に作 品 世 界 の 中心 に座 して い るの は(何 ら具 体 的 ・明 瞭 に は描 かれ な い) 「 都 会 」 で あ り、そ の空 間 との対 比 が 、辺 縁 と して の 「 山」 の文 明批 判 的 な価 値 を創 出 す る の だ とい う。 ク リス トフ ・グ ロの論 考 「 ハ イ ジ― ア ル プ ス の 小 さ な神 」43は 、や や エ ッセ イ 的 な 内 容 な が ら、 「 ハ イ ジ」 の 物 語 が ス イ スの 国 家 意 識 の た め 「 神 話 」 と して 果 た した イ デ オ ロギ ー 的 性 格 に着 目 しっ つ 、ハ イ ジ像 に まっ わ る現 象 を 広 く概 観 して 啓 発 的 で あ る。 これ に 続 い て 同 書 に 収 録 され て い る ク リステ ィー ネ ・ミュ ラー 「 ハ イ ジな ら リン ゴ に命 中 させ た か?」 磁 は 、ス イ ス 人 の 国 民 的 ア イ デ ン テ ィテ ィー に とつ て 「 ハイ ジ」 と 「 テ ル 」 とが 担 う機 能 の違 い 、特 に男 女 に お い て異 な る意 味 合 い を 、深 層心 理 学(ユ ン グ 心 理 学)の モ デル に も とづ き分 析 す る。 他 に ヴ ォ ル フガ ング ・ハ ックル も 、19∼20世 を扱 っ た2004年 紀 にお け る ア ル プ ス 旅 行 の 文 化 史 とい うテ ー マ の著 書 の 中 で シ ュ ピー リ作 品 を取 り上 げ 、 文 学 作 品 に描 か れ た 伝 統 的 アル プ ス 像の 「 通 俗 化 」 とい う観 点 か ら論 じて い る。45 4.「 文 学 」 の 外 部 ヘ ア ル プ ス 像 ・ハ イ ジ 像 を め ぐる 問 題 系 は 必撚1的に 、シ ュ ピー リ作 品 が後 世 にお い て どの よ うに 受 容 され た か とい うテ ー マ に 重 な っ て く る。 実 際 、前 節 で 挙 げ た 論 者 た ちが(多 かれ 少 な か れ) 言 及 せ ざ る を えな か っ た 作 品 受 容 とい う間 題 は 、こ こ数 年 の あい だ に研 究が め ざ ま し く躍 進 した 部 門 で あ る と同 時 に、最 も大 きな 問 題 性 を は らん で い る よ うに も見 受 け られ る。以 下 で は 最 後 に 、 世 界 各 国 にお け る受 容 史 と、さま ざま な メデ ィア へ の 展 開 を め ぐ る研 究 を一 瞥す る。さ しあ た り、 Escher, Georg Berge heissen nicht".Geographische, sozialeund舖thetische R舫me im Heidi"・Roman. IriHalter(2001),5.277-289. 娼Gms ,Cluvstophe:Heidi Die kleine Berggottheit.In:Halter(2001), S.115-129. MM ler ,Christine:H舩te Heidi den Apfel getroffen?In:Halter(2001), S.131-139―この同 じ著者 には他に、 シュピー リ作品 に おけ る女性像を考察 した以下の論文 がある。Dies.:Warum Heidi nicht erwachsen wird. Oder die Frauenbilder der Johanna Spyri.In:Fundev ge1148(2003), S.35-56. 筍Hackt , Wo】(gang:盈㎏ θ加祀ηθ加 伽(des.刀 ね 遊砿細 θWahznehmung des alpinen 7burismus im 19.und21」.Jahrhundert T ingen 2DO4,5.78-84. ‐iss‐ 各 国 語 へ の 翻 訳紹 介 の 状 況 を 扱 っ た も の を 、 言 語 ご と に 見 て い く こ と に し た い 。 4―a.各 国語圏で の受容 『ハ イ ジ 』 の フ ラ ン ス 語 へ の 翻 訳 は 非 常 に 早 く 、 原 作 第 ― 部 の 出 版 の 二 年 後 、1882年 で あ る 。 最 初 の 仏 訳 者 で あ る カ ミー ユ ・ ヴ ィ ダ ー ル(1854・1930)は の こと シ ュ ピ ー リ本 人 と も 直 接 に 親 交 が あ り 、 後 に 女 性 解 放 運 動 に 身 を 投 じ た 人 物 で あ つ た 。 ドニlズ ・フ ォ ン ・シ ュ ト ッ カlの 「ス イ ス ・フ ラ ン ス 語 圏 へ の ハ イ ジ の デ ビ ュ ー 」 妬 は 、 こ の 二 人 の 接 点 を 紹 介 し て い る 。 た だ し 、 ヴ ィ ダ ー ル の 訳 は 現 在 で は あ ま り普 及 し て い な い 。 フ ラ ン ス の 読 者 は 、 む し ろ ス イ ス の フ ラ ン ス 語 圏 に 位 置 す る 都 市 ロ ー ザ ン ヌ の 翻 訳 家 シ ャ ル ル ・ ト リ ッ テ ン(1908-48)に で ハ イ ジ 像 に 親 し ん で い る 。 ト リ ッ テ ン の ―連 の よる訳 『ハ イ ジ 』 翻 訳 お よ び 続 編(全5冊)47は 、 主 人公 の そ の 後 の み な らず 子 や 孫 の 世 代 ま で を描 き出 し、一 種 の 大 河 小 説 の様 相 を 帯 び て い る 。 同 作 は フ ァシ ズ ム と世 界 大 戦 の 時 代 にお け る 「 精 神 的 国 釦 坊 衛 」(Geistige Landesverteidigung) の 流 れ の 一環 に 位 置 づ け ら れ 、 そ の 内 容 に は ス イ ス 人 の 愛 国 心 を 強 化 す る 意 図 や 、 家 族 の 大 切 さ な ど伝 統 的 な 価 値 観 を 称 揚 す る 傾 向 カミ目 立 つ 。 ロ ジ ェ ・フ ラ ン シ ョン の そ う し た 点 を 批 判 的 に 論 じ て い る 。 ま た エ リlザ 「ハ イ ジ の 変 容 」 娼 は 、 ベ ト ・ア プ ゴ ッ ツ ボ 」 ン は 、 ト リ ッ テ ン の フ ラ ン ス 語 訳 文 と原 作 と の 文 体 比 較 を 行 っ て い る 。娼 そ の 比 較 を 通 じ て 、 こ の 訳 者 が 原 作 の 言 葉 遣 い を 単 純 化 し て い る 点 や 、 ハ イ ジ を よ り 消 極 的 に 、ペ ー タ ー を よ り積 極 的 に 描 く な ど 、 登 場 人 物 の 性 格 を 因 襲 的 な 性 役 割 に 沿 わ せ よ う と す る 方 向 が 浮 き 彫 りに さ れ る 。 そ し て イ ザ ベ ル ・二lル= おStockar .,Denise von:Les debuts de Heidi en Suisse romande. C'amille Vidax:In:Lesazten,5.107-116. 47『 山 の 少 女 の す て き な 物 言副1(Heidi;]a merueilleuse histoire dune Slle de Ia montagne ,1933);『 ノ'》 イジ は 成 長す る』(惣 泌6㎜o姥1934);『 etses enfarits,1939);『 刊徒 ノ繊 若 き娘 ハ イ ジ』(Held;jeune Slle,1936);『 ノ・ イ ジ と子 ど もた ち』(Heidi' ば あ さん 』(Heidigzandmere,1946)。 この うち 最 初 の 一 冊 は 『ハ イ 遡 い禍 パ リ㎞ ㎞n肋 ら 第 嗣 部 の 翻 訳 、 二 冊 目は 第 二 部 に訳 者 が 後 日諌 を 書 き 加 え た 翻 案 、 残 り三 冊 が 純糖 こ ト リッテ ンの 手 に な る続 編 で あ る。 しか し三 冊 目ま でG莓 者 と して も トリ ッテ ン の 名 が記 載 され ず 「ヨハ ンナ ・シ ュ ピー リ作 」 と銘 打 たれ てお り、五 冊 目は 委 細 不 明 の 「レア 」(Rea)名 義 で 出 され た 。 日本 で は 三 冊 目 と四 冊 目の み が 、 仏 語 版 とは や や内 容 の異 な る英 語 版か ら重 訳 され て い る。 『ハ イ ジ の 子 ど も た ち 』(村 岡 花子 訳)朋 文 堂1959年;『 そ れ か らのハ イ ジ』(各 務 三郎 訳)読 売 新聞 社1979年;『 ハ イ ジの こ ども た ち 』 同 左1980年 』 聡Fran(;illon , Roger:Heidis Metamorph〔>sen In:Harr(2001), S.237・251.こ の 他 に 、 トリ ッテ ン 作 品 を 上 記 の 観sか ら批 判 的 に扱 つ た 先 行 研 究 と して は 、Mooser, A皿e―Lise:"Heidi"et son adaptation francaise ou Palienation dune liberte. In二謝 ㎝ 距 θ'〃05吻a盈 倣 伽 〃㌍ φ θ伽 血 幽伽 伽 曲 曲 θ suisse. Z ich 1992, S―27-35;Kaieber, Isabel:Franz6s観he Fortsezung von Jl Spyhs,,Heidi``―Romanen― In:M田1e鴨Heidy Margriじ 」 動励 由翻 θ踊 碗 αη(ノ 毎 幽8敏 ゐθ伽b伽(癌 θηπ 鋤 磁 θ舳 θη Jugendliteratur:Bern 1998,5.131-157. ⑲Abgottspon , Elisabeth:,馬i(蒼 ㌧ 亡殴〕ersetzt und ver舅dert von Charles IYitten. In:Halter(2001), 5.221-235. -187一 シ ュ ヴ レル の 「フラ ンス に お け るハ イ ジLl不 幸 な す れ 違 い 」50は 、 トリ ッテ ン作 品 を含 む フ ラ ン ス語 圏 で の 翻 案 ・改作 の 歴 史 を、原 作 の 姿 を著 し く歪 めた 例 と して 、や は り批 判 的 に概 観 す る。 英 語圏 で の 受 容 に 関 して は イ ギ リス とア メ リカ の翻 訳 史 を対 比 させ な が ら紹 介 す る エマ ― ― オ サ リバ ンの 「ス イ スの 山 か ら来 た 小 さな少 女+十 英訳 され た ハ イ ジ 」51が 有 益 な情 報 を 与 え て くれ る。 それ に よる と、英 国 にお い て は固 有 名 詞 を英 語 化 す るな ど、原 作 を 自文 化 へ と同化 させ よ うとす る傾 向 が見 られ た の に 対 し、米 国 で は全 体 に エ キ ゾチ シ ズ ム を強 調 す る傾 向 が 強 か っ た と総 括 で き る とい う。モ ニ ク ―シ ュテ ー リ 「 ハ イ ジ の 新 た な 故 郷 ―-9世 紀 後 半 の ア メ リカ児 童 文 学 に お け る子 ど も像 」 とマ イ ケル ・ハ ー ン 「 ハ イ ジ 、 ア メ リ カへ 行 く」 は 、互 い に類 似 した観 点 か らア メ リカ での 受 容 史 を 考 察 す る。52『 若 草 物 語 』(:.:.)や な どが 書 か れ た1865年 こで 『ハ イ ジ』 が1884年 ∼1914年 『トム ・ソー ヤ ー』(1876) の 時 期 は 、い わ ば ア メ リカ 児 童 文 学 史 上 の黄 金 時代 で あ る。そ の 翻 訳 以 来 、 す みや か に 人 気 を獲 得 した背 景 に は 、 当 時 ア メ リカ で も や は り似 た よ うな 「 孤 児」 の モ チ ー フ が 流行 して い た こ とが あ っ た よ うだ』 『新 チ ュー リ ヒ新 聞』2001年7月7日 号 に 掲 載 され た ミハ イ ル ・シー シ キ ン 「 ハ イ ジの 罪 と 罰l」 ア ル プ ス か ら来 た 少 女 の ロ シア で の 運 命 に つ い て」53は 、 シ ュ ピー リ受 容 の 問 題 を軸 に、 ソ連 時 代 の外 国 児 童文 学 を め ぐ る状 況 を回 想 した 異 色 の エ ッセイ で あ る。か つ て 共 産 党 政 権 下 で 『ハ イ ジ』 は ブ ル ジ ョワ芸 術 と して 長 ら く発 禁 本 と して 扱 われ 、現在 も ロシ ア で ―般 に 知 名 度 を 獲 得 す る に は程 遠 い。 だ が 革 命前 に は 、す で に翻 訳 が 存 在 して い た とい う。 少 女 時 代 に ス イ ス や ドイ ツ に滞 在 した こ との あ る詩 人 マ リー ナ ・ツ ヴ ェ ター エ ヴ ァ(1892-1941)は 読 して い た ら し く、 自伝 的 短 篇 『蔦 の 塔 』(1933)の 4―b.日 『ノ・ イ ジ』 を愛 中 で こ の 本 に 言 及 して い る。 胆 本 で の 受容 と メデ ィア 上 の 展 開 日本 で の受 容 の 問 題 は 、 上 述 の高 畑 勲 に よ るTVア ニ メ の 巨 大 な影 響 力 ゆ え に 、 「 文 学 」 の枠 を超 え た 各種 メデ ィア へ の 展 開 と商 品化 の問 題 を抜 き に して は語 れ な い 性格 の もの で あ ろ う。55 Nieres-(;hevrel,Isabe皿e:Heidien France. Un rendez-vous manque. In:Lesarten,5.117-137. 510'Sullivan , Emer:The littleSwiss gir1魚)m mountai.ns. Heidi hl englischenワbersetzungen. In: 、 乙esarten,5.139―162 砿St臧li, Monique:Heidis neue Heimat. Kinderfiguren in der amerikanischen Kinderliteraturdes sp舩en 19Jahrhundert. In:Halter(2001),5.253.261;He㎜, Michael:Heidi gces to Ameri(;a. In=加 舵 賜 S―163-181.後者 でハー ンは、 合 衆国の文芸批評の分野 にお いてシ ュピー リ文学 がごく冷 遇 され てきた経緯 に 触 れ、その一因 をアメ リカの研 究者た ちの英米中心主 義に求 めている。Ebd., S.167ff Michail Schischkin:Heidis Schuld und S ne.ワber das Schicksal des M臈chens aus den Bergen in Russland In:NeueZ zherZeitungNr.155(7. Juli 2001),5.75. 胆H蜘eBa , Map∬Ha:Bam珊B皿 瓜)uxe.h:Dies.:蜘 θ伽 ㏄㎜ η四, L7腟6N,3㎎ 駅 珊 五 CO6paHHe oo㎜eH雌B7エu聡1DM 5. MocxBa 1994,5.141-148, hier 5.147£ 聞 日本国内にお ける研究 状況の概 観は、本稿では断念す る。全 体的な傾向 と して、児童 文学論 や教育学の分野 一188一 その 楓 ア ヤ ・ドlメ ニ ッ ヒの 論 考 お は 特 にサ ブカ ル チ ャー の 分 野 に お け る 日本 の 「 ハ イ ジJ受 容 を分 析 した も の で 、 日本 文 化 論 と して も読 み ごた えが あ る。 著 者 は 「 か わ い い 」 を キ ー ワー ド に据 え 、日本 にお け る高 畑 作 品 の 人 気 を ジ ェ ンダ ー 論 的 に分 析 した 上 で 、い が ら しゆ み こ(1950う の 少 女 マ ン ガ 版(1998)に も言 及 して い る。 板 東 悠 美子 「日本 に お け るハ イ ジ 」57は 、 日本 で の 欧 米 文 学 翻 訳 史 の 中 に 『ハ イ ジ』 受 容 を位 置 づ け る。 野 上 弥 生 子 の 初 訳(1920)と 訳 『 楓 物 語 』(1925)が 主 に 扱 われ て い る。 高 畑 勲 の 卿 それ に続 く シ リ― ズ 『ア ル プス の 少 女 ハ イ ジ』 が で き る ま で 」駆 は 、 自 らが 監 督 した ア ニ メ番 組 の 制 作経 緯 に っ い て語 っ た もの 。原 作 か らの変 更 点 の 意 図 な どの 説 明 が な さ れ て い る。 ヴ ァル タ― ・ラ イ ム グ ルlバlの 第 一部 が1880年 「 ハ イ ジ― あ る メ デ ィア 的 成 功の 本 質 と変 遷1弱 は 、原 作 に 刊 行 され て 以 来 の 出版 事 情60や 各 国語 へ の 翻 訳 、舞 台 化 ・映 像 化 、 商 品化 の 経 緯 な ど を概 観 した もの で あ る。原 作 の 主 要 な テ ー マや 人 物 像 が 各 メデ ィア に お い て どの よ うに 変 奏 され て い つ た か に つ い て も 、若 干 の 考 察 が な され て い る。 イ ング リ ッ ト ・ トム コ ヴ ィ ア ク の rス イ ス50年 代の 『 ハ イ ジ』 映 画 化 」61は 、 スイ ス 映画 『ハ イ ジ』(1952)お ペ ー ター 』(1954155)を よび 『ハ イ ジ と 扱 う。 こ の 二 本 は 、 現 在 で は必 ず しも 芸 術 約評 価 こそ 高 くな い もの の 、 戦 後 の 混 迷 期 に ス イ ス の 理 想 像 を 国 内 外 へ 向 け て 宣 伝 す る 上 で 、看 過 しが た い 役割 を果 た した と い う。 な お 、原 作 の ノ ト説 『ハ イ ジ』 を教 育 の場 に お い て 教材 と して 使 用す る効 能 は 早 くか ら議 論 され て い た が 、碑 レナ ー テ ―ア ム アlト は 、上 記 の 映 像 化 作 品 な ども資 料 に用 い て チ ュ ー リ ヒの ジ ー ル フ ェ ル ト校 で 行 つ た 、 「 ハ イ ジ」 に 関 す る 特 別授 業(小 学0年 生 対 象)の 体 験 を記 して い で、また は紀 行文 な どで随 伴的に 『 ノ》 ジ』へ言及がな され る例は多 い反 面、同作が ドイ ツ文学 研究の場 で 注 目され る ことは少ない。 わず かな例外 としては高欄 建二に よる略伝 『シュ ピー リの生渕 彌生書房1972 年[増 補 版:『アル プ スの少女ハ イジ とともに』彌 生書房1984年1が ある。また 、『・ ・ イ ジ』の作.q 内 容や 日 本 での翻訳 事情な どを―通 り概 観 した もの として、南(山 田)は るつ 「 ヨハ ンナ ・シ ュピー リ作 『 ハ イジ』 の研究 」①:東 京音楽 大学 『研究紀1要』19集(1995年)、85-103頁;⑪:同 左21集(1997年)、91∼106 頁;(m:同 左25集(2001年)、145-162頁;(W):同 左27集(2003年)、6794頁 。 おDomenig ,Aya:"Gtrte Heidi". Zur Rezeption von Heidi in Japan. In:Halter(2001),5.149-165. 57Bando Salto ,Yuiniko:Heidi in Japan. In:Lesarten, S―183―iss.[講 演形 式の ま ま収録1 砺Tb㎞hata , Isao=Malring ofthe TV Series"Heidi, the Girl ofthe Alps"―In;∠ α㈱ 鴉S189―204. 演形 式 のま ま収 録1 59Leimgrober ,Walter:Hei(li Wesen und Wandel eines medialen Er&)lgβ 鼠In:Halter(2001), S―167―185. 60シ ュ ピー リの生前 ・死後 の作品 出版 事情 については、J・ ヴィランに よる伝記研究 の第9章 で、数 値データ を交 えて詳述 され てい る。Villain(1997),S,258-303. ei lbmkowiak , Ingrid:Die Heidi"-Filme der f f舁terJahre. In:Harr(2001),5.263―275.【 後に 加 勲 鶏 5.205―222に耳 言丁片 反カミ 醐 団 例 えばR・ プ ロイ アーは、原 作小説 を用 いて(ラ ジオ劇 の制 作な ど)相 互作用 的な授 業を行 うこ とを提 案 し てい る。Braeuer, Ramona:Jc)hanna Spyris Heidis Lehr und Wanderjahre".Ein In:1】 白こ 」 働 昭2勿磁645(1992), S.305―310. -189一 Buch fairjungund alt― る 。63そ して ユ ー リ ・ギ ュー ル の 報 告磁 は 、1997年 に観 光 開発 地 域 と して指 定 され た ス イ ス 東 部の 「 ハ イ ジ ラ ン ド」65の 話 題 を 中心 に、ハ イ ジ像 に まっ わ る イ メ ー ジ を観 光産 業 の 振 興 の た め に 動 員 す る企 業 戦 略 と、 そ れ に と もな う多種 多様 な 商 品 化 の状 況 を追 っ た もの で あ る。66 * 以 上 の よ うに 、狭 義 の 「 文 学 」 を離 れ た アプ ロー チ は 、 シ ュ ピー リの 人 と作 品 それ 自体 の研 究 を圧 倒 す る盛 り上が りを見 せ つ つ あ る と言 え るか も しれ な い。つ い最 近 ま で は 、異 な るメデ ィア へ の 移 植 に対 しては 、 どち らか とい うと否 定 的 な見 解 が研 究 者 の あ い だ で 支 配 して い た 。67だ が 情 勢 は 変 化 しっ つあ る。 作 家 没 後100周 年 記 念 の 国 際 会議 の 言 齢 の表 紙 に 、 日本 製 の ア ニ メ 版 に 由来 す る絵 があ し らわ れ て い る の は 象 徴 的 で あ る。そ の変 化 は 、高畑 作 品 を は じめ とす る 映 像 化 作 品が 、今 や 原 作 の 読 者 を圧 倒 す る数 の視 聴 渚 を獲 得 して い る 現 状 に 対応 して い る の だ ろ う。 これ は 、あ る意 味 で 起 こ るべ く して 起 こっ た変 化 だ と言 え る。そ も そ もシ ュ ピー リ研究 の意 義 は 、 『 ハ イ瑚 と い う作 品 が結 果的 に 引 き起 こす こ とに な つた 諸 現 象 の 大 き さ と切 り離 せ な い の で は な い だ ろ うか 。そ の 大 き さの 理 由 を も つ ば らテ ク ス トの 内 部 に求 め よ う と した場 合 、そ の努 力 が と もすれ ば 徒 労 に見 え て しま うほ どの。― だ とす れ ば 、 メデ ィ ア の枠 を超 え て拡 大 しつづ け る 「 ハ イ ジ 」現 象 を見 据 え なが ら、そ の 状 況 の 分 析 の 成 果 を 作 品 研 究 に 投 げ返 す こ と、 あ る い は 逆 に 、作 品 自体 の 研 究か ら得 られ た 知 見 を 現 状分 析 に 生 か す こ と。 それ が今 後 の シ ュ ピー リ研 究 に 残 され た課 題 で あろ う。 aAmuat , Renate:Heidi im Sihlfeld][n:Harr(2001), S―141・147. ㎝G隅Ueh:Herzfigur und Markenzeichen .Zur Heidisierung im Schweizer`lburismus der Gegenwart. In: 正3alter(2001),5.187.199. 6ウ ェブサイ トhttp:〃wwwheidiland.com/ 66こ の問題 については、Villain(1997)5.201 お よびHadd(2004), S.82ffで も簡潔 に扱 われ ている。 醗 例 えばフ レル マ ンは1993年 の時 点で、原作の もつ 心理的 な深みを欠いた無 内容 な代物 として 日本製 アニメ を切 つて捨て ていた、H㎜ 】malm(1993),5.353.こ の見 方にヘ ル レも同調 し、のみな らず原作の映像化 を 押 しなべ て 「 通俗化」に他 な らぬ もの と して扱 つてい る。H舐le(1999)S.62E 田 注27を 参照、 一190一