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茶の歴史 本文181p
紅茶事典p 181-191 茶の歴史 2737B.C. 中国の伝説で、茶(茶樹の存在と薬としての茶葉の利用)が発見されたとされる。 180B.C. 中国、西漢の「馬王堆」の墳墓の副葬品の中に茶を意味する文字(荼、卜)が発見され た。 59A.D. 中国、前漢の四川省にて茶が商品化されていたことを示す契約文が見つかる。 350 頃 中国、茶の木と茶のいれ方について、記述があった。 380 頃 中国、四川省から揚子江沿いに、下流各地に喫茶のഹ習が広まる。 493 中国、斉の武帝の時代、トルコと絹、茶、陶磁器の貿易。 6 世紀頃 エチオピアのカファ(Kaffa)で、山羊飼いのカルディ(Kaldi)の山羊が、潅木の い実をिべるのを見てコーヒーを発見したという。 520 頃 インドの達磨大師、禅宗を広めるため、中国・広東の嵩山の少林寺に入り、9 年間面壁 座禅する。この時の睡との戦いに茶葉を噛んで助けられたとの伝説がある。 589 中国、隋の時代、貴族階級に社交的Џみ物として茶が普及した。 593 聖徳太子の時代に仏教とともに、喫茶のഹ習が日本に伝えられる。 760 中国、陸羽が「茶経」を表わす。 775 中国、唐の時代、モンゴル人に喫茶がはやる。(茶であったと推定される) 805 日本、最澄が、茶の種子を中国から持ち帰り、比叡山麓坂本に蒔く。(→ة江茶) 815 日本、喫茶についての最初の記༵が「日本後紀」にある。 828 朝鮮、新羅の興徳王の時代、唐より茶の種子を持ち帰り、智異山に初めて蒔く。 951 日本、空也上人が疫病の流行に対し、薬用として茶を普及させる。 10 世紀頃 アラビア、コーヒーはバンとかバンカムと呼ばれ薬用にЏまれていた。 1191 日本、栄西が中国から茶の種子を持ち帰り、佐賀県神埼郡背振山に蒔く。 1214 日本、栄西が最初の茶の書「喫茶養生記」を時の将軍源実朝に献上する。 13 世紀頃 アラビア、コーヒーのを煎ってЏむようになる。 1440 日本、ଥ崎県平戸に来た中国人達が佐賀・嬉野で陶器を焼き、自家用に持参した茶の種 子を蒔く.(→嬉野茶) 1454 コーヒーが、イスラムの聖職者から一般市民に広がる。 1504 日本、嬉野にきた陶工・紅令民が明より南京釜をいれ、炒葉製茶法を伝える。(日本の 釜炒り茶のはじまり) 1510 ポルトガル人、マカオで初めて茶に接し、本国に送る。 1557 ポルトガル、明からマカオの租借権をとる。中国との安定した交易開始。 1559 ベネツィア、ラムージオが旅行記「航海と旅行」に中国の茶の記事。 1567 ロシア、中国より陸路の茶の輸入を独占する。 1596 オランダ人、リンスホーテン「東方案内記」で日本の喫茶の紹介。 1605 ローマ法王、クレメンス8世がコーヒーにキリスト教のЏみものとしての市民権を認め る。 1606 オランダの東インド会社がヨーロッパ(オランダ)に初めて茶を送る。 1609 日本、平戸に和蘭商էが開され、コーヒーが初めて伝えられたとۄわれている。 紅茶事典p 181-191 1610 フランス、ルイ 13 世即位し絶対王制の基礎を作る。 1610 オランダ、マカオから中国茶、平戸から日本茶を本国へ送る。 1615 イギリスの東インド会社が日本の茶を注文する。〈手紙が残っている) 1618 中国、大臣がモスコー宮廷に献茶。 1630 代 フランス、ルイ 13 世スタイル(ヨーロッパ・ルネッサンス様式 14 17 世紀)始まる。 1641 オランダ、医師の N.ディルクスが自著に茶の薬効をあらわす 1642 イギリス、クロムウエルによる清教徒革命始まる。1649 年まで。 1640 代 オランダ、上流社会で喫茶が流行。(イギリスから亡命した貴族が喫茶を学ぶ) 1643 頃 フランス、ルイ 14 世スタイル。(ヨーロッパ・バロック様式 17 18 世紀中頃) 1650 イギリス、初めてのコーヒーハウス(男性のみ入店可)がオックスフォードにできる。 (ユダヤ人ヤコブス) オランダ人がアメリカのニューアムステルダム(現ニューヨーク)の人々に喫茶法を紹 介する。 1651 イギリス、「航海条例」制定、イギリスへの茶の輸入はイギリスの船のみがנ可される。 それにより、中国貿易の主導権をオランダから奪う。 1652 イギリス、ロンドンにコーヒーハウスができる。(ギリシア人パスカ・ロジー) 1657 イギリス、コーヒーハウスのトーマス・ギャラウエイがロンドンで茶販売開始。 1658 ロンドン、最初の茶の広告が週刊誌「政治通報」にのる。 1659 イギリス、はじめて下級発ܼ茶ボヘアが販売される。 1660 イギリス、ギャラウエイが茶のパンフレットによる宣伝をする。 1660 イギリス、王政復古、チャールズ2世がフランスへの亡命からもどる。 1661 イギリス、ティー・レディ(会社などで、茶のサービスを専業とする女性)が生まれる。 1662 イギリス、ポルトガルのブラガンザ家のキャサリン姫がチャールズ 2 世と結婚する。喫 茶のഹ習のある最初の王妃。 1668 アメリカ、コーヒーが初めて伝わる。 1674 アメリカ、オランダ領ニューアムステルダムがイギリス領ニューヨークとなる。 1674 頃 フランス、レジャンス様式。(17 世紀後半 18 世紀前半) 1675 イギリス、チャールズ 2 世がコーヒー店の禁止令を出す。すぐに撤回する。 1688 イギリス、名誉革命でジェームズ 2 世がフランスに亡命する。 1688 オレンジ公と結婚したジェームス 2 世のଥ女メアリーがメアリー2 世女王になる。 1689 中国から陸路でロシアへ茶を輸出する。(ネルチンスク条約) 1689 イギリス、中国味(シノワズリ)が最盛期をڄえる。 1698 アメリカ、ニューヨークにコーヒーハウスが登場する。 1700 頃 イギリス、ि料品店で茶が販売される。 アメリカ、茶にミルクやクリームを入れるようになった。 1702 アン女王が即位する。緑茶よりウーロン茶にةい発ܼ茶がЏまれるようになる。お茶好 きで、茶道具などクィーン・アン・スタイルが誕生。宮廷のお茶会が盛んになる。 1709 ドイツ、フリードリッヒ・ベトガーがマイセン窯で初めて白磁器の製造に成功。 1715 フランス、ルイ 15 世が即位する。ロココ様式。(18 世紀中ごろ盛ん) 紅茶事典p 181-191 1717 トーマス・トワイニングがロンドンに女性の入店可のティーハウス「ゴールデン・ライ オン」を開店。茶やコーヒーなどの小売りにより、家庭での喫茶を盛んにする。 1720 ティーガーデン、「ヴォクソール遊園」を開店。戸外でのお茶流行る。 1721 イギリス、東インド会社が中国茶の輸入を独占。 1727 中国、ロシアとキャフタ条約を結ぶ。貿易はҭ税、両国は全く対等というのが特徴。 1729 イギリス、東インド会社が茶の輸入の全権を握る。 1738 日本、(元文 3 年)、永હ宗円が日本独特の蒸し煎茶をつくる。 1744 イギリス、ボー窯が創立。 1749 イギリス、ボー窯のトーマス・フレイがボーンチャイナのレシピを発明。 1750 アメリカ、ニューヨーク、ティーガーデンがオープンする。 1750 頃 茶碗に把手がつく。イギリスの陶磁器産業が盛んになる。 1751 イギリス、チェルシー窯が創立。1770 年にダービー窯に買収される。 1759 イギリス、ジョサイア・ウエッジウッド、製陶工場を創。 1760 頃よりイギリス、産業革命が始まる。(社会構造の根本的変化へ) 1765 イギリス、アメリカにも印紙法をҭす。 1765 イギリス、砂糖の大֖模農園に成功する。(砂糖が安価に大量に供給される) 商業革命。(中産階級の勃興) 1773 アメリカ、ボストン・ティーパーティー、「ボストン茶会事件」。(茶に税をかけたイ ギリスの不公平な「茶条例」が֙因) 1775 アメリカ、独立戦争はじまる。1776 年にイギリスより独立する。 1780 インド、カルカッタに茶樹の中国種を植える。 1786 中国、祁ใでウーロン茶を改良して「祁ใ紅茶」を完成させる。 1789 フランス革命。 1796 イギリス、トーマス・ミントンが開窯。 1798 オランダ、東インド会社がӂ散する。 1799 イギリス、ジョサイア・スポード 2 世が、スポード窯でボーンチャイナの製品化に成功 し、「ストーク・チャイナ」の名称で世に出る。純イギリス製の茶道具一式が完成。 1800 イギリス、フランス革命で失職したフランスのج職人達の進出によりجのティーセット が安く普及する。 1804 日本、大田蜀山人がコーヒーをЏんだという記༵がある。 1823 イギリス、アッサムの奥地サディヤ地方に入ったロバート・ブルースが自生の茶樹を発 見する。後にアッサムの原種と認定される。 1833 イギリス、東インド会社の紅茶独占を廃止する。(自由競争になる) 1833 イギリス、ティー・クリッパーの時代に入る。 1833 オランダ、アムステルダムで初めて紅茶のオークションが行なわれる。 1834 イギリス、ロンドン、オークションが始まる。 1834 イギリス、C.J.ゴードンが中国種の種子、苗を持ち帰りアッサムのジャイプールで栽培 する。アッサム原種と比ԁする。 1835 日本、山本嘉兵фが玉༠の製法を工夫する。 紅茶事典p 181-191 1837 インド、アッサム種の茶をロンドンに送る。好評であった。 1837 イギリス、ヴィクトリア女王が 18 歳で即位する。 1839 イギリス、インドで本格的にアッサム茶葉の栽培・製造をはじめる。 1839 中国・イギリス間に紅茶が֙因のアヘン戦争始まる。1842 年に終わる。イギリス勝利。 1839 アッサムの種子をセイロン、ペラデニヤ農園に蒔く。 1840 イギリス、午後のお茶会・アフタヌーンティーが定着する。 1852 スコットランドのジェームス・テイラーが、セイロンに渡る。数年後から茶のࠌ験栽培 を始める。 1858 日本、自由貿易始まる。コーヒーが正式に輸入される。 1858 日本、アメリカへ日本の緑茶の輸出が始まる。 1861 インド、カルカッタ・オークションが始まる。 1867 ジェームス・テイラーがセイロンでアッサム種の茶園を開く。 1869 セイロンのコーヒー園にさび病が広がる。茶栽培を始める。 1869 イギリス、アーサー・ブルックがマンチェスターで「ブルックボンド商会」を立する。 1869 スエズ運河が開通する。ティー・クリッパーが蒸気船に代わっていく。 1869 インド紅茶用樹がイギリスのࡷ要を満たすまでに成ଥする。 1874 日本(明治 7)、政府が茶業を奨励する。製茶係をける。 1875 インド、インド茶がイギリスの全ࡷ要を自給生産する。 1875 中国、安徽省で「祁ใ紅茶」の生産開始 1876 日本(明治 9)、多田元吉らが紅茶伝習のためインド・セイロンに派ڳされる。 1878 日本(明治 11)、紅茶伝習所を各地に作る。紅茶製造始める。 1879 ジャワ、オランダにより紅茶プランテーションが始まる。 1880 中国茶が、シベリア鉄道の開通により、ペテルスブルグまで運ばれる。 1883 セイロン、コロンボ・オークションが開される。 1884 イギリス、女性の社会進出が盛んになる。ロンドンに「ティーショップ・チェーン」が 出現する。 1886 国産紅茶(三重県産)が初めて販売される。(東京・京橋) 1887 日本(明治 20)に初めて紅茶が輸入される。 1887 ロンドンで「茶と茶のブレンディング」が発刊される。 1888 日本(明治 21)に初めてのコーヒーハウス「可否茶է」が上野に開店する。 1888 ロシア、グルジア地方に茶園を開く。 1890 トーマス・リプトンがセイロンの茶園経営をはじめ、「紅茶園から直接ティーポットへ」 という広告で、安く紅茶を販売し、一般大衆に広く普及する。 1890 この頃、イングランド北ശからスコットランド、アイルランドの農工業地域の労働者階 級に「ハイ・ティー」が普及していった。 1890 ブラジル、アッサム茶の種を蒔く。 1893 アメリカ、「シカゴ万博」開催。日本茶の宣伝。イギリス、インド、セイロン産の「イ ギリス帝国紅茶」の普及へ。 1895 セイロンのコーヒー園がほとんど茶園になる。 紅茶事典p 181-191 1896 イギリス、A.V.スミスがティーボール(ティーバッグ)の特נをとる。 1897 ロンドンで、D.クロールが「茶の栽培と製造」を著す。 1900 ロンドンで、A.J.テーラーが「製茶機械と工場」を著す。 1900 イラン、茶の栽培始める。 1901 ヴィクトリア王朝が終わる。 1901 アメリカ、インスタントコーヒーが売り出される。(在米の日本人の発明) 1901 イギリス、「茶の発ܼはܼ素の作用による」ことを C.R.ニュートンが証明する。 1903 イギリス、「茶の小売り人のヒント」を J.H.ブレイクが発刊する。 1904 アメリカ、セントルイスの万国博で R.ブレチンデンが「アイスティー」を売り出す。 1906 リプトン・ティーが日本に初めて輸入される。 1909 日本(明治 42)、台湾茶業開発が始まる。〈三井合名会社) 1909 アメリカ、ティーボール用のティーポットの特נをとり、売り出す。 1910 スマトラで茶園が始まる。東アフリカの英領ウガンダで茶園開する。 1913 イギリスでティ・ダンスが大流行する。(もとはアルゼンチン・タンゴ) 1919 イギリス、「ベッド・ティー」が庶民階級に普及した。 1919 日本、হ岡県金હ町に「国立茶業ࠌ験場」を立する。 1920 ティーバッグの取引が始まる。 1924 日本(大正 13)、辻村みちよが三浦政太༰と緑茶中にビタミン C を発見。 1925 東アフリカのケニア、ウガンダ、タンザニアで茶園が始まる。 1927 日本(昭和 2 年)、国産包装ブランド紅茶第一号として「三井紅茶」(台湾産)を発売 する。1931 年、「日東紅茶」に改名。 1930 ソヴィエト、茶業ٽ画が始まる。 1930 辻村みちよ、カテキンの存在を緑茶中に発見し、また緑茶からカロテンの抽出に成功す る。 1930 オランダ、アムステルダム植物学会で茶の学名をカメリア・シネンシスと決定する。 1935 アメリカ、ニューヨークで W.H.ユーカーズが「オール・アバウト・ティー」を発刊す る。 1937 日本(昭和 12 年)の茶輸出量が 24000 トンと最݄になる。(紅茶は 6400 トン余り) 1939 W.マック・カーチャーがローターバンのもととなる CTC 揉切機を開発する。 1939 「日本紅茶協会」立する。 1945 アメリカ、紅茶ティーバッグが普及する。 1947 インド、コーチン・オークションが開される。 1949 ドイツ、ティーパック(TEEPACK)社がティーバッグの自動機械「コンスタンタ」を 発明する。 1951 日本(昭和 26)の民間貿易が再開される。 1950 年代 中国、в南省西双版納(シーサンパンナ)で巨木「茶樹王」が発見された。 1956 アフリカ、ケニアのナイロビ・オークションが開される。 1958 アルゼンチンの紅茶生産が進む。 1958 インド、アッサムのトクライ茶業ࠌ験場で大型揉捻機「ローターバン」を開発。 紅茶事典p 181-191 1958 アメリカ、インスタント・ティーが発売される。 1960 国産紅茶輸出の最盛期。国産品種の紅茶 1 万町歩(100 平方 km)の造成ٽ画がスター トする。 1960 コーヒー生の輸入自由化、国内メーカーがインスタントコーヒーを製造開始する。 1961 ダブルティーバッグの自動機械コンスタンタが初めて輸入される。 1971 紅茶輸入が自由化される。国産の紅茶生産は終わる。 1972 セイロンはスリランカ共和国になる。 1974 世界的なオイルショックで、紅茶のࡷ要が激減する。 1975 スリランカ政府が茶園国有化をはじめる。 1975 コーヒーの価格が暴する。アメリカで紅茶のࡷ要が増加する。 1977 減産のため、紅茶の産地価格が 3 倍に暴する。 1978 増産で、紅茶の価格は2倍の݄値水準に落ち着く。 1979 第二次オイルショックで、世界的に消費が横ばいになる。 1979 小型包装茶の輸入量が増加する。 1983 日本(昭和 58 年)、大ݗ屋光太夫が女帝エカテリーナ 2 世に謁見したこと(1791 年) を記念して、11 月 1 日を「紅茶の日」(日本紅茶協会)と定める。 1985 日本、「茶学術研究会」発する。 1995 スリランカ、国有の茶園を民営化する。 1998 消費地オークション終わる。(ロンドン、ティー・オークションが閉鎖される)