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『在日アフリカ人の音楽活動

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『在日アフリカ人の音楽活動
『在日アフリカ人の音楽活動
ーセネガ、ル人ミュージシャンを事例に』
菅野
淑
1.はじめに
現在日本において、身近に外国出身者を自にしたり接したりする機会が増えて
きている。観光などによる短期滞在者のみならず、在日外国人の数も増えている。
それには、日本と比べて、文化的な近似性もなく、地理的にも人種的にも距離感
の遠いアフリカ地域出身者も例外ではない。
これまで、入管による統計的な資料はいくつか提示されてきているが、滞日お
よび在日 iアフリカ人の生活実態や就業実態に関する研究はさほど蓄積がされて
いない。若林{若林
1
9
9
6
]による中小工場労働者や建設現場で、働く単純労働者に
関する事例研究などがある程度である。これを受けて、まずは滞在日アフリカ人
の生活や就業実態に関する事例研究の積み重ねが必要であると考える。これを踏
まえ、本稿ではこれまでに報告のないアフリカ人ミュージシャンの活動を紹介し、
滞・在日アフリカ人に関する知見の蓄積に貢献したし 1。さらに、彼らが日本でい
かに適応しているか、予備的な考察をおこなう。
0
0
5
年夏から 2
0
0
7
年夏までにおこなった、西アフリカに位置するセネ
本稿は、 2
ガル共和国ii出身ミュージシャンによる音楽活動への参与観察を基にしている O
調査地は、愛知県名古屋市およびその近郊、東京都区内である。
2.西アフリカの音楽、舞踊
本稿において、対象としている在日セネガル人ミュージシャンが主に演奏活動
e
)
」
をしているのが、現在西アフリカを中心に演奏されている「ジェンベ(Djemb
と呼ばれる太鼓とそれとともに踊られるダンスである。
2
(
1
) ジェンベ
ジ ェ ン ベ (Djembe、 j
e
n
b
e、 j
embe
) は 、 ジ ャ ン ベ (Djembe
)、ジンベ
(
Djimbe
)とも呼ばれる。マホガニーやレンケなど硬い木をくり抜いた胴に、ヤ
ギの皮を張ったワイングラスのような形をしたもので、素手で叩く太鼓である o
写真 1 ジェンベとドゥンドゥンの演奏
その起源は一説によると、マリ、ギニア地域に住むマンデ族の鍛冶屋階級が創
りだしたという。鍛治屋がジェンベのボディを削るものであり、しばしばそれを
演奏するものでもあったという[Charry2
0
0
0
。
]
現在、ジェンベはアフリカのパーカッションの代名詞的な存在になりつつある。
このジェンベがアフリカの外にもたらされたのは、 1
9
4
0
年代のパリだという。そ
して、 1
9
5
0
年代にギニアの FodebaK
e
i
t
a
i
i
iが率いた Le Ba
l
l
e
t
sA
f
r
i
c
a
i
n
sのワー
ルド・ツアーによって、その最初のインパクトが世界にもたらされた。その後、
1
9
8
0年代には、多くの CDがレコーディングされ発売された。 8
0年代後半のワー
ルド・ミュージックのブームも、ジェンベを世界に広める要因となった。
そのジェンベが日本に広がり始めたのは、 1
9
8
0
年代後半辺りからである。その
頃から日本国内で、西アフリカのミュージシャンの公演が関かれたり、日本人に
よるセミナーやワークショップ等の活動がおこなわれたりし、紹介されてきた。
1
9
9
1年にヨーロッパで制作され、 1
9
9
3
年に日本で上映されたドキュメンタリー映
画『ジャンベフォラ』の影響により、さらにその広がりを見せた[柳田
2
0
0
0
。
]
現在では、東京を中心に北海道、山形、宮城、長野、静岡、愛知、大阪、福岡
など地方都市でもジェンベのワークショップやイベントが頻繁に関かれている。
f
在日アフリカ人の音楽活動 ーセネガル人ミュージシャンを*例に』
3
(
2
) ジェンべ・ダン ス
ジェンべとともに踊られるダンスを、ジェンベ ・ダンスと呼んでいる。ジェン
ベ ・ダンスのみならず、西アフリカの 「伝統的」なダンスの特徴は、基本姿勢が
一般的にコラップス(屈曲姿勢)と呼ばれるもので、膝と腰を軽く曲け\胸が自
然、に地面と向き合うような形になるものである。また、身体の各部分を独立させ
て動かすアイソレーションというテクニックを使い、 一人でポリリズムを表現す
るような動きが見られる。セネガル ・ギニア ・マ リを中心とする地域では、 あた
かも宙に浮いているような跳躍が多く 、 ガーナやナイジエ リアで は、コラップス
のまま、すり足で動くステップが多い、とされている[柳田
2
0
0
0:2
8
]o
日本には、ジェンベと同時期にもたらされた。現在では、 ジェンベ同様日本各
地で ワークショップやイベン トが頻繁におこなわれている。
3
. 在日 セネガル人 ミュージシャンの活動
現在在日しているセネガル人ミ ュー ジシャンの数は、筆者の推計によれば、東
京 を中心に全国に 1
5名 程 度 い る 。 在 日 セ ネ ガ ル 人 の 統 計 上 の 数 は 、 2
3
3人
〈【
財】入管協会
2
0
0
5
)であるので、在日セネガル人ミュージシャンはそのう
ちの約 1
害j
lにあたる。
以 下、事例を挙げ在日セネガル人ミュージシャンの活動状況を述べる。
(
1
) 岐阜県在住 Aの場合
出身地 :セネガル共和国カオラック(Ka
olack
)市
o
l
o
f
)v
i
エスニックグループ:ウォロフ(w
宗教:イスラーム(ティジャーニ教団つ
年齢: 3
0
歳
2
0
0
4
年夏に、日本人女性との結婚を機に来日。同年より岐阜県多治見市および
愛知県名古屋市にてジェンベ ・太鼓のワークショップ、ジェンベ ・ダンスのワー
クショップをひら く
。 2
0
0
5
年に愛知県で開催さ れた 愛 ・地球博に は、 セネガル共
和国公式サポータ ーと して参加した。
4
現在では、多治見市と名古屋市でのワークショップのほかに、岐阜県可児市や
0
0
7
年か
愛知県春日井市でも定期的にワ ーク ショップをおこなっている。また 、2
sabar
)とサパール ・ダンス吋のワークショップもおこ
ら名古屋市ではサパール C
なうようになった。年に数回は、関西地区でもワークショップをおこなっている。
さらに、愛知県や岐阜県を中心に数々のイベントに出演するほか、東京や静岡で
ひらかれるコンサートにも出演している。
普段は野外民族博物館に勤務している。
1) ワークショップ
以下に、定期的におこなわれているワークショップの詳細を述べる 0
.多治見クラス
岐阜県多治見市においてひらかれているワークショップは、毎月第 2・4水
曜日におこなわれる。そこでは、 ジェンベ ・太鼓クラス (
1
8
:
0
0から 1
9
:3
0まで
1
9
:
3
0から 2
1
:0
0までの 1時間半〉が
の 1時間半〉とジェンベ・ダンスクラス (
行われる。会場は市の文化施設の練習室が利用される。受講料は、それぞれ月
5
,
0
0
0円である。太鼓クラスを受講する者で、自分自身の太鼓を持っていない
0
0円が加算される。
者は、ジェンベのレンタル代 として毎回 5
受講者は、多治見市周辺に住んでいるも ののみならず、 自家用車で 1時間か
けて遠方から受講しに来る者も 少な くない。太鼓クラスには、男性もいるが、
0
代前半から 5
0
代
ダンスクラスには、男性はおらず女性のみである。受講者は 2
までと幅広い。受講者数は、平均して毎回、太鼓クラスで 5名、ダンスクラ ス
0
名程度である o
で1
−名古屋クラス
愛知県名古屋市においてひらかれているワークショップは、曜 日は不定だが
月 2回ジェンベ ・ダンスクラスがおこなわれる 。名古屋市内にある市の文化施
9:
3
0から 2
1
:0
0までの 1時間半おこなわれる。受講料は、 l回3
,
0
設の練習室で 1
0
0円である。
参加者は、名古屋市在住の者から近隣の市在住、 さらには三重県や岐阜県在
住の者までが受講している。その大半が2
0
代から 3
0
代前半の女性であるが、男
r
在日アフリカ人の音楽活動 ーセネガル人ミュージシャンを・
*例にJ
5
性も l名いる。受講者数は、平均して毎回 1
0
名程度である。
この 2つの会場で練習する曲目(リズム)は同じである。その曲目はだいた
い 3ヶ月周期で新しいものに変わる。毎年 1
2月中旬から翌年 3月まで Aは自国
セネガルに帰国するので、その期間を除いた 9ヶ月間で 3つのリズムを習得す
ることになる。
ダンスクラスの場合、 CDなどの音源は使用せず、実際に太鼓を使用してレッ
スンがおこなわれる。そのため伴奏を演奏するものが必要になる。最低でも、
ジェンベを演奏するものとベースの音を刻むドゥンドゥン(Dundun)viiを演奏
するものの 2名が必要となる。そのため、名古屋クラスの場合では、岐阜県を
中心にジェンベの演奏や講師活動をおこなっている日本人 2名に協力を仰ぎ、
演奏者として参加してもらっ ている。さらに 、静岡県在住のセネガル人ミュー
ジシャンに依頼する場合もある o また、別の公演活動でこの地方を訪れていた
東京在住のセネガル人ミュージシャンが叩く場合もある viii0 多治見クラスの場
合は、太鼓クラ スを受講しているものが、引き続きダンスクラスでも叩いてい
る
。
以上の 2つのクラス以外にも 、愛知県春日井市および岐阜県可児市でもジェ
ンベやサパールの太鼓のクラスがおこなわれている。
2) コンサ ー トおよびイベント
Aは、年に l度多治見市でコンサートを開催しているは。これは Aが来日した
0
0
5
年から毎年おこなわれているもので、東京や静岡、福岡に在住するセ
翌年の 2
0
名程度集う x。そのステ ー ジには、セネガル
ネガル人ミュージシャンらが毎回 1
人のみならず Aのクラスの生徒も出演する、言わば発表会的な要素も含まれてい
xなども演奏され
る。ステージでは、 ジェンベのみならずサパールやパラフォン i
0
0人収容の ホールは、毎年満席である。
る。約4
このコンサートのほかにも Aは、 自身の働く博物館でのイベントや子供向けの
イベントなど数多く出演している。
6
(
2
) 東京都在住 B の場合
出身地:セネガノレ共手日国フアテイツク (
Fa
t
i
c
k
)市
u
l
王u
l
o
r
《
'
)1
エスニツククツレ一フ。:トウクロ一ノレ(t
宗教:イスラ 一ム(ムリツド教団 xii/ノてイフア
v
)
Jl
/i
年 齢 :3
1歳
2
0
0
2
年、セネガル国立舞踊団の公演のため来日 O その後日本に移り住む。現在、
o
u
r
u
b
a
)仰のワークショッ
東京都内でダンス(ジェンベ、サパーノレ、ソールーパ( s
プをそれぞれ月 lから 2回おこなっている。また、大阪や富山、岐阜でもダンス
のワークショップをおこなっている。 Bは、いくつかのバンド・グループに参加
しており、東京都内での演奏活動のみならず、全国各地、アジア等で演奏活動を
おこなっている。普段は、精肉工場に勤めている。
1) ワークショップ
Bは、ジェンベ、サパール、ソールーパという 3種類のダンスを教えており、
聞くところによると日本で一番の生徒数を持つという。特に、ソールーパ・ダン
スは、日本国内で Bのみが定期的にクラスをひらいている。 Bのクラスは、東京
都区内の文化施設を使って、土日を中心に、 1
9
:
0
0から 2
0
:
3
0までの 1
時間半おこな
われる。受講料はそれぞれ 1回3
,
0
0
0円である。
筆者は現在まで、東京で定期的にひらかれているソールーパ ・ダンスのクラス
に 3度、大阪でおこなわれたサパール・ダンスのクラスに l
度参加した。ソールー
パ・ダンスのクラスでは、約2
0名弱の受講生がおり、年齢は 2
0
代から 3
0
代後半の
男女である。その受講生は、東京都在住者が大半だが、時折神戸などの遠方から
も受講するために来るものもいる。サパール ・ダンスのクラスでは、大阪および
その近郊在住のものが集った。
Bのクラスでも、 実際に太鼓の音で踊る。ソール ーパ・ダンスクラスの場合は、
東京在住のセネガル人ミュージシャンが毎回 1・2名、それに東京近郊でバンド
活動をおこなっている、日本唯一のソールーパ ・ク。ループ刊の日本人メンバーが
叩いている。
『在日アフリカ人の音楽活動 ーセネガル人ミュージシャンを*例に j
7
2) コンサー トおよびイベント
Bは、隔年ごと東京都内でコン サー トをひらいている。そこには、在日セネガ
レ人ミュージシャンのみならず在日ギニア人ミュージ シャン 、 ジェンベやサバ ー
j
レ、ソール ーノベコラ xviiなどを演奏する日本人ミュ ー ジシャンも出演している。
j
このコンサートにも、 Bのクラスの生徒が出演する発表会的な要素も含まれてい
る
。
また Bは、厚生労働省社会保障審議会推薦、児童福祉文化財で、 アフリカ各地
の音楽を通じて国際交流や国際理解を深めようとする音楽ク‘、ループにも所属 して
おり 、全国各地の小学校や児童館や様々なイベントなどに出演している m
3)セネガル・ツアー
Bは、 2
0
0
5
年、 2
0
0
8
年とセネガルでのワークショップ ・ツアーを企画してい
る山。時期 は
、 2月中旬の 2週間で ある。食費、宿泊費、観光賞、 ダンスおよび
ドラムのレッスン費を含み 2
0万円である。これに航空費代は含まれない。
このツア ーでは、平日はダンスと太鼓のレッスンを受け、休日にはセネガルの
観光地や国立舞踊団の練習風景を見学に訪れる。また 、「タンネベールJと呼ば
れるセネガルの野外パーティや夜のクラブに踊りに行く 、 という予定も組み込ま
れて い る
。
以上が、在日セネガル人ミュ ー ジシャンのおおまかな活動の様子である。事例
に挙げた Aや B以外の在日セネガ、ル人ミュージシャンも同様な活動ノマターンが主
である。
4. 日本での生活に適応す るために
(
1
) 日本人妻の存在
在日 セネガル人ミュージシャンに共通していることは、 日本人の妻がいるとい
うことであ る。 Aのように、現 地に渡航していた日本人女性と 出会い結婚するケ ー
スと 、 Bのよ うに 滞日 中に出会 い結婚するケースがあ る。結婚後日本に移住し て
来た彼らに とって 、 日本人妻がいるということは、 日本での生活に適応していく
8
ために重要な要素であると考えられる。例えば、まだ日本語があまり話せない時
期には難しい、ワークショップやコンサートの会場の手配であるとか、それらを
宣伝するためのチラシやホームページ制作などといった雑務を日本人妻がこなす。
また 、実際のワークショップ内でも通訳をしたり 、妻自身も楽器が演奏できるの
であれば、演奏者としての手伝いがなされたりする。もちろん、日本人妻は、彼
らにとって日本で生活していく上で不可欠なピザに関しても重要な存在であると
いえる。
(
2
) セネガル人であることとミュージシャンであること
若林の報告によると 、 日本人からの様々な偏見によって、アフリカ人であるこ
とに誇りを持てず、中には自身の国籍−を偽ったりするものもいるという [
若林
1
9
9
6
]。だが、筆者が接しているセネガル人ミュージシャンたちはそのような発
言をすることはない。筆者が居合わせた事例を述べる。
2
0
0
6
年1
2
月、東京都内にあるファミリーレストランで 3-2で述べた Bともう
1
人のセネガル人ミュージシャンといた際、隣のスペースに座っていた中年の男
性が 2人に声をかけた。「何人?ジャマイカ人? 」 と。それに対し、 Bは「アフ
リカのセネガル人。」と答えた。さらにその職業を聞かれると、「ミュージシャン。 J
と答えていたのである。
また、ジェンベやジェンベ ・ダンスの日本人愛好者たちが抱く若林の報告とは
異なるイメ ージも 、セネガル人ミュージシャンたちが日本で音楽活動をおこなう
ための重要な要因になっている。なぜなら日本人愛好者たちにとって、 ジェンベ
の 「
本場」と考えられている西アフリカ地域のセネガル人が演奏したり踊ったり
することは、「本場」の人聞による「本物Jだと感じるのである。日本人愛好者
たちが実際に現地に渡航し、レッスンを受けることはさまざまな箇で難しい。そ
のため、セネガル人ミュージシャンのワークショップがあったりイベントがあっ
たりすることは、 日本にいながら「本場」 を感じられる絶好の機会なのである。
そうであるから、日本人愛好者たちは頻繁に参加する。このような人々がいるこ
とで、セネカツレ人ミュージシャンは仕事を得ることができる。彼らにとって、西
アフリカ地域のセネガル人で、あり 、 ミュージシャンであることは、日本での生活
『在日アフリカ人の音楽活動ーセネガル人ミュージシャンを事例にJ
9
に適応していくうえで有益なのである。
5
. おわりに
本稿では、滞 ・在日アフリカ人の中から、セネガル人ミュージシャンの活動を
紹介した。セネガル人およびミュ ー ジシャンという限られた範囲内の事例にすぎ
ないが、滞 ・在日アフリカ人に関する新たな知見を提供することができた。また、
在日セネガル人ミュージシャンが いかに日本人愛好者の持つイメージを利用し、
日本で活動しているかにつ いて予備的な考察もおこなった。
今後は、 ジェンベとジェンベ ・ダンスの日本人愛好者たちへも注目し 、演奏活
動への参加によって、 アフリカに対して抱いていた意識の変化などに関しでも調
査を進めていきたい。また、セネガノレ人ミュージシャンが母国へ帰国した際の活
動も追っていきたい。
注釈
在日アフリカ人と滞日アフリカ人の定義であるが、本稿においては、生活の拠点が日
1
本にある者を在日とし、拠点が母国など別の国にあり、数週間から数ヶ月間のみ日本に
滞在する者を滞日とする o
1
1
セネガル共和国概要。
面積 :1
9
7
,
1
6
1
平方キロメートル。人口: 1
,
1
9
0
万人( 2
0
0
5
年
UNFRA
)。民族グループ :
、セレール 15%。言語:フランス語(公用語)、ウォロフ語など
ウォロフ 44%、プル 23%
各民族語。宗教:イスラーム教 95%、 キリスト教 5%、伝統的宗教。主要産業:農業
(落花生、粟、綿花)、漁業(まぐろ、かつお、えび、たこ〉[外務省ホームページ
2
0
0
7
年 7月現在}
i
i
i (
1
9
2
1
1
9
6
9
)ギニアでアフリカの劇場を創立した(のちにギニア国立舞踊団の lっと
なる)。大統領セク ・トゥーレと交流があった。 1
9
5
0
年代、ギニアで最も人気のある作家、
芸術家となった。しかし、 1
9
6
9
年にセク ・トゥーレに対する陰謀に加担した罪で死刑宣
告を受けた [ウシ
2
0
0
6(
2
0
0
4
):2
2
。
]
i
v ニジェノレ=コンゴ系の西ア トランティック語派の言語を話す。ウォロフ語は、地域共
通言語としてセネガル人の約 8割が話す。ウォロフ人は、段耕を主とするが、商業を営
む人も多く、エリー 卜層も多い[小 J
l
l1
9
9
8:6
9
1
0
v
1
8世紀後半、モロッコで創設された後、セネガノレに伝え られた教団 o地域ごと にいく
1
0
っかの支部教卜J
Iがあり、支部ごとに活動の内容も信徒の民族構造も少しずつ異なってい
る{小 J
I
I1
9
9
8:9
6
・
9
7
)
o
v
i サパ ーjレ。セネガル特有の太鼓とされる。マホガニーなどの堅い木をくりぬいたボディ
支を J
1
長ったもの o 利き手で「ガレン」と |
呼ば.れる木のパチを持:ち 、他プjの手
に、ヤ ギの j
の平とのコンビネーションで、多彩な背をたたき山す。セネガルに住むウォロフやセレー
ルの人々が隙々なお祝いの府などで演奏されるものである o サパールで踊るダンスを、
サパール ・ダンスと l
呼ぶ。
v
i
i ドゥンドゥン( dundun, dunun
)は、ジ ェンベとともに演奏される。ジェンベとは
~111 なり 、 木を い H P~引こくり抜き 、 双ノJ にヤギの皮を張ったものである。また 、バ チを使
用して叩く。 3つの締:紛があり 、一帯大きく低い首を山すものがドゥンドゥン(ドゥヌ
ンパ) 、中塑のものがサンパン( s
angban
)、小型のものがケンケニ( kenkeni
)である 。
I
JくJ
易合と 、肩から紙でつるして叩く場合もある o また 、同時にドゥン
隙や縦に置いて U
ドゥンとサンパンの 2台を叩いたり、 3台同時に叩いたりすることもある o これらには
ベル(鉦)がつけられており 、パチとは逆の手に金属製の紺l
い峰を持ち同時に叩く。
viii 他県在住のセネガ lレ人ミュージシャンに依頼する場合、 A は交通貨~r.r:;を支払っている。
店
主催は、市の文化J
i
'
u
l投。迎営は、子|
ゴの文化仮興事業団である。
x
過去には、在 Hギニア人ミュ ー ジシャン、同アフリカ人ミュージシャンも出演した o
Xl
凶アフリカで演奏されている木琴。
Xll
北部セネガ jレ川流域一倍で・農耕や漁業、牧畜などを営む民族[小川
1
9
9
8:6
9
)
o
x
i
i
i セネガル独仁!の、しかも当初はウォロフ人という一つの民族社会を基盤にした教団で
ありながら 、急速な発展を遂げ、社会的に人:きな影響力をもっ教団である。 1
8
8
6
年に、
1
8
5
0-1
9
2
7
)
カデイリ ーヤ派イスラームの導師の息子として生まれたアーマド ・パンパ (
により生まれた。パンパの教えは、現t
L
l
;で‘の労働は来世での救済につながる 、とい うこ
とであった。ム 1)ッド教団は、植民地政府と相互補完的な関係にあり、独立後のセネガ
ル政府はこの相互的な関係をそのまま受け継いでいる [
小J
l
l 1
9
9
8
1
0
x
i
v イスラーム神秘主義集団ムリッドの下位集団。断食も祈りもしなくて良い。 ムリッド
開祖のア ーマド ・パンパと彼に仕えたイプラ ・ファールを信仰する o パイファルは「歌っ
て踊る托鉢千百」[ l
:
O
λ
J 1
9
9
5
)
であ る
。 イスラームではあるが、 パイファ ルの中には、酒
を飲み、 タバコ、ガンジャ(マリファナ)を吸うものもいる o パイファ jレの「パイ( B
AYE
)」はウォロフ諮で「父」の意。女性のパイファルの事は「ヤイファル(YA
YE-F
A
LL
)」と呼ぶ。「ヤイ」は「母」の意。
xv ソーノレーノて。セネガル南部のカザマンス地方やガンピア共和国で演奏されている太鼓。
ソールーパで踊るダンスを、 ソールーパ ・ダンスと |
呼ぶ。
x
v
i このグループのメンバーは、実際に現地(セネガル南部カザマンスやガン ピア )に波
航し、 ソールーパの演奏の習得をおこなった。現在では、名古屋や大阪でソールーパ ・
『
在日アフリカ人の音楽活動ーセネガル人ミ ュージ シャンを事例に J
1
1
ダンスや太鼓のワークショップも不定期だがおこなうようになった。
x
v
i
iセネガンピアやギニアにみられる弦l
l
鳥楽器。ヒョウタンに 2
1
本の弦がわたしてある[ン
ケティア
1
9
8
9
]0
x
v
i
i
i メンバーは、タン ザニア人、コンゴ人、ギ ニア人、セネカソレ人、 白木人である o
x
i
x Bのみならず、他の花日セネカソレ人およびアフリカ人ミ ュー ジシャンの多くが、 自国
へのワークショップ ・ツアーを企画している。その時期は、毎 年 1
2
月中旬から翌年 3月
にかけての問、
2週間から約 1ヶ月間開催されることが多い。料金は、 受講内容や地域
0
万円弱
(国)によってまちまちではあるが、ダンス と ドラムのレッスンを 2週間受けて 2
が平均的である。
く引用文献〉
ウシ、 ピ/レマイヤー
2
0
0
6
(
2
0
0
4
] 『ママディ・ケイタ
付・き』
四元章子訳
・
ジェンベに生きる
マリンケの伝統リズム
付 録 CD
楽踏出版 ケイ ・エム・ ピー (
MamadyKei
均 E
i
nLeben丘1
rd
i
e
i
a
d
i
t
i
o
n
e
l
l
eRhythmend
e
rMalink
eMitBe
g
l
e
i
かC
D
,ArunVerl
a
g
)
Dj
embeT
小川 7
1
9
9
8 f
可能性としての 国家 誌 現代アフリカ国家の人と宗教』 世界思想社
問尻敦子
1
9
9
5
、 3 「セネ ガノレの イスラム教団 ム リディーヤの聖俗分担構造J
『アフリカ研究~
4
6
柳田知子
2
0
0
0 『音楽指導ハンドブック 2
2 アフリカ の太鼓で踊 ろう
ンス』
西アフリカのジンベとダ
音楽之友社
岩林チヒロ
1
9
9
6 「滞日アフリカ 黒 人 の 『プライド 』 形成のためのネットワーク 」
f日本のエス ニ ック社会』
駒井洋編
明石書店
ンケティア 、クヮベナ
1
9
8
9 『アフリカ 音 楽J 能村あや子訳 品 文 社
CHARRY, E
r
i
c
2
0
0
0MandeM
u
s
i
c
:T
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d
i
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i
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landModernMus
i
co
ft
h
eManinkaandMandinka
o
fWesternA
f
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7年 9月 3
0日取得)
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財団法人入国管理局協会
『
在日外閑人統計』
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(かんの
しゅく/比較人文学)
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