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新しい知的財産権制度の必要性

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新しい知的財産権制度の必要性
 新しい知的財産権制度の必要性∗
— 単純に今日の技術革新をこれまでの制度に押し込むには無理がある —
レスター・サロー∗∗ 今泉 和穂 訳§
根本的な技術革新とそれに伴う経済動向の変革が、現行の知的財産権制
度を急速に実行不可能なものとし、無効力なものにしている。この制度は
百年以上も前の話の産業時代のより単純な要請に見合うように作られたも
ので、画一的で、一つですべてを処理してしまう制度である。これまでほ
とんどの特許が新しい機械的装置に対して認められていたとき同じやり方
であらゆる知識の進歩を扱うことができたが、今日の知識産業はより複雑
となったさまざまな問題を提起している。
人間のホルモンが高レヴェルであれば、先天的欠損症を伴った障害児が
生まれる可能性が高いという相関関係に気付いた医者の事例を考えて見
る。彼は自分が行った考察結果に対し特許を認められたが、その考察だけ
では余りに多くの間違った結果しか得られず実用的なものとはならなかっ
た。しかし後に検証を繰り返すうち、彼が行った検証の他に二つの検査を
行えば、幼児がダウン症候群を伴って生まれるかどうかを正確に予測でき
るようになるということがわかった。現在、その医師は彼の検査結果を利
用して実験を行う研究所から 9 ドルの使用料を得ようと訴訟を起こしてい
る。彼が勝訴すれば、実験を行うコストは二倍以上に膨れ上がることに
なる。
∗ Lester Thurow, Needed: A New System of Intellectual Property Rights, Harvard
Business Review, pp.95-103, Sept.-Oct. 1997.
∗∗ マサチューセッツ工科大学スローン校経営・経済学レメルソン教授で、現在スローン校のディ
ーン。Lester C.Thurow, Building Wealth – The New Rules for Individuals, Companies,
and Nations in a Knowledge-Based Economy, chap. 6 & 13, HarperCollins Publishers
(1999); レスター・C・サロー著、山岡洋一訳、『富のピラミッド:21 世紀の資本主義の展
望』TBS ブリタニカ (1999)。
§ 大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学/英米法
現存の遺伝子がどのような働きをしているのかを最初に気付いたこの
医師はなんらかの知的財産権を得るのが当然なのか。恐らくそういうこと
であろう。しかしそれによって得られた知的財産権は、欠陥遺伝子に代わ
る新しい遺伝子を発明する者に与えられた知的財産権とは同等のものでは
ない。現存の遺伝子がどんな働きをしているかを指摘することと、新しい
遺伝子を発見することは全く別物である。このことを識別していかなけれ
ばならないが、現在の特許制度では両者を区別するための根拠が見出せな
い。すべての特許が同一に扱われている。言い換えれば、特許が得られる
か、得られないかだけの違いしかない。
現在の知的財産保護制度の中で生活を得ている人たちの間では、どこで
もかまわずちょっと摘み食いして問題の後始末をつけようとすることが常
識になっている。このように考える人たちの多くは、この制度を根本的に
変えることはパンドラの箱を開けるにも等しいと根強く信じている人たち
である。誰でも負け犬にならないためにはどうすればいいのかと積極的に
考えることはできるが、異なる制度から得られる利益を自分のことだけで
なく大所高所に立って考えるものはいない。
このように世間一般に広まっている常識は間違いである。時代は小手先
の変革を求めているのではない。新しい制度を根本から立ち上げようとす
る広い視点を持った考えを求めているのである。
なぜ古い制度は機能しないのか
今日、知的財産権を保護することはこれまで以上に重要だし、そのよう
にすることはなかなか困難である。その理由を理解するために、以下四つ
の経済的ランドスケープの変化を考えてみる。
知的財産権を中心に据えること
情報革命、いわゆる第三次産業革命の出現により、技術と知識が長期間
に渡り競争優位を支えてくれる唯一の根源となった。現代の企業が成功す
るか失敗するかは、知的財産権を有しているかどうかにかかっている。
原材料は購入することもできるし、必要な場所に移すこともできる。そ
してそれが価格を下げたり価値を減じたりして、アメリカの GDP の一端
を担っている。金融資本は一種の商品であり、ニューヨーク、ロンドン、
東京で調達することができる。競合他社が得ることができないような –あ
るいは彼らにとって余りにも高価な– 特別な装備というのは絶対に存在し
ない。これまで経済的成功を約束してくれた原材料と金融資本の次に置か
れ、蔑ろにされていたものが今では第一位を占めている。
マイクロソフトのような大企業は知識以外価値のあるものは何一つもっ
ていない。知的財産の領域を守り拡張していく戦いはいかに彼らが経済
ゲームを勝ち抜いていくかでもある。誰が何を所有しているかの決定をよ
りうまく識別できる制度の必要性、所有するものがなんであれそれをうま
く保護する必要性、紛争解決をより早く行うことができる制度の必要性、
これらがこの現実とともに生じている。
ビル・ゲイツ、彼こそこの知的財産権を中心に考える新しい時代の象徴
である [1]。百年以上もの間、世界の大富豪は 19 世紀終わりごろのジョン・
D・ロックフェラー [2] から 20 世紀終わりごろのブルネイのサルタンに至
るまで石油と関係があった。しかし今日、人類史上初めて知識以外何も持
たない労働者が世界の大富豪になった。
この他にも世界の急成長産業、例えばマイクロエレクトロニックス、バ
イオテクノロジー、新素材、通信といった産業は知識産業である。もしこ
れらの知的財産が簡単にコピーされるようになったら、所有者のための富
も従業員のための賃金も生み出すことができず、これらの産業は成り立た
ない。
これらの知識主体の産業はもちろんそれぞれ自分自身の産業の中で知識
を生かすことは重要であるが、他の産業が知識主体の産業になることを可
能にする。石油産業を考えてみる。ジェームズ・ディーン主演の映画『ジャ
イアンツ』の話は、石油ビジネスでの成功の鍵がこれまで運と腕にあった
ことを示す典型的な例である。しかし三次元の地震探鉱、水平掘削、深海
油田掘削のような新しい技術は石油ビジネスを知識産業に変えていった。
運と腕の勝負はもう存在しない。スーパーコンピュータがそれにとって代
わった [3]。今や石油産業が大いに関心を持っているのはその知的財産権
である。
電子商取引の成長は同じように小売業のあり方を変えている。将来小
売業者が成功するかどうかはウィンドウ・ディスプレイのアートのすばら
しさにあるのではなく、コンピュータ情報や物流システムに関するソフト
ウェアの中に埋められているものにかかってくる。小売業にとってはすば
やく出回る偽ブランド品、ノックオフによって真に独自の製品を販売して
いくことも難しくなっている。
より直接的に見て高まりつつある知的財産の重要性は、技術ライセンス
から得られる収入に見ることができる。かつて企業はそれぞれ技術を共有
することをよしとしていた。技術は成功の源とは考えておらず、それほど
高い値段で売られることはなかったからである。しかしそういう時代は終
わった。例えばポラロイド社とコダック社は、ほぼ 10 億ドルで特許侵害
訴訟を和解した [4]。またテキサス・インスツルメント社は攻撃的なライ
センス・プログラムに移行した後、15 億ドル以上の使用料を稼いだ。これ
らの数字に気付いたその他多くの企業は、今では自分たちの努力の結晶を
さらに確実なものとするためにそれぞれ技術ライセンスの専門家を配備し
ている。
知的財産はますます企業の戦略プランの中心になりつつある。インテル
のような企業は自分たちが考えている財産というものを守るために法務予
算に多額の予算を割り当てている。しかし彼らもまた逆に他の企業が自分
の知的財産だと考えるものを積極的に荒らしたということで訴えられて
いる。だが、このことがライヴァル企業に不安定要素と時間的余裕をもた
らし、スタートラインに発つまでの多額の初期コストを与えている。例え
ば、市場で敗者となったデジタル・イクゥィプメント社 (DEC) は自社のア
ルファ・チップ技術を侵害したとしてインテルに対し莫大な三倍損害賠償
を求める特許訴訟を提起した。恐らく DEC は経済活動で得られなかった
ものを裁判所で得ることになるだろうし、勝訴すれば数十億ドルの損害賠
償金を手にすることになる [5]。つまり別の言い方をすれば、DEC が取っ
た戦略はインテルをより警戒させ、次世代のマイクロプロセッサーの登場
がそれだけ遅れるということを意味している。
この DEC の訴訟はウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載された
ある論文記事によって引き金が引かれた。その中でインテルの半導体研究
チームの上級研究員は「コピーすべきものは何一つ残っていない」と言っ
ている。この事件に真実があるとすれば、リヴァース・エンジニアリング、
すなわち模倣こそ企業が生き残る一つの手段だということである [6]。し
かしそうであるならばどこで線を引けばよいのか。今ここで確実にいえる
ことは、特許制度はその線引きを行った一世紀前よりもそれ以上に不明瞭
だということだけである。
公有の知識の衰退
第二次世界大戦以降これまで知識は容易に低コストで世界中を駆け巡っ
ていた。アメリカ政府が基礎研究のほとんどを負担し [7]、軍事技術を除
いて、その技術の各国への普及を促進していた。冷戦時代、他の国の経済
的成功はアメリカ経済の世界進出の成功にとっても、アメリカの地政学上
の戦略的見地から見ても重要だと考えられていた。
情報がタダで流通した一因にはアメリカ人の尊大さがある。アメリカ人
は他の国が自分たちの発明の才能に追いつけるわけがないと考えていた。
他国が前世代の技術をコピーしている間にアメリカは次世代の発明をして
いる、彼らはそう考えていた。しかし、今やアメリカは自国の経済的優位
が過去のものとなり、世界の競争社会の中で生きている。独占的技術とそ
れに伴うスキルを開発することが、アメリカの労働者を要素価格均等化に
よる賃金低下圧力から守る唯一の方法となっている。アメリカでもっとも
利益率の高い企業は、ある形の知識をがっちりと握っている企業である。
こうした情報フローを管理する必要性が如実に示されたことがある。下院
議員の一部の人たちが全米の大学から外国人留学生を締め出し、国民の税
金で開発された技術が国外に流出するのを防ごうとしたことである。
同時にアメリカ政府は、研究開発費に対する助成額の予算に占める割合
を減らしつづけている。政府と民間との割合が半々であったが、今では 3
分の 1 対 3 分の 2 になっている。現在の財政収支均衡法の下では今後も大
幅に削減されることになる。民主党の前大統領は連邦の研究開発予算を
2002 年までに 14%削減することを公約していた。一方、共和党の下院議
員たちもその 20%削減を掲げている。
その結果、誰でも無償で入手できる新しい知識はかなり減っていくだろ
う。もし国家がこのギャップを埋め将来の経済的進歩を維持するために必
要とされる知識を生み出そうとするならば、民間企業に新たなインセン
ティヴを導入し民間の資金をこれまで以上に研究開発に投資させなければ
ならない。知的財産権を強力に保護するシステム作りはそれに対する明確
な答えの一つである。
かつてアメリカの反トラスト法は AT&T のベル研究所のような民間企
業の研究所にその技術を一般に公開することを強制し、IBM 研究所にも同
じようなことをするように無言の圧力をかけてきた。しかし独占企業が資
金を出して基礎研究を担うやり方は終わった。今や IBM や AT&T といっ
た企業は他社との競争に晒され、この競争社会の中で彼らがこれまで生み
出してきた知識を公にするほど資金的余裕はない [8]。現在、民間企業は
自社の発明から巨額の利益を得ることを期待し、そのため自分の権利を積
極的に守ろうとしている。私有の知識を低コストで共有する時代は終わっ
たのである。
知的財産権を保護するより強力な制度がなければ、企業は自分たちの経
済的地位を守ろうとして知識を秘密にしてしまうだろう。研究論文の発表
を意図的に遅らしたという記事が今科学雑誌で急激に増えている。知識の
普及を妨害しているのは秘密主義ほどはなはだしいものはない。これに比
べれば知的財産権の独占を強力に推し進める制度の方がたいしたことでは
ない。前もってそれが何かを知っている研究員は次の段階に進むことがで
きるし、既知のものを発明しようとして、既に誰かが発見した道を探して
知的荒野をさ迷うような時間の浪費をする者はいなくなる。最近の研究に
よれば、民間特許の 73%は大学や非営利団体、あるいは政府の研究機関の
ような公的機関から生まれた知識を基にしている。秘密にされた私有の知
識から次世代の知識はそう簡単には生まれない。
新技術の出現
新技術は知的財産権の新たな形を作る可能性をもち (人間の一部が特許
の対象となりうるか)、同時に旧来の権利を執行不可能にしている (本が電
子図書館からダウンロードできるならば著作権にどんな意味があるのか)。
我々は何が私的財産として是認され、何がダメなのかを基本的に考え直す
必要がある。同時に、知的財産権を効果的に保護するために新しい考えと
技術を生み出していかなければならない。
では、何に特許権を認めるべきかについてどう考えればよいのか。違う
人間を造り優れた人間を造るために新しい遺伝子を発見した場合と、新し
い変速機を発明した場合とを同じやり方で扱うことができないのは当たり
前のことである。社会はガンの治療法に対して独占権を認めるつもりは
ない。また、生物学者がクローン人間を作り所有することも許されないだ
ろう。
同様に、生物学的研究を行っている企業に人体の一部の知的所有が当然
許されるはずもない。そうでなければ、アルツハイマーのような病気に対
する遺伝子治療を発見するために必要な資金を投資してくれる者がいなく
なる。病気の遺伝子治療に対する特許と、背を高くしたり、頭をよくした
り、美しくしたりするような遺伝子操作に対する特許とが識別できないた
め、何が許され何が許されないかを正確に区分けすることは難しくなって
いる。植物、動物、人間の本質的特徴を変えるような新種の生物の発明は
既存の生態機能の解明と同じではない。両者間でそれぞれ特許の意味が異
なるのは言うまでもないことである。
我々は知識が根本的に進歩したのか、それとも既存の知識の延長線上に
あるのかを区別しなければならない。知識はそれぞれそれに見合った特許
を受けるべきである。アメリカ以外で用いられている「先願主義 (first to
file)」[9] に反対する根拠が一つある。それは、この制度によって賢い人な
ら技術をどこの国に持っていけばよいのかが分かり、どこならまだ発明さ
れていないものが特許申請可能かといったことを許してしまうということ
である。彼らの推測が 10 分の 1 の確率であたるとすれば、余裕で多種多様
の特許申請費用を賄うことができる。
新技術は財産権の執行をかなり難しくしている。高品質のスキャナーを
使えば、光学的に文字を認識し、誰もがすばやく簡単に電子図書館を造る
ことができる [10]。そしてそれを電子出版者はすばやく簡単に印刷物に戻
すこともできる。どんなものでも迅速に安く私的に小部数を高品質で複製
ができユーザが望む形で配布することができるとき、かつて印刷物の複製
を妨げるために利用されたチョーク・ポイント、つまり技術的障害は本質
的に消滅する。
それと同時に、本だけでなくあらゆる情報やデータのための著作権制度
は終わりを迎える。この制度は物理的な図書館で本を閲覧したり借りたり
することを意図としていて、電子図書館から本がダウンロードできれば、
これによって提起される問題を処理する正当な枠組みを提供することはで
きない。
本来、著者と出版社だけに関係するものと思われていたものがそれだけ
にとどまらなくなっている。本がタダでダウンロードできるならば、金融
情報を売っている人たちも自分たちのデータがダウンロードされ、競争相
手が低コストで売りさばくことができるということに気付くだろう。競争
相手はデータを作成するコストがかかっていないので、彼らのコストはほ
とんどかかっていない。電話会社は競争会社が自分自身で名前と番号を作
成していないことを裁判所で立証するため、電話帳に偽の番号を紛れ込ま
せてこうした事態を防ごうとしている [11]。
音楽レコード業界で今起こっていることを拡大鏡で見れば [12]、印刷物
の将来が見えてくる。CD 録音に必要な装置は余りにも高価で、一般家庭
で見ることはないが、CD の海賊版は全市場のほぼ 20%を占めている。こ
れに対し個人的に電子出版物を作る装置はパソコンとスキャナーさえあれ
ばよく安くて手に入りやすい。完全な電子図書館はまだ現れていないが、
それもまもなくのことだろう。最終的には、海賊版のシェアが CD やテー
プよりもこれまでどおり印刷物の市場で高まることを覚悟しておかなけれ
ばならない。法制度は企業が大量に CD や本をコピーしたり販売したりす
ることを止めさせることはできても、個人が自分用にコピーしたり友人に
少数販売したりすることを止めさせることはできない。
ソフトウェアの海賊版を考えてみる [13]。コンピュータ・メーカーが自
分たちの製品を「裸のまま」、つまり OS を搭載しないで出荷しているが –
アジアではよくあることだが–、彼らがそうする唯一の理由は海賊版ソフ
トウェアの使用を認めているからである。事実上、これらのコンピュータ・
メーカーは特許権や著作権の侵害を各国政府によって黙認されている。タ
イでは使用されているソフトウェアの 97%までが違法にコピーされたもの
で、アメリカでさえ違法コピーの割合はほぼ 40%に達している。ヨーロッ
パでの海賊版ソフトウェアの割合はスペインの 80%からイギリスの 25%ま
でさまざまである。
コンピュータ・ソフトウェアの話は、特許法や著作権法が技術に追いつ
けない場合何が起こるのかを示した好例である。裁判官は結局自ら判断す
べきではない決断を下している。こうして下された判決の一つとして、ソ
フトウェア・プログラムの「外観と操作感 (look and feel)」[14] は特許を
得られないというのがある。しかしこのことを認めてしまうと、どんな優
れたプログラムも事実上合法的にコピーできることになる。コピーを行う
者は独自にコードを書き込む必要があるが、彼らはそのプログラムがどの
ような目的をもっているのか、内部のプログラム構造がどうなっているの
か、この最終的なプログラムの外観と操作感はどうあるべきなのかを正確
に知っている。その製品の市場が成り立つことにも気付いている。どうす
れば安く作れるかを正確に知っていればコストはかからない。それよりも
重要なことは、コピーをした方が人気ソフトウェアのオリジナル作家より
も市場の不確実性やリスクに遭遇する可能性は低いということである。
ソフトウェア・プログラムが効果的に保護されていなければ、敗者にな
るのはアップル社だけではない。例えば、小さな会社がインターネット上
で自社の製品を販売するためソフトウェアを開発しても、競合会社にコ
ピーされ自由に使われてしまうのである。
経済のグローバル化
知識の獲得は「追いつこうとしている国」にとっても、
「先頭を走ってい
る国」にとってもますます重要なテーマとなっている。賢い発展途上国は
この現実を理解している。中国は独占国家 (市場をコントロールする買い
手) でありながら、自国市場への参入を餌に中国で営業を行っているボー
イングやロイターのような企業に技術供与を要求している。中国は資本を
欲しているのではない。貯蓄率は 30%で外貨準備高も 1,000 億ドルに達し
ている。中国が欲しているのは彼らの知識であって、その代償として中国
での営業を認めているだけである。アメリカは中国の要求を苦々しく思っ
ているが、その彼らも高校の歴史の授業を懐かしく思い出している。1800
年代初め、イギリスの織物工場を訪れた利口なアメリカ人技師がニュー・
イングランドにそっくりそのまま同じ工場を建てたという話である [15]。
第二次大戦後、アメリカ人は日本のビジネスマンがカメラを持ってアメリ
カの工場をあちこち見学していたのをはじめの頃面白がっていたが、もは
や面白がっている場合ではない。今では、途上国からの訪問者を自分たち
の工場に招き入れようとするものはほとんどいない。
ところが追いつくためコピーすることが追いつくための唯一の手段と
なっている。追いついた国はことごとく模倣して追いついた国々である。
発展途上国は、必要な知識を獲得しなければ先進国の仲間に入れないこと
を知っている。知識を持つ人たちは知識を売る気はないが、たとえその気
があっても彼らにそれを買えるだけの余裕はない。従って、彼らはコピー
しなけれならない。
最近、アメリカ最大手コンサルティング会社のマネージング・パートナ
の話を聞く機会があった。彼は自社のコンサルタントにインドに拠点を移
すことを勧めるべきだと説いていた。その理由は、インド人はコピーする
ことが大の得意で、コピーを違法とする法律もなく、仮にあったとしても
その法律を執行する気などないからだと言う。彼はまた、インドでは薬品
製造の製法にだけ特許権を認めるが、薬品そのものには認めないとも言っ
ていた。さらに続けて、インド人は別の製法を開発するのが得意だとまで
言っている。但し、製法が本当に違うのかどうかを綿密に調べる者がいな
いという事実については触れていなかった。また、インドで生産されたも
のが他の国では独占権だと考えられている知識に対して対価を払うこと
なく、世界の流通網に密かに流れ込んでいる事実についても言及していな
かった。
この問題は各国が発明のサイクルのどの段階にあるのか、経済発展のど
の段階にあるのかということではない。文化も異なり、地域も異なれば、
知的財産権に関する見方はかなり違ったものになる。創造的なものに対価
を払うべきだという考え方は、遡れば神が自分に合わせて人間を創造した
とするユダヤ・キリスト教の信仰やイスラム教の信仰に行き着く [16]。ヒ
ンドゥー教や仏教、あるいは儒教社会にこれに類似する考えはない。何が
公共の領域においてタダで利用されるべきなのかということと、何が私的
市場において売買されるべきなのかという考え方には実質的な違いがあ
る。同様に、知的財産制度に頼る傾向も国よって大きく異なる。例えば、
スイスの特許件数をアメリカのそれと比べると人口比あたりアメリカの
4.5 倍ある。だが、だからといって実際アメリカ人よりスイス人の方がよ
り創造的であると考えているものがはたしているだろうか。
しかしこうした経済力、文化、慣習の違いはともかく、世界の大半の国
が知的財産権制度の執行に合意しなければ、それを保護する制度はうま
く機能しない。ある国に存在しないか、あるいは執行されていないような
法律は実際上別の国にも執行できない。生産が他国に移るだけの話だ。各
国が知的財産権制度に望み、必要とし、盛り込むべき規定は経済発展のレ
ヴェルに応じて大いに異なる。アメリカの制度のような一国の制度が事実
上の世界標準に成り代わるようなことはない [17]。追いつけ追い越せの経
済ゲームは先頭を走りつづけるゲームとは違う。各国がどちらのゲームを
戦っていようと、彼らには自分たちを成功者とするような世界制度を求め
る権利がある。
新しい制度の建設: 基本原則
二世紀前に資本主義のシステムを作り出した人たちが見出したように、
実行可能な財産権は資本主義が機能するように定義され、実行されていっ
たに違いない。現在市場経済に移行しようとしている旧共産圏の国々は同
じ現実を今悟っているところである。痛切なことであるが、現在財産権を
適切に行使できない背景にはアメリカが抱える空気と水の汚染問題を考え
れば分かることである。誰のものでもない –つまり執行可能な財産権がな
い– ということが誰の目にも明らかになると、そのことが社会全体からき
れいな空気と水を奪ってしまうことになる [18]。知的財産権も然り。知識
がタダで使用できれば、新しい知識をほとんど創造しないような社会を生
み出すことになる。
イギリスの産業革命は共有地を廃止するエンクロージャー運動から始
まった。今世界では、知的財産権を組織的に管理するエンクロージャー運
動が求められている。さもないと、300 年前のイギリスで行われた強者に
よる共有地の分捕り合戦のように、世界は強者間で価値の高い知的財産を
めぐる争奪戦を目撃することになる。そこで三つの基礎的な土台となる原
則が必要となる。
新制度は新しいアイディアの開発と普及を比較検討しなけれ
ばならない
知的財産権を考慮していく場合、この制度に内在する緊張関係から見て
いくことが必要である。個人が新製品や新しいプロセス技術を開発するた
めには新しい知識を開発するためのコスト、リスク、努力に見合った経済
的インセンティヴが不可欠である。インセンティヴが大きいほうが、小さ
いときよりも知識の開発が進むのは当然である。例えば、植物の新種に特
許を認める最近の変化は爆発的な新種開発を導いている [19]。
研究開発に関する政府の役割が薄れていく中、より強力な民間のインセ
ンティヴを求める声が高まっている。通常考えられるインセンティヴとい
うのは発明者に彼の知識から生み出された物の製品化に独占権を与えるこ
とである。この権利は自分で使用することもできるし、売却することもで
きる。好むと好まざるとにかかわらず、政府の研究開発費が削られている
現状では民間の独占権の強化が必要である。
同時にいったん知識が生まれると、社会的インセンティヴは 180 度変わ
る。新しい知識が広く使われ早く普及すればするほど、それだけ社会に
とっての利益は大きくなる。知識がタダで使えれば、知識が最大限に広が
り最速のスピードで普及していく。このため、きわめて重要な特許につい
ては特許法によって付与された独占権を剥奪するために独占禁止法が適用
されるべきだとしばしば指摘されている [20]。
どんな知的財産権制度も、知識の開発を促すことと普及を速めることの
二つの本質的に矛盾する目的のバランスを取らなければならない。この二
つの均衡をどのように取るかについては、これが正解だという決まった答
えはない。この問題はどのように判断するかという問題である。しかし裁
判官が判断すべき問題でもない。
裁判官は技術や経済的進歩の観点から判決理由を考えない。彼の関心事
は既存の法解釈になるべく抵触しない形で、どのようにすれば新しい技術
分野を法的枠組みに組み込むことができるかである。しかしこうした怠惰
な裁判実務は経済にも役立たず、理にかなった技術政策にも寄与しない。
正しいアプローチというのは根底にある産業実体を調べ、どのようなイン
センティヴが知識の開発の成功にとって必要かを判断することである。こ
れは裁判官ではなく政治家が下すべき社会的経済的決定である。
現代の経済では、特許権制度が最初に作られた当時と比べて民間の独占
権が与える脅威は少ないはずである。代わりになるような技術が蔓延して
いるため、企業が価格を恣意的に引き上げ独占的利益を確保してくれるよ
うな非弾力性の需要曲線を描く必需品はますます減っている。今日消費者
は多くの選択肢を持ち、代替品のない必需品はほとんどない。ちょっとし
た独占権を行使して価格を少し吊り上げても、今は過去ほど利益をあげる
ことができるというものでもない。
独占力が弱まり新しい知的財産の開発を促進することが社会的関心と
なっている今、知的財産権制度のバランスを取るために必要なことは、新
しい知識の開発を促進していく方向にシフトを移し、既存の知識の自由な
普及に余り重点をおかないということである。それには特許権と著作権を
強化し、権利期間の延長をしていくことが確実な方法だと考えられる。
知的財産法は執行可能でなければならないし、執行可能でな
ければ法律ではない
知的財産権を保護する要求がかつてないほど高まっているが、知的財産
権を経済的成功への決定的要因にした同一の技術と開発もまた知的財産権
の執行をかなり難しくしている。法律は成文化されるが、執行を可能にす
る技術的関門がなければ作っても意味がないし、作るべきではない。執行
できない法律または執行されない法律は、よき法律としても、よき技術政
策としても寄与しない。正直者だけが、その正直さゆえに正直に対価を支
払って損をする。また、あまり遵守されていない法律は法律として尊重さ
れず、誰もが法律を無視するようになる。率直に言えば、法的権利がどの
ように執行されるかについて考える者がいなければ、法的権利にすべきで
はない。
法制度は権利を明確にすることができ、紛争解決を迅速に効
率よく解決できるものでなければならない
現行の特許権制度の問題の多くは知的財産権の決定に一貫性がなく、予
測不可能で時間とコストがかかり、迅速で低コストの紛争解決手段がない
ことに原因がある。最初の問題は少なくとも部分的には容易に解決するこ
とができる。アメリカでは特許申請者が特許局が負担するコスト以上の手
数料を払っている。これらの手数料は一般会計に組み込まれ、連邦議会は
特許商標局を運営するために予算 –手数料収入を下回る– を計上する。直
ぐできる改革がある。それは、この手数料収入が予算に必要と考える財源
として直接入るようにするのと同時に、迅速な審査を確保するためそれだ
け高く手数料を設定する制度を確立することである。手数料は所得税のよ
うに申請者の所得水準に合わせて同列に扱っていた大企業と零細の個人発
明者との負担を調整し、特許関連局は公務員制度の枠組みからはずし、効
率的に迅速に制度を運営することができる人材を集めその確保のために給
与を高くすべきである。
技術開発者としてのスパンが短い彼らにとって、審理の開始が遅く、時
間がかかり、裁判費用が巨額となる現在の紛争解決システムを利用しなけ
ればならないことは個人の権利を失ったにも等しい。別の代替的なアプ
ローチを考えるには、灌漑地域での水利権紛争を解決するアメリカの法制
度がモデルになるかもしれない。連邦の水利権管理者はかなりの権限が与
えられていて、水が少ない年には水を配分することができ、作物が直ぐに
枯れないようにすばやく紛争を解決することができる。
一つの制度は万能ではない
単純であることは何よりも美徳だが、新制度の建設者は多数の競合利
害を調整し、いくつかの重要な相違点を考慮に入れておかなければなら
ない。
公有の知識対私有の知識
知識をできるだけ早く普及させるという社会的な利益を達成させるため
には、ある種類の知識を公有にし、誰でも自由に利用できるようにしなけ
ればならない [21]。基礎的な科学的知識を公有にし、その知識から製品を
開発した者は私的独占権を手にするというのも一つの手段かもしれない。
だが科学的原則と製品化を可能にするために必要な知識との線引きは実際
には難しい。ここでもまた判断の問題が鍵となってくる。
これ以外にも知識を公有にしておく理由がある。例えば社会は、若者を
教育する場合学校で教える基礎的技術のようなある種の知識を公有にした
ほうが社会的利益になるということをその判断で決定することができる
[22]。平等を重んじる民主主義社会なら、例えば生命を救うような技術を
金持ちだけでなく、一般に誰にでも手にすることができるように望むかも
しれない。
これらのことが言わんとしているのは、知識が公に利用されるべきと
きはいつなのか、いつまで私的のままであり続けるのかといった問題を決
定する原則を我々が必要としているということである。だがだからといっ
て、特許権や著作権はコストがほとんどかからないか、もしくは無料で知
識を一般的にアクセスできた方が社会的利益になるような分野では認めら
れないということを言わんとしているのではない。このことが受け入れら
れてしまったら、こうした分野で一般に役立つ知識を生み出そうとするイ
ンセンティヴは働かなくなってしまう。それ以上に、こうした知識を開発
した人がその知識を秘密にしておこうというインセンティヴを強く働かし
てしまう。我々は公的な分野で知識を生み出した人にも対価を支払うとい
うことを確かなものにしなければならない。
この問題に対する解決策は特許権制度そのものに求めるのではなく、何
らかの公的機関 –恐らく全米科学財団の一部局になると思うが– を設置す
ることである。資金と収用権をもつこの機関が知識を公有にすべきだと考
えた場合、その知識の購入を決定することができる。売り手が合理的価格
で売却することに不同意であれば、収用権の土地取得手続きで用いられて
いるような決定原則が用いられる。
先進国対発展途上国
グローバル経済のもとでは知的財産権のグローバル・システムが必要と
なってくる。この制度は先進国と途上国双方のニーズを反映したものでな
ければならない。この問題は先進国ではどの知識が公有のものとされなけ
ればならないのかといった問題と似ている。しかし第三世界が低コストの
医薬品を欲しがるのと低コストの CD を欲しがるのとは意味が違う。アメ
リカの現行制度のように、このようにひとまとめに異なるニーズを扱う制
度はいい制度とはいえないし長続きできる制度とはいえない。国の所得水
準や人間の基礎的ニーズを満たす技術の重要性の度合いを基準にして、予
め手数料に異なる段階を設け、他国が開発したものを使用したいと考える
国々に国際的にその手数料を課すことが必要となってくる。
異なる産業、知識の種類、発明者の種類、そして特許の種類
すべての産業、さまざまな知識、あらゆる種類の発明者にとって、最適
の特許権制度は同じものではない。例えば、コンピュータ産業と製薬産業
とを例にとって考えてみる。前者は審査のスピードと短期間の保護を求め
ている。利益のほとんどが新しい知識が開発された直後に得られるからで
ある。一方、後者は長期間の保護を望んでいる。薬の効能と副作用がない
かどうかを調べるため長期間のテストを繰り返した後ようやく利益のほと
んどが得られるからである。
知識の進歩の度合いに応じてそれぞれを識別していき、その識別を基に
選択の対象となる特許権を認めるべきである。もう一度言う。基礎的な進
歩というのは既存の知識を論理的に延長したものではないし、そのように
扱うべきではない [23]。これと同様に、個人の発明者は大企業と同列に扱
うべきではない。上述したように、申請手数料はすべての発明者のフィー
ルドを同じ条件にするために所得に応じて徴収したほうがよい。
最後に、知的財産権制度は発明者がさまざまな特許権や著作権の選択肢
から選ぶことができるようにすべきである。制度が細分化されていれば、
発明者にとってもそれぞれ違った独占権を取得することができる。これに
よってコスト、審査のスピード、紛争解決のパラメーターが多種多様とな
る。申請者自身も、自分が望む特許権の種類を決めることができる。特許
のマーケットほど、誰もが全く同じ製品を望むしかなく購入しなければな
らないような市場は他にはない。
世界の既存の一次元的な制度は、より細分化された制度を作るために徹底
的に点検されなければならない。今日の技術的発展をこれまでの知的財産権
制度に押し込めようとすることにはまったく無理がある。一つの制度が何で
も処理してしまう、そのような万能な制度というのは存在しないのである。
【この論文は、ハーヴァード・ビジネス・レヴュー 1997 年 9/10 月号に掲載
されたレスター・サロー MIT 教授の論文を訳者が著者の許可を得て訳出
したものである。なお、訳註については原論文に註が付いていないので、
参考のために訳者が著者の承諾を得て作成したものである。】
訳註
[1] メインフレーム・コンピュータに固執していた IBM 社の利益は 1990
年 100 億ドルを超えたが、パーソナル・コンピュータの登場によって
IBM 社は赤字企業に転落してしまった。IBM 社に代わって知識経済
時代の象徴として現れたのが、「ソフトはただで使えるものという考
えに初めて異議を申し立てた」ビル・ゲイツであった。彼が率いるマ
イクロソフト社のウインドウズ 95 の爆発的なヒットによって彼の個人
資産は 1998 年末 830 億ドルまで達した。Lester C. Thurow, Building
Wealth, pp. 13, 207; Emerson W. Pugh, Building IBM - Shaping
an Industry and Its technology, p. 324, MIT Press(1995); Stephen
Manes & Paul Andrews, Gates: How Microsoft’s Mogul Reinvented
an Industry - And Made Himself the Richest Man in America, p. 3,
Doubleday (1993);スティーヴン・メインズ、ポール・アンドルーズ (鈴
木主税訳)『帝王ビル・ゲイツ誕生 (上)』12 頁 (中央公論社、2000 年)。
[2] ロックフェラーのスタンダードオイル会社がどのように巨大化して
いったかについては Alfred D. Chandler, Jr., The Visible Hand –
The Managerial Revolution in American Business 14th ed. 321-336,
Harv. Univ. Press 1997 と Ron Chernow, Titan – The Life of John
D. Rockefeller, Sr., Vintage Books(1999) を参照のこと。
[3] NuTech Sciences 社は数百万ドルの IBM のスーパーコンピュータを
購入し、ヒトゲノム解明に取り組む研究者に貸し出すと発表して
いる。このスーパーコンピュータは 5000 個の CPU を使用するもの
で、最高性能時 1 秒間に 7.5 兆回の演算が可能である。なお、ゲノ
ム解読を行なっている Celera Genomics 社と米エネルギー省の Sandia 国立研究所は、IBM 社のスーパーコンピュータ “Blue Gene” で
はなく、2004 年までに 1 秒間 100 兆回の演算が可能となるコンパッ
クのスーパーコンピュータを開発していくことに合意したようで
ある。このように遺伝子学も核兵器、油田探査、自動車・飛行機
設計と並んでスーパーコンピュータが最も多く利用されている。
Genetic Company Buys Mammoth IBM Supercomputer, CNET
NEWS COM, Dec. 17, 2000. http://news.cnet.com/news/0-1003200-4188415.html?feed.cnetbrief;Govt., Companies Team Up on
Genome, abcNews.com, Jan. 19, 2001.
http://abcnews.go.com/sections/scitech/DailyNews/genome compaq010119.html
[4] Keith H. Hammond & Joseph Weber, Earnings: Make Sure to Read
Between the Bottom Lines, Business Week, Apr. 30, 1990;守誠著
『特許の文明史』176–180 頁、新潮選書 1994 年。最近では、サン・マ
イクロシステムズ社とマイクロソフト社の間で Java ソフトウェアの
扱いをめぐっての争いがある。Java はサン・マイクロシステムズ社
が開発したそれぞれのコンピュータに合わせて書き換えることなく
プログラムを稼動させるソフトウェア技術であるが、サン・マイクロ
システムズ社は、両者間のライセンス契約を破ってマイクロソフト社
が Windows コンピュータに適するように Java を拡張したとして 3500
万ドルの賠償金を求めていた。サン・マイクロシステムズ社のこの
訴訟での主な論点は、マイクロソフト社が自社製品を Java 互換だと
偽って売り込んでいるというものであった。結局この訴訟は、マイク
ロソフト社が 2000 万ドルの損害賠償金を払うことで和解されること
になった。Joel Brinkley & Steve Lohr, U. S. v. Microsoft, pp. 105-
110, McGraw-Hill (2001); Sun, Microsoft Settle Java Suit, CNET
NEWS. COM, Jan. 23, 2001. http://www.cnet.com/news/0-1003200-4578025.html?feed.cnetbriefs
[5] 最初のミニコンピュータ PDP シリーズを商業化した DEC とインテ
ルは約 10 億ドルで和解したがその後 DEC はコンパックに買収され
た。しかしそのことが最近のコンパックの業績不振に繋がっている
という。Merger Brief: The Digital Dilemma, Economist, pp. 75-76,
July 22, 2000.
[6] リヴァース・エンジニアリングとは、プログラムの中に具現された概
念や技法、アイデアを教育したり、解析したり、評価したりする目的
で、プログラムのオブジェクト・コードまたはソース・コードを、必ず
しも違法ではないが、無権限で複製することである。Semiconductor
Chip Protection Act, 17 U. S. C. §906. なお、コンピュータ・プログ
ラムのリヴァース・エンジニアリングと著作権法の関係については、
D. S. カージャラ・椙山敬士『日本–アメリカ コンピュータ・著作権
法』、日本評論社 (1989) を参照のこと。
[7] 1950 年代アメリカは軍事目的のためコンピュータ開発の研究に予算
を注ぎ込み、R&D の Research のほぼ 85%を政府が賄い、60 年代 70
年代も異なる方法で政府の支援が続いた。このような背景の中で国防
省によって 1969 年に ARPANET(アーパネット) というインターネッ
トの原形が作り出されている。これに対し民間の研究機関であり真
空管に代わるトランジスターを発明したベル研究所では 5700 の従業
員のうち 2000 人に及ぶ国家最高の科学者・技術者が雇われ、70 年代
に入ると 17000 人の科学技術者が毎年 700 以上のパテントを取得し
ていた。James W. Cortada, Progenitors of the Information Age –
The Development of Chips and Computers, in A Nation Transformed by Information – How Information Has Shaped the United
States from Colonial Times to the Present (ed. by Alfred D. Chan-
dler, Jr. & James W. Cortada), pp. 180-181, 205, Oxford Univ.
Press 2000. なお ARPANET の歴史については、Michael Hauben,
History of ARPANET – Behind the Net – The Untold History of the
ARPANET OR – The “Open” History of the ARPANET/Internet.
http://www.dei.isep.ipp.pt/docs/arpa.html を参照のこと。
[8] Lester C. Thurow, The Future of Capitalism – How Today’s Economic Forces Shape Tomorrow’s World, pp. 291-292, Penguin Books
(1996); レスター・C・サロー著、山岡洋一・仁平和夫訳、『資本主義
の未来』、TBS ブリタニカ (1996)。
[9] 特許の出願には先願主義のほかに先発明主義 (first to invite system)
があり、これを採用しているのはアメリカだけである。アメリカでは
先に出願した人は一応先に発明したと推定されるが、後で出願しても
先に発明したことが立証されれば特許が認められる。どちらが先に発
明したかについては抵触審査手続 (interferences) というものがあり、
この審査では°
1 着想 (conception)、°
2 実施化 (reduction to practice)、
°
3 勤勉 (diligence) の三要素が考慮される。竹田和彦著『特許の知識 第
6 版』176–177 頁、ダイヤモンド社; 中島暁「知的所有権と技術取引規
制」松下満雄ほか『The Laws 20/21 変容する日米経済の法的構造』
316 頁 (東洋堂企画出版社、平成 3)。
[10] アメリカの Ebrary.com 社 (http://www.ebrary.com/) はバーチャル図
書館を構築中で、国際的な専門書の出版社と提携し一万七千タイト
ルの自然科学、人文科学、社会科学、工学技術の研究論文をオンラ
インで世界中の研究者に提供していくという。Start-up dries ink on
virtual library deal, CNET NEWS.COM, Dec. 5, 2000.
http://news.cnet.com/news/0-1005-200-4010787.html?feed.cnetbriefs
[11] 但し、連邦最高裁はアルファベット順電話帳には創作性がなく著作権
法の保護を受けないと所謂「額に汗の理論」を否定している。Feist
Publications, Inc. v. Rural Telephone Service Co., Inc., 499 U. S.
340 (1991).
[12] 2000 年 9 月 6 日に音楽界で注目される判決、所謂 MP3. コム訴訟の
判決が下された。裁判所は故意にシーグラム傘下のユニヴァーサ
ル・ミュージック・グループの著作権を侵害したとの認定を下し、
インターネットの音楽配布に法的境界線をはじめて引いた。当初
賠償額については後の裁判で認定される見通しであったが、著作
権侵害 1 件につき 25000 ドル、おそらく賠償総額は 1 億 1800 ドルに
達するといわれていた。結局 11 月 4 日、MP3. コム側は予想額の約
半分の 5340 万ドル支払って和解することに合意したようである。
MP3.Com and Universal Music Agree to Settle Copyright Dispute,
N. Y. Times, at C1, C4, Nov. 15, 2000; U.S. District Court for
the Southern District of New York Judge Jed S. Rakoff’s ruling
in the MP3. com case Unofficial version, New York Law Journal, Sep. 6, 2000. http://www.nylj.com/links/mp3ruling.html 一
方アメリカの音楽業界も著作権保護機能付きの CD を販売しようと
躍起になっているようである。例えば、Liquid Audio 社はダウン
ロード形式で購入したデジタル音楽の複製を防止する技術を既に
開発しているが、店頭販売の CD の複製防止に成功した技術は今の
ところなく、Fahrenheit Entertainment 社も SunnComm 社の暗号化
技術を使って、ネット上での CD コピーを防止しようとしている。
Record Company Prepares to Sell Copy-Protected CDs, CNET
NEWS.COM, Dec. 11, 2000. http://news.cnet.com/news/0-1005200-4099854.html?feed.cnetbriefs
[13] マイクロソフト社では新しい Windows の OS“Whistler” を配布する
際、ユーザが電話又はインターネットで製品を使用可能にしなけ
ればならない違法コピー防止技術の新ヴァージョン “Product Activation” を装備するようである。この技術については “Whistler”
だけでなく、“Office 2000” の後継となる “Office 10”、“Visual Studio.Net”、“Visio 10” にもこのコピー防止コードが盛り込まれる予
定となっている。Microsoft Bolsters Anti-Piracy Measures, CNET
NEW.COM, Jan. 12, 2001. http://news.cnet.com/news/0-1003201-4459768-0.html?feed.cnetbriefs
[14] Gregory J. Wrenn, Federal Intellectual Property Protection for
Computer Software Audiovisual Look and Feel: The Lanham, Copyright, and Patent Acts, High Technology Law Journal, p. 279, Fall
1989.
[15] 第一回文部留学生としてコロンビア大学とィエール大学大学院を優
秀な成績で修了し法学博士を得た鳩山和夫 (唐澤富太郎著『唐澤富太
郎著作集 4:貢進生 – 幕末維新期のエリートたち』184 頁、平成 2 年
ぎょうせい) が外務省にいた時のエピソゥドに、明治時代日本の英語
の教科書だった “The New National Readers” の海賊版にクレイムを
つけてきたアメリカ公使に対し、「私は亜米利加に居るとき、亜米利
加で翻刻した安い本を種々読んで居つた、英国で出版したものを買ふ
と高くて、亜米利加出来ならば其の値段の半分か三分の一で読むこと
が出来る、日本でも其れをやつて居るのである、亜米利加で英吉利の
本を翻刻して居ながら、日本人が亜米利加の本を翻刻して悪いと云う
ことはない」といってその抗議を退けた話があるように (吉本竹次郎
速記「法学博士鳩山和夫君」太陽 5 巻 13 号 137 頁 1899 年)、19 世紀
のアメリカは先進国の書物の海賊行為は自国に最大の利益をもたら
すとさえ考えていた (F.H. フォスター・R.L. シュック著、安形雄三訳
『入門アメリカ知的財産権』27 頁、日本評論社 1991 年)。因みに、ア
メリカがベルヌ条約に加盟したのはかなり後の 1989 年ことである。
[16] 報酬を与えることは発明者に社会的に特別な地位の付与を必要とする
が、歴史的にはこのようなことはルネッサンス以前には存在せず、そ
れ以前は創造力は神の特権であると考えられていた。ルネッサンス時
代になると大詩人や大芸術家、大発明家の業績は凡人にはない特別な
創造力のある天賦の所物としてとらえられるようになり、創造力に対
し対価を受けるべきだとする考えが生じてきた。Office of Technology
Assessment(日本電子工業振興協会訳)『電子・情報時代の知的所有権』
170 頁 (日経マグロウヒル社、昭 62)。なお詳しくは Arnold Pacey, The
Maze of Ingenuity: Ideas and Idealism in the Development of Technology 2nd. ed., MIT Press (1992) または Arnold Pacey, Technology
in World Civilization: A Thousand-Year History, MIT Press (1991)
を参照のこと。
[17] 1996 年 12 月 WIPO 外交会議で「WIPO 著作権条約」と「WIPO 実演・
レコード条約」の二つの条約が採択されたが、もう一つの「データ
ベースに係る知的所有権に関する条約」については、アメリカの政府
代表が提出したにもかかわらず日本のように根回しというシステム
がないためアメリカ国内の関係者の支持が得られず、結局アメリカが
反対に回ったことによって審議すらされなかった。このように国際舞
台ではすべての国の合意を得ることはかなり難しいし、まして一国
の制度が国際法となることは今の時代ではまずあり得ない。岡本薫
「著作権保護の国際的動向について (抄)」2 頁コピライト 1997 年 4 月
号;Samuelson, WIPO Panel Principal Paper – The U. S. Digital
Agenda at WIPO, 37 Va. J. Int’l L. 369 (1997). 80 年代・90 年代の
アメリカと中国またはアメリカと他の発展途上国との知的財産権をめ
ぐる交渉、1996 年 WIPO 著作権条約の分析については、Michael P.
Ryan, Knowledge Diplomacy: Global Competition and the Politics
of Intellectual Property, Brookings Institute (1998) を参照のこと。
[18] Thurow, supra note 1, at 116-117. この中でサローは明確で執行可能
な財産権が確立していなければ資本主義は機能しないとして、その例
として空気と水の汚染の例を挙げている。「みんなの物は誰の物でも
ない。その結果誰でも利用できる無料の処理システムを利用し、下流
や風下の住民にコストを負担させようとして汚染しようとするイン
センティヴが働く。空気、川、湖、海をきれいにしようとするインセ
ンティヴは働かない。私的所有が確立している土地では汚染の市場メ
カニズムが働く。私的所有者は自分の土地に隣人が廃棄物を捨てるの
を許さない。そこで、ごみ処理場を設けて商売にしようとするものが
現れる。」
[19] アメリカにおいて遺伝子情報に関する特許申請の数は 1991 年に 4 千
件だったのが、1996 年には 50 万件と爆発的に増えている。今後は人
間の遺伝子の組換え技術といったバイオテクノロジーやナノテクノロ
ジー (nanotechnology) といった最新の技術をめぐる特許合戦が予想
される。因みに 2000 年アメリカで一番特許を取得したのは IBM 社で、
8 年連続そのトップの座を守った。IBM がアメリカ特許商標庁 (PTO)
から取得した特許件数は 2886 件で、その多くはソフト、ネットワーク
化された情報処理、データ・ストレイジ、マイクロエレクトロニック
スなどに関連するものである。Enriquez & Goldberg, Transforming
Life, Transforming Business: The Life-Science Revolution, Harv.
Bus. Rev., p.96, Mar.-Apr. 2000; The Genome Gold Rush – Who
Will Be the First to Hit Pay Dirt? Business Week, June 12, 2000;
Longman, The Next Big Thing Is Small – Machines the Size of
Molecules Are Creation the Next Industrial Revolution, pp. 30-32,
U. S. News & World Report, July 3, 2000;「アメリカンゲノムド
リーム – バイオビジネス最前線」28–51 頁、週刊東洋経済、8 月 5 日
号 2000 年。
[20] Ernest Gellhorn, Antitrust Law and Economics in a Nutshell 4th ed., pp.409-430, West Group (1994); 知 的 財 産 権
は情報の独占権で、物の独占より弊害が甚大な場合は競争法的
な 要 素 を 加 味 し て 処 理 す べ き で あ る 。中 山 信 弘 、『21 世 紀 の 知
的 財 産 権:中 山 教 授 の 工 業 所 有 権 仲 裁 セ ン タ ー で の 記 念 講 演 』
(1998) http://www.softic.or.jp/SLN/SLN78/html ; その英訳として
Nobuhiro Nakayama (Takeo Hayakawa trans.), Intellectual
Property in the 21st Century,
http://www.softic.or.jp/eng/articles/nakayama.html.
[21] 例えば、今年の 6 月 26 日二つの研究グループがヒトゲノムの解読が終
わったことを発表したが、解読した内容、つまり「人の遺伝子情報は
人類共有の財産である」として、特許当局も解読内容だけでは特許対
象にはしないとしている。Teams Finish Mapping Human DNA, at
A1, Washington Post, June 27, 2000. 一方、その解読を行った民間
の Celera Genomics 社もこれまで解析した塩基配列のデータを無償で
公開することをアメリカの科学雑誌 Science で発表した。Restrictions
on DNA Data Reignite Debate, Washington Post, at A 2, Dec. 8,
2000. また、「科学は万人の財産」だとして「X 線」の特許を取らな
かったレントゲンの話は有名であるが、その実は「レントゲンはユダ
ヤ人だったが故に、ドイツに益するような特許を取らなかった」のが
真相と言われている。守・前掲註 (3)29–47 頁。
[22] アメリカの著作権法 107 条は、批評、解説、ニュース報道、授業、研
究、調査などは著作物の公正使用であり権利の効力は及ばないとして
権利制限規定を設けている。17 U.S.C.§107 (1975).
[23] このような考えの背景にはトーマス・クーンの科学観があると思わ
れる。クーンは「科学革命とは、これまでの古いパラダイムが相容れ
ない新しいパラダイムに完全に、もしくは部分的に転換されていく
断続的な一連の出来事だ」と言っているように、1920 年代末に論理
実証主義者たちが唱えた科学は累積的知識であり、絶対的な真理へ連
続的に近づいていき、そこには断絶はないとする見方に対し、科学
の連続的進歩を否定し、その断続的転換を主張して所謂科学のパラ
ダイム論を展開した。Thomas S. Kuhn, The Structure of Scientific
Revolutions 3rd. ed., p. 92, Univ. of Chi. Press (1996); トーマス・
クーン著、中山茂訳『科学革命の構造』104 頁、みすず書房 (1971);
野家啓一著、『クーン – パラダイム』、pp. 26-27、講談社 1998 年。
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