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内容の要旨
現代における「キッチュ」の再評価(前川)
まえ がわ かず ひと
名
前 川 多 仁
学 位 の 種 類
博 士(芸術)
学 位 記 番 号
甲博制第 26 号
学位授与の日付
平成 23 年 3 月 22 日
学位授与の要件
学位規則第 4 条第 1 項該当(課程博士)
学 位 論 文 題 目
現代における「キッチュ」の再評価
作品テーマ 染織表現からみる「キッチュ」の同時代感覚性
論 文 題 目 現代における「キッチュ」の再評価
論文審査委員
主査 教授
福 本 繁 樹
副査 教授
小 野 山 和 代
副査 教授
山 縣 煕
氏
内容の要旨
本学情報センター展示ホールのスペースに展開した 16 点の作品群は、大作を中心に小品ま
ですべて染織技法によるもので、モチーフ・素材・技法・展示方法などにおいて多様な要素を
しめす。イメージは、富士山、太陽、星、 、ジャガー、恐竜、孔雀の飾り羽、デコトラ、ロケッ
ト、戦闘機・戦車・銃・剣・ミサイルなどの武器、亀甲・菱・竜紋などの伝統文様、あるいはマン
ガやアニメのキャラクターから展開したものなど「きらびやかさや強さ」のあるモチーフを中
心に、あるものは写真を加工したリアルなものとして、あるものは幼児の落書きのような稚拙
さを見せる描き方で、さまざまなリアリティのレヴェルで表現している。
素材、技法などは、各種白生地、既成のプリント柄、自身でデザインしたコンピュータジャカー
ド織りなどの生地を用い、そこにインクジェットプリント、スクリーンプリント、 染め、染
料のにじみ、ミシンステッチなどで構成し、染料、金粉、ラインストーン、フリンジなどをほど
こしている。作品形態は、壁掛け、張り幕、掛け軸、几帳、テナント、布団と枕などの要素をと
りいれ、展示のために赤糸、鳩目穴、プッシュピン、ターンバックル、獣角、模造の日本刀・槍・
毛皮などを用い、一部インスタレーションの要素もとりいれ、変形画面や、皺やドレープなど
も画面にとりこんで展示した。
このように表現要素に雑多な様相をみせる作品群は、華麗で高雅なものではなく、むしろ食
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現代における「キッチュ」の再評価(前川)
傷をおこさせるような一種の「悪趣味」をももちあわせ、白地を塗りつぶす鮮烈な朱色を基調
に、エッチング技法による鋭い筆触の黒線と、ぎらついた金色が主張しあっている。
《ザリガニ
将軍あらわる!》
《合体変身(アシュラロボ)》
《王子様と魔法陣》
《サムライマン Vs.ニンジャ
マン》
《僕は死なない》など、風変わりな作品タイトルに、画面に登場する主役のキャラクター
性や、戦闘シーンなどに、独自の表現世界を築き上げた。
「現代における『キッチュ』の再評価」を題目とする論文では、まず「私が『キッチュ』をめざ
して作品を制作しているというわけではない」と断り、またキッチュを定義づける困難さも指
摘して、
「アニメやマンガ、特撮、ロックミュージックなどのサブカルチャーに没頭しながら生
活してきた」という作者自身の環境と、キッチュ的なもののきらびやかさ、強さなどの魅力か
ら、
「キッチュ」に着目した動機を記し、それと自作との関係や可能性について論述した。
第 1 章では、
「キッチュ」の一般的な考えや、先行研究をふまえ、
「キッチュ」を、非現実的な
願望へと向かう「肥大化するイメージ」を表現したものとした。現代社会では、ポストモダン
以降、
「大きな物語」が機能しにくくなり、サブカルチャーに「キッチュ」が顕在化した動静を
検証している。
第2章では、幼児性をともなった「キッチュ」が、オタク文化や少女文化などのサブカルチャー
に展開した社会現象を考察した。
「ヒーロー」と「KAWAII」をキーワードにすることによって、
「キッチュ」分析の切り口をさぐり、さらに近年顕著になったと指摘されるネオテニーの風潮
に着目し、ネオテニー世代における男の子的要素と女の子的要素のハイブリッドだと解釈する
「かわいいヒーロー」についても論述した。そこから「私たちはヒーローを神の代替としてとら
えているのではないか」という解釈に至った。
第 3 章では、自作と「キッチュ」の関係と、それぞれの可能性について考察した。作品にヒー
ローを主要なモチーフとして、ヒーローを示すものとして作品に多用する赤についてのシンボ
ル性を考察し、自作にとっての赤を究極的には神をもあらわす色であると主張するとともに、
自作独自の「キッチュ」の同時代感覚性について論述した。
以上のように論文は、自身の表現の主要素となっているものと、
「キッチュ」が放つエネルギー
との関連性から、
「キッチュ」の新たな展開に着目して、その傾向と可能性を考察するとともに、
自身の見解を明確にしようと試みたものである。
審査結果の報告
16 点の作品群はすべて染織技法によるものだが、モチーフ、表現様式、素材、技法、形態、展
示形式などが多様で、あらゆる領域を横断する多面性が特徴となっている。たとえば工芸・工
業・美術の領域、手仕事とコンピュータワーク、タブローとインスタレーション、芸術と生活、
視覚と触覚など、複合的なあり方を示す。そのため視覚芸術としての純粋性をもとめてきたこ
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現代における「キッチュ」の再評価(前川)
れまでの美術の視点からも、工業・生活・美術などから遠ざかるところに位置してきた近代工
芸の視点からも理解しにくいものである。むしろ純粋美術の純粋性を打ち破って、生活と美術
を統合してきたとされるアヴァンギャルドとの比較で評価すべきものだろう。
日本のアニメ、マンガ、特撮などのサブカルチャーに影響をうけた同時代的な感覚によって
発想し、コンピュータジャカード織りや、インクジェットプリント、 染めなど、新開発の染
織技法や伝統技法などを駆使して、染織の大作にとりくむ意欲的、野心的な作風に、今日的な
あり方がみとめられる。
雑多なイメージが錯綜した様相をみせる作品群は、モチーフの奇異な出会いを現出させるデ
ペイズマンの手法ともみえるが、むしろ寄せ集めた「キッチュ」的なもののエネルギーを結集
させるとともに、画面に物語を構築したものであろう。滲みひろがる鮮烈な朱色を基調として、
鋭い筆触の黒線と、ぎらついた金色にさまざまなモチーフを配置して、渾沌とした画面構成と、
刹那的な物語性をおもわせる戦いなどのシーンに独自の世代感覚をみせている。
16 点の作品群のそれぞれにつけられたタイトルはユニークなもので、
「将軍」
「サムライ」
「ニ
ンジャ」
「スナイパー」
「防衛戦」
「秘密基地」あるいは「死なない」
「救え」
「出陣」などと、戦い
に関する勇ましいことばが並べられ、武器やミサイル、戦闘シーンがモチーフとして頻出する。
それは作者が言明するとおり、現実世界における戦争や争いではなく、アニメやマンガやゲー
ムによくでてくるフィクション世界のものであろう。武器・ミサイル・ヒーローなどは、プリ
ント柄、孔版による金粉、鉄筆で引っかいたエッチングの線などで、ガジェット(gadget,装置、
仕掛け、小道具)としての存在感で落書きのように描かれ、みせかけの強さ、はりぼてによる
実在感、まがいもののこけおどし、安物っぽいきらびやかさによって、ナイーブな雄姿を画面
に躍動させ、うそっぽい攻撃性をアイロニカルに表現している。
このような表現に関して、
「心の深淵には、えも言われない恨みやコンプレックス、屈辱的経
験があり、闘争的なものがひそんでいるのではないかと感じる。」として、それをもっとあから
さまに表現できないものか、との副査によるコメントもあった。
また、展示ホールという空間に行儀よくおさまった作品群は、
「キッチュ」を標榜するには常
識的で、物足りないとか、よりわかりやすく明快な「キッチュ」としての表現を求める意見もあっ
た。しかし、作者の意図が「キッチュ」そのものの表現をめざすものではなく、自作の表現に「キッ
チュ」的な要素をさぐろうとしたものであることを理解することも必要だろう。
だが、とくにサブカルチャーに着目した「キッチュ」の反芸術的なエネルギーを、いかに独
自の様式にとりいれるか、混合技法による錯綜した構成のなかに、モチーフの鮮烈なシンボル
的意味合いをいかに効果的に表現するかなど、さらなる研究の進展も期待したい。
論文では「現代における『キッチュ』の再評価」を題目に、
「キッチュ」に着目した理由と、自
作との関係や可能性について論述した。とくに注目できるのは、かつてキッチュが日本でもさ
かんに取り沙汰された 1980 年代以降の動静について考察している点である。
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現代における「キッチュ」の再評価(前川)
キッチュは、悪趣味として、あるいは高級芸術にたいする低級芸術として、ながらく否定の
対象としてあったが、正統派の高級芸術として擁護されてきたモダニズムが威力をうしない、
変容するにしたがって、芸術において「キッチュ」が肯定的に評価されるようになった。大竹
伸郎、マイク・ケリー、ジェフ・クーンズ、村上隆らは、当時の芸術に対する皮肉や、ときには
怒りのような批判を込めて、芸術的に評価されなかった「キッチュ」を用いたと思われること、
しかし、その後のアーティストの多くは、
「キッチュ」をそのような批判を込めては用いていな
いことを指摘して、
「キッチュ」を外発的に用いた世代と、
「キッチュ」に自ら惹かれて、それを
内発的に用いた世代の違いを対比させている。表現者を自認する申請者は、後者における新世
代感覚の「キッチュ」を自らの認識として分析し、さらに新しい社会的現象としてのネオテニー
世代における「キッチュ」をとりあげ、それを自身の作品の要素としても考察している。
論考が表層的な評論に終始しているものではないか、あるいは「キッチュ」を神、赤、さらに
ネオテニーと結びつける論旨が一方的ではないか、という慎重さを求める意見もあった。しか
し、
「キッチュ」の通俗性に対してはげしく価値規準を変動させてきた現代の状況や、容易に定
義づけることのできない「キッチュ」の多義性や感覚性のために、いかなる「キッチュ」の解釈
も主観性をおびることは避けがたい結果だと考えられる。したがって、むしろさまざまな疑問
点を内包しつつも、新しい世代感覚を解明すべく困難な問題に果敢にとりくんだ論考に、ユニー
クな視点による成果が認められると評価したい。また、制作の裏付けとするため、染織文化と
サブカルチャーとの密接な関連性についても考察し、世界的にも高度に、また多彩に発展した
日本の染織文化を基盤にした創作活動は、国際的にも注目される可能性も期待できると考える。
作品に関して、一定の外部評価を得てきたことも考慮したい。申請者が論文に添付した一覧
表に記しているとおり、後期課程在学中にも、イタリア、ウクライナ、ラトビア、中国など海外
でも発表し、各種企画展にも招待され、中国の国際ファイバーアート・ビエンナーレで二度受
賞、個展も 3 回開催した。
以上総合的な見地から、作品、論文とも一定の水準に達しており、博士の資格を付与するに
値するものであると、主査、副査がそろって判断する。
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