...

すばる08号

by user

on
Category: Documents
24

views

Report

Comments

Transcript

すばる08号
苅草理事長が足立区本木・吉祥院に建立された筆塚
すばる
第8号
発行
日本適応指導教育研究所
けいそう
勁草学舎
親子マンボウの会
「社会人 1 年生プログラム」開始!
「好き」と「愛する」はどう違う
「好き」と「愛する」は違う。しかし、どう違うのかと言われると、大人でも説明するのは大変難しい
のではないだろうか。そこで、この問題について、子どもの気持ちになって考えてみたい。
例えば、子どもたちは、
「好き」と「愛する」の違いを次のように説明する。
N子は「
『好き』は憧れ。信頼の表れ。
『愛する』は絆」と言う。
N雄は「
『好き』は、その人の人間性を気に入っていることで、
『愛する』は、自分にとって特別な存
在になること」
。
T男は「
『好き』は、その人と一緒にいたいってことで、
『愛する』は、欲しいってことかもしれない」
。
K哉は「
『好き』は一瞬。
『愛する』は永遠」
。
Y江は「
『好き』は行動で伝えること。
『愛する』は心で伝えること」
。
A子は「
『好き』は相手に向けて思うこと。
『愛する』は自分の中で思うこと、相手にしてあげられる
こと」
。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」とは、作家の井上ひ
さし氏が自らの小説作法を説いた言葉である。
「むずかしいことをやさしく」というのはよく分かるが、
「やさしいことをふかく」とはどういうこと
だろうと考え込んでしまう。例えば、男女や親子の情愛、生命の尊厳といったテーマは誰もが容易に理
解できる自明の真理といえる。そういう単純な真理ほど、表現としては月並みに流れやすくなるから、
哲学的な衣をかぶせるなど表現上の仕掛けが必要になるということか。そうではあるまい。一見単純に
みえる事柄といえども、掘り下げて考えてみれば意外な深みを持っていることを示そうという含みであ
ろう。
「ふかいことをおもしろく」
。高度な哲学的な問題や政治的主張などを真正面から扱っては、どうして
も表現が硬くなり重くなり、読者を引き込むことは出来ない。そういう硬く重いテーマを笑いに包み、
笑いの中から本質を抉り出すためには高度な表現技術が求められる。喜劇とは、本来そうしたものだ。
ところで、井上氏の作法に倣うなら、
「
『好き』と『愛する』の違い」は、どのようなフレーズで説明
したらよいのだろう?
『好き』も『愛する』も、どちらも口にするのが照れくさい言葉だ。
『好き』は、植物、動物、小鳥等、
自分との関係において精神的な繋がりを持続しない対象に対して、
『愛する』ことよりも気楽な時に使う
とぴったりする。でも、人を『愛する』ことの出来る人は、誰でも他者――精神的な繋がりを持続する
――の『愛情』に包まれている。
世の中にはさまざまな『愛』がある。例えば、男女の『愛』
、親子の『愛』
、兄弟の『愛』等々。結局、
誰もが心の奥の奥のその奥根には、すばらしい『愛』の泉をたたえているのである。それは男女の『愛』
に限定されない大きな『愛』
、即ち、
「父の『慈愛』
」であり、
「母の『慈愛』
」であり、ひいては「普遍的
なものへの『愛』
」にまで広がりうる。
こういった広がりを持つ『愛』の中でもとりわけ有り難いもの、それは父性、母性という無償の『愛』
であろう。お父さんやお母さんは、子どもがどんなに悪いことをしても、
「出て行きなさい、二度と顔を
見たくない」と口に出しては言うものの、一方で「しょうがないね。頑張るんだよ」と励まし包み込ん
でくれる。そして、たとえ子どもが刑務所の中にあろうとも、
「お父さんだけは、お母さんだけは、おま
えを信じているよ」という、信じて信じて信じ通す愛を持っている。
このような例から考えただけでも、
『愛』は、例えば「善悪」などとは全く違った次元のものだと言え
るだろう。一方、
『好き』は「あれは好きだけどこれは嫌い」という表現が成り立つように二元論的な次
元で説明できるものであり、その意味で「善悪」と同じ次元に属していると考えることができる。結局
のところ、自分との関係において精神的な繋がりを持続しない対象に対する瞬間的・痙攣的・発作的で
皮相的な感情の発露ともいえよう。
慾、恨み、背信、虚飾……何と哀れな行為であろう。
夢、希望、愛、感謝、誠意――何と美しい言葉であろう。
人間は、本当の意味で“至誠”
(きわめて誠実なこと、真心)を貫き、虚飾でない人生を極めていく姿
勢を持続して生きている限り、
『愛』を失うことなく人生を貫徹できると、私は思っている。
いくら子どもを愛していても
それを示さなければ何もなりません
伝えなくともわかる?
いいえ。そんなことはないのです
子どもから
ひそかな希望や夢、願いを
打ちあけられたら
名誉に思ってください
ドロシー・ローノルト
日本適応指導教育研究所理事長
苅草 国光
「いじめ」について
卒業生H君が久しぶりに訪ねて来て、
「井澤さん、最近またいじめ報道が盛んですが、何か変ではない
ですかね」と問いかけてきたので、
「そうね、私も変だと思うよ」と応え、彼といじめ問題について語り
合うことになった。
H君は中学時代にかなり酷いいじめを受けていた。同級生数人から殴る蹴るの暴力を受け続け、当然
であるが不登校になった(中 1 時)
。心配した両親は転居して転校する方針を選ばれたが、しかしその
学校にも彼は登校できないまま中学の卒業式を迎えた。卒業証書は母が代理で受け取った。
私はH君が 17 歳の時に出会っている。そして大検を受験することになるが、受験手続きに必要な書
類を彼は中学校に貰いに行った。その時彼は「あー、僕はこの中学校を卒業するはずだったのだ。一日
も学校に来ることはできなかったけれど。できることなら卒業証書は校長先生から貰いたかった」と思
ったそうだ。彼にとって大切な通過儀礼である卒業式への未完の思いは彼の中に残っていたのだ。今年
度の勁草学舎の卒業式で、苅草理事長から卒業証書を直接手渡され、やっとその思いを完結できたと涙
ながらに語ってくれた。
“いじめられることがどれほどその子にマイナスの影響を及ぼすか”
、
私はH君他いじめられた子ども
たちと接触する中で多くを学んだ。
初対面時の彼らは、
自己否定感と他者への不信感に脅えきっていて、
自分を固い殻の中に封じ込め、
「誰も、何も、信じるものか!」という雰囲気で外界を遮断している。そ
ういう状況では主体性はだんだん後退するため現実検討能力は低下する。その結果物事を被害的に受け
止める傾向が強まってしまう。自分もそういう状態だったと、H君は当時をふり返って言う。
いじめられている子どもにまず私たちがしなければならないことは、無条件の“温かいまなざし”で
ただやさしく包み込むことである。それはお母さんが赤ちゃんをすっぽりと抱き込むような感触で。そ
うすれば必ず固い殻にひびが入り、少しずつ外界への関心を取り戻そうと心が動き始める。次にしなけ
ればならないことは、彼らに根付いてしまった他者への不信感を払拭することであり、そのために私た
ちは真正面から真剣にその子と向き合わなければならない。そのときは根底に一貫した“父性原理”が
求められる。
「あなたを守る!だからあなたを脅かす相手とは断固戦う!」という姿勢である。
10 年以上前になるが、大河内清輝君の自殺の直後、土居健郎氏(精神科医)と渡部昇一氏(当時上智
大教授)との対談集『いじめと妬み(戦後民主主義の落とし子)
』が出版された。
① なぜ、悪事を強要されて抵抗できなかったのか。
(渡部)
② 悪に抵抗しなくてはいけないということを教わっていない。
(土居)
③ 「いじめられてたまるか」という反発は自尊心にかかっている。
(渡部)
④ 自立を重んじて子どもに配慮しない時代の空気。
(土居)
⑤ 清輝君は「戦後の日本人」の模範。
(土居)
大人並みに反省する力を持っていた子が、
「言うことを聞いたのは悪かった」と思いながら、
「もうこ
れからは言うことを聞かないぞ」と決心できなかった。決心できる人はいじめの状況から逃げられる。
しかも「助けを求める」こともしなかった。自立を重んじる教育は、自立を人間の基本と考えていて、
自分で解決できないことを人に頼むわけにはいかないと思っていたのか。それに親はお金がなくなって
いたのだから、
もっと本気で本人を問い詰めるべきだった。
しかし子どもの自立を尊重しようとすれば、
本人が言うことを信じるしか道はない。子どもが何も言わなければ、親は何もわからないままになる。
まさにそのケースだろうと思われる。
最近の新聞に掲載されていた清輝君のお父さんのインタビュー記事についても、H君はどこかおかし
いと言う。
『命日には加害者の子どもたちや親が来てくれる。
その子たちが悪い子と思わない』
とあるが、
自分が息子だったら複雑な気持ちになるだろう、第三者ではないのだから。このお父さんは“いい人”
をやっているだけではないか、自分の親もきっと同じことをするだろうと思うからわかるのだが、大事
なのは世間体なのだ。TVだって正義の味方ぶっているけれど、他に事件が出てくるとあっさり忘れ去
って次の事件に移ってしまうではないか。
H君がいじめを乗り越えるきっかけの一つになった出来事に中学のクラス会がある。案内状を貰った
時、彼にはまだ脅えが残っていた。
「どうしたらいいか」と問いかけられた私は、
「出来れば行っておい
で」と参加を勧めた。
「どうしても無理だったら途中で引き返してくればいいんだから」と、緊張の面持
ちを残す彼を送り出した。参加してきた彼は自信を取り戻していた。いじめの相手も参加していたそう
だが、自分の中に残っていた彼らの印象と、現実の彼らとは、かなり違う存在として映ったようである。
彼自身の成長によるものが大きかったと思うが、圧倒されていた相手は、対等に近い関係に変化した。
以来彼の自己否定感はかなり薄れた。そして井澤や他のスタッフとの関わりを通して、他者への一方的
不信感は払拭され、世の中にはさまざまな人間がいるのだと識別するようになった。
いじめは、お互いのコンプレックスが影響し合い、共触れし、ぶつかりあっている関係であると私は
捉える。特に他者優先の子と自己中心的な子の組み合わせが一番多いのではないかと思っている。いじ
められている最中の子どもの思考は停止し、失感情症的である。従って本人の判断能力はゼロに等しい
ので本人による問題解決は無理である。身近な周囲の大人が冷静に観察し客観的に判断して、本人へ具
体的な指示を与える必要がある。
第一の指示は、子どもは被害的想像の世界に入り込んでいるので、そこから脱却させるためには、観
察の世界、つまり感覚(特に視覚・聴覚)に意識を集中するよう子どもを指導する。これだけでかなり
被害感は薄れる。
加害者と被害者を仲直りさせて一件落着という処理は、
問題をこじらせるだけである。
第二に、
「いじめられるのは、あなたが嫌いだとか、憎いからというものではなく、ストレスを発散す
るために勝手にあなたに八つ当たりをしているだけだから、そのことであなたが悩んだり苦しんだりす
るのは意味がない。ましてそのためにあなたがマイナスの影響を受けるなど理不尽であるから無視する
こと。あまりにあなたにとって被害が大きいようなら助けを求めるか逃げ出すこと」と本人にしっかり
伝え、
“どんなことがあっても守る”ことを約束し実践することである。
子どもの命を守れるかどうかは、その子に「あなたは私にとってかけがえのない存在である」と伝え
られるかどうかにかかっているのではないだろうか。
勁草学舎主任カウンセラー・親子マンボウの会代表
井澤 真智子
ふ で づ か か い げ ん ほ う よ う
筆塚開眼法要が行なわれました
日本適応教育指導研究所ならびに、苅草学院・HOPE21・勁草学舎理事長であられる 苅草國光先
きっしょういん
生が、地元足立区本木の名刹 吉 祥 院 に筆塚を建立されました。
建立に際して、去る 11 月 3 日(金)、筆塚の“開眼法要”と、その記念式典が執り行われました。
筆塚とは、役目を終えた筆に感謝し、それらを
供養するためにつくられた塚のことです。古く
中国から伝わったもので、書の達人や文豪が残
した筆塚は日本にもいくつかあります。
みなさんも、使い切った筆記用具があれば、吉
祥院を訪れ、感謝の心をもって筆塚に納めてく
ださい。
理事長 苅草國光先生の筆塚に寄せる思い
この筆塚を見て、何と言っても目を引くのはその形です。まず一番上にあるのは、
「毛筆」です。
これは、中国から日本へ伝わった「漢字文化」を象徴しています。次にあるのが「鉛筆」です。こ
れは「学問」
「学習」の象徴です。子どもたちの「勉強したい」という思いと、苅草先生の私教育に
かける情熱を表しています。さらに、台座の上には「万年筆」も置かれています。テレビに代表さ
れる映像文化が氾濫し、携帯電話による文字文化の崩壊が危惧される中で、文字文化の大切さを 3
本の筆が表しています。その上の「巻紙」には、苅草先生の私教育に携わって生きてきたことに対
する感謝の言葉が記されています。巻紙は紙が尽きることなく続くので、私教育への思い・感謝が
永らく続いていくようにとの祈りが込められています。
勁草学舎では、姉妹校であり、苅草先生の教育の原点である 苅草学院・HOPE21 とと
もに、この筆塚開眼を機に、学べることへの感謝、ものに対する感謝の心を育む行事を
開催したいと考えています。
感 謝
二十歳の学生時代に
本木に開設した学び舎が
小生の運命と人生を変えた
教育とは砂漠に水を撒くのに似た
苛烈な仕事である
だからこそ
自らの生を賭ける真剣さで
取り組むのだ
これぞわが人生 これを為すに
まさる悦びは他になし
この仕事と共に
生きてこられたことを
心より深謝する
合掌
平成十八年十一月三日
苅草 國光
碑文 「感謝」
きっしょういん
吉 祥 院 の筆塚を訪れてみましょう
真言宗豊山派の寺、正応元年(1228 年)の創建。
江戸時代には多くの末寺・門徒を抱え、区内でも 18 ヶ寺を数えています。
幕府から朱印地 5 石を与えられ、正月、大僧正が江戸城に登城する際に
使われた、葵紋のついた綱代駕籠もあります。
吉祥院
足立区本木西町 17-5
生徒のページ
現在勁草学舎で勉強している小学 4 年生の碓水集人君が、今回初めてひとりで横浜のおばあちゃ
んの家まで電車に乗り継いで行った“大冒険”の感想文を寄稿してくれました。
はじめての体験をするときの緊張感や、予定外のことが起こっても、それに自分の力で臨機応変
に対応して成功したときの達成感などがよく伝わってくる作文です。みなさんも、ぜひ自分のいろ
いろな“はじめて”のときを思い出しながら読んでみてください。
。
大ぼうけん おばあちゃんちまで
S・U
十一月四日(土)に一人で電車に乗って横浜のおばあちゃ
んの家に行きました。お父さんが、「一人で行ったら。」と言
ったので、一人で行く事になりました。はじめは今まで何回
も 行ったことがあるのでこ んな のかんたんだ よと思いま し
た。
はじめに家に帰ってゲームとボールをとって、家を出て駅
にむかいました。蔵前駅について、まず切符を買う時に駅員
さんに聞こうと思ったら、駅員さんがいなかったので、駅員
さんよび出しインターホンをおしました。そうしたら駅員さ
んがインターホンに出てきて、「はい、なんですか。」と聞い
てきてくれたので、
「横浜までの切符が買いたいんですけどど
うしたらいいですか。
」と聞きました。そうしたら買い方を教
えて く れ たので そ のと お り に 買 いま し た 。次 に「 横浜 に 行く
のは十二時五十分の電車に乗ってください。」と 言われ たの
で、「ありがとうございます。」と言って待ちました。時計を
見たら、十二時五十分まであと二十五分もありました。
「こん
な に 時 間 が あ る の か 、 た い へ んだ 」 と 思 いま し た 。 ベ ン チ に
すわってねて待ちました。
時募集しております。
体験したこと、感じたことは、その都度きちんと言葉に残しておくこ
とで、しっかりと身につき、また次の体験をいっそう豊かにしてくれる
ことと思います。日常的なこと、非日常的なこといずれにせよ、自分の
言葉で書きとめていく習慣をつけておくことは、人生において大きな糧
一分前に目がさめて次だと思いました。少し待って電車が来たの
「昴」では、子どもからの作文や作品(絵画・写真)などの寄稿も随
で不安がいっぱいのまま乗りました。もうねていられるひまがな
くて駅の表にくぎづけでした。泉岳寺でおりて、二番線にいって
電車に乗りました。三田にもどってしまったので、まちがえたと
思ったので泉岳寺にもどりました。そのまま乗っていたら高輪と
いうしらない駅に行ってしまったので、また泉岳寺にもどってそ
年齢等問わず、ご投稿お待ちしております。
のままのっていたら
となるでしょう。
品川についたのでしっている駅があってよかったと思いました。
一回おりて駅員さんに横浜の行き方を聞きました。その電車に乗
ったら横浜につきました。そのときはとてもうれしくて喜びまし
た。次は相鉄線なのでびゅうプラザで聞きました。そうしたら「百
円を入れて子どもをおして買ってね。」と言われたので、言われ
たとおりに買って相鉄線に乗りました。つるがみねについて、お
りとげられてかっこいいぜ!
駅員さんがみんな親切な人で
よかったね!
ばあちゃんちまで歩きました。歩いているときに今度はだいじょ
うぶだなと思いました。
大ぼうけん、ひとりで無事にや
交流のページ
おかげさまで、予定日当日に男の子を出産しました。
分娩台に乗ってから少し時間がかかりましたが、自然分娩でした。周りの人が言っていたように、
すごい痛みが波のように押し寄せてきました。しかしそれは、命を産み出す凄い力、赤ちゃんの頑
張りなんだなあ~と、いきみながら思っていました。生まれてすぐ、元気な産声を聞きました。今
でも耳の中の宝箱に入っています。
産湯につかって計測してすぐ、私の胸に赤ちゃんを抱っこさせてもらい、おっぱいをペロッとな
めてもらいました。産声を聴いたとき、胸に抱いたとき、おっぱいをあげたとき・・・ 。妊娠、出
産、産後の育児の中で、理屈では、言葉では説明できない感情をいろいろと体験させてもらってい
ます。
なかなかまとまった時間はとれませんが、「赤ちゃんはなぜなくの」を少しずつ読み返していま
す。まだ途中ですが、ずいぶんと励まされています。 私が今、赤ちゃんから感じることを第一にケ
アをすすめていけばよいということが、いろいろに振り回されてしまいがちな私の心にしみてきま
す。
抱っこの時間が長くて、手が痺れても、
「かわいくてかわいくて、仕方がない」という気持ちが、
とめどなくわき上がってきます。子どもを授かることが出来て、本当に幸せです。
発達課題についての講義も、本格的に活かせるときが来ました。「基本的な信頼関係」を築く大
切なこの時期、子どもの根っこが安定する大切な時期 を子どもとともに、日々楽しくすごそうと思
っています。
いろいろとご指導下さり、ほんとうにありがとうございます。
親子マンボウの会 H・Nさん
今度、栃木県さくら市にある「ハートピアきつれ川」において、精神障害のある方の社会復帰の
支援をされているとのことから、私達の子供達に繋がるものはないかという思いで井澤先生をはじ
め、親子マンボウの会のお母様方 9 名で視察に行って参りました。
現地ではホテルの支配人の方にお忙しい中、就労に向けてどのような支援、活動をされているの
かを伺い、実際に作業されている様子も見学させていただきました。
施設内においては、障害者の方々は暖かい眼差しに支えられながらホテル内の清掃、ベッドメイ
キング等の作業を黙々とこなされていました。
その他にも、
陶芸や七宝焼きなどの工芸にも親しみ、
その作品はホテル内の売店などで販売されていました。
また園芸作業もあり、こちらでは季節の花の苗を育てており、その見事なかわいい花をつけた苗
は近隣の道路沿いや観光施設等に植えられ、それをホテルへ向かう途中で見かけることを、育てた
方々が楽しみにされているとのことでした。
また熱意を込めて支配人が語られる中、宿泊して就労体験をさせていただけるという提案も頂き
ました。
社会にいつか必ず出ていく子供達にとって、少しでも多くの、社会への窓口となり得る体験こそ
が大事であると思います。
今回、この企画にあたり、私自身いい経験をさせていただきました。情報を収集し、計画を立て、
皆さんに告知し、行動するという段階を踏む中で、私の準備性、計画性の欠如を改めて知ることに
なったからです。これは、子供に対する時も同じです。
今回関わらせていただいた中で得たものを、これからの自分のあり方に生かせねば、という思い
で帰路につきました。
親子マンボウの会 H.Y さん
十二指腸を患って想うこと
病院の屋上 8 階が芝と雑草に覆われています。今年 50 歳となった私は、芝の上に腰を下ろし、
秋の柔らかな日差しと心地良いそよ風を受けています。
「都会でも深まる秋が分かるんだ」と私は、
干し草のような香りに次第に心が落ち着きます。私は、10 日間ほど黒い便でしたが、ストレスから
出血性十二指腸潰瘍となり、手術後お二人の方から輸血を頂き感謝しつつも、己の健康管理の怠慢
を改めて想います。
ストレスの内容は、①自分の両親の老後をはじめ家族のこと。②最大の問題点は、今後の行動の
決断が出来ない自分自身のことです。特に②で言う自分自身のモラトリアム(執行猶予)状態は、
(A)物事を先延ばしにすること、
(B)私が引き受けるべき責任を回避したいという想いです。 私
の態度は、責任放棄です。自分自身とは、無関係や無関心を装う姿勢です。このような心境では、
今後の人生で「喜び」や「感動」などを味わえる訳がありません。頑固に凝り固まった私の心は、
自分自身との対決から逃げ腰でした。
私は、16 日間の入院生活で、私の取り組むべき課題の優先順位を再確認しました。そして、
「二
つ良いこと、さて無いものよ」に学び、一つ一つ具体的に行動を始めることとしました。まず具体
的に行うことが、自分自身の健康に必ず繋がると確信しています。
この入院中に、斉藤孝著「身体感覚を取り戻す―腰・ハラ文化の再生」(NHKブックス)から、
当たり前のことでも私には、なかなか出来ていない重要な点を提示されました。
「自分の中心をもたなければ、他の人に呑みこまれるばかりであるし、逆に自分だけに感覚が閉
じていれば他の人をうけいれることはできない。自分の中心をしっかり実感できることと、他者に
身心を開く構えをもつことは、表裏一体である」
(同書P.187 より)
。この基本を自分が忘れない
限り、両親に対してもありのままの私であり、また、ありのままの両親を認められる自分自身とし
て生きていけるだろうと私は、考えます。
神谷美恵子著「こころの旅」
(みすず書房)から、E・H・エリクソンは、アイデンティティー確
立について、
「人間は、自分のからだとこころ、そして自分のおかれている歴史的、社会的環境との
統合の中から、
『自分は何ものであるか、自分はどこにどう立ち、これからどういう役割と目標にむ
かって歩いて行こうとするのか』をみきわめなくてはならない」
(同書P.93 より)と言います。
病気は、宗教も政治も思想信条にも関係ありません。ただしかし、男 50 歳、愛する妻と成人し
た息子二人の父として、また、自分が三人兄弟の長男として、人生の精神発達課題をただ積み残し、
後回しにして来た正に自業自得の結果が、今回の私の病いです。この事実から私は、日々の暮らし
に根ざして、自分の精神発達課題解決のため、今後具体的に行動して行きます。
前書「こころの旅」から「旅の終り」の章で神谷氏は、
「生にはほとんど必然的に苦しみが伴うが、
これを乗りこえるためにも、人間には時折『自己対自己』の世界の息ぐるしさから解放されて、野
の花のようにそぼくに天を仰いで、ただ立っている、というよろこびと安らぎが必要らしい。それ
は植物や他の動物と同様に、人間もまた大自然の中に『生かされている』からなのだろう」と記し
ています。私も神谷氏の言う「人生の秋」を、実り豊かな「旅の終り」を、平安な心で迎えられる
ように今この時を励みます。
親子マンボウの会
Y.S さん
勁草学舎の
新規ワークショップ
「社会人一年生プログラム」始動!
「社会人一年生プログラム」開始について
子どもたちは誰も、将来“
「社会人」として日本の現実社会の中で生きていかなけ
ればならない”という命題を担っています。
梶田叡一兵庫教育大学長は、
『学力は学校で身につけるもののすべてを合計した力
であり、
“われわれの世界を生きる力”と“われの世界を生きる力”の二つの面から
考えてみる。
“われわれの世界を生きる力”は、世の中を生きていくために必要な力
であり、子どもは大人になって一人前の社会人、職業人になり、主権者である市民
にならなければならない。読み書き計算が重要なのも、世の中で生きていくうえで
必要不可欠だからである。
“われの世界を生きる力”は、充実した人生を生きていく
ために必要な力であるが、今の学校教育ではほとんど身につかないままになってい
る。これは大変な問題である。子どものときから些細なこともなおざりにせず、毎
日きちんと生活すること。常に新しいことに挑戦し、学び続ける意欲を持つこと。
生涯にわたって学ぶということは、自分自身の生をまっとうするためである』と述
べています。
子どもたちは準備なしに世の中に出て行くとしたら、何もかもが不安でしょう。
「準備をして事に臨む」ことが鉄則であり、
「知ることは二次災害を防ぐ」というこ
とを、
「社会人一年生プログラム」を通して、子どもたちに伝えておきたいと思って
います。
(井澤)
社会人一年生プログラム
毎週土曜日 16:00~17:30
今後の日程
12 月 2 日(土)
第 4 回:まずは「身辺自立」
12 月 9 日(土)
第 5 回:最近問題になっている「広汎性発達障害」について
12 月 16 日(土)
第 6 回:
「社会性」を伸ばすために
※ 進行過程で必要に応じてプログラム内容を変更することがあります。
12 月 23 日(土)は祝日のため、第 7 回以降は年明けの開催となります。お気を
つけください。
※ 本プログラムは 2007 年に終了いたしました。ご参加ありがとうございました。
先々月のことになりますが、大盛況に終わった「第三回家庭科くらぶ」についての報告を、
担当された親子マンボウの会のお母さんからいただきましたので、当日の風景とともに掲載
させていただきます。
10 月 21 日 第三回家庭科クラブ報告
テーマ:
「安くて、簡単、美味しい料理」
第一回目の基本中の基本、
「米を炊き味噌汁作りをしよう」
から、料理クラブにおいての「生姜焼きとかきたま汁」、そ
して今年 3 度目の料理と言う事で、今回は「安い!簡単!美
味しい!」のキャッチフレーズに基づき色々と検討した結
準備すべき材料や調理の手順を
果、一人暮らしにぴったりのレシピ「親子丼、もやしとザー
お母さん方から教わります。
サイのいため物、豆腐となめこの味噌汁」に決定しました。
前回の料理の時も男の子ばかりでしたが、今回もメンバー
全員男の子で、さながら「男の料理教室」と言った感じでし
た。参加してくれた中には、現在一人暮らしをしている 者
もいて、日頃の生活の様子を聞きながら穏やかな時間を共有
する事が出来ました。
まずは、一人暮らしに即役立ててほしいとの気持ちから、
親子丼も大人数用の鍋で作らず、あえて一人分の丼物様片手
なべを用意しカセットコンロの上でやってみる事にしまし
た。
いろいろな作業を並行して進め
ていきます。
初めに、材料を刻む作業をしなくてはならないのですが、
玉葱を切るのに一苦労。みんな止め処も無い涙(?)目を真
っ赤にして頑張ってくれました。いざ、材料が揃い卵を流し
込む段階なったらみんな真剣そのものです。
親子丼完成!
そして蓋をして待つ事数分、とても美味しそうな香りが漂っ
てきました。しかし、その後、鍋から丼に移すのもなかなかコ
ツのいる事なのでちょっぴり心配でしたが、一人暮らしをして
いる大学生の I 君が、なんと事も無げに器用にやってくれたの
には一同びっくりしました。
聞くところによれば、彼は毎日食事を作り自分の弁当も作っ
ているとか……。素晴らしい! さすがです。
そして、親子丼が出来上がったところで次は、モヤシとザー
サイ炒めです。「モヤシは 3 袋で 100 円で売ってたりするし、
豆腐をさいの目に切るの
色々な料理に使えて便利だよ」、
「えっ、そんなに安いんだ!」
、
は慣れていないととても
「ザーサイにもともと味がしっかりついているからモヤシと
大変です…
相性がいいんだよ」と、フライパンで材料を炒めながらの会話
をしている間に出来上がりました。そして最後の一品、豆腐と
なめこの味噌汁に挑戦です。
第一の難関は豆腐をさいの目に切る事です。まな板の上で切
るのも、最初はとっても大変な作業だと思います。母親代表と
して高橋さんが手の平に乗せてみごとに均等に切って見せて
くれたのには、みんな“ウォー!”と感嘆の声を発していまし
た。
こうして 3 作品出来上がり、試食タイム。みんなが自分達で
作った料理は美味しいのでしょう。もくもくと食べていまし
た。参加してくれた皆さん、是非自宅でも作ってみてください。
そして、マイレシピの一つに加えてくれたら嬉しいです。これ
からも色々な企画を考えていきたいと思っています。ぜひ参加
してください。お待ちしています。
担当 親子マンボウの会 H.M さん
それでは…
いっただっきまあす!
親子丼、炒め物、味噌汁、
すべて無事出来上がりまし
た!
編集後記
●この会報は勁草学舎のホームページに掲載しておりますので、文章等投稿していただく際、ご希望があればお名前をイニ
シャルで記入させていただきます。お申し出ください。
●発送を郵便からメール便に切り替えたため、転居、部屋番号不明などで返送されるケースが出てきました。未着、お引越
しの際にはご一報いただけると助かります。
●いよいよ今年もあと 1 ヶ月となりました。師走とはよく言ったもので、12 月は何につけても毎年せわしなく走り回って
いるような気がします。ただそれと同時に、いよいよ寒さが本格化してきて、朝布団から出たくなくなってくるのも、こ
の時期の風物詩(?)です…。「気分>意志力」となって大事な予定を乱してしまわぬよう日々よく心がけて、今年一年の
有終の美が飾れるように努めましょう!(特に受験生!)
(編集部)
「 昴 」 創刊号
発行人:苅草 国光
2006 年 12 月 1 日発行
発行:日本適応指導教育研究所
〒110-0015 東京都台東区東上野 3-9-5 勁草学舎内
電話:03-3834-5596
FAX:03-3834-5063
この冊子は日本適応指導教育研究所の活動に賛同していただける方、
また子どもの問題で悩んでおられる方々に無料でお届けしています。
ご希望の方は上記にご連絡ください。
勁草学舎
〒110-0015 東京都台東区東上野 3-9-5
電話:03-3834-5576
FAX:03-3834-5063
URL:http://www.keisou.jp/
メールアドレス:[email protected]
親子マンボウの会
〒110-0015 東京都台東区東上野 3-9-5 勁草学舎内
電話:03-3834-5633
FAX:03-3834-5063
親子マンボウの会 代表 井澤真智子
※親子マンボウの会は 2008 年 11 月に活動を終了しました。
長い間ご支援いただきありがとうございました。
Fly UP