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View/Open - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
ナラティブの持つ力 : Reading Lolita in Tehranを読んで(環境科学部創
立10周年記念特別号)
Author(s)
松田, 雅子
Citation
長崎大学総合環境研究. 2007, 環境科学部創立10周年記念特別号, p.
187-199
Issue Date
2007-08
URL
http://hdl.handle.net/10069/21472
Right
This document is downloaded at: 2017-03-30T16:59:50Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
長崎大学総合環境研究
創立1
0
周年記念特別号
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時点か ら、彼女がアメ リカに移住す る 1
997 年 まで
の 2年間のできごとが中心 となってい る。エ ピロー
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2年 に書かれ てい るが、主 として 1
995年 か
ス ラム革命 か ら 1
997 年 までテ- ランで英米文学 を
イ ス ラム革命 下での体験 が盛 り込 まれ た回想録 と
教 えなが ら暮 らした体験 を、英語 で回想録 としてま
なってい る
ら 1
997 年 の時間軸 の中で フラッシュバ ック的に、
。
とめた作 品である そのなかで も特 に、ナフィー シ
この作 品が興味深いのは、 1)キ リス ト教文化 圏
ーが 1
995年 に TheUni
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の職 を辞 し、 自宅でかつての教 え子た ち と毎週木曜
のアメ リカ と対立構 図 を深 め るイス ラム体制下で、
抑圧 を余儀 な くされ てい るイ ラン人女性 の 日常生
日に英米 小説 を中心 と した文学 の読 書会 を開い た
活や思いが、内部 の者 の視点か ら描 かれている とい
。
うことと、2)イス ラム革命 が進行す る過程で、刻 々
*長崎大学環境科学部
受領年月 日 2
0
0
7年 4月 1
6日
受理年月 日 2
0
0
7年 5月 8日
と変 わ り行 く政治的な現実 を解釈 してい くた めに、
英 文学者 で あ るナ フ ィー シー は英米 の文学作 品 を
利用 してい くが、彼女の作 品の解釈 が革命 ・戦争 と
-1
8
7-
松 田雅子
い う危機 的な状況 と切 り結 んでい くさまは、実 に切
チ ンのポ リフォニーの思想や、フェ ミニズム批評 な
迫感 あふれ た独特 の もの になってい る ところな ど
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3)の批評
ども射程 に入れて Pr
である。
が展 開 され るが、テキス トのなかか ら著者 の主張に
しか し、それ と同時 に、 3) この回想録が提示す
るイ ランでの生活が、アメ リカが宣伝す るイスラム
脱構築す ることができる部分 はないか、その可能性
を探 ってみたい。
独裁 国家 のイ メージにま さに合致す るために、あま
りに もア メ リカ寄 りのイ メー ジなので はな い か と
1. 書評があげる問題 点
い う一抹 の不安が よぎ り、一般 の読者 としては、果
た して これ はイ ランの実像 なのだ ろ うか と疑 問 を
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感 じるこ とも事実である。また、 4)1
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ね好意的 なものが多い。そのなかで Er
でに 1
0 年 の歳月が経過 してい るに もかかわ らず 、
在 のアメ リカではイス ラムについての情報 は、た と
読後感 が あま りにも鮮 明なために、ナ フィー シーが
え どん なに小 さな こ とで あって も人 々の注 目を集
体験 した こ とはつ い 昨 日の こ とで あ るかの よ うに
めることができるとい うこ とを指摘 してい る。彼 に
感 じられ 、イ ランの体制 が抱 える課題 は今 日で も全
11のニュー ヨー クや 7・
7の ロン ドンの同
よれ ば、9・
く変 わ らない よ うな印象 を受 けて しま うの も問題
時多発テ ロはい うまで もな く、いろい ろな理 由か ら、
といえるだろ う
ア メ リカ人 はイ ス ラム世界 を もっ と知 りたい とい
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anはアメ リカだ けで約 1
50万
部が売れ 、長期 にわたってペーパーバ ック ・ノンフ
う渇望 を抱 くよ うにな り、過激派 とは別 の、イスラ
ムの普 通 の人 々 を理解 しよ うと模 索 してい る とい
ィクシ ョン部門の一位 を占め、二年以上 もベ ス トセ
うことで ある。キ リス ト教文化 とイスラムの違い を
ラー リス トに とどま り続 けた。また、日本 を含 め 25
探 ろ う とす る映 画 が 作 られ た り(
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カ国の出版社 が版権 を取得 し、国際的なベス トセ ラ
ー となった(
市川 480)
。この回顧録 を読んで、イ ラン
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文化的なステ レオタイ プではな く、イスラムの現実
の国情 、生活 、歴史 に関心 を持つ よ うになった り、
の姿 を理解 しよ うとチ ャ レンジが行 なわれ てい る。
あるいはナ フィーシー の読みがユニー クなので、作
その よ うな流れ のなかで、ナ フィー シーはイスラム
品 中に取 り上 げて あ るか な りの数 に上 る文学作 品
文化 を じかに体験 してい ることと、西洋寄 りの彼女
。
を、あ らためて読み直 したい とい う気持 ちに させ ら
のス タ ンスが作 品 をアメ リカ人 に とってわか りや
れて しま う魅力 がた しかに感 じられ る。それ以外 に
す く魅力 的な ものに してい ると分析 してい る。 しか
も、文学的な読み物が読者 に どの よ うな政治的影響
し、おおむね好意的なェ リクソンもこの作 品のたっ
を与 え うるのか考 え させ られ ることも多 く、なかな
た一つ の欠点 として、ナ フィー シーがあま りにも西
か挑発的 な作品である とい えよ う。 また、 日本では
洋 文学 に夢 中にな りす ぎて はい ないか と警 告 して
2005年 に Vl
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正訳で新 しく翻訳出版 され、その言葉 の魔力 に引き
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込 まれ魅 了 され た読者 が多 くいた こ とな ども、本書
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に関連す る話題 である
記事が載せ られ てい るが、エ リクソンと違 って ビッ
。
この よ うな話題性 にあふれた作品について、 1)
クは本書 について否定的な見解 を抱 いてい る。 ビッ
か ら4) にその特長 と問題 点をあげたが、それ らを
クは この本 が まだベ ル シア語 に訳 され てい ない の
分析す ることによって、多 くの読者 をシンパ に引き
で、イ ラン人で読んだ人はきわめて少 な く、実際の
込んで しまった、ナ フィー シーのナ ラテ イブの特徴
事情 を知 る人 か らの批評が少 ない とい うこ とと、ナ
を明 らか にす ることが小論 の第一の 目的である。ま
フィー シーがイ ランを出た 1
9
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7年 は 「
イ ランの新
ず、作品全体 を通 して、物語の果たす役割 、英米文
時代 の夜 明け」 と呼ばれ る時期 と重 なってお り、作
学 を使 った現実解釈 、作者 の政治的 な立場、女性 の
品 にはそれ以前 のイ ラン社会 の厳 格 な道徳 的イ メ
抑圧 な どについて考察 していきたい。それ を通 じて、
ー ジ しか描かれ てお らず、現在 のイ ランの姿 とはか
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についてのナ フィーシーの解釈 を分析す る。 とくに
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第 4部で、サイ- ド、デ リダな ど現代思想お よび文
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学理論 の代表的な批評家たちが言及 され、またバ フ
は事 実 と して もか な り昔 の こ とで あ るこ とが強調
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され る。 ナ フィー シー は 1
995年 にア ッラー メ大学
されてい る。
概 してい えば、アメ リカでの好評 に比べ、イ ラン
を辞 めているが、第 1章では "
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の人 々 は この作 品 をあま り好 ま しく受 け取 って い
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3) とあ り、はっき りどこをや めたの
か言及 され るのは 3 章 になってか らである。 また、
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) イ ラン文学やイ ランの女性 の
ない よ うだ。(
生活 をステ レオ タイプではな く、もっ と正確 に知 っ
現在 、彼 女は どこにい るか とい うと、H
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て ほ しい とい う意 図 で 、今 年 3 月 に は Fa
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)とい う対抗
れ るとい う具合 である
。
この よ うに時間や場所 が常 に交錯 して語 られ る
す る本 を出版 してい る。
しか し、 これ らの批判 にもかかわ らず 、2年以上
ので、客観的な事実がわか りに くい。 とい うよ りも
もベス トセ ラーであった ことを考 える と、この作品
む しろ、はっき りした時間 を提示 し、少 しで も客観
が読者 の想像 力 のなか に浸透 してい く力 には並 々
的 に伝 え よ うとい う意識 が薄 い とい えるだ ろ うか。
な らぬ ものがあると思われ る。その理 由のひ とつ と
意 図的 に暖味 に してサ スペ ンス を作 り出す こ とに
して、イス ラム革命 の体験が、物語的 に、あるいは
よって、読者 の興味 をかきたて ることに作品の重点
小説的 に語 られ てい ることがあげ られ る。ル ポル タ
が置かれ、客観性 を重 ん じる ドキュメンタ リー とは
ージュ として客観性 を重視 して事実 を述べ、読者 の
語 りがかな り異 なっている。
キャラクターについては、ナ フィー シーはかつて
理性的な判断 を求めるとい うよ りも、フィクシ ョン
として語 り手が直接読者 の情緒 に訴 え、その結果 、
のテ- ラン大学での同僚 、R 教授 を相談相手 に して
読者 の感情移入 をい ざない、見事 に成功 してい る と
週 に 2回定期的に彼 の 自宅 を訪れ、い ろいろな問題
い える。 また、革命 の現実 を判断 してい く際に、英
を話 し合 いア ドバイス を求 めてい るが、彼 を 「
私の
文学の作品の解釈 によって説明 してい るので、イ ラ
『魔術師 』
」 あるいは 「
地下に潜 った男」とよび、あ
ンの こ とが英米 の読者 には比橡 的 にわか りやす く
たか も架 空 の人物 で あ るかの よ うな印象 を創 り出
伝 わるとい うこ ともある。文学の解釈 が現実理解 の
してい る。第 1部でナ フィーシーはナ ボ コフの短編
助 けにな る とい うことがつぶ さに観 察できて、 目を
の "
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sRoom" が好 きであるとい うが、
開かれ るよ うな思いを させ られ る作品だ。
じつはそのよ うな短編 は存在 しない よ うだ。彼女が
自分 でス トー リー を作 って学生 のヤー シー にナ ボ
2. 物語 とノンフィクシ ョンのは ぎまで
魔術 師」の
コフの作 品だ として語 ったのである。 「
2
.
1 回想 のフィクシ ョン化
住 まいの様子、暮 らしぶ りをまるでナ ボ コフの小説
この作 品 にはい ろい ろな ジャンル が混交 して い
て、特定のジャンル に分類す るのがむずか しい。書
か らの描 写であるかの よ うに語 り、彼 について次の
よ うに説 明 してい る。
評 で も、回想録 、文芸批評 書、社会史 、エ ッセイ、
小説 な どのジャンル分 けが試み られてい る
。
しか し、
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には、モデル に被害が及ぶ のを避 けるために、モデ
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34)
ル の特 定 を避 ける とい う現 実的 な理 由か ら生 じて
い る部分 と、また、作者 には小説研 究家 として 自己
そ して、それ以上の説明がないまま に、 「
魔術師」
の作 品 を小説 として構 成 したい とい う意 向が あ る
は数回話題 にな り、読者 の好奇心 をかきたてたあ と、
よ うだ。
第 2部でその正体が明 らかに され る。 じつは彼 はテ
フィクシ ョン化が行 われてい る点 として、 1)時
- ラン大学の元美術部教授 で、有名 な映画 ・演劇批
間や場所 のあいまい性 、 2) キャラクターの非現実
評家、短編小説家のカ リスマ的な R 教授 であった。
化 、3)小説的な場面設定 と語 りな どがあげ られ る。
彼 の 自宅-の訪 問は、小説 の一場面 を思わせ るよ う
時間や場所 については、た とえば冒頭 の章は 1
99三
8
4-6) また次の よ うな発言 によ
に措 かれ てい る。(
年の秋 、それ か ら 2年後 、現在 の 3つ の時間が言及
って、彼 は最後まで架空の人物的な雰 囲気 を漂わせ
-1
8
9-
松 田雅子
てい る。
間 に距離 を置 くこ とに よって 自分 自身 を客体化 す
る とい う機能 は とて も重要だ と思 われ る。それは作
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2.
2 物語 の力 とナ フィー シーのナ ラテ イブの特徴
ある事柄 を伝 えよ うとす る ときに、物語形式 と論
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文形式 とい うや り方 が考 え られ る。世界で最大のベ
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ス トセ ラー で あ る聖 書 が なぜ物語形 式 で書 かれ て
「
輝 か しい禁断の世界」に通 じてい るかの よ うな、
い るか を論 じて、聖書学者 の加藤 は次の よ うに考察
あるいは 「
世界の裂 け 目」の よ うな、魔術師の住 まい
してい る 論文形式 では主張が真 なのか偽 なのか、
を訪れ るナ フィーシー は、まるで洞窟 の中に転が り
常 に理性 を働 かせ て判断 しな くてはな らないので、
込んでい く 『不思議 の国のア リス』 の よ うで あ る。
いわば読者 に対決 を迫 って くる形式である。一方 で
また、兄弟や父親や夫以外 の男性 との交際が問題視
物語 は対決 を迫 らないので、読者 は安心 して読む こ
され る社会環境 の中で、ひ るむ ことな く彼 との外 出
とがで き、 どんな意味を受 け取 るかは読者 に開かれ
を楽 しむナ フィーシー は、 自由で反抗的なアメ リカ
てい る とい う 。(
加藤 4951
)
。
娘 、デ イ ジー ・ミラー の よ うな ヒロイ ンで、たぶ ん
にロマ ンテ ィックな要素が加 味 され てい る
また、優れ た物語 は単な る理解 とは違 ったプ ロセ
スで吸収 され る。 1) 共感
。
ナ フィー シーは学生 のヤー シー に対 して、 「
彼女
は私の よ うに生 き られ るだろ うか。 自立 して、愛す
る人 と手 をつ ないで長 い散歩 を して、子犬 を飼 うこ
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e 2)感 情
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移入 e
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l とい うプ ロセ スで、論理で説得す るよ り深 く
とさえで きるだろ うか」(
51
)と憂慮 と優越感 の混 じ
心理 的 に浸透 して い く。(
平野 25
6) 1) と 2)
によって引き起 こされた感情的な動 きが、ス トー リ
った感 情 にふ ける
ーのシー クエ ンスに よってパ ター ン として定着 し、
。
この時点ではナ フィー シー は、
1
9世紀 ヨー ロッパ の社 交界で人 々のひん しゆくを
想像 や想起 に よって深 く記憶 の 中に刻 み込 まれ る
買いなが ら、ボーイ フ レン ドと外 出 を重ね るデイ ジ
のであろ う。ナ フィーシーの文学鑑 賞の主要なや り
ー ・ミラーの よ うであ り、あるいは最終的 にアメ リ
方 は、 「
感情移入」で ある。『グ レー ト・ギャツ ビー』
カに移住 し夢 をかなえる とい う点では、ギャツ ビー
の鑑賞 の際に、小説 の世界 を吸い込 め と次の よ うに
のよ うで もある。小説 では、世間一般 の道徳 を踏 み
感情移入 を奨励 している。
こえたか らであろ うか、ティジー もギャツ ビー も悲
劇 的な結末 を迎 えて しま うが、ナ フィーシーの人生
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はハ ッピーエ ン ドにな る点が違 ってい る。
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以上の よ うな理 由か ら、 この回想録 はあたか もフ
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ている。 この作品か らは客観的 に事実 を知 らせ る と
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い うよ りも、イス ラム体制 に対す る語 り手の反発 と
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抵抗 を、共感や感情移入 によって伝 えたい とい う思
いが強い ことが うかがわれ る。
この よ うなや り方 で、文学 の力 を信 じる作者 は、
しか し、基本的には この作品は作者ナ フィーシー
現 実 に対抗 す る文学 のす ぼ らしさを啓 蒙 しよ うと
の回想録 で、作者 の資質 とも関係 が あるのだろ うが、
した。 また、それ を通 じてイスラム共和国の体制 が
自分 で 自分 の こ とを語 る とい う語 りの形 式 に よっ
いかに非道 で あるか を説得 しよ うとした。 そ して、
て、読者 は時には作者 の 自己弁護や手前味噌 とも付
フィクシ ョンであ り、エ ッセイ とい う文学形式 を使
き合 わ ざるをえない。 フィクシ ョン と ドキュメンタ
って、その意図は一応 の成功 を収 めたので、文学 は
リーにつ いて考 えるとき、虚構 の持っ利 点 -すなわ
力 を持っ とい うことが立証できたわけである。問題
ちフ ィクシ ョン とい うジ ャンル がい ろい ろな視 点
は伝 えよ うとす る内容が客観的 に見て、妥 当なもの
の人物や 、ポ リフォニ ックな声 を設 定 し、作者 との
であるか とい うことである。
-1
90-
ナ ラテ ィブの持 っ力
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n を読 んで
ナフィー シーの語 りの特徴 として、彼女の価値観
い くとい う特徴 を持 ってい る。
は確固 としてい るよ うに見 え、揺 らぎやため らいが
それに対 して、イ ラン文学 あるいはベル シア文学
あま り感 じられない。物事 を断定的に表現 し、た と
の影 はきわめて薄い。教 え子たちとの読書会で最初
えば、人物 な どを紹介す るときにも、H
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に読んだのはベル シア古典文学で、『千夜一夜物語』
例のいや な弟)
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に登場す るシ ャハ ラザー ドの物語 を読 んでい る
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6) そ して、テ- ラン大学を辞 めたナフィーシー
私たちのお気 に入
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981年 ごろ、ベル シア古典文学を読む別の小 さ
りの敵役 、Ⅹ教授)とい う感情的な形容詞 をつ けて呼
な研究会 に参加 し、ルー ミ一、ハー フェズ、サアデ
んでい る。 これ らは客観 的な レポー トにはふ さわ し
ィー、ハイヤーム、ニザ- ミ一、フェル ドゥシー、
くない表現であ り、著者 の見方に読者 を引き寄せ よ
ア ッタール、ベイハ ギー らの詩や散文 を読む。ナフ
うとしてい ると思われ る。
ィー シー の父親 はパ フラ ヴィ-王朝時代 にテ- ラ
その他叙述で巧みだ と思われ るや り方は、印象的
ン市長 を務 めるが、 自身 も詩 を書き、彼女が幼い頃
な場面を提示 し、その比唯 を敷宿 して、 さらに大き
フェル ドゥシー とル ー ミ- をよ く読 んで くれ て、
な状況 を説 明す るとい うものである。た とえば、作
「
イ ラン人の本 当のふ る さとは、本 当の歴史は、詩
者 は男子学生バ フ リー との議論 に熱 中 し、アメ リカ
の中にあると言 っていた」 (
238) そ うである それ
式 に善意 と友情 を示そ うと握手 を しよ うとす るが、
に対 して、イスラム革命 は徹底的に過去 をゆがめて
。
彼 は両手 を引っ込めて しま う。ナ フィー シーは、イ
しまった と作者 は嘆いてい るが、 どの よ うな歪 曲が
ランでの経験の枠組み を作 ったのは、 「この中断 さ
あったのか とい う具体的 な説 明は残念 なが ら欠 け
れた握手の感触」である とた とえる ところな どであ
ている
。
「
ベル シア文学」はふつ う 1
0世紀 か ら 1
8世紀
る(
1
391
40)
。具体的なこと、肉体的な事例で比喰的
に語 るので、感覚的に鮮 明な印象が残 る。
までの古典文学 を指 し、イ ス ラム世界 の東 半分 で
非 常 に強 固 な文 学 的伝 統 を築 い て きた とい うこ
2.
3. 西洋文学のイ ンター ・テクスチ ュア リテ ィー
とで ある。イ ラン人 自身 も、古典文学 、 とくに詩
この作 品は英米文学 の教 師で あるナ フィー シー
に強い誇 りを持 ってい るた め、近 ・現代文学 が色
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'か ら
の回想録 なので、副題 の À Me
槌せ て見 える、 とい う傾 向 は あ る よ うだ 2。 学生
わかるよ うに、多 くの文学作品が言及 されてい る
のバ フ リー はマー ク ・トウェイ ンの 『ハ ックルベ
ざっ と数 えただけでも、約 86 の小説や詩、詩集 の
リー フ ィンの 冒険』(
1
885)を好 み 、 トウェイ ンの
よ うな 国 民作 家 が イ ラ ンに も必 要 だ とい ってい
。
名前が挙 げ られ る。英文学の作品は 28編でその う
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リカ文学 の作品は 40編で、ナボ コフは 11編 、He
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。アメ リカ もイ ギ リスか ら独 立 し、自国の
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文学 を確 立 しよ うと長 い間努 力 した結果 、ア メ リ
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カの風 土 と人種 問題 を扱 った 『ハ ックルベ リー フ
篇 となっている
ィンの 冒険』 とい う傑 作 を生 んだ。それ に対 しナ
。
文学 を教 えているので、授業の内容 として作品名
フィー シー は国民 の作家 はい るが、 『国民作家』
はよく登場す るわけだが、中にはス トー リーの詳細
とい うもの は ない ん だ と英 米 文 学 が普遍 的 な価
にいたるまで紹介 され る作品もある。それ らは、章
値 を持っ とい う姿勢 を くず さない。 これ は 1
3歳
の題名 となってい るナ ボ コフの 『ロ リー タ』、フイ
で渡英 し、1
6年 間欧米 で教 育 を受 けた とい う作者
ッツジェラル ドの 『グ レー ト・ギャツ ビー』 をは じ
のバ ック グ ラ ウン ドと関連 が あ る よ うに思 われ
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め として、ジェイムズの Was
る。
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1
8
79
)
、オーステインの 『高慢 と偏見』
な どである。 このよ うな構成 によって、他に比肩す
2.
4 英米文学 を使 った現実解釈
るものがない ほ ど、英 米 の文学作 品か らの壮大 な
前述の よ うに、ナ フィーシーはこの作品を通 して、
文学擁護論 を展開 し、読者 を啓発 しよ うとした。ま
「
引用 の織物」 (
イ ンターテ クスチ ュア リテ ィ)が
回想録 のなかに織 り込まれているとい えよ う。 した
ずは、次 のよ うなコメン トか ら始まる。
がって、イ ラン共和国でのできごとについて英米小
説 を事例 に引 きなが らその意味付 けを説 明 され る
フィクションによって初めて到達できるもうひとつ
と、英米人の認識構造の中に、すんな りと収まって
の世界 ・・・とめどなく残酷な人生における避難所
-1
91-
松 田雅子
となるのは、このもう一つの世界なのである。(
5
2)
現実 を解釈す る際に、現実 を英米文学の物語 を使 っ
て、 自分たちの心の形 に合 うよ う物語化 して、現実
木曜 日の研 究会 に集 まった学生た ち も、 「
小説 は現
との折 り合 い をつ けてい こ うと した のだ と考 え ら
実逃避 の手段」だ と考 えている。 しか し、最初 は小
れ る。
説 を 「自分 自身の過去や期待 とは切 り離 して読んで
この作 品で文 学作 品が どの よ うに利 用 され てい
いた」(
61
)
が、「
奇妙 に も、私たちは こ うして逃 げ込
るか とい うと、『ロ リー タ』 では、理想 のイ スラム
んだ小説 によって、結局 は 自らの現実 を一一言葉 に
的 な生 き方 をす べ きだ とい う宗教指 導者 の夢 を押
す る術 な どない と感 じていた現実 を、問いなおす こ
しつ け られ るイ ラン女性 を、理想 の 「
ニ ンフェ ッ ト」
とになったのである」(
61
)とい う
(
9歳か ら 1
4 歳の美少女 -ナボ コフの造語)を求 め
。
ナフィー シーはナボ コフの文学論 を引用 し、 自己
の小説観 を明 らかに してい る。
るハ ンバー ト・ハ ンバー トによって、軟禁 され凌辱
され るロ リー タの姿 に重ね る。『デイ ジー ・ミラー』
では、 ヒロイ ンは因習的な体制 に反抗す る、 自由で
(
ナボコフは)
すべての優れた小説はおとぎ話だ と
勇気 あ る女性 の ロール ・モデル とされ る。 『高慢 と
言っている。魔法は善の力から生 じ、・・・運命が私
偏見』では、女性 に も結婚 にお ける選択 の 自由があ
たちに課す限界や制約に屈する必要はないと教えて
るイ ギ リス社会 を民 主主義 のお手本 と考 えてい る
くれる。---すべての優れた小説の中には、人生
また、革命 とい う大 きな夢 の実現 と喪失 とい う観 点
のはかなさに対する生の肯定が、本質的な抵抗があ
か ら 『グ レー ト・ギャツ ビー』が論 じられ、革命 の
る。作者は現実を自分なりに語 りなお しつつ、新 し
さなかのテ- ラン大学で、ギャツ ビー裁判 が行 われ
い世界を創造することで、現実を支配するが、そこ
る。
。
にこそ生の肯定がある。あらゆる優れた芸術作品は
祝福であり、人生における裏切 り、恐怖、不義に対
3. 『ロ リー タ』
する抵抗の行為である。 (
7
3)
この作品のなかで、ナボ コフについては 11編 の
作 品が取 り上 げ られ 、オー ステ イン、 ジェイ ムズ、
作家の小川洋子 は 『物語 の役割』 のなかで、 この
ベ ロクの 5編 と比べ ると群 を抜いてい る
。
また、題
よ うな考 えをも う少 し分か りやす く、次のよ うに述
名 のなかにも 『ロ リー タ』 とい う作 品名 が入 ってい
べてい る
るので、作者 に とって、ナボ コフ とロ リー タは とく
。
に思い入れが深 い。 ロシア帝国の貴族 の家 に生まれ、
「
たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶ
ロシア革命で西欧 に亡命 したナボ コフに対 し、ナ フ
つかったとき、人間はほとんど無意識のうちに旦全史
ィー シー は全 体 主義 体制 に抵抗 した作家 として親
史_
聖塵に合 うようにその現実をいろいろ変形 させ、ど
近感 を寄せ てい る。 「ロシア革命 の さなか、弾丸 の
うにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこ
音 に も気 を散 らされ るこ とな く書 き続 けたナ ボ コ
で一つの物語を作っているわけです。
あるいは現実を記憶 していくときでも、ありのまま
フ」(
33)に対 して、「
私たちは彼 に特別 な杵 を」感 じ
ると述べ る。 また、彼 の作品の中に 「
あ らゆる選択
に記憶するわけでは決 してなく、やはり自分にとって
肢 が奪 われた ときの限 りない 自由の可能性 」(
40)
を
嬉 しいことはうんと膨 らませて、悲 しいことはうんと
見出す。
小さくしてとい うふ うに、自分の記憶の形に似合 うよ
うなものに変えて、現実を物語にして自分のなかに積
み重ねていく。そ うい う意味でいえば、誰でも生きて
ナ フ ィー シー は この回想録 を記す ときに、まず 、
『ロ リー タ』について書 くのが主な 目的であった と
述べ る。
いる限 りは物語を必要としてお り、物語に助けられな
がら、どうにか現実 との折 り合いをつけているので
す」(
小川 22)(
下線は筆者による)
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「自分 の心の形」、 「自分 の記憶 の形」 とい う表現
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は、それ ぞれの個性 あるいは文化 に よって作 り上 げ
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る。ナ フィー シーたちはイ ラン革命 にお ける過酷 な
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n を読んで
作者 は ロ リー タの置 かれ た状況 とイ ラ ン女性 の状
を持つ作家であるとい うことについて、も う少 し深
況 をパ ラ レル に解釈す ることで、単なる小説 の 「ロ
い考察が欲 しい ところで あ る。 「
完成 した作 品は希
リータ」 を 「
私たちの ロ リータ」 に変 えてい く
望 に満 ち、しか も実 に美 しい。美 のみな らず人生 を、
。
ナ フィー シー に よれ ば、 「
批評家 た ちはむ しろ道
平凡な 日常生活 を擁護 し、ヤー シー同様 ロ リー タが
徳 的象徴 を、ハ ンバー ト・
ハ ンバー トの苦難 の正 当
奪われた、ごくふつ うの喜びのすべてを擁護 してい
化 、非難 、説 明を見つ けだそ うとす る」(
63)が、彼
る」(
53) とす るだけでは不十分だろ う。イ ランの革
命政府 が女性 の結婚年齢 を 1
8歳 か ら 9歳 に引き下
女 たちは ロ リー タの側 に立 ちサポー トす る。 「
ハン
バー トは大方の独裁者 同様 、自らの思い描 く他者 の
げ、少女 との結婚 を法律 によって認 めてい るのは確
像 に しか興味がない。彼 は 自分が求 め るロ リー タを
かに極 めて問題 である。 しか し、イ ランだけではな
つ くりだ し、そのイ メー ジに固執」(
75
) してい るか
く、少女-の偏愛 がア メ リカ文学の鬼才 とされ る作
らである
しか し、男性 主人公 の少女 に対す る性 的
家 の重要 なテーマ になっていて、西側 で も多 くの読
な偏 向を極 限まで追及 した 『ロ リー タ』 は、読者 が
者 を得 てい る こ とも同様 な問題 として考 えてみ る
男性であ るか、女性 であ るかによって大 き く読み方
べ きであろ う
。
。
が変わる作品である。
ハ ンバ ー トはナ ボ コフを思 わせ る中年 の知 的
な男性 で あるが、ロ リー タを結 ばれず に終わった少
4
. 『グ レー ト・ギャツ ビー』
4.
1
. ナ フィー シーのバ ックグラウン ド、政治的ス
タンス
年 時代 の恋人 アナベル ・リーの生 まれ変 わ りに しよ
うとして、その人生 を収奪 して しま う ここではハ
ここで作者 のバ ックグ ラ ウン ドに関す る情報 を
ンバー トは、女性 の個人的な 自由を奪 うイ ランの独
ま とめてみ る と、ナ フィー シーは文学的才能 に恵 ま
裁体制の メタファー となってい る。読書会のメンバ
れたイ ランの上流家庭 の出身で、800年 にわた り 1
4
ーたちは、 「ロ リー タの よ うに逃 亡 を試 み、 自分 た
代続 いている、文学 と科学 に貢献 してきた家柄 に誇
ちだけの ささや かな 自由の空間 をつ くろ うとした。
りを持 ってい る。親族 には著名 な作家や学者 が多い。
ロ リー タの よ うに、あ らゆる機会 を とらえて反抗 を
1
3歳でイ ギ リス留学、後 にスイス、アメ リカで教育
見せつ け よ うとした」(
43)とロ リー タ と同一化 して
い る。21章では、学生のひ とりサーナ-ズが女友だ
を受 け、合わせ て 1
6年間の海外生活 を送 り、西欧
の生活 に順応す る。30歳で帰国 し、テ- ラン大学で
ち と旅 行 中に風紀 取締 隊 に西洋風 の態度 を とが め
教 え始 めてま もな く、イ ラン ・イスラム革命 に遭遇
られ、身体検査 、鞭 打 ちの刑 な どの虐待 を受 ける。
した。
。
このエ ピ ソー ドは ロ リー タの性 的虐 待 とパ ラ レル
彼女 は全 くのアメ リカ娘 の よ うで、イ ランでは不
思議 の国に迷い込んだア リスの よ うだった。 ライフ
な もの として示 され る
。
一方、ナ フィー シーはナボ コフをロシア革命 が も
た らした全体主義体制下で、絶 え間ない恐怖 がつづ
スタイルや噂好 な ど、ほ とん どアメ リカ人 といって
いい くらいである。
く悪夢の よ うな生のあ りよ うを書 きつづ けた、独裁
と戦 う英雄的な作家 として とらえる。 しか し、テー
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マが男女 間の性愛の問題 になると、ナ ボ コフの分身
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的 な主人公 ハ ンバー トは一転 して 自 らが専制 的 な
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全体主義 の権化 とな り、無力な ロ リー タに 「
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い虚構」 を押 しつける暴君 となる。その うえに、ハ
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ンバ ー トは犠牲者 を罪 に巻 き込 む こ とで身 の証 を
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立てよ うとす るイ ラン ・イスラム共和 国ではおな じ
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みの手法 を使 う (
66)ので、 ロ リー タに も大い に罪
があるよ うに描 かれてい る
ナ フ ィー シー の父 はパ フ ラ ヴィ- 王朝 下 でテ-
この よ うに、一面ではナボ コフは全体主義 と戦 う
ラン市長 を していたが、作者 1
7歳の頃 (
スイス留
作家であ り、また、女性 を性的に虐待す る独裁体制
学 中) に失脚 、4年間投獄 され るとい う危機 に直面
の権化 の よ うで もある。登場人物 と作者 は同一では
した。彼女はす ぐにイ ラン-戻 り、その後安定 を求
ないけれ ども、『ロ リー タ』 では主人公 はナボ コフ
めて早急 な結婚 を したが、ま もな く離婚 を した。ア
の分身的 な存在 であるので、ナボ コフが複雑 な性格
メ リカ留学中に知 り合 った Bi
j
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nと 1
977年 に再婚す
。
-1
93-
松 田雅子
る。一方 、母 はパ フラヴィ-王朝時代 に国会議員 を
結果的に、あたかも本質的にムスリム的性格 とい う
していた。その時代 、女性 の国会議員 はわずか 6名
ものがあるかのよ うな印象 を与えるのです。 (
sa
i
d
であった。テ- ランでの生活で ビー ジャンとのあい
1
99
4C1
23
4)
だに 1男 1女 にめ ぐまれ子育て中で あったが、家 で
はタ-- レ ・ハ- ノム とい う女性 に家事 を手伝 って
ナ フ ィー シー の回想 録 にお け るパ フ ラ ヴィ-王朝
も らってい る。(
94)
時代 についての情報 の空 白も、ナイポール にお ける
ナ フ ィー シー がオ クラホマ大 学 に留学 してい た
の と同様 に理解 できるのではないだ ろ うか。 したが
70年代 には、イ ラン人だ けではな く欧米人学生のあ
って、 この作品は革命後 の混乱だけを描いた、パー
いだで も革命 的な傾 向が強かった。彼 女は学生運動
スペ クテ ィブ の限 られ た ドキュメ ン トと して読 む
に参加 し革命派 を名乗 るが、 自分 の中に矛盾 を感 じ
必要があるだろ う
。
そ の時期 は彼 女 の人 生 にお け る分 裂 の時代 だ った
ナ フィー シーは 「
パ フラヴィ-王朝 の代 わ りには
とい う 博士論文ではプ ロ レタ リア作家 Mi
keGol
d
るか に反 動的 で専制 的 な体制 の成 立 に手 を貸 して
について、フイツツジェラル ドな ど非プ ロレタ リア
しまった ことで、イ ランの民衆 も知的エ リー トも、
の作家 と比べて書 く 革命派の学生 であった とい う
よ く言 っ て深 刻 な判 断 の過 ち を しめ した の で あ
ことと、プ ロレタ リアー ト作家 について博士号 を と
る。 --- 私 も含 めたその他全員 は旧体制 の破壊
った ことか ら、彼女がきわめて上流 の出身であるこ
を要求す るばか りで、その結果 についてはろ くに考
とが、彼 女 の経歴 の中で背景- と後退 して しま う
。
。
ゴール ドもマル クス主義革命 とい う、イデオ ロギー
えていなかった」(
1
44)と述べてい る 彼女はイスラ
ム革命 に対 して徹底 して否 定的 な見方 を してい る
に基づいた全体主義的 な革命 を望んだが、夢 に失望
が、 自身が若 い ときは革命 派であった ことにも、ほ
した とい う点でナ フィー シー と共通 点がある。彼 女
とん ど葛藤 を感 じていない
は現在 では 「もはや革命 的な主張 もことごとく放棄
として、理想主義 に憧れ る時期があ り転 向は 自然 な
した」(
1
35)と述べてい る。
ことと考 えてい る。また 、70年代 の学生運動 に参加
。
。
。
人生の一つのステ ップ
父親 の失脚 のために、パ フラヴィ-王朝の政治体
した元 同志が、革命 の夢 が実現 したイ ラン・
イスラ
制 に対 しては、複雑 な思いがあるよ うだ。 しか し、
ム革命 で、反逆者 、スパイ として殺 された ことにも、
ホ メイ ニ の政治 ス ロー ガ ンは作 品 中で何度 も引用
彼 らの夢 が潰 えた として 『ギャツ ビー』 とのパ ラ レ
し批判 され るが、シヤーの政治体制 について、パ フ
ル な関係 を見出 してい る
。
ラヴィ-王朝時代 の秘密警察 sAVAK の反動的な活
動 に対 しては、ほ とん どコメン トがない。そ こで読
4.
2.
者 としては、この作品のなかでは歴 史的な情幸田こ空
ギャツ ビー裁判
アメ リカ留学 中には 「しかたな く」(
1
21
)
イ ラン入
学生連合 に加 わ り、ナ フィー シー はデモで、 「
アメ
白があることを問題 として読む必要 がある。
ポス トコロニア リズムの理論家 sai
d は西イ ン ド
リカ のイ ラン- の悪 しき関与 を糾 弾す るス ロー ガ
pa
ulの 『イス
諸 島出身 でイ ン ド系の作家 、v s.Nai
ラム紀行』 における記述 を批判 して次のよ うに述べ
現不 可能 だったか らこそ安 心 して叫んだ ス ロー ガ
てい る
ンが 、1
979年 のテ- ランでは 「
ぞっ とす るほ ど正確
。
ン」 を叫んでいた。 しか し、その ときはまった く実
に現実化 し」(
1
38
)
、人々はそ こか ら逃れ る術 がなか
第-点は、イランのような国の現在の混迷を引き
起こす要因となった歴史の全体像を提示 していない
った。 そ して、夢 の実現が大いなる失望 に変わって
い
く
。
とい うことです。イランでは、いわれなくイスラム
テ- ラン大学では、少数派の熱狂的なムス リムに
が復興 したわけではありません。その前提 として、
対 し、左翼、世俗派の学生 グループが対抗 していた
西洋 との接触により、長期にわたって徐々に主権を
が、 1
979年 1
1月のアメ リカ大使館 占拠事件 のあ と
侵食 されていったとい う歴史があるのです。ア-ン
は、大多数 の学生が革命- の情熱 に燃 えていた。革
をめぐる戦い、石油採掘権の譲渡、国王(
シヤー)
によ
命政府 による公 開裁判 がはや ってい るので、ナ フィ
る専制政治など。現在イランで起こっていることは、
ー シー は授 業 で取 り上 げて賛否 の議論 がか まびす
こうした一連の積み重ねに対する反応なのです。ナ
しい 『ギャツ ビー』 を裁判 にかけた らど うか と提案
イポールはこれ らのことをすべて見逃 しています。
した。革命 がま さに進行す るなかで、『ギャツ ビー』
そのようなことは取 り上げません。そ うすることで
に描 かれ たア メ リカ文化 の退廃 と不道徳 を糾 弾す
-1
94-
ナ ラテ ィ ブの持 っ カ
ーRe
adi
n
g Lol
i
t
ai
n Te
hr
an を読 んで
るニヤー ジー、文学の普遍的価値 を擁護す るナ フィ
い」とい う言葉 が著者 の励 み とな る や がてホメイ
ー シー派 の学生ザ ッ リー ンの対決 は息詰 ま るや り
ニが死去 し、戦争が終結す る。
。
と りで、ギャツビー裁判 は この回想録全体の 白眉 と
なってい る。学生たちは 「
革命全体の行方が この裁
5. オーステ イン
判 にかかってい る」(
1
71
)
かのよ うに、興奮 して議論
した。
である」 とい うキャロル ・ハニ ッシュによるラデ ィ
裁判での役割 は、裁判官 :フアルザ- ン、検察官 :
第 4部第 6章は、 「
個人的な ことは政治的な こと
カル ・フェ ミニズムの標語 か ら始 まる。西洋 の社会
ニヤー ジー、弁護 士 :ザ ッ リー ン、被告 :『ギャツ
では一見す る と個人的 な 自由が尊重 され てい るが、
ビー』 (
ナ フィーシー)である ニヤー ジーは 「
イス
そ の 中には生活 の 中 に網 の 目の よ うに張 り巡 らさ
ラームは人 を敬度 な生活 に導 くうえで、文学 に特別
れ た家父長制 とい う性 に よる政治体制 が反 映 され
な聖な る役割 を命 じた世界 で唯一 の宗教で ある」と
てい るとい う主張である ナ フィー シーは これ を否
した うえで、主人公 が不倫や詐欺 を働 くアメ リカ小
定 し、個人的な ことと、政治 は別 であると考 え、政
説 を読む ことは、イス ラムに対す る「
文化的侵略」あ
治 か ら逃 れ て個 人 的 な世 界- 引 き こも りたい希 望
1
76)
であると主張す る。文学の
るいは 「
文化 の凌辱」(
持 っ カ タル シス的役 割 を無視 した ピュー リタ ン的
政治 に無縁 な個人 的 な世 界 の出来事 を扱 ってい る
な見方で ある といえるだろ うか。弁護 士のザ ッリー
とされている そ してその中で、個人の選択 の 自由
ンはニヤー ジー よ り冷静 な態度 で、 「
小説 は読者 を
が行使 され 、民主的な世界 が出来上が ってい ると、
揺 さぶ って無感覚か ら引きず り出 し、絶対不変 と信
ナ フィー シーは理想化 してい る。
。
。
を表 明す る
。
オー ステ インの世界 は著者 に よれ ば、
。
じてい るものに直面 させ る とき、道徳 的であるとい
える」
(
1
81
)と述べ、ナ フィー シーは、アメ リカの夢 、
5.
1 ダンスについて
富 と力 の夢、 さらには理想主義 の夢 とその喪失が描
『高慢 と偏見』 において、ダンスの果 た してい る
かれ、夢 が現実化 と同時に崩壊 しやす い ことが描 か
役割 につ いて のナ フ ィー シー の分析 は非 常 に面 白
れてい る と付 け加 えた。彼女はイ ランの革命 が、恐
い。イ ギ リス とイ ランのダンスの違いを際立たせ る
ろ しくも美 しい 「
実現 のためな らどれ ほ どの暴力 を
ことで、ふたっの文化 にお ける男女の関係 を浮 き彫
使 って もかまわない よ うな夢 」(
202)として、『ギャ
りに している オーステ インの小説 で、ダンスは男
ツ ビー』 と共通点があることに気 がつ く また して
性 と女性 の身 体的 コ ミュニケー シ ョンの手段 で あ
も、ナ フィー シーは単なる 『ギャツ ビー』か ら、私
り、パーテ ィは結婚 とい うさらなる祝祭 をめ ざす小
たちの 『ギャツ ビー』 に変 えてみせ るのである。
規模 な祝祭空間である とい う。その中で、相手にあ
。
.
ここでは西洋文化 に対抗 して、イス ラムの文化的
わせ て前 に進み、 うしろ-下が るとい う相互的な身
アイデ ンテ ィテ ィを確 立 しよ うとす る、イ ラン入学
体の動 きに表徴 され る男女の肉体的、心理的 コ ミュ
生の熱意 が感 じられ る
また、学生のなかには、敵
ニケー シ ョンのや り方 を民主的 とよび、その相性 を
(
アメ リカ)
の文化的事情 をよく知 るた めに 『ギャツ
も とに した配偶者 の選択 の 自由が女性 た ちにあ る
ビー』 を読むべ きだ とい う者 もい る。 この回想録 の
と分析 してい る
。
。
最後で、ナ フィー シーはイ ランを捨て、アメ リカ-
ダンスの身体的な動 きの分析 は、官能性 、情熱 に
渡 った。そ して、自分 の本 を書 くとい う夢 が実現 し、
乏 しい といわれ るオー ステ インの小説 の読 み に新
名声 と富 を手 に入れた。そのあ と彼女 の夢 は ど うな
たな側面 をつ け くわえてい る。実際の ところは、『高
ってい くのだろ うか。
慢 と偏見』でナ フィー シーが言 うよ うに、女性 たち
第 3 部 の 『デイジー ・ミラー』 については詳細 な
が大 きな選択 の 自由を持 ってい るわけではない。配
分析 をす る余裕 がないが、読書会 に集 まるイ ランの
偶者 にふ さわ しい男性 はまず、近隣の うわ さや貴族
女子学生たちは ロール ・モデル として ヒロイ ンに憧
年鑑 をも とに した財産 目録 、年収審査 とい う女性 に
れ てい る
また、革命 時 の混乱に乗 じる形で起 こっ
よる水面下での選考 を経た上で、肉体 と心理 コ ミュ
た、イ ラン・
イ ラク戦争 の爆撃 の様子 が描 かれ てい
ニケー シ ョンテ ス トの場 で あ るダ ンス- と進 んで
る - ン リー ・ジェイ ムズはかつて第一次大戦 で傷
い く。女性 の場合 は さらに厳 しく審査 され 、この場
病兵 を見舞い、募金活動 を し、アメ リカに参戦 を促
合 は容姿が大 きな財産 目録 となってい る。選択 の 自
す な ど奔走 した。彼 の 「
私 たちは命 が けで、現実 に
由 とは、 この よ うな限 られ た条件 、社会 の中での 自
対抗す る私 た ち 自身 の現 実 を作 らな けれ ばな らな
由であるが、その中で注 目すべ きは、男女の関係 に
。
。
-1
95-
松 田雅子
お ける相 互性 (
r
e
c
i
pr
oci
t
y) とい う概念だろ う。ダン
す るな らともか く、アメ リカ詩人の詩 を引用す る と
スパーテ ィでは、相互性 の確認 が当事者 、友人、家
い う、イスラム革命 の闘士 としては不釣合いな行動
族 によって行 なわれてい る
に走 り、その矛盾 に気 がつ かない ところが、『高慢
。
他方、女性 に対 し宗教的な戒律 とい う名 目を借 り、
個 人 の生活 に も風紀 取 り締 ま り隊 に よって規制 を
と偏見』の喜劇 的人物 コ リンズ と相通 じるものがあ
るとされ る。
強い るイ ラン社会では、男性の宗教指導者 たちは こ
の相互性 の重要性 に気 がついていな い。戒律社会 の
彼 の行動 の 中で も う一つ の特筆すべ き出来事 は、
中で女性 の 自由が過度 に束縛 され る と、無理強 い さ
彼 がサイ- ドの Cul
t
ur
eandI
mpe
r
i
al
i
s
m(
1
993)を用
いて、オーステ インの小説 の植 民地主義 を批判す る
れた従順 さが支配的 にな り、男女の間で共に育 って
ことで ある ナ フィー シーはオーステ インがナポ レ
い く関係性 が成立 しない。それ ゆえに、その豊か さ
オ ン戦争 の動乱 の時代 にあ りなが ら、 自分の作品 と
を享受す るチ ャンスを失 って しま うのである。 この
想 像力 が現実 の社 会 にのみ こまれ るの を許 さなか
よ うな社会では男性 に もとま どいが あ り、マ-ナ、
-
った、政治的な事柄 か ら身 を引いて 自分だけの独 立
の恋人ニーマ- は 「
きみたちには この国の男が向 き
した世界 (
385) を作 り出 し、 「
その世界 を小説 にお
あってい る困難 はわか らない」 とい う 彼 らもど う
ける理想 の民主主義だ」 と絶賛す る。
した らいいかわか らず 、 自分が弱 い と感 じるか らマ
ッチ ョ気 取 りでい ぼ りち らす こ ともあ る と話す (
)
一方、サイ- ドは Ma
ns
ji
e
l
dPa
r
k(1
81
4)
の分析 を通
して、帝国主義 と植 民地主義の只 中にあったオース
(
1
04)
テ インの世界 を明 らか に した。 マ ンス フィール ド・
。
。
イギ リス 1
8-1
9 世紀 の中産階級 の人々が楽 しん
パー クの暮 らしを物質的に支 えてい るのは、カ リブ
だ ソー シャル ダンス と比較 して、イ ランのダンス も
海 のア ンテ ィグア諸 島に あ るバ ー トラム家 の地所
紹介 され る。 この箇所 には珍 しくイ ランの文化 につ
であるこ とか ら、バー トラム家の人 々の豊 かな生活
いて、肯定的な言及 がある。ナ フィー シーは大学院
は、奴隷貿易 と砂糖 と植 民地の農 園主階級 の支 えが
の学生た ちに 『高慢 と偏見』の世界 を理解 させ よ う
な くては存在 しなかっただろ うとい う。 (
Sa
i
d1
998C
として、 ソー シャル ダンスを踊 らせ る。女性 同士で
1
69) つ ま り、イ ギ リス中産階級 の世界 を支 えてい
ぎこちないダンスを試 みたあ と、普段 は 目立つ こ と
る植 民地世界 がオー ステ インの世 界 で は他者 と し
の ないサーナ- ズがベ ル シアダ ンス の名 手 と して
て排除 され、抑圧 されてい ることを明 らかに したの
進 み出て、一 同の喝采 を浴び る。歌 を 口ず さみなが
である。バー トラム家 の食卓で奴隷貿易 のこ とが話
ら次第 に佳境 に入 ってい く彼女の手 の動 き、腰 の振
題 にな る と、突然、皆黙って しま うが、サイ- ドは
りは妖艶 な魅惑 に満 ちてい る。ナ フィー シー はこの
二つ の世界 をつ な ぐ言葉 が存在 しな い か らで あ る
ダンスの誘惑 は、独特 の繊細 さと大胆不敵 さの絶妙
『マ ンスフィール ド・
パ
と分析す る。 さらに、彼 は 「
な混合で、 これは西洋 には これ に匹敵す るものは見
ー ク』 を、版 図を拡大す る帝国主義的 冒険 を支 える
あた らない とコメン トしている。男性観 客を楽 しま
構造 の一部 として読んで しまったあ と、それ を 『世
せ るための踊 り、ベール の陰に隠れ なが らその存在
界 の傑作文学』 に復帰 させ るこ とはできない」 と批
をア ピール し誘惑す る手段 としての踊 りは、イ ラン
女性 の社 会的位置 を暗示 してい るのか も しれ ない。
判 してい る。(
Sa
i
d1
998C)
ここではデ リダのい う脱構築 (
de
c
ons
t
r
uc
t
i
on) の
隠す ことで さらに魅力 を増 してい く女性 の姿 は、女
考 え方 が応用 されてい る。脱構築 とは、内部/外部、
性 の誘 惑 を避 け よ うと してベール を要求す るイ ス
自己/他者、真理/虚偽、善/悪、 自然/技術 、男
ラム体制 のパ ラ ドックスである とい えるだろ う
/女、西洋/非西洋/ な どと階層秩序的二項対立 を
。
立て、支配的な項、つ ま り前者 を肯定 してい くこ と
5
.
2
. サイ- ド、デ リダについて
には、そ うした思考では とらえ られ ない 「
他者」 を
タバ ー タイ-大学 の ミス ター ・コ リンズ とあだ名
排 除す る欲望が潜んでいる と考 え、脱構築的思考 に
され るナ フグィ-は、徹底 して戯画的に描 かれ る急
よって、排除 された ものの復権 をめ ざす批評 のや り
進的な男子学生である。彼 はイス ラム原理主義者 で
方である オーステ インの世界では、植 民地が外部 、
革命派の闘士であるが、 ミー トラー に恋 を し、ナ フ
他者 として とらえ られ 、排 除 された結果、一見す る
ィー シ ー が 英 米 文 学 の ク ラ ス で 教 えた e
.e
.
と非政治的な世界が作 り出 されてい るのである。
。
c
ummi
ngsの繊細な恋愛詩 を彼女 に贈 る。恋す る 自分
ナ フ ィー シー はナ フ ヴィ- か ら挑戦 を受 けた と
の気持 ちを表現 しよ うとして、ベル シア文学 を利用
き、彼 が何 を言 ってい るのか よく理解 できない。後
-1
96-
ナ ラテ ィブの持 っ力
IRe
adi
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g Lol
i
t
ai
n Te
hr
an を読んで
目彼女がアメ リカ-行 った とき、書店 でサイ- ドの
それ以外 にも、女性 の結婚年齢が 1
8才か ら 9才
本 を見つ け、ナ フ グィ- が言お うとしていた こ と、
に引き下げ られた こと、 1人の男性 が 4人の女性 を
その出所 が どこであったかを知 る。ナ フィー シーは
妻 にできることな ど、女性 の権利 を ど う認 めるか と
『オ リエ ンタ リズム』で有名 なサイ- ドの業績 を賞
い うことが、西洋文化 とイスラム文化 の違いの争点
賛 してい るが、オーステ インについての彼女 の解釈
となった ことは女性 に とって悲劇 的な こ とで ある。
を読む と、サイ- ドの理論 は彼女 にほ とん ど影響 を
なぜ宗教 が政治 の前面 に出て くると、女性抑圧的に
与 えていない。サイ- ド的 に読 んだあ とで も、『高
なるのか とい うと、おそ らく家父長制 が優勢 な時代
慢 と偏見』 はた しかに優れ た作品ではあるが、単純
に成立 した宗教 には、その時代 の家父長的な女性観
に さま ざまな声が交錯 した、民主主義 が体現 された
が色濃 く反映 されてい るか らであろ う。
世界 を描 いた名 作 で あ る と考 え る こ とはで きない
同 じよ うな例 として、アイル ラン ド共和国 (
1
9
49
か らである。ナ フィーシーはナフ グィ-がマ ンス フ
年独立)の場合が考 え られ るが、カ トリック とい う
ィール ド・
パー クを読 んだ こ ともない のに、サイ-
民族 的 な宗教 的 アイデ ンテ ィテ ィを基盤 にプ ロテ
ドの論 だ けを借 りて きて批判 を展 開 してい る と し
スタン ト国イ ギ リスか ら独 立 したために、女性 の地
てい るが、 じつは彼女 自身 もサイ- ドについて よく
位 の相対 的低下 を招いた。それ はカ トリックの宗教
論 旨を理解せず にほめ上 げるとい う、同様の ことを
的信条か ら来 る避妊 、中絶 、離婚 の禁止 に現れ てい
や ってい る。サイ- ドが抑圧 を受 けてい る側 の立場
る。そ こで、アイル ラン ド女性 の場合 は、カ トリッ
を回復 しよ うと視覚化 した ものを、見 よ うとしない
ク伝来以前の、ケル ト民族 としての女性観 を復活 さ
で 『高慢 と偏見』 を解釈 してい るか らである。
せ よ うとした。沈黙 して語 らなかった、母 として生
ナ フィー シーが 『高慢 と偏見』のす ぼ らしさとし
きた女性 に声 を与 え よ うとす る第 二 のケル ト的文
て、 「
描 き出 された声の多様性 」
(
3
6
6)にある とい う
芸復興 に よって、女性 のエ ンパ ワーメン トを図って
とき、バ フチ ンのい うポ リフォニー を念頭 において
い る。 ここで も、文学や文化 がアイデ ンテ ィテ ィの
バ フチ ンは、 「
それぞれ に独
形成 に大 きな役割 を果 た した。 また、EU の加盟国
い るよ うに思われ る
。
立 して互 い に融 け合 うこ とのない あまたの声 と意
であるこ とか ら、女性 の地位 の向上が EU 諸 国 と横
識 、それぞれがれ っき とした価値 を持つ声たちによ
並びにな る政策 が求 め られ改善が図 られてい る。(
大
る真のポ リフォニー こそが、 ドス トエ フスキーの小
野1
8
8
2
48
)
説 の本質的 な特徴 なのである」 (
バ フチ ン 1
5
)とド
ス トエ フスキーの作品を分析 してい る。それ に対 し、
ナ フィーシーがイ ランを去 ってか ら、女性 たちの
状況 は どのよ うに変化 したのだ ろ うか。女性 たちは
『高慢 と偏 見』ではた しかに対話が頻繁 に用い られ
ベール を着用 しつつ、社会進 出を遂げてい る とい う
る とい う点では、戯 曲的 な作品ではあ るけれ ども、
9
9
7年 の大統領
イ ランの紹介記事 も見受 け られ る。1
ポ リフォニーの概念が示す よ うな、全 く価値観や立
選挙では女性 の投票率 は 9割 に達 し、女性 の識字率
場 の違 う声 が響 き交わす よ うな作品ではない。 ある
は1
9
7
6年 には約 35パーセ ン トだったが、20
0
3年 に
コモ ンセ ンスを共有 した、 コミュニテ ィでの成員 間
は 8
0パーセ ン トを超 えるほ どになってい る。女性
の コ ミュニケー シ ョンの様 子 が秀抜 に描 かれ て い
の大学 ・
大学院進学率 も大 き く上昇 し、男女 の分離
る。
政策 の結果 として、女性専用 の公的空 間が整備 され
たので、女性 の専門職 が増 え、大学の教員 も 4人 に
6
. イスラム革命 と女性 の抑圧 について
パ フ ラ ヴィ-王朝 の西洋化政策 で あ る白色革命
に対抗 して、イスラム革命 が起 こった とい う事情か
1人 は女性である とい うことだ。(
中西 b) しか し、
依然 として、ナ フィー シーが抵抗 した抑圧 的な状況
は多かれ少 なかれ存在す るよ うだ。
ら、イ ラン人のアイデ ンテ ィテ ィを主張す るために、
イ スラム共和制 下では伝 統文化 が強調 されてい る。
ま とめ
その一番 の争点 となるのが、ベール着用問題 である。
「
1
9
3
6年 の レザー ・シヤー に よる ヴェール着用禁止
『テ- ランで ロ リー タを読む』は、英米の文学作
令 は近代化 の象徴 として物議 を醸す一方 で、聖職者
品をイ ランの革命 の現実に当てはめて、 ど う解釈 し
の力の失 墜 を示す有力 なサイ ン となった」
(
1
5
8
)
ので、
てい くこ とができるか示 し、あたか も壮大な文学の
聖職者 が権力 を握 った ときふ たたびベ ール が強制
講義 を聞いてい るよ うな印象 を与 える作 品である
されたのである
イ ラン ・イス ラム革命 が進行 してい く様子 を、文学
。
。
-1
9
7-
松 田雅 子
作品に よって比愉的に、あるいは引用 を交 え臨場感
Than Lol
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I
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あふれ る言葉 で語 り、また、回想録 をフィクシ ョン
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Mu
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wor
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)(
化す るこ とによって、読者 の感情移入 と共感 を誘 う
2007)
ことに成功 してい る。イス ラム革命 での権力闘争 と、
,
Na
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V.S.
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Amon
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危険分子 の粛清が進行す る残酷 な 日常、革命 の混乱
に乗 じたイ ラン・
イ ラク戦争 の爆撃 の恐怖 、ホ メイ
(
1
981
)
、『イス ラム紀行 上 ・下』(
岩波書店 、2002)
Nobokov
,
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di
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,
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1
955;
Vi
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a
ge
,1
98
9)
ニの人権 を無視 した独裁 的なス ローガ ンな ど、想像
を絶す る危機 的な状況 があ ざや か に描 かれ てい る
。
しか し、イ ランの現実 を英米文学か らの引用 と比
君 島正訳 、『ロ リー タ』 (
新潮社、2005)
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d Or
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e
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1
978
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除 によって語 るとい うのは、文化的な齢酷 を生 じる
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恐れがある。 また、革命 に至 るまでの歴史的事実 に
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4) 大橋洋一訳、『文化 と帝国主義』(
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関 しては、空 白の部分 も多 く、イ ランの現在 の混迷
すず書房 、1
998C
)
を引 き起 こす 要因 とな った歴 史 の全 体像 を提示 し
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ていない とい うことはいえるので、そのよ うな限界
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4d)中野真紀子訳 、
『ペ ン と剣』(
ク レイ ン、
を持 った資料 として距離 を置いて読む必要 があ る
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ともあれ 、危機的な状況の中で、時 には裁判や ダ ン
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ス とい うアクテ ィビテ ィを取 り入れ た、文学のダイ
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2007)
ナ ミックな教 え方 は印象的であった。
大野光子、『女性 た ちのアイル ラン ドー カ トリック
。
の<母 >か らケル トの<娘 >-』(
平凡社 、1
998a
)
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、「
海外女性事情 (
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2) アイル ラン ド共和国」、
『ウイル あい ちニ ュース
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40』 (
愛知県女性総
No.
合セ ンター、2003
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小川洋子 、『物語 の役割』(
筑摩書房 、2007)
加藤 隆、『
福音書 -四つの物語』(
講談社 、200
4)
注
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テ キス トとしては、Az
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中西久枝 、『イス ラム とモ ダニテ ィー 現代イ ランの
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2003)と日本語 の翻訳 、市川 恵
諸相』(
風媒社 、2002a
)
理訳、『テ- ランで ロ リー タを読む』(白水社 、2006)
-
、「
海外女性事情 (
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)イ ラン」『ウイル あい ち
を使用 した。英文の引用 には原著のページ数 、 日本
ニュース No.
40』(
愛知県女性総合セ ンター
語 の引用 には、翻訳か らのペー ジ数 を記 した。
2 大 阪外 国語 大学外 国語 学部 中東 地域文化 専攻
藤元優子教授 にご教示 をいただいた。
2003
b)
バ フチ ン、『ドス トエ フス キーの詩学』望月哲男 ・
鈴木淳一訳
(
筑摩書房、1
995)
物語力 」で人 を動かせ !
』(
三笠書房 、
平野 日出木 、『「
参考文献
2006)
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2003)
作品中に登場す る作 品 と作家名
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イギリス文学
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) ミス ・プロウディの青春
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umn 2005,Vol
.55
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3) 高慢 と偏見
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作者
題名
4) ロイタリング
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クイズ インテン ト
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5) ナ-シッサス号の黒人
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6) ユ リシーズ
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)チャタレ-夫人の恋人
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コンラ ッ ド
ナ ラテ ィブの持っ力
8) マ ンス フ ィール ド ・パ ー ク
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an を読 ん で
オー ステ イン
9) ハ ワ- ズ ・エ ン ド
ナ ボ コフ
27) ロシア文学講義
フォス ター
28) 真珠
1
0
)眺 めのいい部屋
フォス ター
29) ワシ ン トンス クエ ア
ジ ェイ ムズ
ll) 虚 栄 の市
サ ッカ レー
30) 悲劇 の美神
ジ ェイ ムズ
1
2
) ロデ リック ・ラ ンダムの 冒険
スモ レッ ト
31
)使者 た ち
ジ ェイ ムズ
32) レペ ッカ
デ ュ ・モー リア
1
3) オ リエ ン ト急行 の殺 人
ク リステ ィ
1
4) 分別 と多感
オー ステ イン
エ ミ リー ・ブ ロンテ
1
5)嵐が丘
1
6) 大 い な る遺産
デ ィケ ンズ
17) トム ・ジ ョー ンズ
フ ィールデ ィング
1
8) クラ リッサ
1
9) ジ ェイ ン ・エ ア
リチ ャー ドソン
シ ャー ロ ッ ト ・ブ ロンテ
20) 四つ の 四重奏 曲
T. S. エ リオ ッ ト
21
)小説 の発 生
イ ア ン ・ワ ッ ト
2
2
)不 思議 の国 のア リス
ス タイ ンベ ック
ミッチ ェル
33) 風 と共 に去 りぬ
エデル
34) 現代 心理小説
35) 棄て られた ウェザオールおばあちゃん ア ン ・
ポーター
36) ェ ミ リー に菩夜 を
フ ォー クナ-
37) 長 いお別れ
チ ャン ドラー
サイ- ド
38) 文化 と帝 国主義
カ ミングズ
39) 僕 の恥 ず か しが り屋 の喬蕨 40) モ ア ・ダイ ・オ ブ ・ハー トブ レイ ク
ベ ロウ
キャ ロル
23) ェマ
オー ステ イン
バイ ロン
24) チ ャイル ド・
ハ ロル ドの巡礼
25) 老水夫行
コール リッジ
26) 説 き伏 せ られ て
オー ステ イン
オーデ ン
27) バ イ ロン卿 - の手紙
28) フ ァニー ・ヒル
ク レラン ド
イ ラン文 学
1
) 千夜 一夜 物語
2) ベル シア古典 文学
ヨー ロ ッパ 文学
1
) ボ ヴァ リー夫人
2) 80 日間世 界一周
ア メ リカ文 学
3) 悪 の華
1
) ロ リー タ
ナ ボ コフ
2) デイ ジー ・ミラー
ジ ェイ ムズ
3) 学生部 長 の 12月
ベ ロウ
4) 家族 、私有財 産 お よび国家 の起源
5) ブ リュメール 18 日
フ ローベ -ノ
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ベル ヌ
ボー ドレール
エ ンゲル ス
ル イ ・ボナパル ト
6) 母
ゴー リキー
ス ター リン
4) 青 白い炎
ナ ボ コフ
7) ボル シェ ビキ小 史
5) 断頭 台- の招待
ナ ボ コフ
8) リル ケ詩集
6) セバ スチ ャン ・ナイ トの真 実 の生涯
ナ ボ コフ
9) 巨匠 とマル ガ リー タ
リル ケ
7)ベ ン ドシニ ス ター
ナ ボ コフ
1
0
)モ ンテ ・ク リス ト伯
ブル ガ- コフ
一
一
一
、
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7 ユマ
8) ア- ダ
ナ ボ コフ
11) スマ イ リー と仲 間達
ル ・カ レ
9) プニ ン
ナ ボ コフ
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2
) コンテ ィネ ンタル ・オブ
ハメッ ト
1
0
)道化 師 た ちを見 よ
ナ ボ コフ
1
3) 人形 の蒙
イ プセ ン
ll) 記憶 よ語れ
ナ ボ コフ
1
4) 静 か な る ドン
1
2
)ハ ックルベ リー フ ィンの 冒険
1
3) グ レー ト ・ギ ャツ ビー
1
4)武器 よ さ らば
1
5) ハ - ツオ グ
1
6) プ ロ レタ リア芸術 - 向 けて
17) 夜 はや さ し
1
8) 白鯨
1
9)緋 文字
20) 罪 の許 し
トウェイ ン
フ イ ツツジ ェラル ド
- ミング ウェイ
ベ ロウ
ゴール ド
フ イ ツツジェ ラル ド
メル ヴィル
ホー ソン/
フ イ ツツジ ェラル ド
上記 以外 の作家 、詩 人 、思想 家
1
) ウル フ
2) ナイ ポール
3) ポー
4) ホイ ッ トマ ン
5) デ リダ
6) バル ト
7) ハ イ ン リヒ ・ベル
21) トレン ト最後 の事件
ベ ン トリー
8) ドロシー ・セ イヤー ズ
22) ア メ リカ人
ジェイ ムズ
9) ロス ・マ ク ドナル ド
23) フンボル トの贈 り物
ベ ロウ
24) 雨 の王- ンダ ソン
ベ ロウ
25) 賜物
26) ア メ リカの飢 え
ナ ボ コフ
リチ ャー ド ・ライ ト
-1
99-
シ ョー ロホ フ
Fly UP