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Title 鷲見洋一教授 略年譜・著作目録 Author Publisher 慶應義塾大学

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Title 鷲見洋一教授 略年譜・著作目録 Author Publisher 慶應義塾大学
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鷲見洋一教授 略年譜・著作目録
慶應義塾大学藝文学会
藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.91, No.3 (2006. 12) ,p.I- XXII
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00910003
--004
鷲見洋一教授
略年譜・著作目録
経巡る季節
ー夏、秋、 冬から春ヘ
l
以下の自伝風年譜は、「人生三O年周期説」および「人生階梯説」に即して記述されている。「人生三
O年周期説」と
は何か。あらゆる人間は春夏秋冬の巡りに合わせて、それぞれの生を全うしている。すなわち、三O 年を単位とするあ
る季節の下に途中で生まれ、さらに二っか三つの季節を経て、死を迎えるという俗説である。四つの季節を合わせると
一二O年になるので、全部を生きることのできる人はまずいない。だが、面白いほど私の人生に当てはまるので、以下
この物差しを採用する。むろん、冗談半分である。
もう一つの「人生階梯説」は、こういうストーリーになる。人間は生まれ落ちると赤ん坊、ついで幼児期、少年(少 H
女)期、思春期、青春期、成人期、初老期、老年期を経て死に至る。ところで、日本人の半分を占める日本女性は、世
界標準なみの速度で成長し、歳を取っていくが、日本男性は恐らく世界で一番成長が遅く、 いつまでたっても大人にな
れないという説である。赤ん坊でいる期間は女性と同じだが、私の見るところ、幼児期が長く、二O歳まで。少年期が
終わるのが二九歳。思春期が三 O代で、青春が四 O代。たとえば、二 O代で結婚する男がいるが、数歳年下の連れ合い
が自分よりも幼いと思ったらとんでもない話で、「少年」が自分の母親と結婚するようなものなのである。思春期は
「恋に恋する」だけの時期で、愛や異性などまったく理解できない。本当に異性を愛せるようになる四O代の青春期を
迎えたときは、もう家庭があり、子供がいるという悲惨な状況なのだ。五O歳でやっと成人になるが、これは生物とし
て成人しただけで、 いわゆる酸いも甘いも噛み分けた「中年」ではない。日本人男性は「中年」を知らずに、子供のま
東京、中目黒に生まれる。「夏」八年目の赤ん坊だった。四人兄弟の長男である。父はヴアイ
ま、気が付くと六 O歳で初老を迎える。後は死ぬだけである。この私も例外ではない。
一九四一年一一一月
オリニスト、母はピアニストで、父方の親戚に音楽家が多い環境で育った。五歳で母からピア
ノを習い始めるが、絶対音といい、指の回転といい、二歳下の妹の才能にかなわず、及び腰だ
った。
「幼児」のままで慶慮義塾幼稚舎入学。入試面接で「お父さんの時計を借りてなくしました。
イチ全集」と題する作品集を出して、 ロシアの作家かと
l
- IV-
一一日
一九四八年九月
どうしますか」と訊かれ、「また買います」という「幼児」の答えで、補欠になった。半年間、
区立中目黒小学校に通い、 スタイルのいい担任の山崎先生に「幼児」の初恋をした。秋から幼
ンダウンして
慶麿義塾幼稚舎卒業。
l
稚舎に補欠入学。六年間、ピアノよりも絵に熱中し、光風会会員の牧野司郎先生から油絵や木
-p -門》
炭のデッサンなど基本を学んだ。ピアノはいつの間にか、惰性で弾く程度にト
、
一九五四年三月
慶慮義塾普通部入学。故安川国雄先生と意気投合して相撲部を創立。小兵ながら、はず押しを
品。また、三年生の時は、「スミヨ
山芳久先生の「ぶどうの会」で下手な詩を書いた。絵は続けており、秋の労作展に連続して出
得意にした。体格がないので、負けの方が多いのは当然である。だが、楽しかった。また、香
一九五四年四月
しナム
..
一九五七年三月
慶慮義塾高等学校入学。絵を断念。写生以外にも「現代芸術」なるものがあるのに、自分は写
慶慮義塾普通部卒業。
一訪られもした。生意気な、恐いもの知らずの「夏」の幼児中学生だった。
一九五七年四月
真のようにしか描けない悩みで行き詰まったもの。かわって本格的に音楽が好きになり、オー
ボエをやりたくなったが、オーケストラでヴァイオリンを弾いていた父から、オーボエは若い
内は肺に負担がかかるからやめろと反対され、泣く泣く断念。だが、レコードを聴くだけでは
物足りず、芸大楽理の大学院に行っていた従兄の故渡部恵一郎からピアノと音楽理論を習う。
とりわけ整然として数学的な美を湛えた和声学の魅力の虜となった。ピアノは、すでにプロを
目指していた妹から馬鹿にされながら、何とか続ける。二年生の時から、近所の女性にフラン
ス語を習い始める。動機は忘れた。ネイテイヴ並みに発音がきれいな先生だったが、文法がま
るで駄目だった。高校三年次で第二語学を選ぶとき、欲張ってドイツ語にしたのが、後で崇る
一九六O 年三月
慶慮義塾大学文学部入学。折しも安保闘争の渦中で、訳も分からずにデモに参加したりする。
慶麿義塾高等学校卒業。
ことになる。
一九六O 年四月
周囲に左翼の友人が多かった。皆「幼児」の左翼である。早くもフランス文学専攻を志望して
いたが、高校でのドイツ語が災いして、 一年次で自動的にドイツ語のクラスに入れられてしま
った。同級に柴田陽弘をはじめ、ドイツ語系の秀才が沢山いた。むろん「幼児秀才」。当時、
-v-
一年間、初等文法
フランス文学専攻は人気抜群で、選考試験があり、会話ばかりやってきた語学力では、文法が
弱く、合格がおぼつかなかったので、法学部の二宮孝顕先生にお願いして、
の授業を聴講させて頂いた。
慶慮義塾大学文学部フランス文学専攻に進学。同級に立仙順朗がいた。教授スタッフは、佐藤
の甥』に魅せられ、 一八世紀を勉強する気になる。サルトル、
慶懸義塾大学文学部文学科フランス文学専攻卒業。
一九六一年四月
朔、白井浩司、大浜甫先生を中心に、松原秀一、若林真、高畠正明、さらに若手の高山鉄男、
古屋健三、永井旦など鋒々たる面々。松原先生が留学から帰国された数日後の教室にいた。
「鷲見君、バロックとはどういう意味ですか」と訊かれ、「バロックはバロックだなあ」と肢い
たらしい。先生は「歪んだ真珠」という語源のポルトガル語を期待したのだが、長い留学で、
l
幼児のような日本の大学二年生の教養や実力を測定しそこなわれたのである。
岩波文庫のディドロ『ラモ
カミユを中心とした現代フランス文学が売りだった専攻なので、この選択はかなりの墾楚を買
った。周囲は、今にして思えば将来恐るべき小説家や詩人の卵が蝿集しており、フランス文学
専攻の黄金時代だった。 一九六二年、私の運命の季節は「夏」から「秋」に移る。途端に写真
写りが悪くなり、どこか存在そのものが震み始める。「幼児期」を卒業して、「少年期」に移行
一九六四年三月
慶鷹山義塾大学大学院文学研究科修士課程フランス文学専攻に入学。引き続いて、ディドロを勉
した時期でもあった。
一九六四年四月
-VI-
一九六六年三月
一九六六年四月
一九六七年九月
強する。折しも、ディドロ再評価の機運が世界的に高まっていたので、参考文献には事欠かず、
運がよかった。研究史的には、戦後の一八世紀研究を席巻したマルクス主義の洗礼を浴び損な
った第一世代に属する。
慶慮義塾大学大学院文学研究科修士課程フランス文学専攻、文学修士の学位取得。「少年」で
かちとった貴重な学位である。
慶慮義塾大学大学院文学研究科博士課程フランス文学専攻に入学。この頃、モンペリエ大学の
碩学ジヤツク・ブルーストの学位論文『デイドロと百科全書」を読んで感動し、この人の指導
で本格的にソルボンヌ流実証研究を勉強をしたいと思い、フランス政府給費留学生試験を受け
るために、東京日仏学院に通う。パンゲ先生、ブロック先生という伝説の名教師の馨咳に接し
た。周囲にも、「少年」臭や「幼児」臭が抜けきらない仏文秀才たちが沢山いた。
フランス政府給費留学生としてフランス、モンベリエ大学文学部博士課程に入学。 一年先輩に
早稲田の市川慎一、同期に東大の原好男、白井泰隆がいた。皆、立派な「少年」たちである。
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コ
l
指導教授ジャック・ブルーストとは初対面から意気投合したが、驚いたのは、教授が日本で想
像していたようなガチガチのソルボンヌ風実証主義者ではなく、新批評やミシェル・フ
にも深い関心を寄せているということだった。恩師の複雑な人格や学問の奥深さに魅せられ、
師弟の関係が、 いつしか深い友情で結ばれた親交に発展。教授は日本に関心を持ち、何度かの
来日をされ、 ついに日本について三冊の書物まで刊行する。二 OO 五年九月に享年七九歳で逝
-VII
一九七二年三月
モンペリエ大学にて博士号取得、帰国。ちょうど「少年期」を脱して、「思春期」に入る。愚
かにも思春期の分際で、六歳下の女性と結婚するが、徐々に向こうの方がはるかに精神年齢は
上だと痛感させられる。それを自覚できただけでもましだと思う。
慶慮義塾大学文学部助手。見回すと、周囲には数知れない「幼児」、「少年」、「青年」の同僚が
慶麿義塾大学大学院文学研究科博士課程フランス文学専攻単位修得満期退学。
おり、「成人」はわずかだった。
一九七四年三月
慶慮義塾大学文学部助教授。「思春期」の助教授だった。
やっと「青春期」に入る。大学から福津基金を頂き、フランス、パリ第七大学留学。久しぶり
った。
を得た。それ以来、その種のあらゆる誘いを断り続けた。「思春期」にしては賢い振る舞いだ
は出来ても、自分がその仲間になってキャンパス行政を担当する能力も資格もないという確信
中枢の動きや事情はあらかた読めるようになる。その結果、執行部と呼ばれる人々のお手伝い
期目。ついで、小谷津孝明先生の第一期目。学部長室にのべ四年も詰めていると、学部や大学
「秋」の季節で大きな変化は、文学部長補佐を二国務めたこと。まず、三雲夏生先生の第二
一九七五年四月
一九八二年八月
l
マは、なぜかまったく活字にしておらず、「秋」や「冬」を忌避して、「春」(というこ
のフランスで、思師や旧友との再会を楽しんだ。この間、国立図書館に通って調査し続けた研
究テ
-VIII-
一九七三年四月
去
一九八四年四月
とは八 O歳代)に開花するように設定されているらしい。
l
の申請が通る。慶鷹外国語
区
帰国。復刊『三田文学』の理事会に呼び出され、会計担当理事を仰せつかる。複式簿記なるも
のを学習した。編集室で、これまで未知だった小説家や詩人や批評家たちと、柄にもなく付き
「青春期」の真っ盛りで慶慮義塾大学文学部教授。
合う羽目になる。普通であれば、大学時代に卒業しているはずの「文学的青春」期だった。
一九八五年四月
慶慮義塾大学ア
l
l
ニャ大学留学。悪性腫蕩の予後としては最高の選択だった。フランスが実は
l
ト・センターに加わって、前田富士男、美山良夫とい
ト・センター所長就任。門前の小僧で、おびただしい現代芸術情報を満身に
った塾内の「芸術派」と隊伍を組む。
イタリアから帰国。創設された大学ア
これで「成人」になれたのである。冬の季節の最高の収穫である。
あまり馴染めず、密かに憧れていたルネッサンスの故国に毎日感動し、文字通り「復活」した。
イタリア、ボロ
やっと元気が出る。
かり、手術、放射線とひどい目に遭い、体力、気力を失う。身内の紹介で漢方薬の凄さを知り、
学校で二年間、夫婦で席を並べてイタリア語を学ぶ。だが、冬の季節は残酷で、早速、癌にか
づけにイタリアへの留学を本格的に考え始め、サバチカル・イヤ
端、季節が「秋」から「冬」に変わり、以後三 0年間の暗く寒い生活を運命付けられる。景気
「成人期」にあと三年というところで、慶鷹義塾大学大学院文学研究科委員。成人になった途
月
一九八八年四月
一九九三年四月
一九九四年三月
一九九五年一 O
二OO 三年九月
二OO 七年三月
浴びる。途中から、湘南藤沢キャンパスで展開しはじめた慶慮義塾大学最初の
l
I
COE
(研究代
カイヴ運営のために申請し、論文よりも申請書や企画書の作文
カイヴを、 アート・センター内部に創設した。その後、副所長の前田富士男と組ん
表者斎藤信男先生)に、三田キャンパスから唯一参加を許され、土方巽らを中心とした現代ア
ートのア
で、数知れない外部資金をア
ト・センター所長退任。この頃から現在まで、どちらかというと文学部の外
l
だけは一流の腕前になった。研究者として自慢できる話ではない。
慶慮義塾大学ア
HUMI
、
DRM
、
ORC
、
DMC など、文化財のデジタル化を目指す共同研究が
で、慶慮義塾大学に与えられる外部資金を使って展開する研究プロジェクトと関わることが多
くなった。
多く、パソコンの操作や技術について、若い人から教わることが増える。新潟大学の逸見龍生、X
一橋大学の小関武史らの若手と語らって、「百科全書』パリ版の本格的なメタデータ抽出作業
にかかる。目も舷むような難事業である。全国に散らばるこ五名の一八世紀研究者がヴォラン
テイアで協力してくれ、これがある種生き甲斐のようなものになっている。
慶慮義塾を定年退職予定。二 O 二二年に八一歳で「春」を迎える時をひたすら楽しみに、それ
までなんとか生き延びる覚悟でいる。
研究・業績
以下、自分で「研究業績」と考えるものだけをリストアップする。だが、ここに収録されなかった、移しいエッセイ
やコラムや書評や雑文の数々に実は愛着があり、学術論文はかなり無理をして書いてきたという印象が強い。照れや翰
S58
筑摩書房より復刊(ちくま学芸文庫、上巻
月、二一一一頁。
二OO 三年、三八六頁、下巻
二OO 三年、四一四頁)。
「繁殖する自然 博物図鑑の世界』[日本橋丸善における展示目録の監修と執筆](慶慮義塾大学図書館)、
O二
O 三年一
一九九五年一月、 一三三百ハ。
『理性の夢1図版と文字で読むフランス回世紀』[日本橋丸善における展示目録の監修と執筆](慶麿義塾大学図書館)、
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一向。、江町内ミこ。
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・(ポlル・ヴァレリl大学博士論文) X
晦ではなく、本気でそう思う。
著
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『翻訳仏文法』(日本翻訳家養成センター、上巻 一九八五年、三六四頁、下巻 一九八七年、三八五頁)。
円。Z22
三主
共著・編著・教科書
『ド・ラ・カルリエ
l
ル夫人事件』[フランス語教科書]
(白水社、一九八六年)。
饗庭孝男・朝比奈誼・加藤民男編『フランス文学史』[共著
(]
白水社、一九七九年)。
ディドロ
海老沢敏・佐々木健一 ・柴田南雄・鷲見洋一編『モーツァルト』全四巻[共同監修](岩波書店、一九九一年)。
「サド、ディドロ、ラクロほか
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片呂田旦目出回M
自R己
広B田同
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エロスと理性」[責任編集と執筆](朝日
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週刊百科「世界の文学」第五号
新聞社、 一九九九年八月一五日)、三四頁。
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科研費報告書など
平成八年度科学研究費
形成基礎研究費)研究報告書』、慶鷹義塾大学 SFC 研究所/ディジタルメディア基盤・応用研究セ
一九九七年六月、三七|四六頁。
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「ディジタルメディアの哲学と理論」、『創造的ディジタルメディアの基礎と応用に関する研究
、
補助金(
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「ユマニスムとその彼岸!|芸術・文化・教育をめぐるコラボレl ション」、前掲書、四六五|四七O頁。
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-XII-
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「ユマニスムとその彼岸 i 芸術・文化・教育をめぐるコラボレ
書、四 O 七|四 O 九頁。
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三O 三頁。
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形成基礎研究費)研究報告書』、慶慮義塾大学SFC 研究所/ディジタルメディア基盤・応
i
形成基礎研究費)研究報告書』、慶鷹義塾大学
SFC 研究所/ディジタルメディア基盤・応
l
一 1 二|七|三。
形成基礎研究費)研究報告書・最終成果報告書』、慶慮義塾大学SFC 研究所/ディジタルメデ
「ディジタル・メディアの哲学と理論」、『創造的ディジタルメディアの基礎と応用に関する研究平成二一年度科学研
用研究センター、二 000 年六月、三八三|三九一百ハ。
学研究費補助金(
カイヴ・エンジン」、『創造的ディジタルメディアの基礎と応用に関する研究 平成一一年度科
用研究センター、 一九九九年六月、二七九
学研究費補助金(
「ジェネティック・ア lカイヴ・エンジン」、『創造的ディジタルメディアの基礎と応用に関する研究 平成二年度科
「ユマニスムとその彼岸 lll 芸術・文化・教育をめぐるコラボレ
慶慮義塾大学博物誌資料コレクション」、前掲
形成基礎研究費)研究報告書』慶慮義塾大学 SFC 研究所/ディジタル
カイヴ構築の提言」、『創造的ディジタルメディアの基礎と応用に関する
科学研究費補助金(基礎研究 C)研究成果報告書、 一九九八年六月。
平成九年度科学研究費補助金(
「ディジタルメディアの哲学と理論 2 ||ア
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メディア基盤・応用研究センター、 一九九八年六月、 一七 l 一九頁。
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ィア基盤・応用研究センター、二OO 一年六月、二ー七
-XIII-
石f
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)研究成果報告書、二OO 二年六月。
『フランス『百科全書』研究||本文と図版への多角的接近i|』、平成二年度
究
COE
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一四年度科学研究費補助金(基礎研
三ーー三ーー二六。
形成基礎研究費)研究報告書・最終成果報告書」慶慮義塾大学 SFC 研究所/ディジタルメ
「ジェネティック・ア Iカイヴ・エンジン」、「創造的ディジタルメディアの基礎と応用に関する研究 平成一二年度科
学研究費補助金(
ディア基盤・応用研究センター、二OO 二年六月、三|三|九一’
『慶磨義塾大学デジタル・コンテンツ研究運用機構 報告書(二 OO 二|二 OO 二)』[監修および執筆]「序論」と「展
望」、各章の「摘要と注釈」(慶慮義塾大学デジタル・コンテンツ研究運用機構O
)O
、二
二年一一一月、一五O 頁。
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報告書(二 OO 一ーー二OO 四)』[監修および執筆g
]mg -
臣、二 OO 四年三月、五三頁。
OO 四年三月、五二頁。
カイヴ・リサーチセンター
o冨 52
5仲
-間
『慶慮義塾大学デジタル・コンテンツ研究運用機構 報告書(二 OO 二|二 OO 四)」[監修および執筆]同色。ロ
向島自色彩ヨ甘
。)ロ件。ロ0仲
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「慶藤義塾大学デジタルア
とのEJNOHN
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町内gB ヘ二
報告書(二 OO 一ーー二OO 六)』[監修
『近代博物誌の成立と展開||テクストと図版からの接近』、平成一五年度1 一六年度科学研究費補助金(基礎研究C)
i カイヴ・リサーチセンター
二 OO 六年三月、 一三四頁。
慶慮義塾大学デジタルア
研究成果報告書、二OO 四年六月。
『進化するア i カイヴ
および執筆] gmg-KZEgpBωREDER
翻訳書
XIV-
1~<~く叶)。
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(1開会話制E但P
1.同..\) gr叶)。
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、一年三月、(一二
「議事録の虚実lm 月事件論序説」、『塞文研究』(慶慮義塾大学文学部文学科紀要)、第五一
一九九O 年六月二四日、五二二|五二六頁。
「宮廷風俗とサロン||国王神話の舞ム巳、「世界の歴史』(朝日週刊百科)、第八二号「宮廷とアカデミー」、朝日新聞社
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年の周辺」、「モーツァルト』E
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「喪失と自由」||
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「怪物的神童とパリ||1763164年の滞在」、『モーツァルト』H、「歴史の中のモーツァルト」、岩波書店、
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「理性の夢||フランス回世紀のテ l マ系||」、『義文研究』(慶鷹義塾大学文学部文学科紀要)、第六七号
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「ふたつの圏内旅行ーーーディドロとメネトラの紀行文」、『義文研究』(慶慮義塾大学文学部文学科紀要)、第六三号、
九
「記録・分類・啓蒙||フランス百科全書をめぐって」、『レコード・マネジメント』、第三一号
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「これは書評ではない||水林章の二冊の書物をめぐって」、『文学』、第八巻・第二号
一、
九九七年春、 二ハ一 it-
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頁。
「一八世紀の夢||気球の旅」、宮崎揚弘編『ヨーロッパ世界と旅』(法政大学出版一
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六百ハ。
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「博物誌コレクションのデジタル化」、同色。門。ロ印。民吉田皆
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「『百科全書』第一趣意書の重要性||チェンパ
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「談話文化の回世紀」、『フランス哲学・思想事典」(弘文堂一
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フォーラム事務局編集
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「下河辺淳ア lカイヴの意義||個人記憶装置の可能性」、『富岡山〉政策研究』(総合研究開発機構)、第一七巻・第二号、
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(一九一九i 一九九六)その生涯と思想」(「地球環境問題を語るーー
間スピーチ大会」
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二 OO 四年二月二五日、五 O|五三頁。
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参考資料)、慶慮義塾大学ア
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ト・センター主催、二 OO 五年四月一九日・二 O
日、
一六百ハ。
「『百科全書』研究の現在
、O二五年
ll 懐古と展望||」、『義文研究』(慶麿義塾大学文学部文学科紀要)、第八九号
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