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第2回
第1問 世界史における東西勢力の衝突について述べた次の文A~Cを読み、下の問 い(問1~ 10)に答えよ。 A ①アラビア半島から興ったイスラーム勢力は、カリフの指導下に大規模な征服活動を 行い、東方ではイランを支配する一方、西方に進出してビザンツ帝国を脅かした。 7世紀後半に成立したウマイヤ朝はアフリカ北岸を西進した後、8世紀にはヨーロッ パに上陸して、②ゲルマン人が建設した諸国と抗争を繰り広げた。このイスラーム勢力 による圧迫は、③西ヨーロッパに封建社会が形成される一因ともなった。 ビザンツ帝国に対しては、④8世紀はじめ一時首都を包囲するなどしたが、謎の兵器 「ギリシアの火」を駆使する皇帝によって撃退された。この皇帝はその後、726 年に聖 像禁止令を発布して東西キリスト教会の対立を強めることとなる。 問1 下線部①に関連して、イスラーム勢力の征服活動について述べた次の文aとbの正 誤の組み合わせとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。 1 a b ムハンマドは、ニハーヴァンドの戦いに勝利してイランを支配した。 ビザンツ帝国と戦い、エジプトやシリアなどを奪った。 ① ③ a-正 a-誤 b-正 b-正 ② ④ a-正 a-誤 b-誤 b-誤 問2 下線部②に関連して、ゲルマン国家とイスラーム勢力の抗争について述べた文とし て正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 2 ① ランゴバルド人は、両シチリア王国を建国してイスラーム勢力と戦った。 ② フランク王国は、イスラーム軍を破ってヴェルダン条約を結んだ。 ③ 東ゴート王国は、アラブ人のテオドリックとの戦いに敗れて滅ぼされた。 ④ ウマイヤ朝軍は、イベリア半島に進出して西ゴート王国を滅ぼした。 問3 下線部③に関連して、西ヨーロッパの封建社会について述べた文として正しいもの を、次の①~④のうちから一つ選べ。 3 ① 主従関係において、臣下は複数の主君を持つこともできた。 ② 主従関係は、ローマ末期の従士制などを起源とする。 ③ 荘園はすべて、領主の直営地であった。 ④ 農民は荘園を耕作し、領主から労働報酬(賃金)を得た。 -1- 問4 下線部④に関連して、次の地図中のビザンツ帝国の首都の位置と、イスラーム軍を 撃退したビザンツ皇帝の組み合わせとして正しいものを、下の①~⑥のうちから一つ 選べ。 4 ① ③ ⑤ ア-ユスティニアヌス イ-ユスティニアヌス ウ-ユスティニアヌス ② ④ ⑥ ア-レオン3世 イ-レオン3世 ウ-レオン3世 B イスラーム勢力のみならず、ヨーロッパ世界はしばしば東方より襲来するアジア系民 族との戦いに直面した。⑤6~7世紀にはアヴァール人が東欧に侵入して大勢力となり、 9世紀にはマジャール人がヨーロッパを荒掠したが、最終的にはいずれもヨーロッパ側 に討たれて衰えた。 ⑥ 13 世紀にはモンゴル軍が西進して支配地を拡大し、ヨーロッパ世界にも大きな恐 怖を与えた。モンゴル軍はまたイスラーム世界をも攻略し、⑦アッバース朝を滅ぼして イラン・イラク地方を支配するなどした。 問5 下線部⑤について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 5 ① アヴァール人は、アッティラが王の時、最盛期を迎えた。 ② アヴァール人は、オットー1世に討たれて衰えた。 ③ マジャール人は、ハンガリー王国を建国した。 ④ マジャール人は、大多数がイスラーム教徒となった。 -2- 問6 下線部⑥に関連して、モンゴル勢力の西進について述べた文として正しいものを、 次の①~④のうちから一つ選べ。 6 ① チンギス=ハンは、ホラズムを倒してイラン地方に勢力を広げた。 ② オゴタイ=ハンは、タングート人の国である西夏を滅ぼした。 ③ ワールシュタットの戦いでイスラーム軍を破り、メッカを占領した。 ④ 南ロシアを中心に、チャガタイ=ハン国が建てられた。 問7 下線部⑦について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 7 ① その首都には、壮麗なアルハンブラ宮殿が造営された。 ② アラブ人の特権は廃止され、ムスリムの平等が達成された。 ③ ハールーン=アッラシードは、スルタンの称号を名のった。 ④ タラス河畔の戦いで唐軍に敗れ、トルキスタンから退いた。 ⑧ 11 世紀に中央アジアに現れたセルジューク朝は、イランをおさえた後⑨アナトリ ア(小アジア)に進出してビザンツ帝国を破った。これによって多くのトルコ系民がア ナトリアに移住し、この地のトルコ化が進んだ。⑩最盛期のマリク=シャーのころには イェルサレムを征服し、シリアを支配するなど西アジア全域を掌中に収めたが、こうし た動きがキリスト教諸勢力による十字軍発動の契機となった。 C 問8 下線部⑧に関連して、11 世紀の世界における出来事として正しいものを、次の① ~④のうちから一つ選べ。 8 ① 朝鮮半島では、新羅にかわって高麗が建国された。 ② オットー1世が皇帝となり、神聖ローマ帝国が成立した。 ③ カノッサで、皇帝が教皇に謝罪した。 ④ イギリスで、大憲章(マグナ=カルタ)が制定された。 問9 下線部⑨に関連して、小アジアを支配した次のa~cの国が年代の古いものから順 に正しく配列されているものを、下の①~⑥の中から一つ選べ。 9 a セレウコス朝 b リディア ① ④ a→b→c b→c→a ② ⑤ a→c→b c→a→b c ヒッタイト ③ ⑥ -3- b→a→c c→b→a 問 10 下線部⑩に関連して述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選 べ。 10 ① 宰相のトゥグリル=ベクは、国内各地にニザーミーヤ学院を建設した。 ② マリク=シャーはビザンツ帝国を滅ぼし、首都をイスタンブルと改称した。 ③ 第1回十字軍はセルジューク朝を滅ぼし、イェルサレム王国を建てた。 ④ イギリス王などが参加した第3回十字軍は、アイユーブ朝と戦った。 -4- 第2問 明・清とアジアの大帝国について述べた次の文A~Cを読み、下の問い(問 1~ 10)に答えよ。 モンゴル帝国が崩壊した 14 世紀ごろから、アジアでは各地に強大な専制帝国が誕生 ・成長した。中国では元にかわって登場した①明が皇帝を中心とする体制を築き、対外 的には海禁政策をとって国家が貿易を管理した。一方、これと同時期に②中央アジアに 現れたティムールはイラン・メソポタミアをあわせた大帝国を樹立し、15 世紀はじめ には明へ向けての東征を開始した。ほぼ同じころ、③明の永楽帝は大艦隊に南海遠征を 行わせており、東西の大帝国がアジア諸地域に勢力拡大を競う構図となった。 A 問1 下線部①に関連して、明で行われた政策として正しいものを、次の①~④のうちか ら一つ選べ。 11 ① 節度使の権限を弱体化させ、皇帝親衛軍を強化した。 ② 殿試を創設し、科挙制度を確立させた。 ③ 三長制と呼ばれる村落制度を行って、社会の安定をめざした。 ④ 里甲制を実施し、租税台帳・土地台帳を整備した。 問2 下線部②に関連して、ティムール朝について述べた文として正しいものを、次の① ~④のうちから一つ選べ。 12 ① ティムールは、ロディー朝を倒して北インドを支配した。 ② ティムールは、イスファハーンを都として西アジアに進出した。 ③ ティムールは、アンカラの戦いでオスマン帝国を破った。 ④ ティムール朝は、ウイグル人の襲撃によって滅びた。 問3 下線部③に関連して、永楽帝および南海遠征について述べた文として正しいものを、 次の①~④のうちから一つ選べ。 13 ① 永楽帝は、内閣大学士をおいて皇帝の補佐を行わせた。 ② 永楽帝は、首都を北京から南京に遷した。 ③ 南海遠征は、鄭成功によって行われた。 ④ 南海遠征の結果、阮朝ベトナムは明の属国となった。 -5- B ティムール朝が衰亡すると、それまで劣勢であった④オスマン帝国が勢力を回復、ア ジア・アフリカ・ヨーロッパ三大陸にまたがる大帝国を構築した。オスマン帝国は強力 な軍隊を維持し、イスラーム法による統治を行ったが、⑤征服各地の非イスラーム諸民 族に対しては一定の自治を認め、共存をめざした。 イラン高原では⑥サファヴィー朝がイラン民族意識の高揚につとめて勢力を拡大し、 16 世紀末から 17 世紀はじめにその最盛期を迎え、ヨーロッパ諸国と外交・通商関係を 結んでオスマン帝国を牽制した。 問4 下線部④に関連して、オスマン帝国の勢力拡大について述べた文として誤っている ものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 14 ① メフメト2世は、ビザンツ帝国を滅ぼした。 ② セリム1世は、ファーティマ朝を滅ぼした。 ③ スレイマン1世は、プレヴェザ海戦に勝利した。 ④ スレイマン1世は、ウィーン包囲を行った。 問5 下線部⑤に関連して、オスマン帝国内のキリスト教徒やユダヤ教徒などの共同体を 表す語として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 15 ① ミッレト ② イェニチェリ ③ デウシルメ ④ ティマール 問6 下線部⑥について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 16 ① イスマーイール1世は、「シャー」の称号をなのった。 ② 正統派であるスンナ派イスラーム教の擁護者を自認した。 ③ アラベスクと呼ばれる細密画が特に発達した。 ④ ロシアとトルコマンチャーイ条約を結んだ。 -6- C ⑦インドでは 13 世紀以来、イスラーム諸国家とヒンドゥー諸国家による「南北対立」 の情勢が続いていたが、16 世紀に成立したムガル帝国によってこの情勢に政治的終止 符が打たれた。 ア 帝の時代、ムガル帝国はイスラーム国家では初めて南端を除くイ ンド全域を支配下においたが、これは領域的には古代インドの イ 王が行った征服に 匹敵するものであった。 ⑧このころ中国では明にかわった清が強大となっており、西方ではインドに隣接する チベットやトルキスタンまでその勢力を拡げている。 ムガル帝国ではその後もヒンドゥー勢力の反抗はやまず、帝国が実質的に分裂する中、 これを利用した⑨イギリスの支配がしだいにインド全域に拡大していった。 問7 空欄 ア ・ イ に入る語句の組み合わせとして正しいものを、次の地図(1)(2) を参照しつつ、下の①~④のうちから一つ選べ。 17 (1) ① ② ③ ④ ア 帝の最大版図 ア-アクバル ア-アクバル ア-アウラングゼーブ ア-アウラングゼーブ (2) イ 王の最大版図 イ-アショーカ イ-カニシカ イ-アショーカ イ-カニシカ 問8 下線部⑦に関連して、13 ~ 16 世紀のインドについて述べた次の文aとbの正誤の 組み合わせとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。 18 a b 北インドでは、ヴァルダナ朝がヒンドゥー教を保護した。 南インドでは、デリー=スルタン朝と呼ばれるイスラーム諸国が興亡した。 ① ③ a-正 a-誤 b-正 b-正 ② ④ a-正 a-誤 -7- b-誤 b-誤 問9 下線部⑧に関連して、清の勢力拡大に関する次の年表の空欄 ウ ・ エ にあて はまる事項a~dの組み合わせとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。 19 1616 1644 1683 1758 ヌルハチ、後金を建国 順治帝、北京に入城 ウ 康煕帝、台湾を征服 エ 乾隆帝、ジュンガル部を討滅 a 八旗の創設 ① ③ ウ-a ウ-d b エ-b エ-c 三藩の乱鎮圧 ② ④ c ウ-b ウ-c 白蓮教徒の乱 d 軍機処の設置 エ-d エ-a 問 10 下線部⑨に関連して、イギリスのインドにおける拠点として誤っているものを、 次の①~④のうちから一つ選べ。 20 ① カルカッタ ② マドラス ③ ポンディシェリ ④ ボンベイ -8- 第3問 古代文明と商業の発達について述べた次の文A~Cを読み、下の問い(問1 ~ 10)に答えよ。 A オリエントでは、海の民の侵入で①エジプト新王国が衰退した後、セム系民族が交易 に活躍した。 ア 人はそのすぐれた航海技術を駆使して地中海貿易に活躍し、 イ 人はダマスクスを拠点に、ラクダによる隊商を組んで内陸貿易を行った。かれらの生み 出した文化も、その活動とともにヨーロッパや内陸アジアにもたらされることとなる。 地中海地域は平野が少なく土壌も穀物生産にはむかないため、穀物などを入手するた めには交易を行わざるを得ず、この地の人々は早くから貿易活動を積極的に行った。交 易で繁栄した②クレタ島では巨大な王権にもとずく専制国家が成立し、その後、③ポリ スを形成したギリシア人が前8世紀ごろから盛んに地中海に進出して交易を行った。 問1 空欄 ア ・ イ に入る語句の組み合わせとして正しいものを、次の①~④のう ちから一つ選べ。 21 ① ア-アラム イ-フェニキア ② ア-フェニキア イ-ヘブライ ③ ア-フェニキア イ-アラム ④ ア-ヘブライ イ-アラム 問2 下線部①に関連して、エジプト新王国について述べた文として正しいものを、次の ①~④のうちから一つ選べ。 22 ① ピラミッドが盛んに建造された。 ② この時代の文字は、ローリンソンによって解読された。 ③ 世界で初めて鋳造貨幣が作成された。 ④ アメンホテプ4世は、アトン神を崇拝させた。 問3 下線部②に関連して、クレタ島の位置として正しいものを、次の地図中の①~④の うちから一つ選べ。 23 -9- 問4 下線部③に関連して、ポリスと商業活動について述べた文として正しいものを、次 の①~④のうちから一つ選べ。 24 ① スパルタでは、ヘイロータイが商業活動に従事した。 ② 地中海に進出したギリシア人は、ビザンティオンなど多数の植民市を建設した。 ③ 商業の発達で力を増した貴族は、重装歩兵として軍隊の主力となった。 ④ ポリスでは、アクロポリスと呼ばれる広場で市が開かれた。 20 世紀後半、インド西部において、④インダス文明期の大規模な都市遺跡ドーラヴ ィーラーが発見された。この遺跡からは⑤メソポタミア産とみられる多くの土器などが 出土しており、インダス文明とオリエントの間に活発な交易が行われていたことをうか がわせる。 前1世紀のギリシア人ヒッパロスは、インド洋に吹く風が季節によって方向を変える ことを発見した。⑥この「ヒッパロスの風」を利用した季節風貿易が、1~2世紀ごろ のローマ帝国とインド諸国の間で展開された。 B 問5 下線部④に関連して述べた次の文aとbの正誤の組み合わせとして正しいものを、 下の①~④のうちから一つ選べ。 25 a b インダス文明は、中央アジアより侵入したアーリヤ人によって生み出された。 パンジャーブ地方のハラッパーなどが代表的な遺跡である。 ① ③ a-正 a-誤 b-正 b-正 ② ④ a-正 a-誤 b-誤 b-誤 問6 下線部⑤に関連して、メソポタミアの歴史について述べた文として正しいものを、 次の①~④のうちから一つ選べ。 26 ① アッシリアは、エジプトやメソポタミアなどを支配し、オリエントを統一した。 ② アケメネス朝とビザンツ帝国は、メソポタミアの領有をめぐって争った。 ③ ウマイヤ朝は、バグダードを首都としてメソポタミアを支配した。 ④ 現在、メソポタミアの大部分はサウジアラビアの領土である。 問7 下線部⑥に関連して述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 27 ① ローマ帝国は、サータヴァーハナ朝などと盛んに貿易を行った。 ② ローマ帝国は、胡椒や絹織物などをインドに輸出した。 ③ ローマ皇帝の使者が、海の道を通って秦代の中国を訪れた。 ④ インド洋の交易は、主としてジャンク船によって行われた。 - 10 - C ⑦中国の「殷」王朝は別名「商」ともいわれる。この国が滅亡した後、住民が糧を得 るために各地をめぐって交易を行ったことから「商人」の呼称が生まれたとの説もある。 しかし実際に中国で広域商業が活発になるのは春秋・戦国時代からで、特に⑧戦国時代 における諸国の富国政策は商工業を発展させ、商人がしだいに力を持つようになった。 ⑨秦の始皇帝の行った車軌の幅を統一するなどの諸改革も、商業・交易の発達をさらに 促したといえる。 問8 下線部⑦について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 28 てんそく ① 男子は纏足の風習を有した。 ② 封建制が広く行われた。 ③ すぐれた青銅器をもちいた。 ④ 文字はまだ使用されていなかった。 問9 下線部⑧に関連して、戦国時代における社会的変化について述べた文として誤って いるものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 29 ① 刀貨・布貨などの青銅貨幣が流通するようになった。 ② 長江流域で、囲田などの新田が盛んに開発された。 ③ 鉄製農具や牛耕が普及し、農業生産力が高まった。 ④ 墨家・法家などの諸子百家が、諸国で新思想を説いた。 問 10 下線部⑨に関連して、始皇帝の改革について述べた文として正しいものを、次の ①~④のうちから一つ選べ。 30 ① 経済政策として、均輸法・平準法を行った。 ② 富豪を首都の長安に強制移住させた。 ③ 交鈔と呼ばれる紙幣を、統一通貨とした。 ④ 焚書・坑儒と呼ばれる思想統制策を行った。 - 11 - 第4問 18 世紀までのイギリスとフランスの関係について述べた次の文A~Cを読み、 下の問い(問1~ 10)に答えよ。 A ① 11 世紀から 12 世紀にかけて、イギリスではフランス出身の大貴族が次々国王とな った。イギリス国王は一時フランスの半分近くを領有し、このため英仏の対立はしだい に激化、ついには②百年戦争となった。この戦争に勝利したフランスは③フランスのほ ぼ全土からイギリス勢力を放逐し、また 12 ~ 13 世紀の ア によって南フランスを征 服するなど、着実に王権をフランス全土に拡大していった。敗れたイギリスでもこの直 後に イ が起こって貴族がさらに弱体化し、テューダー朝時代の絶対王政を準備した。 問1 空欄 ア ・ イ に入る語句の組み合わせとして正しいものを、次の①~④のう ちから一つ選べ。 31 ① ア-アルビジョワ十字軍 イ-バラ戦争 ② ア-アルビジョワ十字軍 イ-ワット=タイラーの乱 ③ ア-教皇のバビロン捕囚 イ-バラ戦争 ④ ア-教皇のバビロン捕囚 イ-ワット=タイラーの乱 問2 下線部①について述べた次の文aとbの正誤の組み合わせとして正しいものを、下 の①~④のうちから一つ選べ。 32 a b 11 世紀、ヘンリ2世がイギリス王となってノルマン朝を開いた。 12 世紀、アンジュー伯がイギリス王となってプランタジネット朝を開いた。 ① ③ a-正 a-誤 b-正 b-正 ② ④ a-正 a-誤 b-誤 b-誤 問3 下線部②に関連して、この戦争の原因の一つで ある、英仏が争奪の対象とした重要な毛織物産地の 位置として正しいものを、右の地図中の①~④のう ちから一つ選べ。 33 - 12 - 問4 下線部③に関連して、百年戦争終結後もイギリスがしばらく保持したフランス内の 都市として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 34 ① ブリュージュ ② アヴィニョン ③ カレー ④ オルレアン 16 世紀の宗教改革後、④イギリスは新教国となってしばしばカトリック国フランス と対立した。⑤イギリスがオランダと戦争を始めると、 ウ はフランスの協力を得る ため、フランスと密約を結んでカトリックを復活させようとしたが、議会が エ を制 定して対抗したため、不成功に終わった。 B 問5 空欄 ウ ・ エ に入る語句の組み合わせとして正しいものを、次の①~④のう ちから一つ選べ。 35 ① ウ-ジェームズ1世 エ-カトリック教徒解放法 ② ウ-ジェームズ1世 エ-審査法 ③ ウ-チャールズ2世 エ-カトリック教徒解放法 ④ ウ-チャールズ2世 エ-審査法 問6 下線部④に関連して、イギリスの宗教改革について述べた文として正しいものを、 次の①~④のうちから一つ選べ。 36 ① ヘンリ8世は首長法を廃止し、教皇を首長とするカトリック教会から独立した。 ② エドワード6世は、一時カトリックを復活し、新教徒を弾圧した。 ③ メアリ1世は、カルヴァン主義にもとづく祈祷書を制定した。 ④ エリザベス1世は、統一法を発布してイギリス国教会を確立した。 問7 下線部⑤に関連して、イギリスとオランダの関係について述べた文として誤ってい るものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 37 ① イギリスは、オランダの独立戦争を支援した。 ② イギリスの航海法は、オランダに打撃を与えた。 ③ イギリスは北米のオランダ植民地ケベックを占領し、ニューヨークと改称した。 ④ 名誉革命によって、オランダ総督がイギリス王となった。 - 13 - C 同じころ、大陸では以後2世紀半におよぶ⑥フランス王家とハプスブルク家の対立が 始まり、この対立の影響は、⑦スペイン王子フェリペ(のちの国王フェリペ2世)とイ ギリス女王が結婚するなど、一時イギリスにも及んだ。17 世紀末から 19 世紀初めにか けては、⑧「第二次百年戦争」とよばれる英仏の植民地戦争が続けられた。 問8 下線部⑥について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 38 ① イタリア戦争では、フランス王ルイ 14 世と神聖ローマ皇帝カール5世が戦った。 ② 三十年戦争では、フランスはドイツの新教徒を支援して皇帝軍に対抗した。 ③ スペイン継承戦争では、ハプスブルク家のスペインがフランスと戦った。 ④ 七年戦争では、イギリスなどと結ぶオーストリアがフランスと戦った。 問9 下線部⑦について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 39 ① 神聖ローマ皇帝を兼ね、フランスとイタリア戦争を戦った。 ② ポルトガルを一時併合し、「太陽の沈まない帝国」を現出させた。 ③ アルマダ海戦で、イギリス海軍を撃破した。 ④ 国内のカルヴァン派を保護し、商工業の育成に努めた。 問 10 下線部⑧に関連して、イギリスとフランスの植民地抗争について述べた次の文a とbの正誤の組み合わせとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。 40 a b 北アメリカでは、イギリスとフランスがフレンチ=インディアン戦争を戦った。 モルッカ諸島では、アンボイナ事件でフランスがイギリスに勝利した。 ① ③ a-正 a-誤 b-正 b-正 ② ④ a-正 a-誤 - 14 - b-誤 b-誤 第5問 哲学・思想・学問とそれを確立・総合した人物に関する次のA~Cの文章を 読み、下の問い(問1~ 10)に答えよ。 A 訓詁学とは、 ① を目的とする学問のことである。訓詁学は前漢に始まったが、 後漢時代の2世紀に登場した鄭玄によって大成された。 鄭玄は山東の出身で、②後漢の都に赴いて 10 年のあいだ様々な学問を学んだ。鄭玄 はこの間に訓詁学の大家である馬融にも師事している。当時は③党錮の禁による混乱 のころで、官吏になる道は一時閉ざされていた。そのためか、鄭玄はその後官吏にな る道を選ばず、生涯民間の学者として研究に努力し、様々な学問分野の知識を活用し つつ訓詁学を大成した。 (鄭玄) 問1 文章中の空欄①に入れるのに最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 41 ① 宇宙や人間の本質の究明 ② 経書の字句解釈 ③ 自然現象の合理的解釈 ④ 理想的な社会秩序の実現 問2 下線部②の都市について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ 選べ。 42 ① この都市の郊外に、竜門の石窟寺院が建立された。 ② 隋や唐も、この都市を首都とした。 ③ 渭水流域にあり、秦が軍事都市として建設した。 ④ この都市を中心に、六朝文化が栄えた。 - 15 - 問3 下線部③について述べた次の文aとbの正誤の組み合わせとして正しいものを、次 の①~④のうちから一つ選べ。 43 a b 官僚や学者が、宦官を弾圧した事件である。 この事件は、黄巾の乱の直後に起こった。 ① ③ a-正 a-誤 b-正 b-正 ② ④ a-正 a-誤 b-誤 b-誤 B スコラ学の大成者トマス=アクィナスは、幼年期に④モンテ=カシノ修道院に入り、 その後ナポリ大学に移ったが、ここで家族の反対を押し切ってドミニコ会に入会、同じ ドミニコ会士で師のアルベルトゥス=マグヌスの推薦で、神学の権威である ⑤ 大学 の教授となった。トマスはヨーロッパ各地のドミニコ会学校で教授する一方、精力的に 著作活動を行い、『神学大全』で信仰と理性の調和を図りつつ、「普遍は個物に先だって 実在する」として、当時⑥スコラ学者の間で行われていた普遍論争を調停した。 トマス=アクィナスにいたってスコラ学は壮大な大成を遂げるが、これには⑦アリス トテレス哲学の大きな影響があったことも忘れるべきではなかろう。 (トマス=アクイナス) 問4 下線部④について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 44 ① ベネディクトゥスによって創立された。 ② フランス東南部に建設された。 ③ グレゴリウス7世は、この修道院から起こった改革運動を推進した。 ④ 教会大分裂(大シスマ)を収拾する公会議が開かれた。 - 16 - 問5 文章中の空欄⑤に入れる都市名として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選 べ。 45 ① パリ ② サレルノ ③ ベルリン ④ ボローニャ 問6 下線部⑥に関連して述べた文a~cの正誤の組み合わせとして正しいものを、次の ①~⑥のうちから一つ選べ。 46 a b c アンセルムスは、唯名論(名目論)を唱えた。 アベラールは、実在論を唱えた。 ロジャー=ベーコンは、実験を重視した。 ① ③ ⑤ a-正 a-正 a-誤 b-正 b-誤 b-誤 c-正 c-誤 c-正 ② ④ ⑥ a-正 a-誤 a-誤 問7 b-正 b-正 b-誤 c-誤 c-正 c-誤 下線部⑦について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 47 ① 万物の根元を探求し、それを「原子」であると説いた。 ② イスラームの学問に大きな影響を与え、イブン=ルシュドなどによる研究が進ん だ。 ③ 「人間は万物の尺度」と述べ、普遍的真理の存在を否定した。 ④ 徹底した禁欲によって、個人の内面の幸福が得られると説いた。 - 17 - ⑧ 1724 年にプロイセンのケーニヒスベルク市に生まれたカントは、大学在学中にニ ュートン力学の影響を受け、卒業後、のちに ア によって「宇宙進化論」として発展 させられる星雲説を発表した。カントはその後ケーニヒスベルク大学教授となり、論理 学や形而上学など様々な学問を講じるかたわら、 イ などを著して⑨経験論哲学と合 理論哲学を総合し、ドイツ観念論哲学を成立させた。 C (カント) 問8 文章中の空欄 ア と イ に入れる語の組み合わせとして正しいものを、次の① ~④のうちから一つ選べ。 48 ① ア-ラプラース イ-『リヴァイアサン』 ② ア-ラプラース イ-『純粋理性批判』 ③ ア-ハーヴェー イ-『リヴァイアサン』 ④ ア-ハーヴェー イ-『純粋理性批判』 問9 下線部⑧に関連して、カントが生まれたころのプロイセンの状況について述べた文 として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 49 ① フリードリヒ2世は、ロシア・オーストリアとポーランド分割を行った。 ② ナポレオンによって首都を占領され、屈辱的な条約を結んだ。 ③ 三十年戦争に新教徒側で参戦し、勝利して領土を拡大した。 ④ フリードリヒ=ヴィルヘルム1世は軍備を増強し、絶対王政の基礎を確立した。 問 10 下線部⑨について述べた次の文aとbの正誤の組み合わせとして正しいものを、 次の①~④のうちから一つ選べ。 50 a b 経験論はデカルトにはじまり、フランスを中心に広まった。 帰納法に基づく合理論は、特にイギリスで発達した。 ① ③ a-正 a-誤 b-正 b-正 ② ④ a-正 a-誤 - 18 - b-誤 b-誤