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<哲学教育の実践報告>
モンテーニュの限界についての名答集
(高校1年必修科目「倫理」より)
平成 28年2月
1
東洋大学京北高校では、
「哲学教育」の実践の一部として高校 1 年で「倫理」を必修科目として
います。
「倫理」の授業では、教師が一方的に講義をするのではなく、哲学対話の形式を取り入れ、
「
『自分』はどこにいる?」
「どんなに疑っても絶対に疑いきれないものは?」など、生徒たちが自
由に語り合い、自ら探究する姿勢を育むことに取り組んでいます。そのため定期考査も、空欄補充・
一問一答、正誤選択などの問題だけではなく、全体の約6割を論述形式で出題しています。
以下は、12 月に行われた後期中間考査の論述問題の一部ですが、生徒たちの解答には、その視
点の鋭さやユニークさという面で、思わず大人も唸ってしまうような「名答」がたくさんありまし
た。
「哲学する」生徒たちの姿の一端をご覧いただければと思います。
<後期中間考査問題より(抜粋)>
【7】 以下の問いに答えなさい。ただし、下線のポイントには必ず言及すること。
問1 モンテーニュは、悲惨な宗教戦争を経験し、人間というものが、人類救済の悲願をかかげている宗教
の名においてさえ、凶暴性を発揮する動物であることを痛いほど実感した。彼は、こうした悲惨さが生
じる原因を何だと考えたか。また、それに対して、人間の望ましいありかたはどのようなものだと考え
たか。
「ク・セ・ジュ」という言葉の意味を明らかにしつつ、詳しく述べなさい。
(10 点)
問2 現在、モンテーニュの生きた時代から 400 年以上が経過している。しかし残念ながら、現代を生きる
私たちも、彼と同じように、様々な「人間の悲惨」を日々目の当たりにしている。それは、モンテーニ
ュの考えが非常に印象的で示唆的であるにも関わらず、この考えだけでは、人間の引き起こす問題を解
決できないことを意味しているだろう。
、、、、
問1で答えたモンテーニュの考えでは解決できないと思われる問題を、具体的に1つ挙げなさい。そ
の上で、なぜそれでは解決できないと考えるのか、理由を述べなさい。
(8点)
→次ページからの名答集をご覧ください。
◆モンテーニュ(1533~1592)について◆
悲惨な宗教戦争(ユグノー戦争)の時代を生きたモンテーニュは、人間が自己の価値観に間違いはないと
思い込む不遜さや、自己を謙虚に見つめようとしない精神的怠惰、そこから生じる独断や偏見、不寛容が、
人間の悲惨を生み出すと考えました。
「我、何をか知る(ク・セ・ジュ)
」という彼の言葉は、批判精神をも
って自分自身を吟味し続ける謙虚な態度をあらわしています。
2
モンテーニュの限界についての名答集
(
【7】問2の解答より)
★すでにある経済格差や社会構造は、懐疑するだけではなくならない
・ テロは解決できない。なぜなら、テロの原因のひとつは経済格差だと考えられるが、これは、自分の考えを謙
虚に疑うだけではなくならない。また、モンテーニュの考えているような批判精神は、あまりにも相手との格
差があるときには発揮できそうにない。他国を羨む気持ちは、懐疑では消えない。だから、モンテーニュの考
えではテロはなくならない。
・ モンテーニュには、貧富の差があるという考えが欠けている。彼のような懐疑は貴族にしかできないはずだ。
ひどく貧しい暮らしをしている人々は、人の考えを聞きたくても聞けないし、自分の考えを伝えたくても伝え
られない。そういう人々は、結局、自分自身の考えを信じるしかなくなる。
・ 戦争は、貧困や格差から起きる。どうしてもやっていけなくなった貧しい国が、富める強国に対して戦争を起
こす。こうしたとき、自分を見つめ直しても、自分が変わるだけで国が変わるわけではない。
・ 資源をめぐる争いは、資源の量が限られていることによるものであるから、信念を疑っても解決しない。
・ 貧困は、歴史上の出来事など、これまでの様々な事柄の積み重ねによって起きている。それは、考えを疑うこ
とでは変わらない。
・ 貧困は、環境や自然の状態によっても引き起こされるものだから、考えを疑っても解決できない
・ 盗難はなくならない。貧しさゆえ、生き延びるためにしかたなく食べ物を盗む人もいるから。
・ 飢えによる争いは、生き延びるために行われていることだから、それぞれが考えを疑っても解決しない。謙虚
になっても資源やお金が増えたりはしない。
・ 子どもを児童養護施設に置いていく母親がいることは、
モンテーニュの考えだけでは解決しない。
彼女たちは、
自分に子どもを育てられる条件が揃っているかをよく考えた上で、子どもの一番の幸せを考えて、泣く泣く施
設に預けている。こうした事態は、懐疑では解決できない。
★もうすでに争いが起きている世の中では、モンテーニュの懐疑は無意味(理想状態でなければ機能しない。
)
・
いままでいじめられてきた人の恐怖、悲しみ、怒り、憎
しみは、いくら懐疑してもなくならない。だから、どう
しても再びいじめが起きてしまうと思う。
・
すでに戦争が起きている世の中では、自分の考えを疑っ
ていたら、殺されてしまう。
・
自分の国が和解したくても、まわりの国が戦っていると
きは、戦わざるをえなくなる。
・
歴史を乗り越えるのは難しい。日本のことを、中国や韓
3
国の人が良く思えないのは、侵略の歴史があるからだ。そうしたことは、考えを疑うことで変えるというの
は難しい。
★まわりにも同じ考えの人しかいない場合は、謙虚になっても考えが変わらない
・
テロを行う人たちは、まわりの人から同じ考え方・生き方しか教えられていない。さまざまな生き方や考え
方を学ぶ機会を、そもそも得ることができない。
・ 差別は解決できない。たとえば人種差別は、必ずしも自分の考えだけで差別しようとしているのではない。国
やまわりの大人から、一種の洗脳を受けて、そう考えるようになってしまった。まわりの人もみんな同じ価値
観を持っているなら、疑うのも、まわりの人々から考えを学ぶのも、難しいはずだ。また、こうした場合には、
どうしてそんな考えを持つようになったのかを説明することもできず、疑うのも難しい。
★理由のない悪事は、懐疑しても止めることができない
・
いじめは解決できない。いじめの動機の中には、
「なん
となく」
「むしゃくしゃしたから」というような、特に
理由のない、不合理なものがある。
こうしたいじめは、
いくらいじめている人が自分の考えを疑っても、そも
そも考えや理由はないのだから、その行動を止めるこ
とはできない。
・
無差別殺人は解決できない。なぜなら、こうした事件は、誰でもいいから殺したいという理不尽な理由から、
突発的に起きる。その気持ちを疑っても、解決することはできないと思う。
・
兄弟げんかは解決できない。兄弟がずっといっしょにいると、わけもなく腹が立って、暴言を発してしまう
ことがある。後になればどうでもよいことで争っていたことに気づくが、こうしたことは、相手の考えを理
解したところで収まることではないと思う。
・
精神的な病によって殺人を犯す人がいるのは、もともと、その人の考えや意志に基づいて行っているわけで
はないのだから、考えを疑ってみても止められない。
★悪いとわかっているのにやっている場合、懐疑しても行動を止めることができない。
・
いじめは解決できない。なぜなら、いじめる人も、それを見ている人も、自分で自分のやっていることが悪
いことだとわかっている。だから、自分が正しくないかもしれないと疑っても、いじめが止むことはない。
・
自分には必要ないとわかっていても衝動買いをするなど、人は欲に駆られると、間違っているとわかってい
てもやってしまうことがある。だから、懐疑では解決しないことがある。
・
犯罪者の中には、いけないことだとわかっていながら、踏み越えてはいけない一線を踏み越えてしまう人も
いる。そうやって踏み越えてしまうのを、懐疑して止めるのは難しいと思う。
4
★どうしても相容れない、妥協不可能なゴールを目指している場合、最後は決裂してしまう
・
沖縄の普天間基地移設問題は、日本政府の考え、沖縄の考え、アメリカの考えそれぞれが、背反しており、
かつ妥協不可能である。こういう場合、いくら自己の考えを疑い他者を容認しようとしても、最後は決裂し
てしまう。
・
領土問題は解決できない。物として境界があるわけではないから、お互いに主張をしあうしかない。もし、
お互いに自分の考えを疑い、譲り合うと、その土地はどこの国のものでもなくなってしまう
・
ここを譲ってしまったら死活問題だ、というものが互いに一致してしまった場合、譲りようがなくなってし
まうのではないか。
・
2人で1つの食料を取りあわなければならなくなった場合。一方が取れば、一方は死ぬことになる。半分に
すると、食料が足りず、どちらも死んでしまう。こうした場合には、争いは避けられない。
・
好きな人が重なるのは、どうしようもない。互いに謙虚になっても、誰も結ばれなくなるだけ。どちらも自
分の思いを貫けば、嫉妬や争いが起きる。だから、問題は解決しない。
★本当にどちらも正しいときは、疑ってみてもしかたがない
・
会社のミスで、映画館や飛行機などで、同じ席を予約した人が2人いたとする。こういう場合、2人がお互
いに譲り合っても、どれだけ互いの意見を取り入れたり、自分の考えを疑ったりしても仕方がない。なぜな
ら、どちらもその座席を予約したというのは正しいのだから。
★疑っても変わらないものがある
・
「きのこの山」派と「たけのこの里」派の争いは解決できない。双方の考えは味覚で決まるが、味覚はいく
ら疑い考え直しても変わらないため、好みの判断も覆ることはないからである。
・
味覚については、人それぞれ違っているということがわかっている。だから、何かを好きな人と嫌いな人が
いた場合、互いの好みを聞き自分の好みを疑ってみても、無意味である。
・どんな顔がかっこいいかについての対立は、調停することはできない。すべての人にかっこいいと思って
もらえる顔を目指すこともできない。
・自分が五感で感じていることは、自分だけの感覚なので、疑ったり、他人の意見で変えたりすることは難
しい。
・だれかのことを好きになれない、という気持ちそのも
のは、考えても無くならないと思う。だから、たとえば、
懐疑によっていじめが一度止まったとしても、何度も何
度も、再びいじめが始まってしまうのではないか。
・
人間の欲はなくならない。だから、そこから始まる争い
もなくすことは難しい。
5
★真偽、善悪など、正しいことと間違ったことがはっきりしている場合もあるはず
・
モンテーニュの考えのとおりにすると、科学は発展しなくなる。なぜなら、科学は正しい考えと間違った考
えを明らかにし、区別していくことによって、発展するものだから。モンテーニュのように考えると、何も
かもが正しいことになってしまう。
・
万引き、ドラッグ、いじめ、その他犯罪など、悪いことをしている人がいたら「それはいけない」と止めな
ければならない。誘われたら断固として断らなければならないし、罪を犯してしまったら、きちんと裁かな
ければならない。でも、モンテーニュのように考えると、何が善で何が悪かをはっきりさせることが難しく
なる。
・
罪を犯した人を裁くためには、確固としたルールが必要である。
・
懐疑を続け、他者の考えを尊重するということが行き過ぎると、冤罪を招きやすくなる。
・
モンテーニュの考えに従うと、人の間違いを正すということができない。
・
特に、教師と生徒の関係には問題が生じるはずである。なぜなら、教師は正しいことを生徒に教え導く必要
があるのに、それができなくなるから。
★モンテーニュの懐疑を突き詰めた結果、問題が起きてくる
・
全員が、つねに自分の考えを疑うとする。それを突き詰めていくと、何もかも疑い続けなければならなくな
り、みなで何かを決めたり、ひとまず行動したりすることが、難しくなっていってしまう。
・
いつも自分の考えを疑うのならば、次第に、考えを持つことそのものが無意味になってしまう。自分の意見
そのものの存在意義が疑わしくなる。また、その結果、自分の考えや意志が無くなってしまう。
・
考えの吟味というのは、果てしなく、終わりのないものだから、無限にそれが続いてしまう。
・
モンテーニュのように懐疑を続ければ、そもそも「知る」という言葉自体が無意味になる。疑いすぎると、
何もわからなくなって、確かなことは何もなくなってしまう。みんなの考えがどんどん変化し続けるだけに
なってしまう。
・
モンテーニュの考えに従うと、そもそも「正しい」とか「善い」といった言葉がなくなる。そうした言葉は
意味を持たなくなる。
・
モンテーニュの「自分の考えを疑うべき」とい
う考えを疑うと、どうしたらいいかわからなく
なる。自己矛盾に陥るからだ。
・
人は、自分たちが正しいという考えで、心を支
えている。自分の考えを疑ってばかりいると、
そうした心の支えがなくなってしまう。
6
★決断や行動が求められるとき、モンテーニュの考えでは弱い
・ 政治では最終的には一つの判断が必要である。そういうとき、モンテーニュのように懐疑を続けてしまうと、
しっかり結論を出して、実行するという力が弱くなる。
・懐疑していると、現状の打開や発展に向かうことが難しくなる。
・
自分の考えにつねに疑いを差し挟んでいると、緊急時にうまく対応できない。たとえば、災害が起きて、避
難指示を出すときなど
・
自分の将来を決めるときには、懐疑ではなく、確固とした信念や決断が必要である。人に相談することはで
きるが、その人生を生きていくのは自分自身なのだから。
・
モンテーニュに従うと、リーダーシップを取れる人がいなくなってしまう。人々は、リーダーになる人が自
分の意志や信念を貫く姿に惹かれるのだと思う。みながモンテーニュの言うように自分の考えを疑い、謙虚
に考えていたら、頼りないリーダーばかりになってしまう。大統領など、国を治めたり率いたりする立場の
人は、自分を疑ったり人の意見を聞くだけではなく、
決断や行動が必要である。
・
選挙のときには、人の意見を聞いて自分の考えを曲げ
るのではなく、人と自分の意見の違いをはっきりさせ
ながら、自分の立場から主張をしなければならない。
・
サッカーでパスかシュートかという場面、野球でバッ
ターボックスに入ったとき、バスケで1対1になった
ときなどは、とっさの判断が大切だ。自分の考えを疑
うのではなく、考える前に行動しなければならない。
★モンテーニュはデカルトによって乗り越えられた
・
「我思う、ゆえに我あり」とデカルトが言ったように、
「考えている自分がいる」という考えは、どうして
も疑えなかった。モンテーニュも、これだけは絶対確実だと認めざるをえないはずだ。
★自己否定によって起きる問題は、解決しないか、むしろ悪化する
・
自分の悪いところ、自分のどうしようもない悲惨さは、自分では解決できない。
・
自殺は解決できない。自殺する人たちは、自分の考えを見つめ直した結果、自分の生き方はよくないと感じ
て、自殺するのだと思う。だから、これは懐疑によって解決するようなことではない。モンテーニュのいう
ような懐疑では、もっと自分の中に溜め込んでしまって、かえって自殺につながるかもしれない。自分を疑
うと、不安が強まり、冷静さを失ってしまう。
・
自殺する人は、ものすごく追い込まれていて、自分を見つめ直すことも、他の人に相談することもできない
まま、死んでしまうのだと思う。
・
モンテーニュの考えには、自分をほめることが入っていない。
7
・
いまいる自分が嫌いだ、受け入れがたい、という思いは、懐疑しても消えない。だから、そういう気持ちで
違法ドラッグを買う人がいるという問題も、解決できないと思う。
★技術の問題や、人間の限界は、懐疑や議論では解決しない
・
人間がすでに作ってしまった車や道具が起こす事故や暴走などは、これから人々が考え方を懐疑しても、止
めることはできない。
・
環境問題は解決できない。この問題は、人間の技術革新や行動によって引き起こされたものだ。だから、言
論のみでは解決できないはずだ。
・
どんなに気をつけていても、自分の考えを疑ったり人の考えを学んだりしても、不注意なミスによる悲劇は
なくならない。
★緊急時にはモンテーニュの考えは役に立たない
・
ケガしている家族を残して津波から自分だけ逃げた人がいたとしたら。
その人の行動は「人間の悲惨」に見えるかもしれない。でも、自分は間
違っていると思い直して、家に引き返しても、ケガした家族どころかそ
の人自身も助からなくなってしまう。これはモンテーニュでは解決でき
ない。
・
大事故が起きて、まわりに重傷の人がたくさんいる場合、懐疑していた
ら時間がなくなってしまい、死者が出るかもしれない。こうしたときは
とっさの判断が必要である。
・
火事が起きたら、やはり一番に自分が逃げると思う。これは本能からく
るものなので、変えられない。
・
自分の命と相手の命とどちらかしか助からない場合は、どうしても自分を優先する。こういう気持ちは変え
られない。
★信仰の問題は解決しない
・
宗教的な信仰とは、疑わしいことを、それでも信じるということである。信じようとせずに、疑い続けるこ
とは、信仰に背くことになる。だから、宗教的な信仰に基づく問題は、懐疑では解決しないはずだ。懐疑し
つつ信仰をもつということは矛盾する。
・
信仰に基づいて行動している人々は、自分の考えではなく、神の考えや意志を優先し、神に従っているのだ
と考えている。だから、それを疑うというのは難しい。
★経験の差による問題は解決しない
・
ほとんどの人が経験したことがなく、ごく少数の人(もしかすると一人だけ)が経験した事柄については、
8
経験した人の言葉がそのまま真実となってしまい、疑うことも、他人の考えを考慮することも難しい。たと
えば、人の肉の味や、月を踏んだ感触など。
★言論だけではたどりつけない真理もある
・
数学では、公式を知らなければいくら考えても解けない問題がある。このように、どうしても知識が必要な
場面では、知るべき事柄を知らない人だけで考え話し合ったとしても、問題は解決できない。
★どう行動しても悲惨につながってしまう場合もある
・
A を殺そうとしている B がいるとき、A を守るために B を殺したとする。そうすると、B を殺してしまった
という意味で悲惨な状態が起きる。でも、それを避けるために何もしなければ、A が殺されてしまう。いず
れにしても、人間の悲惨は避けられない。
★争いを回避しても積極的な平和には至れない
・
争うことは嫌だと思ったとしても、どんな状態を「平和」と思うかは、人によって違う。小さな諍いがある
くらいがちょうどいいと思う人もいれば、それも嫌だと思う人もいる。だから、
「人間の悲惨」がなくなって
も、100%の平和が訪れることはない。
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諸学の基礎は哲学にあり
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