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PDFファイル - 應用外語系日文組
高 苑 科 技 大 學 Kao Yuan University 院別:商業暨管理學院 系別:應用外語系 學制:日間部四年制大學部 104 學年度 專題研究報告 題目: (日)台湾のタバコ (中)台灣的香菸 研究組員 學號 姓名 學號 姓名 4001003635 黃治承 4000103619 張軒愷 4001102105 蔡宥然 4001103223 徐毓瑩 4001103249 蘇皇翰 40011B2176 林俊宇 指導老師:稲垣孝雄 中華民國 104 年 12 月 高 苑 科 技 大 學 Kao Yuan University 院別:商業暨管理學院 系別:應用外語系 學制:日間部四年制大學部 104 學年度 專題研究報告 題目:台灣的香菸 研究組員:黃治承、張軒愷、蔡宥然、徐毓瑩、蘇皇 翰、林俊宇 指導老師: (親自簽名) 經 審 查 合 格 特 此 證 明 專題審查委員: 召集人: 委員: 委員: 中華民國 104 年 12 月 (親自簽名) (親自簽名) (親自簽名) 目次 序論(林俊宇) ..................................................................................................................................... 1 第 1 章 タバコの歴史......................................................................................................................... 2 1-1 タバコの原産地(蔡宥然)............................................................................................... 2 1-2 タバコの伝播 ....................................................................................................................... 4 1-3 喫煙方法の変化 ................................................................................................................... 5 1-4 台湾のタバコの歴史(蘇皇翰) ...................................................................................... 7 第 1 章 まとめ........................................................................................................................... 12 第 2 章 台湾の葉タバコ栽培 .......................................................................................................... 13 2-1 タバコの国内生産量・耕作面積・産地分布の歴史的変化(蔡宥然) ..................... 13 2-2 タバコの製作過程(張軒愷) ........................................................................................ 18 2-2-1 葉タバコの栽培と収穫 ......................................................................................... 18 2-2-2 葉タバコの乾燥...................................................................................................... 22 2-2-3 タバコの包装.......................................................................................................... 25 第 2 章 まとめ........................................................................................................................... 27 第 3 章 菸樓とタバコ農家(林俊宇).......................................................................................... 28 3-1 各地の菸樓と種類 ............................................................................................................. 28 3-1-1 「菸樓」とは.......................................................................................................... 28 3-1-3 各地の菸樓.............................................................................................................. 30 3-2 菸樓の衰退と再利用 ......................................................................................................... 34 3-2-1 菸樓の衰退.............................................................................................................. 34 3-2-2 菸樓の再利用.......................................................................................................... 34 第 3 章 まとめ........................................................................................................................... 37 第 4 章 台湾のタバコの系譜(黃治承)...................................................................................... 38 4-1 日本統治時代のタバコ..................................................................................................... 38 4-1-1 専売制度前のタバコ ............................................................................................. 38 4-1-2 専売制度後のタバコ ............................................................................................. 40 4-2 戦後のタバコ ..................................................................................................................... 49 4-3 現在売られている国産タバコ ........................................................................................ 63 第 4 章 まとめ........................................................................................................................... 66 第 5 章 台湾の喫煙環境の変化(徐毓瑩).................................................................................. 67 5-1 タバコ煙害防止法 ............................................................................................................. 67 5-1-1 制定と改正.............................................................................................................. 67 5-1-2 喫煙が規制される場所 ......................................................................................... 67 5-2 タバコの値段の変化 ......................................................................................................... 70 5-3 喫煙率の変化 ..................................................................................................................... 71 第 5 章 まとめ........................................................................................................................... 75 結論(黃治承) ................................................................................................................................... 76 参考文献(蔡宥然)........................................................................................................................... 78 序論 世界にはアルコール飲料、炭酸飲料、コーヒー、お茶、お菓子、タバコなどいろいろな 嗜好品があるが、その中で他人の健康にも直接影響を与えるのはタバコである。 台湾のタバコは日本統治時代から専売制度が行われ、 政府の重要な税収の 1 つであった。 また、台北の松山タバコ工場は台湾のタバコ産業の歴史において重要な地位を占めるが、 その跡地利用をめぐって、近年いろいろな問題が出てきてニュース報道されている。 しかし、このタバコについて私たちは深く理解しているとは言えない。例えば、タバコ という植物はいつ台湾に伝わったのだろうか。どのように栽培され、製品化されるのだろ うか。台湾のタバコ産業はどのように盛衰してきたのだろうか。 このレポートは、台湾のタバコをテーマにして、台湾のタバコの歴史、製品、盛衰を日 本人や日本語学習者に知ってもらうことを目的としている。 レポートの構成は以下のようになっている。まず、第 1 章「タバコの歴史」でタバコの 原産地や伝播、喫煙方法の変化などを紹介する。次に、第 2 章「台湾の葉タバコ栽培」で タバコの国内生産量、耕作面積、産地分布の歴史的変化とタバコの栽培と収穫、乾燥、包 装などの生産過程を紹介する。次に、第 3 章「菸樓とタバコ農家」では、葉タバコを乾燥 する場所「菸樓」の種類と盛衰などを紹介する。次に、第 4 章「台湾のタバコの系譜」で は、日本統治時代のタバコ、戦後のタバコと現在売られているタバコなどを紹介する。最 後に、第 5 章「台湾の喫煙環境の変化」では、喫煙を規制する法律、タバコの値段の変化 と喫煙率の変化などを紹介する。 研究方法は、書籍、論文の資料、及びインターネット上の資料など文献調査を中心に行 う。1 1 本レポート中の中国語の漢字に使用するフォントの規則及び脚注と図表の番号について説明しておく。本文中、 中国語の人名・地名・会社名などの固有名詞のうち、日本語文字コード上にも同じ漢字がある場合は、日本語フ ォントの「MS 明朝」 (MS Mincho)を使用し、それ以外は中国語フォント「新細明體」 (PMingLiU)を使用し た。また、この規則に従い、図表の表題及び表中の一部分は太字フォントの「MS ゴシック」 (MS Gothic)と「標 楷體」 (DFKai-SB)を使用した。ただし、脚注部分と参考文献一覧の部分は、中国語の著者姓名・論文名・書籍 名・ウェブサイト名の漢字にすべて中国語フォント「新細明體」 (PMingLiU)を使用した。また、中国語の中で も、簡体字中国語の場合は、すべて簡体字中国語フォント「SimSun」を使用した。脚注と図表の番号は、読み やすさと筆者が複数のレポートであることを考慮して、各ページごとに番号を振った。 1 第 1 章 タバコの歴史 本章はタバコの原産地、タバコの伝播、喫煙方法の変化及び台湾のタバコの歴史につい て説明する。 1-1 タバコの原産地 タバコの原産地について、JT「たばこワールド」のウェブサイト1は以下のように述べて いる。 数あるタバコの研究の中でも大きなテーマの 1 つは、タバコの原産地に関することで した。この問題に対して、植物学をはじめとした学者の多くは、ジャガイモやトマトな どの作物と同様に、タバコはアメリカ大陸が原産地だろうと考えていました。しかし、 この見解とはまったく違う説も存在したのです。 15 世紀中ごろから 17 世紀にかけてのヨーロッパは、まさに大航海時代のまっただな か。ヨーロッパ人は広く海外に進出し、アジアの国々と東西文化の交流も盛んになりま す。そうした中で、植物学だけでなく、歴史学、考古学などの分野でタバコを研究して いた学者は、各地で調査をしたり、海外帰りの旅行家や商人から話を聞くなどして、原 産地をつきとめようとしました。すると不思議なことに、タバコはアメリカ大陸以外の ヨーロッパや中国、 アフリカ大陸などでも古くから見られたという説が出てきたのです。 その後も多くの学者がこのテーマに取り組みますが、原産地に関する統一した見解は ないまま。この問題は 20 世紀へと持ち込まれるのです。 このように、大航海時代のヨーロッパでは、アメリカ大陸以外でも古くからタバコが見 られたという説があり、タバコの原産地について統一した見解はなかった。さらに、タバ コの原産地の諸説について、JT「たばこワールド」のウェブサイト2は、以下のように紹介 している。 「ヨーロッパ」原産説:タバコはヨーロッパに自生していた植物であり、コロンブス の新大陸到達(=1492 年)以前から、各地で採取されていたとする説。タバコと似てい る同じナス科の植物・ヒヨスがヨーロッパには自生していたこと。また、アメリカ大陸 到達から間もない時期に探検した人の中には、タバコについて何も語っていない人もい たことなどが、その根拠となっています。 「アフリカ大陸」原産説:西アフリカに 5 世紀以前には存在していたとされる、アラ ブ語で“tubbaq”と呼ばれる植物こそがタバコであり、 “tabacco”の語源もそこから来ている とする説。ヨーロッパ人がアフリカ大陸を訪れる以前から、その地に野生化したタバコ の姿が見られたことが、その根拠となっています。 「中国・アジア」原産説:アメリカ大陸到達より以前から、中国やモンゴルなどアジ ア地域では喫煙習慣があったとする説。古い時代の彫刻の中などにパイプのようなもの 1 JT『たばこワールド』 「たばこジャーナル/文化/たばこクロニクル/2007 年/世界中にあったタバコの原産 地説」http://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/chronicle/2007/03/01.html 2015.04.29 2 同上 2 が描かれていることや、アメリカ大陸に自生する種とは異なる特徴を持つタバコがアジ ア地域に自生していることなどが、その根拠となっています。 「アメリカ大陸」原産説:ジャガイモやトマト、トウモロコシなどと同じく、コロン ブスのアメリカ大陸到達(=1492 年)後に、ヨーロッパへと持ち込まれ、世界各地に広 まっていったとする説。当時から先住民によってタバコの栽培、および喫煙風習があっ たことなどが、その根拠となっています。 さらに JT「たばこワールド」1のウェブサイトは、最後に各説を検討して、次のように 説明している。 タバコ属植物の染色体分析と分布調査が行われていった結果、20 世紀中盤になり、つ いにタバコの原産地が判明します。 すなわち、タバコの両親は、母方がニコティアナ・シルベストリス、そして父方がニ コティアナ・トメントシフォルミスなどのトメントーサ節の野生種。そして、これら母 方と父方の野生種の分布から、タバコの生まれ故郷はアメリカ大陸、南米のボリビアか らアルゼンチン最北部のあたり、 標高 1500 メートル近辺の高地であろうと分かったので す。 科学的調査によってタバコの原産地とおぼしき地域は分かりましたが、歴史学・文 学・考古学的に見ても、やはりタバコはアメリカ大陸が原産であることに間違いないよ うです。それは、 ①16〜17 世紀に東洋を訪れた旅行家のすべての記録にたばこについての記述がない のに対し、アメリカ大陸における喫煙、嗅ぎたばこ、噛みたばこの初期の記録は、コロ ンブスの航海誌などで明らかであること ②アジア、イスラム圏の古い文献であるコーランやサンスクリット語の書物などにも、 たばこをうかがわせる記述が何もないこと ③アジア、アフリカ、ヨーロッパのどの種族にも、アメリカ大陸や西インド諸島の種 族に見られたように、古くから続く伝統的儀式の中でたばこが用いられていないことな どの事実。これらの証拠からも、タバコの原産地がアメリカ大陸であることは明らかな のです。 このように、コロンブスの航海誌の内容の中にアメリカ大陸における喫煙の行為が明確 に記録されていること、また、アメリカ大陸以外の大陸の古い文献にも伝統的儀式にもタ バコに関する記述がないということ、そして最終的にはタバコ属植物の染色体分析と分布 調査によって、タバコの原産地が明らかにアメリカ大陸だということがわかった。 1 JT『たばこワールド』 「たばこジャーナル/文化/たばこクロニクル/2007 年/明らかになったタバコの原産 地」http://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/chronicle/2007/03/03.html 2015.04.29 3 1-2 タバコの伝播 タバコの伝播の過程について JT「たばこと塩の博物館」のウェブサイト1は以下のよう に述べている。 コロンブスの新大陸到達をきっかけに、本格的な大航海時代が始まりました。世界中 で、人々の交流が盛んになるとともに、それぞれの産物が互いに紹介されました。新大 陸からは、トウモロコシ・ジャガイモなどとともに、たばこがヨーロッパへ、また、ヨ ーロッパから新大陸へは、麦・米・牛・馬などが移入されました。ヨーロッパでは、た ばこは当初、薬品・観賞用の植物でしたが、次第に喫煙の風習が広まり嗜好品(しこう ひん)として流行しました。それがやがて、世界各地に伝えられていったのです。 このように、元々アメリカ大陸にしかなかったタバコが、大航海時代による交流の活発 化で、ヨーロッパや世界各地に嗜好品として伝えられていった。 以下の図 1 は、当時のタバコの伝播推定経路である。 図 1:たばこの伝播推定経路図2 1 JT『たばこと塩の博物館』 「たばこと塩あれこれ/たばこの歴史と文化/たばこ文化の伝播/大航海時代」 http://www.jti.co.jp/Culture/museum/collection/tobacco/t5/index.html 2015.04.30 2 同上 4 1-3 喫煙方法の変化 一般的によく知られた喫煙方法は 5 つあり、葉巻、嗅ぎタバコ、噛みタバコ、パイプと 紙巻タバコである。葉巻、嗅ぎタバコ、噛みタバコについて JT「たばこと塩の博物館」の ウェブサイト1は以下のように述べている。 葉巻は、さまざまなたばこのなかでも、最も古くから見られる形態です。葉巻による 喫煙は、現在のメキシコなどを中心に栄えたメソアメリカ文明を中心に、古代アメリカ で広く行われていました。ヨーロッパへは、スペインによって伝えられ、以来、スペイ ンの代表的な喫煙方法として、独特な文化を形成し、その後、ヨーロッパ全体に広まり ました。 粉状のたばこを鼻から嗅ぐ嗅ぎたばこは、南アメリカの先住民を中心に古くから行わ れ、ヨーロッパではフランスを中心に広まりました。特に、18 世紀のブルボン王朝時代 に大流行し、金銀やエナメル装飾のスナッフボックスが作られ、18 世紀のヨーロッパで 最も広く親しまれたたばこでした。 葉たばこを口の中でガムのように噛む噛みたばこは、世界中に広まることはありませ んでした。しかし、アメリカ合衆国では、19 世紀の半ばには、たばこ生産のほぼ半分を 噛みたばこが占め、現在も一部で愛用されています。またインドなど、噛みたばこが広 く普及している地域もあります。 このように、葉巻はタバコの中で一番古い喫煙の形態で、嗅ぎタバコは 18 世紀にヨーロ ッパで流行して、 噛みタバコは 19 世紀半ばのアメリカ合衆国で普及していたということが わかった。 右の図 1 は2、マヤ遺跡にあるタバコ(葉巻)を吸う神のレリ 図 1:たばこを吸う神 ーフである。 また、パイプについて JT「たばこと塩の博物館」のウェブサ イト3は以下のように述べている。 もともとは、アメリカ大陸の先住民のあいだで使われてい ましたが、16 世紀の中ごろ、喫煙の風習とともにヨーロッパ に伝わりました。 このようにパイプは喫煙の風習とともにアメリカ大陸からヨ ーロッパに伝わったということがわかった。 ところで、喫煙方法はこれら以外に、ほかの地域に普及しな かったものもある。例えば、日本語版『ウィキペディア』4は以 下のように述べている。 1 JT『たばこと塩の博物館』 「たばこと塩あれこれ/たばこの歴史と文化/たばこ文化の広がり/葉巻・嗅ぎた ばこ・噛みたばこ」http://www.jti.co.jp/Culture/museum/collection/tobacco/t7/index.html 2015.10.17 2 JT『たばこと塩の博物館』 「 たばこと塩あれこれ/たばこの歴史と文化/たばこ文化のふるさと/古代アメリ カのたばこ文化(儀礼・薬用・楽しみ)http://www.jti.co.jp/Culture/museum/collection/tobacco/t2/index.html 2015.10.17 3 同上 4 日本語版『ウィキペディア』 「喫煙」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%AB%E7%85%99 2015.10.17 5 インディアンたちの喫煙法は、地面に浅い穴を掘り、枝や土でドームを作り、中でタ バコの葉を燻した煙を、何箇所か開けた穴から跪いて吸うというものだった。 このように、インディアンの喫煙法には、地面に穴を掘って、そこからタバコの煙を吸 う方法もある。 では、ここで台湾人や日本人はあまり知らない噛みタバコと嗅ぎタバコについて、 「NAVAR まとめ」のウェブサイト1を参考にして、少し紹介しておく。 表 1:噛みタバコと嗅ぎタバコ2 図 1:噛みタバコ 説明 噛み煙草は、口腔内の粘膜からニコチンを摂 取する無煙煙草です。噛み煙草といっても煙草 をモグモグと噛むのではなく、煙草を小豆大に 丸めて下唇と歯の間へ入れておくというのが一 般的な使い方です。 図 2:嗅ぎタバコ 説明 嗅ぎ煙草(スナッフ)は、鼻腔内の粘膜から ニコチンを摂取する無煙煙草です。粉末状の煙 草を鼻から吸い込むのが一般的な使い方です が、鼻腔内に指を使ってすり込むという方法も あるようです。 また、ヨーロッパ人のタバコとの遭遇から紙巻タバコの登場までについて日本語版『ウ ィキペディア』3は以下のように述べている。 1492 年 10 月 12 日、クリストファー・コロンブスは乾燥したタバコの葉をアラワク族 から与えられたが、興味を示さず廃棄してしまった。その後ロドリゴ・デ・ヘレス(Rodrigo de Jerez)とルイス・デ・トレス(Luis de Torres)が喫煙を目撃した最初のヨーロッパ人 となり、ヘレスがアメリカ州の外で喫煙した最初の人物として記録されている。16 世紀 には喫煙の習慣は主に船乗りの間で一般的なものであった。1560 年代にジョン・ホーキ ンス(John Hawkins)の船員によってイングランドにもたらされたが、1580 年代に至る まで大きな影響を与えることはなかった。 イングランドでは 1820 年代後期から広く浸透 し始めた。1828 年、スペインで紙巻きたばこ(シガレット)が登場し、一定の商業的な 拡張をもたらしたが、20 世紀初頭に安価な機械製造法が普遍化されると、その依存性に 1 2 3 『NAVER まとめ』 「シガー、手巻き煙草、噛み煙草... 様々な喫煙様式まとめ」 http://matome.naver.jp/odai/2138268084741051001 2015.11.2 筆者作成 日本語版『ウィキペディア』 「喫煙」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%AB%E7%85%99 2015.10.17 6 より爆発的に喫煙人口が増加した。 このように、15 世紀末ごろヨーロッパ人はアメリカ大陸でタバコと遭遇し、16 世紀には 喫煙の習慣は主に船乗りの間で一般的なものになった。 イギリスでは 1820 年代後期から広 く浸透し始めた。その後、スペインで 1828 年紙巻タバコが登場し、20 世紀初期に安価な 機械製造法が普及すると、大量生産とタバコの依存性によって、爆発的に喫煙人口が増加 した。 1-4 台湾のタバコの歴史 台湾へのタバコの伝来について、許・張 (2013:110) 1は、以下のように諸説を整理し ている2。 作者・著作 楊選堂(1952) 「台灣之製 菸工業」 『台灣銀行季刊』 第五卷第三期,p.160 内容 ①三松氏の調査によると、1560~1580 年ごろスペイン人がフ ィリピンからタバコを日本に伝えるとき、海上で暴風雨に 遭って、臨時に台湾南端の恒春に避難したときに台湾に伝 えられたとされる。 ②笠島氏は、1578 年にスペイン人(Padres Goinetz)がメキシ コからフィリピンにタバコの種を伝え、その後 1600 年に台 湾人がルソン島からタバコの種を台湾に持ち帰って栽培を 始めたと考えている。 (以上、筆者訳) コロンブスの新大陸発見後、1620 年より前にフィリピンか らタバコの種が輸入され、台湾南部で栽培された。 (筆者訳) 300 年前にオランダ人が台湾を占領したとき、タバコの種 を持って来た。 (筆者訳) 楊家俊(1956) 「台灣菸酒 公賣事業」 ,p.27 丁銀謀(1958) 「台灣菸草 之改進」 ,p.1 溫彩芹(1975a:1975b) 明朝の万暦年間の 1578~1600 年ごろ、原産地からフィリピ 「台灣菸草起源考」 『台菸 ンに伝えられ、その後、蘭嶼・緑島を経て台湾に伝わった。 月刊』第十三卷第四期, その後、さらにアジア各地へ伝播していった。 (筆者訳) pp.22-23、第六期 p.18 ①「中国・フィリピン説」中国大陸から伝わったが、台湾東 南部の在来種はフィリピンから直接伝わった。明朝末期に 別々に伝わった。 宇賀田為吉(1979) 『香菸 ②「オランダ人説」スペイン人より早くオランダ人は澎湖諸 的歷史』 ,pp.139-140 島を占拠し(1620 年) 、さらに台湾に侵入した。オランダ 人は台湾南部で先住民と接触した際に、彼らにタバコを吸 う習慣を伝えた。 (以上、筆者訳) ①漢人移民が中国大陸からもたらしたもの:1580 年代にフィ リピンから漳州に伝わり、1625 年以降台湾に来た漳州人が タバコの種を台湾に持ち込んだ。 ②先住民の在来種:スペイン人がメキシコからフィリピンへ 稅所重雄(1993) 『台灣菸 伝えた。フィリピンと日本の間の航行は、台湾や沖縄を経 草栽培變遷史』 ,pp.21-25 由するルートであり、暴風雨の際には台湾に停泊しなけれ ばならなかった。これにより、タバコの種と喫煙方法が先 住民に伝えられた。1584 年から 1600 年の間に、台湾南端 の恒春一帯及び台東平原の一角の地域に初めて伝わったと 考えられる。 (以上、筆者訳) 1 許杏蓉・張玉如(2013) 『台灣香菸百年包裝視覺風格設計研究』p.110 http://www.airitilibrary.com/Publication/alDetailedMesh?docid=15629708-201307-201310180014-201310180014-107-127 2 なお、筆者は、許・張(2013)が整理した各先行研究は未読である。 7 このように、台湾へのタバコの伝来の説は、いつ、誰(何人)が、どこから、台湾のど こへなどによって諸説あるが、伝来の経路は基本的に以下の 2 つになる。 「フィリピンから 直接台湾へ」 「フィリピンから中国大陸を経て台湾へ」 。いずれにしても、以上の諸説のど れも明確に記録された文献史料はなく、 当時の状況からの推測で、 決定的な証拠はないが、 16 世紀末から 17 世紀初めのころに台湾にタバコが伝来したと考えられている。 次に、日本統治時代前の清代の台湾のタバコの状況について、洪(2004:50-52)1は、 以下のように述べている。 1885 年(清朝が台湾行省を設置し、劉銘傳が台湾巡撫になる)より前に、台湾の周囲 の海域はすでにタバコ交易の舞台となっていたが、ほとんどが非公式の交易であった。 清朝は台湾経営に興味がなく、この皇帝の威光が及ばない辺境地域(化外之境)の密輸 ルートを取り締まることもなかった。 (中略) 1885 年に台湾が正式に清国の版図に組み入れられると、 (中略)台湾内部の移民の刻 みタバコや葉タバコに対する需要は、多くを台湾島外からの輸入に頼っていた。台湾で は原住民のタバコ以外に、中国からの移民が持って来たタバコの種を植えて小規模に栽 培していたものしかなかった。煙管やパイプで吸うための刻みタバコが主流で、生産量 は少なく、品質も悪かった。 当時、広く好まれた 4 種類のタバコがあった。泉州からの移民は台北や鹿港で作られ た「麟菸」を好み、漳州からの移民は台南で作られた「赤厚菸」を好み、社会の低層で 労苦する農民の間では「烏厚菸」が流行し、上流社会の地主や名家は福建の永定から輸 入された「條絲菸」を指定した。民間でタバコを製造販売する店は競争が激烈で、店を 通さない偽物や粗悪品が闇市に出回った。また、度量衡が正確ではなかったので、刻み タバコ 1 袋の重さが異なることが多かった。このように、全く管理されず、自己利益中 心の交易市場であった。 (筆者訳) このように、19 世紀後半の清代台湾では、密貿易による中国からの輸入刻みタバコが多 かった。台湾で栽培されていたタバコは、原住民のタバコ以外に、中国大陸からの移民が 持って来たタバコの種を植えて小規模に栽培していたものしかなかった。当時は煙管やパ イプで吸う刻みタバコが主流で、 「麟菸」 「赤厚菸」 「烏厚菸」 「條絲菸」の 4 種類が好まれ た。 次に、日本統治時代における葉巻用葉タバコの栽培の導入について、洪(2004:69-70) は、以下のように述べている。 2 明治 41 年(1908) 、専売局は恒春熱帯植物繁殖場でハバナ種(Havana abajo)の試験栽 培をした。これが台湾で葉巻用葉タバコの試験栽培の発端となった。 (中略) 大正 2 年(1913) 、新竹廳と阿猴廳(現在の屏東)でマニラ種の葉タバコの試験栽培を 始めた。大正 4 年(1915)に北投で試験面積を拡大し、専用の陰干し場と設備を増設し た。同年 6 月、専売局は葉巻「シルビア(雪山) 」を試験製造して、好評を獲得した。 (中 略) 1 2 洪馨蘭(2004) 「菸草的走私與課稅」 『台灣的菸業』遠足文化、pp. 50-52 同上、pp.69-70 8 大正 9 年(1920)に、専売局は阿猴廳(現在の屏東)の農業協会の試験タバコ畑で、 初めて台湾人農民を試験栽培に参加させた。初めは数人が選ばれただけだったが、これ は台湾人一般農民による葉巻用葉タバコ栽培の開始となった。 (中略) 大正 13 年(1924)以降から戦後に至るまで、台湾での葉巻用葉タバコの生産は屏東 地区に集中している。 (筆者訳) また、日本統治時代における黄色種葉タバコの栽培の導入について、洪(2004:72-73) は、以下のように述べている。 1 大正 2 年(1913)は歴史的な年であった。委託方式で、初めて黄色種葉タバコの種を 吉野村(現在の花蓮県吉安郷)の日本人移民に植えさせたのである。さらに、日本から 呼び寄せたタバコ栽培指導員を移民村に派遣し、台湾での黄色種栽培が軌道に乗ったの である。 大正 7 年(1918) 、専売局は花蓮廳に「花蓮葉タバコ試験場」を設立し、黄色種葉タバ コを専門に研究させた。その後、続々と黄色種の産地が増え、花蓮地区の吉野村、賀田 村(現在の花蓮県壽豊郷呉全城) 、豊田村(現在の花蓮県壽豊郷内) 、林田村(現在の花 蓮県鳳林鎮内)等の日本人移民村や、中部の大屯郡や高屏地区の屏東郡などに拡大した。 (筆者訳) このように、日本統治時代の葉タバコ栽培は、葉巻用葉タバコの栽培と(紙巻タバコ用 の)黄色種葉タバコの栽培があった。 葉巻用葉タバコは、1908 年に恒春でハバナ種(Havana abajo)の試験栽培が行われ、1913 年に新竹と屏東でマニラ種の試験栽培が行われた。その後、屏東は葉巻用葉タバコ栽培の 中心となった。 紙巻タバコ用の黄色種葉タバコは、1913 年に花蓮の日本人移民村である吉野村で初めて 種が植えられた。その後、産地が増え、花蓮地区のその他の日本人移民村以外に、中部や 屏東などに拡大した。 次に、日本統治時代から戦後台湾のタバコ専売制度の歴史について、 「台灣菸酒股份有限 公司」のウェブサイト2は、以下のように述べている。 台湾の専売事業は日本統治時代に始まった。1898 年に台湾総督府は従来の鴉片の以外 に専売項目を拡大して塩と樟脳の専売を実施した。1901 年 1 月に台湾製薬所・台湾塩務 局・台湾樟脳局を合併して、 「台湾総督府専売局」を成立させた。総督府は 1905 年にタ バコを、1922 年に酒(アルコール類)を専売品とした。さらに、1942 年にはマッチ、度 量衡儀器を、1943 年には石油を専売品とした。 (中略) 戦後、1945 年、政府の財源の確保と国民の税負担を減らすために、台湾行政長官公署 は専売制度を続けることを決定し、 「台湾省公売局」と名前を改めた。業務範囲を縮小し て、タバコ、酒、樟脳、マッチ、度量衡儀器の 5 項目にした、1947 年には「台湾省菸酒 公売局」と改名し、台湾省政府に直属し、専売業務はタバコ、酒、樟脳の 3 項目に減ら した。1968 年に樟脳の専売を廃止し、公売局の専売項目はタバコ、酒の 2 項目になった。 1 2 洪馨蘭(2004) 「日據與專賣制度」 『台灣的菸業』遠足文化、pp.72-73 『TTL 台灣菸酒股份有限公司』 「歷史沿革」http://www.ttl.com.tw/about/history.aspx?sn=20 2015.08.03 9 近年、国際化、自由化のために、政府は専売廃止とタバコ・酒の製造販売開放を検討 して、 「タバコ・酒類管理法」と「タバコ・酒類税法」を公布し、2002 年 1 月 1 日から 実施した。これによって、専売制度は廃止された。 公売局は民営化され、2002 年 7 月 1 日に「台灣菸酒股份有限公司」になった。 (筆者訳) このように、タバコの専売は日本統治時代の 1905 年から始まり「台湾総督府専売局」が 管理をしていた。戦後もタバコの専売は継続して、 「台湾省公売局」が管理したが、2002 年に専売制度が廃止されて、 「台湾省公売局」は「台灣菸酒股份有限公司」になった。 最後に、許・張(2013:111)は、台湾タバコ産業の発展を以下の年表のように整理して いる。 年 1895 1897 1901 1905 1911 1915 1937 1938 1940 1945 1947 1950 1987 1997 1998 2002 2003 2008 2009 表 1:台湾タバコ産業の発展概況1 事件 日本による台湾統治開始。 台湾総督府はアヘンの専売を開始し、台湾における(アヘン)専売制度が始まっ た。 台湾総督府専売局が成立。アヘンの販売を管理。 タバコの専売制度開始。 台湾総督府により「台北タバコ工場」設立。台湾におけるタバコの生産と販売の 開始。 ・台湾初のタバコ「ジャスミン(Jasmine) 」誕生。 ・葉巻の生産も始まる。 「台湾総督府専売局松山タバコ工場」を設立。 「南興公司」を設立して、中国の南部地区のタバコと酒類の専売と輸出を管理。 松山タバコ工場が完成。 日本の敗戦により、台湾総督府専売局は台湾省専売局になった。 ・闇タバコ取締りがきっかけで「228 事件」が起きる。 ・専売局は公売局になった。 「豊原タバコ工場」を設立。 ・ 「内埔タバコ工場」を設立。 ・アメリカは、スーパー301 条をもとに、アメリカ産タバコと酒類の輸入開放を迫 る。 「タバコ煙害防止法」を施行。 松山タバコ工場は生産終了し、台北タバコ工場に合併される。 ・台湾が WTO に加盟し、専売制度が廃止された。 ・公売局は民営化により「台灣菸酒股份有限公司」になる。 中国において「長壽」の登録商標権を獲得。 イギリスの「インペリアル・タバコ」社に台湾での工場設置を開放し、 「台英帝國 菸草製造股份有限公司」が成立した。 ・タバコ製品の広告、販売促進、賛助を禁止。 ・ 「台灣菸酒公司」は「フィリップモリスインターナショナル」社と契約して、台 湾での生産を代行。 ・ 「屏東觀光酒廠」内に全国初の「タバコ文物館」を設立。 ・室内で 3 人以上が働く場所と公共の場所が禁煙になる。 1 許杏蓉・張玉如(2013)「台灣香菸百年包裝視覺風格設計研究」p.111。 http://www.airitilibrary.com/Publication/alDetailedMesh?docid=15629708-201307-201310180014-201310180014-107-127 表中の日本語は筆者訳。 10 以上、本節では、台湾のタバコの歴史を概観した。 台湾へのタバコの伝来は、16 世紀末から 17 世紀初めのころと考えられ、伝来経路は基 本的に 2 つに分けられる。つまり、 「フィリピンから直接台湾へ」と「フィリピンから中国 大陸を経て台湾へ」である。 19 世紀後半の清代台湾では、密貿易による中国からの輸入刻みタバコが多かった。台湾 で栽培されていたタバコは、原住民のタバコ以外に、中国大陸からの移民が持って来たタ バコの種を植えて小規模に栽培していたものしかなかった。 日本統治時代に葉タバコ栽培が本格的に導入された。日本統治時代の葉タバコ栽培は、 葉巻用葉タバコの栽培と紙巻タバコ用の黄色種葉タバコの栽培があった。葉巻用葉タバコ は、1908 年に恒春でハバナ種(Havana abajo)の試験栽培が行われ、1913 年に新竹と屏東 でマニラ種の試験栽培が行われた。その後、屏東は葉巻用葉タバコ栽培の中心となった。 紙巻タバコ用の黄色種葉タバコは、1913 年に花蓮の日本人移民村である吉野村で初めて種 が植えられた。その後、産地が増え、花蓮地区のその他の日本人移民村以外に、中部や屏 東などに拡大した。 台湾におけるタバコの専売は、日本統治時代の 1905 年から始まり「台湾総督府専売局」 が管理をしていた。戦後もタバコの専売は継続して、 「台湾省公売局」が管理したが、2002 年に専売制度が廃止されて、 「台湾省公売局」は「台灣菸酒股份有限公司」になった。 11 第 1 章 まとめ 第 1 節では、タバコの原産地について述べた。 以前、タバコの原産地については諸説があったが、コロンブスの航海誌の内容の中にア メリカ大陸における喫煙の行為が明確に記録されていること、また、アメリカ大陸以外の 大陸の古い文献にも伝統的儀式にもタバコに関する記述がないということ、そして最終的 にはタバコ属植物の染色体分析と分布調査によって、タバコの原産地が明らかにアメリカ 大陸だということがわかった。 第 2 節では、タバコの伝播の過程について述べた。 元々アメリカ大陸にしかなかったタバコが、大航海時代による交流の活発化で、ヨーロ ッパや世界各地に嗜好品として伝えられていった。 第 3 節では、喫煙方法の変化について述べた。 一般的によく知られた喫煙方法は 5 つあり、葉巻、嗅ぎタバコ、噛みタバコ、パイプと 紙巻タバコである。紙巻タバコ以外、他のは全部アメリカ大陸原住民から、ヨーロッパに 伝わった喫煙方法である。紙巻タバコが発明され、さらに製造が機械化されて以降、喫煙 方法は紙巻タバコが主流になった。 第 4 節では、台湾のタバコの歴史について述べた。 台湾へのタバコの伝来は、16 世紀末から 17 世紀初めのころと考えられ、伝来経路は基 本的に 2 つに分けられる。 「フィリピンから直接台湾へ」と「フィリピンから中国大陸を経 て台湾へ」である。19 世紀後半台湾で栽培されていたタバコは、原住民のタバコと中国大 陸からの移民が持って来たタバコである。 日本統治時代に葉タバコ栽培が本格的に導入された。葉巻用葉タバコの栽培と紙巻タバ コ用の黄色種葉タバコの栽培があった。葉巻用葉タバコは、1908 年に恒春でハバナ種 (Havana abajo)の試験栽培が行われ、1913 年に新竹と屏東でマニラ種の試験栽培が行わ れた。紙巻タバコ用の黄色種葉タバコは、1913 年に花蓮の日本人移民村である吉野村で初 めて種が植えられた。また、台湾におけるタバコの専売管理は、日本統治時代の「台湾総 督府専売局」から、戦後の「台湾省公売局」 、現在の「台灣菸酒股份有限公司」になった。 12 第 2 章 台湾の葉タバコ栽培 本章ではタバコの国内生産量・耕作面積・産地分布の歴史的変化とタバコの製作過程に ついて説明する。 2-1 タバコの国内生産量・耕作面積・産地分布の歴史的変化 まず、全国の葉タバコ耕作面積の変遷を整理したのが以下のグラフである。データは、 國家圖書館『政府統計資訊網』や行政院農業委員會『農業統計資料査詢』のデータを使用 した。 図 1:全国葉タバコ耕作面積1 単位:ha 全国葉タバコ耕作面積 14,000 12,000 10,000 8,000 6,000 4,000 2,000 0 1938 1943 1948 1953 1958 1963 1968 1973 1978 1983 1988 1993 1998 2003 2008 2013 1 1938 年から 2002 年までのデータは、國家圖書館『政府統計資訊網』 「一般查詢」 http://stat.ncl.edu.tw/hypage.cgi?HYPAGE=search/search.hpg で「特用作物」 「菸草」などのキーワードで検索して得 られたものを使用した。 2003 年から 2014 年までのデータは、行政院農業委員會『農業統計資料查詢』 http://agrstat.coa.gov.tw/sdweb/public/official/OfficialInformation.aspx で「特用作物」をキーワードとして検索して得 られる各年度の「臺灣地區特用作物生產概況」のデータを使用した。2015.11.16 13 次に、全国の葉タバコ生産量の変遷を整理したのが、以下のグラフである。データは、 行政院農業委員會統計室『中華民國農業生産統計提要』のデータを使用した。 図 1:全国葉タバコ生産量1 単位:t 全国葉タバコ生産量 30,000 25,000 20,000 15,000 10,000 5,000 0 1938 1943 1948 1953 1958 1963 1968 1973 1978 1983 1988 1993 1998 2003 2008 2013 このように、日本統治時代から台湾で本格的な葉タバコ栽培が始まり、1940 年代前半に は日本統治時代の耕作面積及び生産量はピークを迎えた。 戦争の影響で生産は減少したが、 戦後の 1940 年後半には日本統治時代のレベルに復活し、さらに増加した。増加傾向はその 後も続き、生産面積は 1969 年にピークを迎え、生産量は 1970 年代後半から 1980 年代にか けてピークを迎えている。 その後、 生産面積も生産量も 1980 年代後半から減少傾向に入り、 2000 年代後半から現在まで大幅に減少した状態を維持している。 1980 年代後半からタバコ生産が減少傾向になった理由について、以下、洪(2004)の説 明を見ていく。まず、貿易自由化の影響について、洪(2004:92-93)2は以下のように述 べている。 台湾は GATT(関税及び貿易に関する一般協定、WTO 世界貿易機関の前身)に加盟す るため、1986 年から次々と貿易自由化の調整を始めた。そして「中米協議特恵関税協定 (台湾・アメリカ関税最恵国待遇協定) 」 (1987 年 1 月発効)により、アメリカ産タバコ とアルコール類の輸入を開放した。この政策は、日本統治時代から戦後まで 70 年近く保 1 1938 年から 1954 年までのデータは、國家圖書館『政府統計資訊網』 「一般查詢」 http://stat.ncl.edu.tw/hypage.cgi?HYPAGE=search/search.hpg で「特用作物」 「菸草」などのキーワードで検索して得 られたものを使用した。1955 年から 2002 年までのデータは行政院農業委員會統計室 (2003 )『中華民國農業生 產統計提要. 民國 91 年』 「行政院農業委員會統計室」p.12 のを使用した。2003 年から 2014 年までのデータは、 行政院農業委員會『農業統計資料查詢』http://agrstat.coa.gov.tw/sdweb/public/official/OfficialInformation.aspx で「特 用作物」をキーワードとして検索して得られる各年度の「臺灣地區特用作物生產概況」のデータを使用した。 2015.11.16 2 洪馨蘭(2004) 「隨局勢波動的菸葉」 『台灣的菸業』遠足文化、pp.92-93 14 護されてきた葉タバコ及びタバコ製品の国内市場に強烈な衝撃を与えた。 「アメリカのタ バコは、低コスト低価格で国際宣伝力もあり、強力な国際的政治・軍事力を背景に持っ ている。国産タバコが太刀打ちできるだろうか。 」とタバコ農家は心配し始めた。 (筆者訳) このように、貿易自由化の第 1 歩として、1987 年からアメリカ産タバコとアルコール類 の輸入が解放され、日本統治時代から保護されてきた国内タバコ市場に打撃を与えること になった。さらに、洪(2004:96-97)1は、生産量減少について、以下のように述べてい る。 1992 年以降、国産タバコの市場占有率は減り続け、さらに輸出市場も年々縮小した。 過去(1980 年)に公売局が促進した「タバコ及びアルコール類の増産方案」が、逆に在 庫調整の障害になった。 全国の葉タバコ栽培面積は 1969 年にピークに達した (11,951ha) が、その後、年々減少した。1988 年度に全ての委託栽培を取り消して、全国の栽培面積 は 8,000ha 前後まで減少した。 在庫調整を加速するため、公売局は大ナタを振るった。1993 年度から廃耕・休耕を申 請したタバコ農家に補償金を給付し、タバコ農家の廃耕を奨励したのである。1ha あた り 60 万元で栽培許可面積を回収した。これは台湾タバコ産業における大規模な「大減反 計画」であった。 (中略)専売制度が廃止された 2001 年度は、全国栽培面積は 2,196ha しかなかった。 (筆者訳) このように、1990 年代に国産タバコが売れなくなったことが原因で、公売局はタバコ農 家に廃耕・休耕を奨励して栽培面積を縮小する計画を進めたことがわかる。 以上、洪(2004)の説明をまとめると、貿易自由化の第 1 歩として 1987 年からアメリカ 産タバコとアルコール類の輸入が解放され、国産タバコは次第に売れなくなり、公売局は タバコ農家に廃耕・休耕を奨励して栽培面積を縮小する計画を進めていった。こうして、 1980 年代後半からタバコの生産も耕作面積も減少していったのである。 また、台湾の WTO2加盟がタバコ農家に与えた影響について、 「中華經濟研究院 WTO 及 RTA 中心」のウェブサイト3は、以下のように述べている。 WTO のルールを守るため、2002 年に公売局は民営化した「台灣菸酒公司」になり、 そして、専売制度「菸酒專賣條例」も廃止した。これで、もう国産の葉タバコを買い上 げ続ける義務がなくなった。 (筆者訳) このように、WTO 加盟の影響で公売局を民営化したことにより、国産の葉タバコを買 い上げ続ける義務がなくなった。そして、タバコ農家も買い手のない葉タバコを栽培する 意欲を失ったのである。 1 洪馨蘭(2004) 「台灣菸草公賣的黃昏」 『台灣的菸業』遠足文化、pp.96-97 「世界貿易機関(World Trade Organization、略称:WTO)は、自由貿易促進を主たる目的として創設された国 際機関である。 」以上、日本語版『ウィキペディア』 「世界貿易機関」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%B2%BF%E6%98%93%E6%A9%9F%E9%96%A2 2015.11.26 3 『中華經濟研究院 WTO 及 RTA 中心』 「菸農抗爭成功獲政府承諾續予收購,惟可能引發違反 WTO 承諾危機」 http://web.wtocenter.org.tw/Page.aspx?pid=8860&nid=208 2015.11.18 2 15 以上、経済的側面からタバコ生産減少を見たが、禁煙意識の進展と禁煙政策という社会 的側面については、第 5 章で述べる。 次に、台湾における葉タバコ生産地について、洪(2004:104)1は、以下のように述べ ている。 台湾早期には、5 つの主要な葉タバコ生産地があった。最も早く黄色種の葉タバコを 栽培した花蓮、下淡水溪(現在の高屏渓)に葉タバコ栽培移民村を設置した屏東、日本 統治時代からすでに栽培していた台中、嘉義と宜蘭である。その中で、宜蘭の栽培地は 1962 年に廃止された。他の 4 つを 1971 年以前の栽培規模の大きい順に並べると、台中、 屏東、嘉義、花蓮になる。その後、屏東の栽培量が増加して台中を上回るようになった。 1990 年代中期には、屏東、嘉義、台中の栽培面積はほぼ同じになった。1990 年代中 期に葉タバコの休廃耕政策をする前、全台湾の栽培面積は 8,000ha から 10,000ha を維持 して、年生産量は約 1,600 万キロから 2,000 万キロぐらいあった。 (筆者訳) このように、1960 年代までの台湾の主要な生産地は、台中、屏東、嘉義、花蓮の 4 つで あった。その 4 つの生産地について、洪(2004:105-110)2は、さらに以下のように述べ ている。 台中地区 台中地区は、台中、彰化、南投なども含める。清朝末期から刻タバコ用の中国種葉タ バコが栽培されていて、日本統治時代も豊原郡・大甲郡・員林郡は栽培が盛んだった。 (中略)この地域の最盛期は 1956 年から 1957 年の間で、栽培面積は 4,607ha あり、全 国総栽培面積の 46.9%を占め、ほぼ半分を占めていた。その後、生産計画や公売局の「葉 タバコ栽培地南下移動政策」の影響で、栽培面積比率は他の地区と同じになった。 嘉義地区 この地区の特色は、葉タバコへの「対抗作物」が少ないことである。また、嘉南平原 は元々伝統的な農業地域で、農村人力が十分あった。従って、この地域の栽培許可面積 の規模は安定していた。最盛期は 1967 年で、2,619ha の栽培面積があった。 屏東地区 この地区は、高雄・屏東を合わせたエリアである。日本統治時代に葉巻用葉タバコの 栽培が導入され、鳳山郡・旗山郡・屏東郡・潮州郡・東港郡などで栽培された。後に黄 色種葉タバコも導入され、3 つの日本人葉タバコ栽培移民村(九如・常盤・千歳)も形 成された。 (中略)公売局の専売制度時代、屏東地区の栽培面積は年々増加した。他の地 区より自然条件がよく、気候や土壌が葉タバコ栽培に適していた。1963 年から公売局の 「葉タバコ栽培地南下移動政策」が始まり、この地区の栽培拡大は加速した。最盛期の 1976 年は 3,897ha の栽培面積があり、1946 年と比べると 26 倍も成長した。 花蓮地区 台湾東部の主要な葉タバコ栽培地域は「花東縱谷」である。早期は宜蘭を含め、花蓮 も台東も栽培していた。 (中略)日本統治時代に黄色種の葉タバコ栽培が導入され、最も 1 2 洪馨蘭(2004) 「四大菸區」 『台灣的菸業』遠足文化、p.104 同上、pp.105-110 16 早く導入されたのは(現在の花蓮県吉安郷の)吉野移民村であった。日本統治時代末期 には栽培地域が拡大され、台湾人農民の栽培参加意欲も強く、花蓮郡の吉野庄・壽庄、 鳳林郡の鳳林庄・瑞穂庄、玉里郡の玉里庄などに拡大した。 (中略)1962 年に宜蘭の栽 培が廃止された主要な原因は、この地域は東北季節風の影響を受けて雨が多く、冬も夏 も栽培に適さないことである。 (中略) 公売局専売時代初期、花蓮地区の栽培面積は約 673ha で、1960 年代初期は約 250ha だ った。最盛期は 1969 年の 1,667ha である。1980 年代初期、何とか約 620ha の規模を維持 したが、1996 年には、僅か 228ha しかなかった。台湾の葉タバコの中で花蓮地区のもの が最も品質がよかったので、公売局は購入増加政策を取ったが、1998 年に取り消した。 (筆者訳) 以下、本節でわかったことをまとめる。 台湾の生産面積は 1969 年にピークを迎え、 生産量は 1970 年代後半から 1980 年代にかけ てピークを迎えている。 その後、 生産面積も生産量も 1980 年代後半から減少傾向に入るが、 その理由は貿易自由化である。その第 1 歩として、1987 年からアメリカ産タバコとアルコ ール類の輸入が解放され、日本統治時代から保護されてきた国内タバコ市場に打撃を与え た。また 1990 年代に国産タバコが売れなくなったことが原因で、公売局はタバコ農家に廃 耕・休耕を奨励して栽培面積を縮小する計画を進めた。こうして、1980 年代後半からタバ コの生産も耕作面積も減少していったのである。次に、WTO 加盟の影響で公売局を民営 化したことにより、国産の葉タバコを買い上げ続ける義務がなくなった。タバコ農家も買 い手のない葉タバコを栽培する意欲を失って、生産量はさらに低くなった。 台湾早期には、5 つの主要な葉タバコ生産地があった。宜蘭の栽培地は 1962 年に廃止さ れるが、1960 年代までの台湾の主要な生産地は、台中、屏東、嘉義、花蓮の 4 つであった。 台中地区(台中、彰化、南投)は、清朝末期から刻タバコ用の中国種葉タバコが栽培され ていて、日本統治時代も栽培が盛んだった。その後、公売局の「葉タバコ栽培地南下移動 政策」などの影響で、栽培面積比率は他の地区と同じになった。嘉義地区の特色は葉タバ コへの「対抗作物」が少ないことであり、この地域の栽培許可面積の規模は安定していた。 屏東地区(高雄、屏東)は、日本統治時代に葉巻用葉タバコの栽培が導入されて、後に黄 色種葉タバコも導入された。他の地区より自然条件がいいこと、1963 年から公売局の「葉 タバコ栽培地南下移動政策」が始まったことなどで、この地区の栽培拡大は加速した。花 蓮地区は台湾東部の主要な葉タバコ栽培地域である。早期は宜蘭を含め、花蓮も台東も栽 培していた。日本統治時代に黄色種の葉タバコ栽培が導入され、最も早く導入されたのは (現在の花蓮県吉安郷の)吉野移民村であった。 17 2-2 タバコの製作過程 本節では、まず葉タバコの栽培から収穫までについて述べ、次に葉タバコの乾燥につい て説明し、最後にタバコ包装まで紹介する。 2-2-1 葉タバコの栽培と収穫 葉タバコ栽培に適した気候と土壌について、張(2005:200-201)1を参考にして、以下 の表に整理した。 表 1:葉タバコ栽培に適した気候と土壌2 葉タバコは熱帯の作物である。 生産期の温度は 18~35°C が必要で、 25~27°C 温度 が最適である。 (中略)黄色種の成熟期の温度は葉質を左右する重要なもので、 20~28°C の範囲である。 降水量 黄色種の葉タバコの成長期は、毎月の平均降水量は 100mm 前後が最適であ り、特に平均して降雨があることが最も重要である。 日照は光合成の動力であり、株が成長し過ぎるのを抑止し、組織を丈夫にし て、葉肉の厚さや糖類の合成やニコチン含量に関わる。台湾では土寄せした後 日照 に曇りの天気が連続し、日照が減り、気温も下がる。そのため、葉タバコは十 分に成長できず、成熟期が延びて、品質に与える影響は甚大なものになる。成 長期を調節し、葉タバコが受ける日照時間と日照強度を最適なものにするの が、台湾の葉タバコの品質を改善する主要な方法である。 大気中の湿度の高低は、土壌中の水分と株の水分蒸散のバランス関係と吸収 作用に影響する。湿度が低いと、葉からの水分蒸散が加速するので、葉片は狭 くて長く、肥厚なものになる。逆に、湿度が高いと、葉片は広くて薄く、肥え 湿度 ていないものになる。これは降水量の過少過多の状況と同じである。葉タバコ の成長期の湿度は 70~80%が最も適している。葉タバコを乾燥させた後の 4~ 5 月の貯蔵期間は湿度が高く、葉タバコが湿ったりカビが発生したりしやすい ので、注意が必要である。 葉タバコは、葉片が広くて薄く、株の部分は高いので、風害に遭いやすい。 風 秒速 10 メートルぐらいの風力で、葉タバコに擦傷が発生したり、折れたりす る。従って、栽培地は強風の地方を避け、東北季節風を受ける方角には稲藁や ネットで防風壁を設置する。一般に秒速 8 メートル以下の微風が適している。 葉タバコは砂地土壌にも、粘土土壌にも植えることができるが、土壌の性質 によって、葉タバコの品質が異なる。良質の葉タバコを生産するには、葉タバ 土壌 コの種類や栽培の目的によって、土壌を選択しなければならない。 (中略)黄 色種に最適な土壌は、表土が酸性で(PH5.5~6) 、土層は 20 センチぐらいであ る。 (中略)土壌地質は、粘土を 10~20%含む砂地が最適である。 1 2 張佳雄(2005) 「參:特用作物 三:菸草」 『台灣農家要覽:農作一』行政院農業委員會、pp.200-201 筆者作成。表中の説明はすべて筆者訳である。 18 このように、葉タバコは熱帯の作物で、生産期は気温 25~27°C、月平均降水量 100mm 前後が最適であること、十分な日照時間が必要なこと、成長期には 70~80%の湿度が最適 なこと、あまり風が強くない土地で、やや酸性の土壌が適していることがわかった。 次に、葉タバコの栽培過程について、張(2005:205-206)1と洪(2004:115)2を参考に して、以下の表に整理した。 表 1:葉タバコの栽培過程3 苗床の設置場所は、管理しやく、水やり用の水源があり、排水が良好な 土地を選ぶ。苗床の周囲は広く、日当たりがよく、通風がよくなければな 苗床の準備 らない。遮蔽物による日陰や樹木による日陰を避けるために、野菜畑や葉 タバコ乾燥室の近くを避ける。また、病虫害防止のために、できれば過去 3 年間(タバコと同じ)ナス科植物を植えていない土地が、苗床として理 想である。 種をまく時期は、育苗日数と畑への移植時期によって決まる。また、畑 への移植時期は、2 期作第 2 期の水稲収穫期に影響される。種まきが早す ぎると、苗床初期に雨が降ることが多く、管理しにくい上に、育苗日数が 長くなって苗が老化してしまう。種まきが遅すぎると、畑への移植も遅く なって、葉タバコの品質に影響する。従って、種まきの時期は、その土地 の第 2 期水稲の実際生育状況に合わせなければならず、一般には 8 月下旬 から 9 月上旬ごろに種まきをする。 播種 図 1:タバコの種4 ① 水やり 苗床の初期に土壌の湿度を保持しなければ、種は発芽しない。通常種ま き後、目の細かいじょうろで毎日朝晩 1 回水をやる。1 回の水量は 1 坪当 苗床管理 たり 5 リットル程度である。発芽後は、苗床への水やりの総水量を徐々に 減らす。発芽 1 週間後は、水やりの回数を減らしてもいいが、1 回の水量 は増やす。苗の成長に合わせて、水やり量を抑制する。水量が多いと、苗 の組織が軟化したり伸びすぎたりする。畑への移植 1 週間前は、さらに水 1 張佳雄(2005) 「參:特用作物 三:菸草」 『台灣農家要覽:農作一』行政院農業委員會、pp.205-206 洪馨蘭(2004) 「菸草栽種過程」 『台灣的菸業』遠足文化、p.115 3 筆者作成。表中の説明はすべて筆者訳である。 4 「タバコの種はとても小さく、約 0.5mm ほど。見た目はコーヒーの粉によく似ていて、グラムに換算すると、 1g が約 12,000 粒にもなります。 」以上、JT『たばこワールド』 「たばこジャーナル/たばこができるまで/タバ コという植物」http://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/process/01/01.html 2015.11.08 2 19 量を抑制する。こうすれば、苗は強化され、移植後の生存率が上がる。 ②苗床をシートで覆う 種まき後 4~5 日で、種は発芽を始める。覆っていた稲わら半分を除去 する。さらに、1~2 日後、大部分が発芽したら、覆っていた稲わら全部 を除去し、すぐに苗床をシート(布)で覆って、柔らかい幼苗を強烈な日 照から守る。シートは日照が強い晴れの日の場合、毎朝水やり後の午前 10 時までに覆い、午後 4 時以降に取り外す。雨の日は覆ったままにし、 無風の曇りの日は覆わない。苗の成長に従い、シートで覆う時間も減らし て、苗を強化する、4 週間後、もう覆う必要はない。最近使われている透 明ナイロンネットの場合、種まきをしてから覆った後は、苗を移植するま で、水やりの時も取り外す必要がなく、またウイルス病の伝染も防止する ことができる。 図 1:シートで覆う様子1 ③間引きと除草 種の発芽後、苗の密度は不均等だったり、大きさに差が出たりする。苗 の密度が過密だと、伸びすぎたり、病害を誘発したりする。従って、発芽 1 週間後、ピンセットで過密な部分や成長不良の苗を間引きする。間引き は数回に分けて行い、毎週 1 回、全部で 2~3 回が必要で、最後の間引き の時、苗の間隔が 5~7 センチメートルになるようにする。苗を仮植する 必要がある場合、間引きは 1 度だけでよく、 苗の間隔はやや短くてもいい。 間引きの時、雑草を除去する。 ④仮植 直播き育苗法は、葉タバコのウイルス病伝染を減少させる。一方、仮植 育苗法は根の部分の発育を促進し、苗の生育を均一にし、管理しやすいな どの利点がある。 ⑤農薬散布 一般に、葉タバコ栽培では計 4 回の農薬散布が行われる。主要なものは、 病虫害防止の農薬、除草薬、腋芽抑制薬などである。大体 10 月上旬から 中旬までに 1 回目の農薬散布を始める。 1 張佳雄(2005) 「參:特用作物 三:菸草」 『台灣農家要覽:農作一』行政院農業委員會、p.207 20 このように、葉タバコの栽培は、種まきが 8 月下旬から 9 月上旬に行われて、その後、 苗床での水やり、シートで覆う、間引き・除草、農薬散布などの管理が行われる。 次に、畑での栽培から収穫までについて、洪(2004:114-117)1と張(2005:213)2を参 考にして、以下の表に整理した。 表 1:葉タバコの畑での栽培から収穫までの過程3 畑の整地 10 月上旬に畑へ苗を移植する。畑は整地して、土壌が葉タバコの栽培に適合するよう にし、軟らかく通気がよくなるようにしておく。 図 1:畑での栽培初期4 中耕と除草 表土を浅く耕す中耕の目的は除草である。小さい株は雑草との生存競争で負けてしま う。もう 1 つの目的は硬くなった表土を崩して、土壌の通気を促進することである。 摘心と脇芽取り 伸びたつるの芽を摘み取る摘心と脇芽取りは、タバコの葉の栄養状況を改善し、香り をよくする効果がある。葉が大きく厚くなり、ニコチンの合成も均一になる。 このように、苗床から畑に移植された葉タバコの株は、畑で栽培される間に中耕や摘心 などの管理が行われる。 次に、葉タバコの収穫について、洪(2004:117)5は、以下のように述べている。 1 2 3 4 5 洪馨蘭(2004) 「菸草栽種過程」 『台灣的菸業』遠足文化、pp.114-117 張佳雄(2005) 「參:特用作物 三:菸草」 『台灣農家要覽:農作一』行政院農業委員會、p.213 筆者作成。表中の説明はすべて筆者訳である。 同註 2、p.214 同註 1、p.117 21 黄色種の葉タバコの場合、一番いいのは葉を 1 枚 1 枚手で収穫する方法である。時間 と手間がかかるが、これは葉の完全性を保持する最高の方法である。 (中略)タバコの葉 は下のほうが古く、上のほうが新しくて軟らかい。従って、収穫は下葉から始める。 (筆者訳) このように、葉タバコの収穫は成長の度合いによって、下葉から収穫を始めることがわ かった。 最後に、タバコ栽培の時期について、張(2005:214)1は以下のように述べている。 台湾は亜熱帯気候なので、夏には豪雨や台風の影響があり、それを避けるためにタバ コの栽培は、毎年 8 月から 9 月に種まきが行われ、9 月から 10 月に苗床から畑に移植さ れ、12 月から翌年の 2 月に収穫が行われる。 (筆者訳) このように、8 月から 9 月に種まき、9 月から 10 月に苗床から畑に移植、12 月から翌年 の 2 月に収穫が行われることがわかった。 2-2-2 葉タバコの乾燥 葉タバコを乾燥させる前の準備について、洪(2004:129)2は、以下のように述べてい る。 葉編み 以前は、太い針金で葉タバコの付け根部分を貫いて、1 枚 1 枚をつなぎ合わせる「穿 聯法」という方法であった。 (中略)1970 年代に循環堆積乾燥機を使うようになると、 鉄製強力ラックを使って葉タバコを揃えて 1 回で締めるように挟む方法になった。 (筆者訳) このように、葉タバコを乾燥させる前に葉編みが行われ、葉タバコを挟んで束ねる作業 が行われる。下図は、その作業の様子である。 図 1:鉄製強力ラック3 図 2:葉編み4 1 張佳雄(2005) 「參:特用作物 三:菸草」 『台灣農家要覽:農作一』行政院農業委員會、p.214 洪馨蘭(2004) 「菸草栽種過程」 『台灣的菸業』遠足文化、p.129 3 痞客邦部落格『姜朝鳳宗族』 「吸菸/二手菸/菸草/客家美濃菸草/台灣菸業/台灣菸業還沒討論過健康與童工、產業 問題就結束了」 http://nicecasio.pixnet.net/blog/post/438645586-%E5%90%B8%E8%8F%B8-%E4%BA%8C%E6%89%8B%E8%8F%B8 -%E8%8F%B8%E8%8D%89-%E5%AE%A2%E5%AE%B6%E7%BE%8E%E6%BF%83%E8%8F%B8%E8%8D%89%E5%8F%B0%E7%81%A3%E8%8F%B8%E6%A5%AD-%E5%8F%B0 2015.11.29 4 同上 2 22 次に「菸樓」1を使った葉タバコの乾燥について、洪(2004:117)2は、以下のように述 べている。 以前、 「菸樓」 を使っていたころは、葉タバコを熱気乾燥させるのに 1 週間ぐらいか かった。かまどの火は 24 時間見守って調節しなければならず、この時期の「菸樓」 は 一家全員が生活する場になった。 (筆者訳) さらに、機械式の乾燥方法の導入について、洪(2004:135-136)3は、以下のように述 べている。 葉タバコの乾燥の時期は、台湾の気候の中で乾季に行われることが多い。従って、火 災予防は乾燥室において最も注意するべきことである。 (中略) 葉タバコ乾燥の経費は葉タバコ栽培の経費全体の 3 分の 1 を占める。タバコ試験所は 1975 年に実験を始めて、日本から輸入した「循環堆積乾燥機」が段々普及した。 (中略) 伝統的な大阪式の「菸樓」に比べて、労力の 73%を減らすことができる。 (筆者訳) このように、 「菸樓」 を使っていたころは、葉タバコを熱気乾燥させるのに 1 週間ぐら いかかった。乾燥は乾季に行われること、乾燥方法は伝統的な「菸樓」を使うものから 1975 年以降は「循環堆積乾燥機」による機械式乾燥が普及したこと、それにより労力が 73%も 軽減したことがわかる。 図 1:循環堆積乾燥機4 また、葉タバコ乾燥とその効果について、 「ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャ パン」のウェブサイト5は、以下のように述べている。 熱気乾燥:セントラル・ヒーティングに接続された、ラジエーターのような屋外加熱 1 「菸樓」については、第 3 章で詳しく説明する。 洪馨蘭(2004) 「菸草裁種過程」 『台灣的菸業』遠足文化、p.117 3 同上「烤菸」 『台灣的菸業』遠足文化、pp.135-136 4 痞客邦部落格『姜朝鳳宗族』 「吸菸/二手菸/菸草/客家美濃菸草/台灣菸業/台灣菸業還沒討論過健康與童工、產業 問題就結束了」 http://nicecasio.pixnet.net/blog/post/438645586-%E5%90%B8%E8%8F%B8-%E4%BA%8C%E6%89%8B%E8%8F%B8 -%E8%8F%B8%E8%8D%89-%E5%AE%A2%E5%AE%B6%E7%BE%8E%E6%BF%83%E8%8F%B8%E8%8D%89%E5%8F%B0%E7%81%A3%E8%8F%B8%E6%A5%AD-%E5%8F%B0 2015.11.29 5 『ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン』 「私たちの事業/紙巻たばこについて/種子から煙にな るまで」http://www.batj.com/group/sites/BAT_7YBMF2.nsf/vwPagesWebLive/DO7YEGRC?opendocument 2015.12.01 2 23 機から、納屋にパイプをひいて熱を送り込みます。調整された熱の効果で、葉の色が黄 色やオレンジ色に変わった時点で定着します。このような葉には、高い糖分が含まれま す。 このように、熱の効果で葉の色が黄色く変わる(黄変する)ことがわかる。下の図は黄 変した葉タバコである。 図 1:乾燥させた葉タバコの様子1 次に、乾燥させた葉タバコの後続処理について、洪(2004:118-119)2を参考にして、 以下の表に整理した。 表 1:乾燥させた葉タバコの後続処理3 調湿 熱気乾燥させた葉タバコは乾燥しすぎた状態で、直接処理できない。葉タバコは非常 に吸湿しやすく、吸湿後は柔軟になって処理しやすい。しかし、湿気を帯びすぎると、 かびが生えやすくなるので、適度に乾燥を保ちながら、湿気を帯びすぎないように注意 する。熱気乾燥後、しばらく貯蔵して、適度な水分を吸収したところで、分類が始まる。 分類 葉タバコを等級に分類する。分類の目的は葉タバコの外観を鑑別しやすくすることで ある。等級によって買い上げの価格が異なる。また、等級によって、最後にタバコ製品 を作る時の用途が異なる。 タバコ工場による買い上げ 分類後、葉タバコを簡易梱包する。タバコ工場の購入日の順番によって、梱包した葉 タバコを所属するタバコ栽培指導所へ運んで、鑑定を受ける。鑑定後、等級と重量によ って、買い上げ価格が計算される。その後、葉タバコ工場へ運ばれ、もう 1 度乾燥させ て、巻きタバコ工場に販売提供される。 このように、葉タバコを熱気乾燥させた後、調湿と分類が行われて、最後にタバコ工場 に買い上げられることがわかった。 1 2 3 張佳雄(2005) 「參:特用作物 三:菸草」 『台灣農家要覽:農作一』行政院農業委員會、p.220 洪馨蘭(2004) 「菸草栽種過程」 『台灣的菸業』遠足文化、pp.118-119 筆者作成。表中の説明はすべて筆者訳である。 24 図 1:鑑定員による鑑定1 図 2:鑑定された葉タバコ2 2-2-3 タバコの包装 タバコの包装について、JT「たばこワールド」のウェブサイト3を参考にして、以下の表 に整理した。 表 1:葉タバコの包装過程4 ひとつの銘柄の「たばこ」を作るために 必要な数十種類の「葉たばこ」が、 「回転 形連続調和機」の中へ。 「葉たばこ」を大きな円筒装置の中で回 回転形連続調和機 転させながらゆっくり混ぜ合わせ、熱と水 分を加えながら解きほぐしていき、原料の よい成分を引きだします。 さらに、 「加熱加香機」で香料を加え、 香りと味をよくします。 「加熱加香機」からベルトコンベアによ って運ばれた「葉たばこ」を上方から下方 ブレンドサイロ へ落とします。 何層にも積み上げてよく混ぜ合わせ、水 分と香料をまんべんなく染み渡らせます。 1 隨意窩日誌『時光。旅行』 「 【地方】喜悅的時刻。美濃繳菸記事」 http://blog.xuite.net/modaeric/myblog/44126019-%E3%80%90%E5%9C%B0%E6%96%B9%E3%80%91%E5%96%9C %E6%82%85%E7%9A%84%E6%99%82%E5%88%BB%E3%80%82%E7%BE%8E%E6%BF%83%E7%B9%B3%E8 %8F%B8%E8%A8%98%E4%BA%8B 2015.11.29 2 同上 3 JT『たばこワールド』 「たばこジャーナル」 「社会/たばこができるまで」 「製造工場の工程 1」 「製造工場の工 程 2」http://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/process/02/04.html 2015.11.29 4 筆者作成。 25 「裁刻機」へ。 水分と香料がじっくり浸透した「葉たば 刻む こ」を 細かく刻んでいきます。 この状態を「刻」といい、1 本の「たば こ」に巻かれているのと、ほぼ同じ状態に なります。 「刻」は、 「カムフィーダー」と呼ばれ 巻上工程へ る機械の両側のパイプを通って、風送で 「直結形巻包機」まで運ばれます。 到着した「刻」を、長い巻紙で巻き上げ、 決められた長さに切断します。 巻上 そして、チップペーパーで巻きながらフ ィルターを付け、1 本の「たばこ」が完成 します。 巻き上げられた「たばこ」は、1 分間に 1,000 個製造できる「包装機」へ。 包装 「たばこ」は 20 本ずつアルミ箔で中包 みされ、ソフトパックやハードパックなど の箱に詰められます。そして、透明のフィ ルムに包まれて 1 箱の「たばこ」に。 このように、葉タバコはタバコ工場で、数 10 種類の葉タバコが混ぜ合わされ、水分と香 料を加え、細かく刻み、巻紙で巻き上げられ、切断してフィルターを付けて 1 本のタバコ になり、20 本ずつ包装されて、1 箱のタバコになる。 26 第 2 章 まとめ 第 1 節ではタバコの国内生産量・耕作面積・産地分布の歴史的変化について述べた。 台湾の生産面積は 1969 年にピークを迎え、 生産量は 1970 年代後半から 1980 年代にかけ てピークを迎えた。その後、生産面積も生産量も 1980 年代後半から減少傾向に入るが、そ の理由は貿易自由化である。つまり、1987 年からアメリカ産タバコとアルコール類の輸入 が解放され、WTO 加盟の影響で公売局を民営化したことである。 1960 年代までの台湾の主要な生産地は、台中、屏東、嘉義、花蓮の 4 つであった。台中 地区(台中、彰化、南投)は、清朝末期から刻タバコ用の中国種葉タバコが栽培されてい て、日本統治時代も栽培が盛んだった。嘉義地区の特色は葉タバコへの「対抗作物」が少 ないことである。屏東地区(高雄、屏東)は、日本統治時代に葉巻用葉タバコの栽培が導 入されて、後に黄色種葉タバコも導入された。花蓮地区は台湾東部の主要な葉タバコ栽培 地域である。 第 2 節ではまず葉タバコの栽培から収穫までについて述べ、次に葉タバコの乾燥につい て説明し、最後にタバコ包装まで紹介した。 葉タバコは熱帯の作物で、生産期は気温 25~27°C、月平均降水量 100mm 前後が最適で あること、十分な日照時間が必要なこと、成長期には 70~80%の湿度が最適なこと、あま り風が強くない土地で、やや酸性の土壌が適していることがわかった。 さらに、葉タバコの栽培は、種まきが 8 月下旬から 9 月上旬に行われて、その後、苗床 での水やり、シートで覆う、間引き・除草、農薬散布などの管理が行われる。9 月から 10 月に苗床から畑に移植、移植された葉タバコの株は、畑で栽培される間に中耕や摘心など の管理が行われる。12 月から翌年の 2 月に収穫が行われる。 乾燥は乾季に行われること、熱気乾燥方法は伝統的な「菸樓」を使うものから 1975 年以 降は「循環堆積乾燥機」による機械式乾燥が普及したこと、それにより労力が 73%も軽減 した。また、葉タバコを熱気乾燥させると熱の効果で葉の色が黄色く変わり(黄変) 、その 後、調湿と分類が行われて、最後にタバコ工場に買い上げられることがわかった。 最後に、葉タバコはタバコ工場で、数 10 種類の葉タバコが混ぜ合わされ、水分と香料を 加え、細かく刻み、巻紙で巻き上げられ、切断してフィルターを付けて 1 本のタバコにな り、20 本ずつ包装されて、1 箱のタバコになる。 27 第 3 章 菸樓とタバコ農家 本章では菸樓とタバコ農家について述べる。 3-1 各地の菸樓と種類 菸樓は東部の花蓮、台東と南部の高雄に多く分布する。本節では各地の菸樓の特色につ いて、それぞれ説明する。 w 3-1-1 「菸樓」とは 菸樓について、 「ガイドブックにない台湾を求めて~台湾漫遊日記」のウェブサイト1は、 以下のように述べている。 菸樓とはタバコの葉を燻して乾燥させ保存していた小屋のことです。大阪式と広島式 があり、現存しているものの殆どは大阪式です。大阪式はこのように屋根に「太子樓」 と呼ばれる通気用の凸型の屋根が付けられたもので、広島式は太子樓がなく、屋根に直 接排気口が取り付けられています。大阪式は台風に弱いと言われていますが、非常に良 い保存状態で残っています。 このように、菸樓は収穫した葉タバコを乾燥させて保存する小屋であり、 「太子樓」と呼 ばれる通気用の凸型の屋根の有無によって、大阪式と広島式 2 種類の区別があることがわ かった。 図 1:菸樓の構造(大阪式)2 1 『ガイドブックにない台湾を求めて~台湾漫遊日記』 「大阪式タバコ乾燥小屋」 「瑞穂菸樓」 http://ameblo.jp/loveformosa-makimaki/entry-11996105825.html 2015.05.19 2 客家委員會『數位臺灣客家庄』 「林北卡好社區/菸樓所富涵的先人智慧」 http://archives.hakka.gov.tw/blog/Linbeikahao/articleAction.do;jsessionid=A94ACB7B18A6669BBA17709A8FA1113C;jse ssionid=065E1923520A3D75C02094BC2B0E7954?method=doViewBlogArticle&articleId=NjIzODA= 2015.08.17 28 菸樓の構造について、日本語版『ウィキペディア』1は、以下のように述べている。 小屋は一般に木造で、形状は二間 x 二間(約 4m x 4m)の平面を基本とし切妻屋根の 頂部に「越屋根」と呼ばれる換気用の小屋根がのる。壁は竹小舞土壁の大壁で仕上げら れ薪を焚く焚き口と地窓(吸気口) 、温度管理用の小さな小窓が付く。乾燥方法としては かまどで薪を焚き、床に張り巡らされた鉄管の中に熱を送り、その輻射熱で室内の温度 をコントロールするというもの。煙草葉を吊す荒縄を一間スパンで 6 段吊す。荒縄を掛 ける吊り木の間隔は 50cm 前後。そうした乾燥の機能上、平屋建だが軒高 4m 以上の内 部空間が必要となり独特のプロポーションが生まれた。 このように、菸樓は一般に木造平屋建だが、内部空間は葉タバコを吊るす高さが必要な ので軒高 4m 以上になっている。乾燥方法は、かまどで薪を焚き、床の鉄管の中に熱気を 送って、その輻射熱で室温を管理しながら吊るした葉タバコを乾燥させるのである。換気 用の窓として、屋根の頂部に「越屋根」 (中国語で太子樓)という小屋根がのるものもある。 3-1-2 菸樓の種類 菸樓の起源について、趙(2001:142)2は、以下のように述べている。 記録によると、 「工業日本、農業台湾」の政策が行われていた 1938 年に、葉タバコ栽 培が台湾中南部に導入された。当時の初期の菸樓は、葉タバコを竹竿に掛けて日陰干し するだけの場所であった。後に、今のような土窯風の大阪式菸樓になった。 (筆者訳) このように、初期の菸樓は葉タバコを竹竿に掛けて日陰干しする場所であったことがわ かった。 3-1-1 で述べたように、菸樓には「大阪式」と「広島式」の 2 種類がある。その違いにつ いて「花東縦谷国家風景区」のウェブサイト3は、以下のように述べている。 広島式菸樓: 「L」字形の建物が多い。通気窓は窯の屋根の斜面に直接嵌め込まれてい て、僅かに突き出ており、四角い形である。 「新樂園」 、 「總統」 、 「雙喜」などタバコが広 島式菸樓で生産された。 大阪式菸樓:広島式よりよく見かける。 「一」字形の建物が多い。通気窓は窯の上方 の屋根から突き出ている。 「塔樓郷」 、 「太子樓式天窗」とも呼ばれる。 (筆者訳) このように、外観は広島式が「L」字形で大阪式が「一」字形の場合が多いことがわか った。さらに、 「花東縦谷国家風景区」のウェブサイト(日本語)4は、以下のように述べ ている。 大阪式のタバコ小屋は屋根に凸型の排煙口があり、高くて大きいのが特徴です。これ は排煙の効果が大きいのですが 、風の影響を受けやすく、台風などで破壊されやすいと 1 日本語版『ウィキペディア(Wikipedia) 』 「ベーハ小屋」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%8F%E5%B0%8F%E5%B1%8B 2015.09.19 2 趙莒玲(2001) 『美濃-鍾理和原鄉風景』貓頭鷹出版社、p.142 3 『花東縱谷國家風景區』 「菸樓文化聚落」http://www.erv-nsa.gov.tw/user/Article.aspx?Lang=1&SNo=03001635 2015.08.17 4 『花東縦谷国家風景区縦谷スポット-花蓮県』 「タバコ小屋文化集落」 http://www.erv-nsa.gov.tw/user/Article.aspx?Lang=3&SNo=03000123 2015.10.17 29 いう難点があります。一方、広島式のタバコ小屋は正反対で、排煙口が屋根に密接に設 けられており、台風の影響を受けません。しかし、火災を発生しやすいという欠点があ ります。 このように、大阪式は排煙性が高いが台風などで壊れやすく、広島式は台風の影響は受 けないが火災が起こりやすいという違いがある。 また、構造による作用の違いについて、温(2004:4-5)1は、以下のように述べている。 排湿性と保温性:大阪式の通気窓は気密性が低く、湿気を外に排出しやすい。広島式 の通気窓は密封性が高いので、湿気を外に排出しにくいが、保温性は高い。 通気窓の開閉性:大阪式は通気窓が開閉できるので、通気窓を開けて葉タバコの搬入 と搬出をするのに便利である。広島式は通気窓が開けられない。 (筆者訳) さらに温(2004:4-5)2は、菸樓の変遷について、以下のように述べている。 台湾は湿度が高い海洋性気候なので、 公賣局は排湿性が高い大阪式の菸樓を推奨した。 一方、広島式は保温性が高いが排湿性が悪いので採用されなかった。1975 年から据置式 の自動温度調節乾燥機が推奨され、大阪式の菸樓は使われなくなった。 (筆者訳) このように、広島式は保温性が高いという利点があったが、台湾の気候は湿度が高いた め、排湿性が高い大阪式が採用されたことがわかった。 以上を通してわかった各違いを以下の表 1 に整理してみた。 表 1:大阪式と広島式の違い3 大阪式 外観 通気窓 (排気口) 広島式 「一」字形 「L」字形 ●屋根から凸型に突き出ている。 ●屋根に嵌め込まれている。 ●窓を開けて葉タバコの搬入・搬出 ●窓の開閉はできない。 ができる。 ●台風の影響は受けないが、火災が ●台風などで壊れやすい。 起こりやすい。 ●排煙性、排湿性が高い。 ●保湿性が高いが、排湿性は低い。 3-1-3 各地の菸樓 菸樓の経済価値について、鍾(2010:77)4 は、以下のように述べている。 当時(日本統治時代) 、葉タバコは商品作物であり、 「緑色の黄金」と呼ばれた。そし て、菸樓は財力を象徴する指標であった。その家が所有する菸樓の数量で、富裕の程度 がわかった。 (筆者訳) 1 溫予超等「傳統日式菸樓與燻烤菸葉之研究」 『台灣農業機械』第 19 卷第 2 期、pp.4-5 http://www.tamrdc.org.tw/upload/1902.pdf 2015.10.02 2 同上 3 筆者作成 4 鍾守恆(2010) 『花東縱谷國風景區志工解說手冊』花東縱谷國家風景區、p.77 30 このように、葉タバコは大きな利益を生む商品作物で、菸樓は財力を象徴する建物であ ったことがわかった 以下、台湾各地に残っている菸樓について紹介する。 まず、花東縦谷1の菸樓について、 「花東縦谷国家風景区」のウェブサイト2は、以下のよ うに述べている。 花蓮では日本統治時代から葉タバコ栽培が始まり、鳳林郷、瑞穂郷、吉安郷、玉里鎮、 富里郷などは、かつて葉タバコ栽培の重要な地区であった。現存する菸樓建築は葉タバ コ栽培と日本統治時代の移民産業の歴史遺産になっている。 (筆者訳) では、以下、花東縦谷に残っている菸樓を具体的に紹介してみる。 表 1:鳳林菸樓 鳳林鎮は台湾で一番菸樓が密集し、よ く保存されている町である。赤いレンガ 塀と黒い屋根のものや、全て黒を基調と 図 1:花蓮鳳林の徐家興菸樓 したものがある。瓦、木板、籾殻、泥な 3 どの建材を使って、特殊な形式の菸樓を 建てた。菸樓内部には(タバコの葉を吊 るすための)吊り木が掛けられ、ロフト のような 2 階にはタバコの葉を乾かす 時の排気口があり、白煙を排気口から排 出することができた。4(筆者訳) 「鳳林鎮の林田移民村はタバコ栽培 の主要産地でした。 (中略)鳳林鎮大栄 里および北林里地区には、合計数十軒の タバコ小屋があります。これは全台湾で もっとも密集し、かつ完全に保存されて いるエリアとなっています。 」5 1 「台湾東部の花蓮県と台東県を縦断する、細長い谷間平原。フィリピン海プレートとユーラシアプレートの衝 突によって形成されたため、中央山脈と海岸山脈に挟まれた位置関係である。その名称は、北端に花蓮市、南端 に台東市があることにちなむが、台湾の東部に開けていることから東台縱谷の別名もある。日本統治時代には、 中仙道平野、中仙道とも呼ばれていた。 」以上、日本語版『ウィキペディア(Wikipedia) 』 「花東縦谷」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E6%9D%B1%E7%B8%A6%E8%B0%B7 2015.10.17 2 『花東縱谷國家風景區』 「菸樓文化聚落」http://www.erv-nsa.gov.tw/user/Article.aspx?Lang=1&SNo=03001635 2015.08.17 3 『盒子的網路日誌』 「鳳林菸樓聚落」http://box1940.blogspot.tw/2009/09/blog-post_30.html 2015.08.17 4 同註 2 5 『花東縦谷国家風景区縦谷スポット-花蓮県』 「タバコ小屋文化集落」 http://www.erv-nsa.gov.tw/user/Article.aspx?Lang=3&SNo=03000123 2015.10.17 31 表 1:壽豐菸樓 豊田は花東縦谷の重要な葉タバコ栽 図 1:花蓮壽豐の豊田の広島式菸樓 培地であった。日本人は大正 2 年 (1913) 1 に初めてアメリカ黄色種葉タバコを導 入し、吉野移民村(吉安郷)で栽培した。 栽培は次第に拡大し、豊田移民村にも広 がった。さらに、葉タバコの品種改良と 栽培技術を研究開発するために、大正 7 年(1918)に中里(現在の豊里村)に葉 タバコ耕作指導所を設立し、最盛期を迎 えた。現在、葉タバコ栽培は衰退したが、 豊裡、豊坪には広島式、大阪式菸樓の遺 構が残っている。2(筆者訳) 表 2:富里菸樓 富里郷明里村は、戦後はどの家にも菸 図 2:花蓮富里の明里村菸樓3 樓があって、葉タバコ文化村と呼ばれ た。しかし、近年これらの菸樓は住居に なったり、コンピューター制御の新式葉 タバコ乾燥室に取って代わられた。明里 村 5 隣にある古い菸樓は、60 年余りの 歴史がある。大阪式の設計を採用して、 竹と土で作った間仕切り壁があり、薪窯 と葉タバコ乾燥室があり、屋根には排気 用の太子樓がある。その後に建てられた 一般的な土と煉瓦を積み上げた設計方 式と異なる。4(筆者訳) 以上、花東縦谷に残っている菸樓を紹介した。次に、高雄の美濃(高雄市美濃区)の菸 樓を紹介する。 1 『黃家榮:花蓮阿榮的花蓮人文』 「2007/12/20 壽豐鄉-豐田日本移民村遺址(廣島式菸樓)」 http://www.huangjiarong.com/2011/10/20071220%E5%A3%BD%E8%B1%90%E9%84%89-%E8%B1%90%E7%94%B0%E6%9 7%A5%E6%9C%AC%E7%A7%BB%E6%B0%91%E6%9D%91%E9%81%BA%E5%9D%80%E5%BB%A3%E5%B3%B6% E5%BC%8F%E8%8F%B8%E6%A8%93/ 2015.09.20 2 『花東縱谷國家風景區』 「菸樓文化聚落」http://www.erv-nsa.gov.tw/user/Article.aspx?Lang=1&SNo=03001635 2015.08.17 3 『非來不可』 「明里村菸樓建築群」http://www.flbk.com.tw/viewpoint.aspx?lm=6614 2015.09.28 4 同註 2 32 表 1:美濃菸樓 葉タバコ栽培は美濃の人々にとって 重要な収入源であった。植えてから収穫 するまで大変な重労働であったが、それ によって多くの人材を育てた。美濃のタ バコ農家は葉タバコ収入で財を成し、子 図 1:高雄の美濃の菸樓 供に高等教育を受けさせるのに十分な 1 資金を蓄えた。多くの修士・博士を輩出 して、美濃は「博士の郷」と呼ばれるよ うになり、台湾の美談となった。 日本統治時代から、美濃は国内の重要 な葉タバコ産地になった。1938 年、日 本人の推奨により、162 軒の菸樓が建て られると同時に、葉タバコの計画栽培が 始まった。最盛期には、美濃の耕地の半 分が葉タバコ栽培地になり、栽培面積は 2,200 ヘクタールに達し、全台湾総生産 量の 5 分の 1 を占め、菸樓は 1,800 軒ぐ らいに増えた。これにより、美濃は「菸 城(タバコの町) 」と呼ばれるようにな った。2 1 (筆者訳) 『吳志學的影像世界』 「2012/03/04 高雄美濃小鎮&佛光山佛陀紀念館」 http://www.formosaimage.com/app/publish/main_list.php?idno=20120509073135646 2015.10.10 2 『客家委員會』 「美濃風采系列報導(三) - 煙樓」http://www.hakka.gov.tw/ct.asp?xItem=5696&ctNode=1923&mp=1914 2015.10.05 33 3-2 菸樓の衰退と再利用 台湾の葉タバコ産業と菸樓は、密接な関係がある。葉タバコ産業の衰退につれて、菸樓 も使われなくなった。本節では菸樓の衰退と再利用を説明する。 3-2-1 菸樓の衰退 美濃の菸樓の衰退について、 「客家新聞雑誌」のウェブサイト1は、以下のように述べて いる。 美濃の葉タバコ王国は最盛期から衰退へ向かった。葉タバコを乾燥させる場所である 菸樓も、最盛期に 1,000 余りあったが、次第に廃棄されたり消失していく運命をたどっ た。学者の統計によると 1978 年に美濃菸樓は 1,814 軒あったが、2004 年のフィールド調 査の時には、完全に残っているものは 421 軒しかなく、一部が取り壊されたり壊れたも のが 402 軒あり、991 軒は完全に取り壊されたり他の用途のために改修されていて、消 失率は 70%を超えていた。フィールド調査から 5 年後も、減少は止まらなかった。葉タ バコ産業の斜陽化にともない、菸樓は次第に人々の記憶から消えていった。 (筆者訳) このように、美濃の菸樓は、1978 年には 1,814 軒あったが、葉タバコ産業の衰退にとも ない、2004 年には 70%が消失して、完全に残っているものは 421 軒しかなかったことがわ かった。 3-2-2 菸樓の再利用 高雄市美濃の菸樓の再利用について、 「菸樓整體結構」のウェブサイト2は以下のように 述べている。 菸樓再生計画の一 菸樓陶芸は、地域社会の住民と地域コミュニティーが歴史文化を自覚し、当地の文化 を認めることによって、地域経済の活力を復活させ、地域を自主的に発展させるために、 「旧家屋の新利用」を推進する計画である。労働空間としてだけでなく、地域の人々の 生命や生活と労働の記憶を菸樓と一体化させ、1 つの「文化の現場」として新しい生命 を吹き込むのである。葉タバコ栽培を家計の糧として成長した美濃の人々は、子供のと きからこの仕事に慣れ親しみ、菸樓を新しく利用する方法として、陶芸と結合させるこ とを選んだ。 菸樓再生計画の二 「第七組菸樓録音室」は、菸樓の内部にある録音スタジオで、その空間で録音した音 は非常にユニークな「質感」があり、町中の録音スタジオで録音したものとは明らかに 音質が違う。菸樓は泥レンガを 1 つ 1 つ積み上げて作ってあり、泥レンガが特殊な共鳴 をするので、菸樓は特殊な音質を生み出すスタジオになるのである。 「第七小組菸樓錄音 室」は、新しい録音を生み出す場所だけでなく、かつて地域住民がそこで労働の歌を作 ったり、歌を歌ったりした地元の人の生活と密着した場所であった。 1 2 (筆者訳) 『客家新聞雜誌』 「84 集-菸樓!冤樓?」http://blog.roodo.com/hakkaweekly/archives/8537207.html 2015.10.16 『菸樓整體結構』 「菸樓再生」http://www.reality.com.tw/case/16/www/build/scenes/scenes/3_4.htm 2015.10.19 34 図 1:菸樓陶器展示館1 図 2:菸樓録音室2 このように、高雄市美濃では、菸樓の衰退を止めようと思う地元の人々は放置された菸 樓を再利用して、陶芸や録音スタジオなど色々な芸術活動をして、新しい活力を古い菸樓 に注入したことがわかる。 また、花蓮県鳳林鎮の菸樓の再利用計画について、勤益科技大學文化創意事業系のレポ ート3は以下のように述べている。 花蓮県鳳林鎮には、日本移民村の文化遺産が多く残っている。ここに来たら、客家の 伝統的な生活と人情味を感じられる、さらに、碁盤の目のような町割り、日本式建物、 日本時代の古井戸などがある。住民の多くは農業に従事しているが、人口高齢化の問題 が進んでいる。地方発展を促進するために、鳳林鎮の地方自治体は 1998 年から 2002 年 まで「地方文化館」計画を共同して推進した。さらに、鳳林鎮は公共空間計画案を実施 した。まず、菸樓を地方文化的の特色ある建物と位置付け、2003 年から 2004 年まで菸 樓に関する様々な企画とイベントを行い、2005 年には「菸樓集落文化建築活性化再利用 計画」を企画し、4 軒の菸樓を選んで本来の特色を残したモデル改築をした。 (中略) 2005 年に菸樓が続々と改築完成した後、菸樓の持ち主が無償提供する形で、地方自治 体が 5 年間借り受けて、観光客に無料で見学開放し、期間中は多くの観光客を招き入れ た。これにより、菸樓と産業、観光、地域発展などの要素を確実に結合させることがで きた。地方自治体の資金と地域のマンパワーを使って、地域社会の意識を凝集し、菸樓 保存と観光業の両面での成功を継続した。 1 (筆者訳) 『菸樓整體結構』 「菸樓再生」http://www.reality.com.tw/case/16/www/build/scenes/scenes/3_4.htm 2015.10.25 同上 3 勤益科技大學文化創意事業系『鳳林菸樓文化之觀光服務研究』 「鳳林菸樓的演變與現況」 、pp.5-6 http://cci.web2.ncut.edu.tw/ezfiles/18/1018/img/755/119648681.pdf 2015.11.16 2 35 このように、花蓮県鳳林鎮では、地方自治体が菸樓の再利用計画を企画して、菸樓の持 ち主と協力し、菸樓を観光資源に変えたことがわかった。 しかし、この菸樓の再利用にも問題がないわけではない。鳳林の菸樓の再利用の問題に ついて、勤益科技大學文化創意事業系のレポート1は以下のように述べている。 残念ながら、菸樓の 5 年間の無料借り受け契約は既に期限が切れた。今後は、早急に、 歴史や観光の専門家が保存・維持・再利用する方法を考え、地方自治体が継続してサポ ートしていかなければならない。菸樓に住んでいる個人を訪れて、聞き取り調査をした ところ、 「以前、地方自治体は予算を出して修理維持すると言ったが、その後、何もしな い。菸樓はすでにぼろぼろで、修復する資金もない。倉庫として使い、その後は崩壊し てしまうのを放っておくしかない。 」という意見が多かった。 (中略) 他の意見として、 「残念なことに、菸樓自体は特色があるのに、全部を開放しているわ けではない。公開している 4 軒も、一部は自由に入って見学できないし、設備や道路標 識や案内説明板などが少ない。 (中略) 」などの声もあった。 鳳林菸樓の観光サービスを推進する上での最大の問題は、菸樓が個人財産であること である。この 4 軒の菸樓を開放しても、内部全部を開放するには制限があること、観光 エリアが広さ・内容ともに十分ではないこと、特色が足りないことなどの問題がある。 更に、現実的なビジネスチャンスが見出せず、今後、十分な資金で保存できるかが不明 である。特色を活かした観光発展のために、菸樓を喫茶店やレストランとして経営する ことも、それが成功するかは未知数である。 (筆者訳) このように、地方自治体の 5 年間の借り受け期間が終わった後に、どのように保存・維 持・再利用していくか、地方自治体がそれをどう継続的にサポートしていくかが、資金を 含めて、問題になっている。菸樓を喫茶店やレストランとして経営することも考えられる が、それが成功するかは未知数である。 以下の図は「倉庫として使い、その後は崩壊してしまうのを放っておくしかない」例で ある。 図 12 図 23 1 勤益科技大學文化創意事業系『鳳林菸樓文化之觀光服務研究』 「鳳林菸樓的演變與現況」pp.13-14 http://cci.web2.ncut.edu.tw/ezfiles/18/1018/img/755/119648681.pdf 2015.11.16 2 同上、p.13 3 同上 36 第 3 章 まとめ 第 1 節では各地の菸樓と種類について述べた。 菸樓は収穫した葉タバコを乾燥させて保存する小屋であり、 「太子樓」と呼ばれる通気用 の凸型の屋根の有無によって、大阪式と広島式 2 種類の区別があることがわかった さらに、大阪式と広島式の外観と特性について、表にして整理した。広島式は保温性が 高いという利点があったが、台湾の気候は湿度が高いため、排湿性が高い大阪式が採用さ れたことがわかった。 最後に、台湾各地に残っている菸樓について紹介した。まず、花蓮では日本統治時代か ら葉タバコ栽培が始まり、鳳林郷、瑞穂郷、吉安郷、玉里鎮、富里郷などは、かつて葉タ バコ栽培の重要な地区であった。現存する菸樓建築は葉タバコ栽培と日本統治時代の移民 産業の歴史遺産になっている。次に、高雄の美濃(高雄市美濃区)の菸樓を紹介した。日 本統治時代から、美濃は国内の重要な葉タバコ産地になった。1938 年、日本人の推奨によ り、162 軒の菸樓が建てられると同時に、葉タバコの計画栽培が始まった。 第 2 節では菸樓の衰退と再利用について述べた。 美濃の菸樓は、1978 年には 1,814 軒あったが、葉タバコ産業の衰退にともない、2004 年 には 70%が消失して、完全に残っているものは 421 軒しかなかったことがわかった。 高雄市美濃では、菸樓の衰退を止めようと思う地元の人々が放置された菸樓を再利用し て、色々な芸術活動をした、新しい活力を古い菸樓に注入したことがわかった。 花蓮県鳳林鎮では、地方自治体の 5 年間の借り受け期間が終わった後に、どのように保 存・維持・再利用していくか、地方自治体がそれをどう継続的にサポートしていくかが、 資金を含めて、問題になっている。菸樓を喫茶店やレストランとして経営することも考え られるが、それが成功するかは未知数である。 37 第 4 章 台湾のタバコの系譜 本章では、日本統治時代から現在まで、台湾のタバコについてパッケージを中心にして 紹介する。 4-1 日本統治時代のタバコ 本節では日本統治時代のタバコについて、専売制度開始前と専売制度後に分けて紹介す る。 4-1-1 専売制度前のタバコ 日本における専売制度開始前のタバコの生産・販売状況について、 「たばこと塩の博物館」 のウェブサイト1は、以下のように述べている。 明治の中ごろから、たばこ産業は、大都市を中心に、問屋制手工業から、工場制手工 業へ、そして、機械制工業へと移行しました。生産力が向上すると、たばこ商に資本が 蓄積され、近代的な会社形態をとる者も現れるようになりました。 こうして成長したたばこ商は、より多くの商品を販売するために、あらゆる媒体を利 用して猛烈な宣伝合戦をくり広げました。特に、東京の岩谷(いわや)商会と京都の村 井兄弟商会の宣伝合戦は有名です。 このように、専売制度開始前の日本では、タバコ商(民間業者)が商品販売のために宣 伝合戦をしていた。特に有名なのは、東京の岩谷商会と京都の村井兄弟商会だった。 その東京の岩谷商会と京都の村井兄弟商会について JT「たばこと塩の博物館」のウェブ サイト2は、以下のように紹介している。 天狗の岩谷 「天狗たばこ」で知られる岩谷松平(いわや まつへい)の岩谷商会は、国産の葉た ばこを原料とした口付たばこを主力商品としていました。建物・馬車そして服まで赤く 装い、自ら、 「広告の親玉」 、 「安売りの隊長」 、 「東洋煙草大王」と称し、 「勿驚(おどろ くなかれ)税金たったの五十万圓」 「慈善職工三萬人」 (共に数字は年々増加させた)な ど、いささか誇大広告的なキャッチフレーズを看板やポスターに多用していました。 ハイカラの村井 村井吉兵衛の村井兄弟商会は、輸入葉たばこを原料に欧米の最新技術を導入して製造 した両切たばこが主力商品でした。 「サンライス」 「ヒーロー」など横文字の名をつけ、 包装を洋風化し、人気を得ていました。印刷にも技術導入が行われ、当時としては、と ても斬新(ざんしん)なポスターやたばこカード(おまけとしてパッケージに入れた) を媒体として宣伝活動を行っていました。 このように、 「天狗タバコ」で知られる岩谷商会は国産の葉タバコを原料とした口付タバ コを主力商品とし、派手な宣伝広告をしていた。村井兄弟商会は、輸入葉タバコを原料に 1 JT『たばこと塩の博物館』 「タバコと塩あれこれ/たばこの歴史と文化/明治以降のたばこ文化/明治のたば こ商たち」http://www.jti.co.jp/Culture/museum/collection/tobacco/t20/index.html 2015.11.09 2 同上 38 欧米の最新技術を導入して製造した両切タバコが主力商品で、横文字の商品名や包装の洋 風化などハイカラな宣伝広告をしていた。 さて、日本は以上のような状況であったが、当時の台湾はどうだったのか、以下、見て みる。 台湾では専売制度開始前、多くのタバコは輸入品だった。当時の新聞『台湾日日新報』1 の中には、アメリカや日本から輸入されたいろいろなタバコの広告が見られる。 図 1:輸入タバコ「ピンヘッド」 (アメリカ)2 図 2:輸入タバコ「ヒーロー」 (日本)3 図 3:輸入タバコ「サンライス」 (日本)4 図 4:輸入タバコ「ゴールデンカラー」 (日本)5 1 「 『台湾日日新報』とは、日本統治下の台湾において 1898 年(明治 31 年)5 月 1 日に創刊され、日本統治時 代最大で、もっとも長続きした新聞である。 」以上、日本語版『ウィキペディア』 「台湾日日新報」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%97%A5%E6%97%A5%E6%96%B0%E5%A0%B1 2015.11.21 2 『台湾日日新報』 「米国産銘葉」1902 年 10 月 24 日、第六版(画像は漢珍數位圖書『漢珍知識網』報紙篇「臺 灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 」 3 『台湾日日新報』 「村井兄弟商会台湾支店」1900 年 8 月 10 日、第六版(画像は漢珍數位圖書『漢珍知識網』 報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 」 4 『台湾日日新報』 「村井兄弟商会台湾支店」1900 年 8 月 10 日、第六版(画像は漢珍數位圖書『漢珍知識網』 報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 」 5 『台湾日日新報』 「村井兄弟商会台湾支店」1900 年 8 月 10 日第六版(画像は漢珍數位圖書『漢珍知識網』報 紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 」 39 図 1:輸入タバコ「天狗」 (日本)1 上記の図のうち、 「ピンヘッド」は村井兄弟商会がアメリカから日本へ輸入した後、さら に台湾へ輸出したものである。また、 「ヒーロー」 「サンライス」 「ゴールデンカラー」は村 井兄弟商会の製品である。 「天狗煙草」は岩谷商会の製品である。確かに、村井兄弟商会の は、英語やローマ字を使用してハイカラな感じがするし、岩谷商会のは大きな天狗の絵が あって派手である。 このように、専売制度開始前の台湾のタバコは輸入製品で、日本からの輸入が多く、そ れに当時の日本の有力タバコ業者 (東京の岩谷商会と京都の村井兄弟商会) のものが多い。 4-1-2 専売制度後のタバコ 日本では 1904 年からタバコの専売制度が始まり、タバコの製造・販売は大蔵省専売局が 全て管理するようになった。第 1 章 4 節で見たように、台湾でも同様に 1905 年から専売制 度が始まり、台湾総督府専売局が管理するようになった。この後、台湾におけるタバコ栽 培が始まり、台湾産葉タバコを使った台湾産タバコの製造販売も始まる。 専売制度開始後の台湾のタバコについて、台湾総督府(1927:504)2は以下のように述 べている。 目下發賣中の煙草の種類を産地別に挙げると、内地製、外國製、本島製の三種で内地 製は内地の專賣局から供給を受け、外國製は貿易商をして輸入せしめ、本島製は當初其 の製造を民間に託してゐたが、大正元年以來は電氣動力の新式機械を用ひ專賣局に於て 1 『台湾日日新報』 「紙巻煙草大王天狗煙草」1899 年 6 月 8 日第六版(画像は漢珍數位圖書『漢珍知識網』報紙 篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 」 2 台湾総督府(1927) 『台湾事情(昭和 2 年版) 』p.504「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06032519700、 台湾事情(国立公文書館) 」p.287、http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A06032519700?TYPE=jpeg 2015.11.09。 テキスト化のさいに、本文の旧字体と旧仮名遣いはそのままタイプした。 40 製造を開始し、現に左の十七種を出す。 葉巻:シルビヤ、ニヒタカ、マボラス、ダイトン、ニヒタカエキストラ、ツギタカの 六種。 紙巻(兩切) :第二ジヤスミン、第三ジヤスミン、レツドジヤスミンの三種。 刻:一等條絲煙、二等條絲煙、一等赤厚煙、二等赤厚煙、三等赤厚煙、一等麟煙、二 等麟煙、三等麟煙の八種。 このように、1927 年当時、内地製(日本製、日本の専売局が供給) ・外国製(貿易商が 輸入) ・本島製(台湾製)があり、台湾総督府専売局が製造販売していたタバコは全部で 17 種類あったことがわかる。 その後、刻タバコの名前が改正されたことについて、1933 年 8 月の『台湾時報』1は以 下のように書いている2。 煙草名改正 舊 條絲煙 新 瑞煙 一等 二等 三等 一等 二等 三等 赤厚煙 赤厚煙 赤厚煙 麟煙 麟煙 麟煙 福煙 祿煙 壽煙 龍煙 鳳煙 麟煙 さらに、台湾総督府(1936:601)3は、以下のように述べている。 專賣施行當時は民間に製造を委託してゐたが、大正元年以來は電氣動力の新式機械を 用ひ專賣局に於て製造を開始し、現在では臺北煙草工場に於て約八百人の職工を使ひ、 左の二十種の製品を製造し、その實績は次表の如くである。 葉巻:ニヒタカエキストラ、ツギタカ、ニヒタカ、マボラス、ダイトン及ノーコーの 六種。 両切紙巻:ヘロン、第二ジヤスミン、レッドジヤスミン、曙、七星4及ラガサンの六種。 刻:瑞煙、福煙、祿煙、壽煙、龍煙、鳳煙、麟煙及タカサゴの八種。 このように 1936 年当時、台湾総督府専売局が製造販売していたタバコは全部で 20 種類 あったことがわかる。 しかし、1936 年 12 月の『台湾時報』5は「煙草値上」と題して、以下のように述べてい る。 1 「大正 8(1919)年に台湾事情や南支南洋地域の状況を周知する目的で、台湾総督府により発行された雑誌で す。 「樺太時報」と同様に台湾の総合雑誌といった趣です。 」以上、拓殖大学『旧外地関係資料アーカイブ』 「台 湾/台湾時報」http://opac.lib.takushoku-u.ac.jp/kyugaichi/htmls/pages/twn.html 2015.11.21 2 『臺灣時報』1933 年 8 月「煙草名改正」 (記事内容は、漢珍數位圖書「臺灣時報 Taiwan JIHO 資料庫」を参照 した。 ) 3 台湾総督府(1936) 『台湾事情(昭和 11 年版) 』 「第 24 章専売・第 4 節煙草」p.601「JACAR(アジア歴史資料 センター)Ref.A06032519800、台湾事情(国立公文書館) 」p.338、 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A06032519800?TYPE=jpeg 2015.11.12 4 現在の中国語でタバコの「七星」は、日本の「セブンスター」 「マイルドセブン(メビウス) 」を指すが、それ とは異なる銘柄である。日本統治時代の「七星」の名前の由来については、後述する。 5 『臺灣時報』1936 年 12 月「煙草値上」 (記事内容は、漢珍數位圖書「臺灣時報 Taiwan JIHO 資料庫」を参照 した。 ) 41 煙草値上 煙草の値上は十一月十一日實施された。當府製造品及び内地よりの移入品(輸入外國 品)の主なるものの改正値は(中略) ママ 刻:瑞煙、福煙、祿煙、壽煙、龍煙、鳳煙、麟煙、牡丹、白菊、水仙、玉蘭、タタサゴ (蕃人用) このように、1936 年 11 月 11 日のタバコ値上げの記事には、刻タバコとして「牡丹」 「白 菊」 「水仙」 「玉蘭」の 4 種類が見られる。中略した葉巻と両切紙巻の部分の種類は、変化 がない。 以上わかったタバコの銘柄を整理すると、以下の表のようになる。 表 1:台湾総督府専売局が製造販売していたタバコ 昭和 2 年(1927) :17 種類 昭和 11 年(1936) :20 種類 シルビヤ、ニヒタカ、マボラス、 ニヒタカエキストラ、ツギタカ、ニヒ 葉巻 ダイトン、ニヒタカエキストラ、 タカ、マボラス、ダイトン、ノーコー ツギタカ 両切紙巻 第二ジャスミン、第三ジャスミ ヘロン、第二ジャスミン、レッドジャ ン、レッドジャスミン スミン、曙、七星、ラガサン 一等條絲煙、二等條絲煙、一等赤 瑞煙、福煙、禄煙、壽煙、龍煙、鳳煙、 刻 厚煙、二等赤厚煙、三等赤厚煙、 麟煙、タカサゴ 一等麟煙、二等麟煙、三等麟煙 昭和 11 年(1936)11 月:24 種類 ニヒタカエキストラ、ツギタカ、ニヒタカ、マボラス、ダイトン、ノーコ 葉巻 ー 両切紙巻 刻 ヘロン、第二ジャスミン、レッドジャスミン、曙、七星、ラガサン 瑞煙、福煙、禄煙、壽煙、龍煙、鳳煙、麟煙、牡丹、白菊、水仙、玉蘭、 タカサゴ 次に、上記タバコ銘柄のうち、パッケージの写真が残っているものを紹介し、名前の由 来を調べて整理してみる。 図 1: 「第二ジャスミン」1 図 2: 「レッドジャスミン」2 1 『オークファン』 「戦前台湾煙草 第二ジャスミン No.2 JASMINE 臺灣専売局」 http://aucfan.com/search2/q-~c2e6cfd120a5bfa5d0a5b3/s-mix/c-99/ 2015.04.29 2 『天下珍藏拍賣』 「文獻類/12.臺灣阿片吸食特許證、煙標、煙盒、糖果盒、商標籤 1507~1523」 http://www.globalnum.com.tw/13-2_auction/04_literature/02_webpage/1460~1523.html#l12 2015.11.19 42 図 1: 「曙」1 図 3: 「一等赤厚煙」3 図 2: 「タカサゴ」2 図 4: 「三等條絲煙」4 図 6: 「玉蘭」6 図 5: 「白菊」5 図 7: 「ラガサン」7 1 『天下珍藏拍賣』 「文獻類/12.臺灣阿片吸食特許證、煙標、煙盒、糖果盒、商標籤 1507~1523」 http://www.globalnum.com.tw/13-2_auction/04_literature/02_webpage/1460~1523.html#l12 2015.11.19 2 『台湾日日新報』 「寫真は蕃人專用の新賣出煙草「ラガサン」と「タカサゴ」 」1934 年 8 月 20 日、第三版(画 像は漢珍數位圖書『漢珍知識網』報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 」 3 中央研究院數位文化中心『デジタル台湾‐文化と自然』 「松山煙草工場の歴史建築」 http://culture.teldap.tw/culture_jp/index.php?option=com_content&view=article&id=151 2015.11.21 4 同上。なお「三等條絲煙」は、上述の 1927 年の資料には見られない。 5 同上 6 同上 7 同註 2 43 表 1:タバコ銘柄の名前の由来 名前 由来 ニヒタカ 「ニイタカ」は、新高山(にいたかやま) 、つまり現在の玉山のこと。1 ツギタカ 「ツギタカ」は、次高山(つぎたかやま) 、つまり現在の雪山のこと。2 マボラス 「マボラス」は、現在の「秀姑巒山」3或いは「馬博拉斯山」4のこと。 シルビヤ 次高山(雪山)の英語名「シルビヤ山」に由来すると思われる。5 ダイトン 「ダイトン」は、 「大屯」 「大屯山」のことと思われる。6 ノーコー 「ノーコー」つまり「ノウコウ」は、 「能高山」のことと思われる。7 ジャスミン 花の名前(ジャスミン、jasmine、茉莉)から。 ヘロン 鳥の名前「鷺」 (さぎ)の英語「heron」から。 七星 「七星」は、台北市最高峰の「七星山」に由来すると思われる。8 ラガサン 先住民アミ族の発祥地「ラガサン山」に由来する。9 タカサゴ 日本統治時代の山地先住民の総称「高砂(たかさご)族」に由来する。 1 「玉山、旧称新高山(にいたかやま) ・モリソン山(Mt Morrison)は、台湾のほぼ中央部に位置する山。標高 は 3,952m と台湾で最も標高が高い。 」以上、日本語版『ウィキペディア』 「玉山」https://ja.wikipedia.org/wiki/玉山 _(台湾) 2015.11.20 2 「雪山は台湾で 2 番目に高い山。標高は 3,886m。旧称次高山(つぎたかやま) ・シルビア山。漢民族により「玉 山」 ・ 「雪翁山」 ・ 「雪山」 、台湾原住民により「マハマヤン」 、西洋人により「シルビヤ山」などと呼ばれていたが、 日本統治時代の 1923 年、 (中略)台湾領有当時の日本最高峰新高山の「次に高い山」の意味で次高山と命名され た。 」以上、日本語版『ウィキペディア』 「雪山」https://ja.wikipedia.org/wiki/雪山_(台湾) 2015.11.20 3 「秀姑巒山は中央山脈の中の最高峰で標高 3,825m の山。 (中略)もともと、当地のブヌン族のブヌン語で「馬 霍拉斯山」と呼ばれた。ブヌン語で「馬霍拉斯」は「白髪の老人」を意味し、冬季に山頂付近に雪が積もった姿 を形容している。日本統治時代に測量地図の誤植によって秀姑巒山となり、現在に至る。 (筆者訳) 」以上、中文 版自由的百科全書『維基百科』 「秀姑巒山」https://zh.wikipedia.org/wiki/秀姑巒山 2015.11.22 4 「馬博拉斯山は花蓮と南投の境に位置する標高 3,785m の山。 (中略)もともと、当地のブヌン族のブヌン語で 「烏拉孟山」 (Ulamong)と呼ばれた。日本統治時代に測量地図の誤植によって馬博拉斯山となり、現在に至る。 (筆者訳) 」以上、中文版自由的百科全書『維基百科』 「馬博拉斯山」https://zh.wikipedia.org/wiki/馬博拉斯山 2015.11.20 5 同註 2 6 「大屯山(だいとんざん)は台湾台北市西北端に位置する標高 1,093m の火山である。山域は陽明山国家公園 に指定されている。日本統治時代に大屯山、観音山一帯を大屯国立公園に指定されている。 」以上、日本語版『ウ ィキペディア』 「大屯山」https://ja.wikipedia.org/wiki/大屯山 2015.11.20 7 「能高山(のうたかやま)は、台湾中央山脈の中段に位置する山で、 (中略)標高 3,262m の山である。 (中略) 日本統治時代には、当時山名に「高」の字を有していた玉山(新高山) ・雪山(次高山) ・能高山を併せて「台湾 三高」と称された。 」以上、日本語版『ウィキペディア』 「能高山」https://ja.wikipedia.org/wiki/能高山 2015.11.20。 「ノーコー」は味が「濃厚」の意味とも考えられるが、山の名前にちなんだ命名が多いことから、能高山の可能 性が高い。 8 「標高 1,120m で、台北市の最高峰です。頂上は眺めが非常によく、360 度見渡すことができ、大屯山系群峰、 北海岸の地形および集落(中略)を存分に楽しめます。 」以上、 『陽明山国家公園』 「お勧めルート/七星山連峰 ルート」http://japanese.ymsnp.gov.tw/index.php?option=com_routes&view=routes&catid=600&gp=0&Itemid=669 2015.11.20。台湾で他に「七星」の地名がある場所として、花蓮県新城郷の「七星潭」がある。 「七星潭はもとも と花蓮空港付近にあった。1936 年に日本人が空港を建設するために七星潭を埋め立て、七星潭の住民は月牙湾 に移住した。その後、月牙湾が七星潭と呼ばれるようになった。 (筆者訳) 」以上、中文版自由的百科全書『維基 百科』 「七星潭」https://zh.wikipedia.org/wiki/七星潭 2015.11.20。しかし、他のタバコの銘柄が台湾の有名な山で あること、同じ陽明山国家公園の「大屯山」も「ダイトン」としてタバコの名前になっていることから、台北市 で一番高い山の「七星山」に由来する可能性のほうが高い。 9 「兩切ラガサンの名稱は花蓮港專賣支局で募集した標語を鳳林公學校長牧内憲九郎氏が應募當選したもので、 アミ族の発祥地とされてゐるラガサン山の名前を採つたのであるから廳下蕃人には大いに歡迎されるであらう。 」 以上、 『台湾日日新報』 「蕃人用の煙草を賣り出す。タバコの名はキザミはタカサゴ、兩切はラガサン」1934 年 7 月 15 日、第三版(記事内容は漢珍數位圖書『漢珍知識網』報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより。 44 次に「ジャスミン」シリーズの変遷を見てみる。1933 年の『台湾日日新報』1は、以下 のように述べている。 本島製兩切紙巻煙草の王座を占むる『ジヤスミン』は大正四年第二十回始政紀念日を ぼく 卜し、始めて賣出されたもので、つづいて第二、第三『ジヤスミン』越えて大正十一年 とう とみ じ らい 「レツドジヤスミン」を出すに及んでよく大衆の嗜好に投じ、人氣頓に加はり爾來年を お いっと たど じゅようおうせい きわ しきしま 逐うて增加の一途を辿り、最近に至つては從來最も需要旺盛を極めてゐた、敷島の領域 しんしょく いきお ちょう か を侵 蝕 し之に取つて代らんとする 勢 ひである。 『ジヤスミン』の原料は、花蓮港 廳 下 おうしょくしゅ は に栽培されてゐる黄 色 種葉煙草が六分、輸入米葉が四分の割合に使用されてゐる。こ なお てん は れは本島産黄色種の品質に尚充分でない點があるためで、年々四○%の米國葉の輸入を よ ぎ とうきょく おい おこた 餘儀なくしてゐる状態であるが、當 局 に於ても耕作技術の改善を 怠 らざる結果次第に 品質の向上を見てゐる。 このように、まず「ジャスミン」が 1915 年に発売され、その後「第二ジャスミン」 「第 三ジャスミン」が発売され、1922 年に「レッドジャスミン」が発売された。当時最も人気 があった内地製(日本製)の「敷島」に迫る勢いであったことがわかる。 また、先住民用のタバコ「タカサゴ」と「ラガサン」について、1934 年の『台湾日日新 報』2は、以下のように述べている。 なお ばん 尚今回の新發賣品には蕃人の專用と表記され、專賣局としては何等利益を見てゐない ため そうとう ので、これを取締る為、内地人、本島人がこれを買つた際は相當の處罰を受けることに なるらしい。 このように、先住民用のタバコを日本人や台湾人が購入することは禁止されていたこと がわかる。 以上、1936 年ぐらいまでの状況を見てきたが、1937 年に日中戦争が始まると、軍の需要 に応じて台湾でも軍用タバコが作られたり、戦時を反映した名前のタバコが発売されたり するようになる。以下、1937 年以降の台湾のタバコについて見ていく。 1937 年の『台湾日日新報』3は、以下のように述べている。 総督府專賣局では近く軍隊專用の兩切煙草『つはもの』を賣出すこととなった。從來 い 軍隊專用としては内地製兩切『ほまれ』が同局より直接軍隊へ販賣されて居たが、この とみ きた がち 兩切は昨今内地方面の需要頓に高まり來つた結果台湾への出廻りが不足勝になつて來 たので、 (中略)新たに『つはもの』を製造販賣することとなつたものである。 1 『台湾日日新報』 「バカにできぬ煙草/督府の有利な財源」1933 年 5 月 9 日、第六版(記事内容は、漢珍數位 圖書『漢珍知識網』報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより)本文の旧字体 と旧仮名遣いはそのままにし、漢字の読み仮名は新仮名遣いに改めた。句読点の一部は適時筆者が補った。 2 『台湾日日新報』 「蕃人用の煙草を賣り出す。タバコの名はキザミはタカサゴ、兩切はラガサン」1934 年 7 月 15 日、第三版(記事内容は、漢珍數位圖書『漢珍知識網』報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 3 『台湾日日新報』 「軍隊專用の兩切煙草『つはもの』賣出し。総督府專賣局から」1937 年 10 月 20 日、第七版 (記事内容は、漢珍數位圖書『漢珍知識網』報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベ ースより) 45 このように、軍隊専用の両切タバコ「つわもの」1が台湾の専売局で作られるようになっ た。さらに、1938 年の『台湾日日新報』2は、以下のように述べている。 せんしょう 專賣局では戰 捷 を記念し皇軍の威風を表はす様な煙草の發賣を計畫中であつたが、 いよいよ ぼく あらわし 愈々紀元の佳節を卜して發賣することになつた。新製品は『荒鷲』と命名し、十本入定 價十七錢の兩切煙草である。 このように、戦勝を記念した両切タバコ「荒鷲」が発売されたことがわかる。さらに、 1941 年の『台湾日日新報』3は、以下のように述べている。 しらさぎ 新しい兩切煙草二つ『南』と『白鷺』が府專賣局より來月初旬から發賣されることに あらわし たんおうしょく なつた。 『南』は『荒鷲』にとつて代る新製品で、 (中略)意匠は淡黄 色 の地色に古風 ひょうしょう しらさぎ 帆船の躍進を以て南進政策を 表 象 した風雅なものであり、 (中略) 『白鷺』は從來販賣 かいせいめい しらさぎ の高級兩切『ヘロン』の改姓名で、國語尊重の趣旨から本島名鳥の一たる白鷺の和名に よこ も じ はいせき 改めると共に、從來の意匠の横文字一切を排斥したものである。 このように、南進政策を象徴する帆船をデザインした「南」と、従来の「ヘロン」を英 語(横文字)を使わない日本語名に改めた「白鷺」が発売されたことがわかる。 以上のように、1936 年に日中戦争が始まって以降は、戦時を反映したタバコが発売され た。次の図は、そのタバコのパッケージである。 図 1: 「つわもの」4 図 2: 「荒鷲」5 1 「つわもの【兵】 :①武器をとって戦う人。兵士。軍人。また特に、非常に強い武人。②勇気のある強い人。 また、その方面で腕を振るう人。猛者 (もさ) 。 」以上、 『goo 辞書・国語辞書』 「つわもの【兵】 」 http://dictionary.goo.ne.jp/jn/148799/meaning/m0u/ 2015.11.21 2 『台湾日日新報』 「戰捷記念の新煙草『荒鷲』紀元節に一齊賣出し」1938 年 2 月 4 日、第七版(記事内容は、 漢珍數位圖書『漢珍知識網』報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 3 『台湾日日新報』 「 『南』と『白鷺』新兩切煙草發賣」1941 年 4 月 11 日、第三版(記事内容は、漢珍數位圖書 『漢珍知識網』報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 4 『天下珍藏拍賣』 「文獻類/12.臺灣阿片吸食特許證、煙標、煙盒、糖果盒、商標籤 1507~1523」 http://www.globalnum.com.tw/13-2_auction/04_literature/02_webpage/1460~1523.html#l12 2015.11.19 5 同上 46 図 1: 「南」1 図 2:以前の「ヘロン」2 図 3: 「白鷺」 (ヘロンの改名)3 また、 「植鉄の旅」というウェブサイト4は、以下のように述べている。 『台湾鉄道旅行案内』 (昭和 15 年 5 月 15 日、日本旅行協会台湾支部)には『本島産 煙草の種類と値段』という一覧があるので、ご紹介してみましょう。 (中略)両切:ヘロ ン(50 本 1 円、10 本 20 銭)/荒鷲(50 本 85 銭、10 本 17 銭)/レツドジャスミン(50 本 70 銭、10 本 14 銭)/隼(12 本 14 銭)/曙(50 本 55 銭、10 本 11 銭) このように、1940 年に出版された『台湾鉄道旅行案内』の「本島産煙草の種類と値段」 には、 「隼」という銘柄も書かれていることがわかる。 次の図は、その「隼」のパッケージである。 1 『天下珍藏拍賣』 「文獻類/12.臺灣阿片吸食特許證、煙標、煙盒、糖果盒、商標籤 1507~1523」 http://www.globalnum.com.tw/13-2_auction/04_literature/02_webpage/1460~1523.html#l12 2015.11.19 2 同上 3 『台湾日日新報』 「 『南』と『白鷺』新兩切煙草發賣」1941 年 4 月 11 日、第三版(画像は、漢珍數位圖書『漢 珍知識網』報紙篇「臺灣日日新報」http://www.tbmc.com.tw/chinese/ のデータベースより) 4 『植鉄の旅』 「台北(5) 」http://liondog.jugem.jp/?eid=158 2015.11.21 47 図 1: 「隼」1 以上、本節では、日本統治時代のタバコについて述べた。 専売制度開始前の日本では、 民間のタバコ業者が商品販売のために宣伝合戦をしていた。 特に有名なのは、東京の岩谷商会と京都の村井兄弟商会だった。専売制度開始前の台湾の タバコは輸入製品で、 日本からの輸入が多く、 岩谷商会と村井兄弟商会のものが多かった。 台湾では 1905 年から専売制度が始まり、台湾総督府専売局が管理するようになった。こ の後、台湾におけるタバコ栽培が始まり、台湾産葉タバコを使った台湾産タバコの製造販 売も始まる。1927 年当時、内地製(日本製、日本の専売局が供給) ・外国製(貿易商が輸 入) ・本島製(台湾製)があり、台湾総督府専売局が製造販売していたタバコは全部で 17 種類あった。1936 年当時、台湾総督府専売局が製造販売していたタバコは全部で 24 種類 あった。 1937 年に日中戦争が始まると、軍の需要に応じて台湾でも軍用タバコが作られたり、戦 時を反映した名前のタバコが発売されたりするようになる。 1 『天下珍藏拍賣』 「文獻類/12.臺灣阿片吸食特許證、煙標、煙盒、糖果盒、商標籤 1507~1523」 http://www.globalnum.com.tw/13-2_auction/04_literature/02_webpage/1460~1523.html#l12 2015.11.19 48 4-2 戦後のタバコ 日本統治時代が終わって中華民国になってから、いろいろな種類のタバコが生産販売さ れた。本節では、戦後に生産販売されて現在では生産されていないタバコについて、 「台灣 菸酒公司」のウェブサイト1を参考にして、以下の表に整理した。 表 1:戦後台湾のタバコ一覧(現在生産されていないもの) 名称 説明 「檳榔」 檳榔は植物の 1 種で、その果実を噛むと出る液体は 生産年 おいしい味がする。台湾の先住民である平埔族や高山 ? ~1964 族が好み、接客や祭祀・婚約・婚礼などの儀礼には欠 パッケージ かせない儀礼品である。日本統治時代に、財政上の税 収も考慮し、人々に広く受け入れられるタバコを開発 して「檳榔」と名付けた2。このタバコは山地の先住 民部落だけで販売され、平地に住む一般の人は入手で きなかった。戦後、 「增産報國,反共抗俄(国のため に生産を増やし、共産勢力やソ連に対抗する) 」 「山地 限賣,轉販充公(山地だけで販売し、収入は国庫に入 る) 」という特別管理制限がある専売品だったが、1964 年に生産終了した。 3 名称 (筆者訳) 説明 「香蕉」 「香蕉」 (バナナ)は 1947 年から台北タバコ工場で 生産年 作られた。 「香蕉」の 70%はフィルターがなく短い両 1947~1964 切りタバコだった。 これは日本時代に売れ行きがよか パッケージ った「曙」を継承したものである。当時台湾はバナナ の大生産国だったので、 国民に受け入れやすい名前に するため「香蕉」 (バナナ)と命名した。戦 後 も 、 売 れ 行 き が よ く 、 1947 年 に は 市 場 の 86% を 占め、紙巻タバコ市場を独占した。さらに、 1955 年 に は 41 万 箱 4( 1 箱 = 1 段 ボ ー ル 箱 = 50 カ ー ト ン ) を 生 産 し 、 最 高 記 録 を 作 っ た 。 5 その後、よく似たブランドが加わって競争になり、 生産量は減り、1964 年に生産終了した。 (筆者訳) 1 『台灣菸酒股份有限公司』「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_list.aspx?sn=6 2015.10.05 前節で見たように、日本統治時代には先住民用のタバコとして両切の「ラガザン」と刻の「タカサゴ」があっ た。おそらく「ラガサン」を継承したのが、この「檳榔」だと思われる。 3 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=72 2015.10.10 4 日本語ではタバコ「1 箱」 「10 箱=1 カートン」 「50 カートン=1 段ボール箱」になるが、中国語では「1 包」 「10 包=1 條」 「50 條=1 箱」と呼ぶ。表中の「箱」は「1 段ボール箱」の意味である。 5 同註 1 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=85 2015.10.05 2 49 名称 説明 「楽 園 」 生産年 「楽園」 (パラダイス)はもともと 1947 年から松山 1947~1964 タバコ工場で作られた。当時一番売れていた「香蕉」 パッケージ より優れており、戦後国民が平安に暮らして再び戦争 が起きないように願いをこめて「楽園」 (パラダイス) と命名した。市場に登場してから消費者の人気を得 て、販売量も増え、1958 年から台北タバコ工場で生 産されるようになった。1964 年に生産終了した。 (筆者訳) 1 名称 説明 「特製芙蓉」 生産年 1950~1999 「特製芙蓉」は、 (パイプや煙管で吸う)刻みタバコ パッケージ 「芙蓉」の高級品である。軍高官にのみ提供された。 1950 年 10 月 1 日から松山タバコ工場で生産された。 その高雅な香りは上流階級の人々に愛された。1999 年に生産終了した。 (筆者訳) 2 1 2 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=78 2015.10.05 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=89 2015.10.05 50 名称 説明 「77」 生産年 「77」は 1951 年から陸軍の委託で松山タバコ工場 1951~1962 で作られた。滑らかな口当たりで、兵士に愛された。 パッケージ 「77」という名前は「七七事変」 (盧溝橋事件、1937 年 7 月 7 日)を兵士に忘れさせず、雪辱を果たして国 に報いるように命名された。一般消費者にも愛され た。このブランドは再開発されて、 「一級」 「二級」 「三 級」 「四級」などがあった。1964 年に生産が終了した。 (筆者訳) 1 名称 説明 「勝利」 生産年 1953~1958 「勝利」は海軍の軍用タバコで、 「敵の機先を制し、 パッケージ 勝利を掌中に収める」意味から命名された。1953 年 1 月 1 日から海軍の委託で松山タバコ工場で作られた。 徐々に生産が減少し、1958 年に生産が終了した。 (筆者訳) 2 名称 説明 「克難」 生産年 1953~1963 パッケージ 「克難」は海軍の委託で 1953 年から 1963 年まで作 られた軍用タバコである。総生産量は 42,997 箱であ った。3 (筆者訳) 4 1 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=80 2015.10.05 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=82 2015.10.05 3 『財政部財政史料陳列室』 「軍菸與菸盒標示史料」http://museum.mof.gov.tw/ct.asp?xItem=3737&ctNode=38&mp=1 2015.10.22 4 『7788 烟标收藏』 「台湾省烟酒公卖局克难」http://7788yb.997788.com/a140_2918153_0/ 2015.10.22 2 51 名称 説明 「至誠」 「至誠」は陸軍の軍用タバコで、1953 年から松山 生産年 タバコ工場で作られた。 『中庸』第 24 章の「至誠の道 1953~1961 ぜん ち まさ おこ は、もって前知すべし。国家将に興らんとすれば、必 パッケージ ていしょう まさ ようげつ ず禎 祥 あり。国家将に亡びんとすれば、必ず妖孽あ し き あらわ か ふくまさ り。蓍亀に 見 れ、四体に動く。禍福将に至らんとす れば、善必ず先ずこれを知り、不善必ず先ずこれを知 る。故に至誠は神の如し。 」1に由来して命名された。 陸軍は軍人に「至誠報国」を求め、兵士を神のごとく 用いることを目標とした。1953 年から生産され、1961 2 年に生産終了した。 名称 (筆者訳) 説明 「珍珠」 生産年 1956~1960 「珍珠」 (PEARL パール)は 1956 年 1 月 1 日から パッケージ 松山タバコ工場で作られた。珍珠(真珠)は富貴で人々 に愛され大切にされることから命名された。 当初の生 産 量は 3,869 箱 だ っ た が 、 1957 年 か ら 台 北 タバ コ工場、豊原タバコ工場、及び台中と屏東の葉タバコ 工場付属巻煙草部で共 同 生 産 さ れ 、年 間 100,725 箱 を 生 産 し た 。1959 年 に は ま だ 3,046 箱 の 生 産 が あ っ た が 、1960 年 に生産終了した。 (筆者訳) 3 1 現代語訳「天下における至誠の道は、事前に予見して知ることができる。国家がまさに勃興(発展)しようと する時には、必ず吉祥(瑞兆)の良い知らせがある。国家がまさに滅亡しようとする時には、必ず妖しげな凶兆 が見られる。占いの卜筮(ぼくぜい)にもその吉凶の兆しは現れ、その占う人の四体の動きにも現れる。禍福(幸 福・幸いと不幸・災い)がまさに差し迫ろうとする時に、至誠なる聖人は、善をまず必ず知り、更に不善につい てもまず必ず知ることができる。故に、至誠というのは神のようなものである。 」以上、本松良太郎『総合心理 相談 ES DISCOVERY』 「 『中庸』の書き下し文と現代語訳:19」 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/china/thuyo019.html 2015.10.11 2 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=84 2015.10.07 3 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=76 2015.10.07 52 名称 説明 「金馬」 生産年 「金馬」は 1958 年から松山タバコ工場で生産され、 1958~1994 1959 年 2 月 1 日に市場に登場した。名前は「金門島 パッケージ と馬祖島を確保して、台湾を守る。 」ことを意味する。 公売局に販売されたフィルター付き巻煙草である。濃 厚な味わいで、品質は「新楽園」より優れていた。当 初の生産量は 1.57 万箱~2.07 万箱で、1972 年に最高 生産量 36.24 万箱に達した。この時は台北タバコ工場 と豊原タバコ工場で分担して生産した。1976 年以降 は徐々に販売量が減少し、豊田タバコ工場で単独生産 した。1994 年に生産終了した。 (筆者訳) 1 名称 説明 「中興」 生産年 1958~1964 「中興」は陸軍の軍用タバコで、名前は「国軍は台 パッケージ 湾を確保し、衰微から立ち上がり、人材才能を登用し、 士官を培養する。中興(1 度衰えたものを再興させる) は人によるもので、土地によるものではない。 」を意 味する。 「中興」は 1953 年 1 月 1 日から陸軍の委託で 松山タバコ工場で作られ、 当時年間 6,108 箱を生産し、 1963 年には 21,917 箱を生産した。1964 年に生産終了 した。 (筆者訳) 2 1 2 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=24 2015.10.08 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=74 2015.10.08 53 名称 説明 「康楽」 生産年 「康楽」は 1959 年 1 月 1 日から台中タバコ工場で 1959~1967 作られた。名前は「國富民強安康快楽(国を富ませ民 パッケージ を強くすれば、安康で快楽になる) 」を意味する。タ バコ販売が衰退し、 「楽園」販売減少後の巻煙草市場 を取り戻すために、 「康楽」は長さを 8 センチにした。 初期販売量は 1 万箱に達し、1963 年には 20.1 万箱に 達した。 「吉祥」の販売量が減少したため、1964 年か ら豊原タバコ工場で生産した。1967 年に生産終了し た。 (筆者訳) 1 名称 説明 「総統」 生産年 1961~1999 「総統」は最初のハードパッケージのタバコとし パッケージ て、 1961 年 10 月 1 日から松山タバコ工場で作られた。 名前は「自由民主の人々は誰でもトップになるチャン スがある」という意味である。1976 年に 150,997 箱の 最高販売量に達した。1989 年にデザインを一新して 高品質の配合に変えたが、名前は変えなかった。しか し、販売量は好転せず、1996 年には 2,048 箱しか売れ なかった。1999 年 4 月 1 日に生産終了した。 (筆者訳) 2 1 2 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=73 2015.10.09 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=90 2015.10.09 54 名称 説明 「幸福」 生産年 「幸福」は 1962 年から松山タバコ工場で作られた。 1962~1970 名前は「人人健康、幸福無疆(人々が健康なら、幸福 パッケージ は無限) 」という意味である。価格は「双喜」と「新 楽園」の中間に設定されて、市場に登場後、最高販売 量は 11.49 万箱に達して迅速に成長した。しかし好調 は続かず、1964 年から 1968 年まで、停滞飽和期を迎 えた。1968 年から台北タバコ工場で作られた。徐々 に販売量が減少し、以前の販売量に戻ることはなかっ た。1970 年に生産終了した。 (筆者訳) 1 名称 説明 「麒麟」 生産年 1962~1963/06 パッケージ 「麒麟」は豊原タバコ工場で作られ、1962 年に市 場に登場した。麒麟は瑞祥のシンボルであることから 命名された。当初、製品の多様化発展を目標に、 (一 般製造過程で除去される)葉タバコの葉脈部分2を加 えて黄色種の葉を節約して開発された、長さ 7 センチ のフィルターなしのタバコである。1962 年 12 月市場 に登場した。しかし市場のシェアを占めることができ ず、1963 年 6 月に生産終了した。総生産量は僅か 4 千箱余りにとどまった。 (筆者訳) 3 1 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=91 2015.10.09 原文中国語は「菸骨絲」 。葉タバコの葉肉と葉脈については、 「Q:たばこの中に木の枝のようなものが入って いたのですが、これは何ですか。 A:たばこの原料となる葉たばこには、葉肉部分と葉脈部分とがあり、葉脈 部分については、均一になるように圧延して、細かく刻んで使用しております。葉脈部分につきましては、まれ に、木の枝に見える場合や白い固まりに見える場合があります。 」以上、JT『JT』 「たばこについてのよくあるご 質問」http://www.jti.co.jp/qa/tobacco/index.html#to_20 2015.10.23 3 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=71 2015.10.09 2 55 名称 説明 「紅八一四(814 赤) 」 「八一四(814) 」は空軍の軍用タバコで、青と赤の 生産年 2 種類がある。軍人記念日1がまだ決まっていなかった 1963~1977 ころ、空軍の士官は「8 月 14 日空軍大勝利」2を記念 パッケージ して、軍を敬い民衆を愛する心を深くするため、8 月 14 日を軍人記念日としていた。1963 年から松山タバ コ工場で生産された。青と赤の 2 種類がある。青は高 級軍官だけに提供され、生産量は少なかった。赤は一 般兵士に提供され、生産量も販売量も多かった。赤は 1964 年に 3,728 箱だけだったが、1971 年には 12,822 箱を生産した。1972 年から台北タバコ工場で生産さ れたが、その後は生産販売が伸びず、1977 年に生産 終了した。 3 名称 (筆者訳) 説明 「藍八一四(814 青) 」 生産年 「八一四(814) 」は空軍の軍用タバコで、青と赤の 1963~1968 2 種類がある。軍人記念日がまだ決まっていなかった パッケージ ころ、空軍の士官は「8 月 14 日空軍大勝利」を記念 して、軍を敬い民衆を愛する心を深くするため、8 月 14 日を軍人記念日としていた。1963 年から松山タバ コ工場で生産された。青は高級軍官だけに提供され、 生産量は少なかった。1968 年に生産終了した。 (筆者訳) 4 1 「軍人記念日(軍人節) :中華民国国軍の記念日。7 月 7 日は陸軍記念日、8 月 14 日は空軍記念日(中略)の ように統一されていなかったが、1955 年に各軍の記念日を統一して、第 2 次世界大戦抗日戦争勝利記念日 9 月 3 日を軍人記念日にした。 (筆者訳) 」以上、中文版自由的百科全書『維基百科』 「軍人節、中華民國」 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E7%AF%80#.E4.B8.AD.E8.8F.AF.E6.B0.91.E5.9C.8B 2015.10.18 2 「814 空戦:抗日戦争中の 1937 年 8 月 14 日に中華民国軍と日本軍の戦闘機が上海・杭州上空で戦った空中戦。 (中略)中華民国空軍は上海付近の日本軍を爆撃。日本軍は統治下の台北松山空港から戦闘機を発進させて、杭 州を爆撃。 (筆者訳) 」以上、中文版自由的百科全書『維基百科』 「八一四空戰」 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%B8%80%E5%9B%9B%E7%A9%BA%E6%88%98 2015.10.18 3 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=79 2015.10.10 4 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=88 2015.10.10 56 名称 説明 「九三(93) 」 生産年 「九三(93) 」は陸軍の軍用タバコで、9 月 3 日の 1964~1969 軍人記念日から命名された。1945 年 9 月 3 日に日本 パッケージ が降伏して第 2 次大戦が終わった。死亡した将兵を追 悼して、9 月 3 日の勝利記念日を軍人記念日とし、兵 士全体が「台湾を基盤に世界に向けて発展する」考え を持って台湾の平和を維持するように定められた。市 場に登場した初期の 1964 年に最高生産量は 89,172 箱 に達したが、その後、徐々に生産が減少し、1968 年 には 59,331 箱しか売れず、1969 年に生産終了した。 (筆者訳) 1 名称 説明 「自由」 生産年 「自由」は、パイプ愛好家の需要に応えるために、 1964~1996 台北タバコ工場が 1964 年からバーレー種と黄色種の パッケージ 葉タバコを原料として開発した刻みタバコである。 1964 年 3 月に開発が完成し、4 月に市場に登場した。 「自由というのは人々が追求するものであるが、無制 限の自由ではなく、法の下の自由を指す」ことを意味 している。1968 年から松山タバコ工場で生産される ようになった。生産量は 1965 年の 32,534 箱が最高だ った。消費者の嗜好が変わるにつれて、販売量は低下 し、1978 年の販売量は 5 千箱余りで、1996 年には 50 箱しか売れず、その後、生産終了した。 (筆者訳) 2 1 2 『台灣菸酒股份有限公司』「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=75 2015.10.10 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=86 2015.10.10 57 名称 説明 「国光」 生産年 1970~1978 パッケージ 「国光」は 1970 年から陸軍の委託で松山タバコ工場 で作られた。初期の生産量は 40,261 箱で、1972 年か ら台北タバコ工場で作られた。1976 年には最高生産 量 9 万箱に達したが、1978 年に生産終了した。 (筆者訳) 1 名称 説明 「梅花」 「梅花」は、1976 年に台北タバコ工場がチャコール(活 生産年 性炭)フィルター付紙巻タバコの製造に成功し、1979 年 1976/2~1976/10 から市場に登場した。そのパッケージに著名な画家「張 パッケージ 大千」2の梅花の名画を採用しているので、 「梅花」と命 名された。孤独に咲き誇る梅花が、自立自強を象徴して いる。フィルターは、独自の 102mm のデュアルチャコ ールフィルター3を使っている。活性炭にニコチンやター ルを付着させ、濾過効果を増進している。タバコの煙の 中の有害成分を除去し、タバコの味をマイルドで芳醇な ものにする。1979 年 2 月に月間生産量が 1 万箱を超えた が、好調は続かず、7 月以降は販売量が急激に下降し、 同年 10 月に生産終了した。総生産量は 36,127 箱で、9 4 か月という短命に終わった。 1 (筆者訳) 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=83 2015.10.10 「張大千(1899 年 5 月 10 日~1983 年 4 月 2 日)は中国・近代の書画家である。書、篆刻、詩の分野でも活躍 した。彼はまた多くの専門家に贋作者の 1 人として知られている。 (中略)1940 年から約 2 年 7 ヶ月に渡り敦煌 の莫高窟に住み込み、壁画の模写に取り組む。 (中略)国共内戦が始まった後の 1948 年に香港に移り、以降はブ ラジル、アメリカなど国外に 20 年以上滞在する。 (中略) 。1978 年に台湾に移住。晩年は台北に住み、水墨画に 専念。1982 年、中華文化の特別芸術家として中正勲章受賞。1983 年 4 月 2 日 8 時 15 分、同地で心臓病により没。 享年 84。没後、遺族が四合院式の住居を台湾の国立故宮博物館に寄贈し、張大千紀念館として現在一般公開さ れている。 」以上、日本語版『ウィキペディア』 「張大千」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%A4%A7%E5%8D%83 2015.10.21 3 「フィルターには幾つかの種類があります。世界的には、アセテートという繊維を使って作られた「アセテー トフィルター」が主流ですが、 (中略)活性炭を加えた「デュアルチャコールフィルター」が多く使われていま す。 」以上、JT『たばこワールド』 「たばこジャーナル」 「社会/たばこができるまで」 「0-3 たばこの構造」 http://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/process/03/01.html 2015.10.21 4 同註 1 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=77 2015.10.10 2 58 名称 説明 「金龍」 「金龍」は 1977 年から松山タバコ工場で作られた。 生産年 金龍は最も尊い存在で人々から敬愛されることから 1977~1999 命名された。公売局は国民所得が上昇し続けるのを見 パッケージ て、消費者の需要に応じて高品質高価格のハードパッ ケージ金龍を開発した。公売局はこのタバコを最高価 格のフィルター付タバコと位置づけた。市場に登場後 は、高価格のせいで売れ行きは伸びなかった。1979 年に 95mm のスリムパッケージに変えると、すっきり した高級感が明確になり、大幅に売り上げが増加し て、1980 年には販売量が 1 万箱を突破した。その後、 消費者の 1 部からはスリムパッケージは携帯に不便 で値段も高すぎるという声もあり、1981 年には販売 量が 3 千箱に落ち込んだ。1987 年から一般的な 85mm ハードパッケージにして、値段を安くして競争力を強 化すると、販売量が増加し、1988 年には再び 1 万箱 を突破した。しかし、やはり国産タバコで一番高いこ 1 とや、一般大衆は新開発のハードパッケージ「長寿」 を好んだことなどが影響して、販売量は低迷した。公 売局がスポンサーだった「金龍バスケットボールチー ム」と組んで販売促進を目指したが、売れ行きは好転 せず、1999 年に生産終了した。 名称 (筆者訳) 説明 「富貴」 生産年 「富貴」は 1979 年 11 月 1 日から豊原タバコ工場で 1979~1982 作られた。当時、ソフトパッケージ「長寿」が販売市 パッケージ 場のトップシェアを占めていたが、市場シェアを分散 させるために、同類のイギリス風味の紙巻タバコを積 極的に開発して、消費者の選択の幅を広げた。豊原タ バコ工場は、国産と輸入の黄色種葉タバコの葉肉と葉 脈を使った 80mm のフィルター付タバコを製造し、 「富貴」と命名した。市場に登場した初期は売れ行き がよく、1981 年には 1 万 3 千箱を生産したが、1982 年に売れ行きが大幅に減少し、同年 9 月 1 日に生産終 了した。 (筆者訳) 2 1 2 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=69 2015.10.10 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=87 2015.10.10 59 名称 説明 「神農 100 マイルド」 生産年 1999~2002 「神農 100 マイルド」は、公売局が愛煙家の期待に パッケージ 応えて開発した、漢方薬材を含むタバコである。刺激 のある辛味を含まず、爽やかな口当たりで、痰を取っ て喉をすっきりさせる作用がある。その作用は 100% であることから、 「神農 100 マイルド」と命名された。 1999 年 12 月 5 日から豊原タバコ工場で生産された。 初期は物珍しさから売れ行きがよかったが、次第に消 費者の好みに合わなくなり、2002 年 1 月 1 日に生産 終了した。 (筆者訳) 1 名称 説明 「921 再建記念タバコ」 生産年 2004~2006 「921 再建記念タバコ」は、2004 年 3 月 25 日から パッケージ 豊原タバコ工場で作られた。 「台灣菸酒公司」の公益 還元事業を出発点とし、家屋再建の援助として、この タバコの売り上げの 10%を 921 大地震(1999 年 9 月 21 日に発生)の被災者援助基金に寄付し、社会奉仕 に貢献するものである。このタバコは、公益タバコの 先駆となった。しかし売れ行きが伸びず、2006 年 1 月 1 日に生産終了した。 (筆者訳) 2 以上紹介したもののなかで、特に軍用タバコについて、以下、補足説明する。軍用タバ コについて、洪(2004:188)3は以下のように説明している。 軍隊の配給品として提供されるタバコである。 以前、 軍人の生計が苦しかった時代に、 軍はタバコ工場に軍配給用のタバコの製造を委託した。通常は品質があまりよくない葉 1 2 3 『台灣菸酒股份有限公司』 「珍蒐寶庫」http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=92 2015.10.10 同上 http://www.ttl.com.tw/rare/rare_view.aspx?sn=6&id=164 2015.10.10 洪馨蘭(2004) 「特殊品牌與記憶」 『台灣的菸業』遠足文化、p.188 60 タバコを使用したが、軍高官のために高品質のタバコを製造することもあった。これら のタバコは一般市場に流入して販売されることがなかった。 (筆者訳) このように、軍用タバコは軍隊の配給品とするために製造され、一般市場で販売される ことはなかった。 軍用タバコのパッケージには標語が書かれていて、 当時の政治社会情勢を反映している。 上述の図表中の写真ではよく見えないので、軍用タバコの標語について、 「財政部財政史料 陳列室」のウェブサイト1の説明を参考にして、以下、整理してみた。 表 1:軍用タバコのパッケージに見られる標語 名称 生産開始年 標語(中国語) 補足説明 「特製芙蓉」 1950 年 反共抗俄、增產報國 「俄」はロシア、ソ連のこと。 「康楽」 1959 年 建設臺灣、復興中華 「金絲」葉巻 1961 年 行仁踐義、竭智盡忠 「総統」 1961 年 實踐三民主義,光復大陸國土, 為了您的健康,吸菸請勿過量 「玉山」 1961 年 「九三」 1963 年 「紅八一四」 1964 年 復興中華民族、消滅共匪漢奸 「紳士」葉巻 1967 年 建設臺灣、復興中華 建設臺灣、光復大陸 前半は政治的な標語だが、後 半は健康のため吸いすぎに 注意と書いている。 「光復大陸」は中国大陸を取 り戻すという意味。 効忠領袖、反攻大陸 「共匪」は、共産主義勢力に 消滅共匪、解救同胞 対する蔑称。 「漢奸」は売国奴という意 味。 この時期の台湾について、 「財政部財政史料陳列室」のウェブサイト2は以下のように述 べている。 1950 年代は中華民国の存亡に関わる厳しい時代であった。1955 年 1 月、中国共産党 軍は―江山島を攻撃し、中華民国国民党軍の守備軍は壮烈な犠牲を出しながら大陳列島 から撤退した。1958 年 8 月 23 日、金門島の前線で八二三砲撃戦が発生し、激烈な海戦 空戦が起こった。1960 年代から台湾海峡情勢は徐々に長期対峙状態に入った。 (筆者訳) このように、軍用タバコの製造は、国民党政府が台湾に移って台湾海峡危機が発生した 1950 年代から始まり、中国大陸との長期対峙状態に入った 1960 年代まで続いている。従 って、軍用タバコの標語には「反共産勢力。台湾を基礎にして大陸奪還。 」を意味する言葉 が書かれていて、軍隊を鼓舞したことがわかる。 1 『財政部財政史料陳列室』 「軍菸與菸盒標示史料」http://museum.mof.gov.tw/ct.asp?xItem=3737&ctNode=38&mp=1 2015.10.22 2 同上。台湾海峡をめぐる当時の状況については、日本語版『ウィキペディア』 「台湾海峡危機」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%B5%B7%E5%B3%A1%E5%8D%B1%E6%A9%9F を 参考にしてほしい。 61 以上、この節では戦後のタバコ(現在生産されていないもの)を概観した1。戦後初期に は日本統治時代のタバコを継承した「檳榔」 (ラガサン)や「香蕉」 (曙)も生産販売され ていた。フィルターがない両切りタバコが主流であったが、1958 年に初のフィルター付タ バコ「金馬」 、1976 年には初のチャコールフィルター付タバコ「梅花」が登場した。珍し いものとして、漢方薬材を含む「神農 100 マイルド」があり、1999 年から 2002 年に生産 された。また、一般市場には流入しなかったが軍用タバコがあり、パッケージには反共を 訴え軍隊を鼓舞する標語が書かれていた。 1 全部を紹介できなかったが、他に「双喜」 「宝島」 「玉山」 「吉祥」 「如意」 「金鼎」 「莒光」 「凱旋」 「福祿」 「白 雲」 「祥和」 「帥」などのタバコもある。詳しくは、洪馨蘭(2004) 「公賣時期的菸類製品」 『台灣的菸業』遠足文 化、pp.168-183 を参考にしてほしい。 62 4-3 現在売られている国産タバコ 本節では、現在台湾で売られている国産タバコについて述べる。2002 年にタバコ専売制 度が廃止され公売局が民営化されて、台灣菸酒公司の時代が始まった。現在、コンビニで は国産・外国産のいろいろな種類のタバコを買うことができる。以下の図は、現在売られ ているタバコの中で台灣菸酒公司が製造している国産タバコである。 図 1:現在売られている国産タバコ一覧1 赤の部分は「尊爵」 (GENTLE)シリーズ、青の部分は「寶島」シリーズ、緑の部分は「王 牌」 (ONER)シリーズ、黄色の部分は「新楽園」 (NEW PARADISE)シリーズ、紫の部 分は「長壽」 (LONG LIFE)シリーズ、オレンジの部分は「維斯塔」 (VESTA)シリーズ、 ピンクの部分は「玫瑰涼菸」 (LA ROSE メンソール)である。 このように、現在売られている国産タバコは 34 種あることがわかる。 次に、各シリーズの銘柄がどのように違うのか、個別に見てみるために整理したのが次 のページの表である。 1 筆者撮影。2015.11.26 63 「尊爵纖細 GS」 GENTLE SLIM 表 1:各シリーズの詳細内容1 「尊爵國際包」 「尊爵 10 號」 「尊爵 9 號」 GENTLE GENTLE 10 GENTLE 9 INTERNATIONAL 「尊爵 2 號」 GENTLE 2 ニコチン:0.6mg タール:7mg ニコチン:0.6mg タール:7mg ニコチン:0.8mg タール:9mg ニコチン:0.7mg タール:9mg ニコチン:0.2mg タール:2mg 75 元 「尊爵 7 號」 GENTLE 7 80 元 「尊爵 6 號」 GENTLE 6 70 元 「尊爵 5 號」 GENTLE 5 65 元 「尊爵 3 號」 GENTLE 3 70 元 「尊爵 1 號」 GENTLE 1 ニコチン:0.6mg タール:7mg ニコチン:0.5mg タール:5mg ニコチン:0.5mg タール:5mg ニコチン:0.3mg タール:3mg ニコチン:0.1mg タール:1mg 65 元 「黄長壽」 YELLOW LONG LIFE 10 70 元 「白長壽」 65 元元 「白長壽軟包」 65 元元 「長壽 7 號」 LONG LIFE 9 LONG LIFE 9 LONG LIFE 7 65 元 「長壽金品」 LONG LIFE BLENDED ニコチン:0.8mg タール:10mg ニコチン:0.7mg タール:9mg ニコチン:0.7mg タール:9mg ニコチン:0.6mg タール:7mg ニコチン:0.6mg タール:7mg 60 元 「白細長壽」 60 元 「長壽 5 號」 60 元 「長壽 2 號」 70 元 「長壽 3 號」 LONG LIFE 8 LONG LIFE5 65 元 「黄長壽 5 號」 YELLOW LONG LIFE 5 LONG LIFE 2 LONG LIFE 3 ニコチン:0.7mg タール:8mg ニコチン:0.5mg タール::5mg ニコチン:0.5mg タール:5mg ニコチン:0.2mg タール:2mg ニコチン:0.3mg タール:3mg 65 元 65 元 60 元 65 元 60 元 1 筆者作成。上段から、中国語名、英語名、写真、ニコチン・タール含有量、価格の順に整理した。 64 「新楽園 10 號」 NEW PARADISE 10 「新楽園 7 號」 NEW PARADISE 7 「新楽園 5 號」 NEW PARADISE 5 「新楽園 1 號」 NEW PARADISE 1 「維斯塔 7 號」 ニコチン:0.8mg タール:10mg ニコチン:0.6mg タール:7mg ニコチン:0.5mg タール:5mg ニコチン:0.1mg タール:1mg ニコチン:0.6mg タール:7mg 55 元 「紅王牌」 RED ONER 55 元 「藍王牌」 BLUE ONER 55 元 「銀王牌」 SILVER ONER 55 元 「白王牌」 WHITE ONER 75 元 「維斯塔 5 號」 VESTA 5 ニコチン:0.7mg タール:9mg ニコチン:0.5mg タール:6mg ニコチン:0.3mg タール:3mg ニコチン:0.3mg タール:3mg ニコチン:0.4mg タール:5mg 65 元 「寶島 10 號」 FORMOSA 10 70 元 「寶島 7 號」 FORMOSA 7 65 元 「寶島 5 號」 FORMOSA 5 65 元 「玫瑰涼菸」 LA ROSE COOL 75 元 ニコチン:0.9mg タール:10mg ニコチン:0.7mg タール:7mg ニコチン:0.5mg タール:5mg ニコチン:0.7mg タール:9mg 60 元 65 元 65 元 65 元 VESTA 7 このように、タバコの名前の後ろに付いている番号は、タールの含有量を示しているこ とがわかる。 以上、本節では台湾で現在売られているタバコの中で台灣菸酒公司が製造している国産 タバコを紹介した。 65 第 4 章 まとめ 専売制度開始前の日本では、 民間のタバコ業者が商品販売のために宣伝合戦をしていた。 特に有名なのは、東京の岩谷商会と京都の村井兄弟商会だった。専売制度開始前の台湾の タバコは輸入製品で、 日本からの輸入が多く、 岩谷商会と村井兄弟商会のものが多かった。 台湾では 1905 年から専売制度が始まり、台湾総督府専売局が管理するようになった。こ の後、台湾におけるタバコ栽培が始まり、台湾産葉タバコを使った台湾産タバコの製造販 売も始まる。1927 年当時、内地製(日本製、日本の専売局が供給) ・外国製(貿易商が輸 入) ・本島製(台湾製)があり、台湾総督府専売局が製造販売していたタバコは全部で 17 種類あった。1936 年当時、台湾総督府専売局が製造販売していたタバコは全部で 24 種類 あった。 1937 年に日中戦争が始まると、軍の需要に応じて台湾でも軍用タバコが作られたり、戦 時を反映した名前のタバコが発売されたりするようになる。 戦後初期には日本統治時代のタバコを継承した「檳榔」 (ラガサン)や「香蕉」 (曙)も 生産販売されていた。フィルターがない両切りタバコが主流であったが、1958 年に初のフ ィルター付タバコ「金馬」 、1976 年には初のチャコールフィルター付タバコ「梅花」が登 場した。珍しいものとして、漢方薬材を含む「神農 100 マイルド」があり、1999 年から 2002 年に生産された。また、一般市場には流入しなかったが軍用タバコがあり、パッケージに は反共を訴え軍隊を鼓舞する標語が書かれていた。 2002 年にタバコ専売制度が廃止され公売局が民営化されて、台灣菸酒公司の時代が始ま った。現在、コンビニでは国産・外国産のいろいろな種類のタバコを買うことができる。 現在売られているタバコの中で台灣菸酒公司が製造している国産タバコは 34 種ある。 バコ の名前の後ろに付いている番号は、タールの含有量を示している。 66 第 5 章 台湾の喫煙環境の変化 本章では台湾の喫煙環境の変化について、法律による規制、タバコの価格変化、喫煙率 の変化の観点から述べる。 5-1 タバコ煙害防止法 本節ではタバコ煙害防止法の改正過程、喫煙が規制される場所、罰則の強化について、 述べる。 5-1-1 制定と改正 台湾におけるタバコ規制について、岡村(2014:104)1は、以下のように述べている。 台湾政府は、たばこによる健康被害を防止し国民の健康増進を図るため、たばこ規制 の施策を積極的に推進してきた。1997 年にはたばこ煙害防止法(原文は「菸害防制法」 ) が制定され、たばこの販売価格も数次にわたって引き上げられた。また、2005 年には「た ばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」 (以下、 「たばこ規制枠組条約」という。 )が 立法院で批准され、2007 年には、たばこ規制枠組条約の内容を反映させる形で、たばこ 煙害防止法が全面的に改正された。近年は、受動喫煙の被害防止が特に重要な課題とみ なされ、たばこ煙害防止法の改正においても、公共の場所の喫煙規制の厳格化と罰則強 化が焦点の 1 つとなった。 このように、台湾では 1997 年にタバコ煙害防止法が制定され、2007 年にはタバコ規制 枠組条約の内容を反映させる形で、タバコ煙害防止法が全面的に改正された。以下の表 1 は、その過程を中国語と日本語で整理したものである。 表 1:タバコ煙害防止法とその改正2 1997 年 2005 年 2007 年 「菸害防制法」 【タバコ煙害防止法】制定(旧法) 「世界衛生組織菸草控制框架公約」 【タバコの規制に関する世界保健機関枠組条約】批准 「菸害防制法」 【タバコ煙害防止法】改正(新法・現行法) 5-1-2 喫煙が規制される場所 規制される場所について、岡村(2014:106-107)3は、タバコ煙害防止法の旧法と新法 を比較して、次のページの表をあげ、さらに続けて以下のように説明している。 1 岡村志嘉子(2014) 『台湾のたばこ煙害防止法と公共の場所の喫煙規制』p.104 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8747940_po_02610006.pdf?contentNo=1&alternativeNo 2015.10.19 2 筆者作成 3 同註 1、pp.106-107 67 表 1:たばこ煙害防止法により喫煙が規制される公共場所(新旧比較) 旧法 新法・現行法 <第 13 条(第 1 項)> ①図書室、教室、実験室 ②劇場、講堂、展示室、会議場(室) ③体育館、屋内プール ④民用航空機、旅客バス、ケーブルカー、 タクシー、渡船、エレベーター、密閉 された列車、地下鉄の駅、車両、その 他各種の密閉された公共交通機関 ⑤託児所、幼稚園 ⑥医療機関、養護施設、その他の医療関 係機関、障害者福祉施設 ⑦金融機関、郵便局、電信局の営業場所 ⑧可燃物・爆発物を製造、貯蔵、販売す る場所 ⑨その他中央政府の主管機関が定める 場所 全 面 禁 煙 喫 煙 区 域 を 除 き 禁 煙 <第 15 条(第 1 項)> ①高校以下の学校、その他 18 歳未満の 者の教育又は活動に供することを主 たる目的とする場所 ②高等教育機関、図書館、博物館、美術 館、その他の文化・社会教育機関の屋 内スペース ③医療機関、養護施設、その他の医療関 係機関、社会福祉施設(高齢者福祉施 設の完全に仕切られた空調付き屋内 喫煙室と屋外スペースを除く) ④政府機関・公営事業機関の屋内スペー ス ⑤公共交通機関、タクシー、観光バス、 地下鉄、駅、旅客待合室 ⑥可燃物・爆発物を製造、貯蔵、販売す る場所 ⑦金融機関、郵便局、電信事業の営業場 所 ⑧屋内のスポーツ、フィットネス、トレ ーニングを行う場所 ⑨教室、図書室、実験室、コンサートホ ール、講堂、展示室、会議場(室) 、 エレベーターの内部 ⑩歌劇場、映画館、カラオケ・インター ネットカフェ等の娯楽施設の屋内ス ペース ⑪ホテル、ショッピングセンター、飲食 店等の屋内スペース(完全に仕切られ た空調付き喫煙室、午後 9 時以降に営 業を開始する 18 歳未満入場不可のバ ー等を除く) ⑫3 人以上が共用する屋内の職場 ⑬その他公共の使用に供される屋内ス ペース、各級政府の主管機関が定め る場所及び交通機関 <第 14 条(第 1 項)> <第 16 条(第 1 項)> ①学校、公民館、記念館、図書館、博物 ①高等教育機関、図書館、博物館、美術 館、美術館、文化センター 館、その他の文化・社会教育機関の屋 ②歌劇場、映画館、その他の演芸場 外スペース ③観光旅館、百貨店、スーパーマーケッ ②屋外のスタジアム、プール、その他公 ト、ショッピングセンター、床面積 衆のレクリエーションに供される屋 200m2 以上のレストラン 外スペース ④密閉されていない列車、船舶 ③高齢者福祉施設の屋外スペース ⑤駅、港、空港の券売室、旅客待合室 ④その他各級政府の主管機関が定める ⑥政府機関、公営事業機関 場所及び交通機関 ⑦社会福祉施設 ⑧その他中央政府の主管機関が定める 場所 68 たばこ煙害防止法には、公共の場所において全面禁煙とする場所と喫煙区域以外を禁 煙とする場所が具体的に規定されている。旧法では第 13 条と第 14 条、現行法では第 15 条と第 16 条がその規定である。これらの規定に列挙されている公共の場所は、前頁 の表のとおりである。 この表からわかるように、現行法の規定は旧法と比べ、全面禁煙とする公共の場所を 大幅に拡大し、対象となる区域もより具体的に示している。現行法の規定からは ① 18 歳未満の者を対象とする高校以下の教育施設等 ② 公共の場所の屋内スペース ③ 3 人以上が共用する屋内の職場 を全面禁煙とすることが明確に読み取れる。高校以下の教育施設等の全面禁煙は未成年 者をたばこの害から守ること、3 人以上が共用する屋内の職場の全面禁煙は職場での受 動喫煙の害を防止することを目的とし、屋内の公共空間の全面禁煙と併せて、法改正に いて喫煙規制強化の重点とされたところである。 以上が、岡村(2014:106-107)からの引用であるが、このように、現行法の規定は旧法 と比べ、全面禁煙とする公共の場所を大幅に拡大し、対象となる区域もより具体的に示し ている。①18 歳未満の者を対象とする高校以下の教育施設等、②公共の場所の屋内スペー ス、③3 人以上が共用する屋内の職場、これら 3 点である。 5-1-3 罰則の強化 罰則の強化について、岡村(2014:107)1は、タバコ煙害防止法の旧法と新法を比較し て、以下のように説明している。 公共の場所の喫煙規制に関する規定に違反した場合の現行法の罰則規定は、旧法より かなり重いものとなった。 (中略)喫煙が規制される公共の場所で喫煙した者に対しては、2千台湾ドル以上1万 台湾ドル以下の過料が科される(第31条第1項) 。この場合の旧法での過料は、1千湾ドル 以上3千台湾ドル以下であった。 また、公共の場所の所有者等が禁煙標識の設置義務、禁煙区域での喫煙関連器物の提 供禁止、喫煙区域設置に関する遵守事項等の規定に違反したときは、1万台湾ドル以上5 万台湾ドル以下の過料が科される(第31条第2項) 。この場合の旧法での過料は、1万台湾 ドル以上3万台湾ドル以下であった。 このように、新法は旧法に比べて罰金がかなり高くなっている。罰金を比較したのが次 のページの表である。 1 岡村志嘉子(2014) 『台湾のたばこ煙害防止法と公共の場所の喫煙規制』p.107 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8747940_po_02610006.pdf?contentNo=1&alternativeNo 2015.10.19 69 表 1:罰金1 喫煙が規制される公共の場所で 公共の場所の所有者等が 喫煙した者 遵守事項等の規定に違反した場合 旧法 1,000~3,000 台湾元 10,000~30,000 台湾元 新法 2,000~10,000 台湾元 10,000~50,000 台湾元 5-2 タバコの値段の変化 タバコの値段の変化について、国家図書館「政府統計資料網」のウェブサイト2の統計デ ータから、1970 年から 2000 年までの「宝島」 、 「総統」 、 「新楽園」3 種類のタバコの公定価 格と資料を集めて、その価格変化を以下のグラフに整理した。 図 1:公定価格 35 30 価 格 ( 元 ) 25 20 総統 15 宝島 新楽園 10 5 0 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 年 このように、1970 年から 2000 年の 30 年間で、価格は 3 種類とも 2~2.5 倍の値上がりを している。おそらく、原材料費などの上昇にともなう物価上昇だと思われる。 ところが、1997 年にタバコ煙害防止法が制定されると、それ以降、価格にタバコ製品健 康福祉税(菸品健康福利捐)が上乗せされることになる。その事情について、岡村(2014: 108)3は、以下のように述べている。 たばこ製品健康福祉賦課金は 2002 年 1 月 1 日から徴収が開始され、当初はたばこ酒 税法に規定が置かれていた。当初、紙巻たばこの場合 1 箱(20 本)につき 5 台湾ドルで あったが、2006 年 2 月に 1 箱につき 10 台湾ドルに引き上げられた。2007 年、たばこ煙 害防止法の改正に際して、同賦課金は、たばこ規制の強化と国民の健康増進に寄与する 1 筆者作成 『國家圖書館-政府統計資料網』 「臺灣地區菸酒事業統計年報」 http://stat.ncl.edu.tw/hypage.cgi?HYPAGE=search/jnameBrowse.hpg&brow=v&jid=00239956&jn= 2015.10.05 3 岡村志嘉子(2014) 『台湾のたばこ煙害防止法と公共の場所の喫煙規制』p.108 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8747940_po_02610006.pdf?contentNo=1&alternativeNo 2015.10.19 2 70 ものとの位置付けにより、 たばこ煙害防止法第 4 条にその規定が置かれることになった。 2007 年 7 月 11 日に公布された改正法では、金額は改正前と同額であったが、2009 年 1 月 23 日に公布された現行法ではこの第 4 条が改正され、金額が 1 箱につき 20 台湾ドル へと、倍額に引き上げられた。 同賦課金はたばこ税と同時に徴収され、国民健康保険の準備金を始め、国民の健康及 び福祉の増進のために用いられる。 このように、2002 年 1 月から紙巻タバコ 1 箱につき 5 元、2006 年 2 月から 10 元、2009 年 1 月から 20 元が、タバコ製品健康福祉税として価格に上乗せされるようになった。 5-3 喫煙率の変化 次の図は、国民衛生署衛生福利部が作成した台湾の「成人喫煙率と未来の目標」である。 図 1:18 歳以上の成人喫煙率と未来の目標1 2006年2月健康福祉税は10元 2002年1月健康福祉税は5元 2009年1月煙害防止法改正、健康福祉税は20元 1997年9月煙害防止法制定 2014年4月国家公園で禁煙、6月新版警告図 70 59.4 60 55.3 54.8 55.1 47.3 50 パ ー セ ン ト 48.2 42.9 40.0 男性 39.0 40 35.4 32.5 39.6 29.5 29.1 29.2 30 26.3 3.8 3.2 3.3 3.3 全體 32.5 29.2 32.7 24.1 22.722.122.321.9 20.019.819.118.7 18 5.3 5.2 女性 33.5 35.0 27 20 10 38.6 16.5 16.4 4.6 4.8 4.1 5.1 4.8 4.2 4.1 4.4 4.3 3.3 3.5 15 14 13 12 11 10 3.5 0 1990 1995 2000 2005 2010 2015 2020 年 この図から見ると、1997 年にタバコ煙害防止法制定された後は、台湾全体および男性の 喫煙率は徐々に減少している。 ただし、 女性の喫煙率は減少傾向とは言えないようである。 数年ごとにタバコ製品健康福祉税の課税額が増えて、実質的にタバコが値上がりしている ことや、2009 年にタバコ煙害防止法が改正されて関係する罰金が高くなったことも、喫煙 率減少に影響を与えていることがわかる。台湾全体の喫煙率は 1990 年の 32.5%から、2014 年の 16.4%まで低下していることがわかる。 さらに、喫煙率の未来の目標について、 「国民衛生署衛生福利部」のウェブサイト2は、 以下のように述べている。 1 『國民健康署』 「成年人吸菸行為調查」http://tobacco.hpa.gov.tw/Show.aspx?MenuId=581 2015.11.02。グラフ中の 表記は、筆者が原文を日本語訳したものである。また、台湾では満 18 歳以上の喫煙が許されているので、 「18 歳以上の成人」となる。 2 同上 71 我国はタバコ煙害防止法を今後10 年の重要な施政項目としている。 成人喫煙率を2010 年には 20%に、2015 年には 15%に、2020 年には 10%に低下させ、10 年間で喫煙率を半 減させることを目標としている。1997 年にタバコ煙害防止法を制定して以来、国民健康 署は徐々に禁煙の場所と範囲を拡大し、新版の「タバコの健康被害への警告図文」を実 施し、タバコ製品の広告を禁止し、タバコ製品健康福祉税を増税し、第 2 世代禁煙多方 面サービス(禁煙の医療費負担)などを推進している。 (筆者訳) このように、10 年間で喫煙率を半減させることを目標としていることがわかった。上記 の項目のうち、新版の「タバコの健康被害への警告図文」について、以下、補足説明する。 次の表は、2009 年の旧版の警告図文である。 表 1:2009 年旧版警告図文1 吸菸會導致口臭、口腔疾病 喫煙は口臭、口腔疾患を引き起こす。 二手菸會傷害家人健康 受動喫煙は家族の健康に害を与える。 吸菸會導致心臟血管疾病 喫煙は心臓血管疾患を引き起こす。 吸菸及二手菸會導致胎兒異常及早產 喫煙と受動喫煙は胎児異常や早産を引き起こす。 吸菸會導致肺癌、肺氣腫 喫煙は肺癌、肺気腫を引き起こす。 吸菸會導致性功能障礙 喫煙は性機能不全を引き起こす。 1 董氏基金會『華文戒菸網』 「各國菸品警圖」http://warning.e-quit.org/warning/warning2_3.aspx?CountryId=10 2015.11.23。表中の日本語は筆者訳。 72 次の表は、2014 年の新版の警告図文である。 表 1:2014 年新版警告図文1 吸菸引發自己與家人中風和心臟病 喫煙は自分と家族に脳卒中や心臓病を引き起こ す。 吸菸影響口腔衛生 喫煙は口腔衛生に影響を及ぼす。 二手菸引發兒童肺炎、中耳炎、癌症 受動喫煙は児童の肺炎、中耳炎、癌を引き起こす。 不吸菸,你可以擁有更多 タバコを吸わなければ、あなたのすべてが豊かに なる。 吸菸導致胎兒異常及早產 喫煙は胎児異常や早産を引き起こす。 吸菸會導致性功能障礙 喫煙は性機能不全を引き起こす。 菸癮困你一生 喫煙が病みつきになると、あなたを一生困らせ る。 吸菸導致皮膚老化 喫煙は皮膚老化を引き起こす。 このように、2009 年には 6 種類だった警告図文が、2014 年には 2 種類増えて 9 種類にな った。6 種類はタバコが健康に直接与える害を説明しているが、新しく増えた 2 種類はタ バコが人生に与える影響を説明している。 最後に、台湾の喫煙率の変化と日本の喫煙率の変化を比較して見てみる。春山・甲斐 (2012:253)2は、以下のように述べている。 1 董氏基金會『華文戒菸網』 「各國菸品警圖」http://warning.e-quit.org/warning/warning2_3.aspx?CountryId=10 2015.11.23。表中の日本語は筆者訳。 2 春山康夫・甲斐裕子(2012) 『台湾と日本における喫煙対策と喫煙率の推移』p.253 http://nkkg.eiyo.ac.jp/_src/sc2857/20-3-252-253.pdf 2015.10.19 73 台湾の喫煙率は、徐々に低下している。男女合わせた全体の喫煙率は、1982 年 33.0% (男性 60.9%、女性 4.2%) 、 (中略)2010 年 19.8%(男性 35.0%、女性 4.1%)であった。 (中略) わが国の喫煙率の推移をみると、1982 年の男性 70.1%、女性 15.1%から徐々に減り、 2010 年では全体 19.5%、男性 32.2%、女性 8.4%となった。 (中略) 台湾と日本の違いのひとつとして、台湾には、独立したタバコの法律があり、法律の 明確性は高い。特に妊婦の喫煙禁止、保健福祉専用の課徴金の規定は日本にはない。ま た、台湾の行政機関である衛生署は、政策や情報だけでなく国民に直接に Quit &Win の ようなプログラムやサービスを多く提供していると感じた。 このように、台湾には独立したタバコの法律(タバコ煙害防止法)があるが日本にはな いこと、特に妊婦の喫煙禁止、保健福祉専用の課徴金(タバコ製品健康福祉税)の規定は 日本にはないということがわかる。次に、上記内容の数字を使って、台湾と日本の喫煙率 を以下の表 1 に整理してみた。 表 1:台湾と日本の男性と女性喫煙率1 台湾 日本 男性 女性 1982 年 60.9% 4.2% 2010 年 35.0% 4.1% 男性 女性 1982 年 70.1% 15.1% 2010 年 32.2% 8.4% このように、1982 年の段階では喫煙率は男性、女性ともに日本のほうが高かった。2010 年になると、台湾の男性喫煙率は低下したが女性喫煙率はあまり変化が見られない。それ に対して日本は男性、女性ともに喫煙率が低下している。 以上、本節では喫煙率の変化について見た。1997 年のタバコ煙害防止法制定後は、台湾 全体および男性の喫煙率は徐々に減少している。ただし、女性の喫煙率は減少傾向とは言 えないようである。数年ごとにタバコ製品健康福祉税の課税額が増えて、実質的にタバコ が値上がりしていることや、2009 年にタバコ煙害防止法が改正されて関係する罰金が高く なったことも、 喫煙率減少に影響を与えている。 台湾全体の喫煙率は1990年の32.5%から、 2014 年の 16.4%まで低下している。2009 年には 6 種類だった警告図文が、2014 年には 2 種類増えて 9 種類になった。6 種類はタバコが健康に直接与える害を説明しているが、新 しく増えた 2 種類はタバコが人生に与える影響を説明している。喫煙率について台湾と日 本を比べると、どちらも全体的に低下しているが、台湾女性の喫煙率はあまり変化が見ら れない。 1 筆者整理 74 第 5 章 まとめ 第 1 節ではタバコ煙害防止法について述べた。 台湾では 1997 年にタバコ煙害防止法が制定され、2007 年にはタバコ規制枠組条約の内 容を反映させ形で、 タバコ煙害防止法が全面的に改正された。 現行法の規定は旧法と比べ、 全面禁煙とする公共の場所を大幅に拡大し、対象となる区域もより具体的に示している。 新法は旧法に比べて罰金がかなり高くなっている。 第 2 節ではタバコ値段の変化について述べた。 1970 年から 2000 年の 30 年間で、価格は 3 種類とも 2~2.5 倍の値上がりをした。おそら く、原材料費などの上昇にともなう物価上昇だと思われる。ところが、2002 年 1 月から紙 巻タバコ 1 箱につき 5 元、2006 年 2 月から 10 元、2009 年 1 月から 20 元が、タバコ製品健 康福祉税として価格に上乗せされるようになった。 第 3 節では喫煙率の変化について述べた。 1997 年にタバコ煙害防止法制定された後は、台湾全体および男性の喫煙率は徐々に減少 している。ただし、女性の喫煙率は減少傾向とは言えないようである。数年ごとにタバコ 製品健康福祉税の課税額が増えて、実質的にタバコが値上がりしていることや、2009 年に タバコ煙害防止法が改正されて関係する罰金が高くなったことも、喫煙率減少に影響を与 えている。台湾全体の喫煙率は 1990 年の 32.5%から、2014 年の 16.4%まで低下している。 さらに、2009 年には 6 種類だった警告図文が、2014 年には 2 種類増えて 9 種類になった。 6 種類はタバコが健康に直接与える害を説明しているが、新しく増えた 2 種類はタバコが 人生に与える影響を説明している。喫煙率について台湾と日本を比べると、どちらも全体 的に低下しているが、台湾女性の喫煙率はあまり変化が見られない。 以上、第 5 章では禁煙意識の進展と禁煙政策という社会的側面から喫煙人口の減少を見 たが、これは第 2 章で述べたタバコ生産減少にも影響を与えていると思われる。 75 結論 第 1 章では、タバコの歴史と台湾タバコの歴史について述べた。 タバコの原産地はアメリカ大陸である。そして、大航海時代に世界各地に伝えられてい った。喫煙方法として、葉巻、嗅ぎタバコ、噛みタバコ、パイプ、紙巻タバコなどがある が、現在は紙巻タバコが主流である。台湾へのタバコの伝来は、16 世紀末から 17 世紀初 めのころ、 「フィリピンから直接台湾へ」或いは「フィリピンから中国大陸を経て台湾へ」 伝わったと考えられる。日本統治時代に葉タバコ栽培が本格的に導入され、専売制度も始 まった。葉巻用葉タバコの栽培と紙巻タバコ用の黄色種葉タバコの栽培があり、黄色種葉 タバコは 1913 年に花蓮の日本人移民村である吉野村で初めて種が植えられた。 葉巻用葉タ バコは、屏東で生産された。戦後台湾では 2002 年に専売制度が廃止されて、 「台湾省公売 局」は「台灣菸酒公司」になった。 第 2 章では、タバコの国内生産量・耕作面積・産地分布の歴史的変化を述べ、タバコの 製作過程を紹介した。 生産面積は 1969 年にピークを迎えるが、1980 年代後半から減少傾向に入る。その理由 は貿易自由化である。また、公売局民営化により、葉タバコを買い上げる義務がなくなっ たので、生産量はさらに低くなった。1960 年代まで主要な生産地は、台中地区(台中、彰 化、南投) 、屏東地区(屏東、高雄) 、嘉義地区、花蓮地区の 4 つであった。葉タバコの栽 培は 8 月から 9 月に種まき、9 月から 10 月に苗床から畑に移植、12 月から翌年の 2 月に収 穫が行われる。熱気乾燥には以前は「菸樓」が使われたが、その後、機械式乾燥が普及し た。葉タバコはタバコ工場で加工されて 1 本のタバコになり、20 本ずつ包装されて、1 箱 のタバコになる。 第 3 章では、 「菸樓」の種類と盛衰を紹介した。 「菸樓」は葉タバコを熱気乾燥する場所である。日本統治時代に導入され、大阪式と広島 式 2 種類あるが、台湾では大阪式が多く採用された。しかし、葉タバコ産業の衰退につれ て、菸樓も使われなくなった。地域住民と地方自治体は放置された菸樓を再利用したが、 資金と地方自治体の方針などの問題があるため、成功するかは未知数である。 第 4 章では、日本統治時代と戦後及び現在のタバコのパッケージについて整理した。 専売制度開始前の台湾では、日本からの輸入が多く、岩谷商会と村井兄弟商会のものが 多かった。1905 年に台湾の専売制度が始まり、台湾総督府専売局が設置された。1936 年の 段階では、タバコは全部で 24 種類あった。戦後初期はフィルターがない両切りタバコが主 流であったが、1958 年に初のフィルター付タバコ「金馬」 、1976 年には初のチャコールフ ィルター付タバコ「梅花」が登場した。また、軍用タバコは反共の標語が書かれていた。 現在、国産タバコは 34 種ある。また、タバコの名前の後ろに付けられる番号は、タールの 含有量を示している。 第 5 章ではタバコ煙害防止法と喫煙率について述べた。 1997 年にタバコ煙害防止法が制定され、 2007 年にはタバコ規制枠組条約の内容を反映さ せる形で、タバコ煙害防止法が全面的に改正された。タバコの価格上昇は、タバコ製品健 康福祉税が価格に上乗せされるようになった影響が大きい。 台湾全体の喫煙率は 1990 年の 32.5%から、2014 年の 16.4%まで低下しているが、女性の喫煙率は変化が見られない。禁 76 煙意識の進展と禁煙政策という社会的側面から喫煙人口の減少を見たが、これはタバコ生 産減少にも影響を与えていると思われる。 最後に、本レポートが日本人や日本語を使う人が台湾のタバコを理解する一助になれば 幸いである。 77 参考文献 資料(日本語) (著作年順) ●台湾総督府(1927) 『台湾事情(昭和 2 年版) 』 「JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.A06032519700、台湾事情(国立公文書館) 」 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A06032519700?TYPE=jpeg ●台湾総督府(1936) 『台湾事情(昭和 11 年版) 』 「JACAR(アジア歴史資料センター) Ref.A06032519800、台湾事情(国立公文書館) 」 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A06032519800?TYPE=jpeg ●『台湾日日新報』漢珍數位圖書『漢珍知識網』報紙篇「臺灣日日新報」 http://www.tbmc.com.tw/chinese/のデータベースを使用。 ●『臺灣時報』漢珍數位圖書「臺灣時報 Taiwan JIHO 資料庫」のデータを使用。 書籍・論文(日本語) (著作年順) ●春山康夫・甲斐裕子(2012) 『台湾と日本における喫煙対策と喫煙率の推移』 http://nkkg.eiyo.ac.jp/_src/sc2857/20-3-252-253.pdf ●岡村志嘉子(2014) 『台湾のたばこ煙害防止法と公共の場所の喫煙規制』 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